一九九五年度『闇の魔術に対する防衛術』教授、ペルセオン・セイア(旧姓リドル) 作:T・M・レボリューション・リドル
一九九五年八月中旬、英国ロンドンはヒースロー空港。
八月のロンドンは、ニューヨークに比べれば随分と過ごしやすかった。
もっとも、空を覆う薄い雲と、湿り気を帯びた風は、いかにも英国らしい陰鬱さを感じさせる。空港の巨大な窓から見える滑走路には旅客機が並び、到着ロビーには世界各国から訪れた旅行客が溢れていた。
「ロンドンへは初めて?」
入国審査官の問い掛けに、黒髪の青年は穏やかに微笑んだ。
「いえ、十年前まで住んでいたので、帰国が正しいですかね」
「なるほど。では、随分と久しぶりの故郷ですね」
「ええ。懐かしいような、そうでもないような」
ペルセオン・セイアは涼しい顔で答えた。
深紅の瞳──アメリカではイルヴァーモーニーのグランベリー色だと喜ばれた色──は、ノーマジ──英国ではマグルと呼ぶ──に不審がられないよう、魔法によって落ち着いた暗褐色に変えてある。
黒い三つ揃えのスーツに、仕立ての良い濃紺のコート。傍らには使い込まれた革製のトランクが一つ。
見た目だけなら、仕事で帰国した若い実業家といったところだろう。
無論、そのトランクには何重もの隠蔽魔法と拡張魔法が施されている。中には衣類や書籍、魔法薬の材料、闇祓いとして使用する各種道具に加え、アルキオーネが半ば強引に詰め込んだ大量の保存食まで収められていた。
妻曰く、英国の食事事情が心配なのだという。英国出身の夫に対して随分な言い草である。
「英国へお帰りなさい」
「ありがとう」
ペルセオンは礼を言ってトランクを受け取った。そのまま到着ロビーを抜け、空港の外に向かう。
自動扉を抜けると、イギリス特有の湿った風が肌を撫でた。
「………戻ってきたなぁ」
出来れば二度と戻ってきたくなかった──そんな本音を心中に仕舞い、歩を進める。
「………それにしても、まさか飛行機を使うことになるとは」
魔法族なら長距離の移動手段などいくらでもある。
国際ポートキー、セストラル付きの馬車、あるいは各国の魔法当局が管理する特殊な移動網。
だが国際ポートキーは使用に必要な手続きに時間が掛かるし、セストラル付きの馬車は生憎全て出払っていた。それに何より、アルキオーネが飛行機を勧めたのだ。
『ノーマジ──あちらではマグルだったわね──の流儀に従うのも良いものよ』
とまあ、親愛なるイギリスの純血主義者たちが聞けば、ドラゴンもかくやとばかりの怒りを向けそうな提案をさらっとしてくるものだから、ペルセオンは嬉々としてその提案に乗ったのだ。
妻が手配したのはファーストクラス。機内食は悪くなかったし、座り心地も良かったとだけ言っておこう。
「さて」
ペルセオンは周囲をぐるりと見回す。
「確か迎えを寄越すって話だったが………あれじゃ、無いよな?」
空港の車寄せから少し離れた大通りに、一台の蔵塗りの馬車が鎮座していた。もっとも、マグルたちにはごく普通の高級車にしか見えないよう魔法が掛けられているのだろうが。
そんな馬車を牽いているのは、骨ばった身体に蝙蝠のような翼を持つ、黒い馬に似た魔法生物──ペルセオンの杖の芯にも使われているセストラルだ。
そして馬車の前に、一人の赤毛の青年が佇んでいた。
髪はきっちりと整えられ、ドラゴン革の靴はよく磨かれて光沢を放っており、皺一つない上等なローブを隙なく着こなしている──と言っても、角縁メガネを付けているその顔は緊張で震えているが。十中八九、ウィーズリー家のパーシーだろう。
(………ビルじゃないからセーフ)
ホグワーツ時代の親友の顔を思い浮かべ、ほっと息を吐く。同じグリフィンドールで、何かと組んで行動したものだ……ホグワーツを去ってから手紙を出していないので殺されないか心配だけども。
と、あちらもペルセオンに気付いたらしく、姿勢を正して客人を出迎えた。
「はじめましてミスター・ペルセオン・セイア。魔法大臣付下級補佐官、パーシー・ウィーズリーです。コーネリウス・ファッジ魔法大臣より、貴方を魔法省まで案内するようにと仰せつかりました」
「………これはご丁寧に。ペルセオン・セイアだ」
向こうはこっちを覚えていないと知って安堵の息を吐いたペルセオンは、パーシーが大臣補佐官だと知って目を細めた。
(……ファッジめ、俺を探るつもりか)
MACUSAからやってきた闇祓いが、ダンブルドア派か否か。それとなく探りを入れて知っておきたいという魂胆だろう。その浅慮さをせせら笑いながら、「こちらです」と先導するパーシーの後に続いた。
□
馬車の内部は、外見から想像するよりも遥かに広かった。
柔らかな革張りの座席、磨き上げられた木製の内装。小さなテーブルには紅茶の用意までされている。
「へえ。随分と豪華だな」
「魔法省の公用馬車ですから」
「なるほど」
ペルセオンが座席に腰を下ろし、パーシーが向かい側に座ると、馬車は静かに動き始める。
馬車に揺られ、他愛もない話──それとなく探りを入れたがパーシーは見事に躱してみせた。グリフィンドールに一点──をすることしばらく。目的地である魔法省前に到着した。
扉が開き、ペルセオンが降り立つ。十年ぶりの英国魔法界だった。
「………相変わらずの湿り気だ」
「今日はそこまで酷くないと思いますが………」
「アメリカ──北米と比べれば段違いだろうよ」
ぐるりと周囲を見回す。そして、ああやっぱりな、とペルセオンは顔を顰めた。
薄く、しかし絡みつくようにして濃い蛇の気配を感じ、血が騒いだ。
(………ハリー・ポッターとダンブルドアは正しいわけだ)
いるのだ、確実に。今は暗がりに身を潜めているだけで。
ヴォルデモート──かつて英国を恐怖に陥れた男は、生き汚くも生をもぎ取り、死を逃れたのだ。
「セイアさん?」
「……何でもない。行こうか」
首をかしげるパーシーを促し、ペルセオンは魔法省の外来用の入り口である赤い電話ボックスへ身を滑らせた。
「普段は煙突飛行を使っているので、こちらを使うのは初めてですね」
パーシーは受話器を取り、ダイヤルを回して番号を入力し、「MACUSAよりいらっしゃったお客人を大臣室に案内する」と告げると、コインの返却口からバッジが吐き出される。
それを手に取ると降下を始め、二人は魔法省のアトリウムに到着した。
「……相変わらず、趣味の悪い建物だなぁ」
ペルセオンは十年ぶりに訪れた英国魔法省の玄関ホールを見渡しながら、心底呆れたように呟いた。
磨き上げられた黒い床、壁面を彩る暗い色調の木材、そして金色の装飾が施された天井からは、魔法の光が柔らかく降り注いでいる。
中央には巨大な噴水が鎮座していた。
魔法使いと魔女を中心に、ケンタウルス、ゴブリン、屋敷しもべ妖精が配置された彫像。魔法使いと魔女が威厳たっぷりに立つ一方で、周囲の魔法生物たちは彼らを仰ぎ見るような姿勢を取っている。
『魔法族の和の泉』。
英国魔法省が誇る、魔法界の融和を象徴する彫像である。
「……融和ねぇ」
ペルセオンは鼻で笑った。
「どうかされましたか?」
隣を歩くパーシー・ウィーズリーが、不思議そうに首を傾げる。
「いや。随分と立派な噴水だと思って」
「ええ! 魔法省の象徴とも言えるものですから!」
「そうだな。実に英国らしい」
「ありがとうございます!」
褒めていない。全く褒めてはいないのだが、パーシーが上機嫌なので訂正する気も無かった。
「それではまず、国際魔法協力部で身分証明を行い、その後、魔法法執行部で必要な手続きを済ませてからファッジ大臣への挨拶に向かいます」
「分かった」
ハキハキと用件を伝えるパーシーに頷き、ペルセオンは歩を進めた。
□
国際魔法協力部での手続きは、思いの外円滑に進んだ。
MACUSA発行の身分証明書に闇祓いとしての資格証。そしてホグワーツからの招聘状。さらに、MACUSA議長の署名が入った正式な派遣命令書。 それらを提出すると、担当職員たちは一様に表情を引き締めた。特に、派遣命令書を確認した中年の魔法使いは、署名を見た瞬間に背筋を伸ばした。
「……確かに、正式な書類です」
「でしょう?」
ペルセオンはにこやかに答えた。
「こちらとしても、手続きに不備があると困るのでね」
「もちろんです。ですが、一点だけ確認を」
「どうぞ」
「セイア氏は、MACUSA魔法保安局所属の闇祓いでいらっしゃる。加えて今回の赴任中も、その身分を保持されるのですか?」
「当然でしょう」
ペルセオンは首を傾げた。
「辞職したわけじゃありませんし」
「……なるほど」
職員が僅かに眉を寄せた。
「では、英国国内における魔法法執行権限については──」
「ありませんよ」
ペルセオンはあっさり答えた。
「英国の司法権を侵害するつもりはありません。俺はあくまでホグワーツの客員講師として来ているだけですから」
「……そうですか」
「ただし」
ペルセオンは微笑んだ。
「生徒や教職員の生命に差し迫った危険がある場合、緊急避難として必要な行動は取ります」
「…………」
「もちろん、英国の法律に従ってね」
職員はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「………承知しました」
「ふふ、ありがとうございます」
ペルセオンは礼儀正しく一礼し、担当職員に背を向ける。その背を見送った職員は、なぜか薄ら寒いものを感じて腕を擦った。
その後、魔法法執行部での手続きも問題なく進み、いよいよ魔法大臣室の扉を開けた。
「いやいや。遠路はるばるようこそおいで下さいましたな、ミスター・ペルセオン・セイア殿!」
両手を広げて歓迎の意を示すコーネリウス・ファッジ魔法大臣に、ペルセオンは一瞬だけ冷ややかな目を向けたが、大臣の護衛役だろう闇祓いの一人がペルセオンに鋭い目を向けた。長髪をポニーテールにし、眼鏡をかけて真紅のローブを羽織った魔法使い。
(………ウィリアムソンか)
いやはや懐かしい。かつてビルと同じように自分に何かあればとついて回っていた友人の姿に目を細めていると、ファッジが座るよう促してきたので、それに従った。
「わざわざアメリカから来てくれて申し訳ないがね……こちらとしても自国だけでホグワーツの教員に宛てがえるような人員に限りがあるのだよ」
「承知しています」
ファッジはいかにも『ホグワーツを憂いています』という表情をし、ペルセオンもまた、それを重く受け止めたかのような態度を取る。もっとも、内心はそんなファッジに不快感をあらわにしていたが。
「……ところでペルセオンくん」
「なんでしょう?」
「君は、ダンブルドアたちの証言をどう思う?」
いきなり核心を突くのか、とファッジの言葉にほんの僅かに目を剥き、しばらく考え込むふりをしてから口を開く。
「私個人の見解といたしましては、かつて英国を恐怖に陥れた闇の魔法使いが復活したということを声高に叫ぶかの御仁は、些か市民への配慮にかけるのでは、と思っています」
「ほう! やはり君もそう思うかね!」
さも嘆かわしい、と言わんばかりの態度を見せたらこの食いつきぶり。政治家としては二流どころか三流だな、とペルセオンは冷めた目を向けた。
「ダンブルドアにも困ったものだ。あんな子供の与太話を信じてしまうとは」
「ハリー・ポッターがセドリック・ディゴリーの亡骸と共に帰還し、ヴォルデモートの復活を証言した……そういう話でしたね?」
「如何にもだ……きっとハリー・ポッターは錯乱していたのだろう。選ばれないはずの四人目の代表選手に選ばれ、その結果、本来の代表選手であったセドリック・ディゴリーが死んでしまった……十四歳の子供の精神がおかしくなってしまうのも無理はない………」
ファッジはどうやらハリー・ポッターとダンブルドアの錯乱だと言うことにしたいらしい。その方が、自分に都合の悪いものを見ずに済むからだろうことは、ペルセオンもよくよく理解していた……理解することと、納得することは別であるが。
「ともかくだ! 君には通達通り、闇の魔術に対する防衛術の教師をしてもらうわけだが……」
「なにか?」
「実はだね、君の他にもう一人、魔法省からホグワーツへ送り込む予定なのだよ」
その言葉に、ペルセオンの目が一瞬だけ暗褐色から元の深紅へと戻る。
「一体誰を?」
「ドローレス・ジェーン・アンブリッジという魔女でね。魔法大臣上級次官だよ」
ファッジが見せてきた資料に目を通したペルセオンは、閉心術で嫌悪感を抑え込む必要があった。
そこに写っていたのは、蝦蟇を人型にしてショッキングピンクのけばけばしいファッションを身につければ大体こうなるだろうという容姿の魔女だった。直接顔を合わせていなくてこれなのだから、実際はより凄まじいのだろう。
なぜこんな奴を上級次官という役職に据えられたのか。親愛なるコーネリウス・ファッジ魔法大臣の精神状態が危ぶまれるばかりである。
「……私は教師として赴任する身の上です。大臣閣下のご期待に応えられるかは怪しいでしょう」
「いやいや、構わないとも。君は生徒たちに学びを与え、それとなくアンブリッジ上級次官を補佐してくれれば良い」
なるほど俺に蝦蟇の下につけと。言葉の裏にある真意を悟ったペルセオンの手が腰に──イチイにセストラルの尾の毛を組み合わせたもの──に伸びかけ、ややあってスルスルと離れた。外交問題はごめんである。流石のペルセオンにもそれくらいの分別はついた。
「ではこの後、彼女に会っていきたまえ。彼女も君に会えるのを心待ちにしていたよ」
「分かりました。失礼いたします、大臣」
立ち上がり、ファッジに社交辞令の笑みを向けてペルセオンは室を去る。その背を、壁際に控えていた闇祓いのウィリアムソンが今にもため息を吐きそうな目で見送ったことに、当然気付きながら。
そうして、ドローレス・アンブリッジと対面したペルセオンは、すり寄ってくる蝦蟇に対し、全力で最愛のアルキオーネの姿を思い浮かべながら対処することになった。
次話でホグワーツに向かう……はず。