一 満たされない怪物
最初に飛んできたのは、鋼鉄の拳だった。
ギャラティカの右腕が、風を裂く。
「――っ!」
天喰は、背中に鳥の翼を再現した。
短く羽ばたき、身体を横へ滑らせる。
拳が、頭上を通過した。
だが、避けた先には、黒い口が開いていた。
吸引。
天喰の身体が、地面へ引き寄せられる。
「まだ……!」
両腕からタコの触手を伸ばす。
一本を倒れた鉄骨へ。
もう一本を崩れた建物の支柱へ。
触手を巻きつけ、身体を引っ張る。
同時に翼を解除。
身体を落下させながら、触手の張力を利用して軌道を変えた。
黒い口が、空を切る。
天喰は地面すれすれを通過し、甲殻に覆われた両脚で着地した。
その瞬間、ギャラティカが振り返る。
「逃がすか」
肩から金属の棘が伸びた。
次々と射出される。
天喰は右腕に鋏を再現し、一本目を弾く。
二本目は、触手で軌道を変える。
三本目は、甲殻に覆われた脚で踏み切り、跳躍して回避する。
しかし、四本目の棘の表面に口が開いた。
吸引。
鋏を構えた腕が、引き寄せられる。
「くっ!」
天喰は、すぐに鋏を解除した。
吸い込む対象を失った口が、閉じる。
その隙に、天喰は身体を捻り、ギャラティカの背後へ回り込んだ。
背中には、巨大な口。
それを守るように、無数の金属板が重なっている。
先ほど露出した、小さな光。
ギャラティカが激しく反応したもの。
天喰は、その場所を見失わないように目を凝らした。
しかし、ギャラティカは自分の背中を守ることを最優先にしている。
天喰が接近しようとすれば、装甲が動く。
攻撃を仕掛ければ、口が開く。
そして、そのたびに、周囲の瓦礫が吸い込まれていく。
何かを守ろうとしている。
そのために、戦場全体を利用している。
天喰は、拳を握った。
今は、まだ。
まず、この暴食を止めなければならない。
「天喰! 下がれ!」
切島鋭児郎の声が響いた。
天喰が横へ跳ぶ。
その直後、硬化した切島の拳が、ギャラティカの左腕へ叩き込まれた。
金属音。
装甲が大きくへこむ。
「レッドライオット!」
切島は、拳を引いた。
すぐに次の攻撃へ移る。
今度は肩。
続いて肘。
同じ場所を殴り続けるのではない。
攻撃のたびに狙いを変え、ギャラティカに吸収の対象を選ばせない。
だが、三度目の攻撃の直後、切島の拳の前に口が開いた。
「ちっ!」
切島は、硬化を解除する。
吸収の対象が消える。
そのまま身体を低くし、ギャラティカの腕の下を滑り抜けた。
背後へ回り込みながら、もう一度、全身を硬化させる。
「おらあっ!」
背中へ、強烈な一撃。
ギャラティカの身体が揺れた。
しかし、すぐに金属の装甲が動き出す。
切島の攻撃によって生まれた亀裂を、周囲の金属が埋めていく。
「くそっ、回復してるわけじゃねえ……! 喰らったもので、装甲を作り直してるのか!」
「せや!」
ファットガムが叫んだ。
彼は、蓄積した衝撃を足元へ放出し、ギャラティカの側面へ跳び込んだ。
「だから、攻撃を当てるだけやと足りん! あいつが身体を組み替える時間そのものを、潰さなあかん!」
ファットガムは、拳を振る。
ギャラティカが腕を上げる。
拳と金属装甲が激突した。
その瞬間、ファットガムは衝撃を一気に放出するのではなく、身体の向きを変えた。
受け止めた力を横方向へ逃がす。
ギャラティカの腕が、わずかに外へ逸れる。
その隙に、ファットガムは一歩踏み込んだ。
「ほな、これでどうや!」
肩から、胴体へ激突する。
ギャラティカの身体が大きく揺れた。
背中の装甲が、互いに擦れ合う。
巨大な口の開閉が、ほんのわずかに乱れた。
その一瞬を、天喰は見逃さなかった。
「今です!」
背中から触手を展開。
一本は、ギャラティカの肩へ。
もう一本は、脚部へ。
触手を巻きつけ、身体の向きを変える。
ギャラティカが吸引を始めた。
天喰は、即座に触手を解除。
吸い込む対象が消え、口が空を切る。
そのまま翼を再現し、空中へ跳び上がった。
しかし。
「何度も同じ手を使うな」
ギャラティカの背中から、別の口が開いた。
吸引。
翼が引き寄せられる。
天喰は、即座に翼を解除した。
だが、落下する身体の下にも、口が開いていた。
天喰は息を呑む。
逃げ道がない。
その瞬間、横から鋼鉄の影が割り込んだ。
「おおおおおおッ!」
鉄哲徹鐵だった。
全身を鋼鉄へ変え、両腕で天喰の身体を抱え込むようにして、吸引の流れから押し出す。
二人の身体が、地面へ転がった。
「鉄哲くん!」
「大丈夫か、天喰!」
「はい……! ありがとうございます!」
「礼はあとだ!」
鉄哲は、鋼鉄の拳を握りしめた。
「まだ、こいつを倒してねえ!」
ギャラティカは、四人を見下ろしていた。
身体には、金属、甲殻、硬化した表面に似た装甲が重なっている。
その姿は、すでに人間の輪郭から大きく外れ始めていた。
しかし、背中の巨大な口の奥では、あの小さな光が揺れている。
天喰は、その光から目を離さなかった。
「……ギャラティカ」
彼は、静かに呼びかけた。
「あなたは、そこにあるものを守ろうとしているんですか?」
ギャラティカの動きが止まった。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、無数の口が開閉を止めた。
次の瞬間。
「黙れ!」
暴食の化身が、吠えた。
背中の巨大な口が、戦場を丸ごと呑み込もうと開いていく。
二 食べたものは、自分になるのか
吸引が、戦場を覆った。
地面の破片が浮き上がる。
鋼材がねじれ、建物の残骸が剥がれていく。
そのすべてが、ギャラティカの背中にある巨大な口へ向かっていった。
「全員、散開や!」
ファットガムの声が響く。
切島は左へ。
鉄哲は右へ。
天喰は、翼を広げて上空へ。
しかし、ギャラティカは、その動きを待っていた。
空中に口が開く。
地面に口が開く。
倒れた鋼材の表面に口が開く。
四人が逃げようとした方向へ、次々と黒い裂け目が生まれていった。
「……っ!」
天喰は、翼を畳んだ。
落下。
身体を丸め、甲殻を再現して地面への衝撃に備える。
着地の直前、触手を射出。
鋼材へ巻きつけ、地面へ滑るように移動する。
そのまま、黒い口の縁を避けて着地した。
だが、そこへ鉄哲が転がり込んできた。
「うおっ!」
二人は、瓦礫の陰へ飛び込む。
すぐに背後の壁が崩れた。
「危ねえ……!」
鉄哲が息を吐く。
「天喰! あいつ、何でもかんでも吸い込む気かよ!」
「そう見えます……!」
「そう見えます、じゃねえだろ! 何か手を考えねえと!」
鉄哲は鋼鉄の拳を握った。
だが、その表情には、焦りが浮かんでいた。
ギャラティカが強いことは、十分に理解している。
ただ強いだけなら、まだいい。
戦えば戦うほど、こちらの能力を吸収し、身体を変え、次の攻撃へ利用してくる。
しかも、攻撃を受けることを恐れていない。
傷つけても、吸い込んだものを使って補修する。
押し返しても、その衝撃を利用して反撃する。
力をぶつければぶつけるほど、敵の手札が増えていく。
そんな相手に、どう勝てばいいのか。
「……鉄哲くん」
天喰は、瓦礫の隙間からギャラティカを見た。
「相手の身体を、全部壊す必要はないのかもしれません」
「何?」
「ギャラティカは、何かを喰らうことで力を得ています。でも、その目的は、ただ強くなることだけじゃないように見えるんです」
鉄哲は、少しだけ黙った。
「背中の口の奥にあるもの……か?」
「はい」
天喰は、うなずいた。
「あそこに何があるのかは、分かりません。でも、そこへ触れようとしたとき、ギャラティカは明らかに動揺しました」
彼は、ギャラティカを見つめた。
「あの口が、ただ物を吸収するためのものなら、僕たちが何を見ても気にする必要はないはずです」
「……つまり、あいつの弱点かもしれねえってことか?」
「弱点というより、あいつが何を守ろうとしているのかを知る手掛かりです」
天喰は、拳を握った。
「僕たちは、ギャラティカの身体を壊すだけでは、終われないのかもしれません」
鉄哲は、少しだけ考えた。
そして、豪快に笑った。
「だったら、そいつを見つけるまで戦うだけだ!」
「鉄哲くん……」
「俺は難しいことを考えるのは得意じゃねえ。けど、目の前に倒すべき相手がいるなら、全力でぶつかる。そんで、何か別の問題があるなら、そのとき考えればいい!」
鉄哲は、鋼鉄の拳を自分の胸へ軽く当てた。
「自分の力が何のためにあるのかなんて、戦ってる間に何度でも考えりゃいいんだ!」
天喰は、目を見開いた。
切島にも似た考え方だった。
恐怖があるから動けないのではない。
答えがないから戦えないのでもない。
分からないなら、戦いながら探せばいい。
自分ひとりでは難しいなら、仲間と一緒に考えればいい。
天喰は、ゆっくりとうなずいた。
「……はい」
そのとき、瓦礫の向こうから切島の声が響いた。
「おーい! 二人とも、聞こえるか!」
「切島くん!」
「ファットガムさんが作戦を考えた! こっちへ来い!」
天喰と鉄哲は、顔を見合わせた。
「よし!」
鉄哲が立ち上がる。
「今度こそ、あの化け物を止めるぞ!」
二人は、瓦礫の陰から飛び出した。
吸引を避けながら、地面を蹴る。
触手で進路を変え、鋼鉄の身体で飛来する破片を受け流す。
そして、ファットガムと切島のもとへ合流した。
四人が、崩れた工場の壁面の陰に集まる。
「作戦って、何ですか?」
天喰が尋ねた。
ファットガムは、ギャラティカの身体を見つめながら答えた。
「こいつの暴食は、喰らったものを自分の力に変える能力や。けど、さっきから見とったら、吸収する場所によって、身体の変化に時間がかかっとる」
「はい」
「せやから、同時に複数の場所で吸収を発生させたら、あいつの身体の再構成が間に合わん可能性がある」
切島がうなずく。
「それなら、さっきの連携を、もっと細かくやるってことか」
「そうや。ただし、今回は狙いを変える」
ファットガムは、指を立てた。
「鉄哲、お前は鋼鉄の身体で、あいつに真正面からぶつかる。けど、攻撃を当てたらすぐ離れる。吸収される前に、身体の向きを変えろ」
「任せろ!」
「切島は、鉄哲が押さえた場所とは反対側を狙う。硬化は攻撃の瞬間だけや。相手の口が開いたら、すぐ解除して離れる」
「了解!」
「天喰は、二人の動きに合わせて、あいつが吸収したい場所を誘導する。直接攻撃するんやなくて、口の向きと身体の動きを乱すんや」
天喰は、うなずいた。
「分かりました」
「ワシは、衝撃を小分けに使って吸引を乱す。あいつの身体を止めるんやなく、次の動きへ移るタイミングをずらす」
ファットガムは、拳を握った。
「ええか。今回は、誰かひとりが大きな一撃を決める作戦やない。四人が、それぞれの能力を使って、相手が思いどおりに動けん状況を作る」
切島が、力強くうなずいた。
「それなら、俺たちの得意分野だ!」
鉄哲が笑った。
「よし、行くぞ!」
天喰は、三人の顔を見た。
自分には、まだ分からないことがある。
自分の個性と、ギャラティカの暴食の違い。
他者の特徴を利用することと、他者を喰らってしまうことの境界。
その答えは、簡単には見つからない。
しかし、今は、その問いを抱えたままでも戦える。
仲間がいるからだ。
自分が考えられないことを、仲間が補ってくれる。
仲間にできないことを、自分が補う。
それぞれが、自分の力を自分の意思で使い、他者を尊重しながら戦う。
その連携こそが、今の自分たちの強さだった。
「行きましょう」
天喰が言った。
三人が、うなずく。
そして、四人は同時に走り出した。
三 戦場を喰らう者
最初に踏み込んだのは、鉄哲だった。
「おおおおおおおッ!」
全身を鋼鉄へ変化させ、ギャラティカの右脚へ突進する。
巨大な装甲が振り下ろされた。
鉄哲は、真正面から受け止める。
鋼鉄の肩と、ギャラティカの金属装甲が激突した。
衝撃が走る。
鉄哲の身体が後退しかける。
だが、彼は足を踏み込んだ。
「まだまだァ!」
鋼鉄の脚が、地面を掴む。
鉄哲は、装甲を押し返すのではなく、身体の向きを変えた。
そのまま、ギャラティカの脚へ体重を預ける。
脚が、わずかに外へ傾いた。
ギャラティカの重心が崩れる。
その瞬間、脚部に口が開いた。
吸引。
鉄哲の身体が、脚へ引き寄せられる。
「来たな!」
鉄哲は、身体をひねった。
鋼鉄の肩を脚から離し、吸引の流れに沿って身体を回転させる。
その反動で、ギャラティカの膝を蹴った。
脚が、さらに傾く。
鉄哲は、口が閉じる前に後退した。
吸引が空振りする。
その直後、切島が飛び込んだ。
「レッドライオット!」
硬化した拳が、膝の装甲へ叩き込まれる。
装甲がへこむ。
口が開く。
切島は、即座に硬化を解除した。
そして、次の瞬間には、反対側の腕を硬化させていた。
「こっちだ!」
拳を、装甲の継ぎ目へ叩き込む。
ギャラティカが、身体をひねる。
その動きに合わせて、天喰が翼を展開した。
空中へ飛び上がり、ギャラティカの背後へ回り込む。
触手を伸ばす。
一本は、背中の口へ。
もう一本は、肩の装甲へ。
だが、直接巻きつけることはしない。
触手を一瞬だけ接触させ、ギャラティカに吸収を選ばせる。
背中の口が開いた。
吸引。
天喰は、すぐに触手を解除した。
口が空を切る。
その瞬間、ファットガムが動いた。
「ほな、これでどうや!」
彼は身体を低く構え、蓄積した衝撃を短く放出する。
その反動で、ギャラティカの左側面へ跳び込む。
拳を振り抜く。
狙いは、胴体の口が開閉する場所。
衝撃が、装甲へ伝わった。
ギャラティカの胴体が、わずかに揺れる。
その揺れによって、背中の口の向きが変わる。
吸引が、横へ逸れた。
四人の連携は、ギャラティカの身体へ明確な影響を与えていた。
吸収の対象を、次々と変えさせる。
装甲の再構成を、同時に複数の場所で発生させる。
そのたびに、身体の動きが少しずつ乱れる。
しかし、ギャラティカは、すぐに対応し始めた。
脚部の装甲を厚くする。
胴体の口を閉じる。
背中の口を広げ、吸引の向きを変える。
攻撃への対処が速い。
こちらが一手を打つ間に、次の手を準備している。
「……もう対策してきたか!」
切島が歯を食いしばる。
「せやから、動きを止めたらあかん!」
ファットガムが叫んだ。
「お前らが一人ずつ攻撃しとったら、あいつに対応する時間を与えてまう! 攻撃する瞬間を重ねるんや!」
「了解!」
鉄哲は、再び突進した。
鋼鉄の身体で、ギャラティカの左腕を押さえる。
切島は、右腕へ攻撃を仕掛ける。
天喰は、触手を使って背中の口の向きを変える。
ファットガムは、その隙に胴体へ衝撃を叩き込む。
四人の動きが、次々と重なった。
ギャラティカが、身体をひねる。
吸引の向きが変わる。
鉄哲が後退する。
切島が硬化を解除する。
天喰が触手を消す。
ファットガムが、衝撃を足元へ逃がす。
誰かひとりが、攻撃を受け続けることはない。
誰かひとりが、無理に力を押し通すこともない。
それぞれが、自分の役割を果たしながら、次の動きへ移っていく。
そして。
ギャラティカの身体が、初めて大きく揺らいだ。
胴体の装甲が、互いにぶつかり合う。
背中の口が、開いたまま閉じられなくなる。
吸引と再構成の動きが、乱れた。
「今です!」
天喰が叫んだ。
触手を一斉に展開。
背中の装甲の継ぎ目へ、複数の触手を巻きつける。
だが、強く引っ張るのではない。
口が開閉するたび、触手を少しずつずらす。
装甲の動きを、邪魔する。
その間に、鉄哲が鋼鉄の腕を差し込んだ。
装甲の端を掴む。
「うおおおおッ!」
引く。
切島が、反対側から硬化した拳を叩き込む。
装甲が、わずかに浮いた。
ファットガムが、蓄積した衝撃を全身へ分散させる。
身体を低くし、肩からギャラティカへぶつかる。
その衝撃によって、装甲がさらにずれた。
背中の巨大な口が、露わになる。
そして、その奥に。
小さな光があった。
天喰は、その光を見た。
先ほどよりも、はっきりと。
それは、金属の破片でも、甲殻でも、何かの生体組織でもなかった。
小さな、古びた金属製の札。
角が擦り切れ、表面には浅い傷がいくつも残っている。
その中央には、かすかに文字のようなものが刻まれていた。
ギャラティカは、それを取り込んでいなかった。
周囲の装甲が剥がれ、口が露出しても、その小さな札だけは、身体の奥に残されていた。
まるで、そこだけは、何ものにも触れさせないように。
「……あれは」
天喰がつぶやいた。
その瞬間。
「見るな!」
ギャラティカが、叫んだ。
彼の身体が、激しく膨張した。
無数の口が、同時に開く。
吸引。
装甲が、四方から剥がれ始める。
鉄哲の鋼鉄の腕が、引き寄せられる。
切島の硬化した拳が、口へ吸い込まれそうになる。
ファットガムの身体も、前へ引きずられていく。
天喰は、触手を解除した。
しかし、吸引は止まらない。
ギャラティカは、背中の口を守るために、周囲すべてを喰らおうとしていた。
「……それが、あなたの大切なものなんですね」
天喰は、ギャラティカを見据えた。
ギャラティカは答えなかった。
ただ、口を開き続けた。
その動きには、もはや計算された戦術だけではなく、何かを失うことを恐れる者の必死さがあった。
天喰は、拳を握った。
このまま戦いを続ければ、ギャラティカの身体はさらに大きく変化する。
その代わり、彼は、自分の中に残された何かを守るために、暴食を止められなくなっている。
ならば。
勝つために必要なのは、ただ相手の身体を破壊することではない。
あの札に何が刻まれているのか。
なぜ、それだけは喰らわないのか。
そこへ踏み込まなければ、ギャラティカの暴食を、本当の意味で止めることはできない。
天喰は、息を吸った。
「みんな!」
三人が、天喰を見た。
「次で、あの口を開かせます!」
「分かった!」
「任せろ!」
「ほな、最後の一押しやな!」
四人は、同時に構えた。
ギャラティカの巨大な口が、再び開く。
その奥に、古びた金属の札が揺れていた。
暴食の化身が守ろうとする、たった一つのもの。
その正体を知るために。
そして、この戦いを終わらせるために。
天喰環は、最後の突撃を開始した。
四 食べることしか、知らなかった
四人が、同時に動いた。
最初に飛び込んだのは、鉄哲だった。
「おおおおおッ!」
全身を鋼鉄へ変化させ、ギャラティカの胴体へ突進する。
だが、真正面からぶつかるのではない。
両腕を広げ、ギャラティカの右腕を抱え込む。
鋼鉄の身体で、その巨体の動きを押さえ込む。
ギャラティカの口が、鉄哲へ向けられた。
吸引。
鉄哲の身体が引き寄せられる。
それでも、彼は離さなかった。
「ここは、通さねえ!」
鋼鉄の脚で地面を掴む。
身体を低く構え、ギャラティカの腕を押さえ込む。
「切島!」
「分かってる!」
切島が、ギャラティカの背後へ回り込んだ。
全身を硬化。
狙いは、背中の装甲の継ぎ目。
先ほど天喰が見つけた、古びた札を守る部分だった。
切島は、拳を振り抜く。
金属装甲が、大きく揺れた。
口が開く。
切島は、即座に硬化を解除する。
そのまま身体をひねり、反対側へ移動する。
再び硬化。
二発目。
三発目。
装甲が、少しずつ浮いていく。
ギャラティカは、鉄哲を引き寄せながら、切島の攻撃を吸収しようとした。
しかし、鉄哲が腕を押さえているため、身体の向きを変えられない。
吸引の対象を、切島へ向けられない。
その一瞬を、ファットガムが利用した。
「ほな、これで最後や!」
身体に蓄積した衝撃を、両脚へ集中させる。
地面を蹴る。
身体が、斜め上へ跳ねる。
ギャラティカの肩へ、正面からぶつかった。
衝撃が、身体全体へ伝わる。
装甲が、揺れる。
背中の口が、わずかに閉じかけた。
その瞬間、天喰が動いた。
翼を展開。
空中へ飛び上がる。
両腕にタコの触手を再現する。
一本は、ギャラティカの肩へ。
もう一本は、背中の装甲の端へ。
触手を巻きつけ、身体を反転させる。
天喰は、全力で引っ張らなかった。
ただ、口が開閉するタイミングに合わせて、触手をわずかに動かした。
装甲の位置を、少しずつずらす。
ギャラティカが吸収を始める。
天喰は触手を解除。
口が空を切る。
その瞬間、切島が三発目の拳を叩き込んだ。
装甲が、大きく浮いた。
「今だ!」
鉄哲が叫んだ。
鋼鉄の腕で、装甲の端を掴む。
全身を使って、引き剥がす。
「うおおおおおおッ!」
装甲が、剥がれた。
背中の巨大な口が、再び露出する。
その奥にある古びた札が、はっきりと見えた。
その瞬間、ギャラティカの動きが変わった。
攻撃を続けようとする動きが、止まった。
吸引も、装甲の再構成も、ほんの一瞬だけ途切れた。
ギャラティカは、背中を丸めるように身体を縮めた。
両腕で、口の奥を覆い隠す。
「やめろ……!」
その声には、今までにない切実さがあった。
「それだけは……!」
天喰は、目を見開いた。
暴食の怪物が。
何もかもを自分のものにしようとしていた存在が。
自分の中にある小さな札だけは、必死に守ろうとしている。
天喰は、ゆっくりと着地した。
両腕から再現していた触手を解除する。
鋏も、翼も、甲殻も消した。
ギャラティカは、警戒するように彼を見た。
「……何のつもりだ?」
天喰は、答えた。
「その札を、壊したいわけじゃありません」
「ならば、近づくな!」
「あなたを止めたいんです」
天喰は、一歩前へ出た。
「でも、何もかもを壊して終わりにしたいわけじゃない」
ギャラティカの口が、震えた。
「おまえに、何が分かる!」
彼の身体が、再び膨張した。
「何が分かるというのだ! 何もかもが消えていく恐怖を! 自分の手から、何も残らず零れ落ちていく感覚を!」
背中の口が、大きく開いた。
「おまえは、力を持っている! 仲間がいる! 守るものがある! だから、簡単に言えるのだ!」
ギャラティカの声が、戦場へ響いた。
「喰らうなと! 奪うなと! 他者を尊重しろと!」
巨大な腕が、天喰へ迫る。
「だが、何も持たない者は、どうすればいい!」
天喰は、動かなかった。
いや。
動けなかったのではない。
その言葉を、真正面から受け止めていた。
何も持たない者。
何も残らない者。
失うことを恐れ、何かを手に入れようとする者。
ギャラティカが、何を求めていたのか。
その輪郭が、少しずつ見え始めていた。
しかし、腕は止まらない。
「天喰!」
ファットガムの叫びが響いた。
天喰は、はっと顔を上げた。
迫る巨大な拳。
回避が間に合わない。
その瞬間。
硬化した腕が、横から割り込んだ。
切島だった。
全身を硬化させ、ギャラティカの拳を真正面から受け止める。
轟音。
切島の足が、地面へ沈んだ。
「ぐっ……!」
拳の衝撃が、全身へ伝わる。
硬化した腕が軋む。
だが、切島は引かなかった。
「天喰……!」
歯を食いしばりながら、叫ぶ。
「お前が何を考えてるか、全部分かるわけじゃねえ!」
足元が、さらに沈む。
「だけど、今、目の前で困ってる奴を見て、何もしねえわけにはいかねえだろ!」
切島は、硬化した両腕へ力を集中させた。
「怖いなら怖いでいい! 迷ってるなら迷ってていい!」
そして、拳を押し返した。
「でも、お前が答えを探してる間、俺たちは一緒に戦える!」
ギャラティカの拳が、わずかに後退した。
切島は、その隙を逃さず、身体をひねった。
拳の軌道を、横へ逸らす。
衝撃が、地面へ流れた。
切島は、すぐに硬化を解除した。
全身の緊張が、一瞬だけ解ける。
息を吸う。
そして、再び構えた。
天喰は、彼を見た。
仲間がいる。
自分が動けない瞬間に、仲間が支えてくれる。
自分が迷っている間に、仲間が時間を作ってくれる。
その力は、自分の個性とは違う。
自分の身体に再現できるものでもない。
それでも、自分が戦うために欠かせない力だった。
天喰は、ギャラティカを見つめた。
「……あなたは、何も持っていなかったんですか?」
ギャラティカは、答えなかった。
「最初から、何もなかったんですか?」
その問いに、ギャラティカの口が止まった。
そして、ゆっくりと開いた。
「……あった」
かすれた声だった。
「何もかも、失う前には……あったのだ」
天喰は、息を呑んだ。
ギャラティカは、背中の口を閉じようとした。
しかし、装甲が剥がれたため、うまく閉じられない。
その奥にある古びた札が、揺れていた。
「最初は……ただ、腹が減っていただけだった」
ギャラティカは、低く言った。
「食べ物がなかった。居場所もなかった。誰かに頼ることもできなかった」
金属の拳が、ゆっくりと下がる。
「喰らうことで、生き延びた。石でも、鉄でも、壊れた道具でも……何でもよかった。身体が取り込めるものなら、何でも」
天喰は、黙って聞いていた。
「喰らえば、力になった。力になれば、次の日も生きられた」
ギャラティカは、背中の札を見た。
「だが、喰らうほど、周囲の者たちは私を恐れるようになった」
声が、さらに低くなる。
「私は、何かを取り込めば取り込むほど、強くなった。けれど、強くなるほど、誰も近づかなくなった」
彼は、ゆっくりと目を閉じた。
「それでも、ひとりだけ……私に食べ物を分けてくれた者がいた」
天喰の表情が、変わった。
ギャラティカは、背中の札を守るように腕を動かした。
「その者が、これをくれた」
古びた札。
小さな金属片。
その表面には、かすれた文字が刻まれている。
食堂の配給札だった。
毎日、食べ物を受け取るための、小さな札。
それを持っていれば、決められた場所で食事を受け取ることができた。
価値としては、ほとんどない。
金属として見れば、簡単に喰らえる。
武器にもならない。
強さを増すこともない。
それでも、ギャラティカは、それを喰らわずに残していた。
「……ここに来れば、食べ物を受け取れる」
ギャラティカは、かすれた声で言った。
「その者は、そう言った。私は、それを信じた」
天喰は、静かに聞いていた。
「だが、ある日、そこがなくなった」
ギャラティカの身体が、わずかに震えた。
「食べ物も、建物も、道も、人も。すべてが崩れた。何が起きたのか、今でも分からない」
彼の背中の口が、かすかに開いた。
「私は、喰らった。生き延びるために。瓦礫を喰らい、鉄を喰らい、飛んできたものを喰らい……何もかもを、自分の中へ取り込もうとした」
ギャラティカは、天喰を見た。
「それでも、何も戻らなかった」
その言葉が、天喰の胸へ落ちた。
「喰らったものは、私の中に残る。力になる。身体の一部になる」
ギャラティカは、拳を握った。
「だから、もっと喰らえば、何かが戻ってくると思った」
装甲が、きしんだ。
「もっと強くなれば、失ったものを取り戻せると思った。すべてを自分の中へ取り込めば、もう二度と、何も失わずに済むと思った」
ギャラティカの声が、震えた。
「だが、どれだけ喰らっても……腹は満たされなかった」
戦場が、静まり返った。
風だけが、崩れた建物の間を通り抜けていく。
天喰は、しばらく言葉を探した。
ギャラティカが、何を求めていたのか。
その答えは、強さだけではなかった。
失ったものを取り戻したかった。
二度と、何も失わずに済むようにしたかった。
そして、何かを自分の中へ残すことで、失われたものを無かったことにしたかった。
けれど。
喰らったものが力になっても、失ったものそのものが戻ってくるわけではない。
他者の特徴を自分の身体へ取り込んでも、他者が戻ってくるわけではない。
それでも、ギャラティカは喰らうことをやめられなかった。
その行為が、彼の恐怖を覆い隠していたからだ。
「……あなたは」
天喰は、ゆっくりと口を開いた。
「失いたくなかったんですね」
ギャラティカの目が、揺れた。
「その札だけは、あなたの力にならない。強くもならない。何も取り戻してくれない」
天喰は、札を見た。
「だから、喰らわずに残していた」
ギャラティカは、答えなかった。
その沈黙が、答えだった。
天喰は、胸の奥へ手を当てた。
「……僕も、怖かったんです」
ギャラティカが、顔を上げる。
「自分の個性が通じなくなったら、自分が何者なのか分からなくなるんじゃないかって」
天喰は、自分の手を見た。
「僕の《再現》は、食べたものの特徴を、自分の身体に反映させる個性です。僕はその力を使って、何度も戦ってきました」
拳を握る。
「だから、あなたに自分の力を吸収されそうになったとき、自分自身まで奪われるような気がした」
天喰は、ギャラティカを見た。
「でも、今は少しだけ分かります」
ゆっくりと、一歩前へ出る。
「僕の力は、僕を強くしてくれます。でも、僕が何を選び、何のために戦うかを決めてくれるわけじゃない」
天喰は、仲間たちを見た。
「僕がここに立っているのは、僕の個性だけがあるからじゃありません」
ファットガム。
切島。
鉄哲。
彼らが、自分の意思でここに立っている。
「僕に力を貸してくれた人がいる。僕を信じてくれた人がいる。僕が失敗しても、もう一度立ち上がるために支えてくれた人がいる」
天喰は、ギャラティカを見据えた。
「そういう関係まで、全部、僕の身体の中に取り込めるわけじゃない」
拳を握る。
「だから、僕は相手を自分のものにしようとは思いません」
ギャラティカの口が、わずかに動いた。
「……そんなものが」
声が震える。
「そんなものが、何になる?」
天喰は、答えた。
「僕が、ひとりではできないことを、できるようにしてくれます」
彼は、一歩踏み出した。
「そして、僕がひとりで抱え込まなくてもいいことを、教えてくれます」
ギャラティカは、何も言わなかった。
天喰は、静かに続けた。
「あなたが失ったものは、喰らっても戻らないかもしれません」
その言葉に、ギャラティカの顔が歪んだ。
「……分かっている」
小さな声だった。
「分かっていた。ずっと……分かっていた」
彼は、背中の札を見た。
「それでも、やめられなかった」
そして、顔を上げた。
「止められるものなら、止めてみろ」
黒い口が、再び開いた。
「私が喰らってきたものを、すべて取り戻すことなどできない。それでも、私は喰らう」
ギャラティカは、両腕を広げた。
「この空腹が消えない限り、私は喰らい続ける!」
その瞬間、戦場が再び動き出した。
五 暴食の最終形態
ギャラティカの身体が、激しく膨張した。
背中の巨大な口が、開く。
周囲の瓦礫が吸い込まれ、装甲へ変わる。
脚部に鋼鉄が集まる。
腕に甲殻が重なる。
胴体に硬化した表面に似た装甲が生まれ、その上に無数の黒い裂け目が開いた。
その姿は、もはや一つの能力の形ではなかった。
これまで喰らってきたものすべてを、無理やり一つの身体へ押し込めた、歪な集合体だった。
「来るで!」
ファットガムが叫ぶ。
巨大な腕が、四人へ向けて振り下ろされた。
天喰は翼を広げ、空中へ跳び上がる。
切島は、全身を硬化させ、地面を蹴る。
鉄哲は、鋼鉄の身体で正面から突進する。
ファットガムは、身体に蓄積した衝撃を両脚へ集中させた。
四人が、同時に動いた。
巨大な拳が、地面へ激突する。
衝撃波が広がる。
天喰は、空中で身体を捻り、拳の上を飛び越えた。
翼を解除。
落下の勢いを利用し、脚部を甲殻へ変化させる。
ギャラティカの肩へ蹴りを叩き込む。
すぐに解除。
触手を伸ばし、空中で軌道を変える。
ギャラティカの背中へ回り込む。
しかし、そこから無数の口が開いた。
吸引。
天喰の身体が、背中へ引き寄せられる。
「させるか!」
天喰は、両腕に鋏を再現した。
吸引の方向へ向けて、鋏を開く。
口が鋏を吸い込もうとする。
天喰は、すぐに鋏を解除した。
吸引が空振りする。
そのまま触手を射出し、ギャラティカの肩へ巻きつける。
身体を引く。
吸引とは別方向へ。
天喰は、背中の口から離れた。
その隙に、鉄哲が突進する。
「おおおおおおッ!」
鋼鉄の肩が、ギャラティカの脚部へ激突した。
装甲が揺れる。
鉄哲は、全身を使って押し込む。
ギャラティカの脚が、わずかに後退した。
しかし、膝に口が開く。
吸引。
鉄哲の身体が、引き寄せられる。
「またかよ!」
鉄哲は、鋼鉄の身体を維持したまま、脚を開いた。
そのまま、ギャラティカの膝へ体重をかける。
吸引に逆らうのではなく、身体の向きを変える。
鋼鉄の肩を膝から離し、横へ滑る。
その勢いで、ギャラティカの脚を蹴った。
脚部が、さらに揺れる。
そこへ切島が飛び込んだ。
「レッドライオット!」
硬化した拳が、膝の装甲へ叩き込まれる。
装甲が、大きくへこんだ。
口が開く。
切島は即座に硬化を解除し、後退する。
その直後、ギャラティカの脚部から金属の棘が突き出した。
切島は、空中で身体を丸めた。
棘が、彼のすぐそばを通過する。
硬化した肩を、地面へ向ける。
着地。
転がる。
立ち上がる。
切島は、再び拳を構えた。
「まだまだ!」
ギャラティカの腕が、横から迫る。
切島は、必要な瞬間に全身を硬化させた。
拳を受け止める。
衝撃が走る。
しかし、その衝撃を利用して身体を反転させ、攻撃を横へ受け流す。
そして、ギャラティカの懐へ踏み込んだ。
硬化した拳が、胴体へ叩き込まれる。
金属装甲が、軋んだ。
ファットガムが、すかさず動いた。
「今や!」
身体に蓄積した衝撃を、片側へ集中させる。
地面を蹴る。
ギャラティカの背後へ回り込む。
そして、拳を振り抜く。
狙いは、背中の装甲。
衝撃が、そこへ叩き込まれた。
装甲が、浮き上がる。
黒い口が、開いた。
吸引。
ファットガムは、すぐに身体をひねった。
吸い込まれる方向へ動くのではなく、その力を利用して横へ滑る。
身体を回転させ、吸引の軸から外れる。
そして、地面へ着地した。
四人の攻撃が、重なっていく。
天喰が、吸引の方向を乱す。
鉄哲が、巨体を押さえる。
切島が、装甲の継ぎ目を崩す。
ファットガムが、衝撃を使って再構成の動きを遅らせる。
その連携は、ギャラティカの身体を確実に追い詰めていた。
しかし、彼はまだ倒れなかった。
むしろ、四人の力を吸収することで、最後の反撃に必要な力を蓄えているようだった。
背中の巨大な口が、最大まで開く。
その奥に、黒い渦が生まれた。
「……まさか」
天喰が、息を呑んだ。
ギャラティカは、残された装甲を自分の身体から剥がし、背中の口へ吸い込ませ始めた。
自らの身体を、喰らっている。
装甲を吸収し、その性質を背中の口へ集めている。
金属。
甲殻。
鋼鉄。
硬化した表面に似た装甲。
蓄積された衝撃。
それらを、すべて一つの場所へ集めようとしている。
「……全部、まとめる気か!」
鉄哲が叫んだ。
「せや! あいつ、身体のあちこちに分散していた力を、一つの口へ集めとる!」
ファットガムが答える。
「このままでは、吸引の力がさらに強くなる!」
切島は、拳を構えた。
「だったら、その前に止める!」
天喰は、背中の口を見つめた。
これが、ギャラティカの最後の賭けなのだろう。
あらゆるものを取り込み、身体へ組み込む。
その結果、身体の各部に蓄積された特徴を、ひとつの巨大な口へ集める。
自らのすべてを、暴食そのものへ変える。
そうすれば、今までのどんな攻撃も吸収できるかもしれない。
だが。
それは、自分の身体そのものを、喰らうことでもあった。
自分を構成していたものを、すべて一つの目的へ捧げる。
何もかもを呑み込みながら、自分自身さえ呑み込もうとしている。
「ギャラティカ!」
天喰は叫んだ。
「それ以上、喰らったら……!」
「黙れ!」
ギャラティカが、怒鳴った。
「もう、止まれない!」
背中の巨大な口が、さらに開く。
風が渦巻く。
地面の瓦礫が剥がれる。
四人の身体が、同時に引き寄せられた。
天喰は、翼を展開した。
切島は、全身を硬化させた。
鉄哲は、鋼鉄の身体で地面を掴んだ。
ファットガムは、蓄積した衝撃を全身へ分散させた。
だが、吸引は強かった。
地面ごと、四人を呑み込もうとしている。
天喰は、歯を食いしばった。
このままでは、誰も動けなくなる。
そして、ギャラティカは、あの札を守るために、すべてを喰らい続けるだろう。
ならば。
ここで、終わらせるしかない。
「ファットガムさん!」
天喰が叫んだ。
「切島くん! 鉄哲くん!」
三人が、天喰を見た。
「僕が、あの口へ入ります!」
「アホ言いなや!」
ファットガムが、即座に叫んだ。
「そんなことしたら、喰われて終わりや!」
「分かっています!」
天喰は、ギャラティカの背中を見据えた。
「でも、あの口の中心にあるものを、確かめなきゃいけないんです!」
「天喰!」
「僕は、あの中にあるものを壊したいわけじゃありません!」
天喰は、拳を握った。
「ただ、ギャラティカが何を守ろうとしているのかを、確かめたいんです!」
切島は、天喰を見つめた。
その表情には、迷いがあった。
天喰が何を考えているのか。
どこまで危険を承知しているのか。
そのすべてを理解できるわけではない。
しかし。
「……分かった」
切島は、うなずいた。
「ただし、ひとりで行かせねえ」
「切島くん……!」
「お前が口の中へ入るなら、俺は、その入口を守る!」
鉄哲が、鋼鉄の拳を握った。
「俺もだ!」
ファットガムは、しばらく黙っていた。
そして、深く息を吐いた。
「……ほんま、無茶なことばっかり考えよる」
彼は、天喰の肩を叩いた。
「せやけど、お前が何を確かめたいのかは、分かった」
拳を握る。
「ワシが吸引の流れを乱す。切島と鉄哲は、入口をこじ開ける。天喰は、その隙に中心へ向かう」
「ありがとうございます……!」
天喰は、深く頭を下げた。
「礼は後や!」
ファットガムが叫んだ。
「行くで!」
四人は、最後の突撃を開始した。
六 暴食の果てに
ファットガムが、最初に飛び込んだ。
蓄積していた衝撃を、両脚へ集中させる。
身体を低く構え、地面を蹴る。
ギャラティカの背中へ向かって、一直線に走った。
吸引が強まる。
身体が、前へ引き寄せられる。
だが、ファットガムは、その力に逆らわなかった。
引き寄せられる方向へ身体を傾け、地面を滑るように進む。
そして、ギャラティカの背中へ到達する直前。
「ほな、これでどうや!」
蓄積した衝撃を、足元へ放出した。
身体が横へ跳ねる。
吸引の中心から外れた。
ギャラティカの口が、ファットガムを捉えようと向きを変える。
その瞬間。
「鉄哲!」
「おおおおおおッ!」
鉄哲が、鋼鉄の身体で突進した。
両腕を広げ、ギャラティカの背中の装甲へ食い込ませる。
鋼鉄の指が、装甲の端を掴んだ。
「うおおおおおおおッ!」
引く。
装甲が軋む。
しかし、吸引の力が強すぎる。
鉄哲の身体が、巨大な口へ引き寄せられる。
「くっ……!」
鋼鉄の脚が、地面を削る。
それでも、鉄哲は離さない。
「切島!」
「分かってる!」
切島が、硬化した腕を鉄哲の腰へ巻きつけるように回した。
身体を低くし、地面へ足を踏み込む。
硬化した腕に力を集中させる。
「鉄哲! 引っ張るぞ!」
「頼む!」
二人で、装甲を引く。
鉄哲の鋼鉄の身体が、強い力を生み出す。
切島の硬化が、その力を支える。
ファットガムが、蓄積した衝撃を小さく連続して放出する。
吸引の流れが、わずかに乱れた。
装甲が、少しずつ浮き上がる。
その隙間へ、天喰が触手を差し込んだ。
一本。
二本。
三本。
触手を巻きつける。
そして、翼を展開した。
身体を反転させ、触手を引く。
四人の力が、ひとつの動きになった。
金属装甲が、大きく剥がれた。
背中の巨大な口が、完全に露出する。
その奥には、黒い渦。
そして、その中心には、古びた金属の札があった。
ギャラティカの声が、響いた。
「やめろおおおおおおッ!」
吸引が、爆発的に強まった。
鉄哲の身体が、口へ引き寄せられる。
切島の足が、地面から離れる。
ファットガムの身体が、前へ滑る。
天喰の触手が、次々と張り詰めた。
限界だった。
このままでは、四人とも呑み込まれる。
「天喰!」
切島が叫ぶ。
「今だ!」
天喰は、うなずいた。
そして、触手を一斉に解除した。
支えを失った身体が、吸引に引き寄せられる。
天喰は、翼を畳み、身体を丸めた。
そのまま、巨大な口の縁を越える。
「天喰環――!」
ファットガムの声が、遠ざかる。
黒い渦の中へ、天喰の身体が吸い込まれていった。
しかし。
天喰は、喰われていなかった。
彼は、空中で身体を捻り、両腕に触手を再現していた。
触手を口の内壁へ打ち込み、落下速度を抑える。
同時に、脚部へ甲殻を再現して、内壁へ足を突き立てた。
黒い渦の中で、彼は身体を支えた。
そこは、ギャラティカの身体の内側だった。
無数の金属片が、渦を巻いている。
甲殻のような装甲が、壁面に重なっている。
そのすべてが、巨大な口の中心へ流れていく。
そして。
天喰の目の前に、古びた金属の札があった。
彼は、ゆっくりと近づいた。
札の表面には、かすれた文字が残っている。
すべてを読み取ることはできない。
それでも、ひとつだけ、判別できる文字があった。
――食堂。
その下には、薄く擦れた名前らしき文字が刻まれている。
天喰は、手を伸ばしかけた。
だが、その瞬間。
黒い渦が、激しく揺れた。
「触るな!」
ギャラティカの声が、内側へ響いた。
巨大な口が閉じようとする。
金属片が、一斉に天喰へ向かってきた。
天喰は、甲殻を再現して身を守った。
金属片が、甲殻へ激突する。
衝撃が走る。
しかし、甲殻の表面にも、口が開き始めた。
吸収。
「くっ……!」
天喰は、甲殻を解除した。
すぐに触手を伸ばし、内壁へ巻きつける。
身体を横へ逃がす。
金属片が、彼の身体のすぐ横を通過した。
そのとき。
天喰は、気づいた。
ギャラティカは、札を守るために、周囲の物質をすべて自分の身体へ吸い込んでいる。
しかし、札そのものには触れていない。
金属片も、甲殻も、鋼鉄も、すべて取り込む。
けれど、この札だけは。
自分の力に変えていない。
自分の身体の一部にしていない。
ただ、残している。
それが、ギャラティカの中にある、唯一の例外だった。
「……そうか」
天喰は、静かにつぶやいた。
「あなたは、全部を自分のものにしたかったわけじゃない」
黒い渦が、震えた。
「本当は……これだけは、自分のものにしたくなかったんですね」
ギャラティカが、叫んだ。
「違う!」
黒い口が、激しく開いた。
「違う! これは、私のものだ! 私が守ってきたものだ!」
天喰は、札を見た。
「あなたが守ってきたんですね」
「そうだ!」
ギャラティカの声が、震えた。
「これだけは、喰らわなかった! これだけは、壊さなかった! これだけは……!」
声が、途切れた。
そして、しばらくして。
「これだけは、私が何者だったのかを、覚えているものだからだ」
その言葉が、黒い渦の中へ落ちた。
天喰は、札を見つめた。
それは、力にならないものだった。
何かを取り込むための材料にもならない。
強さを増すこともない。
それでも、ギャラティカは、それを守ってきた。
喰らえば、自分の力にできる。
けれど、喰らえば、ただの金属片になってしまう。
その札が持っていた意味まで、自分の中に閉じ込めてしまう。
ギャラティカは、それを恐れていたのかもしれない。
札を自分の一部にしてしまえば、それはもう、誰かから受け取ったものではなくなる。
自分が所有している、ただの材料になってしまう。
その人が、自分へ何を渡したのか。
何を伝えようとしたのか。
何を願っていたのか。
その意味まで、喰らい尽くしてしまう。
「……ギャラティカ」
天喰は、ゆっくりと呼びかけた。
「あなたは、その札を守ってきたんですね」
「……黙れ」
「でも、あなたが喰らってきたものの中に、その札と同じものはありません」
「黙れ!」
「あなたは、どれだけ力を取り込んでも、この札だけは自分の力にしなかった」
天喰は、まっすぐに札を見つめた。
「それは、あなたがまだ、他者から受け取ったものの意味を、忘れていなかったからじゃないですか」
黒い渦が、激しく揺れた。
金属片が、天喰へ襲いかかる。
天喰は、触手を伸ばして身体を支えた。
甲殻を再現し、金属片を受け止める。
翼を展開して身体を横へ逃がす。
そして、再び札の前へ戻った。
「あなたは、喰らうことで、何も失わずに済むと思った」
天喰は、息を吸った。
「でも、喰らうことと、失わないことは同じじゃない」
ギャラティカの声が、震えた。
「……なら、どうすればよかった」
その声は、怒りではなかった。
問いだった。
「どうすれば、よかったのだ」
天喰は、答えを探した。
自分に、正解が分かるはずもない。
ギャラティカが失ったものは、自分には分からない。
その痛みを、同じものとして語ることもできない。
ただ。
「……分かりません」
天喰は、正直に答えた。
「僕は、あなたが失ったものを取り戻せません。あなたが何を感じてきたのか、すべて分かるわけでもありません」
ギャラティカの声が、止まった。
「でも、失ったものを取り戻せないからって、何もかもを自分のものにしていいわけじゃない」
天喰は、拳を握った。
「あなたが誰かを傷つけたなら、その責任は残ります。あなたが何かを喰らったなら、その相手がいたという事実は消えません」
静かに、続ける。
「でも、あなたが失ったものを、失ったまま覚えていてもいいんです」
黒い渦が、揺れた。
「喰らって、自分の一部にしなくてもいい。何もかもを取り込まなくてもいい」
天喰は、札を見た。
「その札は、あなたの力ではありません。あなたが誰かから受け取った、記憶なんです」
ギャラティカは、何も言わなかった。
天喰は、ゆっくりと手を伸ばした。
札を掴もうとはしない。
ただ、その前に手を置いた。
「……僕は、これを奪いません」
その言葉と同時に、黒い渦が大きく震えた。
ギャラティカの身体が、崩れ始めていた。
装甲を無理に組み替え続けたことで、吸収と再構成の動きが限界に達している。
自分の身体を喰らい、すべての力を巨大な口へ集めた結果、別の場所を支える力が失われていた。
そして、今。
背中の巨大な口が、天喰を吸い込もうとする動きを、ほんのわずかに緩めていた。
ギャラティカ自身が、迷っている。
喰らうべきか。
守るべきか。
すべてを自分のものにするべきか。
それとも、誰かから受け取ったものを、そのまま残すべきか。
天喰は、札から手を離した。
そして、ギャラティカを見据えた。
「僕は、あなたのことを許すと言うつもりはありません」
その言葉に、ギャラティカの身体が、わずかに止まった。
「あなたが喰らってきたもの。あなたが傷つけた人たち。あなたが奪ったもの。それらは、なかったことにはできません」
天喰は、静かに続けた。
「でも、あなたが何を恐れていたのかを、知りたいと思いました」
そして。
「だから、僕は、あなたをここで止めます」
天喰は、触手を伸ばした。
今度は、札ではない。
巨大な口の内壁へ。
触手を巻きつけ、身体を固定する。
そして、甲殻を再現した脚で、口の縁を蹴った。
外へ向かう。
その瞬間、ギャラティカが吠えた。
「止まれえええええッ!」
吸引が、再び最大まで強まった。
天喰の身体が、口の中心へ引き戻される。
彼は触手を解除した。
すぐに別の場所へ触手を再現する。
内壁へ巻きつける。
翼を展開。
身体を回転させる。
甲殻で衝撃に備え、触手で軌道を変える。
その一連の動作を、天喰は何度も繰り返した。
吸引が強まるたびに、移動する。
口が閉じようとするたびに、触手を解除する。
新しい口が現れるたびに、翼で軌道をずらす。
相手の力を真正面から破るのではない。
その力が、自分を捉え続けられないようにする。
やがて。
天喰の身体が、巨大な口の縁へ到達した。
その外側には、切島と鉄哲が待っていた。
「天喰!」
切島が叫ぶ。
「今だ!」
鉄哲が、鋼鉄の腕を差し出す。
天喰は、触手を伸ばした。
鉄哲の腕へ巻きつける。
切島が、もう一本の触手を掴む。
ファットガムが、二人の後ろへ回った。
「引くで!」
三人が、同時に力を込める。
天喰の身体が、巨大な口から引き抜かれた。
地面へ転がる。
四人が、互いに身体を支えながら、吸引域の外へ逃れる。
その直後。
ギャラティカの背中の巨大な口が、閉じた。
そして。
次の瞬間、その口が、逆方向へ開いた。
吸い込んだものを、吐き出し始めたのだ。
金属片。
鋼材。
甲殻の破片。
これまで取り込んできた物質が、次々と外へ放出される。
暴食の化身が、何かを吐き出していた。
それは、攻撃ではなかった。
取り込んだものを、自分のものにし続けることが、できなくなっていたのだ。
ギャラティカの身体から、装甲が剥がれていく。
背中の口が、縮小する。
無数の黒い裂け目が、ひとつずつ閉じていく。
そして、最後に。
古びた金属の札が、空中へ投げ出された。
天喰は、とっさに触手を伸ばした。
札を受け止める。
そのまま、地面へ落とさずに手の中へ収めた。
札は、まだそこにあった。
誰の力にも変えられず。
誰の身体にも取り込まれず。
ただ、古びた小さな札として。
そこに残っていた。
七 空腹の終わりではなく
静寂が訪れた。
工業地帯を覆っていた吸引が消え、宙に浮いていた瓦礫が地面へ落ちていく。
金属片が、甲殻の破片が、コンクリートが。
それぞれ、本来あった場所とは違う場所へ散らばっていった。
崩れた工場の壁面から、最後の小さな破片が落ちた。
乾いた音。
それが、戦場に響いた最後の音だった。
ギャラティカは、地面に膝をついていた。
身体を覆っていた金属装甲は、ほとんど失われている。
無数の口も閉じ、腕や胴体に浮かんでいた黒い裂け目は、ひとつずつ消えていった。
それでも、彼の身体には、まだ暴食の特徴が残っていた。
完全に能力を失ったわけではない。
ただ、今はもう、戦いを続けるだけの力が残っていなかった。
天喰は、札を両手で持ったまま、ゆっくりと近づいた。
切島が、すぐに隣へ並ぶ。
鉄哲も、鋼鉄の身体を解除しながら、警戒を解かない。
ファットガムは、ギャラティカの少し後ろへ回った。
いつでも拘束できる位置。
だが、誰も、すぐには動かなかった。
ギャラティカは、天喰の手元を見ていた。
古びた札。
自分が何もかもを喰らってきた中で、唯一、力に変えなかったもの。
それを、天喰は奪わなかった。
壊さなかった。
ただ、手の中に収めていた。
「……なぜだ」
ギャラティカの声が、かすれた。
天喰は、彼を見た。
「何がですか?」
「なぜ、喰らわなかった」
天喰は、札を見つめた。
「あなたのものだからです」
ギャラティカは、ゆっくりと顔を上げた。
「……私のもの?」
「あなたが守ってきたものだからです」
天喰は、静かに続けた。
「それを、僕が勝手に自分のものにする理由はありません」
ギャラティカは、何も言わなかった。
天喰は、札を差し出した。
「返します」
ギャラティカは、すぐには受け取らなかった。
手が、わずかに震えていた。
自分の能力を使えば、喰らえる。
力に変えられる。
身体の一部にできる。
それでも、この札だけは、ずっと喰らわなかった。
自分が守ってきたもの。
自分が失いたくなかったもの。
それを、今。
他者から返されようとしている。
奪われたのではない。
取り上げられたのでもない。
返される。
その違いを、ギャラティカは理解しようとしていた。
やがて、彼は、ゆっくりと手を伸ばした。
札を受け取る。
握りしめる。
小さな金属片が、彼の手の中へ収まった。
その瞬間、ギャラティカの顔が歪んだ。
泣いているようにも、怒っているようにも見えた。
しかし、彼は何も言わなかった。
天喰も、何も言わなかった。
すぐに言葉をかけることが、正しいとは思えなかったからだ。
失ったものは、戻らない。
札が手元に戻ったとしても、あの日に失ったものが戻るわけではない。
過去の痛みが、なかったことになるわけでもない。
そして、ギャラティカがこれまでに喰らってきたもの、傷つけてきた人々、その責任も消えない。
札を返したからといって、すべてが終わったわけではなかった。
それでも。
ギャラティカは、初めて、自分の力で何かを奪うのではなく、誰かから何かを受け取った。
その事実だけは、確かだった。
ファットガムが、ゆっくりと前へ出た。
「……ギャラティカ」
ギャラティカは、顔を上げた。
「おまえさんが何を失ってきたのか、全部分かったとは言わん」
ファットガムは、まっすぐに彼を見た。
「せやけど、これまでおまえさんが何をしてきたのかは、別の話や」
ギャラティカの手が、札を握りしめる。
「おまえさんは、人を傷つけた。何かを奪った。おまえさんの力のせいで、戻らなくなったものもあるはずや」
ファットガムの声は、厳しかった。
「それを、空腹だったから、怖かったから、失いたくなかったから、いう理由だけで済ませるわけにはいかん」
ギャラティカは、顔を伏せた。
「……分かっている」
「ほんまに分かっとるか?」
ファットガムは、問いかけた。
「これから、おまえさんは、自分が喰らってきたものについて、ひとつひとつ向き合わなあかん。何を壊したのか。誰を傷つけたのか。誰から何を奪ったのか」
ギャラティカの指が、震えた。
「それは、簡単なことやない。今すぐ許されることでもない」
ファットガムは、静かに言った。
「せやけど、自分が失ったものだけやなく、自分が奪ったものについても考えなあかん。それが、おまえさんの責任や」
ギャラティカは、長い沈黙のあと、うなずいた。
「……ああ」
それだけだった。
謝罪はなかった。
許しを求める言葉もなかった。
まだ、何もかもを受け入れられたわけではないのだろう。
それでも、彼は初めて、自分がしてきたことから目を逸らさなかった。
切島は、ゆっくりと拳を解いた。
鉄哲も、ギャラティカを警戒しながら、鋼鉄の身体を完全に解除した。
天喰は、ギャラティカの手元を見ていた。
札は、彼の掌に残っている。
それを、ギャラティカは喰らわなかった。
自分の一部にしなかった。
それは、彼にとって、最後まで他者から受け取ったものだった。
「……天喰」
ギャラティカが、口を開いた。
「おまえは、私がしたことを許すのか?」
天喰は、首を横に振った。
「いいえ」
ギャラティカの顔が、わずかに動いた。
「あなたが何をしてきたのか、僕は全部知りません。あなたが傷つけた人たちの気持ちも、僕が代わりに決めることはできません」
天喰は、静かに続けた。
「だから、僕が勝手に許すことはできません」
ギャラティカは、目を閉じた。
「……そうか」
「でも」
天喰は、一歩前へ出た。
「僕は、あなたが何を恐れていたのかを知りました。あなたが何を守っていたのかも、少しだけ分かりました」
彼は、自分の手を見た。
「僕も、自分の力が失われることを怖がっていました。自分の個性が通じなくなったら、何も残らないんじゃないかって」
そして、ギャラティカを見た。
「でも、僕は、自分の力だけで生きているわけじゃない。誰かから学んだこと、誰かに助けてもらったこと、誰かと一緒に戦った経験……そういうものが、僕を支えてくれています」
天喰は、拳を握った。
「あなたにも、何かを喰らわなくても残るものがあるのかもしれません」
ギャラティカは、何も答えなかった。
その言葉が、彼にとって救いになるのか。
それとも、新たな苦しみになるのか。
天喰には分からなかった。
ただ、それでも。
他者の意思を、勝手に自分のものにしない。
相手の未来を、勝手に決めない。
それだけは、守りたいと思った。
遠くから、複数の足音が近づいてきた。
救助隊と、現場を封鎖するヒーローたちだった。
ファットガムが、ゆっくりと立ち上がる。
「……さて」
彼は、ギャラティカを見た。
「ここからは、おまえさん自身の話や」
ギャラティカは、掌の札を握りしめた。
「ああ」
短く答える。
天喰は、空を見上げた。
煙が、ゆっくりと薄れていく。
崩れた建物。
破壊された地面。
散乱した鋼材。
それらは、まだ元に戻っていない。
戦いは終わった。
だが、戦いが残したものは、これからも続いていく。
誰が何を失ったのか。
誰が何を奪ったのか。
誰が、どんな責任を引き受けなければならないのか。
その問いに、簡単な答えはない。
天喰は、自分の拳を見つめた。
自分の《再現》は、これからも使い続けるだろう。
食べたものの特徴を、自分の身体に反映させる。
その力で、誰かを守るために戦う。
しかし、今日の戦いを忘れることはできない。
力を得ること。
力を使うこと。
他者から受け取ること。
その違いを、これからも考え続けなければならない。
それは、個性があるからというだけではなく、自分自身が選んだ道だからだ。
切島が、天喰の肩を軽く叩いた。
「……終わったな、天喰」
「……はい」
天喰は、静かにうなずいた。
「ありがとう、切島くん」
「おう!」
鉄哲が、豪快に笑った。
「よし! これで一件落着だな!」
「いやいや、まだ現場の片づけもあるし、事情聴取もあるし、怪我人の確認もせなあかんやろ」
ファットガムが、苦笑した。
「戦いが終わったからって、全部終わりやないんやで」
「……そうだったな」
鉄哲が、頭を掻く。
切島も、照れくさそうに笑った。
天喰も、ほんの少しだけ口元を緩めた。
だが、その笑顔は、すぐに消えた。
ギャラティカが、護送のために近づいてきたヒーローたちの間で、ゆっくりと立ち上がったからだ。
彼は、最後に一度だけ、天喰を見た。
「……おまえは、私と同じではないと言ったな」
天喰は、彼を見返した。
「はい」
「その答えは、変わらないのか?」
天喰は、少しだけ考えた。
そして、首を横に振った。
「……分かりません」
ギャラティカの眉が、動いた。
「僕は、まだ自分の力について、すべてを理解しているわけじゃありません。あなたの問いに、完全な答えを出せたわけでもありません」
天喰は、ゆっくりと続けた。
「でも、自分の力をどう使うのかは、これからも自分で選びます。もし、誰かを傷つけたなら、その責任から逃げません」
ギャラティカは、静かに彼を見つめた。
「……そうか」
彼は、札を握りしめたまま、ヒーローたちのもとへ歩き出した。
もう、背中に巨大な口はなかった。
無数の黒い裂け目も、金属の装甲も消えていた。
ただひとりの人間として、彼は歩いていた。
その歩みが、どこへ続くのか。
これから何を受け入れ、何を償っていくのか。
それは、まだ分からない。
けれど、彼の手には、古びた札が残っていた。
喰らうことのできなかったもの。
自分の力に変えなかったもの。
他者から受け取った意味を、そのまま残していたもの。
そして今、ギャラティカは、それを握りしめながら歩いていた。
八 勝者にも、敗者にも
現場の封鎖が終わる頃には、工業地帯の空は、すっかり夕方の色に染まっていた。
救助隊が瓦礫を撤去し、負傷者の搬送が進められていく。
ファットガムは、応急処置を受けながら、天喰たちの様子を確認していた。
「天喰、肩はどうや?」
「大丈夫です。少し痛みますけど、動かせます」
「無理したらあかんで。あれだけの戦いをしたんや。あとから痛みが出ることもある」
「はい」
天喰は、素直にうなずいた。
切島は、腕の状態を確認しながら、鉄哲と話していた。
「いやあ、最後は本当に危なかったな!」
鉄哲が笑う。
「お前が口の中に入ったときは、マジでどうなるかと思ったぜ!」
「僕も、怖かったです」
天喰は、正直に答えた。
切島が、少し驚いた顔をした。
「……そうだったのか」
「はい。自分の力が通用しないことも怖かったですし、自分が何者なのか、分からなくなる気もしていました」
天喰は、ゆっくりと手を見つめた。
「でも、今は……少しだけ、分かった気がします」
「何が?」
鉄哲が尋ねた。
「僕は、僕の個性だけでできているわけじゃないということです」
天喰は、二人を見た。
「僕の力があったからこそ、できたこともあります。でも、僕の力だけではできなかったことも、たくさんありました」
切島は、うなずいた。
「確かにな。俺たちだって、ひとりじゃあそこまで戦えなかった」
「はい。だから、これからも考え続けたいと思います」
天喰は、少しだけ笑った。
「自分の力を、どう使うのか。自分が何を受け取り、何を守るのか」
鉄哲は、腕を組んだ。
「難しいことだな」
「……そうですね」
「でも、悪くねえと思うぜ」
鉄哲は、笑った。
「考えずに力を振り回すより、ずっといい」
切島も、うなずいた。
「それに、悩んだら相談すりゃいいんだ。俺たちも、考えるのを手伝うぜ」
天喰は、二人を見つめた。
そして、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
少し離れた場所で、ファットガムが、その様子を見ていた。
彼は、静かに笑った。
天喰が、自分の力について考え続けること。
仲間から助けを受け取り、同じように誰かを支えること。
それを、自分の強さとして受け入れ始めていること。
それは、今日の戦いで得た、大きな一歩だった。
しかし、ファットガムは、決して楽観していなかった。
ギャラティカが傷つけたものは、残っている。
暴食の事件で失われた物質。
破壊された建物。
負傷した人々。
そして、誰かの力を奪い、自分の一部に変えようとした行為。
それらは、ギャラティカが過去に苦しんでいたからといって、消えるわけではない。
これから、彼は自分の行為に責任を持たなければならない。
そして、天喰たちもまた、今日の戦いの結果から学ばなければならない。
戦いに勝つことと、すべてを解決することは違う。
相手を倒すことと、相手を理解することも違う。
何かを理解したからといって、何でも許せるわけではない。
それでも。
理解しようとすることを、諦める必要もない。
ファットガムは、空を見上げた。
夕暮れの雲が、ゆっくりと流れていた。
「……さて」
彼は、軽く手を叩いた。
「いつまでも休んどったら、あとが大変や。みんな、もう少し頑張ろか!」
「ええっ、まだ仕事があるのかよ!」
鉄哲が声を上げる。
「当たり前やろ!」
ファットガムは笑った。
「ヒーローの仕事は、敵を倒して終わりやないんやで!」
切島が、うなずいた。
「そうだな!」
天喰も、立ち上がった。
疲労は残っている。
身体も痛む。
そして、ギャラティカとの戦いで浮かび上がった疑問も、まだ完全には解決していない。
それでも、彼は歩き出した。
自分が戦った場所を、もう一度見るために。
自分が何を守れたのか。
何を守りきれなかったのか。
何を学び、何をこれから考え続けなければならないのか。
そのすべてを、確かめるために。
暴食の戦いは、終わった。
だが、天喰環の戦いは、これからも続く。
自分の力をどう使うのか。
他者から受け取ったものに、どう応えるのか。
そして、他者を自分の一部にしなくても、共に生きることができるのか。
その答えを探しながら、彼は再び歩き出した。
暴食編終幕。次回強欲編オールマイト、歴代ワンフォーオール継承者、グラントリノVSオールフォーワン