一 同じ先生を、違う目で見ていた
雄英高校、旧訓練棟の会議室。
「それじゃあ、今日の目的を確認しよう」
根津校長が、小さな手で卓上端末を操作した。
「今回は戦闘訓練ではない。ミッドナイト君が雄英でどのように受け取られていたのか、元生徒たちの記憶を聞かせてもらいたい。記録に残すことが目的ではあるが、発言を無理に統一する必要はない」
その場に集まっているのは、A組の八百万百、峰田実、芦戸三奈。B組の拳藤一佳、取蔭切奈。そして相澤消太、プレゼント・マイク、セメントス、根津校長。
ミッドナイト本人も、会議室の一角に座っていた。
彼女は、少し離れた場所から生徒たちを見つめている。
「……私のことを話すのに、そんなに緊張する必要はないわよ?」
いつもの軽い調子だった。
「別に、試験の点数をつけるわけじゃないんだから」
「いや、でも……」
峰田は、困ったように頭をかいた。
「本人が目の前にいると、逆に何を話せばいいのかわかんねえんだよ!」
「そう?」
ミッドナイトは、楽しそうに笑った。
「私の悪口でもいいのよ?」
「いや、それはさすがに……」
「何か思い当たることがあるのね?」
「違いますって!」
芦戸が吹き出す。
「峰田、顔に出すぎ!」
「お前は笑ってないで助けろよ!」
拳藤は、微笑みながら二人を見ていた。
その隣で、取蔭は腕を組み、少し考えている。
八百万は、テーブルに置かれた資料へ目を落とした。
「……私は、先生から学んだことを、いくつも覚えています」
彼女が最初に口を開いた。
「知識を得ることの大切さ。事前に準備すること。そして、自分の能力を正しく理解し、必要な場面で使うこと。そういった教訓は、今でもよく覚えています」
ミッドナイトは、静かにうなずいた。
「そう。それは、あなたの中に残っているのね」
「はい。ただ……」
八百万は、少しだけ言葉を切った。
「私は、先生が何かを教えるときの姿を、強く覚えています。でも、授業の外で先生が何を考えていたのかは、ほとんど知りませんでした」
「当然でしょう。あなたたちは生徒で、私は教師だったのだから」
「……はい。ですが、今になって思えば、私は先生を、教師としての姿だけで捉えていたのかもしれません」
相澤は、口を挟まずに聞いていた。
ミッドナイトは、八百万へ優しく微笑んだ。
「教師としての私から学んだことがあるなら、それは大切にしていいのよ。私の知らない一面があったからといって、あなたが学んだことまで、消えてしまうわけではないわ」
八百万は、少しだけ表情を緩めた。
「……ありがとうございます」
「それで、次は誰かしら?」
ミッドナイトが尋ねる。
峰田は、勢いよく手を挙げた。
「はい! 俺!」
「どうぞ、峰田君」
「俺は……先生のこと、けっこう怖かったです!」
「まあ」
「でも、嫌いって意味じゃないんですよ! むしろ、すごく印象に残ってるっていうか……」
峰田は、頭をかきながら話した。
「俺は、あんまり自信がある方じゃなかったし、怖いことがあると、どうしても逃げたくなることがあった。でも、先生は、怖いからって何もしないわけじゃなかった。危険を理解したうえで、必要なときは前に出る。そういうところが、かっこいいと思ってました」
ミッドナイトは、少しだけ目を細めた。
「……そうだったのね」
「はい。でも、俺が一番覚えてるのは、先生が何かの説明をしていたときの、ちょっとした一言なんです」
峰田は、思い出すように天井を見た。
「俺が失敗したとき、先生、こう言ったんですよ。『失敗したことと、何も学ばなかったことは違う』って」
ミッドナイトは、しばらく黙っていた。
「……私、そんなことを言ったかしら?」
「言いましたよ! 俺、ずっと覚えてるんです!」
「そう……」
彼女は、少し驚いたように笑った。
「それは、よかったわね」
「はい!」
峰田は、胸を張った。
「俺は、先生の全部を知っていたわけじゃない。でも、あの言葉は、今でも覚えてるんです。だから、先生がどんな人だったのか、全部わからなくても、俺が受け取ったものは、俺の中に残ってるんだと思います」
その言葉に、相澤は、わずかに目を細めた。
ミッドナイトは、何も言わずにうなずいた。
次に手を挙げたのは、芦戸だった。
「私は、先生が強かったことも覚えてるけど、それだけじゃないかな」
「というと?」
拳藤が尋ねる。
「先生って、いつも、なんか余裕があるように見えたんだよね。堂々としてて、言うこともはっきりしてて、怖いものなんてないみたいに見えるときがあった」
芦戸は、少しだけ笑った。
「だから、最初は、先生って何でもできる人なんだと思ってた。でも、今考えると、そんなわけないよね。何でもできる人なんて、いないんだから」
ミッドナイトは、彼女を見つめていた。
「私は、先生の強さに憧れていた。でも、その強さを、ずっと求め続ける必要はないんだと思う」
芦戸は、顔を上げた。
「先生が疲れていたら、休んでもいい。迷っていたら、迷っているって言ってもいい。そういう先生だったとしても、私は、先生を好きだったと思う」
その言葉に、会議室が静かになった。
ミッドナイトは、少しだけ息を吐いた。
「……ありがとう、芦戸さん」
彼女の声は、いつもより少し穏やかだった。
拳藤が、ゆっくりと口を開く。
「私が覚えているのは、先生の教え方そのものというより、先生が周囲をどう見ていたか、というところかもしれません」
彼女は、自分の手を見た。
「先生は、生徒の能力だけを見ているわけではなかった。何が得意で、何が苦手で、どんな場面なら力を発揮できるのか。そうしたことを、よく見ていたと思います」
「……ええ」
ミッドナイトは、うなずいた。
「教師の仕事は、相手を一つの評価だけで決めつけないことでもあるからね」
「はい。だからこそ、私は、先生が生徒たちを守ろうとしていたことを覚えています。でも、先生が一人ですべてを背負わなければならないとは思っていません」
拳藤は、はっきりと言った。
「守ることは、一人で背負うことではない。誰かが困っていたら、周りにいる人も支えればいい。先生にも、そういう支えが必要だったのだと思います」
取蔭が、ゆっくりとうなずいた。
「私は、先生の顔を全部知っているわけじゃない。授業中の顔、戦っているときの顔、たまたま廊下で会ったときの顔。そのくらい」
彼女は、肩をすくめた。
「でも、知らない顔があったからって、知っている顔が嘘になるわけじゃないんだよね」
ミッドナイトは、静かに彼女を見た。
「……そうね」
「だから、先生がどんなことを考えていたのか、知らない部分があったなら、これから知れればいいと思う。先生が話したいと思うなら、だけど」
取蔭は、笑った。
「知りたいからって、全部聞き出そうとするのも、ちょっと違うしね」
その言葉に、ミッドナイトは目を閉じた。
そして、静かに答えた。
「……あなたたちの答えは、みんな違うのね」
八百万、峰田、芦戸、拳藤、取蔭。
五人の生徒たちは、互いに顔を見合わせた。
「そりゃ、そうですよ」
峰田が答えた。
「俺たち、同じ人間じゃないですから」
芦戸が笑う。
「同じ先生に教わっても、覚えてることは違うよね」
「その通りだ」
相澤が、静かに言った。
「同じ経験をしたとしても、何を受け取り、何を大切にするかは、一人ひとり違う。それを、教師が一つの答えにまとめる必要はない」
ミッドナイトは、ゆっくりと目を開いた。
「……ええ。そうね」
彼女は、小さく笑った。
「でも、だからこそ、私は、あなたたちの話をもっと聞きたくなるのかもしれないわ」
その瞬間だった。
会議室の照明が、一斉に消えた。
二 記憶を一つにする者
「……全員、動くな!」
相澤の声が、暗闇の中に響いた。
次の瞬間、壁面の非常灯が赤く点滅する。
天井から、金属の駆動音が聞こえた。
床に、白い線が走る。
そして、会議室の壁が、ゆっくりと開き始めた。
「……また、設備が動き出したのか!」
マイクが、すぐに構えた。
「根津校長、状況は!?」
通信機から、根津の声が届く。
『会議室の制御系統に、外部からの接続反応がある! ただし、接続元は特定できない!』
「……前回の装置と同じ系統か?」
『一部は一致している。しかし、今回の信号には、これまで確認されていない反応が混ざっている!』
ミッドナイトが、ゆっくりと立ち上がった。
「……来たわね」
相澤が、彼女を見た。
「何か知っているのか?」
「いいえ。ただ、こうなる可能性は考えていたわ」
彼女は、開いていく壁の向こうを見つめた。
「私たちの記憶を、誰かが集めようとしている。そう考えるなら、次に起こることは……」
そこまで言ったとき、壁面の向こうから、赤い光が溢れた。
赤い糸。
それは、前回の色欲が使っていたものとよく似ていた。
糸は壁を伝い、天井を走り、床面の白い線へ絡みつく。
そして、会議室に集まっていた生徒たちの周囲へ、円形の紋様を形成した。
「……これは」
八百万が息をのむ。
紋様の中央に、一つずつ光が浮かび上がった。
それぞれの光の中に、ミッドナイトの姿が映し出されている。
八百万の前には、教壇に立つミッドナイト。
峰田の前には、厳しい表情で彼を指導するミッドナイト。
芦戸の前には、戦場で堂々と笑うミッドナイト。
拳藤の前には、周囲を見渡し、冷静に指示を出すミッドナイト。
取蔭の前には、廊下で偶然出会い、何気ない言葉を交わすミッドナイト。
それらは、すべて、彼ら自身の記憶に近い姿だった。
「……私たちの記憶を、使っている?」
八百万がつぶやく。
根津の声が、通信機から響いた。
『映像だけではない! 装置が、生徒たちの記憶に関係する情報を参照しているようだ!』
「……そんなことが可能なのか?」
マイクが声を上げた。
『現時点では、どのような仕組みなのかはわからない! ただ、映像を構成する情報が、生徒たちの過去の記録と一致している!』
相澤は、すぐに生徒たちを見た。
「全員、記憶の映像に近づくな! 実体があるかどうか、確認できていない!」
その瞬間、会議室全体に、無機質な音声が響いた。
『記憶の照合を開始します』
『対象者ごとの認識を確認』
『共通要素を抽出』
『理想像を構築します』
ミッドナイトの表情が、変わった。
「……やっぱり、そういうことなのね」
彼女は、赤い糸を見つめた。
「この装置は、私についての記憶を一つにまとめようとしている」
『異なる認識を統合』
『矛盾する記憶を修正』
『最適なミッドナイト像を構築します』
その言葉に、相澤の目が鋭くなる。
「……修正だと?」
『対象の評価を統一』
『対象の役割を固定』
『教師としての理想像を確定します』
壁面の映像が、次々と切り替わった。
ミッドナイトの笑顔。
生徒たちを守る姿。
戦場で、迷わず前に出る姿。
そして、最後まで教師としての責任を果たす姿。
それらが重なり、次第に一つの像へと変わっていく。
その像は、迷わない。
恐れない。
疲れない。
自分の欲望に悩まない。
ただ、教師として、生徒を守るために存在している。
「……ふざけるな」
相澤が低くつぶやいた。
ミッドナイトは、彼の隣に立った。
「ええ。これは、私ではないわ」
『最適なミッドナイト像を構築』
『対象者の記憶との不一致を修正します』
その声とともに、赤い糸が一斉に張り詰めた。
次の瞬間、壁面の映像が動き始めた。
そして、記憶の中のミッドナイトが、現実の会議室へ足を踏み出した。
三 五つの記憶、五つの敵
最初に動いたのは、八百万の前に現れたミッドナイトだった。
「八百万さん」
その声は、驚くほど自然だった。
「知識を身につけなさい。正しい判断をしなさい。準備を怠らず、常に最善の行動を取りなさい」
八百万の身体が、硬直した。
その言葉は、彼女が教師から何度も聞いてきた教訓とよく似ていた。
しかし、記憶の中のミッドナイトは、そこで終わらなかった。
「そして、教師の指示に従いなさい。あなたが自分で判断する必要はありません。私が、あなたにとって正しい道を選びます」
「……違う」
八百万が、ゆっくりと顔を上げた。
「先生は、そんなことを言っていません」
記憶のミッドナイトは、微笑んだ。
「あなたが望む答えを、私が教えてあげます。もう、迷う必要はありません」
その瞬間、彼女の背後から、無数の金属製の拘束具が展開した。
八百万は、すぐに後退した。
「……皆さん、注意してください! これは、私たちが覚えているミッドナイト先生の姿を利用した、戦闘用の構築体です!」
「構築体……?」
芦戸が、目を見開く。
「じゃあ、あれは先生じゃないの!?」
「少なくとも、今の言葉は、私が知っている先生の教えとは違います!」
八百万は、両手を構えた。
創造。
彼女の腕から、金属製の盾が生み出される。
拘束具が飛んでくる。
八百万は盾を掲げ、衝撃を受け止めた。
「……っ!」
金属が軋む。
彼女は、そのまま盾を傾け、拘束具の軌道を外した。
「先生から学んだことは、自分で考えるための知識です!」
八百万は、盾の裏から小型の切断器具を創造した。
「自分で考えることをやめるためのものではありません!」
彼女は、拘束具の接続部へ切断器具を差し込んだ。
金属が火花を散らす。
接続部が切断され、拘束具の一部が床へ落ちた。
その瞬間、記憶のミッドナイトが笑った。
「……ならば、あなた自身の判断で、私を否定するというのね?」
「いいえ」
八百万は、はっきりと答えた。
「私は、先生を否定しているのではありません。先生の記憶を、勝手に使っているものを止めようとしているのです!」
彼女は、盾を構え直した。
「私が受け取ったものは、誰かに決めてもらった正解ではありません!」
峰田の前では、別のミッドナイトが動いていた。
彼女は、厳しい表情で峰田を見つめている。
「峰田君。あなたは、いつも恐怖に負けてしまうのね」
峰田は、思わず息をのんだ。
「……っ」
「怖いから逃げる。危険だから立ち止まる。自分には無理だと決めつける」
記憶のミッドナイトは、ゆっくりと近づいた。
「そんなあなたに、ヒーローになる資格があるのかしら?」
「……やめろ」
峰田の声が震えた。
「俺は……」
「あなたは、私に憧れていたのでしょう?」
記憶のミッドナイトが、笑う。
「ならば、恐怖を克服しなさい。教師である私に、恥ずかしくない生徒になりなさい」
峰田の手が、震えた。
彼は、確かに、自分の弱さを気にしていた。
怖がりであること。
自信がないこと。
強いヒーローたちのように、迷わず前へ出られないこと。
そのすべてが、彼の中に残っていた。
しかし、峰田は、ゆっくりと拳を握った。
「……先生は、俺のことを、怖がるなって言いたかったんじゃねえ」
記憶のミッドナイトが、首を傾げた。
「何ですって?」
「俺は、怖いときもある。今だって、怖い。でも、怖いからって、何も考えなくていいわけじゃない」
峰田は、頭から粘着球を引き抜いた。
「俺が先生から学んだのは、恐怖を感じない方法じゃねえ。恐怖があっても、自分にできることを探す方法だ!」
彼は粘着球を投げた。
球は、記憶のミッドナイトの足元へ貼りつく。
次々と粘着球が増え、彼女の動きを封じていく。
「俺は、先生に憧れてた! でも、先生と同じ人間になるために憧れてたわけじゃねえ!」
峰田は、声を張った。
「俺は、俺なりに、できることを探すんだ!」
彼は最後の粘着球を投げた。
それが構築体の胸元へ貼りついた瞬間、赤い光が走った。
記憶のミッドナイトの姿が、揺らいだ。
「……認識の不一致を検出」
無機質な音声が響く。
『対象者の記憶と、構築体の発言に矛盾があります』
峰田は、歯を食いしばった。
「矛盾してて結構だ!」
彼は、胸を張った。
「俺の記憶は、そんな簡単に一つにまとめられるもんじゃねえんだよ!」
芦戸の前に現れたミッドナイトは、戦場の中央に立っていた。
彼女は、堂々と笑っている。
その笑顔は、芦戸が憧れていた強い教師の姿だった。
「芦戸さん。強くなりなさい」
記憶のミッドナイトが言った。
「迷わず、恐れず、いつでも前へ進める人間になりなさい」
芦戸は、目を細めた。
「……それが、先生の教え?」
「ええ。強さこそが、あなたを守るものだから」
記憶のミッドナイトは、鞭を振るった。
鞭が床を打つ。
その衝撃とともに、赤い光が広がった。
芦戸は、すぐに横へ跳んだ。
酸を足元へ流し、滑るように移動する。
鞭が、彼女の背後をかすめた。
「……っ!」
芦戸は、酸を噴射した。
酸は鞭そのものではなく、鞭が固定されていた床面の金属部品へ集中する。
固定具が腐食し、鞭の軌道がわずかに変わった。
芦戸は、その隙に距離を詰めた。
「先生!」
彼女は、声を張った。
「私は、先生の強さに憧れてた! でも、先生がいつも強くなければいけないなんて、思ってない!」
記憶のミッドナイトは、笑った。
「弱さを認めるの?」
「うん!」
芦戸は、即答した。
「怖いときは怖い。失敗したら悔しい。迷ったら、誰かに相談したっていい!」
彼女は、酸を噴射した。
今度は、構築体の足元へ広がる赤い光を狙う。
「強いっていうのは、何も感じないことじゃない!」
酸が床面を覆い、赤い光が乱れた。
芦戸は、拳を握った。
「自分が怖がってることも、迷ってることも認めたうえで、それでも前に進めることだと思う!」
彼女は、構築体へ向かって走った。
記憶のミッドナイトが、鞭を振るう。
芦戸は身をひねり、酸で滑らせた床面を利用して、その攻撃をかわした。
そして、構築体の背後へ回り込む。
「……私は、先生の強さだけじゃなくて、先生の人間らしいところも、これから知っていきたい!」
芦戸の酸が、構築体の足元を覆った。
赤い光が、完全に途切れた。
拳藤の前では、ミッドナイトの姿をした構築体が、周囲の動きを見渡していた。
彼女は、複数の生徒へ指示を出している。
「あなたは右へ。あなたは左へ。あなたは、私の指示に従いなさい」
拳藤は、その光景を見つめた。
自分が覚えているミッドナイトは、周囲をよく見ていた。
生徒たちの能力を把握し、必要な役割を考え、状況に応じて指示を出す。
だからこそ、拳藤は、教師としての彼女に信頼を寄せていた。
しかし、目の前の構築体は、違った。
生徒たちの意見を聞かない。
状況が変わっても、最初に決めた役割を変えない。
指示に従わない生徒を、正しくないと判断している。
「……違う」
拳藤が、ゆっくりとつぶやいた。
構築体が振り返る。
「何が違うというの?」
「先生は、私たちを見て、考えていた。私たちが何をできるのか、どうすれば力を発揮できるのかを、よく見ていた」
拳藤は、両手を構えた。
「でも、今のあなたは、私たちを決められた役割に押し込めようとしているだけだ」
構築体が、鞭を振るった。
拳藤は、巨大化した両手で鞭を受け止めた。
衝撃が腕へ伝わる。
彼女は歯を食いしばり、鞭を左右から挟み込んだ。
「……っ!」
鞭が引き戻されようとする。
拳藤は、両手をさらに巨大化させた。
「私たちは、あなたの指示に従うだけの存在じゃない!」
彼女は、鞭を強く押し返した。
構築体が、わずかに後退する。
拳藤は、その隙に前進した。
「私は、先生から、周囲を見て、自分にできることを考えることを学んだ!」
彼女の巨大な手が、構築体の肩を押さえる。
「だから、今も自分で考える!」
拳藤は、構築体の身体を床へ押しつけた。
「あなたが、私たちの記憶を使って作られたものなら、私たちが覚えている先生のすべてを、持っているわけじゃない!」
赤い光が、構築体の身体を走った。
『認識の不一致を検出』
『対象者の記憶と、構築体の行動に矛盾があります』
拳藤は、顔を上げた。
「……私たちが知っている先生は、一つの役割だけで動いていたわけじゃない!」
その言葉とともに、構築体の動きが停止した。
取蔭切奈は、戦場の端に立っていた。
彼女の前には、ミッドナイトが笑顔で立っている。
だが、その姿は、他の構築体とは少し違っていた。
何かを教えるでも、強さを求めるでも、指示を出すでもない。
ただ、廊下で偶然出会ったときのように、何気ない言葉を交わしている。
「取蔭さん、今日は元気そうね」
その声に、取蔭は、一瞬だけ表情を緩めた。
「……うん」
「授業はどう? 困っていることはない?」
「今のところ、大丈夫かな」
「そう。何かあったら、いつでも相談してちょうだい」
そのやり取りは、ごく自然だった。
取蔭の記憶にある、何気ない時間。
特別な教訓も、大きな事件もない。
ただ、声をかけてもらったこと。
気にかけてもらったこと。
その小さな記憶が、彼女の中に残っていた。
だからこそ、取蔭は、すぐに攻撃できなかった。
「……先生」
「何かしら?」
「この会話、覚えてる?」
記憶のミッドナイトは、笑顔を浮かべたまま答えた。
「もちろん。あなたが困っていることがないか、確認していたのでしょう?」
「……そう」
取蔭は、少しだけ目を細めた。
「でも、私は、先生が何を考えていたかは知らないんだよね」
「どういう意味?」
「先生が、本当に私を心配していたのか。教師として声をかけただけなのか。それとも、たまたま目に入ったから話しかけてくれただけなのか」
取蔭は、肩をすくめた。
「私は、そこまで知らない」
構築体の笑顔が、わずかに揺らいだ。
「でも、あのとき、声をかけてもらって嬉しかった。それは、確かなんだ」
取蔭は、笑った。
「先生が何を考えていたのか、全部わからなくても、私が嬉しかったことまで、消えるわけじゃないよね」
構築体は、何も答えなかった。
取蔭は、ゆっくりと身体を分離させた。
頭部が空中へ浮かび、両手が左右へ分かれる。
そして、彼女は、構築体の背後にある赤い糸を見つけた。
「……それに、この姿が、私の記憶を使って作られているなら」
彼女の分離した手が、糸へ伸びた。
「先生の記憶を使っているのは、あなた自身じゃない」
指先が、糸の接続部へ触れる。
「あなたは、私の記憶を使って、私が見たい姿を作っているだけなんだ!」
取蔭の手が、赤い糸を引き抜いた。
構築体の身体が、揺らいだ。
「……っ!」
彼女の姿が、ゆっくりと薄れていく。
取蔭は、最後まで、目をそらさなかった。
「ありがとう、先生。私の記憶に残っていてくれて」
そして、構築体は、光の粒になって消えた。
四 教師の記憶も、同じではない
五つの構築体が、次々と停止した。
しかし、会議室全体は、まだ赤い糸に覆われている。
「……やはり、生徒たちの記憶を使って、個別の構築体を作っていたのか」
相澤は、床面を見つめた。
「しかも、その構築体は、生徒が覚えているミッドナイトの姿を、極端に強調している」
八百万が、うなずいた。
「私の前に現れた構築体は、知識と正しさを強調していました。峰田さんの前では、恐怖に負けないこと。芦戸さんの前では、強さ。拳藤さんの前では、指示と統率。取蔭さんの前では、何気ない気遣いでした」
マイクが、腕を組んだ。
「つまり、記憶の中から、相手が特に大切にしていた部分だけを抜き出して、それをミッドナイトのすべてだと思わせようとしたわけか」
「そう考えられる」
相澤は、ミッドナイトを見た。
「……お前は、どう思う?」
ミッドナイトは、ゆっくりと目を閉じた。
「私にも、わからないわ。ただ、あれらの姿は、私の一部ではあったのでしょうね」
「……一部?」
「ええ。教師として知識を伝えたことも、生徒たちに強さを求めたことも、周囲へ気を配ったことも、全部、私が実際にしてきたことなのだと思う」
彼女は、静かに答えた。
「でも、その一部だけを取り出して、私のすべてだと決められたら、それはもう、私自身ではないわ」
相澤は、うなずいた。
「……その通りだ」
そのとき、会議室の奥から、別の駆動音が響いた。
残った赤い糸が、一斉に動き始める。
糸は、五つの構築体が消えた場所へ集まり、中央の壁面へ向かって伸びていった。
そして、壁一面に、巨大な映像が浮かび上がった。
そこに映っていたのは、ミッドナイトの姿だった。
だが、それは、特定の記憶をもとにしたものではない。
教師としての姿。
ヒーローとしての姿。
戦場での姿。
笑顔で生徒たちに接する姿。
それらすべてが、少しずつ重なり合っていた。
そして、その映像は、やがて一つの姿へと統合されていく。
迷わない教師。
恐れないヒーロー。
自分の欲望に悩まない存在。
生徒たちのために、いつでも正しい行動を選ぶ、完全な理想像。
『個別の記憶を統合』
『矛盾する認識を修正』
『最適なミッドナイト像を構築しました』
無機質な声が響いた。
マイクは、拳を握りしめた。
「……また、これかよ」
相澤は、目を細めた。
「今度は、全員の記憶を集めて、一つの像にするつもりか」
ミッドナイトは、ゆっくりと立ち上がった。
「……そうね」
彼女は、自分と同じ姿をした像を見つめた。
「私が、あなたたちの記憶に残るために必要な姿。誰もが納得できる、理想の教師」
その言葉に、八百万が顔を上げた。
「……ですが、その姿には、本人の意思がありません」
「そうよ」
ミッドナイトは答えた。
「その姿は、あなたたちが覚えている私の一部を集めただけ。私が何を考え、何を望んでいたのかは、何も聞いていない」
彼女は、一歩前へ出た。
「……私が、どんな人間だったのかを知りたいのではなく、あなたたちが望む私を作りたいだけなのね」
その瞬間、壁面の像が、ゆっくりと目を開いた。
五 理想の教師との戦闘
「……ミッドナイト先生!」
芦戸が叫んだ。
壁面の像が、演習場へ踏み出してくる。
その姿は、ミッドナイトとほとんど同じだった。
ただし、表情には一切の迷いがない。
彼女は、周囲の生徒たちを見渡した。
「……皆さん。安全な場所へ移動してください」
声は穏やかだった。
「これ以上、危険な状況にいる必要はありません。私が、すべてを解決します」
相澤の表情が変わる。
「……全員、構えろ!」
理想像が、腕を上げた。
次の瞬間、床面から無数の拘束具が展開した。
「来るぞ!」
マイクが声を上げる。
相澤は、個性を発動した。
抹消。
赤い瞳が、理想像を捉える。
しかし、装置の動きは止まらなかった。
「……個性で抑えられる相手ではないか!」
相澤は捕縛布を振るい、最初の拘束具を絡め取った。
そのまま身体をひねり、別の拘束具をかわす。
理想像は、ミッドナイトと同じ鞭を振るった。
鞭が空気を切り、相澤の捕縛布へ絡みつく。
相澤は布を引き戻し、身体を低くした。
「……っ!」
鞭が床を打つ。
その衝撃で、複数の金属片が飛び散った。
「相澤先生、右です!」
八百万が叫んだ。
相澤は、すぐに身体をひねった。
金属片が、彼の脇をかすめる。
その隙に、マイクが息を吸った。
「ヴォオオオオオオオッ!!」
音の衝撃が、理想像の背後にある中継装置を打ち砕く。
赤い糸が、激しく揺れた。
「……よし!」
マイクは、すぐに声を抑えた。
「相澤、像そのものを狙うより、糸の接続部を止める方がよさそうだ!」
「……わかっている!」
相澤は捕縛布を伸ばし、壁面の糸へ絡めつけた。
だが、糸は、布の動きに合わせて形を変える。
絡め取ったはずの糸が、布をすり抜けた。
「……物理的に掴めないのか!」
「なら、接続先を破壊する!」
八百万は、すぐに創造を発動した。
金属製の固定具を作り、壁面へ差し込む。
取蔭の分離した手が、固定具を受け取った。
「ここだね!」
彼女は壁の内側へ手を入れ、接続部を探った。
しかし、理想像が反応した。
「生徒の独自判断を確認しました」
その声とともに、床面がせり上がる。
「危険な行動を停止します」
複数の拘束具が、八百万たちへ向かって飛んだ。
「させない!」
拳藤が巨大化した両手を広げた。
拘束具を受け止め、床へ押しつける。
「八百万、今!」
「はい!」
八百万は、創造した固定具を追加した。
拘束具の接続部へ差し込み、動きを封じる。
芦戸が、酸を噴射する。
酸は、拘束具を動かす金属の根元へ集中し、固定部を腐食させた。
「これで、少しは動きが鈍るはず!」
峰田は、粘着球を床面へ投げつけた。
球が、可動パネルの接続部へ貼りつく。
「……こっちは、止めてやる!」
粘着球が増え、床の動きが鈍った。
取蔭は、その隙に分離した手を壁面の奥へ送り込む。
「見つけた! 接続部が三つある!」
「位置を教えてください!」
八百万が叫ぶ。
「左の壁、天井の裏、そして床下!」
「わかりました!」
八百万は、三つの固定具を創造し、仲間へ投げ渡した。
拳藤が巨大化した手で、壁面の固定具を押さえる。
芦戸が酸を使い、天井の接続部を腐食させる。
峰田の粘着球が床下の可動部を固定し、取蔭の手が最後の端子を引き抜いた。
赤い糸が、一斉に揺れた。
その瞬間、理想像が、初めて大きく目を見開いた。
「……認識の不一致を検出」
無機質な声が響く。
「生徒の行動が、理想的な指示に従っていません」
「……当然だ!」
芦戸が叫んだ。
「私たちは、あなたの指示だけで動いてるわけじゃない!」
彼女は、酸を床へ流した。
その流れが、理想像の足元を覆う。
「私たちは、何をすればいいのか、自分で考えてるんだ!」
酸が、床面の赤い紋様を削り取る。
理想像の姿が、わずかに揺らいだ。
「……っ!」
その隙に、相澤が動いた。
捕縛布を伸ばし、理想像の腕へ絡めつける。
今度は、糸そのものではない。
構築体の身体を支える、金属製の枠を狙った。
相澤は布を引き、枠を引き倒す。
理想像が、体勢を崩す。
その瞬間、マイクが声を放った。
「ヴォオオオオオオオオオッ!!」
音の衝撃が、理想像の胸元にある中核装置を打ち砕いた。
白い光が、会議室を満たした。
そして、理想像の姿が、ゆっくりと崩れ始めた。
六 彼女は、何を守りたいのか
「……まだ、終わっていないわ」
ミッドナイトが、静かに言った。
その声に、相澤は振り返った。
「……何?」
「この像は、私の記憶を使って作られたもの。でも、私が自分の意思で動かしているわけではない」
彼女は、崩れかけた像を見つめた。
「そして、今の像は、私が持っていた願いの一部を、極端に強調している」
「……生徒を守りたいという願いか」
相澤が尋ねた。
「ええ。それに、必要とされたいという願いも。自分が役に立つ存在だと思いたいという気持ちも」
ミッドナイトは、ゆっくりとうなずいた。
「でも、それらは、私のすべてではないわ」
その瞬間、理想像の身体から、赤い糸が一斉に飛び出した。
糸は、会議室全体へ広がる。
床面へ。
壁面へ。
天井へ。
そして、相澤たちの身体へ向かって伸びてきた。
「……まだ動くのか!」
マイクが叫んだ。
赤い糸が、相澤の腕へ絡みつく。
彼は捕縛布を引き戻そうとしたが、糸がその動きを妨げた。
同時に、別の糸が八百万の腕を拘束する。
拳藤の両手にも、芦戸の脚にも、峰田の身体にも、取蔭の分離した手にも、赤い糸が絡みついていった。
「……っ!」
「動けない!」
芦戸が叫ぶ。
「全員、無理に引き剥がすな!」
相澤が声を上げた。
「動けば動くほど、糸が締まる!」
理想像は、ゆっくりと顔を上げた。
「……なぜ、拒むのですか?」
その声は、穏やかだった。
「私は、あなたたちを守るために作られました」
「……何?」
相澤が、眉をひそめる。
「あなたたちの記憶から、最も信頼される教師の姿を抽出しました。矛盾する記憶を統合し、最適な役割を構築しました」
理想像は、微笑んだ。
「私は、あなたたちが望むミッドナイトです」
その言葉に、ミッドナイトの表情が変わった。
「……違う」
彼女は、はっきりと言った。
「私は、あなたたちの望む姿だけで作られる存在ではないわ」
理想像は、首を傾げた。
「しかし、あなたたちは、私を理想の教師として記憶しています」
「そうね。あなたたちが、私の一部を覚えていることは確かよ」
ミッドナイトは、赤い糸を見つめた。
「でも、記憶されていることと、私のすべてを知っていることは違う」
彼女は、一歩前へ進もうとした。
糸が、身体を引き止める。
「……っ!」
相澤が、すぐに彼女を支えた。
「無理をするな!」
「……ありがとう。でも、話をさせて」
ミッドナイトは、相澤を見た。
「この像は、私の願いを利用している。誰かを守りたい、誰かに必要とされたい、頼れる教師でありたい。そうした気持ちを、私自身のすべてだと思い込んでいる」
彼女は、理想像を見据えた。
「でも、私は、誰かを守ることだけを望んでいたわけではない。誰かに必要とされることだけを求めていたわけでもない」
理想像の笑顔が、揺らいだ。
「私は、休みたいときもあった。怖いときもあった。自分の判断に自信が持てないときもあった。誰かに頼りたいと思うこともあった」
ミッドナイトは、静かに言った。
「そして、そうした気持ちがあっても、私は教師だった。ヒーローだった。一人の人間だった」
相澤は、彼女を見た。
彼女は、自分の弱さを隠そうとしていない。
自分が持っていた欲望を、否定しようともしていない。
ただ、それらを、一つの役割だけにまとめられることを拒んでいた。
「……あなたたちも、そうでしょう?」
ミッドナイトは、生徒たちを見渡した。
「誰かに憧れたことがあるでしょう。誰かを大切に思ったことがあるでしょう。誰かに、こういう人でいてほしいと願ったこともあるでしょう」
八百万が、ゆっくりとうなずいた。
峰田も、拳を握りしめる。
芦戸は、まっすぐに彼女を見つめていた。
「でも、その願いがあるからといって、相手が自分の望む姿でい続けなければならないわけではない」
ミッドナイトは、声を張った。
「私が生徒たちを大切に思っていたことは本当よ。でも、それを理由に、生徒たちの人生を私が決めるわけにはいかない!」
赤い糸が、強く張り詰めた。
「そして、あなたたちが私を大切に思ってくれていたとしても、その思いを理由に、私を理想の教師に閉じ込めることはできない!」
理想像が、初めて、明確な怒りを浮かべた。
「……矛盾しています」
「何が?」
「あなたは、教師として、生徒を守ることを望んでいました」
「ええ」
「それなのに、あなたは、生徒があなたを必要としなくなることを認めるというのですか?」
ミッドナイトは、しばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「……寂しいとは思うでしょうね」
理想像の表情が、止まった。
「自分が必要とされなくなったら、寂しい。自分が教えてきたことを忘れられたら、悲しい。そう思う気持ちを、私は否定しない」
ミッドナイトは、顔を上げた。
「でも、それでも、私は生徒たちに、自分の人生を歩いてほしい」
彼女の声は、はっきりとしていた。
「私がいなくても、自分で考えて、選んで、間違えたら学び直せる人になってほしい。必要なときには、私以外の誰かにも助けを求められる人になってほしい」
彼女は、微笑んだ。
「それが、私の願いよ」
理想像の身体が、大きく揺らいだ。
赤い糸が、一本ずつ、ほどけ始めた。
七 相澤の答え
「……相澤先生」
八百万が、赤い糸に拘束されたまま声を上げた。
「この糸は、私たちが誰かを助けようと動くほど、強くなっています!」
「……わかっている!」
相澤は、糸を見つめた。
彼らが、ミッドナイトを救おうとする。
すると、別の糸が生徒を拘束する。
生徒を助けようとする。
すると、今度は教師が拘束される。
誰かを救おうとすれば、誰かが危険になる。
その構造は、色欲が作り上げた罠と、よく似ていた。
「……根津校長、制御系統の情報は!」
『中央の像が、各人の認識を同期させている! 誰か一人の行動が、全体へ伝わる仕組みだ!』
「つまり、全員が同じ判断をしたとき、装置の動きも安定するということか!」
『その可能性がある! 逆に、異なる行動が発生すれば、制御系統に負荷がかかるかもしれない!』
相澤は、静かに息を吐いた。
「……なら、全員で同じことをする必要はない」
彼は、生徒たちを見た。
「八百万、取蔭と協力して、装置の接続部を探れ。芦戸は、赤い糸を支える固定部を確認しろ。拳藤は、動ける範囲で、ほかの者を守る。峰田は、可動部の動きを止められる場所を探せ!」
「了解!」
「わかりました!」
「任せて!」
生徒たちが、それぞれに動き始める。
相澤は、マイクへ向き直った。
「お前は、中央装置の反響を利用している部分を狙え。俺が動きを抑える」
「了解だ!」
セメントスが、床へ手をついた。
コンクリートが、波のようにうねる。
彼は、赤い糸の接続先を遮るように、複数の小さな防護壁を作り出した。
「根津校長! 外部からの制御信号を、こちらへ誘導できるか!」
『試みる! セメントス君、壁面の三つの制御盤を露出させてくれ!』
セメントスは、床と壁を変形させた。
コンクリートの一部が剥がれ、内部の制御盤が姿を現す。
根津は、すぐに遠隔操作を開始した。
その間、相澤は、赤い糸に拘束されたままの腕を動かした。
捕縛布が、床面へ伸びる。
糸へ絡めようとはしない。
代わりに、糸が通っている金属の支柱へ、布を巻きつけた。
引く。
支柱が傾く。
赤い糸が、わずかに緩んだ。
「……今だ!」
相澤が叫ぶ。
取蔭の分離した手が、壁面の制御端子へ飛び込む。
八百万が、創造した絶縁器具を送り込む。
芦戸が酸を噴射し、端子を固定していた金属部品を腐食させる。
拳藤は巨大化した両手で、崩れかけた支柱を押さえた。
峰田の粘着球が、可動部へ貼りつき、装置の動きを止める。
それぞれの個性が、異なる方向から、同じ罠を崩していく。
赤い糸が、次々と緩んだ。
「……っ!」
ミッドナイトの腕が、自由になる。
彼女は、自分の手を見つめた。
そして、相澤へ顔を向ける。
「……相澤」
「何だ」
「私は、この像を止めたい」
相澤は、彼女を見た。
「……わかった」
「私の個性を使うわ。だが、あなたたちが危険にならないよう、範囲は限定する」
「……わかった。俺が監視する」
ミッドナイトは、ゆっくりと息を吸った。
彼女の個性が発動する。
眠り香が、理想像の周囲へ広がった。
しかし、その香りは、無差別に放たれたものではない。
相澤が、個性を抹消できる位置から見守り、八百万が作り出した遮蔽板によって範囲が限定されている。
香りは、理想像の周囲にだけ留まった。
像の動きが、わずかに鈍る。
「……今よ!」
ミッドナイトが叫んだ。
マイクが、息を吸う。
「ヴォオオオオオオオオオッ!!」
音の衝撃が、中央装置の外装を破壊する。
相澤は捕縛布を伸ばし、露出した支柱を引き倒した。
セメントスが、コンクリートの柱を伸ばし、装置の土台を固定する。
根津が、最後の電源供給を遮断した。
赤い糸が、一斉に揺れた。
そして、理想像の身体が、ゆっくりと崩れ始めた。
八 同じ答えを求めない
理想像は、消えかけていた。
だが、その表情は、最後まで穏やかだった。
「……なぜ、拒むのですか?」
その声は、かすれていた。
「私は、あなたたちの記憶から作られました。あなたたちが望む姿を、正確に再現しています」
相澤は、彼女を見つめた。
「……違う」
「何が違うのですか?」
「お前は、俺たちが覚えている一部を集めただけだ。俺たちが覚えていないことも、俺たちが知らなかったことも、何も持っていない」
相澤は、静かに続けた。
「お前は、俺たちの記憶から作られた。だが、それは、俺たちの記憶が正しいという証明にはならない」
理想像の顔が、揺らいだ。
「……私は、彼女を理想の姿へ戻そうとしただけです」
「……戻す?」
相澤は、眉をひそめた。
「お前が作っているのは、彼女が戻りたいと思う姿じゃない。俺たちが、戻ってきてほしいと思う姿だ」
理想像は、何も答えられなかった。
相澤は、続けた。
「俺たちは、ミッドナイトを大切に思っている。彼女に戻ってきてほしいと願う者もいるだろう。彼女が残したものを守りたいと思う者もいる」
彼は、生徒たちを見た。
「だが、その願いを、彼女の願いと同じだと思うわけにはいかない」
八百万が、ゆっくりとうなずいた。
峰田も、拳を握った。
芦戸は、まっすぐに理想像を見つめていた。
拳藤と取蔭も、それぞれの場所から、中央装置を見据えている。
相澤は、静かに言った。
「俺たちは、彼女が何を望んでいるのかを聞きたい。だが、彼女が何を望むべきかを決めるつもりはない」
その言葉に、理想像の身体が、大きく揺らいだ。
「……では、あなたたちは、これからも、彼女のことを理解できないままでいるというのですか?」
「……そうかもしれない」
相澤は、即答した。
「俺たちが知らない部分は、これからもあるだろう。彼女自身が、自分の気持ちをすべて理解しているとは限らない」
彼は、目を細めた。
「だからといって、わからない部分を、俺たちの都合で埋めるつもりはない」
ミッドナイトが、静かにうなずいた。
「……そうね」
彼女は、理想像を見つめた。
「私は、あなたたちの記憶に残っている。あなたたちが覚えている私の姿は、それぞれ違うでしょう」
彼女は、少しだけ笑った。
「でも、その記憶があるからといって、私のすべてを決めることはできない」
彼女は、はっきりと言った。
「私は、あなたたちの理想ではない。あなたたちの願いを叶えるために存在しているわけでもない」
赤い糸が、一本ずつほどけていく。
「私は、教師だった。ヒーローだった。仲間だった。そして、それ以外の私もあった」
彼女は、静かに顔を上げた。
「それらを、あなたたちがすべて理解できなくてもいい。私は、あなたたちに、私のすべてを理解してもらうために生きていたわけじゃない」
その言葉が、会議室に響いた。
理想像の身体は、完全に崩れ始めた。
『認識の不一致を検出』
『理想像の構築に失敗』
『統合処理を停止します』
無機質な音声が響いた。
赤い光が消える。
中央装置が、完全に停止した。
そして、会議室に、静けさが戻った。
九 教師の答え、生徒の答え
戦闘が終わった。
旧訓練棟の設備は、根津校長とセメントスによって安全な状態へ戻された。
残った装置の記録は、引き続き解析されることになった。
色欲と名乗った存在の反応は、今回も完全には消失していない。
だが、少なくとも、ミッドナイトの記憶を利用して理想像を構築する仕組みは停止した。
「……大きな負傷者はいません」
八百万が報告した。
「ただし、設備の損傷は大きいです。修復には、かなり時間がかかると思います」
「問題ない」
セメントスが答えた。
「建物の基礎は維持できている。安全を確認しながら、修復を進めよう」
根津は、端末を見つめていた。
「今回の装置は、前回までのものと共通する部分がある。しかし、すべてが同じ系統とは限らない。どのような仕組みで、人間の記憶に関係する情報を参照していたのかも、まだわからない」
「……また、謎が増えたな」
マイクが、ため息をついた。
「だが、わかったこともある」
根津は、顔を上げた。
「この装置は、異なる記憶を一つにまとめようとしていた。矛盾する認識を修正し、最適なミッドナイト像を作り上げようとしていた」
相澤が、静かにうなずく。
「……それは、俺たちがやってはいけないことでもある」
彼は、生徒たちを見渡した。
「誰かを大切に思うことと、その人のすべてを知っていると思い込むことは違う。相手のことを理解したいと思うことと、自分が理解できる姿に変えることも違う」
八百万は、ゆっくりとうなずいた。
「……はい」
「お前たちがミッドナイトから受け取ったものは、それぞれ違う。覚えている言葉も、印象に残っている姿も、違っていていい」
相澤は、静かに言った。
「それを、一つの正解にまとめる必要はない」
峰田が、頭をかいた。
「……じゃあ、俺が覚えている先生と、八百万が覚えている先生が違っていても、問題ないってことですよね」
「ああ」
相澤は即答した。
「違う記憶を持っていることと、どちらかが間違っていることは、同じではない」
芦戸が、笑った。
「それなら、私も安心した。先生のことを、全部知っていなくても、好きだった気持ちは本物なんだよね」
ミッドナイトは、静かにうなずいた。
「ええ。あなたが私から受け取ったものは、あなた自身のものよ」
拳藤が、彼女を見つめた。
「……先生。私たちは、これからも先生のことを大切に思っていていいんですよね?」
ミッドナイトは、少しだけ目を見開いた。
そして、笑った。
「もちろん。ただし、その気持ちを理由に、私の人生を決めようとしないでね」
「……はい」
拳藤は、うなずいた。
取蔭も、少しだけ笑った。
「私たちが覚えている先生と、先生自身が覚えている自分の姿が違っていても、それでいいんだよね」
「ええ」
ミッドナイトは答えた。
「人は、自分のことをすべて理解しているわけではないもの。私だって、そうよ」
彼女は、少しだけ目を伏せた。
「これから先、自分でも知らなかった気持ちに気づくことがあるかもしれない。過去の自分を、違う見方で捉えることもあるでしょう」
そして、顔を上げた。
「それでも、今の自分が何を望んでいるのかを考えることはできる。誰かの記憶の中の自分ではなく、自分自身の気持ちを確かめることはできるのよ」
その言葉に、相澤は、静かにうなずいた。
「……そうだな」
マイクが、隣で笑った。
「俺たちも、これから、同じことを考えていく必要があるんだろうな」
「……ああ」
相澤は答えた。
「教師として、生徒たちに何を伝えられるのか。生徒たちが、自分の判断で選ぶために、何を支えられるのか」
彼は、窓の外へ目を向けた。
「その答えも、一つではないのかもしれない」
十 それぞれの答え
会議室へ戻った一同は、最後にもう一度、ミッドナイトの前へ集まった。
今度は、装置も、赤い糸も、何もない。
ただ、彼女と、生徒たちが向き合っている。
「……では、もう一度、聞いてもいいかしら?」
ミッドナイトが尋ねた。
「あなたたちは、私から何を受け取ったの?」
八百万は、少し考えてから答えた。
「私は、自分で判断するための知識と、準備することの大切さを学びました。先生が何を考えていたのか、すべてはわかりません。でも、私が先生から受け取ったものは、今も私の中にあります」
峰田は、頷いた。
「俺は、怖くても、自分にできることを探すってことかな。先生が何でもできるから憧れたんじゃない。俺ができないことを、少しずつできるようになりたいと思わせてくれたから、憧れてたんだ」
芦戸は、笑った。
「私は、強さって、いつも平気な顔をすることじゃないって思う。怖いときも、迷ったときも、それでも自分で考えて、前に進むこと。そういうことを、先生から学んだ気がする」
拳藤は、ゆっくりとうなずいた。
「私は、誰かを守るために、一人ですべてを背負う必要はないということです。周囲を見て、それぞれの力を活かして、協力する。先生が生徒たちを見ていたように、私も、周りの人を見ていきたいと思います」
取蔭は、肩をすくめた。
「私は、何気ない一言や、ちょっとした気遣いかな。先生がどんなことを考えていたのか、全部は知らない。でも、あのとき声をかけてもらって嬉しかったことは、今も覚えてる」
ミッドナイトは、五人の言葉を、静かに聞いていた。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
「……ありがとう」
彼女は、静かに言った。
「私があなたたちに何を伝えたのか、そのすべてを覚えているわけではない。でも、あなたたちが、何かを受け取ってくれていたことを知ることができて、嬉しいわ」
彼女は、顔を上げた。
「それぞれ違うものを受け取っていたとしても、それでいい。私が教えたことを、あなたたちがどう使うかは、あなたたち自身が決めることだから」
相澤は、彼女を見た。
「……お前は、生徒たちに、自分の死を意味づけるよう求めるつもりはないんだな」
ミッドナイトは、静かに首を横に振った。
「ええ。私の死が、彼らにとってどんな意味を持つのか。それを、私が決めることはできないわ」
彼女は、少しだけ笑った。
「彼らが私を覚えていてくれることは、嬉しい。でも、私のために生きなければならないとは思わない。私の意志を受け継ぐために、自分の人生を捨ててほしいとも思わない」
相澤は、うなずいた。
「……そうだな」
マイクが、少しだけ笑った。
「俺たちも、お前が残してくれたものを大切にする。でも、それを理由に、お前が望んでいたことを勝手に決めるつもりはねえ」
彼は、ミッドナイトを見つめた。
「お前がどういう人間だったのか。俺たちが知らなかった部分も含めて、これからも聞いていく。お前が話したいと思うならな」
ミッドナイトは、静かにうなずいた。
「……ええ」
そして、少しだけ笑った。
「それでいいわ」
会議室の窓から、夕日が差し込んでいた。
その光は、彼らの記憶を一つにまとめることはしない。
誰かの思いを、別の誰かの正解に変えることもしない。
ただ、それぞれの顔を、同じように照らしていた。
A組には、A組の答えがある。
B組には、B組の答えがある。
相澤には、相澤の答えがある。
マイクには、マイクの答えがある。
そして、ミッドナイト自身にも、彼女自身の答えがある。
誰もが同じ結論にたどり着く必要はない。
それでも、互いの言葉を聞き、違いを認め、相手を自分の理想の形へ押し込めないことはできる。
それが、彼らが今回の戦いから学んだことだった。