極月を追われたので、初星で歌い直します   作:マロンex

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決着

ー客席の暗がりが、海のように広がっていた。

前回のN.I.Aでこの舞台に立ったとき、四音はこの暗がりを、蹴落とすべき相手の群れだと思っていた。

だが、今は違って見えた。

 

前奏が流れた。

 

四音は歌い出した。

あの公園の歌を。

3か月前、学内公演で初めて人前で歌った、四音だけの歌を。

学内公演の時より、少しだけ強い声だった。

高音は、もう揺れなかった。

二番の入りも、走らなかった。

 

ターンのたびに、水色のリボンが光の中で揺れた。

色の合わないリボンが、なぜか一番目立っていた。

初星の応援席が見えた。

佑芽が両手をぶんぶん振り、美鈴がその袖を引いていた。

広は身を乗り出して、一瞬も目を離さずにいた。

 

その隣の列で、手毬がまた、膝の上で両手を握りしめていた。咲季は腕を組んだまま、それでもわずかに顎を引いて、四音を見ていた。ことねは「ちゃんと見てるし」と言いたげな顔で、清夏は小さく手を振っていた。

リーリヤは、清夏の隣で、今日もまっすぐに四音を見ていた。

 

出場者席では、千奈が両手を胸の前で握りしめ、莉波が小さくうなずいていた。

舞台袖に、撫子がいた。

結衣の隣で、まだ赤い目のまま、まっすぐにこちらを見ていた。

最後の一音を、四音は、客席の一番奥へ向けて歌った。

誰がいるのかは、見えなかった。

けれど、そこへ届けたいと思った。

 

音が消えた。

ホールが、静まり返った。一秒。二秒。

 

それから、拍手が起きた。

最初はまばらに、そして、波のように大きく。

四音は、深く頭を下げた。

ありがとう、と伝えるために。そして、ごめんなさい、と伝えるために。

この舞台で、かつて自分が踏みにじったすべての人に贖罪と思いを。

 

顔を上げたとき、ホールの一番奥の暗がりで、誰かがゆっくりと立ち上がるのが見えた。

つばの広い帽子のシルエット。

四音の心臓が、大きく跳ねた。

だが、その目にはもう、一切の恐れはなかった。

 

 

予選の結果発表は、ロビーの大型モニターで行われた。

出場者とプロデューサーたちが、画面の前に集まっていた。

四音は少し離れた柱の陰に立っていた。

目は、何度もホールの出口のほうへ向いた。

あの帽子の影は、もうどこにも見えなかった。

 

画面が切り替わった。

 

『予選通過者 一位 藍井撫子(極月学園)』

 

ロビーの一角から、甲高い悲鳴が上がった。

 

「ぴ、ぴぎゃあああっ!? い、い、一位!? 撫子が、一位ですの!?」

 

撫子が結衣の肩を揺さぶっていた

。結衣は揺さぶられながら「見ればわかるでしょ」と言い、それでも口元は緩んでいた。

 

『二位 白草四音(初星学園)』

 

四音は、画面の自分の名前を見つめた。二位。

撫子の、すぐ下。

 

『三位 賀陽燐羽(極月学園)』

 

その名前が表示されたとき、ロビーの反対側で、燐羽が小さく舌打ちしたのが見えた。

悔しそうというより、どこか呆れたような顔で、撫子のはしゃぐ姿を眺めていた。

 

悔しさが、四音の胸の奥でちくりと刺さった。

けれど、それは嫌な痛みではなかった。

3か月前の四音なら、この順位を見た瞬間に、どうやって撫子を蹴落とすかを考えていただろう。

今はただ、悔しくて、だがなぜか少しだけ誇らしかった。

 

「おめでとうございます。本選進出です」

 

プロデューサーが隣で言った。

 

「……負けましたけど」

 

「予選は通過点です。本選で取り返しましょう」

 

「ええ、当然です」

 

四音は、もう一度出口のほうを見た。

その途中で、視線が止まった。

ロビーの隅の、自販機の前。

燐羽が一人で立っていた。

その前に、手毬がいた。腕を組んで、睨むような顔で。

手毬の少し後ろに、美鈴が、いつもの眠たげな目で立っていた。

三人とも、何も言っていないように見えた。

それでも、その場から動かなかった。

 

やがて、手毬が何かを短く言った。

燐羽が、目を逸らしたまま何かを返した。

美鈴が、小さく笑った。

 

四音には、何を話しているのかは聞こえなかった。

ただ、燐羽の肩から、ほんの少しだけ力が抜けたように見えた。

 

四音は、静かに視線を外した。

 

「プロデューサーさん。少しだけ、外します」

 

プロデューサーは何も聞かずに、うなずいた。

ホールの裏手、関係者用の通用口を出たところに、黒い車が一台停まっていた。

その横に、月花が立っていた。帽子を手に持ち、夜風に髪をなびかせて。

四音は、駆けてきた足を止めた。

息が上がっていた。

何を言えばいいのか、考えてこなかった。

 

「……月花姉様」

 

「遅い」

 

月花は、振り向きもせずに言った。

 

「二位だったそうだな。藍井家の雛鳥に負けて」

 

「……はい」

 

「前回の優勝候補が、ずいぶんと落ちぶれたものだ」

 

四音は、俯きかけた。

それから、顔を上げた。

 

「ーおちぶれてなど、いません」

 

月花が、わずかに眉を動かした。

 

「いままでの私なら、誰かを蹴落とさなければ、ここに立てすらしませんでした。...今日の私は、自分の足でここまで来ました。撫子に負けたのは悔しいです。でも、それは私が弱いからではありません。撫子が、強くなったからです」

 

夜風が、二人の間を抜けていった。

月花は、しばらく黙って四音を見ていた。

 

「……食堂で、お前は腐っていると言ったな」

 

「はい」

 

「少しは、乾いたようだ、安心したぞ」

 

それは、月花にとっての、精一杯の言葉なのだと、四音にはわかった。

四音は、深く息を吸った。

 

「初星の転入の保証人は、月花姉様だったのですね」

 

月花の肩が、ほんのわずかに強張った。

 

「……学園長め。口止めしたはずだが」

 

「学園長ではありません」

 

四音は、静かに言った。

 

「書類の保証人の欄に、白草と書いてありました。転入して3日目に、職員室で見えてしまったんです。ずっと、言えずにいました」

 

月花は、帽子のつばを指でなぞった。

 

「勘違いするな。白草の名に泥を塗られては困るだけだ」

 

「はい」

 

「お前のためではない」

 

「そうですね」

 

四音は、少しだけ笑った。

 

「千奈さんにも、同じことを言われました。白草さんのためではありませんのよ、って。とてもわかりやすく、目を泳がせながら。賀陽さんにも、あなたのためじゃない、と」

 

月花が、ゆっくりと四音のほうを向いた。

その顔を、四音はたぶん、生まれて初めて真正面から見た。

いつも見上げていた顔。

いつも足りないところだけを指摘してきた顔。

その目が、ほんの少しだけ、揺れていた。

 

「……随分生意気になったな」

 

「月花姉様の妹ですから」

 

月花は、何かを言いかけて、やめた。

 

代わりに、手にしていた鞄から薄い手帳を取り出し、そこに挟まっていた一枚の写真を、四音に差し出した。

舞台袖の暗がりで、ぶかぶかの衣装を着た幼い少女が、不器用に胸を張っている写真。

裏には、拙い字があった。

 

『ボク、おねえちゃんみたいになる』

 

四音は、写真を受け取ったまま、動けなくなった。

 

「……これ」

 

「...もう要らん」

 

月花は、帽子をかぶり直した。

 

「お前はもう、私のようにはならなくていい。その代わり、あの歌を、もう少しましに仕上げておけ。本選までにだ」

 

車のドアが開く。月花が乗り込む。ドアが閉まる直前、月花は一度だけ、窓越しに四音を見た。

 

「―いいアイドルになったな、四音」

 

車が走り出した。

四音は、その場に立ち尽くしていた。

愚妹、ではなかった。名前で呼ばれた。

生まれて初めてかもしれなかった。

 

写真を胸に押し当てる。

視界が滲んで、テールランプの赤がぼやけて広がった。

 

「……ずるいです、姉様」

 

呟いた声は、夜の通りに溶けていった。

 

「お姉さまぁぁぁ!!」

 

背後から、聞き慣れた声が全力で飛んできた

。振り返る間もなく、撫子が四音の背中に飛びついてきた。

結衣が少し遅れて、呆れた顔でついてくる。

 

「撫子、一位ですわ! お姉さまに勝ちましたわ! 見ていらっしゃいましたか!?」

 

「見ていました。ロビー中に響いていましたよ」

 

「ぴぎゃっ……! そ、そこは忘れてくださいまし!」

 

撫子は四音の背中から離れ、改めて四音の前に立った。

そして、四音の顔を見て、目を丸くした。

 

「……お姉さま、泣いていらっしゃいますの?」

 

「泣いていません」

 

「泣いていらっしゃいますわ」

 

「泣いていないと言っているでしょう」

 

四音は、写真をそっと鞄にしまった。

それから、撫子をまっすぐに見た。

 

「撫子。本選では、負けませんよ」

 

撫子の顔が、ぱっと輝いた。

 

「望むところですわ、白草四音!」

 

通用口の灯りの下で、少し離れたところに、プロデューサーが立っていた。

四音と目が合うと、彼は何も言わずに小さくうなずいた。

四音は、うなずき返した。

夜空には、星がいくつか見えていた。

 

N.I.A本選の最終結果は、決勝のステージの上で発表された。

 

『優勝、極月学園、藍井撫子さん』

 

スポットライトが撫子を照らした。

撫子は一瞬、何が起きたのかわからないという顔で立ち尽くし、それから、両手で口元を覆った。

隣に並んでいた四音は、拍手をしていた。

自分でも驚くほど、自然に手が動いていた。

 

撫子が、ゆっくりと四音のほうを向いた。

目にいっぱい涙を溜めて、何かを言おうとして、言葉にならずに唇を震わせていた。

 

「……行きなさい、撫子」

 

四音は、小さな声で言った。

 

「貴女の舞台ですよ」

 

撫子はこくこくと何度もうなずいて、ステージの中央へ歩いていった。

トロフィーを受け取る手が震えていた。

客席から、大きな拍手が湧き起こった。

最前列で、結衣が誰よりも大きな音で手を叩いていた。

 

ステージの端に並んだ出場者の列で、燐羽が腕を組んだまま、撫子の背中を見ていた。

拍手はしていなかった。

けれど、その口元は、ほんのわずかに緩んでいた。

四音は、撫子の背中を見ていた。

 

悔しいはずだった。前回の優勝候補。

今回も、決勝まで勝ち上がった。自分の力で。

本当にあと一歩だった。

 

けれど、胸の中にあったのは、悔しさではなかった。

夕立のあとの空気みたいな、すっと澄んだ何かだった。

 

―ああ。私、今、清々しいんだ。

 

そんなふうに誰かの勝利を見届けたのは、生まれて初めてだった。

閉会式が終わり、ホールの人影がまばらになった頃。

四音は、搬入口の脇の非常階段に座っていた。

手には、自販機で買った紙パックの紅茶。

甘いほうを選んだ。最近は、なぜかこちらばかり買ってしまう。

 

端末が震えた。

 

表示された名前を見て、四音はしばらく画面を見つめていた。

黒井社長の秘書からだった。

極月を出て以来、一度も返事をくれなかった相手。

 

『本日の決勝、拝見しました。社長より伝言です。来年度、極月学園への復学を検討されたし。籍は用意する、とのことです』

四音は、その文面を二度読んだ。

 

昔の自分なら、すぐに飛びついただろう。

極月に戻る。Aランクに戻る。

あの食堂の窓際の席に、何事もなかったような顔で座り直す。

 

「四音さん」

 

階段の下から、声がした。

プロデューサーが、紙コップのコーヒーを片手に上ってくるところだった。

 

「ここにいましたか。打ち上げ、千奈さんたちが探していましたよ」

 

「少しだけ、休憩です」

 

プロデューサーは、四音の二段下に腰を下ろした。

初めて中庭で話したときと同じ、ちょうど一人分の距離を空けて。

四音は、端末の画面を彼のほうへ向けた。

 

「極月学園から、直々に連絡が来ました。...戻ってこいと」

 

プロデューサーは画面を読み、それから四音の顔を見た。

何も言わなかった。

残るべきだ、とも、戻るべきだ、とも。

 

四音は、少しだけ笑った。

 

「止めないのですね、薄情ですね」

 

「あなたが決めることなので」

 

「相変わらず、ずるい人」

 

「よく言われます」

 

四音は、紙パックのストローをくわえた。甘かった。

 

「……正直に言うと、少しだけ、迷いました」

 

夜風が、非常階段を抜けていった。

 

「極月に戻れば、元の場所に戻れる。Aランクの白草四音に。でも、それはたぶん、あの食堂の窓際の席に戻るのと同じなんです。誰かを蹴落として、誰にも頼らずに、作った笑顔で座っている、あの席に」

 

四音は、端末の画面を見下ろした。

 

「私、初星に来てから、知らないことばかりでした。謝り方も、頼み方も、ありがとうの言い方も」

 

「はい」

 

「まだ、全部うまくできるわけじゃありません。きっと皆さん全員に許してもらえる日は来ないかもしれません」

 

「でも、最近は、手毬さんの睨む回数が減ったと思いますよ。葛城さんも、本選では一番大きく拍手していました」

 

「……数えているんですか」

 

「四音さんのプロデューサーですから。人付き合いの下手な四音さんには神経を使わないと」

 

四音は、思わず吹き出した。

それから、端末を操作して、短い返信を打った。

 

『お心遣い、感謝いたします。ですが、辞退させていただきます。白草四音は、初星学園に残ります』

 

送信ボタンを押す指は、少しも震えなかった。

 

「プロデューサーさん」

 

「はい」

 

「来年のN.I.Aにも、エントリーします」

 

プロデューサーは、少しだけ目を細めた。

 

「撫子さんに、リベンジですか」

 

「当然です。あの子、今頃きっと調子に乗っていますから。お姉さまに勝ちましたわ、って、一年中言い続けるに決まっています」

 

「目に浮かびますね」

 

「ですから、来年は私が勝ちます。誰も蹴落とさずに、正面から。……それと、佑芽さんとの勝負も、そろそろ受けてあげないといけませんね」

 

四音は立ち上がり、スカートの裾を払った。

 

「来年までに、持ち歌をもう一曲増やします。あの公園の歌だけでは、撫子に勝てませんから」

 

「作詞は、あなたが?」

 

「もちろんです。……ただ、曲を付けるのは、手伝っていただけますか。ピアノ、人差し指一本でしか弾けない方に頼むのは、少し不安ですけれど」

 

「手厳しい...ですが、練習しておきます」

 

「来年まで優勝はお預けですね、まだ私を見限りませんか」

 

「...当然です。待つのは得意ですから」

 

ふふっと口角が自然と上がる。

我ながら意地悪な質問をした。

 

「では、来年の優勝を願ってー乾杯」

 

コーヒーの紙コップを軽く掲げる。

四音は、紅茶の紙パックをこつんと当てた。

乾杯にしては、ずいぶん間の抜けた音がした。

 

非常階段の下から、聞き慣れた声が響いてきた。

 

「お姉さまぁぁぁ!! どちらにいらっしゃいますのー!? 打ち上げのケーキ、撫子が一番大きいのを確保いたしましたわー!!」

 

「白草さーん! 早く来ないと、ケーキなくなっちゃうよー!」

 

「し、白草さーん! わたくし、白草さんの分のケーキ、ちゃんと取っておきましたわー!」

 

極月では絶対に聞けなかった騒がしい四音を呼ぶ声。

四音は、プロデューサーと顔を見合わせた。

 

「……行きましょうか」

 

「はい」

 

階段を下りながら、四音はふと夜空を見上げた。

都会の明かりに紛れて、星はほんの少ししか見えなかった。

それでも、確かにそこにあった。




※次回からNIAへの2度目の挑戦編になります
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