一九九五年度『闇の魔術に対する防衛術』教授、ペルセオン・セイア(旧姓リドル) 作:T・M・レボリューション・リドル
一九九五年、夏。
アメリカ合衆国、ニューヨーク。
七月の終わりに燦々と照り付ける夏の日差しは、朝から容赦なく街を焼いていた。高層建築が立ち並ぶマンハッタンでは、行き交うノーマジたちが暑さに顔をしかめ、冷たい飲み物を片手に足早に歩いている。
そんなニューヨークの中心部、ウールワース・ビルの内部には、ノーマジたちの知らないもう一つの世界が存在していた。
アメリカ合衆国魔法議会──通称MACUSA。
北米魔法界の行政と司法を司るこの巨大な組織は、今日も今日とて忙しなく動いていた。魔法使いや魔女たちが書類を抱えて廊下を行き交い、魔法によって運ばれる文書が頭上を飛び交う。魔法保安局に至っては、朝から捕縛された違法魔法使いの取り調べやら、各地で発生した魔法犯罪の報告やらで、職員たちが目の回るような忙しさに追われていた。
そして、その魔法保安局の長官室では、一人の青年が心底嫌そうな顔をしていた。
「……というわけで、お前には今年のホグワーツの闇の魔術に対する防衛術の講師になってもらう」
「何が『というわけ』なのかさっぱりなんですが」
サラリとした黒髪に深紅の瞳。彫刻家が丹精込めて彫り上げた芸術品のような端正な顔立ちをして、黒の三つ揃えのスーツの上に闇祓いの紋章が刺繍されたローブを羽織っている青年──ペルセオン・セイアは、執務机の向こうにいる上司を呪い殺さんばかりに睨みつけた。
その視線を真っ向から受け止める魔法保安局長官、エドワード・グレイブスは、そんな部下の視線などどこ吹く風と言わんばかりに書類へ目を通している。
今年で二十五歳になるペルセオンは、MACUSA魔法保安局に所属する闇祓いである。しかも、ただの闇祓いではない。
十代の頃から類稀なる魔法の才能を発揮し、イルヴァーモーニー魔法魔術学校を卒業後、異例の速さで魔法保安局に採用された若き精鋭。数々の危険な任務を成功させ、その実力は局内でも指折りと評されている。
もっとも本人に言わせれば、そんな評価は迷惑以外の何物でもなかったが。
「今最もホットでデンジャラスな魔法界ナンバーワンの英国に行けと? 闇祓いとしての業務でも何でもなく、挙げ句教師として?」
「そうだ」
「嫌です」
「行け」
「長官は俺を殺すおつもりで?」
「殺しても死なんだろうお前は」
「嫌な信頼だなぁ!」
可愛い部下の叫びにグレイブスは眉一つ動かさず、代わりとばかりにペルセオンに英国の日刊予言者新聞を差し出した。
『ハリー・ポッターの荒唐無稽な主張!』
『例のあの人の復活を妄言するハリー・ポッターとダンブルドア』
それらの見出しにペルセオンはわかりやすく顔を顰める。
「……やっぱ英国ってクソなんですよ」
「口を慎まんか」
「良いじゃないですか十五歳までいた場所ですし」
「良くない」
「未成年を晒し上げるなんてあんまりでしょう」
ペルセオンは新聞を机へ放り投げた。
ハリー・ポッターの名前を英国魔法界で知らない者はいないだろう。僅か一歳にして、あのヴォルデモート卿を打ち倒したとされる少年。暗黒時代を終わらせた救世主。生き残った男の子。
そんな大層な肩書きを背負わされた少年は、現在十五歳である。まだ子供だ。少なくとも、魔法省という巨大な国家機関が新聞社を使って寄ってたかって攻撃して良い相手ではない。
「そもそも、ヴォルデモートが復活したって話、あながち嘘とも思えませんけどね」
「ほう?」
「英国魔法省の反応が過剰すぎる。普通、十五歳の少年が荒唐無稽なことを言い出した程度で、ここまで大々的な情報操作なんてしませんよ。しかも相手は、そのヴォルデモートを斃したと祀り上げられた英雄でしょう?」
ペルセオンは指先で新聞を叩いた。
「本当に嘘だと思ってるなら放っておけば良い。なのに、わざわざ大臣まで出張って否定している。何かを恐れている人間の反応ですよ、これ」
「同感だ」
「でしょう? だから余計に行きたくないんです」
「話が繋がっていないぞ」
「繋がってますよ。魔法省が現実逃避してる国なんて、危険極まりないじゃないですか」
その言葉を、グレイブスは否定しなかった。
実際、MACUSA内部でも英国魔法省の動向は問題視されている。
昨年に開催された三大魔法学校対抗試合。その最終課題で発生した不可解な事件。死亡したと報じられたホグワーツの生徒、そして帰還したハリー・ポッターによるヴォルデモート復活の証言。
英国魔法省は一貫してこれを否定しているが、国外の魔法政府が同じ見解を示しているわけではなかった。
むしろ、英国魔法省が必死になって否定すればするほど、各国の情報機関は疑念を深めていた。
「ともかくお前はホグワーツで教鞭を執れ。これは議長直々に仰られたことだ」
「あの人は俺に冷たいですね」
「むしろ気に掛けておいでだが?」
「じゃあ俺を英国に戻すなんて薄情な真似はしませんよね?」
「それとこれとは話が別だ」
言い切ったグレイブスを睨むが効果は無い。ペルセオンはとてもとても大きなため息をついた。
ペルセオン・セイアという男はすこぶる優秀な魔法使いだ。そこは誰もが満場一致で認めるところである。
与えられた任務は確実に遂行し、出来うる限りの被害を抑えて帰ってくる。彼と任務に出た同僚の殉職率がとても低いことからもその優秀さが見て取れるだろう。
しかしながら、彼は大変、とっても、面倒事に対する意欲が低いのだ。書類仕事なんて後回しにしたことがどれだけあるか。グレイブスが頭を悩ませたのも一度や二度ではない。
「休職扱いですか?」
「特別派遣だ。給与は通常通り支給される。ホグワーツからの教員給与も別途受け取れるぞ」
「金で釣ろうとしないでください」
「お前の妻には既に話を通してある」
「は?」
ペルセオンの動きが止まった。数秒沈黙し、それからゆっくりと顔を上げる。
「…………今、何と?」
「アルキオーネには既に説明した」
「いつ?」
「昨日だ」
「俺より先に?」
「そうだ」
「俺の妻に?」
「そうだと言っている」
ペルセオンは天井を仰いだ。
アルキオーネ・セイア。彼の妻であり、魔法界において知らぬ者はいないほどの名癒だ。
雪のように白い白銀の髪と、薄い紅の瞳を持つ美しい魔女。先祖返りだと言われている。両親ともに黒髪であるが、その髪の色はかのサラザール・スリザリンもそうであった、と。
そんな妻に目の前の長官殿は話を通したという。本人よりも先に、英国へ行くことを。なんて薄情なのか。
「卑怯ですよ長官」
「有能と言え」
「職権濫用です」
「適材適所だ」
「部下の家庭にまで介入する上司がどこにいるんですか!」
「ここにいる」
「開き直った!」
長官室の外で、書類を運んでいた若い局員がびくりと肩を跳ねさせ、また始まったと言わんばかりの顔になる。
この長官室からペルセオンの悲鳴じみた抗議が聞こえてくるのは、決して珍しいことではない。
普段のペルセオンは、仕事に関しては非常に優秀だった。冷静な判断力を持ち、魔法戦闘にも長け、部下や同僚からの信頼も厚い。
ただし、上司が絡むと途端に口が悪くなる。
もっとも、それを許しているグレイブスもグレイブスなのだが。
「……そもそも、何で俺なんです?」
ひとしきり文句を言い終えたペルセオンは、ようやく椅子に深く腰掛けた。
「ホグワーツなら英国人の教師を雇えば良いでしょう。わざわざアメリカから派遣する理由が分からない」「英国側から要請があった」
「誰から?」
「アルバス・ダンブルドアだ」
「…………ダンブルドアかぁ」
「知り合いか?」
「そりゃホグワーツに通ってた頃の恩師ですからね。十五歳まで英国にいたって言ったでしょう」
ペルセオンは面倒臭そうに頬杖をついた。
アルバス・ダンブルドア。ホグワーツ魔法魔術学校の校長にして、現代で最も偉大な魔法使いと称される賢者。 かつて闇の魔法使いゲラート・グリンデルバルドを打ち倒した人物であり、英国魔法界のみならず、世界中に名を知られている。
ペルセオンにとっても、決して無関係な人物ではなかった。なにせ、父親が父親なので。
「……それで? あの人が俺を指名したんですか?」
「正確には、アメリカから信頼できる防衛術の専門家を借りたいという要請だ。議長がお前を推薦された」
「人選間違ってません?」
「何故だ?」
グレイブスが心底不思議そうな顔をするものだから、ペルセオンは調子を崩されないよう咳払いを一つして話を続ける。
「俺、教師の資格なんて持ってませんよ」
「闇祓いの資格は持っているだろう」
「それとこれとは別でしょうが」
「実戦経験は十分だ」
「生徒を犯罪者みたいに取り押さえて良いなら授業できますけど」
「加減くらいできるだろう」
「……まあ、できますけど」
出来てしまうのが腹立たしい。いっそそんなこと出来ませんなんて弱気なことを言えば良かったかと後悔したが、後の祭りだろう。
ペルセオンは深紅の瞳を細めた。
「それに、英国魔法省が黙っているとは思えませんよ。外国の魔法保安局に所属する闇祓いが、ホグワーツの教員になるんでしょう?」
「その点は心配するな」
その一言にペルセオンは猛烈に嫌な予感を覚えた。
「既に正式な外交手続きを済ませてある。英国魔法省にも通達済みだ。国際魔法使い連盟を通じた教育交流という名目だ。英国側も承認している」
「……え、承認したんですか? あの魔法省が?」
「書類上はな」
青天の霹靂である。あの超絶保守主義の魔法省が、外国の魔法使いが──それも血筋上は問題しかない魔法使いがホグワーツで教鞭を執ることを──許可した?いよいよ英国魔法界は終わるのだろうか。
「どうやら、現場に誰が派遣されるのかまでは詳しく確認していなかったらしい。お前の名前を見て、何か思い当たる者がいるかもしれんな」
「長官、絶対に面白がってますよね?」
「仕事をしろ、セイア」
「そこはしっかり否定してくださいよ!」
ペルセオンはデスクに突っ伏した。何が悲しくてあまり良い思い出のない故郷に戻らなければならないのか。
「加えて、お前にはもう一つやってもらいたい事がある」
「嫌です」
「給料を五倍に引き上げ──」
「やります」
グレイブスは満足そうに頷いた。こういう俗なところも、彼がこの部下を気に入る理由であった。
「それで? 俺に何をさせたいんですか長官殿は」
「気持ち悪いくらいに素直だな」
「いつもこうですよ」
「……………まあ良い」
こめかみを指で押すグレイブスは、デスクから一枚の封筒をペルセオンの前に滑らせた。封蝋にはMACUSAの紋章が光っている。
ペルセオンはそれを受け取って封を切った。
「…………『英国魔法界情勢調査報告書』?」
「そうだ。ホグワーツに赴任する一年の間、出来うる限りあちらの情勢を調べ上げてこちらに報告してほしいと、議長が仰せだ」
「なるほど。だから給料五倍に……」
納得したように頷き、一通り目を通してから書類を仕舞う。ペルセオンの目は、既に闇祓いとしてのものになっていた。
「派遣命令書、ください」
グレイブスは何も言わず、一枚の封筒を差し出す。
獅子、穴熊、鷲、蛇。
ペルセオンはホグワーツの四寮の紋章が刺繍されたそれを破って中を改め、羽根ペンでサラサラと自分の名前を書いた。
後はこちらの領分だと言うことでグレイブスに一礼して扉に向かい──ふとしたように振り返った。
「そういえば、俺の後任誰になるんです?」
「お前の担当業務は各部署に振り分ける」
「それはお気の毒に」
「さっさと行け」
疲れたように息を吐き出す長官に手を振って、ペルセオンは今度こそ室を後にした。
グレイブスは暫く扉を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……全く、手の掛かる奴だ」
しかし、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
あの青年の実力について、グレイブスは誰よりもよく理解している。
魔法力、判断力、危機対応能力。どれを取っても申し分なく、産まれで自暴自棄になってもおかしくないものを、高潔にも闇祓いを志し、見事その大役を果たしている。
「……英国は厄介な男を招き入れる事になったものだ」
もっとも、それが決して悪いことばかりでないこともグレイブスは良く知っていた。
□
同日、夕刻。
ニューヨーク郊外にあるその邸宅は、ノーマジや悪意ある者が近付くことのないよう、強力な保護呪文がいくつも重ね掛けされていた。
白亜の外壁と角水蛇をモチーフとしたレリーフが目を引くその邸宅こそ、セイア家の住処に他ならない。
庭には魔法薬の材料となる薬草がいくつも植えられ、庭園に咲くガーベラなどの鮮やかな花が彩りを与えている。
「…………というわけで俺は英国に島流しされることになった」
「それは大変ね」
居間の長椅子にだらりと背を預けながら愚痴るペルセオンを、妻であるアルキオーネ・セイアの腰まで流れる白銀の髪は夕陽を受けて淡く輝き、薄紅色の瞳には涼やかな光が過る。
白いブラウスに紺色のロングスカートという装いでありながらどこか気品を感じさせ、白魚の指先が杖を優雅に振り、調合を終えた魔法薬が瓶に詰められていく。
ペルセオンは妻の淡白な返事に身を起こして不満げな顔をした。
「………知ってたんだってな」
「ええ。グレイブス長官から」
「言ってくれても良いだろう?」
「だって貴方、ごねるじゃないの」
ぐうの音も出ない正論に押し黙る他なかった。
そんな夫に仕方なさそうに笑ったアルキオーネの手首にある腕輪が光を反射した。
銀と青。二色の異なる金属を複雑に編み込んだような細工に、細密なルーン文字が幾重にも刻まれている。中央には澄み切った湖水を思わせるエメラルドが嵌め込まれ、見る角度によって深い翠にも、透き通った青にも見える。
イゾルト・セイアよりもさらに昔……かの大魔女、モルガンが創り上げたと言われる魔法具『
「………否定はしないけどさ」
「ふふ、頑張ってちょうだいペルセオン先生?」
「他人事だと思って………」
「他人事だもの」
あっさり言い切った妻を睨め付け、ペルセオンは脱力した。
何はともあれ、こうしてペルセオン・セイアの英国行きが決定してしまったのだった。
ペルセオン・セイア
さらりとした黒髪に深紅の瞳を持つ美青年。旧姓をリドル。トム・リドルの息子、呪いの子。五年生になる際にホグワーツからイルヴァーモーニーに転校し、そのままイルヴァーモーニーを卒業。闇祓いに。
アメリカに渡り、セイア家に婿入りすることで姓を捨てた。
アルキオーネ・セイア
雪のように白い白銀の髪と薄紅色の瞳を持つ美しい女性。イゾルト・セイアの末裔、更に辿ればサラザール・スリザリンやモルガンに行き着く系譜。
今年で五年生になる弟と四年生になる妹がいる。イルヴァーモーニー卒。癒者。
セイア家
モルガンを源流とするイングランドの純血名家。その一人であるウィリアム・セイアとリーニャ・ゴーントが結びついてイゾルト・セイアが生まれ、彼女は後に北米でイルヴァーモーニーを創立する。イゾルトと非魔法族の夫との間に生まれた娘のうち、スクイブだった娘の子孫がアルキオーネ。