一 保証できない未来
「あなた方は、未来を保証できないことを認めながら、それでも誰かの未来を守ると、言い切ることができるのですか?」
白い研究施設の最深部。
傲慢の問いが響いた瞬間、床面の白い線が一斉に明滅した。
ミリオは答えなかった。
いや、正確には、答えを探していた。
「……未来が絶対に明るいなんて、僕には言えません」
彼は壊理を背中にかばいながら、正面の白い外套を見据えた。
「明日、何が起こるかなんてわからない。僕がどれだけ頑張っても、全部の問題を解決できるわけじゃない。助けた人が、その先で苦しむことだってある。間違えることだってある」
「ならば、君は何を守るというのだ」
傲慢の声には、嘲笑も怒りもなかった。
だからこそ、その問いは鋭かった。
「保証できない未来を、守ると口にする。それは無責任な希望の押し売りではないのか。救うと約束し、救えなかったとき、君は何を差し出す?」
「……そのときは、逃げません」
ミリオは言った。
「できなかったことを認める。助けられなかった理由から目をそらさない。次はどうすればいいか、みんなと考える。必要なら、もう一度手を伸ばす」
「同じ失敗を繰り返す可能性もある」
「あるでしょうね」
「君が差し伸べた手が、相手を傷つける可能性もある」
「あると思います」
「君が守ろうとした人間が、君の望まぬ未来を選ぶ可能性もある」
「……それも、あります」
傲慢の背後に浮かんでいた無数の鏡が、ゆっくりと回転した。
鏡の中には、さまざまな未来が映し出されていた。
救われて笑う壊理。
再び恐怖に沈む壊理。
ミリオに手を伸ばす壊理。
ミリオから離れて、自分の足で歩いていく壊理。
そして、それらすべての隣に、ミリオがいた。
笑っている未来。
泣いている未来。
立ち尽くす未来。
誰かに頭を下げ、謝っている未来。
「君は、そのすべてを受け入れるというのか?」
「受け入れる、なんて簡単に言えませんよ」
ミリオは首を振った。
「つらいと思います。悔しいと思います。できることなら、壊理ちゃんが笑っていられる未来だけを選びたい」
彼の声が、少しだけ低くなった。
「でも、それを選ぶ権利が僕にあるわけじゃない」
傲慢の目が細くなった。
「ならば、君は無力だ」
「そうかもしれません」
ミリオは、真正面から答えた。
「でも、無力だからって、何もしなくていい理由にはならないんです」
次の瞬間。
施設全体が、轟音を立てた。
「対話は終了だ」
傲慢が手を持ち上げた。
「君たちの不確かな善意が、どれほど脆いものか。それを証明しよう」
床が動いた。
壁がせり上がった。
天井から白い金属板が次々と落下し、空間を細かく区切っていく。
同時に、無数の照準線がミリオたちの身体を捉えた。
「総員、散開!」
ナイトアイの声が響いた。
「ロックロック、中央の支柱を固定! センチピーダー、右側のケーブルを拘束! バブルガール、センサーを攪乱しろ!」
「了解!」
「はいっ!」
「任せてください!」
全員が一斉に動いた。
傲慢が掲げた手を下ろす。
それと同時に、未来予測装置が戦闘を開始した。
二 予測される英雄たち
最初に動いたのは、ミリオだった。
「行きます!」
彼は地面へ潜り込むように個性を発動した。
透過。
身体を物体に通過させることで、壁も床も障害物ではなくなる。
ミリオの身体が床をすり抜けた瞬間、頭上を三枚の金属板が横切った。
壁から突き出した拘束アームが、彼の進行経路を塞ぐ。
しかし、ミリオは止まらない。
床を透過し、壁を抜け、天井の梁を通り越す。
空間の中を、物理法則の隙間を縫うように進んだ。
「まずは、その制御盤まで――!」
制御盤の手前で、ミリオは突然、透過を解除した。
その瞬間を待っていたかのように、左右の壁から拘束ワイヤーが飛び出した。
「そこ!」
ミリオは即座に再び透過する。
ワイヤーが身体をすり抜けた直後、彼は装置の側面へ出現した。
拳が制御盤に叩き込まれる。
金属の外装がへこみ、火花が散った。
だが、制御盤は停止しなかった。
「なにっ!?」
砕けた外装の奥から、細い機械腕が伸びる。
ミリオが身をひねるより早く、その腕が彼の肩に接触した。
次の瞬間、周囲の床がせり上がり、天井の可動板が一斉に落下した。
「ミリオ!」
ねじれが叫ぶ。
「わかってる!」
ミリオは再び透過し、床下に退避した。
その頭上で、巨大な金属板が激突する。
轟音。
床が震えた。
装置は、ミリオの攻撃を学習していた。
彼の身体が透過できること。
透過を解除する瞬間には実体が必要であること。
そして、攻撃のために現実空間へ戻る瞬間こそが、最も狙いやすいこと。
傲慢は静かに告げた。
「通形ミリオ。君は予測不能な動きによって相手を翻弄する。だが、どれほど自由に動ける者でも、行動には目的がある。目的がある以上、選択肢は絞り込める」
「だったら――」
床から飛び出したミリオが、笑った。
「目的のほうを、増やしてみればいい!」
彼は正面の制御盤へ向かうと見せかけて、突然、壁の中へ潜った。
装置が反応し、壁面から拘束アームが展開される。
しかし、ミリオはそのまま進まず、壁の内部を斜めに横切った。
別の壁へ移動し、そこから床へ抜け、再び天井へ。
予測装置の照準が追いかける。
ミリオが実体化する可能性のある地点に、罠が集中していく。
その隙に、彼は戦場を観察した。
「ナイトアイさん! 装置が僕の動きを読むたびに、罠の配置が変わっています!」
「わかっている!」
ナイトアイは目の前に迫った金属板を蹴り、身を翻した。
予知によって、わずか数秒先の自分の動きを見ている。
板を避けた後、足元の床が開く。
開いた穴を避ける。
その先にワイヤー。
ワイヤーを避けるために身体をひねれば、壁から突き出す拘束具に捕らえられる。
逃げ道が、逃げ道でなくなっていく。
ナイトアイは奥歯をかみしめた。
「未来の一つを見せ、その未来へ追い込んでいるのか……!」
予測装置は、単純に次の行動を当てるだけではなかった。
相手が選びそうな行動を予測し、その選択肢だけを残していく。
危険を察知して回避すれば、その回避行動を利用する。
攻撃を仕掛ければ、その攻撃を逆手に取る。
味方を助けようとすれば、助けようとする意志そのものを罠に使う。
未来を予測することと、未来を誘導すること。
装置は、その二つを一体化させていた。
「つまり、相手が何を選ぶかを考えるだけじゃ駄目ってことね!」
バブルガールが駆けながら、両手を前へ突き出す。
「だったら、相手の目を曇らせる!」
彼女の口から、色とりどりの泡が大量に吐き出された。
泡は天井へ、床へ、壁へと広がっていく。
それぞれに異なる香りが含まれていた。
甘い香り、刺激的な香り、ほとんど無臭に近い香り。
一つ一つは小さくとも、数が増えればセンサーの検知結果を混乱させる。
赤外線、気流、化学成分、微細な動き。
装置が複数の情報を組み合わせて対象を追跡するなら、その情報の一部を乱せばいい。
「さあ、どれが本物の動きでしょう?」
バブルガールが笑う。
泡が一つ、拘束アームの先端で弾けた。
続いて、別の泡がセンサーを覆う。
その瞬間、照準線がミリオのいる壁とは反対方向へ向いた。
「今だ、ミリオ!」
「了解!」
ミリオが壁から飛び出す。
しかし、彼が制御盤へ拳を振るう寸前、床が跳ね上がった。
「うわっ!?」
ミリオの身体が宙に浮く。
予測装置は泡によって一部のセンサーを失っていた。
だが、施設そのものに埋め込まれた圧力センサーが、床の振動から彼の位置を割り出したのだ。
「センサーを一つ潰しても、別の情報源で補完する。単独の攪乱では効果が限定的だ!」
ナイトアイが叫んだ。
「なら、全部まとめて止めればいい!」
ロックロックが答えた。
彼は両手を広げ、壁面から突き出した金属板へ触れる。
個性――ロック。
触れた物体を固定する。
ロックロックは、迫り来る三枚の金属板に次々と触れた。
ガガガガガッ!
金属板が動きを止める。
その直後、彼は床の可動部を固定し、さらに天井から伸びるレールへ手を伸ばした。
「足場を動かして俺たちを誘導するつもりだろ! だったら、誘導するための足場を止める!」
彼が固定したのは、部屋全体ではない。
中央の支柱。
西側の床板。
東側のレール。
固定された箇所が増えるほど、装置の動作は制限されていく。
だが、ロックロックの額には汗が浮かんだ。
「くそっ、数が多い! 全部は無理だぞ!」
「全部止める必要はありません!」
ナイトアイが即座に答えた。
「装置の移動経路を限定してください! 動く場所を限定できれば、予測の精度も落ちます!」
「最初からそう言え!」
「今、必要な情報が揃ったのです!」
「それを最初に言えってんだよ!」
言い合いながらも、ロックロックの手は止まらない。
彼は固定する場所を選び、装置の移動経路を意図的に狭めていった。
そこへ、センチピーダーの長い身体が滑り込んだ。
「こちらも、動きを止めます!」
長い胴体がしなやかに伸び、壁から飛び出したワイヤー群へ絡みつく。
一つ。
二つ。
五つ。
十を超えるワイヤーが、センチピーダーの身体に巻き取られていった。
彼はそのまま床を這い、ワイヤーの根元まで進む。
「ロックロックさん! こちらの固定部を!」
「おう!」
センチピーダーの身体がワイヤーを押さえ込み、ロックロックが根元の接続部を固定した。
ガキン!
ワイヤーが張り詰めたまま止まる。
その瞬間、別の壁面から大量の拘束具が飛び出した。
「まだ来るか!」
センチピーダーが身体をひねる。
だが、拘束具は彼の動きを追うように角度を変え、逃げ道を塞いでいく。
「センチピーダー、右へ!」
ナイトアイが叫んだ。
「三秒後、床が開きます!」
「承知!」
センチピーダーは身体を折り畳み、細い隙間へ滑り込んだ。
直後、彼がいた床が大きく開く。
さらに頭上から落下してきた金属板を、リューキュウが受け止めた。
「これ以上、好き勝手にはさせない!」
彼女の身体が急速に巨大化していく。
人の姿から、強大な竜の姿へ。
翼が展開し、尾が床を打ち鳴らす。
金属板を両腕で受け止めたリューキュウは、そのまま身体をひねり、落下の勢いを横へ逃がした。
巨大な板が壁へ衝突する。
しかし装置は、さらに大きな構造物を動かそうとしていた。
壁全体が横滑りを始める。
「このサイズを動かすつもり!?」
リューキュウは翼を広げ、壁の移動方向へ身体を押し当てた。
床がきしむ。
竜の爪が床面をえぐらないよう踏ん張りながら、彼女は全身の力で壁を押さえ込む。
「ねじれさん! 今のうちに、あの接続部を!」
「はーい!」
ねじれが両手を振り上げる。
螺旋状のエネルギーが、彼女の手の中で渦巻いた。
「波動!」
放たれた螺旋波が、壁の移動を制御する巨大な接続部へ飛ぶ。
一発目。
装甲がへこむ。
二発目。
接続部から火花が散る。
三発目。
接続部が破損し、動いていた壁が大きく揺れた。
だが、装置は壁の動力を停止する代わりに、別の制御系統へ負荷を移した。
リューキュウの背後で、天井の一部がゆっくりと開く。
そこから、巨大な円筒状の拘束装置が落ちてきた。
「上!」
ねじれが叫ぶ。
リューキュウは翼を広げてねじれをかばいながら、尾で円筒の側面を打ち払った。
金属の塊が大きく軌道を変え、壁面へ激突する。
「ありがとう、リューキュウさん!」
「気を抜かないで! まだ終わっていない!」
施設の中央で、傲慢が手を下ろした。
「よく連携している。個性を組み合わせ、装置の予測を乱し、動きを封じ、攻撃の機会を作っている」
その声には、わずかな感心さえあった。
「だが、君たちは全員、誰かを救おうとするときに行動が変わる」
鏡の一枚が光った。
そこに映ったのは、リューキュウがねじれを守ろうとする未来。
センチピーダーがロックロックを救おうとする未来。
バブルガールがミリオを助けようとする未来。
そして、ミリオが壊理を守るために、すべてを投げ出す未来。
「君たちの優しさは、選択を狭める。守りたい者がいるから、合理的な行動を捨てる。仲間がいるから、危険を引き受ける。弱き者がいるから、勝利より救助を優先する」
傲慢の背後で、鏡の数が増えていく。
「それを利用すれば、君たちの行動は容易に誘導できる」
その瞬間、ミリオが床を蹴った。
「じゃあ、誘導しきれないくらい、仲間を信じればいい!」
「何?」
「僕が壊理ちゃんを守ろうとすることを、あなたは利用するつもりなんでしょう? だったら、僕一人が守る必要はない!」
ミリオは、仲間たちを見た。
「みんな! 壊理ちゃんを守るのは僕の役目、なんて考えるのはやめます!」
「……最初からそうしていればよかったんですよ」
ナイトアイが眼鏡を押し上げる。
「自分一人で背負おうとする癖は、いまだに抜けていないようですね」
「ええっ!? そこ今、指摘します!?」
「戦闘中だからこそです。後で言う手間が省ける」
「ナイトアイさん、相変わらず厳しいなあ!」
「ふざける余裕があるなら、次の動きを考えなさい!」
その言葉とともに、ナイトアイは傲慢を見据えた。
彼の目が、相手の未来を捉えようとする。
「……見るべきは、装置の動きだけではない」
ナイトアイは静かにつぶやいた。
「装置を操作する人物が、どのような選択をするのか。それもまた、未来の一部だ」
彼の視線が、白い外套の傲慢へ向けられた。
「傲慢。あなたが何を守ろうとしているのか、見せてもらいます」
三 予知の使い道
ナイトアイは、息を整えた。
彼の個性――予知。
対象を見据え、接触することで、その人物の未来を一定時間、映像として見る。
しかし、その映像は未来のすべてではない。
見ることのできる未来があるからといって、それを完全に理解できるとは限らない。
ましてや、見た未来を絶対のものとして他者に押しつければ、それは予知ではなく、支配になる。
ナイトアイは長いあいだ、その違いを見失っていた。
だが今、彼が知りたいのは、傲慢が何をするかだけではない。
なぜ、そこまで他人の選択を奪おうとするのか。
その一点だった。
「傲慢。こちらへ来なさい」
「私に接近するつもりか」
「ええ。あなたが望むのは、未来についての議論でしょう。ならば、あなた自身の未来もまた、議論の対象になるはずです」
「私の未来を予知するのか?」
「あなたが予知を恐れていないのなら、拒む理由はないはずです」
傲慢は、しばらく黙っていた。
やがて、白い外套の裾を揺らし、一歩前へ進んだ。
「いいだろう」
彼が手を伸ばす。
ナイトアイは、その手に触れた。
――映像が、脳裏へ流れ込む。
白い部屋。
無数の鏡。
誰もいない空間。
そこに立つ傲慢。
彼は、幾つもの未来を見つめていた。
人々が争う未来。
人々が傷つく未来。
善意が裏目に出る未来。
救うはずの人間が、別の人間を傷つける未来。
誰かを救った結果、別の誰かが犠牲になる未来。
そして、傲慢自身が、誰かの人生を決めている未来。
そのすべてに共通していたのは、彼が他者の失敗を恐れているということだった。
彼は人間の自由を憎んでいるだけではない。
自由が生み出す結果を、恐れている。
誰かが間違えること。
自分の予想が外れること。
正しい道を示したつもりでも、その人間が別の道を選ぶこと。
そして、その結果として誰かが苦しむこと。
傲慢はそれらを受け入れられない。
だからこそ、選択肢を減らそうとした。
正解を示し、間違いを防ぎ、苦痛の可能性を取り除こうとした。
――誰かが苦しむ未来を見るくらいなら、誰かの未来そのものを決めてしまえばいい。
そうすれば、自分の予測は外れない。
誰も、自分の考えた道から外れない。
誰も、自分が正しいと定めた選択を拒まない。
誰も、自分に「あなたの選んだ未来は間違っていた」と告げることができない。
ナイトアイの視界が揺れた。
未来の映像の中で、傲慢が振り返った。
その表情は、驚くほど静かだった。
「……なるほど」
ナイトアイがつぶやく。
「あなたは未来を支配したいのではない」
傲慢の目がわずかに動いた。
「何が言いたい?」
「間違いを許せないのです。誰かが間違えることも、自分が間違えることも。あなたは、誰かを不幸にする可能性を消そうとしている」
「それの何が悪い」
「悪いのは、誰かの苦痛を防ぎたいという願いではありません」
ナイトアイは、はっきりと言った。
「その願いを実現するためなら、相手の意思を無視してよいと考えていることです」
傲慢が、ナイトアイの手を振り払った。
「君は、何も理解していない!」
その声に反応し、研究施設の全装置が再起動した。
「ならば、見せてやろう! 自由な選択が何を生むのかを!」
中央の床が崩れた。
地下から、巨大な円形機構がせり上がってくる。
無数の鏡が、その周囲に展開した。
そして鏡は、それぞれ別の未来を映し出し始めた。
一枚には、ミリオが壊理を守りながら倒れる姿。
一枚には、壊理がミリオを救うために自分の個性を使おうとする姿。
一枚には、ナイトアイの指示が遅れ、仲間たちが連携を失う未来。
一枚には、リューキュウが構造物を支えきれず、戦場が崩壊する未来。
一枚には、ねじれの攻撃が反射され、仲間に向かう未来。
「未来の可能性を、直接戦場へ反映させている……!」
バブルガールが息をのんだ。
「単なる幻じゃない! 鏡に映った動きに合わせて、実際の機構が連動してる!」
「未来の映像を予測として使用し、その映像に沿って罠を作動させる仕組みか!」
ロックロックが叫ぶ。
「つまり、鏡が示す未来の通りに動いたら不利になるってことだな!」
「いえ」
ナイトアイは鏡を見据えた。
「示された未来を避けても、別の未来に誘導される。装置は、こちらの回避行動まで利用するつもりです」
「なんだそりゃ! どっちへ進んでも罠じゃないか!」
「だからこそ、鏡の示す未来そのものを崩す必要があります」
ナイトアイが、ミリオを見た。
「ミリオ。鏡に映った自分の姿を見ないでください」
「え?」
「あなたの動きを読み取る装置です。映像を確認しようとすること自体が、相手の予測に利用される可能性があります」
「了解です!」
ミリオは即座に視線を外した。
「でも、どうやって?」
「あなたが次に何をするかは、私にも完全にはわかりません」
ナイトアイは言った。
「だからこそ、あなた自身に決めてもらいます」
一瞬。
ミリオの表情から、笑みが消えた。
そして、彼は笑った。
「……はい!」
予知の結果を、絶対の指示にしない。
未来を見た者が、未来を決めるのではない。
情報を渡し、相手に判断してもらう。
ナイトアイは、今度こそ、その原則を行動に移した。
「全員、鏡に映る未来ではなく、実際の装置の動きを見てください! 映像が示す危険と、現実に発生している危険を分けるのです!」
「了解!」
「ねじれさん、鏡の外側にある接続部を狙ってください。鏡そのものを壊す必要はありません!」
「わかった!」
「バブルガール、センサーへの攪乱を継続! センチピーダーはケーブルの根元を押さえてください。ロックロックは動力伝達の経路を固定!」
「了解!」
「リューキュウさんは中央の円形機構が崩れないよう、必要な部分だけ支えてください。すべてを押さえ込む必要はありません!」
「わかったわ!」
ナイトアイは、ミリオを見た。
「ミリオ。中央へ向かうか、外側から回るか。判断はあなたに任せます」
「はい!」
彼は鏡を見なかった。
代わりに、現実の戦場を見た。
移動する床。
接続部の位置。
仲間の動き。
壊理がいる安全区画へつながる通路。
そして、傲慢の立つ場所。
「……正面から行きます!」
ミリオは床へ潜った。
四 崩れる正解
「正面から、だと?」
傲慢の声が響く。
「君の行動は、既に予測されている!」
中央の鏡が、ミリオの姿を映し出した。
彼が床を突き抜け、右側の壁から現れる。
その瞬間、拘束アームが両側から飛び出し、彼の動きを封じる。
鏡の中の未来は、あまりにも鮮明だった。
傲慢が指を鳴らす。
現実の装置が動き出す。
床下から、拘束アームが出現した。
だが――。
ミリオは、右側の壁から現れなかった。
彼は床下を進み、中央の円形機構の真下へ移動した。
そして、装置の真下で透過を解除した。
「なっ……!?」
彼は床をすり抜けた勢いを利用し、天井へ向かって身体を押し上げた。
鏡に映った姿は、壁の右側へ出現している。
だが、現実のミリオは、別の場所から現れた。
「予測された未来が外れた!?」
傲慢が叫ぶ。
「違います!」
ミリオが拳を握った。
「あなたが予測したのは、僕が正面から攻めるなら、こう動くだろうっていう未来です!」
拳が円形機構の側面を打つ。
「でも、正面から攻めると決めたからって、そこへ向かう道まで一つとは限らない!」
衝撃で装甲がひしゃげる。
同時に、中央機構の回転がわずかに乱れた。
「波動!」
ねじれの螺旋波が、外周の接続部へ突き刺さる。
彼女は鏡そのものではなく、その鏡を支える部品を狙っていた。
一つ目の接続部が破壊される。
二つ目。
三つ目。
鏡の一枚が傾き、別の鏡と衝突した。
その瞬間、施設の動きが一拍だけ遅れた。
「効いてる!」
ねじれが声を上げる。
「でも、まだ装置は動いてる!」
「なら、動力伝達を止めます!」
センチピーダーが身体を伸ばした。
長い胴体が円形機構の外周へ巻きつく。
複数のケーブルをまとめて拘束し、回転を押さえ込む。
しかし、装置はケーブルの張力を感知し、別の経路から動力を供給し始めた。
「また経路を変えた!?」
「想定内です!」
ナイトアイが叫んだ。
「ロックロック、今です!」
「任せろ!」
ロックロックは、床に埋め込まれた金属レールへ触れた。
固定。
次に、回転軸の支え。
固定。
さらに、動力を伝える可動板へ手を伸ばした。
固定。
装置が別の経路へ動力を切り替えようとしても、主要な可動部が固定されているため、動きが途切れる。
「さあ、どこへ力を逃がすつもりだ!」
ロックロックが叫んだ。
「動かせる場所を減らせば、逃げ道も減る!」
装置が激しく震えた。
すると傲慢は、ためらいなく別の装置を起動した。
天井から、大型の金属梁が落下する。
狙いは中央機構ではない。
ロックロックだった。
「ロックロックさん!」
センチピーダーが叫ぶ。
梁は彼の頭上へ落ちてくる。
ロックロックは固定を維持したまま、身体をひねった。
避ける時間はない。
その直前、巨大な翼が視界を覆った。
リューキュウが竜の姿で飛び込んできたのだ。
「下がって!」
彼女は両腕で金属梁を受け止めた。
衝撃で翼が大きく揺れる。
床が割れ、彼女の足元に亀裂が走った。
それでも、リューキュウは梁を離さなかった。
「ロックロックさん! 固定を解除して! その梁は私が支えます!」
「だが、こいつが動いたら――」
「大丈夫! あなたが固定しなければ止められなかった! 今度は、私が支える番です!」
ロックロックは一瞬だけリューキュウを見つめた。
そして、固定を解除した。
梁がわずかに動く。
リューキュウは尾を使ってバランスを取り、金属梁を横へ押し流した。
落下した梁が、壊れた鏡の支柱を押し倒す。
ガシャン!
鏡が次々と倒れた。
「未来の投影が、乱れています!」
ナイトアイが叫んだ。
バブルガールは、その隙を逃さなかった。
「センサーの誤認識、さらに増やします!」
彼女は両手を大きく広げ、先ほどよりも多くの泡を放出した。
泡は装置の外周へ流れ込み、各所のセンサーを覆っていく。
一つの泡が割れれば、別の泡がその位置を埋める。
センサーが正常な値を取ろうとするたび、別の情報が上書きされる。
装置の照準が揺れ始めた。
「ここで一気に行くわよ!」
ねじれが両腕を振り上げた。
渦巻くエネルギーが、先ほどよりも大きな螺旋を描く。
「波動螺旋――!」
放たれたエネルギーは、外周から中央へ向かって走った。
一撃目が装置の装甲を砕く。
二撃目が接続部を貫く。
三撃目が、装置の制御を担う中継ユニットを破壊した。
「これで、どう!?」
中央機構の回転が止まりかける。
傲慢は、初めて大きく後退した。
「馬鹿な……!」
彼は手をかざし、再起動の命令を送る。
だが、装置は応答しなかった。
鏡の映像が乱れる。
壊理の未来を映した鏡が、ひび割れた。
ミリオが叫んだ。
「ナイトアイさん! 今なら、傲慢に届きます!」
「わかっています!」
ナイトアイは走った。
予知で見た未来を、そのまま再現しようとはしない。
自分が見た映像に、他者を従わせるつもりもない。
ただ、今の状況から判断し、最も可能性の高い行動を選ぶ。
そして、その判断を仲間たちに伝える。
「ミリオ、左の通路へ! ねじれさんは右側の鏡を破壊! センチピーダーは制御線を拘束してください!」
「はい!」
「了解!」
「ロックロック、中央の基盤を固定! バブルガールはセンサーを継続して攪乱! リューキュウさん、崩落を防いでください!」
「任せて!」
それぞれが動く。
ナイトアイが描いたのは、誰かの人生を決めるための未来ではない。
誰もが、自分の判断で選べるようにするための道筋だった。
ミリオが床へ潜り、傲慢の足元へ回り込む。
傲慢は反応しようとした。
だが、センサーは泡に覆われ、主要な装置は固定され、ケーブルは拘束されている。
ねじれの螺旋波が、残った照準装置を打ち砕く。
リューキュウが翼で飛散する金属片を受け止め、ロックロックが不安定な床を固定した。
ミリオは床から飛び出した。
拳を握り、傲慢へ突進する。
傲慢は腕を上げた。
最後の鏡が、ミリオの攻撃を映し出す。
そこには、ミリオの拳が傲慢の胸元へ届く未来が映っていた。
だが、傲慢は、その映像に反応して防御を固めた。
「読めている! 君の攻撃は――」
ミリオは拳を振り抜かなかった。
その代わりに、相手の身体をすり抜けた。
「なっ!」
ミリオは傲慢の背後に実体化した。
拳が空を切る。
傲慢が振り返ろうとする。
その瞬間、ミリオは彼の外套をつかんだ。
「あなたの装置が予測したのは、僕があなたを殴る未来です!」
ミリオは傲慢の肩を引き、体勢を崩させた。
「でも、僕があなたを止める方法は、殴ることだけじゃない!」
傲慢の身体が床へ倒れ込む。
ミリオはそのまま、彼の腕を押さえた。
「勝負ありです!」
しかし、傲慢は最後の抵抗を見せた。
床面の白い線が、赤く明滅した。
「まだだ……!」
彼の指先が、装置の緊急制御へ触れる。
同時に、施設の天井が大きく裂けた。
「全員、伏せろ!」
ナイトアイの声が響く。
落下してくるのは、巨大な可動床と金属梁。
装置は停止する寸前、自らの構造を崩壊させ、施設そのものを攻撃へ転用しようとしていた。
壊理のいる安全区画へ通じる通路にも、亀裂が走った。
「壊理ちゃん!」
ミリオが振り返る。
傲慢を押さえていた手が、わずかに緩んだ。
傲慢はその隙を見逃さなかった。
身体をひねり、ミリオを振りほどこうとする。
しかし――。
「逃がしません!」
センチピーダーの身体が伸び、傲慢の腕を押さえ込んだ。
「ミリオさん、壊理さんのことは私たちに任せてください!」
「……!」
ミリオは息をのんだ。
彼は、壊理を守るために動こうとしていた。
だが、その必要はなかった。
すでに、仲間たちが動いている。
「リューキュウさん!」
「わかっているわ!」
竜の姿のリューキュウが翼を広げ、崩れ落ちる天井を支えた。
「ロックロックさん、通路を!」
「了解だ!」
ロックロックが安全区画へ続く床面を固定する。
「バブルガールさん、退避路を確認してください!」
「センサーは信用できないから、目視で確かめます!」
バブルガールは泡を飛ばし、崩落する破片の動きを確認しながら、退避経路を確保した。
「ねじれさん、通路の上にある梁を!」
「任せて!」
ねじれの螺旋波が梁の接続部を破壊し、危険な落下物の軌道を変えた。
そのすべてが、ミリオの目の前で起きていた。
壊理を守るために、誰もが自分の力を使っている。
ミリオだけが、すべてを背負う必要などない。
「……ありがとうございます!」
ミリオは傲慢を見下ろした。
「あなたは、僕たちが壊理ちゃんを守ろうとすることを利用しました。でも、あなたが予測したのは、僕一人の行動だけです」
「何……?」
「僕たちは、一人じゃない!」
ミリオは傲慢を床へ押さえつけた。
「誰かを守るための方法は、一つじゃありません!」
最後の衝撃が、中央機構を貫いた。
白い光が弾けた。
鏡が、すべて砕け散った。
そして――。
装置は、完全に沈黙した。
五 壊理のいる場所
崩落が止まるまで、数分もかからなかった。
しかし、その数分は長かった。
リューキュウが天井を支え、ロックロックが崩落しそうな床を固定し、センチピーダーが傲慢の拘束を維持する。
バブルガールは退避路を確認し、ねじれは危険な構造物を一つずつ破壊した。
ナイトアイは全体を見渡しながら、必要な指示を出し続けた。
そして、ミリオは傲慢を仲間に引き渡すと、壊理の待つ安全区画へ走った。
「壊理ちゃん!」
通路の先。
壊理は、ロックロックによって固定された床の上に立っていた。
彼女は震えていた。
崩落の音。
金属がぶつかる轟音。
遠くで響いた戦いの叫び。
そのすべてが終わった今も、身体の震えは消えていなかった。
ミリオは、彼女の前で足を止めた。
「……大丈夫?」
壊理は、すぐには答えなかった。
やがて、小さくうなずく。
「……はい」
「よかった……!」
ミリオは、ようやく息を吐いた。
いつもの笑顔を浮かべようとする。
しかし、壊理が彼を見つめていることに気づき、その笑顔を少しだけ和らげた。
「怖かったよね」
「……はい」
「うん。怖かったって言っていいんだよ」
壊理は、両手を握りしめた。
「ミリオさん……」
「なに?」
「……わたしのせいで、みんなが……」
その言葉を最後まで言う前に、ミリオは首を横に振った。
「壊理ちゃんのせいじゃないよ」
「でも……わたしの個性が……」
「壊理ちゃんの個性を利用しようとした人がいた。それは、その人が決めたことだ」
ミリオは、ゆっくりとしゃがんだ。
「壊理ちゃんがここにいることは、罪じゃない。助けてもらったことも、誰かに心配してもらったことも、罪じゃないんだよ」
壊理は、彼の顔を見た。
「……わたしが、みんなを助けなきゃいけないんですか?」
その質問に、ミリオはすぐ答えられなかった。
かつての彼なら、笑顔で「そんなことないよ!」と答えたかもしれない。
だが、それだけで十分だろうか。
彼女がこれまで、どれほど多くの人から、何かを期待されてきたのか。
どれほど多くの人から、彼女の個性には価値があると言われてきたのか。
どれほど多くの人が、彼女の力を使えば、誰かを救えると語ってきたのか。
その言葉が、どれほど彼女を追い詰めてきたのか。
「……ううん」
ミリオは、正直に答えた。
「助けたいって思うことは、悪いことじゃない。でも、壊理ちゃんが誰かを助けなきゃいけないわけじゃない」
彼は一度、視線を落とした。
「僕だって、誰かを救いたいと思うよ。だからヒーローになった。誰かが困っていたら手を伸ばしたいし、苦しんでいる人がいたら、なんとかしたいって思う」
それから、壊理を見た。
「でも、それは僕が選んだことなんだ。壊理ちゃんまで、同じことを選ばなきゃいけないわけじゃない」
「……選ばなくても、いいんですか?」
「もちろん」
ミリオはうなずいた。
「選んでもいい。選ばなくてもいい。今はわからなくてもいい」
彼は少しだけ笑った。
「壊理ちゃんが、壊理ちゃんの気持ちで決めればいいんだよ」
そのとき、背後からナイトアイの声が聞こえた。
「……その言葉を、簡単に忘れてはいけませんよ。ミリオ」
「ナイトアイさん」
ナイトアイは、ゆっくりと近づいてきた。
その表情は、いつものように厳しかった。
しかし、壊理へ向ける視線には、以前とは違うものがあった。
「人は、他人の幸福を願うあまり、その人にとって何が幸福なのかまで、勝手に決めてしまうことがあります」
ナイトアイは、壊理を見た。
「それが善意から生じたものでも、本人の意思を無視してよい理由にはなりません」
「……ナイトアイさんも、そう思うんですか?」
壊理の問いに、彼は一瞬だけ目を伏せた。
「ええ」
それは、彼にとって簡単な答えではなかった。
未来を見ることができる。
先に起きることを知り、危険を察知し、最悪の結末を避ける道を探せる。
それは、ヒーローとして大きな力だった。
だが同時に、その力は彼を傲慢にする危険もあった。
自分には見えている。
相手には見えていない。
だから自分が決めなければならない。
自分の知る未来を相手に理解させ、正しい行動を取らせなければならない。
――そう考えたとき、情報を与えることと、選択を奪うことの境目が見えなくなる。
ナイトアイは、その過ちを知っていた。
「予知は、未来を保証するものではありません」
彼は静かに言った。
「危険を見つけることはできる。可能性を考えることもできる。しかし、未来を見たからといって、その未来を変える権利が自分にあるわけではない」
壊理は、彼の言葉を聞いていた。
「私は、これまで……自分が見た未来を、必要以上に正しいものとして扱ってきたのかもしれません」
ナイトアイは、彼女から目をそらさなかった。
「だからこそ、これからは、見えた未来を他者へ伝え、その人が判断できるようにする。予知できることを理由に、他人の人生を決めない。それが、私の責任です」
「……責任」
「ええ」
彼はうなずいた。
「未来を知る能力を持つ者の責任です。そして、ヒーローとしての責任でもあります」
その言葉を聞いて、ミリオは小さく笑った。
「ナイトアイさん、なんだか、すごく変わりましたね」
「君に言われたくありませんね。少しは自分の行動を振り返りなさい」
「ええっ!? 僕だって、ちゃんと振り返ってますよ!」
「それなら、次からは一人で突っ走らないことです」
「うっ……それは……努力します!」
「努力ではなく、実行しなさい」
「厳しい!」
壊理が、ほんの少しだけ口元を緩めた。
二人は、それに気づいた。
だが、何も言わなかった。
笑わなければいけないわけではない。
元気にならなければいけないわけでもない。
ただ、少しだけ気持ちが動いた。
それだけで、今は十分だった。
六 正しい未来の終わり
研究施設の中央部では、傲慢が拘束されていた。
センチピーダーが長い身体で両腕を押さえ、ロックロックが拘束具の固定を確認している。
バブルガールは周辺の装置を調べ、ねじれは不安定な機構が再起動しないか警戒していた。
リューキュウは人間の姿へ戻り、崩れた梁を確認していた。
「……もう、動かないわね」
彼女が言った。
「少なくとも、今の装置は」
ねじれが、砕けた鏡の一つを見下ろす。
「でも、こんなものを作った目的って、なんだったんだろう?」
「傲慢の思想を実現するため、というだけでは説明しきれない部分があります」
ナイトアイが答えた。
「装置の構造には、単に人間の動きを予測するだけではない機能があった。記録された選択肢を比較し、特定の行動へ誘導する仕組みです」
「その技術を、誰が提供したんですかね」
バブルガールが、破損した端末を確認する。
「設計者の記録はほとんど残っていません。ただ、いくつかの制御データが、どこか別のシステムと接続されていた形跡があります」
「別のシステム?」
ロックロックが眉をひそめた。
「外部のネットワークか?」
「現時点では断定できません。接続先の情報は欠落しています」
バブルガールは端末を閉じた。
「記録も、故意に消されたのか、それとも装置の破損で失われたのか……区別できない部分があります」
ナイトアイは、砕けた鏡の一つへ目を向けた。
その表面には、奇妙な影が残っていた。
人影のようにも見える。
ただの反射の歪みにも見える。
先ほど、すべての鏡が砕け散る直前、彼が一瞬だけ目にしたもの。
それが何であったのかは、わからない。
しかし、今は追跡すべきことがある。
「装置の解析は専門のチームへ引き継ぎます。傲慢本人にも、事件の責任を問わなければなりません」
「……私を罰するのか」
床に座らされた傲慢が、口を開いた。
ミリオが、彼を見据える。
「あなたがやったことについては、きちんと向き合ってもらいます。壊理ちゃんの意思を無視し、彼女を自分の目的のために利用しようとした。それは、なかったことにはできない」
「私の目的は、人々を救うことだった」
「その目的が本当だったとしても、やったことが正しくなるわけじゃありません」
ミリオは言った。
「あなたは、自分が正しいと思う未来を守るために、人が自分で未来を選ぶ権利を奪おうとした」
傲慢は、黙っていた。
「人を救いたいって気持ちがあるなら、まず、その人が何を望んでいるかを聞いてください」
ミリオは続けた。
「それでも相手が間違った道を選ぶかもしれない。僕たちには、その可能性を全部なくすことはできない」
「……それで、誰かが傷ついたらどうする」
傲慢の声が、わずかに揺れた。
「君たちは、その責任を取れるのか」
ナイトアイが答えた。
「すべての結果を、事前に保証することはできません」
傲慢が顔を上げる。
「ならば――」
「しかし、責任を避けることと、未来を保証できないことは、別の話です」
ナイトアイは、まっすぐに彼を見た。
「我々は、誤った判断をすることがあります。危険を見落とすこともある。救えなかった人がいることも、選択が誰かを傷つけることもあるでしょう」
彼は一歩、前へ進んだ。
「だからといって、本人の意思を奪ってしまえば、もう間違いは起きない――そんな考えに逃げることはできません」
傲慢は、何かを言おうとした。
しかし、言葉が出てこなかった。
彼の周囲に、もう鏡はない。
映像も、予測された未来も、彼を守る装置もない。
残っているのは、自分が何をしたのかという事実だけだった。
「……私は、未来を守ろうとしていた」
彼は、かすれた声でつぶやいた。
「失敗を防ぎ、苦しみを防ぎ、誰もが後悔しないように……」
「後悔しない人生なんて、ないのかもしれません」
ミリオは答えた。
「でも、後悔する可能性があるからって、その人が自分で選ぶことまで取り上げたくない」
「……」
「あなたが見た未来が、どれだけ正しそうに見えたとしても。それが、その人の選ぶ未来とは限らないんです」
傲慢は、深くうつむいた。
長い沈黙が流れた。
やがて、彼は顔を上げた。
「……私は、間違っていたのか」
「そこは、あなた自身が考えてください」
ミリオは言った。
「僕たちが代わりに答えを決めてしまったら、あなたがやろうとしたことと同じになってしまうから」
傲慢の目が、わずかに見開かれた。
「あなたが何を考え、なぜあの装置を作り、人々の意思を無視しようとしたのか。その責任から逃げないでください。これから先、あなた自身が答えを探すんです」
ナイトアイが続けた。
「あなたが正しかったかどうかを判断するのは、あなた一人ではありません。あなたの行為によって影響を受けた人々の声も、聞かなければならないでしょう」
傲慢は、しばらく何も言わなかった。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
「……私は、選択する者たちを信じていなかったのだな」
その声には、もう先ほどの断定的な響きはなかった。
「人間は間違える。善意で他者を傷つける。後悔し、迷い、選んだ道を捨てることもある。私は、それらを許容できなかった」
彼は、砕けた鏡の破片を見つめた。
「だから、私が選んだ」
一つ一つの言葉を、確かめるように。
「誰が何をすべきか。誰が何を望むべきか。誰が、どの未来を進むべきか」
彼の肩が、少しだけ落ちた。
「……私には、その権利などなかった」
それは、完全な改心ではない。
彼の思想が、一瞬ですべて消え去ったわけでもない。
彼が行ったことの責任が、言葉一つで帳消しになるわけでもない。
それでも。
彼は初めて、自分が正しい未来を独占する者ではなかったと認めた。
「私は、未来を選ぶ者ではない」
傲慢は、静かに言った。
「他者の未来を決める権利を、私が持っていたわけではない」
ミリオは、その言葉を聞いていた。
「……その言葉を忘れないでください」
傲慢は答えなかった。
ただ、もう抵抗しなかった。
七 未来を選ぶのは、あなたです
事件の処理は、夜が明けるまで続いた。
崩れた施設からは、複数の制御装置と、未来予測に関連する記録が回収された。
しかし、肝心の開発者情報や、装置が接続されていたとみられる外部システムの記録は、ほとんど残っていなかった。
傲慢は拘束され、今後、捜査と裁きを受けることになる。
壊理を利用しようとした行為も、無関係な人々の選択を誘導しようとした計画も、決して軽いものではない。
それでも、彼がなぜ未来を支配しようとしたのかという問いは、まだ完全には解けていなかった。
ミリオたちは、施設の外へ出た。
朝の光が、崩れた建物の輪郭を照らしていた。
ねじれは大きく伸びをした。
「はあー……終わったあ!」
「装置は止まったが、後始末はこれからだ」
ロックロックが疲れた顔で答える。
「わかってるよ。でも、ひとまずは一段落でしょ?」
「そうだな。これ以上、建物が動き出さないことを祈るよ」
「祈るより、点検したほうが確実ですよ」
ナイトアイが、すかさず口を挟む。
「はいはい、わかってますって!」
ねじれが笑った。
バブルガールは回収した記録媒体を抱え、センチピーダーと状況を確認している。
リューキュウは、負傷者や作業員が安全に移動できるよう、周囲の確認を続けていた。
その少し離れた場所で、ミリオは壊理と向き合っていた。
「壊理ちゃん」
「はい」
「今日は、本当に大変だったね」
壊理はうなずいた。
「……はい」
「怖かったことも、嫌だったことも、すぐに忘れなくていいからね」
ミリオは、彼女の目線に合わせてしゃがんだ。
「無理に元気になる必要もないし、今すぐ何かを決める必要もない。自分がどうしたいのか、わからなくてもいいんだよ」
壊理は、少し考えてから口を開いた。
「……ミリオさん」
「うん?」
「わたし……」
言葉が途切れた。
彼女は、胸の前で小さく手を握りしめた。
まだ、自分の望みを大きな声で語ることには慣れていない。
誰かに願いを伝えることが、何かを要求することだと考えてしまう。
自分が望んだせいで、誰かが困るのではないか。
自分が何かを選んだせいで、誰かが苦しむのではないか。
そうした不安が、今も彼女の中に残っている。
ミリオは急かさなかった。
「ゆっくりでいいよ」
壊理は、息を吸った。
そして、小さな声で言った。
「……わたし、今日は……おうちに帰ったら、あたたかいものを食べたいです」
ミリオは目を瞬いた。
壊理は慌てて付け足す。
「あと……できれば、絵本を読みたいです。怖くないお話がいいです」
一つ一つの願いは、とても小さかった。
世界を救うための計画ではない。
誰かを助けるための決意でもない。
大勢の人々から期待されるような、立派な目標でもない。
ただ、あたたかいものを食べたい。
怖くない絵本を読みたい。
そんな、彼女自身の望みだった。
ミリオは、ゆっくりと笑った。
大げさに驚かない。
その願いが小さいと評価しない。
もっと大きな目標を持つように勧めることもしない。
ただ、そのまま受け止めた。
「いいね」
彼は言った。
「じゃあ、今日はあたたかいものを食べよう。絵本も、一緒に探そうか」
「……いいんですか?」
「もちろん。壊理ちゃんがそうしたいならね」
壊理の目が、わずかに揺れた。
「……わたしが、そうしたいなら?」
「うん」
ミリオはうなずいた。
「壊理ちゃんが何をしたいか。それが、一番大事なんだよ」
その言葉を聞いた壊理は、初めて、自分の望みをそのまま口にしてもよいのだと感じた。
そのとき、ナイトアイが二人のもとへやってきた。
「壊理さん」
彼女は、少しだけ緊張した。
ナイトアイは、それに気づき、言葉を選んだ。
「今後、あなたの個性について、医療や研究の観点から相談したいという人々が現れるかもしれません。あなたの力によって、助かる可能性がある人がいることも事実でしょう」
壊理はうつむいた。
「……はい」
「ですが、その可能性があるからといって、あなたが必ず協力しなければならないわけではありません」
彼女は顔を上げた。
「あなたには、断る権利があります。迷う権利もあります。今は決められないと答える権利もある」
ナイトアイは、厳しく、しかし穏やかに告げた。
「そして、あなたが何かを選んだ場合には、その選択を尊重するために、周囲の大人たちが責任を持って環境を整えなければなりません。あなた一人に、判断の責任を押しつけることはできません」
「……ナイトアイさん」
「あなたの未来は、あなたのものです」
ナイトアイは、まっすぐに彼女を見た。
「私は未来を見ることができます。しかし、それによって、あなたの人生を決める権利を得たわけではありません」
その言葉は、彼自身にも向けられていた。
未来を見たから、正しい。
未来を知っているから、決めていい。
そう信じていた過去の自分へ。
そして、自分の力を理由に、他者の選択を奪おうとするすべての者へ。
「……これからは、私が見た未来を、あなたに伝えることはあるでしょう。しかし、その未来を選ぶのは、私ではありません」
ナイトアイは静かに言った。
「未来を選ぶのは、あなたです」
壊理は、しばらく彼を見つめていた。
それから、小さくうなずいた。
「……ありがとうございます」
彼女の声は、まだ小さかった。
けれど、その言葉には、彼女自身の気持ちがあった。
ナイトアイは、軽く目を閉じた。
「いいえ。あなたが自分の意思を言葉にしてくれたことに、私からも礼を言わなければなりません」
「え?」
「あなたの言葉を聞かなければ、私たちは、あなたが何を望んでいるのか知ることができない。あなたが口にした希望を、私たちは大切にする必要があります」
彼は、わずかに口元を緩めた。
「まずは、あたたかい食事と、怖くない絵本でしたね」
「……はい」
「それなら、私も協力しましょう」
ミリオが、ぱっと顔を上げた。
「えっ、ナイトアイさんも一緒に絵本を読むんですか?」
「なぜそうなるのです」
「いやあ、だって、ナイトアイさんが絵本を読み聞かせるところ、ちょっと想像できなくて!」
「ミリオ」
「はい」
「余計なことを考える前に、帰りの準備をしなさい」
「はーい!」
ミリオは元気よく返事をした。
壊理が、小さく笑った。
その笑顔は、誰かの期待に応えるためのものではなかった。
自分が笑いたいと思ったから、自然にこぼれた笑顔だった。
八 善意を、命令にしない
帰路につく前、ナイトアイは施設を振り返った。
崩れた壁。
砕けた鏡。
停止した未来予測装置。
あの場所には、かつて彼が信じていたものと似た思想があった。
未来を予測できるなら、正しい道を知ることができる。
正しい道を知っているなら、他者をその道へ導くべきだ。
導かれない人間がいるなら、導かれるように仕向ければいい。
その結論は、一見すると合理的だった。
不幸を防ぐ。
後悔をなくす。
最善の選択肢を用意する。
しかし、その理屈の中には、決定的に欠けているものがあった。
その人自身が、何を望んでいるのか。
その人が、どんな人生を歩みたいと思っているのか。
その人が、何を恐れ、何を大切にし、何を自分の力で選びたいと願っているのか。
それらは、計算だけでは決められない。
予知だけでもわからない。
善意だけでも、正解にはならない。
ナイトアイは、かつての自分に問いかけるように、静かにつぶやいた。
「……私は、未来を見ているつもりで、目の前にいる人間の声を聞こうとしていなかったのかもしれません」
「ナイトアイさん?」
ミリオが振り返った。
「何か言いました?」
「独り言です」
「そうですか!」
ミリオは、すぐに前を向いた。
壊理が、その隣を歩いている。
彼女の歩幅は小さい。
だから、ミリオは急がなかった。
ナイトアイも、彼女の歩く速度に合わせた。
誰かの未来を、代わりに決める必要はない。
一歩先を示すことはできる。
危険があると伝えることもできる。
手を差し伸べることもできる。
そして、その手を取るかどうかは、本人が決めることだ。
未来を保証することはできない。
しかし、本人が未来を選ぶために必要な場所を守り、選択肢を残し、選んだ結果に向き合えるよう支えることはできる。
それが、今のナイトアイにできることだった。
ミリオにも、できることだった。
「ミリオさん」
壊理が、彼の袖をつまんだ。
「ん?」
「……また、絵本を読んでもらってもいいですか?」
ミリオは、驚いたように目を見開いた。
そして、いつもの笑顔で答えた。
「もちろん!」
だが、すぐに言葉を続けた。
「もちろん、壊理ちゃんが読みたいときにね。僕が読んでもいいし、自分で読んでもいいし、今日は読みたくないって言ってもいい。どれでも大丈夫!」
壊理は、少し考えた。
「……今日は、ミリオさんに読んでほしいです」
「了解!」
ミリオは、胸を張った。
「最高の読み聞かせを約束します!」
「ミリオ」
ナイトアイが、すかさず口を挟む。
「過剰な約束は控えなさい」
「えっ!? そこはいいところじゃないですか!」
「『最高』と保証する必要はありません。壊理さんが楽しめるかどうかは、読んでみなければわからない」
「……確かに!」
ミリオは、少し困ったように笑った。
「じゃあ、できるだけ楽しく読めるように頑張ります!」
壊理は、今度ははっきりと笑った。
「はい!」
三人は、朝の光の中を歩き出した。
その先に、どんな未来が待っているのか。
誰にもわからない。
必ず幸福になれると保証することはできない。
二度と苦しむことがないと約束することもできない。
それでも、彼女が自分の望みを言葉にするとき、耳を傾ける者がいる。
迷ったとき、急かさずに待つ者がいる。
間違えたとき、やり直す道を一緒に探す者がいる。
誰かの期待に応えるためではなく、自分自身の人生を歩くために。
壊理は、初めて小さな願いを胸に抱いた。
あたたかい食事。
怖くない絵本。
そして、明日も、自分が何をしたいか考えてみること。
それだけで、十分だった。
未来を選ぶのは、あなたです。
誰かの善意も、誰かの予知も、誰かの正義も、その権利を奪う理由にはならない。
ヒーローは、誰かの人生を代わりに生きる者ではない。
誰かが自分の人生を生きられるよう、その道を守る者なのだ。
傲慢編・終幕
傲慢が掲げた「正しい未来」は、崩れ去った。
だが、彼の思想が存在した理由まで、すべて消えたわけではない。
人は間違える。
善意は他者を傷つけることがある。
未来は不確かで、選んだ道が正解だったと、いつも胸を張れるわけではない。
それでも、自分の不安を理由に誰かの選択を奪ってはならない。
傲慢は、自分が他者の未来を決める権利を持っていなかったと認めた。
しかし、彼が犯した罪には、これからも向き合わなければならない。彼の過ちを他者が帳消しにするのではなく、彼自身が責任を負い、影響を受けた人々の声を聞き続ける必要がある。
そして、壊理は「救われた子供」という肩書きだけではなく、自分の望みを持ち、自分の未来を選んでいく一人の人間として歩き始めた。
通形ミリオは、誰かを救う英雄から、誰かが自分で生きられるよう支える英雄へ。
サー・ナイトアイは、予知の正しさに固執する者から、不確かな未来に対して責任を持つ者へ。
未来を保証することはできない。
それでも、未来を選ぶ自由は守れる。
そのために必要なのは、正解を押しつけることではない。
相手の声を聞き、選択肢を残し、選ばれた道に向き合うことだ。
傲慢編――終幕。