極月を追われたので、初星で歌い直します   作:マロンex

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エピローグ~白草四音というアイドルの終りと始まり~

『第○回N.I.A、優勝は――初星学園、白草四音さん』

 

二連覇だった。

 

客席の真ん中で、プロデューサーの妹が、もう空いていない隣の席に向かって飛び跳ねていた。

その隣で、プロデューサーが、少しだけ照れたように拍手をしていた。一番いい席だった。

舞台袖から、撫子が泣きながら走ってきた。

 

「ずるいですわ、お姉さま! また、ずるいですわ……っ!」

 

その後ろで、燐羽が腕を組んで、悔しそうに笑っていた。

 

「……来年こそ、私が勝つから」

 

四音は、二人を見た。

それから、少しだけ笑った。

 

「来年...ですか」

 

トロフィーを受け取ったあと、司会がマイクを向けた。

 

「白草さん、二連覇おめでとうございます。来年の三連覇に向けて、一言お願いします」

 

四音は、マイクを受け取った。

 

ホールを見渡した。

初星の応援席。

極月の席。

客席の真ん中の、プロデューサーと、

その家族。

最後列の壁際の、つばの広い帽子の影。

四音は、深く息を吸った。

 

「来年は、出場しません」

 

ホールが、一瞬で静まり返った。

 

「私、白草四音は、本日をもって、アイドルを引退します」

 

一拍の沈黙のあと、ホール全体が、どよめきに包まれた。

 

舞台袖で、撫子が「えっ」と声を漏らして固まった。

燐羽が、目を見開いていた。

初星の応援席で、千奈が両手で口を覆い、佑芽が立ち上がっていた。

客席の真ん中で、プロデューサーだけが、静かに四音を見ていた。

 

驚いていなかった。

四音は、マイクを握り直した。

 

「私は、極月学園にいた頃、たくさんの人を蹴落としてきました。噂を流し、陥れ、踏みにじって、その上に立って、勝ってきました」

 

ざわめきが、少しずつ収まっていった。

 

「初星に来て、謝りました。許してもらえないこともありました。許してもらえたこともありました。一緒に歌ってくれる人ができました。二度、優勝もしました」

 

四音は、トロフィーを見下ろした。

 

「欲しかったものは、ほとんど手に入りました。幸せです。...でも、たった一つどうしても手に入らないものがあります」

 

四音は、顔を上げた。

 

「私が蹴落としてきた人たちの、その後です」

 

ホールが、しんと静まり返った。

 

「謝ることはできました。でも、私が壊したものを、私は元に戻せません。極月で、私がユニットから外させた子は、そのあと、どんな日々を過ごしたのか。私が噂を流した子は、どれだけ眠れない夜を過ごしたのか。私には、それを知ることも、償うこともできませんでした」

 

四音は、ほんの少しだけ言葉を区切った。

 

「ずっと考えていたことがあります」

 

四音の声が、少しだけ揺れた。

 

「私の衣装に細工をした子たちがいました。撫子に嫌がらせをした子たちもいました。当時は恨みました。...でも、今思えばあの子たちは私に似ています」

 

四音は、ホールの奥を見た。

 

「あの子たちも、もしかしたら、私と同じだったのかもしれません。誰かを蹴落とさなければ、自分がここにいていいと思えなかったのかもしれない。誰にも頼り方を教えてもらえずに、自分のことが嫌いで、どうしようもなかったのかもしれない」

 

四音は、トロフィーを胸に抱いた。

 

「昔の私が、そうでしたから」

 

ホールの誰も、声を出さなかった。

 

「幸い私は、撫子に引き戻してもらいました。初星のみんなに、支えてもらいました。待っていてくれる人がいました。でも、私が蹴落としてきた人たちや、昔の私のような子たちには、そういう人がいるとは限りません。これまでもそしてこれからも」

 

四音は、まっすぐに前を見た。

 

「だから、私は、その人たちの隣に座れる人になりたいと思いました。ステージの上ではなく。客席の一番後ろでもなく。もっと、近くで」

 

四音は、深く頭を下げた。

 

「今まで、本当に、ありがとうございました」

 

顔を上げたとき、ホールは、まだ静まり返っていた。

 

それから、どこからともなく、拍手が起きた。

最初は、客席の最後列から。

 

それが、波のようにホール全体に広がっていった。

舞台袖で、撫子が、泣きながら拍手をしていた。

 

燐羽は、拍手をしなかった。

ただ、唇を噛んで、四音をまっすぐに見ていた。

それから、ほんの小さく、うなずいた。

 

客席の最後列の暗がりで、帽子の影が、ゆっくりと立ち上がった。

それから、誰にも聞こえないくらい小さく、一度だけ手を叩いて、去っていった。

 

その夜、ホールの裏の非常階段で、四音はプロデューサーと並んで座っていた。

 

「止めないんですね」

 

「あなたが決めることなので」

 

いつかと同じやりとりだった。

四音は、少しだけ笑った。

 

「……本当は、少し、止めてほしかったかもしれません」

 

「そうですか」

 

プロデューサーは、少しだけ考えるように黙った。

それから、静かに言った。

 

「でも、あなたは、たぶん、ずっと前から決めていたと思います。あの病室で、屋上の話をしてくれたときから」

 

四音は、何も言い返せなかった。

 

「歌わなくなるわけでは、ないんでしょう」

 

「……ええ」

 

四音は、夜空を見上げた。

 

「歌は、やめません。ただ、勝つために歌うのは、もう十分です。これからは、誰かの隣で、歌いたいんです」

 

プロデューサーは、少しだけ笑った。

 

「なら、俺は、隣で聴いています」

 

四音は、プロデューサーの肩に、そっと頭を預けた。

 

「……待つのは、得意でしたね」

 

「はい」

 

それから、数年が過ぎた。

四音は、大学で心理学、教育学を学んだ。

講義のノートは、いつも書き込みでいっぱいだった。

自己肯定感。承認欲求。加害と被害の連鎖。

どのページにも、極月の頃の自分の顔が、ふと浮かんだ。

 

三年生のゼミで、「加害の背景にある自己否定」というテーマで発表することになった。

 

四音は、資料の最後のページに、自分のことを書いた。

極月で、自分が何をしてきたのか。

誰を蹴落として、誰を陥れて、何を壊してきたのか。

それから、なぜそうしたのか。

勝たなければ、ここにいていいと思えなかったこと。

自分のことが、ずっと嫌いだったこと。

発表の途中で、教室が静まり返った。

 

あの白草四音が、という囁きが、どこからか聞こえた。

発表が終わったあと、何人かの学生は、四音と目を合わせなくなった。

廊下ですれ違っても、会釈を返さなくなった学生もいた。

ゼミのグループのやりとりで、四音の発言にだけ、誰も反応しなくなったこともあった。

 

当然だと、四音は思った。

四音がしてきたことを思えば、嫌われて当然だった。

けれど、それだけではなかった。

 

発表の翌日、ゼミ室で一人で資料を片づけていると、一人の学生が、四音の隣の椅子に座った。

何も言わずに、四音が散らかした資料を、一緒に揃え始めた。

 

「……どうして」

 

四音が聞くと、その学生は、少しだけ困ったように笑った。

 

「どうしてって。あんなこと、普通、言わないでしょ。わざわざ自分から...」

 

学生は、揃えた資料を四音に手渡した。

 

「全部話してくれたから。それだけ」

 

それから、別の日には、別の学生が、学食で四音の向かいに座った。

また別の日には、講義のあとで、「私も昔」と小さな声で打ち明けてくる学生がいた。

 

四音は、そのたびに、ただ黙って隣に座った。

極月にいた頃、四音の周りには、いつもたくさんの人がいた。

けれど、その人たちが四音の隣にいたのは、

四音が怖かったからか、四音のそばにいれば得をすると思ったからだった。

四音の顔色をうかがう目。

四音に取り入ろうとする目。

 

この人たちの目は、違った。

 

四音を怖がってもいなかった。

四音から何かを得ようともしていなかった。

ただ、包み隠さずに話した四音の隣に、座っていた。

 

それが、どれほど得がたいものなのか。

四音は、初星に来るまで、知らなかった。

 

卒業の年、N.I.Aの運営事務局から、一通の手紙が届いた。

出場者の相談役として、大会に関わってほしい、という依頼だった。

 

ーさらに数年後

N.I.A本選の会場、出場者控室の奥。

 

小さな相談室の扉には、『出場者相談窓口』と書かれたプレートが掛かっていた。

四音は、机の上に紅茶の紙コップを二つ並べた。

甘いほうを。

 

扉が、控えめに叩かれた。

 

「……どうぞ」

 

入ってきたのは、ある学園の制服を着た少女だった。

目を伏せたまま、扉の前で立ち止まっていた。

運営の職員が、少女の後ろから小さく会釈して、扉を閉めた。

 

少女は、予選の控室で、他の出場者の衣装に細工をしようとしたところを見つかったのだという。

 

「座ってください」

 

四音は、向かいの椅子を示した。

少女は、少しだけためらってから、椅子の端に腰を下ろした。

紅茶の紙コップを、少女の前に置いた。

少女は、それに手を伸ばさなかった。

しばらく、どちらも何も言わなかった。

 

やがて、少女が、うつむいたまま口を開いた。

 

「……怒らないんですか」

 

「怒ってほしいですか」

 

少女の肩が、びくりと跳ねた。

 

「……わかりません。怒られると思ってたから」

 

「処分は、運営の方が決めます。私の仕事は、そこではありません」

 

四音は、自分の紅茶を一口飲んだ。

周りの人間をはけさせ、少女と二人きりにした。

 

「誰にも言いません。どうして、そうしたのか。それだけ、聞かせてもらえますか」

 

少女は、何も言わなかった。

 

長い沈黙だった。

四音は、急かさなかった。

ただ、待っていた。

 

やがて、少女の膝の上で、握りしめた手が震え始めた。

 

「……あの子が、上手かったから」

 

声が、かすれていた。

 

「あの子がいたら、わたし、絶対に勝てないって思って。勝てなかったら、わたし、ここにいる意味がないって。事務所の人にも、親にも、そう言われてて。だから、あの子さえ、いなくなれば……」

 

少女の目から、涙がこぼれた。

 

「私の価値を守らなきゃって...でも実力じゃどうしようもなくて....。でも、どうしたらいいのか、わからなくて……」

 

四音は、少女の顔を、まっすぐに見た。

 

自分の顔を見ているようだった。

極月の食堂の、窓際の席で。

完璧な所作で背筋を伸ばして、誰にも頼れずに、作った笑みを貼りつけていた、あの頃の自分を。

 

「……わかりますよ」

 

少女が、顔を上げた。

 

「私も昔、勝てなければ、ここにいる意味がないと思っていました。だから、誰かを蹴落として、勝ってきました。噂を流して、陥れて、衣装に細工をさせたこともあります」

 

少女の目が、大きく見開かれた。

 

「……白草、四音さん、ですよね。N.I.Aで、二回優勝した」

 

「ええ」

 

「そんな人が、そんなこと……」

 

「しましたよ。たくさん」

 

四音は、少しだけ笑った。

 

「それで、全部明るみに出て、居場所をなくしました。それから、たくさんの人に謝りました。許してもらえないことも、ありました。罪は、消えません。今も、ずっと抱えています」

 

四音は、紅茶の紙コップを、少女のほうへそっと押した。

 

「でも、抱えたままでも、もう一度歌うことはできました。誰も蹴落とさずに」

 

「……どうやって」

 

「向き合いました。自分にも、傷つけた人たちにも」

 

四音は、自分の紙コップに目を落とした。

 

「とてもつらくて、険しい道のりでした。でも、そこで、自分を偽らなくてもいいやり方を覚えました。守りたいと思える人と、守ってくれる人に出会って」

 

少女は、紙コップを見下ろした。それから、震える手で、それを持ち上げた。

一口、飲んだ。

 

「……そう、だったんですね」

 

四音は、少女の顔をまっすぐに見た。

 

「私、あなたのこと、嫌いではありませんよ。少なくとも、自分のしたことを、正直に話してくれたあなたのことは」

 

少女は、何も言わなかった。紙コップを包む指が、小さく震えていた。

 

「一人じゃない、なんて綺麗ごとを言うつもりはありません。でも」

 

四音は、少しだけ言葉を区切った。

 

「勝てなくても、何者でもなくても、あなたには価値があります。それは、私が保証します」

 

少女の目から、涙がこぼれた。

泣きながら、少しだけ笑った。

 

それから、紙コップを両手で包んだまま、四音を見た。

 

「……わたし、たぶん、謹慎になります。今年のN.I.Aは、もう出られないと思います。……もしかしたら、来年も」

 

「そうかもしれませんね」

 

「でも」

 

少女は、ぎゅっと唇を噛んだ。

 

「絶対、変わります。誰も蹴落とさないで、ちゃんと自分の歌で勝てるアイドルになります。白草さんに、顔向けできるアイドルに」

 

少女の目は、涙で濡れていた。

けれど、まっすぐだった。

四音は、しばらく少女を見つめていた。

 

公園のジャングルジムの下で、毎日歌を聴いてくれた少年のことを思い出した。

何年も、四音の歌を書き写して、待っていてくれた人のことを。

 

四音は、静かに微笑んだ。

 

「待っています」

 

それから、少しだけ、いたずらっぽく付け足した。

 

「待つのは、得意ですから」

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