僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第四十話「力を渡す者、未来を奪う者」

一 継承者たちを、もう一度奪う

空気が震えた。

 

衝撃波が地面を削り、崩れた建造物の残骸を吹き飛ばす。

 

オール・フォー・ワンの腕に、幾重もの個性が集まっていた。

 

筋肉を強化する個性。空気を圧縮する個性。衝撃を増幅する個性。触れたものの動きを鈍らせる個性。視覚と聴覚の両方を混乱させる個性。

 

それらが一つの身体に集まり、互いの欠点を埋め合わせながら、ひとつの破壊装置を形成する。

 

対するオールマイトは、残された力を全身へ巡らせた。

 

もう、かつてのような長時間の戦闘はできない。

 

胸の奥に残った火種は、何度も大きく燃え上がるほどの余裕を持っていない。

 

それでも。

 

彼の前には、かつての時代を生きた七人の継承者がいる。

 

そして、その背後には、誰かが誰かに託したものを、勝手に奪わせてはならないという意志がある。

 

「さあ、来い。オール・フォー・ワン!」

 

オールマイトが踏み込んだ。

 

「今度こそ、お前の都合だけで物語を終わらせることはさせない!」

 

「物語?」

 

オール・フォー・ワンは、愉快そうに首を傾けた。

 

「相変わらず好きだね、オールマイト。物語、希望、継承。君たちは何でも美しい言葉に置き換えたがる」

 

彼の背後で、無数の腕が開いた。

 

「だが、君たちの言う継承とは何だ? 力を渡す? 意志を託す? 未来を守る? どれも同じことだろう。強者が持つものを、弱者へ分け与えているだけだ」

 

「同じではない!」

 

即座に声を返したのは、二代目継承者――工藤だった。

 

「受け取るかどうかを決めるのは、渡された側だ!」

 

「決定権を与えること自体が、誘導ではないのか?」

 

オール・フォー・ワンが指を鳴らした。

 

地面から、細い金属片が無数に飛び出す。

 

それぞれの金属片には、振動を伝えて軌道を変える個性が与えられていた。針のような破片が不規則に跳ね返り、継承者たちの足元から一斉に迫る。

 

「選択肢を見せる者が、選択肢そのものを設計する。自由を与える者が、その自由の範囲を決める。ならば、私が彼らの未来を導いて何が悪い?」

 

「理屈を並べる前に――」

 

グラントリノが地面を蹴った。

 

「まずは人の話を聞け!」

 

ジェット噴射のような加速で、金属片の群れを横切る。

 

彼の背後から、黒い帯が伸びた。

 

「万縄!」

 

「任せろ!」

 

万縄の《黒鞭》がグラントリノの腰を捉え、空中で方向を変える。

 

グラントリノは鋭角に旋回し、地面すれすれからオール・フォー・ワンの懐へ滑り込んだ。

 

「ぬっ!」

 

オール・フォー・ワンの膝へ蹴りを叩き込む。

 

しかし、敵の足は動かなかった。

 

脚部に発動した硬化系の個性が衝撃を殺したのだ。

 

「その速度で、私を止めるつもりか?」

 

「止めるだけなら、お前が思っているより大勢で来ているんだよ!」

 

グラントリノが笑った瞬間、空中に薄い煙が広がった。

 

六代目継承者、煙の《煙幕》である。

 

視界を白く塗り潰す煙の中を、オール・フォー・ワンは迷わず腕を振った。

 

目が見えなくても、音と気配を拾う個性がある。

 

煙の濃淡から空気の動きを読む個性がある。

 

熱源を捉える個性もある。

 

一つの感覚を奪ったところで、他の感覚が働く。

 

「煙幕は目を塞ぐだけではない!」

 

煙が叫んだ。

 

「お前が頼りにしている感覚の数を、こちらは把握している!」

 

「なるほど」

 

オール・フォー・ワンが、指先を僅かに動かした。

 

空気が弾けた。

 

不可視の衝撃が煙を切り裂く。

 

しかし、その直後に黒鞭が敵の腕を絡め取った。

 

「捕まえた!」

 

万縄が腕を引く。

 

同時に、三代目継承者ブルースが加速した。

 

「工藤!」

 

「ああ!」

 

工藤の《変速》がブルースの動きを変える。

 

一度目の加速。

 

ブルースが地面を蹴った。

 

二度目の加速。

 

筋肉に蓄えられた運動エネルギーが《発勁》によって解き放たれる。

 

三度目の加速。

 

速度が重なり、ブルースの拳が弾丸のように飛んだ。

 

「食らえッ!」

 

拳が、オール・フォー・ワンの胸部を直撃した。

 

鈍い轟音。

 

敵の身体が後方へ跳ねる。

 

だが、吹き飛ばされながらもオール・フォー・ワンは笑っていた。

 

「いい連携だ。実にいい。君たちは互いの個性を理解し、欠点を補い、力を最大限に引き出している」

 

彼の背中から、複数の腕が伸びる。

 

「だが、だからこそ――まとめて奪いがいがある!」

 

二 力を重ねる者、力を積み上げる者

オール・フォー・ワンが地面へ片手をついた。

 

直後、周囲の床が盛り上がる。

 

土と瓦礫を押し上げながら、巨大な柱が次々に形成された。

 

単なる土の操作ではない。

 

物質を変形させる個性に、密度を高める個性、さらに振動を加えて内部から破壊しにくくする個性が重ねられている。

 

柱は障害物であると同時に、敵の移動経路を制限する檻だった。

 

「散開しろ!」

 

四ノ森が叫んだ。

 

《危機感知》が、頭の奥に鋭い警告を鳴らしている。

 

その警告に従ってオールマイトが跳躍した瞬間、彼がいた場所を巨大な拳が薙ぎ払った。

 

「くっ!」

 

間一髪で避けたものの、空中では動きが限られる。

 

そこへ別方向から、針のような空気弾が迫った。

 

「右だ!」

 

四ノ森の声に従い、オールマイトが身体をひねる。

 

一発目は肩をかすめた。

 

二発目は避けた。

 

三発目は――。

 

「オールマイト!」

 

菜奈の《浮遊》が働いた。

 

オールマイトの身体が不自然な角度で上昇し、地面と水平に移動する。

 

三発目は足元を通り過ぎ、背後の柱を粉砕した。

 

「助かった、志村さん!」

 

「礼はあと!」

 

菜奈は空中で身体を回転させ、迫ってきた腕を蹴りつける。

 

「今は自分の足元を見て!」

 

その指摘に、オールマイトは一瞬だけ目を見開いた。

 

あの人はいつだってそうだった。

 

誰かを救うことに全力を注ぎながら、救う側もまた、自分自身の危険を見なければならないと教えてくれる。

 

守る者が無敵でなければならない、などという決まりはない。

 

助ける者だって、助けられていい。

 

その考えは、彼女が生きていた時代から、今も変わっていない。

 

しかし、感傷に浸る時間はなかった。

 

オール・フォー・ワンの背中から伸びた腕が、菜奈の身体へ迫る。

 

一本ではない。

 

三本。

 

さらに死角から、地面を這うように二本。

 

「志村さん!」

 

オールマイトが叫ぶ。

 

菜奈は避けた。

 

一つ目をかわし、二つ目を踏みつけ、三つ目を蹴り飛ばす。

 

だが、四本目が彼女の足首を掴んだ。

 

オール・フォー・ワンが指を握る。

 

「捕まえた」

 

腕を引けば、菜奈の身体が敵へ引き寄せられる。

 

「お前の《浮遊》は、便利な個性だ。空中戦、移動、救助。組み合わせ次第で戦術の幅が大きく広がる」

 

「……相変わらず、人の個性を品定めするのが好きね」

 

菜奈は眉をひそめる。

 

「人をカタログみたいに眺めるの、やめたら?」

 

「それは無理な相談だ。価値のあるものを見極めるのは、所有者として当然の責務だろう?」

 

「所有者?」

 

菜奈が笑った。

 

「誰があなたのものになったの?」

 

その瞬間、黒鞭が敵の腕を絡め取る。

 

万縄が渾身の力で引き、菜奈の身体が敵の拘束から逃れた。

 

「よく言った!」

 

万縄が叫んだ。

 

菜奈は空中で一回転し、体勢を立て直す。

 

「ありがとう、万縄!」

 

「礼はあとだ! 次が来るぞ!」

 

オール・フォー・ワンの身体が膨張した。

 

筋肉強化の個性が複数重なり、肩から腕にかけて異様な厚みを増していく。

 

その腕が、地面を叩いた。

 

轟音。

 

衝撃波が円状に広がった。

 

柱が砕け、瓦礫が舞い上がる。

 

「この数で押し切る気か!」

 

工藤が歯を食いしばる。

 

「違う!」

 

与一が戦場を見据えた。

 

「兄さんは、私たちの個性を一つずつ見ているんじゃない!」

 

「何?」

 

「私たちが、どうやって力を使うのかを見ている!」

 

オール・フォー・ワンは継承者たちの連携を観察していた。

 

誰が誰を助けるのか。

 

どの個性を起点に、誰が動くのか。

 

どの瞬間に防御が薄くなるのか。

 

そして、誰を危険にさらせば、他の誰が助けに動くのか。

 

彼は個性だけでなく、彼らの関係性をも戦術の材料として利用しようとしていた。

 

「助け合うことは美しい。だが、動きが予測できることでもある」

 

オール・フォー・ワンが手を広げた。

 

「仲間を守るために動く者は、仲間を人質に取られれば選択を迫られる。救助を優先すれば攻撃を受け、攻撃を優先すれば仲間が傷つく」

 

口元が歪む。

 

「それを自由と呼ぶのかね?」

 

工藤が一歩前へ出た。

 

「そうだ」

 

短い返答だった。

 

「誰を助けるか。どう助けるか。何を背負い、何を諦めないか。選ぶことは簡単じゃない。だからこそ、それを他人に決めさせるわけにはいかない」

 

「選んだ結果、失敗したとしても?」

 

「そうだ」

 

「選んだ結果、守れなかったとしても?」

 

工藤の目が揺れた。

 

ほんの一瞬。

 

戦場の誰もが、その揺らぎを見た。

 

彼の中に、過去の記憶があった。

 

憎しみを抱き、戦い、失った者たち。

 

選択が正しかったのか、もっと違う方法があったのではないかと、何度も考えた日々。

 

それでも。

 

工藤は顔を上げた。

 

「その結果を引き受けるのも、自分で選ぶということだ」

 

彼は拳を握る。

 

「だから、やり直せる機会があるなら考える。失敗したなら学ぶ。誰かを傷つけたなら、その事実から逃げない。だが、お前が代わりに答えを決めていい理由にはならない!」

 

オール・フォー・ワンの表情から笑みが消えた。

 

「……そうか」

 

彼の声が、低くなる。

 

「ならば、君たちが自ら選ぶという行為そのものを、奪ってやろう」

 

その瞬間。

 

全ての腕が、オールマイトへ向いた。

 

三 オールマイトが守ろうとしたもの

「オールマイト!」

 

グラントリノが叫んだ。

 

オール・フォー・ワンの攻撃は、明らかにオールマイト一人へ集中していた。

 

身体を拘束する腕。

 

動きを鈍らせる空気。

 

周囲から迫る衝撃波。

 

足元を崩す振動。

 

それぞれ単体なら、オールマイトにも対応できる。

 

だが、同時に襲いかかる攻撃の数は、彼の身体が残している余裕を超えていた。

 

「お前が倒れれば、残りの者たちは迷う!」

 

オール・フォー・ワンが宣告する。

 

「君は象徴だった。君が立っているから、他の者たちは立ち上がれた。君が笑うから、彼らは未来を信じた。ならば君が倒れれば、彼らの希望もまた揺らぐ!」

 

オールマイトは両腕を交差させた。

 

衝撃が叩きつけられる。

 

地面が割れる。

 

足が滑る。

 

それでも彼は倒れなかった。

 

「……お前は」

 

押し寄せる圧力の中で、オールマイトが声を絞り出した。

 

「私が、何を守ろうとしてきたのかを知らない」

 

「何を言う。君の人生など、嫌というほど記録されている」

 

オール・フォー・ワンの背後に、光が浮かび上がる。

 

映像だった。

 

過去の救助活動。

 

救えた人々。

 

間に合わなかった現場。

 

負傷者の数。

 

被害の記録。

 

そして、オールマイトが救助に向かったものの、救えなかった人々の記録。

 

映像は、戦場を包み込むように広がっていく。

 

過去の出来事が、まるで今そこで繰り返されているかのように再生される。

 

崩れた建物。

 

届かなかった手。

 

自分の到着を待っていた人々。

 

間に合わなかった瞬間。

 

それらは、オールマイトが忘れようとしていた記憶ではなかった。

 

忘れたことなど、一度もない。

 

何度も振り返った。

 

どうすればよかったのかを考えた。

 

もっと早ければ。

 

もっと力があれば。

 

違う選択をしていたら。

 

あの人を、あの子を、あの家族を、救えたのではないか。

 

その問いを、彼は何度も自分に投げかけてきた。

 

オール・フォー・ワンは、その傷を利用する。

 

「君は何人救えた?」

 

映像の中に、顔が浮かぶ。

 

「そして、何人を救えなかった?」

 

さらに映像が増える。

 

「君が象徴であることに意味があったのなら、救えなかった者たちにもまた意味があったのかね?」

 

オールマイトの呼吸が止まりかけた。

 

「君が希望を与えたことで、その希望に縋った者たちは、君が来ると信じて待った。だが、君は全員のもとへ行くことなどできなかった」

 

オール・フォー・ワンが一歩進む。

 

「それでも君は笑った。次も救うと言った。希望を与えた。ならば、君の笑顔は彼らを救ったのか? それとも、最後まで待つことを選ばせただけなのか?」

 

「……やめろ」

 

グラントリノが低く唸る。

 

だが、オール・フォー・ワンは止まらない。

 

「君が救えなかった者たちの人生は、何だった?」

 

その問いが、オールマイトの胸に突き刺さった。

 

「君が間に合わなかったことは、彼らの人生を無意味なものにしたのか?」

 

オールマイトの拳が震えた。

 

違う。

 

そう言い切ることはできる。

 

彼らの人生には意味があった。

 

家族がいた。

 

友人がいた。

 

夢があった。

 

笑った日があった。

 

明日を楽しみにしていた時間があった。

 

だが、それを言い切ることと、救えなかった事実を受け入れることは、同じではない。

 

彼らが生きた時間を大切に思うほど、救えなかったという事実は重かった。

 

それでも。

 

オールマイトは、拳を下ろさなかった。

 

「……確かに」

 

彼は顔を上げた。

 

「私は、救えなかった」

 

戦場の空気が変わった。

 

「間に合わなかったことがある。力が足りなかったことがある。選択を誤ったかもしれないと、今でも考えることがある」

 

オール・フォー・ワンの笑みが深まる。

 

「ようやく認めたか」

 

「だが!」

 

オールマイトの声が、戦場を貫いた。

 

「私が救えなかったからといって、彼らの人生が、お前の勝利の証拠になるわけではない!」

 

オール・フォー・ワンの表情が止まる。

 

オールマイトは一歩前へ出た。

 

圧力で膝が沈みそうになる。

 

それでも、立った。

 

「彼らが何を望み、誰を愛し、どんな明日を夢見ていたのか。私は、その全てを知っているわけではない。彼らの人生を、私一人が語り尽くせるわけでもない」

 

拳を握る。

 

「それでも、彼らは私の失敗を証明するためだけに生きていたのではない!」

 

オールマイトの身体に、残された力が燃え上がった。

 

「私が間に合わなかったとしても、彼らが過ごした時間まで消えるわけではない! 私が救えなかったとしても、彼らが誰かを愛した事実まで、お前が奪えるわけではない!」

 

彼の拳が、映像を指し示す。

 

「だから私は忘れない。忘れずに、考え続ける。次にどうすればいいかを考える。そして、また誰かを救うために動く!」

 

オールマイトの拳が、地面を叩いた。

 

「それが、私の選択だ!」

 

彼の足元から衝撃が広がった。

 

映像が揺らぎ、記録の光が散っていく。

 

オール・フォー・ワンの腕が、初めて押し戻された。

 

「……愚かな」

 

彼は低く言った。

 

「その答えでは、君は何も取り戻せない」

 

「分かっている!」

 

オールマイトは、即座に返した。

 

「だからこそ、取り戻せないものを、勝手にお前のものにさせるわけにはいかない!」

 

その瞬間。

 

工藤の《変速》が発動した。

 

オールマイトの身体が、一気に前へ飛ぶ。

 

ブルースの《発勁》が、その加速へ運動エネルギーを重ねた。

 

菜奈が《浮遊》を使い、オールマイトの軌道を空中で補正する。

 

万縄の《黒鞭》が敵の腕を引きつけ、グラントリノが地面すれすれから接近する。

 

煙が視界を遮る。

 

四ノ森の《危機感知》が、反撃の兆候を伝える。

 

一つひとつの力は、敵を圧倒するためだけに使われていたわけではない。

 

誰かが動きやすいように。

 

誰かが危険を避けられるように。

 

誰かが、自分の意思で一歩を踏み出せるように。

 

彼らの個性が重なる。

 

「行け、オールマイト!」

 

グラントリノが叫んだ。

 

「今だ!」

 

「うおおおおおおおおおっ!」

 

オールマイトの拳が、オール・フォー・ワンを真正面から打ち据えた。

 

轟音。

 

衝撃。

 

敵の身体が地面を削りながら後退する。

 

しかし、オール・フォー・ワンは倒れなかった。

 

血のにじんだ口元を歪め、彼はゆっくりと顔を上げた。

 

「……やはり君は、手間がかかる」

 

四 奪うための手

オール・フォー・ワンの腕が、異様な角度へ折れ曲がった。

 

次の瞬間、その腕から複数の黒い突起が伸びる。

 

それらは、単なる攻撃器官ではなかった。

 

触れた個性の発動を妨げる性質を持つもの。

 

個性の使い手の動きを遅らせるもの。

 

周囲のエネルギーを奪い、発動のタイミングを狂わせるもの。

 

複数の効果が組み合わさった、新しい拘束手段だった。

 

「お前たちが自分の意志で動くと言うのなら、その意志を実現するための力を奪えばいい!」

 

黒い突起が一斉に伸びた。

 

「全員、下がれ!」

 

工藤が叫ぶ。

 

しかし、攻撃の軌道は予想以上に広い。

 

煙が煙幕を展開する。

 

万縄が黒鞭で味方を引き寄せる。

 

菜奈が浮遊し、四ノ森が危険を知らせる。

 

それでも、すべてを避けることはできなかった。

 

一本の突起が、ブルースの腕をかすめる。

 

彼の《発勁》が、一瞬だけ不規則に乱れた。

 

「くっ……!」

 

その隙を逃さず、オール・フォー・ワンが距離を詰める。

 

「君の《発勁》は、蓄積と解放の組み合わせ。攻撃の威力を調整できるが、蓄積には時間が必要だ。動きを乱せば、本来の威力を発揮する前に仕留められる」

 

「御託を並べるな!」

 

ブルースが拳を振るう。

 

だが、オール・フォー・ワンは腕を交差させて受け止めた。

 

「君たちは、個性の使い方を工夫する。その努力は認めよう。だが、個性があるからこそ君たちは工夫できる。ならば、個性を奪われたとき、君たちは何を残せる?」

 

彼はブルースの腕を掴み、その身体を投げ飛ばそうとした。

 

そこへグラントリノが突っ込んだ。

 

「人の力を奪う話ばかりしているが――」

 

加速。

 

急停止。

 

踵を返し、敵の側頭部へ蹴りを放つ。

 

「お前は、その力を使って何を生み出した?」

 

蹴りが命中する。

 

オール・フォー・ワンの頭が傾く。

 

「お前が奪った個性で、誰かを笑わせたことがあるのか!」

 

もう一発。

 

「誰かが安心して眠れる夜を作ったことがあるのか!」

 

三発目。

 

「お前の力があったから、誰かが自分の人生を選べたことがあるのか!」

 

オール・フォー・ワンがグラントリノの脚を掴んだ。

 

「質問が多いな、グラントリノ」

 

「答えられないなら黙ってろ!」

 

グラントリノは脚を引き抜き、敵の肩を踏み台にして跳躍した。

 

だが、着地地点へ、空気の刃が迫る。

 

「危ない!」

 

四ノ森の警告。

 

グラントリノは身体を捻ってかわした。

 

その刃が、地面を深く削る。

 

彼は空中で体勢を整え、着地する。

 

呼吸は荒い。

 

身体の限界は、誰にとっても等しく迫っていた。

 

オール・フォー・ワンが、そんな彼を見下ろす。

 

「君は、オールマイトの師ではない。彼を導いた人間でもない。君もまた、彼を救えなかった場面を持っている」

 

グラントリノの表情が硬くなった。

 

「それでも彼を信じるのか?」

 

「……ああ」

 

グラントリノは即答しなかった。

 

一度、息を吐いた。

 

「俺は、あいつに正しい道を全部教えられたわけじゃない。教えられなかったこともある。止められなかったこともある。あいつに背負わせすぎたことも、あったのかもしれん」

 

オールマイトが振り返る。

 

「グラントリノ……」

 

「だがな」

 

グラントリノは、敵へ視線を戻した。

 

「だからといって、あいつの人生をお前に渡す理由にはならん!」

 

地面を蹴る。

 

「間違えるなよ、オール・フォー・ワン! 誰かを導くことと、そいつの人生を代わりに生きることは違う!」

 

その言葉と同時に、グラントリノはオール・フォー・ワンの死角へ滑り込んだ。

 

敵の腕が追いつくより早く、膝の裏へ蹴りを叩き込む。

 

身体が僅かに沈む。

 

その瞬間、黒鞭が絡みついた。

 

「よし!」

 

万縄が引き倒そうとする。

 

「させるか!」

 

オール・フォー・ワンの身体が膨張する。

 

筋力強化。

 

体重の増加。

 

接地面の変形。

 

敵は自分の身体を重くし、地面へ固定した。

 

黒鞭が引き絞られる。

 

万縄の腕が震えた。

 

「ぐっ……!」

 

「万縄!」

 

菜奈が浮遊し、横から援護に入ろうとする。

 

その動きを、オール・フォー・ワンは見逃さなかった。

 

「仲間を助けるために、君は動く」

 

彼の指先が菜奈へ向く。

 

「だから、その動きは読める」

 

空気が爆ぜた。

 

菜奈の身体が弾き飛ばされる。

 

「志村さん!」

 

オールマイトが駆け出した。

 

だが、それは敵の狙いだった。

 

オール・フォー・ワンの腕が、オールマイトの背後へ伸びる。

 

「君はいつもそうだ、オールマイト!」

 

複数の腕が、オールマイトの進路を塞いだ。

 

「誰かが危険に陥れば、何よりも先に救おうとする! ならば、その性質こそ君を縛る鎖だ!」

 

オールマイトの身体が、拘束に捕らえられる。

 

「助ける対象を増やせば増やすほど、君の選択肢は減っていく! 君が誰かを救うたび、君は私の手の届く場所へ戻ってくる!」

 

オール・フォー・ワンは、オールマイトの胸元を掴んだ。

 

「私は君を理解している。君が何を選ぶか、どの瞬間に自分を犠牲にするか、どの言葉に足を止めるか。君はいつだって、他人を優先する!」

 

オールマイトの足が地面から浮く。

 

「だから、君は私に勝てない!」

 

彼はオールマイトを叩きつけようとした。

 

その瞬間。

 

「それは違う!」

 

声が響いた。

 

与一だった。

 

「兄さんは、彼の優しさを理解しているんじゃない!」

 

彼は戦場を駆けた。

 

「その優しさを、利用できると考えているだけだ!」

 

オール・フォー・ワンの視線が向く。

 

「与一……!」

 

「人を助けようとする気持ちは、弱点ではない!」

 

与一は兄へ手を伸ばす。

 

「誰かのために動くことが、いつでも正しいとは限らない。助ける側が間違うこともある。助けられる側が望んでいないこともある。だから、聞かなければならないんだ!」

 

与一の声が、戦場に響いた。

 

「その人が何を望んでいるのかを!」

 

オール・フォー・ワンの手が、僅かに緩んだ。

 

ほんの一瞬。

 

それで十分だった。

 

五 兄弟の間にあるもの

「今だ!」

 

工藤が叫ぶ。

 

四ノ森の《危機感知》が反撃の兆候を伝える。

 

工藤は《変速》をブルースの動きへ重ねた。

 

ブルースは《発勁》で蓄積した運動エネルギーを一気に解放し、地面を蹴る。

 

万縄の《黒鞭》が敵の足を引っかけ、煙の《煙幕》が反撃の照準を狂わせた。

 

菜奈は空中から体勢を立て直し、《浮遊》を使ってオールマイトの拘束を外すための角度を作る。

 

グラントリノが最後の一押しとして敵の肩を蹴った。

 

「オールマイト!」

 

「任せてくれ!」

 

オールマイトは拘束から抜け出し、空中で身体を捻った。

 

拳を振り抜く。

 

「DETROIT――」

 

オール・フォー・ワンの防御が集まる。

 

「SMASH!」

 

衝撃が爆ぜた。

 

敵の防御が砕け、身体が後方へ吹き飛ぶ。

 

瓦礫の向こうへ叩きつけられたオール・フォー・ワンは、すぐには起き上がらなかった。

 

誰もが息を呑む。

 

オールマイトの拳が、ゆっくりと下がる。

 

「……倒した、のか?」

 

ブルースが呟く。

 

「いや」

 

工藤は敵を見据えたまま答えた。

 

「まだ終わっていない」

 

その言葉を肯定するように、瓦礫の奥から音がした。

 

コツ。

 

コツ。

 

靴音だった。

 

オール・フォー・ワンが、ゆっくりと立ち上がる。

 

衣服は傷み、身体にもダメージが残っている。

 

それでも、彼の顔には笑みがあった。

 

「素晴らしい」

 

彼は手を叩いた。

 

「実に素晴らしい連携だ。個性の相性、経験、判断、意志。どれも効果的に作用している」

 

彼の視線が、与一へ向いた。

 

「君は、あの頃から変わらない。弱い者に手を差し伸べ、相手の意思を尊重する。それがどれほど危険なことか、まだ分かっていない」

 

与一は首を横に振った。

 

「分かっているよ」

 

「何?」

 

「誰かの意思を尊重すれば、間違いが起きることもある。誰かに選ばせれば、取り返しのつかない結果になることだってある」

 

与一の声は、震えていた。

 

「それでも、選ぶことまで奪ってしまったら……その人は、いつ自分の人生を生きるんだ?」

 

オール・フォー・ワンは黙った。

 

与一が続ける。

 

「兄さんは、僕が弱かったから守ってくれたんだと思っているのかもしれない。僕が自分で何もできなかったから、代わりに決めてくれたんだと思っているのかもしれない」

 

「私は事実を言っているだけだ」

 

「本当に?」

 

与一が問い返す。

 

「僕が何を望んでいたか、聞いたことはあった?」

 

オール・フォー・ワンの顔から笑みが消えた。

 

「……与一」

 

「兄さんは僕を守った。僕に食べ物を与えた。怖いものから遠ざけようとした。それは、嘘じゃないと思う」

 

与一の瞳に、哀しみが浮かぶ。

 

「でも、僕が何をしたいのか。誰と会いたいのか。どんな世界で生きたいのか。僕が何を選ぶのか。兄さんは、聞こうとしなかった」

 

「お前に何ができた!」

 

オール・フォー・ワンの声が、鋭くなった。

 

「お前は弱かった! 自分一人では生きられなかった! 私が守らなければ、お前は生き延びられなかった!」

 

「それでも、僕の人生だよ」

 

与一は目を逸らさなかった。

 

「僕が弱かったことと、僕の未来を兄さんが決めていいことは、同じじゃない」

 

オール・フォー・ワンの指が震えた。

 

「私は……お前を守ろうとした!」

 

「うん」

 

与一は頷いた。

 

「そのことまで、否定しない」

 

兄の目が、わずかに見開かれた。

 

「兄さんが僕を大切に思った瞬間があったことを、僕は全部嘘だったとは言わない。僕に優しくしてくれたことも、覚えている」

 

与一は、一歩だけ近づいた。

 

「でも、優しかったことが、僕の人生を決めていい理由にはならない」

 

静寂が落ちた。

 

その言葉は、勝利宣言ではなかった。

 

兄を許す言葉でもなかった。

 

まして、長い年月の傷を一度に癒やす魔法でもない。

 

ただ、与一が、自分の人生について自分の言葉で語ったという事実だった。

 

オール・フォー・ワンは、その事実を目の前にしながら、認めることができなかった。

 

「……お前は、私を否定するのか」

 

「否定しているんじゃない」

 

与一は言った。

 

「兄さんが僕をどう思っていたかを、兄さんだけの言葉で決めないでほしいんだ」

 

オール・フォー・ワンの身体から、再び力が溢れ出した。

 

「黙れ!」

 

地面が揺れる。

 

「私はお前を失いたくなかった! お前がいなくなれば、私に何が残る! お前を奪われた私は、誰を守ればいい!」

 

「兄さん……」

 

「だから力が必要だった! 誰にも奪われない力が! 誰にも邪魔されない力が! 誰も私の手から逃げられない力が!」

 

彼の背中から、無数の腕が伸びた。

 

「力さえあれば、何も失わずに済む! 私が全てを持っていれば、誰かに奪われることもない! 誰かに選ばれずとも、私がその未来を与えられる!」

 

「兄さん!」

 

与一の声が響く。

 

「それは、未来を守ることじゃない!」

 

オール・フォー・ワンが吼えた。

 

「ならば、何だと言う!」

 

与一は答えた。

 

「誰も、そこから出られなくすることだ!」

 

その瞬間、オール・フォー・ワンの攻撃が再び始まった。

 

六 七つの意志、一つの拳

「来るぞ!」

 

工藤の警告とともに、敵が動いた。

 

今度は、単なる力押しではなかった。

 

オール・フォー・ワンは継承者たちの連携を学習し、それを逆手に取った。

 

一人が動けば、別の一人が助けに入る。

 

一人が攻撃すれば、別の一人が隙を作る。

 

その関係を利用し、彼は攻撃の方向を細かく変えながら、継承者たちを分断しようとしていた。

 

最初の狙いは、煙だった。

 

煙幕の発生源を探り当て、空気を圧縮して吹き飛ばす。

 

白い煙が散る。

 

煙は即座に距離を取ったが、敵は彼の逃げ道へ複数の衝撃波を放った。

 

「煙!」

 

万縄の黒鞭が伸びる。

 

煙の身体が引き寄せられ、衝撃波を逃れる。

 

だが、その黒鞭を狙って、別の腕が万縄へ向かう。

 

「そう来るか!」

 

万縄は黒鞭を一度解き、腕を回収する。

 

回収する間に、菜奈が浮遊して接近した。

 

「万縄、下がって!」

 

菜奈が敵の視線を引きつける。

 

オール・フォー・ワンは、彼女へ腕を振るった。

 

菜奈は空中で身体をひねって避ける。

 

しかし、敵の腕は途中で軌道を変えた。

 

関節の方向を一時的に変える個性と、空気を押す個性が組み合わされ、攻撃が彼女を追いかける。

 

「しまっ……!」

 

四ノ森の《危機感知》が激しく反応した。

 

「左へ逃げろ!」

 

菜奈が左へ動く。

 

攻撃が右を通過した。

 

その瞬間、オールマイトが飛び込む。

 

「志村さんから離れろ!」

 

右拳。

 

敵は受け止める。

 

左拳。

 

敵は腕を追加して弾く。

 

膝蹴り。

 

敵は身体を硬化させて耐える。

 

オールマイトの連撃が、敵の防御を少しずつ削っていく。

 

しかし、オール・フォー・ワンも無傷では終わらない。

 

反撃の腕が、オールマイトの肩を打った。

 

「ぐっ!」

 

オールマイトの身体が傾く。

 

そこへ、四ノ森が駆け込んだ。

 

彼の《危機感知》は、敵が次にどこを狙うかを知らせている。

 

ただし、危険を完全になくす力ではない。

 

危険を知ったうえで、どう動くか。

 

その判断は彼自身のものだった。

 

四ノ森は、オールマイトの背後へ迫る腕へ体当たりを仕掛けた。

 

「今だ、オールマイト!」

 

オールマイトは即座に反応した。

 

身体を沈め、敵の腕の下をくぐる。

 

「ありがとう、四ノ森さん!」

 

「礼はいい!」

 

四ノ森は敵の攻撃を避けながら声を張った。

 

「危険が分かっても、どうすればいいか全部分かるわけじゃない! だから、互いに伝えるんだ!」

 

彼が敵の腕を誘導する。

 

その軌道が、工藤の読みと重なった。

 

「ブルース!」

 

「分かってる!」

 

ブルースが跳ぶ。

 

工藤の《変速》が、ブルースの身体へ加速を与えた。

 

《発勁》で蓄積していた力が解き放たれる。

 

一撃。

 

オール・フォー・ワンが腕で受ける。

 

二撃。

 

敵の身体が後退する。

 

三撃。

 

工藤が速度を変え、ブルースの軌道を不規則にした。

 

敵の対応が遅れる。

 

そこへ万縄の黒鞭が巻きつき、敵の腕を縛った。

 

「捕まえたぞ!」

 

「まだだ!」

 

オール・フォー・ワンは、身体から衝撃を放った。

 

黒鞭が弾かれる。

 

万縄が後退した。

 

その隙に、敵はブルースへ向き直る。

 

「同じ手は二度通用しない!」

 

オール・フォー・ワンが拳を振り下ろす。

 

ブルースは受け止めようとした。

 

しかし、その直前に煙幕が広がった。

 

「二度同じ手を使うとは言ってないぞ!」

 

煙の声。

 

オール・フォー・ワンの照準がずれた。

 

拳が地面へ叩き込まれる。

 

その隙にブルースが横へ抜け、菜奈が敵の視線を引きつける。

 

連携は続く。

 

しかし、彼らは同じ手順を繰り返しているのではなかった。

 

一人が失敗すれば、別の誰かが即座に判断する。

 

攻撃に失敗した者が、次の瞬間には仲間を支える。

 

守るために動いていた者が、攻撃の起点になる。

 

誰かが指示を出し、他の誰かがそれに従うだけではない。

 

それぞれが状況を見て、自ら考え、選ぶ。

 

オール・フォー・ワンが予測できるのは、彼らの個性の性質までだった。

 

彼らが次の瞬間に何を選ぶか。

 

その全てを、奪うことはできなかった。

 

「なぜだ……!」

 

オール・フォー・ワンの声に苛立ちが混じった。

 

「なぜ、お前たちは命令もなしに動ける! なぜ、互いの選択を完全に統一しない!」

 

工藤が笑った。

 

「全員が同じことを考える必要なんかないからだ!」

 

「統一されていない意志など、隙だらけだ!」

 

「そうかもしれないな!」

 

工藤は叫び返した。

 

「でも、意見が違うからこそ、誰か一人が間違えたときに、別の誰かが気づけるんだ!」

 

オールマイトが、その隙に踏み込んだ。

 

「お前は、皆が同じ方向を向かなければ不安なのか!」

 

拳が敵の防御へ叩き込まれる。

 

「皆が自分と違うことを考え、違う未来を望み、時には自分の望みを拒むことが――そんなに怖いのか!」

 

二発目。

 

敵の防御が崩れる。

 

三発目。

 

オール・フォー・ワンが後退する。

 

「黙れ!」

 

魔王が怒号を上げた。

 

「私は、ただ守ろうとしただけだ!」

 

「なら、守る相手の声を聞け!」

 

オールマイトの拳が走る。

 

オール・フォー・ワンは両腕で受け止めた。

 

「守るとは、相手を自分のものにすることではない!」

 

力がぶつかり合い、空気が裂けた。

 

「誰かが、自分の手から離れていくことも受け入れる! 自分とは違う答えを選ぶことも認める! そして、間違えたときには、相手が戻ってこられる場所を残すことだ!」

 

オールマイトの拳に、残された力が集まる。

 

「それができないなら、お前が欲しがっているものは守る力じゃない!」

 

彼は吼えた。

 

「支配する力だ!」

 

衝撃が、オール・フォー・ワンを吹き飛ばした。

 

七 力を渡す者

瓦礫の中で、オール・フォー・ワンが起き上がった。

 

呼吸は乱れていた。

 

これほどの攻撃を受ければ、どんな人間であっても無傷ではいられない。

 

それでも彼は退かない。

 

勝利への執着というより、退くという選択を受け入れられないかのようだった。

 

「支配……?」

 

彼は、オールマイトを見た。

 

「君は、私が支配したがっていると言うのか」

 

「違うとでも?」

 

「私は世界を守ろうとしている!」

 

声が響く。

 

「人間は間違える。弱い者は強い者に脅かされる。理想を掲げた者は、現実に押し潰される。力のない者は選択肢を与えられず、力のある者は選択を誤る!」

 

オール・フォー・ワンの拳が握られた。

 

「ならば、私が決めればいい! 全員に最善の道を与えればいい! 正しい答えを示し、そこから外れないようにすればいい!」

 

彼の声には、歪んだ確信があった。

 

「そうすれば、無意味な争いも、取り返しのつかない失敗も、減らせる!」

 

「その最善を、誰が決める?」

 

菜奈が問いかけた。

 

オール・フォー・ワンは彼女を睨む。

 

「私だ」

 

「あなたが間違っていたら?」

 

「私が間違えるはずがない」

 

「その考えそのものが、間違っているとしたら?」

 

オール・フォー・ワンは答えなかった。

 

菜奈は一歩前へ出た。

 

「誰だって、正しいと思うことを選ぶ。自分が大切にしているものを守ろうとする。でも、それだけで正しい人間になれるわけじゃない」

 

彼女の視線が、オールマイトへ向く。

 

「この人だって、正しいことばかりしてきたわけじゃない。救えなかった人もいる。間違えたこともある。悩んできたこともある」

 

オールマイトは、何も言わなかった。

 

「だけど、だからって彼の未来を誰かが奪っていいわけじゃない。間違えたら考えればいい。別の方法を探せばいい。責任を引き受ければいい」

 

菜奈はオール・フォー・ワンへ向き直った。

 

「あなたは、間違えることそのものを許せないのね」

 

「違う!」

 

即座に返答が飛んだ。

 

「私は、無意味な犠牲を許さないと言っている!」

 

「なら、なぜ人の声を聞かないの?」

 

その問いに、オール・フォー・ワンは言葉を詰まらせた。

 

菜奈は続ける。

 

「あなたは、誰かが苦しむ姿を見て、手を伸ばすことがあるのかもしれない。でも、手を伸ばしたあと、その人がどこへ行きたいのかを聞いている?」

 

「……」

 

「助けられた人が、あなたと違う道を選んだらどうするの?」

 

沈黙。

 

「あなたに感謝しなかったら? あなたの考えに賛成しなかったら? あなたの手を離れて、あなたが望まない未来へ向かったら?」

 

菜奈は、悲しげに目を細めた。

 

「それでも、その人を大切にできる?」

 

オール・フォー・ワンの指が、ぎりりと音を立てるほど強く握られた。

 

「……大切にするために、手放す必要などない」

 

彼は言った。

 

「大切なものを失わないために、力を得る。それが何故、悪い?」

 

「力を持つことが悪いんじゃない」

 

オールマイトが答えた。

 

「その力を、誰のために使うのか。それだけのことだ」

 

彼は、静かに拳を握った。

 

「私も、力を得た。ワン・フォー・オールを受け継いだ。私に力を託してくれた人たちの存在を知り、その思いを考えてきた」

 

オールマイトは歴代継承者たちを見た。

 

工藤。

 

ブルース。

 

四ノ森。

 

万縄。

 

煙。

 

菜奈。

 

そして、与一。

 

「だが、彼らが私に力を託してくれたからといって、私の未来が彼らの所有物になったわけではない」

 

彼は言った。

 

「彼らが私に何を望んでいたのか、私は考え続ける。時には、その期待に応えられなかったこともあった。彼らなら違う選択をしたのではないかと思うこともある」

 

一度、息を吐く。

 

「それでも、最後に何を選ぶかは私自身が考えなければならない。そうでなければ、託された力を使っているのではなく、ただ彼らの意思を再現しているだけになってしまう」

 

工藤が頷いた。

 

「そうだ」

 

彼はオール・フォー・ワンへ向かう。

 

「力を渡すことは、相手を自分の続きを演じる人形にすることじゃない」

 

ブルースが拳を握る。

 

「受け取った奴は、受け取った奴の人生を生きる!」

 

四ノ森が静かに続ける。

 

「危険を教えることと、その危険をどう乗り越えるかを全て決めることは違う」

 

万縄は、黒鞭を手の中で動かした。

 

「誰かを支えることと、そいつを縛りつけることも違う」

 

煙は煙幕を薄く広げ、視線を遮る。

 

「先の道が見えないときだって、本人が一歩を踏み出すための場所は残せる」

 

菜奈が、オールマイトを見つめる。

 

「私が託したものは、あなたの未来を縛る鎖じゃないわ」

 

その言葉を聞いて、オールマイトは一瞬だけ目を閉じた。

 

「……ありがとうございます」

 

彼はもう一度、敵を見据えた。

 

「お前が奪ってきたのは、個性だけではない」

 

オールマイトの声が、低くなる。

 

「人が失敗し、学び、選び直す可能性だ。人が自分とは違う答えを見つける可能性だ。お前は、誰かの未来が自分の知らない形へ進んでいくことに耐えられず、全てを自分の手の中へ閉じ込めようとした」

 

彼は拳を構えた。

 

「だが、未来は誰か一人の所有物ではない!」

 

オール・フォー・ワンは唇を噛んだ。

 

その表情に浮かんだのは、怒りだけではない。

 

理解できないものを前にした、焦燥だった。

 

「……そんなものは、理想論だ」

 

「そうかもしれない」

 

オールマイトは言った。

 

「それでも私は、誰かの未来を決めつけるより、そちらを信じたい」

 

八 魔王の反撃

次の瞬間、オール・フォー・ワンは、笑った。

 

先ほどまでの表情とは違う。

 

怒りを押し殺した、冷たい笑みだった。

 

「ならば、君たちの理想がどこまで耐えられるのか、試してみよう」

 

彼が両腕を広げた。

 

その身体を中心に、空気が歪む。

 

地面の瓦礫が浮かび上がり、周囲の光が薄く揺れる。

 

「これは、単なる個性の強化ではない」

 

オール・フォー・ワンの背後に、無数の細い光が浮かんだ。

 

安寧システムの残滓へ接触した際に集めた記録が、彼の周囲へ呼び寄せられている。

 

人々の願い。

 

恐怖。

 

後悔。

 

叶えられなかった夢。

 

選ばれなかった未来。

 

その一つひとつが、薄い光となって戦場へ現れていた。

 

「人間は、自分で選ぶことを望む。しかし、選んだ結果に苦しむと、誰かに正解を示してほしいと願う。自由を求めながら、失敗の責任から逃れたいと望む」

 

オール・フォー・ワンは手を閉じた。

 

無数の光が、彼の掌に集まる。

 

「その矛盾こそが、人間だ」

 

光が収束し、巨大な球状の構造を作り出す。

 

その表面には、無数の記録が走っていた。

 

文字ではない。

 

名前でもない。

 

人の意志が、何かの形に整理され、並べられているように見えた。

 

「そして、矛盾が存在するからこそ、私は人間を導ける」

 

彼が指先を動かした。

 

記録の中から、いくつもの光が飛び出す。

 

それらは戦場の周囲へ広がり、継承者たちの動きを追うように軌道を変えていく。

 

「やめろ!」

 

与一が声を上げた。

 

「それは、人々の願いだ!」

 

「そうだ。人々が私に与えた材料だ」

 

「違う!」

 

与一が一歩踏み出す。

 

「願ったことと、お前に使っていいと言ったことは違う!」

 

オール・フォー・ワンは、冷淡に答えた。

 

「願いを抱くことと、願いを実現することの違いを教えてやろう。願っただけでは、何も変わらない。力が必要だ。手段が必要だ。選択を実行する能力が必要だ」

 

「だからといって、お前が代わりに決める理由にはならない!」

 

「ならば、私を止めてみせろ!」

 

光が爆発した。

 

戦場の至るところで、衝撃が生まれる。

 

地面が盛り上がり、柱が立ち、空気が圧縮される。

 

オール・フォー・ワンは記録の流れを、個性の発動と連動させていた。

 

単に個性を増やすだけではない。

 

相手がどのような行動を選ぶかを読み、選択に応じて攻撃の種類を切り替える。

 

攻撃を受け止めれば、足元を崩す。

 

空中へ逃げれば、軌道を制限する。

 

仲間を助けようとすれば、その動きに合わせて別の攻撃を放つ。

 

相手が選ぶ行動そのものを、次の攻撃へ繋げている。

 

「お前たちが自分で選ぶというのなら、その選択を全て利用してやる!」

 

巨大な腕が地面を叩く。

 

「誰を助けるか!」

 

衝撃波が広がる。

 

「誰を守るか!」

 

空気が刃となる。

 

「誰を信じるか!」

 

黒い突起が無数に伸びる。

 

「何を捨て、何を残すか!」

 

オール・フォー・ワンが吼えた。

 

「その全てを、私が支配してやる!」

 

「させるか!」

 

オールマイトが突進する。

 

だが、彼の正面に、巨大な壁が立ち上がった。

 

硬化した物質。

 

圧縮された空気。

 

衝撃を逃がす構造。

 

三つの個性が重なった防御壁だった。

 

オールマイトの拳が叩き込まれる。

 

壁が大きく揺れる。

 

しかし、突破できない。

 

「まだだ!」

 

オールマイトは拳を引いた。

 

二撃目。

 

三撃目。

 

四撃目。

 

壁に亀裂が走る。

 

「オールマイト!」

 

工藤の《変速》が、彼の動きへ加速を与える。

 

ブルースの《発勁》が、さらに力を重ねる。

 

「押し切れ!」

 

グラントリノが地面を蹴る。

 

菜奈が空中へ浮かび、壁の上へ回り込もうとする。

 

万縄の黒鞭が、崩れかけた壁へ巻きつく。

 

煙が視界を遮り、敵の照準を乱す。

 

四ノ森の危機感知が、壁の向こうから迫る攻撃を知らせる。

 

それぞれの動きが重なった。

 

オールマイトの拳が、壁を砕く。

 

破片が飛び散る。

 

その先に、オール・フォー・ワンの姿があった。

 

「見事だ!」

 

敵が拳を振り抜く。

 

「だが、ここからだ!」

 

オールマイトも拳を返す。

 

両者の攻撃が衝突する。

 

爆発的な衝撃が、戦場を揺らした。

 

二人の足元が崩れ、瓦礫が舞い上がる。

 

オールマイトは歯を食いしばった。

 

身体が悲鳴を上げている。

 

力は残り少ない。

 

それでも、拳を下ろすわけにはいかなかった。

 

「……お前は、本当に変わらないな」

 

オールマイトは敵を見据えた。

 

「誰かを守りたいと言いながら、その人が何を望んでいるかを聞こうとしない」

 

「君は、私の何を知っている!」

 

オール・フォー・ワンの拳が重くなる。

 

「私が何を失ったのか、何を恐れているのか、何故ここまで力を求めたのか! 君に分かるものか!」

 

「全ては分からない!」

 

オールマイトは答えた。

 

「だが、お前が失うことを恐れているからといって、他人から全てを奪っていいわけではない!」

 

彼は、拳へ力を込めた。

 

「お前がどれだけ怖かったとしても!」

 

拳が押し返す。

 

「お前がどれだけ傷ついていたとしても!」

 

さらに力が加わる。

 

「その傷を理由に、他人を傷つけ続けることは許されない!」

 

オール・フォー・ワンの顔が歪む。

 

「私は……!」

 

彼が叫ぶより早く、拳がぶつかった。

 

轟音。

 

衝撃が弾ける。

 

その一撃で、オール・フォー・ワンの身体が大きく後退した。

 

しかし、オールマイトも膝をついた。

 

「はあっ……はあっ……!」

 

息が続かない。

 

全身が重い。

 

胸の奥で燃える火種が、今にも消えそうだった。

 

「オールマイト!」

 

グラントリノが駆け寄る。

 

「無理をするな!」

 

「……分かっています」

 

オールマイトは息を整えながら、立ち上がろうとする。

 

「分かっていて、なお立とうとする奴があるか!」

 

「それが、私ですから」

 

グラントリノは、苦い顔をした。

 

「本当に……誰に似たんだか」

 

オールマイトは、小さく笑った。

 

しかし、その目は敵から離れない。

 

オール・フォー・ワンもまた、立ち上がっていた。

 

そして、戦場の背後では。

 

安寧システムの残滓が、弱く明滅していた。

 

そこに浮かぶ記録の中で、一つの光だけが、誰の指示も受けていないかのように揺れている。

 

オール・フォー・ワンが引き寄せようとしても、他の記録と完全には同じ動きをしなかった。

 

まるで、まだ誰かが選ぶことのできる未来が、そこに残されているかのように。

 

その光を、与一は見つめた。

 

何かを理解したわけではない。

 

正体が分かったわけでもない。

 

ただ――。

 

そこには、まだ誰にも決められていないものがある。

 

そう感じた。

 

そして、彼は再び兄へ向き直った。

 

九 未来を奪う者

オール・フォー・ワンが、ゆっくりと両手を広げる。

 

彼の周囲へ集まった記録の光は、薄くなっていた。

 

だが、消えてはいない。

 

「君たちは、私を止められると思っている」

 

彼は言った。

 

「力を重ね、意思を託し、選択を尊重する。それが人間の強さだと信じている」

 

視線がオールマイトに向く。

 

「だが、私は見てきた。自分の自由を求めながら、他人の自由を許せない者たちを。自分だけは正しいと信じ、異なる答えを選んだ者を排除する者たちを。誰かを救いたいと願いながら、そのために別の誰かを切り捨てる者たちを」

 

彼の声が、低く響いた。

 

「お前たちの言う自由は、常に誰かの犠牲を伴う」

 

オールマイトは黙って聞いていた。

 

「ならば、私がその犠牲を減らして何が悪い? 誰かの未来を私が決めることで、多くの人間が救われるのなら、それは悪なのか?」

 

オールマイトは、すぐには答えなかった。

 

彼の視線が、歴代継承者たちへ向く。

 

皆、傷を負っていた。

 

彼らもまた、完璧な答えを持っているわけではない。

 

正しいことだけを選んできたわけではない。

 

時代によって事情は違い、守ろうとしたものも、失ったものも違う。

 

それでも、彼らは自分の意思で立っていた。

 

誰かが命じたからではない。

 

未来を決められたからでもない。

 

自分たちが選んだからだ。

 

オールマイトは、敵へ向き直った。

 

「お前が犠牲を減らしたいと思っていることまで、私は否定しない」

 

オール・フォー・ワンの眉が動いた。

 

「だが、犠牲を減らすことと、人間が自分の人生を選ぶ機会を奪うことは同じではない」

 

「選択の結果として犠牲が生まれるのなら?」

 

「その結果を見つめ、次に何をすべきか考える」

 

「次も、また失敗したら?」

 

「もう一度考える」

 

「それでも救えなかったら?」

 

オールマイトは、目を伏せた。

 

「……それでも、考える」

 

声は静かだった。

 

「救えなかった人の人生を、私の正しさの証明に使うことはしない。救えなかったという事実から逃げることもしない。そして、その人の人生を理由に、他の誰かが未来を選ぶ権利まで奪うこともしない」

 

彼は顔を上げる。

 

「完璧な答えがないからこそ、考え続けなければならないんだ」

 

オール・フォー・ワンは、首を横に振った。

 

「甘い」

 

「そうかもしれない」

 

「弱い」

 

「そうかもしれない」

 

「不完全だ!」

 

「その通りだ!」

 

オールマイトの声が、強くなった。

 

「人間は不完全だ! 私もそうだ! お前もそうだ! 誰一人として、全てを知り尽くし、全ての未来を正しく決められる存在ではない!」

 

彼は拳を構えた。

 

「だからこそ、誰か一人に全てを決めさせてはいけない!」

 

その言葉が、オール・フォー・ワンへ届いたかどうかは分からなかった。

 

彼は、敵を見つめていた。

 

与一を。

 

オールマイトを。

 

グラントリノを。

 

歴代継承者たちを。

 

そして、自分の思い通りには動かない記録の光を。

 

彼の頭の中で、何かが軋む。

 

それは、論理が崩れた音だったのか。

 

それとも、自分が信じてきたものに、初めて疑問が生まれた音だったのか。

 

誰にも分からない。

 

オール・フォー・ワン自身にも、分からなかった。

 

だから彼は、それを認めなかった。

 

「……ならば、証明してみせろ」

 

彼は再び拳を握った。

 

「お前たちの自由が、私の秩序より価値があると!」

 

地面が震える。

 

彼の身体を、残された個性が取り巻いた。

 

「私を止めてみせろ、オールマイト!」

 

オールマイトが、立ち上がった。

 

息は荒い。

 

身体は限界に近い。

 

それでも、目は前を向いていた。

 

「何度でも言うぞ、オール・フォー・ワン」

 

彼は拳を構えた。

 

「お前の秩序のために、人の未来を奪わせはしない!」

 

工藤が前へ出る。

 

「俺たちもいる!」

 

ブルースが拳を握る。

 

「ここで終わらせる!」

 

四ノ森が敵の動きを見極める。

 

「危険は分かっている。だからこそ、動く!」

 

万縄が黒鞭を伸ばす。

 

「一人で背負うなよ、オールマイト!」

 

煙が再び煙幕を展開する。

 

「こちらの手だって、まだ残っている!」

 

菜奈が空中へ浮かび上がった。

 

「未来は、あなた一人のものじゃない!」

 

グラントリノが、オールマイトの隣へ並んだ。

 

「行くぞ、オールマイト!」

 

「はい!」

 

二人が地面を蹴った。

 

煙の中で、黒鞭が敵の腕を絡め取る。

 

変速による急加速がブルースの身体を前へ押し出し、発勁がその力を拳へ集める。

 

菜奈が空中から敵の視線を引きつけ、グラントリノが地上から死角へ入り込む。

 

四ノ森が攻撃の軌道を読み、工藤が仲間の動きを加速させる。

 

そしてオールマイトが、彼らの力を受けながら、自分の意思で踏み込む。

 

七つの意志が、ひとつの拳に集まる。

 

だが、その拳は誰か一人の意思だけで振るわれたものではない。

 

それぞれが考え、選び、互いを信じた結果だった。

 

「うおおおおおおおおおおおおっ!」

 

オールマイトの拳が振り抜かれる。

 

「UNITED――」

 

オール・フォー・ワンもまた、全身の個性を集中させた。

 

「支配こそが、救済だ!」

 

「STATES――」

 

衝撃がぶつかり合った。

 

光が弾ける。

 

空気が裂ける。

 

地面が大きく揺れる。

 

二つの力が押し合い、戦場の景色が白く染まった。

 

そして――。

 

一瞬、全ての音が消えた。

 

十 勝利の先に残る問い

最初に戻ってきたのは、風の音だった。

 

瓦礫が落ちる音。

 

砕けた地面が崩れる音。

 

遠くで、何かが倒れる音。

 

オールマイトは片膝をつき、荒い息を吐いていた。

 

拳が震えている。

 

胸の火種は、ほとんど残っていなかった。

 

それでも、彼は顔を上げた。

 

少し離れた場所に、オール・フォー・ワンがいた。

 

彼もまた膝をついている。

 

身体には、先ほどの戦いの傷が残っていた。

 

その周囲では、安寧システムの残滓が不規則に明滅している。

 

記録の光は、散り散りになっていた。

 

多くは消えかかり、あるいは元の場所へ戻ろうとするように揺れている。

 

完全に破壊されたわけではない。

 

戦いが終わったわけでもない。

 

だが、オール・フォー・ワンが記録を自由に操ることは、先ほどより難しくなっているようだった。

 

「……まだ、立つか」

 

オール・フォー・ワンが呟く。

 

オールマイトは、ゆっくりと立ち上がろうとした。

 

だが、足に力が入らない。

 

「くっ……!」

 

倒れかけた身体を、グラントリノが支えた。

 

「もう無茶をするな!」

 

「……すみません」

 

「謝る暇があったら息をしろ!」

 

オールマイトは、苦笑した。

 

「相変わらず厳しいですね」

 

「誰のせいだと思ってる!」

 

グラントリノは怒鳴りながらも、彼の肩を支え続けた。

 

その光景を、歴代継承者たちが見ていた。

 

工藤が、静かに息を吐く。

 

「……終わったわけじゃないな」

 

「ああ」

 

ブルースが頷く。

 

オール・フォー・ワンは、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……終わるものか」

 

その声は、まだ折れていなかった。

 

「私はまだ、全てを失ったわけではない」

 

彼の指先が動く。

 

安寧システムの残滓が、わずかに反応した。

 

与一はそれを見つめる。

 

兄は、まだ手放すことができないのだ。

 

力を。

 

支配を。

 

自分だけが未来を決められるという確信を。

 

そして、自分が守ろうとしたものを、誰かに奪われるかもしれないという恐怖を。

 

与一は、ゆっくりと兄へ歩み寄ろうとした。

 

しかし、工藤が片手を上げて制した。

 

「与一。今は近づくな」

 

「でも……」

 

「分かってる」

 

工藤は、敵から目を離さない。

 

「お前が話したいことも、聞きたいこともあるのは分かる。だが、あいつはまだ戦う気だ。ここで誰かが倒れたら、その隙を利用される」

 

与一は、立ち止まった。

 

そして、拳を握った。

 

彼もまた、選んだのだ。

 

今は戦いを止めるために、距離を取る。

 

それは、兄を見捨てることではない。

 

兄に好き勝手をさせることでもない。

 

自分の判断で、次の行動を決めることだった。

 

オール・フォー・ワンが、与一を睨んだ。

 

「……また、私から離れるのか」

 

与一は、悲しげに目を伏せた。

 

「兄さん……」

 

「私を止めるために、私に逆らう。私を否定する。私の敵になる。それが、お前の選んだ未来か?」

 

与一は、しばらく黙っていた。

 

やがて、ゆっくりと答えた。

 

「今は、兄さんを止めなければならない」

 

彼は、目を逸らさなかった。

 

「兄さんが他の人の未来を奪おうとするなら、それを止める。兄さんが誰かを傷つけようとするなら、僕はそれを見過ごさない」

 

オール・フォー・ワンの表情が歪む。

 

「……そうか」

 

与一は続けた。

 

「でも、僕が兄さんを止めることと、兄さんの人生を僕が決めることは違う」

 

「何……?」

 

「僕は、兄さんを許すかどうかまで、今ここで決めるつもりはない。兄さんがこれまでしてきたことを、なかったことにするつもりもない」

 

与一の声に、迷いはあった。

 

悲しみもあった。

 

それでも、言葉は途切れなかった。

 

「ただ、兄さんが変わる可能性まで、僕が勝手に消してしまうこともしたくない」

 

彼は一度、息を吸う。

 

「だからといって、兄さんが変わるまで、誰かを傷つけるのを見ているわけにはいかない」

 

その言葉に、オール・フォー・ワンは何も返さなかった。

 

それは赦免ではない。

 

和解でもない。

 

まして、今までの行為を帳消しにする約束でもなかった。

 

与一は、兄を止めるという選択をした。

 

そのうえで、兄の未来まで勝手に決めつけることを拒んだ。

 

相反する二つの意思を、同時に抱えたまま立っていた。

 

オールマイトは、その姿を静かに見つめていた。

 

誰かを救うということは、必ずしも、その人の苦しみを自分が取り去ることではないのかもしれない。

 

すぐに正しい答えを与えることでもない。

 

相手が自分とは違う選択をする可能性を認め、その選択が他者を傷つけるときには止め、責任を引き受けさせること。

 

その難しい道を歩くことなのかもしれない。

 

だが、まだ何も終わっていない。

 

オール・フォー・ワンは、なおも戦う意思を見せている。

 

安寧システムの残滓は、完全には沈黙していない。

 

人々の願いと後悔の記録が、誰によって、どこまで利用されてきたのか。

 

そこには、まだ明らかになっていない事実が残されている。

 

そして、この戦いで浮かび上がった問いは、オール・フォー・ワンだけのものでもなかった。

 

人は誰かを救いたいと思う。

 

その一方で、自分の正しさを相手に押しつけることもある。

 

傷ついた者は、誰かに理解してほしいと願う。

 

しかし、その願いが、別の誰かの人生を縛るものへ変わることもある。

 

憎しみは、過去の傷から生まれる。

 

けれど、傷があったからといって、その後の全ての行為が許されるわけではない。

 

誰かが正しいと信じていた仕組みが、人間を追い詰めていたのなら、その仕組み自体を見直さなければならない。

 

そして、仕組みを作り、利用し、守ってきた者たちには、それぞれの責任がある。

 

戦いの先には、まだ向き合わなければならない人々がいる。

 

オールマイトは、遠くへ視線を向けた。

 

「……終わらせなければ」

 

小さな声だった。

 

グラントリノが、彼の横に立つ。

 

「何をだ?」

 

「この戦いだけではありません」

 

オールマイトは答えた。

 

「オール・フォー・ワンを止めても、彼が利用してきたものが全て消えるわけではない。彼の言葉に縋った人々も、傷つけられた人々も、彼の考え方を支えてきた仕組みも……残された問題は、まだあります」

 

グラントリノが目を細める。

 

「そうだな」

 

「そして、その仕組みの中で、誰かの未来を奪われてきた者たちにも……向き合わなければなりません」

 

オールマイトの脳裏に、緑谷出久の姿が浮かんだ。

 

そして、死柄木弔。

 

彼らの対立は、個性を持つ者と持たない者の争いだけではない。

 

誰かが誰かを救うとは何か。

 

傷ついた人間に、どのように向き合うのか。

 

救う側が、相手の望みを聞かずに手を伸ばしたとき、そこに何が生まれるのか。

 

誰かの過去を理解することと、その人の行為に責任を求めることは、両立するのか。

 

答えを急いではならない。

 

しかし、目を逸らすわけにもいかない。

 

オールマイトは、拳を見つめた。

 

かつて、その拳は敵を打ち倒すためのものだった。

 

今も、それは変わらない。

 

だが、それだけでは足りない。

 

勝つことだけでは、取り戻せないものがある。

 

倒すだけでは、解決しない問題がある。

 

そして、誰かの願いを利用してきた者を止めるためには、その願いがどのように利用されてきたのかを明らかにしなければならない。

 

「オールマイト」

 

工藤が、彼を呼んだ。

 

「これからどうする?」

 

オールマイトは、歴代継承者たちを見た。

 

彼らは、それぞれの時代を生きた人間だ。

 

その全ての経験が、一つの正解へまとまるわけではない。

 

それでも、彼らが託してきたものは、今ここにある。

 

「まずは、この記録が何を示しているのかを確かめましょう」

 

オールマイトは答えた。

 

「そして、オール・フォー・ワンが何を利用してきたのかを、明らかにする」

 

与一が頷いた。

 

「僕も手伝うよ」

 

「与一……」

 

「兄さんが何を考え、何を恐れ、なぜここまでのことをしたのか。僕は、それを知りたい。でも、それを知ることと、兄さんの行為を許すことは別だと思う」

 

彼は、迷いを抱えたまま、言葉を続けた。

 

「僕たちが本当に知りたいのは、兄さん一人のことだけじゃない。どうして、誰かの願いが誰かを支配するための道具になってしまったのか。その仕組みを知らなければ、同じことが繰り返されるかもしれない」

 

オールマイトは、深く頷いた。

 

そのとき。

 

安寧システムの残滓が、再び明滅した。

 

誰も触れていない。

 

オール・フォー・ワンも、動いてはいない。

 

記録の光が、ひとつだけ、不規則に揺れた。

 

それはオールマイトたちを導くものなのか。

 

新たな危険を告げているのか。

 

あるいは、誰かの意志が、まだ完全には消えていないだけなのか。

 

答えは分からない。

 

与一も、工藤も、オールマイトも、それを見つめることしかできなかった。

 

ただ一つ確かなことがある。

 

オール・フォー・ワンが望んだように、全ての記録が一つの答えへ統一されたわけではない。

 

人々の願いは、一つではない。

 

傷ついた者たちの望みも、一つではない。

 

そして、そこから生まれる未来もまた、一つではないのだ。

 

オール・フォー・ワンが、低く笑った。

 

「……まだだ」

 

彼は、瓦礫の中で顔を上げた。

 

「まだ、終わってなどいない」

 

その言葉に、オールマイトは拳を握り直した。

 

「ああ」

 

彼は答える。

 

「だからこそ、終わらせるんだ」

 

二人の視線が、再び交わった。

 

その間には、まだ埋まっていない溝がある。

 

許されていない罪がある。

 

理解されていない願いがある。

 

そして、これから向き合わなければならない未来がある。

 

勝利は、まだ確定していない。

 

仮にこの戦いでオール・フォー・ワンを倒したとしても、彼が利用してきた仕組みの全てが消えるわけではない。

 

誰かの苦しみを利用し、誰かの願いを支配へ変える構造が残るなら、それは別の形で繰り返されるかもしれない。

 

ならば、戦いの終着点は、敵を倒した瞬間ではない。

 

奪われてきた意思を取り戻し、傷ついた者たちが自分の言葉で未来を選べるようになること。

 

その未来を、誰か一人の正しさで決めつけないこと。

 

そして、罪を犯した者が、その責任から逃げられないこと。

 

オールマイトは、戦場に残る光を見つめた。

 

「次は……彼らの話を聞かなければ」

 

死柄木弔。

 

緑谷出久。

 

彼らが何を望み、何を恐れ、どんな未来を選ぼうとしているのか。

 

その答えを、誰かが一方的に決めることはできない。

 

だからこそ、彼ら自身の声を聞かなければならない。

 

その対話がどのような結果を生むのか、まだ誰にも分からない。

 

だが、今度こそ。

 

その未来を、誰かの都合だけで決めさせるわけにはいかなかった。

 

戦場を風が吹き抜ける。

 

歴代継承者たちは、自らの意思でそこに立っていた。

 

グラントリノはオールマイトの肩を支えた。

 

与一は兄を見つめていた。

 

そして、オール・フォー・ワンは、まだ拳を握り続けている。

 

戦いは、終わらない。

 

少なくとも――。

 

勝利だけでは、終われない。

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