僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第十話「正義は、謝罪の代わりにならない」

1 謝罪の練習

「分倍河原仁さん。あの日、俺はあなたを殺しました。本当に申し訳ありませんでした」

 

ホークスは、誰もいない部屋で言った。

 

声に出してみる。

 

言葉そのものは、難しくなかった。

 

短い。

 

余計な説明もない。

 

自分が何をしたのか、はっきりと認めている。

 

それなのに。

 

「……違うな」

 

ホークスは、首を横に振った。

 

今度は、少しだけ言い方を変えた。

 

「分倍河原さん。あなたを止める必要があったとはいえ、命を奪ってしまったことを――」

 

やめた。

 

「……いや、これも駄目だ」

 

必要があったとはいえ。

 

その一言を加えた瞬間、謝罪の形が変わってしまう。

 

相手に伝えるべきことよりも先に、自分が何を正当化したいのかを説明している。

 

ホークスは椅子に座り、両手を組んだ。

 

机の上には、簡単なメモが一枚ある。

 

仁と話したあと、何度も考えたことを書き留めていた。

- 何をしたのかを曖昧にしない。

- 理由の説明を、謝罪の条件にしない。

- 許してほしいと求めない。

- 自分の苦しみを、相手に背負わせない。

- これからどうするかを、相手の許しに委ねない。

どれも、正しいことに見えた。

 

しかし、そこに並ぶ言葉を眺めているうち、ホークスは嫌なことに気づいた。

 

自分はまた、うまくやろうとしている。

 

仁の怒りを刺激しない言葉を選ぶ。

 

余計な誤解を招かない順序を考える。

 

相手が傷つかないように、伝える内容を整理する。

 

それ自体が、常に悪いことだとは思わない。

 

だが、今回に限っては、気をつけなければならなかった。

 

相手を傷つけない謝罪。

 

相手を怒らせない説明。

 

相手に受け入れられやすい表現。

 

そんなものを完璧に整えようとすればするほど、ホークスは、自分が何をしたのかという事実を、少しずつ自分にとって扱いやすい形に変えてしまう。

 

自分が言いやすい言葉。

 

自分が受け入れられやすい言葉。

 

自分が少しでもまともに見える言葉。

 

その先にいるのは、本当に仁なのだろうか。

 

それとも、自分自身なのだろうか。

 

「……はあ」

 

ホークスは、椅子の背にもたれた。

 

「謝罪って、こんなに難しいものだったっけ」

 

誰も答えない。

 

以前の自分なら、謝罪はもっと簡単だったのかもしれない。

 

任務中に迷惑をかけたとき。

 

連絡が遅れたとき。

 

誰かの期待に応えられなかったとき。

 

謝るべきことがあれば、謝る。

 

必要なら補償する。

 

問題があれば修正する。

 

次に同じことを繰り返さないため、対策を立てる。

 

そうやって、仕事を進めてきた。

 

けれど、仁に対する謝罪は、そういうものではなかった。

 

何かを言い間違えたわけではない。

 

約束を破っただけでもない。

 

失われたものを、代わりの何かで補えば済む話でもない。

 

自分は、仁の命を奪った。

 

そして、仁は、それを知ったまま生きている。

 

ホークスがどれだけ誠実な言葉を選んだとしても、その言葉によって、仁の失われた時間が戻るわけではない。

 

自分が一度、頭を下げたところで、二人の関係が元に戻るわけでもない。

 

それでも、謝罪しなければならないと思った。

 

許してもらうためではない。

 

自分の気持ちを軽くするためだけでもない。

 

自分が何をしたのか。

 

誰に、何を奪ったのか。

 

その事実を、本人の前で認めるために。

 

「……よし」

 

ホークスは立ち上がった。

 

今度は、練習をやめた。

 

謝罪の言葉を、完璧に仕上げることはできない。

 

そもそも、そんなものは必要ないのだろう。

 

言葉がうまく出なかったとしても。

 

途中で声が詰まったとしても。

 

自分が考え抜いた結果、気の利いた表現など何一つ浮かばなかったとしても。

 

その事実から逃げずに、相手の前に立つこと。

 

まずは、それしかなかった。

 

ホークスは、机の上のメモを裏返した。

 

そして、仁との面会を申し込むために、連絡先を手に取った。

 

2 英雄の謝罪には、見出しがつく

「ホークスさん。今回の件ですが、表向きには『復帰者支援に関する協力』という形で整理したいと考えています」

 

事務担当者の言葉に、ホークスは書類から顔を上げた。

 

「表向き、ですか」

 

「はい。現在は、死者の復帰に関わる事象そのものが社会的な関心を集めています。さらに、復帰者のなかには、過去に重大な犯罪に関与していた方もいます。情報の公開範囲については、慎重に検討しなければなりません」

 

「それは分かっています」

 

「そのため、ホークスさんが個人的に面会を行っていることについても、必要以上に詳細を公表しないほうがよいかと」

 

「それも、本人の意向を確認したうえで、ということですよね」

 

「もちろんです」

 

担当者は、少しだけ言葉を選んだ。

 

「ただ、仮に将来的に二人が一定の理解に至った場合、復帰者との関係修復における一つの事例として、社会に示せる可能性があります」

 

ホークスは、黙った。

 

関係修復。

 

社会に示せる事例。

 

その言葉は、決して悪意から出たものではなかった。

 

社会は、前に進むための物語を求めている。

 

失われた人間が戻ってくる。

 

かつて敵だった者と、英雄が再び向き合う。

 

憎しみを乗り越え、新しい関係を築く。

 

それは、多くの人に希望を与える物語になるかもしれない。

 

けれど、その物語のなかに、仁自身の意思はどこまで残されているのだろう。

 

彼は、ホークスを許していない。

 

二人が話したことは事実だ。

 

互いに言葉を交わしたことも。

 

ホークスが自分の判断について説明したことも。

 

仁が、その説明を納得できないと告げたことも。

 

それだけである。

 

二人の関係が修復に向かっているかどうかは、誰にも決められない。

 

まして、当事者以外が、これを希望の物語として先取りすることはできなかった。

 

「……ひとつ、確認させてください」

 

ホークスは、書類を閉じた。

 

「もし、俺が謝罪して、彼がそれを拒絶したら?」

 

担当者は考えた。

 

「それは、本人の権利です。面会が中断される可能性もあります」

 

「では、もし彼が俺を許さず、今後一切会いたくないと言ったら?」

 

「その意思を尊重する必要があります」

 

「では、俺が彼に対して、今後も責任を負い続けると決めたら?」

 

担当者は、少しだけ表情を変えた。

 

「……それは、具体的にどのような意味でしょうか」

 

「俺がしたことを、俺自身の判断だったと認めることです。必要だったという説明を、俺の行為を正当化するための盾にしないこと。彼が、俺を許さないという選択をしても、そのせいで彼に何かを求めないこと。そして、今回の一件を、俺が反省したという理由だけで、英雄としての評価を高める材料に使わないことです」

 

ホークスは、穏やかに続けた。

 

「彼が俺を許したとしても、俺がしたことが消えるわけではない。許さなかったとしても、俺が責任を負う必要がなくなるわけではない。……そういうことです」

 

担当者は、しばらく黙っていた。

 

「……分かりました。面会については、引き続き本人の意向を最優先に調整します。公的な説明についても、当事者の意思を確認しないまま、関係修復などの表現を使うことは避けます」

 

「お願いします」

 

ホークスは、立ち上がった。

 

部屋を出ようとしたところで、担当者がもう一度、声をかけた。

 

「ホークスさん」

 

「はい?」

 

「ひとつだけ。あなたは、ご自身のしたことを、どのように考えていらっしゃるのですか」

 

ホークスは、足を止めた。

 

「……彼を止めなければならないと、俺は判断しました」

 

「はい」

 

「その判断には、理由がありました。彼の個性は、戦場に甚大な被害をもたらす可能性があった。俺はそれを止める必要があると考えました。その判断を、今になってすべて間違いだったと言い切るつもりはありません」

 

彼は、少しだけ目を伏せた。

 

「でも、俺が彼を殺したことも、同じくらい事実です。理由があったことと、責任がなくなることは違います」

 

「……」

 

「だから、謝罪します。彼が受け入れるかどうかとは関係なく」

 

ホークスは、扉へ向かった。

 

その背中を、担当者は黙って見送った。

 

英雄が謝罪する。

 

それは、報道の見出しにすることができる。

 

しかし、謝罪をした英雄が、その相手から許されなかったとき。

 

相手が怒り続けたとき。

 

二人の関係が、一歩も修復されなかったとき。

 

それでも、その謝罪を謝罪として扱えるだろうか。

 

その問いに、社会はまだ答えを持っていなかった。

 

そして、ホークスもまた、答えを持ってはいなかった。

 

ただ一つ、彼が決めていたことがある。

 

仁の許しを、自分の正しさを証明するための証拠にしない。

 

それだけは、絶対に違えてはいけなかった。

 

3 俺は、謝られたいのか

「……謝罪?」

 

相談員の言葉を聞いて、仁は眉をひそめた。

 

「はい。ホークスさんから、もう一度面会を申し込みたいという連絡がありました。今回は、あなたに謝罪したいとのことです」

 

仁は、黙った。

 

謝罪。

 

その単語が、頭の中で妙に大きく響いていた。

 

「……謝罪ねえ」

 

「面会を受けるかどうかは、あなたが決めて構いません。今すぐ答えを出す必要もありません」

 

「……いつまでに?」

 

「先方には、あなたの意思が確認できてから返答すると伝えています」

 

仁は、椅子の上で身体を揺らした。

 

「……いや、謝罪って、何だよ」

 

相談員は、黙って聞いた。

 

「謝るってことは、悪かったって言うんだろ? 自分がやったことが間違ってたって認めるんだろ? ……いや、そうとは限らないのか? 悪かったと思ってることと、間違ってたと思ってることは違うのか? ああ、もう! 謝罪一つで、こんなに考えることあるかよ!」

 

仁は頭を抱えた。

 

「……だって、あいつは、必要だったって言ったんだぞ」

 

「はい」

 

「俺を止める必要があった。個性が危険だった。ほかの人を守らなきゃいけなかった。……そういう判断をしたって、ちゃんと話したんだ」

 

仁は、テーブルの上を指で叩いた。

 

「でも、俺が死んだことについては、責任を負うって言った。俺が怒ってもいいって。納得できなくてもいいって。……それで、今度は謝罪したいって?」

 

相談員は答えた。

 

「ホークスさんが、どういう気持ちで謝罪を申し出ているのかは、私には断言できません。ただ、あなたが面会を受けるのであれば、謝罪を聞いたからといって、必ず何かを返さなければならないわけではありません」

 

「……何かを返す?」

 

「許す、許さない。今後どうするかを伝える。あるいは、何も答えずに面会を終える。どれを選んでも構いません」

 

仁は、目を伏せた。

 

何かを返す。

 

自分は、謝罪を受け取ったら、何かを返さなければならないのだろうか。

 

許すとか。

 

分かったとか。

 

もういいとか。

 

そう言わなければ、相手はいつまでも謝り続けるのだろうか。

 

自分が怒り続ければ、相手を苦しめることになるのだろうか。

 

もしホークスが、本当に反省しているのなら。

 

自分が、彼の謝罪を拒絶することで、何かを壊してしまうのだろうか。

 

「……何でだよ」

 

仁は、つぶやいた。

 

「……何で、俺が考えなきゃいけないんだよ」

 

相談員は、少しだけ身体を前に傾けた。

 

「考えたくないのであれば、今は考えなくてもいいんです」

 

仁は顔を上げた。

 

「……でも、あいつが謝りたいって言ってるんですよ」

 

「はい」

 

「俺が聞かなかったら、あいつは謝れないんだろ?」

 

「謝罪したいという希望があることと、あなたがそれを聞く義務があることは、別です」

 

仁は、口を開いたまま止まった。

 

その言葉は、簡単だった。

 

そして、ひどく難しかった。

 

自分は、謝罪される側だ。

 

少なくとも、ホークスが自分に対して何をしたのかという点では、そうだった。

 

なのに、いつの間にか、自分はホークスの気持ちを気にしていた。

 

彼が謝れなかったら、どうなるのか。

 

自分が拒絶したら、彼はどう思うのか。

 

そんなことを考えてしまっていた。

 

「……俺、変だよな」

 

仁は笑った。

 

「自分を殺した奴が謝りたいって言ってるのに、どうしたらあいつが傷つかないかまで考えちまってる」

 

相談員は、首を横に振った。

 

「変ではありません。相手の気持ちを気にすること自体は、あなたが悪いという意味にはなりません。ただ、その気持ちを、あなたが引き受けなければならないわけでもありません」

 

仁は、長いこと黙っていた。

 

やがて、ぽつりと尋ねた。

 

「……もし俺が、あいつを許さなかったら」

 

「はい」

 

「……俺は、最低な奴ですか?」

 

相談員は、はっきりと答えた。

 

「いいえ」

 

仁は、顔を上げた。

 

「あなたが何を感じるのかは、あなた自身のものです。誰かに命を奪われたことについて、怒りを感じることは、許されないことではありません。相手が謝罪したからといって、その怒りを手放さなければならないわけでもありません」

 

仁は、しばらく動かなかった。

 

やがて、目を閉じた。

 

「……そっか」

 

その言葉は、小さかった。

 

「……そっかよ」

 

仁は、まだ、謝罪を聞きたいのかどうか分からなかった。

 

ホークスに、もう一度会いたいのかどうかも分からなかった。

 

会えば、何かが変わるかもしれない。

 

何も変わらないかもしれない。

 

また怒鳴ることになるかもしれない。

 

今度は、何も言えなくなるかもしれない。

 

どれでもよかった。

 

いや、どれでもよくはなかった。

 

けれど、その結果まで、今の自分が考え抜く必要はないのだと思った。

 

「……会います」

 

仁は、顔を上げた。

 

「今度も、俺が決めて会います。謝罪を聞いたからって、何かを約束するつもりはありません」

 

「分かりました」

 

「……それで、いいんですよね?」

 

相談員はうなずいた。

 

「それで大丈夫です」

 

仁は、申請書を受け取った。

 

自分の名前を書く。

 

分倍河原仁。

 

書き慣れたはずの名前なのに、今日は少しだけ不思議な感じがした。

 

自分の名前を自分で書く。

 

自分の意思で、誰かと会うことを決める。

 

それは、当たり前のことだ。

 

当たり前なのに、自分がどれだけ長い間、そういう当たり前のことを欲しがっていたのか、今さらのように思い出した。

 

「……よし」

 

仁は、ペンを置いた。

 

「……謝らせてやるか」

 

言ってから、すぐに首を振る。

 

「いや、違う! 何だよ、謝らせてやるって! 俺は何様だよ! ……いや、俺は謝られる側だろ! そりゃそうなんだけど、そういう言い方は何か違うだろ!」

 

相談員は、困ったように笑った。

 

仁も、つられて少し笑った。

 

ただし、その笑いは、すぐに消えた。

 

「……でも、今回は」

 

仁は申請書を見つめた。

 

「……ちゃんと聞こうと思います」

 

何を言うかは、まだ分からない。

 

何を返すかも、分からない。

 

ただ、聞くことだけは、自分で決めた。

 

それで十分だった。

 

4 謝罪するということ

二度目の面会も、同じ部屋だった。

 

開いた扉。

 

二脚の椅子。

 

小さなテーブル。

 

何も変わっていない。

 

けれど、ホークスにとっては、前回よりも緊張する場所だった。

 

今回は、説明するために来たのではない。

 

話を聞いてもらうために来た、と言うのも少し違う。

 

自分が何をしたのかを、本人の前で認める。

 

そのために来た。

 

ホークスは、椅子に座り、両手を膝の上に置いた。

 

しばらくして、扉の向こうに仁の姿が現れた。

 

「……来たぞ」

 

「……はい」

 

仁は、部屋に入った。

 

前回と同じ椅子に座る。

 

目の前の男を、じっと見つめた。

 

「……で?」

 

ホークスは、顔を上げた。

 

「……はい?」

 

「謝罪したいって、聞いたぞ」

 

仁は、少しだけ身を乗り出した。

 

「……聞かせてくれよ」

 

ホークスは、うなずいた。

 

そして、言った。

 

「分倍河原仁さん」

 

声が、思っていたよりも低くなった。

 

「俺は、あなたを殺しました」

 

仁の表情は動かなかった。

 

ホークスは続けた。

 

「俺は、あなたの信頼を利用しました。あなたに近づいた目的を隠し、仲間であるかのように振る舞い、あなたが俺を信じてくれたことを、任務のために利用しました」

 

言葉を、一つずつ確かめる。

 

「そして、あなたを危険だと判断し、止めるために戦い、その結果、あなたの命を奪いました」

 

ホークスは、深く頭を下げた。

 

「……申し訳ありませんでした」

 

部屋のなかが、静かになった。

 

謝罪は、終わった。

 

言葉としては。

 

ホークスは、頭を上げなかった。

 

仁が何かを言うまで、待つつもりだった。

 

怒鳴られるかもしれない。

 

笑われるかもしれない。

 

「今さら何を言っている」と、吐き捨てられるかもしれない。

 

あるいは、何も言われないかもしれない。

 

どんな反応であっても、ホークスは受け止めなければならなかった。

 

やがて、仁の声が聞こえた。

 

「……それで?」

 

ホークスは、顔を上げた。

 

「……はい?」

 

「それで終わりか?」

 

仁は、まっすぐにホークスを見ていた。

 

「申し訳ありませんでした。……はい、おしまい。これで満足か?」

 

ホークスは、首を横に振った。

 

「……いいえ」

 

「じゃあ何だよ」

 

「謝罪を伝えることが、これで終わりだとは思っていません」

 

「……じゃあ、もっと何か言うのか?」

 

「必要があるなら、説明します。ただ、謝罪に何かを付け足すことで、あなたが受け入れやすくなるようにしたいわけではありません」

 

仁は、じっと彼を見ていた。

 

「……お前さ」

 

「はい」

 

「謝るときに、言い訳しなかったな」

 

「……はい」

 

「必要だったとか。あのときは仕方なかったとか。ほかに方法がなかったとか。そういうこと、言わなかったな」

 

ホークスは、うなずいた。

 

「……それは、説明する必要がある場面では、説明します。でも、謝罪の言葉に、それを条件として付けるべきではないと思いました」

 

仁は、口元を歪めた。

 

「……条件?」

 

「俺が謝るために、あなたが俺の判断を理解する必要はありません。俺の説明に納得する必要もありません」

 

ホークスは、続けた。

 

「俺が、あなたを殺した。それは事実です。そして、あなたの信頼を利用したことも、事実です。そのことについて、謝罪します」

 

仁は、長いこと黙っていた。

 

「……ふうん」

 

それから、ゆっくりと背もたれに寄りかかった。

 

「……で?」

 

「……はい」

 

「俺が、許さなかったら?」

 

ホークスは、答えた。

 

「……それでも、謝罪したことは変わりません」

 

仁の眉が動いた。

 

「俺が、お前を一生許さなかったら?」

 

「……それでも、俺がしたことは変わりません」

 

「俺が、お前の顔なんか二度と見たくないって言ったら?」

 

「……その意思を尊重します」

 

「俺が、お前のことを憎み続けたら?」

 

ホークスは、少しだけ息を吸った。

 

「……あなたには、その権利があります」

 

仁は、黙っていた。

 

ホークスは、そこで終わらせようとした。

 

けれど、まだ一つ、伝えなければならないことがあった。

 

「……ただ」

 

仁の目が動いた。

 

「俺は、あなたに許してもらえなかったからといって、責任から逃げるつもりはありません」

 

ホークスは、目をそらさなかった。

 

「あなたが俺を許さないことと、俺が責任を負うことは、別です。あなたが俺に何も望まなくても、俺がしたことはなくなりません。あなたが俺と関わりたくないと思っても、俺がしたことを正しかったということに変えるつもりはありません」

 

仁は、何も言わなかった。

 

「……俺は、あなたに謝罪しました。ですが、それによって、あなたに何かを求めるつもりはありません」

 

ホークスは、静かに付け加えた。

 

「……申し訳ありませんでした」

 

もう一度、頭を下げた。

 

今度は、先ほどよりも短かった。

 

仁は、その姿を見ていた。

 

何を思っているのか、自分でも分からなかった。

 

怒りは、ある。

 

ホークスを憎む気持ちも、ある。

 

この男が、自分の前で頭を下げていることに、妙な居心地の悪さも感じていた。

 

それなのに、心のどこかで、何かを待っていた自分がいた。

 

謝罪。

 

その言葉を、ずっと待っていたのだろうか。

 

自分を殺した男が、自分に対して悪かったと認めること。

 

自分の命を奪ったことを、ただ必要な結果として処理しないこと。

 

自分が信じた時間を、ただの作戦として片づけないこと。

 

それを聞けば、少しは気持ちが晴れると思っていたのかもしれない。

 

けれど。

 

ホークスが謝罪した今も、仁の胸のなかには、何も片づかずに残っていた。

 

彼が頭を下げたからといって、自分が死んだという事実は消えない。

 

彼が申し訳なかったと告げたからといって、最後に感じた恐怖が消えるわけでもない。

 

そして、彼が自分を許してほしいと求めなかったからといって、自分が許したくなるわけでもない。

 

仁は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……なあ、ホークス」

 

「はい」

 

「お前、今、何を考えてる?」

 

ホークスは、少しだけ考えた。

 

「……あなたが、どう受け止めるのかを考えています」

 

仁の表情が、わずかに険しくなった。

 

ホークスは、すぐに言い直した。

 

「……いえ。それも、俺の都合ですね。あなたがどう受け止めるかは、あなたが決めることです」

 

「……」

 

「俺は、謝罪を伝えました。それ以上のことを、今ここであなたに求めるつもりはありません」

 

仁は、しばらく彼を見つめていた。

 

やがて、小さく笑った。

 

「……お前、本当に面倒くせえな」

 

「……すみません」

 

「謝るなよ!」

 

仁が声を上げた。

 

ホークスは、思わず口を閉じた。

 

仁は額を押さえた。

 

「……いや、違うんだ。謝るなっていうか、謝るなって言いたいんだけど、謝ってほしい気持ちもあったんだよ! ああ、もう! 俺、自分で言ってて何が何だか分からねえ!」

 

彼は、椅子に深くもたれた。

 

「……俺は、お前に謝ってほしかったんだと思う」

 

ホークスは、黙っていた。

 

「でも、謝られたら、許さなきゃいけないような気がしてた。許さなかったら、俺が、いつまでも怒ってる嫌な奴みたいになるんじゃないかって」

 

仁は、手のひらを見つめた。

 

「……いや、俺は嫌な奴だよ! そりゃそうだよ! 人を傷つけたことだってあるし、犯罪者だったし! 俺、自分のことを聖人みたいに思ってるわけじゃねえ!」

 

言葉が、少しずつ早くなる。

 

「でも、だからって、俺が殺されたことに怒っちゃいけない理由にはならねえだろ! 俺が悪いことをしたからって、俺が死んだことまで、はい仕方ありませんでした、で終わらせていいわけじゃねえだろ!」

 

ホークスは、うなずいた。

 

「……はい」

 

「……お前は、謝ったからって、それを終わらせないって言った」

 

「……はい」

 

「……俺が許さなくても、責任から逃げないって言った」

 

「……はい」

 

仁は、しばらく黙っていた。

 

そして、今度は、はっきりと告げた。

 

「……じゃあ、俺は、まだ怒ってていいんだな」

 

ホークスは、まっすぐに答えた。

 

「……はい」

 

仁は、目を閉じた。

 

「……そっか」

 

その言葉は、今までで一番、小さかった。

 

「……そっかよ」

 

怒りが消えたわけではなかった。

 

許したわけでもない。

 

ただ、怒りを手放すかどうかまで、自分で決めていいのだと。

 

それだけは、ようやく少し、分かったような気がした。

 

5 謝罪のあとに、何が残る

しばらく、二人は黙っていた。

 

窓の外では、車が通り過ぎていく音が聞こえる。

 

廊下からは、誰かが歩いてくる足音が聞こえた。

 

ありふれた音だった。

 

面会室の外には、世界がある。

 

人々は、いつもの生活を取り戻そうとしている。

 

働き、食べ、眠り、家族や友人と話し、明日の予定を考える。

 

その一方で、仁は、つい先ほどまで、自分を殺した男と向き合っていた。

 

自分が死んだこと。

 

ホークスが自分を殺したこと。

 

その理由を聞いたこと。

 

謝罪を受けたこと。

 

どれも、日常の出来事とは違う。

 

けれど、この面会が終われば、また日常へ戻らなければならない。

 

「……なあ」

 

仁が口を開いた。

 

「はい」

 

「お前は、これからもヒーローを続けるのか?」

 

ホークスは、少しだけ考えた。

 

「……はい。続けたいと思っています」

 

「……へえ」

 

「俺がこれまでしてきたことには、責任を持たなければいけません。今回のことも、その一つです。でも、俺は、人を守るために働きたいと思っています」

 

仁は、鼻で笑った。

 

「……立派だねえ」

 

皮肉めいた口調だった。

 

「俺を殺しておいて、これからも人を守るんだ。英雄様ってのは、大変だな」

 

ホークスは、反論しなかった。

 

仁は、さらに続けた。

 

「……じゃあさ。もし、お前がこれから誰かを助けたら」

 

「……はい」

 

「その人を助けたことは、俺を殺したことを帳消しにするのか?」

 

ホークスは、即座に答えた。

 

「……いいえ」

 

仁は、少し驚いたように目を上げた。

 

ホークスは続けた。

 

「俺がこれから誰かを助けても、それによって、あなたを殺したことがなくなるわけではありません。別の人を救えたからといって、あなたに何をしてもよかったことにはなりません」

 

「……」

 

「逆に、俺がこれから誰かを助けることをやめたとしても、それで、あなたに対する責任を果たしたことになるわけではないと思います」

 

仁は、黙っていた。

 

「俺は、ヒーローとして働き続けたいと思っています。それは、あなたを殺したことを帳消しにするためではありません。……そして、あなたに許してもらうためでもありません」

 

ホークスは、一度、息を吸った。

 

「俺がこれから何をするのかは、俺が決めて、その結果に責任を持たなければならないことです。あなたに許してもらえるかどうかとは、別に」

 

仁は、しばらく彼を見ていた。

 

「……そうか」

 

そして、目を伏せる。

 

「……それなら、いい」

 

ホークスは、顔を上げた。

 

「……え?」

 

「いや、何がいいってわけじゃねえよ! 俺はお前を許してないし、これで満足したわけでもない! ただ……」

 

仁は、言葉を探した。

 

「……ただ、お前が、俺に許してもらうためにヒーローを続けるんだったら、嫌だなと思ったんだ」

 

ホークスは、何も言わなかった。

 

「俺が許すかどうかで、お前の人生まで決まっちまうのは、何か違うだろ。……いや、俺がそんなこと言うのも変かもしれないけどさ」

 

仁は苦笑した。

 

「……俺は、お前に俺の人生を決められたくなかった。だったら、俺も、お前の人生を決めるべきじゃないのかもしれねえ」

 

ホークスは、静かにうなずいた。

 

「……ありがとうございます」

 

仁の顔が、すぐに険しくなった。

 

「礼を言うなよ!」

 

「あっ、すみません」

 

「謝るなって!」

 

ホークスは、口を閉じた。

 

仁は、両手で顔を覆った。

 

「……もう、何なんだよ、お前! 俺はどうすればいいんだよ! お前が全部、ちゃんと答えるから、俺、怒り方が分かんなくなるだろうが!」

 

「……怒っていて、いいんですよ」

 

ホークスが言った。

 

仁は、手の隙間から彼を見た。

 

「……何?」

 

「俺が何を答えたとしても、あなたが怒っていることは変わらなくていいんです。怒り方を変える必要も、俺に合わせる必要もありません」

 

仁は、黙った。

 

その言葉は、前にも聞いたことがある。

 

理解できても、納得しなくていい。

 

謝罪を聞いても、許さなくていい。

 

そして、怒りを抱えたままでも、自分の人生を生きていい。

 

ホークスは、そう言っている。

 

それが、本当にできるかどうかは、まだ分からなかった。

 

自分は、そんなに器用な人間ではない。

 

ホークスのことを考えれば、腹が立つ。

 

あの日のことを思い出せば、胸が苦しくなる。

 

自分が信じた時間について考えれば、何が本当だったのか分からなくなる。

 

それでも、怒りがすべてではない。

 

自分には、ほかにも願いがある。

 

仲間を探したい。

 

もう一度、誰かと話したい。

 

生きていることを確かめたい。

 

どこかに、自分がいてもいい場所を見つけたい。

 

それらの願いを、ホークスへの怒りだけで埋め尽くしてしまいたくはなかった。

 

「……なあ、ホークス」

 

仁が、ゆっくりと呼びかけた。

 

「はい」

 

「今日の謝罪は……聞いた」

 

ホークスは、うなずいた。

 

仁は、そこで言葉を切った。

 

言い直すように、もう一度、口を開いた。

 

「……聞いた、だけだからな」

 

「……はい」

 

「受け入れたとは言ってない。許したとも言ってない。お前を信じ直したとも言ってない」

 

「……分かっています」

 

「……それでも、謝ったこと自体は、聞いたからな」

 

ホークスは、目を伏せた。

 

「……ありがとうございます」

 

今度は、仁も何も言わなかった。

 

ホークスの声が、少しだけ震えていたことに気づいたからだ。

 

仁は、その震えを見逃さなかった。

 

しかし、指摘しなかった。

 

何を思ったのかも、まだ言葉にはできなかった。

 

ただ、その震えを、ホークス自身のものとして、そのままにしておいた。

 

6 許されないことを、終わりにしない

面会の終わりが近づいていた。

 

仁は、時計を見た。

 

「……そろそろ帰るわ」

 

「……はい」

 

仁は立ち上がった。

 

椅子が、床の上を滑った。

 

扉は開いている。

 

廊下へ出るためには、あと数歩進めばいい。

 

けれど、仁は、すぐには歩き出さなかった。

 

「……ホークス」

 

「はい」

 

「お前、俺に謝っただろ」

 

「……はい」

 

「……じゃあ、もう一回だけ、聞くぞ」

 

ホークスは、待った。

 

仁は、まっすぐ彼を見た。

 

「お前は、俺を殺したことを、今でも必要だったと思ってるのか?」

 

ホークスは、逃げなかった。

 

「……俺は、あのとき、あなたを止める必要があると判断しました。その判断には、理由がありました。今も、その判断を完全に間違いだったと言い切ることはできません」

 

仁は黙っていた。

 

「でも、その判断の結果、あなたの命を奪いました。それは、俺がしたことです。理由があったからといって、その責任をなくすことはできません」

 

ホークスは、続けた。

 

「……俺は、あなたを殺したことについて、謝罪しています。あなたが俺を許さなくても、その謝罪を撤回するつもりはありません」

 

仁は、長いことホークスを見ていた。

 

それから、ゆっくりとうなずいた。

 

「……そっか」

 

それは、納得の返事ではなかった。

 

理解した、という返事でもなかった。

 

ただ、聞いたことを、聞いたままに受け取っただけだった。

 

仁は、扉のほうへ歩き出した。

 

廊下に出る直前、振り返る。

 

「……なあ」

 

ホークスは、顔を上げた。

 

「はい」

 

「俺は、まだお前を許さない」

 

「……はい」

 

「……でも、謝られたからって、俺が無理に怒り続ける必要もないんだよな」

 

ホークスは、静かに答えた。

 

「……それも、あなたが決めることです」

 

仁は、少しだけ笑った。

 

「……本当に、そういうところだぞ」

 

「……すみません」

 

「謝るなって!」

 

仁は、今度こそ、声を出して笑った。

 

短い笑いだった。

 

苦しさが消えたわけではない。

 

ホークスとの関係が元に戻ったわけでもない。

 

それでも、笑えた。

 

そのことに、仁自身が少しだけ驚いていた。

 

「……じゃあな」

 

「……はい」

 

仁は、廊下へ出た。

 

今度も、ホークスは追わなかった。

 

ただ、背中を見送った。

 

開いた扉の向こうへ、仁の姿が消えていく。

 

ホークスは、椅子に座ったまま、しばらく動かなかった。

 

謝罪をした。

 

自分が何をしたのか、本人の前で認めた。

 

しかし、仁は許さなかった。

 

それでいい。

 

いや、それでいいという言葉すら、どこか傲慢なのかもしれない。

 

仁が許すかどうかは、ホークスが評価するものではない。

 

許さなかったから失敗だった、と考えることも。

 

少し笑ってくれたから成功だった、と考えることも。

 

どちらも、自分が勝手に結論を決める行為だった。

 

今回の面会は、謝罪を伝えるためのものだった。

 

仁が、謝罪を聞いた。

 

それだけだ。

 

そこから何が生まれるのかは、仁自身が決める。

 

ホークスは、立ち上がった。

 

扉の向こうには、まだ廊下が続いている。

 

その先には、仕事がある。

 

英雄としての責任がある。

 

そして、自分がこれからも生きていく時間がある。

 

ホークスは、歩き出した。

 

謝罪したからといって、罪がなくなるわけではない。

 

謝罪したからといって、関係が修復されるわけでもない。

 

謝罪したからといって、もう二度と同じ間違いを犯さないと保証されるわけでもない。

 

それでも、謝罪したことには意味がある。

 

少なくとも、自分のしたことを、相手に隠したままにはしなかった。

 

自分の判断を、相手に受け入れさせようとはしなかった。

 

相手の怒りを、邪魔なものとして片づけなかった。

 

そして、許されなかったことを、責任から逃れる理由にしなかった。

 

それだけは、これからも続けなければならない。

 

7 謝罪を受け取った男

その夜。

 

仁は、自分の部屋で、何度も寝返りを打っていた。

 

「……眠れねえ」

 

仰向けになって、天井を見つめる。

 

「……いや、眠れるわけねえだろ」

 

自分で、自分に突っ込んだ。

 

「今日、何があったと思ってんだよ。自分を殺した男に会って、謝罪されて、怒って、怒れなくなって、また怒って……。何だ、この一日! 人生のイベントが詰め込まれすぎだろ!」

 

枕に顔を押しつけた。

 

「……疲れた」

 

その言葉は、今までで一番、素直だった。

 

今日、ホークスは謝った。

 

彼は、必要だったという判断を撤回しなかった。

 

自分がしたことを、正義という言葉で覆い隠しもしなかった。

 

そして、仁が許さないという選択をしても、責任から逃げないと告げた。

 

その言葉を聞いたからといって、仁の気持ちが整理されたわけではない。

 

彼に怒りを向ける理由が、なくなったわけでもない。

 

けれど、謝罪を聞いたあとで、自分がどうすればいいのか。

 

その問いだけは、少し形が変わった。

 

以前の自分なら、謝罪を受け取った以上、何かを返さなければならないと思ったかもしれない。

 

許す。

 

分かったと言う。

 

もういいと告げる。

 

そんな言葉を返さなければ、謝罪した相手に対して、あまりにも冷たい人間になってしまう気がしたかもしれない。

 

しかし、今は違う。

 

謝罪を聞くことと、許すことは別だ。

 

相手の言葉を理解することと、納得することも別だ。

 

そして、相手が謝罪したことと、自分がこれからどう生きるかということも、別だった。

 

「……俺は、まだ怒ってる」

 

仁は、天井に向かって言った。

 

「……まだ、許せねえ」

 

少し間を置いて、もう一度。

 

「……でも、明日も生きる」

 

口に出してみると、妙にしっくりきた。

 

許せないままでも、生きていく。

 

怒りが残ったままでも、食事をする。

 

眠れない夜があっても、明日になれば、また外へ出る。

 

仲間を探す。

 

自分が戻ってきた世界を知る。

 

自分が何をしたいのか、考える。

 

それらをすべて、ホークスへの怒りのために止める必要はなかった。

 

怒りを忘れる必要もない。

 

忘れたふりをする必要もない。

 

ただ、怒りだけが自分のすべてではないことを、少しずつ確かめていけばいい。

 

仁は、枕から顔を上げた。

 

「……あいつ、明日もヒーローやるんだろうな」

 

想像する。

 

ホークスは、街を飛ぶのだろう。

 

困っている人がいれば、手を差し伸べるのだろう。

 

危険があれば、誰かを守るのだろう。

 

そして、自分に謝罪したことだけを理由に、ヒーローをやめるわけでもない。

 

自分に許してもらうことだけを願って、すべてを投げ出すわけでもない。

 

仁は、そこまで想像して、顔をしかめた。

 

「……何で俺、あいつの明日のことまで考えてんだよ!」

 

布団を頭までかぶる。

 

「俺の明日を考えろ、俺! お前は自分のことで手いっぱいだろうが!」

 

そうだ。

 

自分には、自分の明日がある。

 

帰る場所を見つけなければならない。

 

仲間を探さなければならない。

 

何より、自分が生きているということを、これからどう受け止めるのか。

 

その問題が、まだ残っている。

 

ホークスへの怒りは、その一部にすぎない。

 

自分の人生を、その男だけに渡すつもりはなかった。

 

仁は、目を閉じた。

 

しばらくすると、呼吸が少しずつ落ち着いていく。

 

眠りにつけるかどうかは分からない。

 

それでも、今日はもう、考えるのをやめようと思った。

 

謝罪を聞いた。

 

それだけだ。

 

明日、何をするかは、明日の自分が決めればいい。

 

そして、いつか再び、ホークスと話す必要が生まれたなら。

 

そのときは、そのときの自分が決めればいい。

 

今すぐ、未来の答えまで決めなくてもいい。

 

仁は、布団のなかで、小さくつぶやいた。

 

「……おやすみ、俺」

 

返事はなかった。

 

それでも、今夜は、それでよかった。

 

8 英雄の仕事は、贖罪のためにあるのか

一方、ホークスは、翌朝も仕事に向かった。

 

街では、復旧作業が続いていた。

 

負傷者の支援。

 

行方不明者の確認。

 

復帰者の生活支援。

 

そして、かつての敵対者が、再び社会のなかで生きるための制度づくり。

 

どれも、簡単ではない。

 

生き返った人間が戻ってきたからといって、社会のすべてが元通りになるわけではない。

 

彼らが生きていた間に、家族や友人が別の生活を始めていることもある。

 

居場所を失った者もいる。

 

罪を犯した者もいる。

 

被害を受けた者もいる。

 

そして、何より、戻ってきた本人が、自分の人生をどうしたいのか、まだ分からない場合もある。

 

ホークスは、会議の資料を読んでいた。

 

「……本人の希望を確認してから、選択肢を提示する」

 

一つの項目に、線を引く。

 

「……支援の受け入れを拒否した場合も、再度、本人の意思を確認できる機会を設ける。ただし、本人の拒否を無視して接触を継続しない」

 

もう一つ。

 

自分が仁との面会で学んだことを、制度の文言に変えていく。

 

それは、自分が仁を救ったという意味ではない。

 

そもそも、自分が彼を救ったなどと考えること自体、傲慢なのかもしれない。

 

仁は、自分で面会を申し込んだ。

 

自分で質問した。

 

自分で謝罪を聞くことを選んだ。

 

そして、自分で、まだ許さないと告げた。

 

ホークスができたことは、その選択を妨げないようにすることだけだった。

 

「……何か、難しい顔をしてるね」

 

声をかけられ、ホークスは顔を上げた。

 

同僚が、資料を抱えて立っていた。

 

「……そうですか?」

 

「うん。普段の軽い顔が、今日は全然ない」

 

「いやあ、俺だって、たまには真面目な顔をしますよ」

 

ホークスは笑った。

 

いつもの調子を、少しだけ戻す。

 

「むしろ、普段が軽すぎるんじゃないかって、最近思うんですよね」

 

「何かあった?」

 

ホークスは、すぐには答えなかった。

 

仁のことを話すことはできる。

 

だが、彼の気持ちや、面会で何を話したのかを、本人の了承なしに詳しく語る必要はない。

 

「……自分の仕事について、少し考えていました」

 

「仕事?」

 

「ええ。俺たちが人を助けるとき、相手のためだと思っていることが、本当に相手の望みと同じなのか、ということです」

 

同僚は、考えるような顔をした。

 

「……難しい話だね」

 

「そうですね」

 

ホークスは、資料を閉じた。

 

「でも、考え続けないといけない話だと思います」

 

同僚は、うなずいた。

 

「まあ、それはそうかもしれない」

 

そして、別の資料を机に置いた。

 

「そういえば、支援委員会から、今回の復帰者対応について意見を求められてる。君の考えも聞かせてほしいって」

 

「分かりました。まとめておきます」

 

同僚は部屋を出ていった。

 

ホークスは、再び資料に目を落とした。

 

自分は、これからもヒーローとして働く。

 

人を守りたい。

 

助けたい。

 

その気持ちは、今も変わっていない。

 

しかし、その願いがあるからといって、すべての行動が正しいわけではない。

 

誰かを助けるために、誰かの意思を無視してしまうこともある。

 

誰かのためだと思って、相手が望まないものを差し出してしまうこともある。

 

そして、そうした行為を、善意という言葉で正当化してしまうこともある。

 

ホークスは、机の上に置かれた資料の一文を読み返した。

 

支援は、本人の意思を確認したうえで行う。

 

その言葉は、当たり前のことに見える。

 

だが、その当たり前を守ることは、いつでも簡単ではない。

 

相手が何も答えてくれないとき。

 

相手が拒絶したとき。

 

相手が、自分の願いとは違う答えを出したとき。

 

その答えを尊重するには、自分の願いを手放さなければならないこともある。

 

仁が自分を許さなかったように。

 

ホークスは、許されないまま生きていかなければならない。

 

彼がそれを受け入れることは、仁のためだけではない。

 

ホークス自身が、これからどう生きるのかという問題でもあった。

 

「……謝罪は、終わりじゃない」

 

ホークスは、静かに呟いた。

 

自分が何をしたのかを認めること。

 

その結果から逃げないこと。

 

そして、次に同じような場面に立ったとき、何を選ぶのか考え続けること。

 

謝罪だけで責任を果たしたと思わないこと。

 

相手が許してくれたからといって、すべてが解決したと思わないこと。

 

逆に、相手が許してくれなかったからといって、自分にはもう何もできないと諦めないこと。

 

それは、贖罪という言葉で片づけられるほど、単純なものではなかった。

 

「……よし」

 

ホークスは、立ち上がった。

 

翼を広げる。

 

窓から見える空は、よく晴れていた。

 

この翼で、これからも誰かを守る。

 

ただし、守ることを理由に、相手の意思を奪わない。

 

必要だと判断したことから、逃げない。

 

自分の行為の結果を、正義という言葉で覆い隠さない。

 

そして、謝罪をしたことを、誰かに許されるための切符にしない。

 

ホークスは、空へ飛び立った。

 

その背中は、英雄のものだった。

 

けれど、その胸のなかには、まだ答えのない問いが残っていた。

 

自分は、誰のために飛ぶのか。

 

誰を助けるために、翼を広げるのか。

 

その問いに、ひとつの答えを与えることはできない。

 

ただ、自分が誰かの人生を勝手に決めてしまわないように。

 

そのことを、何度でも確かめながら飛ぶしかなかった。

 

9 正義は、謝罪の代わりにならない

数日後。

 

復帰者支援に関する会議で、ある担当者が、ホークスに尋ねた。

 

「今回のように、過去に敵対していた者が再び社会に戻ってきた場合、どのように接するのが適切だと思いますか」

 

ホークスは、しばらく考えた。

 

簡単な答えは、いくつもある。

 

法に基づいて対応する。

 

必要な支援を行う。

 

被害者の権利を守る。

 

本人の意思を尊重する。

 

どれも、大切なことだった。

 

だが、それらの言葉を並べるだけでは、まだ足りない気がした。

 

「……まず、その人が、何を望んでいるのかを確認する必要があると思います」

 

ホークスは答えた。

 

「支援を受けたいのか。誰かに会いたいのか。自分の過去について話したいのか。それとも、今は何もしたくないのか」

 

「何もしたくない、という場合もですか?」

 

「はい」

 

ホークスは、うなずいた。

 

「何もしたくないという答えも、本人の意思の一つです。もちろん、緊急に安全を確保しなければならない状況は別ですが、本人の意思を確認しないまま、こちらの都合で『救う』ことを決めてはいけないと思います」

 

担当者は、メモを取った。

 

「では、過去にその人を傷つけた側が、謝罪を望んだ場合はどうでしょうか」

 

その質問に、ホークスは、少しだけ目を伏せた。

 

「……謝罪をしたいと思うこと自体は、自然なことだと思います。でも、その謝罪を聞くかどうかは、相手が決めることです」

 

「謝罪したい側が、謝罪の機会を求めることもできないのでしょうか」

 

「希望を伝えることはできると思います。ただ、その希望を受け入れなければならない義務が、相手に生まれるわけではありません」

 

ホークスは、続けた。

 

「そして、謝罪をしたからといって、関係が修復されるとは限りません。相手が許してくれなかったとしても、それで謝罪が無意味になるわけではないと思います。ただし、謝罪したことを理由に、相手に何かを求めるのは違います」

 

会議室が静かになった。

 

ホークスは、窓の外を見た。

 

「……正義は、謝罪の代わりにはなりません」

 

その言葉を口にしたとき、彼は、自分が仁の前で頭を下げたときのことを思い出していた。

 

正しい判断だったと説明することはできる。

 

その判断に理由があったことも、話せる。

 

しかし、それらの説明は、謝罪の代わりにはならない。

 

そして、謝罪もまた、相手の怒りを消すための道具ではない。

 

自分が何をしたのかを認めることと。

 

相手が、その行為をどう受け止めるのか。

 

それは、別の問題だった。

 

ホークスは、その違いを忘れないようにしたかった。

 

たとえ、誰にも褒められなくても。

 

たとえ、誰にも理解されなくても。

 

たとえ、自分が望む結末にならなかったとしても。

 

謝罪したという事実を、自分を許すための材料にしない。

 

正義だったという説明を、責任から逃げるための盾にしない。

 

そして、相手の怒りを、早く終わらせるべき問題として扱わない。

 

それが、今の自分にできることだった。

 

その日の夕方。

 

仁は、支援施設の前で、立ち止まっていた。

 

空を見上げる。

 

雲の間を、一羽の鳥が飛んでいた。

 

赤い翼ではない。

 

ただ、風に乗って飛ぶ、小さな鳥だった。

 

「……いいよなあ、鳥は」

 

仁は、呟いた。

 

「好きなところに飛んでいけてさ。いや、鳥にも鳥の事情があるんだろうけど! 餌を探したり、巣を作ったり、縄張りを守ったり、そういうのはあるんだろうけど!」

 

ひとしきり喋ってから、口を閉じた。

 

「……まあ、俺も」

 

自分の足元を見る。

 

「……歩けるからな」

 

空を飛ぶ必要はない。

 

誰かに運んでもらう必要もない。

 

今は、まだ、自分の行き先が決まっていないだけだ。

 

仁は、ポケットから、仲間を探すための相談資料を取り出した。

 

記載された窓口。

 

問い合わせ先。

 

確認できる情報。

 

ひとつずつ、自分で調べていくつもりだった。

 

ホークスが助けてくれるかどうかは、まだ分からない。

 

自分から頼むかどうかも、分からない。

 

それでも、今は、まず自分で動こうと思った。

 

「……よし」

 

歩き出す。

 

数歩進んだところで、仁は振り返った。

 

建物の窓に、自分の姿が映っている。

 

その顔は、いつもどおり騒がしく、落ち着きがなく、少しだけ疲れていた。

 

「……分倍河原仁」

 

自分の名前を口にする。

 

「……俺は、まだ生きてる」

 

それを、誰かに証明してもらう必要はない。

 

ホークスが謝罪してくれたからでもない。

 

誰かが自分を許してくれたからでもない。

 

自分が、ここにいる。

 

それだけで、今は十分だった。

 

仁は、再び前を向いた。

 

自分の人生は、まだ終わっていない。

 

そして、ホークスの人生も、まだ続いていく。

 

二人が同じ道を歩くことになるのか。

 

二度と交わらないまま、それぞれの道を進むのか。

 

その答えは、まだどこにもない。

 

ただ一つ、確かなことがある。

 

ホークスは、仁に謝罪した。

 

仁は、その謝罪を聞いた。

 

しかし、二人の関係は、それで元に戻ったわけではない。

 

それでも、ホークスは責任から逃げず、仁は自分の怒りを手放すことを強制されなかった。

 

それは、和解ではない。

 

救済でもない。

 

まして、すべてが解決したという証明でもない。

 

ただ、互いの人生を、互いの都合で決めないための、小さな一歩だった。

 

正義は、謝罪の代わりにならない。

 

謝罪は、許しの代わりにならない。

 

そして、許されないことは、生きていくことの終わりを意味しない。

 

許されないままでも、人は自分の行為に責任を持ち、自分の人生を続けていかなければならない。

 

仁は歩き続けた。

 

ホークスもまた、翼を広げて飛び続けた。

 

二人の距離は、まだ遠い。

 

その距離を埋めることが、本当に必要なのかどうかさえ、分からない。

 

それでも、二人は、それぞれの場所で生きていた。

 

そして、その先には、まだ言葉にされていない孤独が待っていた。

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