処刑され転生したお師匠様と前世の記憶をなくした僕の話。   作:独梨

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【天野 蓮(あまの れん)】
立場: 私立高校 1年3組の男子生徒

前世: 身寄りがなく親に捨てられた少年。魔女『セレスティア』に拾われ弟子として共に暮らしていたが、魔女狩りの処刑から師を庇おうとして命を落とす。

現状: 前世の記憶を完全に失った状態で現代の日本に転生。入学式で聖を見かけた際、激しい既視感と「青い炎」「冷たい雨」の残像、胸の痛みを覚える。聖に対して強い親近感と愛おしさを抱いているが、自分の過去に何があったのか戸惑っている。

【白峰 聖(しらみね ひじり)】
立場: 私立高校 1年3組の女子生徒(蓮の隣の席)

前世: 森の奥で暮らしていた美しい魔女『セレスティア』。弟子である蓮を心から愛していたが、冤罪による「魔女狩り」で処刑された。

現状: 前世の記憶と強い魔力を保持したまま転生。蓮の魂を探して数百年の歳月を過ごし、ついに同じ高校で再会を果たす。蓮に前世の残酷な記憶や悲劇を思い出させず、今度こそ「普通の人間」として平和で幸せな一生を送らせたいと深く願っている。


第一章
プロローグ


風が吹くたび、満開の桜並木から薄桃色の花弁がひとひら、またひとひらと舞い落ち、舗装されて間もない漆黒のアスファルトを淡く美しく染め上げていた。

 

四月の朝の空気は、まだ冬の残り香を密かに孕んでいて肌寒い。新調したばかりの紺色のブレザーはどこか身丈に合わない心地がして、天野蓮は首元を締め付けるネクタイの結び目を少しだけ緩めた。新品特有の糊の効いた生地の感触が、自分が今日から「高校生」という新しい肩書を背負うのだと無言で主張しているようだった。

 

「蓮ー! 待てって、足早いな!」

 

背後から走ってきた軽快な靴音とともに、右肩をポンと威勢よく叩かれる。振り返るまでもなく、中学からの腐れ縁である木村大樹だった。大樹は肩で息を切りながら、乱れた前髪をぐしゃぐしゃと手ぐしで整えて並んで歩き始めた。

 

「大樹が勝手にコンビニで新商品のパン選ぶのに悩みすぎてただろ。このままだと新入生着席の時間ギリギリになるぞ」

「だって『限定いちごホイップカスタード』だぞ? 新発売のシール貼られてたら買わない選択肢ないだろ! っていうかさ、蓮こそなんか今日ボーッとしてないか? 朝からずっと心ここに在らずって感じだけど、もしかして緊張してんのか?」

 

大樹に横から顔を覗き込まれ、蓮は困ったような苦笑いを浮かべて首を振った。

 

「いや……緊張っていうか、なんていうか……」

 

言いかけて、蓮は言葉を呑み込んだ。

自分の胸の中に渦巻いているこの妙な感覚を言葉にしようとすると、どうしても自分でも途方もない空想や冗談のように思えてしまうからだ。

 

今朝、目覚まし時計が鳴るよりも早く目が覚めた瞬間から、胸の奥が妙に疼いていた。

それはまるで、自分がずっと遠い昔にどこかへ置き忘れてきてしまった大切な何かを、今日この場所で見つけなければいけないという、根拠のない強い予感のようなものだった。それと同時に、どこか涙が出そうなほど懐かしく、けれど胸を締め付けるような切ない寂しさが、静かに、しかし確実に心を揺らしていたのだ。

 

昨晩、何か特別な夢を見たわけでもない。病気で熱があるわけでもない。だが、自分という存在の根底が微かに揺らいでいるような、奇妙な浮遊感が朝からずっと消えてくれなかった。

 

「なんだよ、気取っちゃってさ。まあいいや! 俺たちのクラス、何組になってるかな。同じクラスだったら最高なんだけどな!」

 

大樹は能天気に笑いながら、校門を潜っていく。蓮もその後に続こうと一歩を踏み出した——その瞬間だった。

 

ふっと、周囲の音が完全に掻き消えた。

 

風が葉を揺らす音も、新入生たちの談笑も、遠くで響く車の走行音すらも、まるで水中に潜ったかのように遠のいていく。周囲を行き交う人々や風景の色彩がかすみ、世界の空間の一部だけが切り取られたかのように、鮮明な解像度を持って浮き上がった。

 

校門のすぐ脇、一本の古木の大樹——満開の桜の下。

 

そこに、ひとりの少女が立っていた。

 

春の柔らかな日差しを受けて輝く、透き通るような銀色の髪。それはまるで、真冬の雪原に降る月光を織り上げたかのように美しく、校庭に咲き誇る圧倒的な桜のピンク色の中で、異彩を放ちながらも神聖なまでの存在感を放っていた。

 

風が吹き抜け、彼女の長い髪がふわリと空に舞う。

少女が、ゆっくりとこちらへ視線を向けた。

 

その瞳は、深海か、あるいは夜空の最果てを思わせる深い群青色をしていた。

 

『……あ』

 

息が、止まった。

 

ドクン、と心臓が破裂しそうなほど激しく跳ね上がる。

頭の深い深い奥底で、カチリと重い鉄の鍵が噛み合うような音が響いた。

 

瞬間、視界の裏側に、脈絡のない恐ろしいほどの強烈な映像が駆け抜ける。

 

重く垂れこめた灰色の雲。

肌を刺すように降りつける冷たい雨。

鼻を突く嫌な焦げ臭い煙と、暗闇を切り裂いて燃え盛る鮮烈な「青い炎」。

そして、誰かが自分の名前を呼ぶ、泣きそうなほど愛おしく、悲痛な声——。

 

『——蓮……!』

 

「……蓮? おい蓮、どうしたんだよ急に立ち止まって? 顔色悪いぞ?」

 

大樹の焦ったような声が耳に届き、ハッと意識が現実に引き戻された。

激しい眩暈に襲われ、蓮は思わず額を押さえてよろめく。額からは薄っすらと冷や汗が滲み出ていた。

 

「あ、いや……なんでもない。ちょっと急に立ちくらみがしただけだ」

「なんだよ驚かせるなよ、朝飯ちゃんと食ってきたか? ほら、とりあえず体育館行こうぜ」

 

大樹に背中を押されながら、蓮は吸い寄せられるようにもう一度だけ桜の木の下へ視線を向けた。

しかし、そこにはもう誰もいなかった。ただ風に煽られた花弁が空へと舞い上がっているだけで、まるで最初からそんな少女など存在しなかったかのようだった。

 

『あの女の子……誰だ……? なんであんな、胸が引きちぎられそうに苦しくなるんだ……?』

 

消えない胸の疼きと痛みを抱えたまま、蓮は吸い込まれるように校舎の階段を上っていった。

 

 

 

昇降口の掲示板前に群がる人だかりを掻き分け、自分の名前を探す。

確認した蓮のクラスは「1年3組」だった。

 

「マジかよ〜! 俺は2組だ……蓮と離れちゃったじゃん!」

大樹は大袈裟に頭を抱えて叫んでいたが、蓮の心は依然としてそれどころではなかった。頭の奥でくすぶり続ける「青い炎」の残像と、あの銀髪の少女の瞳が離れない。

 

「じゃあな大樹、放課後またな」

「おう、後で部活の勧誘回り一緒に見ようぜ!」

 

手を振る大樹と別れ、廊下の奧にある1年3組の教室へと向かう。

引き戸を開けると、まだお互いに遠慮がちな空気の漂う空間が広がっていた。黒板には座席表が貼られている。

 

蓮は自分の名前を探し、窓際の後ろから二番目の席へと向かった。

カバンを机の横にかけ、椅子に静かに腰を下ろす。窓の外を見やると、先ほどまで自分たちがいた校庭の桜並木と校門が眼下に見下ろせた。

 

周囲では、同じ中学出身同士で固まって談笑する生徒や、緊張した面持ちでスマホを弄る生徒たちがそれぞれの時間を過ごしている。

 

蓮は机の上に肘をつき、ぼんやりと空を見上げた。春の雲は低く、どこか遠い。

 

「……天野蓮くん、だよね?」

 

唐突に、すぐ頭上から降ってきた鈴の鳴るような声に、蓮は肩を跳ねさせた。

 

振り返ると、そこにいたのは——

先ほど桜の木の下に立っていた、あの銀髪の少女だった。

 

近くで見ると、息を呑むほどの美しさだった。磁器のように透き通った白い肌に、整いすぎているほどの繊細な鼻筋。そして何より、吸い込まれそうな群青色の瞳が、まっすぐに蓮の顔を見つめている。

 

「あ……うん。天野蓮だけど……」

「やっぱり。私の席、あなたの隣なの。よろしくね」

 

そう言って彼女が浮かべた笑みは、春の陽だまりのように温かく、けれどどこか今にも壊れてしまいそうなほど儚かった。

 

「私は、白峰聖。……ねえ、蓮くんって呼んでもいいかしら?」

「え? あ、うん。全然いいけど……」

 

初対面のはずなのに、彼女はごく自然に蓮の名を呼んだ。その「蓮」という音の響きには、何十年、何百年と長年呼び慣れているかのような、深い愛着と熟練した情感が込められているように感じられた。

 

聖は心の底から嬉しそうに目を細めると、蓮の隣の机にカバンを置き、優雅な動作で静かに腰掛けた。

 

彼女が動くたび、かすかに甘く神秘的な香りが漂ってくる。

ラベンダーの香草と、乾いた木の実、そして古い革装丁の書物が混ざり合ったような——現代の芳香剤とは明らかに違う、どこか浮世離れした、けれどたまらなく愛おしい香り。

 

『この匂い……知ってる……? 俺、絶対にこの匂いをどこかで……』

 

蓮の記憶の暗い海に、ぽたりと小さな水滴が落ちて波紋を広げる。

だが、その波紋が何を形作ろうとしているのかまでは、まだ霧がかかったように分からなかった。

 

「あのさ、白峰さん……」

 

抑えきれずに、蓮は口を開いていた。

初対面の女子生徒に対して唐突で不躾な質問だと自分でも分かっていた。だが、尋ねずにはいられなかったのだ。胸の奥の叫びが、彼にそうさせていた。

 

「俺たち……昔、どこかで会ったことないか? 初対面の気が、全然しないんだ」

 

聖は一瞬だけ、驚いたように群青色の目を見開いた。

そして次の瞬間、愛おしさと切なさが複雑に混ざり合った、胸が締め付けられるような笑みを浮かべて、そっと首を振った。

 

「いいえ。はじめましてよ、蓮くん」

 

嘘だ、と蓮の直感が激しく告げていた。

彼女の群青色の瞳の深い奧底に、言葉とは裏腹の、果てしない孤独と熱い情念が渦巻いているのを、蓮は見逃さなかった。

 

「……そっか。ごめん、変なこと聞いて」

「ううん。うれしかったわ、とても」

 

聖はそう言って柔らかく微笑むと、視線を窓の外の桜へと向けた。

その美しい横顔には、世界から取り残されたかのような静かな寂哀が漂っていて、蓮はそれ以上言葉を重ねることができず、ただ彼女を見つめることしかできなかった。

 

さわさわと、春の風が教室の薄いカーテンを揺らす。

こうして、失われた記憶と、待ち続けた時間が静かに交錯する、二人の新しい春が始まった。

 

 

 

入学式やホームルームが終わり、放課後のチャイムが校舎に響き渡った。

 

新入生たちは一斉に鞄を抱え、部活の勧誘で賑わう前庭へと繰り出していく。教室に残っているのは、係の仕事をこなす数人と、蓮、そして聖の二人だけだった。

 

夕陽が教室の中に斜めに差し込み、机や床を茜色に染め上げていく。

 

蓮が教科書を鞄にしまっていると、隣で聖が小さく息を吐く気配がした。チラリと視線をやると、聖は自分の鞄から一冊の古い文庫本を取り出し、愛おしそうに表紙を撫でていた。その手つきは、まるで宝物を扱うかのように繊細だった。

 

「白峰さんは、部活とか入らないの?」

蓮が声をかけると、聖は本から目を離し、パッと顔を輝かせた。蓮から話しかけられたこと自体が、彼女にとって何よりの喜びであるかのように。

 

「ええ、部活に入る予定はないわ。放課後は……そうね、図書室で本を読んだり、街を歩いたりしようと思っているの」

「そうなんだ。俺も特にやりたい部活がないから、帰宅部かな」

「ふふ、蓮くんらしいわね」

「……え?」

「あ、ううん。何でもないの」

 

聖は慌てたように口元を抑え、少しだけ頬を赤らめた。その可愛らしい仕草に、蓮の胸がどきりと跳ねる。

 

「あのさ、白峰さん」

「なぁに?」

「白峰さんって、なんだかすごく大人びてるよね。言葉遣いとか、雰囲気が……なんていうか、同い年じゃないみたいだ」

 

蓮が素直な感想を口にすると、聖はクスリと可憐に笑った。

 

「そう見える? これでも、あなたと同じ『1年生』よ。……ただ少しだけ、あなたより遠いところから来ただけ」

「遠いところ?」

「ええ。とても遠くて、とても古い場所から」

 

聖の言葉は、まるで童話のフレーズのように神秘的だった。彼女が語る言葉のひとつひとつが、蓮の心の奥底にある「開かずの扉」をノックしているかのような感覚に陥る。

 

「ねえ、蓮くん」

聖が静かに立ち上がり、蓮の机の前に歩み寄ってきた。夕陽を背にした彼女のシルエットが、黄金色の光を纏って輝いている。

 

「もし……もしもよ? あなたが昔の自分を思い出せなくなったとしても、今ここにいるあなたが元気で、笑って生きていてくれたら……それだけで救われる人間がいるとしたら、どう思う?」

 

その問いかけは、あまりにも真摯で、切実だった。

 

「救われる人間……?」

「ええ。何百年も、ただあなたに逢うためだけに時間を重ねてきた……そんな愚かな人がいたとしたら」

 

聖の群青色の瞳に、茜色の夕陽が反射して潤んでいる。

蓮は息を呑んだ。冗談や比喩表現として笑い飛ばすことができなかった。彼女の全身から溢れ出しているのは、偽りのない真実の感情だったからだ。

 

「俺は……」

蓮は自分の胸に手を当て、まっすぐに聖を見つめ返した。

 

「もし本当にそんな人がいるなら、感謝したい。俺みたいなやつのためにそんなに想ってくれたなら……すごく嬉しいと思う。でも……」

「でも……?」

 

「その人に、ずっと悲しい思いや孤独な思いをさせてたんだとしたら、すごく申し訳ないとも思う。……今度は俺が、その人を笑顔にしたいって、そう思うかもしれない」

 

蓮が言葉を紡ぎ終えた瞬間、聖の目から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。

 

「あ……白峰さん!? ごめん、俺、変なこと言ったか!?」

焦って立ち上がる蓮に対し、聖は首を振って涙を拭い、今日一番の眩しい笑顔を見せた。

 

「ううん、違うの。違うのよ、蓮くん……。やっぱりあなたは……昔から、どこまでも優しいのね……」

 

聖は愛おしそうに蓮の顔を見つめると、そっと手を伸ばし、蓮の制服の袖口に触れた。ほんのわずかな接触。だが、その指先から温かい温もりが蓮の腕を伝わって胸へと流れ込んできた。

 

「ありがとう、蓮くん。私……あなたに逢えて、本当によかった」

 

茜色の教室で交わされたその言葉は、まるで果てしない旅の果てに辿り着いた安息の誓いのように、蓮の心に深く、深く刻み込まれたのだった。




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