僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第三十七話「悪意は、願いの顔をしている」

一 願いを読む者

 地下施設には、窓がなかった。

 

 天井を走る配管。

 

 壁面に並んだ古い計測装置。

 

 床には、撤去されずに残されたケーブルが幾重にも這っている。

 

 かつて何らかの研究に使用されていた施設らしいが、今では最低限の電力しか通っていない。

 

 赤い非常灯が、一定の間隔で明滅していた。

 

 その中央に、ひとつの机が置かれている。

 

 机の上には、黒ずんだ金属片があった。

 

 大きさは、成人男性の手のひらほど。

 

 表面には無数の亀裂が走り、その隙間から、文字とも図形ともつかない線が浮かび上がっている。

 

 安寧システムの残骸。

 

 それが、この場所へ運び込まれたものの正体だった。

 

「興味深い」

 

 オール・フォー・ワンは、机の前に立っていた。

 

 彼は、黒い金属片を直接手で触れようとはしない。

 

 周囲に配置した装置を通じて、微弱な信号を送り込んでいる。

 

 記録媒体の反応。

 

 保存された情報の構造。

 

 情報と情報を結びつける規則。

 

 そこに刻まれているのは、単純な機械の制御記録ではなかった。

 

 ある人間が何を望んだのか。

 

 その願いが、どのような行動へつながったのか。

 

 望みが叶わなかった場合、何を恐れ、どのような選択をしたのか。

 

 記憶、感情、行動、そして選択。

 

 それらの相関関係が、膨大な記録として蓄積されている。

 

 オール・フォー・ワンは、画面に浮かんだ文字列を眺めた。

 

「人間の願いを、これほど露骨に分類していたとはね」

 

 画面には、いくつもの項目が並んでいた。

 

 安全を求める願い。

 

 愛する者を失いたくないという願い。

 

 自分の存在を認めてほしいという願い。

 

 復讐を果たしたいという願い。

 

 誰かを救いたいという願い。

 

 そして、自分が正しいと証明したいという願い。

 

 それぞれの願いは、異なる行動を生み出す。

 

 しかし、根底にあるものは、意外なほど似通っていた。

 

 失いたくない。

 

 拒絶されたくない。

 

 無意味でありたくない。

 

 自分の選択を間違いだと思いたくない。

 

 オール・フォー・ワンは、穏やかに笑った。

 

「人間は、実に扱いやすい」

 

 画面の表示が切り替わった。

 

 ある少女の記録。

 

 少女は、家族を守りたいと願っていた。

 

 その願いから、彼女はある選択をした。

 

 だが、その選択によって別の誰かが傷つき、結果として少女は自分自身を責めることになった。

 

 別の記録が開く。

 

 一人の兵士。

 

 彼は、誰かを守るために戦いへ参加した。

 

 しかし、守れなかった者たちの顔を忘れられず、次第に「二度と失わないためなら、どんな犠牲も許される」と考えるようになっていった。

 

 さらに別の記録。

 

 人々を救うと約束した統治者。

 

 彼は、争いをなくすために人々の自由を制限し、やがて、命令に従わない者を世界から排除するようになった。

 

 記録は、そこで途切れていた。

 

 その統治者は、自らを正義の体現者と呼んでいたという。

 

 しかし、記録に残されていたのは、彼が救った人々の数だけではなかった。

 

 彼が切り捨てた者たち。

 

 彼の正しさに疑問を呈した者たち。

 

 彼が「世界の安定のために必要な犠牲」として処理した、無数の人生。

 

 オール・フォー・ワンは、その記録を最後まで読み終えた。

 

「正義を名乗った怪物、か」

 

 彼は、面白いものを見つけたというように首を傾けた。

 

「人間は、ずいぶんと便利な言葉を作るものだ。自分の行為に名前を与えれば、行為そのものまで正しくなるとでも思っている」

 

 画面を操作する。

 

 統治者の記録に、別の表示が重ねられた。

 

 彼が利用した願い。

 

 人々が差し出した自由。

 

 恐怖を煽ることで得られた服従。

 

 そして、秩序を維持するために消された矛盾。

 

「本人は本気で、人々を救っていると思っていたのかもしれない」

 

 オール・フォー・ワンは、楽しげに言った。

 

「自分が正しいと信じていた。だからこそ、他者の選択を奪うことにためらいがなかった」

 

 彼は、画面の前へ身を乗り出した。

 

「願いを理解することと、その願いを利用すること。さて、どこに境界があるのだろうね?」

 

 問いかける相手はいない。

 

 だが、オール・フォー・ワンは、自分自身の問いを楽しんでいるようだった。

 

 彼は、安寧システムの残骸に信号を送った。

 

 新しい記録が浮かび上がる。

 

 人々の願いが、互いに結びついた図。

 

 ある願いが、別の願いを生む。

 

 その願いが行動となり、別の人間の選択へ影響する。

 

 複雑に絡み合った関係性が、一本の巨大な網のように描かれていた。

 

「なるほど」

 

 オール・フォー・ワンは、ゆっくりとうなずいた。

 

「願いそのものを操作する必要はない。願いが生み出す選択肢を狭め、望みが叶う道筋をこちらで用意すればいい」

 

 彼は、指先で机を軽く叩いた。

 

「人間は、自分で選んだと思える道を、最も強く信じる」

 

 その言葉には、長年にわたって人間を観察してきた者の実感があった。

 

 オール・フォー・ワンは、人の欲望を理解している。

 

 何を与えれば喜ぶのか。

 

 何を奪えば怒るのか。

 

 どんな言葉をかければ信頼し、どんな恐怖を与えれば従うのか。

 

 その知識によって、彼は幾度も他者を操ってきた。

 

 彼は、安寧システムをただ再起動するつもりはなかった。

 

 その仕組みを読み解き、記録された願いを利用し、人間が自ら望んで自分の計画へ協力する構造を作る。

 

 命令に従わせるだけではない。

 

 命令など必要とせず、相手が自分の意思で彼の望む道を選ぶようにする。

 

 それこそが、彼の考える支配だった。

 

「素晴らしい仕組みだ」

 

 オール・フォー・ワンは、残骸を見つめた。

 

「ただし、ひとつだけ問題がある」

 

 画面に、赤い警告が浮かび上がった。

 

 記録の読み出しが、安定していない。

 

 何度信号を送り込んでも、一部の記録だけが応答しないのだ。

 

 まるで、何かが内側から接続を拒んでいるかのように。

 

 オール・フォー・ワンは、少しだけ目を細めた。

 

「……意思か?」

 

 彼は、残骸へ向けて、新たな信号を送り込んだ。

 

「だが、記録に意思など必要ない」

 

 その瞬間。

 

 施設の照明が、すべて消えた。

 

 静寂。

 

 そして、黒い金属片の表面に、ひとつの文字が浮かんだ。

 

 ――拒否。

 

 オール・フォー・ワンは、動かなかった。

 

 やがて、ゆっくりと笑った。

 

「なるほど。これは、思った以上に面白い」

 

 彼の背後で、扉が開いた。

 

「その悪趣味な実験は、そこまでにしてもらおうか」

 

 聞き慣れた声。

 

 オール・フォー・ワンは、振り返った。

 

 出入口に立っていたのは、オールマイトとグラントリノだった。

 

二 象徴と魔王

「やはり、君か」

 

 オール・フォー・ワンは、少しも驚いていない様子で言った。

 

「俊典。君は、いつも私が何かを完成させようとすると、ちょうどよい頃合いに現れる」

 

「お前の計画に、ちょうどよい頃合いなどない」

 

 オールマイトが、一歩踏み出した。

 

 鍛え上げられた身体。

 

 厳しい表情。

 

 かつて平和の象徴と呼ばれた男は、目の前の宿敵から視線を逸らさなかった。

 

「安寧システムの残骸を使って、何をしようとしている?」

 

「調べているだけさ」

 

「その言葉を、素直に信じると思うか?」

 

「信じてもらう必要はない。私は、君に理解してほしいだけだ」

 

 オール・フォー・ワンは、手を広げた。

 

「この世界には、無数の願いがある。人間は幸福を求め、苦痛を避け、愛する者を守ろうとし、失ったものを取り戻そうとする」

 

 彼は、穏やかに続けた。

 

「その願いが、時に争いを生む。自分の幸福を求める者と、別の幸福を求める者が衝突する。誰かを救おうとする者が、別の誰かを犠牲にする」

 

 オールマイトの眉間に、しわが寄った。

 

「だからといって、他者の選択を奪っていい理由にはならない」

 

「選択?」

 

 オール・フォー・ワンは、楽しげに笑った。

 

「君は、選択という言葉が好きだね。人間は、自分で選ぶから価値がある。自分で歩むから意味がある。自分で未来を切り開くからこそ尊い」

 

 彼は、首を傾けた。

 

「だが、その選択によって何人が傷ついた?」

 

 オールマイトの目が、わずかに動いた。

 

「君が救えなかった人々。君の到着が間に合わなかった場所。君が勝利を収めたあとも、苦しみ続けた者たち」

 

 オール・フォー・ワンは、一歩前へ出た。

 

「君が象徴として勝利を掲げたとき、その勝利から取り残された人々は、いったい何を思ったのだろうね?」

 

「……ッ」

 

「君は平和を象徴した。だが、象徴とは、しばしば現実を単純な物語へ変えてしまう」

 

 オール・フォー・ワンの声は、穏やかだった。

 

 だからこそ、言葉のひとつひとつが鋭い。

 

「ヒーローが勝てば、世界は救われる。悪が倒れれば、人々は安心できる。強い者が立っていれば、弱い者は恐れずに暮らせる。実に分かりやすい」

 

 彼は、オールマイトを見つめた。

 

「だが、現実は違う。君が救えなかった者たちは、君の勝利のあとも生き続ける。君が救った者たちも、君が見ていない場所で苦しむことがある」

 

 グラントリノが、一歩前へ出た。

 

「オール・フォー・ワン。お前は、人間の弱さを理解しているつもりかもしれん。だが、その知識を使っているのは、いつも自分のためだ」

 

「知識に使い道があるのは当然だろう?」

 

 オール・フォー・ワンは、グラントリノを見た。

 

「君だって、戦場で得た情報を使う。相手の弱点を探し、動きを読み、最も効果的な方法を選ぶ。それと何が違う?」

 

「戦場の敵を分析することと、人間の願いを利用して人生を操ることは違う」

 

「どちらも、理解したものを利用している」

 

「相手の選択を残すかどうかが違うんだよ」

 

 グラントリノの声は、低かった。

 

「お前は、人間を理解した瞬間、その人間を自分の道具に変える。相手が何を望むか分かったら、その願いを利用して、自分の思いどおりに動かそうとする」

 

 オール・フォー・ワンは、笑った。

 

「それが、そんなに悪いことかね?」

 

「悪いに決まっとるだろうが!」

 

 グラントリノが叫んだ。

 

「相手が何を望んでいるのか分かったなら、相手が何を望まないのかも分かるはずだ! それでもお前は、相手が拒絶する可能性を最初から切り捨てる!」

 

 オールマイトが、静かに続けた。

 

「他者の願いを理解するということは、その願いを自分のものにすることではない」

 

 彼は、拳を握った。

 

「相手が自分とは違う人間だと認めることだ。その願いに賛成できなくても、相手が選ぶ権利まで奪わないことだ」

 

 オール・フォー・ワンは、しばらく黙っていた。

 

 やがて、楽しげに笑った。

 

「君たちは、いつもそうだ。人間を理解することに、道徳的な意味を求める」

 

 彼は、黒い金属片を指さした。

 

「しかし、これは違う。人々の願いを記録し、矛盾を分類し、衝突を減らすための仕組みだ。人間が何を求め、何を恐れ、どのような選択をするかを理解しようとしている」

 

 彼は、一歩前へ出た。

 

「この仕組みが完成していたなら、世界の争いは減ったかもしれない。人々は、自分の望む未来へ、より効率よく導かれたかもしれない」

 

「導く?」

 

 オールマイトは、冷たく言った。

 

「誰が?」

 

「賢明な者が」

 

「お前だろう」

 

「そうだとも」

 

 オール・フォー・ワンは、少しも隠さなかった。

 

「君たちが何百年かけても解決できない問題を、私ならば管理できるかもしれない」

 

 グラントリノが、吐き捨てるように言った。

 

「自分に都合のいい人間を残して、都合の悪い人間を消す。それを管理と呼ぶのか?」

 

「人間は、自分の望まない結果を他者の責任にしたがるものだ」

 

 オール・フォー・ワンの声が、わずかに低くなる。

 

「君たちは、誰もが自由に選べる世界を理想とする。だが、自由な選択の結果、苦しむ者が生まれたとき、君たちはどうする?」

 

 オールマイトは、答えた。

 

「苦しんでいる者を助ける」

 

「全員をか?」

 

「……できる限り」

 

「できなかった者は?」

 

 オールマイトの口が、止まった。

 

 その一瞬を、オール・フォー・ワンは見逃さなかった。

 

「ほら、君にも分かっている。誰もが望む結果を得ることはできない。誰かを救えば、別の誰かに手が届かないことがある」

 

 彼は、両腕を広げた。

 

「だからこそ、私は人間を理解し、管理する必要があると言っているのだよ」

 

 オールマイトは、ゆっくりと息を吸った。

 

「……お前は、苦しむ人々の存在を、自分の支配を正当化する材料にしているだけだ」

 

 その言葉に、オール・フォー・ワンの笑みが深くなった。

 

「ようやく、話が分かってきたようだね」

 

 次の瞬間。

 

 オール・フォー・ワンの背中から、無数の突起が伸びた。

 

「だが、理解しただけでは、何も変わらない」

 

 腕が、巨大な砲身のように変形する。

 

「君たちは、いつも私を止めようとする。そして、私を止めたことによって、世界が救われたかのように振る舞う」

 

 彼は、オールマイトを見つめた。

 

「ならば、今回も証明してみせたまえ。君たちの信じる自由が、私の与える秩序よりも価値があることを」

 

 轟音。

 

 空気の砲撃が、二人へ放たれた。

 

「俊典!」

 

 グラントリノが叫ぶ。

 

「分かっている!」

 

 オールマイトが踏み込んだ。

 

 両腕を交差させ、衝撃波を正面から受け止める。

 

 床が砕けた。

 

 彼の身体が後退する。

 

 だが、倒れない。

 

 衝撃波を両腕で押し分け、そのまま前へ踏み込む。

 

「SMAAAAASH!」

 

 拳が、オール・フォー・ワンへ迫った。

 

 しかし、彼はすでに身体を変形させていた。

 

 腕を複数に分岐させ、そのひとつで拳を受ける。

 

 別の腕でオールマイトの脇腹を狙う。

 

 さらに背中の突起から、圧縮された空気を放出した。

 

 オールマイトは身体を捻った。

 

 拳が逸れる。

 

 横から迫る腕を、前腕で受け流す。

 

 背中からの衝撃を、足を踏み込むことで耐えた。

 

 そのまま、相手の懐へ入り込む。

 

 肘。

 

 膝。

 

 拳。

 

 近距離での連撃。

 

 オール・フォー・ワンは、複数の個性を同時に発動させて対抗する。

 

 腕が伸びる。

 

 皮膚の表面が硬化する。

 

 衝撃が身体の内部へ蓄積され、逆方向へ放出される。

 

 さらに、足元から突起が生え、オールマイトの進路を塞いだ。

 

 オールマイトは、突起を踏み砕き、再び前へ進む。

 

 拳と拳が、真正面から激突した。

 

 衝撃が、施設全体を揺らした。

 

 その振動で、机の上に置かれていた安寧システムの残骸が浮き上がった。

 

 黒い金属片の表面に、文字が走る。

 

 そして。

 

 施設の奥で、何かが目を覚ました。

 

三 死者の拒絶

 最初に聞こえたのは、足音だった。

 

 カツン。

 

 硬い床を踏む音。

 

 カツン。

 

 もう一度。

 

 オールマイトは、拳を構えたまま横目を向けた。

 

 施設の奥にある、暗い廊下。

 

 そこから、一人の青年が歩いてきていた。

 

 白い髪。

 

 痩せた身体。

 

 穏やかな顔立ち。

 

 しかし、その瞳には、長い年月を生き抜いてきた者の意志が宿っていた。

 

「……お前は」

 

 オール・フォー・ワンの動きが、止まった。

 

 その表情から、初めて余裕が消えた。

 

 青年は、彼をまっすぐに見た。

 

「久しぶりだね、兄さん」

 

 その声を聞いた瞬間、グラントリノが目を見開いた。

 

「まさか……!」

 

 オールマイトは、息を呑んだ。

 

 青年の名を、知っていた。

 

 ワン・フォー・オールの始まり。

 

 力を譲ることができる個性を持ちながら、それを兄に奪われ、支配されてきた男。

 

 そして、兄の支配を拒み、最初の反抗を選んだ者。

 

 与一。

 

 ワン・フォー・オールの初代継承者。

 

「どうして……」

 

 オールマイトの声が、かすれた。

 

「どうして、あなたがここに……?」

 

 与一は、少しだけ微笑んだ。

 

「僕にも、すべては分からない」

 

 彼は、自分の手を見た。

 

 その手は、透けていなかった。

 

 指先があり、爪があり、血の通った肌がある。

 

 彼は、ゆっくりと拳を握った。

 

「地面がある。身体がある。息もできる」

 

 そして、顔を上げた。

 

「僕は、ここにいるよ」

 

 その言葉を受けて、廊下の奥から、さらに人影が現れた。

 

 一人。

 

 二人。

 

 三人。

 

 次々と、死んだはずの男たちと女が歩いてくる。

 

 短い髪の男。

 

 鋭い眼差しを持つ男。

 

 厳しい表情の男。

 

 筋骨隆々とした男。

 

 煙を思わせる雰囲気をまとった男。

 

 そして、気高く、強い意志を宿した女性。

 

 彼らは、一人ひとり、オールマイトの前へ歩み出た。

 

 二代目継承者、工藤。

 

 三代目継承者、ブルース。

 

 四代目継承者、四ノ森避影。

 

 五代目継承者、ラリアット――万縄大悟郎。

 

 六代目継承者、煙。

 

 七代目継承者、志村菜奈。

 

 歴代ワン・フォー・オールの継承者たち。

 

 すでに命を落とし、肉体を失ったはずの者たちが、今、そこに立っていた。

 

 彼らには、影があった。

 

 足音があった。

 

 呼吸があった。

 

 床に触れる足の重さがあった。

 

 記録の映像ではない。

 

 誰かの記憶が作り上げた幻影でもない。

 

 彼らは、生きた身体を持って、ここへ戻ってきていた。

 

「……歴代継承者たち……!」

 

 オールマイトは、思わず一歩前へ出た。

 

 菜奈が、優しく微笑んだ。

 

「久しぶりね、俊典」

 

 その声を聞いた瞬間、オールマイトの表情が揺らいだ。

 

 長い年月。

 

 多くの戦い。

 

 多くの別れ。

 

 彼は、もう二度と会えないと思っていた者たちを、目の前にしていた。

 

「志村……さん……」

 

 彼の声が、震えた。

 

「本当に……あなたなのですか?」

 

「ええ」

 

 菜奈は、自分の手を見せた。

 

「私にも、どうしてこうなったのかは分からない。でも、ここにいるのは確かよ」

 

 工藤が、周囲を見回した。

 

「この場所にある記録媒体が、何かに反応したようだな」

 

 四ノ森が、静かにうなずいた。

 

「私たちが残した意志と、安寧システムの記録が、何らかの形で接続した……そう考えるのが自然か」

 

「いや」

 

 与一は、首を横に振った。

 

「接続しただけなら、僕たちは記録の中に留まっていたはずだ」

 

 彼は、自分の胸へ手を当てた。

 

「ここにいるのは、誰かが僕たちを呼び出したからだけではないと思う」

 

 与一は、オールマイトを見た。

 

「僕たち自身が、応えたんだ」

 

 その言葉に、菜奈がうなずいた。

 

「私たちは、あなたたちの戦いを、終わった過去にするつもりはなかった」

 

 彼女は、オール・フォー・ワンへ視線を向けた。

 

「この男が、私たちの意志を、ただの記録として扱おうとしているのなら……その行為を拒む理由があるわ」

 

 オール・フォー・ワンは、しばらく黙っていた。

 

 そして、ゆっくりと笑った。

 

「これは……これは、実に興味深い」

 

 彼は、与一へ歩み寄ろうとした。

 

「与一。君が、私の前に戻ってくるとはね」

 

 与一は、動かなかった。

 

「兄さん」

 

 静かな声だった。

 

「僕は、あなたのものではない」

 

 オール・フォー・ワンの笑みが、わずかに固まった。

 

「君は、いつもそう言う。私が与えた力を使い、私が用意した世界の中で生きながら、私のものではないと主張する」

 

「僕は、あなたから力を与えられたことはあっても、あなたの所有物になったことはない」

 

 与一は、まっすぐに兄を見た。

 

「誰かから何かを受け取ることと、その人に支配されることは違う」

 

 その言葉に、工藤が拳を握った。

 

「……そのとおりだ」

 

 彼は、オール・フォー・ワンへ向き直った。

 

「俺たちは、ワン・フォー・オールを受け継いだ。だが、誰もが自分の意思で、その力を次へ渡した」

 

 ブルースが、一歩前へ出た。

 

「受け継ぐことは、所有することじゃない。受け取った者が、その先を選ぶためのものだ」

 

 万縄も、腕を組んだ。

 

「お前は、力を奪うことしか知らない。だから、力を渡すという行為の意味を理解できねえんだ」

 

 オール・フォー・ワンの表情から、笑みが消えた。

 

「……なるほど」

 

 彼の声が低くなる。

 

「死者まで、私の邪魔をしに来たというわけか」

 

 工藤は、拳を構えた。

 

「そういうことだ」

 

 オール・フォー・ワンは、ゆっくりと両腕を広げた。

 

「いいだろう。君たちが自分の意思で戻ってきたというのなら、その意思ごと、私が奪ってやろう」

 

 彼の背中から、無数の突起が伸びた。

 

「君たちが、もう一度、私に逆らえるかどうか。確かめさせてもらう!」

 

 轟音。

 

 オール・フォー・ワンの多重個性が、一斉に発動した。

 

 そして、歴代継承者たちも、同時に構えた。

 

四 歴代継承者、参戦

 最初に動いたのは、工藤だった。

 

「俊典! 前へ出ろ!」

 

 工藤が叫ぶ。

 

 オールマイトは、即座に踏み込んだ。

 

 その瞬間、工藤がオールマイトの腕へ触れた。

 

 第二代継承者の個性――《ギアシフト》。

 

 触れた対象の速度を変える能力。

 

 工藤は、オールマイトの拳が放たれる瞬間、その速度を引き上げた。

 

 オールマイトの踏み込みが、一気に加速する。

 

 床が砕けた。

 

 拳が、空気を裂いた。

 

「SMASH!」

 

 拳が、オール・フォー・ワンへ迫る。

 

 彼は、複数の腕を交差させて防御した。

 

 しかし、速度が違った。

 

 拳が腕の防御を突破し、胸元へ叩き込まれる。

 

 衝撃が、施設全体へ広がった。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、後方へ吹き飛ぶ。

 

 だが、彼は空中で身体を捻り、背中から伸ばした突起を壁へ突き刺した。

 

 その反動で、落下を止める。

 

「素晴らしい……!」

 

 彼は、楽しげに笑った。

 

「これが、ギアシフトか。私が奪った力とは、また違う形で使うものだね!」

 

「違う形?」

 

 工藤は、冷たく答えた。

 

「違うに決まっている。お前は、能力の性質だけを見ている。だが、その能力をどう使うかは、使う者が決める!」

 

「では、見せてもらおう!」

 

 オール・フォー・ワンが、両腕を広げた。

 

 背中から、巨大な衝撃波が放たれる。

 

 同時に、床から無数の突起が伸びた。

 

「危ない!」

 

 四ノ森の声が響く。

 

 彼の個性――《危機感知》が、敵の攻撃の兆候を察知していた。

 

「右へ! 床から来る!」

 

 オールマイトは、即座に横へ跳ぶ。

 

 グラントリノも、ジェット噴射のような蹴りを使い、空中で軌道を変えた。

 

 しかし、オール・フォー・ワンの攻撃は、そこで終わらなかった。

 

 空気の砲撃が、壁面へ反射して戻ってくる。

 

 床の突起が、追尾するように伸びてくる。

 

 さらに、背中から放たれた衝撃が、時間差で爆発する。

 

「ちっ……!」

 

 グラントリノは、身体を捻りながら壁面を蹴った。

 

 空中で回転する。

 

 突起の間をすり抜け、オール・フォー・ワンの側面へ回り込んだ。

 

「お前、相変わらず個性を積み上げすぎなんだよ!」

 

 グラントリノの蹴りが、オール・フォー・ワンの顎へ迫る。

 

 しかし、彼は腕を上げた。

 

 腕の表面が硬化する。

 

 グラントリノの蹴りが、硬い装甲へ激突した。

 

 衝撃で、グラントリノの身体が後退する。

 

 その背後から、黒い触手が伸びた。

 

「危ない!」

 

 万縄が叫ぶ。

 

 五代目継承者の個性――《黒鞭》。

 

 黒い鞭が、グラントリノの腰へ巻きついた。

 

 そのまま引っ張り、オール・フォー・ワンの攻撃から引き離す。

 

 グラントリノの身体が、横へ飛ぶ。

 

 黒鞭が、壁面へ巻きつく。

 

 万縄は、それを利用して自分の身体も移動させた。

 

「グラントリノ! 助けたぞ!」

 

「分かってる! 礼はあとだ!」

 

 グラントリノは、壁を蹴って再び戦場へ戻った。

 

 万縄は、黒鞭を複数展開する。

 

 一本を、オール・フォー・ワンの腕へ。

 

 もう一本を、足元へ。

 

 さらに、二本を天井の梁へ巻きつけた。

 

「動きを止める!」

 

 黒鞭が、一斉に引っ張られる。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、わずかに拘束された。

 

 その瞬間、ブルースが前へ出た。

 

 第三代継承者の個性――《発勁》。

 

 身体の動きを繰り返すことで運動エネルギーを蓄積し、必要な瞬間に爆発的な力として解放する能力。

 

 ブルースは、短い足運びを何度も繰り返していた。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 三歩。

 

 身体の中へ、力が蓄積されていく。

 

「工藤!」

 

「分かっている!」

 

 工藤は、ブルースの腕へ触れた。

 

 《ギアシフト》によって、ブルースの踏み込みが加速する。

 

 蓄積された運動エネルギーが、一気に解放された。

 

「行けえええッ!」

 

 ブルースの拳が、オール・フォー・ワンの胴体へ叩き込まれた。

 

 衝撃が、爆発的に広がる。

 

 黒鞭が切れる。

 

 床が砕ける。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、壁面へ叩きつけられた。

 

 しかし、彼は倒れなかった。

 

 背中の突起が壁へ食い込み、身体を支えている。

 

 そのまま、片手を振る。

 

 圧縮された空気が、刃のように飛んできた。

 

「避けろ!」

 

 四ノ森が叫ぶ。

 

 ブルースは、横へ跳んだ。

 

 だが、空気の刃が追尾する。

 

 その瞬間、六代目継承者の煙が、一気に煙幕を展開した。

 

 《煙幕》。

 

 白い煙が、施設全体へ広がる。

 

 視界が失われた。

 

 オール・フォー・ワンの姿が、煙の向こうへ消える。

 

 しかし、四ノ森の《危機感知》は、敵意を察知していた。

 

「左上! 壁際から来る!」

 

 オールマイトが、即座に身を屈めた。

 

 煙の中から伸びてきた拳が、頭上を通過する。

 

 オールマイトは、その腕を掴んだ。

 

「見つけたぞ!」

 

 身体を捻る。

 

 オール・フォー・ワンの腕を、床へ叩きつけた。

 

 同時に、万縄の黒鞭が伸びる。

 

 腕を拘束する。

 

 オールマイトは、拳を握った。

 

「これで――!」

 

 だが、オール・フォー・ワンの身体が、突然膨張した。

 

 皮膚の表面に、複数の口が開いた。

 

 腕を拘束していた黒鞭が吸い込まれ始める。

 

「何だと!?」

 

 万縄が、目を見開いた。

 

 オール・フォー・ワンは、黒鞭の特徴を取り込もうとしたのだ。

 

 しかし、彼は黒鞭が完全に吸収される前に、万縄が能力を解除した。

 

 黒い鞭が消える。

 

 拘束が解けた。

 

 オール・フォー・ワンは、そのまま身体を回転させ、オールマイトの腹部へ膝を叩き込んだ。

 

「ぐっ……!」

 

 オールマイトの身体が後退する。

 

 だが、彼はすぐに踏みとどまった。

 

 グラントリノが、再び横から飛び込む。

 

 回転蹴り。

 

 オール・フォー・ワンが腕で防御する。

 

 その瞬間、菜奈が動いた。

 

 七代目継承者の個性――《浮遊》。

 

 彼女の身体が、床から離れる。

 

 空中で姿勢を変え、オール・フォー・ワンの頭上へ回り込んだ。

 

 両足を揃え、空中で身体を回転させる。

 

「俊典!」

 

 菜奈が叫ぶ。

 

「合わせなさい!」

 

「はい!」

 

 オールマイトが、地面を蹴った。

 

 菜奈の浮遊によって生まれた空中の死角へ、オールマイトが踏み込む。

 

 彼の拳が、下から突き上げられた。

 

 菜奈は、空中で身体を反転させ、反対側から蹴りを叩き込む。

 

 二つの攻撃が、同時にオール・フォー・ワンへ命中した。

 

 彼の身体が、宙へ浮いた。

 

 そのまま、天井へ叩きつけられる。

 

 轟音。

 

 天井の一部が崩れた。

 

 オールマイトは、着地と同時に拳を構え直した。

 

「これが、私たちの答えだ!」

 

 オール・フォー・ワンは、崩れた天井から落ちてきた瓦礫を、片手で受け止めた。

 

 そして、ゆっくりと笑った。

 

「……素晴らしい」

 

 彼は、瓦礫を握り潰した。

 

「何十年も前に死んだ者たちが、再び私の前に立つ。しかも、かつて私に逆らった者たちが、同じ意志を持っている」

 

 彼は、与一を見た。

 

「君が、ここへ戻ってくるとはね」

 

 与一は、まっすぐに答えた。

 

「兄さん。僕たちは、あなたを止めるために来た」

 

「君には、もう何も残っていないはずだ」

 

 オール・フォー・ワンの声が、低くなる。

 

「君の身体は、あのとき失われた。君の人生は、終わった。君の意志は、力の中へ残っただけだ」

 

「……そうだね」

 

 与一は、うなずいた。

 

「僕は、死んだ。僕の人生は、そこで終わった」

 

 彼は、自分の手を見た。

 

「それでも、僕が選んだことまで、終わったわけじゃない」

 

 与一は、顔を上げた。

 

「僕が兄さんに逆らったこと。誰かに力を託そうとしたこと。自分の意思で、誰かを信じることを選んだこと」

 

 その声は、穏やかだった。

 

「それらは、僕が死んだからといって、兄さんのものになるわけじゃない」

 

 オール・フォー・ワンの表情が、変わった。

 

 彼は、自分の掌を見つめた。

 

 そして、ゆっくりと指を閉じた。

 

「……ならば、もう一度、奪ってやろう」

 

 次の瞬間、彼の身体から、無数の個性が噴き出した。

 

五 奪う者は、渡すことを知らない

 オール・フォー・ワンの背中から、巨大な腕が六本伸びた。

 

 それぞれの腕に、異なる個性が宿っていた。

 

 ある腕は、鋭い刃へ変形する。

 

 ある腕は、長く伸び、遠距離から相手を捕まえようとする。

 

 ある腕は、拳を巨大化させ、衝撃を増幅する。

 

 別の腕は、空気を圧縮し、砲撃を放つ。

 

 さらに、皮膚の表面に複数の目のような器官が開き、煙の中にいる歴代継承者たちの位置を探り始めた。

 

「視界を奪ったくらいでは、私には通用しないよ」

 

 オール・フォー・ワンは、笑った。

 

「人間の感覚は、目だけではない。振動、熱、空気の流れ、個性によって得られる知覚……どれも、利用できる」

 

 彼は、両腕を広げた。

 

「君たちがどれほど連携しようと、私には、それを上回る手段がある」

 

 無数の腕が、同時に動いた。

 

 刃が煙を切り裂く。

 

 衝撃波が床を砕く。

 

 伸びた腕が天井を掴み、オール・フォー・ワンの身体を引き上げる。

 

 さらに、床から突起が生まれ、歴代継承者たちの進路を塞いだ。

 

「散れ!」

 

 工藤が叫ぶ。

 

 歴代継承者たちは、一斉に動いた。

 

 四ノ森は、《危機感知》によって攻撃の兆候を読み、仲間たちへ警告する。

 

「右から二本! 上から一つ! 後ろへ!」

 

 万縄が、黒鞭を展開する。

 

 一本を、ブルースの腰へ。

 

 もう一本を、天井の梁へ。

 

 それらを利用して、自分と仲間の位置を変える。

 

 ブルースは、床を蹴りながら、《発勁》のための動きを繰り返していた。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 三歩。

 

 身体の中へ力を蓄積する。

 

 工藤が、彼の腕へ触れた。

 

 《ギアシフト》が発動する。

 

 ブルースの踏み込みが、一気に加速した。

 

「今だ!」

 

 ブルースが、オール・フォー・ワンへ突進する。

 

 拳を振り抜く。

 

 しかし、相手は腕を交差させて受け止めた。

 

 金属音。

 

 衝撃が広がる。

 

 オール・フォー・ワンは、反撃の腕を振り下ろした。

 

 ブルースは、とっさに身体を捻る。

 

 拳が、肩をかすめた。

 

 そのまま、万縄の黒鞭が伸びる。

 

 ブルースの身体を引っ張り、後方へ逃がす。

 

 オール・フォー・ワンは、すぐに黒鞭へ狙いを変えた。

 

 だが、万縄は黒鞭を解除した。

 

 吸収の対象が消える。

 

 その隙に、煙が再び濃くなった。

 

 六代目、煙が《煙幕》を拡大させたのだ。

 

 視界が、完全に閉ざされる。

 

 オール・フォー・ワンは、笑った。

 

「小細工を重ねるものだね」

 

 彼の身体が、複数の感覚器官を展開する。

 

 しかし、四ノ森は、その変化を読んでいた。

 

「俊典! 今だ! あいつは感覚を増やしている!」

 

「感覚を増やしている?」

 

「煙の中で、何を頼りにこちらを探しているのかを考えろ! 目だけではない! 複数の知覚を同時に処理している!」

 

 オールマイトは、すぐに理解した。

 

「つまり、こちらの動きだけでなく、感知する情報そのものを乱せばいい!」

 

「そのとおりだ!」

 

 グラントリノが、煙の中から飛び出した。

 

 床を蹴る。

 

 壁面を蹴る。

 

 空中で回転する。

 

 複雑な軌道で、オール・フォー・ワンの周囲を動き回る。

 

 そのたびに、足音が別方向から響く。

 

 床の振動が、複数の方向へ広がる。

 

 煙が揺れる。

 

 オール・フォー・ワンの感覚器官が、次々とそちらへ向いた。

 

 その瞬間。

 

「こちらだ!」

 

 オールマイトが、真正面から踏み込んだ。

 

 拳を握る。

 

 全身の力を、腰から肩、肩から腕へ伝える。

 

 大きく踏み込んだ一撃。

 

「DETROIT――」

 

 オール・フォー・ワンが、振り返る。

 

 防御の腕が、間に合わない。

 

「SMASH!」

 

 拳が、真正面から叩き込まれた。

 

 衝撃が、施設全体へ広がる。

 

 壁面が砕け、天井の一部が崩れ落ちる。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、後方へ吹き飛んだ。

 

 彼は、壁面へ激突した。

 

 だが、すぐに身体を起こした。

 

 口元から、笑みが消えていた。

 

「……なるほど」

 

 彼は、自分の腕を見た。

 

 硬化した表面に、深い亀裂が走っている。

 

「視覚、聴覚、振動感知。複数の知覚を同時に使えば、より多くの情報が得られる。だが、情報量が増えれば、選択にも時間がかかる」

 

 彼は、オールマイトを見た。

 

「君たちは、そこを狙ったのか」

 

「そうだ」

 

 オールマイトは、拳を構えた。

 

「お前が何を持っていようと、それをどう使うかは、お前自身の選択だ。そして、選択には、必ず結果が伴う」

 

 オール・フォー・ワンは、ゆっくりと立ち上がった。

 

「結果、か」

 

 彼は、片手を広げた。

 

「私が人間の願いを理解し、その願いを利用した結果、何が起きたのか。君たちは、そこを問題にする」

 

 彼は、笑った。

 

「だが、君たちだって、人間の願いを利用しているではないか」

 

 オールマイトの目が、わずかに動いた。

 

「君は、平和の象徴だった。人々は、君がいるから安全だと信じた。君が立っていれば、何とかなると信じた」

 

 オール・フォー・ワンは、指を一本立てた。

 

「君は、その願いを受け入れた。そして、その願いを支えにして、人々の前へ立ち続けた」

 

 もう一本、指を立てる。

 

「グラントリノは、君がヒーローとして成長することを望んだ。志村菜奈は、君に未来を託した」

 

 さらに、歴代継承者たちへ視線を向ける。

 

「彼らは、自分の願いを、君たちへ引き継いだ」

 

 オール・フォー・ワンは、楽しそうに笑った。

 

「それは、願いを利用することと、何が違う?」

 

 静寂。

 

 オールマイトは、すぐには答えなかった。

 

 オール・フォー・ワンは、その沈黙を見逃さない。

 

「君たちは、人間の願いを背負って生きている。誰かを救うために戦う。誰かの期待に応えようとする。誰かの理想を継ぎ、その人が果たせなかったことを、自分の使命にする」

 

 彼は、ゆっくりと首を傾けた。

 

「それは、君たちが自分の意志で選んだことなのかね?」

 

 オールマイトの拳が、わずかに震えた。

 

「……ああ」

 

 彼は、答えた。

 

「私たちは、自分の意思で選んだ」

 

「本当に?」

 

「そうだ」

 

 オールマイトは、歴代継承者たちを見た。

 

「私は、志村さんの願いを受け取った。だが、彼女の願いをそのまま繰り返したわけではない」

 

 菜奈が、静かにうなずいた。

 

「私の願いは、俊典の人生を決める命令ではないわ」

 

 彼女は、オール・フォー・ワンを見た。

 

「私は、未来を託した。けれど、未来をどう生きるかまで、私が決めたわけではない」

 

 工藤が、一歩前へ出た。

 

「俺も同じだ。俺たちは、力を次へ渡した。だが、その力を受け取った者の人生まで、所有したつもりはない」

 

 ブルースが続けた。

 

「力を託すというのは、命令を残すことじゃない。受け取った者が、自分の選択で使うことを信じる行為だ」

 

 与一は、兄を見つめた。

 

「兄さん。あなたは、誰かに何かを与えたとき、それを自分のものだと考える」

 

 彼は、ゆっくりと続けた。

 

「だから、相手が自分の望みどおりに動かないと、裏切られたと思う」

 

 オール・フォー・ワンの表情が、変わった。

 

「……何が言いたい?」

 

「あなたは、相手が何を望んでいるのかを理解しようとする。でも、その願いを、相手自身のものとして認めない」

 

 与一は、一歩前へ出た。

 

「あなたが理解した瞬間、その願いを自分の計画へ組み込み、利用する」

 

 拳を握る。

 

「相手が、自分とは違う存在だということを、最後まで認めようとしないんだ」

 

 オール・フォー・ワンは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……くだらない」

 

 その声には、明らかな怒りが混じっていた。

 

「人間は、誰かの願いを利用せずに生きられるものか。家族の愛情を利用し、他者の信頼を利用し、社会の仕組みを利用する。君たちだって、互いの願いを利用している」

 

 彼は、両腕を広げた。

 

「君たちが違うと言い張るのは、ただ、自分の行為を美しく見せたいからだ!」

 

 次の瞬間。

 

 彼の身体が、爆発的に膨張した。

 

 複数の個性が、同時に発動する。

 

 硬化。

 

 衝撃増幅。

 

 空気圧縮。

 

 筋力強化。

 

 腕の分岐。

 

 そして、他者の個性を奪うための、鋭い突起。

 

「ならば、証明してみろ!」

 

 オール・フォー・ワンが叫んだ。

 

「自分の願いと他者の願いを区別できるというのなら、私の力を打ち破ってみせろ!」

 

 歴代継承者たちが、同時に動いた。

 

六 意志の連携

「四ノ森!」

 

 工藤が叫ぶ。

 

「分かっている!」

 

 四ノ森は、目を閉じた。

 

 《危機感知》。

 

 敵の意図。

 

 攻撃の兆候。

 

 身体へ迫る危険。

 

 それらが、次々と意識へ流れ込んでくる。

 

「俊典、正面の砲撃が来る! そのあと、右側から腕が伸びる!」

 

 オールマイトは、即座に身体を低くした。

 

 空気の砲撃が、頭上を通過する。

 

 直後、右側から伸びてきた腕を、左手で掴んだ。

 

 そのまま身体を捻る。

 

 腕の軌道を変え、オール・フォー・ワンの胴体へぶつける。

 

 衝撃。

 

 敵の身体が、わずかに揺れた。

 

「今だ!」

 

 工藤が踏み込む。

 

 オールマイトの腕へ触れる。

 

 《ギアシフト》。

 

 拳の速度が、一気に上昇する。

 

 オールマイトが、踏み込んだ。

 

「SMASH!」

 

 拳が、オール・フォー・ワンの胸部へ叩き込まれる。

 

 しかし、彼は胸部を硬化させていた。

 

 拳が装甲へ激突する。

 

 衝撃が広がる。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、後退した。

 

 だが、倒れない。

 

 そのまま、背中の腕を振り抜く。

 

 鋭い突起が、工藤を狙った。

 

「工藤!」

 

 ブルースが、横から飛び込む。

 

 突起を腕で受け、身体を捻った。

 

 金属音。

 

 衝撃が走る。

 

 ブルースは、すぐに後退した。

 

「大丈夫だ!」

 

 工藤が、叫ぶ。

 

「次に備えろ!」

 

 ブルースは、うなずいた。

 

 その足は、絶えず動いていた。

 

 踏み込み。

 

 後退。

 

 方向転換。

 

 《発勁》のための動作を、少しずつ積み重ねる。

 

 そして、オール・フォー・ワンが身体の向きを変えた瞬間。

 

 ブルースは、蓄積した運動エネルギーを解放した。

 

 爆発的な加速。

 

 拳が、オール・フォー・ワンの側面へ叩き込まれる。

 

 敵の身体が、横へ吹き飛んだ。

 

 そのまま、万縄の黒鞭が伸びる。

 

 一本が、敵の腕へ。

 

 もう一本が、脚へ。

 

 さらに、天井の梁へ巻きつける。

 

「今度こそ、止める!」

 

 万縄は、黒鞭を引き絞った。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、空中で固定される。

 

 その瞬間、煙が戦場を覆った。

 

 煙の中から、菜奈が浮かび上がる。

 

 彼女は、空中で姿勢を変え、オール・フォー・ワンの頭上へ回り込んだ。

 

「あなたは、何も変わっていないのね」

 

 菜奈の声が、煙の中へ響く。

 

「誰かの願いを聞き、誰かの弱さを理解し、そのすべてを、自分のために利用する」

 

 彼女は、拳を握った。

 

「それを、賢さだと思っている」

 

 オール・フォー・ワンが、菜奈を見上げた。

 

「君も、私に逆らった者のひとりだ。君は、自分の家族を守ろうとしながら、結局、守りきれなかった」

 

 菜奈の表情が、一瞬だけ揺れた。

 

「……そうね」

 

 彼女は、目を逸らさなかった。

 

「私は、守れなかったものがある」

 

 その声は、静かだった。

 

「でも、それを理由に、他者の人生を奪うつもりはない」

 

 菜奈は、空中で身体を回転させた。

 

 浮遊による軌道変更。

 

 そして、オール・フォー・ワンへ向けて、蹴りを放つ。

 

 彼は、腕を上げて防御した。

 

 その瞬間、オールマイトが地面を蹴った。

 

 正面から踏み込む。

 

 拳を握る。

 

 工藤が、その腕へ触れた。

 

 《ギアシフト》。

 

 ブルースが、オールマイトの背後へ回り、蓄積した運動エネルギーを解放する。

 

 万縄が、黒鞭でオール・フォー・ワンの腕を引き下げた。

 

 煙が、敵の視界を奪う。

 

 四ノ森が、攻撃の兆候を読み取る。

 

 それぞれの能力が、ひとつの動きへとつながっていく。

 

 オールマイトの拳が、オール・フォー・ワンへ迫った。

 

「これで――!」

 

 だが、オール・フォー・ワンは、笑った。

 

「甘い!」

 

 彼の胸部が、突然開いた。

 

 そこから、無数の口が現れる。

 

 吸引。

 

 黒鞭が、引き寄せられる。

 

 煙が、口の中へ吸い込まれる。

 

 空気が、渦巻く。

 

 オールマイトの拳まで、前へ引っ張られた。

 

「何だと……!」

 

 オール・フォー・ワンは、複数の個性を組み合わせて、周囲の能力の動きを吸収しようとしていた。

 

 黒鞭の拘束。

 

 煙幕。

 

 空中での位置取り。

 

 工藤の加速。

 

 それらを、まとめて引き寄せる。

 

 彼は、すべてを自分の身体へ取り込もうとしていた。

 

「君たちの連携も、結局は力の組み合わせにすぎない!」

 

 オール・フォー・ワンの声が響く。

 

「ならば、私も組み合わせればいい!」

 

 吸引が、さらに強まる。

 

 歴代継承者たちの身体が、前へ引き寄せられた。

 

 菜奈は、浮遊で身体を上へ逃がす。

 

 ブルースは、身体を回転させて吸引の向きを変えようとする。

 

 万縄は、黒鞭を解除する。

 

 しかし、オール・フォー・ワンの吸引は止まらなかった。

 

「与一!」

 

 工藤が叫ぶ。

 

「分かっている!」

 

 与一は、オール・フォー・ワンへ向けて走った。

 

 他の継承者たちが、彼を止めようとする。

 

「待て!」

 

 しかし、与一は止まらなかった。

 

 彼は、兄の正面へ踏み込んだ。

 

「兄さん!」

 

 オール・フォー・ワンが、顔を上げる。

 

「君に、何ができる?」

 

 彼は、与一の前へ手を伸ばした。

 

「君の個性は、戦闘には向かない。君の身体も、私に比べれば弱い。君が戻ってきたところで、何も変わらない!」

 

 与一は、答えた。

 

「それでも、僕はここにいる」

 

 彼は、兄の手を掴んだ。

 

 その瞬間。

 

 与一の個性――《譲渡》が、発動した。

 

 何かを奪うためではない。

 

 他者の個性を自分の所有物にするためでもない。

 

 与一の手から、ひとつの意思が伝わった。

 

 それは、能力を奪う力ではなかった。

 

 自分の意思を、他者へ押しつける力でもなかった。

 

 ただ、与一が選んだものを、与一自身の意思で渡すための力だった。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、わずかに止まった。

 

「……何をした?」

 

 彼の声が、揺れた。

 

 与一は、兄を見た。

 

「僕は、あなたのものではない」

 

 その言葉が、戦場に響いた。

 

「僕の意志も、僕が受け取ったものも、僕が次へ渡したものも」

 

 与一は、ゆっくりと手を離した。

 

「あなたが奪い尽くせるものではない」

 

 オール・フォー・ワンの顔が、歪んだ。

 

「……くだらない!」

 

 彼は、与一を突き飛ばした。

 

 与一の身体が、地面へ転がる。

 

 だが、その瞬間。

 

 吸引が、わずかに乱れた。

 

 与一の行動によって、オール・フォー・ワンの意識が一瞬だけ逸れたのだ。

 

 その隙に、工藤が踏み込む。

 

「俊典!」

 

「今だ!」

 

 オールマイトが、拳を構えた。

 

 工藤が腕へ触れる。

 

 ブルースが、蓄積した運動エネルギーを解放する。

 

 四ノ森が、敵の反撃の兆候を読み取る。

 

 万縄が、黒鞭で敵の腕を拘束する。

 

 煙が、敵の視界を覆う。

 

 菜奈が、空中から敵の身体を押さえ込む。

 

 グラントリノが、横から突進し、オール・フォー・ワンの足元を蹴り払った。

 

 すべての動きが、ひとつになった。

 

 オールマイトの拳が、オール・フォー・ワンへ向けて振り抜かれる。

 

「UNITED――」

 

 拳が、加速する。

 

 空気が裂ける。

 

「SMASH!」

 

 衝撃が、施設全体を揺るがした。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、壁面を突き破り、外へ吹き飛んだ。

 

 崩れ落ちる壁。

 

 舞い上がる粉塵。

 

 静寂。

 

 オールマイトは、拳を構えたまま、ゆっくりと息を吐いた。

 

 歴代継承者たちも、彼の周囲へ集まった。

 

 工藤が、拳を握り直す。

 

 ブルースが、呼吸を整える。

 

 万縄が、黒鞭を解除する。

 

 四ノ森は、周囲の危険を探り続けていた。

 

 菜奈は、与一のもとへ歩み寄る。

 

「大丈夫?」

 

「ああ」

 

 与一は、ゆっくりと立ち上がった。

 

「ありがとう」

 

 菜奈は、微笑んだ。

 

「礼を言うのは、まだ早いかもしれないわね」

 

 その言葉のとおりだった。

 

 瓦礫の向こうから、笑い声が響いてきた。

 

七 正義を名乗った怪物

「……実に、素晴らしい」

 

 オール・フォー・ワンは、崩れた壁の向こうから現れた。

 

 身体には、いくつもの傷が残っている。

 

 腕の装甲はひび割れ、背中の突起も何本か折れていた。

 

 それでも、彼は立っていた。

 

 そして、笑っていた。

 

「君たちは、私の予想を上回った。まさか、歴代継承者たちが、ここまで連携するとはね」

 

 彼は、自分の腕を見た。

 

「個性の組み合わせ。攻撃のタイミング。相手の動きを読み、互いの弱点を補う連携」

 

 彼は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「そして、何よりも面白いのは……君たちが、私の問いに答えようとしていることだ」

 

 オールマイトは、拳を握った。

 

「まだ続けるつもりか?」

 

「もちろん」

 

 オール・フォー・ワンは、微笑んだ。

 

「私は、まだ何も手に入れていない」

 

 彼は、安寧システムの残骸を見た。

 

 黒い金属片は、まだ微弱な光を放っていた。

 

「人間の願いを理解することと、その願いを利用すること。その違いを、君たちは語った」

 

 彼は、指を一本立てた。

 

「だが、君たちは、その違いを完全に説明できたわけではない」

 

 もう一本、指を立てる。

 

「君たちは、互いの願いを受け取り、互いの力を借り、互いの選択を支え合う」

 

 オール・フォー・ワンは、笑った。

 

「それは美しい物語だ。だが、現実には、願いが衝突する。誰かを救いたいという願いが、別の誰かを苦しめることがある」

 

 彼は、オールマイトを見た。

 

「そして、そのとき、君たちは必ず選ばなければならない」

 

 オールマイトは、答えなかった。

 

「誰を救うのか。誰を優先するのか。誰の願いを、後回しにするのか」

 

 オール・フォー・ワンの声が、低くなる。

 

「人間は、自分の選択を正当化するために、物語を作る。自分は正しい。自分は誰かを守った。自分は最善を尽くした」

 

 彼は、微笑んだ。

 

「だが、その物語の外側に残された人々は、どうなる?」

 

 オールマイトの表情が、わずかに変わった。

 

 グラントリノが、すぐに声を上げた。

 

「俊典! 聞くな!」

 

「いや」

 

 オールマイトは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「聞くべきこともある」

 

 その言葉に、グラントリノが目を見開いた。

 

「お前……!」

 

「グラントリノ。お前の言うとおりだ。彼は、私の後悔を利用しようとしている」

 

 オールマイトは、オール・フォー・ワンを見た。

 

「だが、だからといって、私が自分の後悔から目を逸らしていいわけではない」

 

 オール・フォー・ワンは、静かに笑った。

 

「そうだとも」

 

 彼は、安寧システムの残骸へ手を伸ばした。

 

「後悔。罪悪感。救えなかった者たちへの思い」

 

 黒い金属片の表面に、文字が走る。

 

「それらは、人間を動かすための、実に強力な力だ」

 

 彼の指先が、残骸へ触れた。

 

「そして、君たちがそれをどれほど大切にしているのかを理解できれば……」

 

 施設全体が、暗くなった。

 

「君たちが次に、何を選ぶかも、予測できる」

 

 安寧システムの残骸が、強く光った。

 

 床に、無数の記録が浮かび上がる。

 

 文字。

 

 映像。

 

 音声。

 

 そして、人々の願いに関する記録。

 

 オールマイトの目が、見開かれた。

 

 そこに、見覚えのある場所が映し出されていた。

 

 崩壊した都市。

 

 救助を求める人々。

 

 間に合わなかった現場。

 

 彼が、かつて到着できなかった場所。

 

 救えなかった人々の記録が、次々と現れていた。

 

 オールマイトの拳が、わずかに震えた。

 

 オール・フォー・ワンは、その反応を見逃さなかった。

 

「さあ、俊典」

 

 彼は、穏やかに言った。

 

「もう一度、君の正義を見せてくれたまえ」

 

 床に映し出された記録の中で、誰かが手を伸ばしていた。

 

 誰かが、助けを求めていた。

 

 誰かが、叫んでいた。

 

 その声が、施設全体へ響き始める。

 

 ――助けて。

 

 ――誰か。

 

 ――どうして、来てくれなかったの。

 

 オールマイトの呼吸が、乱れた。

 

「……やめろ」

 

 彼の声が、かすれた。

 

「それは、記録だ」

 

 オール・フォー・ワンは、笑った。

 

「そうとも。記録だ」

 

 彼は、オールマイトを見つめた。

 

「だが、君が救えなかったという事実は、記録であろうと消えない」

 

 床に映し出されていた人々の姿が、少しずつ輪郭を変えていく。

 

 記録の中の彼らが、オールマイトへ顔を向ける。

 

 彼らは、何も言わない。

 

 ただ、彼を見ていた。

 

 その視線が、オールマイトの胸を締めつけた。

 

 彼は、目を逸らそうとした。

 

 しかし、できなかった。

 

 なぜなら。

 

 そこにいる人々は、彼にとって、ただの記録ではなかったからだ。

 

 救えなかった人々。

 

 間に合わなかった人々。

 

 自分が全力で戦っても、すべてを守ることができなかった現実。

 

 その記憶が、今、目の前に突きつけられている。

 

 オール・フォー・ワンは、ゆっくりと両腕を広げた。

 

「君は、平和の象徴だった」

 

 その言葉が、重く響いた。

 

「人々は、君がいれば大丈夫だと信じた。君は、その願いを背負った」

 

 彼は、オールマイトを見つめた。

 

「だが、君は全員を救えなかった」

 

 オールマイトは、拳を握りしめた。

 

「……ああ」

 

 彼は、静かに答えた。

 

「私は、全員を救えなかった」

 

 オール・フォー・ワンの笑みが、深くなる。

 

 しかし、オールマイトは、その先を続けた。

 

「それでも、私が救えなかった人々の人生を……私の失敗の証拠だけにするつもりはない」

 

 その声は、震えていた。

 

 だが、逃げてはいなかった。

 

 オールマイトは、記録の中の人々を見つめた。

 

「彼らは、私が救えなかったという事実だけで、生きていたわけではない」

 

 彼は、拳を下ろした。

 

「彼らには、彼らの人生があった。願いがあった。大切な人がいて、夢があって、私が知らない日々があったはずだ」

 

 オール・フォー・ワンの笑みが、わずかに止まった。

 

 オールマイトは、ゆっくりと顔を上げた。

 

「そのすべてを、私の敗北の物語に閉じ込めることはできない」

 

 彼は、記録の中の人々を見た。

 

「私は、彼らを救えなかった。その責任から逃げるつもりはない」

 

 そして。

 

「だが、彼らの人生を、私の罪悪感を満たすための道具にもしない!」

 

 その言葉が、戦場へ響いた。

 

 歴代継承者たちは、オールマイトの背後へ並んだ。

 

 与一が、静かに微笑んだ。

 

 菜奈が、うなずく。

 

 工藤は、拳を握りしめた。

 

 ブルースが、足を踏み込む。

 

 万縄が、黒鞭を構える。

 

 煙が、再び煙幕を展開した。

 

 四ノ森は、危機感知によって次の攻撃を探る。

 

 オールマイトは、彼らの存在を感じていた。

 

 死者たちが、ここにいる。

 

 彼らは、彼の代わりに戦ってくれるわけではない。

 

 彼の過去を消してくれるわけでもない。

 

 ただ、彼とともに、今の戦いに立っている。

 

 その事実が、彼の背中を支えていた。

 

 オール・フォー・ワンは、黒い金属片を握りしめた。

 

「……実に、厄介だ」

 

 その声には、初めて苛立ちが混じっていた。

 

「人間は、どうしてそこまで、意味を求めるのだろうね」

 

 彼の背中から、再び無数の腕が伸びた。

 

「失ったものは戻らない。救えなかった者は、救えなかったままだ。願いは叶わず、選択には犠牲が伴う」

 

 拳を握る。

 

「それでも、君たちは、自分の選択に意味があったと信じようとする」

 

 オール・フォー・ワンは、オールマイトを見つめた。

 

「ならば、その意味が、どこまで耐えられるのか見せてくれたまえ!」

 

 轟音。

 

 多重個性が、一斉に発動した。

 

 オールマイトが、拳を構える。

 

 グラントリノが、足を踏み込む。

 

 歴代継承者たちが、互いに目を合わせた。

 

 そして、全員が、同時に前へ出た。

 

 願いを理解し、願いを利用し、願いを支配しようとする者。

 

 願いを受け取り、自分の意志で未来へ渡そうとする者。

 

 両者の戦いは、まだ終わっていない。

 

 しかし、今。

 

 死者たちは、自らの意志で蘇り、生者とともに立っていた。

 

 その姿は、オール・フォー・ワンの思想への反論そのものだった。

 

 人間は、誰かのために力を渡すことができる。

 

 そして、受け取った者は、その力を自分の意思で使うことができる。

 

 過去は消えない。

 

 死者は、失った人生を取り戻したわけではない。

 

 それでも、その意志が、今を生きる者たちの選択を支えることはできる。

 

 その可能性を、オール・フォー・ワンは認めたくなかった。

 

 だからこそ。

 

 彼は、再び、すべてを奪おうとした。

 

 安寧システムの残骸が、強く輝く。

 

 そして、その奥で。

 

 まだ誰も知らない何かが、静かに応答していた。

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