僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第二十二話「マグネの怒りは、終わっていない」

第一幕 死んだ人間に、やり直せと言うな

「……で?」

 

マグネは、説明資料を机の上に放り出した。

 

向かい側に座っていた支援担当者が、わずかに姿勢を正す。

 

「すみません。説明が不十分でしたか?」

 

「説明が不十分? 違うね」

 

マグネは、机の上の資料を指で叩いた。

 

「説明は聞いた。聞いたうえで、腹が立ってんだよ」

 

資料の表紙には、帰還者の生活再建と、関係者への支援に関する概要が記されていた。

 

死者の帰還。

 

失われた人生の再開。

 

身元確認、生活基盤の整備、医療的なケア、心理的支援、事件関係者との接触に関する調整。

 

そこには、帰還した者たちが社会で生きていくために必要な事項が並んでいた。

 

しかし、マグネが腹を立てているのは、支援そのものではなかった。

 

「なんだい、この文章」

 

彼女は一行を指でなぞった。

 

「『帰還者と関係者が、それぞれの過去を受け止め、新しい関係を築けるよう支援する』?」

 

担当者は答えた。

 

「全員が関係を修復することを求めているわけではありません。あくまで、必要な支援を提供するという趣旨です」

 

「だったら、そう書いときな」

 

マグネは、鋭い目で資料を見下ろした。

 

「新しい関係? 誰と誰の話だ。私と、あの男のことか?」

 

「治崎廻との接触については、希望されない限り、実施する予定はありません」

 

「希望しなかったら、会わなくていい。そういうことだね」

 

「はい」

 

「断っても、あいつの審査に影響しないんだね?」

 

担当者は慎重に答えた。

 

「あなたが接触を拒否したことを理由に、治崎の処遇を不利にしたり、有利にしたりすることはありません。あなたに、彼の更生に協力する義務はありません」

 

マグネは、数秒間、担当者を見つめていた。

 

「……なら、最初からそう言いな」

 

「申し訳ありません」

 

「謝らなくていい。あんたが悪いって話をしてるんじゃない」

 

マグネは、資料を机の中央へ押し戻した。

 

「ただね。こっちは、死んでんだよ」

 

担当者は何も言わなかった。

 

「死んだ。私の人生は、そこで一度、終わったんだ」

 

彼女は自分の胸元に手を置いた。

 

「そこから先にあったはずの時間も、選ぶはずだったことも、全部、私の手から切り離された。生きてたら、明日何をしたか。来月、誰と会ったか。何を食べて、何に腹を立てて、何を笑い飛ばしたか。そんなこと、もう自分じゃ選べないはずだった」

 

その声には、怒りがあった。

 

しかし、その奥には、もっと深い感情が沈んでいた。

 

「それが、戻ってきたらどうだい」

 

マグネは、笑った。

 

笑顔とは呼べない表情だった。

 

「『これからの人生があります』。『もう一度、自分の未来を選べます』。『新しい一歩を踏み出しましょう』。……そういう言葉を、みんな、簡単に口にする」

 

「帰還した方々の生活を支えることは必要だと考えています」

 

「そうだろうね。必要だろうさ」

 

マグネは否定しなかった。

 

「生きて帰ってきた人間が、今日から食べるものも、寝る場所も、相談する相手も必要だ。それはわかる。私だって、困ってる人間を放り出せって言いたいわけじゃない」

 

彼女は、自分の拳を握った。

 

「でもさ」

 

声が低くなる。

 

「生き返ったからって、死ぬ前の人生まで戻ったことにはならないだろう?」

 

担当者は、ゆっくり頷いた。

 

「……はい」

 

「戻ってきたことを喜ぶのも、これから生きていこうとするのも、その人の自由だ。だけど、何を失ったのか、どう感じてるのか、これから何をしたいのかまで、周りが勝手に決めるな」

 

マグネは、窓の外を見た。

 

復旧作業が続く街。

 

帰還した人々を迎える家族。

 

戻らなかった時間を埋めようと、必死に日常を取り戻している人たち。

 

世界には、さまざまな反応があった。

 

再会を喜ぶ人もいれば、戻ってきた相手を前に、言葉を失ってしまう人もいた。

 

そして、誰かが戻ってきたことによって、再び過去と向き合わなければならなくなった人もいる。

 

死者の帰還は、すべての人に同じ意味を持つわけではない。

 

ある人にとっては、失った家族との再会だった。

 

ある人にとっては、人生をやり直すための機会だった。

 

そして、別の人にとっては、ようやく閉じようとしていた傷が、再び開くことだった。

 

マグネは、そのことを、誰よりも強く意識していた。

 

「……私はね」

 

彼女は、窓から目を離さずに言った。

 

「生き返ったことを、なかったことにしろって言ってるんじゃない」

 

担当者は、黙って聞いていた。

 

「生きてるなら、生きていくよ。自分のこれからだって、考えるさ」

 

マグネは、ゆっくりと振り返った。

 

「でも、私が戻ってきたからって、あいつにやり直すチャンスができたからって、私まで、あのときのことをやり直してやる理由はないだろう」

 

担当者は答えた。

 

「ありません」

 

マグネは、しばらく相手の顔を見つめていた。

 

それから、静かに言った。

 

「……そうだよ」

 

彼女の声は、少しだけ震えていた。

 

「私にだって、選ぶ権利がある」

 

その言葉を口にするまでに、どれほどの怒りを抱えてきたのか。

 

誰も、簡単には測れない。

 

だが、彼女は、少なくとも一つのことを決めていた。

 

過去に、自分の選択を奪われたからといって。

 

死んだはずの自分が帰還したからといって。

 

他人の更生のために、自分の未来まで差し出すつもりはなかった。

 

「……治崎と会うかどうかは、私が決める」

 

マグネは言った。

 

「私が会いたいと思ったら、会う。会いたくないなら、会わない。あいつが何を望んでいようが、それはあいつの話だ」

 

担当者は頷いた。

 

「そのとおりです」

 

マグネは、椅子から立ち上がった。

 

「……会うよ」

 

担当者が顔を上げた。

 

「よろしいのですか?」

 

「勘違いするんじゃないよ」

 

マグネは、振り返った。

 

「あいつを許すためじゃない。あいつの話を聞いてやるためでもない」

 

彼女の目に、鋭い光が宿った。

 

「私が、あいつに言いたいことを言うためだ」

 

第二幕 会う必要なんてなかった

面会の日。

 

マグネは、指定された部屋の前で足を止めた。

 

扉の向こうには、治崎廻がいる。

 

かつて、自分を一瞬で消し去った男。

 

何のために、何を考えて、自分を殺したのか。

 

その答えは、彼女の中に、ずっと残っていた。

 

けれど、答えがあることと、納得できることは違う。

 

彼が組織の邪魔をされたと思ったから。

 

自分の計画を妨害する存在だったから。

 

彼にとって、自分が敵だったから。

 

理由はいくらでも並べられるだろう。

 

しかし、その理由のどこにも、彼女自身が何を望んでいたのかは含まれていない。

 

マグネは、自分の手を開いたり閉じたりした。

 

「……おい」

 

隣から声がした。

 

振り向くと、スピナーが立っていた。

 

「本当に会うのか」

 

「会うって決めたんだよ」

 

「いや、そうじゃなくて……」

 

スピナーは言葉を探した。

 

「会わなくてもいいんだぞ。お前が、わざわざ、あいつのために……」

 

「だから、あいつのためじゃないって言ってるだろ」

 

マグネは、少しだけ笑った。

 

「私のためだよ」

 

スピナーは口を閉じた。

 

マグネは、扉に目を向けた。

 

「会わないって選択もできた。断ったって、誰も私を責めない。ここまで来たんだから、話を聞いてやれなんて言われる筋合いもない」

 

「……ああ」

 

「でも、私は会うことにした」

 

彼女は、スピナーを見た。

 

「自分で決めたんだ。だから、ここから先、何を言うかも、どこまで聞くかも、私が決める」

 

スピナーは、しばらく彼女を見つめていた。

 

「……わかった」

 

それ以上、彼は止めなかった。

 

マグネは、それをありがたいと思った。

 

止められなかったからではない。

 

自分の意思を、尊重してくれたからだ。

 

「スピナー」

 

「何だ?」

 

「もし私が、途中で出てきたら」

 

「……ああ」

 

「理由を聞かずに、外に連れ出してくれ」

 

スピナーは、頷いた。

 

「わかった」

 

「ありがとよ」

 

マグネは、扉の前に立った。

 

一度、目を閉じる。

 

怒りは、消えていない。

 

許す気持ちも、まだない。

 

治崎の事情を知れば、何かが変わるのだろうか。

 

彼の話を聞けば、自分の中にあった疑問が、少しでも解けるのだろうか。

 

そんな期待は、しなかった。

 

彼女がここに来たのは、治崎を理解するためではない。

 

自分が何をされたのか。

 

何を奪われたのか。

 

そして、これから何を望むのか。

 

そのことを、自分自身の言葉で伝えるためだった。

 

「……よし」

 

マグネは、扉を開けた。

 

第三幕 あんたは、私を覚えているか

治崎廻は、部屋の向こう側に座っていた。

 

拘束と監視のための設備が整えられ、面会する側とされる側の距離は十分に保たれている。

 

彼には、かつてのように何でも思いどおりにできる力はない。

 

腕を失い、組織を失い、自由を失った。

 

それでも、座る姿勢だけは、奇妙なほど整っていた。

 

背筋を伸ばし、視線を下げ、相手の動きを慎重に観察する。

 

その様子を見て、マグネは、鼻で笑った。

 

「……相変わらずだね」

 

治崎が顔を上げた。

 

「マグネ」

 

彼女の名前を、迷いなく口にした。

 

マグネの眉が動く。

 

「へえ。覚えてたんだ」

 

「忘れる理由がない」

 

「私を殺したことも?」

 

治崎の表情は変わらなかった。

 

「……ああ」

 

マグネは、ゆっくりと椅子に座った。

 

その答えが、彼女の胸に何かを落とした。

 

謝罪でも、言い訳でもない。

 

ただ、事実として認めた。

 

自分が彼女を殺した。

 

そのことを、治崎は覚えている。

 

「……そうかい」

 

マグネは、腕を組んだ。

 

「じゃあ、話は早いね」

 

治崎は黙っていた。

 

「今日は、あんたに聞きたいことがあって来た」

 

「何だ」

 

「私を殺したとき、あんたは、私のことを何だと思ってた?」

 

治崎は、わずかに眉を動かした。

 

「……敵対者だ」

 

「敵対者?」

 

「俺の計画を妨害する存在だった」

 

マグネは、しばらく黙った。

 

それから、ゆっくりと笑った。

 

「……なるほどね」

 

その笑顔には、温かさがなかった。

 

「邪魔だった。だから、消した。そういうことかい」

 

「結果としては、そうなる」

 

「結果として?」

 

マグネは、椅子の肘掛けを握った。

 

「じゃあ、あんたは、あのとき、私が生きていたことを、どう思ってたんだい?」

 

治崎は、答えなかった。

 

マグネは、さらに問いかけた。

 

「私にだって、家族がいたかもしれない。仲間がいた。好きなものも、嫌いなものもあった。あんたに腹を立てた理由もあった。明日、何をしようか考えてたかもしれない」

 

彼女の声は、少しずつ強くなっていった。

 

「私は、ただ、あんたの計画を邪魔するために生まれてきたわけじゃない」

 

治崎は、目を逸らさなかった。

 

「それは、わかっている」

 

「……わかってる?」

 

マグネが低く笑った。

 

「本当に?」

 

治崎は答えなかった。

 

「わかってたなら、なんで殺したんだい?」

 

治崎は、少しだけ口を開いた。

 

「……俺にとって、その時点での優先事項は、組織の計画だった」

 

「そうかい」

 

マグネは、頷いた。

 

「つまり、わかってたんだ」

 

彼女は、治崎をまっすぐに見つめた。

 

「私が、あんたとは違う人間だってことを」

 

治崎は、しばらく黙った。

 

「……そうだ」

 

「私には私の人生があって、あんたにはあんたの人生がある。それでも、あんたは、自分の計画のほうが大事だった」

 

「そうだ」

 

「私が何を望んでるかなんて、関係なかった」

 

治崎の顎が、わずかに動いた。

 

「……あの場では、そう判断した」

 

マグネは、ゆっくりと息を吸った。

 

ここで、彼が「間違っていた」と言えば。

 

ここで、彼が「悪かった」と言えば。

 

自分の怒りは、少しでも軽くなるのだろうか。

 

わからなかった。

 

むしろ、彼女は、言葉を聞くほどに、怒りが深くなっていくのを感じていた。

 

治崎が、何も覚えていないわけではなかった。

 

何が起きたのか、理解していないわけでもなかった。

 

自分が誰を殺したのか、知らなかったわけでもなかった。

 

それでも、彼は、自分の計画を優先した。

 

彼女が一人の人間だったことを知りながら、その人生を、自分の都合のために終わらせた。

 

「……あんたさ」

 

マグネは、低い声で言った。

 

「あのとき、私の顔を見たかい?」

 

治崎は、沈黙した。

 

「私が、どんな顔をしていたか。何を言おうとしていたか。……覚えてる?」

 

治崎は、答えなかった。

 

それが、答えだった。

 

マグネは、目を閉じた。

 

自分の中で、何かが冷えていく。

 

彼女は、治崎に、後悔してほしかったのだろうか。

 

自分を殺したことが、どれほど許されないことだったのか、理解してほしかったのだろうか。

 

それとも、ただ、彼が、自分を殺した瞬間のことを、忘れていないと確かめたかったのだろうか。

 

そのどれもが、あったのかもしれない。

 

しかし、彼女は、もう一つのことに気づいた。

 

治崎が何を覚えていても、彼女がされたことは変わらない。

 

治崎が何を後悔しても、彼女の人生が奪われた事実は変わらない。

 

そして、治崎が、自分を一人の人間として認識していたかどうかによって、彼女が人間だったという事実が変わるわけでもない。

 

マグネは、目を開けた。

 

「……私の名前、覚えてる?」

 

治崎は、即座に答えた。

 

「マグネ」

 

「そうだよ」

 

マグネは、静かに頷いた。

 

「私は、マグネだ」

 

彼女は、自分の胸元に手を置いた。

 

「組織の邪魔者でも、計画の障害でも、処理しなきゃいけない問題でもない。マグネって名前で呼ばれて、生きていた人間だ」

 

その声は、少しだけ震えていた。

 

「私は、あんたの計画のために生まれてきたわけじゃない」

 

治崎は、何も言わなかった。

 

「……それを、あんたは、自分の計画のために殺したんだ」

 

マグネは、その言葉を、ゆっくりと置いた。

 

「私は、それを忘れない」

 

第四幕 生き返ったんだから、いいだろう?

治崎は、しばらく黙っていた。

 

やがて、口を開く。

 

「……お前は、今、生きている」

 

マグネの顔が、ぴたりと止まった。

 

「……何だって?」

 

「お前は、死んだ。しかし、何らかの理由で、再び生きている」

 

治崎の声は、相変わらず平坦だった。

 

「その事実は、変わらない」

 

マグネは、治崎を見つめた。

 

「……それで?」

 

「ならば、今のお前には、これからの人生がある」

 

治崎は、淡々と続けた。

 

「俺の行為が、お前に与えた結果は重大だ。しかし、現時点で、お前は再び生活を営むことができる。その意味では、失われたものの一部が、回復したと考える余地はある」

 

数秒、沈黙が落ちた。

 

そして。

 

「……ふざけるな」

 

マグネの声が、部屋に響いた。

 

治崎は顔を上げた。

 

「何だと?」

 

「ふざけるなって言ったんだよ!」

 

マグネは、机に手をついた。

 

「私が生き返ったから、何だって?」

 

彼女の声が震えていた。

 

「私が、また息をしてるから? また歩けるから? また明日があるから?」

 

マグネは、治崎を睨みつけた。

 

「それで、あんたが私にしたことが、少しは埋まったとでも言うのかい?」

 

「そうは言っていない」

 

「言ってるだろうが!」

 

マグネは、思わず声を荒らげた。

 

「失われたものの一部が回復した? 何を、勝手に決めてんだ!」

 

彼女は、自分の胸を叩いた。

 

「私は、戻ってきた。そうだよ。今、ここにいる。自分が生きてることを、嫌だなんて言ってない!」

 

声が、一瞬だけ止まる。

 

その言葉を、誤解されたくなかった。

 

自分は、生き返ったことそのものを否定したいわけではない。

 

今の人生を、無価値だと言いたいわけでもない。

 

これから、自分で選べることがあるのなら、選んでいきたいと思っている。

 

しかし。

 

「……私が生きてることと、あんたが私を殺したことは、別の話だ」

 

マグネは、ゆっくりと言った。

 

「私が戻ってきたからって、あのときの私が死んだことが、なくなるわけじゃない」

 

治崎は、黙っていた。

 

「私が、もう一度、人生を選べるようになったからって、あんたが私から人生を奪ったことが、なかったことになるわけじゃない」

 

マグネは、机の端を握りしめた。

 

「それに……」

 

声が低くなる。

 

「私が戻ってきたからって、私に、あのときのことをやり直せって言うな」

 

治崎の眉が動いた。

 

「誰も、そんなことは言っていない」

 

「じゃあ、どうして、あんたは、私が生き返ったことを、自分の罪の説明に使おうとするんだい?」

 

治崎は、答えなかった。

 

マグネは、続けた。

 

「私が戻ってきたことは、あんたが選んだことじゃない。私が、あんたを許すために戻ってきたわけでもない。あんたが、やり直すための機会を得たからって、私まで、その機会に付き合ってやる義理はない」

 

彼女の声は、もう震えていなかった。

 

怒りは、まだ燃えている。

 

しかし、今度は、その怒りを、言葉にして相手へ向けていた。

 

「私は、自分の人生を、もう一度、選べるようになった。それは、私のものだ」

 

マグネは、治崎を見つめた。

 

「私の未来を、あんたの贖罪のために使うな」

 

治崎の表情が、初めてわずかに変わった。

 

「……俺は、そんなつもりでは」

 

「つもりの話じゃないんだよ!」

 

マグネは、言葉を遮った。

 

「私は、あんたが何を考えてるかなんて、まだ全部わからない。反省してるのか、してないのか。何を望んでるのか。これから、どうしたいのか。……そんなこと、今は知らない」

 

彼女は、一度、息を吐いた。

 

「でも、あんたが、私の人生を取り戻してくれるわけじゃない」

 

治崎は、何も言わなかった。

 

「私が、これから、どう生きるのか。誰と会うのか。何をしたいのか。あんたのことを、どう思っていくのか。それは、全部、私が決める」

 

マグネは、はっきりと言った。

 

「私は、あんたに殺された。だからって、これからの私まで、あんたに決めさせるつもりはない」

 

その言葉は、治崎の胸に届いたのか。

 

それとも、まだ彼の中で、何かの理屈に置き換えられようとしているのか。

 

マグネには、わからなかった。

 

ただ、彼女は、もう一度、同じ言葉を繰り返すつもりだった。

 

「……私は、あんたに、私の人生を決めさせない」

 

第五幕 謝罪を受け取る義務はない

治崎は、長い沈黙のあと、ようやく口を開いた。

 

「……謝罪を望んでいるのか」

 

マグネは、目を見開いた。

 

そして、ゆっくりと、治崎を見た。

 

「……は?」

 

「俺がしたことについて、謝罪を求めているのかと聞いている」

 

マグネは、しばらく相手の顔を見つめていた。

 

「……あんた、今、その質問をするのかい?」

 

治崎は、表情を変えなかった。

 

「必要な確認だ」

 

「必要な確認?」

 

マグネは、笑った。

 

今度は、怒りを隠そうともしなかった。

 

「本当に、あんたって男は……!」

 

彼女は、椅子の肘掛けを強く握った。

 

謝罪をしてほしいか。

 

許してほしいか。

 

何を求めているのか。

 

それを、加害者側が確認すること自体が、すべて間違いとは限らない。

 

しかし、その問いが、まるで手続き上の選択肢を確認するだけのように聞こえたとき。

 

マグネは、自分の怒りが、まだまったく伝わっていないことを感じた。

 

「……私が、あんたに何をされたのか、話したよね」

 

「聞いた」

 

「それで、どう思った?」

 

治崎は答えなかった。

 

「私が、どんな人生を送ってたのか。何を望んでたのか。明日、何をしようとしてたのか。……あんたは、そこを考えたのかい?」

 

「……」

 

「それを考えずに、謝罪が必要かどうかだけ、聞くのかい?」

 

治崎は、しばらく黙っていた。

 

「……お前の言うことは、理解した」

 

マグネは、目を細めた。

 

「何を?」

 

治崎は答えなかった。

 

「私は、あんたの説明を聞きに来たんじゃない。謝罪をもらいに来たんでもない」

 

マグネは、静かに言った。

 

「もちろん、あんたが何を考えてるのか、知りたい気持ちがないわけじゃない。あんたが、自分のしたことをどう考えてるのか、気になることもある」

 

彼女は、椅子に深く座り直した。

 

「でも、今、あんたが謝ったからって、それで何かが解決するとは思ってない」

 

治崎は、彼女を見つめた。

 

「……ならば、何のために来た」

 

マグネは、少しだけ口元を緩めた。

 

「さっき、言っただろう」

 

そして、まっすぐに答えた。

 

「私が、あんたに言いたいことを言うためだよ」

 

治崎は、黙っていた。

 

マグネは、続けた。

 

「私は、あんたに、私を殺したことを忘れてほしくない。私が、ただの障害物じゃなかったことを、知っていてほしい」

 

彼女の声は、静かだった。

 

「でも、私のことを、あんたに理解してもらうために、私が自分の人生を差し出すつもりはない」

 

マグネは、ゆっくりと立ち上がった。

 

「私の怒りを、あんたのために使う気もない。あんたが変わるための材料にするつもりもない」

 

治崎は、顔を上げた。

 

「……怒りを、使う?」

 

「そうさ」

 

マグネは、自分の拳を見つめた。

 

「怒りっていうのは、あんたが私に何をしたのかを忘れないために、私の中に残ってるものだ。少なくとも、今の私は、そう思ってる」

 

彼女は、治崎を見た。

 

「でも、あんたが何を変えるかは、あんたの問題だ。私が怒ってるから、あんたが反省しなきゃいけないんじゃない。あんたが、自分のしたことを、自分で考えなきゃいけないんだ」

 

治崎の表情が、わずかに硬くなった。

 

「……それは、当然だ」

 

「本当にそう思ってるなら、これから、そうしな」

 

マグネは、椅子から離れた。

 

「私が、あんたに答えを教えてやる必要はない」

 

その言葉を口にして、彼女は、ようやく、自分がここに来た理由を理解した気がした。

 

治崎を説得したかったわけではない。

 

彼に、正しい反省の仕方を教えたかったわけでもない。

 

彼の罪を、理解しやすい物語に整理したかったわけでもない。

 

ただ、自分が何をされたのかを、自分の言葉で伝えたかった。

 

そして、その怒りを、彼に委ねずに、持ち帰りたかった。

 

「……私は、あんたを許していない」

 

マグネは、最後に言った。

 

「今後、許すかどうかも、私が決める」

 

治崎は、彼女を見つめた。

 

マグネは、扉へ向かった。

 

「……あんたの更生のために、私を使うな」

 

それが、彼女の最後の言葉だった。

 

第六幕 怒りを、誰のものにもさせない

扉を出ると、スピナーが立っていた。

 

彼は、マグネの顔を見ると、すぐに近づきかけた。

 

「マグネ……」

 

「大丈夫だよ」

 

マグネは、片手を上げた。

 

「……いや、大丈夫じゃないな」

 

自分でそう言って、苦笑した。

 

「腹が立つ。ものすごく、腹が立つ」

 

スピナーは、何も言わなかった。

 

「でも、まあ……言いたいことは言った」

 

マグネは、壁に背を預けた。

 

しばらく、そのまま目を閉じる。

 

体の中に、まだ怒りが残っていた。

 

治崎の言葉を聞いた瞬間。

 

自分の死を、結果の一つとして語られた瞬間。

 

生き返ったことを、失われたものの回復として扱われた瞬間。

 

そのたびに、彼女の胸の奥で、何かが燃え上がった。

 

あの男は、まだ、わかっていないのではないか。

 

自分が何をしたのか。

 

人間の人生を、どれほど軽く扱ったのか。

 

その事実を、どこまで本気で理解しているのか。

 

考えれば考えるほど、怒りは消えなかった。

 

「……なあ、スピナー」

 

「何だ」

 

「私が、あいつを許さなかったら……どうなると思う?」

 

スピナーは、しばらく考えた。

 

「どうもならないだろ」

 

マグネは、目を開いた。

 

「……どうもならない?」

 

「お前が許すかどうかは、お前が決めることだ。あいつが反省したかどうかとは、別の話だろ」

 

マグネは、黙っていた。

 

スピナーは、続けた。

 

「あいつが、これから何をするかは、あいつの問題だ。お前が許さなければ、何も変われないっていうなら……それは、あいつが変わることを、お前に背負わせてるだけだ」

 

マグネは、少しだけ笑った。

 

「……あんた、たまにはいいことを言うね」

 

「たまには、は余計だ」

 

「ははっ」

 

笑い声が漏れた。

 

けれど、それはすぐに消えた。

 

「……私、あいつを許さなくてもいいんだね」

 

スピナーは、まっすぐ答えた。

 

「当たり前だ」

 

「……そうかい」

 

マグネは、ゆっくりと壁から背を離した。

 

「私、ずっと、何かを決めなきゃいけない気がしてたんだよ」

 

「何を?」

 

「許すとか、許さないとか。忘れるとか、忘れないとか。……生き返ったんだから、前向きにならなきゃいけないとか」

 

彼女は、自分の胸元に手を置いた。

 

「でも、今は、そんなことまで決めなくてもいいんだね」

 

スピナーは頷いた。

 

「そうだろ」

 

マグネは、しばらく黙っていた。

 

そして、静かに言った。

 

「……私、今は、許したくない」

 

「なら、それでいい」

 

「いつか、気持ちが変わるかもしれない」

 

「変わるかもしれないな」

 

「変わらないかもしれない」

 

「それも、お前が決めることだ」

 

マグネは、深く息を吐いた。

 

「……ありがとう」

 

スピナーは、少しだけ目を逸らした。

 

「礼を言われるようなことはしてない」

 

「そういうことにしときな」

 

二人は、歩き始めた。

 

廊下の先には、窓があった。

 

外では、街の修復が続いている。

 

マグネは、その光景を見ながら考えた。

 

自分が生き返ったことは、確かに、これからの人生を選ぶ機会を与えたのかもしれない。

 

しかし、その機会をどう使うのかは、自分が決めることだ。

 

誰かを許すために使う必要はない。

 

誰かの更生を支えるために使う必要もない。

 

過去を忘れるために使う必要もない。

 

もちろん、いつか、何かをしたいと思うかもしれない。

 

誰かと話したいと思う日も来るかもしれない。

 

自分が失ったものを、少しずつ取り戻したいと思うこともあるだろう。

 

それでも、その選択は、自分自身のものだ。

 

「……私も、これから何をしたいのか、考えなきゃね」

 

マグネは呟いた。

 

スピナーが隣で頷いた。

 

「ああ」

 

「……でも、その前に」

 

マグネは、目を細めた。

 

「もう一回、あいつと話すかどうかは、考えておく」

 

スピナーは、少しだけ驚いた顔をした。

 

「また会うのか?」

 

「決めてないよ」

 

マグネは、笑った。

 

「だから、考えるんだろう?」

 

その言葉を口にしたとき、彼女の胸の奥に、少しだけ余白が生まれた。

 

怒りは、まだ残っている。

 

治崎を許す気持ちも、まだない。

 

しかし、これからどうするかについては、彼女自身が選べる。

 

それだけは、確かだった。

 

第七幕 治崎廻は、何を聞いたのか

面会室に、一人残された治崎廻は、しばらく動かなかった。

 

目の前には、空になった椅子がある。

 

さっきまで、マグネが座っていた場所。

 

彼女は、自分を許さなかった。

 

謝罪も求めなかった。

 

理解を求めることもしなかった。

 

ただ、自分が何をされたのかを伝えた。

 

そして、これからの人生を、自分で選ぶと言った。

 

治崎は、目を伏せた。

 

「……俺の行為が、彼女の人生を奪った」

 

口に出してみる。

 

それ自体は、難しいことではなかった。

 

事実として認識することはできる。

 

自分が彼女を殺した。

 

それによって、彼女の人生が途絶えた。

 

今、彼女が戻ってきたとしても、その事実は消えない。

 

そこまでは、理解できる。

 

しかし、その理解が、彼の中でどこまで深まっているのか。

 

マグネが怒りを抱えていることを、どこまで自分の問題として受け止められているのか。

 

それは、まだ、はっきりしなかった。

 

彼は、自分の失ったものを考えた。

 

腕。

 

個性。

 

組織。

 

過去の地位。

 

かつて、自分が成し遂げようとしていた計画。

 

それらは、もう、自分の手の中にはない。

 

そして、マグネは、そのこととは別に、自分自身の人生を選ぼうとしていた。

 

彼女は、自分に、何も求めなかった。

 

許してほしいとも言わなかった。

 

理解してほしいとも言わなかった。

 

むしろ、自分がどう変わるのかは、自分で考えろと言った。

 

治崎は、その言葉を思い返した。

 

「……自分で、考えろ」

 

彼は、そう呟いた。

 

これまで、自分は何を考えていたのだろう。

 

何を取り戻そうとしていたのだろう。

 

失った組織を。

 

失った力を。

 

失った地位を。

 

それらが戻れば、自分は再び、かつての自分に戻れるのだろうか。

 

そもそも、かつての自分とは、どのような人間だったのだろう。

 

治崎は、長い沈黙の中で、自分自身に問いを投げかけ始めていた。

 

しかし、まだ、答えは出ていなかった。

 

終幕 死は、なかったことにならない

帰り道、マグネは、もう一度、窓の外を見た。

 

街は、少しずつ形を取り戻している。

 

壊れたものが修復され、失われた場所に新しい建物が立ち、人々が生活を続けている。

 

それでも、すべてが元どおりになるわけではない。

 

かつての景色と同じになっても、そこで起きたことは消えない。

 

誰かが亡くなったこと。

 

誰かが傷ついたこと。

 

誰かの人生が、他人の選択によって変えられてしまったこと。

 

それらは、ただ時間が過ぎたからといって、なかったことにはならない。

 

死者が帰還したからといって、死が消えるわけではない。

 

失われた時間が戻ったとしても、その時間を失った経験は残る。

 

生き返った人が、再び人生を選べるようになったとしても、失われたものをどう受け止めるのかは、その人自身が決めることだ。

 

マグネは、静かに息を吐いた。

 

「……私は、私の人生を選ぶ」

 

その言葉は、誰かを許すためのものではなかった。

 

誰かを罰するためのものでもなかった。

 

自分自身が、これからどう生きていくのかを決めるための言葉だった。

 

治崎が、これからどうなるのか。

 

彼が反省するのか。

 

自分の行為と向き合うのか。

 

何かを取り戻そうとするのか。

 

それは、治崎自身が考えるべきことだ。

 

マグネは、その答えを用意してやるつもりはなかった。

 

自分の怒りを使って、彼を変えようとも思わなかった。

 

ただ、彼が自分に何をしたのかを、忘れない。

 

自分が何を失ったのかを、なかったことにしない。

 

そして、自分がこれから、どのような人生を歩みたいのかを、自分で考える。

 

それでいい。

 

今は、それでいいのだ。

 

マグネは、歩き出した。

 

その胸には、まだ怒りが残っていた。

 

治崎を許す気持ちも、まだない。

 

しかし、彼女は、その怒りを、誰かに取り上げられなかった。

 

怒りを抱えていることを、恥じる必要はない。

 

許せないことを、無理に許せるようになる必要もない。

 

被害者が、加害者の更生を手助けしなければならない理由はない。

 

そして、死者の帰還が、新しい人生を選ぶ機会を生み出すとしても。

 

その機会を、どう使うのかは、それぞれの本人が決めることだ。

 

マグネは、もう一度、空を見上げた。

 

「……あんたの人生は、あんたが考えな」

 

治崎に向けた言葉だった。

 

けれど、同時に、自分自身に向けた言葉でもあった。

 

彼女は、自分の人生を選ぶ。

 

何を望むのか。

 

何を守りたいのか。

 

これから、どんな人間として生きていきたいのか。

 

その答えを、誰かに決めてもらうつもりはない。

 

たとえ、怒りが消えなくても。

 

たとえ、過去を忘れられなくても。

 

その先の人生まで、他人に決めさせるつもりはなかった。

 

そして、面会室に残った治崎廻もまた、初めて、自分が失ったものについて、考え始めていた。

 

組織。

 

力。

 

過去の地位。

 

それらを取り戻したいと思うこと自体は、否定できない。

 

しかし、取り戻したいという願いがあるからといって、他人を自分の計画に従わせる権利が生まれるわけではない。

 

彼は、そのことを、これから学ばなければならない。

 

マグネの怒りは、終わっていない。

 

そして、治崎の問いも、まだ始まったばかりだった。

 

自分は、何を取り戻したいのか。

 

その願いの奥に、いったい何があるのか。

 

次の対話が、その問いを明らかにしていくことになる。

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