僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第十一話「二人分の孤独」

1 大丈夫な人間は、助けを求めるのが下手だ

「……というわけで!」

 

仮設支援施設の食堂に、分倍河原仁の声が響き渡った。

 

「俺は今日から、この食堂の救世主となる! いや、救世主は言いすぎか? 言いすぎだな! そもそも、食堂に救世主って何だよ! 腹が減った人間を救うという意味では救世主かもしれないが、俺自身が腹減ってるんだから、まず俺を救え! 俺を!」

 

「分倍河原さん、列を詰めてください」

 

「あっ、はい! すみません!」

 

仁は素早く一歩進んだ。

 

目の前には、温かいスープとパンが並んでいた。

 

人々は順番に食事を受け取り、空いている席を探している。

 

ここは、帰る場所を失った人々や、生活を立て直している途中の人々が利用する、復旧支援施設の食堂だった。

 

死者として扱われていた人間。

 

長く行方が分からなかった人間。

 

災害で住居を失った人間。

 

それぞれの事情を抱えた人々が、一時的に同じテーブルを囲んでいる。

 

仁も、その一人だった。

 

食事を受け取り、空いている席へ向かう。

 

その途中で、彼は立ち止まった。

 

「……あの」

 

向かい側のテーブルに、一人で座っている女性がいた。

 

仁は、少しだけ迷ってから声をかけた。

 

「ここ、座ってもいいですか?」

 

女性は、顔を上げた。

 

「あ、はい。どうぞ」

 

「ありがとうございます!」

 

仁は勢いよく座った。

 

そして、スープを一口飲んだ。

 

「……うまっ!」

 

思わず声が出た。

 

「いや、うまい! 温かい! こんなに温かい食事がありがたいと思ったのは久しぶりだ! いや、俺だって温かい食事をありがたいと思う心くらいあるんだよ! いつも騒いでるからって、何も考えてないわけじゃないんだ!」

 

女性が、少し笑った。

 

「分倍河原さんって、よくお話しされるんですね」

 

「よくどころじゃありませんよ! 俺の口は、閉じる機能が標準装備されていないんです! いや、ついてるはずなんだけどな! 説明書がどこかにいっちまったんだ!」

 

今度は、女性も声を出して笑った。

 

仁は、その笑顔を見て、少しだけ安心した。

 

誰かが笑ってくれる。

 

自分の話に反応してくれる。

 

それだけのことが、ありがたかった。

 

「……あなたは、ここに長いんですか?」

 

仁が尋ねると、女性はスプーンを置いた。

 

「私は、少し前からです。家が住める状態じゃなくなってしまって。家族とは連絡が取れているんですけど、みんな別々の場所にいて」

 

「そうなんですか……」

 

「あなたは?」

 

仁は、答えようとした。

 

自分がどうしてここにいるのか。

 

なぜ、仲間を探しているのか。

 

どこから戻ってきたのか。

 

いろいろ説明することはできる。

 

だが、どれを話せばいいのか分からなかった。

 

「……俺は」

 

仁は笑った。

 

「ええと……ちょっと、帰る場所を探してまして!」

 

女性は、うなずいた。

 

「そうなんですね」

 

それ以上は聞かなかった。

 

仁は、その反応に少しだけ驚いた。

 

誰かに事情を話すと、相手は何かを尋ねたくなるものだと思っていた。

 

何があったのか。

 

どうしてそうなったのか。

 

家族はいるのか。

 

知り合いはいないのか。

 

何か、できることはないのか。

 

そういう質問をされることに、仁は慣れていた。

 

そして、自分はいつも、必要以上に説明しようとしてしまう。

 

自分がどんな人間なのかを。

 

自分が、なぜここにいるのかを。

 

自分が、なぜ誰かを求めているのかを。

 

先に説明しておけば、相手が自分をどう思うか、少しは分かる気がした。

 

けれど、この女性は、それ以上聞かなかった。

 

ただ、スープを飲み、パンをちぎり、食事を続けた。

 

その沈黙は、妙に気楽だった。

 

仁も、自分のスープに目を落とした。

 

「……あの」

 

「はい?」

 

「おかわりって、できるんですかね?」

 

女性は、また笑った。

 

「できますよ。あちらの窓口で言えば」

 

「よっしゃあ! 世界はまだ俺を見捨てていなかった!」

 

仁は勢いよく立ち上がった。

 

食堂の職員が、遠くから注意する。

 

「分倍河原さん、走らないでください!」

 

「走ってません! これは、食欲に導かれた速歩きです!」

 

「速歩きでも駄目です!」

 

「厳しい! 食欲に厳しい施設だ!」

 

周囲から、小さな笑いが起きた。

 

仁は、自分も笑った。

 

笑いながら、おかわりを受け取りに行った。

 

そのとき、ふと思った。

 

――こういうの、久しぶりだな。

 

誰かと食事をする。

 

くだらないことで騒ぐ。

 

怒られて、笑って、ごまかす。

 

それだけのことが、こんなにも心を軽くする。

 

けれど。

 

おかわりを受け取り、元の席に戻ったとき。

 

仁は、一瞬だけ、隣の空席を見た。

 

そこに、誰が座っていてほしかったのか。

 

トガだったのか。

 

スピナーだったのか。

 

コンプレスだったのか。

 

死柄木だったのか。

 

あるいは、全員だったのか。

 

考えかけて、やめた。

 

目の前には、スープがある。

 

温かい食事がある。

 

隣には、自分の話に笑ってくれた人がいる。

 

それらは、本物だ。

 

失ったものが戻ってこないからといって、今あるものまで偽物になるわけではない。

 

仁は、パンをちぎった。

 

「……いただきます」

 

今度は、誰にも聞こえないくらいの声で言った。

 

彼は食事を続けた。

 

ただし、さっきより少しだけゆっくりと。

 

2 英雄の朝食

ホークスは、朝食を食べる時間がなかった。

 

正確に言えば、食べる時間はあった。

 

テーブルの上には、弁当が置かれている。

 

温かい飲み物も用意されていた。

 

しかし、彼は報告書に目を通しながら、弁当の蓋を開けただけで、箸をつけることができなかった。

 

「……ホークスさん、食べないんですか?」

 

事務スタッフが通りかかり、尋ねた。

 

「ああ、食べますよ。食べます、食べます。俺、食欲だけは誰にも負けないんで」

 

ホークスは笑った。

 

「それ、昨日も聞きました」

 

「昨日の俺は昨日の俺。今日の俺は今日の俺。食欲は毎日、新鮮な気持ちで育つんですよ」

 

「……そうですか」

 

スタッフは、少し疑わしそうな顔をしていた。

 

「じゃあ、その新鮮な食欲が冷めないうちに食べてくださいね」

 

「はいはい。分かってますよ」

 

スタッフが去っていく。

 

ホークスは、弁当を見つめた。

 

いつからだろう。

 

食事をしながら、仕事以外のことを考えるようになったのは。

 

いや、以前から、仕事以外のことを考えないわけではなかった。

 

ただ、考えても、すぐに切り替えられた。

 

任務の前には、任務のことを考える。

 

任務が終われば、報告をする。

 

報告が終われば、次の仕事に取りかかる。

 

その繰り返しのなかで、感情を後回しにすることを覚えた。

 

不安があっても、仕事をする。

 

寂しくても、仕事をする。

 

腹が立っても、笑顔を作る。

 

誰かに理解してほしいと思っても、そんなことを考えている暇はないと自分に言い聞かせる。

 

それは、生きるために必要だった。

 

自分の感情が、いつでも自由に出せるものではなかったから。

 

ホークスは、弁当の蓋を閉じた。

 

「……食べよう」

 

箸を持ち、一口食べる。

 

味は分かった。

 

冷めているわけでもない。

 

まずいわけでもない。

 

ただ、何となく、食べることに集中できなかった。

 

仁に謝罪した。

 

彼は、その謝罪を聞いた。

 

しかし、許さなかった。

 

それは、当然だ。

 

仁が自分を許すかどうかに関係なく、ホークスにはヒーローとしての仕事がある。

 

誰かを助けなければならない。

 

困っている人に手を差し伸べなければならない。

 

その責任は、今もある。

 

だから、仕事をする。

 

そう考えること自体は、間違っていない。

 

けれど。

 

――それなら、俺は、誰に助けを求めればいいんだろう。

 

そんな考えが、ふいに浮かんだ。

 

ホークスは、箸を止めた。

 

誰に助けを求めるか。

 

その問いを、自分に向けたことがあっただろうか。

 

自分が苦しいとき。

 

自分が怖いとき。

 

自分が、もう何も考えたくないと思ったとき。

 

誰かに「今日はもう休んでいい」と言ってほしいと思ったことはなかっただろうか。

 

誰かに、英雄であることを忘れてもいいと言ってほしいと思ったことはなかっただろうか。

 

けれど、その願いを口にしたことは、ほとんどなかった。

 

なぜなら、自分は、そういう役割ではなかったからだ。

 

助ける側。

 

守る側。

 

誰かの期待に応える側。

 

そうした役割を与えられた人間が、弱音を吐けば、誰かを失望させるかもしれない。

 

誰かを不安にさせるかもしれない。

 

自分の存在意義が、揺らいでしまうかもしれない。

 

そう考えるようになっていた。

 

「……いや」

 

ホークスは、小さく首を振った。

 

「今は、仕事だ」

 

自分に言い聞かせる。

 

弁当を食べ終え、蓋を閉じる。

 

報告書を手に取り、次の会議の準備を始める。

 

それでよかった。

 

仕事をすることは、逃げることではない。

 

ただし、仕事をしていれば、自分の孤独を考えずに済む。

 

そのことに気づいてしまったのが、少しだけ厄介だった。

 

3 孤独は、同じ形をしていない

午後。

 

仁は、支援施設の相談窓口で、仲間の行方について尋ねていた。

 

「……ええと、俺の知り合いは、何人かいるんですけど」

 

相談員は、資料を確認しながら答えた。

 

「現時点で、確実に確認できる情報は多くありません。こちらでも、復帰者の記録を整理しているところです。お名前や、最後に確認された場所など、もう少し詳しい情報があれば、照会できる可能性はあります」

 

「……そうですか」

 

仁はうなずいた。

 

「名前なら、いくつでも言えますよ! いや、いくつでもっていうと、さすがに限度はありますけど! 俺の記憶力は無限大ではないんです!」

 

「分かりました。まずは、一人ずつ確認しましょう」

 

「はい!」

 

仁は、名前を伝えた。

 

相談員は、丁寧に記録してくれた。

 

情報が見つかれば、連絡をもらえることになった。

 

それは、確かな一歩だった。

 

けれど、窓口を離れたあと、仁は廊下の椅子に座り込んだ。

 

「……簡単には、見つからないか」

 

口に出すと、思っていた以上に寂しかった。

 

仲間を探す。

 

それは、自分がここに戻ってきてから、ずっと考えていたことだ。

 

ところが、いざ探そうとしてみると、何から手をつければいいのか分からない。

 

自分が死んでいる間に、世界は変わった。

 

自分の知らない時間が流れた。

 

仲間たちが、どこで何をしているのかも分からない。

 

もしかすると、彼らも自分のように、同じ世界へ戻ってきているのかもしれない。

 

けれど、その保証はない。

 

彼らが自分を覚えているのかも、分からない。

 

自分が帰りたいと思っている場所が、彼らにとっても帰りたい場所なのかどうか。

 

それすら、分からなかった。

 

「……ああ、もう」

 

仁は、頭をかいた。

 

「考えたって、仕方ないだろ! 今できることを、一つずつやればいいんだよ! そうだ、そうだ! 俺はこういうとき、何とかなるって信じる男なんだ! 何とかなる! 何とか……」

 

言葉が止まる。

 

何とかなると信じていた時期は、確かにあった。

 

けれど、その結果、何とかなったことばかりではなかった。

 

人生は、願っただけではうまくいかない。

 

努力しただけで、報われるわけでもない。

 

誰かを信じたからといって、その相手が自分を裏切らないとは限らない。

 

それでも、何も信じずに生きることができるかと聞かれたら。

 

仁には、それも無理だった。

 

「……俺は、何を信じればいいんだろうな」

 

呟いた、そのときだった。

 

「分倍河原さん?」

 

顔を上げると、食堂で話した女性が立っていた。

 

「あっ! どうも!」

 

仁はすぐに笑顔を作った。

 

「いやあ、奇遇ですね! こんなところでお会いするとは! ……いや、同じ施設にいるんだから、そんなに奇遇でもないのか? そうだな! これは必然というやつかもしれない!」

 

女性は、少し笑った。

 

「お隣、座ってもいいですか?」

 

「もちろんです!」

 

彼女は隣の椅子に座った。

 

しばらく、二人とも何も言わなかった。

 

仁は、その沈黙に少しだけ戸惑った。

 

何か話したほうがいいのだろうか。

 

いつものように、冗談を言ったほうがいいのだろうか。

 

相手が退屈しているのではないか。

 

自分が、何か気の利いたことを言わなければならないのではないか。

 

そんなことを考えているうちに、女性が口を開いた。

 

「……探している方、見つかりそうですか?」

 

仁は、正直に答えた。

 

「……まだ、分かりません」

 

「そうですか」

 

女性は、それ以上、何も尋ねなかった。

 

仁は、少しだけ肩の力を抜いた。

 

「……でも、探します」

 

女性が、顔を向けた。

 

仁は、自分の手を見つめながら言った。

 

「……俺は、探したいんです。あいつらが、今どこにいるのか。何をしているのか。俺のことを、どう思っているのか。……全部、知りたいんです」

 

言葉にすると、自分の願いが、少しだけはっきりした。

 

彼らが、自分を必要としているかどうか。

 

自分が帰ってもいい場所なのかどうか。

 

それを確かめるのが怖いのは、本当だった。

 

もし、誰も自分を必要としていなかったら。

 

もし、自分の知らない場所で、みんなが新しい生活を始めていたら。

 

自分だけが、過去に取り残されていたら。

 

そう考えると、足がすくむ。

 

それでも、確かめずにはいられない。

 

「……俺、ずっと、一人だったんですよ」

 

仁は言った。

 

「いや、ずっとっていうのは、言いすぎかもしれないですけど! 俺だって、誰かと一緒にいた時期はありますし! でも……」

 

言葉を選ぶ。

 

「……一人でいると、自分が何なのか、分からなくなるんです」

 

女性は、静かに聞いていた。

 

「俺って、何なんだろうって。何をしても失敗するし、うまくいかないし、誰かに必要とされたいと思っても、どうすればいいのか分からないし。……だから、仲間ができたとき、すごくうれしかったんです」

 

仁は、少しだけ笑った。

 

「……あいつら、まともな連中じゃなかったんですけどね」

 

女性は、何も言わなかった。

 

「俺は、あいつらがやったこと、全部正しかったなんて思ってないです。俺自身だって、誰かを傷つけた。俺たちのせいで、傷ついた人もいる。それは、なかったことにならない」

 

仁は、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「……でも、あいつらが俺を仲間にしてくれたことも、なかったことにはしたくないんです」

 

女性は、少しだけうなずいた。

 

「……大切な人たちなんですね」

 

仁は、答えた。

 

「……はい」

 

それ以上、言葉は出なかった。

 

女性は、隣に座ったまま、しばらく一緒にいてくれた。

 

何かを解決してくれたわけではない。

 

仲間の行方が分かったわけでもない。

 

自分の寂しさが、消えたわけでもない。

 

けれど、仁は、少しだけ落ち着いた。

 

誰かに話を聞いてもらうことは、答えをもらうことと同じではない。

 

相手が自分の問題を解決できなくても、そばにいてくれることはある。

 

そのことを、仁は忘れていたのかもしれなかった。

 

「……ありがとうございます」

 

女性は、微笑んだ。

 

「どういたしまして」

 

仁は、もう一度、顔を上げた。

 

「……あの、今度、食堂で会ったら、また話してもいいですか?」

 

「もちろんです」

 

「よし!」

 

仁は立ち上がった。

 

「じゃあ、決まりですね! 次は、俺がもっと面白い話をします! いや、今の話も十分に面白かったはずなんですけどね! 何しろ、俺が話しているんですから!」

 

女性は笑った。

 

仁も笑った。

 

それから、二人は別々の方向へ歩いていった。

 

仁は、もう一度、相談窓口へ向かった。

 

今できることを、一つずつ進めるために。

 

4 ホークスが、誰にも言わなかったこと

その夜、ホークスは、仕事を終えてから一人で屋上にいた。

 

街の光が、遠くまで広がっている。

 

復旧工事の照明。

 

車のライト。

 

建物の窓に灯る明かり。

 

それぞれの場所で、誰かが生きている。

 

食事をしている。

 

誰かと話している。

 

仕事をしている。

 

眠りにつこうとしている。

 

ホークスは、そうした光景を見つめていた。

 

自分は、誰かを守るために飛んできた。

 

空から街を見下ろし、異変を察知し、危険があれば駆けつける。

 

自分の目が届く範囲であれば、できる限りのことをする。

 

それが、ヒーローとしての仕事だ。

 

けれど、空から見えるのは、街の一部にすぎない。

 

建物のなかで、誰が泣いているのか。

 

どの部屋で、誰が誰を必要としているのか。

 

誰が一人で食事をしているのか。

 

誰が、誰にも言えない気持ちを抱えているのか。

 

すべてを見ることはできない。

 

それでも、自分は、できるだけ多くの人を助けようとしてきた。

 

「……お前は、何をしたいんだ?」

 

ふいに、かつての自分に問いかけたくなった。

 

ヒーローになりたい。

 

人を助けたい。

 

必要とされたい。

 

それは、本当に自分の願いだったのだろうか。

 

もちろん、すべてが偽物だったわけではない。

 

自分は、人を助けることに意味を感じていた。

 

誰かが無事に帰れることを、うれしいと思った。

 

誰かが笑ってくれることに、喜びを感じた。

 

そうした気持ちは、確かに自分のものだった。

 

しかし、同時に。

 

自分は、誰かに必要とされることでしか、自分の価値を確かめられなくなっていたのではないだろうか。

 

役に立つこと。

 

期待に応えること。

 

任務を成功させること。

 

誰かを助けること。

 

それらを成し遂げている間は、自分がここにいていいのだと思えた。

 

けれど、何もできないときは。

 

誰かの役に立てないときは。

 

自分が、ただそこにいるだけの人間だったら。

 

自分には、何が残るのだろう。

 

ホークスは、手すりに手を置いた。

 

「……考えたこと、なかったな」

 

いや、考えたことはあったのかもしれない。

 

ただ、考えないようにしてきた。

 

自分の価値を疑い始めれば、立ち止まってしまう。

 

立ち止まれば、誰かを助けられなくなる。

 

だから、疑問を後回しにした。

 

自分が何をしたいのか。

 

何を恐れているのか。

 

誰に会いたいのか。

 

誰に、そばにいてほしいのか。

 

そうしたことを考えるより先に、次の任務へ向かった。

 

そうすれば、少なくとも、自分が何をすべきかは分かる。

 

ヒーローとして、何を求められているのかは分かる。

 

自分の人生を、役割によって説明することができる。

 

それは便利だった。

 

便利すぎた。

 

「……俺は、誰かに必要とされていたかったんだろうな」

 

ホークスは、呟いた。

 

誰かに必要とされること。

 

それは、自分の居場所を確かめる方法だった。

 

自分がいなくなれば、困る人がいる。

 

自分が飛べば、助かる人がいる。

 

自分が働けば、社会が少しでも安全になる。

 

そう思えることは、確かに自分を支えていた。

 

しかし、それだけでは、足りない。

 

自分が何もできないとき。

 

誰かを助けられないとき。

 

失敗してしまったとき。

 

それでも、自分はここにいていいのだろうか。

 

ホークスは、考えた。

 

そして、答えを出せなかった。

 

「……難しいもんだねえ」

 

いつもの調子で呟く。

 

けれど、笑い声は出なかった。

 

そのとき、背後から声がした。

 

「ホークスさん?」

 

振り返ると、事務スタッフが立っていた。

 

「……ああ、どうしました?」

 

「明日の予定について、少し確認したいことがあって」

 

「はいはい。今行きますよ」

 

ホークスは、手すりから離れた。

 

いつもの笑顔を作る。

 

「いやあ、仕事があるっていいですね。悩みごとがあっても、やることがある!」

 

スタッフは、少し不思議そうな顔をした。

 

「……悩みごと、ですか?」

 

「いやいや、何でもありません」

 

ホークスは笑った。

 

「さあ、仕事しましょう」

 

そう言って、屋上を後にした。

 

スタッフは、少しだけ彼の背中を見つめていた。

 

何かを尋ねるべきかと思った。

 

けれど、ホークスは、いつもと変わらない様子で歩いていく。

 

忙しい人なのだろう。

 

責任の重い仕事をしている人なのだろう。

 

それに、何か悩みがあったとしても、自分が立ち入っていいことなのかは分からない。

 

そう考え、スタッフは彼の後を追った。

 

ホークスは、廊下を歩きながら、心のなかで小さく息を吐いた。

 

今、少しだけ。

 

誰かに「大丈夫ですか」と聞いてほしかった。

 

けれど、もし聞かれていたら。

 

自分は、どう答えただろう。

 

「大丈夫です」と言ったのではないか。

 

「問題ありません」と笑ったのではないか。

 

そして、何もなかったように仕事へ戻ったのではないか。

 

ホークスは、自分のその反応を想像して、少しだけ苦笑した。

 

自分は、助けを求めるのが下手なのだ。

 

誰かを助けることには慣れている。

 

困っている人間を見つけることにも。

 

状況を判断することにも。

 

相手が何を必要としているかを考えることにも。

 

けれど、自分が何を必要としているかを、誰かに伝えることには慣れていなかった。

 

「……まあ、少しずつだな」

 

ホークスは、そう呟いた。

 

明日も、仕事はある。

 

ヒーローとしての責任もある。

 

それを放り出すつもりはない。

 

ただ、いつか。

 

誰かに助けを求めてもいいのだと、自分自身に認められるようになりたいと思った。

 

5 似た孤独、違う罪

数日後。

 

仁は、支援施設の食堂で、テレビのニュースを見ていた。

 

復旧の進捗。

 

帰還者への支援制度。

 

各地のヒーローによる活動。

 

そのなかで、ホークスの姿が映った。

 

「……おっ」

 

仁は、思わず声を上げた。

 

画面のなかで、ホークスは記者たちに囲まれていた。

 

いつもの笑顔。

 

軽い口調。

 

相手の質問を受け流しながら、必要な情報を伝える。

 

そして、最後には、冗談を交えて場を和ませる。

 

まるで、何も変わっていないように見えた。

 

仁は、スープを飲みながら、その姿を見つめていた。

 

「……すげえな、あいつ」

 

隣に座っていた女性が、声をかけた。

 

「ホークスさん、知り合いなんですか?」

 

仁は、スープを吹き出しかけた。

 

「ぶっ……! いや、知り合いというか、知り合いじゃないというか、知り合いだけど、知り合いになりたくなかったというか……」

 

女性が、目を丸くした。

 

「……え?」

 

「いや、何でもありません! 何でもないんです! あの人とは、ちょっと……いろいろありまして!」

 

仁は、慌てて笑った。

 

「……でも、まあ」

 

テレビに目を向ける。

 

「……すごい人では、あるんですよ」

 

その言葉は、少しだけ悔しかった。

 

ホークスは、多くの人に必要とされている。

 

社会から期待され、英雄として認められ、困っている人々に手を差し伸べる。

 

その姿は、確かに頼もしい。

 

けれど、仁は知っている。

 

あの男もまた、自分の本音を隠して生きている。

 

人々が求める英雄の顔を、いつでも作れる。

 

必要な言葉を選び、必要な笑顔を見せ、必要な役割を果たす。

 

その姿を見ていると、仁は、どこか自分と似ていると感じた。

 

自分も、よく笑う。

 

よく騒ぐ。

 

ふざけたことを言い、冗談で場を盛り上げる。

 

そうしていれば、少なくとも、誰かが自分を見てくれる。

 

自分を必要としてくれる。

 

そう思っていた。

 

ホークスも、誰かに必要とされることで、自分の居場所を確かめていたのかもしれない。

 

そう考えると、二人には、似たところがあるのかもしれなかった。

 

しかし。

 

仁は、テレビの画面から目を離した。

 

「……だからって」

 

小さく呟く。

 

「……同じじゃねえんだよな」

 

自分は、ホークスに殺された。

 

それは、変わらない。

 

ホークスが孤独を抱えていたとしても。

 

子どものころから、自由に生きることを許されず、英雄という役割を背負わされていたとしても。

 

それが、仁の死を軽くするわけではない。

 

仁が、自分の居場所を求めていたことも、同じだ。

 

孤独だった。

 

誰かに必要とされたかった。

 

自分を受け入れてくれる仲間が欲しかった。

 

それでも、自分は敵連合に加わり、誰かを傷つけた。

 

自分が傷ついたことは、自分が誰かを傷つけたことを消さない。

 

そして、ホークスが孤独だったことも、ホークスが自分を殺した責任を消さない。

 

二人は、似ている部分があるのかもしれない。

 

けれど、同じ人間ではない。

 

同じ人生を歩んだわけでもない。

 

同じ選択をしたわけでもない。

 

仁は、スープを置いた。

 

「……俺は、俺だ」

 

その声は、小さかった。

 

テレビのなかで、ホークスは笑っていた。

 

仁は、その笑顔を見つめていた。

 

あの笑顔のどこまでが本心なのか。

 

どこからが、英雄として作られた顔なのか。

 

以前なら、すべてが嘘だったと思いたかった。

 

自分を騙した男なのだから。

 

しかし、今は、少しだけ違う。

 

ホークスは、確かに自分を騙した。

 

自分の信頼を利用した。

 

そして、命を奪った。

 

その事実は、変わらない。

 

けれど、彼が笑っていた時間のすべてが、嘘だったとは限らない。

 

本物の感情があったとしても、それが裏切りを帳消しにすることはない。

 

逆に、裏切りがあったからといって、すべての感情が偽物だったと決めつける必要もない。

 

そんな複雑なことを、仁は、ようやく考えられるようになっていた。

 

「……いや、考えたくねえな、こんなの!」

 

突然、仁は声を上げた。

 

周囲の客が、びくっとした。

 

「いやいやいや! 何で俺、飯食いながら、あいつのこと考えてんだよ! 俺には、俺の人生があるだろ! 仲間探しだって、まだ終わってないんだぞ!」

 

隣の女性が、苦笑した。

 

「……分倍河原さん、元気ですね」

 

「元気だけが取り柄ですからね! いや、元気がない日もありますけど! そういう日は、取り柄が行方不明になります!」

 

女性は笑った。

 

仁も笑った。

 

けれど、今度は、その笑いを理由に、自分の孤独を隠そうとはしなかった。

 

笑うこともできる。

 

寂しいと感じることもある。

 

怒ることもある。

 

誰かを必要とすることもある。

 

その全部が、自分の一部だ。

 

そのどれか一つだけで、自分を説明する必要はない。

 

仁は、食事を続けた。

 

そして、テレビの画面が次のニュースへ切り替わると、ようやく視線を戻した。

 

6 ホークスの翼の下には、誰がいたのか

その日の夜、ホークスは、自室で古い資料を整理していた。

 

任務記録。

 

訓練記録。

 

評価報告。

 

幼いころから、自分が何をしてきたのかを示す書類が残っていた。

 

どれも、仕事上は重要な記録だ。

 

どんな能力があるのか。

 

何が得意なのか。

 

何を改善すべきなのか。

 

どのような任務に適しているのか。

 

そうした情報が、整然と並んでいる。

 

しかし、そのどこにも、自分が何を感じていたのかという記録はほとんどなかった。

 

怖かったこと。

 

寂しかったこと。

 

本当は、やりたくなかったこと。

 

誰かに褒められたくて、無理をしたこと。

 

誰かに失望されるのが怖くて、笑顔を作ったこと。

 

自分が何を望んでいたのか。

 

そうしたことは、書類の欄には存在しなかった。

 

「……当たり前か」

 

ホークスは、苦笑した。

 

仕事の記録なのだから、当然だ。

 

必要なのは、成果と能力と、今後の課題。

 

感情は、記録するための情報ではなかった。

 

けれど、それらの書類を読み返しているうちに、彼は気づいた。

 

自分は、いつから、こういう考え方をするようになったのだろう。

 

何を感じたかより、何ができたか。

 

何を望んだかより、何を求められているか。

 

誰といたいかより、誰の役に立つか。

 

そうした基準で、自分の人生を考えることに慣れていた。

 

それは、仕事をするうえでは役に立った。

 

自分の感情に振り回されず、任務を遂行できる。

 

必要な決断を下せる。

 

危険な状況でも、冷静に行動できる。

 

しかし、その能力が、自分自身に向けられたとき。

 

自分が何を感じているのか分からなくなってしまうことがあった。

 

「……俺は、誰に認められたかったんだろうな」

 

ホークスは、呟いた。

 

幼いころの自分は、何を望んでいたのだろう。

 

誰かに、頑張ったなと言ってほしかったのか。

 

誰かに、もう無理をしなくていいと言ってほしかったのか。

 

誰かに、何もできなくても、ここにいていいと言ってほしかったのか。

 

そのどれもが、あったのかもしれない。

 

しかし、彼は、それを口にすることを覚えなかった。

 

自分が弱音を吐けば、期待を裏切るかもしれない。

 

自分が立ち止まれば、誰かを失望させるかもしれない。

 

自分が、ただの人間として生きたいと言えば、与えられた役割を失うかもしれない。

 

そう考えていた。

 

そして、いつしか、望まれる自分を演じることが、当たり前になった。

 

英雄としての自分。

 

誰にも不安を見せない自分。

 

いつでも笑顔で、軽口を叩き、状況を明るくする自分。

 

そうした自分を作ることは、難しくなかった。

 

むしろ、簡単だった。

 

難しかったのは、その仮面を外したあとに、何が残るのかを考えることだった。

 

ホークスは、資料を閉じた。

 

「……俺も、誰かに、何かを求めてよかったのかな」

 

その問いは、ひどく幼く感じられた。

 

大人になった自分が、今さらそんなことを考えるのか。

 

ヒーローとして多くの経験を積んだ自分が、そんな疑問を抱くのか。

 

そう思う自分もいた。

 

けれど、誰かに必要とされたいと思うことと。

 

自分自身が、誰かを必要とすることは。

 

同じではなかった。

 

ホークスは、多くの人に必要とされてきた。

 

頼られ、期待され、称賛されてきた。

 

しかし、自分は、どれだけ誰かを必要としてきただろう。

 

誰かに、そばにいてほしいと伝えたことがあっただろうか。

 

自分が怖いときに、怖いと言ったことがあっただろうか。

 

もう限界だと思ったときに、誰かに助けてほしいと頼んだことがあっただろうか。

 

ホークスは、答えを探した。

 

見つからなかった。

 

「……そりゃ、孤独にもなるか」

 

自嘲気味に笑う。

 

しかし、すぐに、その言葉を訂正した。

 

「……いや、孤独だったからって、何をしてもいいわけじゃない」

 

仁の顔が浮かんだ。

 

彼も、孤独だった。

 

仲間を求めていた。

 

自分の存在を受け入れてくれる場所が欲しかった。

 

そして、敵連合に加わった。

 

ホークスは、その孤独を理解できる部分があるのかもしれない。

 

けれど、仁の選択を、自分の孤独と同じものにしてはいけない。

 

自分が孤独だったからといって、彼の孤独のすべてを理解できるわけではない。

 

そして、自分が孤独だったからといって、彼を殺した責任が軽くなるわけでもない。

 

ホークスは、目を閉じた。

 

自分は、自分の孤独を抱えて生きていく。

 

仁もまた、自分の孤独を抱えて生きていく。

 

似た痛みがあっても、二人が歩いてきた道は違う。

 

それを忘れないこと。

 

相手の痛みを理解しようとすることと、相手の人生を、自分の経験で説明してしまうことは違う。

 

ホークスは、窓の外を見た。

 

「……俺は、俺にできることをしよう」

 

その言葉には、以前とは少し違う意味があった。

 

誰かを助けることだけではない。

 

自分が何を望んでいるのかを、少しずつ知ること。

 

誰かに必要とされない時間も、自分の人生として受け入れること。

 

そして、自分がしたことの責任を、他人の許しによって消そうとしないこと。

 

それらを、これからも考え続ける。

 

ホークスは、部屋の明かりを消した。

 

明日も仕事がある。

 

しかし、今夜は、報告書を読むのをやめた。

 

それだけのことが、少しだけ新鮮だった。

 

7 俺たちは、同じではない

数日後。

 

仁は、施設の中庭で、支援員と話していた。

 

「分倍河原さん、今後の生活について、いくつか選択肢があります。しばらくこの施設で過ごすこともできますし、自立に向けた支援を受けることもできます」

 

「……なるほど」

 

仁は、腕を組んだ。

 

「住む場所とか、仕事とか、そういう話ですね!」

 

「はい。もちろん、今すぐ決める必要はありません」

 

仁は、少しだけ考えた。

 

これまで、自分は、何かを決めることが苦手だった。

 

何をすればいいのか分からない。

 

どこへ行けばいいのか分からない。

 

どうすれば人に受け入れてもらえるのか分からない。

 

そうした不安に押されて、誰かの判断に従ったこともあった。

 

自分を必要としてくれる人間がいれば、その人のそばにいたいと思った。

 

その人が何を望むのかを考え、自分が役に立てることを探した。

 

けれど、誰かに必要とされるために、自分のすべてを差し出す必要はないのかもしれない。

 

仁は、少しだけ顔を上げた。

 

「……あの」

 

「はい?」

 

「俺、まずは、自分で仲間を探したいです」

 

支援員は、うなずいた。

 

「分かりました。そのために必要な支援を、引き続き調整しましょう」

 

「ありがとうございます!」

 

仁は、頭を下げた。

 

「それから……」

 

言葉が止まった。

 

自分が、本当に望んでいること。

 

自分が、これからどうしたいのか。

 

それを、誰かに伝えること。

 

「……もし、仲間が見つからなかったら」

 

支援員は、待った。

 

「……そのときは、また考えます」

 

仁は、少しだけ笑った。

 

「俺、今までは、仲間がいないと、自分が何なのか分からなくなっちまうと思ってたんです」

 

支援員は、静かに聞いていた。

 

「……でも、今は、仲間が見つかるまでの間も、俺は俺なんだなって……少しだけ、思うようになりました」

 

その言葉を口にした瞬間、仁自身が驚いた。

 

自分が、本当にそんなことを考えていたのか。

 

いや、考えていたのだろう。

 

ただ、うまく言葉にできなかっただけだ。

 

「……だから、仲間を探します」

 

仁は、はっきりと告げた。

 

「見つけたいから。会いたいから。……それで、もし会えたら、俺がこれからどうしたいのか、あいつらとも話したいんです」

 

支援員は、うなずいた。

 

「いいと思います」

 

仁は、少しだけ照れくさそうに笑った。

 

「……いやあ、俺も、たまには真面目なことを言うんですよ!」

 

「知っています」

 

「本当ですか?」

 

「はい」

 

「……いやあ、まいったな! 俺の真面目さが、ついに世間に認められてしまった! これからは、真面目な男として生きていこう! ……いや、無理だな! 絶対無理だ!」

 

支援員は笑った。

 

仁も笑った。

 

しかし、今度は、その笑いが、何かを隠すためだけのものではなかった。

 

彼は、自分が孤独であることを認め始めていた。

 

誰かと一緒にいたい。

 

仲間に会いたい。

 

自分を必要としてくれる人が欲しい。

 

そうした願いを、恥ずかしいものだと思わなくなりつつあった。

 

同時に、誰かに受け入れてもらえなかったとしても、自分が存在していることまで否定されるわけではないと、少しずつ考えられるようになっていた。

 

その変化は、小さなものだった。

 

明日には、また不安になるかもしれない。

 

仲間が見つからなければ、落ち込むかもしれない。

 

自分を必要としてくれる人がいないと思い込んでしまう日もあるだろう。

 

それでも、今日は。

 

自分が自分のために、ひとつの選択をした。

 

それだけで、十分だった。

 

8 同じ痛みを、同じ答えにしない

夜。

 

ホークスは、支援施設からの報告を読んでいた。

 

仁が、仲間の捜索を続けていること。

 

生活支援について、本人が選択肢を検討していること。

 

施設内で、ほかの利用者と会話をする姿が見られること。

 

その報告は、ごく簡単なものだった。

 

ホークスは、読み終えてから、書類を閉じた。

 

仁が、少しずつ自分の生活を取り戻そうとしている。

 

そのことを、うれしいと思った。

 

けれど、同時に、気をつけなければならないとも思った。

 

仁が、誰かと話している。

 

笑っている。

 

支援を受けている。

 

それらを知ったからといって、自分が安心していいわけではない。

 

彼が自分の生活を取り戻そうとしているのは、ホークスのためではない。

 

自分が殺した男が、少しずつ前へ進んでいるからといって、自分が何かを成し遂げたことになるわけでもない。

 

「……俺は、何を期待してるんだろうな」

 

ホークスは、窓の外を見た。

 

仁が、自分のことを忘れてくれることを望んでいるのか。

 

いつか、自分を許してくれることを望んでいるのか。

 

自分への怒りに、人生を費やさないでほしいと思っているのか。

 

そのどれもが、あるのかもしれない。

 

だが、仁が何を望むのかは、仁自身が決めることだ。

 

ホークスが、彼の未来を心配すること自体は、悪いことではないだろう。

 

けれど、その心配を理由に、再び彼の人生へ踏み込んではいけない。

 

仁が、自分を憎むことを選ぶ可能性もある。

 

自分とは二度と会わないと決める可能性もある。

 

それでも、彼には、彼自身の人生がある。

 

ホークスは、自分の手を見た。

 

この手で、誰かを助けてきた。

 

この手で、任務を果たしてきた。

 

そして、自分の判断によって、一人の男の命を奪った。

 

その事実を、どれか一つだけで説明することはできない。

 

英雄であることは、罪を消さない。

 

孤独だったことも、罪を消さない。

 

誰かを助けてきたことも、罪を消さない。

 

それでも、自分はこれから何をするのかを選ぶことができる。

 

同じような状況に立ったとき、何を優先するのか。

 

相手の意思をどこまで確かめるのか。

 

判断に必要な時間がないとき、どのような責任を引き受けるのか。

 

その問いは、これからも自分の前に現れるだろう。

 

答えは、いつも一つではない。

 

ただ、どんな答えを選んだとしても、その結果から逃げないこと。

 

そして、自分の選択を、相手が受け入れなければならないものとして押しつけないこと。

 

それが、今の自分にできることだった。

 

「……似てるところは、あるのかもしれないな」

 

ホークスは呟いた。

 

自分も、仁も。

 

誰かに必要とされたいと思った。

 

自分の居場所を求めた。

 

孤独を抱えていた。

 

けれど、その孤独から何を選んだのかは違う。

 

仁は、仲間のために戦い、その戦いのなかで誰かを傷つけた。

 

ホークスは、英雄としての任務を遂行し、その任務のなかで仁の命を奪った。

 

どちらも、自分の選択の結果を引き受けなければならない。

 

孤独を理由にして、罪を軽くすることはできない。

 

ただし、罪があるからといって、孤独を感じてはいけないわけでもない。

 

自分たちは、それぞれの人生を生きている。

 

その人生が交わった結果、取り返しのつかないことが起きた。

 

その事実から逃げずに、これからどう生きていくか。

 

それを決めるのは、自分たち自身だった。

 

ホークスは、椅子から立ち上がった。

 

明日も、仕事がある。

 

けれど、明日が来るからといって、今日の問題が自動的に解決するわけではない。

 

仁が自分を許さなくても、ホークスは生きていかなければならない。

 

仁が仲間を見つけられなくても、仁は自分の人生を続けていかなければならない。

 

誰かのそばにいられない時間があっても。

 

誰かに理解してもらえない時間があっても。

 

自分が何者なのか分からなくなる夜があっても。

 

それでも、明日、自分が何をするかは、自分で決められる。

 

ホークスは、部屋の明かりを消した。

 

暗闇のなかで、静かに息を吐く。

 

「……おやすみ」

 

誰かに向けた言葉ではなかった。

 

けれど、初めて、自分自身にも向けた言葉だった。

 

9 二人分の孤独

その夜、仁は、ベッドのなかで考えていた。

 

ホークスのこと。

 

仲間のこと。

 

これからのこと。

 

自分が、なぜ孤独を恐れるのか。

 

誰かと一緒にいると、安心する。

 

誰かに必要とされると、自分がここにいていいと思える。

 

それは、悪いことではない。

 

けれど、誰かに必要とされることだけが、自分の価値を決めるわけではない。

 

もし、仲間が見つからなかったとしても。

 

もし、誰かに受け入れてもらえなかったとしても。

 

もし、自分が、もう以前のようには生きられなくなっていたとしても。

 

自分が生きていることまで、無意味になるわけではない。

 

仁は、目を閉じた。

 

それでも、寂しかった。

 

誰かに会いたかった。

 

誰かの声が聞きたかった。

 

自分を覚えていてほしかった。

 

その願いは、消えない。

 

消す必要もないのだろう。

 

ただ、その願いを叶えるために、何をするのかは、自分で決めなければならない。

 

ホークスへの憎しみだけで、自分の人生を決めるつもりはない。

 

そう思えるようになったからといって、ホークスを許す必要もない。

 

似た孤独を抱えているからといって、彼の選択を自分の選択と同じにする必要もない。

 

自分は自分。

 

ホークスはホークスだ。

 

二人は、同じ場所に立っているわけではない。

 

同じ責任を負っているわけでもない。

 

それでも、二人とも、孤独を抱えている。

 

一人は、誰かに受け入れられることで、自分の居場所を見つけようとしている。

 

もう一人は、誰かを助けることで、自分の価値を確かめようとしてきた。

 

どちらも、誰かとのつながりを求めていた。

 

けれど、そのつながりを求める気持ちが、いつでも正しい選択につながるとは限らない。

 

誰かに必要とされたくて、無理をすることもある。

 

誰かを助けたくて、相手の意思を無視してしまうこともある。

 

誰かと一緒にいたくて、相手の罪を見ないふりをしてしまうこともある。

 

誰かに許されたくて、相手に許すことを求めてしまうこともある。

 

だからこそ、孤独を感じたとき、自分が何を望んでいるのかを確かめなければならない。

 

そして、その願いを叶えるために、誰かの人生を勝手に決めてはいけない。

 

仁は、ゆっくりと目を開いた。

 

「……俺は、俺の人生を生きる」

 

小さく、そう呟いた。

 

その言葉は、まだ誓いというほど強いものではなかった。

 

明日になれば、不安になるかもしれない。

 

また、誰かに必要とされたいと思うかもしれない。

 

仲間が見つからないことに、焦るかもしれない。

 

ホークスへの怒りが、再び大きくなるかもしれない。

 

それでも。

 

自分の人生を、誰か一人への憎しみだけで決めない。

 

誰かの謝罪だけで、許しを決めない。

 

誰かの孤独を理由に、罪をなかったことにしない。

 

そして、自分が孤独だからといって、自分を責めすぎない。

 

そんなふうに、少しずつ考えていけばいい。

 

仁は、再び目を閉じた。

 

遠くで、誰かが廊下を歩く音が聞こえた。

 

その音を聞きながら、彼は眠りにつこうとした。

 

ホークスもまた、別の場所で眠ろうとしていた。

 

二人の距離は、遠い。

 

彼らの孤独は、似ている部分がある。

 

けれど、同じ形ではない。

 

二人は、互いの痛みを完全に理解することはできないだろう。

 

理解しようとすることはできる。

 

耳を傾けることもできる。

 

けれど、相手の人生を、自分の経験によって説明することはできない。

 

二人は、それぞれの道を歩く。

 

一人は、仲間を探すために。

 

もう一人は、英雄としての責任を引き受けながら、自分の人生を見つめ直すために。

 

そして、いつか再び、二人が向き合うとき。

 

そこにあるのは、同じ孤独を分かち合うという答えではないかもしれない。

 

互いに違う人間であると認めたうえで、何を話すのか。

 

何を受け入れ、何を受け入れないのか。

 

その答えは、二人自身が決めなければならない。

 

孤独が似ているからといって、罪まで同じになるわけではない。

 

そして。

 

誰かに理解されなくても、自分の人生を選ぶことはできる。

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