僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第四十五話「傲慢は、善意の顔をしている」

一 あなたのためです

「皆さんに、理解していただきたいことがあります」

 

それは、医療施設の中央ホールに設置された大型モニターから聞こえてきた。

 

落ち着いた声だった。

 

怒鳴っているわけでも、脅しているわけでもない。

 

むしろ、相手を安心させるために、慎重に言葉を選んでいるような声だった。

 

「人は、苦しみを避けたいと願います。失敗を恐れ、喪失を恐れ、取り返しのつかない選択を恐れる。その不安を取り除くことは、救済の第一歩です」

 

モニターには、一人の白い影が映っていた。

 

顔立ちは整っているように見えるが、目元には奇妙な違和感がある。笑っているのか、真剣なのか、画面越しでは判然としない。

 

白い衣服の胸元には、鏡の破片を組み合わせたような装飾があった。

 

その一つ一つに、別々の人間の顔が映っている。

 

泣いている者。

 

怒っている者。

 

疲れ切った者。

 

笑っている者。

 

そして、何も表情を浮かべていない者。

 

「ですから、私は、彼らに必要な未来を示します」

 

白い影は、穏やかに続けた。

 

「選択肢が多すぎれば、人は迷います。自由を与えれば、間違った道へ進む者もいる。善意から始まった行動が、別の誰かを傷つけることもある。ならば、その危険を減らす方法を選ぶべきではありませんか?」

 

モニターの前で、サー・ナイトアイが足を止めた。

 

「……この声は、装置から流れているのですか?」

 

センチピーダーが端末を確認する。

 

「そのようです。ただし、音声データの発信元は確認できません。ネットワークから切り離していたはずの機器が、自発的に起動しています」

 

「電源は?」

 

「供給されていません」

 

ナイトアイの眉が動いた。

 

「……では、何を使って動いているのでしょう」

 

「分かりません。内部の記録も、起動の直前から一部が欠落しています」

 

その隣で、バブルガールが壊理の肩に手を置いた。

 

「壊理ちゃん、ここから離れましょう。念のため、センチピーダーさんと安全な場所へ」

 

壊理は頷きかけた。

 

だが、モニターに映る白い影が、ふいに顔を上げた。

 

まるで、こちらにいる人間の位置を知っているかのように。

 

「……そこにいるのですね」

 

声が、少しだけ近くなった。

 

「通形ミリオ。サー・ナイトアイ。そして、壊理」

 

ミリオが、壊理の前へ移動する。

 

「おや。僕たちの名前まで知っているんだね」

 

「もちろんです」

 

白い影は微笑んだ。

 

「あなた方は、救済に関わる重要な人物ですから」

 

「救済?」

 

ミリオは首を傾げた。

 

「それって、君が考えている救済のこと?」

 

「他に何があるというのですか?」

 

返答は、あまりにも自然だった。

 

相手が疑問を抱くことそのものが、理解不足だとでもいうように。

 

「あなた方は、壊理の能力を守ろうとしている。彼女の意思を尊重し、彼女自身が選ぶ未来を大切にしようとしている。実に立派な姿勢です」

 

壊理は、ミリオの背中からモニターを見つめた。

 

白い影は続ける。

 

「ですが、それだけでは不十分です」

 

「……何が不十分なんだい?」

 

ミリオの声から、陽気さが消えていた。

 

「彼女は、まだ幼い。自身の能力が持つ意味も、その可能性も、全てを理解しているわけではない。彼女が自分の意思で選ぶことは、もちろん大切です。しかし、その選択が彼女自身を不幸にするのであれば、周囲の大人は、それを止めるべきではありませんか?」

 

「危険を知らせることと、選択を奪うことは違います」

 

ナイトアイが答えた。

 

「あなたの主張は、前者を理由に後者を正当化しています」

 

「そうでしょうか?」

 

白い影は、少しも動揺しなかった。

 

「子供が危険な場所へ行こうとしたら、大人は止めるでしょう。傷つくと分かっている行為をしようとしたら、別の道を示すでしょう。それと何が違うのです?」

 

「危険を止めることと、その人の人生を代わりに決めることは違います」

 

「ならば、聞きましょう」

 

白い影の背後で、無数の光が点灯した。

 

「本人が間違った道を選んだら? その選択によって、取り返しのつかない損失が生まれたら? 救えたはずの命が失われたら?」

 

ミリオは答えようとした。

 

しかし、その前に、ホールの床が震えた。

 

壁の奥から、黒いケーブルが伸びてくる。

 

天井の照明が一斉に白くなり、床に細い線が描かれた。

 

線は人々の足元を避けるように伸び、ホールの出口へ続いていく。

 

一見すると、安全な避難経路に見えた。

 

その先に、白い光で描かれた扉が現れる。

 

「こちらへどうぞ」

 

モニターの中の人物が、穏やかに告げる。

 

「皆さんを、安全な場所へ導きます」

 

ミリオは、その光を見つめた。

 

「……その扉を通ったら、どうなるの?」

 

「危険のない場所へ移動できます」

 

「壊理ちゃんも?」

 

「もちろんです」

 

「本人が行きたくないって言っても?」

 

白い影は、初めて言葉を止めた。

 

ほんの短い間だった。

 

だが、その沈黙には、これまでの穏やかな口調とは違うものがあった。

 

「……その場合は、彼女が自分の選択の危険性を理解していないのでしょう」

 

ミリオの表情が、変わった。

 

「そっか」

 

彼は、壊理の前へ一歩踏み出した。

 

「じゃあ、やっぱり通れないね」

 

白い影の微笑みが、少しだけ深くなった。

 

「残念です」

 

その言葉が終わるより早く、白い光の扉が閉じた。

 

同時に、床の線が赤く染まる。

 

黒いケーブルが、一斉に襲いかかってきた。

 

「全員、戦闘態勢!」

 

ナイトアイの声がホールを貫いた。

 

「壊理ちゃんを中央から離してください!」

 

「任せて!」

 

バブルガールが泡を放つ。

 

白い泡が空中へ広がり、黒いケーブルの先端に付いた透明板を覆い隠す。

 

しかし、ケーブルは泡を突き破り、進路を変えて襲いかかってきた。

 

「……っ、視界を奪うだけじゃ足りない!」

 

バブルガールが後退する。

 

ミリオが、その前へ飛び込んだ。

 

「だったら、僕が止める!」

 

身体を透過させ、ケーブルをすり抜ける。

 

着地と同時に実体化。

 

拳を振り抜き、ケーブルの接続部を叩き割った。

 

黒い線が一本、床へ落ちる。

 

だが、落ちた線は、すぐに新しいケーブルを吐き出した。

 

白い影が、静かに言った。

 

「抵抗する必要はありません。あなた方が従えば、誰も傷つかずに済むのですから」

 

ミリオは、拳を構えた。

 

「その言い方、さっきから気になっていたんだ」

 

「何がでしょう?」

 

「君、自分が正しいってことを、一度も疑ってないよね」

 

白い影は答えなかった。

 

その沈黙の中で、ホールの床が再び動き始めた。

 

戦いが、本格的に始まった。

 

二 善意の網

最初に動いたのは、ロックロックだった。

 

「通路を塞がせるな!」

 

彼は床へ手をついた。

 

《ロック》。

 

黒いケーブルが伸びていた床の一部が固定され、動きを止める。

 

さらに壁へ触れる。

 

壁がその場へ固定され、ケーブルの移動経路を塞いだ。

 

しかし、ケーブルは固定された構造物を回り込み、天井へ伸びていく。

 

「ちっ、こっちが止めた場所を迂回しやがる!」

 

ロックロックは、周囲を見回した。

 

装置は、彼が固定する場所を見て、その先の経路を変えている。

 

一つ止めれば、別の場所から動く。

 

全てを固定すれば、別の設備に負荷が集中する。

 

固定すること自体が、次の行動を予測するための材料になっているのだ。

 

「センチピーダー!」

 

ロックロックが叫んだ。

 

「ケーブルの束を抑えられるか!」

 

「試してみます!」

 

センチピーダーは長い身体を伸ばした。

 

複数の節が別々の方向へ動き、黒いケーブルを絡め取る。

 

一本を押さえ、もう一本を床へ押しつけ、さらに別の一本を身体の内側へ巻き込む。

 

そのまま全身を締め、ケーブルの動きを止めようとした。

 

「……動きが速い!」

 

ケーブルが暴れ、センチピーダーの身体を引きずろうとする。

 

彼は地面へ身体の一部を固定し、残りの節でケーブルを押さえ込んだ。

 

「これ以上は、通しません!」

 

しかし、白い影は静かに告げた。

 

「固定された対象への拘束を継続。固定されていない対象への経路を再構成」

 

床が揺れた。

 

ロックロックが固定していない壁の一部が、横へスライドする。

 

ケーブルは、その隙間から伸びてきた。

 

「うおっ!」

 

ロックロックは身を捻り、拘束線を避ける。

 

そのまま壁へ手をつけ、別の部材を固定する。

 

だが、今度は床が沈んだ。

 

「こいつ、俺たちが動く先を塞いでいるのか!」

 

「違う!」

 

ナイトアイが叫んだ。

 

「我々の行動に合わせて、選べる道を減らしているのです!」

 

白い影の声が、ホール全体へ響く。

 

「それこそが、救済のために必要な処置です」

 

「何が救済だ!」

 

ロックロックが怒鳴った。

 

「人が動く場所を片っ端から塞いで、どこが救済なんだ!」

 

「危険な行動を減らすためです。あなた方が不適切な選択をしなければ、拘束する必要もありません」

 

「不適切かどうかを決めるのは、お前じゃねえ!」

 

ロックロックは、床に手をついた。

 

今度は、通路の両側にある金属製の棚を固定する。

 

左右の棚が、その場へ留まった。

 

ケーブルが進路を変えようとする。

 

しかし、固定された棚が、左右の経路を同時に狭めていた。

 

「ほら見ろ! 道を塞ぐなら、こっちだって塞いでやる!」

 

ロックロックは、笑みを浮かべた。

 

「ただし、俺が止める場所は、俺が決める!」

 

その隙に、センチピーダーが身体をひねる。

 

長い身体が、ケーブルの根元へ巻きついた。

 

力を込める。

 

金属が軋む。

 

接続部が外れ、ケーブルの束が床へ落ちた。

 

「よし!」

 

センチピーダーが叫んだ。

 

しかし、その背後で新しいケーブルが動き始める。

 

白い影は、少しも焦っていなかった。

 

「一つの経路を塞いでも、別の経路は存在します。あなた方がどれほど努力しても、最適な結果へ導くには、全ての可能性を制御する必要がある」

 

ナイトアイは、その言葉を聞き、顔をしかめた。

 

「……全ての可能性を制御する?」

 

「ええ」

 

白い影は微笑んだ。

 

「迷いが生じるのは、可能性が多すぎるからです。選択肢を減らせば、人は間違いにくくなる。間違いが減れば、苦しみも減る。苦しみが減れば、幸福は増える」

 

その理屈は、滑らかだった。

 

一つひとつの言葉だけを取り出せば、理解できる部分もある。

 

選択肢が多いと、人は迷う。

 

判断を誤れば、誰かが傷つく。

 

危険を減らすために、環境を整えることは必要だ。

 

だが、そこから導かれる結論が、なぜ「全てを制御すること」になるのか。

 

ナイトアイは、目を細めた。

 

「あなたは、間違いを減らすことと、人間の自由を減らすことを、同じものとして扱っている」

 

「同じではありませんか?」

 

「違います」

 

ナイトアイは即答した。

 

「必要な情報を与えること。危険を知らせること。支援を用意すること。それらは、人間が自分で選択するための助けになります。ですが、選択肢を奪い、相手の意思に関係なく一つの道へ誘導することは、支援ではありません」

 

白い影は、少し首を傾けた。

 

「その違いに、どれほどの意味があるのでしょう」

 

「……何?」

 

「あなたが誰かに危険を知らせる。相手がその警告を無視して危険へ向かう。結果、取り返しのつかないことが起きる。そのとき、あなたは、相手の意思を尊重したことを誇れるのですか?」

 

ナイトアイの表情が硬くなった。

 

その問いは、彼自身の過去へ向けられていた。

 

白い影は、そこを見逃さなかった。

 

「あなたは、未来を知る者です。危険を予測し、最善の道を示す能力がある。ならば、その能力を持つ者には、未来を知らない者よりも大きな責任があるのではありませんか?」

 

「……」

 

「あなたが、よりよい未来を知っている。相手がそれを拒む。だが、その拒絶が相手を苦しめることになる。ならば、あなたが相手を導くことは、傲慢ではない。むしろ、責任を果たす行為ではありませんか?」

 

ナイトアイは、拳を握った。

 

それは、彼自身が過去に考えたことのある理屈だった。

 

自分には、未来が見える。

 

だからこそ、危険を知らせなければならない。

 

だからこそ、失敗を防がなければならない。

 

だからこそ、相手が間違った選択をしようとしたとき、止めなければならない。

 

しかし、その思考の中には、いつしか一つの危険な前提が入り込む。

 

自分が見た未来は、相手が選ぶ未来よりも正しい。

 

その前提を信じ続けたとき、相手の意思は、尊重すべきものではなく、修正すべきものになってしまう。

 

ナイトアイは、静かに答えた。

 

「……責任があることと、他人の人生を所有することは違います」

 

白い影が、初めて口を閉じた。

 

「私は、危険を知らせる責任があります。ですが、相手が何を選ぶかを、全て私が決める責任まではありません」

 

ナイトアイは、前へ出た。

 

「その違いを無視したとき、責任は支配へ変わるのです」

 

白い影の微笑みが、僅かに深くなった。

 

「……なるほど」

 

彼は、満足そうに頷いた。

 

「あなたは、ようやく自分の罪に気づき始めたのですね」

 

その瞬間、床が大きく裂けた。

 

三 竜の翼、波動の螺旋

「リューキュウさん!」

 

波動ねじれの声が、ホールの上空から響いた。

 

天井から伸びた黒いケーブルが、竜の姿になったリューキュウへ絡みついている。

 

リューキュウは翼を広げ、身体を捻った。

 

「ねじれさん、ケーブルの接続部を狙って!」

 

「分かった!」

 

ねじれの掌に、青白いエネルギーが渦巻く。

 

《波動》。

 

螺旋状のエネルギー波が放たれ、ケーブルの束を撃ち抜いた。

 

金属が弾ける。

 

だが、ケーブルは一本ではなかった。

 

天井から、壁から、床から。

 

無数の線が伸び、リューキュウの身体を取り囲む。

 

「……数が多すぎる!」

 

ねじれは空中で旋回し、次々とエネルギー波を放った。

 

一発目で左側のケーブルを切る。

 

二発目で、右側の接続部を破壊する。

 

三発目で、天井に張りついていた透明板を撃ち落とす。

 

しかし、破壊した場所から、さらに別のケーブルが伸びてくる。

 

「壊しても、すぐに補充される!」

 

「中心の接続を止めなければ、再構成されるのかもしれないわ!」

 

リューキュウは翼を広げ、強い風圧を生み出した。

 

風がホールを吹き抜け、ケーブルの動きを乱す。

 

その隙に、彼女は身体を旋回させ、長い尾で床を叩いた。

 

轟音。

 

床が砕け、ケーブルの根元が露出する。

 

「ねじれさん、今よ!」

 

「了解!」

 

ねじれが一気に降下する。

 

掌から放たれた螺旋状のエネルギー波が、露出した接続部へ命中した。

 

金属節が砕け、ケーブルの束が弾け飛ぶ。

 

リューキュウの身体が自由になる。

 

彼女は空中で体勢を立て直し、そのまま天井へ向かって飛び上がった。

 

「ありがとう、ねじれさん!」

 

「どういたしまして! でも、あれを見て!」

 

ねじれが指さす先。

 

白い影の周囲に、複数の透明板が浮かんでいた。

 

その一つ一つが、別々の戦闘映像を映している。

 

ロックロックが固定した壁。

 

センチピーダーが拘束したケーブル。

 

ミリオが透過して逃れる瞬間。

 

バブルガールが泡を放つ場面。

 

そして、リューキュウが翼を広げ、ねじれがエネルギー波を放つ場面。

 

その全てに、赤い線が描き込まれていた。

 

「……私たちの動きを記録している?」

 

リューキュウが眉をひそめる。

 

白い影が答えた。

 

「観察し、分析し、最適な対応を選ぶ。それは当然のことです。戦闘においても、救済においても、よりよい結果を得るためには、情報が必要なのですから」

 

「情報を集めること自体が悪いなんて、言ってないよ!」

 

ねじれが叫んだ。

 

「でも、私たちの動きを見て、全部を先回りして、こっちの選べる道をなくすのは違う!」

 

「なぜです?」

 

白い影は、穏やかに問い返す。

 

「あなた方は、敵が攻撃してくることを予測し、回避するでしょう。味方が危険に陥れば、救援に向かう。相手の行動を読んで、よりよい結果を選ぼうとする。それならば、私の行為と何が違うというのです?」

 

ねじれは、一瞬、言葉に詰まった。

 

リューキュウが代わりに答えた。

 

「私たちは、相手の行動を予測しても、相手の人生を決めようとはしないわ」

 

「その予測が、相手の自由を制限することもあるでしょう」

 

「危険を防ぐために、一時的に行動を止めることはあるわ。ですが、それを理由に、相手が何を望むのかまで、私たちが決めていいわけではない」

 

リューキュウは、翼を大きく広げた。

 

「救助の現場では、本人の意思を確認できないこともある。だから、緊急時には判断をしなければならない。それでも、危険が去った後には、本人の声を聞かなければならないの」

 

「その判断が間違っていたら?」

 

「間違っていたなら、認めて、次にどうするかを考える」

 

リューキュウの言葉は、揺らがなかった。

 

「自分が正しいと信じているからといって、相手の声を聞かなくていい理由にはならないわ」

 

白い影は、その答えを聞いて、少しだけ目を細めた。

 

「……あなた方は、結果よりも、選択の過程を重視するのですね」

 

「違う!」

 

ねじれが叫んだ。

 

「結果も大事だよ! 助けられなかったら悲しいし、失敗したら悔しい! でも、だからって、誰かのことを勝手に決めていいことにはならない!」

 

彼女は両手を前へ伸ばした。

 

渦巻くエネルギーが、螺旋状に集まっていく。

 

「私たちは、失敗しないために戦ってるんじゃない!」

 

その声と同時に、ねじれはエネルギー波を放った。

 

巨大な螺旋が、透明板の群れへ向かって飛ぶ。

 

しかし、白い影は指先を動かした。

 

透明板が一斉に回転する。

 

エネルギー波の軌道が、わずかにずれた。

 

巨大な光が、横の壁へ激突する。

 

轟音。

 

壁が崩れた。

 

「……っ!」

 

ねじれは、すぐに上昇した。

 

だが、別のケーブルが彼女の進路を塞ぐ。

 

リューキュウが割り込んだ。

 

竜の爪が、ケーブルを掴む。

 

力を込める。

 

金属が軋み、ケーブルがちぎれた。

 

「ねじれさん、無事?」

 

「うん! ありがとう!」

 

リューキュウは、白い影を見据えた。

 

「あなたの予測が、どれほど正確だとしても、私たちが何を選ぶのかまで、あなたが決めることはできない」

 

白い影は、微笑んだ。

 

「ならば、証明してください」

 

彼の周囲で、透明板が再び回転を始めた。

 

「あなた方の自由が、私の正しさよりも価値があると」

 

四 未来を読む者、未来を奪う者

「……サー!」

 

ミリオが、中央ホールの奥から叫んだ。

 

「この装置、僕たちが何をするかを予測しているだけじゃありません!」

 

ナイトアイは、すぐに振り向いた。

 

「どういうことですか?」

 

「こっちが避けると、避けた先に障害物が来る! 攻撃すると、その攻撃を避けるために設備が動く! つまり、僕たちが選ぶ行動に合わせて、環境そのものを変えているんです!」

 

「……やはり」

 

ナイトアイの表情が引き締まった。

 

「予測を実現するために、周囲を操作しているのですね」

 

「はい! それに、装置は、こっちが同じ行動を繰り返すほど、反応が速くなっています!」

 

ミリオは、床を透過しながら説明した。

 

「僕が壁を抜けて逃げると、その先へ拘束具が来る。でも、途中で動きを変えると、少しだけ遅れるんです!」

 

ナイトアイは、透明板の表示を確認した。

 

そこには、戦闘員たちの動きと、設備の反応が記録されていた。

 

『対象行動を分析』

 

『予測確度を更新』

 

『最適対応を実行』

 

その文字の下に、小さな表示があった。

 

「予測外の行動は、再計算によって補正する」

 

ナイトアイは、息を呑んだ。

 

「……予測外の行動を、許容しない仕組みなのか」

 

白い影が答える。

 

「許容しないのではありません。よりよい未来へ近づくよう、補正しているのです」

 

「その補正が、相手の意思を無視するものになっている!」

 

「本人が危険へ向かっているのなら、止める必要があるでしょう」

 

白い影は、微笑みを崩さなかった。

 

「人間は、しばしば自分の損失を理解できません。目先の感情に流され、長期的な利益を見落とす。ならば、より広い視点を持つ者が、正しい道を示すべきではありませんか?」

 

ナイトアイは、静かに答えた。

 

「……正しい道を示すことと、その道以外を選べなくすることは違います」

 

「あなたは、未来を予知できますね」

 

白い影の声が、少しだけ低くなった。

 

「危険を知ることができる。失敗の可能性を見抜くことができる。ならば、なぜ、その未来を避けるように相手を導かないのです?」

 

ナイトアイは、目を細めた。

 

「必要な情報を伝え、助言をすることはあります」

 

「ですが、相手が拒んだら?」

 

「相手の意思を確認し、もう一度、話し合います」

 

「それでも拒んだら?」

 

ナイトアイは、答えた。

 

「……相手が自分で選ぶことを尊重します。ただし、その選択が他者を傷つけるのであれば、その行為を止める責任はあります」

 

白い影は、少しだけ顔を傾けた。

 

「なるほど。あなたは、選択を尊重することと、選択の結果を受け入れることを分けているのですね」

 

「そのとおりです」

 

「では、あなたが予知した未来によって、他者が重大な損失を被ると分かっていても、その選択を尊重するのですか?」

 

ナイトアイの胸が、静かに痛んだ。

 

また、同じ問いだ。

 

未来が見える。

 

危険が分かる。

 

失敗する可能性を知っている。

 

それなのに、相手の意思を尊重して、危険を見過ごすのか。

 

その問いは、善意を理由に、相手の選択を奪うための、最も強い言葉だった。

 

ナイトアイは、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……いいえ。危険を知らせることはします。必要なら、助けるために行動します」

 

「ならば、あなたも相手の選択を制限するのではありませんか?」

 

「ええ。緊急時には、行動を制止することもあるでしょう」

 

ナイトアイは、正直に答えた。

 

「ですが、危険を避けるための一時的な制止と、相手の人生を自分が決めることは違います」

 

彼は、白い影を見据えた。

 

「あなたは、危険を避けることを理由に、相手の意思そのものを不要なものとして扱っている。そこが、私たちとの違いです」

 

白い影の微笑みが、僅かに止まった。

 

「……意思が、不要?」

 

「あなたは、壊理が何を望んでいるかを聞かなかった。彼女の能力で、どれほど多くの人々を救えるか。そればかりを考え、本人がその責任を背負いたいと思っているかどうかを、確かめようとしなかった」

 

ナイトアイは、一歩前へ出た。

 

「あなたが見ているのは、救済の結果だけです。そこへ至る人間の意思を、見ていない」

 

白い影は、静かに答えた。

 

「意思を尊重した結果、救える命が失われることもある」

 

「……ええ」

 

ナイトアイは、頷いた。

 

「その可能性はあります」

 

白い影は、少しだけ驚いたように目を細めた。

 

ナイトアイは続けた。

 

「だから、私は、危険を知らせる。助けるために行動する。そして、できる限りのことをする。しかし、その結果を恐れるあまり、相手の意思を全て奪うことはしない」

 

彼は、自分の手を見つめた。

 

「私は、未来を予知する力を持っています。ですが、その力によって、他人の人生を所有する権利まで得たわけではありません」

 

その言葉は、過去の自分へ向けたものでもあった。

 

白い影は、しばらく沈黙していた。

 

やがて、微笑みを戻す。

 

「……美しい言葉です」

 

その瞬間、ナイトアイの背後で床が爆発した。

 

黒いケーブルが、彼の身体へ向かって一斉に伸びる。

 

「サー!」

 

ミリオが叫んだ。

 

ナイトアイは身を沈めた。

 

しかし、ケーブルは彼の動きに合わせて軌道を変え、左右から挟み込むように迫ってくる。

 

ナイトアイは、紙束を投げた。

 

紙がセンサーへ張りつき、視界を一瞬だけ覆う。

 

その隙に、彼は地面を蹴り、横へ飛び出した。

 

だが、床が動いた。

 

足元が持ち上がり、バランスが崩れる。

 

「……っ!」

 

ケーブルが、彼の腕へ絡みついた。

 

身体が引き寄せられる。

 

その瞬間、センチピーダーが飛び込んだ。

 

長い身体が、ナイトアイの腕へ巻きついたケーブルを押さえ込む。

 

「サー、こちらへ!」

 

彼は身体をひねり、ケーブルの引っ張る力を別方向へ流した。

 

ナイトアイの身体が、拘束から抜ける。

 

「助かりました!」

 

「礼は後です!」

 

センチピーダーは、ケーブルを押さえたまま、必死に踏ん張る。

 

「このままでは、全員が分断されます!」

 

ナイトアイは、すぐに周囲を見た。

 

白い影の周囲には、無数の透明板が浮かんでいる。

 

それらが、戦闘員の動きを記録し、次の動きを予測している。

 

そして、その予測に合わせて、設備が動く。

 

これを止めなければ、戦いは終わらない。

 

「……ミリオ!」

 

彼は叫んだ。

 

「中央の透明板を狙ってください! ただし、正面から接近してはいけません!」

 

「了解です!」

 

ミリオは、身体を透過させた。

 

床を抜け、壁を抜け、天井へ回り込む。

 

透明板が回転する。

 

赤い線が、彼の進路を追う。

 

しかし、ミリオは途中で動きを変えた。

 

壁を抜けるのをやめ、空中で身体を捻る。

 

落下。

 

その途中で透過を解除し、天井の金属梁を蹴った。

 

勢いが変わる。

 

ミリオの身体が、予測されていた軌道から外れた。

 

「……そこだ!」

 

拳が、透明板の接続部へ叩き込まれる。

 

金属が砕ける。

 

透明板が回転を止めた。

 

その瞬間、床の動きが僅かに鈍くなった。

 

「やった!」

 

ミリオが叫ぶ。

 

しかし、白い影は動じなかった。

 

「一つの予測を破ったところで、全体の処理は止まりません」

 

彼が手を上げた。

 

新たな透明板が、次々と空中へ浮かび上がる。

 

「あなた方が自由を選ぶというのなら、その自由によって生まれる危険を、全て引き受けていただきましょう」

 

次の瞬間、ホール全体が大きく揺れた。

 

五 正解のために誰を切り捨てる

天井から、巨大な梁が落下した。

 

「全員、退避!」

 

リューキュウが叫ぶ。

 

竜の姿になった彼女が、翼を広げて梁を受け止めた。

 

その衝撃で、床が大きく揺れる。

 

ねじれが空中へ飛び上がり、両手にエネルギーを集めた。

 

「リューキュウさん、支えて!」

 

「任せて!」

 

ねじれが、梁の接続部へエネルギー波を放つ。

 

一発目で金属板を砕く。

 

二発目で、崩れかけた支柱を切り離す。

 

三発目で、梁の重さが別の支持部へ分散されるように、接続部を破壊した。

 

梁が傾く。

 

リューキュウは身体を捻り、巨大な翼でその動きを受け止める。

 

「今よ、ねじれさん!」

 

ねじれが、さらにエネルギーを放つ。

 

梁が横へ滑り、床へ叩きつけられた。

 

轟音。

 

粉塵。

 

しかし、全員は無事だった。

 

「……危なかった!」

 

ねじれが息を吐く。

 

リューキュウは翼を畳み、ホールの中央へ視線を戻した。

 

白い影は、静かに二人を見つめていた。

 

「見事な連携です」

 

その声には、皮肉も怒りもなかった。

 

「あなた方は、互いを助けるために、多くの危険を冒す。仲間を救うために、最適ではない行動を選ぶこともある」

 

「それの何が悪いの?」

 

ねじれが問い返す。

 

「悪いとは言っていません」

 

白い影は、微笑んだ。

 

「ただ、興味深いと思っているのです。あなた方は、危険を避けることが最善だと理解している。それでも、危険を冒すことを選ぶ」

 

彼は、壊れた梁を見つめた。

 

「もし、今の判断でリューキュウが負傷していたら? ねじれが攻撃のタイミングを誤り、梁が別の場所へ落ちていたら? ロックロックが支柱を固定できず、施設全体が崩れていたら?」

 

白い影は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「そのとき、あなた方は、誰に責任を求めるのでしょう?」

 

リューキュウは、一瞬だけ黙った。

 

白い影は続ける。

 

「あなた方は、互いの意思を尊重すると言う。だが、その意思が間違った結果を生んだとき、何が残るのですか?」

 

「……責任を引き受けるんだよ」

 

ミリオが答えた。

 

白い影が、彼を見た。

 

「何?」

 

「自分で判断したなら、その結果を見て、必要なことを考える。もし間違っていたなら、認めて、やり直す。怪我をした人がいたら助ける。壊れた場所があったら直す」

 

ミリオは、拳を握った。

 

「それが簡単だとは思わないよ。失敗したら、悔しいし、悲しい。でも、だからって、最初から誰かの意思を奪っていいことにはならない!」

 

白い影は首を傾けた。

 

「やり直せない場合もある」

 

「……うん」

 

ミリオは、顔を伏せた。

 

「あると思う」

 

その声は、先ほどよりも静かだった。

 

「取り返しのつかないことだってある。どれだけ頑張っても、戻せないものもある。それは、分かってる」

 

彼は、ゆっくり顔を上げた。

 

「でも、だからって、全部を誰かに決めてもらいたいとは思わない」

 

白い影の目が、細くなる。

 

ミリオは続けた。

 

「失敗したくないからって、何も選ばないわけにはいかない。誰かを傷つけたくないからって、相手の声を聞かずに全部決めるわけにもいかない」

 

彼は、壊理のいる方向を一度だけ見た。

 

「……僕は、壊理ちゃんを救いたかった」

 

その言葉に、ナイトアイが顔を上げた。

 

「彼女が苦しんでいると知ったとき、助けたいと思った。彼女が怖い思いをしているなら、そこから連れ出したいと思った。もう二度と、あんな目に遭ってほしくないと思った」

 

ミリオの拳が、強く握られる。

 

「その気持ちまで、間違っていたとは思わない」

 

白い影は、静かに聞いていた。

 

「でも、僕が助けたいと思ったからって、壊理ちゃんが何を望んでいるのかを聞かなくていいわけじゃない。僕が彼女を守りたいからって、彼女が自分で選ぶ機会まで奪っていいわけじゃない」

 

ミリオは、まっすぐに敵を見た。

 

「善意が本物でも、やり方が正しいとは限らないんだ!」

 

白い影は、初めて、微笑みを消した。

 

その顔に浮かんだのは、怒りではなかった。

 

理解できないものを前にした者の、静かな困惑だった。

 

「……あなたは、善意を疑うのですか?」

 

「ううん」

 

ミリオは、首を横に振った。

 

「善意があることと、全部正しいことは違うって言ってるんだ」

 

彼は、拳を構えた。

 

「僕は、壊理ちゃんを救いたかった。その気持ちは、今も変わらない。でも、僕がそう思っているからって、彼女の未来を僕のものにするつもりはない」

 

その言葉が、ホールへ響いた。

 

白い影の背後で、透明板が一斉に回転した。

 

『不適切な判断を確認』

 

『安定化処理を強化』

 

黒いケーブルが、再び動き始める。

 

「……ならば」

 

白い影が、静かに告げた。

 

「あなた方の善意が、どれほど無力であるかを、証明してみせましょう」

 

六 傲慢の戦術

白い影が、手を上げた。

 

その瞬間、ホールの床が巨大な格子状に分割された。

 

床の区画がそれぞれ別の方向へ動き、足場の高さと位置が変わる。

 

ロックロックが、即座に床へ手をついた。

 

《ロック》。

 

一つの区画が固定される。

 

だが、その隣の区画が沈み込む。

 

「ちっ、床全体が別々に動いてやがる!」

 

ロックロックは、固定した区画へ身体を移す。

 

そのまま隣の区画へ手を伸ばし、固定する。

 

二つ目の区画が止まる。

 

しかし、固定した区画の負荷が増す。

 

「ぐっ……!」

 

彼は歯を食いしばった。

 

「全部を止めるのは無理だ! 誰か、別の手を考えろ!」

 

「了解!」

 

ミリオが、床を透過して潜り込む。

 

床下へ落ち、構造を確認する。

 

その下には、無数のケーブルが張り巡らされていた。

 

それらは、各区画の動きを制御しているらしい。

 

「……なるほど!」

 

ミリオは、ケーブルの束を見つけた。

 

「床を動かしてるのは、この線だ!」

 

通信機へ声を飛ばす。

 

「センチピーダーさん、下の構造に入れますか?」

 

『通路が狭いですが、可能です!』

 

「床の下に、黒いケーブルの束があります! それを押さえれば、床の動きを止められるかもしれません!」

 

『了解しました!』

 

センチピーダーは、身体を細く伸ばし、床下の隙間へ入り込んだ。

 

長い身体が、複雑なケーブルの間を滑る。

 

ケーブルが反応し、彼へ絡みつこうとする。

 

センチピーダーは、身体の節を別々に動かし、一本ずつ絡みつきを外していく。

 

「……数が多い!」

 

彼は、長い身体を二つの束へ分けるようにして、別々の方向へ力をかけた。

 

その結果、ケーブルの束が一部だけ固定される。

 

上階の床の動きが、僅かに鈍くなった。

 

「今です、ロックロック!」

 

ロックロックは、すぐに動いた。

 

固定した床区画から隣の区画へ跳び移り、金属製の支柱へ手をつく。

 

《ロック》。

 

支柱が、その場へ固定される。

 

次に、手すり。

 

さらに、床の接続部。

 

彼は、一つの区画を止めるのではなく、複数の支持部を固定して、動く範囲そのものを制限していった。

 

床の動きが、少しずつ止まっていく。

 

「よし! このまま押さえるぞ!」

 

しかし、白い影は、すぐに次の手を打った。

 

天井から、巨大な板が降りてくる。

 

その板は、床区画の一部を覆い、ロックロックが固定していた支柱へ負荷を集中させた。

 

「……またかよ!」

 

ロックロックが、歯を食いしばる。

 

「こいつ、こっちが固定する場所を見て、そこへ負荷を集めてやがる!」

 

「ロックロックさん、少しだけ固定を解除してください!」

 

ナイトアイが叫んだ。

 

「何だと!?」

 

「全てを止めようとしないでください! 負荷が集中して、支柱が破損します!」

 

ロックロックは、迷った。

 

固定を解除すれば、床が動き出す。

 

しかし、固定したままでは、支柱が耐えられない。

 

「……くそっ!」

 

彼は、支柱の固定を解除した。

 

床が動く。

 

しかし、彼は、別の部材へ手を伸ばした。

 

今度は、天井から降りてきた板の端へ触れる。

 

《ロック》。

 

板が、その場へ固定された。

 

落下が止まる。

 

床の動きが再び変わり、支柱へ集中していた負荷が分散された。

 

「……これなら!」

 

ロックロックは、息を吐いた。

 

「一か所を止めるんじゃなくて、動かす場所を選ぶんだな!」

 

ナイトアイは頷いた。

 

「そうです。全てを固定する必要はありません。危険を抑えながら、別の場所へ動きを逃がすのです!」

 

ロックロックは笑った。

 

「最初からそう言え!」

 

「今、気づいたのはあなたでしょう!」

 

「うるせえ!」

 

二人のやり取りに、ミリオが笑った。

 

しかし、戦闘はまだ終わらない。

 

白い影は、透明板を回転させた。

 

『対象間の協力を確認』

 

『新たな最適対応を算出』

 

今度は、床ではなく壁が動き始めた。

 

ホールの四方から、巨大な隔壁が迫ってくる。

 

「全員、距離を取って!」

 

リューキュウが叫ぶ。

 

彼女は竜の姿で飛び上がり、翼を広げた。

 

その巨大な翼で隔壁を押さえ、動きを止めようとする。

 

しかし、隔壁の表面から黒いケーブルが伸び、彼女の翼へ絡みついた。

 

「くっ……!」

 

ねじれが、すぐにエネルギー波を放った。

 

螺旋状の光がケーブルを切断する。

 

リューキュウは翼を引き抜き、隔壁を横へ押し返した。

 

「ありがとう、ねじれさん!」

 

「どういたしまして!」

 

ねじれは空中で旋回し、両手へエネルギーを集める。

 

「でも、あれをどうにかしないと、きりがないよ!」

 

「ええ!」

 

リューキュウは、透明板を見た。

 

「ミリオ! 中央の制御部へ行ける?」

 

「行けます!」

 

ミリオは、床を透過して動き始めた。

 

しかし、白い影が指を鳴らした。

 

透明板が一斉に回転する。

 

『対象、通形ミリオ』

 

『移動経路を予測』

 

『捕獲処理を開始』

 

床下のケーブルが動いた。

 

ミリオの進路へ、次々と拘束線が張られる。

 

彼は、身体を透過させ、線をすり抜ける。

 

だが、別の線が、その先で待ち受けていた。

 

「……っ!」

 

ミリオは、床下で身体を捻った。

 

透過を解除し、壁の内部へ押し出される。

 

そのまま壁を抜け、別の通路へ飛び出した。

 

「……危なかった!」

 

彼は、息を吐いた。

 

「でも、これで分かった!」

 

ミリオは、透明板を見上げた。

 

「君は、僕たちが何をするかを予測している。でも、僕たちが何を大切にしているかまでは、分かっていない!」

 

白い影が、彼を見た。

 

「……何を大切にしているか?」

 

「そう!」

 

ミリオは、笑った。

 

「僕たちが仲間を助けるからって、必ず同じ順番で動くとは限らない。壊理ちゃんを守りたいからって、彼女が何を望んでいるのかを聞かずに動くわけじゃない!」

 

彼は、身体を透過させた。

 

「僕たちは、決められた動きを繰り返す人形じゃない!」

 

ミリオは、床下から飛び出した。

 

予測された経路とは、違う方向から。

 

そのまま透明板の背面へ回り込み、接続部へ拳を叩き込んだ。

 

一枚目の透明板が砕けた。

 

二枚目。

 

三枚目。

 

次々と接続が切れる。

 

白い影の表情が、初めて硬くなった。

 

「……なるほど」

 

彼は、ミリオを見据えた。

 

「あなたは、予測を破ることそのものを、戦術にしているのですね」

 

「うん!」

 

ミリオは、笑った。

 

「それに、僕一人でやってるわけじゃない!」

 

その言葉と同時に、ロックロックが隔壁を固定し、センチピーダーが床下のケーブルを押さえ、バブルガールが泡でセンサーを惑わせる。

 

リューキュウが天井を支え、ねじれが接続部を撃ち抜く。

 

ナイトアイが危険を予測し、全員へ情報を伝える。

 

それぞれが違う役割を持ちながら、必要に応じて動きを変える。

 

その連携は、単一の正解へまとめられてはいなかった。

 

しかし、だからこそ、装置の予測だけでは完全に封じることができなかった。

 

七 壊理の声

ホールの端。

 

壊理は、バブルガールが確保した安全区画にいた。

 

だが、彼女は戦闘の様子から目を離せなかった。

 

ミリオが戦っている。

 

ナイトアイが指示を出している。

 

センチピーダーがケーブルを押さえ、ロックロックが設備を固定し、リューキュウとねじれが空中から支援している。

 

全員が、自分の意思で戦っていた。

 

しかし、戦闘のたびに、壊理の胸には、同じ不安が浮かんでいた。

 

自分の個性があれば、何かを変えられるかもしれない。

 

もし、自分の《巻き戻し》を使えば、壊れた設備を元に戻せるかもしれない。

 

負傷した人を助けられるかもしれない。

 

誰かを救うために、できることがあるかもしれない。

 

でも。

 

自分が何をしたいのか。

 

今、何を望んでいるのか。

 

自分には、まだ分からない。

 

壊理は、両手を握りしめた。

 

「……わたし」

 

小さな声が漏れる。

 

「わたしも、何かできるのかな……」

 

その言葉を、バブルガールが聞いた。

 

「壊理ちゃん?」

 

壊理は、少しだけ顔を上げた。

 

「……みんな、すごいです」

 

「そうね」

 

バブルガールは頷いた。

 

「みんな、それぞれの力を使って、一生懸命戦っているわ」

 

「……わたしにも、あんなふうにできることがあるのかな」

 

バブルガールは、すぐには答えなかった。

 

彼女は、壊理の横へ座った。

 

「あるかもしれないわ。でも、今、無理に見つけなくてもいいと思う」

 

壊理は、目を見開いた。

 

「……いいんですか?」

 

「ええ」

 

バブルガールは、穏やかに言った。

 

「誰かが戦っているからって、全員が同じことをしなきゃいけないわけじゃないもの。今、壊理ちゃんが安全な場所で待つことだって、大切なことよ」

 

「……でも」

 

壊理は、戦場を見た。

 

「わたしが何もしなかったら、みんなが困るかもしれない」

 

その言葉に、バブルガールは少しだけ眉をひそめた。

 

「壊理ちゃん。あなたが何かをしなかったせいで、誰かが困るかもしれない。そう考えることはあると思う」

 

彼女は、壊理の手を優しく包んだ。

 

「でも、誰かが困っていることの責任を、全部あなたが背負わなければならないわけじゃないわ」

 

壊理は、黙っていた。

 

「あなたが助けたいと思うとき、力を使うことを考えるのはいいことよ。でも、怖いときや、分からないとき、今はできないと思うときに、無理をしなくてもいい」

 

バブルガールは、壊理の目を見た。

 

「あなたの気持ちも、大切なの」

 

その言葉を聞いたとき、壊理は、少しだけ息を吐いた。

 

「……わたし、まだ怖いです」

 

「うん」

 

「みんなが怪我をするのも、怖いです」

 

「そうね」

 

「でも、わたしが何かをすることで、もっと大変なことになったら……それも怖いです」

 

壊理は、自分の言葉を探すように、ゆっくりと続けた。

 

「……わたし、どうしたらいいのか、分からないです」

 

バブルガールは、頷いた。

 

「分からないなら、分からないって言っていいのよ」

 

壊理は、顔を上げた。

 

「……本当に?」

 

「もちろん」

 

バブルガールは、笑った。

 

「ここにいる大人たちだって、全部分かっているわけじゃないもの。分からないことがあるから、相談する。困ったことがあるから、助け合う。そうやって、少しずつ考えていくの」

 

壊理は、戦場を見つめた。

 

ミリオは、まだ戦っていた。

 

その姿を見ていると、胸が苦しくなる。

 

助けたい。

 

でも、怖い。

 

何かをしたい。

 

でも、何をすればいいのか分からない。

 

その気持ちは、どれも本当だった。

 

壊理は、ゆっくりと口を開いた。

 

「……わたし、ミリオお兄ちゃんに、伝えたいことがあります」

 

バブルガールは頷いた。

 

「ええ。伝えましょう」

 

壊理は、立ち上がった。

 

ただし、戦場へ走り出したわけではない。

 

自分が今、何を望んでいるのかを伝えるために、一歩を踏み出したのだ。

 

八 傲慢の正体

中央ホールでは、ミリオと白い影の戦いが激しさを増していた。

 

ミリオは透過を使い、設備の隙間をすり抜けながら、透明板の接続を切っていく。

 

しかし、白い影も、次々と対応を変えていた。

 

床を動かす。

 

壁を閉じる。

 

拘束線を伸ばす。

 

天井から機材を落とす。

 

ミリオが何かを破壊するたび、その先の経路が変化する。

 

それは、予測が外れても、すぐに修正できる仕組みだった。

 

「……本当にしつこいね!」

 

ミリオが、壁を透過して飛び出す。

 

その瞬間、黒いケーブルが彼の足へ絡みついた。

 

「捕まえましたね!」

 

ミリオは笑った。

 

次の瞬間、身体を透過させる。

 

ケーブルをすり抜け、そのまま床下へ落下した。

 

しかし、今度は床下のケーブルが、彼を待ち受けていた。

 

「うわっ!」

 

彼は身体を捻り、別方向へ飛び出した。

 

だが、その先には、白い影が立っていた。

 

「……あなたは、まだ理解していないようですね」

 

白い影は、静かに告げた。

 

「自由とは、選択肢が多いことではありません。望ましい結果へ進むことができることです」

 

ミリオは、目を細めた。

 

「……それ、誰が決めるの?」

 

「もちろん、より多くの情報を持ち、より広い未来を見通せる者です」

 

「それが君?」

 

「そうです」

 

白い影は、躊躇なく答えた。

 

「私は、人々が何を望み、何を恐れ、どのような結果を選ぶ可能性が高いのかを見極めることができます。その情報をもとに、よりよい未来を選び取ることができる」

 

彼の胸元の鏡片が、輝いた。

 

その一つ一つに、別々の未来の光景が映る。

 

怪我をせずに終わる戦闘。

 

失敗を避けた救助。

 

誰も拒絶しない会話。

 

傷ついた者が、最初から傷つかずに済んだ世界。

 

そして、全ての人間が、あらかじめ決められた道を歩いている光景。

 

「……これが、あなたの望む未来ですか?」

 

ナイトアイが問いかけた。

 

白い影は頷いた。

 

「ええ。全ての者が、正しい道を歩む世界です」

 

「その正しさを、誰が決めたのですか」

 

「私です」

 

白い影は、またしても即答した。

 

「私は、全ての情報を分析し、最も損失の少ない未来を選びます。誰かが間違った選択をする前に、危険を取り除く。誰かが傷つく前に、原因を取り除く。それができるのなら、そうするべきでしょう」

 

ナイトアイは、まっすぐに彼を見つめた。

 

「……あなたは、自分が間違う可能性を考えたことがありますか」

 

白い影は、少しだけ首を傾けた。

 

「もちろん、計算に誤差が生じる可能性はあります。その場合は、修正すればいい」

 

「では、あなた自身の判断が間違っていたと分かったときは?」

 

「修正します」

 

「その判断によって、誰かが、自分の意思で選ぶ機会を失っていたとしても?」

 

白い影は、しばらく黙っていた。

 

それから、静かに答えた。

 

「……その場合も、よりよい結果へ修正します」

 

ナイトアイの表情が、険しくなった。

 

「あなたは、相手が自分の意思で何を選びたかったのか、そのこと自体を問題にしていない」

 

白い影は、穏やかに答えた。

 

「意思は、結果を得るための手段です。結果がよりよいものになるのであれば、意思の方向を修正することに問題はありません」

 

「……」

 

「人間は、しばしば間違えます。自分のためにならないものを望み、自分を傷つけるものを選び、後悔する未来へ進んでしまう。ならば、その選択を修正することが、救済になるのではありませんか?」

 

ミリオは、拳を握った。

 

「……違うよ」

 

白い影が振り向く。

 

「何が違うのです?」

 

「人が何かを望むのは、結果を得るためだけじゃない」

 

ミリオは、ゆっくりと言った。

 

「自分が何をしたいのか。何を大事にしたいのか。どう生きたいのか。そういうことを考えて、自分で選ぶこと自体に意味があるんだ」

 

白い影は、微笑んだ。

 

「それは、選択そのものを目的にしているだけではありませんか?」

 

「違う!」

 

ミリオは、声を強めた。

 

「僕は、結果がどうでもいいなんて言ってない! 人を救うことは大切だし、失敗を減らすことも大切だよ! でも、だからって、誰かの意思をなくしていいわけじゃない!」

 

彼は、拳を構えた。

 

「君は、正しい未来を選ぶことが、人を救うことだと思っている。けど、その未来を選びたいかどうかを、本人に聞かないんだ!」

 

白い影の表情が、初めて変わった。

 

口元の笑みが消え、目だけが、冷たくミリオを見つめる。

 

「……では、あなたに尋ねましょう」

 

彼は、ゆっくりと両腕を広げた。

 

「あなたは、壊理を救いたいと思った」

 

ミリオの身体が、僅かに硬くなる。

 

「彼女が苦しんでいると知り、手を差し伸べた。彼女が恐怖に怯えているとき、そこから連れ出そうとした。彼女が安心して暮らせる未来を、あなたは望んだ」

 

「……ああ」

 

ミリオは、答えた。

 

「それが、あなたの善意なのですね」

 

白い影は、静かに続けた。

 

「では、壊理があなたの助けを望まなかったら?」

 

ミリオは、すぐには答えなかった。

 

「あなたが救おうとすることを、壊理が拒んだら?」

 

沈黙。

 

「あなたが正しいと思っている行為を、壊理が嫌だと言ったら?」

 

ミリオの拳が、強く握られた。

 

白い影は、優しい声で問いかけた。

 

「それでも、あなたは彼女の意思を尊重するのですか?」

 

ミリオは、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……うん」

 

短い返答だった。

 

だが、そこには迷いがなかった。

 

「僕は、壊理ちゃんを救いたいと思った。その気持ちは、今も変わらない。でも、その気持ちが本物だからって、僕の行動がいつも正しかったことにはならない」

 

彼は、白い影を見据えた。

 

「僕が彼女を守りたいからって、彼女が何を望んでいるのかを聞かなくていいわけじゃない。僕が善意で動いたとしても、彼女が怖い思いをすることはある。だから、僕は話を聞かなきゃいけない」

 

ミリオは、拳を構え直した。

 

「善意を持つことと、相手の意思を尊重することは、別々に考えなきゃいけないんだ!」

 

その言葉が、ホールに響いた。

 

白い影は、しばらく黙っていた。

 

やがて、ゆっくりと微笑みを戻した。

 

「……あなたは、興味深い人ですね」

 

その声には、先ほどまでの穏やかさとは違う、鋭い響きが混じっていた。

 

「自分の善意を疑うことが、あなたにとっての正義なのですか?」

 

「違うよ」

 

ミリオは答えた。

 

「自分の善意が、誰かを傷つけることもあるって、知っておくことだよ」

 

白い影の背後で、鏡片が一斉に輝いた。

 

「……ならば、その善意が本当に無力であることを、証明してみせましょう」

 

九 傲慢は、善意の顔をしている

白い影が、片手を上げた。

 

その瞬間、ホール全体の光が消えた。

 

闇。

 

一瞬だけ、何も見えなくなる。

 

次に、床に白い線が浮かび上がった。

 

線は、ミリオ、ナイトアイ、壊理、そして仲間たちの足元を囲むように伸びている。

 

その一つ一つに、短い文字が表示された。

 

「危険」

 

「最適解」

 

「修正対象」

 

「救済対象」

 

ミリオは、その文字を見て眉をひそめた。

 

「……修正対象?」

 

その瞬間、白い線が赤く染まった。

 

『対象の意思決定を確認』

 

『不適切な選択を検出』

 

『修正処理を開始』

 

床が動いた。

 

ミリオの足元が沈む。

 

ナイトアイの周囲に壁が立ち上がる。

 

ロックロックの前に隔壁が現れ、センチピーダーの進路が狭められる。

 

バブルガールの周囲には、泡を閉じ込める透明な壁が形成される。

 

リューキュウの翼が、金属の枠に挟まれそうになる。

 

ねじれの周囲には、エネルギーを逸らすように配置された金属板が浮かび上がる。

 

それぞれの能力に合わせて、動きを制限するための仕組みが用意されていた。

 

「……こいつ!」

 

ロックロックが、歯を食いしばった。

 

「俺たちの能力に合わせて、対策を作ってやがる!」

 

「違います」

 

白い影は、静かに答えた。

 

「あなた方が、どのように行動する可能性が高いか。それをもとに、危険を減らすための環境を整えているのです」

 

「その結果、俺たちが動けなくなってんだろうが!」

 

「行動が制限されることと、救済されることは、両立します」

 

白い影は、微笑んだ。

 

「あなた方が不適切な行動を取らなければ、危険は生じません。危険がなければ、拘束も必要ありません。つまり、あなた方自身が正しい選択をすることで、全ては解決するのです」

 

「……それが、傲慢なんだよ」

 

ミリオが、低く言った。

 

白い影は、彼を見た。

 

「何?」

 

「自分が正しいって、最初から決めてる。自分のやり方に従わない人がいたら、その人が間違っているって考える。相手が拒んでも、いつか感謝するって思い込む」

 

ミリオは、拳を握った。

 

「君は、善意を理由に、誰かの気持ちを無視してるんだ!」

 

白い影は、静かに答えた。

 

「……それが、なぜ悪いのでしょう?」

 

その声には、本当の疑問があった。

 

彼は、自分の考えを悪だとは思っていない。

 

誰かを傷つけることが目的なのではない。

 

むしろ、傷つく人を減らそうとしている。

 

失敗を防ぎ、危険を取り除き、よりよい未来へ導く。

 

彼にとって、それは善意だった。

 

だからこそ、相手の拒絶を受け入れられない。

 

相手が嫌だと言えば、まだ理解していないのだと考える。

 

相手が別の道を選べば、間違った未来へ進もうとしているのだと判断する。

 

そして、自分が正しいと信じる限り、相手を修正することを、救済だと呼べてしまう。

 

ミリオは、白い影を見つめた。

 

「……君は、相手が感謝してくれなかったら、どうするの?」

 

白い影は、答えた。

 

「その者が、自分が救われたことを理解していないのでしょう」

 

「その人が、最初から助けてほしくなかったとしても?」

 

「必要な救済を受けたことは、変わりません」

 

「その人が、自分の未来は自分で決めたいって言っても?」

 

「その選択が危険なら、修正する必要があります」

 

ミリオは、静かに目を閉じた。

 

そして、ゆっくりと息を吐く。

 

「……そっか」

 

彼は、再び目を開いた。

 

「君は、相手のために何かをすることと、相手が望んでいないことをすることの違いが、分からないんだね」

 

白い影の表情が、冷たくなった。

 

「……あなたは、理解が足りません」

 

「そうかもしれない」

 

ミリオは、頷いた。

 

「僕も、全部分かってるわけじゃない。だから、相手に聞くんだ。何が嫌なのか。何を望んでいるのか。何が怖いのか」

 

彼は、拳を構えた。

 

「君は、それを聞こうとしない。自分が正しいと信じてるから、相手の答えを、最初から間違いだって決めてる!」

 

白い影は、初めて怒りを見せた。

 

「……ならば、あなた方の自由が、どれほどの価値を持つのかを、試してみましょう」

 

鏡片が一斉に回転した。

 

その中に、無数の未来の光景が映し出される。

 

壊理が泣いている姿。

 

ミリオが倒れる姿。

 

ナイトアイが、目を見開いて立ち尽くす姿。

 

そして、誰かが救われずに、手を伸ばしている姿。

 

「あなた方が自由を選ぶたび、誰かが傷つく可能性が生まれる」

 

白い影は、静かに言った。

 

「それでも、あなた方は、相手の意思を尊重すると言うのですか?」

 

ミリオは、鏡片を見つめた。

 

それらが、本当に未来を映しているのか。

 

可能性の一つなのか。

 

それとも、ただ人々の恐怖を形にしたものなのか。

 

まだ、分からない。

 

だが、一つだけ確かなことがあった。

 

どれほど恐ろしい未来を見せられても、その未来を理由に、誰かの人生を勝手に決めていいわけではない。

 

ミリオは、拳を握った。

 

「……うん」

 

彼は、静かに答えた。

 

「尊重するよ」

 

白い影の目が細くなる。

 

「たとえ、誰かが苦しむ未来であっても?」

 

「苦しむ人がいるなら、助けるために動く。危険があるなら、知らせる。間違いがあったら、考え直す」

 

ミリオは、一歩前へ出た。

 

「でも、だからって、誰かが自分で選ぶ機会まで奪わない!」

 

その言葉と同時に、彼は床を蹴った。

 

十 全員で選ぶ未来

「ミリオ!」

 

ナイトアイが叫んだ。

 

「前方、右側から攻撃が来ます!」

 

ミリオは即座に身体を傾けた。

 

黒いケーブルが、頭上を通り過ぎる。

 

彼は透過し、床へ潜り込む。

 

そのまま壁の内部を抜け、透明板の背後へ飛び出した。

 

拳が走る。

 

接続部が砕けた。

 

一枚の鏡片が、床へ落ちる。

 

白い影の身体が、僅かに揺れた。

 

「……なるほど」

 

彼は、静かに呟いた。

 

「あなた方は、互いの情報を共有することで、私の予測を乱しているのですね」

 

「そうだよ!」

 

ミリオが叫ぶ。

 

「僕一人では分からないことも、みんなで考えれば分かることがある! 僕一人ではできないことも、みんなで協力すればできることがある!」

 

彼は、次の接続部へ向かった。

 

「でも、だからって、みんなが同じことを考える必要はないんだ!」

 

ロックロックが、固定した壁を解除し、別の部材へ触れる。

 

「俺は俺のやり方で、道を作る!」

 

センチピーダーが、長い身体でケーブルを絡め取る。

 

「私は、動きを押さえる!」

 

バブルガールが泡を放ち、センサーの注意を逸らす。

 

「こちらも、できることをします!」

 

リューキュウが翼を広げ、崩れかけた天井を支える。

 

「壊すべき場所と、残すべき場所を見極めるわ!」

 

ねじれが空中で旋回し、エネルギー波を連射する。

 

「接続部は任せて!」

 

ナイトアイは、《予知》で危険な未来を見通し、全員へ必要な情報を伝えた。

 

「次は左です! ロックロック、今は固定を解除してください! センチピーダー、ケーブルを引く方向を変える必要があります!」

 

全員が、それぞれの判断で動いた。

 

一つの指示に従うだけではない。

 

情報を受け取ったうえで、現場の状況を見て、必要な行動を選ぶ。

 

その連携は、白い影の予測を乱していった。

 

鏡片が次々と破壊される。

 

床の動きが鈍くなる。

 

黒いケーブルが、少しずつ停止していく。

 

「……なぜです?」

 

白い影が、初めて声を荒らげた。

 

「なぜ、最適な行動を示しているのに、それを選ばない!」

 

ミリオは、笑った。

 

「君が考える最適な行動が、僕たちにとって最適だとは限らないからだよ!」

 

「あなた方は、何が正しいのか分かっていない!」

 

「そうかもしれない!」

 

ミリオは叫び返した。

 

「でも、分からないからこそ、考えるんだ!」

 

拳が、透明板へ叩き込まれる。

 

さらに一枚。

 

接続部が砕ける。

 

「自分が正しいと思ったことでも、間違っているかもしれない! だから、相手の話を聞く! 自分の考えを伝える! 違う意見があったら、もう一度考える!」

 

ミリオは、最後の接続部へ飛び込んだ。

 

「それを全部飛ばして、君が正しいって決めることはできない!」

 

その瞬間、白い影が手を伸ばした。

 

ミリオの身体を、透明な壁が囲い込む。

 

透過しようとした瞬間、壁が細かく分割され、動き始めた。

 

「……っ!」

 

ミリオの身体が、複数の壁に挟まれそうになる。

 

「ミリオ!」

 

ナイトアイが叫んだ。

 

しかし、彼の予知に映る未来は、複数に分岐していた。

 

どの道を選んでも、危険がある。

 

どの方向へ動いても、透明な壁が閉じる。

 

ナイトアイは、唇を噛んだ。

 

以前なら、その中から一つを選び、ミリオへ指示していたかもしれない。

 

だが、今は違う。

 

「ミリオ! 前方の壁が、三秒後に閉じます! 左側も危険です! 上の隙間は狭いですが、可能性があります!」

 

彼は、見えた情報を全て伝えた。

 

「どこへ向かうかは、あなたが判断してください!」

 

ミリオは、その声を聞いた。

 

一瞬だけ、笑顔を浮かべる。

 

「了解です、サー!」

 

彼は、身体を透過させた。

 

前方の壁を抜ける。

 

しかし、実体化はしない。

 

そのまま、床を抜ける。

 

さらに下へ。

 

狭い隙間を通り抜け、斜めの壁から飛び出す。

 

予測された経路ではない。

 

だが、無意味な動きでもなかった。

 

彼は、壁の動きが変わる瞬間を見極め、閉じきる前に身体を通過させていた。

 

最後に、透明な壁の裏側へ飛び出す。

 

「見つけた!」

 

拳が、最後の接続部へ叩き込まれた。

 

透明板が砕けた。

 

同時に、床の動きが止まった。

 

黒いケーブルが、一斉に垂れ下がる。

 

ホールの照明が、元の明るさへ戻った。

 

白い影の周囲に残っていた鏡片が、一つずつ光を失っていく。

 

静寂。

 

誰もが、息を整えていた。

 

ミリオは、拳を下ろした。

 

「……ふう」

 

彼は、白い影を見つめた。

 

「これで、少しは話を聞いてくれるかな?」

 

白い影は、しばらく黙っていた。

 

そして、ゆっくりと顔を上げた。

 

その表情には、先ほどまでの穏やかな微笑みが戻っていた。

 

だが、その目は、まったく笑っていなかった。

 

「……素晴らしい」

 

彼は、拍手をした。

 

一度。

 

二度。

 

三度。

 

乾いた音が、静かなホールへ響く。

 

「あなた方は、予測を外し、連携を変え、私の計算にない行動を選びました。実に見事です」

 

ミリオは、拳を構えたまま動かなかった。

 

「……まだ、終わってないんだね」

 

「もちろんです」

 

白い影は、微笑んだ。

 

「あなた方の自由が、どれほどの危険を生み出すのか。まだ、十分に理解できていないようですから」

 

彼の背後に、最後の鏡片が浮かび上がった。

 

そこには、一人の少女の姿が映っていた。

 

壊理だった。

 

その映像を見た瞬間、ミリオの表情が変わった。

 

「……壊理ちゃん?」

 

白い影は、静かに告げた。

 

「彼女の未来について、まだ話が終わっていません」

 

十一 守る側の傲慢

「壊理ちゃんから離れろ!」

 

ミリオが、一歩前へ出た。

 

しかし、白い影は動かなかった。

 

「私は、彼女を傷つけるつもりはありません」

 

「さっきから、そればっかりだね!」

 

ミリオの声が鋭くなる。

 

「傷つけるつもりがないなら、何をしてもいいわけじゃない!」

 

白い影は、穏やかに答えた。

 

「彼女の能力は、他者の人生を変える可能性を秘めています。失われたものを取り戻し、過去の苦しみを軽減し、未来に新たな道を開くことができるかもしれない」

 

「それは、壊理ちゃんが決めることだ!」

 

「彼女は、まだ子供です」

 

白い影は、静かに言った。

 

「自分の力が、どれほど大きな意味を持つのかを理解していない。だからこそ、周囲の大人が導く必要がある」

 

ナイトアイが、一歩前へ出た。

 

「……あなたは、彼女が自分の未来を選べないと決めつけている」

 

「現実を見ているだけです」

 

「いいえ」

 

ナイトアイは、首を横に振った。

 

「彼女がまだ子供であることと、彼女の意思を尊重する必要がないことは、同じではありません」

 

白い影は、ミリオとナイトアイを交互に見た。

 

「あなた方は、彼女に選択を委ねることで、彼女が失敗する可能性を受け入れるのですね」

 

「……ええ」

 

ナイトアイは答えた。

 

「壊理が、自分の意思で何かを選ぶなら、その選択を支えることはできます。危険があれば、説明する。必要なら、助言する。ですが、彼女が何を望んでいるのかを聞かずに、私たちが未来を決めることはできません」

 

白い影は、静かに笑った。

 

「それでは、彼女が選んだ結果、誰かが苦しむ未来が訪れたら?」

 

ナイトアイは、目を伏せた。

 

その問いには、簡単に答えられない。

 

どれほど注意深く判断しても、失敗の可能性は残る。

 

どれほど善意を持っていても、望ましくない結果が生まれることはある。

 

だが、その不確かさこそが、人間の選択に伴うものなのだ。

 

「……その結果について、考えます」

 

ナイトアイは、静かに答えた。

 

「必要なら、責任を引き受けます。ですが、それを理由に、壊理の意思まで奪うことはしません」

 

白い影の微笑みが、少しだけ深まった。

 

「あなた方は、本当に、自分の正しさを疑うようになったのですね」

 

彼は、鏡片を見つめた。

 

「ですが、自分の正しさを疑うだけで、人を救えるわけではありません」

 

ミリオは、拳を握った。

 

「……分かってるよ」

 

彼は、静かに言った。

 

「だから、僕たちは、考え続けるんだ」

 

白い影が顔を上げる。

 

「何を?」

 

「何が必要なのか。どうすれば助けられるのか。どうすれば、相手の気持ちを聞きながら、危険を減らせるのか」

 

ミリオは、まっすぐに答えた。

 

「簡単に正解が見つかるとは思ってない。でも、正解が分からないからって、相手の意思を奪っていいわけじゃない」

 

彼は、一歩前へ出た。

 

「僕たちは、誰かを救いたいと思う。だけど、その気持ちを理由に、誰かの人生を自分のものにするつもりはない!」

 

その言葉に、白い影は、ゆっくりと目を細めた。

 

「……なるほど」

 

彼は、少しだけ頭を下げた。

 

「あなた方の考え方は、理解しました」

 

ミリオは警戒を解かなかった。

 

「……それなら、もう終わりにしよう」

 

白い影は、静かに首を横に振った。

 

「いいえ」

 

鏡片が、再び輝いた。

 

「理解することと、認めることは違います」

 

その瞬間、最後に残った鏡片が、床へ落ちた。

 

砕ける。

 

白い光が、ホール全体へ広がった。

 

そして――。

 

白い影の姿が、消えた。

 

十二 善意は、誰のものか

光が消えた後、ホールには静けさが戻っていた。

 

黒いケーブルは動きを止め、透明板は全て砕けている。

 

床や壁の一部は破損していたが、建物の崩落は免れた。

 

センチピーダーが、周囲を確認する。

 

「……動きは止まっています」

 

ロックロックが息を吐いた。

 

「やれやれ。今回は、ずいぶん面倒な相手だったな」

 

バブルガールは、回収された鏡片を見つめていた。

 

「でも、あの人……本当に、自分が正しいと信じていたんですね」

 

リューキュウが頷く。

 

「ええ。誰かを苦しめようとしていたわけではないのかもしれない」

 

ねじれは、少しだけ首を傾げた。

 

「でも、だからって、やっていいことにはならないよね」

 

「そのとおりです」

 

ナイトアイが答えた。

 

「善意があることと、その行為が正しいことは、別の問題です」

 

彼は、砕けた鏡片を見つめた。

 

そこには、まだ小さな文字が残っていた。

 

「救済は、正しい未来を選び取ること」

 

ナイトアイは、静かに息を吐いた。

 

「……あの存在は、他人を救いたいという願いそのものを、支配する理由に変えていた」

 

ミリオは、頷いた。

 

「うん。自分が正しいと思っているから、相手が嫌だって言っても、まだ分かってないって考えちゃうんだ」

 

「そうですね」

 

ナイトアイは、少しだけ目を伏せた。

 

「……私も、その考え方から完全に自由だったわけではありません」

 

ミリオは、彼を見た。

 

ナイトアイは続ける。

 

「私は、未来を知ることで、他人を助けられると考えてきました。そのこと自体は、間違いではないと思います。ですが、予知を根拠に、相手が選ぼうとする未来を否定したこともあった」

 

彼は、ゆっくりと拳を開いた。

 

「私は、相手のためにしているのだから、正しいのだと思い込んでいたのかもしれません」

 

ミリオは、すぐに答えなかった。

 

やがて、静かに言った。

 

「……サー。自分が間違っていたかもしれないって考えられるなら、まだ変えられると思います」

 

ナイトアイは、顔を上げた。

 

「変える?」

 

「うん。自分が何をしてきたのかを考えて、これからどうするかを選ぶ。過去に傷を残してしまったとしても、今から何をするかは、考えられると思うんです」

 

ミリオは笑った。

 

「もちろん、過去がなかったことになるわけじゃない。でも、過去に間違えたからって、これからも同じことをする必要はないですよね」

 

ナイトアイは、しばらく黙っていた。

 

その言葉は、決して、彼の過去を簡単に許すものではない。

 

過去に残した傷を、消し去るものでもない。

 

しかし、彼がこれから何を選ぶのか。

 

それは、まだ決まっていない。

 

そして、これからの行動によって、少しずつ形作られていくものだった。

 

「……ありがとうございます、ミリオ」

 

ナイトアイは、静かに答えた。

 

「私は、まだ考えなければなりません。自分が正しいと信じていたことの中に、どれほどの傲慢があったのか」

 

「はい!」

 

ミリオは、明るく頷いた。

 

そのとき、廊下の向こうから、小さな足音が聞こえた。

 

壊理だった。

 

バブルガールが、彼女の隣にいる。

 

壊理は、少し不安そうにホールを見回した。

 

「……もう、終わったんですか?」

 

ミリオは、すぐに笑顔を浮かべた。

 

「うん! みんな無事だよ!」

 

壊理は、ほっとしたように息を吐いた。

 

「……よかった」

 

ミリオは、彼女の前へしゃがみ込んだ。

 

「壊理ちゃん。怖かった?」

 

壊理は、少し考えた。

 

「……はい」

 

「そっか」

 

ミリオは頷いた。

 

「言ってくれてありがとう」

 

壊理は、彼を見つめた。

 

「……ミリオお兄ちゃんは、わたしを守ってくれますか?」

 

ミリオは、すぐに答えようとした。

 

しかし、途中で言葉を止めた。

 

守る。

 

その言葉は、簡単に口にできる。

 

だが、守るために相手の意思を無視してしまえば、善意は支配へ変わってしまう。

 

ミリオは、壊理の目を見つめた。

 

「……守りたいと思ってるよ」

 

彼は、正直に答えた。

 

「でも、壊理ちゃんがどうしてほしいのか、ちゃんと聞きながら守りたい」

 

壊理は、少しだけ目を見開いた。

 

「……どうしてほしいか?」

 

「うん。僕が勝手に決めるんじゃなくて、壊理ちゃんが何を望んでいるのかを聞きたい。怖いときは怖いって言っていいし、嫌なことは嫌だって言っていい」

 

ミリオは笑った。

 

「それで、どうしたらいいのか、一緒に考えよう」

 

壊理は、ゆっくりと頷いた。

 

「……はい」

 

その返事を聞いて、ミリオは立ち上がった。

 

そして、ナイトアイへ視線を向けた。

 

「サー。僕たち、まだ考えないといけないことがあるみたいですね」

 

ナイトアイは、静かに頷いた。

 

「ええ」

 

彼は、砕けた鏡片を見つめた。

 

善意は、誰かを助けるために生まれることがある。

 

しかし、その善意が、相手の意思を聞かず、自分の正しさを押しつけるものになったとき。

 

それは、救済ではなく、傲慢になってしまう。

 

そして、その傲慢は、必ずしも悪意の顔をして現れるわけではない。

 

むしろ、優しい言葉で近づいてくる。

 

「あなたのためです」

 

「あなたを守りたいのです」

 

「あなたが苦しまないように、私が決めます」

 

その言葉を口にする者は、本当に相手を大切に思っているのかもしれない。

 

だからこそ、自分の善意を疑わなくなる。

 

だからこそ、相手が拒んでも、いつか感謝すると信じてしまう。

 

その危険を、ナイトアイは、改めて胸に刻んだ。

 

「……傲慢は、善意の顔をしている」

 

彼は、小さく呟いた。

 

ミリオが振り向く。

 

「……サー?」

 

ナイトアイは、静かに答えた。

 

「いえ。今、ようやく理解し始めたことがあるのです」

 

彼は、壊理を見た。

 

そして、ミリオを見た。

 

「誰かを救いたいという願いは、大切です。ですが、その願いが本物であることと、その行為が正しいことは、同じではない」

 

彼は、言葉を区切った。

 

「だからこそ、相手の意思を聞かなければならない。自分の正しさを疑い、必要なら、考え直さなければならない」

 

その言葉は、敵に向けたものではなかった。

 

自分自身へ向けた言葉だった。

 

そして、これから出会うかもしれない、同じ過ちを犯そうとする者たちへ向けた言葉でもあった。

 

十三 残された鏡

戦闘が終わった後、分析室には静かな時間が戻っていた。

 

回収された鏡片とケーブルは、別々の隔離ケースへ収められている。

 

センチピーダーが、記録を整理していた。

 

「サー。装置の動作記録を確認しました」

 

ナイトアイは、画面へ目を向けた。

 

「何か分かりましたか?」

 

「はい。装置は、戦闘中に各人の行動を記録していました。その行動をもとに、周囲の設備を動かし、次に起こる可能性の高い行動へ対応していたようです」

 

「旧物流施設の装置と、同じ構造でしょうか」

 

「似ています。ただ、今回は、より明確に『正しい行動』と『誤った行動』を区別していたようです」

 

センチピーダーは、画面の一部を指さした。

 

そこには、戦闘中の動きが、二種類の線で記録されていた。

 

一方は、白い線。

 

もう一方は、赤い線。

 

白い線には、「推奨」と表示されている。

 

赤い線には、「逸脱」と表示されていた。

 

「……推奨経路と、逸脱経路」

 

ナイトアイが呟いた。

 

「はい。さらに、推奨経路から外れた行動が発生すると、装置が周辺環境を変化させ、推奨経路へ戻すための障害を配置していました」

 

ナイトアイは、画面を見つめた。

 

「……つまり、最初から正しい経路が存在していたのではない」

 

彼は、ゆっくりと言った。

 

「装置が、正しい経路を定義し、それ以外の行動を逸脱として扱っていたのですね」

 

「その可能性が高いです」

 

センチピーダーは頷いた。

 

「ただし、誰がその基準を設定したのかは分かりません。記録の一部は破損しており、設計者や発信元も確認できませんでした」

 

「……そうですか」

 

ナイトアイは、目を閉じた。

 

誰かが、正解を定めた。

 

その正解へ人々を導くため、設備を動かし、選択肢を狭め、逸脱を修正した。

 

その結果、装置は、自分が定めた未来を実現しようとしていた。

 

それは、今日の敵の言葉と、あまりにもよく似ていた。

 

「……この仕組みは、単に未来を予測するためのものではありません」

 

ナイトアイは言った。

 

「未来を予測し、その予測を正解にするために、現実を変えている」

 

センチピーダーは、静かに頷いた。

 

「ええ」

 

ナイトアイは、回収された鏡片を見つめた。

 

その表面には、まだ小さな文字が残っていた。

 

「正解からの逸脱は、修正されなければならない」

 

ナイトアイは、しばらくその言葉を見つめていた。

 

そして、静かに口を開いた。

 

「……それは、私が最も恐れるべき考え方だったのかもしれません」

 

センチピーダーが振り向く。

 

「サー?」

 

「私は、未来を予知する力を持っています。だからこそ、未来が変わることを恐れていたのかもしれません」

 

ナイトアイは、目を伏せた。

 

「未来が予知どおりにならなければ、自分の判断が間違っていたことになる。自分が見たものが、絶対の正解ではなかったと認めることになる」

 

彼は、一度言葉を止めた。

 

「その可能性を受け入れることは、簡単ではありませんでした」

 

センチピーダーは、静かに聞いていた。

 

ナイトアイは続ける。

 

「だから私は、未来を変えようとする相手を、止めようとしたことがある。自分が見た未来を信じ、その未来から外れようとする意思を、危険なものとして扱ったことがある」

 

彼は、拳を握った。

 

「私は、自分が正しいと思っていた。相手のために、必要なことをしているのだと」

 

センチピーダーは、ゆっくり頷いた。

 

「……ですが、サーは今、その考えを見直そうとしている」

 

「ええ」

 

ナイトアイは答えた。

 

「自分が間違っている可能性を認めることは、未来を予知する力を否定することではありません。その情報を、どう使うかを考え直すことです」

 

彼は、静かに眼鏡を押し上げた。

 

「私は、未来を知ることと、未来を決めることの違いを、今度こそ忘れないようにしたいと思います」

 

その言葉は、まだ完成された答えではない。

 

過去の全てを整理できたわけでもない。

 

それでも、彼は、自分の過ちを言葉にした。

 

その一歩が、これからの彼の行動を変えていくのかもしれなかった。

 

十四 救済の条件

夜が更けたころ、ミリオは壊理と一緒に、施設の庭を歩いていた。

 

昼間の戦いの疲れは残っていたが、壊理の表情は、少しだけ穏やかになっていた。

 

「……ミリオお兄ちゃん」

 

「うん?」

 

「今日の人は、どうして、あんなことをしたんでしょう」

 

ミリオは、少し考えた。

 

「……自分が正しいと思っていたから、かもしれない」

 

壊理は、顔を上げた。

 

「正しいと思っていたら、あんなことをしてもいいんですか?」

 

「ううん。正しいと思っていることと、本当に正しいことは、同じじゃない」

 

ミリオは、ゆっくりと答えた。

 

「それに、自分が正しいと思っていても、相手が何を望んでいるのかを聞かなくていい理由にはならないんだ」

 

壊理は、黙って聞いていた。

 

「僕だって、壊理ちゃんを守りたいって思っている。怖い思いをしてほしくないし、誰かに傷つけられてほしくない」

 

ミリオは、苦笑した。

 

「でも、その気持ちが強すぎると、壊理ちゃんが何をしたいのかを聞く前に、僕が先に決めてしまうかもしれない」

 

「……ミリオお兄ちゃんも?」

 

「うん。僕だって、間違えることはあるよ」

 

壊理は、少し驚いたように彼を見た。

 

ミリオは続ける。

 

「だから、僕が壊理ちゃんを守りたいと思っていることは、隠さない。でも、その気持ちを理由に、壊理ちゃんの未来を僕が決めるつもりもない」

 

彼は、壊理の歩く速度に合わせた。

 

「壊理ちゃんがどうしたいのか、何を怖いと思っているのか。ちゃんと聞きながら、一緒に考えたい」

 

壊理は、ゆっくり頷いた。

 

「……わたしも、ミリオお兄ちゃんに、ちゃんと話します」

 

「うん!」

 

ミリオは、笑顔を浮かべた。

 

「それでいいんだよ!」

 

少し離れた場所で、ナイトアイが二人を見ていた。

 

彼は、声をかけなかった。

 

壊理が、自分自身の気持ちを話している。

 

ミリオが、その言葉を聞いている。

 

その光景に、今すぐ答えを与える必要はない。

 

ただ、彼女が、自分の未来について考える時間を持てるようにする。

 

その時間を、誰かが勝手に奪わないようにする。

 

それが、今の彼らにできることだった。

 

ナイトアイは、静かに息を吐いた。

 

「……善意とは、相手のために何かをする気持ちなのかもしれません」

 

彼は、小さく呟いた。

 

「ですが、その善意が、相手の意思を無視する理由になったとき、それはもう、救済とは呼べないのでしょう」

 

彼は、視線を上げた。

 

未来は、まだ決まっていない。

 

壊理がどのような人生を歩むのか。

 

ミリオが、どのようなヒーローになるのか。

 

自分が、これから何を選ぶのか。

 

その全てを、今の時点で決めることはできない。

 

だが、分からないからこそ、話し合うことができる。

 

分からないからこそ、相手の意思を聞くことができる。

 

そして、相手の選択が自分の望みと違っていたとしても、その違いを受け入れる努力ができる。

 

それは、簡単なことではない。

 

しかし、簡単ではないからといって、諦めていいものでもなかった。

 

ナイトアイは、歩き出した。

 

その足取りは、以前よりも少しだけ軽かった。

 

彼はまだ、全ての答えを持っているわけではない。

 

それでも、自分が何を見落としてきたのかを考えることはできる。

 

正しいと信じたことを、もう一度疑うこともできる。

 

そして、これからの行動で、少しずつ修正していくこともできる。

 

その可能性まで、自分で閉ざす必要はないのだ。

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