僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第五十二話「守るという名の欲望」

一 守れる教師でいたい

「……もう一度、確認させてくれ」

 

雄英高校、旧訓練棟の管理室。

 

相澤は、ミッドナイトが着席したのを確認してから口を開いた。

 

「お前は、教師として生徒を守りたいと思っていた。同時に、守れる自分でありたいとも思っていた。そういうことか」

 

「ええ」

 

ミッドナイトは、素直にうなずいた。

 

「ただし、それが悪いことだったとは思っていないわ。誰かに必要とされたいと願うことも、自分の仕事に誇りを持つことも、自然な感情でしょう?」

 

「ああ。そこは否定しない」

 

「でも、あなたは、私の話を聞いてからずっと難しい顔をしているわね」

 

「考えているだけだ」

 

「何を?」

 

相澤は、少しだけ間を置いた。

 

「……自分にも、同じものがあるのかと考えていた」

 

ミッドナイトの表情から、からかうような笑みが消えた。

 

「生徒を守る。それは教師として当然の責任だ。危険が迫っているなら、止める。判断を誤れば、取り返しのつかないことになる場合もある」

 

相澤は、自分の手を見つめた。

 

「だが、自分が守らなければならないと考えるあまり、生徒が自分で考える機会まで奪っていないか。自分がいなければ駄目だと思い込み、必要以上に自分を中心に置いていないか」

 

「……相澤」

 

プレゼント・マイクが、隣から声をかけた。

 

「お前だけの問題じゃねえだろ」

 

「わかっている」

 

相澤は、目を上げた。

 

「教師なら、誰にでも起こり得ることだ」

 

部屋の端では、根津校長が端末を操作していた。

 

旧訓練棟の監視映像には、前回停止したはずの制御系統が、また不規則な反応を示している様子が記録されている。

 

「その問題を、今のうちに考えておく必要はありそうだね」

 

根津は言った。

 

「旧訓練棟の設備には、特定の人物の行動や感情的な反応に合わせて、環境を変化させる仕組みがあるようだ。人間の動きを予測するだけでなく、ある行動を取らせるために、選択肢そのものを変えている可能性がある」

 

「選択肢を変える?」

 

マイクが尋ねる。

 

「例えば、生徒が危険にさらされたように見せる。すると教師は、生徒を救うために移動する。装置は、その行動を予測し、次の危険を作り出す。教師が再び救助に向かえば、また別の装置が作動する」

 

根津は、画面を切り替えた。

 

「つまり、教師が生徒を守ろうとすることそのものを、装置の動作に利用できるわけだ」

 

「……厄介だな」

 

相澤は、眉をひそめた。

 

「誰かを助けようとする行動を、罠に変えるのか」

 

「そうだ。そして、もう一つ気になることがある」

 

根津は、別の画面を開いた。

 

そこには、ミッドナイトの個性反応に似た波形と、それに重なる別の信号が映っていた。

 

「今回の信号は、これまでのものと異なり、特定の心理的反応と連動しているように見える」

 

ミッドナイトは、画面へ目を向けた。

 

「……心理的反応?」

 

「不安、焦り、誰かを守ろうとする際の急激な行動変化。そうした反応と、設備の起動タイミングに相関がある」

 

根津は慎重に続けた。

 

「もちろん、これだけで人間の心理を読み取っていると結論づけることはできない。偶然の一致かもしれないし、別の要因がある可能性もある」

 

「だが、放っておくことはできない」

 

相澤が立ち上がった。

 

「生徒たちが巻き込まれる危険があるなら、確認する必要がある」

 

ミッドナイトも立ち上がった。

 

「……私も行くわ」

 

「待て。お前の個性反応が装置に関係している可能性がある」

 

「だからこそよ」

 

彼女は、相澤を見た。

 

「私は、自分の個性が何に利用されているのかを知りたい。それに、あなたたちが私を疑うのは構わないけれど、最初から何もさせないと決めるのも、結局は私の行動をあなたたちが決めることになるでしょう?」

 

相澤は、しばらく黙っていた。

 

「……条件がある」

 

「何かしら?」

 

「異常があった場合、こちらの指示に従って退避すること。生徒たちを危険にさらす行動を取れば、俺はお前を止める」

 

「ええ。構わないわ」

 

ミッドナイトはうなずいた。

 

「私も、生徒たちを危険にさらしたいわけではないもの」

 

マイクが、彼女を見つめた。

 

その表情には、まだ複雑な感情が残っている。

 

彼女を信じたい。

 

しかし、何もかも信じるわけにはいかない。

 

それでも、彼女を排除すれば安心できるという考えには、戻りたくなかった。

 

「……よし」

 

マイクは、拳を握った。

 

「なら、みんなで確かめに行こうぜ。先生たちも、生徒たちも、誰か一人に背負わせるんじゃなくてな」

 

相澤は、うなずいた。

 

そして、管理室の扉を開いた。

 

彼らはまだ知らなかった。

 

これから対峙するものが、彼らの個性だけではなく、彼ら自身の「正しさ」を利用しようとしていることを。

 

二 色欲の名を持つもの

旧訓練棟・中央演習場。

 

そこには、すでに生徒たちが集まっていた。

 

八百万百は装備を整え、必要な器具を創造する準備をしている。芦戸三奈は、床面の材質と酸を使える範囲を確認していた。

 

拳藤一佳は巨大化した両手を動かして調子を確かめ、取蔭切奈は身体の一部を分離させながら、天井や壁の構造を確認している。

 

峰田実は、防護マスクを装着していた。

 

「……なあ、これってさ。普通の設備点検じゃないよな?」

 

「今さら何を言っているのですか」

 

八百万が答える。

 

「旧訓練棟の設備が自動で動き始めているんだろ? そのうえ、ミッドナイト先生の個性と似た反応まで検出してる。どう考えたって、普通じゃねえよ!」

 

「だから、全員で確認するんでしょう」

 

「いや、確認はするよ! するけどさあ!」

 

峰田が声を上げたところで、照明が一斉に落ちた。

 

「……来た!」

 

相澤が、すぐに身構えた。

 

床面の中央に、赤い光が浮かび上がる。

 

その光は円形に広がり、次第に人の形を作り始めた。

 

最初に現れたのは、手だった。

 

細長い指。

 

その先には、赤い糸のような光が何本も揺れている。

 

次に、腕。

 

肩。

 

そして、顔。

 

それは人間の姿をしていたが、はっきりとした輪郭を持たなかった。

 

まるで、誰かの記憶を寄せ集めて作られた人影のようだった。

 

赤い糸は、床から天井へ伸び、壁面の制御装置へとつながっている。

 

人影は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……ああ、ようやく会えた」

 

声は、妙に穏やかだった。

 

「守りたい者たち。守られたい者たち。そして、必要とされたい者たち」

 

人影は、相澤たちを見渡した。

 

「あなたたちは、ずいぶんと美しい関係を築いているのね」

 

相澤が一歩前へ出た。

 

「お前は何者だ」

 

人影は、薄く笑った。

 

「私を呼ぶ名なら、いくつもあるわ」

 

その身体を覆う赤い糸が、ゆっくりと揺れた。

 

「愛着。執着。承認。独占。必要とされたいという願い。そして、誰かに選ばれたいという欲望」

 

人影は、片手を胸元へ当てた。

 

「あなたたちの物語で言うなら――色欲」

 

その名が響いた瞬間、演習場の壁面に赤い光が走った。

 

「……色欲」

 

マイクが、低い声で繰り返した。

 

「ずいぶんと大げさな名乗りだな」

 

「大げさ?」

 

色欲は、笑った。

 

「では、あなたたちは自分たちが抱えているものを、何と呼ぶの?」

 

彼は、マイクを見た。

 

「失った仲間を取り戻したいという願い。自分の知らない部分まで理解したいという欲望。もう一度、あの人が自分のそばにいてくれることを望む気持ち」

 

マイクの表情が硬くなる。

 

色欲は、相澤へ視線を移した。

 

「そして、あなたはどうかしら?」

 

「……何が言いたい」

 

「あなたは、生徒を守りたいの?」

 

色欲は、ゆっくりと問いかけた。

 

「それとも、生徒を守れる教師でありたいの?」

 

相澤は、黙っていた。

 

「あなたは、誰かを救うために戦う。危険から遠ざける。失敗を防ぐ。必要なときには、自分の個性を使って、相手の能力を止める」

 

色欲の指先から、赤い糸が伸びた。

 

「では、もし生徒があなたの言葉を聞かず、自分で危険な道を選んだら?」

 

相澤の目が細くなる。

 

「その選択によって、失敗したら?」

 

赤い糸が、床を這う。

 

「あなたが止めていれば防げたかもしれない結果が生まれたら?」

 

「……」

 

「それでも、あなたは、生徒の選択を尊重できる?」

 

色欲は、笑った。

 

「あなたは、本当に生徒を守りたいの? それとも、自分が守れる教師でありたいだけではないの?」

 

一瞬、空気が凍った。

 

相澤は、その問いを簡単には否定できなかった。

 

自分の中に、そんな気持ちがないとは言えない。

 

生徒を守ることは、教師としての責任だ。

 

しかし、守れる自分でありたいという願いが、いつの間にか、相手の選択を制限する理由になっていたら。

 

それは、どこからが責任で、どこからが欲望なのだろう。

 

「……答えられないようね」

 

色欲が、静かに言った。

 

「ならば、確かめてみましょう」

 

彼が指を鳴らす。

 

赤い糸が、一斉に張り詰めた。

 

床が動く。

 

壁がせり上がる。

 

天井から、複数の拘束具が落下する。

 

そして、演習場の各所に、赤い光の輪が浮かび上がった。

 

「全員、戦闘態勢!」

 

相澤が叫んだ。

 

「来るぞ!」

 

その声と同時に、色欲の身体がほどけた。

 

人影が無数の赤い糸に分かれ、空間の中へ散らばった。

 

それらが、雄英の設備へと接続する。

 

次の瞬間、演習場全体が、巨大な罠へと変わった。

 

三 守る者を狙う罠

最初に動いたのは、拳藤だった。

 

天井から落下してきた巨大な金属板を、彼女は巨大化させた両手で受け止めた。

 

「ぐっ……! この重さ、前回より増してる!」

 

「拳藤さん、右側の支柱を固定してください!」

 

八百万が叫ぶ。

 

「わかった!」

 

拳藤は片手で金属板を支えながら、もう片方の手を支柱へ伸ばした。

 

しかし、支柱は突然動き始めた。

 

金属板の角度が変わり、拳藤の腕へ負荷が集中する。

 

「しまった……!」

 

彼女の膝が、わずかに沈む。

 

その隙に、床面から赤い糸が伸びた。

 

糸は拳藤の手首へ絡みつき、支えている金属板をさらに引き下げる。

 

「拳藤さん!」

 

取蔭が叫んだ。

 

分離した手が飛び出し、赤い糸へ掴みかかる。

 

だが、糸は手をすり抜け、別の場所へ移動した。

 

「物理的に掴めない!?」

 

取蔭が目を見開く。

 

「なら、糸そのものじゃなく、接続先を探します!」

 

八百万は、すぐに小型の分析装置を創造した。

 

その装置を床面へ向け、赤い糸がどこへつながっているのかを調べる。

 

「……見つけました! 接続先は、床下の制御装置です!」

 

「切奈、位置を確認!」

 

拳藤が叫ぶ。

 

「了解!」

 

取蔭の分離した頭部が、床の隙間へ入り込んだ。

 

そこには、複数の赤い光が流れる配線があった。

 

「見つけた! 中央の接続部が、糸を動かしているみたい!」

 

「では、そこを止めます!」

 

八百万は、細い金属製の固定具を創造して投げ渡した。

 

取蔭の手が、それを受け取る。

 

だが、固定具を差し込もうとした瞬間、床面が跳ね上がった。

 

「うわっ!」

 

取蔭の手が弾き飛ばされる。

 

同時に、拳藤の頭上で、金属板が大きく傾いた。

 

「拳藤、危ない!」

 

芦戸が床を滑るように飛び込んだ。

 

彼女は酸を噴射し、金属板を支える固定具を腐食させる。

 

金具が外れ、金属板がわずかに動く。

 

その瞬間、拳藤は巨大な手で板を横へ押し流した。

 

金属板が床へ激突する。

 

轟音。

 

床が震えた。

 

「……助かった!」

 

拳藤が息を吐く。

 

「お礼はあと! まだ来るよ!」

 

芦戸が、床面を見た。

 

赤い糸が、先ほどよりも増えている。

 

それらは拳藤や八百万、芦戸の動きに合わせて伸び縮みし、彼女たちが互いを助けようとするたびに、別の場所へ罠を作っていった。

 

色欲の声が、天井から響く。

 

「ほら、あなたたちは、すぐに誰かを助けようとする」

 

赤い糸が、床を這う。

 

「仲間が危険なら、助ける。誰かが倒れそうなら、支える。誰かが苦しんでいれば、自分の危険を後回しにする」

 

色欲は、笑った。

 

「その優しさを、利用するのは簡単なのよ」

 

床面が分断される。

 

八百万がいる場所と、峰田がいる場所の間に、巨大な隔壁がせり上がった。

 

「八百万!」

 

峰田が叫ぶ。

 

同時に、峰田の足元へ赤い糸が巻きついた。

 

床が傾く。

 

峰田の身体が滑り始めた。

 

「うわあああっ! ちょっと待て! 俺、こういうの本当に苦手なんだって!」

 

彼は、頭から粘着球を引き抜いた。

 

そして、床へ叩きつける。

 

粘着球が床へ貼りつき、滑り落ちていく身体を止めた。

 

「……っ、危なかった!」

 

峰田は、歯を食いしばった。

 

彼の頭上では、隔壁がゆっくりと閉じていく。

 

八百万は、すぐに創造した工具を使い、隔壁の隙間へ固定具を差し込んだ。

 

「峰田さん、こちらへ!」

 

「行く! 行くけど、どうやって!?」

 

「足元の粘着球を使って、移動してください!」

 

「なるほど!」

 

峰田は、粘着球を床へ投げつけた。

 

それを足場代わりにして、少しずつ前へ進む。

 

隔壁の隙間が狭まる。

 

峰田は息を止め、最後の一歩を踏み出した。

 

そして、八百万の手をつかんだ。

 

二人は、隔壁の向こうへ転がり込んだ。

 

「……はあああっ!」

 

峰田が床へ仰向けになる。

 

「もう、二度とこういう訓練はしたくねえ……!」

 

「訓練ではありません!」

 

八百万が即座に返した。

 

「実戦です!」

 

「だから嫌なんだよ!」

 

そのやり取りを、色欲が見ていた。

 

彼は、楽しそうに笑った。

 

「素晴らしいわね。あなたたちは、互いに助け合う。自分の力だけでは難しいことを、仲間と協力して乗り越える」

 

赤い糸が、ゆっくりと揺れる。

 

「では、その仲間が、自分の意思であなたから離れようとしたら?」

 

八百万が、顔を上げた。

 

「……何?」

 

「あなたが必要とされなくなったら?」

 

色欲は、静かに問いかけた。

 

「それでも、あなたは、相手の選択を尊重できるのかしら?」

 

八百万は、答えなかった。

 

その問いは、彼女たちの戦いを、少しずつ別のものへ変えていた。

 

敵は、ただ倒せば終わる相手ではない。

 

彼らが戦う理由そのものを、揺さぶろうとしているのだ。

 

四 相澤消太の抹消

「……お前の話は、あとだ」

 

相澤が、色欲を見据えた。

 

赤い糸が、床面から天井へ伸びている。

 

その一本一本が、装置を動かし、隔壁を展開し、拘束具を操作していた。

 

色欲そのものを抹消できるかどうかはわからない。

 

だが、少なくとも目の前にいる存在は、何らかの形で旧訓練設備を制御している。

 

相澤は、目を細めた。

 

個性――抹消。

 

赤い光が、彼の視線の先で揺れた。

 

一瞬、糸の動きが鈍くなる。

 

だが、完全には止まらない。

 

「……やはり、個性そのものではないか」

 

相澤がつぶやく。

 

色欲は、面白そうに笑った。

 

「あなたの個性は、生きている人間の個性を抑えるもの。では、私のこの姿は、生きている人間なのかしら?」

 

「……」

 

「あなたが止められるものと、止められないもの。その違いを理解しなければ、守りたいものを守れないわよ」

 

赤い糸が、相澤へ向かって伸びた。

 

彼は捕縛布を振るい、糸を避けながら移動する。

 

糸は、捕縛布へ絡みつこうとする。

 

相澤は布を引き戻し、体勢を低くした。

 

床を蹴り、柱の側面へ飛び移る。

 

そのまま、壁面の制御装置へ接近した。

 

「……直接、接続部を止める!」

 

彼は片手で壁の縁をつかみ、捕縛布を伸ばす。

 

布が、制御装置の外装へ巻きついた。

 

引く。

 

外装が剥がれ、内部の配線が露出する。

 

しかし、赤い糸が、そこから一斉に飛び出した。

 

「っ!」

 

相澤は身をひねって避けた。

 

その瞬間、別の糸が彼の足首へ絡みつく。

 

床面へ引きずり下ろされる。

 

「相澤先生!」

 

八百万が叫んだ。

 

相澤は、すぐに捕縛布を床へ打ちつけた。

 

布が、隣の柱へ巻きつく。

 

そのまま身体を引き上げ、糸から逃れた。

 

「……問題ない!」

 

彼は色欲を見据えた。

 

「お前は、こちらが誰かを守ろうとすると、その行動に合わせて罠を作る。だが、罠を作っているのはお前自身ではなく、旧訓練設備だ!」

 

色欲は、微笑んだ。

 

「鋭いわね」

 

「なら、お前自身を止める必要はない。装置を止めればいい」

 

「そうかしら?」

 

色欲が、手を上げる。

 

その瞬間、相澤の背後で、壁面が大きく開いた。

 

そこから、複数の拘束アームが伸びてくる。

 

相澤は振り返った。

 

アームは彼ではなく、八百万たちへ向かっていた。

 

「……!」

 

相澤の目が、鋭くなる。

 

彼はすぐに進路を変え、拘束アームの前へ飛び込んだ。

 

捕縛布を広げ、アームをまとめて絡め取る。

 

そのまま、全身をひねって引き倒した。

 

金属が床へ叩きつけられる。

 

しかし、アームが倒れた瞬間、別の装置が作動した。

 

床面から、眠り香に似た白い霧が噴き出す。

 

「……相澤先生、呼吸を!」

 

八百万が叫んだ。

 

相澤は、即座にマスクを装着した。

 

だが、霧は視界を覆っていく。

 

その向こうから、色欲の声が響いた。

 

「あなたは、結局、守ろうとする」

 

赤い糸が、霧の中を走る。

 

「危険があれば、駆けつける。生徒が危険なら、個性を使って止める。誰かが傷つく可能性があれば、自分がその前に立つ」

 

色欲は、静かに笑った。

 

「それは、本当に相手のためだけなの?」

 

相澤は、答えなかった。

 

「あなたが生徒を守ることで、自分が正しい教師であると確かめているのではない?」

 

霧が、さらに濃くなる。

 

「あなたが守れなかったとき、自分を責めるのは、相手を失った悲しみだけではないのでは?」

 

相澤の動きが、わずかに鈍った。

 

色欲は、その隙を逃さなかった。

 

赤い糸が、彼の捕縛布へ絡みつく。

 

布が、引き裂かれるように張り詰めた。

 

「相澤先生!」

 

マイクが叫ぶ。

 

だが、相澤は、糸を引き剥がそうとはしなかった。

 

代わりに、彼は、色欲をまっすぐに見据えた。

 

「……否定はしない」

 

色欲の表情が、初めて止まった。

 

「俺の中に、そういう気持ちがある可能性はある。生徒を守りたいという願いと、守れる教師でありたいという願い。その二つが、完全に分かれているとは言えない」

 

相澤は、静かに言った。

 

「だが、そのことを認めるのと、生徒を自分の望みどおりに動かしていいと考えるのは、別の話だ」

 

彼の目が、赤く光った。

 

個性――抹消。

 

今度は、色欲ではなく、色欲の背後にある装置の周囲に、別の反応が走った。

 

赤い糸の一部が、わずかに動きを止める。

 

その隙に、相澤は捕縛布を引き戻した。

 

糸が外れる。

 

「俺は、自分が正しい教師であると証明するために、生徒を守るわけじゃない」

 

相澤は、はっきりと告げた。

 

「生徒が危険にさらされているなら、守る。だが、俺が守ったからといって、その後の人生を決める権利まで得るわけじゃない」

 

彼は、床を蹴った。

 

「それに――」

 

捕縛布が、色欲の手元へ伸びる。

 

「自分の動機に、どんな気持ちが混ざっているのかを考えることと、必要な行動をやめることも、別の話だ!」

 

布が、色欲の腕をかすめた。

 

その瞬間、赤い光が激しく明滅した。

 

「……なるほど」

 

色欲が、薄く笑った。

 

「自分の中に欲望があると認めても、それに従う必要はないというのね」

 

「そうだ」

 

「でも、欲望を完全に消すことはできない」

 

「……それも、そうだろうな」

 

相澤は、即答した。

 

「だから、考え続ける必要がある。自分が何を望んでいるのか。その望みを理由に、誰かの選択を奪っていないか」

 

彼は、色欲を見据えた。

 

「考えることをやめたとき、俺たちは、自分の正しさを押しつけ始める」

 

色欲の笑みが、少しだけ深まった。

 

「……いいわ。ならば、もっと考えてもらいましょう」

 

赤い糸が、再び張り詰めた。

 

そして、色欲の身体が、無数の糸へと分かれていった。

 

五 プレゼント・マイクの声

「相澤!」

 

プレゼント・マイクが叫んだ。

 

「こっちは任せろ!」

 

彼は、両手を広げた。

 

息を吸い込む。

 

胸が大きく膨らむ。

 

次の瞬間、声が放たれた。

 

「ヴォオオオオオオオオオオッ!!」

 

轟音が、演習場を震わせる。

 

音の衝撃が、天井に張りついた機械を叩き落とした。

 

壁面の拘束装置が揺れ、固定具が外れる。

 

赤い糸が、空中で大きく波打った。

 

「よしっ!」

 

マイクは、声を抑えた。

 

「……どうだ!」

 

しかし、次の瞬間。

 

彼の声が、壁面から返ってきた。

 

『……どうだ!』

 

マイク自身の声だった。

 

だが、それは単なる反響ではなかった。

 

壁面の鏡が、音を増幅し、同じ声を何度も繰り返している。

 

『相澤!』

 

『こっちは任せろ!』

 

『どうだ!』

 

声が、演習場を満たした。

 

「……何だ、これ!?」

 

マイクが顔を上げる。

 

音は、壁面の鏡から鏡へ伝わり、複数の方向から返ってきていた。

 

しかも、そのたびに音の波形が変化し、別の機械を動かすための信号に変換されている。

 

「プレゼント・マイク先生、音が装置の制御に使われています!」

 

八百万が叫んだ。

 

「こちらの声を利用して、別の装置を起動させているんです!」

 

「……つまり、俺の声を、俺に向けて返してきてるってことか!」

 

マイクは歯を食いしばった。

 

壁面の鏡が、次々と光り始める。

 

そして、そこに映し出されたのは、かつての戦場だった。

 

失われた仲間。

 

救えなかった人々。

 

二度と戻らない時間。

 

マイクの声が、鏡の中から聞こえてくる。

 

『お前が、もっと早く動いていれば』

 

『お前が、もっと大きな声を出していれば』

 

『お前が、もっと強ければ』

 

マイクの表情が、強張った。

 

「……やめろ」

 

鏡の中の声は、止まらない。

 

『守れなかった』

 

『間に合わなかった』

 

『お前が、もっと』

 

「やめろっ!」

 

マイクが叫んだ。

 

その声が、演習場全体へ広がる。

 

鏡が、一斉に光った。

 

赤い糸が伸び、彼の腕へ絡みつこうとする。

 

「山田先生!」

 

八百万が叫んだ。

 

だが、マイクは、すぐに目を閉じた。

 

そして、深く息を吸った。

 

「……そうかよ」

 

彼は、静かに言った。

 

「俺は、失った仲間を取り戻したいと思った。もう一度話したいと思った。あいつが自分の知らないところで何を考えていたのか、知りたいと思った」

 

赤い糸が、彼の足元へ集まる。

 

「でも、それは、俺があいつを自分のところへ戻したいと思っているだけなのかもしれない」

 

彼は、ゆっくりと目を開いた。

 

「俺が知っている姿に戻ってほしい。俺が覚えているままでいてほしい。そう願う気持ちが、なかったとは言えねえ」

 

色欲が、鏡の向こうで笑った。

 

「ならば、認めなさい。あなたは、彼女を自分のもとへ留めておきたいのよ」

 

「……ああ」

 

マイクは、うなずいた。

 

「そういう気持ちが、あるのかもしれねえ」

 

彼は、拳を握りしめた。

 

「だが、それを理由に、あいつの選択を決めるつもりはねえ!」

 

マイクの声が、力強く響いた。

 

「俺が会いたいからって、あいつが戻ってこなきゃいけないわけじゃねえ。俺が話を聞きたいからって、あいつが全部話さなきゃいけないわけでもねえ!」

 

彼は、一度だけ息を吸った。

 

「……俺は、自分の声で、相手の声を消すようなことはしねえ!」

 

そして、彼は、音の向きを変えた。

 

大声を無差別に放つのではない。

 

壁面の鏡を一枚ずつ見極め、反響の起点になっている接続部へ、狙いを絞る。

 

「ヴォオオオオオオオッ!!」

 

一撃目。

 

左側の鏡が砕けた。

 

二撃目。

 

天井の増幅装置が破損した。

 

三撃目。

 

制御盤へつながる音響ユニットが、火花を散らして停止した。

 

鏡の反響が、弱まった。

 

赤い糸が、空中で乱れる。

 

「……どうだ、色欲!」

 

マイクは、拳を握った。

 

「誰かを必要とする気持ちがあるからって、その人を自分のものにしていいわけじゃねえ!」

 

彼の声が、演習場に響いた。

 

「俺は、あいつを大切に思ってる。だからこそ、あいつが何を望んでいるのかを聞く。俺が望む答えじゃなくても、勝手に決めつけたりしねえ!」

 

色欲の表情が、初めて険しくなった。

 

「……あなたたちは、欲望を認めながら、それに従わないというのね」

 

「そうだ!」

 

マイクは答えた。

 

「欲望があることと、その欲望を正しいことにするのは、違うんだよ!」

 

六 セメントス、戦場を作り替える

「……これ以上、演習場を破壊させるわけにはいかない」

 

セメントスは、両手を床へついた。

 

個性が発動する。

 

コンクリートが、波のようにうねった。

 

床面が隆起し、巨大な柱が伸びる。

 

崩れかけていた天井を支え、動いていた隔壁の下へ楔を差し込み、赤い糸が張り巡らされている範囲を区切っていく。

 

「全員、こちらへ!」

 

セメントスが叫ぶ。

 

彼は、演習場の中央に、複数の防護壁を作り出した。

 

しかし、壁をただ高くするのではない。

 

高低差をつけ、通路を複数に分け、風の通り道を確保する。

 

その構造は、色欲の罠を完全に封じ込めるためではなく、機械が一度の作動で広い範囲を支配できないようにするためのものだった。

 

「……八百万君!」

 

セメントスが叫ぶ。

 

「こちらの壁に、固定具を追加できるか!」

 

「はい!」

 

八百万は、金属製の補助具を創造した。

 

それを壁面へ差し込み、構造の補強に使う。

 

芦戸は、酸を調整しながら、壁と床の接続部を必要な範囲だけ腐食させた。

 

「ここを少し削れば、空気が抜ける道を作れる!」

 

「了解した!」

 

セメントスがコンクリートを変形させる。

 

その結果、眠り香に似た白い霧は、壁の外へ流れるようになった。

 

一方、拳藤は巨大化した両手で、倒れかけた柱を支えていた。

 

「……これ、いつまで支えればいいの!?」

 

「もう少しです!」

 

八百万が答える。

 

取蔭は、分離した身体を複数の位置へ送り込み、制御装置の接続を一つずつ外していった。

 

峰田は、粘着球を使って可動レールの動きを止める。

 

それぞれの個性が、少しずつ、色欲の支配する空間を崩していく。

 

だが、色欲は、彼らの連携を見ながら、笑っていた。

 

「……素晴らしいわね」

 

彼は、赤い糸を揺らした。

 

「あなたたちは、誰かが危険になれば、すぐに助ける。誰かが支えを必要とすれば、自分の個性を使う。仲間を守るために、互いの役割を補い合う」

 

色欲は、セメントスを見た。

 

「では、あなたはどうかしら?」

 

セメントスの手が、止まりかけた。

 

「……何だ」

 

「あなたは、建物を支え、崩壊を防ぎ、危険な場所を安全な場所へと変える」

 

赤い糸が、コンクリートの壁に絡みつく。

 

「あなたがいなければ、建物は崩れるかもしれない。あなたが支えなければ、生徒たちは危険にさらされるかもしれない」

 

セメントスは、黙っていた。

 

「あなたは、誰かを守るために、自分の個性を使う。それは責任だと、あなたは言うでしょう」

 

色欲は、静かに笑った。

 

「でも、自分がいなければならない状況を、どこかで望んでいるのではないかしら?」

 

セメントスの表情が、わずかに変わった。

 

「……」

 

「あなたが支える。あなたが補修する。あなたが、危険を取り除く。そうすることで、自分が必要な人間だと確かめているのではない?」

 

赤い糸が、コンクリートへ食い込む。

 

「もし、誰もあなたを必要としなくなったら?」

 

セメントスは、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……その問いに、今すぐ答えることはできない」

 

色欲の笑みが深まる。

 

「認めるのね?」

 

「自分が必要とされたいと思うことはあるだろう」

 

セメントスは、床へ手をついた。

 

コンクリートの壁が、さらに厚くなる。

 

「だが、だからといって、誰かが危険であることを望んでいるわけではない」

 

彼は、赤い糸を見据えた。

 

「私は、建物を支えることができる。だが、建物を支える必要がなくなったからといって、私の存在価値がなくなるわけではない」

 

その言葉とともに、彼は壁面の構造を変えた。

 

一つの巨大な柱で全体を支えるのではない。

 

複数の小さな支柱を配置し、負荷を分散させる。

 

「……一人がすべてを支えれば、その一人が崩れたとき、すべてが崩れる」

 

セメントスは言った。

 

「支えるということは、自分だけが必要とされる状況を作ることではない。誰もが、それぞれの力を使える構造を作ることだ」

 

赤い糸が、張り詰めた。

 

「……いい答えね」

 

色欲は、薄く笑った。

 

「ならば、あなたの支えがなくなったときにも、同じことが言えるかしら?」

 

その瞬間、セメントスが作り上げた支柱の一部に、亀裂が走った。

 

「……っ!」

 

壁が、わずかに傾く。

 

その背後には、まだ逃げ切れていない峰田がいた。

 

「峰田君!」

 

セメントスが叫ぶ。

 

彼は、すぐに個性を発動し直した。

 

だが、赤い糸が複数の支柱へ絡みつき、コンクリートの動きを妨害していた。

 

「……くっ!」

 

負荷が、一点に集中する。

 

そのとき、拳藤が動いた。

 

巨大化した両手で、傾いた柱を押さえる。

 

「セメントス先生! こちらを支えます!」

 

「拳藤君!」

 

「一人で全部支えなくていいんですよね!?」

 

拳藤は、歯を食いしばった。

 

「だったら、私たちにも支えさせてください!」

 

八百万が固定具を創造し、接続部へ差し込む。

 

芦戸が酸で赤い糸の接続部分を削り、峰田の粘着球が可動部を固定する。

 

取蔭が分離した手を伸ばし、最後の接続端子を引き抜いた。

 

コンクリートの柱が、安定した。

 

セメントスは、静かに息を吐いた。

 

「……ありがとうございます」

 

拳藤は、少しだけ笑った。

 

「お互いさまです!」

 

その様子を見て、色欲は、何かを考えるように黙った。

 

彼らは、誰かを必要としていた。

 

しかし、誰か一人だけが必要とされる状況を、守ろうとはしなかった。

 

そのことが、色欲にとって、何か予想外のものだったのかもしれない。

 

七 根津校長の罠

「……やはり、制御装置は単純な命令に従っているわけではないね」

 

根津校長は、観測室の端末を見つめていた。

 

旧訓練棟の制御系統は、戦闘の動きに応じて複雑に変化している。

 

ただし、すべてが無秩序に動いているわけではない。

 

特定の行動が発生した際、一定の反応が繰り返されている。

 

教師が生徒を助けに向かう。

 

その直後、別の場所で危険が発生する。

 

教師がそちらへ向かう。

 

その間に、最初の場所で別の装置が動き出す。

 

まるで、守ろうとする者の注意を分散させ、次々と判断を迫っているかのようだった。

 

根津は、画面を切り替えた。

 

「……行動の予測ではなく、行動の誘導か」

 

彼は、静かにつぶやいた。

 

そのとき、通信機から相澤の声が届いた。

 

『根津校長、制御系統を特定できるか?』

 

「可能性は見えてきた。だが、装置が反応する条件を確認する必要がある」

 

『条件?』

 

「君たちが、誰かを助けようとして動く。そのタイミングに合わせて、別の危険が発生している。つまり、装置は、特定の行動に対して反応している可能性がある」

 

相澤は、少しだけ黙った。

 

『……それを逆手に取るのか』

 

「そうだ」

 

根津は、微笑んだ。

 

「こちらから、装置が予測しやすい状況を作る。ただし、誰かを本当に危険にさらすことはしない。安全を確保したうえで、複数の動きを同時に発生させる」

 

『……囮か』

 

「正確には、装置の判断を分散させるための作戦だ」

 

根津は、端末を操作した。

 

「ミッドナイト君と色欲の存在が、装置とどのように関わっているのか。現時点で断定することはできない。だからこそ、彼らを一つのものとして扱わないようにしなければならない」

 

彼は、相澤へ指示を送った。

 

「相澤君。マイク君と協力して、色欲の反応を誘導してくれ。セメントス君は、こちらが指定する場所に支柱を作り、複数の避難経路を確保する」

 

『了解した』

 

「生徒たちは、それぞれ別の制御点を確認する。八百万君には装置の補助部品を作ってもらい、取蔭君には制御経路の確認を、芦戸君には接続部の分離を、拳藤君には支柱の固定を、峰田君には可動部の一時停止を頼む」

 

『わかった』

 

根津は、最後に言った。

 

「ただし、一つだけ守ってほしい」

 

『何だ?』

 

「誰かが危険になった場合、作戦を中止すること。作戦を成功させることよりも、目の前にいる人間を守ることを優先してほしい」

 

通信の向こうで、相澤が短く答えた。

 

『……当然だ』

 

根津は、端末を操作した。

 

「では、開始しよう」

 

その瞬間、演習場の照明が一斉に変化した。

 

複数の誘導灯が点灯し、避難経路を示す矢印が、床面に浮かび上がる。

 

それは、あえて複数の方向へ分かれていた。

 

色欲は、その変化を察知した。

 

「……あら?」

 

彼は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「何を始めるつもりかしら?」

 

相澤が、色欲を見据えた。

 

「お前が、こちらの行動を利用しているのなら、こちらも、その仕組みを利用させてもらう」

 

色欲は、笑った。

 

「……面白いわね」

 

赤い糸が、演習場のあちこちへ伸びる。

 

「では、どれを守るのか、選んでみなさい」

 

八 守るために、分かれる

色欲が手を上げた。

 

その瞬間、演習場の各所で警報が鳴り響いた。

 

東側の通路で、天井が崩れ始める。

 

西側の床が分断され、複数の可動パネルが動き出す。

 

北側の制御区画では、白い霧が再び噴き出した。

 

そして、中央の床には、赤い光の輪が浮かび上がった。

 

「……一斉に来たか!」

 

相澤が声を上げる。

 

「全員、状況を報告しろ!」

 

八百万が、通信機を開いた。

 

『東側、天井の支持部に異常! セメントス先生が補強中です!』

 

拳藤が続く。

 

『西側の床は、私が固定しています! ただし、複数のパネルが動き続けています!』

 

取蔭が報告した。

 

『北側の制御区画に、複数の信号があります! 主制御系統は、中央の装置につながっているみたい!』

 

峰田が叫ぶ。

 

『中央の床、動いてる! 粘着球で止めてるけど、これ以上増えると持たねえぞ!』

 

芦戸が、息を吸った。

 

『北側の接続部を壊す! ただし、配線が多いから、間違ったところを溶かさないようにしないと!』

 

「……了解した!」

 

相澤は、短く答えた。

 

「八百万、芦戸、取蔭は北側の制御区画へ! 拳藤と峰田は西側の床を維持! セメントス先生は東側の補強を継続! 俺とマイクは中央を押さえる!」

 

マイクがうなずく。

 

「任せろ!」

 

そのとき、色欲が笑った。

 

「……あなたたちは、本当に、誰かを守ろうとするのね」

 

彼の声が、演習場に響く。

 

「危険が発生すれば、すぐに駆けつける。仲間が助けを必要としていれば、自分の仕事を中断する。誰かが困っていれば、そちらを優先する」

 

赤い糸が、中央の装置へ集まる。

 

「だからこそ、あなたたちは、いつでも迷う」

 

色欲は、相澤を見た。

 

「どこへ行けばいいのか。誰を助ければいいのか。どの選択が正しいのか」

 

相澤は、彼を見据えた。

 

「……俺たちは、迷うことをやめない」

 

「何?」

 

「誰を守るべきか、何を優先すべきか。状況が変われば、判断も変わる。だから、考え続ける必要がある」

 

相澤は、短く言った。

 

「迷うことをやめたら、自分の正しさを疑わなくなる。それこそが、危険だ」

 

色欲の表情が、わずかに変わった。

 

「……あなたは、正しさを信じないの?」

 

「違う」

 

相澤は、即答した。

 

「正しいと思う判断を、実行することはある。だが、その判断が絶対だとは思わない」

 

彼は、色欲へ向かって走った。

 

捕縛布が、空中へ伸びる。

 

色欲は、赤い糸を展開して応じる。

 

糸が布へ絡みつき、相澤の動きを封じようとする。

 

相澤は、身体をひねって糸をかわし、柱の側面へ飛び移った。

 

そのまま壁を蹴り、色欲の背後へ回り込む。

 

色欲が振り返る。

 

赤い糸が、四方から襲いかかった。

 

相澤は、捕縛布を円を描くように振るい、糸の一部を巻き取った。

 

そして、布を一気に引いた。

 

色欲の身体が、わずかに傾く。

 

「……っ!」

 

その瞬間、マイクの声が響いた。

 

「ヴォオオオオオオオッ!!」

 

狙いは、色欲そのものではない。

 

彼の背後にある、赤い糸の中継装置だった。

 

音の衝撃が、装置の外装を砕く。

 

赤い糸が、一斉に揺れた。

 

その隙に、相澤が踏み込む。

 

「……これで、どうだ!」

 

捕縛布が、色欲の腕をつかんだ。

 

相澤は、そのまま身体を引き寄せる。

 

だが、色欲は、笑った。

 

「……あなたたちは、やはり、守ることをやめられない」

 

彼の身体が、赤い糸へとほどけた。

 

捕縛布が、空を切る。

 

「……何!?」

 

相澤が、目を見開く。

 

色欲の声が、背後から響いた。

 

「では、あなたたちの守りたいものを、一つずつ見せてあげましょう」

 

九 守れなかったもの、守りたいもの

演習場の鏡が、一斉に光った。

 

その中に、過去の光景が浮かび上がる。

 

黒霧。

 

荼毘。

 

失われた仲間。

 

救えなかった人々。

 

そして、生徒たちが危険にさらされているように見える光景。

 

相澤は、鏡の一枚を見た。

 

そこには、かつて失った仲間の姿が映っていた。

 

マイクも、別の鏡を見つめていた。

 

それは、自分たちが取り戻したいと願った過去の断片だった。

 

「……やめろ」

 

相澤がつぶやく。

 

色欲の声が、鏡の中から響く。

 

「あなたたちは、失ったものを取り戻したい。傷ついたものを癒やしたい。もう一度、かつてのように笑いたい」

 

赤い糸が、鏡の表面を這う。

 

「その願いは、間違っているのかしら?」

 

相澤は、答えなかった。

 

失ったものを取り戻したいと思うこと。

 

誰かを救えなかったことを悔やむこと。

 

もう一度、以前のように笑いたいと思うこと。

 

それ自体は、間違いではない。

 

だが、その願いが強くなるほど、目の前にいる相手へ、自分の望む姿を求めてしまうことがある。

 

黒霧を、かつての白雲朧として取り戻したい。

 

荼毘を、家族が知っていた轟燈矢へ戻したい。

 

ミッドナイトを、自分たちが覚えている教師の姿へ戻したい。

 

そう願うことは、自然な感情かもしれない。

 

しかし、その願いを理由に、相手の現在を否定することはできない。

 

相澤は、ゆっくりと目を閉じた。

 

「……俺たちは、過去を取り戻すために戦っているわけじゃない」

 

色欲の声が、嘲るように響く。

 

「本当に?」

 

「……ああ」

 

相澤は、目を開いた。

 

「過去を取り戻したいと思う気持ちはある。だが、そのために、目の前にいる相手を過去の姿へ押し込めるつもりはない」

 

彼は、ミッドナイトを見た。

 

彼女は、少し離れた場所で、赤い糸に絡め取られていた。

 

その表情には、苦しみが浮かんでいる。

 

彼女は、何かを言おうとしていた。

 

しかし、言葉が出てこないようだった。

 

「……ミッドナイト!」

 

相澤が叫んだ。

 

彼女は、顔を上げた。

 

「お前は、何を望んでいる!」

 

ミッドナイトは、苦しそうに息を吐いた。

 

「……私は……」

 

赤い糸が、彼女の腕へ絡みつく。

 

「私は、ただ……」

 

彼女の声が、途切れた。

 

色欲が、笑った。

 

「彼女は、必要とされたいのよ」

 

赤い糸が、彼女の身体を覆う。

 

「彼女は、生徒たちを守りたい。教師として、役に立ちたい。誰かに必要とされたい。その願いを、私は増幅しているだけ」

 

相澤の目が、鋭くなった。

 

「……増幅している?」

 

「そうよ。彼女の中にあった願いを、強くしているだけ。彼女が持っていなかったものを、無理やり与えているわけではない」

 

色欲は、楽しそうに笑った。

 

「彼女は、本当に生徒たちを大切にしていた。誰かを守りたいと思っていた。だからこそ、私はその願いを利用できた」

 

ミッドナイトが、顔を上げた。

 

「……違う……」

 

その声は、かすれていた。

 

「……私の願いを……勝手に……」

 

色欲は、彼女を見た。

 

「何が違うの?」

 

赤い糸が、彼女の身体を強く締めつける。

 

「あなたは、生徒を守りたかった。必要とされたかった。自分が役に立つ人間だと確かめたかった」

 

色欲は、静かに続けた。

 

「それが、あなたの中にあった気持ちでしょう?」

 

ミッドナイトは、答えられなかった。

 

彼女自身も、その気持ちがなかったとは言えない。

 

だが、それを理由に、すべての行動を決められることは望んでいなかった。

 

「……私は……」

 

彼女は、歯を食いしばった。

 

「私は、自分で……決めたい……!」

 

その言葉が響いた瞬間、赤い糸が大きく揺れた。

 

色欲の笑みが、消えた。

 

十 欲望を認めることと、支配されること

「……ミッドナイト!」

 

相澤が走った。

 

しかし、赤い糸が床面から伸び、彼の進路を塞ぐ。

 

「させないわ!」

 

色欲が手を上げる。

 

複数の拘束具が、相澤へ向かって飛んだ。

 

相澤は捕縛布を振るい、最初の一群を絡め取る。

 

そのまま、身体をひねり、残りの拘束具をかわす。

 

だが、色欲の攻撃は止まらない。

 

赤い糸が壁を伝い、天井を走り、相澤の背後へ回り込む。

 

「……っ!」

 

相澤は、床を蹴った。

 

だが、着地点に、別の拘束具が展開する。

 

その瞬間、セメントスのコンクリートが隆起した。

 

「相澤君、こちらへ!」

 

新たな足場が形成される。

 

相澤は、そこへ飛び移った。

 

「助かった!」

 

「構わない! 早く、彼女のところへ!」

 

相澤は、うなずいた。

 

一方、マイクは、ミッドナイトへ向かって走っていた。

 

「……ミッドナイト!」

 

彼女の身体は、赤い糸によって拘束されている。

 

彼女は、必死に腕を動かそうとしていた。

 

「……来ないで!」

 

ミッドナイトが叫んだ。

 

マイクの足が、止まった。

 

「……何?」

 

「来ないで!」

 

彼女は、苦しそうに声を上げた。

 

「私は……私自身の気持ちを、全部否定したいわけじゃない……!」

 

赤い糸が、彼女の身体を覆う。

 

「誰かに必要とされたいと思うことも……誰かを守りたいと思うことも……私の気持ちよ……!」

 

彼女は、歯を食いしばった。

 

「でも、それを理由に……誰かの人生を決めることは、したくない……!」

 

マイクは、拳を握りしめた。

 

ミッドナイトは、続けた。

 

「私は、生徒たちを大切に思っていた……でも、生徒たちが私を必要としなければならないなんて、思っていない……!」

 

その言葉に、色欲が、苛立ったように顔を歪めた。

 

「……それなら、どうして、あなたは教師だったの?」

 

彼の声が、鋭く響く。

 

「どうして、生徒たちを守ろうとしたの? どうして、自分の個性を使い、危険な場所へ向かったの?」

 

ミッドナイトは、黙っていた。

 

「必要とされたいからでしょう?」

 

色欲は、さらに続ける。

 

「自分が守れる人間でありたいからでしょう? 誰かに認められることで、自分の存在を確かめたかったからでしょう?」

 

彼は、笑った。

 

「それを否定したら、あなたは何を残せるの?」

 

ミッドナイトは、目を閉じた。

 

彼女の中には、確かに、そうした願いがあった。

 

誰かに必要とされたい。

 

自分が役に立つ人間でありたい。

 

生徒たちに、頼りになる教師だと思われたい。

 

そう願っていたことは、本当だった。

 

しかし、それだけが、彼女のすべてではない。

 

生徒たちが、自分の力で歩いていく姿を見たかった。

 

自分がいなくても、彼らが自分の判断で道を選べるようになってほしかった。

 

誰かの人生を、自分の手の中に留めておきたいわけではなかった。

 

「……私は」

 

ミッドナイトは、ゆっくりと目を開いた。

 

「私は、必要とされたいと思っていた」

 

その言葉に、色欲が微笑む。

 

「ええ。そうでしょう」

 

「でも、それだけじゃない」

 

ミッドナイトは、彼を見据えた。

 

「私は、生徒たちが、自分で選んだ道を歩けるようになってほしかった。私がいなくても、困ったときに自分で考え、必要なら誰かに助けを求め、間違えたらやり直せるようになってほしかった」

 

彼女は、声を張った。

 

「だから、私が必要とされたいという気持ちがあったとしても、それを理由に、生徒たちを私のもとへ留めておきたいわけじゃない!」

 

赤い糸が、激しく揺れた。

 

色欲の顔から、笑みが消える。

 

「……ならば、あなたは、自分が必要とされなくなっても平気だというの?」

 

ミッドナイトは、答えなかった。

 

簡単に答えられる問いではなかった。

 

誰かに必要とされなくなることは、寂しい。

 

自分の教えが、誰かの記憶から消えてしまうことも、寂しい。

 

自分がいなくても問題なく進んでいく世界を見たとき、少しだけ、自分の居場所がなくなったように感じるかもしれない。

 

それでも。

 

相手が自分を必要としないことと、相手が自分を大切に思っていないことは、同じではない。

 

相手が自分から離れていくことと、相手にとって自分の存在が無意味だったことも、同じではない。

 

ミッドナイトは、静かに答えた。

 

「……寂しいとは思うでしょうね」

 

色欲の目が、わずかに動いた。

 

「でも、だからといって、その人を私のもとに留めておく理由にはならない」

 

彼女は、まっすぐに言った。

 

「私が必要とされたいと思うことは、私の気持ちよ。でも、それに従うかどうかは、私が決めることなの」

 

その言葉が、演習場に響いた。

 

赤い糸が、一斉に張り詰めた。

 

色欲は、怒りに似た表情を浮かべた。

 

「……ならば、あなたたち全員に、選ばせてあげる!」

 

床面の中央に、巨大な円形装置が現れた。

 

その周囲から、無数の赤い糸が伸びる。

 

そして、糸は、相澤たちと生徒たちの足元へ絡みつき始めた。

 

十一 誰か一人に背負わせない

「……っ、足が!」

 

峰田が叫んだ。

 

赤い糸が、彼の足首へ絡みつく。

 

同時に、拳藤の両手にも糸が巻きついた。

 

八百万の腕。

 

芦戸の脚。

 

取蔭の身体から分離した手足。

 

それぞれの動きが、少しずつ制限されていく。

 

「全員、無理に引き剥がそうとするな!」

 

相澤が叫んだ。

 

「糸が動きに反応して締めつけてくる!」

 

色欲が、笑った。

 

「そうよ。誰かが動けば、その動きに合わせて、別の誰かが拘束される」

 

赤い糸が、さらに増えていく。

 

「あなたたちは、仲間を守るために動く。誰かが危険にさらされれば、助けようとする。だからこそ、私は、あなたたちの行動を利用できる」

 

色欲は、相澤を見た。

 

「あなたがミッドナイトを助けようとすれば、生徒たちが拘束される。生徒たちを助けようとすれば、ミッドナイトが危険にさらされる」

 

彼は、ゆっくりと笑った。

 

「さあ、どちらを選ぶの?」

 

相澤は、歯を食いしばった。

 

その問いは、教師にとって、あまりにも厳しいものだった。

 

目の前に、生徒がいる。

 

仲間がいる。

 

救いたいと思う相手がいる。

 

その中から、誰を優先するのか。

 

誰を犠牲にするのか。

 

誰を助け、誰を後回しにするのか。

 

色欲は、その選択を強制することで、彼らの願いを支配しようとしていた。

 

「……相澤」

 

マイクが、低い声で呼んだ。

 

「一人で考えるな」

 

相澤は、彼を見た。

 

「……何?」

 

「俺たちは、今までずっと、一人で何とかしようとしすぎたんだ」

 

マイクは、赤い糸に拘束された腕を動かそうとしながら、言葉を続けた。

 

「お前が生徒を守る。俺が仲間を守る。セメントスが建物を支える。根津校長が状況を分析する。それぞれに役目があるのは確かだ」

 

彼は、相澤を見据えた。

 

「だが、誰か一人が、すべての責任を背負う必要はねえ」

 

相澤は、静かにうなずいた。

 

「……ああ」

 

そして、彼は、生徒たちを見た。

 

「全員、状況を報告しろ! 今、自分に何ができるのか、何ができないのかを伝えろ!」

 

最初に答えたのは、八百万だった。

 

「私は、糸の接続部を分析できます! ただし、今の状態では直接触れることができません!」

 

拳藤が続く。

 

「私は、動きを制限されているけれど、両手の大きさは維持できる! 近くにある装置なら、押さえられるわ!」

 

芦戸が、歯を食いしばる。

 

「酸は使える! でも、糸そのものがどんな物質なのかわからないから、無闇に溶かすのは危険!」

 

取蔭が、目を細めた。

 

「身体の一部を分離させれば、糸の届かない場所へ入り込めるかもしれない。でも、分離した部分にも糸が絡んでくる可能性がある!」

 

峰田は、足元の糸を見た。

 

「粘着球なら使える! 糸そのものを止められるかはわからねえけど、床の可動部を固定できれば、少しは動きを抑えられる!」

 

相澤は、全員の報告を聞いた。

 

そのうえで、言った。

 

「……十分だ」

 

彼は、色欲を見据えた。

 

「俺たちは、誰か一人で全部を解決するつもりはない」

 

色欲の表情が、わずかに歪む。

 

「……何を言っているの?」

 

「俺がミッドナイトを助けるために、生徒たちを犠牲にする必要はない。生徒たちを守るために、ミッドナイトを見捨てる必要もない」

 

相澤は、静かに答えた。

 

「全員が、自分にできることを考える。必要な情報を共有する。そして、誰か一人に背負わせない」

 

色欲は、嘲るように笑った。

 

「そんな都合のいい方法が、いつでも見つかると思っているの?」

 

「思っていない」

 

相澤は、即答した。

 

「見つからないこともある。誰かを助けられない場合もある。選択を間違えることもある」

 

彼は、赤い糸を見つめた。

 

「だが、だからといって、最初から誰か一人を犠牲にすると決める必要はない」

 

その言葉に、マイクが続いた。

 

「そういうことだ! 俺たちは、答えを保証できるわけじゃねえ。でも、考えることを放棄するつもりもねえ!」

 

セメントスが、うなずいた。

 

「支える力は、一人だけのものではない」

 

根津の声が、通信機から響いた。

 

『全員、装置の動きを確認した。今なら、中央制御部へ接続する信号を分散させることができる。相澤君、マイク君、こちらの指示に合わせて動いてほしい』

 

「了解!」

 

相澤が答えた。

 

色欲の顔から、笑みが消えた。

 

彼らは、迷いながらも、互いに情報を共有していた。

 

自分がすべてを判断するのではなく、他者の判断を聞いていた。

 

それは、色欲が利用しようとしていた行動とは、少し違っていた。

 

誰かを守りたいという気持ちは、確かに存在する。

 

しかし、それが、誰か一人を中心にした支配の構造を作るとは限らない。

 

十二 教師たちの決断

「……ミッドナイト!」

 

相澤が叫んだ。

 

赤い糸に拘束されている彼女は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「お前は、自分の意思で、あいつに従っているのか?」

 

ミッドナイトは、首を横に振った。

 

「……違うわ」

 

声は、かすれていた。

 

「私は、自分の気持ちを持っている。でも、今の感情の一部は、私のものだけではない……」

 

彼女は、赤い糸を見つめた。

 

「必要とされたいという願いを、強く刺激されている。誰かに頼られたい。誰かを守りたい。誰かが私を必要としてくれる状況を、失いたくない」

 

彼女は、歯を食いしばった。

 

「でも、その気持ちがあるからといって、私は、誰かの意思を奪いたいわけじゃない!」

 

色欲は、笑った。

 

「あなたは、自分の欲望を否定するの?」

 

「いいえ!」

 

ミッドナイトは、声を張った。

 

「私は、自分の気持ちを否定しない! 必要とされたいと思うことも、誰かを守りたいと思うことも、私自身の一部よ!」

 

彼女の身体を覆う赤い糸が、揺れた。

 

「でも、だからといって、その気持ちを理由に、相手を自分の思いどおりにしようとは思わない!」

 

その言葉とともに、ミッドナイトの身体が動いた。

 

彼女は、赤い糸を引きちぎろうとした。

 

しかし、糸はさらに強く締めつける。

 

「……っ!」

 

相澤が、彼女へ向かって走った。

 

「ミッドナイト!」

 

彼は、個性を発動した。

 

抹消。

 

彼女の個性が抑えられる。

 

同時に、赤い糸の一部が、わずかに緩んだ。

 

「今だ!」

 

相澤は捕縛布を伸ばし、ミッドナイトの腕へ絡みついた。

 

そのまま、彼女の身体を引き寄せる。

 

しかし、色欲が反応した。

 

「……させない!」

 

赤い糸が、相澤の背後へ伸びる。

 

マイクが、すぐに動いた。

 

「ヴォオオオオオオオッ!!」

 

音の衝撃が、赤い糸の中継装置を打ち砕く。

 

糸が、空中で揺れた。

 

その瞬間、拳藤が巨大化した両手を使い、ミッドナイトを拘束していた金属枠を押さえた。

 

「八百万!」

 

「はい!」

 

八百万は、切断器具を創造した。

 

取蔭が、分離した手を金属枠の隙間へ滑り込ませ、器具を受け取る。

 

「この接続部を切ればいいんだね!」

 

「はい! ただし、中央の配線には触れないでください!」

 

取蔭が、慎重に接続部を切り離す。

 

火花が散る。

 

芦戸が、酸を噴射した。

 

酸は赤い糸の根元ではなく、糸を固定している金属の留め具へ集中する。

 

留め具が腐食し、糸が緩む。

 

峰田は、粘着球を床面へ投げつけた。

 

粘着球が可動部へ貼りつき、装置の動きを止める。

 

その間に、セメントスがコンクリートの壁を変形させ、ミッドナイトの周囲へ防護壁を作った。

 

根津が、中央制御部への電源供給を切り替える。

 

「……今だ!」

 

相澤が、捕縛布を引いた。

 

ミッドナイトの身体が、赤い糸から解放される。

 

彼女は床へ膝をついた。

 

「……っ、はあ……」

 

マイクが、すぐに彼女のもとへ駆け寄ろうとした。

 

しかし、相澤が手を上げて制止した。

 

「待て。まだ、装置が停止したわけじゃない」

 

マイクは、足を止めた。

 

その判断は、冷たさからではなかった。

 

彼女を助けたいという思いがある。

 

だが、その思いだけで、すべてが終わったと決めるわけにはいかない。

 

相澤は、ミッドナイトの様子を確認した。

 

「……立てるか?」

 

「ええ……」

 

彼女は、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……ありがとう」

 

その言葉に、相澤は短くうなずいた。

 

「礼はあとだ。まずは、あの装置を止める」

 

ミッドナイトは、色欲を見つめた。

 

「……そうね」

 

彼女は、一歩前へ出た。

 

「私も、手伝うわ」

 

相澤は、彼女を見た。

 

「……お前の個性は、こちらが監視できる範囲で使え。異常があれば、すぐに止める」

 

「わかったわ」

 

ミッドナイトは、静かに答えた。

 

「今は、それが必要な判断なのでしょう?」

 

「そうだ」

 

「なら、従うわ」

 

彼女は、色欲を見据えた。

 

「……私の願いを、勝手に利用させない」

 

十三 欲望を消すのではなく、選ぶ

「……馬鹿な」

 

色欲の声が、初めて揺れた。

 

「あなたたちは、自分の中に欲望があることを認めた。必要とされたいという願いも、守れる自分でありたいという思いも、否定しなかった」

 

赤い糸が、彼の身体へ集まる。

 

「それなのに、なぜ、私の支配から逃れられる?」

 

相澤は、答えた。

 

「欲望があることと、その欲望に従わなければならないことは、違うからだ」

 

マイクが続ける。

 

「誰かを大切に思うことと、その人を自分のものにすることも違う!」

 

セメントスが、低い声で告げた。

 

「必要とされたいと思うことと、誰かに必要とされ続けることを強制することも違う」

 

根津の声が、通信機から響いた。

 

『自分の願いを理解することと、その願いを正当化することも違う。人間は、自分の動機を完全には把握できないからこそ、行動と結果を検証し続ける必要がある』

 

色欲は、ゆっくりと後退した。

 

「……ならば、あなたたちは、何も求めないというの?」

 

「そんなわけねえだろ!」

 

マイクが、強く答えた。

 

「俺たちだって、失いたくないものがある! 守りたいものがある! 必要とされたいと思うことだってある!」

 

彼は、拳を握りしめた。

 

「でも、それを理由に、誰かの選択を奪うつもりはねえ!」

 

相澤が、一歩前へ出た。

 

「俺は、生徒を守りたい。だが、生徒たちが自分で考え、自分で選ぶことまで奪いたいわけじゃない」

 

彼は、ミッドナイトを見た。

 

「お前を失いたくないと思う気持ちもある。だが、その気持ちを理由に、お前を俺たちの記憶の中へ閉じ込めるつもりはない」

 

ミッドナイトは、静かにうなずいた。

 

「……ええ」

 

相澤は、色欲へ向き直った。

 

「俺たちは、自分の願いが正しいと保証することはできない。だから、相手の言葉を聞き、判断を見直し、必要なら行動を変える」

 

彼は、捕縛布を構えた。

 

「……それが、俺たちの選択だ」

 

色欲の顔から、笑みが消えた。

 

「……ならば、その選択を、どこまで守れるのか見せてもらいましょう!」

 

赤い糸が、最後の一斉攻撃を仕掛けた。

 

床面から、無数の拘束具が飛び出す。

 

天井から、金属板が落下する。

 

壁面の装置が回転し、複数の照準線が、教師たちと生徒たちを捉える。

 

相澤は、色欲へ向かって走った。

 

マイクは、背後の中継装置を狙って声を放つ。

 

「ヴォオオオオオオオッ!!」

 

音響装置が破損し、赤い糸の動きが鈍る。

 

セメントスは、床を隆起させ、落下する金属板を受け止める。

 

根津は、外部電源を切り替え、制御系統を一つずつ停止させていく。

 

八百万は、必要な固定具を創造し、危険な接続部を遮断した。

 

峰田は、粘着球で可動レールを止める。

 

芦戸は、酸を使い、赤い糸を支える金属部品を溶かす。

 

拳藤は、巨大化した両手で、崩れかけた構造物を支え、仲間の進路を確保する。

 

取蔭は、身体を分離させて、離れた場所にある制御端子を同時に操作した。

 

そして、ミッドナイトは、相澤が監視する範囲で、自分の個性を発動した。

 

短い時間だけ、香りが広がる。

 

それは、機械を眠らせるものではない。

 

装置が生体反応を誤認するように仕向ける、わずかな攪乱だった。

 

その隙を、全員が利用した。

 

一つの中継装置が停止する。

 

二つ目。

 

三つ目。

 

赤い糸が、次々とほどけていく。

 

最後に残ったのは、中央の円形機構だけだった。

 

「……これで終わりだ!」

 

相澤が、色欲へ突進する。

 

色欲は、赤い糸を集め、防御を固めた。

 

だが、マイクの声が、背後から叩きつけられる。

 

「ヴォオオオオオオオッ!!」

 

防御の一部が崩れた。

 

セメントスのコンクリートが、中央機構の支柱を固定する。

 

八百万が、創造した遮断器具を投げ渡した。

 

取蔭の手が、それを受け取る。

 

芦戸が接続部を溶かし、拳藤が構造を押さえ、峰田が可動部を固定する。

 

根津が、最後の電源供給を遮断した。

 

そして、相澤の捕縛布が、色欲の身体をつかんだ。

 

「……捕まえた!」

 

色欲が、初めて声を荒らげた。

 

「離しなさい!」

 

「断る」

 

相澤は、布を引き締めた。

 

「……お前は、これ以上、他人の感情を利用して行動を誘導することはできない」

 

色欲は、赤い糸を伸ばそうとした。

 

だが、中央機構はすでに停止している。

 

糸は、空中で揺れただけだった。

 

マイクが、最後の音を放った。

 

「ヴォオオオオオオオッ!!」

 

中央機構が、砕け散った。

 

赤い光が、消える。

 

そして――。

 

演習場は、完全に静まり返った。

 

十四 守るという名の欲望

戦闘が終わった。

 

旧訓練棟の設備は、ほぼすべて停止した。

 

セメントスが建物の補修を進め、根津校長が安全確認を行っている。

 

生徒たちは、互いの状態を確認しながら、ひとまず休息を取っていた。

 

峰田は、床に座り込んでいた。

 

「……なあ、俺、今日だけで何回死ぬかと思ったかわかんねえんだけど」

 

「実際には死んでいませんよ」

 

八百万が、冷静に答える。

 

「そういう問題じゃねえ!」

 

芦戸が、笑った。

 

「でも、みんなで止められたね!」

 

拳藤は、うなずいた。

 

「一人だったら、無理だったと思う」

 

取蔭も、少しだけ肩をすくめた。

 

「そもそも、誰か一人で全部止めるような装置じゃなかったんだよ。あれは、こっちがどう動くかを利用する仕組みだったから」

 

その言葉に、相澤が顔を上げた。

 

「……そうだな」

 

彼は、色欲が拘束されている場所へ向かった。

 

色欲の姿は、すでに薄れていた。

 

赤い糸は、ほとんど消えている。

 

だが、完全に消滅したわけではない。

 

中央機構の残骸には、まだわずかな光が残っていた。

 

「……色欲」

 

相澤が呼びかける。

 

「お前は、何が目的だった?」

 

色欲は、薄く笑った。

 

「あなたたちの中にあるものを、見せてもらいたかっただけよ」

 

「……それだけか?」

 

「ええ。あなたたちは、自分が抱えている願いを、責任や義務と呼んでいた。でも、その中に、必要とされたいという気持ちがないとは言えなかったでしょう?」

 

相澤は、黙っていた。

 

「誰かを守りたい。誰かに必要とされたい。誰かの役に立ちたい。その願い自体を、私は否定しないわ」

 

色欲は、静かに続けた。

 

「ただ、その願いが強くなればなるほど、人は相手のために行動しているつもりで、自分が望む関係を守ろうとしてしまうことがある」

 

彼は、相澤を見た。

 

「あなたは、それに気づき始めた。でも、これからも同じように考え続けられるかしら?」

 

相澤は、短く答えた。

 

「……考え続ける」

 

「本当に?」

 

「自分が正しいと思うときほど、疑う必要がある。自分の動機が、相手のためだけなのかを確かめる必要がある」

 

相澤は、ミッドナイトを見た。

 

「だが、自分の中に欲望があるからといって、何もできないと考えるつもりもない」

 

彼は、色欲へ向き直った。

 

「俺たちは、完璧な動機で行動できるわけじゃない。それでも、行動の結果に責任を持つことはできる」

 

色欲は、少しだけ笑った。

 

「……そう。ならば、これからも見せてもらうわ」

 

彼の身体が、赤い糸へとほどけ始める。

 

「あなたたちが、自分の欲望を自覚しながら、それでも誰かを守ることができるのか」

 

相澤は、捕縛布を引き締めた。

 

「待て。まだ話は終わっていない」

 

色欲は、彼を見た。

 

「……私を止めたところで、すべてがわかるわけではないでしょう?」

 

その声とともに、残っていた赤い光が強くなった。

 

「あなたたちは、今日、自分たちの中にある願いを認めた。それは、良いことかもしれない。でも、認めただけで、欲望を制御できるようになったわけではない」

 

色欲は、微笑んだ。

 

「これからも、必要とされたいと思うでしょう。誰かに頼られたいと思うでしょう。自分が守れる人間でありたいと思うでしょう」

 

彼の姿が、さらに薄くなる。

 

「その願いを、誰かのための行動へ変えるのか。それとも、誰かを自分のもとへ留めるための理由に変えるのか」

 

最後に、彼は静かに言った。

 

「その選択は、これからも、あなたたち自身がしなければならない」

 

赤い光が消えた。

 

色欲の姿は、もうなかった。

 

しかし、彼が残した問いは、消えていなかった。

 

十五 救うことと、必要とされること

「……相澤先生」

 

八百万が、彼のそばへ歩み寄った。

 

「先ほどの色欲の言葉について、考えていたのですが」

 

「……何だ」

 

「誰かを守りたいという気持ちに、自分が必要とされたいという願いが混ざることは、必ずしも悪いことではないのだと思います」

 

相澤は、彼女を見た。

 

「……そうだな」

 

「しかし、その願いを理由に、相手が自分を必要とし続ける状況を作ろうとしたら、問題になるのですね」

 

八百万は、言葉を選びながら続けた。

 

「つまり、誰かを守るという行為そのものではなく、その行為によって、相手の選択をどこまで制限しようとするのかが、問題なのではないでしょうか」

 

相澤は、静かにうなずいた。

 

「その通りだ」

 

芦戸が、横から口を挟む。

 

「じゃあ、先生が生徒を心配して、危険なことをするなって言うのは、全部だめってわけじゃないんだよね?」

 

「もちろんだ」

 

相澤は答えた。

 

「危険があるなら、理由を伝える。必要なら、行動を止めることもある。だが、その目的は、生徒を自分の思いどおりにすることじゃない」

 

拳藤が続けた。

 

「本人が自分で判断できるように、情報を渡す。考える時間を与える。危険があることを知らせる。それでも、その先の選択まで全部奪わない、ということね」

 

「……そうだ」

 

取蔭は、少しだけ首を傾げた。

 

「でも、実際には難しそうだよね。自分が危険だと思うことを、相手が平気で選ぼうとしたら」

 

「難しい」

 

相澤は、率直に答えた。

 

「だから、簡単に正解を決めない。相手が何を考えているのかを聞く。危険を説明し、別の方法があるなら提案する」

 

彼は、生徒たちを見渡した。

 

「そして、それでも相手が違う選択をしたとき、自分が何をすべきかを考える。状況によっては止めなければならないこともあるが、それは相手を自分のものにするためではない」

 

マイクが、腕を組んだ。

 

「……俺たちも、まだまだだな」

 

「当然だ」

 

相澤は即答した。

 

「一度学んだからといって、二度と間違えなくなるわけじゃない」

 

その言葉に、マイクが笑った。

 

「お前、もう少し生徒を励ます言い方ってものがあるだろ」

 

「事実を言っただけだ」

 

「はいはい、そうですね!」

 

ミッドナイトが、そのやり取りを見ていた。

 

彼女は、ゆっくりと口を開いた。

 

「……相澤。あなたは、私を守ろうとしたの?」

 

相澤は、彼女を見た。

 

「……ああ」

 

「どうして?」

 

その問いに、彼は少しだけ考えた。

 

「お前が、赤い糸に拘束されていたからだ。自分の意思で動けない状態に見えた。だから、解放する必要があると判断した」

 

「それだけ?」

 

「……それだけではないかもしれない」

 

相澤は、正直に答えた。

 

「お前を失いたくないという気持ちもあるだろう。お前が、俺たちの知らない場所で何を考えていたのか、もっと知りたいという気持ちもある」

 

ミッドナイトは、黙っていた。

 

「だが、その願いを理由に、お前を俺たちのそばに留めておくつもりはない」

 

相澤は、彼女を見据えた。

 

「お前が何を望んでいるのかを聞く。だが、俺たちが望む答えを返さなければならないとは思わない」

 

彼は、少しだけ息を吐いた。

 

「……俺は、お前を守りたいと思った。だが、それだけで、お前がどう生きるべきかを決めるつもりはない」

 

ミッドナイトは、ゆっくりと目を閉じた。

 

「……そう」

 

彼女は、小さく笑った。

 

「なら、あなたのその気持ちを、私がどう受け取るかは、私が決めることね」

 

「……ああ」

 

相澤は、うなずいた。

 

「そうだ」

 

マイクが、二人を見ていた。

 

かつてなら、彼は、ミッドナイトが戻ってきたことを喜び、そのまま昔の関係へ戻りたいと願ったかもしれない。

 

しかし、今は違う。

 

彼女が自分のそばにいてくれることを願う気持ちはある。

 

彼女と再び話せることを、嬉しいと思う気持ちもある。

 

それでも、彼女がどんな関係を望むのかまで、勝手に決めることはできない。

 

「……なあ、ミッドナイト」

 

マイクは、静かに言った。

 

「俺は、お前とまた話したい。昔のことも、これからのことも、くだらねえこともな」

 

彼は、少しだけ笑った。

 

「でも、お前が俺と話したくないと思う日があっても、それはお前が決めることだ。俺が勝手に、昔の関係へ戻ろうとするつもりはねえ」

 

ミッドナイトは、彼を見つめた。

 

「……そう」

 

「ただ、もし話したいと思うなら、俺は聞く。何度でもな」

 

彼女は、しばらく黙っていた。

 

そして、ゆっくりとうなずいた。

 

「……ありがとう、マイク」

 

その言葉は、小さかった。

 

だが、今の彼らにとっては、それで十分だった。

 

十六 守るという名の欲望

戦闘が終わった後、旧訓練棟では、設備の修復と記録の解析が続けられていた。

 

色欲と名乗った存在は消えた。

 

だが、中央制御部の残骸には、まだ説明のつかない信号が残っている。

 

ミッドナイトの個性反応と似た信号。

 

雄英の旧設備に接続していた、未知の制御系統。

 

そして、人間の行動に合わせて、危険を誘導するような動作。

 

それらが、どのようにつながっているのかは、まだ明らかになっていない。

 

根津校長は、解析の報告を確認した。

 

「……色欲と名乗った存在が、どこから来たのかは、まだわからない。装置が作り出した現象なのか、それとも、別の存在が装置を利用したのかも断定できない」

 

「……また、謎が増えたな」

 

マイクが、ため息をついた。

 

「そうだね」

 

根津は、静かに答えた。

 

「ただし、今回、確認できたこともある」

 

「何だ?」

 

「この設備は、ミッドナイト君の個性反応だけでなく、相澤君たちの行動にも反応していた。特に、誰かを助けようとする動きに合わせて、次の危険が発生している」

 

根津は、画面を切り替えた。

 

「これは、単なる偶然ではない可能性が高い。誰かが、あるいは何かが、人間の感情的な行動を利用していたのかもしれない」

 

相澤は、少しだけ眉をひそめた。

 

「……感情を利用する」

 

「ああ。だが、それがどのような仕組みで行われたのかは、まだ不明だ」

 

根津は、記録を閉じた。

 

「引き続き調査を続けよう。今回の戦いで、君たちは多くのことを学んだ。しかし、今後も同じように対処できるとは限らない」

 

「……わかっている」

 

相澤は、うなずいた。

 

「自分が正しいと思う判断ほど、疑う必要がある。だが、疑うことを理由に、必要な行動までやめるわけにはいかない」

 

彼は、ミッドナイトを見た。

 

「俺たちは、生徒を守りたい。仲間を守りたい。必要とされたいと思うこともある」

 

その声は、静かだった。

 

「でも、その願いを理由に、相手の選択を奪うつもりはない」

 

ミッドナイトは、うなずいた。

 

「……私も、そうありたいわね」

 

彼女は、自分の手を見つめた。

 

「自分が必要とされたいと思うことを、無理に否定する必要はない。でも、それに従うことが、必ずしも相手のためになるとは限らない」

 

彼女は、顔を上げた。

 

「だから、これからも考え続けるわ。自分が何を望んでいるのか。そして、その願いを理由に、誰かの人生を決めようとしていないか」

 

相澤は、静かにうなずいた。

 

「……それでいい」

 

彼は、窓の外へ目を向けた。

 

雄英高校の校舎には、まだ、夕日の光が残っていた。

 

生徒たちは、それぞれの生活へ戻っていく。

 

教師たちは、これからも生徒たちを守るために働くだろう。

 

しかし、その責任は、生徒たちの人生を自分たちの思いどおりにすることではない。

 

危険を知らせる。

 

必要な支援を提供する。

 

判断に必要な情報を伝える。

 

そして、生徒たちが自分の意思で未来を選べるよう、支える。

 

それが、教師としての役目だった。

 

相澤は、もう一度、ミッドナイトを見た。

 

「……これからも、話を聞かせてくれ」

 

ミッドナイトは、少しだけ笑った。

 

「ええ。ただし、あなたたちが聞きたい話ばかりになるとは限らないわよ」

 

「それでいい」

 

相澤は答えた。

 

「俺たちが聞きたい話ではなく、お前が話したいことを聞く」

 

マイクが、隣でうなずいた。

 

「……そういうことだ」

 

ミッドナイトは、二人を見つめた。

 

そして、ゆっくりと目を閉じた。

 

誰かを守りたいという願いは、間違いではない。

 

誰かに必要とされたいという願いも、間違いではない。

 

だが、その願いを理由に、相手の人生を決めてしまえば、それは相手のための行動ではなくなってしまう。

 

守るという名の欲望。

 

その境界線は、簡単には見えない。

 

だからこそ、彼らは考え続けなければならない。

 

自分が何を望んでいるのか。

 

自分の行動が、誰かをどのように変えているのか。

 

そして、その人が、本当は何を望んでいるのか。

 

色欲との戦いは終わった。

 

しかし、問いは残った。

 

その問いに、すぐに答えを出す必要はない。

 

ただ、答えを出すことから逃げない。

 

それが、今の彼らにできる、次の一歩だった。

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