一九九五年度『闇の魔術に対する防衛術』教授、ペルセオン・セイア(旧姓リドル) 作:T・M・レボリューション・リドル
オーストリア、ヌルメンガード城近郊の森。
「本当にどいつもこいつも……」
アルキオーネ・セイアは、心底うんざりしたように吐き捨てた。
舌打ちしかけ、何とか堪える。危ない危ない、愛しい夫の癖が移ったかとヒヤリとした。
銀白色の髪が冷たい秋風に揺れている。手首には銀青色の腕輪──『
「ぎゃっ!」
「静かになさい」
「ひっ……!」
男は黙った。賢明な判断だった。
何しろ、彼の仲間たちは既に全員、木々の根元に仲良く転がされている。
ある者は杖を奪われ、ある者は樹木に逆さ吊りにされ、またある者は自分の放った呪文を跳ね返されて気絶していた。
総勢七名。いずれも魔法生物の密輸を生業とする、ろくでもない連中である。
その背後には、頑丈な鉄格子を備えた荷馬車が三台。中には怯えたムーンカーフの幼体や、翼を縛られたヒッポグリフ、さらには希少な魔法生物の卵まで詰め込まれていた。
アルキオーネは深々とため息をついた。
「……本当に、どうしてこうなるのかしら」
今日の予定は単純だった。
ヌルメンガード城へ赴き、看守たちの記憶を適切に処理してゲラート・グリンデルバルドを連れ出す際に必要な取引を済ませる。そして、速やかにオーストリアを離れる。
それだけだった……それだけのはずだったのである。
ところが──
「ほう。世界最高峰の癒者は戦闘にも秀でる、と」
背後から妙に楽しそうな声が聞こえたがアルキオーネは振り返らなかった。
「……何か?」
「いや、実に素晴らしい。私の配下に欲しかったくらいだ」
「お断りするわ」
「まだ何も提案していないが」
「提案される前に断っただけよ」
「手厳しい」
ゲラート・グリンデルバルドは愉快そうに笑った。
かつてヨーロッパ全土を震撼させた闇の魔法使い。史上最も危険な魔法使いの一人。
そして、一九四五年にアルバス・ダンブルドアに敗れて以来、半世紀にわたりヌルメンガード城に幽閉されていた男。
その本人が今、森の中で優雅に紅茶を飲んでいる。
しかもどこから取り出したのか、見事な彫刻が施された肘掛け椅子に腰掛けて。
小さな円卓まで用意して、銀の茶器を並べて、実に満足そうに。
「……貴方」
「何かな、お嬢さん」
「その椅子、どこから出したの?」
「魔法使いに対して実に奇妙な質問をするものだ」
「そういう意味ではないわ」
アルキオーネは額に手を当てた。
「……私が密輸業者を捕まえている間、何をしていたのかと聞いているの」
「茶を飲んでいた」
「見れば分かる」
「ならば何故聞く?」
アルキオーネは杖を握り直した。グリンデルバルドはその動作を見て愉快そうに目を細める。
「おや。私もあの連中と同じ目に遭うのかね?」
「ご希望なら」
「遠慮しておこう。せっかく新しい服を買ってもらったところだ」
彼は袖口を整えた。
濃い灰色の上質な三つ揃えに黒い外套。銀色の留め具。
長い年月の幽閉によって痩せ細った身体に合わせ、アルキオーネが魔法で寸法を調整したものだった。
それでも背筋を伸ばして椅子に腰掛ける姿には、かつて大勢の魔法使いを従えた男の威厳が残っている。
グリンデルバルドの、左右で色の異なる瞳が楽しげに細められた。
「しかしお嬢さん。君は随分と奇妙な女性だ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「私をヌルメンガードから連れ出したかと思えば、道端で犯罪者を捕まえ始める」
「道端ではなく、森の中なのだけど」
「重要な違いかね?」
「ええ。密輸経路の特定に関わるから」
「なるほど。几帳面なことだ」
アルキオーネは答えず、杖を振った。
荷馬車の鉄格子が音もなく開き、拘束されていた魔法生物たちの身体を水精の雫から溢れた柔らかな水膜が包み込む。
傷のあるものには治癒魔法を。衰弱しているものには魔力の補助を。怯えて暴れそうなものには、精神を落ち着かせる穏やかな魔法を。
その一連の動作を、グリンデルバルドは黙って眺めていた。
「……美しい魔法だ」
ぽつりと呟いた。
アルキオーネの手が一瞬止まる。
「……何?」
「君の治癒術だよ」
グリンデルバルドは紅茶を一口飲んだ。
「魔力の操作が非常に精緻だ。流れに無駄がない。しかも、複数の対象に異なる治療を同時に施している」
「嫌味かしら」
「まさか。私の時代にも優秀な癒者はいたが、君ほどの使い手はそう多くなかった」
そこで、彼は薄く笑った。
「まして、それだけの魔法を使いながら七人の魔法使いを片手間に叩きのめすとはね」
「片手間ではないわ」
「ほう?」
「非常に不愉快だったし、少し余分に力を込めたから」
「……少し?」
「ええ」
グリンデルバルドは、木の枝に逆さ吊りにされた密輸業者を見上げる。男は白目を剥いていた。
「……なるほど。実に恐ろしい女性だ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
そもそもアルキオーネがわざわざ大西洋を越えてオーストリアまでやって来たのには理由があった。
最愛の夫であるペルセオン・セイアの身体に刻まれた呪いである。
彼がまだ母親の胎内にいた頃、父親であるトム・マールヴォロ・リドルことヴォルデモートが施した、極めて悪質な魔法。
それは単なる服従の呪いでも、肉体を蝕む呪詛でもなかった。
魔力の通り道そのものを変質させ、魂と肉体の結びつきに干渉し、特定の魔法に対して異常な親和性を持たせる。
──生まれる前の子供を、父親の目的に適した器へと作り変えるための禁術。
アルキオーネは、十年近くその呪いと向き合ってきた。
夫と共に調べ、解きほぐし、時には魔力の暴走を抑え、時には古い文献を求めて世界各地を巡った。
それでも、完全な解除には至っていない。そして最近になって、一つの可能性に行き着いた。
この呪いには古い大陸の魔法、魂の固定、魔力の継承。そして、血統を媒介とした魔法の再構築。そういった太古の魔法が複数施されていた。
だからこそ、アルキオーネは彼を訪ねた……もっとも単に面会するだけのつもりだったのだが。
『……貴方の知識を貸して』
『ほう。私の知識を?』
『ええ』
『それで、君は何を差し出す?』
『貴方が償いを果たす機会を』
その言葉を聞いた時、グリンデルバルドはしばらく黙っていた。
『……面白い』
そう言って笑った。
『私をここから連れ出すつもりかね?』
『必要なら』
『半世紀も閉じ込められた老人を?』
『半世紀も考える時間があったのだから、少しは反省なさったでしょう』
その返答に、グリンデルバルドは声を上げて笑った。
あまりにも久しぶりに笑ったものだから、途中で咳き込んだほどだった。
そして気づけば、二人はヌルメンガード城の外にいた。
看守たちには、グリンデルバルドが従来どおり監房にいると思い込ませる記憶処理を施して、城の防護魔法には、一時的な偽装を施して。
ついでに、幽閉生活で衰弱していた老人の身体をアルキオーネが治療して。
……ここまで来ると、何が何だか分からない。
少なくとも、世界の魔法政府が知れば卒倒するような事態なのだが、当事者二人は驚くほど平然としていた。
「……それで。君の夫について詳しく聞こうか」
アルキオーネは最後の魔法生物の治療を終え、杖を下ろした。
「……ここで?」
「何か問題でも?」
「密輸業者が転がっているのだけど」
「気絶しているではないか」
「それはそうでしょうね」
「ならば構うまい」
グリンデルバルドは、向かいの椅子を指差した。いつの間にか、もう一脚増えている。
「座るといい」
「……貴方、本当に牢獄暮らしが長かったの?」
「長かったとも」
グリンデルバルドは微笑んだ。
「だからこそ、久しぶりの客人には丁重に接したいのさ」
アルキオーネは呆れたように息を吐いた。そして椅子に腰掛ける。どうせ何を言っても無駄なのだ。
グリンデルバルドが取り戻した杖を振り、目の前に温かな紅茶が現れる。香りは悪くない。むしろ非常に良い。
「……どこから茶葉を?」
「秘密だ」
「…………はあ」
「老人にも、秘密の一つや二つは必要だろう?」
アルキオーネはもう何も言わず、紅茶を口にした。
そして、静かに話し始めた。
「……夫の名は、ペルセオン・セイア」
「ふむ」
「旧姓はリドル」
グリンデルバルドの指が止まった。
「……リドル?」
「ええ」
「……トム・リドルか」
アルキオーネは頷いた。
「その息子よ。忌々しい……あんな愚物が彼の父親なんて」
森を渡る風が、木々の葉を揺らした。
グリンデルバルドは、しばらく何も言わなかった。
「……なるほど。そういうことか」
彼は椅子に深く腰掛けた。
「ヴォルデモートの息子……か」
その声音には、奇妙な感慨があった。
昔々、ヌルメンガードの塔の中で考えていたことを思い出す。
あの男に子供がいたならば。
その子供が、父親に逆らっていたならば。
それは、さぞ素晴らしいことだろうと。
……まさか、本当にいたとは。
「……ふふ……ははは」
やがて、声を上げて笑い始めた。
「ははははは!」
アルキオーネは眉を寄せた。
「……何がおかしいの?」
「いや、失礼」
グリンデルバルドは目元を押さえた。
「実に愉快な話だと思ってね」
「……夫の出生が?」
「違うとも」
もしそうなら殺してやると言わんばかりの目を向けてくるアルキオーネに、彼は首を横に振った。
「自分以外のすべてを支配しようとする男が、よりにもよって自分の息子に逃げられたという事実が、だ」
アルキオーネは黙った。対するグリンデルバルドは愉快そうに笑みを深めている。
「しかも、その息子はアメリカの闇祓いになり、優秀な癒者と結婚している」
「……ええ」
「実に素晴らしい」
彼は紅茶を飲んだ。
「あれにとって、これほど屈辱的なこともあるまい」
「……そうでしょうね」
「しかし」
グリンデルバルドの表情が変わった。先ほどまでの愉快そうな笑みが、ゆっくりと消える。
「……君の夫は、生まれる前に呪いを掛けられたのだったか」
「ええ」
「どのような魔法だ?」
アルキオーネは指をゆるりと掲げ、その指先が燃え上がったかと思えば、そこには一羽の不死鳥がそこに留まり、嘴に咥えていた羊皮紙をはらりと落とした。
そこには、複雑な魔法陣が描かれていた。
グリンデルバルドはそれを見た。最初は興味深そうだったその顔は、次第に真剣な表情になる。
「…………」
そして沈黙した。
アルキオーネはその変化を見逃さなかった。
「……何か分かった?」
グリンデルバルドは答えなかった。羊皮紙を手に取り、じっと見つめている。
「……これは」
低い声で呟いた。
理解してしまった。あのヴォルデモートと名乗る男が、何をしたのか
「……これは、魂を受け継がせるための術式図だ」
森の中を冷たい風が吹き抜けた。
「……あの男は、自分の魂を移すための器を作ろうとしたのだろうよ」
アルキオーネはしばらく何も言わなかった。
その言葉だけで充分だった……どうか当たるまいと思っていた考えが、的中してしまったのだと。
「…………そう」
静かに呟いた。
周囲の空気が僅かに冷たくなる。グリンデルバルドはそれを見て小さく笑った。
「どうやら、君の夫の父親は……とんでもない女性を敵に回したようだな」
アルキオーネは微笑んだ。それは、実に美しい笑みだった。
そして実に恐ろしい笑みでもあった。
「……ええ。本当に」
その声には、確かな決意が込められていた。
「……後悔させてやるわ。ヴォルデモート」
グリンデルバルドは愉快そうに笑って、もう一度紅茶を飲んだ。そうして半世紀ぶりに外の世界へ出た老人は思った。
……なるほど、世界はまだまだ面白い。
そして自分がかつて夢見たものとはまるで違う形で、新しい時代が確かに始まろうとしているのだと。
そして、アルキオーネはホバリングを止めて肩に乗った友たる不死鳥を撫で、頼み事をした。
「あの人の様子を見てきてくれないかしら」
不死鳥が心得たとばかりに一声鳴いて、その身を炎に包むと、その場から消えた。
それを見送り、アルキオーネはポツリと呟いた。
「……お願いね、アウレリウス」
□
「……まだ頬がジンジンする……」
グリモールド・プレイス十二番地。
かつて純血の名門ブラック家が所有し、現在は不死鳥の騎士団の本部として使用されている屋敷。その一階にある応接室で、ペルセオンは実に情けない顔をしていた。
右頬が痛い……いや、痛いというより熱い。
鏡を見なくても分かる。確実に腫れている。下手をすれば痣になっているかもしれない。
現役の闇祓いとして、それなりに修羅場を潜り抜けてきた自負はある。アメリカで凶悪犯と撃ち合ったこともあれば、呪われた魔法具の回収中に爆発へ巻き込まれたこともある。魔法生物に追い回されたことだって、一度や二度ではない。
だというのに、十年ぶりに再会した親友からの拳をまともに食らってしまった。
「お前もうちょっと手加減するとかさ……」
「僕は『育ちが悪い』ウィーズリー家の長男だからね」
「その自虐やめろって……てか、まだそんなこと言ってくる奴がいるのか?」
ペルセオンの深紅の双眸がギラリと光る。ソファに腰掛けるビル・ウィーズリーは、涼しい顔で紅茶を飲んでいた。
長い赤毛を後ろで束ね、耳には牙の形をした飾りを下げている。エジプトで呪い破りとして働いていた頃からの、どこか冒険者めいた風貌だった。
もっとも、ペルセオンの記憶にあるビルは、もう少し線の細い少年だったはずである。十年という歳月は随分と人を変えるものらしい。
特に拳の威力が。
「……痛いんだが」
「そうかい」
「治療してくれないか?」
「生憎とガーゼとかは無いんだ」
「魔法使いだろうが。魔法はどうした」
「品切れ中さ」
実にさらりと言ってくれた親友を睨めつけるが、当の本人は涼しい顔で紅茶を飲むだけ。
そもそも、こうなった原因はダンブルドアにある。『お使いを頼まれてくれんかの』と土曜日なので授業がなくて暇をしていたペルセオンに頼み、指定の場所に向かってみればグリモールド・プレイスで──しかも不死鳥の騎士団の本部として使われているらしい──嫌な予感しかしなかったが中に入り──ビルからの拳と抱擁を受けたのだ。
「アメリカに行ってから手紙の一つも禄に寄越さなかった薄情な親友に対しては十分甘い措置だと思うけどな」
「………悪かったよ。英国から逃げ出して、北米での生活で慣れるのに忙しくて手紙を出す暇が無かったんだ」
ニコニコ笑顔で刺してくるビルに、ペルセオンは大変気まずい顔になった。なにせ言ってることは正しいのだから。一方で、二人の向かいに座るシリウス・ブラックは腹を抱えて笑っていた。
「……笑うなよ」
「いや、いや……すまない。だがあまりにも………!」
何とか笑いを堪らえようとしている辺り、悪いとは思っているのだろう……堪えられていないので意味はないが。
はあ、とため息を吐いたペルセオンは、そういえばこの親愛なる脱獄犯殿に言っておかなければならない事があるのだったと思い出した。
「そういえばシリウス」
「なんだ?」
「俺、アンタからしたら甥に当たるんだよね」
シリウスが数秒石のように固まり、ややあって天を仰いだ。流石一を聞いて百を知る男。
ダンブルドアからヴォルデモートの息子という不憫極まりない生まれであることは聞かされていたし、何かあれば力になるつもりでいた。そして蓋を開けてみれば自分の甥だという。
その意味を、シリウス・オリオン・ブラックは正確無比に読み取った。
「……エリスの子かぁ」
「よくお分かりで」
「姉なんて一人しかいないからな……いやマジかよ……」
てことは姉貴のやつヴォルデモートのところにいたのかと、シリウスは頭を抱えた。
エリス・ヴァルブルガ・ブラック。シリウスの十つ上の姉であり、穏やかで気品のある人だった。いつの頃からか姿を見せなくなり、我らがクソバ……お母上様が嘆かれてたなあ。
「お前が今二十五だから……マジか、二十歳で産んだのか姉貴」
「意外か?」
「いや、ジェームズとリリーがハリーを授かったのもそれくらいだからは気にはしないが……なんだってあの男と」
「俺が聞きたいな」
「……それもそうか」
シリウスは頭を抱える。自分に優しかった姉。スリザリンだったけれど、グリフィンドールに組み分けされた自分に良くしてくれた姉……つまりその頃にはペルセオンを授かっていたのだ。
そして夜。泊まっていけというシリウスの好意に甘え、ルーピンやマッドアイやトンクス、キングズリーらと談笑した後、エリスが使っていたという部屋に案内されたペルセオンは、そのまま眠りについた。
まるで幼子が母の温もりに身を委ねるように。
そうしてペルセオンが深い眠りに落ちてしばらくしたあと、宙にぼうっと炎が噴き上がり、不死鳥が姿を見せた。
不死鳥はぐるりと部屋を旋回し、ペルセオンのすぐ傍に降り立つと、嘴で彼の黒髪を食む。
きっと大丈夫、この子は愛を知っている。どこまでも愚かな彼の父親のようにはならないと不死鳥──アウレリウスは知っている。
だって、彼を愛して気に掛けて、守ってくれようとする人たちが沢山いるのだから。
ゲラート・グリンデルバルド
半世紀ぶりにヌルメンガードの外に出てウキウキ。ちなみに過去の所業を反省はしているが後悔はしてない。
久しぶりの娑婆の空気うめぇ〜!!!
アルキオーネ・セイア
夫に会いに行くついでに色々しようと思ったら嫌な予感が当たって胸の奥が冷えている。ヴォルデモート絶殺勢の一人。
エリス・ブラック
シリウスの十つ上の姉。艶やかな黒髪と灰の目。ブラック家の特徴をそのまま形にしたような佳人。
穏やかで理知的。きっと父のオリオンによく似たのだろうと言われる。シリウスにも、次弟のレギュラスにも甘い人だった。
経緯は不明なれど、呪いの子を孕んで産み落とした。
婚約者にエバン・ロジエールがいた。
アウレリウス
アルキオーネの友たる不死鳥。名前は彼女の祖父に由来する。セイア家を見守るホーンド・サーペント(イゾルト・セイアに予言を授けた個体)と仲が良い