僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第五十七話「死柄木弔は、救われたいのか」

一 崩壊の中心

大地が、鳴っていた。

 

遠くに広がる市街地では、建物の骨組みが折れ、道路は幾重にも裂けている。

 

煙が空を覆い、粉塵が風に流されていく。

 

避難誘導のサイレン。

 

負傷者を運ぶ救助隊の声。

 

崩落しかけた建築物を支えるヒーローたちの怒号。

 

そのすべてを、地面の底から響くような轟音が塗り潰していた。

 

死柄木弔。

 

彼が立つ場所から、崩壊が広がっている。

 

指先が触れた地面だけではない。

 

ひび割れた道路を伝い、倒壊した建造物の残骸を通り、瓦礫の山をさらに細かな破片へと変えていく。

 

それは、単純な接触による破壊とは呼べない規模だった。

 

死柄木が腕を振るうたび、地形そのものが書き換えられていく。

 

「――全員、後退しろ!」

 

プロヒーローのロックロックが叫んだ。

 

個性――施錠。

 

彼は周囲の瓦礫へ手を触れ、その場に固定する。崩壊の波に押し流されかけたコンクリートの塊が、ぴたりと動きを止めた。

 

「固定できるものは全部固定する! 避難路を塞がせるな!」

 

「了解!」

 

サイドキックたちが一斉に動いた。

 

マニュアルが水を操り、粉塵の中に走る細かな破片を地面へ落とす。バブルガールは泡を放ち、転倒した市民の周囲へ緩衝帯を作った。

 

センチピーダーは長い身体を伸ばし、建物の外壁を伝って負傷者を救出する。

 

「こちら、東側の避難路確保! ただし、次の崩壊波が来たら持ちません!」

 

通信が飛び交う。

 

「救助を優先しろ! 戦闘区域に近づくな!」

 

「ですが、まだ中に人が――!」

 

「わかっている! だからこそ、戻れる道を残すんだ!」

 

その指示を出しているのは、爆豪勝己だった。

 

彼は崩れた高架道路の上を走り、足裏から爆発を起こして跳躍する。

 

爆煙を背負いながら、空中で身体を回転させた。

 

視界の先。

 

黒い衣服をまとった少年が、崩壊の中心に立っている。

 

死柄木弔。

 

その背後には、巨大な身体を持つ男がいた。

 

いや、男と呼ぶだけでは足りない。

 

数多くの異形が一つにまとまったような姿。全身に幾本もの腕が生え、鋭い突起が背中から伸びている。

 

その巨大な身体は、死柄木の動きに呼応して揺れた。

 

スピナー。

 

彼はかつての姿から大きく変わっていた。

 

身体を覆う鱗。巨大な腕。爬虫類を思わせる顔。その手には、幾重にも重ねられた刃が握られている。

 

彼は死柄木の背中を守るように、戦場を見渡していた。

 

「……まだ来るか、ヒーローども」

 

スピナーが低く唸る。

 

その声には、憎悪だけではないものが混じっていた。

 

疲労。

 

怒り。

 

恐怖。

 

そして、何かを失うことへの強い拒絶。

 

「弔に近づくな!」

 

その叫びと同時に、スピナーが地面を蹴った。

 

巨体が動く。

 

見た目からは考えられない速度だった。

 

爆豪は空中で方向を変える。

 

「ちっ、相変わらずデカい図体のくせに動きやがる!」

 

爆発を連続させ、スピナーの進路を横切る。

 

スピナーの刃が振り抜かれた。

 

空気が裂ける。

 

爆豪は片腕を上げ、爆発を起こした。

 

衝撃が激突する。

 

二人の身体が、互いに弾き飛ばされた。

 

爆豪は空中で回転し、壁面を蹴って体勢を立て直す。

 

一方のスピナーは、数メートル後退しただけで踏みとどまっていた。

 

「……軽いな、爆豪!」

 

「そりゃ残念だったな、トカゲ野郎!」

 

爆豪は笑わなかった。

 

スピナーの身体は大きい。

 

力も強い。

 

だが、それだけではない。

 

彼は自分の巨体を、戦場の障害物として利用していた。爆豪が死柄木へ近づこうとすれば、その進路を遮る。別のヒーローが横から回り込もうとすれば、巨大な腕で地面を叩き、道そのものを崩す。

 

敵を倒すというより、死柄木へ手を伸ばすこと自体を許さない戦い方だった。

 

「どけ、スピナー!」

 

爆豪が叫んだ。

 

「そいつを止めなきゃ、全員が潰れる!」

 

「だったら、俺を倒してから行け!」

 

スピナーは一歩も退かなかった。

 

「弔を止める? 救う? お前らはいつも、そればかりだ!」

 

巨大な刃が振り下ろされる。

 

爆豪は爆発で受け流した。

 

「救うって言えば何でも許されると思うなよ!」

 

スピナーの目が細くなる。

 

「……何だと?」

 

爆豪は、刃の軌道を読みながら前へ踏み込んだ。

 

「俺たちが何をするかは、俺たちが決める! だが、こいつが何をしたかまで、なかったことにはしねえ!」

 

爆発が、スピナーの胸元で弾けた。

 

巨体が後退する。

 

その隙間を、緑色の影が駆け抜けた。

 

「爆豪君!」

 

緑谷出久。

 

黒鞭が伸び、崩壊しかけた壁面へ絡みつく。

 

彼は空中を移動し、死柄木の正面へ着地した。

 

砂埃が舞い上がる。

 

出久は、拳を構えた。

 

「死柄木弔!」

 

死柄木が、ゆっくりと顔を上げる。

 

手の甲に広がる傷跡。

 

歪んだような笑み。

 

その目には、英雄が期待するような光はなかった。

 

出久は、一瞬だけ息を詰めた。

 

あのとき見た少年の姿が、脳裏に浮かぶ。

 

助けを求めていた、小さな手。

 

その手を、見つけたと思った。

 

だが今、目の前にいる男は、自分の意志で多くの命を踏みにじろうとしている。

 

出久は、拳を握りしめた。

 

「……君に、聞きたいことがある」

 

死柄木は、首を傾けた。

 

「質問?」

 

彼は笑った。

 

「戦場で? 今さら?」

 

「そうだ」

 

出久は視線を逸らさなかった。

 

「死柄木。君は――」

 

その言葉を口にすることが、どれほど危険な賭けなのか。

 

彼自身、理解していた。

 

それでも、聞かずにはいられなかった。

 

「本当は、救われたいのか?」

 

戦場の音が、一瞬だけ遠のいた。

 

死柄木は、出久を見つめていた。

 

やがて。

 

「……は?」

 

小さな声が漏れた。

 

そして、彼は笑い始めた。

 

最初は、喉の奥で鳴る乾いた笑いだった。

 

次第に声が大きくなる。

 

肩が震える。

 

顔が歪む。

 

「……ははっ。ははははははははっ!」

 

死柄木は、腹を抱えるように笑った。

 

「すげえな、お前! こんな状況で、そんなことを聞くのか!」

 

出久は動かなかった。

 

「俺のことを救いたいって? じゃあ、お前は何を救うつもりなんだ?」

 

死柄木の笑いが止まった。

 

次の瞬間、彼の指先が地面へ触れた。

 

「――まずは、目の前の景色からだ」

 

崩壊が走った。

 

二 救済という名の質問

出久は跳んだ。

 

危険感知が、全身に警告を鳴らす。

 

黒鞭を伸ばし、折れた街灯へ絡ませる。身体を振り子のように振り、崩壊の波を飛び越えた。

 

着地と同時に、死柄木が迫る。

 

速い。

 

人間の反応速度では捉えきれない加速。

 

死柄木の腕が伸びた。

 

出久は身体をひねる。

 

五本の指が、頬のすぐ横を通過した。

 

触れれば、終わる。

 

死柄木の個性は、ただ物を壊すためだけのものではない。

 

その力が今の死柄木の身体と結びついている以上、わずかな接触でも、戦いの前提が崩れる。

 

出久は黒鞭で死柄木の腕を巻き取ろうとした。

 

だが、死柄木は自分の腕を強引に引き、黒鞭ごと出久を引き寄せた。

 

「っ……!」

 

出久は、引かれる力を利用して足を振り上げた。

 

蹴りが死柄木の肩へ入る。

 

直後、黒鞭を解除。

 

反動で身体を後ろへ飛ばす。

 

死柄木は、数歩だけ後退した。

 

「いい反応だ」

 

彼は、自分の肩を軽く回した。

 

「だが、質問の答えは変わらない」

 

死柄木が一歩踏み込む。

 

「俺は、お前が期待するような答えを返さない」

 

「……」

 

「『助けてほしい』って言えば、お前は満足するのか?」

 

死柄木の指先が、空を切った。

 

「『本当は苦しかった』って言えば、俺がやったことは、少しだけ許されるのか?」

 

出久は答えられなかった。

 

死柄木は笑う。

 

「なあ、緑谷出久。お前が探している答えは、俺の中にあるのか? それとも、お前の中にあるのか?」

 

彼は地面を蹴った。

 

一瞬で距離を詰める。

 

出久は浮遊を発動し、身体を空中へ持ち上げた。

 

黒鞭を複数方向へ伸ばし、崩壊を免れた建物の柱へ絡ませる。

 

死柄木の腕が、頭上を横切った。

 

出久は身体を回転させ、黒鞭を引く。

 

その反動で加速し、死柄木の背後へ回り込む。

 

「デラウェア・スマッシュ!」

 

指先から放たれた衝撃波が、死柄木の肩を打った。

 

死柄木の身体が、わずかに揺れる。

 

しかし、倒れない。

 

彼は振り返りざまに腕を振るった。

 

出久は両腕を交差させて受け流す。

 

衝撃が骨へ響く。

 

「ぐっ……!」

 

彼は空中へ飛ばされ、建物の外壁へ激突する寸前、黒鞭を伸ばした。

 

壁を蹴る。

 

落下を避ける。

 

再び、死柄木と向き合う。

 

死柄木は、彼を見ていた。

 

「攻撃してくるんだな」

 

「……君を止めるためだ」

 

「救うためじゃないのか?」

 

「両方だ!」

 

出久は、思わず声を張り上げた。

 

死柄木の眉が動いた。

 

出久は、言葉を続ける。

 

「君がこれ以上、人を傷つけるのを止める! 君がやってきたことの責任から、逃げさせるつもりもない!」

 

彼は拳を握りしめた。

 

「でも、だからって、君の中にあるものを何も見ずに、ただ倒せばいいとも思っていない!」

 

死柄木は、しばらく黙っていた。

 

やがて、口元を歪める。

 

「……欲張りだな」

 

彼は、指先を出久へ向けた。

 

「お前は俺を止めたい。救いたい。罪も裁きたい。人間として見たい。全部やりたいって言うのか?」

 

「……!」

 

「じゃあ、聞くぞ」

 

死柄木の声が低くなる。

 

「俺がそれを拒んだら、どうする?」

 

出久は答えなかった。

 

「俺が、お前の手なんかいらないと言ったら?」

 

死柄木は一歩前へ出た。

 

「救われたくない。理解されたくない。お前の正義に意味をつけられたくない。そう言ったら、お前はどうする?」

 

出久は、拳を握りしめたまま、彼を見つめていた。

 

「……君が拒絶しても」

 

ようやく、言葉を絞り出す。

 

「僕は、君を止める」

 

死柄木は笑わなかった。

 

「そうか」

 

「君が救いを望まなくても、君が誰かを傷つけることを止める。君の行為を正当化しない。君が選んだことの責任を、なかったことにはしない」

 

出久は、目を逸らさなかった。

 

「でも……君を、人間じゃないものとして扱うことも、したくない」

 

死柄木の表情が、わずかに変わった。

 

ほんの一瞬。

 

その変化は、怒りとも、困惑とも、嘲笑とも言い切れなかった。

 

次の瞬間、彼は地面を踏み砕いた。

 

「だったら、証明してみろ!」

 

崩壊が、壁を這い上がる。

 

「俺を人間だと言うなら、俺が拒むことも受け入れてみろ!」

 

死柄木が突進した。

 

出久は黒鞭を伸ばす。

 

二人の力が、正面から激突した。

 

三 爆豪勝己は、救済を待たない

「おい、デク!」

 

爆豪の声が、煙の向こうから飛んだ。

 

「一人で会話を続けてんじゃねえ!」

 

爆豪は、左右の手から爆発を起こし、スピナーの巨体を押し返していた。

 

スピナーの刃が、彼の肩をかすめる。

 

爆豪は身体をひねり、爆発で距離を取った。

 

「っ、こいつ……!」

 

スピナーは、周囲の瓦礫を盾にしていた。

 

ただ力任せに振るっているわけではない。

 

爆豪の爆発で視界が遮られた瞬間、巨体を横へ移動させる。爆豪が出久へ接近しようとするたびに、必ずその進路へ割り込んでくる。

 

死柄木のために、自分の身体を壁として使っているのだ。

 

「弔を救うだと?」

 

スピナーが唸る。

 

「お前たちに、何がわかる!」

 

「わかんねえから、聞いてんだろうが!」

 

爆豪は爆発を放った。

 

スピナーは刃を交差させ、衝撃を受け止める。

 

火花が散る。

 

巨体が、わずかに後ろへ下がった。

 

「わからねえことを、わかったふりして押しつけるつもりはねえ!」

 

爆豪は、彼を睨みつけた。

 

「だが、あいつを止めずに、何もしねえまま眺めてる気もねえ!」

 

「なら、俺を倒してみろ!」

 

スピナーが地面を蹴った。

 

爆豪は、すぐに迎撃しなかった。

 

彼は一瞬、スピナーの後方へ目を向けた。

 

そこには、崩れかけた建物の内部に取り残された救助隊員がいた。

 

爆豪は舌打ちした。

 

「……チッ!」

 

攻撃の軌道を変える。

 

スピナーの刃を正面から受けるのではなく、横へ押し流す。

 

その反動を利用して、彼の巨体を救助隊員から遠ざけた。

 

「動けるか!」

 

爆豪が叫ぶ。

 

「は、はい!」

 

「だったら、今すぐ逃げろ! 道は右だ!」

 

爆豪は爆発で瓦礫を吹き飛ばし、即席の通路を作った。

 

救助隊員が走る。

 

その瞬間、スピナーの拳が爆豪の背中へ迫った。

 

危険感知は出久の個性だ。

 

爆豪には、別のものが必要だった。

 

経験。

 

観察。

 

そして、相手が何をしようとしているのかを読む力。

 

爆豪は、スピナーが踏み込む足の動きを見ていた。

 

巨体の重量が、片足へ移る。

 

そのわずかな変化を見切り、爆豪は低く身を屈めた。

 

拳が頭上を通過する。

 

「遅え!」

 

爆豪は、地面すれすれで爆発を起こした。

 

身体を一気に横へ移動させ、スピナーの膝裏へ回り込む。

 

「こいつで――!」

 

爆発が、関節付近で弾けた。

 

スピナーの巨体が、わずかに沈む。

 

だが、倒れない。

 

彼は刃を地面へ突き刺し、それを支えにして身体を持ち上げた。

 

「……ぐっ!」

 

スピナーは、爆豪を睨みつけた。

 

「お前たちは、いつだってそうだ……!」

 

声が、怒りで震えていた。

 

「自分たちが何をしたかは、語らない。何を見落としたのかも、何を許してきたのかも、最後には全部、悪い奴のせいにする!」

 

爆豪は、目を細めた。

 

「……お前、今の話を俺にぶつけて、何をさせたい?」

 

スピナーが、言葉を詰まらせる。

 

爆豪は続けた。

 

「俺たちが悪かったって言えば、お前は満足するのか? 社会が悪かったって言えば、死柄木がやったことは消えるのか?」

 

「……!」

 

「違うだろうが!」

 

爆豪は、拳を握りしめた。

 

「社会が見落としたことがあるなら、そこは変えなきゃならねえ。俺たちヒーローが見落としたものがあるなら、そこも見直さなきゃならねえ!」

 

彼は、スピナーの背後で崩れかけている建物を見た。

 

「だが、それと死柄木が人を壊していいかどうかは、別の話だ!」

 

爆発が走る。

 

スピナーは腕を交差させて防いだ。

 

その衝撃で、巨体が後方へ滑る。

 

爆豪は追撃しなかった。

 

代わりに、救助隊員が逃げ切ったことを確認した。

 

スピナーは、その様子を見ていた。

 

「……お前は、弔を救う気がないのか」

 

爆豪は、すぐには答えなかった。

 

やがて、低く告げた。

 

「俺は、あいつを救うために戦ってるわけじゃねえ」

 

スピナーの目が見開かれる。

 

「……何だと?」

 

「俺は、あいつを止めるために戦ってる」

 

爆豪は、出久のいる方向へ目を向けた。

 

「デクが何を考えてるのか、全部は知らねえ。あいつはあいつで、何かを見つけようとしてるんだろう」

 

彼は、拳を握りしめた。

 

「だが、俺は俺のやり方で、今ここにいる奴らを守る。あいつが何を選ぶかは、その後だ」

 

爆豪はスピナーを見据えた。

 

「救済って言葉を使えば、全部を一つにまとめられると思うなよ」

 

その言葉に、スピナーは唇を噛んだ。

 

爆豪は、その反応を見逃さなかった。

 

彼は理解していた。

 

スピナーにとって死柄木は、守るべき存在なのだ。

 

自分が社会から拒絶されてきたと感じる中で、ようやく見つけた居場所。

 

その中心にいたのが、死柄木だった。

 

その居場所を奪われることは、単に仲間を失うことではない。

 

自分がここにいた意味そのものを失うことに近いのかもしれない。

 

だが、だからこそ。

 

「……お前があいつを大切に思ってることまで、否定するつもりはねえ」

 

爆豪は言った。

 

「だが、その気持ちを理由に、あいつが何をしても止めないってんなら、俺はお前も止める」

 

スピナーは、巨体を揺らした。

 

「……なら、止めてみろ」

 

彼は刃を構え直す。

 

「俺は、弔を一人にはしない」

 

爆豪の目が、細くなった。

 

「そうかよ」

 

両手が、火花を散らす。

 

「だったら、まずは俺を越えてみろ!」

 

二人は、再び激突した。

 

四 スピナーが守りたいもの

スピナーの巨体は、戦場の地形そのものを変えていた。

 

巨大な腕が振られるたび、瓦礫が飛ぶ。

 

刃が地面へ突き刺さるたび、舗装が割れる。

 

その身体は圧倒的な力を持っていた。

 

しかし、爆豪は力比べをしなかった。

 

地面すれすれを走り、爆発の反動を利用して位置を変え続ける。

 

正面から攻撃するふりをして、すぐに軌道を変える。

 

スピナーが刃を振れば、その外側へ回り込む。

 

巨体が方向を変える前に、別の角度から爆発を叩き込む。

 

「逃げてばかりじゃ、俺は倒せないぞ!」

 

スピナーが叫ぶ。

 

「倒すことだけが目的じゃねえ!」

 

爆豪が返した。

 

「お前の巨体を、これ以上被害が出る場所へ向けさせない!」

 

爆豪は、スピナーの動きを建物から遠ざけるように誘導していた。

 

攻撃を避けるだけではない。

 

人のいる場所。

 

崩落の危険が高い建造物。

 

救助隊の通路。

 

それらを戦場から外すため、爆豪は自分の位置を細かく調整していた。

 

スピナーも、それに気づいていた。

 

「……お前、俺を誘導しているのか」

 

「ようやく気づいたか!」

 

爆豪は笑った。

 

「図体がデカいんだ! 使い道くらい考えろ!」

 

スピナーの瞳に、怒りが宿った。

 

「俺を……道具扱いするな!」

 

彼は、両腕を振り上げた。

 

爆豪は、すぐに後退する。

 

スピナーの攻撃が地面を叩きつけた。

 

衝撃で、周囲の瓦礫が吹き飛ぶ。

 

「……お前は、何もわかっていない!」

 

スピナーは叫んだ。

 

「弔が何を背負っているのか! あいつが何を失ったのか! 誰も見ようとしなかったものを、俺は見てきた!」

 

爆豪の表情が変わった。

 

スピナーの怒りは、単なる反抗心ではない。

 

誰にも見てもらえなかったものを、ようやく誰かと共有できたと思ったのだ。

 

死柄木の怒り。

 

社会への憎しみ。

 

自分たちを拒絶してきた世界への不信。

 

そのすべてに、スピナーは自分自身の痛みを重ねてきた。

 

だから、死柄木を止めようとする者は、彼にとってただの敵ではない。

 

自分がようやく見つけた居場所を、再び奪おうとする者だった。

 

「……お前が、あいつのすべてを知ってるわけじゃねえだろ」

 

爆豪は、低く言った。

 

「何だと……?」

 

「お前があいつを見てきたことはわかる。あいつの側にいたこともな」

 

爆豪は、スピナーの目を見た。

 

「だが、あいつのことを全部わかった気になって、お前が代わりに答えを出してるんじゃねえのか?」

 

スピナーの身体が止まった。

 

「……ふざけるな」

 

「ふざけてねえ」

 

爆豪は、言い切った。

 

「お前があいつを一人にしたくない。それはお前の気持ちだ。だが、それを理由に、あいつの口から何も聞かずに、お前が全部決めていいわけじゃねえ」

 

スピナーが吠えた。

 

「俺は、弔を守っているんだ!」

 

「だから、本人に聞けよ!」

 

爆豪の声が、戦場へ響いた。

 

「お前が守りたいと思っているあいつが、本当にお前の望むものを求めているのか! お前が決める前に、あいつが何を考えているのか聞け!」

 

スピナーは、刃を握りしめた。

 

「……聞いたところで、弔は変わらない!」

 

「じゃあ、それを確かめるまでは、勝手に決めつけるな!」

 

爆豪は、爆発を起こした。

 

スピナーの足元へ。

 

巨体がバランスを崩す。

 

爆豪は、その隙を逃さず、上空へ跳んだ。

 

「俺があいつを救うかどうかなんて、今はどうでもいい!」

 

爆豪の腕から、火花が散る。

 

「俺は、あいつが何を選んでも、今やってることを止める!」

 

彼は、空中で身体を回転させた。

 

「お前も同じだ! あいつを大切に思うなら、ただ後ろから支えるだけで満足してんじゃねえ!」

 

爆発が弾ける。

 

「本当にあいつの仲間だって言うんなら、あいつが自分の選択で誰かを壊そうとしたとき、止めることも考えろ!」

 

スピナーの表情が、歪んだ。

 

その言葉は、彼の中にある確信へ、真正面からぶつかっていた。

 

死柄木を守る。

 

死柄木を支える。

 

死柄木が選んだ道を、最後までともに進む。

 

それが、自分にできることだと思っていた。

 

しかし、それは本当に死柄木のためなのか。

 

それとも、自分が彼を失いたくないだけなのか。

 

スピナーは、その問いを振り払うように吠えた。

 

「黙れえええっ!」

 

刃が、爆豪へ迫る。

 

爆豪は正面から受けず、爆発の反動で横へ飛んだ。

 

だが、スピナーの巨体が、もう一方の腕を振り抜く。

 

直撃。

 

爆豪の身体が、瓦礫の山へ叩きつけられた。

 

「爆豪君!」

 

出久の声が響いた。

 

爆豪は、すぐには立ち上がれなかった。

 

息が詰まる。

 

肩に痛みが走る。

 

しかし、意識は失っていない。

 

「……っ、くそ……」

 

彼は瓦礫を押しのけた。

 

「……まだ、終わってねえ」

 

五 崩壊の中で、手を伸ばす

出久は、死柄木の攻撃を受け止めていた。

 

黒鞭が、死柄木の腕へ絡みつく。

 

出久は、そのまま距離を取ろうとした。

 

しかし、死柄木は身体を捻り、黒鞭を逆方向へ引いた。

 

出久の身体が、前へ引き寄せられる。

 

危険感知が、全身を貫いた。

 

「――っ!」

 

出久は浮遊を発動した。

 

身体を上空へ持ち上げ、黒鞭を解除。

 

死柄木の指先が、靴底をかすめた。

 

出久は、そのまま空中で回転し、死柄木の背後へ降下する。

 

「フルカウル!」

 

身体が加速する。

 

拳が迫る。

 

だが、死柄木は振り返らなかった。

 

彼は片腕を後ろへ伸ばし、出久の攻撃を受け止めた。

 

衝撃が広がる。

 

「……っ!」

 

出久の腕が痺れた。

 

死柄木は、拳を握り返すように力を込めた。

 

「なあ、緑谷」

 

彼の声は、驚くほど落ち着いていた。

 

「お前は、俺が助けを求めたら、何をするつもりだった?」

 

出久は、答えられなかった。

 

「俺が『助けてくれ』と言ったら、お前は俺を抱えて、どこか安全な場所へ連れていくのか?」

 

死柄木は、出久の腕を押し返した。

 

「俺がやったことを、全部なかったことにして、もう一度人生をやり直せるようにしてくれるのか?」

 

「違う!」

 

出久は叫んだ。

 

「僕は、君がやったことをなかったことにはしない!」

 

「じゃあ、何を救う?」

 

死柄木の拳が振り抜かれた。

 

出久は黒鞭を使い、横へ跳ぶ。

 

拳が地面へ叩きつけられる。

 

瓦礫が弾けた。

 

「お前は、俺を救いたいと言った!」

 

死柄木が追撃する。

 

「だが、俺の何を救うんだ?」

 

出久は後退しながら、攻撃を避け続けた。

 

「お前が見た、俺の中の子供か?」

 

死柄木の腕が伸びる。

 

「俺が失ったものか?」

 

出久は、浮遊しながら身体をひねった。

 

「それとも、お前が見つけたいと思っている『救われるはずの死柄木弔』か?」

 

死柄木の言葉が、出久の胸へ突き刺さった。

 

出久は、何かを言おうとした。

 

だが、その前に死柄木の拳が迫る。

 

出久は両腕を交差させ、衝撃を受け止めた。

 

身体が吹き飛ぶ。

 

彼は黒鞭を伸ばし、倒れた塔の残骸へ絡ませた。

 

反動を使って体勢を立て直す。

 

その瞬間、視界の端で何かが動いた。

 

建物の内部。

 

避難が完了していない区域に、取り残された市民がいた。

 

崩壊しかけた梁が、今にも落ちようとしている。

 

出久は、即座に動いた。

 

「――っ!」

 

黒鞭を伸ばし、梁を支える。

 

同時に、浮遊で市民の身体を持ち上げた。

 

しかし、死柄木は攻撃を止めなかった。

 

彼の手が、出久の背後へ迫る。

 

「デク!」

 

爆豪の声が響く。

 

爆発。

 

死柄木の腕が、横へ弾かれた。

 

爆豪が、瓦礫の上から飛び込んできていた。

 

「避難者を先に運べ!」

 

「爆豪君!」

 

「返事はどうした!」

 

出久は、歯を食いしばった。

 

「……了解!」

 

出久は市民を安全な場所へ移動させた。

 

その間、爆豪が死柄木の攻撃を引き受ける。

 

「お前、まだ俺を止めるつもりか?」

 

死柄木が尋ねる。

 

「当たり前だろうが!」

 

爆豪は爆発を放つ。

 

死柄木は、腕を交差させて防いだ。

 

「お前は、デクの理想を信じているのか?」

 

「知るか!」

 

爆豪は、一気に距離を詰めた。

 

「俺は、あいつの考えが全部正しいなんて思ってねえ!」

 

死柄木の拳が振られる。

 

爆豪は、空中で身体を捻って避けた。

 

「だからって、あいつが考えることまで否定する気もねえ!」

 

爆発が弾ける。

 

「俺は俺の目で見て、俺の頭で判断する!」

 

爆豪は死柄木の脇へ回り込んだ。

 

「お前が救われたいかどうかなんて、俺が決める話じゃねえ!」

 

彼は、死柄木の腕を爆発で押し返した。

 

「だが、お前が誰かを傷つけるなら、俺は止める!」

 

死柄木は、爆豪を見つめた。

 

「……お前も、同じか」

 

「何がだ?」

 

「救うかどうかを、俺が決めると言いながら」

 

死柄木は笑った。

 

「結局、お前たちは俺を止める。俺の自由を制限する。俺が何を望んでも、やめろと言う」

 

爆豪は、即答した。

 

「そうだ」

 

死柄木の笑みが止まった。

 

「……何?」

 

「そうだって言ってんだろうが」

 

爆豪は、拳を構え直した。

 

「お前が何を望むかは、お前の自由だ。だが、その自由を理由に、ほかの人間の命を奪うことまで認める気はねえ」

 

「……」

 

「俺たちは、お前の望みを全部叶えるためにここにいるわけじゃねえ」

 

爆豪は、死柄木の目を見た。

 

「お前が何を選ぼうと、その結果を止める必要があるなら、俺たちは止める。それだけだ」

 

その答えは、死柄木が期待していたものではなかった。

 

救うと約束するわけではない。

 

理解したと断言するわけでもない。

 

ただ、自分の行為に対して、明確な拒絶を突きつけている。

 

それでも、爆豪は死柄木を怪物とは呼ばなかった。

 

死柄木は、舌打ちした。

 

「……つまらない答えだ」

 

「てめえのために答えを用意してねえからな!」

 

爆豪が突っ込む。

 

二人の攻撃が、再び衝突した。

 

六 スピナーと死柄木弔

戦場の奥。

 

スピナーは、倒れた瓦礫を押しのけながら、死柄木のいる方角を見ていた。

 

爆豪と出久。

 

二人は、死柄木を止めようとしている。

 

だが、彼らの言葉は、単純な拒絶だけではなかった。

 

死柄木が何を望んでいるのか。

 

何を失ってきたのか。

 

その問いを口にしている。

 

スピナーは、刃を握る手に力を込めた。

 

彼らに、何がわかる。

 

死柄木が、どんなふうに世界を見てきたのか。

 

どれほど多くのものを失い、どこにも居場所がないと感じてきたのか。

 

自分が彼の側に立つようになってから、何度も見てきた。

 

死柄木の怒りは、突然生まれたものではない。

 

それは、長い時間をかけて積み重なったものだった。

 

誰も気づかない。

 

誰も止めない。

 

誰も手を差し伸べない。

 

その積み重ねが、やがて破壊への衝動へ変わった。

 

スピナーは、少なくともそう信じていた。

 

だから、彼は死柄木を見捨てない。

 

自分が、世界から拒まれてきたと感じていたから。

 

死柄木の怒りの中に、自分の怒りを見つけたから。

 

そして、彼が進む道の先にしか、自分の居場所はないと思っていたから。

 

「……弔」

 

スピナーは、小さくつぶやいた。

 

死柄木が振り向いた。

 

「何だ、スピナー」

 

「……お前は、あいつらに何を答えるつもりだ?」

 

死柄木は、少しだけ目を細めた。

 

「何も」

 

「何も、だと?」

 

「俺は、あいつらが欲しがる答えを持っていない」

 

死柄木は、出久と爆豪を見た。

 

「救われたいのか。理解されたいのか。許されたいのか。そんな言葉で、俺がやってきたことをまとめられると思うな」

 

彼の指先が、わずかに動く。

 

崩壊が、地面を這った。

 

「俺は、ただ壊したい」

 

スピナーは、息を止めた。

 

「この世界が、俺の存在を見ないふりをしてきたなら。俺が壊されてきたものを、誰もなかったことにしてきたなら。俺は、この世界そのものを壊したい」

 

死柄木は、スピナーを見た。

 

「それだけだ」

 

スピナーは、刃を握りしめた。

 

その言葉を聞いても、彼は死柄木から離れなかった。

 

だが、胸の奥に、かすかな違和感が生まれていた。

 

彼は死柄木を守りたい。

 

けれど、死柄木自身は、自分を救われるべき存在だとは思っていない。

 

彼は世界を壊したい。

 

そして、スピナーは、その破壊の中に、自分の居場所を見つけようとしている。

 

それは、本当に同じ願いなのだろうか。

 

スピナーは、すぐにその考えを振り払った。

 

今さら、迷っている場合ではない。

 

弔を一人にはしない。

 

彼は、そう決めた。

 

「……なら、俺はお前と一緒に行く」

 

スピナーは言った。

 

「お前が望む世界の終わりまで、俺はお前の側にいる」

 

死柄木は、彼を見つめた。

 

「……勝手にしろ」

 

その返事は、感謝ではなかった。

 

約束でもなかった。

 

ただ、拒絶もしなかった。

 

スピナーは、それだけで十分だと思おうとした。

 

しかし、次の瞬間。

 

出久が、彼らへ向かって叫んだ。

 

「スピナー! 君は、本当にそれでいいのか!」

 

スピナーの身体が止まる。

 

「……何だと?」

 

「君は、死柄木を守りたいんだろう!」

 

出久は、死柄木から目を離さずに続けた。

 

「でも、彼が壊すことだけを望んでいるなら、それを手伝うことが、本当に彼のためになるのか!」

 

「黙れ!」

 

スピナーが吠えた。

 

「お前に、何がわかる!」

 

「わからない!」

 

出久は、即座に答えた。

 

その返事に、スピナーは一瞬、言葉を失った。

 

「君がどうして死柄木の側にいるのか、どんなことを見てきたのか、全部を知っているわけじゃない!」

 

出久は、拳を握りしめた。

 

「でも、君が彼を大切に思っていることは、わかる!」

 

「だったら――」

 

「だからこそ、聞きたいんだ!」

 

出久は、声を張り上げた。

 

「君は、死柄木が本当に望んでいることを聞いたのか? それとも、彼を失いたくないから、彼の進む道を支えているのか!」

 

スピナーの目が、見開かれた。

 

「……ふざけるな」

 

「君が彼を大切に思っていることは、否定しない!」

 

出久は続けた。

 

「でも、大切に思うことと、相手の行動をすべて肯定することは違うはずだ!」

 

「お前に何がわかる!」

 

スピナーの声が、戦場へ響いた。

 

「俺は、弔を見捨てない!」

 

「見捨てろなんて言ってない!」

 

出久が叫ぶ。

 

「僕は、彼がやっていることを止める! でも、君まで、何も考えずに彼の破壊に付き合う必要はない!」

 

スピナーは、刃を握りしめたまま、動かなかった。

 

その言葉は、彼の信念を揺るがすものだった。

 

死柄木の側に立つ。

 

それは、彼が自分で選んだことだ。

 

彼が社会から拒絶されてきたと感じていたことも、死柄木の中に似た怒りを見たことも、嘘ではない。

 

だが、死柄木の隣にいることだけが、自分の存在を証明する方法なのだろうか。

 

自分が、死柄木と違う考えを持つことは許されないのか。

 

彼の進む道を疑った瞬間、自分は裏切り者になるのか。

 

スピナーは、その答えを見つけられなかった。

 

そして、答えが見つからないことに、腹が立った。

 

「……黙れえええっ!」

 

彼は、出久へ向かって突進した。

 

七 憤怒の矛先

スピナーの巨体が、戦場を駆け抜ける。

 

地面が砕ける。

 

刃が振られる。

 

出久は黒鞭を伸ばし、横へ跳んだ。

 

しかし、スピナーの攻撃は追ってくる。

 

複数の腕が、違う角度から繰り出された。

 

出久は浮遊を使い、上空へ逃れる。

 

ところが、スピナーはその動きを読んでいた。

 

巨大な刃を振り上げ、空中の出久へ叩きつける。

 

「――っ!」

 

出久は腕を交差させて防御した。

 

衝撃が身体を貫く。

 

彼は空中で弾き飛ばされ、ビルの外壁へ衝突した。

 

「緑谷!」

 

爆豪が叫んだ。

 

スピナーは、地面へ着地した出久へ向かって走った。

 

「弔のことを、勝手に語るな!」

 

刃が振り下ろされる。

 

出久は横へ転がった。

 

刃が地面へ突き刺さる。

 

その隙を見て、出久は黒鞭を伸ばした。

 

スピナーの腕へ絡みつく。

 

彼の巨体を、横へ引きずる。

 

「……っ!」

 

スピナーは抵抗した。

 

巨体が地面を削る。

 

しかし、出久は力任せに引き続けなかった。

 

黒鞭の張力を変え、スピナーの体勢を崩す方向へ誘導する。

 

スピナーの膝が、一瞬だけ曲がった。

 

その隙に、出久は身体を低くして近づいた。

 

「スピナー!」

 

「黙れ!」

 

スピナーは別の腕を振るった。

 

出久は浮遊で回避する。

 

だが、彼は攻撃を返さなかった。

 

「君が死柄木を守りたいと思う理由を、僕は全部知らない!」

 

出久は、黒鞭を解除しながら叫んだ。

 

「だから、君の気持ちを勝手に決めつけるつもりもない!」

 

スピナーの刃が、再び迫る。

 

出久は両足から力を放ち、横へ飛んだ。

 

「でも、君が彼を守るために、ほかの人たちを傷つけるなら、僕は止める!」

 

「それが、お前の正義か!」

 

スピナーが吠える。

 

「そうだ!」

 

出久は、答えた。

 

「少なくとも、今ここで僕が選ぶことは、それだ!」

 

スピナーの目が見開かれた。

 

出久は続ける。

 

「君が死柄木を大切に思っていることと、僕がほかの人たちを守りたいと思うことは、どちらか一方しか認められないものじゃない!」

 

彼は拳を握った。

 

「でも、両方を認めることが難しいからといって、どちらかの命を諦めるわけにはいかない!」

 

スピナーは、低く唸った。

 

「……きれいごとだ」

 

「そうかもしれない!」

 

出久は、即答した。

 

「僕の考えは、まだ不完全なのかもしれない! 僕が見落としていることだって、きっとある!」

 

その言葉に、爆豪が一瞬だけ視線を向けた。

 

出久は、これまでのように、自分の思いを絶対の正解として押し通そうとはしていなかった。

 

自分が正しいと信じること。

 

そして、自分の正しさが不完全かもしれないと認めること。

 

それは、矛盾するようでいて、両立するものだった。

 

「でも、僕が不完全だからといって、何もしないわけにはいかない!」

 

出久は、再び走った。

 

黒鞭を複数方向へ伸ばし、スピナーの腕と脚へ絡ませる。

 

スピナーは、それらを振りほどこうとする。

 

だが、黒鞭は一本ではなかった。

 

出久は周囲の建物を利用し、複数の支点から張力を加えていた。

 

巨体の動きが、わずかに制限される。

 

「爆豪君!」

 

「わかってる!」

 

爆豪が、横から飛び込んだ。

 

両手の爆発が、一気に弾ける。

 

狙いは、スピナーの身体ではない。

 

彼が刃を構えていた腕の外側。

 

爆発の衝撃が、その腕を横へ押し流した。

 

同時に、出久が黒鞭を引く。

 

スピナーの巨体が、地面へ片膝をついた。

 

「ぐっ……!」

 

爆豪は、そのまま追撃することもできた。

 

しかし、彼は攻撃を止めた。

 

出久がスピナーを拘束している。

 

今、必要以上に攻撃を加える必要はない。

 

「……おい、トカゲ」

 

爆豪が言った。

 

「これ以上続けても、お前が守りたいものが守れるとは限らねえぞ」

 

スピナーは歯を食いしばった。

 

「……うるさい」

 

「だったら、考えろ」

 

爆豪は言い切った。

 

「自分が何を守りたいのか。何のために戦っているのか。誰かのために戦ってるつもりなら、そいつが何を望んでいるのかくらい、自分で確かめろ」

 

スピナーの目が揺れた。

 

その瞬間、死柄木の声が響いた。

 

「スピナー!」

 

スピナーが顔を上げる。

 

死柄木は、出久と対峙しながら、彼を見ていた。

 

「俺のために、そいつらの言葉を聞く必要はない!」

 

スピナーの身体が震えた。

 

死柄木は、出久へ視線を戻す。

 

「お前たちが何を言おうと、俺は俺の望むことをする」

 

彼の指先が、地面へ触れた。

 

崩壊が広がる。

 

出久は黒鞭を引き戻し、スピナーから距離を取った。

 

「……スピナー!」

 

死柄木は、低く告げた。

 

「お前が俺の側にいるなら、余計なことを考えるな」

 

その言葉は、命令だった。

 

スピナーは、息を止めた。

 

自分がずっと求めてきたもの。

 

死柄木の側にいること。

 

彼の仲間であること。

 

彼を見捨てないこと。

 

それらが今、別の形で自分へ返ってきていた。

 

余計なことを考えるな。

 

彼の側にいるなら、彼の望みを疑うな。

 

彼を守りたいなら、彼の選択に従え。

 

スピナーの手が、刃を握りしめる。

 

「……弔」

 

小さく、声が漏れた。

 

死柄木は聞こえなかったのか、反応しなかった。

 

「スピナー!」

 

出久が呼びかける。

 

だが、スピナーは答えなかった。

 

彼の中で、何かが揺れていた。

 

八 死柄木弔は、救われたいのか

戦場の中央。

 

出久は、死柄木の正面に立っていた。

 

爆豪は、少し離れた場所でスピナーの動きを警戒している。

 

プロヒーローたちは、避難路と救助活動を維持しながら、戦場へ介入できる位置を確保していた。

 

ロックロックが瓦礫を固定し、マニュアルが水で粉塵を抑える。

 

バブルガールは泡で負傷者の移動を補助し、センチピーダーは建物の内部から最後の避難者を救出していた。

 

戦場は、誰か一人の戦いではない。

 

死柄木を止める者。

 

スピナーを押さえる者。

 

市民を救出する者。

 

崩壊を食い止める者。

 

それぞれの役割が、辛うじて戦線を維持していた。

 

だが、死柄木が一歩進むたび、その均衡は崩れそうになる。

 

彼は、出久を見つめた。

 

「……お前は、本当にしつこいな」

 

出久は、拳を構えたまま答えた。

 

「君が止まらないからだ」

 

「俺が止まれば、救われたことになるのか?」

 

「……」

 

「人を殺さなくなれば、俺は救われたことになるのか?」

 

死柄木は、ゆっくりと歩いた。

 

「俺が、もう何も壊さないと約束すれば?」

 

彼は、自分の手を見つめた。

 

「それで、お前たちは俺を許せるのか?」

 

出久は、首を振った。

 

「僕が許すかどうかで、君がやったことの責任は変わらない」

 

死柄木は、目を細めた。

 

「……そうか」

 

「君が傷つけた人たちは、僕が代わりに許しを与えられる相手じゃない。君が奪ったものも、僕が一言で戻せるわけじゃない」

 

出久は、言葉を選びながら続けた。

 

「君が何を失ってきたのか。何が君をここまで追い詰めたのか。それを知ろうとすることはできる。でも、それが君のしたことを正当化する理由にはならない」

 

死柄木は、出久を見つめた。

 

「……じゃあ、何のために救う?」

 

出久の呼吸が止まった。

 

「……何?」

 

「俺が失ったものを理解して、俺の苦しみを認めて、それでも俺の罪を許さない。俺がやったことを止め、責任を取らせる」

 

死柄木は、首を傾けた。

 

「それを、お前は救いと呼ぶのか?」

 

出久は答えなかった。

 

死柄木が一歩近づく。

 

「お前が救いたいと言うとき、俺の未来はどうなる?」

 

彼の声が、静かに響いた。

 

「俺が、もう誰も傷つけない道を選ばなければならないのか?」

 

「……」

 

「俺が、お前の言う『正しい未来』を選ばなければならないのか?」

 

「違う!」

 

出久は、思わず声を上げた。

 

しかし、その言葉が、自分自身の中でどれほど明確なものなのか。

 

彼は、すぐには言い切れなかった。

 

死柄木は、それを見逃さなかった。

 

「……何が違う?」

 

彼の指先が、空をなぞる。

 

「お前が望む未来を、俺が拒否したら?」

 

「……」

 

「お前が『助ける』と言って差し出した手を、俺が払いのけたら?」

 

死柄木は、出久の目を見た。

 

「お前は、それでも俺を救おうとするのか?」

 

出久は、拳を握りしめた。

 

「……わからない」

 

その答えは、彼自身が思っていたよりも、小さかった。

 

死柄木は動かなかった。

 

出久は、言葉を続けた。

 

「君が僕の手を拒絶したとしても、君を人間として見ることまでやめるつもりはない」

 

「……」

 

「でも、僕が差し出した手を受け取ることを、君に強制するつもりもない」

 

出久は、必死に言葉を探した。

 

「それでも、君が誰かを傷つけようとするなら、僕は止める。君の自由を尊重することと、君が何をしても許すことは、同じじゃないから」

 

死柄木は、しばらく出久を見つめていた。

 

「……それじゃあ」

 

彼は、静かに言った。

 

「お前の救いは、俺が救われたくないと言った時点で、終わるんじゃないのか?」

 

出久は、答えられなかった。

 

死柄木が、ゆっくりと近づく。

 

「俺がお前の手を拒む。お前の言葉を拒む。お前が望む未来を拒む」

 

彼は、顔を歪めた。

 

「そのとき、お前は何をする?」

 

出久は、拳を握りしめたまま、動かなかった。

 

救いたい。

 

その気持ちは、嘘ではない。

 

死柄木の中に、かつて助けを求めていた誰かがいるのなら、そこへ手を伸ばしたい。

 

だが、その願いが、相手の意思を無視することになったら。

 

救われる側が望んでいない未来を、自分の正義によって押しつけることになったら。

 

それは、本当に救済と呼べるのだろうか。

 

出久は、自分が答えを持っていないことを認めざるを得なかった。

 

「……僕は」

 

彼は、顔を上げた。

 

「君を救うという言葉だけで、君の未来を決めることはできない」

 

死柄木の目が、わずかに動いた。

 

「僕が君を救いたいと思っていることは、本当だ。でも、それは、君が僕の望む結末を受け入れなければならない理由にはならない」

 

出久は、拳を構え直した。

 

「君が何を望むのか、僕が全部わかったふりをするつもりはない」

 

「……」

 

「それでも、君がやっていることを止める。君が選んだ行為の責任を、なかったことにはしない」

 

彼の声が、少しだけ強くなった。

 

「でも、君を人間として見ることも、やめない」

 

死柄木は、出久を見つめた。

 

その目には、感動も、感謝もなかった。

 

英雄が期待するような答えを受け取った者の表情ではなかった。

 

ただ、目の前にいる人間の言葉を、測るように見ていた。

 

やがて、死柄木が口を開いた。

 

「……じゃあ、お前は俺を救えないかもしれないな」

 

出久は、息を呑んだ。

 

「そうかもしれない」

 

彼は答えた。

 

「僕は、君を救えると保証できない」

 

死柄木は笑った。

 

「……ははっ」

 

その笑いは、以前のような大きな嘲笑ではなかった。

 

「やっと、少しはまともなことを言ったな」

 

彼は、手を広げた。

 

「お前は俺を救えると信じている。だが、その根拠は、お前自身の願いだけだ」

 

死柄木の指先が、地面へ向かう。

 

「俺が救われたいと思っているかどうかも知らないのに、お前は俺を救うと決めた」

 

崩壊が、ゆっくりと走った。

 

「お前が俺を救うと決めた時点で、俺の気持ちは、もう必要なくなっていたんじゃないのか?」

 

出久は、動かなかった。

 

死柄木の言葉を否定することはできなかった。

 

自分は、彼を救いたいと思った。

 

その思いを、本物だと信じている。

 

だが、その願いが本物であることと、その願いが正しいことは同じではない。

 

彼を救いたい。

 

だから、彼に救われてほしい。

 

その気持ちが、いつしか「彼は救われるべきだ」という結論へ変わっていたのではないか。

 

出久は、胸の奥が重くなるのを感じた。

 

死柄木は、その沈黙を見ていた。

 

「……答えられないか」

 

彼は、地面を踏み砕いた。

 

「なら、もう終わりだ」

 

崩壊の波が、一気に広がった。

 

「俺は、お前に救われるために生きているんじゃない!」

 

九 救う側の正義

崩壊が、出久の足元へ迫った。

 

彼は浮遊を使い、上空へ逃れた。

 

黒鞭を伸ばし、複数の建造物へ絡みつく。

 

同時に、危険感知が警告を鳴らした。

 

死柄木が跳んでくる。

 

速い。

 

出久は、右へ身体をひねった。

 

死柄木の腕が、脇を通過する。

 

彼は、空中で身体を回転させながら、死柄木の背後へ回った。

 

「フルカウル!」

 

一気に加速する。

 

だが、死柄木は振り返りざまに腕を振るった。

 

出久は黒鞭を使い、衝撃を受け流す。

 

二人の身体が交差する。

 

空中で、拳と腕がぶつかった。

 

「……っ!」

 

出久の腕が、悲鳴を上げる。

 

死柄木は、そのまま彼を地面へ叩き落とそうとした。

 

出久は浮遊を強め、落下の勢いを殺す。

 

その瞬間、死柄木が指を伸ばした。

 

出久は、身体をひねる。

 

指先が、胸元をかすめた。

 

危険感知が、最大級の警告を鳴らした。

 

出久は、背中から黒鞭を放つ。

 

崩れたビルの柱へ絡ませ、全力で身体を引き上げた。

 

そのまま、一気に距離を取る。

 

死柄木は追ってきた。

 

「逃げるのか、緑谷!」

 

「違う!」

 

出久は叫んだ。

 

「君の話を聞くために、立ち止まる必要はない!」

 

死柄木が目を細めた。

 

出久は、空中で身体を回転させながら続けた。

 

「僕が君の言葉を聞くことと、君に攻撃を当てることは、両立する!」

 

出久は両手を広げた。

 

黒鞭が、複数の方向へ伸びる。

 

それらは死柄木の身体を直接拘束するのではなく、周囲の瓦礫を引き上げていた。

 

巨大なコンクリート片が、空中へ浮かぶ。

 

死柄木の進路を塞ぐ。

 

出久はそれらの間を縫うように移動し、死柄木の攻撃を避け続けた。

 

「僕は、君の言葉を聞く!」

 

黒鞭が、別の瓦礫を動かす。

 

「でも、君の攻撃を受け続けることが、君を理解することだとは思わない!」

 

死柄木が、瓦礫を破壊する。

 

出久は、その破片を利用して方向を変えた。

 

「君が僕を拒絶しても、僕は君を人間として見る!」

 

彼は加速する。

 

「でも、君が誰かを傷つけるのを止めるために、僕は戦う!」

 

死柄木の拳が、出久の身体をかすめた。

 

衝撃が走る。

 

出久は、歯を食いしばった。

 

「君の意思を尊重したいからこそ、君が他人の意思を奪うことを、見過ごすわけにはいかない!」

 

その言葉に、死柄木の表情が変わった。

 

怒り。

 

嘲笑。

 

そして、ほんのわずかな苛立ち。

 

「……そんなことを言いながら」

 

死柄木は、両腕を広げた。

 

「結局、お前も俺のやることを止めるんだろうが!」

 

彼の手が、地面へ向かう。

 

「なら、何が違う!」

 

崩壊の波が広がった。

 

出久は、浮遊で上昇する。

 

その瞬間、彼は気づいた。

 

死柄木の攻撃は、彼自身だけを狙っているわけではない。

 

出久が避ける先。

 

彼が避難者を運んだ区域。

 

サイドキックたちが確保している通路。

 

すべてが、崩壊の進路に含まれている。

 

「……っ!」

 

出久は、即座に進路を変えた。

 

黒鞭で建物の残骸を引き寄せ、崩壊の進行を一瞬だけ遮る。

 

しかし、崩壊は止まらない。

 

瓦礫が消えていく。

 

道路が裂ける。

 

建物の外壁が、砂のように崩れ落ちていく。

 

「ロックロックさん!」

 

出久が叫んだ。

 

「東側の壁が崩れます! 避難路を――!」

 

「もう固定してる!」

 

ロックロックが返す。

 

彼は両手を壁面へつけ、動きを固定しようとしていた。

 

だが、崩壊の力は強い。

 

固定したはずのコンクリートが、細かな破片へ変わっていく。

 

「長くは持たない! 避難者を移動させろ!」

 

マニュアルが水を操り、負傷者の身体を押し流すように安全区域へ運ぶ。

 

バブルガールは泡を展開し、落下してくる瓦礫を受け止めた。

 

センチピーダーが、建物の内部へ身体を伸ばし、取り残された市民を救出する。

 

しかし、まだ足りない。

 

出久は、死柄木を見た。

 

彼を止めたい。

 

だが、目の前で崩壊が広がっている。

 

どちらか一方だけを選ぶことはできない。

 

「……僕は!」

 

出久は、黒鞭を一斉に伸ばした。

 

複数の建物の柱を引き寄せる。

 

その間に、ロックロックが固定をかける。

 

セメントスがコンクリートを操作し、崩壊の進路を分散させた。

 

爆豪が、上空から爆発を放つ。

 

「デク! 右側だ!」

 

爆発の風圧が、崩れかけた瓦礫の方向を変えた。

 

出久は、その一瞬を利用した。

 

黒鞭で避難者を引き寄せ、浮遊で安全区域へ運ぶ。

 

一人。

 

二人。

 

三人。

 

彼は、崩れゆく街の中で、救助を続けた。

 

死柄木は、それを見ていた。

 

「……まだやるのか」

 

彼は、つぶやいた。

 

「お前が何をしても、俺がやめるとは限らないぞ」

 

出久は答えなかった。

 

今は、救助が先だ。

 

その判断を、迷わなかった。

 

死柄木は、出久の背中を見つめた。

 

彼の問いに、出久は完全な答えを返していない。

 

それでも、彼は自分が助けたくない相手を、見捨てることもしなかった。

 

死柄木は、指先を握りしめた。

 

「……本当に、理解できないな」

 

彼の声は、誰にも届かなかった。

 

十 救われたいと、言わせるな

救助活動が一段落したとき、出久は再び死柄木の前に立った。

 

呼吸は荒い。

 

腕は痛む。

 

制服は裂け、身体のあちこちに傷がついている。

 

それでも、彼は立っていた。

 

死柄木もまた、出久を見つめていた。

 

二人の間には、崩れた街が広がっている。

 

避難者たちは、安全な場所へ移動していた。

 

プロヒーローとサイドキックたちは、崩壊の拡大を抑えるため、各区域で対応を続けている。

 

そして、スピナーは爆豪と向き合っていた。

 

戦場は、完全には落ち着いていない。

 

だが、わずかな時間だけ、出久と死柄木は互いの言葉を聞ける位置に立っていた。

 

出久は、口を開いた。

 

「……死柄木」

 

「何だ」

 

「僕は、君に救われたいと言ってほしいわけじゃない」

 

死柄木は、目を細めた。

 

「……ほう?」

 

「君が本当に救われたいと思っているかどうか、僕にはわからない。君が何を望んでいるのかも、全部わかったわけじゃない」

 

出久は、拳を握りしめた。

 

「だから、君に『本当は救われたいんだろう』って、勝手に決めつけるべきじゃなかったのかもしれない」

 

死柄木は、黙っていた。

 

出久は続けた。

 

「でも、僕が君のことを知ろうとするのを、やめるつもりもない」

 

死柄木の口元が歪む。

 

「……お前は、どこまでも自分勝手だな」

 

「そうかもしれない」

 

出久は、答えた。

 

「僕は、君を救いたいと思っている。君が拒絶しても、その気持ちがなくなるとは限らない」

 

彼は、顔を上げた。

 

「でも、その気持ちを理由に、君へ何かを強制するつもりはない」

 

死柄木は、ゆっくりと笑った。

 

「強制するつもりはない、か」

 

彼は片手を広げた。

 

「だが、俺を止めるつもりなんだろう?」

 

「そうだ」

 

出久は、迷わず答えた。

 

「君の行為を止める。君が傷つけた人たちの存在を、なかったことにはしない」

 

彼は、少しだけ息を吐いた。

 

「そして、君が責任を負う必要があるなら、そのことも曖昧にしない」

 

死柄木の笑みが消えた。

 

「……なら、お前の救済に、俺の望むものは必要ないんだな」

 

「違う」

 

出久は、すぐに答えた。

 

「必要だよ」

 

死柄木が、わずかに目を見開く。

 

「君が何を望むのか、君の話を聞かずに決めることはできない。君の意思が、僕の考えと違っていても、それをなかったことにはできない」

 

出久は拳を下ろした。

 

「でも、君の望みを聞くことと、その望みを全部叶えることは違う」

 

死柄木は、しばらく黙っていた。

 

やがて、低く言った。

 

「……お前の言うことは、矛盾している」

 

「うん」

 

出久は頷いた。

 

「そうかもしれない」

 

「俺の意思を尊重すると言いながら、俺を止める」

 

「そうだ」

 

「俺のことを理解したいと言いながら、俺の望みをすべて肯定するわけじゃない」

 

「そうだ」

 

「お前は、俺を救えないかもしれないと言った」

 

「……うん」

 

「それでも、救いたいと思うのか」

 

出久は、目を閉じた。

 

自分は、死柄木を救いたい。

 

それは本当だ。

 

しかし、その願いが、彼の意思を無視してまで貫くべきものなのか。

 

その問いには、まだ答えがない。

 

出久は、ゆっくりと目を開いた。

 

「……僕は、君を救いたいと思っている」

 

彼は言った。

 

「でも、僕の救いたいという気持ちだけで、君の未来が決まるわけじゃない」

 

死柄木は、彼を見つめた。

 

「君が僕を拒絶するなら、それを受け止める必要がある。君が僕の手を取らないなら、それを無理やり握らせることはできない」

 

出久は、拳を握り直した。

 

「でも、君が誰かを傷つけるなら、僕は止める」

 

その声には、迷いがあった。

 

だが、それは弱さだけから来る迷いではなかった。

 

自分が正しいと信じること。

 

その正しさが、不完全かもしれないと認めること。

 

相手の望みを聞くこと。

 

その望みを、すべて肯定するわけではないこと。

 

その矛盾から逃げないこと。

 

「僕は、まだ答えを持っていない」

 

出久は、死柄木を見据えた。

 

「君を救うって、どういうことなのか。君が拒絶したとき、どこまで手を伸ばすべきなのか。君が何も望まないと言ったら、僕は何をすればいいのか」

 

彼は息を吸った。

 

「でも、わからないからって、考えることをやめたくない」

 

死柄木は、長い沈黙の後、笑った。

 

「……なら、考え続けろ」

 

彼は、ゆっくりと手を上げた。

 

「俺は、その答えが見つかるまで待つつもりはない」

 

出久の身体が、緊張する。

 

死柄木の指が開く。

 

「俺は、俺の望むことをする」

 

地面が震えた。

 

「お前が答えを見つける前に、すべてを壊してやる!」

 

崩壊が、一気に広がった。

 

出久は黒鞭を伸ばした。

 

爆豪が上空から飛び込む。

 

「デク!」

 

「わかってる!」

 

二人は、同時に動いた。

 

出久は、崩壊の波を避けながら、死柄木の腕を拘束しようとする。

 

爆豪は、横から爆発を放ち、死柄木の進路を変える。

 

二人の連携が、戦場を切り開いた。

 

だが、死柄木は止まらない。

 

彼の身体は、さらに強く、さらに速く動いていた。

 

スピナーもまた、爆豪の拘束を振りほどこうとしている。

 

プロヒーローたちは、崩壊を食い止めながら、避難者を安全区域へ移動させ続けていた。

 

戦いは、終わっていない。

 

出久は、死柄木を見つめた。

 

彼の問いには、まだ答えがない。

 

救いたいという願いは、相手が拒絶しても変わらないのか。

 

救えない相手を前にしても、救うことを諦めないのか。

 

そもそも、自分が考える救済は、相手の意思を本当に尊重しているのか。

 

出久は、そのすべてに答えられなかった。

 

それでも、彼は拳を握った。

 

答えが不完全だからといって、行動を放棄するわけにはいかない。

 

ただし、自分の正義を、絶対のものだと思い込むわけにもいかない。

 

彼は、死柄木へ向かって走った。

 

「死柄木弔!」

 

声が、崩壊の轟音を突き抜ける。

 

「僕は、君を救えると約束できない!」

 

死柄木の目が、出久を捉えた。

 

「でも、君を人間じゃないものとして扱うことも、やめない!」

 

黒鞭が伸びる。

 

爆発が弾ける。

 

二人は、再び死柄木へ挑みかかった。

 

「だから――!」

 

出久の拳が、死柄木へ迫る。

 

「僕は、君を止める!」

 

拳が、衝突した。

 

衝撃が大地を揺らした。

 

そして、死柄木の声が響いた。

 

「だったら、止めてみろ!」

 

その言葉を最後に、二人の姿は爆煙と瓦礫の向こうへ消えた。

 

十一 憤怒は、誰のものなのか

戦場の外縁。

 

スピナーは、巨大な身体を起こした。

 

爆豪の攻撃で、いくつかの装甲が剥がれている。

 

腕には傷があり、刃の一本が折れていた。

 

それでも、彼は立ち上がった。

 

彼の視線は、死柄木の背中を追っていた。

 

弔は、救われたいのか。

 

その問いが、頭の中で繰り返される。

 

スピナーは、ずっと死柄木を守ることが、自分にできる唯一のことだと思っていた。

 

彼が壊そうとする世界へ、自分も刃を向ける。

 

彼が拒絶するものを、自分も拒絶する。

 

彼が選んだ道の終わりまで、ついていく。

 

それが、仲間であることだと信じていた。

 

だが、爆豪の言葉が、頭から離れない。

 

「本当にあいつの仲間だって言うんなら、あいつが自分の選択で誰かを壊そうとしたとき、止めることも考えろ!」

 

スピナーは、歯を食いしばった。

 

そんなことをしたら、何が残る。

 

死柄木を止めたら、自分は彼を裏切ることになるのではないか。

 

彼の怒りを否定することになるのではないか。

 

そして、自分が彼の隣にいた意味まで、失われてしまうのではないか。

 

「……弔」

 

スピナーは、つぶやいた。

 

その瞬間、死柄木が、煙の向こうから声を上げた。

 

「スピナー!」

 

スピナーは、顔を上げる。

 

「まだ動けるだろうな!」

 

「……ああ!」

 

「なら、来い!」

 

死柄木は、前を向いたまま叫んだ。

 

「俺の邪魔をする奴らを、全部壊す!」

 

スピナーは、刃を握りしめた。

 

その声に、彼の心は再び引き寄せられる。

 

彼は、死柄木の側にいたい。

 

彼を一人にしたくない。

 

その願いは、今も消えていない。

 

だから、スピナーは走り出した。

 

しかし、その胸の奥には、小さな問いが残っていた。

 

自分は、死柄木を守りたいのか。

 

それとも、死柄木の側にいる自分を失いたくないのか。

 

その違いを、今すぐに答えることはできない。

 

彼は、まだ答えを持っていなかった。

 

けれど、問いが生まれたという事実まで、なかったことにはできなかった。

 

戦場の中央では、出久と爆豪が死柄木を追い詰めようとしている。

 

プロヒーローとサイドキックたちは、避難者を救いながら、次の崩壊に備えている。

 

誰も、完全な正解を持ってはいない。

 

それでも、誰かが選び、誰かが止め、誰かが守ろうとしている。

 

憤怒は、死柄木だけのものではない。

 

社会から見落とされたことへの怒り。

 

大切な人を失うことへの恐怖。

 

誰かを救いたいという願いが、拒絶されたときに生まれる苛立ち。

 

自分の正しさを疑いたくないという感情。

 

そして、自分が信じたものを守るために、何もかもを敵に回そうとする衝動。

 

それらは、形こそ違えど、誰の中にも生まれ得るものだった。

 

問題は、怒りが存在することではない。

 

その怒りを理由に、誰の意思を奪うのか。

 

誰を傷つけるのか。

 

何を壊すのか。

 

そして、その責任から逃げるのか。

 

戦場に立つ者たちは、それぞれの答えを問われていた。

 

出久は、死柄木を救いたい。

 

爆豪は、目の前の命を守るために死柄木を止める。

 

スピナーは、死柄木の隣に立ち続けたい。

 

そして死柄木は、彼らのどの答えも、自分の望む結論として受け入れるつもりはなかった。

 

だからこそ、戦いは続く。

 

誰かの正義だけでは終わらない。

 

誰かの願いだけでは決められない。

 

それでも、選ばなければならない。

 

憤怒を受け継ぐ者たちの戦いは、まだ始まったばかりだった。

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