一 正しい未来を見た男
「私の予知が、あなたを追い詰めたのではないかと思うことがあります」
サー・ナイトアイは、静かに言った。
事務所の窓の外では、夕暮れの街が赤く染まっていた。
机の上には、先日の医療施設襲撃事件の報告書が並んでいる。回収された装置の分析資料も、その横に置かれていた。
だが、ナイトアイが見ていたのは、どちらでもなかった。
向かいに座る男。
かつて、自分が誰よりも信頼し、誰よりも理解しているつもりだった男。
オールマイト。
いや、今はもう、彼の本当の姿を知る者として話さなければならない。
「……随分と、唐突な話だな」
オールマイトは、穏やかな声で答えた。
その声には、かつての圧倒的な力強さこそなかったが、相手の話を受け止めようとする誠実さが残っていた。
「何か、きっかけがあったのかい?」
「壊理のことです」
ナイトアイは、眼鏡を外した。
「彼女の個性は、将来、多くの人を救う可能性があります。しかし、その可能性があるからといって、彼女に何かをする義務が生まれるわけではない。本人が何を望むのかを聞き、その意思を尊重する必要があります」
「ああ。そうだね」
「私は、その当たり前のことを、改めて考えることになりました」
ナイトアイは、一度だけ言葉を切った。
「未来を予知することと、未来を決めることは違う。私は、その違いを理解していたつもりでした」
オールマイトは、黙って聞いていた。
「ですが、あなたと意見が対立したとき、私は自分が見た未来を、どれほど絶対的なものとして扱っていたのでしょう」
その問いに、オールマイトの表情がわずかに変わった。
過去の記憶が、二人の間に横たわる。
オールマイトが大きな負傷を負い、残された時間を考えなければならなくなったとき。
ナイトアイは、彼の未来を予知した。
そこに映ったのは、彼が望まない結末だった。
だから、ナイトアイは止めようとした。
引退を勧めた。
別の道を選ぶべきだと訴えた。
彼を失いたくなかった。
彼がこれ以上傷つく姿を見たくなかった。
その気持ちは、嘘ではない。
だが、オールマイトは立ち止まらなかった。
彼は、自分が守らなければならない人々のことを考え、未来を変えようとしていた。
二人は、その選択を巡って対立した。
ナイトアイは、自分の予知を信じた。
オールマイトは、自分の意志を信じた。
そして、その間にあったはずの対話は、いつしか互いの正しさを証明するための争いへ変わっていった。
「……私は、あなたを守りたかった」
ナイトアイは、顔を上げた。
「ですが、私は、あなたが何を考え、なぜその未来を選ぼうとしているのか、十分に聞こうとしなかったのかもしれません」
オールマイトは、しばらく黙っていた。
「サー」
やがて、静かに口を開く。
「君の予知が、間違っていたと言うつもりはない」
ナイトアイの目が動いた。
「君が見た未来を、君自身が恐れたことも理解できる。私を心配し、これ以上の犠牲を出したくないと思ってくれていたことも……今なら、分かる」
オールマイトは、自分の手を見つめた。
「だが、私もまた、君の恐れを聞こうとしていなかった。私は、自分が進まなければならないと思っていた。自分が止まれば、希望まで止まってしまうと考えていた」
彼は、小さく息を吐いた。
「君が見た未来を変えるために、私はどうするべきかを考えた。けれど、その中で、君が何を恐れていたのかを、十分に理解しようとしなかった」
ナイトアイは、言葉を失った。
「だから、私たちの間には傷が残った。君だけの責任ではない」
オールマイトは、顔を上げた。
「しかし、君が私の未来を、君自身の正しさのために決めようとしたことも、なかったことにはできない」
その言葉に、ナイトアイは目を閉じた。
「……ええ」
彼は、静かに頷いた。
「そのとおりです」
すぐに許してほしいとは言えない。
長く積み重なった不信感を、一度の対話だけで消すこともできない。
それでも、ナイトアイは初めて、自分自身の過ちを明確に言葉にした。
「私は、あなたを失いたくなかった。その恐怖を、あなたの未来を決める権利のように扱ってしまったのです」
オールマイトは、何も言わなかった。
ナイトアイは続ける。
「あなたが生きたいと思うこと。自分の責任を果たしたいと思うこと。その意思を尊重するべきでした。私は、あなたを止めることが、あなたを守る唯一の方法だと考えてしまった」
「……サー」
「それが、正しいと信じていたのです」
ナイトアイの声は、低かった。
「正しいと信じていたからこそ、自分が間違っている可能性を、十分に考えられなかった」
オールマイトは、長い沈黙の後、口を開いた。
「私も、同じだったのかもしれない」
ナイトアイが顔を上げる。
「私は、自分が守らなければならないと思っていた。自分の判断が正しいと信じることで、迷う時間を減らそうとしていた。君が心配してくれていたことを知りながら、その言葉を、私の覚悟を否定するものだと受け取ってしまった」
オールマイトは苦笑した。
「……私たちは、お互いに、自分が正しいと思う未来を守ろうとしていたのかもしれないね」
「……ええ」
「そして、その未来の中に、相手の意思をどれほど残していたのか。それを、改めて考えなければならない」
ナイトアイは、ゆっくりと頷いた。
「私は、まだあなたとの過去を、全て整理できたわけではありません」
「私もだ」
「ですが……」
ナイトアイは、真正面からオールマイトを見た。
「もう一度、あなたの話を聞きたいと思っています。あなたが何を考え、なぜあのとき、その未来を選ぼうとしたのか」
オールマイトは、すぐには微笑まなかった。
長い時間が、二人の間に横たわっている。
失われた信頼もある。
互いの判断が残した傷もある。
それらを、一度に消すことはできない。
それでも、彼は頷いた。
「……分かった。今度は、最後まで話そう」
ナイトアイは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その瞬間だった。
事務所の外から、激しい警報音が響いた。
二人は同時に顔を上げた。
通信端末が赤く点滅している。
センチピーダーからの緊急連絡だった。
『サー! 回収した装置が、突然再起動しました!』
ナイトアイは、即座に立ち上がった。
「再起動?」
『はい! 隔離用のケースを突破し、周囲の設備へ接続しています! 装置の記録にはなかった動きです!』
オールマイトも立ち上がった。
「今度は、何が起こったんだ……」
ナイトアイは、通信機を握りしめた。
「分かりません。ですが、確認する必要があります」
彼は、もう一度だけオールマイトを見た。
「話の続きは、必ず」
オールマイトは頷いた。
「分かっている」
二人は、同時に部屋を飛び出した。
過去と向き合う時間は、まだ終わっていない。
そして、彼らが正しさについて考えるための時間は、再び試されようとしていた。
二 正解を執行する装置
回収物の分析室は、異様な光景に包まれていた。
壁に設置されたモニターが、次々と赤く染まっている。
隔離ケースの中には、壊理を狙った侵入者たちから回収された装置が収められていた。
黒いケーブル。
透明な板。
細い金属の節。
その残骸が、まるで自ら動き出したかのように、ケースの内壁を這っていた。
「全員、離れてください!」
センチピーダーが叫んだ。
彼の長い身体が分析室の入口を塞ぎ、職員たちを後方へ押し戻す。
その直後、隔離ケースが内側から弾けた。
透明な板が空中へ飛び出す。
黒いケーブルが伸びる。
それらが壁へ、床へ、天井へと張り巡らされ、室内全体に複雑な網を作り始めた。
「……何だ、こいつは!」
ロックロックが身構えた。
彼が壁へ手をつける。
《ロック》。
壁が固定され、黒いケーブルの動きを押さえ込む。
だが、ケーブルは途中で切り離された。
固定された部分を置き去りにし、残りのケーブルが別方向へ伸びていく。
「ちっ! 自分から切り離しやがった!」
バブルガールが、泡を放つ。
白い泡が室内へ広がり、透明板の周囲を覆った。
しかし、透明板は回転し、泡を避けるように軌道を変えた。
「……こちらの動きに反応している?」
リューキュウが、窓の外から室内を覗いた。
その身体が、巨大な竜へと変化する。
翼を広げ、分析室の外側からケーブルの動きを見極める。
波動ねじれは、空中で身体をひねり、手のひらへエネルギーを集めていた。
「サー! この装置、旧物流施設のものと同じ構造だよ!」
「ええ。ですが、今回の装置は、回収された時点では活動していなかったはずです」
ナイトアイは、モニターを見つめた。
「何らかの信号を受け取り、再起動した可能性があります」
「誰が操作しているんですか?」
バブルガールが尋ねた。
「分かりません」
ナイトアイは答えた。
「ただし、今は原因の特定よりも、周囲の安全確保を優先します!」
彼は全員へ指示を出した。
「ロックロック、分析室の出入口を固定してください。センチピーダーは、職員を安全区域へ誘導。バブルガールは、透明板の動きを妨害。リューキュウ、ねじれさんは、外側から設備への接続を遮断してください!」
「了解!」
全員が一斉に動いた。
センチピーダーが身体を伸ばし、職員たちを廊下へ押し出す。
長い身体が折り重なり、黒いケーブルの侵入を防ぐ壁となる。
しかし、ケーブルは床を這って彼の身体の下へ潜り込もうとした。
「させません!」
センチピーダーは身体の節を細かく動かし、ケーブルを絡め取った。
そのまま身体を締め、床へ押しつける。
ケーブルが暴れる。
彼は力を込めた。
「ここは通さない!」
その声に応じるように、ロックロックが壁と床へ次々に触れた。
固定された構造物が増え、ケーブルの動ける範囲が狭まっていく。
だが、装置は、それを待っていたかのように動いた。
壁の一部が開き、天井から新たな金属の腕が降りてくる。
その先端には、拘束用の輪がついていた。
「……上か!」
ロックロックが身を捻る。
拘束輪が、彼の肩をかすめた。
彼は即座に腕を伸ばし、その輪へ触れる。
《ロック》。
輪が、その場へ固定された。
「どうだ!」
だが、拘束輪は、固定されたまま回転を始めた。
ロックロックの身体が引っ張られる。
「なっ……!」
彼は壁へ手をつき、別の部材を固定する。
それを足場にして身体を支え、拘束輪から逃れた。
「こいつ……固定したものを、無理やり動かそうとしている!」
ナイトアイは、モニターを確認した。
透明板に、文字が浮かび上がる。
『対象行動を分析』
『最適対応を算出』
『障害を除去』
「……最適対応?」
ナイトアイが呟く。
その瞬間、室内に無機質な声が響いた。
『正解から逸脱する行動を検知』
『安定化処理を開始します』
壁が動いた。
床が持ち上がる。
金属の腕が、次々と伸びてくる。
それらは、戦闘員の動きを妨害するだけではなかった。
避難している職員の進路まで塞ぎ、彼らが一つの通路へ集まるように誘導している。
「……人の動きを、こちらへ導こうとしているのか」
ナイトアイは、目を細めた。
旧物流施設で見た現象と同じだ。
相手の行動を予測し、環境を変えることで、選択肢そのものを狭める。
そして、予測に合致する行動が起こるように誘導する。
「……これは、単なる予測装置ではありません」
ナイトアイは、低い声で言った。
「予測を正解にするために、周囲を変えているのです!」
三 未来を見せる敵
「ミリオくん、到着!」
通形ミリオが、廊下の壁から飛び出してきた。
身体を透過させて侵入経路を抜け、着地と同時に周囲を見渡す。
「……うわあ、これはまた派手にやってるね!」
透明板が一斉に彼を向いた。
赤い光が、ミリオの身体をなぞる。
床へ、細い線が走る。
それは、彼が次に動くであろう経路を予測しているかのようだった。
ミリオは首を傾げた。
「……もしかして、僕のことも記録してる?」
ナイトアイが答える。
「可能性はあります。ですが、今はその仕組みを調べるより、装置の動きを止める必要があります」
「了解です!」
ミリオは、すぐに走り出した。
透明板が回転する。
壁が動く。
彼が左へ進もうとした瞬間、左側の通路が閉鎖された。
ミリオは透過した。
壁を抜け、反対側へ飛び出す。
しかし、そこにも拘束用の腕が待ち受けていた。
「うわっ!」
彼は身体を沈め、床へ潜り込む。
床の下から壁を抜け、別の場所へ飛び出した。
透明板が、その動きを追う。
赤い線が、彼の移動経路をなぞるように伸びていく。
『予測外の移動を確認』
『行動経路を再計算』
「やっぱり!」
ミリオは笑った。
「僕の動きを見ながら、次の手を決めてるんだね!」
『最適対応を算出』
次の瞬間、床が開いた。
ミリオは落下する。
しかし、彼は身体を透過させ、落下した先の床を通り抜けた。
さらに下へ落ちる。
透過を解除し、床から弾き出される。
彼はその勢いを使い、壁の裏側へ飛び込んだ。
そこには、黒いケーブルの束が集まっていた。
「見つけた!」
ミリオは拳を握る。
だが、振り下ろす直前で、足元が動いた。
床が傾き、彼の身体が横へ流される。
その瞬間、透明板から拘束輪が飛び出した。
「しまっ……!」
ミリオは身体を透過させ、輪をすり抜ける。
しかし、次の輪が、すでに別の場所から迫っていた。
彼は床を抜け、壁を抜け、再び廊下へ飛び出した。
何度も、何度も。
動くたびに、敵の予測が修正される。
逃げるたびに、逃げ道が塞がれる。
ただ透過するだけでは、この装置の連鎖を止められない。
ミリオは、呼吸を整えた。
「……よし」
彼は、透明板を見上げた。
「だったら、こっちも考え方を変えよう!」
ミリオは、正面へ走り出した。
透過しない。
壁を抜けない。
ただ、敵の正面へ突っ込んでいく。
透明板が回転した。
床が持ち上がる。
拘束輪が、彼の足元へ迫る。
その瞬間、ミリオは跳んだ。
床がせり上がる力を利用し、空中へ飛び上がる。
身体を透過させ、天井を通り抜ける。
そして、実体化する直前に身体を捻った。
天井裏から横へ飛び出し、透明板の背面へ回り込む。
「ここだ!」
拳が、接続部へ叩き込まれた。
金属が砕ける。
赤い光が、一瞬だけ途切れた。
だが、透明板は完全には停止しなかった。
黒いケーブルが、ミリオの腕へ巻きつく。
「ぐっ……!」
ケーブルが引き絞られる。
ミリオは透過し、拘束から逃れようとした。
しかし、別のケーブルが、すでに身体を囲い込んでいる。
『対象の移動を制限』
『捕獲手順を実行』
ミリオの身体が、金属の輪に囲まれた。
「……これは、ちょっと困ったな」
彼は笑った。
だが、その顔には、真剣さがあった。
敵は、彼が逃げることを前提にしている。
透過し、回避し、別の場所へ移動する。
その動きに合わせて、設備を変化させる。
つまり、彼が同じ方法で逃げ続ける限り、敵は対応を繰り返すことができる。
「……サー!」
ミリオは通信機へ声を飛ばした。
「僕、捕まっちゃいそうです!」
『ミリオ! すぐに離脱してください!』
「はい! でも、逃げると、その先にも罠があるみたいなんです!」
『……ならば、無理に逃げようとしないでください!』
ミリオは、一瞬だけ目を見開いた。
「えっ?」
ナイトアイの声が続く。
『敵があなたの行動を予測しているのなら、その予測を利用する方法もあります。あなたが何をするか、敵に知らせる必要はありません』
ミリオは、少しだけ笑った。
「……なるほど!」
彼は、身体を透過させるのをやめた。
代わりに、両腕を広げた。
「……捕まえてみなよ!」
拘束輪が、一斉に閉じる。
ミリオは、輪が完全に閉じる寸前で、身体を沈めた。
透過。
しかし、今回は、逃げるためではなかった。
彼は輪をすり抜けながら、次の動作を途中で変えた。
身体を実体化させる場所を、敵が予測していた地点からわずかにずらす。
その結果、閉じた拘束輪同士が衝突した。
金属音。
輪が絡まり、動きが止まる。
ミリオは、その隙に身体を実体化させた。
「よし!」
彼は、そのまま接続部へ拳を叩き込んだ。
二つ目の接続部が破損する。
透明板の動きが、さらに乱れた。
ナイトアイは、その光景をモニター越しに見つめていた。
ミリオは、敵の予測を完全に無効化しているわけではない。
予測される可能性があることを認めたうえで、その場で判断を変えている。
そして、敵が作り出す環境の中で、まだ選べる行動を探している。
ナイトアイは、静かに呟いた。
「……未来を知ることと、未来を決めることは違う」
その言葉が、今度は、確かな実感を伴って胸へ落ちた。
四 仲間たちの選択
「ミリオ、右側を頼む!」
ロックロックが叫んだ。
彼は壁へ触れ、巨大な金属板を固定していた。
その板は、室内へ侵入してきた黒いケーブルの動きを遮っている。
しかし、板の裏側から、さらに別のケーブルが伸びてきた。
ロックロックは、すぐに身体を捻った。
「ちっ! まだあるのか!」
彼は、そのケーブルへ手を伸ばした。
《ロック》。
ケーブルの先端が、空中で固定される。
だが、その動きが止まった瞬間、床の一部が動き出した。
ロックロックの足元が沈む。
「おっと!」
彼は別の壁へ手をつき、その場へ固定した。
身体を支えながら、周囲の設備を見た。
「一つ止めれば、別の場所が動く……。こいつ、こっちが何かを止めることまで、利用してやがる!」
「ロックロックさん!」
バブルガールが、泡を飛ばした。
白い泡が、天井から伸びるセンサーを覆う。
光学センサーが泡を追い、黒いケーブルの動きが一瞬乱れた。
「今です!」
ロックロックは、固定していた金属板を解除した。
板が落下する。
その衝撃で、ケーブルの束が押しつぶされた。
彼はすぐに床へ触れ、落下した板を固定する。
「よし! これで通路は塞げた!」
センチピーダーが、その隙に長い身体を伸ばした。
節の一つでケーブルを巻き取り、別の節で接続部を押さえる。
さらに身体を回転させ、残るケーブルを絡め取った。
「このまま、接続を切り離します!」
黒い線が暴れる。
センチピーダーは歯を食いしばった。
「……動きが速い!」
「センチピーダーさん、無理しないで!」
バブルガールが泡を追加する。
透明板の周囲に、異なる匂いの泡が広がった。
光点が次々に泡へ向く。
センサーが混乱し、ケーブルの動きが僅かに遅れた。
「今です!」
センチピーダーは、身体を強く引いた。
接続部が外れ、ケーブルの束が床へ落ちる。
「よし!」
ロックロックが叫んだ。
しかし、その直後、壁全体が振動した。
天井の支持部がずれ始める。
「まずい!」
ロックロックが壁へ飛びついた。
《ロック》。
壁が固定される。
だが、固定された部分へ負荷が集中した。
亀裂が走る。
「くっ……!」
「ロックロックさん!」
センチピーダーが、長い身体を伸ばして支柱へ巻きついた。
「私も支えます!」
二人の力が重なり、壁の崩落が止まった。
しかし、まだ長くは持たない。
「全員、急いで!」
ロックロックが叫ぶ。
そのとき、上空から大きな影が差した。
リューキュウだった。
竜の姿で翼を広げ、崩れかけた天井を身体で支える。
「こちらは任せて!」
彼女は、翼と爪を使って、落下しかけた梁を押さえた。
その背後から、波動ねじれが飛び込んでくる。
両手に集めたエネルギーが、螺旋状に渦巻く。
「接続部を狙うね!」
彼女は、天井から伸びる黒い線の根元へ、連続してエネルギー波を放った。
一発目で外装を砕く。
二発目で接続部を露出させる。
三発目で、その接続を切り離す。
黒い線が、次々と動きを止めた。
「あと少し!」
ねじれが叫ぶ。
リューキュウは、巨大な尾を振るった。
残っていたケーブルをまとめて払い落とす。
その衝撃で、透明板の一枚が床へ叩きつけられた。
赤い光が消える。
「……止まった?」
ねじれが尋ねた。
「一部だけね」
リューキュウは、慎重に答えた。
「まだ中央の装置が動いている」
全員の視線が、分析室の奥へ向いた。
そこには、最後の透明板が浮かんでいた。
黒い線を束ねるように、複数の金属節が絡み合っている。
その表面に、一つの文字列が浮かび上がった。
「正解経路への復帰を要求」
ナイトアイは、目を細めた。
「……正解経路、ですか」
その瞬間、透明板の中央に、白い人影のようなものが映った。
輪郭は曖昧だった。
顔も、服装も、はっきりしない。
しかし、その姿は、まるでこちらを見つめているかのようだった。
『逸脱を確認』
無機質な声が響く。
『不適切な判断により、損失が発生する可能性があります』
リューキュウが、低く唸った。
「……何を言っているの?」
透明板の人影は答えなかった。
ただ、次の文字が浮かんだ。
「最適な未来を選択してください」
その言葉を見た瞬間、ナイトアイの背筋に冷たいものが走った。
彼は、ようやく理解し始めていた。
この装置が押しつけようとしているのは、単なる移動経路ではない。
「正しい未来」そのものだった。
五 予知が告げる危険
ナイトアイは、透明板を見つめた。
このまま装置を破壊すれば、異常を止められる可能性がある。
しかし、周囲の構造は複雑に絡み合っている。
中心部を破壊すれば、建物が崩れるかもしれない。
一方、何もしなければ、装置は再び人々の動きを制限しようとするだろう。
どちらを選んでも、危険がある。
ナイトアイは、拳を握った。
「……私が判断しなければ」
その言葉に、ミリオが振り返った。
「サー?」
ナイトアイは、少しだけ目を伏せた。
これまで、彼は、危険な未来を見たときに、それを避けるための行動を考えてきた。
それは必要なことだった。
だが、その判断が他の人間の意思をどこまで含んでいたのか。
彼は、自分に問いかける。
この装置は、最も損失の少ない経路を示そうとしている。
そのために、設備を動かし、人々の行動を狭めている。
もし、その判断が正しかったら。
もし、その結果、多くの人が救われるのなら。
それでも、個人の意思を無視することは許されるのか。
ナイトアイは、自分の能力を使うべきだと考えた。
敵の動きを予知する。
装置が次にどのような行動を取るのかを読み取る。
危険な未来を確認する。
その情報をもとに、次の手を選ぶ。
彼は前へ進み、透明板へ手を伸ばした。
その瞬間、白い人影が振り向いた。
ナイトアイの視界が変わる。
《予知》。
未来の映像が、彼の意識へ流れ込んだ。
崩れる壁。
動く床。
黒いケーブル。
ミリオが走る。
ロックロックが壁を固定する。
リューキュウが天井を支える。
ねじれがエネルギー波を放つ。
バブルガールが泡を飛ばす。
センチピーダーが長い身体でケーブルを押さえる。
そして――。
装置が、ミリオの進路を塞ぐ。
彼は透過し、中央部へ飛び込む。
その瞬間、床が崩れる。
ミリオの身体が落下し、巨大な梁が、その上へ倒れかかる。
映像は、そこで途切れた。
ナイトアイの目が見開かれた。
「……ミリオ!」
「はい!?」
「そこから離れてください! 中央部が崩落します!」
ミリオは、足を止めた。
「……分かりました!」
彼は、その場から後退する。
しかし、装置はすぐに反応した。
床が持ち上がる。
黒いケーブルが伸び、ミリオの退路を塞ごうとする。
「ミリオ、左だ!」
ナイトアイが叫ぶ。
「右側の床は崩れます! 左の壁を透過してください!」
ミリオは、指示どおりに動いた。
左の壁へ飛び込み、身体を透過させる。
壁の向こうへ抜けた瞬間、右側の床が崩れた。
巨大な梁が落下し、先ほどミリオが立っていた場所を塞ぐ。
「……危なかった!」
ミリオは息を吐いた。
ナイトアイは、彼の姿を確認し、安堵した。
だが、すぐに表情を引き締める。
彼が見た未来は、確かに役に立った。
危険を知らせ、ミリオがその場から離れるための情報になった。
それは、予知を使うことの意味だった。
しかし、もし彼が、予知で見た未来を絶対のものとして扱っていたら。
ミリオが、別の道を見つけようとしていたら。
ナイトアイは、その行動を止めていただろうか。
それとも、予知を根拠に、彼の選択を封じていたのだろうか。
彼は、初めて、その違いを強く意識した。
「……私は、あなたに未来を伝えた」
ナイトアイは、通信機へ声を送った。
「その未来に従うよう命じたわけではありません」
ミリオが、振り返る。
「……はい」
「私は、危険があることを知らせることができます。しかし、その情報を受け取って、どう動くかは、あなた自身が考えなければならない」
ナイトアイは、慎重に言葉を続けた。
「だから、今、あなたが何をすべきか。私は、あなたの判断も聞きたい」
ミリオは、少しだけ驚いたように目を見開いた。
それから、笑った。
「……分かりました!」
彼は、再び装置を見た。
「僕は、壊理ちゃんたちがいる場所へ、危険が広がらないようにしたいです。それから、この装置が、これ以上誰かを捕まえたり、閉じ込めたりしないように止めたい」
ミリオは拳を握る。
「でも、施設が崩れるのは避けたい。だから、みんなと協力して、中央の接続を少しずつ切っていきたいです!」
ナイトアイは、頷いた。
「……分かりました」
そして、全員へ通信を繋ぐ。
「中央部の破壊は、最後にします。まずは、周囲の接続を順番に切断する。ロックロックは支持構造を固定し、リューキュウは崩落への備えを。ねじれさんは、接続部だけを狙ってください。バブルガール、センサーを妨害。センチピーダーは、ケーブルの動きを押さえる」
全員が応じる。
「そして、ミリオ」
「はい!」
「中央部へ進むタイミングは、あなたに任せます。危険を感じたら、撤退してください」
ミリオは、笑顔で頷いた。
「はい! 自分で考えて動きます!」
その返事を聞いて、ナイトアイは、ほんの少しだけ微笑んだ。
彼は未来を見た。
だからこそ、危険を知らせることができた。
だが、その未来を実現するかどうかまで、自分が決める必要はない。
そのことを、今度こそ忘れないようにしなければならなかった。
六 正しさのために、何を犠牲にするのか
戦場は、再び動き始めた。
ロックロックが支持構造を固定する。
センチピーダーが黒いケーブルを絡め取り、動きを抑える。
バブルガールが泡を放ち、センサーの注意を散らす。
リューキュウが竜の姿で天井を支え、ねじれが螺旋状のエネルギー波を接続部へ撃ち込む。
ミリオは、透過を使って設備の裏側へ回り込み、接続部の位置を仲間たちへ伝える。
全員が、それぞれの役割を果たしていた。
しかし、装置はまだ動いていた。
『予測経路の逸脱を確認』
『最適経路へ復帰してください』
黒いケーブルが一斉に伸び、リューキュウの翼へ絡みつく。
彼女は翼を振るってケーブルを引きちぎろうとした。
しかし、別の線が脚へ巻きつく。
「くっ……!」
ねじれが、すぐにエネルギー波を放った。
「リューキュウさん、今、切るね!」
螺旋状の光がケーブルを貫き、拘束を外す。
リューキュウは翼を広げ、体勢を立て直した。
「ありがとう!」
だが、その瞬間、天井の梁が動いた。
梁がねじれの進路を塞ぐ。
彼女は急上昇し、衝突を避ける。
そこへ、新たな拘束線が迫った。
「……また!」
リューキュウが身体を捻る。
しかし、完全には避けきれない。
線が翼の先端へ絡みついた。
そのまま引っ張られ、彼女の巨体が横へ流される。
「リューキュウさん!」
ねじれが叫ぶ。
センチピーダーが長い身体を伸ばし、線へ巻きつこうとした。
しかし、床の一部が開き、彼の身体が引き込まれそうになる。
「ぐっ……!」
ロックロックが、すぐに床へ手をついた。
《ロック》。
床の動きが止まる。
その隙に、センチピーダーが身体を引き戻した。
「助かりました!」
「礼は後だ! こいつ、こっちを分断しようとしてやがる!」
ロックロックは、装置を睨んだ。
「仲間同士が助けに動くたび、別の場所を狙ってくる。こっちの連携そのものを利用してるんだ!」
ナイトアイは、透明板の表示を見た。
『対象間の相互支援を確認』
『支援行動による最適経路の偏差を検出』
『分散処理を開始』
「……支援行動すら、計算の一部にしているのか」
彼は、低く呟いた。
相手が誰かを助ける。
その動きを予測する。
助けに動く先へ、次の危険を配置する。
そうすれば、誰かを助けるほど、別の誰かが危険にさらされる。
この装置は、仲間同士の信頼を利用して、彼らの選択肢を狭めようとしていた。
「サー!」
ミリオが通信を入れた。
「こいつ、僕たちが何を優先するかまで見ています!」
「ええ。ですが、全てを予測できるわけではありません」
ナイトアイは、装置の動きを分析した。
「この装置は、我々が選ぶ行動の中から、最も起こりやすいものを予測している。ならば、予測の前提を崩せばいい」
「でも、何をすればいいんですか?」
ナイトアイは、すぐに答えなかった。
その答えを、彼自身が決めてしまうべきではない。
現場には、それぞれの状況を見ている者たちがいる。
彼らが判断し、考え、意見を交わすことが必要だった。
「……全員、聞いてください」
ナイトアイは、通信を開いた。
「装置は、我々の行動から、次に起こる可能性の高い動きを予測しています。ですが、こちらが常に同じ優先順位で動く必要はありません」
彼は、言葉を区切る。
「仲間を助けることも、設備を守ることも、作業員を救出することも、全て大切です。しかし、一つの正解にこだわる必要はありません。状況を見て、必要な行動を選び直してください」
ロックロックが頷いた。
「つまり、計画どおりに動くことが正しいとは限らねえってことだな」
「ええ」
バブルガールが応じた。
「じゃあ、泡でセンサーを惑わせる役割も、状況に合わせて変えます。敵の注意を引くばかりではなく、仲間の退路を確保するほうへ回ることもできますね」
「そのとおりです」
センチピーダーが続けた。
「私はケーブルを抑えていますが、危険が生じた場合には、拘束を解除して救助へ向かう判断も必要でしょう」
ねじれが、笑った。
「よーし! じゃあ、みんなで、その場で決めよう!」
リューキュウも頷く。
「自分の役割に固執しない。必要なら、別の役割を引き受ける。それでいきましょう」
ミリオは、拳を握った。
「分かりました! じゃあ、僕は――」
ナイトアイが、静かに呼びかける。
「ミリオ。あなたが何をするか、今、考えてください」
ミリオは、少しだけ驚いた。
そして、微笑んだ。
「はい!」
彼は周囲を見回した。
中央の透明板。
暴れる黒いケーブル。
崩れかけた天井。
そして、仲間たちの位置。
「……僕は、中央の接続部へ行きます。でも、壊すのではなく、動きを止めるために使えそうな場所を探します!」
「了解です!」
バブルガールが返す。
「私が泡でセンサーを惑わせます!」
「俺が周囲の部材を固定する!」
ロックロックが叫ぶ。
「私はケーブルを抑えます!」
センチピーダーが身体を伸ばす。
「上から援護するわ!」
リューキュウが翼を広げる。
「接続部への攻撃は任せて!」
ねじれが両手を構えた。
全員が、別々の役割を選んだ。
それでも、彼らの動きは一つの目的へ向かっていた。
誰かに決められた正解ではなく、その場にいる者たちが、自分の意思で選んだ行動によって。
七 ミリオの選んだ一歩
ミリオは、透過を使って中央の透明板へ接近した。
ケーブルが伸びる。
彼は壁を抜け、床を抜け、攻撃の軌道から外れる。
しかし、今回は、ただ逃げ続けるのではない。
彼は、透明板の背面にある金属節へ手を伸ばした。
実体化。
指先が接触する。
金属節が、僅かに動いた。
「……ここか!」
彼は、その節を強く押し込んだ。
接続部がずれ、黒いケーブルの一本が外れる。
透明板が、激しく回転した。
『異常を確認』
『接続を再構成』
新たなケーブルが、ミリオへ向かって伸びる。
彼は透過した。
しかし、次に実体化する場所を、わざと設備の影へずらした。
ケーブルは、彼が最初にいた場所へ突き刺さる。
ミリオは、その隙に、二つ目の接続部へ手を伸ばした。
「これも!」
金属節を押し倒す。
ケーブルが一本、床へ落ちる。
だが、三本目のケーブルが、彼の足へ絡みついた。
「……くっ!」
身体が引かれる。
ミリオは、透過しようとした。
その瞬間、ナイトアイの声が響いた。
『ミリオ! 右側の壁を透過しないでください! その先には、固定された支柱があります!』
ミリオは、すぐに動きを止めた。
「了解です!」
彼は左側へ身体を捻り、ケーブルをすり抜ける。
そのまま床へ潜り、下階から飛び出した。
一度、距離を取る。
深く息を吸う。
今の彼は、ナイトアイの予知を信頼している。
危険を知らせる情報は、有効だ。
その情報を受け取ったうえで、どう動くかを決める。
それが大切だった。
ミリオは、中央の透明板を見た。
「……サー。今なら、接続部へ戻れそうです!」
『分かりました。ですが、危険を感じたらすぐに離脱してください』
「はい!」
ミリオは、もう一度、踏み込んだ。
今度は、最短経路ではない。
周囲を回り、設備の動きを見て、仲間たちの作った隙を使う。
バブルガールの泡がセンサーを惑わせる。
ロックロックが固定した金属板が、ケーブルの動きを遮る。
センチピーダーが伸ばした身体が、次の拘束線を押さえ込む。
リューキュウが翼で天井を支え、ねじれが接続部を撃ち抜く。
その全てを利用して、ミリオは中央部へ到達した。
「……見つけた!」
透明板の下に、複数の金属節が密集している。
そのうち一本だけ、他よりも僅かに動きが遅い。
装置全体の動きを制御する、重要な接続部らしかった。
ミリオは、拳を構えた。
しかし、その直前で、彼は手を止めた。
「……サー」
ナイトアイが返答する。
『どうしました?』
「ここを壊せば、装置が止まるかもしれません。でも、周囲の設備にもつながっているんです」
彼は、接続部を見つめた。
「壊す前に、固定して、接続を切り離したほうが安全だと思います」
通信の向こうで、ナイトアイは少しだけ目を見開いた。
以前の彼なら、危険を知らせたあと、最善の対処法を指示していたかもしれない。
しかし、今は違う。
ミリオが、自分で状況を見て、考え、判断している。
「……分かりました」
ナイトアイは答えた。
「あなたの判断を信頼します」
ミリオの顔が、ぱっと明るくなった。
「はい!」
彼は、周囲の金属板へ手を伸ばす。
透過。
金属板の裏側へ回り込む。
実体化。
接続部へ手をかける。
その瞬間、透明板が強く振動した。
『対象の接続操作を検知』
『最適防御を実行』
黒いケーブルが、ミリオの身体へ集中する。
「ミリオ!」
ナイトアイが叫ぶ。
ミリオは、ぎりぎりで身体を透過させた。
ケーブルが、彼の身体を通り抜ける。
そのまま彼は、金属板の裏側へ滑り込んだ。
「……これで!」
彼は接続部を、外側から押し上げた。
金属節がずれる。
ケーブルの一本が、完全に切り離された。
透明板の回転が止まる。
赤い光点が、次々と消えていった。
『異常を確認』
『経路再計算――』
音声が途切れる。
残るケーブルが、大きく揺れた。
ロックロックが、すぐに金属板を固定する。
センチピーダーがケーブルを絡め取り、動きを封じる。
ねじれが、最後の接続部へエネルギー波を放つ。
「これで――終わり!」
螺旋状の光が、接続部を貫いた。
透明板が床へ落ちる。
赤い光が消えた。
黒いケーブルは、動きを止めた。
施設内の設備が、完全に静止した。
戦いは、終わった。
八 予知された未来と、選ばれた未来
戦闘が終わると、ナイトアイはミリオのもとへ向かった。
「ミリオ!」
「サー!」
ミリオは笑顔で手を上げた。
「見てください! ちゃんと、壊しすぎずに止められました!」
「ええ。見事でした」
ナイトアイは、しばらく彼を見つめた。
「……私は、あなたが危険な未来へ向かう可能性を予知しました」
「はい」
「だからこそ、私は、あなたに危険を知らせました。しかし、あなたがどのような判断をするかまで、私が決める必要はなかった」
ミリオは、少しだけ目を見開いた。
「……サー」
ナイトアイは、静かに続ける。
「私は、未来を知ることができます。ですが、その未来を、あなたがどう変えようとするのか。その可能性まですべて知っているわけではありません」
彼は、眼鏡を押し上げた。
「私は今まで、自分が見た未来を、あなたの未来であるかのように扱ってしまったことがあるのかもしれません」
ミリオは、すぐには答えなかった。
彼は、ナイトアイの言葉を聞いていた。
かつてナイトアイは、彼の才能を見抜いた。
ミリオがオールマイトの後を継ぐ存在になれると考え、厳しい訓練を課し、彼の成長を支えた。
その教えが、今のミリオを作った部分もある。
だが、そこには、彼に期待した未来へ進んでほしいという願いもあった。
ミリオは、その願いを否定したいわけではない。
ただ、未来を期待することと、その未来を決めることは違う。
「……僕は、サーに教えてもらったことを、これからも大事にしたいと思っています」
ミリオは、笑顔で答えた。
「でも、僕が何を選ぶのかは、僕自身で考えたいです」
ナイトアイは、頷いた。
「ええ」
「もし、サーが僕と違う未来を考えていても、話を聞かせてください。僕も、自分が何を考えているのか、きちんと話します」
彼は、少しだけ照れくさそうに笑った。
「それで、一緒に考えましょう!」
ナイトアイは、しばらく黙っていた。
その言葉は、過去の傷を消してくれるものではない。
オールマイトとの関係も、ミリオとの関係も、すぐに元どおりになるわけではない。
だが、二人は、これからも話し合うことができる。
互いの意見が違っても。
互いが正しいと思う未来が違っても。
相手の意思を、最初から間違いだと決めつけなければ。
ナイトアイは、深く息を吐いた。
「……分かりました」
彼は、ミリオへ手を差し出した。
「今後も、あなたと話し合う機会を大切にしたいと思います」
ミリオは、その手を握った。
「はい!」
その瞬間、少し離れた場所から、壊理の声がした。
「ミリオお兄ちゃん!」
二人が振り向く。
壊理は、安全区域の入口に立っていた。
周囲には、バブルガールが付き添っている。
壊理は、少し不安そうな顔で、戦闘の後を見つめていた。
ミリオは、すぐに駆け寄った。
「壊理ちゃん! 大丈夫?」
「はい……」
壊理は、少しだけ迷ってから尋ねた。
「……みんな、怪我していませんか?」
「うん。大丈夫だよ!」
ミリオは、笑顔で答えた。
「みんなで協力して、ちゃんと止められたからね!」
壊理は、ほっとしたように息を吐いた。
「……よかった」
それから、彼女はナイトアイを見た。
「サー」
「どうしました、壊理」
「わたし……今日は、何もしなくてよかったんですよね?」
ナイトアイは、すぐに頷いた。
「ええ。あなたが何かをする必要はありませんでした」
「……もし、わたしの個性を使えば、もっと早く止められたかもしれないとしても?」
ナイトアイは、少しだけ目を伏せた。
「それでも、あなたが使うことを望んでいないのであれば、無理に使わせる理由にはなりません」
壊理は、ゆっくり頷いた。
「……分かりました」
彼女の声には、少しだけ安心が混じっていた。
ナイトアイは、その様子を見つめた。
未来を知ること。
誰かを救う可能性を知ること。
その情報は、判断するために役立つ。
しかし、それを理由に、誰かへ行動を強制することはできない。
そして、未来を変える可能性は、必ずしも大きな力を使うことだけで生まれるのではない。
時には、誰かが「嫌だ」と言えること。
誰かが、自分の意思を伝えられること。
誰かが、別の選択肢を考える時間を持てること。
その小さな一歩が、未来を変えることもある。
ナイトアイは、静かに頷いた。
「……壊理。あなたが今日、何を考えたのか。何を望んだのか。それを話してくれて、ありがとうございます」
壊理は、少し照れたように笑った。
「……はい」
ミリオは、彼女の隣へ立った。
「よし! じゃあ、みんなが頑張ったご褒美に、おいしいものを食べに行こう!」
「ミリオ」
ナイトアイが、即座に声をかける。
「報告書が残っています」
「……そうでした!」
「それに、壊理の予定もあります。本人に確認しなさい」
ミリオは、はっとして壊理を見た。
「あっ、ごめんね。壊理ちゃん、今日はどうしたい?」
壊理は、少し考えた。
そして、笑顔で答えた。
「……お菓子を食べたいです」
ミリオの顔が、ぱっと明るくなる。
「よし! それなら、報告書を終わらせよう!」
「ミリオ。正確に書くことを忘れないように」
「はい、サー!」
そのやり取りに、バブルガールが笑った。
「本当に、いつもどおりですね」
センチピーダーも、頷いた。
「ええ。少なくとも、今日はそれでいいのでしょう」
ロックロックが肩をすくめる。
「未来がどうなるかなんて、誰にも分からねえ。だったら、今できることをやるしかないだろ」
リューキュウが微笑んだ。
「それも、一つの答えね」
波動ねじれは、少しだけ首を傾げた。
「でも、今日の装置は、どうしてあんなに『正解』にこだわっていたんだろう?」
その問いに、全員が静かになった。
そうだ。
装置は、なぜ、人の行動を予測するだけではなく、正しい経路へ戻そうとしていたのか。
誰が、何のために、あの仕組みを作ったのか。
そして、あの透明板に映った白い人影は、何を意味していたのか。
まだ、答えはない。
ナイトアイは、回収された透明板を見た。
そこには、もう光は残っていなかった。
ただ、表面に小さな文字が刻まれている。
「正しい未来へ導くこと。それが、救済である」
ナイトアイの表情が、硬くなった。
「……救済、ですか」
その言葉は、まるで誰かが、彼自身の考えを映し出したかのようだった。
彼は、かつて未来を守るために、他人を導こうとした。
正しい未来を知っていると思ったからこそ、その未来へ進ませようとした。
それが、誰かを守ることだと信じていた。
だが、未来を導くことと、未来を決めることは違う。
その違いを見失ったとき、善意は、誰かの自由を奪う力になってしまう。
ナイトアイは、静かに目を閉じた。
「……傲慢とは、悪意だけで生まれるものではないのかもしれませんね」
オールマイトが、彼の隣へ立った。
「……ああ」
二人は、しばらく言葉を交わさなかった。
過去の傷は、まだ残っている。
未来への不安も、なくなったわけではない。
だが、少なくとも今は、互いが何を考えているのかを聞くことができる。
それは、以前とは違う一歩だった。
そして、ナイトアイは、その一歩を、自分自身の意思で選んだ。
十四 正しさを信じた者の罪
夜。
ナイトアイは、再び一人で報告書へ向き合っていた。
侵入者たちから回収された装置の記録。
戦闘の経過。
被害状況。
そして、装置の表面に残されていた言葉。
「正しい未来へ導くこと。それが、救済である」
彼は、その文を何度も読み返した。
正しい未来へ導く。
それは、決して悪いことのようには聞こえない。
危険を避ける。
失敗を防ぐ。
誰かが傷つかないようにする。
よりよい結果へ向かうために、必要な情報を与える。
それらは、ナイトアイ自身が大切にしてきたことだった。
だからこそ、この言葉には、危険なものが含まれている。
「正しい未来」とは、誰にとっての正しさなのか。
「導く」とは、どこまで相手の意思を尊重することなのか。
「救済」とは、救う側が決めるものなのか。
それとも、救われる側が、自分の望む未来へ向かうために必要な支援を受けることなのか。
ナイトアイは、ペンを置いた。
彼は、過去の自分を思い出す。
オールマイトに、未来を変えようとすることを諦めるよう勧めたとき。
自分が見た未来を、彼の未来として扱ったとき。
彼がどんな思いで戦い続けようとしていたのか、その声を最後まで聞けていただろうか。
そして、ミリオを指導してきたとき。
彼が自分とは違う考えを持った場合、その選択をどこまで認められていただろうか。
壊理の未来について考えるとき。
彼女の個性に、大きな可能性があると知っているからこそ、その可能性を実現することを前提に話を進めていなかっただろうか。
ナイトアイは、静かに息を吐いた。
「……私が信じていた正しさは、誰のためのものだったのか」
その問いは、まだ答えを持っていなかった。
だが、答えがないからこそ、考え続ける必要がある。
彼は、報告書の最後に、短い文章を書き加えた。
「予知は、未来を決定するための権利ではない。予知によって得られた情報は、危険を知らせ、判断を助けるために用いられるべきであり、対象者の意思を無効化する理由としてはならない」
ナイトアイは、書き終えた文章を見つめた。
それは、彼自身が守らなければならない言葉だった。
正しいと信じること。
正しいと信じるからこそ、疑うこと。
そして、自分の正しさが、他人の人生を決めるものになっていないかを確かめること。
それが、これから彼が向き合うべき罪だった。
彼は、報告書を閉じた。
窓の外では、街の灯りが静かに瞬いている。
未来は、まだ決まっていない。
予知された光景があったとしても、その未来へ至る道は、必ずしも一つではない。
誰かが選ぶこと。
誰かが迷うこと。
誰かが、別の可能性を信じて踏み出すこと。
その一つひとつが、未来を形作っていく。
そして、未来を知る者であっても、その全てを自分の所有物にすることはできない。
ナイトアイは、静かに立ち上がった。
「……次は、あの言葉の意味を確かめなければ」
「正しい未来へ導くこと。それが、救済である」
その言葉を掲げる者は、いったい何を正しいと考えているのか。
どの未来を救済と呼んでいるのか。
そして、その未来を拒む者を、何と呼ぶのか。
ナイトアイは、答えを知らない。
だが、もう、自分が見た未来だけを答えにするつもりはなかった。