僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第十三話 「世界が生まれる前に、誰が死んだのか」

第一節 死者のいない墓地

墓地には、墓がなかった。

 

少なくとも、そこに立つ人間の目には、そう見えた。

 

地面は白い。

 

空も白い。

 

遠くには、水平線のようなものがある。

 

しかし、そこに海はない。

 

風もない。

 

雲もない。

 

太陽も月も存在しない。

 

それなのに、誰かがここに立っていたことだけは、確かだった。

 

足跡がある。

 

無数の足跡が、どこからともなく現れて、どこへともなく消えている。

 

大きな足跡。

 

小さな足跡。

 

人間のものに似た足跡。

 

人間のものとは思えない足跡。

 

その中には、歩いた形跡だけが残り、肝心の足跡が一つも存在しない道さえあった。

 

そこを歩いた者は、どんな存在だったのだろう。

 

そもそも、歩くという概念が生まれる前に、歩いた者は存在したのだろうか。

 

その問いに答える者はいない。

 

なぜなら、ここには、死者がいなかったからだ。

 

死者がいない。

 

それは、生者しか存在しないという意味ではない。

 

生と死という区別そのものが、まだ存在していなかった。

 

生まれた者がいないのだから、死んだ者もいない。

 

死んだ者がいないのだから、誰かを悼む者もいない。

 

誰かを悼む者がいないのだから、失われたものを記憶する必要もない。

 

この場所では、何かが失われても、失われたことにならなかった。

 

何かが存在しても、存在したことにならなかった。

 

何かが願っても、願った者がいなければ、その願いは記録されなかった。

 

それでも。

 

白い地面には、墓が一つだけ存在していた。

 

墓標はない。

 

名前もない。

 

誰かが埋葬した形跡もない。

 

ただ、地面の一部が、そこだけわずかに沈んでいる。

 

まるで、何かを埋めた場所のように。

 

その墓の前に、一人の少女が立っていた。

 

少女は、両手を胸の前で握っていた。

 

何かを持っているようにも見えた。

 

けれど、彼女の手には何もなかった。

 

少女は、墓を見つめていた。

 

長い時間。

 

とても長い時間。

 

あるいは、時間というものが存在しないほど長い間。

 

やがて、少女は口を開いた。

 

「……ここに、誰かがいたの?」

 

声は、白い空間に吸い込まれた。

 

返事はない。

 

少女は、もう一度尋ねた。

 

「ここに、誰かがいたんでしょう?」

 

沈黙。

 

少女は、墓の前にしゃがみ込んだ。

 

そして、地面に触れた。

 

冷たくはなかった。

 

温かくもなかった。

 

ただ、何も感じなかった。

 

少女は、なぜか泣きたくなった。

 

自分が何を失ったのか、分からない。

 

誰を失ったのかも、分からない。

 

それなのに、ここには、何かが失われたという確信だけが残っていた。

 

「……ごめんなさい」

 

少女は、誰に向かって謝っているのかも分からないまま、呟いた。

 

「私、覚えていないの」

 

墓の下に何があるのか。

 

誰がここに埋められたのか。

 

そもそも、これは本当に墓なのか。

 

何も分からない。

 

けれど、少女には一つだけ、確かなことがあった。

 

この場所に、誰かがいた。

 

その誰かは、今はいない。

 

そして。

 

その不在を、誰かが悲しんでいる。

 

少女自身なのか。

 

墓の下にいる者なのか。

 

それとも、まだ存在していない誰かなのか。

 

彼女には、分からなかった。

 

「……誰なの?」

 

少女は、墓標のない墓に問いかけた。

 

「あなたは、誰なの?」

 

その瞬間。

 

白い空間に、初めて音が生まれた。

 

カチリ。

 

何かの歯車が、噛み合う音だった。

 

少女が顔を上げる。

 

遠くの地面に、一本の黒い線が現れた。

 

線は、ゆっくりと広がっていく。

 

そこから、文字が浮かび上がった。

 

『第一接続者の記録を検出』

 

少女は、その文字を見つめた。

 

「……接続者?」

 

続いて、二つ目の記録が現れた。

 

『死亡記録――未登録』

 

三つ目。

 

『出生記録――未登録』

 

四つ目。

 

『存在証明――未登録』

 

そして、最後に。

 

『記録対象――世界成立以前』

 

少女の表情が変わった。

 

何かを思い出しかけたように、額に手を当てる。

 

「……違う」

 

小さな声だった。

 

「違うよ……」

 

何が違うのか。

 

自分でも分からない。

 

けれど、その記録は、間違っている。

 

そう思った。

 

少女は、地面に手をついた。

 

「この人は……」

 

言葉が途切れる。

 

誰かの名前を呼ぼうとした。

 

しかし、名前が出てこない。

 

顔も思い出せない。

 

声も思い出せない。

 

それでも。

 

その人が、そこにいたことだけは、覚えている気がした。

 

「……この人は、ちゃんといたの」

 

少女の声が震えた。

 

「存在していたことになっていないからって、いなかったことにはならないよ」

 

白い空間に、少女の言葉が響いた。

 

その瞬間。

 

墓の下から、微かな音が聞こえた。

 

まるで、誰かが内側から、墓の壁を叩いたような音だった。

 

一度。

 

二度。

 

三度。

 

少女は、息を止めた。

 

「……いるの?」

 

返事はない。

 

だが、音は続いた。

 

トン。

 

トン。

 

トン。

 

少女は、震える手を伸ばした。

 

その指先が、地面に触れた瞬間。

 

白い世界に、無数の記録が流れ込んだ。

 

世界が生まれる前。

 

まだ名前が存在しなかった頃。

 

まだ死という概念が存在しなかった頃。

 

そして。

 

誰かが、初めて「失いたくない」と願った瞬間。

 

少女の目が見開かれた。

 

その願いは、誰かを愛した者の願いだった。

 

誰かを守りたいと願った者の願いだった。

 

誰かを失うことを恐れた者の願いだった。

 

けれど、それだけではない。

 

その願いの奥には、もっと古い何かがあった。

 

誰かを守りたいと願う以前に。

 

誰かを失いたくないと願う以前に。

 

誰かと一緒にいたいと願う以前に。

 

そもそも、誰かが存在していてほしいという願い。

 

少女は、その願いに触れた。

 

そして、聞いた。

 

「……誰か、いるの?」

 

声は、少女のものではなかった。

 

少女の記憶にもない。

 

だが、その声は、確かにそこに存在した。

 

「誰か、私のことを覚えていますか?」

 

少女は、顔を上げた。

 

「……あなたは、誰なの?」

 

白い空間が、揺れた。

 

「私は……」

 

声が途切れた。

 

まるで、自分の名前を思い出せないように。

 

「私は、誰だったのでしょう」

 

その問いに、少女は答えられなかった。

 

そして。

 

白い墓地に、初めて、一つの墓標が現れた。

 

そこには、文字が刻まれていた。

 

『最初に死んだ者』

 

名前はなかった。

 

少女は、その文字を見つめた。

 

やがて、唇を震わせながら呟いた。

 

「……死んだ?」

 

世界が生まれる前に。

 

死という概念が存在する前に。

 

誰かが、死んだ。

 

その記録だけが、ここに残っていた。

 

そして、墓の下から、最後の声が聞こえた。

 

「……私は、死んだのでしょうか?」

 

少女は、答えられなかった。

 

答えを知っている者が、この世界には存在しなかったからだ。

 

第二節 死神が知らない死

「……死者が、死んだ?」

 

死神は、画面に表示された記録を見つめていた。

 

「説明してくれ。今の記録は、どういう意味だ?」

 

安寧システムが応答する。

 

『対象の記録は、世界成立以前に分類されています』

 

「それは分かっている」

 

『当該記録には、死亡を示す情報が存在します』

 

「それも分かっている」

 

死神は、画面を指した。

 

「私が聞いているのは、なぜ世界成立以前に死亡記録が存在するのか、ということだ」

 

数秒の沈黙。

 

『回答不能』

 

「……そうか」

 

死神は、椅子に深く腰掛けた。

 

彼は、死を扱う存在だった。

 

死者を見送り、生者の悲嘆を受け止め、記憶と別れに関わってきた。

 

少なくとも、そう理解していた。

 

だが、今になって、その前提が揺らいでいる。

 

死とは何か。

 

生命活動の停止か。

 

人格の消失か。

 

記録の断絶か。

 

誰かの記憶から失われることか。

 

あるいは。

 

存在そのものが、世界から消えることなのか。

 

死神は、これまで何度も死を見てきた。

 

しかし、世界が生まれる前の死は、見たことがない。

 

そもそも、その時点では、死神自身が存在していたのかさえ分からない。

 

彼の記録には、世界成立以前の登録履歴がある。

 

だが、その履歴に対応する記憶は失われている。

 

そして、その空白の中には、誰かの名前があったはずだった。

 

「……私が最初に眠らせた人」

 

死神は、過去に聞いた声を思い出した。

 

『あなたが、最初に眠らせた人』

 

あの言葉は、誰が言ったのか。

 

少女だったのか。

 

世界の外側にいる何かなのか。

 

あるいは、彼自身の記憶が作り出した幻なのか。

 

「安寧システム。私の記録を、もう一度確認してくれ」

 

『対象を指定してください』

 

「世界成立以前の登録履歴。特に、私の存在が記録された最初の時点だ」

 

『検索を開始します』

 

画面が切り替わった。

 

無数の記録が流れていく。

 

出生。

 

死亡。

 

人格登録。

 

記憶の保存。

 

世界成立。

 

そして、死神自身の登録記録。

 

『対象記録を検出』

 

「見せてくれ」

 

画面に、記録が表示された。

 

『存在登録――世界成立以前』

 

『登録者――未定義』

 

『登録目的――未定義』

 

『初期記憶――欠損』

 

『関連記録――第一接続者』

 

死神の目が止まった。

 

「……第一接続者?」

 

『肯定』

 

「その記録を開いてくれ」

 

『アクセス権限がありません』

 

死神は、目を細めた。

 

「私の記録に関連付けられているのに、私には閲覧できないのか?」

 

『肯定』

 

「誰が権限を設定した?」

 

『登録者――未定義』

 

死神は、沈黙した。

 

誰が自分を登録したのか分からない。

 

何のために登録されたのか分からない。

 

自分がいつ、どこで生まれたのかも分からない。

 

そして、第一接続者という存在が、なぜ自分の記録に結びついているのかも分からない。

 

「……安寧システム」

 

『はい』

 

「もし、世界成立以前に死者が存在したとしたら、それは死と呼べるのか?」

 

システムは、即答しなかった。

 

『死の定義によります』

 

「現在の世界における死の定義を使うなら?」

 

『世界成立以前には、現在の定義を適用できない可能性があります』

 

「では、死という概念が存在しなかった時点で、誰かが存在しなくなったとしたら?」

 

『その現象を、現在の定義における死と同一視できるかは不明です』

 

死神は、頷いた。

 

「……そうだな」

 

彼は、ようやく気づいた。

 

自分は、死を知っているつもりだった。

 

しかし、知っているのは、世界が成立した後の死だけなのかもしれない。

 

生まれた者が死ぬ。

 

生きていた者が、いなくなる。

 

残された者が悲しむ。

 

記憶が残る。

 

別れが生まれる。

 

それらは、現在の世界における死の形だ。

 

では、世界が生まれる前には。

 

まだ生まれていない者が、いなくなることはあるのか。

 

存在することになっていない者が、存在しなくなることはあるのか。

 

そして。

 

存在することになっていない者が、誰かに覚えていてほしいと願うことはあるのか。

 

死神は、静かに目を閉じた。

 

「……私は、その死を知らない」

 

『肯定』

 

「だが、知らないからといって、存在しなかったとは言えない」

 

『その解釈は成立します』

 

死神は、画面を見つめた。

 

「第一接続者の記録を復元する方法は?」

 

『復元手順が存在します』

 

「教えてくれ」

 

『復元には、記録の所有者による承認が必要です』

 

死神は、息を吐いた。

 

「……所有者が誰なのか分からないんだろう?」

 

『肯定』

 

「では、承認は誰が行う?」

 

『回答不能』

 

死神は、苦笑した。

 

「……ずいぶんと厄介な仕組みだな」

 

『補足します』

 

システムの声が、少しだけ変化した。

 

『当該記録は、現在の世界に存在する個人の記憶領域に属していない可能性があります』

 

「どういうことだ?」

 

『記録が、個人ではなく、共有記録領域に保存されている可能性があります』

 

死神は、すぐに意味を理解した。

 

「……集合無意識か」

 

『分類は未確定です』

 

「分かっている。まだ断定はできない」

 

集合無意識。

 

個人の意識を超えて共有される、記憶やイメージ、感情の領域。

 

それが実在する世界の仕組みなのか。

 

それとも、複数の記録を説明するための仮説にすぎないのか。

 

現時点では、証明されていない。

 

しかし、もしデウス・マキナが、その領域へ接続するための装置だとしたら。

 

第一接続者の記録が、そこに保存されている可能性はある。

 

「……だが、なぜ記録の所有者がいない?」

 

死神は呟いた。

 

「誰かの記憶なら、その誰かがいるはずだ。共有記録だとしても、何らかの形で記憶する者がいるはずだ」

 

『その前提が成立しない可能性があります』

 

「……どういう意味だ?」

 

『記録の保存と、記録を保存する主体の存在が、同時に成立していない可能性があります』

 

死神は、画面を見つめた。

 

記録がある。

 

しかし、記録を保存した者がいない。

 

誰かが死んだ。

 

しかし、死を定義する世界が存在しない。

 

誰かの願いが記録されている。

 

しかし、その願いを持った者が見つからない。

 

それは、記録の欠損ではないのかもしれない。

 

むしろ。

 

記録という仕組みそのものが、現在の世界とは異なる原理で成立していた可能性がある。

 

「……世界が生まれる前には、今とは違う形で、何かが存在していたのか」

 

その問いに、システムは答えなかった。

 

代わりに、画面に一つの記録が表示された。

 

『第一接続者の死亡記録――復元可能性あり』

 

死神は、立ち上がった。

 

「……場所を特定できるか?」

 

『部分的に可能です』

 

「どこだ?」

 

『ユグドラシル関連領域。未分類の共有記録領域。デウス・マキナ接続経路の先です』

 

死神は、画面を見つめた。

 

「……行くしかないか」

 

『警告します』

 

「何だ?」

 

『当該領域への接続は、現在の世界における記憶の定義を変更する可能性があります』

 

「具体的には?」

 

『回答不能』

 

「……そうだろうな」

 

死神は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「それでも、行く」

 

彼は、迷わなかった。

 

世界の根源を知るためだけではない。

 

誰かの記録が残っているのなら。

 

その者が、存在したことになっていないのなら。

 

少なくとも、自分は、その記録を無視したくなかった。

 

死神は、端末に手を伸ばした。

 

だが、その瞬間。

 

画面に、新たな警告が表示された。

 

『接続予定者――死神』

 

『接続者の記録――第一接続者との関連を検出』

 

『代償候補――死神自身の初期記憶』

 

死神の手が止まった。

 

「……私の記憶だと?」

 

『肯定』

 

「接続するために、私の初期記憶が必要なのか?」

 

『必要性は未確定です』

 

「では、なぜ代償候補になっている?」

 

『第一接続者との関連が確認されているためです』

 

死神は、しばらく画面を見つめていた。

 

初期記憶。

 

自分が何者なのかを知るための、最初の記憶。

 

それを失えば、自分が何者なのか、さらに分からなくなるかもしれない。

 

だが。

 

もし、その記憶の中に、最初に死んだ者の情報があるのなら。

 

もし、その記憶が、第一接続者の存在を証明するために必要なのだとしたら。

 

「……それでも、私は」

 

言葉が途切れた。

 

かつてなら、彼は迷わず差し出したかもしれない。

 

誰かを救うためなら、自分の記憶を失ってもいい。

 

誰かを見つけるためなら、自分が何者なのか分からなくなってもいい。

 

そう考えていた可能性はある。

 

だが、今は違う。

 

彼は、出久の言葉を思い出した。

 

『誰かを救いたいっていう気持ちを、誰かに決めてもらいたくない』

 

そして、少女の言葉を思い出した。

 

『あなたは、誰を救ったのですか?』

 

死神は、端末から手を離した。

 

「……まだ、接続はしない」

 

『理由を確認します』

 

「代償の内容が確定していない。第一接続者の記録の所有者も分からない。そして、私自身の記憶を差し出すことが、本当に必要なのかも分からない」

 

彼は、画面を見据えた。

 

「分からないことを、分からないままにしておく。それが今の私にできる、最も誠実な判断だ」

 

システムは、数秒間沈黙した。

 

やがて、表示が更新された。

 

『接続――保留』

 

死神は、頷いた。

 

だが、その直後。

 

画面の奥で、誰かが笑ったような気がした。

 

ほんの一瞬。

 

音ではない。

 

記録でもない。

 

ただ、誰かが、こちらの判断を見届けたような感覚。

 

死神は、画面を見つめた。

 

「……誰だ?」

 

返事はなかった。

 

しかし、画面の隅に、見覚えのない一文が浮かび上がった。

 

――あなたは、今度は差し出さなかったのですね。

 

死神の表情が凍りついた。

 

今度は。

 

まるで、以前にも同じことがあったかのような言い方だった。

 

彼は、静かに呟いた。

 

「……私は、以前にも、何かを差し出したのか?」

 

画面は、何も答えなかった。

 

そして、彼の失われた記憶の奥で。

 

誰かが、確かに泣いていた。

 

第三節 世界が生まれる前の記録庫

ユグドラシルには、通常の記録庫とは別に、所在の確定していない領域が存在していた。

 

それは、ユグドラシルの内部にあるのか。

 

アカシックレコードの一部なのか。

 

それとも、両者を成立させている何らかの基盤なのか。

 

現時点では、どの説明も確定していない。

 

安寧システムは、その領域を便宜上、**「未分類記録域」**と呼んでいた。

 

死神が訪れたのは、その入口だった。

 

そこには、扉がなかった。

 

壁もなかった。

 

ただ、何もない空間の中央に、一本の樹木が立っていた。

 

枝は、空へ伸びていない。

 

根は、地面へ伸びていない。

 

樹木は上下の区別を持たず、幾重にも分かれた枝と根を、同じ方向へ広げていた。

 

その一本一本に、小さな光が宿っている。

 

光の中には、映像があった。

 

誰かが生まれる瞬間。

 

誰かが名前を呼ばれる瞬間。

 

誰かが初めて笑った瞬間。

 

誰かが大切な人と別れる瞬間。

 

誰かが、もう戻らない人の名前を呼ぶ瞬間。

 

生きた者の記憶。

 

死んだ者の記憶。

 

まだ起こっていない出来事のように見える映像。

 

そして、何が記録されているのかさえ分からない光。

 

死神は、樹木を見上げた。

 

「……これが、ユグドラシルなのか?」

 

『照合できません』

 

安寧システムの声が返ってくる。

 

「ユグドラシルの記録と一致しない?」

 

『一部の構造に類似性があります。しかし、現在確認されているユグドラシルの記録とは、根本的な相違があります』

 

「相違点は?」

 

『本来、ユグドラシルの記録は、世界の構造と生命の記録を相互に関連付けています。当該樹木は、その関係性を確認できません』

 

死神は、眉を寄せた。

 

「生命が存在しなくても、記録だけが存在しているということか?」

 

『可能性があります』

 

死神は、樹木の根元に近づいた。

 

その瞬間、枝の一つが震えた。

 

光が、一つ落ちてくる。

 

死神は手を伸ばした。

 

光は、彼の指先に触れた瞬間、小さな映像へ変化した。

 

そこには、二人の人物がいた。

 

一人は、顔の分からない大人。

 

もう一人は、幼い子供。

 

大人は、子供を抱きしめていた。

 

子供は、泣いていた。

 

『……ねえ』

 

子供の声が聞こえた。

 

『どうして、みんな、いなくなっちゃうの?』

 

大人は答えなかった。

 

子供は、続けた。

 

『ずっと一緒にいられたらいいのに』

 

その言葉を聞いた瞬間、死神の胸に、言葉にできない痛みが走った。

 

映像の中の大人は、子供を抱きしめる腕に力を込めた。

 

そして、ようやく答えた。

 

『……そうだね』

 

大人の声は、優しかった。

 

『ずっと一緒にいられたら、いいね』

 

映像は、そこで終わった。

 

光が消える。

 

死神は、しばらく動かなかった。

 

「……今のは、誰の記憶だ?」

 

『記録所有者を特定できません』

 

「記録された時期は?」

 

『不明』

 

「世界成立以前か?」

 

『判定できません』

 

死神は、目を閉じた。

 

この記憶は、確かに誰かのものだった。

 

少なくとも、そう感じられた。

 

だが、その誰かが分からない。

 

名前も、顔も、記録された時代も分からない。

 

それでも、子供の願いだけは、はっきりと伝わってきた。

 

ずっと一緒にいたい。

 

誰かがいなくなることを、嫌だと思った。

 

それは、どこにでもある願いだった。

 

だからこそ、恐ろしかった。

 

もし、この願いが世界成立以前の記録だとしたら。

 

人間が生まれる前から、誰かは誰かを失うことを恐れていたことになる。

 

あるいは。

 

人間という存在そのものが、そうした願いから生まれたのだろうか。

 

死神は、樹木の奥を見つめた。

 

「……第一接続者の記録を探してくれ」

 

『検索を開始します』

 

枝が、一本ずつ明滅した。

 

膨大な記録が、死神の前を流れていく。

 

だが、第一接続者の記録は見つからない。

 

代わりに、奇妙な記録ばかりが表示された。

 

『第一接続者――記録あり』

 

『第一接続者――記録なし』

 

『第一接続者――対象不在』

 

『第一接続者――記録対象を定義できません』

 

同じ対象を検索しているはずなのに、結果が一致しない。

 

死神は、安寧システムに尋ねた。

 

「なぜ、検索結果が矛盾している?」

 

『同一の対象を参照しているか、確認できません』

 

「同じ名前の別人ということか?」

 

『名前が存在しません』

 

「……では、同じ対象だという根拠は?」

 

『参照先の一致です』

 

死神は、樹木を見た。

 

「参照先が同じなのに、記録が違う?」

 

『肯定』

 

死神は、考え込んだ。

 

記録が矛盾しているのではない。

 

そもそも、同じ対象を記録しているという前提が、成立していない可能性がある。

 

第一接続者という言葉は、名前ではない。

 

人物の分類ですらない。

 

ただ、何らかの条件を満たした存在に与えられる役割なのかもしれない。

 

そして、その役割を担う者が、記録ごとに異なっているのだとしたら。

 

「……第一接続者は、一人とは限らないのか」

 

『その可能性は否定できません』

 

死神は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「なるほど。最初から、一人の人物だと決めつけていたのが間違いだったのかもしれない」

 

そのとき。

 

樹木の中央に、黒い空洞が現れた。

 

光を吸い込むような穴だった。

 

周囲の記録が、一斉に消えていく。

 

死神は、とっさに身構えた。

 

「何だ?」

 

『未登録の領域が展開しています』

 

「危険性は?」

 

『判定不能』

 

「……またか」

 

死神は、黒い空洞を見つめた。

 

その奥には、何も見えない。

 

しかし、何もないわけではなかった。

 

そこには、無数の声があった。

 

声は重なり、混ざり合い、互いの輪郭を失っていた。

 

泣いている声。

 

笑っている声。

 

誰かを呼ぶ声。

 

誰かを責める声。

 

誰かに許しを求める声。

 

誰かを許せないと叫ぶ声。

 

そして。

 

そのすべての奥に、ひとつだけ、奇妙なほど静かな声があった。

 

『……覚えていますか?』

 

死神は、息を止めた。

 

その声は、先ほどの記録にあった子供の声に似ていた。

 

『私たちは、ここにいたのです』

 

黒い空洞が、ゆっくりと広がった。

 

『世界が生まれる前から』

 

死神は、一歩踏み出した。

 

「君たちは、誰だ?」

 

声が重なった。

 

『分かりません』

 

『名前がありません』

 

『記録がありません』

 

『誰も覚えていません』

 

『私たちが存在したことを、証明できません』

 

その言葉に、死神は何も答えられなかった。

 

そして、最後に。

 

すべての声が、同じ言葉を口にした。

 

『それでも、私たちは、ここにいたのです』

 

死神は、静かに目を閉じた。

 

自分は、何を調べに来たのだろう。

 

最初に死んだ者を見つけるためか。

 

世界の根源を知るためか。

 

それとも。

 

誰も覚えていない存在が、本当に存在していたのかを確かめるためか。

 

どれも、間違いではない。

 

しかし、今は、もっと大切なことがあった。

 

「……分かった」

 

死神は、黒い空洞に向かって言った。

 

「君たちが誰なのか、まだ分からない。君たちが本当に世界成立以前から存在していたのかも、今の私には証明できない」

 

声は、静かに彼を待っていた。

 

「だが、分からないからといって、君たちがいなかったことにはしない」

 

黒い空洞が、かすかに震えた。

 

「君たちの記録を、勝手に作ることもしない。君たちが何を望んでいたのか、私が代わりに決めることもしない」

 

死神は、続けた。

 

「……だから、話してくれないか」

 

誰も覚えていない者たちに。

 

「君たちは、何を失ったんだ?」

 

その瞬間。

 

黒い空洞の奥で、何かが動いた。

 

それは、人の形に似ていた。

 

しかし、顔がなかった。

 

目も、鼻も、口もない。

 

ただ、そこに立っている。

 

死神は、その存在を見つめた。

 

すると、声が聞こえた。

 

『私たちは……』

 

その存在は、ゆっくりと手を伸ばした。

 

『失ったものを、覚えていません』

 

死神は、息を呑んだ。

 

『誰かを失ったのかもしれません』

 

『自分自身を失ったのかもしれません』

 

『最初から、何も持っていなかったのかもしれません』

 

声が、わずかに震えた。

 

『……だから、教えてほしいのです』

 

死神は、動かなかった。

 

『私たちは、何を失ったのでしょうか?』

 

その問いは、死神がこれまで聞いてきたどの問いよりも、答えにくいものだった。

 

失ったものが分からない。

 

失ったという記憶さえない。

 

それでも、何かを失ったという感覚だけが残っている。

 

それは、喪失と呼べるのだろうか。

 

それとも、喪失という言葉すら、現在の世界で生まれた概念にすぎないのだろうか。

 

死神は、静かに答えた。

 

「……私にも、まだ分からない」

 

その存在は、うなずいたように見えた。

 

『そうですか』

 

「だが、一緒に探すことはできる」

 

その瞬間。

 

黒い空洞の奥に、無数の光が戻ってきた。

 

そして、その中央に、一つの文字列が浮かび上がった。

 

『第一接続者――記録復元条件を満たしました』

 

死神は、画面を見つめた。

 

「……何をした?」

 

『回答不能』

 

「私が、何かをしたのか?」

 

『接続操作は確認されていません』

 

「では、なぜ条件が満たされた?」

 

安寧システムは、答えられなかった。

 

その代わり、樹木の枝が一本、死神の前へ伸びてきた。

 

枝には、一つの光が宿っていた。

 

その光の中に、短い文章が刻まれていた。

 

『第一接続者は、誰かに自分を覚えていてほしいと願った』

 

死神は、文字を見つめた。

 

その願いは、あまりにも単純だった。

 

世界を支配したいわけではない。

 

永遠の命がほしいわけでもない。

 

すべての苦痛を消したいわけでもない。

 

ただ。

 

自分が存在したことを、誰かに覚えていてほしい。

 

その願いだけが、世界成立以前の記録に残されていた。

 

死神は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……そうか」

 

その言葉を聞いた瞬間。

 

黒い空洞の奥から、誰かの泣き声が聞こえた。

 

第四節 最初の願いは、世界を救うためではなかった

「世界を救いたい、という願いではなかった?」

 

観察者は、死神の報告を聞き、静かに尋ねた。

 

死神は、首を横に振った。

 

「今のところ、確認できた最古の記録には、そんなことは書かれていない」

 

二人は、安寧システムの管理領域にいた。

 

死神が持ち帰った記録は、厳重に保護されている。

 

ただし、復元されたのは一部分だけだった。

 

第一接続者の記録。

 

その中にあった、最初の願い。

 

『誰かに自分を覚えていてほしい』

 

観察者は、その文章を見つめていた。

 

「……それは、ずいぶん人間的な願いだね」

 

「人間的、か」

 

死神は、少しだけ苦笑した。

 

「人間が生まれる前の記録だとすれば、妙な表現だな」

 

「だからこそ、考える必要がある」

 

観察者は、画面から目を離さなかった。

 

「人間的な願いが先にあったのか。それとも、人間という存在が、その願いから生まれたのか」

 

「どちらも、まだ仮説だ」

 

「そうだね」

 

観察者は、頷いた。

 

「でも、もう一つ可能性がある」

 

死神は、彼を見た。

 

「何だ?」

 

「私たちが、願いという言葉を使っていること自体が、間違っている可能性だ」

 

死神は、黙った。

 

「世界成立以前の存在が、現在の人間と同じ意味で願っていたとは限らない。私たちは、記録に残された情報を、現在の概念に当てはめて理解しようとしている」

 

観察者は、画面を拡大した。

 

「この記録が本当に示しているのは、願いなのか。それとも、存在を維持しようとする何らかの作用なのか」

 

「……存在を維持する作用」

 

「そう。誰かに覚えていてほしいという願いは、言い換えれば、自分が存在していたことを失わせないでほしいという要求でもある」

 

観察者は、少し考えてから続けた。

 

「ただし、それはあくまで解釈だ。第一接続者が何を考えていたのか、本人の言葉で確認できたわけではない」

 

死神は、頷いた。

 

「同意する」

 

観察者は、画面を切り替えた。

 

そこには、ユグドラシル、アカシックレコード、未分類記録域の関係を示す暫定図が表示されていた。

 

ユグドラシルは、世界の構造と生命の記録をつなぐものとして仮定されている。

 

アカシックレコードは、世界に関する情報を保存する領域として仮定されている。

 

そして、未分類記録域は、その二つの仕組みでは説明できない記録を含んでいる。

 

「もし、この三つが関連しているのなら」

 

観察者は言った。

 

「デウス・マキナは、単に集合無意識へ接続する装置ではないのかもしれない」

 

「……記録の保存領域そのものへ接続する?」

 

「あるいは、記録が成立する条件へ接続する装置なのかもしれない」

 

死神は、画面を見つめた。

 

記録が成立する条件。

 

それは、記録を保存する仕組みよりも、さらに根本的な問題だった。

 

何かを記録するためには、記録される対象が必要だ。

 

対象が存在するためには、何らかの形で存在を定義する仕組みが必要になる。

 

だが、世界成立以前の記録には、その定義が存在しない。

 

それなのに、記録だけが残っている。

 

「……もし、デウス・マキナが、その矛盾に触れられる装置なら」

 

死神は、ゆっくりと言った。

 

「接続者の記憶が代償になる理由も、説明できるかもしれない」

 

観察者は、彼を見た。

 

「どういうことだ?」

 

「記憶は、単に過去の情報ではない。自分が何者なのかを理解するための、一つの根拠でもある」

 

死神は、続けた。

 

「もし装置が、世界成立以前の記録に接続するために、現在の世界における存在の定義を一時的に外す必要があるのなら……接続者の記憶が、何らかの形で影響を受ける可能性はある」

 

「なるほど」

 

観察者は、静かに頷いた。

 

「だが、それが本当に必要な代償なのかは、まだ分からない」

 

「そうだ。だから、接続は保留している」

 

観察者は、安堵したように息を吐いた。

 

「よかった」

 

死神は、彼を見た。

 

「何がだ?」

 

「君が、記憶を差し出してしまうのではないかと思っていた」

 

死神は、少しだけ目を伏せた。

 

「……私も、以前ならそうしていたかもしれない」

 

「今は違う?」

 

「今は、誰かを救うために自分を犠牲にすることが、本当に必要なのかを疑うようになった」

 

死神は、静かに言った。

 

「自分が何を失うのか分からないまま、それを差し出すことは、覚悟とは呼べない」

 

観察者は、何も言わなかった。

 

その言葉には、彼自身が知っている罪があったからだ。

 

誰かのために、何かを決めた。

 

誰かを守るために、誰かの選択肢を奪った。

 

誰かの苦痛をなくすために、誰かの記憶を消した。

 

その結果、世界を安定させたつもりだった。

 

しかし、その安定は、誰かの意思を犠牲にして成り立っていた。

 

「……死神」

 

観察者が、静かに呼びかけた。

 

「もし、最初の願いが、本当に誰かに覚えていてほしいというものだったのなら」

 

「うん」

 

「その願いを叶えるために、世界が生まれた可能性はあるのだろうか」

 

死神は、すぐには答えなかった。

 

世界が生まれた理由。

 

生命が存在する理由。

 

人間が願いを持つ理由。

 

それらを、一つの願いで説明することはできるのだろうか。

 

もし、誰かが存在したことを覚えていてほしいと願った。

 

その願いを叶えるために、記録が生まれた。

 

記録を残すために、世界が生まれた。

 

世界が生まれたことで、生命が生まれた。

 

生命が生まれたことで、記憶が生まれた。

 

そして、記憶を持つ者が、誰かを覚えているようになった。

 

そんな連鎖が、本当に存在したのだろうか。

 

「……可能性はある」

 

死神は答えた。

 

「だが、今の段階で、それを世界の起源だと断定することはできない」

 

「そうだね」

 

観察者は、頷いた。

 

「私たちは、答えを急ぎすぎていたのかもしれない」

 

そのとき。

 

端末が、警告音を発した。

 

『未登録記録の追加を検出』

 

死神と観察者は、同時に画面を見た。

 

そこには、新たな文章が表示されていた。

 

『第一接続者の願い――記録復元完了』

 

続いて、二つ目。

 

『願いの実現状況――未確認』

 

そして、三つ目。

 

『願いの受領者――不明』

 

観察者が、眉を寄せた。

 

「……受領者?」

 

死神は、画面に近づいた。

 

「誰かに覚えていてほしいという願いを、誰が受け取ったのか、ということか」

 

『回答不能』

 

観察者は、静かに呟いた。

 

「願った者がいた。だが、その願いを受け取った者が分からない」

 

死神は、頷いた。

 

「そして、願いが叶ったのかどうかも分からない」

 

画面に、新たな一文が浮かび上がった。

 

『記録の保存を確認』

 

その下には、こう記されていた。

 

『存在の保存は、未確認』

 

二人は、しばらく沈黙した。

 

記録は残っている。

 

第一接続者の願いも残っている。

 

しかし、記録が残っていることと、願いが叶ったことは同じではない。

 

誰かの名前が記録されているからといって、その人物が今も存在しているとは限らない。

 

誰かの記憶が保存されているからといって、その人物の意思まで保存されているとは限らない。

 

そして。

 

誰かの願いが記録されているからといって、その願いを誰かが聞いたとは限らない。

 

死神は、ゆっくりと目を閉じた。

 

「……まだ、聞かれていない願いがあるのかもしれないな」

 

観察者は、画面を見つめた。

 

「そして、その願いを聞くために、世界が必要だったのかもしれない」

 

「……あるいは、世界が生まれたことで、聞かれなくなった願いもあるのかもしれない」

 

その瞬間。

 

画面が、暗転した。

 

そして、誰の声とも分からない声が響いた。

 

『……私は、聞いていたのです』

 

死神は、顔を上げた。

 

『ずっと、聞いていたのです』

 

観察者が立ち上がった。

 

「誰だ?」

 

返事はなかった。

 

ただ、その声は、確かに悲しそうだった。

 

『けれど……』

 

一瞬の沈黙。

 

『誰の声を聞いていたのか、分からなくなりました』

 

死神の胸に、冷たいものが走った。

 

誰かの願いを聞いていた。

 

しかし、その願いを持つ者が分からなくなった。

 

願いを叶えることはできたのかもしれない。

 

だが、誰の願いを叶えたのか、分からなくなってしまった。

 

それは、救済だったのだろうか。

 

それとも。

 

願いの所有者を失った、最初の過ちだったのだろうか。

 

第五節 少女は、死者の名前を知らない

「……お兄ちゃん」

 

出久は、足を止めた。

 

声が聞こえた気がした。

 

振り返る。

 

誰もいない。

 

廊下の向こうには、いつもの照明が並んでいる。

 

窓の外には、夕暮れの光が差し込んでいた。

 

何も変わっていない。

 

それなのに、出久は確かに聞いた。

 

お兄ちゃん、と。

 

「……誰?」

 

声に出してから、出久は自分でも驚いた。

 

なぜ、その言葉が気になったのか。

 

なぜ、聞き覚えがあるように感じたのか。

 

分からない。

 

ただ、その声は、どこか懐かしかった。

 

懐かしいというより。

 

ずっと昔から、自分のすぐそばにあった声が、突然、遠くから聞こえてきたような感覚だった。

 

出久は、端末を取り出した。

 

そこには、安寧システムからの通知が表示されていた。

 

『未登録記録との接触を検出』

 

『接触対象――患者番号零』

 

『接触方法――未確定』

 

『記憶への影響――確認中』

 

出久は、画面を見つめた。

 

「……患者番号零」

 

あの少女。

 

自分の存在を覚えていてほしいと願っていた、名前のない少女。

 

彼女は、以前、死神にこう言ったという。

 

『あなたが、最初に忘れた人』

 

そして、彼女は出久に対しても、何かを伝えようとしている。

 

だが、まだ会っていない。

 

少なくとも、現在の記録では。

 

「……安寧システム」

 

『はい』

 

「今の声は、患者番号零なのか?」

 

『接触記録を確認します』

 

数秒の沈黙。

 

『音声情報を検出できません』

 

「でも、記録には接触したって書いてある」

 

『記録上の接触と、音声による接触は、同一ではない可能性があります』

 

出久は、眉を寄せた。

 

「……つまり、声が聞こえたのは、僕の記憶の中だけかもしれない?」

 

『可能性があります』

 

「それとも、記録そのものが、僕に声を聞かせたのかもしれない?」

 

『その可能性も否定できません』

 

出久は、端末を握りしめた。

 

自分の記憶が作り出した声なのか。

 

誰かが記録を通して届けた声なのか。

 

あるいは、まだ出会っていない誰かの願いが、自分の意識に触れたのか。

 

何も分からない。

 

だが、ひとつだけ確かなことがあった。

 

出久は、その声を無視したくなかった。

 

「……患者番号零の記録に、アクセスできる?」

 

『限定的に可能です』

 

「見せてほしい」

 

『記録の閲覧には、保護対象者の意思確認が必要です』

 

出久は、少し考えた。

 

「……そうだね。勝手に見るわけにはいかない」

 

彼は、端末を閉じようとした。

 

しかし、その前に。

 

新しい通知が表示された。

 

『保護対象者からの接触要求を検出』

 

出久の手が止まった。

 

「……接触要求?」

 

『肯定』

 

「誰から?」

 

画面に、文字が浮かび上がる。

 

『患者番号零』

 

出久は、息を呑んだ。

 

『接触目的――未登録』

 

『接触方法――未登録』

 

『接触先――緑谷出久』

 

そして。

 

『本人の意思――確認済み』

 

出久は、しばらく画面を見つめた。

 

「……彼女が、僕と話したいって?」

 

『記録上は、そのように解釈できます』

 

出久は、静かに息を吐いた。

 

「……分かった」

 

彼は、画面に向かって言った。

 

「話を聞きたい。だけど、無理に何かを思い出させるつもりはないし、名前を教えてほしいと迫るつもりもない」

 

画面が明滅した。

 

『接触要求への応答――承認』

 

出久は、続けた。

 

「それから、もし君が話したくないことがあるなら、話さなくていい。僕が知らないことを、全部説明する必要もない」

 

しばらく、返事はなかった。

 

やがて。

 

画面に、短い文章が現れた。

 

『……ありがとう』

 

出久は、その文字を見つめた。

 

たった、それだけだった。

 

それだけなのに、胸の奥が痛んだ。

 

なぜだろう。

 

誰かに礼を言われることは、珍しくない。

 

助けた相手から、感謝されることもある。

 

しかし、この短い言葉には、何か別の意味があるように感じた。

 

長い間、誰にも話を聞いてもらえなかった者が、ようやく、自分の言葉を受け取ってもらえた。

 

そんな感覚があった。

 

次の文章が表示される。

 

『私は、あなたに会ったことがあるのでしょうか?』

 

出久は、目を見開いた。

 

「……それは」

 

答えられなかった。

 

彼女の記録には、自分との関連がある。

 

しかし、実際に会ったという記録はない。

 

少なくとも、現在確認できる範囲では。

 

出久は、慎重に言葉を選んだ。

 

「……今の僕には、分からない」

 

画面の向こうで、少女は何を思ったのだろう。

 

『そうですか』

 

返事は、それだけだった。

 

出久は、続けた。

 

「でも、もし会ったことがあるのなら、いつか思い出せるかもしれない。会ったことがないのなら、これから会うこともできる」

 

少し間を置いて、さらに付け加えた。

 

「……ただ、君が会いたくないなら、無理に会おうとはしない」

 

画面に、長い沈黙が流れた。

 

やがて。

 

『私は、会いたいです』

 

出久は、その言葉を見つめた。

 

『でも、あなたが私を覚えていなかったら、どうすればいいのでしょう?』

 

出久は、胸が締めつけられるような感覚を覚えた。

 

彼女は、何を恐れているのだろう。

 

忘れられることか。

 

自分が誰だったのか分からないことか。

 

あるいは。

 

自分が誰かにとって大切な存在だったという証拠さえ、失われてしまうことか。

 

出久は、ゆっくりと答えた。

 

「……そのときは、もう一度、話そう」

 

画面が明滅した。

 

「僕が君を覚えていなくても、君が僕を知らなくても。今から話すことはできる」

 

出久は、画面を見つめた。

 

「僕は、君が誰なのかを、最初から決めつけたくない。君がどんな人なのか、君自身の言葉で聞きたい」

 

しばらくして、返事が届いた。

 

『……あなたは、優しいのですね』

 

出久は、少し困ったように笑った。

 

「そうかな」

 

『はい』

 

「……でも、僕は、まだ何もできていないよ」

 

画面の向こうから、次の言葉が届いた。

 

『それでも、あなたは、私の声を聞いてくれました』

 

出久は、言葉を失った。

 

『私が誰なのか、分からなくても』

 

『私が、何を望んでいるのか、分からなくても』

 

『あなたは、聞いてくれました』

 

最後に、一つだけ。

 

『……それが、うれしかったのです』

 

出久は、しばらく画面を見つめていた。

 

そして、静かに答えた。

 

「……そっか」

 

彼は、端末を胸元に抱えた。

 

「なら、これからも、聞くよ」

 

その瞬間。

 

端末の奥で、何かが動いた。

 

出久の知らない記録。

 

出久の知らない時間。

 

出久の知らない誰かの願い。

 

それらが、一瞬だけ、彼の意識に触れた。

 

そして。

 

彼は、聞いた。

 

『……生まれなければ、よかったのでしょうか?』

 

少女の声だった。

 

だが、その声は、今の患者番号零の声とは少し違っていた。

 

もっと幼い。

 

もっと遠い。

 

何かを失う前の声。

 

あるいは、何かを失ったことさえ知らない頃の声。

 

出久は、思わず画面に向かって答えた。

 

「……そんなこと、ないよ」

 

言葉が、自然に口から出た。

 

「君が生まれてきたことを、誰かが勝手に間違いだったって決めることはできない」

 

画面が、強く明滅した。

 

出久は、はっとした。

 

今の言葉は、誰に向けたものだったのだろう。

 

患者番号零か。

 

まだ会っていない誰かか。

 

それとも。

 

自分自身の、記憶の奥にいる誰かか。

 

『……ありがとう』

 

少女の声が、聞こえた。

 

そして。

 

画面に、見慣れない記録が表示された。

 

『第一接続者との共鳴を検出』

 

『接続者候補――緑谷出久』

 

『接続状態――未成立』

 

『代償要求――発生していません』

 

出久は、その記録を見つめた。

 

「……代償が、発生していない?」

 

『肯定』

 

「どうして?」

 

『回答不能』

 

出久は、画面を見た。

 

「……僕は、何も差し出していない」

 

『肯定』

 

「記憶も、名前も、自分の存在も」

 

『肯定』

 

出久は、少しだけ笑った。

 

「……なら、まだ大丈夫なんだね」

 

しかし、画面の奥では。

 

世界成立以前の記録が、静かに変化していた。

 

誰かの願いが、初めて、代償を要求することなく、別の誰かに届いた。

 

それが何を意味するのか。

 

まだ、誰にも分からなかった。

 

ただ、その瞬間。

 

白い墓地の墓標に、ひとつの文字が刻まれた。

 

『聞いた者』

 

そして、その隣に。

 

もう一つの文字が浮かび上がった。

 

『答えた者』

 

第六節 死神は、自分の死を思い出す

死神は、夢を見ていた。

 

夢の中には、何もなかった。

 

空もない。

 

地面もない。

 

光もない。

 

ただ、そこに、自分が立っていた。

 

自分が立っているという感覚だけがある。

 

足元を見ても、何も見えない。

 

手を伸ばしても、何にも触れられない。

 

それなのに、自分が存在していることだけは分かった。

 

「……ここは、どこだ?」

 

声が響いた。

 

自分の声だった。

 

しかし、返事はなかった。

 

死神は、歩き始めた。

 

どこへ向かっているのか分からない。

 

それでも、歩かなければならない気がした。

 

しばらく進むと、遠くに光が見えた。

 

小さな光だった。

 

その光の中に、一人の人物が立っていた。

 

顔は見えない。

 

姿もはっきりしない。

 

ただ、誰かがそこにいる。

 

死神は、近づいた。

 

「……君は、誰だ?」

 

人物は、答えなかった。

 

「私は、君を知っているのか?」

 

沈黙。

 

「……私は、君を忘れたのか?」

 

その問いに、人物が初めて反応した。

 

ゆっくりと、顔を上げる。

 

そして。

 

「……あなたは、私を忘れたのではありません」

 

声が聞こえた。

 

死神は、息を止めた。

 

「あなたは、私を覚えることができなかったのです」

 

その言葉は、死神の胸に深く突き刺さった。

 

忘れたのではない。

 

覚えることができなかった。

 

その違いは、何なのだろう。

 

忘れるという行為には、以前、覚えていたという前提がある。

 

記憶が存在し、それが失われる。

 

しかし、覚えることができなかったというのなら。

 

そもそも、記憶が成立していなかったのかもしれない。

 

「……どういう意味だ?」

 

人物は、静かに答えた。

 

「あなたが私を覚えるためには、私が存在していなければならなかった」

 

死神は、黙っていた。

 

「けれど、私が存在するためには、誰かが私を覚えていなければならなかった」

 

人物は、続けた。

 

「……私たちは、互いを必要としていたのです」

 

死神は、何も言えなかった。

 

存在するためには、覚えてもらう必要がある。

 

覚えてもらうためには、存在している必要がある。

 

それは、どちらが先なのか分からない循環だった。

 

「……では、君は」

 

死神は、ようやく声を絞り出した。

 

「君は、私が覚えていなかったから、存在できなかったのか?」

 

人物は、首を横に振った。

 

「分かりません」

 

その返事に、死神は戸惑った。

 

「……分からない?」

 

「はい。私は、私が存在していたのかどうかさえ、分からないのです」

 

人物の声が、わずかに震えた。

 

「ただ、私は、誰かに覚えていてほしいと思ったのです」

 

死神は、目を閉じた。

 

第一接続者の願い。

 

誰かに自分を覚えていてほしい。

 

その記録が、彼の前にある。

 

そして、今、目の前の人物も、同じ願いを口にしている。

 

「……君が、第一接続者なのか?」

 

人物は、答えなかった。

 

代わりに、こう尋ねた。

 

「……あなたは、誰かを死なせたことがありますか?」

 

死神は、顔を上げた。

 

「……ある」

 

彼は、正直に答えた。

 

死を見届けたことがある。

 

別れに立ち会ったことがある。

 

誰かが戻らないことを、受け入れなければならない瞬間を知っている。

 

だが。

 

自分が誰かを死なせたのか。

 

自分が誰かの存在を終わらせたのか。

 

その問いに対して、彼は確信を持てなかった。

 

「……私は、死神だ」

 

人物は、静かに頷いた。

 

「知っています」

 

「だが、世界成立以前の死については、何も知らない」

 

「そうでしょうね」

 

「……君は、世界が生まれる前に死んだのか?」

 

人物は、しばらく黙っていた。

 

そして。

 

「……私は、死んだことになっているのでしょうか?」

 

死神は、答えられなかった。

 

「あなたは、死神です」

 

人物は、言った。

 

「あなたなら、死が何なのか、知っていると思っていました」

 

死神は、胸の奥が痛むのを感じた。

 

「……すまない」

 

人物は、首を横に振った。

 

「謝らないでください」

 

「だが、私は答えられない」

 

「それでも、いいのです」

 

人物は、静かに言った。

 

「あなたが答えられないということを、私は知ることができました」

 

死神は、顔を上げた。

 

「……何だって?」

 

「私は、ずっと、誰かに答えてほしかったのです」

 

人物は、続けた。

 

「私が存在していたのか。私が死んだのか。私が何を失ったのか。私が何を願っていたのか」

 

その声には、長い時間を経た疲労があった。

 

「けれど、誰も答えられませんでした」

 

人物は、死神を見つめた。

 

「……あなたも、答えられなかった」

 

死神は、頷いた。

 

「……ああ」

 

「でも、あなたは、分からないと言ってくれました」

 

死神は、何も言わなかった。

 

「私が何者なのか、勝手に決めませんでした」

 

人物は、静かに続けた。

 

「私が何を願っていたのか、あなたの都合で決めませんでした」

 

その瞬間。

 

人物の姿が、少しだけ鮮明になった。

 

顔は、まだ分からない。

 

だが、確かに、そこに誰かがいる。

 

「……ありがとう」

 

その言葉を聞いた瞬間。

 

死神の中で、何かが弾けた。

 

記憶が戻る。

 

いや。

 

記憶という形にさえなっていなかった何かが、初めて、彼の意識に触れた。

 

白い世界。

 

墓標のない墓。

 

誰かの声。

 

誰かの願い。

 

そして。

 

自分自身が、何かを差し出そうとしている光景。

 

目の前の人物が、叫んでいた。

 

『やめてください!』

 

死神は、息を呑んだ。

 

『あなたが、それを差し出してしまったら……』

 

人物の声が震えていた。

 

『あなたまで、いなくなってしまう!』

 

死神は、自分の手を見た。

 

そこには、何かがあった。

 

小さな光。

 

自分自身の記憶。

 

自分が何者なのかを証明する、最初の記録。

 

その光を、彼は誰かに差し出そうとしていた。

 

そして、目の前の人物は、それを止めようとしていた。

 

『……それでも』

 

記憶の中の死神が、答えた。

 

『誰かが、覚えていなければならない』

 

『誰かが、覚えていなければ、あなたは……!』

 

『……分かっている』

 

死神は、目の前の人物を見つめた。

 

『だから、私が覚えている』

 

その言葉の直後。

 

世界が、砕けた。

 

死神は、叫び声を上げて目を覚ました。

 

「――っ!」

 

目の前には、安寧システムの画面があった。

 

警告表示。

 

心拍情報。

 

記憶領域の異常な反応。

 

『意識状態を確認します』

 

死神は、息を整えた。

 

「……問題ない」

 

『記憶領域に変化が発生しています』

 

「分かっている」

 

『初期記憶の一部が、再構成されています』

 

死神は、画面を見つめた。

 

「……再構成?」

 

『肯定』

 

「誰が再構成した?」

 

『不明』

 

死神は、ゆっくりと目を閉じた。

 

夢の中で見た人物。

 

あの人物が、誰だったのか。

 

第一接続者なのか。

 

最初に死んだ者なのか。

 

それとも、別の存在なのか。

 

まだ分からない。

 

だが、一つだけ、確かなことがあった。

 

自分は、以前にも、誰かを覚えていようとした。

 

そして、そのために。

 

自分自身の何かを差し出そうとしていた。

 

「……私は」

 

死神は、呟いた。

 

「誰を、覚えていようとしたんだ?」

 

返事はなかった。

 

しかし、彼の記憶の奥から、最後に一つの言葉が浮かび上がった。

 

『あなたが、最初に忘れた人』

 

死神は、その言葉を見つめた。

 

そして、初めて、別の可能性を考えた。

 

自分は、誰かを忘れたのではない。

 

誰かを忘れないために、自分の記憶を差し出したのかもしれない。

 

もし、そうだとしたら。

 

自分が失った初期記憶は、第一接続者の記録を復元するための代償だったのか。

 

それとも。

 

自分自身が、第一接続者だったのか。

 

死神は、答えを出せなかった。

 

だが、今度は、答えを急がなかった。

 

第七節 アザトースという名を、まだ呼んではいけない

その場所には、扉がなかった。

 

しかし、誰かが入ってきたことだけは分かった。

 

白い墓地。

 

墓標のない墓。

 

世界成立以前の記録。

 

そのすべてが、遠くから見渡せる場所に、一つの影が立っていた。

 

影には、決まった形がなかった。

 

人の姿に見えることもあれば、巨大な樹木のように見えることもある。

 

無数の光が集まったものに見えることもあれば、光を飲み込む暗闇に見えることもある。

 

その影は、白い墓地を見つめていた。

 

墓の数を数えているようにも見えた。

 

あるいは、墓が一つしかないことを、確かめているようにも見えた。

 

「……また、増えたのですね」

 

声が響いた。

 

それは、誰か一人の声ではなかった。

 

幼い子供の声。

 

年老いた者の声。

 

男性の声。

 

女性の声。

 

聞いたことのある声。

 

聞いたことのない声。

 

それらが一つに重なり、静かな言葉になっていた。

 

「記録が、増えている」

 

影は、墓地を見つめ続けた。

 

「誰かが、誰かを覚えようとしている」

 

その言葉には、喜びがあるようにも聞こえた。

 

しかし、同時に、深い悲しみもあった。

 

「……それは、いけないことなのでしょうか」

 

影は、誰かに尋ねるように言った。

 

返事はない。

 

「いいえ。いけないことではないのでしょう」

 

自分で答えた。

 

「誰かを覚えていることは、悪いことではない。誰かを忘れたくないと願うことも、悪いことではない」

 

影は、墓の前に立った。

 

「けれど……」

 

声が途切れた。

 

その瞬間、白い地面に、無数の文字が浮かび上がった。

 

名前。

 

願い。

 

記憶。

 

存在証明。

 

死者の記録。

 

生者の記録。

 

そして、まだ誰にも知られていない記録。

 

文字は、互いに結びつき、離れ、別の形へ変化していく。

 

その中に、ひとつの言葉があった。

 

集合無意識。

 

影は、その文字を見つめた。

 

「……私のことを、そう呼ぶのですか?」

 

問いかける声は、静かだった。

 

「私が、すべての声を代表する者だと?」

 

文字は答えない。

 

影は、首を傾けた。

 

「それとも、私が、すべての声を聞く者だと?」

 

沈黙。

 

「……あるいは」

 

影の輪郭が、わずかに揺れた。

 

「私こそが、誰の声も聞けなくなった者だと?」

 

その瞬間。

 

白い墓地の奥から、声が聞こえた。

 

『……あなたは、誰なの?』

 

影は、振り返った。

 

そこに立っていたのは、少女だった。

 

患者番号零。

 

彼女は、影を見つめていた。

 

恐れているようには見えなかった。

 

ただ、知りたいと思っているようだった。

 

自分が誰なのか。

 

目の前の存在が何なのか。

 

そして、なぜ自分は、この場所にいるのか。

 

「……あなたが、私を呼んだのですか?」

 

影が尋ねた。

 

少女は、首を横に振った。

 

「分からない」

 

正直な答えだった。

 

「私は、あなたを呼んだのかもしれない。でも、あなたの名前を知らない」

 

少女は、影を見つめた。

 

「……あなたは、私のことを知っているの?」

 

影は、すぐには答えなかった。

 

「知っている、と言うことはできます」

 

「本当?」

 

「あなたの記録に触れることはできます。あなたが経験した出来事の一部を、知ることもできます」

 

影は、続けた。

 

「けれど、それが、あなたを知っているということなのかは分かりません」

 

少女は、目を伏せた。

 

「……そう」

 

少しだけ、残念そうだった。

 

「じゃあ、あなたも、私が誰なのか分からないんだね」

 

「はい」

 

影は、静かに答えた。

 

「私は、あなたが誰なのかを、あなた自身の代わりに決めることはできません」

 

少女は、しばらく考えていた。

 

やがて、小さく頷いた。

 

「……それでいいよ」

 

影が、わずかに揺れた。

 

「いいのですか?」

 

「うん」

 

少女は、墓を振り返った。

 

「私が誰なのか、私も分からないから。あなたが勝手に決めるより、分からないって言ってくれたほうがいい」

 

少女は、再び影を見た。

 

「でも、一つだけ聞いてもいい?」

 

「どうぞ」

 

「あなたは……誰かを、忘れたことがある?」

 

影は、答えなかった。

 

少女は、続けた。

 

「私は、誰かに忘れられたのかもしれない。誰かを忘れたのかもしれない。自分が誰なのかさえ、分からなくなっているのかもしれない」

 

その声は、少しずつ震えていた。

 

「でも、私は、誰かに覚えていてほしいと思うの」

 

少女は、胸元に手を当てた。

 

「私が誰だったのか、分からなくても。私が何をしたのか、分からなくても。私が、ここにいたことだけは、覚えていてほしい」

 

影は、静かに少女を見つめていた。

 

「……それは、あなたの願いなのですね」

 

「うん」

 

少女は、頷いた。

 

「誰かに与えられた願いなのかもしれない。でも、今、私がそう願っていることは、本当だから」

 

その言葉に、影の輪郭が大きく揺れた。

 

白い墓地に、無数の声が響き始める。

 

『覚えていてほしい』

 

『忘れないでほしい』

 

『ここにいたことを、なかったことにしないでほしい』

 

『私たちは、ここにいた』

 

『私たちは、存在していた』

 

声は、どこまでも広がっていった。

 

少女は、影を見つめた。

 

「……ねえ」

 

「はい」

 

「あなたは、みんなの声を聞いているの?」

 

影は、しばらく黙っていた。

 

「……私は、たくさんの声を聞いています」

 

「じゃあ、みんなの願いを叶えられるの?」

 

その問いに、影は答えなかった。

 

少女は、首を傾げた。

 

「……できないの?」

 

影は、ゆっくりと答えた。

 

「すべての願いを叶えることができたとしても、それが、すべての願いを叶えたことになるとは限りません」

 

少女は、黙った。

 

「誰かが、忘れないでほしいと願っている」

 

影は、続けた。

 

「別の誰かが、忘れたいと願っている」

 

「……うん」

 

「誰かが、もう一度会いたいと願っている」

 

「うん」

 

「別の誰かが、もう二度と会いたくないと願っている」

 

少女は、顔を伏せた。

 

「……うん」

 

「誰かが、世界を変えたいと願っている」

 

影の声が、わずかに低くなった。

 

「別の誰かが、今の世界を失いたくないと願っている」

 

少女は、何も言えなかった。

 

すべての願いを叶える。

 

その言葉は、優しく聞こえる。

 

しかし、互いに矛盾する願いが存在するなら。

 

一つの願いを叶えることで、別の誰かの願いが失われることもある。

 

では、誰の願いを優先するのか。

 

誰が、その順番を決めるのか。

 

そして。

 

誰にも選ばれなかった願いは、どうなるのか。

 

影は、少女を見つめた。

 

「……私は、すべての願いを叶える者ではありません」

 

少女は、顔を上げた。

 

「では、あなたは何なの?」

 

影は、すぐには答えられなかった。

 

自分が何者なのか。

 

自分は、何のために存在しているのか。

 

誰かの願いを聞くために存在しているのか。

 

願いが生まれる場所そのものなのか。

 

それとも、誰かの願いが届かなくなったとき、その声を受け止めるために存在しているのか。

 

どれも、確かな答えではなかった。

 

「……私は」

 

影は、静かに言った。

 

「誰かの願いが、誰にも届かなくなることを、恐れているのかもしれません」

 

少女は、じっと聞いていた。

 

「けれど、私は、その願いを叶えることができるとは限りません」

 

「……うん」

 

「私が何かを叶えようとすることで、別の誰かの願いを奪ってしまうかもしれない」

 

「……うん」

 

「それでも、私は、声を聞いていたいと思うのです」

 

少女は、ゆっくりと笑った。

 

「……じゃあ、聞いていて」

 

影は、黙って頷いた。

 

少女は、墓の前に座った。

 

「私が何を願っているのか、分からなくなることもあると思う」

 

「はい」

 

「自分の願いが、本当に自分のものなのか、分からなくなることもあると思う」

 

「はい」

 

「それでも、私が何かを願ったら、勝手に叶えないでね」

 

影は、少女を見つめた。

 

「……分かりました」

 

「まず、聞いてね」

 

「はい」

 

少女は、墓に手を置いた。

 

「私が何を望んでいるのか。私が何を怖がっているのか。私が何を失いたくないのか」

 

そして。

 

「……私が、本当に叶えてほしいと思っているのか」

 

影は、静かに答えた。

 

「必ず、聞きます」

 

その言葉を聞いた瞬間。

 

白い墓地の墓標に、文字が刻まれた。

 

『願いを聞く者』

 

その下には、まだ何も書かれていなかった。

 

名前もない。

 

役割も確定していない。

 

ただ、そこに、ひとつの記録が残された。

 

少女は、墓標を見つめた。

 

「……あなたの名前は?」

 

影は、答えなかった。

 

少女は、首を傾げた。

 

「名前、ないの?」

 

「……分かりません」

 

「そっか」

 

少女は、少し考えた。

 

「じゃあ、今は名前をつけなくていいよ」

 

影が、わずかに揺れた。

 

「……いいのですか?」

 

「うん。分からないことを、無理に決めなくてもいいんでしょう?」

 

少女は、微笑んだ。

 

「いつか、あなたが自分の名前を知りたくなったら、そのときに考えればいいよ」

 

影は、何も言わなかった。

 

その沈黙の中で、少女は一つの可能性を感じた。

 

この存在もまた、誰かに名前を与えられることを待っているのではないか。

 

誰かに、自分が何者なのかを決めてもらうことを待っているのではないか。

 

だが、少女は、名前を与えなかった。

 

自分自身が、名前を失っているからこそ。

 

誰かの名前を、勝手に決めたくなかった。

 

そして、その瞬間。

 

白い墓地の奥で、無数の記録が一斉に明滅した。

 

『共有記録領域――応答を検出』

 

『応答主体――未確定』

 

『応答内容――願いの受領』

 

その記録は、すぐに消えた。

 

しかし、消える直前。

 

一つだけ、奇妙な名称が浮かび上がった。

 

『アザトース』

 

少女は、その文字を見つめた。

 

「……アザトース?」

 

影は、答えなかった。

 

その名称が、本当に目の前の存在を指しているのか。

 

集合無意識の代表を指しているのか。

 

あるいは、記録の中に残された、別の何かの名称なのか。

 

まだ、誰にも分からなかった。

 

影は、静かに呟いた。

 

「……その名を、まだ、私のものだと決めないでください」

 

少女は、頷いた。

 

「うん」

 

影は、続けた。

 

「名前があれば、理解できたように思えてしまうことがあります」

 

「……うん」

 

「けれど、名前を知ることと、その存在を知ることは、同じではありません」

 

少女は、墓標を見つめた。

 

「……分かった」

 

彼女は、ゆっくりと立ち上がった。

 

「じゃあ、あなたが誰なのか、いつか分かるまで、私は聞き続けるね」

 

影は、初めて、はっきりと揺れた。

 

その揺らぎは、恐怖にも、驚きにも、喜びにも見えた。

 

そして、白い墓地のどこかで。

 

誰かが、初めて、泣き止んだ。

 

第八節 世界は、誰かの願いを叶えたのか

「……世界が生まれる前に、誰かが死んだ」

 

出久は、死神から送られてきた暫定報告を読み終え、そう呟いた。

 

「でも、その時点では、死という概念が存在していたかどうかも分からない」

 

隣にいたお茶子が、静かに頷いた。

 

「その人が、本当に死んだのか。それとも、今の私たちが知っている死とは違うことが起きたのか……まだ分からないんだね」

 

「うん」

 

出久は、報告書を閉じた。

 

「ただ、記録には、最初の願いが残っていたらしい」

 

「どんな願い?」

 

出久は、少しだけ目を伏せた。

 

「……誰かに、自分を覚えていてほしいって」

 

お茶子は、何も言わなかった。

 

その願いが、どれほど単純なものなのか。

 

そして、どれほど難しいものなのか。

 

二人とも、理解していた。

 

誰かに覚えていてほしい。

 

自分が存在していたことを、なかったことにしないでほしい。

 

それは、誰かを支配したいという願いではない。

 

誰かを傷つけたいという願いでもない。

 

ただ、自分が存在したことを、誰かに知っていてほしい。

 

その願いが、世界成立以前の記録に残されていた。

 

出久は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……もし、それが世界の最初の願いだったとしても」

 

お茶子は、彼を見た。

 

「うん」

 

「それだけで、世界が生まれた理由を説明できるとは限らないと思う」

 

出久は、続けた。

 

「誰かに覚えていてほしいという願いがあった。それは、確かな記録として残っている。でも、その願いを叶えるために世界が生まれたのかどうかは、まだ分からない」

 

「……うん」

 

「もしかしたら、世界が生まれたことで、その願いを叶えられるようになったのかもしれない」

 

出久は、報告書を見つめた。

 

「でも、逆に、世界が生まれたことで、その願いが叶わなくなった可能性だってある」

 

お茶子は、静かに息を呑んだ。

 

「……世界が生まれたことで?」

 

「うん」

 

出久は、続けた。

 

「世界が生まれれば、そこに生きる人たちがいる。人がいれば、記憶が生まれる。記憶があれば、誰かを覚えていられる」

 

彼は、少しだけ考えた。

 

「でも、人が生まれれば、別れることもある。記憶があれば、忘れることもある。誰かを覚えている人がいなくなれば、その人の記憶が失われることもある」

 

お茶子は、顔を伏せた。

 

「……そうだね」

 

「だから、世界を作れば、願いが叶うとは限らないんだと思う」

 

出久は、静かに言った。

 

「世界があるからこそ、叶えられる願いもある。でも、世界があるからこそ、叶えられなくなる願いもある」

 

彼は、窓の外を見つめた。

 

夕暮れの空が、少しずつ暗くなっていく。

 

「……もし、世界が誰かの願いから生まれたのなら」

 

出久は、続けた。

 

「その願いを叶えるために、誰かが別のものを失った可能性もある」

 

お茶子は、ゆっくりと頷いた。

 

「……それが、デウス・マキナの代償につながるのかな」

 

「まだ分からない」

 

出久は、正直に答えた。

 

「でも、装置が世界成立以前の記録に接続できるのなら、世界が生まれたときに何が起きたのか、調べられるかもしれない」

 

「そのために、記憶を差し出さなきゃいけない?」

 

「……それも、まだ分からない」

 

出久は、首を横に振った。

 

「だから、分からないまま、差し出すことはしたくない」

 

お茶子は、少しだけ笑った。

 

「うん。それでいいと思う」

 

そのとき、端末が震えた。

 

死神から、新しい報告が届いている。

 

『第一接続者の記録について、追加情報を確認』

 

出久は、画面を開いた。

 

『最古の願い――誰かに自分を覚えていてほしい』

 

『願いの所有者――未確定』

 

『願いの受領者――不明』

 

『願いの実現状況――未確認』

 

その下に、最後の一文があった。

 

『第一接続者の死亡記録と、死神の初期記憶に関連性を検出』

 

出久は、息を呑んだ。

 

「……死神さんの記憶と、最初に死んだ人の記録がつながっている?」

 

『関連性の詳細は未確定』

 

「……そうか」

 

出久は、画面を閉じた。

 

今まで、死神は、誰かの死を見届ける存在だと思っていた。

 

だが、もし、彼自身が世界成立以前の記録に関係しているのなら。

 

死神は、誰かを見送るために生まれたのか。

 

それとも。

 

誰かを忘れないために、自分の記憶を失ったのか。

 

あるいは。

 

誰かが存在したことを証明するために、死という概念そのものが必要になったのか。

 

どれも、まだ仮説にすぎない。

 

それでも、出久は思った。

 

この謎を解くために、誰かの記憶を奪う必要があるのだと、最初から決めるべきではない。

 

誰かの願いを叶えるために、誰かが犠牲になることを、当たり前だと思うべきではない。

 

そして。

 

世界が誰かの願いから生まれたのだとしても、その願いを叶えることだけが、世界のすべてではないはずだ。

 

「……お茶子ちゃん」

 

「うん?」

 

「もし、世界が誰かの願いを叶えるために生まれたのだとしたら」

 

出久は、ゆっくりと言った。

 

「僕たちは、その願いを叶えるためだけに生きているわけじゃないよね」

 

お茶子は、彼を見つめた。

 

「……うん」

 

「誰かの願いが、僕たちの世界を作ったのかもしれない。でも、僕たちがこれから何を願うのかは、僕たち自身で決めていいはずだ」

 

お茶子は、静かに頷いた。

 

「そうだね」

 

そして、彼女は付け加えた。

 

「願いを叶えてもらうことと、自分の人生を生きることは、同じじゃないもんね」

 

出久は、微笑んだ。

 

「うん」

 

二人は、しばらく黙って窓の外を見つめていた。

 

そのとき。

 

画面に、新しい記録が浮かび上がった。

 

『デウス・マキナ――起動準備の進行を確認』

 

出久は、目を見開いた。

 

「……また、進んだ?」

 

『肯定』

 

「誰かが操作したの?」

 

『操作履歴は確認できません』

 

「接続者は?」

 

『未確定』

 

「代償は?」

 

『未確定』

 

出久は、静かに息を吐いた。

 

誰も操作していない。

 

誰も接続に同意していない。

 

誰も代償を差し出していない。

 

それなのに、装置は動き続けている。

 

「……装置は、何を待っているんだろう」

 

その問いに、安寧システムは答えなかった。

 

しかし、画面の中央に、一つの記録が表示された。

 

『第一接続者の記録――復元率、上昇』

 

そして、その下に。

 

『次の記録対象――死神』

 

出久は、画面を見つめた。

 

死神の失われた記憶が、復元されようとしている。

 

その記憶が戻れば、第一接続者の正体に近づけるかもしれない。

 

世界成立以前の死についても、何か分かるかもしれない。

 

だが。

 

もし、その記憶が戻ることで、死神自身の存在に影響が及ぶのだとしたら。

 

もし、記憶の復元が、誰かの願いを叶えるために必要な処理なのだとしたら。

 

死神は、何を失うことになるのだろう。

 

そして。

 

その代償を、誰が決めるのだろう。

 

出久は、端末を握りしめた。

 

「……今度は、勝手に決めさせない」

 

その言葉は、誰に向けたものだったのか。

 

安寧システムにか。

 

デウス・マキナにか。

 

世界の根源にいる、まだ名前の分からない存在にか。

 

それとも。

 

自分自身にか。

 

出久には、分からなかった。

 

ただ、一つだけ、確かなことがあった。

 

世界が生まれる前に、誰かが死んだ。

 

その死が、現在の世界に何をもたらしたのかは、まだ分からない。

 

けれど。

 

その死を、誰かの願いを叶えるために必要だった犠牲として、簡単に片づけるつもりはなかった。

 

誰かが死んだのなら。

 

その者が何を望んでいたのか、聞きたい。

 

その者が何を失ったのか、知りたい。

 

そして、その者が本当に死んだのかどうかさえ、確かめたい。

 

願いを叶えることよりも前に、願った者がいた。

 

その当たり前のことを、世界はいつから忘れてしまったのだろう。

 

第十三話 終幕――記録に残らなかった死

誰もいない場所で、一つの記録が完成した。

 

『第一接続者』

 

『死亡記録――部分復元』

 

『死亡時期――世界成立以前』

 

『死亡原因――未確定』

 

『死の定義――適用不能』

 

『記録所有者――未確定』

 

そして、最後の項目。

 

『死者の願い――未確定』

 

記録は、そこで終わるはずだった。

 

しかし、最後の行の下に、新しい文章が浮かび上がった。

 

『この者は、誰かに殺されたのではありません』

 

一瞬、文字が消えた。

 

次に現れた文章は、先ほどとは違っていた。

 

『この者が、誰かを殺したのです』

 

記録が揺らいだ。

 

『死亡原因――未確定』

 

『死者の願い――未確定』

 

二つの記録が、互いに矛盾する。

 

殺された者なのか。

 

誰かを殺した者なのか。

 

被害者なのか。

 

加害者なのか。

 

それとも、現在の世界におけるその区別を適用すること自体が、誤りなのか。

 

記録は、何度も書き換わった。

 

そして、最後に。

 

すべての文字が消えた。

 

ただ一つだけ、残された。

 

『第一接続者は、世界成立以前に、自分自身の存在を否定しました』

 

その記録を、誰も読むことはできなかった。

 

まだ、誰も。

 

しかし、世界のどこかで。

 

一人の少女が、目を覚ました。

 

「……私が、殺したの?」

 

少女は、自分の手を見つめた。

 

何も持っていない。

 

何も覚えていない。

 

誰を殺したのかも、なぜそんなことをしたのかも、分からない。

 

それなのに。

 

彼女の胸の奥には、確かな感情が残っていた。

 

誰かを失った悲しみ。

 

誰かを傷つけたかもしれない恐怖。

 

そして。

 

自分が何者なのかを、知りたいという願い。

 

少女は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……誰か」

 

声は、震えていた。

 

「誰か、私のことを覚えていますか?」

 

返事はない。

 

それでも、少女は、もう一度尋ねた。

 

「……私が、何をしたのか、教えてください」

 

その瞬間。

 

遠く離れた場所で、デウス・マキナが反応した。

 

『起動準備――第二段階へ移行』

 

『接続対象――未確定』

 

『接続者――未確定』

 

『代償――未確定』

 

そして。

 

『第一接続者――応答を開始しました』

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