【完結】北の聖女と南の聖女に挟まれる一般TSチート始元者 作:深紫Sιn姉
——精巧な歯車として造られた存在に、果たして心があるなどという証明はあるのだろうか?
□■□■□
時計の針を、ほんの少しだけ巻き戻そう——。
中庭を包囲した過激派の軍勢が、最大魔導砲撃の照準を合わせた、まさにその時。
校舎の陰まで駆け戻ってきた少女——『個体番号〇七(ミナ)』の懐で、通信機が悲鳴を上げた。
『——危険だ、個体番号〇七! 奴らは本気で撃つ気だ! 今すぐその場から退避せよ!』
学園長の悲痛な命令。
だが、ミナの足は止まらなかった。
胸元には、辞書のように分厚くなった教典——『普通の学園生活・第七版』が抱えられている。
幼い頃、聖都の孤児院から引き取られた日から。
彼女の世界は、この黒い表紙の中だけにあった。
感情を持つな。
欲求を持つな。
ただ精巧な歯車として、『普通』を演じ続けろ。
それが、彼女に与えられた唯一の存在理由。
だから彼女は、自分が何が好きなのかすら、今日まで知らずに生きてきたのだ。
——けれど。
『難しい参考書は、いったんお休み! 自分の好みがわかんないならさ、まずは友達の好きなものを一緒に食べてみればいいんだよ』
脳裏に蘇るのは、休日の眩しい青空。
半分に分けた、焼きたてクレープの甘い香り。
そして、初めて食べた肉じゃがの温かい味。
走っているミナの指先が、胸元の『第七版』を強く、強く握りしめた。
「……退避など、いたしません」
ミナは通信機に向かって、静かに告げた。
「マニュアルにはありません。ですが……私はもう、感情のない歯車なんかじゃありません」
彼女は走りながら、今まで自分のすべてだった黒革の『第七版』を——夜空へ向かって、思いきり放り投げた!
バサァッ! と。
閉じられていた本が大きく開き、継ぎ足された無数の白紙ページと追補が、白い鳥の群れのように夜風へ舞い散っていく!
(私は……イチゴ生クリーム味が好きで、温かい肉じゃがが好きで、ルーツさんが大好きな、ただの『普通』の友達です!)
ミナの茶色い瞳に、かつてないほど強い、『機械』ではなく……『人間』としての光が宿った。
(大好きな友達のためなら、命を懸けてでも前に出るのが——私の、新しい『普通』です‼︎)
彼女は通りすがりに、倒れていた黒服の鞄から一本の鉄杭——『神秘アース線(避雷針)』を抜き取ると、放たれた極大の閃光の中へと、迷いなくその身を躍らせたのだ——!
□■□■□
——そして、時は現在へ戻る。
「——させませんッ!」
閃光の中へ飛び込んできたミナが、私たちの目の前で、地面へ深く『避雷針』を突き刺した!
——バチバチバチィッ‼︎
夜空を焼き尽くすはずだった魔導砲撃の全エネルギーが、避雷針を握るミナの小さな身体一点へと、強引に吸い寄せられていく!
だが、それは魔力を逃がすための道具であって、数万の軍勢の砲撃に耐えられるものではない。
ピキ、パキキッ……砕け散る鉄杭。
「……あ」
武器も、防具も、魔力すら持たないミナの小さな背中が、三人の身代わりに極大の衝撃波をまともに受け止めた。
——ドォンッ!
白い紙吹雪が舞い散る夜空の下で。
赤い花が咲いたような、鮮やかな雫が舞った。
糸の切れた人形のように、ミナの身体がふわりと宙を舞い、冷たい石畳の上へと崩れ落ちる。
「…………えっ?」
私の口から、かすれた声が漏れた。
頭が、真っ白になる。
「……み、ミナ、ちゃん……?」
□■□■□
聖都エル・カナンの地下深く。
「「「………………」」」
最終兵器『カナン・ノア』の発射司令室では、巨大な壁に映し出されたその光景に、すべての神官たちが息を呑んでいた。
「げ、猊下! 〇七が、あのお方を庇って被弾いたしました! もはや猶予はございません!」
白髪の学園長——筆頭枢機卿は、震える指先で、発射ボタンを覆う透明なガラス蓋を跳ね上げた。
撃てば、神が泣く。
撃たねば、神が泣く。
数百年間、この聖地を守るために造られながら、一度も撃たれなかった百門の最終兵器
だが、画面の中で血を流して倒れている少女を見た瞬間、老人たちが出した結論は、ただ一つ。
「……あのお方に悲しみの涙を流させる俗世など、我らの手で先に清めてしまえ……」
学園長が、静かに目を閉じて号令を下す。
「全百門、両国首都ノールガルドおよびサザンクロスへ照準固定! 十二人の枢機卿よ、最終解除キーを一斉に回せ!」
「「「はっ‼︎」」」
そして——。
「……数百万も数千万も、ここで終わり、か」
——ガチリ、と。
十二人の老人が、悟りきった表情で鍵を回した。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!
聖都の地下岩盤が割れ、百門の大陸間弾道魔導砲が、地の底で終末の唸りを今上げる。
無慈悲な、赤い文字がカウントダウンを灯した。
『——発射まで、三、二——』
□■□■□
その頃、地上の中庭では。
「ミナちゃん——ッ‼︎」
私は、石畳に倒れたミナの元へと駆け寄り、その小さな身体を必死に抱き起こしていた。
ああ、嘘だ。
こんなの、絶対に嘘だ。
だってこの前、一緒に笑ってクレープを半分こしたばかりじゃないか。
さっき、私の部屋で、お母さんの肉じゃがを美味しそうに食べていたばかりじゃないか!
「やだよ、死なないでミナちゃん! いま私の『奇跡』で治すから! すぐに治すからッ‼︎」
私は震える両手をミナの胸元に当て、ありったけの『奇跡』を流し込もうとした。
——だが。
足りない——。
それは、生まれたばかりの私が、お母さんを助けるために魂のリソース半分を渡しているせいで。
今の私の省エネ身体では、数百人の軍勢が放った呪いのような魔導砲撃の傷を、一気に巻き戻すだけの出力がどうしても足りないのだ!
「あ、ああ……っ、なんで、こんな時に半分しか力がないんだよぉ……っ!」
ミナの呼吸は、もう消え入るほどに浅い。
肌から、急速に温度が失われていく。
空からは、彼女が自分で破り捨てた『第七版』の白いページが、まるで季節外れの雪のように、ひらひらと舞い落ちていた。
その紙吹雪の中で。
ミナのうっすらと開いた瞳が、私を捉えた。
紅に濡れた彼女の細い指先が、震えながら伸びてきて——私の頬に、そっと触れた。
「……ルーツ、さん……」
消え入りそうな、か細い声。
なのに、彼女の口元には、あの日クレープを食べた時とまったく同じ、年頃の『女の子』らしい柔らかな笑みが浮かんでいた。
「……どうか、泣かないで、ください……。クレープ、また……半分こ、しましょうね……」
ぽとり、と。
私の頬に触れていたミナの手が、力なく石畳の上へと落ちた。
まぶたが閉じられ、ピクリとも動かなくなる。
「……ミナ、ちゃん……?」
返事はない。
周りを見渡せば。
私の発言で、力をすべて失ってしまったノルスとサアスが、それでも生身の身体でこちらを守るように立ち、血の滲む唇を噛み締めて震えていた。
遠くの正面広場からは、傷つきながらも必死に大軍を食い止めているヒルデとカイルの叫び声と、倒れていく黒服たちの音が聞こえてくる。
——ああ、そっか。
私は、いま初めて、すべての真実を理解した。
みんな、最初から全部知っていたのだ。
私が『始元者』だということも。
あの古文書の余白に書いた、無責任な冗談も。
それでも、ノルスも、サアスも、ヒルデも、カイルも、学園長たちも、そしてミナちゃんも。
誰一人として私を責めず、ただ私のちっぽけな『普通の日常』を守るためだけに、こんなにもボロボロになって戦ってくれていたのだ。
すべては、私が過去に蒔いた種。
私の無責任な一言のせいで、いま目の前の大切な友達が、冷たくなっている。
——ああ、そっか。
私のエメラルドの瞳から、ポロリ……と。
一〇〇〇年の時を超えて、一粒の『本当の悲しみの涙』がこぼれ落ちた——。
□■□■□
それは、蒼く透んでいた。
それは明らかに炎であり、液体とは離れていた。
例えるなら、水の炎。
見惚れ、憧れ。美しく。
それは見る者すべてに致命的な隙を生んだ。
一度でいいから触れてみたい。
どうか、その聖火を浴びてみたい。
仄かな願い、赦しを乞うような祈り。
遍く彼らの心は融けていた。
それはきっと、すべてを賭けていた。
奇跡はきっと自分を救ってくれる——。
そんな妄執を、己の魂ごと焼き尽くした。
いつかの火がふっと消えるように揺らめく。
ああ、終わりなき人生。永い物語。
水飛沫がぽちゃんと鳴らすような音がする。
——世界から、遍く穢れが消滅していた。
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発射まで『一』を切った、地下司令室。
「なっ……これは⁉︎」
分厚い岩盤をすり抜けて、地上から降り注いだその『蒼き水の炎』の波紋は、地下深くの暗闇までもを一瞬にして包み込んだ。
鍵を握りしめていた十二人の枢機卿たちの胸から、諦観と殺意が、春の雪のごとく融けていく。
モニターの赤い文字が、静かに緑へと変わった。
『——発射自動停止:【奇跡】を検知しました』
世界を焼くはずだった破壊の火。
それを止めたのは——。
世界を清める涙の火だったのだ。
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古文書に記された『世界は火によって清められる』という言葉。
それは、物理的な炎で大地を焼き払うことなどではなかった。
生きとし生けるものの傷の痛みを和らげ、魂にこびりついた傲慢な敵意と狂信だけを根源から焼き尽くす——気高き『蒼き水の炎(聖火)』のことだったのだ!
地上の中庭にて。
「あ、ああ……なんだ、この美しくも温かい炎は……っ」
「わ、私の魂が……底から浄化されて、消えていく……っ」
聖火の波紋を浴びたコルド将軍が、大剣をポロリと地面に落とした。
ブレイズ団長が、大槍を手放してその場に膝から崩れ落ちた。
中庭を包囲していた数万の兵士たちも、誰一人として例外なく、憑き物が落ちたかのように武器を捨て、呆然と夜空を見上げてへたり込んでいく。
そして、私の腕の中では。
「……ん……あれ……?」
蒼い聖火の雫を一番近くで浴びたミナの胸元から、致命傷だったはずの傷跡がすうっと消え去り——彼女が、ぱちくりと茶色い瞳を開けて、『地味』に復活していた!
「あ、ミナちゃん! 生き返った!」
「……はい。なんだか、すごく温かいお風呂に入ったみたいで……心地よいです……」
きょとんとするミナを、ノルスとサアスが「「よかった……!」」と駆け寄って支える。
とりあえず、最悪の事態だけは免れたらしい。
ミナちゃんの命も助かったし、オッサンたちの殺気も綺麗さっぱり消えた。
——だけどね?
それで「はい、めでたしめでたし!」と許してやるほど、今の私は人間ができていなかった。
すっ、と。
私はミナの隣から、静かに立ち上がった。
ゴシゴシと、制服の袖で目元の涙を乱暴に拭う。
私の顔から、いつものへらへらとした『一般特待生ルーツ』の表情が、完全に消え失せた。
代わりにそこに現れたのは、一〇〇〇年の時をも経て、世界の理そのものを支配してきた絶対者。
私は、地面にへたり込んで震えているコルドとブレイズ、そして数万の軍勢を、恐ろしく穏やかな目つきで見下ろして、低く呟いた。
「……あーあ。せっかく一般人として、ぬくぬく暮らしてたのにさ」
コツン、と私が一歩踏み出すだけで、中庭の石畳がミシミシと悲鳴を上げてひれ伏す。
「お前ら、私の大切な友達とモラトリアムを——いったい、なんだと思ってんの?」
——『始元者』としての、翠の瞳をもって。