一九九五年度『闇の魔術に対する防衛術』教授、ペルセオン・セイア(旧姓リドル) 作:T・M・レボリューション・リドル
九月二日。入学式から一夜明けて、ハリーたち五年生は闇の魔術に対する防衛術の授業に出席していた。
しゅるり、と杖が振るわれる。
その瞬間、教室の空中に金色の光が走った。細い光の糸は滑らかな曲線を描き、やがて優美な筆記体となって宙に定着する。
Perseon Seia.
金のインクで書かれたかのような美しい文字が、陽光を受けてきらきらと輝いていた。
「入学式の時にも説明はしたが、ペルセオン・セイアだ。MACUSA魔法保安局所属の闇祓い。以後よろしく、グリフィンドール五年生の諸君?」
黒髪の青年はにこやかに笑い、杖を軽く振った。金色の文字が無数の光の粒となって弾け、教室の天井へ吸い込まれるように消えていく。
教壇に立つペルセオンは、黒い三つ揃えのスーツに濃紺のローブという出で立ちだった。胸元には銀色の闇祓い章が留められ、深紅の瞳が教室をゆっくりと見渡している。
教室には三十人ほどの生徒が座っていた。
ハリー・ポッター、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャー、ネビル・ロングボトム、ディーン・トーマス、シェーマス・フィネガン。
そして、ラベンダー・ブラウンやパーバティ・パチルをはじめとする五年生たち。
彼らの視線は、揃って新任教師へ注がれていた。何しろ、現役の闇祓いである。
しかも、英国ではなくアメリカから派遣されたというのだから、興味を持たない方が難しい。
「さて」
ペルセオンは教卓に軽く腰を預けた。
「早速だが、一つ質問しよう」
深紅の瞳が、楽しげに細められる。
「この中で武装解除呪文、失神呪文、盾の呪文。どれか一つでも使える子は手を挙げてくれ」
教室が静まり返った。
数秒後、真っ先に手を挙げたのはハーマイオニーだった。次いでハリー。
ロンも少し遅れて手を挙げる。
他にも何人かが恐る恐る手を上げたが、全体としては半数にも満たなかった。
「……ふむ」
ペルセオンは頷いた。
「じゃあ、三つとも使える子は?」
手が何本も下がった。
最後まで手を挙げていたのは、ハリーとハーマイオニー、それからロンを含む数人だけだった。
「なるほど……思ったより深刻だな」
その呟きに、ハーマイオニーが眉を寄せる。
「あの、先生」
「ん? 何かな、グレンジャー」
「失神呪文や盾の呪文は、まだ授業で十分に習っていない生徒もいます」
「そうだろうな。だから聞いたんだ」
ペルセオンはあっさり頷いた。
「……え?」
「君たちが何を知っていて、何を知らないのか。まずはそこを把握しないと、授業の組み立てようがないだろう?」
ハーマイオニーは少し驚いたように瞬きをした。
「……はい」
「良い質問だ」
ペルセオンは微笑んだ。そして、教室全体へ視線を向ける。
「ちなみに、今手を挙げなかった子も気にしなくて良い。知らないことは恥じゃないし、使えないことも今の段階では問題じゃない」
そう言って杖を振ると、黒板に三つの呪文の綴りが浮かび上がった。
・Expelliarmus.
・Stupefy.
・Protego.
「問題なのは、知らないまま放置することだ」
声が、少しだけ真面目なものに変わった。
「君たちは今年、O.W.L.試験を受ける。だから当然、試験対策もする。だが、それだけじゃない」
ペルセオンは黒板を軽く叩いた。
「闇の魔術に対する防衛術という科目は、試験で良い点数を取るためだけにあるわけじゃない。君たちが危険に遭遇した時、自分の身を守るためのものだ」
生徒たちは静かに聞いていた。
「例えば、誰かに杖を向けられたとしよう。相手が何を唱えるか分からない。逃げ道もない。そんな時、君たちはどうする?」
数人が顔を見合わせる中、やはりハーマイオニーが手を挙げた。
「盾の呪文を使います」
「正解の一つだ」
ペルセオンは頷いた。
「ただし、盾の呪文にも防げるものと防げないものがある。万能じゃない」
今度はハリーが手を挙げた。
「武装解除呪文で、相手の杖を弾き飛ばします」
「それも良い」
ペルセオンは笑った。
「相手が杖を失えば、少なくとも呪文を使う能力は大きく制限される。もっとも、杖無しで呪文を使える相手なら話は別だけど」
「……ワンドレス・マジック?」
ロンが思わず呟いた。「グリフィンドールに一点」と伝えてから、ペルセオンは話を続ける。
「杖を使わずに魔法を行使する技術だよ。北米やアフリカでは、英国より比較的馴染みがある分野だね」
「先生もできるんですか?」
シェーマスが尋ね、ペルセオンは何でもないように頷き、軽く右手を上げた。
次の瞬間、教卓の上に置かれていた羽根ペンがふわりと浮かび上がる。
杖も使わず、呪文も唱えず。
羽根ペンは空中で一回転すると、滑らかにペルセオンの指先へ降り立った。
「……おお!」
教室のあちこちから歓声が上がった。
「すげえ!」
「今、何もしてなかったぞ!」
「どうやったんですか!?」
ペルセオンは楽しそうに笑った。
「練習と慣れだよ。もっとも、今日の授業ではそこまでやらないけどね」
そう言って羽根ペンを教卓へ戻す。
「さて、話を戻そう」
ペルセオンは黒板の三つの呪文を指差した。
「武装解除、失神、盾。この三つは、対人戦闘における基礎中の基礎だ。実際の現場では、これらを状況に応じて使い分ける事が基本だ」
そこで、少しだけ間を置いた。
「……そして、俺が最初に教えたいのは、呪文そのものじゃない」
ハーマイオニーが首を傾げた。
「……では、何を?」
「判断力」
ペルセオンは即答した。
「相手と戦うべきか、逃げるべきか、助けを呼ぶべきか。そもそも、杖を抜く必要があるのか」
深紅の瞳が、静かに教室を見渡した。
「闇祓いの仕事をしていると、強い魔法使いよりも適切な判断ができる魔法使いの方が長生きするってことを嫌でも学ぶんだ」
その言葉には、妙な説得力があった。
ペルセオンの口調は穏やかだった。だが、そこには教科書には書かれていない、実際の経験に裏打ちされた重みがあった。
「というわけで」
彼はぱん、と両手を叩いた。
「今日は実技だ」
「実技? 本当に?」
「もちろん」
目を瞬かせたロンに、ペルセオンはにっこりと笑った。
「防衛術なんだから、実際に身体を動かさないと意味がないだろう?」
そう言って杖を振る。教室の机と椅子が、ひとりでに壁際へ滑っていった。床には柔らかな青い光が走り、広い実技用の空間が作られる。
壁際には衝撃を吸収する魔法の膜が張られ、床にも転倒時の怪我を防ぐ緩衝魔法が施された。
生徒たちは目を丸くした。
「……すごい」
ハーマイオニーが小さく呟く傍ら、ペルセオンは杖を仕舞った。
「さて、最初は武装解除呪文から始めようか」
彼は教室を見渡した。
「誰か、実演してくれる子はいる?」
ハーマイオニーの手が勢いよく上がる。しかし──
「……あ、そうだ」
ペルセオンは何かを思い出したように呟いた。
そして、グリフィンドールの長卓で見かけた黒髪の少年へ視線を向ける。
「ポッター」
ハリーが顔を上げた。
「……はい?」
「君、ちょっと前へ来てくれる?」
教室が静まり返り、ハリーは僅かに身構えた。
また自分なのか。また、何か言われるのだろうか。
そんな思いが胸を過ぎる。だが、ペルセオンは相変わらず穏やかに笑っていた。
「大丈夫。難しいことはしないさ」
「……分かりました」
ハリーは立ち上がった。杖を手に、教室の中央へ進む。
ペルセオンは数歩離れた場所に立った。
「じゃあ、俺に武装解除呪文を撃ってみて」
「……先生に?」
「ああ」
「本気で?」
「もちろん」
ペルセオンは楽しそうに笑った。
「遠慮しなくて良いよ」
ハリーは少し戸惑った。しかし、やがて杖を構える。
「……分かりました」
ペルセオンは片手を軽く上げた。
「さあ、遠慮せずどうぞ」
ハリーは息を吸った。そして、杖を真っ直ぐペルセオンへと向ける。
「エクスペリアームス!」
赤い閃光が走る。真っ直ぐで、迷いの少ない一撃だった。
だが、ペルセオンはほんの半歩だけ身体を傾けた。赤い光が彼の肩先を掠め、背後の防護膜へ吸い込まれる。それを見て、ペルセオンはゆるりと微笑んだ。
「良いね。良い呪文の正確さと杖捌きだ。五年生でここまでできる子は中々いない。グリフィンドールに十点」
ハリーは目を見開く。
避けられた。しかも、あまりにも簡単に。
「……今の、避けたんですか?」
「うん」
「盾の呪文も使わずに?」
「使う必要がなかったからな」
ペルセオンは頷いた。
「今の呪文は悪くなかった。威力も十分だし、発動も速い。ただ、撃つ前に少しだけ肩が動いた」
「……肩?」
「そう。君は杖を振る直前、右肩を僅かに引いた。だから、どこへ撃つのか分かったんだ」
ハリーは自分の肩を見下ろした。そんな癖があるとは、考えたこともなかった。
「……なるほど」
「それに、相手が動くことを想定していなかったな?」
ペルセオンは穏やかに続ける。
「呪文を当てることと、呪文を撃つことは別だよ」
そして、ふと笑った。
「でも、良い腕だ」
ハリーが顔を上げる。
「……本当ですか?」
「本当だ。少なくとも、同年代の生徒としてはかなり優秀だと思う」
その言葉に、ハリーは少しだけ頬を緩めた。
褒められた。しかも現役の闇祓いに。
たったそれだけのことが、妙に嬉しかった。
ペルセオンが気を取り直して教室全体へ向き直る。
「さて、今のを見て分かったかな?」
生徒たちは静かに頷いた。
「呪文は強ければ良いってものじゃない。相手の動きを見て、状況を判断して、適切なタイミングで使うことが大切なんだ」
そして、にっこりと笑う。
「というわけで、次は二人一組になって練習してもらおう」
教室が一気に騒がしくなった。生徒たちは友人同士で組を作り、杖を構え始める。
その様子を見ながら、ペルセオンは満足そうに頷いた。
──うん。
悪くない。少なくとも、やる気は十分にある。あとは、それをどう伸ばしていくかだ。そんなことを考えていると──
「……先生」
小さな声がして振り向くと、ハリーがまだそこに立っていた。
「ん? どうした、ポッター」
ハリーは少し迷ったように口を開いた。
「……先生は、本当に闇祓いなんですよね?」
「そうだな」
「……じゃあ」
ハリーは言葉を探し、思い切ったように尋ねた。
「……ヴォルデモートが復活したって話、どう思いますか?」
教室の空気が変わった。
近くにいたロンとハーマイオニーが、ぎょっと顔を上げる。他の生徒たちも、少しずつ会話を止め始めた。
対するペルセオンは、しばらくハリーを見つめていた。深紅の瞳が、静かに細められる。
「……そうだなぁ。少なくとも、君が嘘をついていると決めつける理由は、俺にはないかな」
ハリーが息を呑んだ。
「……え?」
「俺は現場を見ていない。だから、何が起きたのか断言することはできない」
ペルセオンは言葉を続ける。
「でも、だからこそ調べる必要がある。証言を聞いて、証拠を集めて、可能性を一つずつ検証する。それが闇祓いの仕事だ」
静かな声だった。闇祓いとして、確固たる意志を持つ者の声。
「最初から結論を決めて、都合の悪い証言を無視するのは、捜査とは言わない」
ハリーは何も言えなかった。ペルセオンはそれを見て少しだけ笑う。
「……それに」
彼はハリーの目を見つめた。美しい、緑の色。イルヴァーモーニーにあるスネークウッドの葉みたいだな、とそんなことを思った。
「君は見たんだろう?」
「…………はい」
「なら、その経験を誰かが勝手になかったことにして良いはずがない」
その言葉に、ハリーの胸の奥で何かが僅かに緩んだ。
夏休みの間、何度も否定された。嘘つきだと言われた。注目を浴びたいだけだと書かれた。
自分の言葉を、誰も信じてくれないような気がしていた。
けれど目の前の青年は、少なくとも最初から否定しなかった。それだけで、少しだけ救われた気がした。
「……ありがとうございます」
ハリーは小さく言った。ペルセオンは微笑む。
「どういたしまして。さあ、授業に戻ろうか!」
教室の空気が再び動き始めた。生徒たちが杖を構え、武装解除呪文の練習を始める。
赤い閃光が飛び交い、時折悲鳴や歓声が上がった。
ペルセオンはその間を歩き回り、一人ひとりの動きを確認していく。その表情は酷く楽しそうだった。
教師という仕事も、案外悪くないかもしれない。
そんなことを思いながら、ペルセオンはホグワーツでの最初の授業を続けていた。
もっとも、この授業の内容が数日後に魔法省の耳へ届くことになるとは、この時の彼はまだ知らなかった。
……いや、知っていたところで何も変えなかっただろうけれど。
□
夜。生徒たちの授業全てを終えたペルセオンは、ある場所へと向かっていた。
「……そりゃ、こんなところに入口があるなんて思わないよな」
三階の女子トイレ。そこにある手洗い場の前に立ったペルセオンは、『改築工事かなんかがあった時にゴーントが入口をここに移したんだろうな』と正解を言い当てながらマジマジと地下へと続く大穴を眺めていた。
「あらぁ! ペルセオンじゃな〜い!」
その時、甲高い声がトイレに響く。そこには、嘆きのマートルこと、五十年前の『秘密の部屋』事件の被害者、マートル・ワレンがふよふよと浮かんでいた。
……即ち、ペルセオンの父が引き起こした愚行の、最初の被害者。
「やあマートル」
「ん〜! 貴方ってホントに綺麗な顔よねぇ!」
「ありがとう」
キャーキャー言っていたマートルの眼鏡の奥にある目が、すぅっと冷えた。
「……本当に、アイツそっくりになっちゃって」
その言葉に、ペルセオンは押し黙るしか無かった。
それはそうだろう。なにせ、彼女は純然たる被害者だ。トム・リドルとか言う馬鹿で無知で愚かな男の杜撰さで、彼女は命を落としたのだから。
そんな加害者の息子であるペルセオンに、その怒りが向かうのは当然だった。
しかし、そんなペルセオンの内心と裏腹に、「勘違いしちゃ駄目よ」とマートルは親が子を諭すように優しい声でそう言った。
「悪いのは、私が四年生だった頃に六年生だったトム・リドルで、ペルセオン・リドルじゃないのよ。だって貴方、今泣いてるでしょう?」
「………は」
ポカン、とペルセオンらしくなく間抜け面を晒した。それを見てマートルはケラケラと笑う。「アイツなら絶対しない顔!」と可笑しそうに。
「……泣いてないだろ」
「心が泣いてるわ!」
「何言ってんだお前」
急に詩的なことを諳んじ始めたゴーストに、ペルセオンは胡乱な目を向けた。
そんな会話もそこそこに、ペルセオンはぽっかりと開いた暗い暗い口へと飛び込み、蛇の抜け殻を越えて扉の前にたどり着いた。
『開け』
口から漏れるのは吐息にも似たシューシューという音。
ペルセオンの一応の父の血統は、かのサラザール・スリザリンに由来するものであるためか、ペルセオンもその力を有していた。
そうして扉が開き、ペルセオンは奥へと足を踏み入れた。
そこは、荘厳な、しかし寂しい広間だった。壁には石造りの蛇の彫像があり、奥にはサラザール・スリザリンの石像がある。そして、それに寄り添うようにして──
「……『スリザリンの怪物』、か」
バジリスクが倒れていた。蛇の王、死の目を持つ大蛇は、かつての主の石像にすり寄るように息絶えていた。頭部には何かで貫かれたような痕がある。
「ポッターがグリフィンドールの剣でトドメを刺したんだったか」
なんと不思議なことに、かのゴドリック・グリフィンドールの遺物は二度、サラザール・スリザリンと彼が遺した怪物を退けるに至ったのだ。
「……さて。愚父のやらかしの後始末をするとしようか」
朽ちてほぼ骨だけになったバジリスクに付着していた毒を杖で全て一纏めの塊にし、瓶に収める。そして、牙と鱗を拝借した。
「サラザール・スリザリン。貴方が遺した怪物は、正しく使わせていただこう」
ヴォルデモートという、世に生まれた過ちを滅ぼす為に。