僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第十三話「翼を折らないために」

1 間に合った英雄

警報が鳴った。

 

「東側の復旧区域で建物の一部が崩落! 周辺の作業員が複数名、取り残されています!」

 

通信機から聞こえた声に、ホークスは即座に立ち上がった。

 

「位置を送ってください。現場の避難状況は?」

 

「確認中です! 一人は負傷している可能性があります。重機の搬入には時間がかかる見込みです!」

 

「了解。俺が先に入ります。救助隊を向かわせてください。無理に建物へ踏み込まないように!」

 

返事を待つより早く、ホークスは窓から飛び出した。

 

翼が開く。

 

風が身体を押し上げる。

 

眼下に広がる街並みが、急速に流れていった。

 

復旧区域は、崩落した建物の周囲を仮設の柵で囲っていた。

 

老朽化した壁の一部が崩れ、瓦礫が通路を塞いでいる。

 

煙が上がっているわけではない。

 

大きな火災もない。

 

だが、倒れた梁が不安定な状態で残っていた。

 

ホークスは上空から状況を確認し、羽根を放った。

 

赤い羽根が瓦礫の隙間へ滑り込む。

 

内部に、人影が二つ。

 

一人は倒れた資材の近くに座り込んでいる。

 

もう一人は、足元を挟まれているらしく、動けない様子だった。

 

「聞こえますか! ヒーローが来ました! 返事をしてください!」

 

「こ、ここだ! こっちだ!」

 

かすれた声が返ってきた。

 

ホークスは、瓦礫の隙間から羽根を伸ばした。

 

「よし、まずはそっちの方から! 手を伸ばせますか? 急がなくていいです。ゆっくりで!」

 

羽根が負傷者の身体を支える。

 

もう一枚が、崩れかけた資材の動きを押さえる。

 

重量そのものを、すべての羽根で支えきれるわけではない。

 

ホークスは歯を食いしばった。

 

羽根を配置し直す。

 

一枚。

 

二枚。

 

三枚。

 

それぞれが別の役割を果たす。

 

崩落を抑える羽根。

 

人を支える羽根。

 

救助隊へ合図を送る羽根。

 

羽根を増やすほど、細かな調整が難しくなる。

 

それでも、彼は止めなかった。

 

「あと少し! もう一人も出しますから、絶対に動かないでくださいね!」

 

「兄ちゃん、助けてくれ!」

 

瓦礫の向こうから、若い男性の声が聞こえた。

 

ホークスは、すぐに返事をした。

 

「大丈夫! ちゃんと助けます!」

 

その言葉を口にした瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。

 

大丈夫。

 

ちゃんと助ける。

 

それは、救助される側を安心させるための言葉だ。

 

ホークス自身、そういう言葉に助けられたことがある。

 

そして、自分も誰かに言いたかった。

 

自分が頑張れば何とかなる。

 

自分が動けば間に合う。

 

自分が無理をすれば、誰かが助かる。

 

だから、やる。

 

やらなければ。

 

――やらなければ、誰がやる?

 

頭のなかで、いつもの声が響いた。

 

ホークスは、その声を聞きながら、さらに羽根を飛ばした。

 

一人目を救助隊へ引き渡す。

 

二人目の足元を支える資材を少しずつ動かす。

 

危険な部分を羽根で固定し、救助隊の到着に合わせて通路を確保する。

 

やがて、負傷者が瓦礫の外へ運び出された。

 

「二名とも救出完了! 救急班、こちらへ!」

 

周囲から安堵の声が上がった。

 

ホークスは、最後の羽根を回収しようとした。

 

しかし、指先がうまく動かなかった。

 

視界の端が、わずかに揺れる。

 

「……あれ?」

 

次の瞬間、膝が崩れた。

 

地面が近づく。

 

身体を支えようとしたが、思ったほど力が入らない。

 

「ホークスさん!」

 

誰かの声が聞こえた。

 

倒れる直前、ホークスは反射的に翼を広げようとした。

 

だが、片側の翼が思うように開かなかった。

 

地面に手をつく。

 

膝が舗装路に触れた。

 

痛みより先に、呼吸が乱れた。

 

「……っ、は……」

 

息が、入ってこない。

 

いや、入ってはいる。

 

それなのに、身体が追いつかない。

 

誰かが肩を支えた。

 

「ホークスさん、聞こえますか!」

 

「……聞こえてますよ」

 

ホークスは笑おうとした。

 

「いやあ、ちょっと格好つけすぎちゃいましたかね。救助現場で倒れるヒーローって、さすがに演出過剰でしょう」

 

誰も笑わなかった。

 

「ホークスさん、今は喋らないでください!」

 

「いや、でも……二人とも助かったでしょ?」

 

「助かりました! だから、今はあなたの話です!」

 

その言葉に、ホークスは口を閉じた。

 

救助された二人が、離れた場所からこちらを見ていた。

 

一人が、何度も頭を下げている。

 

もう一人は、救急隊員に支えられながら、何かを言おうとしていた。

 

その表情を見たとき、ホークスは、ようやく息を吐いた。

 

間に合った。

 

二人は助かった。

 

よかった。

 

本当に、よかった。

 

だが。

 

自分は、何をしているのだろう。

 

誰かを救うたび、自分の限界を少しずつ後ろへ押しやってきた。

 

今日だけではない。

 

今までも、何度もそうしてきた。

 

危険な現場。

 

長時間の任務。

 

休む時間を削ってでも処理した仕事。

 

自分が動けば間に合うと思ったこと。

 

自分が動かなければ、誰かが傷つくと思ったこと。

 

その積み重ねが、今の自分を作っている。

 

そして、今。

 

助かった二人のそばで、自分は地面に膝をついていた。

 

「……俺、何やってんだろうな」

 

声に出した言葉は、救助現場の騒音にかき消された。

 

それでも、ホークス自身には聞こえていた。

 

2 翼の診断書

「過労です」

 

医師は、診察結果を確認しながら、はっきりと言った。

 

「少なくとも、今回の症状には、疲労の蓄積が大きく影響していると考えられます。翼の状態だけを見ても、回復が十分ではありません。筋肉や神経の疲労もありますし、長期間にわたって負担をかけ続けてきた形跡があります」

 

ホークスは、診察台の端に座っていた。

 

背中の翼は、普段よりもずっと小さく畳まれている。

 

「……休めば戻りますか?」

 

「休息と治療で改善する可能性はあります。ただし、今の状態で同じような活動を続ければ、症状が悪化する危険があります」

 

「どれくらい休めばいいんでしょう?」

 

「まず、まとまった休養期間が必要です。そのうえで、活動の再開時期は、回復状況を確認しながら決めます」

 

ホークスは、すぐには返事をしなかった。

 

「……まとまった、休養期間」

 

「はい」

 

「……何日くらいですか?」

 

医師は、カルテから顔を上げた。

 

「日数だけを先に決めることはできません。回復には個人差がありますし、あなたの場合、これまでの活動量も考慮する必要があります」

 

「そうですか……」

 

ホークスは、苦笑した。

 

「いやあ、困りましたね。仕事がたくさん残ってるんですよ。今週中に片づけたい案件もあるし、復旧区域の巡回もある。支援委員会の会合も、来週には――」

 

「ホークスさん」

 

医師が、彼の言葉を遮った。

 

「あなたは今、ご自身の身体について相談に来ているんです」

 

ホークスは、口を閉じた。

 

「仕事が残っていることは分かります。あなたが、責任感の強い方であることも理解しています。ただ、その責任感を理由に、休養が必要だという事実を無視しないでください」

 

「……」

 

「あなたが倒れたら、現場に出られなくなります。それだけでなく、回復するまでに、さらに長い時間が必要になる可能性もある。今、休むことは、仕事を放棄することではありません」

 

ホークスは、膝の上で手を握った。

 

「……俺が休んでいる間に、誰かが困るかもしれない」

 

その言葉は、自然に出てきた。

 

「自分が行けば、間に合う現場があるかもしれない。自分が対応すれば、早く終わる仕事もある。俺が休むことで、誰かに負担がかかるんじゃないかって……」

 

医師は、静かに尋ねた。

 

「では、あなたが無理をして倒れたとき、その負担は誰が引き受けるのでしょうか」

 

ホークスは、答えられなかった。

 

「あなたが一人で仕事を抱え込めば、周囲の人は、あなたがどこまで無理をしているのか分かりません。気づいたときには、すでに手遅れということもあります」

 

医師は、続けた。

 

「助けを求めることは、あなたの能力が足りないという意味ではありません。限界があることを伝え、必要な支援を求める。それも、責任を果たすための行動です」

 

ホークスは、うつむいた。

 

助けを求める。

 

その言葉は、分かる。

 

他人に対してなら、何度でも言える。

 

無理をしないでください。

 

危険なときは助けを呼んでください。

 

一人で抱え込まないでください。

 

それなのに、自分のことになると、言葉が出てこない。

 

自分が休みたいと言えば、誰かに負担がかかる。

 

自分が限界だと言えば、期待を裏切る。

 

自分が助けを求めれば、弱い人間だと思われるかもしれない。

 

そんな考えが、頭のなかに根を張っていた。

 

「……先生」

 

ホークスは、ようやく顔を上げた。

 

「俺、ヒーローなんです」

 

医師は、うなずいた。

 

「はい。知っています」

 

「……ヒーローが、こんなことで休んでいいんでしょうか」

 

医師は、一瞬、目を伏せた。

 

それから、穏やかに答えた。

 

「ヒーローである前に、あなたも一人の人間です」

 

ホークスは、何も言えなかった。

 

「あなたが守ろうとしている人たちも、あなたに、倒れてほしいとは思っていないでしょう」

 

その言葉は、あまりにも当たり前だった。

 

当たり前だからこそ、ホークスには、すぐには受け止められなかった。

 

自分は、誰かを守ることばかり考えてきた。

 

その誰かが、自分をどう思っているのか。

 

自分が無事でいてほしいと願っているかどうか。

 

そんなことを、真剣に考えたことがあっただろうか。

 

「……少し、考えます」

 

ホークスは答えた。

 

医師は、首を横に振った。

 

「考えるだけではなく、休養の予定を立てましょう。仕事の調整も必要です。あなた一人で決めず、事務所の責任者や医療担当者と相談してください」

 

ホークスは、しばらく黙った。

 

そして、ようやく、うなずいた。

 

「……分かりました」

 

その返事は、いつもの軽い調子ではなかった。

 

すぐに解決する問題ではない。

 

明日になれば、また仕事をしたくなるかもしれない。

 

自分が動けば助かる人がいる、と考えてしまうかもしれない。

 

それでも、休養が必要だという事実は、変わらない。

 

ホークスは診察室を出た。

 

翼が、背中でかすかに揺れた。

 

「……俺にも、限界があるんだな」

 

その言葉を、初めて、自分の言葉として口にした気がした。

 

3 休めと言われても、何をすればいいのか分からない

休養初日。

 

ホークスは、午前九時に目を覚ました。

 

いつもなら、すでに仕事を始めている時間だった。

 

連絡を確認し、報告書を読み、巡回の予定を組み、必要な調整をしている。

 

しかし、今日は違う。

 

医師の指示に従い、事務所の上司とも相談した結果、緊急性のない業務はほかの担当者に引き継がれた。

 

自宅で休む。

 

それが、今日の仕事だった。

 

「……今日の仕事は、休むこと」

 

ホークスは、自分に言い聞かせた。

 

「……何だそれ」

 

思わず笑ってしまった。

 

休むことが仕事。

 

妙な話だった。

 

彼は、ベッドから起き上がり、顔を洗った。

 

食事を用意する。

 

いつもなら、移動中に軽く済ませることが多い。

 

今日は、ゆっくり食べられる。

 

「……よし」

 

トーストを焼く。

 

卵を調理する。

 

飲み物を用意する。

 

テーブルに並べる。

 

そこで、手が止まった。

 

「……あれ?」

 

自分のためだけに食事を用意することが、妙に不思議だった。

 

誰かに食べてもらうわけではない。

 

誰かを待たせているわけでもない。

 

時間を急ぐ必要もない。

 

ただ、自分が食べるために、食事を作った。

 

ホークスは、椅子に座った。

 

「……いただきます」

 

一口食べる。

 

温かかった。

 

味も分かった。

 

普段より、少しだけゆっくりと食べた。

 

そして、食べ終わったあと。

 

何をすればいいのか、分からなくなった。

 

仕事は、しない。

 

翼の状態を確認するため、長時間の飛行も控える。

 

無理な運動も避ける。

 

医師からは、必要以上に活動せず、休息を取るように言われている。

 

では、何をするのか。

 

ホークスは、ソファに座った。

 

テレビをつける。

 

ニュースが流れている。

 

復興状況。

 

支援制度の更新。

 

英雄活動についての特集。

 

ホークスは、すぐにリモコンを手に取った。

 

「……いや、仕事のことを考えちゃうじゃないか」

 

チャンネルを変える。

 

料理番組。

 

旅番組。

 

動物の映像。

 

ホークスは、しばらく動物の番組を見ていた。

 

鳥が映る。

 

翼を広げ、枝から枝へ飛んでいく。

 

自由に空を舞う姿。

 

その映像を見ているうちに、ホークスは、ふと気づいた。

 

自分は、空を飛ぶことが好きなのだろうか。

 

もちろん、飛行は、自分の個性の中心にある能力だ。

 

それによって、多くの人を助けてきた。

 

しかし、能力であることと、自分自身がそれを好きであることは、同じではない。

 

自分は、飛ぶことそのものを、楽しんだことがあっただろうか。

 

誰かを救うためではなく。

 

任務を遂行するためでもなく。

 

誰かに期待されているからでもなく。

 

ただ、自分が空を飛びたいと思ったから。

 

そんな理由で、飛んだことがあっただろうか。

 

「……あった、かな」

 

思い返そうとする。

 

しかし、記憶は、うまくつながらなかった。

 

幼いころから、飛ぶことは、自分の能力だった。

 

能力があるから、訓練した。

 

訓練したから、役に立てるようになった。

 

役に立てるようになったから、仕事を与えられた。

 

その流れのなかで、飛ぶことは、いつしか「しなければならないこと」になっていた。

 

好きかどうかを考える前に、やるべきことがあった。

 

「……俺、休み方だけじゃなくて」

 

ホークスは、ソファに背中を預けた。

 

「……遊び方も、知らないんだな」

 

その言葉は、自分でも意外だった。

 

遊ぶ。

 

何の役にも立たないことをする。

 

成果を求めず、誰かの期待に応える必要もなく、ただ時間を過ごす。

 

それは、今の自分にとって、ひどく難しいことだった。

 

ホークスは、テレビを消した。

 

窓の外を見る。

 

空は晴れている。

 

飛ぼうと思えば、飛べるかもしれない。

 

だが、今日は飛ばない。

 

そう決めた。

 

飛べないからではない。

 

飛ぶ必要がないからだ。

 

そして、飛ばない時間を過ごすことも、自分の人生の一部なのだと、少しずつ考えようとしていた。

 

4 助けを求めるのは、誰の仕事なのか

休養二日目。

 

ホークスは、事務所からの連絡を受けた。

 

「ホークスさん、今日の復旧区域の巡回についてですが、担当を変更しました。現場の状況も、こちらで確認しています」

 

電話の向こうのスタッフは、淡々と報告した。

 

「そうですか。ありがとうございます」

 

「それから、昨日の資料について、確認したい点があります。メールで送ってありますので、可能ならご確認ください」

 

ホークスは、すぐに返事をしそうになった。

 

「分かりました。今、確認します」

 

口に出しかけて、止まった。

 

医師からは、緊急性のない業務を控えるように言われている。

 

スタッフも、そうした調整をしたうえで連絡している。

 

今、確認しなければならない仕事ではない。

 

「……すみません」

 

ホークスは言い直した。

 

「その件は、担当の方に進めてもらってください。必要な確認事項があれば、明日以降、体調を見て対応します」

 

電話の向こうで、少し間が空いた。

 

「……分かりました。こちらで進めておきます」

 

「お願いします」

 

電話を切ったあと、ホークスは、しばらくスマートフォンを見つめていた。

 

たった、それだけのことだった。

 

仕事を、ほかの人に任せた。

 

自分が今すぐ対応しなければならないと思い込んでいた案件を、担当者に任せた。

 

それだけなのに、胸の奥がざわついていた。

 

自分が仕事をしなければ、誰かが困る。

 

自分が対応しなければ、問題が長引く。

 

そう考えることが、癖になっている。

 

しかし、事務所には、自分以外にも働いている人間がいる。

 

自分より詳しい担当者もいる。

 

自分が休んでいる間に、必要な判断をするための仕組みもある。

 

今まで、そうした人たちを信頼していなかったわけではない。

 

むしろ、彼らの能力を、誰よりも理解しているつもりだった。

 

それでも、自分が引き受けた仕事を手放すことには、抵抗があった。

 

自分がやったほうが早い。

 

自分がやれば、失敗が少ない。

 

自分がやれば、責任の所在も明確になる。

 

そうした考えが、いつも先に立つ。

 

しかし、それは裏を返せば、自分がいなければ仕事が進まないという考え方でもあった。

 

「……俺がいないと駄目、か」

 

ホークスは、呟いた。

 

それは、本当に事実なのだろうか。

 

それとも、自分がそう思いたいだけなのだろうか。

 

自分がいなければ困る人がいる。

 

そう思えることは、自分の居場所を確かめるために役立っていた。

 

誰かに必要とされている。

 

自分がいなければ、できないことがある。

 

だから、自分はここにいていい。

 

けれど、その考え方のままでは、休むことができなくなる。

 

誰かに必要とされていることを証明するために、ずっと働き続けなければならなくなる。

 

自分が限界に達しても、まだ誰かの役に立とうとする。

 

そして、誰かに助けを求めることが、自分の役割を放棄するように感じられてしまう。

 

「……違うんだよな」

 

ホークスは、ソファの上で手を組んだ。

 

自分が誰かに仕事を任せることは、その相手を信頼していないという意味ではない。

 

むしろ、任せるということは、相手の能力を信頼することでもある。

 

そして、自分にできないことを認めることも、責任の一部なのだろう。

 

自分が無理をして倒れるよりも、早い段階で状況を伝え、助けを求める。

 

自分だけで抱え込まず、必要な人間と役割を分ける。

 

そのほうが、結果的に、守れる人も増えるかもしれない。

 

「……分かったつもりだったんだけどな」

 

ホークスは、苦笑した。

 

他人に対しては、何度も伝えてきたことだ。

 

無理をするな。

 

危ないときは助けを呼べ。

 

一人で抱え込むな。

 

それなのに、自分は、その言葉を自分自身には向けてこなかった。

 

「……よし」

 

ホークスは、スマートフォンを机の上に置いた。

 

今日は、もう確認しない。

 

必要なことは、明日、体調を見て対応する。

 

その決断を、自分で守る。

 

それもまた、訓練なのかもしれなかった。

 

5 トゥワイスの返事

同じ日の午後。

 

仁は、食堂の手伝いを終え、相談窓口へ向かっていた。

 

数日前に送った伝言について、何か進展があったのか確認するためだった。

 

返事は、まだ来ていない。

 

それは、分かっている。

 

だが、何もないと分かっていても、確認したくなる。

 

自分の伝言が、どこかで止まっているのではないか。

 

相手に届く前に、行方が分からなくなっているのではないか。

 

自分が、もう一度、何かをする必要があるのではないか。

 

そんなことを考えてしまう。

 

「……いやいやいや」

 

仁は歩きながら、自分に言い聞かせた。

 

「待つって決めたんだろ、俺! 伝言を送るのは俺が決めた。返事をするかどうかは、相手が決める。だから、今は待つ! そうだ、待つんだ!」

 

少し間を置く。

 

「……いや、待つのって、こんなに難しかったっけ?」

 

自分で首をかしげる。

 

「何かしないと落ち着かねえ! 俺は動いてないと駄目な男なのか? そうなのか? ……いや、今、ここで大騒ぎしても返事が早く来るわけじゃねえだろ!」

 

独り言を続けながら、相談窓口の前に着いた。

 

「……こんにちは」

 

「こんにちは、分倍河原さん。今日はどうされましたか?」

 

「ええと、先日お願いした伝言について、何か進展があったかなと思いまして!」

 

相談員は、記録を確認した。

 

「現時点では、新しい返答はありません。ただ、先方へ伝言を届けるための照会は継続しています」

 

仁は、うなずいた。

 

「……そうですか」

 

少しだけ、がっかりした。

 

それでも、すぐに顔を上げた。

 

「分かりました! ありがとうございます!」

 

「何か不安なことがありますか?」

 

仁は、笑顔を作ろうとした。

 

「いやあ、不安というか、俺は元気ですよ! 元気が取り柄ですから!」

 

相談員は、静かに彼を見た。

 

「……返事が来るか、気になりますか?」

 

仁は、口を閉じた。

 

しばらくしてから、うなずいた。

 

「……はい」

 

その返事は、いつもの勢いがなかった。

 

「……すごく、気になります」

 

相談員は、黙って聞いた。

 

「俺が会いたいと思っても、向こうは会いたくないかもしれない。俺のことなんか、もう忘れてるかもしれない。……いや、忘れてるってことはないと思いたいんですけど、でも、俺がいない間に、みんなだっていろいろあっただろうし」

 

仁は、視線を落とした。

 

「……俺のことを待ってたとは限らないですよね」

 

「そうですね。そこは、まだ分かりません」

 

相談員は、正直に答えた。

 

「でも、分からないということは、あなたが望んでいない結果に決まったということでもありません」

 

仁は、顔を上げた。

 

「……」

 

「返事が来ていない今、できることは、伝言が届くように手続きを続けること。そして、あなた自身の生活を続けることです」

 

仁は、ゆっくりとうなずいた。

 

「……そうですね」

 

その言葉を、今度は自分でも納得して言えた気がした。

 

返事が来るかどうかは分からない。

 

会えるかどうかも分からない。

 

けれど、返事を待つあいだにも、自分の人生は続いている。

 

食事をする。

 

眠る。

 

誰かと話す。

 

働く。

 

自分が、何をしたいのか考える。

 

そうした時間を、返事が来るまで停止させる必要はない。

 

「……ありがとうございます」

 

仁は頭を下げた。

 

そして、部屋を出た。

 

廊下を歩きながら、ふと思った。

 

ホークスも、今ごろは何をしているのだろう。

 

あの男は、きっと働いている。

 

誰かを助け、仕事を片づけ、疲れていても笑っている。

 

そういう人間だ。

 

けれど、もしかすると。

 

今は、休んでいるのかもしれない。

 

誰かに、休めと言われて。

 

あるいは、自分自身で、休むことを選んで。

 

仁は、足を止めた。

 

「……いや」

 

首を振る。

 

「何で俺、あいつのことまで考えてんだよ!」

 

自分の人生を考えろ。

 

そう思って、再び歩き出した。

 

しかし、数歩進んだところで、彼は小さく呟いた。

 

「……まあ、休めてるなら、それはそれでいいけどさ」

 

言ってから、口をつぐんだ。

 

ホークスを許したわけではない。

 

彼の行為を認めたわけでもない。

 

ただ、相手が無理をして壊れてしまえばいいと、願っているわけでもなかった。

 

自分は、自分の人生を生きる。

 

ホークスは、ホークスの人生を生きる。

 

その二つが、いつかまた交わることがあるとしても。

 

今は、互いに、自分自身の時間を生きればいい。

 

仁は、食堂へ戻った。

 

今日の夕食の準備を手伝うために。

 

6 「助けてください」と言う練習

休養三日目。

 

ホークスは、事務所の会議室にいた。

 

医師の指示に従い、業務復帰に向けた調整について話し合うためだった。

 

席には、事務所の責任者、医療担当者、数名のスタッフがいる。

 

ホークスは、最初から笑顔を作っていた。

 

「いやあ、皆さん、お忙しいところすみません。俺のために会議まで開いていただいて。恐縮の極みですね」

 

責任者が、静かに言った。

 

「ホークス。今日は、冗談で済ませる話ではない」

 

「……はい」

 

「君は、今回の現場で倒れた。医師からも、休養が必要だと診断されている。にもかかわらず、翌日には、引き継いだ案件の確認をしようとしていたと聞いた」

 

ホークスは、少しだけ目をそらした。

 

「……必要な情報だったので」

 

「緊急性のあるものではなかったはずだ」

 

「……はい」

 

「君は、自分が対応できることなら、すべて自分で引き受けようとする傾向がある。以前から、そのことは指摘してきた」

 

責任者は、続けた。

 

「それが、今回のような状態につながっている可能性がある」

 

ホークスは、黙っていた。

 

反論はできなかった。

 

実際、自分は、休むことに慣れていない。

 

誰かに仕事を任せることにも、まだ抵抗がある。

 

自分がやらなくてもいいと分かっている仕事まで、手を出してしまう。

 

そして、仕事が終わらなければ、自分がもっと頑張らなければならないと思ってしまう。

 

その繰り返しだった。

 

「……今後は、一定期間、現場への出動を制限する。飛行能力の回復状況を確認しながら、段階的に活動を再開してもらう」

 

責任者の言葉に、ホークスは顔を上げた。

 

「……どのくらいの期間ですか?」

 

「それは、医療担当者と相談しながら決める。君の希望だけで、前倒しにはできない」

 

ホークスは、唇を引き結んだ。

 

本音を言えば、すぐにでも現場へ戻りたかった。

 

自分が出動できる。

 

自分が動ける。

 

それだけで、助けられる人がいるかもしれない。

 

その可能性を、手放すのは怖かった。

 

「……分かりました」

 

ホークスは、答えた。

 

責任者が、少しだけ表情を和らげた。

 

「それから、君が担当していた案件は、引き続きチームで対応する。必要な情報は共有してほしいが、君が一人で確認し続ける必要はない」

 

「……はい」

 

「君が休んでいる間も、事務所は動く。君がいなければ何もできない、ということはない」

 

その言葉に、ホークスは視線を落とした。

 

分かっていた。

 

分かっていたはずだった。

 

自分がいないあいだも、世界は動いている。

 

事務所には、優秀なスタッフがいる。

 

他のヒーローもいる。

 

自分だけが、すべてを担っているわけではない。

 

しかし、頭で理解することと、心から受け入れることは違った。

 

自分がいなければ、誰かが困る。

 

自分がいなければ、助けられない人がいる。

 

そう考えることが、自分の存在を支えていたからだ。

 

責任者は、少しだけ声を柔らかくした。

 

「ホークス。君が責任を感じていることは、分かっている。だが、責任を感じていることと、すべてを一人で背負うことは違う」

 

ホークスは、顔を上げた。

 

「……はい」

 

「君が倒れたとき、現場にいたスタッフは心配していた。救助された人たちも、君が無事かどうかを気にしていたと聞いている」

 

胸の奥が、少しだけ痛んだ。

 

「……そうですか」

 

「君は、誰かを救うために働いている。それは分かっている。だが、君自身も、その誰かのなかに含まれていることを忘れないでほしい」

 

会議室が、静かになった。

 

ホークスは、手を握った。

 

自分も、誰かのなかに含まれている。

 

自分も、守られる側になっていい。

 

自分も、助けを必要とする人間なのだ。

 

その考えは、理屈としては分かる。

 

それでも、言葉にするのは難しかった。

 

「……俺は」

 

ホークスは、口を開いた。

 

声が、少しだけ震えていた。

 

「……俺は、自分が動けば助かる人がいると思うと、止まれなくなるんです」

 

誰も、口を挟まなかった。

 

「自分が動かなければ、間に合わないかもしれない。自分が対応すれば、早く済むかもしれない。……そう考えていると、自分の限界を考えることが、何かを見捨てることみたいに感じるんです」

 

彼は、目を伏せた。

 

「……でも、今は」

 

少しだけ、息を吸う。

 

「……今は、自分が限界に近づいていることを、認めなければならないと思っています」

 

会議室の誰もが、静かに聞いていた。

 

「俺は、現場に出たいです。仕事もしたい。必要とされたいと思っています。……それでも、今の自分には、休養が必要なんだと、認めます」

 

ホークスは、顔を上げた。

 

「……皆さんに、協力してほしいです」

 

その言葉を口にした瞬間、胸の奥が、少しだけ緩んだ。

 

「俺が抱え込もうとしていた案件を、引き継いでほしい。俺が無理をしようとしたら、止めてほしい。自分では判断できないときには、助言を求めるようにします」

 

ホークスは、深く息を吐いた。

 

「……お願いします」

 

会議室に、短い沈黙が落ちた。

 

やがて、責任者がうなずいた。

 

「分かった。チームで支える。君も、こちらの指示を守ってくれ」

 

「……はい」

 

「それから、君が助けを必要としているときは、そう言ってほしい。こちらも、君の状態を確認しながら業務を調整する」

 

ホークスは、少しだけ笑った。

 

「……頑張ります」

 

言ってから、すぐに言い直した。

 

「……いえ。頑張るというより、ちゃんと相談するようにします」

 

責任者は、初めて、少し笑った。

 

「そのほうがいい」

 

会議が終わる。

 

ホークスは、会議室を出た。

 

廊下を歩きながら、何度も、今の会話を思い返した。

 

自分は、助けを求めた。

 

仕事を引き継いでもらうように頼んだ。

 

自分の限界を、言葉にした。

 

それは、何かを失うことだと思っていた。

 

自分の役割を。

 

自分への信頼を。

 

自分がヒーローであるという証明を。

 

けれど、実際には。

 

助けを求めたからといって、誰かに見放されたわけではなかった。

 

仕事を引き継いだことで、事務所が動かなくなったわけでもなかった。

 

むしろ、これまで自分が抱え込みすぎていた仕事が、ほかの人の手へ渡り、少しずつ整理され始めていた。

 

「……何だよ」

 

ホークスは、苦笑した。

 

「もっと早く、頼ればよかったじゃないか」

 

その言葉は、後悔だった。

 

しかし、同時に、これからの自分に向けた言葉でもあった。

 

翼を折らないために。

 

飛び続けるために。

 

そして、飛べない日があっても、自分の価値が消えたと思わないために。

 

自分は、誰かに助けを求めてもいい。

 

それを、少しずつ覚えていけばいいのだ。

 

7 誰かを救うために、自分を見捨てない

休養四日目。

 

ホークスは、近所の公園を歩いていた。

 

特別な目的はない。

 

医師から、体調に合わせた軽い散歩なら問題ないと言われた。

 

そのため、今日は、仕事の資料を持たずに外へ出た。

 

スマートフォンも、緊急連絡以外は確認しない設定にしている。

 

最初は、落ち着かなかった。

 

何か連絡が来ているのではないか。

 

自分が確認しないことで、何かが遅れているのではないか。

 

そうした考えが、何度も頭をよぎった。

 

そのたびに、ホークスは自分に言い聞かせた。

 

今日、緊急の対応が必要になった場合は、担当者が連絡をくれる。

 

自分がいなくても動けるように、事前に調整した。

 

それは、無責任なことではない。

 

むしろ、必要な準備だった。

 

それでも、公園のベンチに座ったとき、ホークスは、少しだけ不安になった。

 

「……何をすればいいんだろうな」

 

呟いて、空を見上げる。

 

雲が流れている。

 

木々が揺れている。

 

近くでは、子どもたちが遊んでいた。

 

大人たちが、それを見守っている。

 

ありふれた光景だった。

 

誰かを助けるために、急いで駆けつける必要もない。

 

誰かの期待に応える必要もない。

 

ただ、そこに座り、景色を眺めている。

 

それだけの時間。

 

ホークスは、しばらく目を閉じた。

 

風が、頬を撫でる。

 

背中の翼が、少しだけ揺れた。

 

飛ばなくても、風は感じられる。

 

誰かを運ばなくても、空はそこにある。

 

誰かを救わなくても、世界は動いている。

 

そのことを、少しだけ新鮮に感じた。

 

「……俺は、飛ぶことが好きなのかな」

 

以前も考えた問いを、もう一度、自分に向ける。

 

今は、まだ答えが出ない。

 

飛ぶことが好きなのか。

 

誰かを助けられるから、飛び続けてきたのか。

 

飛ばなければ、自分に何が残るのか。

 

分からない。

 

それでも、分からないままでいいのかもしれなかった。

 

すべての問いに、すぐ答えを出す必要はない。

 

自分が何を好きなのか。

 

何を望んでいるのか。

 

何を恐れているのか。

 

それを知るには、時間が必要だ。

 

ホークスは、ゆっくりと目を開いた。

 

そのとき、近くで、小さな子どもの声が聞こえた。

 

「お母さん! あの鳥、飛べないの?」

 

視線を向けると、子どもが、公園の植え込みのそばを指さしていた。

 

そこには、小さな鳥がいた。

 

地面に降りて、しばらく動かずにいる。

 

母親が、子どもの手を引きながら答えた。

 

「どうしたんだろうね。少し休んでいるのかもしれないね」

 

「休んでるの?」

 

「うん。ずっと飛び続けるのは、大変だからね」

 

子どもは、鳥を見つめた。

 

「……じゃあ、休んでもいいの?」

 

母親は、微笑んだ。

 

「もちろん。休んだら、また飛べるかもしれないよ」

 

その会話を聞いて、ホークスは、しばらく動けなかった。

 

ずっと飛び続けるのは、大変。

 

休んだら、また飛べるかもしれない。

 

当たり前のことだった。

 

誰もが知っている。

 

鳥だって、休む。

 

人間だって、休む。

 

休むことは、飛ぶことを諦めたという意味ではない。

 

休むことは、誰かを見捨てたという意味でもない。

 

ただ、今は、休む必要があるということだ。

 

ホークスは、小さく息を吐いた。

 

「……そうだよな」

 

自分は、これまで、飛び続けることを責任だと思っていた。

 

自分の翼がある。

 

自分には、飛ぶ能力がある。

 

だから、飛ぶ。

 

必要とされる限り、飛び続ける。

 

その考え方が、自分を支えていた。

 

しかし、翼があるからといって、永遠に飛び続けなければならないわけではない。

 

自分に能力があるからといって、すべての問題を一人で解決する義務があるわけでもない。

 

誰かを助けるために、自分自身を見捨てる必要はない。

 

むしろ、自分を見捨ててしまえば、いずれ、誰かを助けることもできなくなる。

 

ホークスは、ベンチから立ち上がった。

 

散歩を終えて、家へ帰る。

 

それだけのことだった。

 

けれど、今日は、自分のために時間を使った。

 

誰かに必要とされるためではなく。

 

何かを成し遂げるためでもなく。

 

ただ、自分が休むことを選んだ。

 

それもまた、自分の人生の一部だった。

 

8 翼を広げる理由

夕方。

 

ホークスは、自宅で、事務所から届いた連絡を確認していた。

 

担当者からの報告。

 

業務の引き継ぎ状況。

 

復旧区域の巡回結果。

 

今後の予定。

 

どれも、問題なく進んでいる。

 

もちろん、すべてが順調というわけではない。

 

現場では、まだ人手が足りない。

 

支援制度の調整も続いている。

 

対応が難しい案件も、いくつか残っている。

 

それでも、チームは動いていた。

 

自分が休んでいる間も、仕事は進んでいる。

 

その事実に、ホークスは少しだけ安堵した。

 

同時に、自分がいなくても、仕事が進むことに、わずかな寂しさを感じた。

 

「……我ながら、面倒くさいな」

 

ホークスは笑った。

 

自分がいなければ困ると思っていた。

 

しかし、本当に自分がいなければ困る状況が続けば、自分は休めなくなる。

 

逆に、自分がいなくても仕事が進めば、今度は、自分が必要とされていないように感じてしまう。

 

どちらにしても、心が落ち着かない。

 

そうした自分の矛盾を、ようやく認め始めていた。

 

自分は、誰かに必要とされたい。

 

頼られたい。

 

自分がここにいてよかったと思いたい。

 

その願いは、今もある。

 

しかし、その願いを満たすために、自分を壊してしまうのは違う。

 

誰かを助けることを、自分の価値を証明する唯一の方法にしてはいけない。

 

自分が休んでいても。

 

誰かに助けてもらっても。

 

何もできない日があっても。

 

自分は、自分だ。

 

ホークスは、窓の外を見た。

 

空が、夕焼けに染まっている。

 

翼を広げれば、飛ぶことはできる。

 

しかし、今日は飛ばない。

 

明日も、まだ飛ばないかもしれない。

 

そのことを、以前ほど怖いとは思わなくなっていた。

 

「……俺は、何を守りたいんだろうな」

 

彼は、自分に問いかけた。

 

人々を守りたい。

 

それは、本当だ。

 

街を守りたい。

 

困っている人を助けたい。

 

安心して生活できる社会を作りたい。

 

それも、本当だ。

 

しかし、そのなかに、自分自身を含めることも、忘れてはいけないのだろう。

 

自分が倒れてしまえば、助けられる人も少なくなる。

 

自分が限界を無視すれば、いずれ、取り返しのつかない失敗につながる可能性もある。

 

自分が助けを求めなければ、周囲の人も、自分を支える方法を見つけられない。

 

だから、自分が休むこと。

 

自分が限界を認めること。

 

他者に助けを求めること。

 

それらは、責任から逃げることではない。

 

自分が守りたいものを、長く守り続けるために必要なことだ。

 

ホークスは、目を閉じた。

 

仁の顔が浮かんだ。

 

自分が殺した男。

 

自分を許していない男。

 

自分の人生を、自分自身で選ぼうとしている男。

 

仁は、ホークスを許さなくてもいい。

 

ホークスを必要としなくてもいい。

 

二度と会いたくないと決めてもいい。

 

その選択を、ホークスが変えることはできない。

 

そして、ホークス自身も、自分の人生を選ばなければならない。

 

仁に許してもらうために、生きるのではない。

 

仁に許されないからといって、自分の人生を捨てるのでもない。

 

自分がしたことの責任を負いながら。

 

それでも、自分自身が何を望んでいるのかを考えながら。

 

自分の翼を、折らないように。

 

「……よし」

 

ホークスは、立ち上がった。

 

明日は、医療担当者との確認がある。

 

その結果を踏まえて、今後の活動再開について調整することになっている。

 

自分の希望だけで決めない。

 

周囲の助言を聞く。

 

必要な休養を取る。

 

そして、できることから、少しずつ戻していく。

 

その方針を、自分で守る。

 

ホークスは、机の上に置かれたスマートフォンを手に取った。

 

事務所の担当者に、短いメッセージを送る。

本日の確認事項は受け取りました。

 

引き継ぎ、ありがとうございます。

 

体調が戻るまで、指示に従って休養を続けます。

 

追加の対応が必要な場合は、まずチームで判断してください。必要な確認があれば、改めて相談させてください。

 

送信したあと、彼は、しばらく画面を見つめていた。

 

「……よし」

 

今度は、少しだけ、自然に笑えた。

 

誰かに助けを求めることは、弱さではない。

 

自分の限界を認めることも、恥ずかしいことではない。

 

むしろ、それを認めずに、すべてを一人で抱え込むことのほうが、無責任なのかもしれない。

 

自分が守りたいものを守るために。

 

自分がこれからも飛び続けるために。

 

ホークスは、初めて、自分自身を守ることも、仕事の一部として受け入れ始めていた。

 

9 翼の下に入るかどうか

翌日。

 

仁は、支援施設の中庭にいた。

 

ベンチに座り、手元の書類を見つめている。

 

仲間への伝言について、まだ新しい返事はない。

 

それでも、照会は続いている。

 

自分にできることは、今のところ、ほとんどない。

 

待つこと。

 

自分の生活を続けること。

 

必要なら、改めて相談すること。

 

仁は、書類を折りたたんだ。

 

「……よし」

 

そして、立ち上がった。

 

食堂へ戻ろう。

 

今日は、午後から手伝いがある。

 

そのあと、生活支援の相談も予定されている。

 

仲間から返事が来ていなくても、やることはある。

 

自分には、自分の時間がある。

 

それを、少しずつ取り戻していく。

 

そのときだった。

 

施設の入り口近くに、見覚えのある人物が立っているのが見えた。

 

赤い翼。

 

見慣れた姿勢。

 

周囲の人々に気づかれないよう、少しだけ距離を取って立っている。

 

ホークスだった。

 

仁は、足を止めた。

 

ホークスも、こちらに気づいた。

 

二人の視線が合う。

 

以前なら、それだけで、胸の奥に怒りが湧き上がっただろう。

 

今も、怒りはある。

 

忘れたわけではない。

 

許したわけでもない。

 

それでも、仁は、すぐには背を向けなかった。

 

ホークスは、ゆっくりと頭を下げた。

 

それ以上は近づいてこなかった。

 

仁は、眉をひそめた。

 

「……何だよ」

 

ホークスは、少しだけ声を張った。

 

「……少し、確認したいことがあって来ました。ただ、今、話したくないのであれば、帰ります」

 

仁は、しばらく黙っていた。

 

「……確認って、何だよ」

 

「以前、あなたが送った伝言について、俺が手伝えることがあるかもしれないと、支援担当者から連絡を受けました。ただ、本人の意思を確認しないまま動くことはできないので、あなたが希望するかどうかを、直接確認したいと思いました」

 

仁は、目を細めた。

 

「……俺の仲間のことか?」

 

「はい」

 

ホークスはうなずいた。

 

「照会の手続きを、俺が勝手に進めるつもりはありません。あなたが望むなら、必要な支援について、担当者と相談することはできます。ただ、あなたが自分で進めたいのであれば、それを尊重します」

 

仁は、しばらくホークスを見ていた。

 

かつて、この男は、自分に近づく目的を隠していた。

 

自分の信頼を利用した。

 

そして、自分を殺した。

 

その事実は、変わらない。

 

今、目の前にいる男が、何かを手伝いたいと思っているのも、事実なのだろう。

 

だが、その善意を受け入れる必要があるわけではない。

 

仁には、断る権利がある。

 

自分でやりたいと言う権利がある。

 

今は何も話したくないと告げる権利もある。

 

仁は、自分の手を見た。

 

そして、顔を上げた。

 

「……今は、自分でやる」

 

ホークスは、すぐにうなずいた。

 

「分かりました」

 

「……俺が、助けてほしいって言うときが来たら、そのときは考える」

 

「はい」

 

「……だから、今は、余計なことをするなよ」

 

ホークスは、少しだけ目を伏せた。

 

「……分かりました」

 

仁は、背を向けかけた。

 

しかし、数歩進んだところで、足を止めた。

 

「……ホークス」

 

ホークスが顔を上げる。

 

「はい」

 

仁は、振り返らなかった。

 

「……お前、ちゃんと休んでるのか?」

 

その問いに、ホークスは、しばらく答えられなかった。

 

仁は、振り返らないまま続けた。

 

「……いや、別に、お前の体調なんか、俺には関係ねえけどな! 関係ねえんだよ! お前が倒れようが、休もうが、俺が知ったことじゃねえ!」

 

声が、少しだけ大きくなる。

 

「……でも、俺の仲間を探すのに、お前まで倒れられたら面倒だろ! いや、何で俺がお前のことまで考えなきゃいけねえんだよ! ああ、もう!」

 

仁は、頭をかいた。

 

「……とにかく、休めるときには休めよ」

 

ホークスは、仁の背中を見つめた。

 

「……ありがとうございます」

 

「礼を言うなよ!」

 

仁が振り返った。

 

「俺は、お前を許してねえからな!」

 

「……はい」

 

「……でも、休めって言ったことまで、撤回するつもりはねえぞ!」

 

ホークスは、少しだけ笑った。

 

「……分かりました。休みます」

 

仁は、しばらく彼を見ていた。

 

「……本当だな?」

 

「はい」

 

「……嘘ついたら、怒るからな!」

 

「……それは、困りましたね」

 

ホークスが、少しだけ冗談めかして答えた。

 

仁は、一瞬、表情を変えた。

 

それから、ふっと笑った。

 

「……まったく。お前は、本当に面倒くせえ奴だな!」

 

その笑顔は、かつてのような、何も知らなかったころの笑顔ではない。

 

裏切られた記憶がある。

 

殺された記憶がある。

 

許していないという気持ちもある。

 

それでも、目の前の相手に、少しだけ言葉を返すことはできる。

 

それは、許しではない。

 

和解でもない。

 

ただ、今この瞬間に、自分が選んだ反応だった。

 

仁は、ホークスに背を向けた。

 

「……じゃあな」

 

「……はい」

 

今度も、ホークスは追わなかった。

 

仁は、自分の足で歩いていった。

 

ホークスもまた、その場に留まった。

 

自分が彼のために何かをしたいと思っても、彼がそれを望むとは限らない。

 

そのことを、今は理解している。

 

しかし、理解したからといって、自分が何も感じなくなるわけではない。

 

仁が、少しでも自分の人生を取り戻していることを、うれしいと思った。

 

自分を許していなくても。

 

自分に助けを求めなくても。

 

それでも、彼が生きていることを、よかったと思った。

 

そして、ホークス自身も、少しずつ、自分の人生を取り戻そうとしていた。

 

誰かを助けるために、自分を壊すのではなく。

 

誰かを助けるために、自分も生き続ける。

 

そのために、必要な助けを求める。

 

必要な休養を取る。

 

自分の限界を認める。

 

それは、ヒーローをやめることではない。

 

自分が守りたいものを守り続けるために、自分を守ることだった。

 

ホークスは、ゆっくりと歩き出した。

 

背中の翼は、まだ完全には回復していない。

 

今は、飛ぶことを控えなければならない。

 

それでも、翼はそこにある。

 

いつか、また飛ぶ日が来る。

 

そのときには、自分が何を守りたいのか。

 

なぜ飛びたいのか。

 

その答えを、もう一度、自分の言葉で考えてみたいと思った。

 

10 翼を折らないために

その夜、ホークスは、久しぶりに、誰かへ自分から連絡をした。

 

相手は、事務所の責任者だった。

 

「……今、少し話せますか?」

 

「どうした?」

 

電話の向こうから、落ち着いた声が返ってくる。

 

ホークスは、窓の外を見た。

 

「……仕事のことではなくて」

 

「分かった。聞こう」

 

ホークスは、少しだけ笑った。

 

「……俺、休むのが、あまり得意じゃないみたいです」

 

「知っている」

 

「……いや、即答されると、さすがに傷つきますね」

 

「これまで何度も言ってきたことだからな」

 

ホークスは、苦笑した。

 

「……そうですね」

 

少し、沈黙があった。

 

ホークスは、言葉を探した。

 

「……俺は、誰かを助けるために働いてきました。これからも、そうしたいと思っています。でも、自分が限界に近づいているとき、どうすればいいのか、よく分からなくなるんです」

 

電話の向こうは、静かだった。

 

「自分が動けば、助かる人がいる。自分が動かなければ、間に合わないかもしれない。……そう考えると、休むことが、誰かを見捨てることみたいに感じるんです」

 

ホークスは、一度、目を閉じた。

 

「……でも、今は、そう考えること自体を、見直したいと思っています」

 

「そうか」

 

「……だから、これからも、俺が無理をしているときは、止めてほしいです。自分では、まだ気づけないこともあると思うので」

 

しばらくして、責任者が答えた。

 

「分かった。必要なら、こちらからも声をかける。ただ、君自身も、無理をしていると感じたときには、早めに相談してくれ」

 

「……はい」

 

「助けを求めることは、君の仕事を否定することではない。むしろ、長く責任を果たすために必要なことだ」

 

ホークスは、ゆっくりとうなずいた。

 

「……そうですね」

 

「それから、君が休むときは、休むことに集中してくれ。仕事のことを考え始めたら、こちらに連絡してもいい。だが、連絡をしたら、こちらの指示にも従ってもらう」

 

ホークスは、声を出して笑った。

 

「……厳しいですね」

 

「君が、自分に甘くないからな」

 

「……なるほど。これは、一本取られました」

 

少しだけ、肩の力が抜けた。

 

電話を切ったあと、ホークスは、スマートフォンをテーブルに置いた。

 

誰かに助けを求めた。

 

自分が苦手なことを、苦手だと言った。

 

それでも、相手は、自分を見放さなかった。

 

その事実が、静かに胸に広がった。

 

ホークスは、窓を開けた。

 

夜風が入ってくる。

 

背中の翼が、かすかに揺れる。

 

以前なら、すぐに飛び立とうとしていたかもしれない。

 

自分が何かをしなければならないと思ったかもしれない。

 

しかし、今夜は、飛ばなかった。

 

ただ、風を感じていた。

 

自分が、ここにいることを確かめるように。

 

翼は、誰かを救うためだけにあるのではない。

 

飛ぶためにある。

 

そして、飛ぶためには、休むことも必要なのだ。

 

誰かを助けるために、自分を壊す必要はない。

 

自分の限界を認めること。

 

他者に助けを求めること。

 

自分が休むべきときに、休むこと。

 

それもまた、責任の一部なのだ。

 

ホークスは、ゆっくりと窓を閉めた。

 

そして、ベッドに向かった。

 

今夜は、もう仕事をしない。

 

明日になれば、また考えればいい。

 

自分が何をしたいのか。

 

何を守りたいのか。

 

どこまで飛びたいのか。

 

その答えは、今夜、すべて出す必要はない。

 

ホークスは、目を閉じた。

 

「……おやすみ」

 

小さく呟いた。

 

誰かに聞かせるためではなく。

 

自分自身に向けた言葉だった。

 

虚飾編・前編の終わりに

同じ夜。

 

仁は、施設の部屋で、机の上に置いた伝言の控えを見つめていた。

 

仲間への伝言は、まだ返事を待っている。

 

ホークスへの怒りも、まだ残っている。

 

帰る場所も、まだ見つかっていない。

 

それでも、仁は、自分の人生を選び始めていた。

 

自分から仲間を探す。

 

自分から願いを伝える。

 

自分から誰かと一緒に生きたいと選ぶ。

 

そして、もし誰かが、自分の願いに応えてくれなかったとしても。

 

そのことだけで、自分の人生すべてを否定しない。

 

仁は、伝言の控えを丁寧に折りたたんだ。

 

「……俺は、まだ、ここにいる」

 

声に出す。

 

「……だから、まだ、選べる」

 

誰を信じるか。

 

誰と生きるか。

 

何を大切にするか。

 

その答えは、まだ決まっていない。

 

しかし、自分が決めることはできる。

 

そのことだけは、少しずつ、確かなものになっていた。

 

一方、ホークスもまた、自分の人生を見つめ直し始めていた。

 

誰かを助けるために、自分を壊す必要はない。

 

誰かに必要とされることだけが、自分の価値を決めるわけでもない。

 

自分が休んでも、世界は続いていく。

 

自分が助けを求めても、誰かがすぐに見放すとは限らない。

 

そして、自分が誰かを助けたいと願うことと、その人の選択を尊重することは、両立できる。

 

二人は、それぞれの孤独を抱えている。

 

似た痛みを持つこともある。

 

しかし、同じ人生を生きているわけではない。

 

仁が、ホークスを許すかどうか。

 

ホークスが、自分の罪とどう向き合い続けるのか。

 

その答えは、まだ出ていない。

 

それでも、二人とも、もう一度、自分の意思で明日を選ぼうとしていた。

 

許しを得られなければ生きていけない、というわけではない。

 

誰かを救わなければ、自分には価値がない、というわけでもない。

 

その二つの事実に、二人は、それぞれの場所で少しずつ近づいていた。

 

虚飾編・前編。

 

トゥワイスとホークスの物語は、許しという一つの結末に向かって、直線的に進むわけではない。

 

二人は、まだ互いを完全には理解していない。

 

仁は、ホークスを許していない。

 

ホークスも、その答えを急がせることはできない。

 

だが、これから二人がどう生きるかは、まだ選ぶことができる。

 

その選択を、互いに奪わないこと。

 

それが、今の二人にできる、最初の約束だった。

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