周囲の地形と、宵星花の分布についての観察をひととおり終えた。
記録帳を閉じ、草地を離れる支度をしていると、少し離れた場所からこちらへ向かってくる人影が見えた。別の範囲を調べていた研究者たちだ。彼らも、そろそろ調査を切り上げたらしい。
先頭のセレドは、両手で小さな容器を抱えていた。歩くたびに中身が揺れないよう気を配っているのが、遠目にも分かる。その後ろでは、エルネが地図を片手に周囲の斜面を見比べており、ミレファはちょうど記録帳を閉じたところだった。
今回の調査では、花そのものの観察に加え、周辺の地形や植物の分布、土地に残る伝承についても、それぞれ分担して調べていた。同じ花を対象にしていても、注目するものが違えば、得られる情報も異なる。花の性質を調べる者、花がどのような場所に生えているかを調べる者、そして、人々がその花をどのように語り継いできたのかを調べる者。
異なる角度から集めた情報を照らし合わせれば、ひとつの視点だけでは見えなかったものも分かるかもしれない。だからこそ、私は複数人で調べることを推奨している。
「お待たせしました、団長。そちらはどうでしたか?」
セレドが容器を持ち直しながら尋ねた。
「こちらはひとまず終わりました。花の多い場所と、周囲の地形を記録しています。そちらは何か見つかりましたか?」
「ええ。花そのものだけでなく、周辺に落ちていたものも少し採取できました」
セレドはそう言って、容器の蓋を慎重に開けた。
中を覗き込むと、白い綿毛のようなものがいくつか収められていた。風に吹かれて舞っていたものと似ている。ただ、容器の底に落ち着いたそれらは、空中を漂っていたときよりも輪郭がはっきりして見えた。
「これは、あの花の近くで見つかったものですか?」
「はい。花の周囲に散らばっていました。確認したところ、綿毛のような部分には、ごく小さな種子が付いているようです」
「種子、ですか」
私は容器を覗き込んだ。
綿毛状のものが種子を包み、風に乗って運ばれていく。そう考えれば、植物が離れた場所へ広がっていく仕組みとしては不自然ではない。
けれど、目の前にあるものが、先ほど花の周囲で見た光の粒子と同じものなのかどうかは、まだ分からなかった。
「現地で見た光の粒子も、これと同じものだったのでしょうか」
「そこは、まだ判断できません。採取したものの中には、目立って光るものはありませんでした。ただ、採取の際に性質が変わった可能性もあります。光っていないからといって、別のものだとは言い切れませんね」
セレドの答えは慎重だった。
観察したものと、採取したもの。似ているからといって、同一のものだと決めつけることはできない。現地では光っていたものが、容器の中では光らない。あるいは、そもそも光っていた粒子と綿毛状のものは、別のものだったのかもしれない。
どちらも、今の段階では可能性にすぎなかった。
「持ち帰って、もう少し詳しく調べる必要がありますね。光の有無だけでなく、形状や種子とのつながりも確認したいところです」
「分かりました。状態が変わらないように、できる限り分けて保管しておきます」
セレドが容器の蓋を閉じると、隣からエルネが地図を差し出した。
「こちらも、少し気になることがあります」
彼女の地図には、花が見つかった場所がいくつも印されていた。斜面の傾きや草地の境界も書き込まれている。この暗がりの中で、よく調べたものだ。
私が先ほど記録した場所と照らし合わせてみると、花は草地のどこにでも同じように生えているわけではないようだった。
「花が多かったのは、このあたりですね。ただ、日当たりのよい場所ばかりというわけでもありません。斜面の下側にもまとまって咲いていましたし、周囲の植物の生え方にも、いくらか違いがありました」
「水分の影響でしょうか」
「その可能性はあります。斜面の下側なら水が集まりやすいでしょうし。ただ、地面の湿り気を調べたわけではないので、今は何とも言えません。日当たりや土壌の違いも考えられます」
エルネは地図を指でなぞった。
「似た地形でも、花が少ない場所がありました。地形だけで説明できるものではなさそうです」
「周囲の植物との関係も気になりますね。競合しているのか、それとも何かの条件が揃った場所に、どちらも生えているだけなのか」
「ええ。花が多い場所と少ない場所を比較すれば、何か手がかりが見つかるかもしれません」
私が言うと、エルネは地図に目を落とし、いくつかの印を指先でたどった。
「そうですね。地形だけでなく、周囲の植物も含めて比較したほうがよさそうです。今回の記録をもとに、次は花の少ない場所も詳しく調べてみます」
花が咲いている場所には、何らかの条件があるはずだった。けれど、その条件がひとつなのか、複数の要素が重なった結果なのかは分からない。
目についた特徴を理由として採用するのは簡単だ。しかし、ひとつの特徴だけで説明がつくほど、自然の仕組みは単純ではない。
「光についても、もう少し調べたいですね。団長は何か分かりましたか?」
私は先ほど観察した花の様子を思い返した。
「私が見た限りだと、月明かりの下でも花の光は確認できました。一方で、周囲を明るくすると、同じ光でも目立たなくなりましたね」
「明るい場所では光が弱まるのか、それとも周囲の明るさに紛れて見えなくなるだけなのか、ということですか?」
エルネが尋ねた。
「そうです。光そのものが弱くなっているのか、私たちの目で区別できなくなっているのか。その二つは分けて考えたほうがいいでしょう。個人的には、後者ではないかと思っていますが……」
「暗い場所で光って見えることと、暗い場所でしか光らないことは、同じではありませんね。錯覚させているわけではないと思いますが」
セレドが応じた。
「採取したものでも、暗い場所に置いて変化があるか調べられるかもしれません。ただ、現地での状態を再現できるかは分かりませんが」
「試す価値はあると思います。現地で見たことと、持ち帰ったものから分かることは、分けて記録しておきましょう」
そう答えながら、私は草地の向こうへ目を向けた。
ここからでは、一輪一輪の姿までは見えない。それでも、暗がりの中にわずかな明るさが残っているように感じられた。
現地で観察していたときには、花の形や光の強さ、周囲の植物といったものをひとつずつ確かめていた。そうしなければ、何が起きているのかを正しく捉えられないからだ。
けれど、少し離れて眺めると、それらはひとつの景色として目に映る。
暗い草地に咲く白い花。夜風に揺れる細い草。その上に広がる、雲の少ない空。あの景色を、ただの植物の群生地として片づけることは、私には少し難しかった。
私は草地の向こうへ目を向けたまま、考え込む。
「団長?」
エルネの声に、私は視線を戻した。考え込むあまり、ミレファが説明していた言葉が耳に入らなくなっていたらしい。
「すみません、考え込んでいました。ミレファさんは何か分かりましたか?」
「よかったです。ええと、私は、花そのものとは別に、少し面白いお話を聞いてきました」
彼女は記録帳を開き、書き留めた内容を確かめてから、読み上げた。
「村の年配の方から、宵星花についての伝承を改めて聞いてきました。星が地上に落ち、その跡に根を張って花になった、というお話のことです」
その言葉に、私は草地の中で見た光景を思い浮かべた。
夜の草地に点々と浮かぶ光。地面に根を下ろした花々。そこから離れ、風に乗って漂っていく白い綿毛。
確かに、あの光景を知らない者が聞けば、奇妙な話だと思うかもしれない。けれど、実際にあの場所に立ち、夜の花を見た者ならば、そう語りたくなる気持ちも分からなくはなかった。
「ほかにも、似たお話がありましたか?」
「はい。花に魅入られた者が精霊に導かれ、星々のもとへ向かうという伝承も、以前から語られているそうです。ただ、それとは少し違うお話もありました」
「違うお話、ですか?」
「はい。話してくださった方によると、昔から子どもに聞かせる童話があるそうです」
ミレファは記録帳から顔を上げ、記憶をたどるように言葉を続けた。
「あるところに、夜の花が大好きな子どもがいました。子どもは毎晩、花の咲く野原へ出かけては、日が暮れても帰ろうとしませんでした。ある晩、いつもよりたくさんの花が咲いているのを見つけ、子どもは夢中になって野原の奥へと進んでいきました。気がついたときには、来た道が分からなくなっていたそうです」
「それで、どうなったのですか?」
「子どもは一晩中、野原をさまよいました。やがて夜が明けると、花の光は消え、見慣れた道が目の前に現れました。子どもはようやく家へ帰ることができたのですが、家では家族が朝までずっと、子どもの帰りを待っていたのです」
ミレファはそこで一度、言葉を切った。
「それ以来、大人たちは子どもに言い聞かせるようになったそうです。どれほど美しいものを見つけても、帰りを待つ人がいることを忘れてはいけない、と」
「……なるほど」
私は、宵星花の淡い光へと視線を戻した。
花に心を奪われ、気づかぬうちに道を見失う。童話としては、ありふれた教訓なのかもしれない。けれど、夜の野原に咲くこの花を前にして聞くと、単なる子どもへの戒めとして片づけるには、どこか引っかかるものがあった。
「その童話は、星々のもとへ向かうという伝承から生まれたのでしょうか。それとも、もともとは別のお話だったのでしょうか」
「そこまでは分かりません。話してくださった方も、どちらも昔から聞かされてきたお話だとおっしゃっていました」
「そうですか……」
私はその言葉を頭の中で繰り返した。
花に魅入られ、精霊に導かれ、星々のもとへ向かう。それは美しいものを見た者への祝福なのか。それとも目の前のことに集中するがあまり、本当の大切なものをないがしろにするなという人生への戒めなのか。
あるいは、もともとは別々だった話が、長い時間をかけてひとつになったのかもしれない。
「いろいろな可能性が考えられますが、何かの戒めから童話が生まれた可能性もありますね」
私が言うと、ミレファは少し考えてから頷いた。
「ええ。もちろん、それだけでは説明できません。ただ、伝承は出来事をそのまま残すとは限りませんから。経験したことが物語になり、その物語が、今度は人々の行動を変えることもあります」
「最初は実際にあった出来事でも、語り継がれるうちに意味が変わっていく、ということですか」
「そうですね。語り継がれるうちに変わることもありますし、最初から、話す相手によって違う意味を持っていたのかもしれません。誰が、誰に、どんな場面で語ったのか。そこまで分かれば、同じ伝承でも、もう少し違った見方ができると思います」
ミレファはそう言って、記録帳に何かを書き足した。
彼女の関心は、花の性質や生育環境とは少し違うところにある。人々が何を見て、何を感じ、何を後世に残そうとしたのか。そうした人間の営みから、伝承が生まれ、受け継がれていく過程を探ろうとしている。
自然の現象を調べることと、人々がそれをどう受け止めてきたかを調べること。対象は違っていても、どちらも目の前にあるものだけでは分からない背景を探る仕事だった。
「今いるアストラヴェールでは、宗教的にも、星を特別なものとして扱う考え方が根づいています」
私は言った。
「そのようなことから、そうした文化が伝承に影響している可能性は否定できません。ただ、今のお話だけでは、どちらが先にあったのかまでは判断できません」
この国では、星は単なる夜空の光としてだけ見られているわけではない。星の巡りを読み、そこに意味を見いだそうとする者たちがいる。星にまつわる教えを伝える星教会も、人々の暮らしの中に根づいていた。
もちろん、国の人々が皆、同じように星を信じているわけではないだろう。それでも、星を道しるべや秩序の象徴として捉える考え方は、この土地で物語が語られるときの背景になり得る。
「花についての言い伝えが星を信仰する文化に取り込まれたのか、もともと星を重んじる文化があって、花の姿をそのように解釈したのか。あるいは、その両方かもしれません」
ミレファの言葉に、私は頷いた。
伝承が生まれた理由を、ひとつに決める必要はない。今はまだ、確かなことを言えるだけの材料が揃っていないのだから。
星教会の記録に宵星花が登場するのか。ほかの土地にも似た伝承があるのか。それとも、この花が咲く地域に限られた話なのか。
いずれも、今後の調査で確かめるべきことだった。
そのとき、草地の低いところを、小さな虫がひとつ横切った。
私はふと、先ほどの観察を思い返した。宵星花の周囲には、いくつもの虫が集まっていた。あの光が虫を引き寄せているのか。それとも、花そのものが何らかの誘引物質を出しているのか。あるいは、花の周囲に虫の餌となるものが多いだけなのか。
「もうひとつ、私が確認しておきたいことがあります」
私は、花の周囲に集まっていた虫を思い返した。
「あれも光が原因だとは限りません。花の形や匂い、あるいは周囲の環境が関係している可能性もあります」
セレドが頷いた。
「確かに。光に反応しているのか、花そのものに反応しているのかを分けて考えないといけませんね。次に調査するときは、花の近くと、花のない場所で虫の集まり方を比べてみるのもよさそうです」
「その場合は、時間帯や気候も記録しておきたいですね。条件が違えば、虫の数も変わるかもしれません」
エルネも地図をしまいながら言った。
ひとつの現象に対して、いくつもの説明が考えられる。どれも可能性としては成り立つが、可能性があることと、それが正しいことは違う。
今の私たちにできるのは、見たものを記録し、仮説を並べ、次に何を調べればよいのかを考えることだけだった。
「今日のところは、ここまでにしましょう。採取したものは状態を保ったまま持ち帰り、光の条件や周囲の環境についても、別途確認する必要があります。伝承については、語り手や地域による違いがないか、もう少し調べたいですね」
「分かりました、団長」
セレドが容器を持ち直した。エルネは地図をしまい、ミレファも記録帳を閉じた。
それぞれの調査で得られたものは、まだ断片にすぎない。けれど、何を確かめ、何が分かっていないのかは、少しずつ見えてきていた。
私たちが荷物を確かめていると、少し離れたところで待っていたヴァレリアが歩み寄ってきた。
「話はまとまりましたか?」
いつの間にか、ヴァレリアはどこからか取り出した仕事用の資料に何かを書き込んでいた。こちらに気づくと、手を動かしたまま話しかけてきた。
「ええ。ひとまず、今日の調査はここまでです」
「それなら、私は先に戻って予定を確認してきますね。決まったら、また連絡します」
ヴァレリアはそう言って資料を片付け、念を押すように私を見た。
「ルミネス、できるだけ早く来るんですよ。長がいなければ、誰が旅団を引き連れるんですか?」
「分かっています。そんなに急かさなくても大丈夫ですよ」
「本当に? ルミネスは、何か気になることがあると、時間を忘れてしまうでしょう」
否定しようとして、私は言葉を止めた。
まったく覚えがない、とは言い切れない。調べたいことが見つかれば、もう少しだけ、と観察を続けてしまうことはある。
「……気をつけます」
「はい。では、お願いしますね」
ヴァレリアは満足したように頷くと、軽く手を振った。
次の瞬間、彼女の足元に魔法陣が淡く浮かび上がった。空気がわずかに揺らいだかと思うと、その姿は跡形もなく消えていた。
転移魔法だ。彼女なら、わざわざ夜道を歩いて戻る必要もない。一瞬で戻れる彼女が、わざわざ私たちと一緒にここまで来ていたのだ。
私はヴァレリアが立っていた場所を一瞥してから、研究者たちへ向き直る。
「では、周辺をもう少し観察しながら、私たちも戻りましょう。採取したものの保管については、セレドにお願いします。エルネとミレファは、今日の記録を整理しておいてください」
「「「承知しました、団長」」」
三人の返事を聞き、私たちは草地を離れた。
帰り道を歩きながら、私は先ほどの調査を振り返る。
綿毛のようなものに付いていた小さな種子。花が多く咲いていた斜面。月明かりの中で浮かび上がる光。そして、星から落ちたものが花になったという伝承。
それらがひとつの仕組みにつながっているのかどうかは、まだ分からない。分からないことが増えたというよりも、何を知らないのかが少しずつ明らかになった、と言うべきなのかもしれなかった。
けれど、調べるべきことを整理するほど、別の疑問も浮かんでくる。
人々は、目の前にあるものを、いつも正確な言葉で説明できるわけではない。説明できないからこそ、身近なものにたとえたり、物語にしたりすることもある。
宵星花を星のかけらと呼んだ人々も、そうだったのだろうか。
実際に星が落ちてきたのかどうかは分からない。少なくとも、今夜の観察から、そのような結論を導くことはできなかった。
けれど、あの花を見ていると、地上に星が散らばっているという言葉が、ただの比喩とは思えない瞬間があった。
夜の草地に点在する光は、空に浮かぶ星とは違い、手を伸ばせば届きそうなほど近くにある。それでも、その正体はまだ分からない。目の前にあるからといって、すべてを理解できるわけではないのだ。
人々は、あの光を見て何を思ったのだろう。
星を道しるべや秩序の象徴として捉える文化があるのなら、地上に現れた不思議な光を星と結びつけることも、決して不自然ではない。けれど、それは今の私が考えた解釈にすぎなかった。
この国の人々が宵星花に何を見てきたのか。その見方に、星を重んじる文化がどのように関わってきたのか。
その答えを知るには、花だけでなく、人々の暮らしや言葉にも目を向ける必要がある。
自然の現象を調べることと、人々がそれをどう受け止めてきたかを調べること。両方を続けていけば、今は別々に見える事柄の間にも、何らかの関係が見えてくるかもしれない。
分からないものを、分からないままにしておくこと。それは、調査を諦めることとは違う。確かめられたことを大切にしながら、まだ知らないものがあると認めることだ。
そうして初めて、私たちは次に何を調べるべきなのかを考えられる。
私は前を向き、再び歩き始めた。
人々が星のかけらと呼んだものは、本当に星から落ちてきたものではないのかもしれない。
けれど、そう呼びたくなる景色が、この地上には確かに存在していた。
これで一旦旅団がどんなことをしているのかなどの説明は終わりです。
次からちゃんとストーリーが進みます。