僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第三十八話「オールマイトが救えなかったもの」

一 助けを求める声

 ――助けて。

 

 声が聞こえた。

 

 ――誰か。

 

 床に浮かび上がった記録の中で、人々が手を伸ばしている。

 

 崩れた街路。

 

 倒壊した建物。

 

 煙に覆われた道路。

 

 遠くで鳴り響く警報。

 

 映像は断片的で、すべての状況が明確に記録されているわけではない。それでも、そこが何らかの大規模災害の現場であることは分かった。

 

 オールマイトは、その光景を見つめていた。

 

 目の前の記録は、知らない事件ばかりではなかった。

 

 見覚えのある交差点。

 

 過去に一度だけ通ったことがある避難経路。

 

 そして、何よりも。

 

 あのとき、自分はどこにいたのか。

 

 誰を救い、誰を救えなかったのか。

 

 その記憶が、ひとつずつ蘇ってくる。

 

「……やめろ」

 

 オールマイトが、低く言った。

 

 オール・フォー・ワンは、彼の反応を楽しむように首を傾けた。

 

「どうしてだい? 私は、ただ記録を見せているだけだ」

 

「その記録を、何に使っている?」

 

「君が、どんな人間なのかを理解するためさ」

 

「違う」

 

 オールマイトは、顔を上げた。

 

「お前は、私を理解しようとしているのではない。私が苦しむ場所を探し、そこを利用しようとしているだけだ」

 

「理解と利用は、そんなに違うのかね?」

 

 オール・フォー・ワンは、両手を広げた。

 

「君が救えなかった者たちの存在を理解しているからこそ、私は彼らの記録を見せている。彼らが君にとって重要な存在だと理解しているからこそ、君の心へ届く形で提示している」

 

 彼は、笑った。

 

「君が私を責める理由が分からないね」

 

「……何?」

 

「私は、彼らの記録を改ざんしているわけではない。君が救えなかったことも、彼らが苦しんだことも、記録された事実なのだろう?」

 

 オール・フォー・ワンは、オールマイトの目を覗き込むように言った。

 

「ならば、君は何を否定したいのだ?」

 

 その問いは、鋭かった。

 

 オールマイトは、すぐには答えられなかった。

 

 自分が救えなかった人々がいた。

 

 その事実は、間違いではない。

 

 どれほど力を振るっても、どれほど速く走っても、すべての場所へ同時に駆けつけることはできなかった。

 

 救助要請は重なり、災害は広がり、敵は別の場所で暴れた。

 

 ひとつの現場へ駆けつければ、別の現場への到着が遅れる。

 

 目の前の人々を救えば、遠くにいる人々へ手が届かないことがある。

 

 オールマイトは、その現実を誰よりも知っていた。

 

 だからこそ、救えなかった人々のことを、忘れたことはなかった。

 

 しかし。

 

「……私は、彼らを忘れてはいない」

 

 彼は、ゆっくりと答えた。

 

「救えなかったことを、なかったことにするつもりもない」

 

 オール・フォー・ワンは、口元を歪めた。

 

「それならば、君は私と同じだ。人間の願いを理解し、そこに意味を見出し、その理解を自分の行動へ反映させる」

 

「同じではない」

 

「なぜだ?」

 

 オールマイトは、拳を握った。

 

「お前は、彼らの苦しみを、自分の正しさを証明するために利用している」

 

 床の記録を見つめる。

 

「私は、彼らが何を望み、何を失い、どんな人生を生きたのかを、私自身の罪悪感だけに閉じ込めるつもりはない」

 

 その言葉に、オール・フォー・ワンの笑みが、ほんのわずかに止まった。

 

 だが、彼はすぐに表情を戻した。

 

「では、君は何をする? 彼らを救えなかったという事実を、どう扱うつもりだ?」

 

「……向き合う」

 

「それだけか?」

 

「それだけではない」

 

 オールマイトは、顔を上げた。

 

「同じことを繰り返さないために考える。自分ひとりの力で何でも解決できると思わない。私が気づけなかった苦しみを、別の人間が見つけてくれることもあると認める」

 

 拳を握りしめた。

 

「そして、私が救えなかった人々の人生を、私の失敗の証明にすることも、お前の計画を正当化する材料にすることも、許さない」

 

 オール・フォー・ワンは、静かにオールマイトを見つめた。

 

 しばらくして、彼は笑った。

 

「……素晴らしい」

 

 その声には、感嘆の色さえあった。

 

「君は、相変わらずだ。自分の失敗を認めながら、それでも自分の信じるものを捨てようとしない」

 

 彼は、一歩前へ出た。

 

「ならば、その信念が、どこまで君を支えてくれるのかを見せてもらおう」

 

 次の瞬間。

 

 床に映し出された記録が、一斉に明滅した。

 

 そして、警報が鳴り響いた。

 

二 記録を武器にする者

「来るぞ、俊典!」

 

 グラントリノが叫んだ。

 

 同時に、オール・フォー・ワンの背中から、無数の腕が伸びた。

 

 腕の先端には、それぞれ異なる特徴が宿っている。

 

 ひとつは、鋭利な刃。

 

 ひとつは、強大な筋力を生み出す太い拳。

 

 ひとつは、空気を圧縮するための突起。

 

 さらに、身体の表面には硬化した装甲が重なり、腕の一部は鞭のように伸縮していた。

 

 多重個性。

 

 それらが、オール・フォー・ワンの意思によって同時に動き始める。

 

 最初の一撃は、頭上からだった。

 

「上だ!」

 

 グラントリノの声が響く。

 

 オールマイトは、即座に身を屈めた。

 

 巨大な拳が、彼の頭上を通り過ぎる。

 

 床に叩きつけられた拳が、コンクリートを砕いた。

 

 オールマイトは、拳が地面へ沈んだ瞬間に踏み込んだ。

 

 相手の腕へ、両手を掛ける。

 

 身体を捻る。

 

 腕を支点にして、自分の身体を引き上げ、オール・フォー・ワンの懐へ飛び込む。

 

「SMASH!」

 

 拳が、胸元へ叩き込まれた。

 

 衝撃が広がる。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、後方へ押し戻された。

 

 だが、彼は倒れない。

 

 空中で別の腕を伸ばし、天井の梁へ突き刺す。

 

 その反動で身体を引き戻した。

 

 同時に、もう一本の腕がオールマイトの足元へ伸びる。

 

「チッ!」

 

 オールマイトは、跳躍した。

 

 しかし、床からも突起が生まれ、彼の着地点を塞ぐ。

 

 上からは、圧縮された空気。

 

 横からは、伸びる腕。

 

 下からは、鋭い突起。

 

 逃げ道が、次々と潰されていく。

 

「俊典、右へ!」

 

 四ノ森避影の声が響いた。

 

 第四代継承者の《危機感知》が、次の攻撃の兆候を捉えていた。

 

 オールマイトは、空中で身体を捻り、右へ移動した。

 

 直後、空気の砲撃が、先ほどまで彼のいた場所を貫く。

 

 その隙に、グラントリノが動いた。

 

 両足から噴射する《ジェット》によって急加速。

 

 低空を飛び、床から伸びた突起を蹴り砕きながら、オール・フォー・ワンへ迫る。

 

「いつまで、個性を積み重ねれば気が済む!」

 

 グラントリノの蹴りが、オール・フォー・ワンの側頭部へ迫った。

 

 だが、敵は顔を傾けた。

 

 蹴りを紙一重でかわす。

 

 直後、背中の腕がグラントリノの足首を掴んだ。

 

「しまっ……!」

 

 グラントリノの身体が、後方へ引き戻される。

 

 オール・フォー・ワンが、彼を床へ叩きつけようとした。

 

 その瞬間。

 

 黒い鞭が、グラントリノの腰へ巻きついた。

 

 五代目継承者、万縄大悟郎の《黒鞭》。

 

 鞭が、グラントリノの身体を引いた。

 

 床へ叩きつけられる寸前、彼は軌道を変え、壁面へ飛び移る。

 

「……助かった!」

 

「礼はあとだ!」

 

 万縄が叫ぶ。

 

 彼は、黒鞭を複数展開した。

 

 一本は、オール・フォー・ワンの右腕へ。

 

 もう一本は、左足へ。

 

 三本目は、天井の梁へ。

 

 そのすべてを引き絞り、敵の動きを制限する。

 

「今だ、ブルース!」

 

「分かっている!」

 

 三代目継承者、ブルースが踏み込んだ。

 

 《発勁》。

 

 身体の動きを繰り返すことで蓄積した運動エネルギーを、爆発的な力として解放する。

 

 ブルースは、短い足運びを続けていた。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 三歩。

 

 身体を沈め、踏み込む。

 

 その動作で蓄えた力を、一気に解放した。

 

「はああああッ!」

 

 拳が、オール・フォー・ワンの胴体へ叩き込まれる。

 

 装甲が、深くへこんだ。

 

 敵の身体が、後方へ弾き飛ばされる。

 

 だが、オール・フォー・ワンは、空中で腕を伸ばして黒鞭を掴んだ。

 

 そのまま引っ張る。

 

 万縄の身体が、前方へ引き寄せられる。

 

「くっ……!」

 

「万縄!」

 

 与一が叫ぶ。

 

 彼は、床を蹴り、万縄の身体を支えた。

 

 しかし、オール・フォー・ワンは、その二人をまとめて引き寄せようとしていた。

 

 黒鞭へ、別の腕が絡みつく。

 

 吸収。

 

 万縄は、即座に黒鞭を解除した。

 

 鞭が消える。

 

 その隙に、与一が万縄の腕を掴み、二人で横へ跳ぶ。

 

 巨大な腕が、空を切った。

 

 オールマイトは、その様子を見ながら拳を構え直した。

 

 歴代継承者たちは、戻ってきたばかりだ。

 

 彼らは、長い年月を経て、再び肉体を得た。

 

 それでも、戦い方を忘れてはいなかった。

 

 互いの動きを知り、互いの能力を理解し、ひとりでは難しいことを連携によって補っている。

 

 だが、オール・フォー・ワンもまた、その連携を観察していた。

 

「素晴らしい。まさに、受け継がれた経験だ」

 

 彼は、笑った。

 

「だが、君たちの行動は、記録されている」

 

 その言葉とともに、床の記録が再び明滅した。

 

 今度は、戦場の映像ではない。

 

 歴代継承者たちの過去だった。

 

 工藤が仲間を守るために戦った場面。

 

 ブルースが、仲間と連携して敵を追い詰めた記録。

 

 四ノ森が、危険を察知して誰かを逃がす場面。

 

 万縄が、黒鞭を使って仲間を支えた場面。

 

 煙が、煙幕によって仲間の撤退を助ける場面。

 

 菜奈が、空中から誰かを救い出した場面。

 

 そして、与一が兄に逆らい、誰かへ力を託そうとした瞬間。

 

 すべてが、戦場の床へ映し出されていた。

 

「君たちは、自分の選択が、どれほど他者の人生へ影響を与えたのか、理解しているのだろうか?」

 

 オール・フォー・ワンが言った。

 

「君たちが誰かを救おうとした結果、別の誰かが危険にさらされたこともある。君たちが誰かへ力を託した結果、その者が背負わなければならなくなった苦しみもある」

 

 彼は、ゆっくりと笑った。

 

「善意によって生まれた苦しみは、悪意によって生まれた苦しみより、価値があるのかね?」

 

 工藤の拳が、強く握りしめられた。

 

 ブルースが、顔を上げた。

 

 菜奈は、静かに息を吐いた。

 

 与一だけは、兄から目を逸らさなかった。

 

「……兄さん」

 

 与一は、静かに言った。

 

「僕たちが何を選び、何を失ったのか。それは、僕たちが向き合うべきことだ」

 

 一歩前へ出る。

 

「だからといって、その結果を、あなたが自由に利用していい理由にはならない」

 

 オール・フォー・ワンの笑みが、少しだけ深くなった。

 

「では、見せてもらおう」

 

 彼は、両腕を広げた。

 

「君たちが自分の選択に責任を持てるというのなら、私の問いに答えたまえ」

 

 次の瞬間。

 

 床に映し出された記録が、ひとつの大きな光へ集まっていった。

 

 その光が、オールマイトの足元へ流れ込んだ。

 

三 英雄の影

 オールマイトの視界が、変わった。

 

 施設の壁が消える。

 

 天井が消える。

 

 歴代継承者たちの姿が、遠ざかる。

 

 そして。

 

 目の前に、街が現れた。

 

 かつて、自分が救助に向かった街。

 

 崩れた建物。

 

 道路に散乱した瓦礫。

 

 遠くで立ち上る煙。

 

 人々の声。

 

 ――助けて。

 

 ――こっちだ!

 

 ――まだ中に人がいる!

 

 オールマイトは、走り出した。

 

 身体が、動いていた。

 

 考えるより先に、足が動いていた。

 

 誰を救うのか。

 

 どこへ向かうのか。

 

 どうすれば、ひとりでも多く助けられるのか。

 

 そのすべてを、考える暇はなかった。

 

 ただ、目の前の人々を救おうとした。

 

 瓦礫を持ち上げる。

 

 倒れた柱を押し戻す。

 

 人々を抱え、安全な場所へ運ぶ。

 

 そして、次の現場へ走る。

 

 だが、道の向こうから、別の声が響いた。

 

 ――こちらも、助けてくれ!

 

 オールマイトは、振り返った。

 

 その方向には、さらに崩れた建物があった。

 

 助けを求める人々がいる。

 

 しかし、彼の腕の中には、今、救い出したばかりの負傷者がいた。

 

 その人を安全な場所へ運べば、次の現場への到着が遅れる。

 

 その人を置いていけば、命が危険にさらされるかもしれない。

 

 彼は、一瞬だけ迷った。

 

 そして、選んだ。

 

 腕の中の人を、避難所へ運ぶ。

 

 その間に、別のヒーローが、もう一方の現場へ向かうことを信じる。

 

 そうするしかなかった。

 

 しかし。

 

 記録の中では、もう一方の現場に、誰も間に合わなかった。

 

 オールマイトの足が止まった。

 

「……そんな」

 

 映像が、切り替わる。

 

 別の現場。

 

 別の日。

 

 別の人々。

 

 彼が、全力を尽くしていた間にも、救えなかった者たち。

 

 記録は、次々と変わっていった。

 

 救助を求める声。

 

 伸ばされた手。

 

 助けを待つ人々。

 

 そして、彼がそこへ到着したときには、すでに間に合わなかった現場。

 

「……やめろ」

 

 オールマイトは、顔を伏せた。

 

「もう、やめてくれ」

 

 記録の中から、声が聞こえた。

 

 ――どうして、来てくれなかったの?

 

 別の声。

 

 ――あなたがいれば、助かったと思っていた。

 

 さらに別の声。

 

 ――あなたは、平和の象徴なんでしょう?

 

 オールマイトは、拳を握った。

 

 その言葉が、胸に突き刺さる。

 

 彼は、平和の象徴だった。

 

 人々が安心できるように。

 

 人々が恐怖に押し潰されないように。

 

 誰もが、明日を信じられるように。

 

 そのために、自分は笑ってきた。

 

 戦いに勝つたび、笑った。

 

 傷ついても、立ち上がった。

 

 もう動けないと思う瞬間でさえ、最後の一歩を踏み出した。

 

 人々が、自分を見て安心できるように。

 

 しかし、その笑顔が届かなかった人々もいた。

 

 自分を信じていたのに、助からなかった人々もいた。

 

 彼らの存在を、なかったことにはできない。

 

 彼は、自分の手を見つめた。

 

 この手で、多くの人を救った。

 

 同時に、この手では、届かなかった場所もあった。

 

 その事実を、消すことはできない。

 

「……私は」

 

 オールマイトの声が、震えた。

 

「私は、全員を救うことができなかった」

 

 街が、静まり返った。

 

 誰も、答えなかった。

 

 オールマイトは、目を閉じた。

 

 自分は、何をすればよかったのだろう。

 

 もっと速く走ればよかったのか。

 

 もっと強くなればよかったのか。

 

 もっと早く敵を倒せばよかったのか。

 

 もっと多くのヒーローを育てていればよかったのか。

 

 その問いは、何度も自分自身へ投げかけてきた。

 

 何度も考えた。

 

 何度も、後悔した。

 

 それでも、失ったものは戻らない。

 

 そして、彼が救えなかった人々の人生は、彼の後悔とは無関係に、そこにあった。

 

 彼らは、彼が救えなかったことだけを理由に生きていたわけではない。

 

 誰かを愛し、誰かと笑い、何かを願い、何かを恐れながら、それぞれの人生を生きていた。

 

 オールマイトは、ゆっくりと目を開いた。

 

「……私は、彼らの人生を」

 

 声が、少しだけ落ち着いた。

 

「私が救えなかったという事実だけに、閉じ込めてはいけない」

 

 街の風景が、わずかに揺れた。

 

 オールマイトは、前を向いた。

 

「彼らは、私の失敗を証明するために生きていたわけではない」

 

 拳を握る。

 

「私は、彼らを救えなかった。その責任から逃げるつもりはない」

 

 そして、顔を上げた。

 

「だが、彼らの人生まで、私の後悔のために使わせるつもりはない!」

 

 その言葉が、街の中へ響いた。

 

 記録の光が、強く明滅する。

 

 そして。

 

 崩れた街が、音を立てて砕け始めた。

 

四 記録の中の敵

「ようやく、認めたようだね」

 

 オール・フォー・ワンの声が響いた。

 

 街の景色が、崩れていく。

 

 その向こうから、オール・フォー・ワン自身が現れた。

 

 彼は、かつての敵の姿ではなく、現在の姿で立っていた。

 

「君は、全員を救えなかった。君の勝利によって、すべての苦しみが消えたわけでもない」

 

 オール・フォー・ワンは、静かに言った。

 

「それでも、君は象徴であり続けようとした」

 

 彼は、両腕を広げた。

 

「その選択が、どれほど多くの人々を苦しめたのか。君には、分からないのだろうね」

 

 オールマイトは、彼を見た。

 

「……何が言いたい?」

 

「君は、象徴であることを選んだ。人々の希望を背負い、彼らが安心できる存在であろうとした」

 

 オール・フォー・ワンは、一歩前へ出た。

 

「しかし、その希望は、同時に人々の期待を生み出した。君なら助けてくれる。君なら間に合う。君がいるなら大丈夫だ」

 

 彼は、笑った。

 

「そして、君がそこにいなかったとき、人々は絶望した」

 

 オールマイトの拳が、強く握られる。

 

「君は、希望を与えたつもりだったのだろう。だが、その希望が、別の人間にとっては、苦しみの種になっていたのかもしれない」

 

 オール・フォー・ワンは、オールマイトの顔を覗き込むように言った。

 

「ならば、君の正義は、本当に正しかったのかね?」

 

 オールマイトは、しばらく黙っていた。

 

 やがて、ゆっくりと口を開いた。

 

「……私のやり方が、すべて正しかったとは思わない」

 

 オール・フォー・ワンの笑みが、深くなる。

 

「ほう?」

 

「象徴としての私が、すべての人々を救えるかのように見えていたのなら、それは現実とは違っていた」

 

 オールマイトは、目を逸らさなかった。

 

「私は、自分ひとりで世界を救えるわけではなかった。もっと早く、もっと多くの人々と力を分かち合う必要があった。私が見ていない場所に、どれだけ苦しんでいる人がいるのかを、もっと考える必要があった」

 

 彼は、一度だけ、目を閉じた。

 

「そのことを、私は、これからも考え続ける」

 

 そして、顔を上げた。

 

「だが、それは、お前が人々を支配していい理由にはならない」

 

 オール・フォー・ワンの表情が、わずかに変わった。

 

「……まだ、そんなことを言うのか」

 

「言うとも」

 

 オールマイトは、拳を握った。

 

「私が失敗したからといって、お前が正しくなるわけではない」

 

 その言葉とともに、記録の街が完全に崩れ落ちた。

 

 オールマイトの視界が、再び研究施設へ戻る。

 

 床に浮かんでいた人々の映像は、消えていた。

 

 彼の前には、オール・フォー・ワンが立っていた。

 

 その背後には、歴代継承者たち。

 

 そして、グラントリノ。

 

「……俊典!」

 

 グラントリノが、オールマイトの肩を掴んだ。

 

「大丈夫か!」

 

 オールマイトは、ゆっくりとうなずいた。

 

「ああ」

 

 彼は、オール・フォー・ワンを見た。

 

「ありがとう、グラントリノ」

 

「礼はいい。まだ終わっとらん!」

 

 オール・フォー・ワンは、二人を見つめていた。

 

「……なるほど」

 

 彼の声は、先ほどよりも冷たかった。

 

「君は、自分の失敗を認めた。自分がすべてを救えるわけではなかったと認めた」

 

 彼は、両腕を広げた。

 

「それでも、私を否定する」

 

「当然だ」

 

 オールマイトは、即答した。

 

「自分の失敗を認めることと、他者を支配することを認めることは、同じではない」

 

「では、何が違う?」

 

「お前は、他者の苦しみを、自分の正しさのために使う」

 

 オールマイトは、一歩踏み出した。

 

「私は、他者の苦しみを、自分が学ぶべきこととして受け止める」

 

 拳を握る。

 

「そして、その人自身の人生を、私の都合で決めない」

 

 オール・フォー・ワンは、笑わなかった。

 

 彼は、ゆっくりと身体を構えた。

 

「……ならば、その答えを、力で証明してもらおう」

 

 次の瞬間。

 

 オール・フォー・ワンが踏み込んだ。

 

五 象徴を越えて

 オール・フォー・ワンの拳が、オールマイトへ迫った。

 

 オールマイトは、正面から受け止めた。

 

 衝撃。

 

 床が砕ける。

 

 二人の拳がぶつかり合い、その衝撃が壁面へ広がった。

 

 オールマイトの足が、わずかに後退した。

 

 しかし、彼は踏みとどまった。

 

「SMASH!」

 

 拳を、相手の胴体へ叩き込む。

 

 オール・フォー・ワンの身体が後退する。

 

 だが、彼は背中から腕を伸ばし、天井へ突き刺した。

 

 その反動で身体を引き上げる。

 

 空中で体勢を立て直し、両腕を広げた。

 

 空気の圧縮。

 

 衝撃の増幅。

 

 腕の伸縮。

 

 硬化。

 

 四つの個性が、同時に発動する。

 

 巨大な拳が、オールマイトへ振り下ろされた。

 

「俊典、受けるな!」

 

 グラントリノが叫ぶ。

 

 オールマイトは、拳を引いた。

 

 身体を横へずらし、攻撃の軌道から外れる。

 

 拳が床へ激突する。

 

 その瞬間、オールマイトは相手の腕へ踏み込んだ。

 

 腕の内側へ潜り込み、肘を叩きつける。

 

 オール・フォー・ワンの腕が、わずかに下がった。

 

 オールマイトは、その隙に身体を捻り、肩から相手の胸元へ突進した。

 

 衝撃。

 

 装甲が揺れる。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、後方へ押し戻された。

 

 その背後へ、グラントリノが回り込む。

 

 《ジェット》による急加速。

 

 床を蹴り、壁を蹴り、空中で軌道を変える。

 

 グラントリノは、オール・フォー・ワンの死角から、連続した蹴りを叩き込んだ。

 

 一発目は肩。

 

 二発目は肘。

 

 三発目は膝の裏。

 

 敵の身体の動きを制限し、反撃のタイミングをずらしていく。

 

「しつこい爺さんだ!」

 

 オール・フォー・ワンが腕を振る。

 

 グラントリノは、身体を捻った。

 

 腕が空を切る。

 

 そのまま、壁面を蹴って後退した。

 

「お前にだけは、言われたくないね!」

 

 グラントリノは笑った。

 

 その背後から、黒鞭が伸びる。

 

 万縄が、オール・フォー・ワンの脚を拘束した。

 

「動きを止める!」

 

 しかし、敵の脚部が急激に膨張する。

 

 黒鞭が、引っ張られる。

 

「くっ……!」

 

 万縄は、即座に黒鞭を解除した。

 

 吸収される前に、力を引く。

 

 その動きを見て、四ノ森が叫ぶ。

 

「万縄、左だ!」

 

 万縄は、すぐに左へ跳んだ。

 

 直後、床から突起が生まれる。

 

 その突起を、ブルースが踏み台にした。

 

 身体を沈める。

 

 運動エネルギーを蓄積する。

 

 工藤が、彼の腕へ触れる。

 

 《ギアシフト》が発動。

 

 ブルースの身体が、爆発的に加速した。

 

「行くぞ!」

 

 ブルースの拳が、オール・フォー・ワンの胸部へ叩き込まれた。

 

 敵の身体が、大きく揺れた。

 

 その瞬間、オールマイトが前へ出る。

 

「これで――!」

 

 拳を構える。

 

 しかし、オール・フォー・ワンは、その一撃を待っていた。

 

 胸部の装甲が開く。

 

 内部に、複数の口が現れる。

 

 吸引。

 

 オールマイトの拳が、引き寄せられた。

 

「何だと……!」

 

 オール・フォー・ワンは、拳を固定しようとする。

 

 そして、別の腕でオールマイトの肩を掴んだ。

 

「捕まえた!」

 

 その瞬間。

 

 オールマイトは、拳を開いた。

 

 相手の装甲を掴まない。

 

 拳を引く。

 

 身体を捻る。

 

 吸引に逆らうのではなく、その力を利用して身体を回転させた。

 

 オール・フォー・ワンの腕を支点にして、身体を横へ滑らせる。

 

 そのまま、敵の背後へ回り込む。

 

「何……!」

 

 オールマイトは、もう一方の拳を握った。

 

 そして、背中へ叩き込んだ。

 

「DETROIT――SMASH!」

 

 衝撃が、爆発的に広がった。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、前方へ吹き飛ばされる。

 

 だが、彼は空中で体勢を立て直し、両足で床を踏みしめた。

 

 彼の身体は、まだ動いていた。

 

 しかし、その表情から、余裕が消えていた。

 

「……君は、変わったね」

 

 オール・フォー・ワンが、静かに言った。

 

「昔の君なら、もっと大きな力で押し切ろうとしたはずだ」

 

 オールマイトは、拳を構えたまま答えた。

 

「昔の私なら、そうしたかもしれない」

 

「だが、今は違う?」

 

「ああ」

 

 オールマイトは、ゆっくりとうなずいた。

 

「力で押し切るだけでは、届かないものがあると学んだからだ」

 

 彼は、グラントリノと歴代継承者たちを見た。

 

「私は、誰かを救うために戦ってきた。だが、私ひとりで、すべてを救えるわけではなかった」

 

 拳を握る。

 

「だから、誰かに助けてもらうことを、恥じるつもりはない」

 

 オール・フォー・ワンの顔が、歪んだ。

 

「……助けてもらう?」

 

「そうだ」

 

 オールマイトは、答えた。

 

「私は、歴代継承者たちの力と意志を受け取った。グラントリノに教えられたことも、志村さんから託された願いも、すべて私の中にある」

 

 彼は、ゆっくりと続けた。

 

「それでも、彼らの人生が私のものになったわけではない。彼らの願いが、私の人生をすべて決めたわけでもない」

 

 そして、オール・フォー・ワンを見据えた。

 

「私は、受け取ったものを、私自身の選択で使っている」

 

 その言葉が、戦場に響いた。

 

 オール・フォー・ワンは、しばらく黙っていた。

 

 やがて、ゆっくりと笑った。

 

「ならば、君の選択を、すべて奪ってやろう」

 

 彼の身体から、無数の腕が伸びた。

 

 腕の先端には、黒い突起。

 

 それは、個性を奪うための攻撃だった。

 

「君が受け取ったものを、私がすべて奪い返す!」

 

 オールマイトは、拳を構えた。

 

 歴代継承者たちが、彼の背後へ並ぶ。

 

 グラントリノが、低く身構える。

 

 与一が、静かに前へ出た。

 

「兄さん」

 

 与一は、オール・フォー・ワンを見た。

 

「僕たちの力を、何度でも奪おうとするんだね」

 

「ああ」

 

 オール・フォー・ワンは、答えた。

 

「私は、欲しいものを手に入れる。必要なものを奪う。それが私だ」

 

 与一は、少しだけ目を伏せた。

 

「……そうか」

 

 そして、顔を上げた。

 

「ならば、僕たちも、何度でも拒む」

 

 その瞬間、歴代継承者たちが一斉に動いた。

 

六 受け取る者たちの戦い

 最初に動いたのは、万縄だった。

 

 《黒鞭》が、複数の方向へ伸びる。

 

 一本は、オール・フォー・ワンの右腕へ。

 

 一本は、左脚へ。

 

 さらに、二本が天井の梁へ巻きついた。

 

 万縄は、そのすべてを引き絞った。

 

 敵の動きを完全に止めることはできない。

 

 だが、動きの方向を制限することはできる。

 

 その瞬間を、ブルースが利用した。

 

 足運びを繰り返す。

 

 運動エネルギーを蓄積する。

 

 身体を沈める。

 

 工藤が、ブルースの腕へ触れる。

 

 《ギアシフト》。

 

 ブルースの踏み込みが、加速した。

 

 拳が、オール・フォー・ワンへ迫る。

 

 だが、彼は腕を硬化させて受け止めた。

 

 金属音。

 

 ブルースの拳が、装甲へ激突する。

 

 その瞬間、オール・フォー・ワンは、硬化した腕を突き出した。

 

 反撃。

 

 ブルースは、即座に身体を捻った。

 

 拳が、肩をかすめる。

 

 万縄の黒鞭が、ブルースの腰へ巻きついた。

 

 そのまま引っ張り、後方へ逃がす。

 

 オール・フォー・ワンは、黒鞭を追いかけるように腕を伸ばした。

 

 しかし、万縄は黒鞭を解除した。

 

 吸収の対象が消える。

 

 その隙に、煙が戦場を覆った。

 

 六代目、煙の《煙幕》。

 

 視界が失われる。

 

 オール・フォー・ワンは、複数の感覚器官を展開した。

 

 しかし、四ノ森の《危機感知》が、敵の攻撃の兆候を捉えていた。

 

「正面から来る! 全員、横へ!」

 

 歴代継承者たちは、一斉に動いた。

 

 空気の砲撃が、煙の中を貫く。

 

 しかし、そこには誰もいなかった。

 

 その瞬間。

 

 菜奈が、空中から踏み込んだ。

 

 《浮遊》。

 

 身体を浮かせ、空中で軌道を変える。

 

 オール・フォー・ワンの頭上へ回り込み、蹴りを放つ。

 

 彼は、腕を上げて防御した。

 

 だが、その動きによって、胴体の装甲が開く。

 

 その隙を、オールマイトは見逃さなかった。

 

「今だ!」

 

 拳を握る。

 

 全身の力を、腰から肩、肩から腕へ伝える。

 

 そして、踏み込む。

 

「SMASH!」

 

 拳が、胴体へ叩き込まれた。

 

 衝撃が広がる。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、後方へ吹き飛ぶ。

 

 しかし、彼は倒れない。

 

 背中の腕を伸ばし、壁面へ突き刺す。

 

 その反動で体勢を立て直す。

 

 同時に、複数の腕がオールマイトへ向かって伸びた。

 

 腕の先端には、個性を奪うための突起。

 

「俊典!」

 

 グラントリノが叫んだ。

 

 彼は、ジェットを使って急加速する。

 

 床を蹴り、壁を蹴り、空中で身体を回転させる。

 

 突起の間をすり抜け、オールマイトの前へ飛び込む。

 

「こいつは、俺が止める!」

 

 グラントリノの蹴りが、オール・フォー・ワンの腕へ叩き込まれた。

 

 突起の軌道が、ずれる。

 

 オールマイトは、即座に後退した。

 

 その瞬間、グラントリノの背中へ、別の腕が伸びてきた。

 

 彼は、空中で身体を捻った。

 

 だが、腕が足首を掴む。

 

「くっ……!」

 

 オール・フォー・ワンが、グラントリノを引き寄せた。

 

「君も、まだ私を邪魔するのか」

 

「当たり前だろうが!」

 

 グラントリノは、笑った。

 

「お前が生きてる限り、俺の仕事は終わらねえんだよ!」

 

 彼は、足からジェットを噴射した。

 

 その勢いで、オール・フォー・ワンの腕を蹴りつける。

 

 拘束が緩む。

 

 グラントリノは、身体をひねり、腕から抜け出した。

 

 そのまま、オール・フォー・ワンの顔面へ蹴りを叩き込む。

 

 敵の頭部が、横へ揺れた。

 

 グラントリノは、壁面へ着地した。

 

 肩で息をする。

 

 だが、すぐに構え直す。

 

「……まだ、終わらんぞ」

 

 オール・フォー・ワンは、顔を上げた。

 

 その表情には、苛立ちが浮かんでいた。

 

「君たちは、なぜそこまで、互いを助ける?」

 

 彼は、歴代継承者たちを見た。

 

「お前たちは、すでに死んだ。肉体を失い、人生を終えた。なのに、なぜ再び戦う?」

 

 工藤が、拳を握った。

 

「俺たちが選んだからだ」

 

「何を?」

 

「今、ここで、お前を止めることを」

 

 ブルースが続ける。

 

「俺たちは、自分の人生を終えた。だが、俺たちが選んだことまで、なかったことにはならない」

 

 万縄が、黒鞭を構え直した。

 

「誰かに命令されたからじゃない。俺たち自身が、そうしたいと思ったから、ここにいる」

 

 煙が、静かにうなずいた。

 

「意思を残すことと、他者を支配することは違う」

 

 菜奈が、オール・フォー・ワンを見据えた。

 

「私たちは、過去をやり直すために戻ってきたのではないわ」

 

 彼女は、オールマイトを見た。

 

「今を生きている者たちが、未来を選べるようにするために、ここにいるの」

 

 与一が、一歩前へ出た。

 

「兄さん。あなたは、誰かの願いを理解するたびに、その願いを自分のものにしようとする」

 

 彼は、静かに続けた。

 

「でも、僕たちは、誰かの願いを受け取っても、その人の人生まで自分のものにしようとは思わない」

 

 オール・フォー・ワンは、しばらく黙っていた。

 

 やがて、ゆっくりと笑った。

 

「……実に、都合のいい話だ」

 

 彼の背中から、再び無数の腕が伸びた。

 

「ならば、その意志をすべて奪い取ってやろう!」

 

 無数の腕が、歴代継承者たちへ襲いかかった。

 

七 最後の一撃へ

 戦場は、再び激しい攻防へ包まれた。

 

 オール・フォー・ワンの腕が、次々と伸びる。

 

 硬化した拳が、地面を砕く。

 

 圧縮された空気が、刃のように飛ぶ。

 

 複数の腕が互いに連動し、ひとつの攻撃を囮にして、別の攻撃を本命として放つ。

 

 オールマイトは、真正面から踏み込んだ。

 

 拳を振る。

 

 敵の腕を砕く。

 

 反撃を避ける。

 

 さらに踏み込む。

 

 その動きは、かつての全盛期と同じではなかった。

 

 無限の力で押し切るわけにはいかない。

 

 相手の多重個性を、ひとつずつ観察しなければならない。

 

 しかし、だからこそ、彼は戦い方を変えていた。

 

 敵の攻撃を受け止めるのではなく、流す。

 

 腕が伸びる前に踏み込む。

 

 拳が振り下ろされる瞬間、身体を低くする。

 

 空気の砲撃が放たれる前に、相手の重心を崩す。

 

 そのひとつひとつが、歴代継承者たちの援護によって支えられていた。

 

「俊典、左だ!」

 

 四ノ森が叫ぶ。

 

 オールマイトは、即座に身を捻った。

 

 左から伸びた腕が、空を切る。

 

 その腕へ、万縄の黒鞭が巻きついた。

 

「今だ!」

 

 ブルースが、蓄積した運動エネルギーを解放する。

 

 加速した拳が、敵の肘へ叩き込まれる。

 

 腕が、わずかに下がった。

 

 その隙に、グラントリノが横から飛び込む。

 

 ジェットを使った急加速。

 

 身体を回転させ、敵の膝を蹴り払う。

 

 オール・フォー・ワンの重心が、崩れた。

 

 菜奈が、浮遊によって空中へ上がる。

 

 敵の頭上から、身体を反転させて蹴りを放つ。

 

 与一は、正面から兄を見据えた。

 

 その目に、恐怖はなかった。

 

 あるのは、悲しみと決意だった。

 

「兄さん」

 

 与一が、静かに呼びかける。

 

「もう、やめよう」

 

 オール・フォー・ワンは、顔を上げた。

 

「……君は、まだ私に説得を試みるのか?」

 

「説得できると思っているわけじゃない」

 

 与一は、答えた。

 

「ただ、僕は、あなたに最後まで伝えたいんだ」

 

 一歩前へ出る。

 

「あなたは、誰かから何かを受け取ることを、敗北だと思っている」

 

 オール・フォー・ワンの顔が、歪んだ。

 

「何だと?」

 

「誰かに頼ること。誰かの意思を尊重すること。誰かが自分とは違う答えを選ぶこと」

 

 与一は、兄を見つめた。

 

「それらを認めたら、自分が弱くなると思っているんだ」

 

 オール・フォー・ワンは、拳を握った。

 

「……黙れ」

 

「でも、兄さん」

 

 与一は、首を横に振った。

 

「他者が自分とは違う存在だと認めても、あなた自身が消えるわけじゃない」

 

 彼は、胸へ手を当てた。

 

「誰かに何かを与えたからといって、その人の人生を所有できるわけでもない」

 

 そして、静かに言った。

 

「僕は、あなたから力を与えられたことがある。けれど、その力をどう使うのかは、僕自身が選んだ」

 

 オール・フォー・ワンの目が、揺れた。

 

「そして、僕は、あなたに逆らうことを選んだ」

 

 与一は、一歩踏み出した。

 

「それが、僕の人生だった」

 

 彼は、兄を見つめた。

 

「あなたが、それを認められなくても」

 

 その言葉が、戦場に響いた。

 

 オール・フォー・ワンは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……くだらない」

 

 その声は、震えていた。

 

「君は、何も分かっていない!」

 

 彼の身体から、無数の腕が一斉に伸びた。

 

「私は、何もかもを失うことを恐れているわけではない!」

 

 オール・フォー・ワンは、叫んだ。

 

「私は、失うことを許されない世界を作ろうとしているのだ!」

 

 その言葉に、オールマイトの表情が変わった。

 

「……それが、お前の安寧か」

 

「ああ!」

 

 オール・フォー・ワンは、安寧システムの残骸へ向けて手を伸ばした。

 

「人間の願いを理解し、衝突を減らし、矛盾を排除する。誰もが望む未来を選び、誰もが苦しみを避けられるようにする!」

 

 彼の声が、施設を震わせた。

 

「誰もが、何かを失うことを恐れなくて済む世界だ!」

 

 その言葉は、あまりにも美しかった。

 

 そして、あまりにも危険だった。

 

 誰もが苦しみを避けられる。

 

 誰もが望む未来を選べる。

 

 誰もが失うことを恐れなくて済む。

 

 その願い自体は、必ずしも悪いものではない。

 

 誰もが、幸福を望む。

 

 誰もが、失うことを恐れる。

 

 誰もが、苦しみの少ない世界を求める。

 

 だが。

 

 その願いを、誰が実現するのか。

 

 誰が、どの未来を選ぶのか。

 

 誰が、何を矛盾と判断するのか。

 

 そして。

 

 その正解に従わない者を、どう扱うのか。

 

「……お前は」

 

 オールマイトが、静かに言った。

 

「誰もが失わなくて済む世界を作りたいのではない」

 

 オール・フォー・ワンが、顔を上げた。

 

「何?」

 

「お前は、自分が失うことを恐れている。そして、その恐怖を、世界全体へ押しつけようとしている」

 

 オールマイトは、拳を握った。

 

「人々を救うという願いを掲げながら、その人々が自分とは違う選択をする可能性を、最初から認めていない」

 

 彼は、一歩踏み出した。

 

「それでは、救済ではない」

 

 その言葉とともに、歴代継承者たちが、再びオールマイトの背後へ並んだ。

 

 工藤が、拳を構える。

 

 ブルースが、足を踏み込む。

 

 四ノ森が、危機感知で次の攻撃を読む。

 

 万縄が、黒鞭を展開する。

 

 煙が、煙幕を広げる。

 

 菜奈が、浮遊によって空中へ上がる。

 

 与一は、兄を見つめた。

 

 グラントリノが、オールマイトの隣へ並ぶ。

 

「俊典」

 

 グラントリノが、静かに呼んだ。

 

「もう、ひとりで背負い込むな」

 

 オールマイトは、少しだけ目を見開いた。

 

「……グラントリノ」

 

「お前が救えなかった者たちのことを、忘れる必要はない。自分の失敗から、目を逸らす必要もない」

 

 グラントリノは、拳を握った。

 

「だが、あいつの言葉に従って、自分の罪悪感を世界へ押しつける必要もない」

 

 彼は、オールマイトを見た。

 

「お前は、お前ができることを選べばいい。できなかったことまで、ひとりで世界中の責任にするな」

 

 オールマイトは、目を閉じた。

 

 そして、深く息を吸った。

 

「……ありがとう」

 

 ゆっくりと、目を開く。

 

「私は、もう一度、選ぶ」

 

 彼は、オール・フォー・ワンを見据えた。

 

「救えなかった者たちの人生を、私の後悔のために使わない。彼らの苦しみを、お前の支配を正当化する材料にさせない」

 

 拳を握る。

 

「そして、私ができることを、これからも選び続ける!」

 

 オール・フォー・ワンが、吠えた。

 

「ならば、すべてを奪ってやる!」

 

 彼の身体から、無数の腕が一斉に伸びた。

 

 黒い金属片が、激しく輝いた。

 

 安寧システムの残骸が、記録を呼び起こす。

 

 人々の願い。

 

 恐怖。

 

 後悔。

 

 そして、彼らが自分自身で選んだ人生。

 

 それらが、光の奔流となって施設全体を包み込んだ。

 

 オールマイトは、拳を構えた。

 

 歴代継承者たちも、同時に構える。

 

 グラントリノが、地面を蹴る。

 

 そして、全員が、同時に前へ出た。

 

 彼らの力が、一つの攻撃へ集まっていく。

 

 加速。

 

 運動エネルギーの蓄積。

 

 黒鞭による拘束。

 

 煙幕による視界の制限。

 

 危機感知による攻撃の予測。

 

 浮遊による空中からの援護。

 

 グラントリノの高速移動。

 

 そして、オールマイトの拳。

 

 ひとつひとつが、互いを支える。

 

 互いの弱点を補い、次の動きを作り、最後の一撃へつながっていく。

 

 オール・フォー・ワンは、その攻撃を真正面から受け止めようとした。

 

 だが。

 

 彼の多重個性が、わずかに乱れた。

 

 安寧システムの残骸が、彼の要求した命令に応答しなかったのだ。

 

 その一瞬。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 オール・フォー・ワンの注意が、戦闘から逸れた。

 

 オールマイトは、その瞬間を見逃さなかった。

 

「これで――!」

 

 全身の力を、拳へ集中させる。

 

 そして。

 

「SMASH!」

 

 拳が、オール・フォー・ワンの胸部へ叩き込まれた。

 

 轟音。

 

 施設の壁面が、激しく揺れた。

 

 オール・フォー・ワンの身体が、後方へ吹き飛ばされた。

 

 床に転がる。

 

 腕が、ひとつずつ動かなくなる。

 

 装甲が、砕ける。

 

 背中から伸びていた無数の腕が、力を失って床へ落ちた。

 

 そして。

 

 彼は、膝をついた。

 

 オールマイトは、拳を構えたまま、ゆっくりと息を吐いた。

 

 歴代継承者たちが、彼の背後へ並ぶ。

 

 グラントリノが、少し離れた場所で着地した。

 

 オール・フォー・ワンは、しばらく何も言わなかった。

 

 やがて、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……なるほど」

 

 その声には、まだ余裕が残っていた。

 

「君たちは、私を倒したつもりなのだね」

 

 オールマイトは、目を細めた。

 

 オール・フォー・ワンの手は、まだ安寧システムの残骸へ伸びていた。

 

 彼は、完全には手放していなかった。

 

 その瞬間。

 

 黒い金属片が、再び光った。

 

 オール・フォー・ワンの指先が、残骸へ触れる。

 

 そして、画面に新しい文字が浮かび上がった。

 

 ――未完了。

 

 オール・フォー・ワンは、笑った。

 

「この仕組みは、まだ完成していない」

 

 彼は、ゆっくりと立ち上がった。

 

「だが、私には時間がある」

 

 オールマイトが、前へ出ようとする。

 

 しかし、グラントリノが腕を伸ばして制した。

 

「待て」

 

「しかし……!」

 

「様子を見ろ」

 

 安寧システムの残骸が、強く光っていた。

 

 それは、オール・フォー・ワンの命令に従う光ではなかった。

 

 記録が、自ら反応していた。

 

 人々の願いが、互いに絡み合い、ひとつの光の網を作っている。

 

 その中で、歴代継承者たちの姿が、かすかに揺れ始めていた。

 

 与一が、自分の手を見た。

 

「……この身体も、いつまでも続くわけではないのかもしれない」

 

 菜奈が、静かにうなずいた。

 

「そうね」

 

 工藤は、オール・フォー・ワンを見据えた。

 

「だが、今は、まだ戦える」

 

 ブルースが拳を握る。

 

 万縄が黒鞭を構え直す。

 

 煙が、周囲へ目を向ける。

 

 四ノ森は、危機感知で次の変化を探っていた。

 

 彼らの身体は、確かに現世へ戻ってきていた。

 

 だが、その現象が何によって引き起こされたのか。

 

 なぜ彼らは、記録の中から戻れたのか。

 

 なぜ安寧システムは、一部の意思を拒否したのか。

 

 その理由は、まだ誰にも分からなかった。

 

 それでも。

 

 歴代継承者たちは、自分の意思でここに立っていた。

 

 彼らは、オール・フォー・ワンを見据えた。

 

 オールマイトも、拳を構えた。

 

 そして、グラントリノが、静かに言った。

 

「……まだ終わっとらんぞ、オール・フォー・ワン」

 

 オール・フォー・ワンは、ゆっくりと笑った。

 

「もちろんだとも」

 

 その声は、どこまでも穏やかだった。

 

「君たちが何を信じ、何を守り、何を失ったのか。私は、すべてを理解するつもりだ」

 

 彼は、安寧システムの残骸を見た。

 

「そのうえで、君たちがどんな選択をするのか、確かめさせてもらおう」

 

 残骸が、再び光った。

 

 そして、その奥から、かすかな声が聞こえた。

 

 人間の声ではない。

 

 記録の中に保存された、誰かの願いが、ひとつずつ応答している。

 

 それは、誰かを救いたいという願い。

 

 誰かに会いたいという願い。

 

 失ったものを、取り戻したいという願い。

 

 そして。

 

 二度と、同じ悲しみを繰り返したくないという願いだった。

 

 オールマイトは、その光を見つめた。

 

 自分が救えなかった人々。

 

 彼らの人生は、彼の失敗の証拠だけではない。

 

 彼らは、それぞれの場所で、何かを願い、誰かを愛し、何かを選びながら生きていた。

 

 そのすべてを理解することは、できないかもしれない。

 

 それでも、彼らの人生を、誰かの都合でひとつの物語に閉じ込めることはできない。

 

 オールマイトは、ゆっくりと拳を下ろした。

 

 そして、もう一度、顔を上げた。

 

 戦いは、まだ続く。

 

 だが、彼はもう、自分の後悔だけを見てはいなかった。

 

 自分が救えなかった人々の人生を、これからも考え続けるために。

 

 彼らの苦しみを、誰かの支配を正当化する材料にさせないために。

 

 そして、次に助けを求める声が聞こえたとき、自分にできることを選ぶために。

 

 オールマイトは、再び戦う意思を固めた。

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