僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第十二話「トゥワイスの選択」

1 仲間を探す男

「……はい、というわけで!」

 

分倍河原仁は、相談窓口のカウンターに両手をついた。

 

「本日の俺は、非常に真剣な男です!」

 

向かいに座る相談員が、穏やかにうなずく。

 

「それは頼もしいですね」

 

「でしょう! いやあ、真剣ですよ! 何しろ今日は、俺の人生を大きく左右する重要な手続きをしに来たんですから!」

 

「はい。先日ご相談いただいた、知人の捜索についてですね」

 

「そう! それです!」

 

仁は大きくうなずいた。

 

「まず、トガちゃん! それからスピナー! コンプレス! 死柄木! ええと、あと……いや、名前を挙げ始めたらきりがないな! 俺の交友関係は意外と広いんです!」

 

「分かりました。お一人ずつ確認していきましょう」

 

「お願いします!」

 

元気よく答えた仁だったが、相談員が資料を開くと、急に落ち着きがなくなった。

 

膝が揺れる。

 

指先が机を叩く。

 

視線が、相談員の顔と書類のあいだを行き来する。

 

「……あの」

 

仁が尋ねた。

 

「どうしましたか?」

 

「見つかりますかね?」

 

相談員は、すぐには答えなかった。

 

「現時点では、何とも言えません。こちらでは、復帰された方や、身元の確認が必要な方について情報を整理しています。ただ、すべての方の所在が確認できているわけではありません」

 

「……ですよね」

 

「照会できる記録は調べます。もし、本人が情報の開示を望んでいない場合には、居場所を直接お伝えできないこともありますが、こちらから伝言を届ける方法を検討することはできます」

 

仁は、目を上げた。

 

「伝言?」

 

「はい。相手の所在をお知らせするのではなく、あなたからの伝言を、先方に届ける形です。受け取った方が返事を望むなら、その後の連絡について改めて調整できます」

 

仁は黙った。

 

その方法は、当たり前のようでいて、仁には思いつかなかった。

 

自分は、仲間を探している。

 

会いたい。

 

どこにいるのか知りたい。

 

何をしているのか知りたい。

 

そして、できれば、もう一度一緒にいたい。

 

そればかり考えていた。

 

だが、もし仲間が見つかったとして。

 

彼らが、自分に会いたいと思っていなかったら。

 

自分のことを、もう過去の人間として整理していたら。

 

自分が戻ってきたことを、喜ばないとしたら。

 

その場合、自分はどうするのだろう。

 

「……返事がなかったら?」

 

仁は尋ねた。

 

「はい?」

 

「俺が伝言を送って、相手が返事をしてくれなかったら、どうなるんですか?」

 

相談員は、率直に答えた。

 

「その方が、今は返事を望んでいないという可能性があります。まだ情報が届いていない場合や、返事を考える時間が必要な場合もあるでしょう。ただ、返事がないことだけで、相手の気持ちをすべて判断することはできません」

 

「……そうですか」

 

仁は、視線を落とした。

 

「でも、返事がないからといって、何度も連絡を送り続けるのは、相手に負担をかける可能性があります」

 

「……分かってます」

 

仁は、少し早口で答えた。

 

「分かってますよ! 俺だって、それくらい分かってます! 相手にだって事情があるんですから! 俺が会いたいからって、向こうも会いたがってるとは限らない。俺が寂しいからって、向こうが俺の寂しさを埋めなきゃいけないわけじゃない!」

 

そこで、仁は口を閉じた。

 

自分が言った言葉を、頭の中で繰り返す。

 

俺が寂しいからって、向こうが俺の寂しさを埋めなきゃいけないわけじゃない。

 

それは、正しい。

 

正しいのに、ひどく寂しい言葉だった。

 

仲間を探しているのは、自分だ。

 

彼らに会いたいと思っているのも、自分だ。

 

しかし、会いたいという願いがあるからといって、相手に返事をする義務が生まれるわけではない。

 

それを理解することは、相手の自由を認めることだ。

 

同時に、自分の願いが叶わない可能性を認めることでもあった。

 

「……でも」

 

仁は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「伝言なら、送れますよね?」

 

「はい。ご本人の意思を確認したうえで、適切な方法を検討します」

 

「じゃあ、送ります」

 

相談員は、少しだけ確認するように仁を見た。

 

「よろしいですか?」

 

「はい」

 

仁はうなずいた。

 

「返事が来るかどうかは、相手が決める。返事が来なかったら、俺はそれを受け止める。……もちろん、落ち込むでしょうけどね! もうそれは、間違いなく! 盛大に落ち込みますよ! 俺の精神は、そんなに頑丈じゃないんですから!」

 

相談員が、少し笑った。

 

「それでも、送るのですね」

 

「送ります」

 

仁は、今度は迷わず答えた。

 

「……俺は、あいつらに会いたいんです」

 

その言葉は、前よりもはっきりしていた。

 

「会いたいから、伝えたい。俺は生きてるって。ここにいるって。……それから、できれば、もう一度話したいって」

 

仁は、自分の胸を指さした。

 

「これを伝えるかどうかは、俺が決める。受け取るかどうかは、あいつらが決める。……それでいいんですよね?」

 

「はい」

 

相談員は、静かにうなずいた。

 

仁は、少しだけ笑った。

 

「……よし」

 

そして、すぐに付け加えた。

 

「いや、よしじゃねえ! まだ何も始まってねえだろ! これで満足するな、俺! 大切なのはここからだ!」

 

相談員は、今度は声を出して笑った。

 

仁も笑った。

 

けれど、笑い終えたあとも、彼はカウンターの前に立っていた。

 

今度は、逃げなかった。

 

自分の願いを、相手に押しつけない形で伝えるために。

 

一歩目を、自分で踏み出すために。

 

2 四通の伝言

伝言を書くための用紙は、思っていたよりも小さかった。

 

名前。

 

本人との関係。

 

伝えたい内容。

 

連絡先。

 

それだけだ。

 

たったそれだけの欄を埋めるのに、仁は三十分以上もかかった。

 

最初の用紙には、こう書いた。

 

「俺だ。トゥワイスだ。生き返ったぞ!」

 

書いたあと、仁はしばらく眺めていた。

 

「……いや、これじゃ駄目か?」

 

自分で首をかしげる。

 

「いや、でも、俺らしいだろ! 生き返ったぞって! いや、何だ、生き返ったぞって! 相手からしたら、何を言ってるのか分からない可能性もある! そもそも、俺が死んだことを知ってるのか? 知ってるだろ! いや、知ってるとは限らないのか?」

 

用紙を裏返した。

 

次の一枚。

 

「分倍河原仁です。今、支援施設にいます。できれば会いたいです」

 

今度は、丁寧すぎる気がした。

 

「……誰だよ、これ。俺か? 俺なのか? いや、俺なんだけど! 俺なんだけど、何か違う!」

 

また、書き直す。

 

三枚目。

 

「俺は生きてる。会いたい。返事をくれ」

 

これは、少し強すぎた。

 

返事をくれ。

 

その言葉が、相手の選択を急かしているように思えた。

 

仁は、ペンを止めた。

 

自分は、返事が欲しい。

 

会いたい。

 

声が聞きたい。

 

今どこにいるのか、何をしているのか、知りたい。

 

その願いは、本当だ。

 

けれど、相手にも、自分の人生がある。

 

自分が死んでから、何があったのか。

 

彼らがどのように生きてきたのか。

 

自分には分からない。

 

だから、自分の願いを伝えることと、相手に返事を求めることは、分けなければならなかった。

 

仁は、新しい用紙を取った。

 

今度は、ゆっくりと書いた。

俺だ。

 

分倍河原仁。トゥワイスだ。

 

俺は、今、生きている。

 

どこから戻ってきたのか、どうしてこうなったのか、まだ分からないことばかりだ。

 

そっちは、どうしてる?

 

俺は、もう一度、みんなに会いたいと思ってる。

 

でも、俺が会いたいからって、みんなも会いたいとは限らないことは分かってる。

 

返事をするかどうかは、そっちで決めてくれ。

 

もし会いたくないなら、無理に返事をしなくてもいい。

 

ただ、俺はここにいる。

 

俺は、まだ生きてる。

 

それだけは、伝えておきたかった。

 

――仁/トゥワイス

 

書き終えた瞬間、仁は、ペンを置いた。

 

「……できた」

 

声が、少しかすれていた。

 

自分でも驚いた。

 

たったこれだけの文章なのに、こんなに疲れるとは思っていなかった。

 

伝えたいことは、山ほどある。

 

会いたい。

 

寂しい。

 

戻りたい。

 

どうして自分だけがこんな目に遭ったのか、分からない。

 

自分がいない間に何が起きたのか、知りたい。

 

誰かに、自分のことを覚えていてほしい。

 

そうした気持ちを全部書こうとすれば、用紙はいくらあっても足りないだろう。

 

それでも、今はこれでいい。

 

自分が生きていること。

 

会いたいと思っていること。

 

返事をするかどうかは、相手に委ねること。

 

それだけを、伝える。

 

仁は、相談員に用紙を渡した。

 

「……お願いします」

 

相談員は、内容を確認した。

 

「分かりました。照会を進め、伝言を届けられる方法を調整します。すぐに結果が出るとは限りませんが、手続きは進めます」

 

「ありがとうございます」

 

仁は、深く頭を下げた。

 

そして、部屋を出た。

 

廊下の先には、窓がある。

 

その向こうには、街が広がっていた。

 

たくさんの建物。

 

たくさんの人。

 

たくさんの人生。

 

そのどこかに、仲間たちがいるのかもしれない。

 

いないのかもしれない。

 

仁は、窓の外を見つめた。

 

「……届けよ」

 

小さく、呟く。

 

誰に聞かせるでもなく。

 

「……頼むから、届いてくれ」

 

それは、命令ではなかった。

 

相手の自由を奪うための言葉でもなかった。

 

ただ、願いだった。

 

自分の願いとして、そこにあるものだった。

 

仁は、しばらく窓の前に立っていた。

 

それから、自分の部屋へ戻るために歩き出した。

 

返事を待つ時間が始まった。

 

3 信じることは、賭けなのか

その夜、仁は眠れなかった。

 

「……いや、眠れるわけねえだろ」

 

布団のなかで、天井を見つめる。

 

「伝言を送っちまったんだぞ! 送ったんだぞ、俺! 自分から! 自分の意思で! いや、当たり前だろ! 自分の意思で送ったに決まってるだろ!」

 

寝返りを打つ。

 

「……返事、来るかな」

 

呟いた途端、胸がざわついた。

 

来るかもしれない。

 

来ないかもしれない。

 

明日かもしれない。

 

一週間後かもしれない。

 

あるいは、一生、来ないかもしれない。

 

「……いやいやいやいや! 一生って何だよ! いきなり一生まで飛ぶな、俺! まだ何も始まってないだろ!」

 

自分に言い聞かせた。

 

「……まだ、決まってない」

 

そう。

 

まだ、決まっていない。

 

返事が来るかどうかも。

 

誰が、どんな言葉を返してくるのかも。

 

彼らが、自分のことをどう思っているのかも。

 

何一つ、決まっていない。

 

だから、今から最悪の結末を想像して、自分を苦しめる必要はない。

 

……必要はないのだが。

 

「……どうしても考えちまうんだよなあ」

 

仁は、枕に顔を埋めた。

 

自分は、かつて人を信じた。

 

ホークスを信じた。

 

その信頼は、利用された。

 

そして、自分の命を奪われた。

 

だからといって、誰も信じないと決めれば、もう二度と傷つかずに済むのだろうか。

 

いや。

 

誰も信じなければ、裏切られることは減るかもしれない。

 

しかし、誰かとつながる機会も失う。

 

自分が大切だと思う人間を、最初から遠ざけることになる。

 

それは、本当に、自分が望んでいる生き方なのだろうか。

 

「……信じるって、何なんだろうな」

 

仁は目を閉じた。

 

誰かを信じるということは、相手が絶対に裏切らないと保証することではない。

 

裏切られる可能性があることを、知ったうえで。

 

それでも、この人とは話してみたいと思うこと。

 

この人に、自分の言葉を伝えてみたいと思うこと。

 

この人と、もう一度、一緒にいたいと思うこと。

 

その願いを、相手にも同じように持つよう強制しないこと。

 

自分が相手を信じたからといって、相手が自分を信じなければならないわけではない。

 

自分が会いたいからといって、相手が会わなければならないわけでもない。

 

そう考えると、信頼は、誰かを自分の人生に縛りつけるためのものではないのかもしれなかった。

 

仁は、ゆっくりと寝返りを打った。

 

「……俺は、あいつらを信じたい」

 

言葉にしてみる。

 

「……いや、信じたいっていうか……」

 

少し、考える。

 

「……もう一度、信じるかどうか、自分で決めたいんだ」

 

それが、一番近い気がした。

 

かつて、一緒にいたとき。

 

彼らが何を考えていたのか。

 

どんなことを望んでいたのか。

 

自分が知らなかった部分も、たくさんあるだろう。

 

彼らが自分を仲間だと思っていたとしても、その思い方は、自分の思い方と同じではなかったかもしれない。

 

それでも、彼らとの時間は、自分にとって大切だった。

 

そのことを、誰かに否定させる必要はない。

 

そして、彼らにもう一度会えたなら。

 

そのときは、改めて相手のことを知ればいい。

 

自分が以前から知っていた人物だからといって、相手の現在まで分かったつもりになる必要はない。

 

自分が会いたいと思うのと同じように、相手にも、自分に会いたいかどうかを選ぶ権利がある。

 

仁は、目を開けた。

 

「……そうだよな」

 

小さくうなずいた。

 

「……俺は、俺の意思で、もう一度、あいつらを知りたいんだ」

 

その答えは、勇ましいものではなかった。

 

自信に満ちたものでもない。

 

怖い。

 

不安だ。

 

返事が来なかったら、きっと傷つく。

 

それでも、知りたい。

 

それでも、会いたい。

 

それでも、誰かと一緒に生きたい。

 

その願いを持つことを、もう恥ずかしいとは思いたくなかった。

 

仁は、ゆっくりと目を閉じた。

 

今夜は、まだ眠れそうになかった。

 

けれど、眠れない理由が、少しだけ変わったような気がした。

 

以前は、帰る場所がないという事実に押しつぶされそうだった。

 

今は、まだ見つかっていない帰る場所を、自分の足で探している。

 

その違いは、小さい。

 

しかし、確かな違いだった。

 

4 人に必要とされることと、人を必要とすること

翌朝。

 

仁は、食堂で、配膳を手伝っていた。

 

最初は、ただ食事を受け取りに来ただけだった。

 

ところが、職員が忙しそうにしているのを見て、つい声をかけてしまったのだ。

 

「何か、手伝えることありますか?」

 

職員は、少し驚いた顔をした。

 

「そうですね……。食器を運ぶのを手伝っていただけると助かります。ただ、無理のない範囲でお願いします」

 

「任せてください!」

 

仁は、勢いよく腕まくりをした。

 

「俺、こう見えても働き者なんですよ! いや、こう見えてもって何だよ! 俺のどこが働き者に見えないんだ! 見た目か! 態度か! ……全部か!」

 

職員は笑った。

 

「では、こちらをお願いします」

 

「はい!」

 

仁は、食器を運び始めた。

 

最初は、ただの手伝いだった。

 

しかし、少しずつ、仕事が増えていった。

 

テーブルを拭く。

 

水を補充する。

 

食器を片づける。

 

次の食事の準備を手伝う。

 

仁は、忙しく動き回った。

 

そして、誰かに声をかけられるたび、元気よく返事をした。

 

「ありがとうございます」

 

「助かりました」

 

「すみません、こちらもお願いできますか?」

 

そうした言葉を聞くたび、仁の胸は少しだけ温かくなった。

 

必要とされる。

 

自分が何かをすることで、誰かの役に立つ。

 

それは、うれしいことだった。

 

けれど、途中で、仁は手を止めた。

 

職員が、心配そうに声をかける。

 

「どうしました?」

 

「……いえ」

 

仁は、自分の手を見つめた。

 

「……俺、何か、変なこと考えてました」

 

「どんなことですか?」

 

「……誰かに必要とされると、安心するんです」

 

職員は、黙って聞いていた。

 

「誰かが、俺がいて助かったって言ってくれると……俺がここにいてもいいんだって、思えるんですよ」

 

仁は、少しだけ笑った。

 

「……でも、そういう理由で働いてると、いつか、誰かの役に立てなくなったときに、また、自分には何もないって思っちまうんじゃないかなって」

 

職員は、しばらく考えてから答えた。

 

「誰かの役に立つことが、あなたにとってうれしいのであれば、それは大切な気持ちだと思います。ただ、役に立てない日があったからといって、あなたがここにいてはいけないことにはなりません」

 

仁は、顔を上げた。

 

「……そうですかね?」

 

「はい。人は、何かができるから存在していい、というわけではありませんから」

 

仁は、黙った。

 

その言葉を、すぐに自分のなかへ取り込むことはできなかった。

 

長い間、自分は、誰かに必要とされることを求めていた。

 

必要とされなければ、自分には価値がない。

 

そう思ってしまうことがあった。

 

だから、誰かのそばにいるために、できることを探した。

 

自分が役に立てるなら、そこにいられると思った。

 

しかし、誰かの役に立つことと。

 

自分が、誰かと一緒にいたいと思うこと。

 

それは、必ずしも同じではない。

 

自分が何かをしてあげられなくても、そばにいたいと思うことがある。

 

相手が、自分に何かをしてくれなくても、そばにいたいと思うことがある。

 

そんな関係も、あるのかもしれない。

 

仁は、ゆっくりとうなずいた。

 

「……分かりました」

 

そして、すぐに笑った。

 

「いやあ、いいことを聞きました! つまり、今日は俺が何もできなくても、ここにいていいということですね! よし! じゃあ、明日は一日中、食堂の隅で寝ていよう!」

 

「それは、困りますね」

 

職員が笑う。

 

仁も笑った。

 

「ですよね! そうなりますよね! 俺、今、ちょっと調子に乗りました!」

 

また、食器を運び始める。

 

今度は、誰かに必要とされるためだけではなく。

 

自分が、ここで何かをしたいと思ったから。

 

その違いを、仁はまだ、うまく説明できなかった。

 

けれど、何となく分かっていた。

 

自分は、誰かに必要とされることを待つだけの人間ではない。

 

自分から、誰かのそばに行くこともできる。

 

誰かに何かをしてあげたいと思うこともできる。

 

そして、自分が疲れたら、休んでもいい。

 

それは、怠けることでも、誰かを裏切ることでもない。

 

自分が誰かと一緒に生きていくために、必要なことなのかもしれなかった。

 

仁は、最後の食器を片づけた。

 

「……よし!」

 

そして、胸を張った。

 

「本日の俺、完璧!」

 

職員が、笑いながら訂正する。

 

「まだ仕事は残っていますよ」

 

「……ですよねえ!」

 

仁は、大きく肩を落とした。

 

「人生、そんなに甘くない!」

 

食堂に、笑い声が広がった。

 

仁も、その輪のなかで笑っていた。

 

5 ホークスには、まだ言えない

午後、仁は支援施設の中庭で、空を見上げていた。

 

風が吹いている。

 

木々の葉が揺れている。

 

遠くの空を、鳥が飛んでいく。

 

その姿を見ていると、ホークスの翼を思い出した。

 

赤い羽根。

 

自由に空を飛ぶ姿。

 

誰かを助けるために、迷わず飛び立つ姿。

 

そして、その翼で、自分を殺した姿。

 

仁は、顔をしかめた。

 

「……ああ、もう!」

 

頭をかく。

 

「何で、こんなときまで、あいつのことを考えなきゃいけないんだよ!」

 

自分の人生を、ホークスへの憎しみだけで決めるつもりはない。

 

それは、決めた。

 

けれど、ホークスのことを忘れると決めたわけではない。

 

忘れられるわけもない。

 

自分の命を奪った男なのだから。

 

彼を許していない。

 

その気持ちも、変わらない。

 

ただ、ホークスを憎むことと、彼のことだけを考えて生きることは違う。

 

仁は、その違いを、少しずつ理解し始めていた。

 

「……俺は、俺の人生を生きる」

 

また、口にする。

 

昨日より、少しだけ自然に。

 

「……ホークスを許すかどうかも、俺が決める。あいつが何を考えるかは、あいつが決める。……俺は、俺がどうしたいかを考える」

 

そう言ってみると、少しだけ胸が軽くなった。

 

もちろん、すべてが解決したわけではない。

 

ホークスへの怒りは残っている。

 

仲間が見つかるかどうかも分からない。

 

自分が、この先どこで暮らすのかも決まっていない。

 

それでも、今、自分にできることがある。

 

仲間を探すこと。

 

生活を立て直すこと。

 

食堂で、誰かと話すこと。

 

自分が、どんな人間として生きていきたいのかを考えること。

 

それらは、ホークスが決めることではない。

 

誰かが、自分に許可を与えることでもない。

 

仁は、空を見上げた。

 

「……俺は、まだ生きてる」

 

その言葉は、今度は、少しだけ違って聞こえた。

 

ただ生きているという事実ではない。

 

これから何をするか、自分で決めることができるという意味だった。

 

そのとき、施設の職員が、中庭へやってきた。

 

「分倍河原さん。少し、お話ししてもいいですか?」

 

「はい!」

 

仁は振り返った。

 

職員は、一枚の書類を持っていた。

 

「先日、あなたが送った伝言について、確認がありまして」

 

仁の身体が、固まった。

 

「……え?」

 

声が、ひっくり返った。

 

「……返事、来たんですか?」

 

「いえ、まだ返事ではありません。ただ、照会先から、確認したいことがあると連絡がありました」

 

仁は、息を止めた。

 

「……確認?」

 

「はい。あなたが伝言を送った相手のうち、一人について、該当する可能性のある記録が見つかったようです。ただし、本人であると確定したわけではありません。詳しいことは、もう少し確認が必要です」

 

仁は、書類を見つめた。

 

該当する可能性。

 

確定ではない。

 

確認が必要。

 

それは、何も保証していない。

 

それでも。

 

何も分からなかった場所に、ひとつ、小さな手がかりが生まれた。

 

「……誰ですか?」

 

仁は、思わず身を乗り出した。

 

職員は、慎重に答えた。

 

「今は、まだお伝えできる情報が限られています。確実な情報が確認できたら、改めてご説明します」

 

仁は、唇を引き結んだ。

 

焦るな。

 

今、急いで答えを求めても、何も変わらない。

 

そう自分に言い聞かせる。

 

「……分かりました」

 

声は、震えていた。

 

「……待ちます」

 

職員は、うなずいた。

 

「ありがとうございます」

 

職員が去っていったあと、仁は、しばらく動けなかった。

 

返事ではない。

 

まだ、誰なのかも分からない。

 

それでも、自分の伝言が、誰かに届く可能性が生まれた。

 

仁は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……来いよ」

 

小さく呟く。

 

「……頼むから、来いよ」

 

その願いは、相手に向けられたものだった。

 

返事を強制するための言葉ではない。

 

ただ、もう一度、誰かとつながりたいという願いだった。

 

仁は、空を見上げた。

 

鳥が、遠ざかっていく。

 

その背中を見送りながら、彼は思った。

 

自分は、まだ、誰を信じるか決めきれていない。

 

仲間に会えたとしても、すべてが以前と同じになるとは限らない。

 

それでも、もう一度、相手のことを知りたい。

 

もう一度、相手の言葉を聞きたい。

 

そして、自分自身の言葉で、これからのことを話したい。

 

その願いを、今度は自分で選んだ。

 

それだけは、確かだった。

 

6 選ばれた人生ではなく、選ぶ人生

夕方。

 

仁は、自分の部屋に戻り、机の上に一枚の紙を置いた。

 

そこには、今日、自分がやったことが書かれていた。

 

仲間への伝言を送った。

 

食堂の手伝いをした。

 

支援員と、これからの生活について話した。

 

それだけだ。

 

特別なことは何もない。

 

誰かを救ったわけでもない。

 

世界を変えたわけでもない。

 

自分の罪が消えたわけでもない。

 

ホークスへの怒りがなくなったわけでもない。

 

それでも、仁は、その紙をしばらく見つめていた。

 

今日、自分は、いくつかのことを自分で選んだ。

 

仲間に伝言を送ること。

 

食堂の手伝いをすること。

 

今の自分にできることを、少しずつ進めること。

 

そして、ホークスへの怒りだけで、自分の人生を決めないこと。

 

それは、誰かに与えられた選択ではなかった。

 

誰かに、正しいと言われたからでもない。

 

誰かに、そうしなければいけないと命じられたからでもない。

 

自分が、そうしたいと思ったから。

 

それだけだった。

 

仁は、椅子に座った。

 

「……俺は、何をしたいんだろうな」

 

これから先のことを、考えてみる。

 

仲間に会いたい。

 

自分の居場所を見つけたい。

 

誰かと一緒にいたい。

 

それは、間違いない。

 

でも、それだけではない。

 

自分が、何を好きなのか。

 

何をしているときに、少しだけ楽しいと思えるのか。

 

どんな場所にいると、安心できるのか。

 

誰と話すと、自然に笑えるのか。

 

そうしたことも、少しずつ考えてみたいと思った。

 

今まで、仁は、誰かのそばにいるために、自分が何をすればいいのかを考えてきた。

 

役に立つこと。

 

必要とされること。

 

仲間を助けること。

 

自分がいれば、相手が困らないようにすること。

 

その願いは、本物だった。

 

しかし、それだけでは、自分が何を望んでいるのか、分からなくなってしまうこともあった。

 

誰かが求める自分。

 

誰かが必要とする自分。

 

そればかりを考えていると、自分自身が、本当はどうしたいのかが見えなくなる。

 

「……俺は、誰かのために生きたい」

 

仁は呟いた。

 

その言葉は、今も本当だった。

 

「……でも、それだけじゃない」

 

自分が、どう生きたいのか。

 

自分が、誰と一緒にいたいのか。

 

自分が、何を大切にしたいのか。

 

それも、自分で決めていいはずだった。

 

誰かを大切にすることと、自分を大切にすること。

 

どちらか一つを選ばなければならないわけではない。

 

誰かを助けたいと思うことと、自分が助けを求めること。

 

それも、矛盾しているわけではない。

 

誰かに必要とされたいと思うことと、誰かを必要とすること。

 

その両方が、自分のなかにあってもいい。

 

仁は、机の上の紙を折りたたんだ。

 

「……よし」

 

そして、立ち上がった。

 

今日は、もう寝よう。

 

明日も、やることがある。

 

仲間への伝言について、進展があるかもしれない。

 

何もないかもしれない。

 

それでも、明日になれば、また自分で決めればいい。

 

誰に会うか。

 

何をするか。

 

どこへ行くか。

 

そして、誰を信じるか。

 

すべてを、一度に決める必要はない。

 

その日、そのときの自分が、考えて選べばいい。

 

仁は、部屋の明かりを消した。

 

暗闇のなかで、しばらく目を閉じる。

 

それから、静かに呟いた。

 

「……おやすみ、俺」

 

誰かに必要とされているかどうかは、今は分からない。

 

誰かが、自分を待っているかどうかも、分からない。

 

それでも、自分はここにいる。

 

明日も、自分の人生を選ぶことができる。

 

そのことを、今夜は信じてみようと思った。

 

7 翼の向こう側

同じ夜。

 

ホークスは、ヒーロー事務所の資料室で、報告書を読んでいた。

 

その日の仕事は、すでに終わっている。

 

帰ることもできる。

 

休むこともできる。

 

しかし、彼は机から離れなかった。

 

「……もう一件だけ」

 

そう言って、別の書類を開く。

 

さらに、もう一件。

 

報告書を確認し、必要な修正を加え、明日の予定を整理する。

 

自分が働いている限り、やるべきことはいくらでも見つかる。

 

誰かを助ける必要がある。

 

誰かが困っている。

 

誰かが、次の指示を待っている。

 

そのすべてを、自分が引き受ける必要があると思っていた。

 

「ホークスさん」

 

事務スタッフが、資料室の入り口に立っていた。

 

「……はい?」

 

「もう、かなり遅い時間ですよ」

 

ホークスは、時計を見た。

 

「……ああ、本当だ」

 

「今日の確認事項は、すべて終わっています。残りは明日でも大丈夫です」

 

「いやあ、すみません。ちょっと気になることがあって」

 

「それ、昨日もおっしゃっていました」

 

ホークスは、苦笑した。

 

「……そうでしたっけ?」

 

「そうです」

 

スタッフは、まっすぐ彼を見た。

 

「ホークスさん。何か、気になることがあるんですか?」

 

ホークスは、答えようとした。

 

しかし、すぐには言葉が出なかった。

 

自分は、仕事が残っているから帰れないのではない。

 

本当は、仕事が終わったあと、何をすればいいのか分からないのかもしれなかった。

 

何もすることがない時間。

 

誰かに期待されていない時間。

 

自分が、誰の役にも立っていない時間。

 

そうした時間を、どう過ごせばいいのか。

 

考えたことがなかった。

 

「……いえ」

 

ホークスは、笑った。

 

「大丈夫です。少し考え事をしていただけですよ」

 

スタッフは、少しだけ困ったような顔をした。

 

「……そうですか」

 

彼女は、机の上に水を置いた。

 

「では、せめて、これを飲んでください」

 

「ありがとうございます」

 

「あと、明日の朝は、少し遅めに出勤しても大丈夫です。こちらで調整しておきます」

 

ホークスは、顔を上げた。

 

「……いや、そこまでしていただかなくても」

 

「ホークスさん」

 

スタッフは、彼の言葉を遮った。

 

「誰かを助けることは、大事だと思います。でも、ホークスさんが倒れてしまったら、困る人がたくさんいるんです」

 

ホークスは、少しだけ笑った。

 

「……そうですね」

 

それは、いつもの軽い返事だった。

 

しかし、スタッフは、そのまま続けた。

 

「だからこそ、休んでください。今のうちに」

 

ホークスは、黙った。

 

休むこと。

 

それは、責任を放棄することではない。

 

自分が誰かを助けるために働き続けるには、自分自身の限界も知らなければならない。

 

そう分かっていても、彼は、なかなか受け入れられなかった。

 

自分が休んでいる間にも、誰かが困っているかもしれない。

 

自分が働いていれば、助けられる人がいるかもしれない。

 

そう考えると、立ち止まることが怖くなる。

 

けれど。

 

誰かを助けるために、自分を壊してしまったら。

 

その先に、何が残るのだろう。

 

ホークスは、机の上の資料を閉じた。

 

「……分かりました」

 

スタッフは、ほっとしたように笑った。

 

「ありがとうございます」

 

「……いや、こちらこそ」

 

ホークスは、椅子から立ち上がった。

 

翼が、わずかに揺れる。

 

疲労は、まだ抜けていない。

 

それでも、今夜は、帰ることにした。

 

誰かに必要とされることだけが、自分の価値を決めるわけではない。

 

そう考えるのは、まだ難しい。

 

けれど、誰かが自分のことを心配してくれている。

 

自分が休むことを、許してくれる人がいる。

 

そのことは、確かだった。

 

ホークスは、事務所を出た。

 

夜空には、星が見えていた。

 

彼は、いつものように翼を広げた。

 

しかし、すぐには飛び立たなかった。

 

しばらく、空を見上げていた。

 

自分は、どこまで飛べるのだろう。

 

どこまで飛び続けるべきなのだろう。

 

そして、どこで休むべきなのだろう。

 

その答えは、まだ分からなかった。

 

ただ、今夜は。

 

飛び続けなくてもいい。

 

そのことを、少しだけ認めてみようと思った。

 

8 トゥワイスの選択

翌朝。

 

仁は、食堂で、昨日と同じように配膳を手伝っていた。

 

「はい、どうぞ! 温かいうちに食べてください! いやあ、今日のスープは俺が運んだんですよ! つまり、俺の愛情がたっぷり入っているというわけです! ……いや、調理したのは俺じゃないんですけどね!」

 

利用者の一人が笑った。

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして!」

 

仁は、笑顔で答えた。

 

そして、その人が席につくのを見届けてから、次のテーブルへ向かった。

 

そのとき、食堂の入り口に、施設の職員が現れた。

 

「分倍河原さん」

 

仁は、振り返った。

 

「はい!」

 

「少し、確認したいことがあります。お時間をいただけますか?」

 

その声を聞いた瞬間、仁の心臓が跳ねた。

 

先日、送った伝言。

 

仲間の行方についての照会。

 

該当する可能性のある記録。

 

職員は、まだ何も言っていない。

 

しかし、仁には分かった。

 

何かが動いたのだ。

 

「……はい」

 

仁は、手に持っていたトレーを職員に預けた。

 

「……今、行きます」

 

食堂を出る。

 

廊下を歩く。

 

職員の後をついていく。

 

その間、仁は何度も、自分に言い聞かせた。

 

期待しすぎるな。

 

まだ、何も確定していない。

 

誰かが見つかったとしても、会えるとは限らない。

 

会えたとしても、以前と同じ関係に戻れるとは限らない。

 

それでも。

 

その可能性があるのなら。

 

自分は、知りたい。

 

会いたい。

 

もう一度、話したい。

 

そして、もし会えたなら。

 

今度は、自分の意思で、その人と向き合いたい。

 

職員が、相談室の扉を開けた。

 

「どうぞ」

 

仁は、中へ入った。

 

テーブルの上には、書類が置かれていた。

 

職員が、向かい側に座る。

 

「先日いただいた伝言について、照会先から追加の連絡がありました」

 

仁は、息を止めた。

 

「……はい」

 

「現時点で、本人だと断定できる情報はありません。ただ、あなたが伝言を送った方のうち、一人について、関連する可能性のある情報が複数見つかりました」

 

仁の手が、膝の上で強く握られた。

 

「……誰、ですか?」

 

職員は、慎重に答えた。

 

「まだ、本人確認が必要です。こちらから具体的な情報をお伝えすることはできません。ただ、照会先から、あなたの伝言を先方へ届けられる可能性があると連絡を受けています」

 

「……伝言を?」

 

「はい。先方が受け取りを希望するかどうかも含め、確認を進めることになります」

 

仁は、目を伏せた。

 

返事が来たわけではない。

 

本人が見つかったわけでもない。

 

ただ、伝言が届く可能性がある。

 

それだけだった。

 

それでも、胸の奥で何かが動いた。

 

「……お願いします」

 

仁は、顔を上げた。

 

「……伝言を、届けてください」

 

職員は、うなずいた。

 

「分かりました」

 

仁は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……ありがとうございます」

 

その一言を口にするまでに、少し時間がかかった。

 

相談室を出たあと、仁は廊下の窓の前で立ち止まった。

 

外には、いつもの街が広がっている。

 

誰かが歩いている。

 

車が通っている。

 

遠くで、工事の音が聞こえる。

 

世界は、何も変わっていないように見える。

 

しかし、仁のなかでは、少しずつ何かが変わっていた。

 

自分は、仲間を探すことを選んだ。

 

自分の思いを伝えることを選んだ。

 

返事をするかどうかは、相手に委ねた。

 

そして今、伝言を届けるために、もう一度、自分で決めた。

 

これから、何が起きるのかは分からない。

 

誰に会えるのかも分からない。

 

自分が、どんな答えを聞くことになるのかも分からない。

 

それでも、自分の選択は、ここにある。

 

ホークスへの憎しみだけで、自分の人生を決めない。

 

誰かに必要とされることだけで、自分の価値を決めない。

 

誰かが自分を受け入れてくれるまで、何もせずに待つわけでもない。

 

自分から、誰かを探す。

 

自分から、願いを伝える。

 

自分から、誰かと一緒に生きたいと選ぶ。

 

それが、今の自分にできることだった。

 

仁は、ゆっくりと窓から離れた。

 

「……よし」

 

小さく、呟く。

 

「……行くか」

 

何も解決していない。

 

それでも、前へ進むことはできる。

 

仁は、食堂へ戻っていった。

 

温かい食事が待っている。

 

話し相手になってくれる人がいる。

 

自分が手伝える仕事がある。

 

そして、いつか、仲間の誰かから返事が届くかもしれない。

 

それらすべてを、仁は自分の人生の一部として受け入れようとしていた。

 

彼は、誰かに選ばれるのを待つだけの人間ではない。

 

誰かのために生きることもできる。

 

自分のために生きることもできる。

 

誰かを信じることもできる。

 

そして、信じるかどうかを、もう一度、自分で決めることもできる。

 

トゥワイスは、自分自身の人生を選び始めた。

 

その選択が、どこへ向かうのか。

 

まだ、誰にも分からない。

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