一 救いたいと願った日
「……壊理ちゃん」
ミリオは、医療施設の庭に置かれたベンチに腰を下ろしていた。
隣には壊理が座っている。
二人の前では、小さな花壇の花が風に揺れていた。
昨日までの戦闘で、施設は大きな被害を受けた。壊れた壁や設備は修復作業が進められているが、回収された装置の正体はまだ明らかになっていない。
そして、あの白い影も。
どこへ消えたのか分からないままだった。
「この前、僕が壊理ちゃんを救いたいって思った話、したよね?」
壊理は頷いた。
「はい」
「僕ね、あのとき、本当にそう思っていたんだ」
ミリオは、青空を見上げた。
「壊理ちゃんが苦しんでいるって知って、助けたいと思った。怖い思いをしているなら、そこから連れ出したかった。もう二度と、あんなつらい思いをしてほしくないと思った」
彼は、少し照れくさそうに笑った。
「今だって、その気持ちは変わっていないよ」
壊理は、彼の顔を見つめた。
「……はい」
「でもね。僕が助けたいって思ったからって、壊理ちゃんが何をしてほしいのかを聞かなくていいわけじゃないんだ」
ミリオは、ゆっくりと続けた。
「僕が安心してほしいと思っていても、壊理ちゃんは、今は一人で考えたいと思っているかもしれない。僕が危険だと思ったことでも、壊理ちゃんには、自分で確かめたいことがあるかもしれない」
彼は、膝の上で手を組んだ。
「僕は、壊理ちゃんのことを全部分かっているわけじゃない。だから、聞かなきゃいけないんだと思う」
壊理は、しばらく黙っていた。
やがて、遠慮がちに口を開いた。
「……ミリオお兄ちゃんは、わたしを助けたことを、後悔していますか?」
ミリオは目を見開いた。
「えっ? どうして?」
「だって……わたしを助けようとしたことで、ミリオお兄ちゃんも、危ない目に遭いました」
壊理は、両手を握った。
「わたしを守ろうとして、たくさん戦ってくれたから……」
ミリオは、その言葉を聞き、すぐに首を横に振ろうとした。
「そんなことないよ!」
答えかけて、止まる。
否定することは簡単だ。
自分は後悔していない。
助けたいと思ったから助けたのだ。
そう伝えれば、壊理は安心するかもしれない。
だが、ミリオは考えた。
安心させたいという気持ちだけで、壊理の不安を片づけてしまっていいのだろうか。
壊理は、本当に聞きたいことがあるから、尋ねているのかもしれない。
彼は、少しだけ息を吐いた。
「……後悔していないよ」
今度は、ゆっくりと答えた。
「壊理ちゃんを助けたいと思ったことは、本当だから」
壊理が、顔を上げる。
「でも、それと、僕の行動が全部正しかったかどうかは、別だと思う」
「……別?」
「うん。僕は、助けたいと思った。でも、助けたいと思っているだけで、何でも分かるわけじゃない」
ミリオは、自分の手のひらを見つめた。
「僕が何かをするときには、考えなきゃいけない。相手が何を望んでいるのか。自分がしようとしていることが、本当に助けになるのか。もし違っていたら、どうすればいいのか」
彼は、壊理へ顔を向けた。
「だから、助けたいという気持ちまで、否定する必要はないと思っている。でも、その気持ちを理由に、壊理ちゃんの気持ちを無視するつもりもないんだ」
壊理は、小さく頷いた。
「……わたしも」
彼女は、花壇へ目を向けた。
「ミリオお兄ちゃんに助けてもらったこと、うれしかったです」
ミリオの表情が和らぐ。
「うん」
「でも、これから何をするかは……わたしも、自分で考えたいです」
「うん」
「誰かの役に立てるなら、うれしいと思います。でも、わたしが何をしたいのか、まだ全部は分かりません」
壊理は、少しずつ、自分の考えを言葉にしていく。
「だから、すぐに答えを出せないときは、待っていてほしいです。怖いときは、怖いって言いたいです。できないことがあったら、できないって言いたいです」
彼女は、ミリオを見つめた。
「……それでも、わたしと一緒にいてくれますか?」
ミリオは、すぐには答えなかった。
その問いに、簡単な約束を返すだけでは足りないと思った。
壊理が望むことが、いつも自分の望むことと一致するとは限らない。
彼女が自分から離れていく日もあるかもしれない。
彼女が、自分の助けを必要としない未来を選ぶこともあるかもしれない。
それでも、彼女を大切に思えるのか。
ミリオは、笑顔を浮かべた。
「うん。もちろん」
それから、付け加えた。
「でも、僕がいつでも正しいことを言えるとは限らないから、僕が変なことを言ったら、ちゃんと教えてね」
壊理は、目を丸くした。
そして、小さく笑った。
「……はい!」
そのときだった。
庭の入口から、ナイトアイが姿を現した。
「二人とも。少し、話をしたいことがあります」
ミリオが立ち上がる。
「サー、どうかしましたか?」
ナイトアイは、手に持っていた端末を見せた。
画面には、回収された装置の解析結果が表示されている。
「先ほど、装置の残骸に、新しい記録が現れました」
「新しい記録?」
壊理が尋ねる。
「ええ。破壊されたはずの透明板の一部が、外部からの信号に反応したようです」
ナイトアイは、真剣な表情で続けた。
「そして、その信号の発信源は――この施設の近くです」
ミリオの表情が変わった。
「……つまり、あの白い影が戻ってきた可能性がある?」
「その可能性はあります。ただし、まだ断定はできません」
ナイトアイは、壊理を見る。
「壊理。あなたは、安全な場所で待機してください」
壊理は頷きかけた。
しかし、少し考えてから、口を開いた。
「……サー」
「何ですか?」
「わたし、今度は、何が起きているのか知りたいです」
ナイトアイは、答える前に、ミリオを見た。
以前なら、彼は即座に「危険だから駄目です」と答えていただろう。
だが、今は、彼女の言葉を最後まで聞かなければならない。
「……理由を聞かせてください」
壊理は、少し緊張しながら話し始めた。
「わたしのことを、誰かが勝手に決めようとしているのが、怖いです。でも、何も分からないままだと、もっと怖いです」
彼女は、胸元で手を握った。
「わたしに何をしてほしいのか、どうしてそう思っているのか、ちゃんと知りたいです。もちろん、危ないところへ行くのは嫌です」
一度、息を吸う。
「だから……安全な場所から、話を聞くことはできますか?」
ナイトアイは、しばらく考えた。
そして、頷いた。
「ええ。危険が及ばない場所を確保したうえで、状況を伝える方法を考えましょう」
壊理は、ほっとしたように笑った。
ミリオも頷く。
「よし。それじゃ、僕たちで安全な場所を作ろう!」
ナイトアイは、その言葉を聞いて、静かに息を吐いた。
彼らが選んだのは、単純な命令への服従ではなかった。
危険を認めること。
必要な安全を確保すること。
そして、壊理が知りたいと望むことを、可能な形で実現すること。
その三つを、同時に満たそうとしていた。
その判断は、必ず成功するとは限らない。
しかし、少なくとも、彼らは互いの意思を聞きながら、進む道を選んでいた。
二 白い影からの招待状
医療施設の中央ホール。
回収物の隔離ケースが、再び振動していた。
中に残されていた鏡片の一つが、白い光を放っている。
周囲のモニターには、見覚えのない文字列が次々と浮かんでいた。
「救済計画、再開」
「保護対象、確認」
「最適化手順、更新」
センチピーダーが端末を操作する。
「サー、外部ネットワークからの接続は確認できません。通信装置は全て切断されています」
「では、この反応は何によるものですか?」
「分かりません。ケース内部の装置が、自ら再起動しているように見えます」
ナイトアイは、モニターへ近づいた。
透明板の表面に、小さな文字が浮かび上がる。
「対話を希望する」
その下には、場所と時刻が記されていた。
施設から数キロ離れた、廃棄された総合研究棟。
さらに、その下に一文が続く。
「あなた方が守ろうとする少女の未来について、話し合いましょう」
ミリオは、眉をひそめた。
「……話し合い?」
ロックロックが、鼻を鳴らす。
「どうせ罠だろう。わざわざ場所まで指定してくるなんて、怪しさしかねえ」
「同感です」
ナイトアイは、すぐに頷いた。
「指定された場所へ、全員で無防備に向かうわけにはいきません」
バブルガールが、端末へ視線を向ける。
「でも、相手の目的を知る手がかりにはなるかもしれません」
リューキュウも頷いた。
「こちらが何もせずにいれば、相手が別の場所で動く可能性もあるわ」
ねじれが、首を傾げた。
「じゃあ、行くの? 行かないの?」
ナイトアイは、短く息を吐いた。
「行きます。ただし、こちらが選んだ条件で」
彼は全員へ視線を向けた。
「施設周辺の安全を確保し、壊理は遠隔で状況を確認できる場所に待機させます。私たちは複数の班に分かれて接近し、相互に支援できる距離を保つ」
ミリオが、すぐに手を上げた。
「僕は前衛ですね!」
「ええ。ただし、単独で突っ込まないこと」
「分かっています!」
ロックロックが呆れたように言った。
「その返事は、何度聞いても不安になるな」
「ひどいなあ!」
「事実だろうが!」
センチピーダーが、咳払いをした。
「では、役割を確認しましょう。私はナイトアイと共に後方の状況を管理します」
「私は泡を使って、センサーと視界を妨害します」
バブルガールが続ける。
「俺は、通路や支柱を固定して、移動できる経路を確保する」
ロックロックが腕を組んだ。
「リューキュウは上空から周囲を確認。ねじれは、遠距離からの援護と障害物の除去」
「了解!」
ねじれが元気よく答えた。
ナイトアイは、最後にミリオを見た。
「あなたは、相手の能力を見極め、必要なら接近して装置の接続を破壊してください。ただし、敵の誘導に乗らないこと」
「はい!」
ナイトアイは、続けた。
「相手が話し合いを望んでいるのであれば、最初は話を聞きます。ですが、こちらの意思を無視して何かを強制しようとするなら、戦闘へ移行します」
ミリオは頷いた。
「……分かりました」
そのとき、壊理が、小さく手を上げた。
全員が彼女を見る。
「……わたしも、質問していいですか?」
ナイトアイは、静かに頷いた。
「もちろんです」
壊理は、端末に映る文字を見つめた。
「この人は、わたしの未来について話したいんですよね?」
「そのように書かれています」
「……わたしの未来って、わたしが決めるものじゃないんですか?」
誰も、すぐには答えなかった。
そして、ナイトアイが口を開いた。
「ええ。あなたの未来について、周囲の人間が意見を述べることはできます。ですが、あなたの人生を誰が決めるのかという問題については、あなた自身の意思が大切です」
壊理は、頷いた。
「……分かりました」
彼女は、小さく息を吐いた。
「じゃあ、わたしは、話を聞きたいです。でも、嫌だと思ったら、嫌だって言います」
ミリオが笑顔を浮かべた。
「うん。それでいいんだよ!」
その言葉を聞いて、壊理は少しだけ安心したように頷いた。
彼らは準備を整え、研究棟へ向かうことを決めた。
だが、その決定が、すでに相手の予測に組み込まれていることを、まだ誰も知らなかった。
三 廃棄研究棟の歓迎
廃棄された総合研究棟は、街の外れにあった。
長い間使われていない建物で、窓は板で塞がれ、外壁には蔦が伸びている。
それでも、正面入口だけは不自然なほど綺麗だった。
扉の前には、白い花が一輪置かれている。
ミリオは、その花を見つめた。
「……歓迎の花、ってところかな?」
ロックロックが、すぐに答えた。
「触るなよ。罠かもしれねえ」
「分かってるって!」
「お前の『分かってる』は信用できねえんだよ!」
バブルガールが苦笑する。
「二人とも、少し静かに。中の反響を確認します」
彼女は泡を一つ放った。
泡は入口を通り抜け、内部の壁に張りついた。
その匂いを手がかりに、彼女は空気の流れを探った。
「……おかしいですね。建物の中に、空気の流れがほとんどありません」
センチピーダーが、長い身体を伸ばし、扉の下を探る。
「床の奥に、何かが接続されています。金属の反応があります」
ナイトアイは、目を細めた。
「……やはり、罠の可能性が高い」
リューキュウが空から報告する。
『上空から確認しました。建物の周囲に、複数の小型装置が配置されています。こちらの接近を待っていたかのようです』
ねじれが、空中で旋回した。
『でも、まだ攻撃はしてこないね!』
「相手は、こちらがどこまで調べるかを見ているのでしょう」
ナイトアイは、正面の扉へ向き直った。
「ならば、こちらからも確認します」
彼は端末を取り出し、扉へ向けた。
その瞬間、扉がひとりでに開いた。
内部には、広いホールが広がっていた。
中央に、一人の人物が立っている。
白い衣。
鏡片の装飾。
落ち着いた微笑み。
あの白い影だった。
「よく来てくださいました」
白い影は、穏やかに頭を下げた。
「あなた方と、改めて話ができることを嬉しく思います」
ミリオは、一歩前へ出た。
「……まず、名前を教えてくれる?」
白い影は、微笑んだ。
「名前ですか。私は、傲慢と呼ばれています」
その言葉に、ナイトアイの目が細くなった。
傲慢。
単なる個人の名前なのか。
それとも、何らかの役割を示す呼称なのか。
今は、まだ分からない。
「……傲慢」
ナイトアイは、静かに繰り返した。
「あなたは、私たちと何を話し合いたいのですか」
傲慢は、壊理の姿が映し出された端末を指さした。
「彼女の未来についてです」
ミリオの表情が硬くなる。
傲慢は続けた。
「彼女の個性は、失われたものを取り戻す可能性を持っています。過去の傷を癒やし、失われた力を再び手にし、今まで不可能だった救済を実現できるかもしれない」
「……その可能性については、私たちも理解しています」
ナイトアイが答えた。
「ですが、それを理由に、彼女の意思を無視することはできません」
「もちろんです」
傲慢は、すぐに頷いた。
「だからこそ、彼女に選んでもらう必要があるのです」
ミリオは眉をひそめた。
「……それなら、どうして今まで、彼女の意思を無視して連れていこうとしたの?」
傲慢は、少しだけ首を傾けた。
「本人が、自分にとって最善の選択を理解していない場合もあるからです」
「……それ、結局同じことを言ってるよね」
ミリオの声が冷たくなる。
「本人が選んでも、自分が気に入らない答えなら、まだ理解していないってことにするんだ」
傲慢は、否定しなかった。
むしろ、穏やかに笑った。
「理解が不十分な者へ、必要な情報を与えることは、間違いではないでしょう?」
ナイトアイは、静かに答えた。
「情報を与えることと、相手の選択を無効化することは違います」
「ええ。そのとおりです」
傲慢は頷いた。
「だから、今日は、あなた方に情報を与えようと思っています」
彼が手を上げる。
ホールの壁が、ゆっくりと開いた。
そこには、巨大なスクリーンが並んでいた。
無数の映像が、一斉に映し出される。
病院のベッドに横たわる者。
車椅子に座る者。
失われた力を悔やむ者。
大切な人を失い、泣いている者。
過去の事故で、取り返しのつかない傷を負った者。
それぞれが、何かを失い、何かを願っている姿だった。
傲慢は、静かに語り始めた。
「この人々は、何かを失いました。そして、その多くは、取り戻せる可能性がある」
彼は、壊理の映像を指さした。
「彼女の力があれば、救える者がいるかもしれない。そう考えることは、決して不自然ではありません」
「……」
「彼女が自分の意思で、その力を使うと決めたなら、さらに多くの人々を救えるかもしれない」
傲慢は、ミリオを見つめた。
「ですから、私は、彼女がその可能性を理解するための場を用意したいのです」
ミリオは、スクリーンを見た。
そこに映っている人々が、嘘だとは思えなかった。
本当に苦しんでいる人がいる。
救いたいと思う者がいる。
壊理の個性が、その一助になる可能性もある。
だが、その可能性を示すことと、壊理に何かを選ばせるために圧力をかけることは違う。
ミリオは、ゆっくりと顔を上げた。
「……その人たちを救いたいと思うことは、悪くないよ」
傲慢の微笑みが深くなる。
「ええ。私も、そう考えています」
「でも」
ミリオは、続けた。
「その人たちが苦しんでいることを、壊理ちゃんに背負わせるのは違う」
傲慢は、少しだけ黙った。
ミリオは、彼を見据えた。
「壊理ちゃんは、その人たちの苦しみを作ったわけじゃない。彼女が助けられる可能性を持っているからって、彼女が必ず助けなきゃいけないわけじゃないんだ」
傲慢は、静かに息を吐いた。
「……あなたは、救えるかもしれない命を、彼女の意思によって失う可能性を受け入れるのですね」
ミリオは、すぐに答えた。
「受け入れたいわけじゃない」
彼は、拳を握った。
「救えるなら、救いたいよ。できることがあるなら、やりたい。僕だって、助けられなかった人のことを考えたら、悔しいし、苦しい」
一度、息を吐く。
「でも、だからって、誰かを救うために、別の誰かの人生を勝手に使っていいことにはならない」
傲慢は、しばらくミリオを見つめていた。
そして、初めて少しだけ笑みを消した。
「……では、あなたは、どのような救済を望んでいるのですか?」
ミリオは答えた。
「相手が、自分で選べる救済だよ」
その瞬間、研究棟の床が震えた。
四 対話を拒む装置
「……始まりましたね」
ナイトアイが、周囲を見回した。
ホールの床に、白い線が走り始めた。
線は人々の足元を囲み、通路を区切り、複数の区画を作り出していく。
その一つ一つに、文字が浮かび上がった。
「対話経路」
「推奨選択」
「拒絶時、修正」
ナイトアイの表情が険しくなる。
「……傲慢。これは、何ですか?」
「対話を円滑に進めるための補助装置です」
傲慢は、穏やかに答えた。
「皆さんが、正しい情報を得て、正しい結論へたどり着けるようにするためのものです」
ロックロックが鼻を鳴らす。
「こいつ、まだそんなことを言ってやがる」
バブルガールは、すぐに泡を放った。
白い泡が床へ広がり、表示されていた線を覆い隠す。
しかし、泡は一瞬で床の中へ吸い込まれた。
「……吸収された?」
バブルガールが目を見開く。
センチピーダーは、床へ身体を伸ばした。
金属の節が、床下へ潜り込む。
「下に、複数の制御線があります。床の各区画を、独立して動かしているようです」
「ロックロック、固定できますか?」
ナイトアイが尋ねた。
「試してみる!」
ロックロックが床へ手をつく。
《ロック》。
一つの区画が、その場へ固定された。
しかし、隣の区画が持ち上がり、固定された床の端を押し上げる。
「……こいつ、固定した床を壊すつもりか!」
ロックロックは、すぐに手を離した。
その瞬間、床の区画が元の位置へ戻る。
傲慢は、微笑んだ。
「皆さんの安全を確保するため、危険な移動を制限します。どうか、落ち着いてください」
「落ち着いていられるか!」
ロックロックが叫んだ。
「お前、対話するって言っただろうが!」
「ええ。対話をしています」
傲慢は、少しも動じなかった。
「ですが、皆さんが不適切な行動を取るのであれば、その行動を制限する必要があります」
ミリオは、目を細めた。
「……結局、僕たちが君の思いどおりに話さないと、対話にならないってこと?」
「対話とは、互いに理解し合うためのものです。誤った考えを持つ者がいるなら、その誤りを正す必要がある」
「それを、君が決めるんだね」
ミリオは、拳を構えた。
「だったら、もう話し合いじゃないよ!」
彼は、床を蹴った。
身体を透過させ、白い線をすり抜ける。
しかし、床の区画が動き、ミリオの進路を塞いだ。
彼は空中で身体を捻り、壁へ飛び込む。
壁を透過して反対側へ出る。
そこには、すでに複数の拘束輪が待ち受けていた。
「うわっ!」
ミリオは再び透過し、拘束輪をすり抜ける。
だが、装置はその動きに合わせて拘束輪を移動させた。
『対象、通形ミリオ』
『移動経路を修正』
『推奨経路へ誘導』
「だから、そういうのが嫌なんだって!」
ミリオは、壁を蹴り、空中へ飛び上がる。
透過を解除する。
その勢いを使って、拘束輪の上を飛び越えた。
拳が、壁の制御部へ叩き込まれる。
金属が砕ける。
しかし、床は止まらなかった。
「……まだ動くのか!」
「中央の制御部へ接続しています!」
センチピーダーが叫んだ。
「外側の装置を破壊しても、中央から制御が再構成されています!」
傲慢は、穏やかに言った。
「皆さんが抵抗することは予測しています。ですが、その行動は、救済に必要な手順を妨げるものです」
彼が、指を鳴らした。
床の区画が、一斉に動き出す。
今度は、ミリオだけではない。
全員の足元が、別々の方向へ移動した。
リューキュウの前には壁が立ち上がり、ねじれの周囲には金属板が浮かぶ。
ロックロックの足元は沈み、センチピーダーの身体が狭い区画へ押し込まれる。
バブルガールの泡は、透明な壁に閉じ込められた。
ナイトアイは、床の一部が持ち上がるのを見て、すぐに身を引いた。
「全員、無理に突破しないでください! 状況を確認し、互いの位置を把握すること!」
「了解!」
ミリオが答えた。
彼は、透明な壁を透過し、ナイトアイのそばへ飛び出した。
「サー、これ、さっきまでより複雑です!」
「ええ。相手は、こちらの個性と連携方法を観察し、対応を変えています」
ナイトアイは、透明板の動きを見た。
「ですが、まだ完全には制御できていない。各区画が動くタイミングに、わずかな差があります」
「その隙を使うんですね!」
「そうです。ただし、無理に一人で突破しようとしないこと」
ミリオは笑った。
「分かっています!」
ナイトアイは、少しだけ眉を上げた。
「……本当に?」
「今度こそ!」
そのやり取りの間にも、床は動き続けていた。
そして、傲慢の声が響く。
「皆さんが落ち着いて推奨経路へ従えば、このような危険は起こりません。どうか、賢明な選択をしてください」
ミリオは、ゆっくりと拳を握った。
「……違うね」
彼は、傲慢を見つめた。
「君が、僕たちを危険な場所へ追い込んでいるんだ」
五 救う側の責任
ナイトアイは、周囲の動きを観察していた。
床が動くたび、壁が伸びるたび、透明板が回転するたび。
それらの動きには、一定の規則がある。
まず、対象者の位置を確認する。
次に、予測された移動経路に合わせて設備を動かす。
その後、相手が予測と違う行動を取れば、再計算して新しい障害を配置する。
装置は、人間の動きを完全に予知しているわけではない。
だが、選択肢を減らすことで、行動を予測しやすくしている。
その仕組みは、まさに傲慢の考え方そのものだった。
相手が何を望んでいるのかを聞く前に、相手が何をすべきかを決める。
相手が違う道を選ぼうとすれば、障害を配置して、正しい道へ戻す。
そして、相手が従ったなら、それを自分の正しさの証拠とする。
ナイトアイは、唇を噛んだ。
「……ミリオ」
「はい!」
「相手は、あなたが壊理を守ろうとすることを予測しています。そして、その行動を利用している」
ミリオは、すぐに理解した。
「……僕が壊理ちゃんを守ろうとすること自体が、向こうの予測に入ってるんですね」
「ええ。あなたが壊理の安全を最優先にすることは、当然です。ですが、それを逆手に取られれば、あなたは動けなくなる」
ミリオは、一瞬だけ拳を緩めた。
壊理を守りたい。
それは、彼にとって大切な気持ちだ。
その気持ちを捨てるつもりはない。
しかし、その気持ちが強いほど、相手に行動を予測されやすくなるのなら。
自分が壊理を守ろうとすることそのものが、彼女を危険にさらす可能性もあるのではないか。
ミリオは、その考えに胸を締めつけられた。
「……僕が、壊理ちゃんを守ろうとすることが、逆に危険につながるなら」
ナイトアイは、すぐに答えた。
「だからといって、守ることをやめる必要はありません」
ミリオが顔を上げる。
「問題は、あなたの願いそのものではない。相手が、その願いを利用して、あなたの行動を支配しようとしていることです」
ナイトアイは、静かに続けた。
「あなたが壊理を大切に思うことは、あなた自身の意思です。その気持ちまで否定する必要はありません。ただし、壊理を守るために何をするかは、状況を見て考え続けなければならない」
ミリオは、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
ナイトアイは、透明板を見つめた。
「救う側にも、考える責任があります。自分が何を望んでいるのか。相手に何を求めているのか。その行為が相手にどのような影響を与えるのか」
彼は、一度言葉を区切った。
「そして、相手が自分とは違う答えを選んだとき、その違いをどこまで尊重できるのか」
ミリオは、拳を握った。
「……僕は、壊理ちゃんを救いたい」
彼は、はっきりと言った。
「だけど、壊理ちゃんが何を望んでいるのかを聞かずに、僕が勝手に決めるつもりはない」
ナイトアイは頷いた。
「それでいいのです」
そのとき、通信機から、壊理の声が届いた。
『……ミリオお兄ちゃん』
ミリオは、すぐに端末へ手を伸ばした。
「壊理ちゃん! どうしたの?」
『……わたし、聞こえています』
ミリオの表情が和らぐ。
『サーが、何が起きているか教えてくれました。わたしを、助けたいと思っている人がいることも』
壊理は、少しだけ声を震わせた。
『……でも、わたしのことを、勝手に決められるのは嫌です』
ミリオは、静かに頷いた。
「うん。分かってるよ」
『わたし、何ができるか、まだ全部は分かりません。でも、わたしが何をしたいのかは、自分で考えたいです』
彼女は、言葉を選ぶように続けた。
『だから……わたしの気持ちを、ちゃんと聞いてほしいです』
ミリオは、目を閉じた。
それから、穏やかに答えた。
「……うん。ちゃんと聞くよ」
ナイトアイも、通信へ声を添えた。
「壊理。あなたの意思を、私たちが勝手に決めることはありません。あなたが考えるために必要な情報は伝えます。分からないことがあれば、一緒に考えます」
壊理は、静かに答えた。
『……ありがとうございます』
通信が切れた。
ミリオは、拳を握り直した。
その気持ちは、変わらない。
壊理を守りたい。
彼女が自分の人生を選べるようにしたい。
しかし、その願いを、彼女に押しつけるつもりはない。
ミリオは、傲慢を見据えた。
「……聞こえたよね?」
傲慢は、微笑んだ。
「ええ。彼女は、自分の意思を尊重してほしいと望んでいる」
「だったら、もう分かったはずだ」
ミリオは、一歩前へ出た。
「彼女が何を望んでいるのかを、僕たちが代わりに決めることはできないんだ」
傲慢は、静かに首を横に振った。
「……いいえ」
その声は、これまでよりも冷たかった。
「彼女は、まだ自分の力の意味を理解していません。あなた方が、彼女の可能性を狭めているのです」
ミリオは、目を細めた。
「……やっぱり、話を聞くつもりはないんだね」
傲慢は、両腕を広げた。
「私は、彼女を救いたいのです」
そして、静かに告げた。
「たとえ、彼女自身が、それを望まなくても」
その瞬間、ホール全体が白い光に包まれた。
六 個性の限界、意思の限界
「全員、警戒!」
ナイトアイの声が響く。
光が消えた瞬間、ホールの構造が変わっていた。
床は複数の浮遊する区画に分かれ、壁は上下に動く巨大な隔壁へと変形している。
その中心に、傲慢が立っていた。
背後には、無数の透明板が浮かんでいる。
それらは、各人の動きを映し出し、赤い線で次の行動を示していた。
「……これが、傲慢の本体なのか?」
ロックロックが身構える。
「それとも、装置を操作しているだけなのか?」
「まだ分かりません」
ナイトアイは、慎重に答えた。
「ですが、あの透明板が、戦場全体の動きを制御しているようです」
「だったら、全部壊せばいいんじゃないの?」
ねじれが、両手を構えた。
「……一度に壊すのは危険です!」
ナイトアイが止める。
「建物の支持構造と接続している可能性があります。順番に、接続部を切り離す必要がある」
「了解!」
ねじれは、エネルギー波の出力を抑えた。
その瞬間、傲慢が指を鳴らした。
床の区画が、一斉に動き始める。
ミリオの足元が沈む。
彼は身体を透過させ、落下を避けた。
しかし、その先に拘束輪が待ち受けている。
「……またか!」
ミリオは身体を捻り、輪をすり抜ける。
そのまま壁の内部を抜け、別の区画へ飛び出した。
だが、壁が動く。
彼は再び透過し、床の下へ潜り込んだ。
一瞬の落下。
透過解除。
床から弾き出される。
その勢いを使って、ミリオは透明板へ拳を叩き込んだ。
金属が砕ける。
しかし、別の板がすぐに置き換わった。
「……壊しても、補充される!」
ミリオが叫ぶ。
ナイトアイは、装置の動きを確認した。
「中央の制御部が、破壊された透明板を再構成しています! 周囲の接続を先に切らなければ、破壊だけでは止まりません!」
「了解!」
ミリオは、中央から離れた。
その瞬間、黒いケーブルが彼の足へ絡みつく。
彼は透過しようとした。
しかし、ケーブルが足首を引き、身体の動きが乱れる。
「くっ……!」
そこへ、ロックロックが飛び込んだ。
「捕まってろ!」
ロックロックがケーブルへ手をつく。
《ロック》。
ケーブルが、その場へ固定される。
ミリオは足を引き抜き、身体を透過させて拘束を外した。
「ありがとうございます!」
「礼は後だ!」
ロックロックは、固定したケーブルを壁へ押しつけた。
しかし、装置は別のケーブルを伸ばし、彼の背後へ回り込む。
「……ちっ!」
ロックロックは身を捻った。
その背後で、センチピーダーが長い身体を伸ばした。
複数の節がケーブルへ絡みつく。
一本を押さえ、もう一本を巻き取り、残る一本を床へ押しつける。
「このまま、接続部を外します!」
彼は、全身を使ってケーブルを引いた。
金属が軋む。
接続部が、僅かにずれる。
「ロックロック、固定を!」
「任せろ!」
ロックロックが接続部へ手をつく。
《ロック》。
金属節が、その場へ固定された。
センチピーダーが、さらに身体を引く。
接続部が外れた。
ケーブルが床へ落ちる。
「よし!」
だが、その瞬間、床が大きく揺れた。
中央の透明板が、別の区画を持ち上げる。
リューキュウが、竜の姿で翼を広げた。
「落下を止めます!」
巨大な翼が、浮き上がった床を押さえる。
しかし、床は複数の区画に分かれており、一つを支えると、別の区画が動き出す。
「……一度に全ては支えられない!」
リューキュウが歯を食いしばる。
ねじれが、彼女の隣へ飛び込んだ。
「私が、反対側を押さえる!」
両手にエネルギーが集まる。
ねじれは、螺旋状の波動を床の接続部へ放った。
区画の動きが、僅かに鈍くなる。
「今です!」
リューキュウが、翼で床を横へ押した。
床の区画が、互いに衝突することなく、ゆっくりと元の位置へ戻っていく。
しかし、傲慢は静かに手を上げた。
「……その努力は、見事です」
彼の周囲で、透明板が回転する。
「ですが、あなた方は、常に仲間を助けることを優先する。誰かが危険になれば、助けに向かう。だからこそ、動きを予測することが容易なのです」
ナイトアイは、顔を上げた。
「……何を言いたいのですか」
「あなた方は、互いを信頼している。その信頼は、弱点にもなる」
傲慢は、穏やかに続けた。
「一人が危険に陥れば、別の者が助ける。その行動を利用すれば、次の一手を予測できる。あなた方が互いを助けようとするほど、戦場は私にとって読みやすくなるのです」
ミリオは、拳を握った。
「……仲間を助けることが、悪いって言いたいの?」
「いいえ」
傲慢は、微笑んだ。
「ただ、その行動が、あなた方自身を危険にさらすことを指摘しているのです」
彼は、壊れかけた床を見た。
「一人を救おうとすれば、別の場所が危険になる。全員を助けようとすれば、誰も救えなくなる可能性がある。そのような状況で、あなた方は、何を選ぶのですか?」
ミリオは、少しだけ目を伏せた。
その問いは、簡単には答えられない。
誰かを助ければ、別の誰かを助けられなくなるかもしれない。
どの選択にも、危険がある。
それでも、彼らは選ばなければならない。
その重さを、ミリオは理解していた。
「……僕たちは、できる限りのことをする」
彼は答えた。
「必要なら、仲間と相談する。何ができるのかを考える。全部を一度に助けられないなら、どこから動くべきかを判断する」
ミリオは、傲慢を見据えた。
「でも、だからって、君が全部を決めていい理由にはならない」
傲慢は、静かに目を細めた。
「……あなた方は、失敗することを恐れないのですか?」
「恐れるよ」
ミリオは、正直に答えた。
「怖いし、失敗したら悔しい。助けられなかったら、きっと苦しい」
彼は、拳を握りしめた。
「でも、失敗するかもしれないからって、自分の代わりに誰かに人生を決めてもらいたいとは思わない」
その言葉に、ナイトアイは静かに頷いた。
「私たちが目指すべきなのは、誰も間違えない世界ではありません」
彼は、傲慢へ向き直った。
「間違いが起きたとき、その責任を引き受け、必要な修正を行える世界です」
傲慢は、初めて笑みを消した。
「……それでは、遅すぎる場合もある」
「ええ」
ナイトアイは、答えた。
「そのとおりです」
彼は、ゆっくりと息を吐いた。
「だからこそ、私は危険を予測し、知らせます。助けられる命があるなら、全力を尽くします。しかし、危険を避けるという理由で、相手の人生を私のものにはしません」
彼は、自らの言葉を確かめるように続けた。
「未来を知ることと、未来を決める権利を持つことは違うのです」
傲慢は、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと顔を上げた。
「……ならば、あなた方の覚悟を試しましょう」
その瞬間、床の中央部が大きく開いた。
七 選べない救済
床下から、巨大な装置がせり上がってきた。
透明板が何十枚も重なり、黒いケーブルが樹木の根のように広がっている。
その中央には、白い光を放つ円形の装置があった。
装置の表面には、無数の文字が浮かんでいる。
「救済対象、確認」
「損失予測、算出」
「最適な未来を選択」
その文字が、次々と点灯していく。
そして、中央の円形装置から、一つの光が伸びた。
光は空中で形を変え、壊理の姿を作り出した。
ミリオが息を呑む。
「……壊理ちゃん?」
それは、本人ではない。
映像のようなものだった。
しかし、表情も、服装も、驚くほど正確に再現されていた。
その映像の壊理が、手を伸ばしている。
目の前には、病院のベッドに横たわる人物。
壊理が《巻き戻し》を使えば、救えるかもしれない。
そう思わせる、映像だった。
傲慢が、静かに語る。
「彼女が、その能力を使えば、救える可能性のある人々です」
別の映像が浮かび上がる。
失われた個性。
重い怪我。
長い年月をかけても癒やせない傷。
後悔と悲しみ。
「彼女の力は、過去を変える可能性を持つ。だからこそ、正しく使う必要があるのです」
ミリオは、拳を握った。
「……正しく使うって、誰が決めるんだ?」
「人々を救うために、最適な方法を選ぶ。それだけです」
「壊理ちゃんが、嫌だって言ったら?」
傲慢は、少しだけ首を傾けた。
「その場合は、彼女に、その選択がどのような結果をもたらすのかを説明します」
「それでも嫌だって言ったら?」
「理解が不十分なのでしょう」
「……それでも?」
「必要な救済を拒むことは、本人の利益になりません」
ミリオは、静かに息を吐いた。
「……そっか」
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「君は、壊理ちゃんの答えを聞く前から、もう結論を決めてるんだね」
傲慢は、微笑んだ。
「彼女の能力と、救済の可能性を考えれば、結論は明らかです」
「でも、壊理ちゃんは、まだ何も答えていない」
「ですから、正しい情報を与えるのです」
「……情報を与えることと、答えを決めることは違う!」
ミリオが叫んだ。
彼は床を蹴った。
透過。
円形装置の下へ潜り込む。
黒いケーブルが、彼の進路を塞ぐ。
ミリオは身体を捻り、ケーブルをすり抜けた。
そのまま、装置の裏側へ飛び出す。
拳が走る。
しかし、透明な壁が、装置の前へ立ち上がった。
ミリオの拳が弾かれる。
「……っ!」
装置は、すぐに反応した。
黒いケーブルが、彼の身体へ巻きつく。
「捕まえましたね!」
ミリオは透過した。
ケーブルをすり抜け、床へ潜る。
しかし、床が動き、彼の身体を押し戻す。
「うわっ!」
そのまま壁へ押しつけられた。
身体を透過しようとする。
だが、別の拘束線が、その位置を塞いでいる。
ミリオは、歯を食いしばった。
「……くそっ!」
「ミリオ!」
ナイトアイが叫んだ。
「無理に突破しないでください!」
「でも、装置を止めないと!」
「分かっています! だから、全員で止めるのです!」
ナイトアイは、すぐに指示を出した。
「ロックロック、中央装置の周囲にある支持部を固定してください! センチピーダー、ケーブルの束を押さえる! バブルガール、センサーへ泡を! リューキュウ、上から装置の動きを制限! ねじれさん、露出した接続部を狙ってください!」
全員が、一斉に動いた。
ロックロックが、装置の周囲へ手を伸ばす。
《ロック》。
金属の支持部が固定される。
センチピーダーが長い身体を伸ばし、黒いケーブルへ絡みつく。
バブルガールが泡を放ち、センサーの視界を奪う。
リューキュウが竜の姿で降下し、巨大な爪で装置の外側を押さえた。
ねじれが空中で旋回し、エネルギー波を放つ。
螺旋状の光が、装置の接続部へ命中した。
金属が砕ける。
装置の動きが、僅かに鈍った。
ミリオは、その隙に身体を透過させ、拘束から抜け出した。
「ありがとうございます!」
彼は、すぐに装置の背面へ回り込んだ。
しかし、傲慢は、まだ微笑んでいた。
「……あなた方は、本当に、相手の意思を尊重することにこだわるのですね」
彼は、ゆっくりと手を広げた。
「では、尋ねましょう。壊理が、誰も救いたくないと言ったら?」
ミリオの動きが、一瞬止まった。
「……何?」
「彼女が、自分の人生だけを生きたいと願ったら? 自分の力を、誰にも使いたくないと考えたら? その結果、助けられるかもしれなかった人々が、救済の機会を失ったら?」
傲慢は、静かに続ける。
「それでも、あなたは彼女の意思を尊重するのですか?」
ミリオは、すぐには答えなかった。
壊理の力によって、救えるかもしれない人がいる。
その可能性は、否定できない。
もし彼女が、自分の力を使わないと決めたなら。
救えるかもしれなかった人を、救えなくなるかもしれない。
その事実は、きっと苦しい。
ミリオも、その苦しみを考えないわけではなかった。
だが。
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「……僕は、壊理ちゃんが誰かを助けたいと思ったら、その力を使うための支援をする」
傲慢は、黙って聞いていた。
「安全に使える方法を一緒に探す。必要な知識を学べるようにする。危険を減らす方法を考える」
ミリオは、一つひとつ言葉を選んだ。
「でも、壊理ちゃんが使いたくないと思ったなら、その気持ちも聞く。なぜ嫌なのか。何が怖いのか。何を望んでいるのか。話を聞いたうえで、できることを一緒に考える」
彼は、拳を握った。
「誰かを救いたいという願いは、壊理ちゃん自身の人生を奪う権利にはならないんだ!」
傲慢は、しばらく彼を見つめていた。
やがて、静かに笑った。
「……あなたは、壊理を救いたいと思っている」
「そうだよ」
「彼女が、あなたの思いとは違う答えを選ぶことも認める」
「うん」
「それでも、彼女を救いたいという願いは、変わらないのですか?」
ミリオは、少しだけ目を細めた。
「……変わらないよ」
彼は、はっきりと答えた。
「でも、救いたいという願いを、壊理ちゃんに押しつけるつもりはない」
その言葉に、傲慢の笑みが消えた。
「……理解できませんね」
彼は低く呟いた。
「救いたいと願いながら、相手が救いを拒むことを認める。それでは、救済は完成しない」
ミリオは、首を横に振った。
「違うよ」
彼は、静かに答えた。
「救済って、救う側が満足することじゃない」
一歩、前へ出る。
「相手が何を望んでいるのかを聞くことから、始めるんだ」
八 ナイトアイの予知
傲慢の周囲で、鏡片が一斉に回転した。
その表面に、様々な未来の映像が浮かび上がる。
ミリオが倒れる未来。
リューキュウが天井を支えきれなくなる未来。
ねじれのエネルギー波が外れ、装置が暴走する未来。
センチピーダーの身体がケーブルに絡め取られる未来。
ロックロックの固定が間に合わず、床が崩れる未来。
それらは、どれも起こり得る危険な光景だった。
「……これは」
ナイトアイは、目を見開いた。
傲慢は、静かに告げた。
「あなたは、未来を予知することができる。ならば、その危険を知ることができるでしょう」
鏡片が、さらに光を強める。
「あなたが選ばなかった未来。あなたが見落とした可能性。あなたが救えなかった者たち。そうしたものが、どれほど多く存在するか」
ナイトアイは、拳を握った。
「……あなたは、私の予知を利用しようとしているのですか」
「いいえ」
傲慢は微笑んだ。
「あなた自身が、知っているはずです。未来を予測することには、価値がある。危険が分かるのなら、避けるべきです。失敗の可能性があるのなら、減らすべきです」
彼は、一歩前へ出た。
「あなたは、なぜ、その力を持っていながら、全てを制御しようとしないのです?」
ナイトアイは、すぐには答えなかった。
映像の中では、仲間たちが危険に陥っている。
それは、見ているだけでも苦しい光景だった。
《予知》を使えば、どの行動が危険なのかを知ることができる。
その情報を使えば、危険を避ける助けになる。
だが、全ての危険を完全に取り除くことはできない。
どれほど慎重に未来を予測しても、予知できない状況がある。
どれほど正確な情報を得ても、そこから何を選ぶかは、判断しなければならない。
「……私は、未来を予知できます」
ナイトアイは、静かに答えた。
「ですが、予知によって得られる情報が、常に全ての答えを示しているわけではありません」
傲慢は、首を傾げた。
「なぜです?」
「未来を知ることができても、その未来をどう扱うかは、別の問題だからです」
ナイトアイは、眼鏡を押し上げた。
「危険を知ったなら、備えることができます。予測した未来が望ましくないなら、変えるために行動できます。ですが、そのために、他者の意思を全て奪うことはできません」
「では、その結果、失敗が起きたら?」
「責任を引き受けます」
ナイトアイは、答えた。
「何ができたのか。何を見落としたのか。次にどうすればよいのか。それを考えます」
「それでは、取り返しのつかない損失を防げない場合もある!」
「……ええ」
ナイトアイは、目を伏せた。
「その可能性はあります」
彼は、再び顔を上げた。
「しかし、だからといって、全ての未来を私が決めてよいことにはなりません」
傲慢の表情が、硬くなった。
「……あなたは、本当に変わったのですね」
「いいえ」
ナイトアイは、静かに答えた。
「私は、まだ変わろうとしている途中です」
その言葉は、決して強がりではなかった。
彼は、まだ過去の全てを整理できていない。
オールマイトとの関係に残した傷も、ミリオに教えてきたことの中にあった問題も、完全には解決していない。
それでも、間違っていた可能性を認めることはできる。
自分の判断を振り返ることもできる。
そして、今から何をするかを考えることもできる。
「私は、未来を知ることのできる人間として、危険を知らせる責任があります。ですが、その情報を使って、他人の人生を所有することはしません」
ナイトアイは、拳を握った。
「あなたがどれほど正しい未来を示そうとも、その未来を望んでいない者がいるなら、その声を聞かなければならない」
傲慢は、静かに笑った。
「……ならば、あなたの仲間たちが、次々と危険に陥っても?」
その瞬間、鏡片が光った。
リューキュウの姿が、映し出される。
彼女が天井を支えようとする。
しかし、梁が崩れる。
ねじれが助けに向かう。
その結果、二人とも危険な場所へ追い込まれる。
さらに、センチピーダーがケーブルに絡まれ、ロックロックが固定を維持できなくなる。
バブルガールが孤立する。
ミリオが、中央装置へ到達する前に捕らえられる。
それらの未来が、連続して映し出された。
ナイトアイの呼吸が乱れた。
「……っ」
傲慢は、優しい声で言った。
「あなたなら、彼らを救えるかもしれない。正しい未来を選び、全員へ指示を出し、全てを制御すればよいのです」
彼は、静かに手を差し伸べた。
「私と協力してください。あなたの予知を使い、最適な未来を選ぶ。そうすれば、あなたが恐れていることの多くを防げるでしょう」
ナイトアイは、手を見つめた。
その提案は、誘惑だった。
危険を減らせる。
失敗を防げる。
仲間たちが傷つく可能性を、少しでも小さくできる。
それが本当に可能なのなら、魅力的な提案だった。
だが、そのために何が必要なのか。
自分が、全ての判断を下すこと。
他人の選択を、自分が見た未来へ合わせること。
そして、相手が別の道を望んだとき、その意思を修正すべきものとして扱うこと。
ナイトアイは、手を下ろした。
「……お断りします」
傲慢の表情が、初めて明確に変わった。
「なぜです?」
「あなたの提示する未来が、どれほど望ましいものであっても、私は、そのために他人の意思を全て奪うつもりはありません」
ナイトアイは、真っ直ぐに答えた。
「私は、危険を予測し、仲間へ伝えます。必要なら助言します。ですが、その情報を受け取って何を選ぶかは、彼ら自身が判断するべきです」
彼は、拳を握った。
「私は、仲間たちが自分で考える力を信じます」
傲慢の微笑みが、消えた。
「……ならば、あなた方が間違えたとき、その責任は誰が負うのです?」
「私たち自身です」
ナイトアイは、答えた。
「他人の未来を奪わないという選択にも、責任はあります。ですが、だからこそ、必要な情報を共有し、互いに助け合い、誤りがあれば見直していくのです」
彼は、一歩前へ出た。
「私は、未来を保証することはできません。ですが、未来を選ぶための情報を、仲間へ渡すことはできます」
その言葉に、ミリオが笑った。
「……サー。それ、いいですね!」
ナイトアイは、少しだけ眉を上げた。
「あなたの感想は後で聞きます」
「はい!」
「今は戦闘中です!」
「分かってます!」
二人のやり取りに、緊張の中でも僅かな笑いが生まれた。
だが、傲慢は、もはや微笑んでいなかった。
彼の背後で、鏡片が激しく回転し始める。
「……ならば」
その声は、冷たかった。
「あなた方が、自らの選択によって生じる苦痛を、最後まで引き受けられるかどうかを、確かめましょう」
九 それでも、救いたい
傲慢の手が、ゆっくりと持ち上がった。
その瞬間、ホールの全ての鏡片が、同時に光った。
床の区画が、一斉に動き出す。
壁が閉じる。
天井からケーブルが落下する。
透明板が、戦闘員たちの動きを記録し、次の行動を予測する。
「全員、散開!」
ナイトアイが叫んだ。
ロックロックは、床へ手をついた。
《ロック》。
複数の区画が、その場へ固定される。
しかし、別の区画が動き、固定された床の下へ潜り込もうとする。
「ちっ!」
ロックロックは手を離し、別の支柱へ触れた。
《ロック》。
支柱が固定される。
その隙に、センチピーダーが長い身体を伸ばした。
複数の節が、黒いケーブルへ絡みつく。
一本を押さえ、別の一本を巻き取り、さらに別の線を床へ押しつける。
「今です!」
彼が身体を捻る。
ケーブルの束が、床へ叩きつけられた。
バブルガールが泡を放つ。
白い泡が透明板のセンサーを覆い、赤い光が乱れる。
「視界が乱れれば、予測の精度も落ちるはず!」
その隙に、リューキュウが竜の姿で飛び込み、巨大な翼で隔壁を押さえた。
ねじれが上空からエネルギー波を放つ。
螺旋状の光が、隔壁の接続部を破壊した。
壁が傾く。
リューキュウは尾を振るい、壁の動きを横へ流した。
「ねじれさん、次の接続部を!」
「了解!」
ねじれが、さらにエネルギーを放つ。
今度は、透明板の中心部へ向かうケーブルを狙った。
金属節が弾ける。
一つの透明板が、床へ落下した。
その瞬間、ミリオが飛び込んだ。
身体を透過させ、ケーブルをすり抜ける。
壁を抜け、床を抜け、中央装置の裏側へ到達する。
「……見つけた!」
彼は、接続部へ手を伸ばした。
しかし、傲慢は、すぐに対応した。
透明な壁が、ミリオの前へ立ち上がる。
彼は透過する。
だが、その先には、さらに別の壁がある。
ミリオは身体を捻り、床へ潜った。
その瞬間、床が持ち上がり、身体が横へ押し出される。
拘束輪が迫る。
彼は、それをすり抜けた。
しかし、次の輪が、すでに進路を塞いでいた。
「……っ!」
ミリオは、足を止めた。
逃げ続ければ、敵は反応を続ける。
透過すれば、透過した先へ拘束が来る。
別の道を選べば、その道を塞がれる。
それならば。
彼は、動きを変えた。
透過しない。
跳ばない。
ただ、敵の正面へ立つ。
「……何をしているのです?」
傲慢が、怪訝そうに尋ねた。
ミリオは、静かに答えた。
「ちょっと、君に聞きたいことがあるんだ」
「戦闘中に、対話を?」
「うん。君は、対話が大事だって言っていたよね?」
傲慢は、黙った。
ミリオは続けた。
「だったら、今度は僕の話を聞いてくれる?」
傲慢は、ゆっくりと頷いた。
「……構いません。ですが、あなたが誤った結論へたどり着くのであれば、修正する必要があります」
ミリオは、苦笑した。
「やっぱり、そうなるんだね」
彼は、拳を下ろした。
「僕は、壊理ちゃんを救いたいと思っている」
傲慢は、静かに聞いていた。
「彼女が苦しんでいたら、助けたい。怖がっていたら、安心してほしい。自分の人生を、自分で選べるようになってほしい」
ミリオは、言葉を選びながら続ける。
「その願いは、本物だよ。僕は、今でもそう思ってる」
傲慢は、少しだけ頷いた。
「ええ。あなたが彼女を大切に思っていることは理解しています」
「でも、僕が彼女を大切に思っているからって、僕が何をするべきか、全部正しいわけじゃない」
ミリオは、真っ直ぐに彼を見た。
「僕が助けたいと思ったとき、彼女が助けを望んでいるかどうかを聞かなきゃいけない。彼女が何を怖いと思っているのか、何をしたいと思っているのか、ちゃんと知ろうとしなきゃいけない」
彼は、ゆっくりと拳を握った。
「それは、彼女を救いたいという願いを、捨てることじゃない」
傲慢が、目を細める。
ミリオは続けた。
「僕が、彼女を救いたいと思うことは、僕の意思だ。彼女が、自分の人生を自分で選びたいと思うことは、彼女の意思だ」
彼は、少しだけ笑った。
「その二つは、両方あっていいんだよ」
ホールの動きが、一瞬だけ鈍った。
ミリオは、傲慢を見つめた。
「君は、誰かを救いたいという願いがあると、そのために相手の意思を変えようとする。でも、相手が何を望むかを聞くことと、自分が何を望んでいるかを伝えることは、両方できるはずなんだ」
彼は、拳を下ろした。
「僕は、壊理ちゃんを救いたい。でも、壊理ちゃんが何を望んでいるかを聞きたい。彼女が嫌だと言ったら、その理由を知りたい。僕とは違う未来を選ぶなら、その未来について、ちゃんと話したい」
ミリオは、一歩前へ出た。
「僕は、彼女の未来を保証できない。でも、彼女が選べる未来を守ることなら、できると思う」
傲慢の表情が、揺れた。
「……それは、あなたにとって、満足できる結果なのですか?」
ミリオは、少しだけ考えた。
「……いつでも、満足できるとは限らないと思う」
正直な答えだった。
「僕は、彼女が苦しまない未来を望んでる。怖い思いをしない未来を。安心して笑える未来を。だけど、そんな未来を、僕が保証することはできない」
彼は、静かに続けた。
「それでも、彼女が自分の人生を選べるように支えることはできる。失敗したら、一緒に考えることもできる。怖いときに、そばにいることもできる」
彼は、傲慢を見据えた。
「君には、それが足りないんだ」
傲慢の表情が、冷たくなった。
「……何が足りないと?」
「相手の答えを待つことだよ」
ミリオは、はっきりと言った。
「君は、自分が正しいと思っている。だから、相手が答えを出す前に、正解を用意してしまう。相手が違う答えを出したら、修正する。だけど、それじゃ、相手が自分で選ぶことはできない」
ミリオは、拳を握った。
「僕は、君の考えを変えたいと思ってる。でも、君に何を考えろって命令するつもりはない。僕の話を聞いて、君自身で考えてほしい」
傲慢は、長い沈黙の後、静かに笑った。
「……あなたは、本当に不思議な人ですね」
その声には、先ほどまでと違う響きがあった。
「自分の願いを持ちながら、その願いを相手に強制しない。相手の答えが自分と違っていても、それを認める余地を残す」
彼は、ゆっくりと首を傾けた。
「それでは、あなたの願いは、いつまでも叶わないかもしれません」
ミリオは、頷いた。
「……そうかもしれない」
「それでも?」
「それでも、だよ」
ミリオは、笑った。
「僕は、壊理ちゃんを救いたい。その気持ちは、捨てない。でも、僕の願いをかなえるために、壊理ちゃんの願いをなくすつもりもない」
その言葉が、ホールへ静かに響いた。
十 壊理の選んだ言葉
通信機から、小さな声が届いた。
『……ミリオお兄ちゃん』
ミリオは、すぐに端末へ手を伸ばした。
「壊理ちゃん!」
『……聞こえています』
壊理は、遠隔映像の向こうで、真剣な表情を浮かべていた。
「……わたしも、話したいです」
ナイトアイが、端末へ顔を向ける。
「壊理。危険はありませんか?」
『はい。安全な場所にいます』
「分かりました。無理に話す必要はありません。あなたが話したいと思うことだけ、話してください」
壊理は、深く息を吸った。
『……わたしは、わたしの個性で、誰かを助けられるなら、助けてあげたいと思います』
ミリオは、静かに聞いていた。
『でも、わたしが何をしたいのか、まだ分からないことも多いです。だから、すぐに決められないときもあります』
壊理は、少しだけ顔を伏せた。
『それでも、すぐに答えを出さなきゃいけないとは思いたくないです』
その言葉を聞いて、ミリオは頷いた。
『わたしが、まだ分からないって言ったとき……それを、間違いだって決めないでほしいです』
壊理の声は、少しずつ強くなっていく。
『わたしが、嫌だって言ったときも。怖いって言ったときも。まだ考えたいって言ったときも……わたしの気持ちを、ちゃんと聞いてほしいです』
彼女は、顔を上げた。
『わたしは、誰かを助けるためだけに、生きるんじゃありません』
ミリオの胸が、熱くなった。
『わたしは、わたしの人生を生きたいです』
その言葉が、通信を通じてホールへ響いた。
傲慢は、黙っていた。
壊理は続ける。
『……誰かを助けたいと思うことは、悪いことじゃないと思います。わたしも、困っている人がいたら、助けたいです』
彼女は、少しだけ微笑んだ。
『でも、わたしが何をするかは、わたしが考えて決めたいです』
ミリオは、静かに頷いた。
「……うん」
壊理は、最後に、はっきりと告げた。
『わたしの未来を、わたしにも選ばせてください』
ホールが、静まり返った。
傲慢は、その言葉を聞いていた。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
「……あなたは、まだ理解していない」
彼は、静かに言った。
「あなたの選択が、どれほど多くの人々の未来に影響を与えるのか」
壊理は、怯えながらも、目を逸らさなかった。
『……分かりません』
彼女は、正直に答えた。
『わたしには、まだ分からないことがたくさんあります』
それから、少しだけ息を吸った。
『でも、分からないからって、わたしの未来を、誰かに決めてもらいたいとは思いません』
傲慢の表情が、硬くなった。
壊理は、ゆっくりと言った。
『わたしは、これから、いろんなことを知りたいです。いろんなことを経験したいです。自分が何を好きなのか、何をしたいのか、少しずつ考えたいです』
彼女は、ミリオを見た。
『……ミリオお兄ちゃんが、わたしを助けたいと思ってくれていることは、うれしいです』
ミリオの目が揺れた。
『でも、わたしは、ミリオお兄ちゃんが考える未来の中だけで、生きたいわけじゃありません』
その言葉は、ミリオにとっても、簡単に受け止められるものではなかった。
壊理が、自分の想像とは違う未来を選ぶかもしれない。
自分が望んでいない道へ進むこともあるかもしれない。
それでも、彼女の未来は、彼女自身のものだ。
ミリオは、ゆっくりと頷いた。
「……分かった」
彼は、笑顔を浮かべた。
「壊理ちゃんが、どんな未来を選びたいのか、これからも聞かせてほしい」
壊理は、少しだけ目を見開いた。
「……はい!」
その返事を聞いて、ナイトアイは、静かに目を閉じた。
彼女の未来は、まだ分からない。
ミリオが、どれほど彼女を大切に思っていても。
ナイトアイが、どれほど未来を予知しようとしても。
誰かが、その未来を保証することはできない。
それでも、彼女が自分の意思で考え、選ぶ機会を守ることはできる。
そのことを、ナイトアイは改めて理解した。
そして、それは、ミリオにとっても同じだった。
誰かを救いたいという願いは、否定する必要がない。
だが、その願いをかなえるために、相手の意思を奪ってはならない。
二人は、傲慢を見据えた。
「……聞いたでしょう?」
ミリオが言った。
「壊理ちゃんは、自分で選びたいって言ってるんだ」
傲慢は、静かに答えた。
「……ええ。聞きました」
「なら、もう、彼女の答えを勝手に修正しないでくれ」
傲慢は、しばらく沈黙していた。
その後、ゆっくりと手を上げた。
ホールの床が、再び震えた。
「……それでも、私は、あなた方の考えを認めることはできません」
ミリオは、拳を構えた。
「……そうか」
傲慢の周囲で、鏡片が一斉に回転し始める。
「ならば、最後に一つ、問いましょう」
彼は、静かに告げた。
「あなた方は、未来を保証できないことを認めながら、それでも誰かの未来を守ると、言い切ることができるのですか?」
ミリオは、答えなかった。
その問いは、簡単に答えられるものではなかった。
未来は、不確かだ。
どれほど善意を持っていても、失敗することがある。
どれほど相手を大切に思っていても、相手が望む未来を必ず実現できるわけではない。
それでも、未来を守るとは、何を意味するのか。
彼らは、まだ、その答えを完全には見つけていなかった。
十一 未来を保証できない者たち
「……私は、未来を保証することはできません」
最初に答えたのは、ナイトアイだった。
彼は、傲慢を見据えた。
「予知によって、危険を見通すことができる場合はあります。ですが、全ての未来を知ることはできません。予知で見た光景があったとしても、それをどのように受け止め、何を選ぶかによって、行動は変わります」
彼は、眼鏡を押し上げた。
「未来を保証できないからこそ、私たちは、必要な情報を共有し、危険を減らす方法を探す。相手が何を望むのかを聞き、その意思を尊重しながら、できることを考えるのです」
傲慢は、静かに聞いていた。
ナイトアイは続ける。
「私は、かつて、自分の予知を絶対視していたことがあります。自分が見た未来が正しいと信じ、その未来を変えようとする人間の意思を、十分に信じられなかった」
彼は、一度だけ息を吐いた。
「その判断が、オールマイトとの関係に傷を残したことも、今では理解しています」
ミリオは、静かにナイトアイを見ていた。
「私は、過去の自分が全て間違っていたとは思いません。危険を予測し、避けようとしたことは、必要な行為だったと思います」
ナイトアイは、まっすぐに続けた。
「しかし、未来を知ることと、未来を決める権利を持つことは違う。その違いを見失ったとき、私は、相手の意思を尊重することを忘れてしまったのです」
傲慢の微笑みが、わずかに揺れた。
「……それでも、あなたは未来を信じるのですか?」
「ええ」
ナイトアイは、頷いた。
「ですが、未来を信じることは、予知された結末を絶対視することではありません。人間が考え、選び、行動する可能性を信じることです」
ミリオが、隣へ並んだ。
「僕も、未来を保証できない」
彼は、正直に言った。
「壊理ちゃんが、これからどんな人生を歩むのか。どんなことに悩んで、何を好きになって、どんな未来を選ぶのか。僕には、分からない」
彼は、少しだけ笑った。
「僕が、ずっと彼女を守れるとも約束できない。僕自身だって、間違えることがあるから」
壊理は、通信の向こうで静かに聞いていた。
ミリオは続けた。
「でも、僕が彼女を大切に思っていることは、本当だよ。そして、彼女が自分で未来を選べるように、できる限りのことをしたいと思っている」
彼は、拳を握った。
「僕は、壊理ちゃんが必ず幸せになるって、約束することはできない」
壊理の目が揺れた。
しかし、ミリオは、言葉を続けた。
「でも、壊理ちゃんが自分の気持ちを話せるようにすることはできる。怖いときに、怖いって言える場所を作ることもできる。何かを選びたいときに、考える時間を守ることもできる」
ミリオは、傲慢を見据えた。
「未来を保証できなくても、未来を選ぶ機会を守ることはできるんだ!」
その言葉に、傲慢は、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと頭を振った。
「……それでは、不十分です」
彼の声は、低かった。
「未来を選ぶ機会を与えたとしても、人は間違える。救われない者が生まれる。後悔が残る。ならば、よりよい未来を選ぶべきではありませんか?」
ミリオは、すぐには答えなかった。
それから、ゆっくりと拳を下ろした。
「……君が、本当に誰かを救いたいと思っているなら」
傲慢の目が、細くなる。
ミリオは続けた。
「その人が何を望んでいるのかを聞いてほしい」
その一言が、ホールへ響いた。
「自分が正しいと思う未来を用意するだけじゃなくて、その人が何を望んでいるのかを聞く。違う答えが返ってきたら、どうしてそう思うのかを聞く」
ミリオは、静かに言った。
「そのうえで、できることを一緒に考えてほしいんだ」
傲慢の表情が、凍りついた。
彼は、しばらく何も答えなかった。
その沈黙の中で、周囲の透明板が、ゆっくりと回転を止め始めた。
十二 救済の境界
「……あなた方は、まだ、私の問いに答えていません」
傲慢は、ようやく口を開いた。
「未来を保証できないことを認めながら、それでも誰かの未来を守ると言う。ですが、その未来が望ましくないものになったとき、あなた方は何をするのですか?」
ミリオは、答えた。
「そのときは、もう一度、考える」
「また、失敗するかもしれない」
「うん」
「その失敗によって、誰かが苦しむかもしれない」
「……そうだね」
ミリオは、目を逸らさなかった。
「だからこそ、一人で全部を決めないんだ。仲間と相談して、必要な情報を集めて、相手の気持ちを聞いて、できることを探す」
彼は、ゆっくりと続けた。
「それでも、間違えることはあると思う。失敗することもあると思う。でも、その可能性があるからといって、最初から誰かに全部を決めてもらう必要はない」
傲慢は、唇を引き結んだ。
「……あなたは、不確実な未来を受け入れようとしているのですね」
「うん」
ミリオは頷いた。
「不確実だからこそ、考え続けるんだ」
その言葉に、ナイトアイが続いた。
「あなたは、正しい未来を選ぶことが、人を救うことだと考えている」
傲慢は、彼を見た。
「そのとおりです」
「ですが、正しい未来を誰が決めるのか。その基準を、誰が持つのか。その問いを、あなたは避けています」
ナイトアイは、静かに言った。
「あなたが、どれほど多くの情報を持っていたとしても、それだけで、全ての人間の人生を決める権利を得るわけではありません」
傲慢の背後で、最後の鏡片が光った。
ナイトアイは、続ける。
「あなたが誰かを救いたいと思うなら、その人が何を望んでいるのかを聞く必要があります。相手が自分とは違う答えを出したなら、その答えを理解しようとする必要があります」
彼は、一度、息を吐いた。
「そして、相手が拒絶したとき、その拒絶を、ただの理解不足として片づけてはならない」
傲慢は、しばらく黙っていた。
「……それでは、救えない者が残る」
「ええ」
ナイトアイは答えた。
「残るでしょう」
その言葉に、傲慢の目が見開かれた。
ナイトアイは、静かに続ける。
「全ての人を救えると保証することはできません。どれほど努力しても、失敗することはあります。それでも、私たちは、できることを続ける」
彼は、傲慢を見据えた。
「救えなかったことを、相手の意思のせいにしない。自分が正しいと信じる未来を拒まれたからといって、その人を誤りだと決めつけない。必要なら、別の方法を探す」
ナイトアイは、ゆっくりと頭を下げた。
「……それが、今の私が考える、救済のあり方です」
その瞬間、傲慢の周囲から、白い光が漏れ始めた。
彼の胸元の鏡片が、次々とひび割れていく。
「……私は」
傲慢は、初めて、言葉に詰まった。
「私は、ただ……」
その声は、先ほどまでの穏やかさを失っていた。
「私は、誰も苦しまないようにしたかった。失敗する者がいないようにしたかった。間違った選択をして、取り返しのつかないことになる者を、減らしたかった……!」
彼の声が、ホールへ響く。
「それなのに、あなた方は、失敗する可能性を受け入れるという! 苦しみが残る未来を、受け入れるという! それが、救済だというのですか!」
ミリオは、静かに答えた。
「……苦しみが残ることを、望んでいるわけじゃない」
彼は、傲慢を見つめた。
「誰も苦しまないで済むなら、そのほうがいい。誰も失敗しないで済むなら、そのほうがいい。僕だって、そう思うよ」
ミリオは、拳を握った。
「でも、だからって、誰かが自分の人生を選ぶことまで、なくしていいわけじゃない!」
傲慢の身体が、わずかに揺れた。
「……あなた方は、私の考えを否定するのですね」
「ううん」
ミリオは、首を横に振った。
「君が、誰かを救いたいと思ったことまで、否定するつもりはない」
傲慢の目が、大きく見開かれた。
ミリオは、ゆっくりと続けた。
「君が、人を苦しませたくないと思っていることは、分かった。失敗を減らしたいと思っていることも、分かった」
彼は、手を下ろした。
「でも、その願いを理由に、誰かの未来を奪うことは、認められない」
ミリオは、真っ直ぐに答えた。
「誰かを救いたいと思うなら、その人が何を望んでいるかを聞こう。自分が正しいと思う未来だけじゃなくて、相手が望む未来についても、一緒に考えよう」
その言葉が、最後の鏡片へ届いた。
鏡片が、静かにひび割れた。
そして、床へ落ちた。
十三 まだ、終わっていない願い
白い光が、ゆっくりと消えていった。
床の動きが止まる。
壁が元の位置へ戻る。
黒いケーブルは、垂れ下がったまま動かなくなった。
戦闘は、一時的に決着した。
ミリオは、息を吐いた。
「……終わった、のかな?」
ロックロックが、周囲を確認する。
「少なくとも、今は動かねえな」
センチピーダーも頷いた。
「接続部の大半は停止しています。再起動の兆候も、今のところ確認できません」
バブルガールは、泡を片づけながら、傲慢を見つめた。
「……彼は、どうなったのでしょう?」
傲慢は、その場に立っていた。
鏡片は砕け、周囲の装置は止まっている。
だが、彼自身は消えていなかった。
彼は、静かに自分の手を見つめていた。
「……私は、正しかったはずだ」
その声は、小さかった。
「私は、誰かを救いたかった。誰も苦しまないようにしたかった。誰も間違わないようにしたかった……」
彼は、顔を上げた。
その目には、まだ、強い確信が残っていた。
「それなのに、なぜ、あなた方は……」
ミリオは、静かに答えた。
「……君が、正しいことを願ったのは、間違いじゃないと思う」
傲慢は、彼を見た。
「でも、正しいことを願ったからって、君のやり方が全部正しいわけじゃない」
ミリオは、ゆっくりと続けた。
「誰かを救いたいと思う気持ちと、誰かの未来を決めることは違う。君が、どれだけ本気で救いたいと思っていても、相手の意思を無視してしまったら、その人にとっては、救済じゃないかもしれない」
傲慢は、黙っていた。
ミリオは、壊理の声を思い出した。
彼女は、自分の未来を選びたいと願った。
自分の個性をどう使うのか。
どんな人生を歩むのか。
その答えを、誰かに決めてもらうのではなく、自分自身で考えたいと。
ミリオは、傲慢へ向き直った。
「……僕は、君に、自分の考えを変えてほしいと思っている」
傲慢の目が、動く。
「君が、誰かの未来を勝手に決めることをやめてほしい。相手が嫌だと言ったら、その言葉を聞いてほしい。相手が違う答えを出したとき、その答えを理解しようとしてほしい」
ミリオは、一歩前へ出た。
「でも、僕がそう思っているからって、君の考えを、僕が無理やり変えるつもりもない」
傲慢は、初めて、完全に言葉を失った。
ミリオは続けた。
「君が自分で考えて、決めてほしいんだ」
その言葉が、静かにホールへ響いた。
傲慢は、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと顔を伏せた。
「……考える」
その声は、聞き取れないほど小さかった。
「私は……考えなければならないのですか」
ナイトアイが答えた。
「ええ。私たちも同じです」
彼は、静かに続けた。
「自分の正しさを疑い、何が問題だったのかを考える。その過程を、誰かが代わりに済ませることはできません」
傲慢は、目を閉じた。
その瞬間、彼の背後で、最後に残っていた小さな鏡片が光った。
誰も、すぐには気づかなかった。
鏡片には、壊理の姿が映っていた。
そして、その隣に、別の影が浮かんでいた。
白い影よりも輪郭が薄く、顔も形も定まらない存在。
それは、何かを見つめているようだった。
だが、その正体を確認する前に、鏡片は静かに光を失った。
残ったのは、小さな破片だけだった。
ナイトアイは、その破片を見つめた。
「……まだ、何かが残っている」
ミリオも頷いた。
「うん。だけど、今は、壊理ちゃんを安全な場所へ戻そう」
ナイトアイは、少しだけ微笑んだ。
「ええ」
彼らは、傲慢を警戒しながらも、壊理のいる安全区域へ向かう準備を始めた。
戦いは、一時的に終わった。
しかし、傲慢が抱えていた願いが、完全に解決したわけではない。
彼が自らの考えを変えるのか。
それとも、また別の形で、正しい未来を押しつけようとするのか。
その答えは、まだ分からなかった。
十四 願いは、誰のものか
医療施設へ戻った後、ミリオは壊理と再会した。
壊理は、彼の姿を見つけると、すぐに駆け寄った。
「ミリオお兄ちゃん!」
「壊理ちゃん!」
二人は、少し離れたところで足を止めた。
壊理は、ミリオの姿を確かめるように見つめた。
「……怪我は、ありませんか?」
「うん! 大丈夫だよ!」
ミリオは笑った。
「みんなで協力したからね!」
壊理は、ほっとしたように息を吐いた。
「……よかった」
ミリオは、彼女の前にしゃがみ込んだ。
「壊理ちゃん。さっきのこと、話してくれてありがとう」
「……はい」
「君が何を望んでいるのか、ちゃんと聞くことができてよかったよ」
壊理は、少しだけ首を傾げた。
「……ミリオお兄ちゃんは、わたしが何を望んでいるのか、分からなかったんですか?」
ミリオは、苦笑した。
「うん。全部は分からなかった」
彼は、正直に答えた。
「僕は、君を助けたいと思っていた。でも、君が何を考えているのか、何を怖いと思っているのか、全部分かっていたわけじゃない」
壊理は、静かに聞いていた。
「だから、君が自分の気持ちを話してくれたことが、うれしかったんだ」
ミリオは、笑顔を浮かべた。
「これからも、いろいろ教えてほしい。君が何をしたいのか。何をやりたくないのか。どうしたら安心できるのか」
壊理は、ゆっくり頷いた。
「……はい」
それから、少しだけ考えた。
「……ミリオお兄ちゃん」
「うん?」
「わたしも、ミリオお兄ちゃんが、何を考えているのか、知りたいです」
ミリオは、目を見開いた。
「……僕の?」
「はい」
壊理は、少しだけ微笑んだ。
「ミリオお兄ちゃんが、わたしを助けたいと思ってくれていることは、分かっています。でも、ミリオお兄ちゃんだって、怖いことがあると思います」
ミリオは、黙って聞いていた。
「だから、ミリオお兄ちゃんが、何を怖いと思っているのかも、教えてほしいです」
その言葉に、ミリオの表情が、少しだけ和らいだ。
彼は、これまで、壊理を守る側でいようとしてきた。
彼女が怖がらないように。
彼女が苦しまないように。
彼女が安心して暮らせるように。
そのために、できることを考えてきた。
しかし、守る側でいることと、自分の気持ちを隠すことは違う。
彼もまた、迷うことがある。
不安になることがある。
助けられなかったらどうしようと、怖くなることがある。
「……そっか」
ミリオは、静かに答えた。
「じゃあ、僕も、ちゃんと話すね」
壊理は頷いた。
「……はい」
二人は、しばらく花壇を眺めていた。
やがて、ミリオが口を開く。
「……僕はね、壊理ちゃんが、もう二度と怖い思いをしなくて済むようにしたいと思ってる」
壊理は、静かに聞いていた。
「でも、それが必ずできるかどうかは、分からない。僕だって、全ての危険を防げるわけじゃないし、いつも正しい判断ができるわけじゃない」
ミリオは、少しだけ笑った。
「だから、怖いんだと思う」
壊理は、彼の顔を見た。
「……ミリオお兄ちゃんも、怖いんですね」
「うん」
ミリオは頷いた。
「でも、怖いからって、何もできないわけじゃない。怖いなら、危険を減らす方法を考える。分からないことがあれば、誰かに相談する。間違えたら、考え直す」
彼は、壊理を見つめた。
「それに、僕一人で全部やらなくてもいいんだよね」
壊理は、少しだけ笑った。
「……はい」
その答えを聞いて、ミリオも笑った。
「だから、壊理ちゃん。僕たちは、お互いに話をしよう」
彼は、優しく言った。
「僕が君を守りたいと思っていることも、君が自分の未来を選びたいと思っていることも、どっちも大切にしよう」
壊理は、しっかりと頷いた。
「……はい!」
その瞬間、彼らの間にあったものは、少しだけ変わった。
ミリオは、壊理を救済の象徴にしない。
壊理は、ミリオを、自分を救うためだけに存在する人間だとは考えない。
二人は、互いの気持ちを聞きながら、これからの関係を作っていく。
それは、何かを完全に解決する魔法ではない。
けれど、相手の意思を尊重するために、最初に必要な一歩だった。
十五 まだ残る傲慢
夜。
ナイトアイは、研究棟から回収した資料を整理していた。
透明板の破片。
黒いケーブルの接続部。
装置に残された記録。
そして、傲慢と名乗った存在の言葉。
どれも、まだ十分に理解できていない。
彼が何者なのか。
どのような仕組みで、人間の行動を予測しているのか。
安寧システムの残滓と、どのような関係があるのか。
そして、壊理の未来に、なぜこれほど強く執着しているのか。
答えは、まだない。
だが、ナイトアイは、一つだけ確信していた。
傲慢の問題は、単に、他人を思いどおりに動かそうとすることではない。
彼は、本当に、誰かを救いたいと思っている。
苦しむ人を減らしたい。
失敗を防ぎたい。
取り返しのつかない損失を避けたい。
その願い自体は、決して奇妙なものではない。
しかし、その願いがあまりにも強くなると、自分が正しいと信じる未来を、相手に押しつけてしまう。
そして、相手が拒絶したとき、その拒絶を、相手がまだ理解していない証拠として扱ってしまう。
その瞬間、善意は、相手を支えるためのものではなく、相手を支配するためのものに変わる。
ナイトアイは、報告書を閉じた。
「……君を救いたい、という願い」
彼は、静かに呟いた。
その言葉を、何度も頭の中で繰り返す。
自分が誰かを救いたいと思うこと。
それは、間違いではない。
だが、相手が何を望んでいるのかを聞くこと。
自分が何を望んでいるのかを伝えること。
その二つを、同時に行わなければならない。
誰かを救いたいという願いは、相手の人生を決める権利にはならない。
それでも、その願いまで否定する必要はない。
ナイトアイは、窓の外を見つめた。
彼は、これからも予知を使うだろう。
危険を見通し、必要な情報を集め、仲間へ伝える。
そして、相手が自分とは違う選択をしたとき、その理由を聞こうとするだろう。
それが、今の彼にできることだった。
だが、傲慢が本当に考えを変えたのかは、まだ分からない。
彼は、最後まで、自分の考えを撤回しなかった。
そして、最後に残された鏡片には、見知らぬ影が映っていた。
それが何を意味するのか。
傲慢が、誰かの意思を支配しようとする仕組みの一部なのか。
あるいは、別の存在の影響なのか。
今は、断定できない。
ナイトアイは、資料をまとめ、机の引き出しへしまった。
「……次は、最後まで話を聞かなければなりませんね」
彼は、静かに呟いた。
傲慢との対話は、まだ決着していない。
彼の考えを変えることができるのか。
それとも、最後まで、自分の正しさを信じ続けるのか。
その答えは、次の対話で明らかになる。