一 怪物と呼ばれた男
「弔に、近づくな……!」
スピナーは、拘束された腕を無理やり引いた。
巨大な手足を覆う鱗が擦れ、拘束に使われた金属が軋む。ロックロックの個性によって固定された瓦礫が、彼の巨体を押さえ込んでいた。
センチピーダーが長い身体を伸ばし、その腕を巻きつけている。
マニュアルの水流が足元へ広がり、バブルガールの泡が関節の動きを妨げていた。
普通の人間ならば、とっくに身動きが取れなくなっている。
だが、スピナーは違った。
かつて異形の姿を理由に他人から遠ざけられ、社会の片隅で生きてきた男は、今では人間離れした巨体と力を得ている。
それは、彼が望んでいた姿だったのだろうか。
違う。
少なくとも、最初からこんな姿になりたかったわけではない。
彼が望んでいたのは、もっと単純なものだった。
誰かに、普通に話しかけてもらうこと。
通りを歩いても、顔を見て避けられないこと。
生まれつきの姿を理由に、最初から悪人だと決めつけられないこと。
そして、自分がここにいてもいいのだと、思えること。
「……くそっ!」
スピナーは、歯を食いしばった。
ロックロックが彼の目の前へ立つ。
「無駄な抵抗はやめろ。今のまま暴れれば、周囲の建物まで巻き込む」
「黙れ……!」
「聞け。俺たちはお前を痛めつけるために、ここにいるわけじゃない」
「なら、弔を放っておけ!」
スピナーは吠えた。
「俺をどうしようが構わない! だが、弔には近づくな!」
ロックロックの表情が険しくなる。
「それはできない」
「なぜだ!」
「死柄木が、まだ破壊を続けているからだ」
「それがどうした!」
スピナーは、巨体を揺らした。
「弔が何を失ったのか、お前たちは知らないだろう! あいつが何を見てきたのかも、何を憎んでいるのかも知らないくせに!」
彼の怒号が、戦場を震わせる。
「それなのに、お前たちはあいつを止めると言う! あいつを救うと言う! あいつが本当は何を望んでいるのか、聞く前からな!」
「……」
ロックロックは、すぐには答えなかった。
その沈黙を、スピナーは嘲るように笑った。
「ほらな! 答えられないだろう!」
彼は拘束された腕を引いた。
「お前たちは、いつもそうだ! 自分たちの都合で誰かを分類して、敵と味方を決めて、正しいことを言っているつもりになる!」
センチピーダーが身体を締め直す。
「暴れないでください! こちらもあなたを傷つけたくはありません!」
「なら、離せ!」
「それはできません!」
「だったら同じことだ!」
スピナーが身体をねじった。
巨体の背中が、建物の残骸へぶつかる。
ロックロックの固定した瓦礫が、一部だけ砕けた。
「……っ!」
ロックロックが即座に後退する。
スピナーは、その隙に膝を立てた。
巨大な身体が、地面から起き上がり始める。
マニュアルが水流を放つ。
水はスピナーの顔面を狙わず、足元へ流れ込んだ。滑りやすくなった地面が、巨体の踏ん張りを奪う。
バブルガールは、脚部へ泡を集中させた。
泡が連なり、関節の動きを妨げる。
センチピーダーが長い身体を巻きつけ、再び巨体を押さえ込もうとする。
「三人がかりか……!」
スピナーは、歯をむき出した。
「それでも、俺は退かない!」
その声を聞いたとき、彼の脳裏に、別の光景が浮かんだ。
瓦礫でも、爆発でもない。
静かな部屋。
薄暗い照明。
そして、あの日、初めて自分の怒りを真正面から受け止めた男の姿。
――死柄木弔。
スピナーは、思い出していた。
自分が、あの男の背中を追いかけると決めた日のことを。
二 世界が自分を見ていない
スピナーがまだ、今のような巨体ではなかったころ。
彼は、社会の中で生きていた。
生きていた、という表現が正しいのかはわからない。
仕事を探す。
断られる。
別の場所へ行く。
また、断られる。
道を歩けば、子供が親の背後へ隠れる。
店へ入れば、客の視線が集まる。
何もしていないのに、何かをした人間のように扱われる。
彼の顔を見た者が、最初に考えること。
それは、彼が何を考えているのかではなかった。
どんな人間なのかでもなかった。
ただ、見た目の違いだった。
「……悪いな。うちは、そういう仕事じゃないんだ」
職を求めた先の男は、視線を逸らしながら言った。
「そういう仕事って、何だよ」
スピナーは尋ねた。
「俺は仕事を探しに来た。働けるかどうかを聞いてるだけだ」
「だから、そういうことじゃなくて……」
男は言葉を濁した。
その目は、スピナーの顔から離れなかった。
「客が怖がるかもしれないだろう?」
「……俺が何かしたのか?」
「いや、そうじゃない。だが、見た目ってものがあるだろう」
スピナーは、しばらく何も言わなかった。
言い返すことはできた。
相手が何を見ているのか、何を恐れているのか、問いただすこともできた。
だが、何を言ったところで、答えは変わらない気がした。
相手は、もう結論を出している。
スピナーは、働かせるべき人間ではない。
怖い。
不安だ。
面倒だ。
そう決められている。
「……そうかよ」
彼は、店を出た。
外の空気は、いつもと同じだった。
人は歩き、車は走り、誰かが笑っている。
世界は何も変わらない。
自分が一つ断られても、世の中は普通に進む。
別の誰かが仕事を見つけても、誰かが家へ帰っても、誰かが家族と食事をしても、彼には関係がない。
自分が何に苦しんでいるのかなど、誰も知らない。
いや。
知らないだけなら、まだよかった。
彼の存在そのものを、見ないふりされているような気がした。
「……俺は、ここにいるのに」
その言葉は、誰にも届かなかった。
彼は、その日も帰った。
翌日も、同じような日々が続いた。
自分の姿を変えられないことが、悔しかった。
自分の個性を、何かの役に立つ形で使えないことも、悔しかった。
何より、自分が何をしようと、最初から見てもらえないことが、腹立たしかった。
彼は、ヒーローに憧れていたわけではない。
誰かを救う存在になりたいと願っていたわけでもない。
ただ、世界のどこかに、自分を見てくれる場所があると信じたかった。
自分の外見だけではなく、考えや感情まで、ひとりの人間として扱ってくれる場所が。
だが、その場所を見つける前に、彼は別のものを見つけた。
ヒーロー殺し、ステイン。
彼の思想が世間を騒がせていたころ、スピナーは、その言葉に引き寄せられた。
偽物のヒーロー。
金や名声のために動く者。
本当に救うべき人間から目を逸らす者。
ステインの言葉は、スピナーの中に積み重なっていた不満と結びついた。
もちろん、スピナーはステインのすべてに賛同していたわけではない。
彼の思想が、どれほど危険な方向へ向かいうるのか、十分に理解していたわけでもなかった。
それでも、彼が口にする言葉の一部は、自分が感じていた世界の歪みを言い表しているように思えた。
誰かを救うと名乗る者たちが、本当にすべてを見ているのか。
社会からこぼれ落ちた者たちは、誰が見てくれるのか。
ヒーローが守る世界の中に、自分の居場所はあるのか。
スピナーは、答えを持っていなかった。
ただ、怒りだけがあった。
そして、その怒りに名前を与えてくれたのが、ステインだった。
彼は、記事を読む。
映像を探す。
ステインの言葉を繰り返し思い出す。
そのうち、彼の中で一つの思いが強くなった。
自分のような人間が、世の中に存在していることを、誰かに突きつけたい。
自分の存在を、無視できないものにしたい。
それが正しいのかどうか。
その先に何があるのか。
彼は、まだ考えていなかった。
彼は、ただ、自分の怒りが誰かに届くことを望んでいた。
三 死柄木弔との出会い
死柄木弔と初めて顔を合わせたとき、スピナーは彼を見て、少し拍子抜けした。
もっと威圧的な男を想像していた。
大勢の人間を従え、世界を壊すと宣言するような、わかりやすい指導者。
だが、目の前にいた男は、そんな人物には見えなかった。
部屋の中で、気だるそうに座っている。
ゲームのコントローラーをいじり、時折、苛立ったように舌打ちする。
周囲にいる者たちも、それぞれ好き勝手に過ごしていた。
スピナーは、思わず眉をひそめた。
「……本当に、ここなのか?」
死柄木が顔を上げる。
「何だ、お前」
その声は、興味がなさそうだった。
「俺は……」
スピナーは一瞬、言葉に詰まった。
自分が何者なのか。
何のために来たのか。
何を望んでいるのか。
それらを、相手へ伝えなければならない。
だが、いざ口にしようとすると、自分がどれほど曖昧な思いでここへ来たのかを思い知らされた。
「……俺は、ステインの考えに共感している」
ようやく、それだけを言った。
死柄木は、少しだけ目を細めた。
「へえ」
「偽物のヒーローを許せない。世の中には、誰も見ようとしないものがある。俺は、それを変えたいと思っている」
スピナーは、言葉を継いだ。
「俺は、お前たちの活動に協力したい」
死柄木は、コントローラーを置いた。
そして、スピナーを見た。
その視線に、彼は一瞬、身構えた。
馬鹿にされるかもしれない。
考えが浅いと言われるかもしれない。
見た目を理由に、仲間として扱われないかもしれない。
だが、死柄木が口にしたのは、予想していた言葉ではなかった。
「……それで、お前は何をするんだ?」
スピナーは、戸惑った。
「何を、って……」
「世界を変えたいんだろう?」
死柄木は、椅子から立ち上がった。
「偽物のヒーローが嫌いなんだろう?」
「ああ」
「じゃあ、何を変える?」
スピナーは、口を開いた。
言葉が出なかった。
彼は、世界が気に入らなかった。
自分を見てくれない社会に腹を立てていた。
だが、それをどう変えればいいのか。
どんな社会を作りたいのか。
具体的に何をすべきなのか。
答えられなかった。
死柄木は、そんな彼を見て笑った。
「……何も考えてないんだな」
その言葉に、スピナーの胸が熱くなった。
「……何だと?」
「お前は世界が嫌いだ。でも、どうしたいのかはわからない。自分が何を変えたいのかも、どこへ行きたいのかも、まだ決めていない」
死柄木は、肩をすくめた。
「それで、俺たちのところへ来たのか」
スピナーは拳を握った。
「……ああ、そうだよ」
彼は、顔を上げた。
「俺は、まだ答えを持っていない。だが、この世界に不満があることは間違いない!」
声が、震えた。
怒りのせいなのか。
恥ずかしさのせいなのか。
自分でも、わからなかった。
「俺は、何も持っていない。社会を変える方法も、誰かを動かす言葉も、自分の怒りをどうすればいいのかも……わからない!」
彼は、死柄木を見つめた。
「それでも、何もしないまま終わりたくないんだ!」
死柄木は、しばらく黙っていた。
やがて、口元を歪めた。
「……それなら、ここにいればいい」
スピナーは、耳を疑った。
「何?」
「俺たちは、英雄みたいにきれいなことを言うつもりはない」
死柄木は、背を向けた。
「この世界が気に入らない。壊したい。そう思っているなら、ここにいればいい」
そして、何でもないことのように言った。
「お前が何者なのか、俺が決める必要はないだろう?」
スピナーは、息を止めた。
彼の姿を見て、最初に怪物だと決めつけたわけではない。
彼の考えが浅いとわかったからといって、追い返したわけでもない。
死柄木は、スピナーが答えを持っていないことを、見抜いていた。
そのうえで、彼を拒絶しなかった。
それは、スピナーにとって大きな出来事だった。
初めて、自分の怒りを、怒りのまま見てもらえた気がした。
もちろん、死柄木が自分を完全に理解してくれたわけではない。
彼は、スピナーの過去をすべて知っていたわけでもない。
スピナーがどれほどの拒絶を受けてきたのか、どんな日々を過ごしてきたのか、細かなことまでは知らないはずだ。
それでも、彼は言った。
ここにいればいい。
その言葉が、スピナーには、どんな立派な演説よりも強く響いた。
自分がいてもいい場所。
自分の怒りを、最初から否定されない場所。
ここなら、何かが変わるかもしれない。
スピナーは、死柄木の背中を見つめた。
そして、決めた。
この男についていこう。
彼が、世界を壊そうとするなら。
自分も、その道を歩こう。
自分を見つけてくれた男の隣で、自分の存在を証明しよう。
その決意が、どんな未来へつながるのか。
そのときのスピナーには、まだわからなかった。
四 信頼は、命令ではない
「――弔を、止めさせるものか!」
現在の戦場。
スピナーは、再び巨体を起こした。
ロックロックが固定した瓦礫を押しのけ、センチピーダーの拘束を振りほどこうとする。
巨大な腕が動いた。
センチピーダーの身体が引っ張られる。
「くっ……!」
マニュアルが水流を放ち、スピナーの腕を押し返した。
バブルガールの泡が、関節へ集まる。
だが、スピナーは力任せに身体を捻った。
拘束が緩む。
「弔の邪魔をする奴は、俺が止める!」
彼は、刃を振り上げた。
ロックロックは即座に瓦礫を固定し、盾を作った。
刃が叩きつけられる。
衝撃が響く。
「……っ!」
ロックロックは押し込まれた。
だが、盾を手放さなかった。
「お前は……!」
スピナーが吠える。
「どうして、そこまでして弔を守ろうとする俺を止める!」
ロックロックは、歯を食いしばりながら答えた。
「お前が、死柄木を守りたいからだ!」
「何だと!」
「その思いが、本物だからこそだ!」
スピナーの動きが、一瞬だけ鈍った。
ロックロックは続ける。
「仲間を大切に思うことを、俺たちは否定していない!」
固定した瓦礫が、軋む。
「だが、その気持ちが本物だからといって、仲間がやることを全部肯定しなければならないわけじゃない!」
スピナーは、刃を握りしめた。
「……また、同じことを!」
「何度でも言う!」
ロックロックは、真正面からスピナーを見た。
「お前は、死柄木のために戦っていると言ったな!」
「そうだ!」
「なら、死柄木が今やっていることを見ろ!」
ロックロックは、戦場の中央を指した。
そこでは、死柄木が出久と爆豪を相手に戦っていた。
崩壊が広がる。
道路が裂ける。
建物が崩れ落ちる。
救助を終えたはずの区域へ、再び危険が迫っていた。
「お前が守ろうとしている相手は、何をしている?」
スピナーは、口を開いた。
言葉が出ない。
「死柄木が何を失ったのか。それを知ろうとすることは大切だ」
ロックロックは続けた。
「だが、今この瞬間に、死柄木が誰を傷つけようとしているのかを見ないまま、過去だけを理由に守り続けるなら、それは本当に死柄木のためなのか?」
スピナーの呼吸が荒くなる。
「……お前に、何がわかる!」
彼は、刃を振った。
ロックロックは固定した壁で受け止めた。
「わからないことはある!」
その返事は、意外なほど力強かった。
「お前が死柄木と過ごした時間も、二人の間にあるものも、全部知っているわけじゃない!」
ロックロックは、押し返した。
「だが、俺たちが見ているものまで、なかったことにはできない!」
スピナーの巨体が、後退する。
ロックロックは一歩前へ出た。
「お前が死柄木を見捨てないと決めたこと。それは、お前自身の選択だ!」
彼は、スピナーを見つめた。
「だったら、その選択で何をするのかも、お前自身で考えろ!」
スピナーは、低く唸った。
「……俺は、弔を一人にしない」
「なら、隣に立って、止めるべきときには止めることも考えろ!」
ロックロックの声が、戦場へ響いた。
「相手を信じるっていうのは、相手が何をしても目を閉じることじゃない!」
その言葉に、スピナーの胸が強く締めつけられた。
自分は、死柄木を信じている。
そう思っていた。
彼の隣に立ち、彼が選ぶ道を支持し、彼の敵と戦う。
それが、信頼なのだと思っていた。
だが、もし死柄木が、自分の怒りに飲み込まれたまま進んでいるのだとしたら。
もし彼が、もう誰にも止められないと思い込んでいるのだとしたら。
そのとき、スピナーが黙って従い続けることは、本当に彼を信じることになるのだろうか。
それとも、彼が変わる可能性を、最初から捨ててしまうことになるのか。
スピナーは、歯を食いしばった。
「……俺は、弔を裏切らない」
その言葉は、自分自身へ向けたものでもあった。
ロックロックは、静かに答えた。
「裏切るなとは言っていない」
「……」
「ただ、自分の頭で考えろと言っているんだ」
その瞬間、スピナーは動いた。
地面を蹴る。
巨大な刃が、ロックロックへ迫る。
ロックロックは固定した壁を動かし、攻撃の軌道を逸らした。
センチピーダーが横から身体を伸ばす。
マニュアルが水流を放ち、スピナーの足元を崩す。
バブルガールが泡を連続して飛ばし、腕の動きを抑えた。
四人の連携が、一斉にスピナーへ襲いかかった。
スピナーは、力だけで突破しようとした。
しかし、今度は簡単にはいかなかった。
彼らは、巨体の力を受け止めるだけではない。
進路を変え、支点を崩し、動ける範囲を少しずつ削っている。
「くそっ……!」
スピナーは、刃を振り抜いた。
その刃が、ロックロックの固定した瓦礫を砕く。
だが、その瞬間、センチピーダーが背後へ回り込んだ。
長い身体が、スピナーの胴体へ巻きつく。
「今です!」
マニュアルの水流が、地面を横切った。
滑った足が、わずかに浮く。
スピナーの重心が崩れる。
バブルガールが泡を放ち、肘と膝の動きを制限した。
最後に、ロックロックが両手を広げた。
「動くな!」
周囲の瓦礫が、スピナーの身体を支えるように固定された。
巨体が、地面へ押し戻された。
「ぐっ……!」
スピナーは、歯を食いしばった。
動けない。
今すぐ死柄木のもとへ向かうこともできない。
彼の目は、戦場の中央を追っていた。
その先で、死柄木が出久と爆豪に向かっている。
スピナーは、何度も名を呼びそうになった。
だが、その声は、喉の奥で止まった。
自分は、何をしようとしているのだろう。
死柄木のために、ここから抜け出そうとしている。
それは、間違いない。
だが、その先で何をするのか。
死柄木の敵を倒すのか。
死柄木の進路を守るのか。
それとも。
スピナーは、目を閉じた。
考えようとするたび、胸の奥に怒りが湧いた。
考えること自体が、裏切りのように感じられた。
それでも、彼はもう、その問いを聞かなかったことにはできなかった。
五 死柄木の背中
「スピナー!」
戦場の中央から、死柄木の声が響いた。
スピナーは、反射的に顔を上げた。
死柄木は、出久と爆豪の連携を受けながら、こちらを見ていた。
「まだ動けるだろう!」
その声には、命令の響きがあった。
「こいつらを退かせろ!」
スピナーの心臓が、強く打った。
――来た。
自分を必要としている。
自分にしかできないことがある。
死柄木の役に立てる。
その思いが、彼の中に一気に広がった。
「……ああ!」
スピナーは答えた。
「わかった、弔!」
彼は、再び身体を動かした。
拘束された腕へ力を込める。
固定された瓦礫が軋む。
センチピーダーが身体を締め直す。
「無理です! これ以上動けば、拘束が外れます!」
「なら、外してみろ!」
スピナーは、巨体をねじった。
固定された瓦礫の一部が、ついに砕けた。
「――っ!」
ロックロックが後退する。
スピナーは、その隙を逃さなかった。
巨大な腕でセンチピーダーの身体を押し退け、バブルガールの泡を振り払う。
マニュアルの水流が、彼の足を狙った。
スピナーは刃を地面へ突き刺し、無理やり踏みとどまった。
「弔のところへ……!」
彼は走り出した。
目の前にいるヒーローたちを押しのける。
その進路に、ロックロックが立ちはだかった。
「行かせない!」
「どけ!」
スピナーの拳が振り下ろされる。
ロックロックは固定した壁を盾にする。
衝撃が走る。
壁に、深い亀裂が入った。
だが、ロックロックは退かなかった。
「お前は、何のために行く!」
「決まっている!」
スピナーが吠えた。
「弔を助けるためだ!」
「何から助ける!」
ロックロックが叫んだ。
スピナーの拳が止まる。
「……何?」
「死柄木は、何から助けてほしいと思っているんだ!」
ロックロックの声が、戦場へ響いた。
「お前が、あいつを助けたいと思っていることはわかった! だが、あいつ自身は、何を望んでいるんだ!」
スピナーは、答えられなかった。
死柄木は、世界を壊したいと言った。
自分の怒りを消すつもりはないと言った。
英雄に救われるために生きているのではないと言った。
それは、何度も聞いている。
では、死柄木は何を望んでいるのか。
世界が壊れた先に、何が残ってほしいのか。
自分が、隣にいることを、彼は本当に望んでいるのか。
それとも、単に、役に立つから呼んでいるだけなのか。
スピナーは、首を振った。
そんなことを考えている場合ではない。
彼は、死柄木の仲間だ。
仲間だからこそ、助ける。
それだけでいいはずだった。
「……俺は、弔の仲間だ」
スピナーは、低く答えた。
「だから、行く」
ロックロックは、しばらく彼を見つめていた。
そして、静かに言った。
「それがお前自身の答えなら、俺はお前を止める」
スピナーの目が見開かれる。
「……何だと?」
「お前は、自分で決めたと言った。なら、その行動の責任も、お前自身が負うことになる」
ロックロックは、一歩前へ出た。
「死柄木が命じたから、仲間だから、見捨てたくないから。どんな理由があっても、最後に何をするかを決めるのは、お前だ」
その言葉が、スピナーの胸へ突き刺さった。
死柄木が命じたから。
仲間だから。
見捨てたくないから。
それらは、彼がこれまで何度も使ってきた理由だった。
それらは、確かに本心だった。
しかし、それらを並べるだけで、自分がやってきたことの責任から逃れられるわけではない。
スピナーは、自分が何をしてきたのかを思い出した。
彼は、死柄木のために戦った。
ヒーローへ刃を向けた。
社会に反抗した。
仲間たちと行動した。
その一つひとつを、自分の選択だと考えていたはずだった。
なのに今、自分の行為を振り返ることが、なぜこんなにも苦しいのだろう。
スピナーは、拳を握りしめた。
「……俺は、弔を裏切りたくないんだ」
その声は、先ほどよりも小さかった。
ロックロックは、答えた。
「それは、お前の気持ちだ」
「……」
「だが、裏切らないということが、何も考えずに従うことなのか。それは、お前が決めることだ」
スピナーは、目を閉じた。
そして、もう一度、死柄木の背中を見た。
あの日、自分の存在を拒まなかった男。
自分が何も持っていないことを見抜き、それでもここにいればいいと言った男。
その言葉は、今もスピナーの中に残っている。
嘘ではない。
あの日、彼が感じたものは、本物だった。
だからこそ。
彼は、その記憶を理由に、現在の死柄木の行為をすべて肯定していいのだろうか。
それとも、あの日の言葉を大切に思うからこそ、今の死柄木に問いかけなければならないのだろうか。
スピナーは、まだ答えを持っていなかった。
ただ、初めて気づいた。
自分は、死柄木の隣にいることで、自分の居場所を守ろうとしていたのかもしれない。
死柄木に見放されたら。
彼の進む道を疑ったら。
自分が違うことを言ったら。
あのとき、ようやく見つけた居場所を、また失ってしまうのではないか。
その恐怖が、自分の判断を狭めていたのかもしれない。
「……くそっ」
スピナーは、顔を歪めた。
それを認めることは、彼にとって苦しかった。
自分が死柄木を守りたいと思っていたこと。
その気持ちの中に、自分自身が見捨てられたくないという願いも含まれていたこと。
どちらも、同時に本当かもしれない。
ならば、自分の行動は、誰のためだったのか。
死柄木のため。
社会から見捨てられた者たちのため。
そして、自分自身のため。
そのすべてが、混ざり合っていたのかもしれなかった。
六 仲間を信じるということ
「スピナー!」
再び、死柄木が呼んだ。
彼は、爆豪と出久の攻撃を受けながら、こちらへ顔を向けていた。
「何をしている! さっさと来い!」
スピナーの身体が震えた。
その声を聞くと、考えることが止まりそうになる。
弔が呼んでいる。
助けを求めている。
自分を必要としている。
だから、行かなければならない。
その考えは、今も強かった。
だが、スピナーは、もう一つのことを考えてしまった。
自分が駆けつけたとして。
自分がヒーローたちを倒し、死柄木の進路を確保したとして。
それで、本当に死柄木は助かるのだろうか。
彼が壊したいと望んでいる世界を、壊し続けることができるようになるだけではないのか。
自分は、その先に何があるのかを、考えたことがあっただろうか。
「……弔」
スピナーは、初めて、死柄木を呼び返した。
「……俺に、何をしてほしいんだ?」
戦場の中央で、死柄木の動きが一瞬止まった。
爆豪の爆発が、彼の腕へ入る。
出久の黒鞭が、もう一方の腕へ絡みついた。
死柄木は二人を振り払いながら、スピナーを見た。
「……何だと?」
スピナーは、喉の奥が乾くのを感じた。
聞いてしまった。
自分が、今まで聞こうとしなかったことを。
「俺に、何をしてほしいんだ?」
彼は、もう一度言った。
「俺は、お前のために戦っている。お前の邪魔をする奴を止めたいと思っている。お前が一人で戦わなくていいように、隣にいたいと思っている」
スピナーの声が、震えた。
「でも……その先で、お前が何を望んでいるのか、俺は本当に知っているのか?」
死柄木は、彼を見つめていた。
その目に、感謝はなかった。
理解を示すような表情もなかった。
ただ、苛立ちがあった。
「……何を言っている?」
死柄木の声が冷たくなる。
「俺は、世界を壊すと言っただろう」
「……ああ」
「なら、お前は俺の邪魔をする奴らを止めればいい」
死柄木は、言い切った。
「余計なことを考える必要はない」
スピナーの胸が、強く締めつけられた。
その言葉は、わかりやすかった。
自分の役目が、明確になる。
考えなくていい。
疑わなくていい。
ただ、死柄木の側に立ち、彼の道を切り開けばいい。
それだけで、自分は必要とされる。
それだけで、自分の居場所は失われない。
スピナーは、刃を握り直した。
「……弔」
彼は、息を吸った。
「俺は、お前の仲間だ」
死柄木は、黙っていた。
「だから、お前を見捨てない」
スピナーは、そう言った。
そして、続けた。
「だが……」
その言葉が、喉に引っかかった。
死柄木の目が、細くなる。
「……何だ?」
スピナーは、震える息を吐いた。
「俺は、お前が何をしても、何も考えずに従うために、ここにいるわけじゃない」
戦場が、一瞬だけ静まったように感じられた。
死柄木の表情が、消えた。
スピナー自身も、自分の言葉に驚いていた。
言ってしまった。
それは、死柄木に逆らうということなのかもしれない。
彼を裏切ることになるのかもしれない。
だが、スピナーは、続きを口にした。
「お前が何を失ったのか、俺は全部わかっているわけじゃない。お前が何を望んでいるのかだって、全部知っているわけじゃない」
彼は、目を逸らさなかった。
「だからこそ、俺はお前に聞きたい」
スピナーは、刃を下ろした。
「お前が世界を壊した後、何が残ってほしいんだ?」
死柄木は答えなかった。
「俺たちは、どこへ行くんだ?」
沈黙。
「俺が、お前の隣にいる意味は何だ?」
その問いに、死柄木の顔が歪んだ。
「……くだらない」
彼は吐き捨てた。
「今さら、そんなことを考えて何になる?」
スピナーの胸が痛んだ。
死柄木は、続けた。
「お前は俺を支えると言った。俺の側にいると決めた。それで十分だろう」
「……」
「俺が何を望んでいるのか、知る必要はない。お前は、俺の邪魔をする奴を止めればいい」
死柄木の声が強くなる。
「お前が自分の役割を疑う必要はない!」
スピナーは、動かなかった。
その言葉は、自分がずっと欲しかったものを、再び与えてくれるはずだった。
自分の役割。
自分の居場所。
自分が必要とされているという実感。
だが、今は違った。
スピナーは、初めて、その言葉の中にあるものを考えていた。
死柄木は、自分に必要なことを伝えている。
しかし、自分が何を考えるのかまでは、認めていない。
自分が疑問を持つことを、余計なことだと言っている。
それは、スピナーが死柄木に対して感じていた信頼と、同じものなのだろうか。
彼は、ゆっくりと拳を握った。
「……弔」
その声は、震えていた。
「俺は……お前のために戦いたい」
死柄木の目が、わずかに動く。
「それは、本当だ」
スピナーは続けた。
「でも、俺が何のために戦うのかまで、お前に決めてもらいたくない」
死柄木は、答えなかった。
スピナーは、初めて自分の言葉を、自分のものとして聞いていた。
「お前が何を望むのか、俺はこれからも聞きたい。お前が怒っている理由も、壊したいと思う理由も、聞きたい」
彼は、刃を握り直した。
「でも、お前がやることを、全部正しいと認めるつもりはない」
死柄木の目が、鋭くなった。
「……なら、お前は俺の敵か?」
その問いに、スピナーの心が揺れた。
敵。
味方。
仲間。
裏切り者。
彼は、ずっとその分類に縛られていたのかもしれない。
自分が死柄木の言葉を疑えば、敵になる。
自分が彼の行為を止めようとすれば、裏切り者になる。
そう思っていた。
しかし、今、スピナーは考えていた。
本当に、そうなのだろうか。
死柄木の仲間であり続けることと、彼の行為をすべて肯定することは、同じではないのではないか。
「……わからない」
スピナーは答えた。
死柄木の表情が、凍りついた。
「何だと?」
「今の俺には、まだわからない」
スピナーは、歯を食いしばった。
「お前の仲間でいたいと思っている。お前を見捨てたくないと思っている。それは、本当だ」
彼は、死柄木を見つめた。
「でも、それが、お前のやることを全部肯定することになるのかどうか……俺は、もう一度考えたい」
死柄木は、しばらく黙っていた。
そして、低く笑った。
「……そうか」
その笑いには、温度がなかった。
「なら、勝手に考えろ」
死柄木は、前を向いた。
「俺は、お前の答えを待たない」
その言葉に、スピナーは目を閉じた。
自分が、何かを失ったような気がした。
だが、それと同時に。
初めて、自分の考えを、自分自身で選んだような気もした。
その感覚は、恐ろしかった。
そして、ほんのわずかに、自由だった。
七 爆豪の一撃、出久の選択
「……話は終わったか?」
爆豪の声が響いた。
スピナーは、顔を上げた。
爆豪は、死柄木との戦闘を続けながら、こちらを見ていた。
「お前が何を考えるのかは、お前が決めろ」
爆豪は言った。
「だが、考えている間も、こっちは手を止めねえぞ」
彼の手のひらが、強く光る。
「てめえが何を選んだとしても、今やっていることを止める。それが、俺たちの仕事だ!」
爆発が弾けた。
死柄木の身体が、横へ押し流される。
出久が、その隙に黒鞭を伸ばした。
死柄木の腕へ絡みつく。
「――捕まえた!」
出久は身体を引き、死柄木を固定された瓦礫の方向へ誘導する。
だが、死柄木は強引に腕を引いた。
黒鞭が軋む。
「……っ!」
出久は、歯を食いしばった。
死柄木は、片手を地面へ向ける。
出久はすぐに黒鞭を解除し、空中へ跳び上がった。
その瞬間、爆豪の爆発が死柄木の側面を打った。
「デク!」
「わかってる!」
出久は空中で身体を反転させた。
浮遊を使い、上昇する。
黒鞭を複数方向へ伸ばし、瓦礫を空中へ引き上げた。
死柄木の進路が塞がれる。
爆豪は、その隙を逃さなかった。
「――徹甲!」
圧縮した爆発が、死柄木の防御を叩く。
死柄木は、身体を捻って衝撃を逃がした。
だが、完全には避けられなかった。
彼の足が、数歩後退する。
出久は、すぐに距離を詰めた。
「死柄木!」
黒鞭が伸びる。
「僕は、まだ君のことをわかっていない!」
死柄木の腕へ、黒鞭が絡む。
「君が何を望んでいるのか、僕が全部知っているわけじゃない!」
出久は引く。
死柄木が抵抗する。
「でも、君が何をしてもいいとは思わない!」
出久の足が地面へ食い込む。
「君が傷つけた人たちのことを、僕は見なかったことにしない!」
死柄木の顔が歪む。
「……わかっている!」
彼は黒鞭を引き裂こうとした。
「そんなことは、わかっているんだよ!」
崩壊が、彼の腕から広がる。
黒鞭が、次々と消えていく。
出久は即座に解除した。
その直後、死柄木の拳が迫る。
出久は両腕を交差させた。
衝撃が、全身を貫く。
「ぐっ……!」
彼の身体が吹き飛ばされた。
だが、爆豪が横から飛び込んだ。
「――デクから離れろ!」
爆発が、死柄木の身体を押し返す。
爆豪は着地と同時に、出久の位置を確認した。
「立てるか!」
「……立てる!」
出久は、すぐに立ち上がった。
「ありがとう、爆豪君!」
「礼はいい!」
爆豪は、死柄木から目を離さなかった。
「今のは、お前が隙を作ったからだ! 次は、自分で何とかしろ!」
「うん!」
出久は、拳を構え直した。
二人は、再び戦場へ向かった。
その様子を見ながら、スピナーは、強く拳を握りしめていた。
出久と爆豪は、互いに違う考えを持っている。
出久は、死柄木を人間として理解しようとしている。
爆豪は、目の前の被害を止めることを優先している。
それでも、二人は協力している。
互いの考えを、完全に同じものにする必要はない。
自分が正しいと思うことと、相手が正しいと思うことが違っていても、同じ戦場でできることがある。
スピナーは、その姿を見ていた。
自分は、死柄木と同じ考えを持たなければ、彼の仲間でいられないと思っていた。
しかし、本当にそうなのだろうか。
死柄木の怒りを理解すること。
彼の側に立つこと。
彼の行為を、すべて肯定すること。
それらを、一つにまとめて考える必要はあるのだろうか。
スピナーは、ゆっくりと息を吐いた。
彼は、今も死柄木の仲間だと思っている。
しかし、彼の仲間であることを理由に、自分の考えを捨てる必要はないのかもしれない。
その可能性が、ようやく見え始めていた。
八 自分の選択から、逃げない
「……ロックロック」
スピナーは、低い声で呼びかけた。
ロックロックが、警戒を解かずに振り返る。
「何だ」
「俺は……ここで、お前たちに止められたら、どうなる?」
ロックロックは、少しだけ目を細めた。
「拘束される。必要な捜査を受けることになるだろう」
「……そうか」
「当たり前だ。お前がこれまでにしたことは、なくならない」
スピナーは、黙っていた。
ロックロックは続ける。
「だが、それはお前を怪物だと決めつけることとは違う」
スピナーが、顔を上げた。
「……何?」
「お前が何を経験してきたのかを知ることと、お前が何をしたのかを確認することは、両立する」
ロックロックは言った。
「お前が社会から見落とされてきたのなら、そのことは見直す必要がある。お前が何を感じ、どんな問題を抱えていたのかを、知る必要もある」
彼は、スピナーを見据えた。
「しかし、だからといって、お前が誰かを傷つけたことを、なかったことにするつもりはない」
スピナーは、唇を噛んだ。
その答えは、死柄木が最も嫌う種類の答えかもしれない。
何かが悪かったと認める。
その責任を問う。
しかし、相手を人間として扱うことはやめない。
世界を簡単に二つへ分けない。
正義と悪。
被害者と加害者。
英雄と敵。
それらの分類が必要な場面はある。
だが、その分類だけで、目の前の人間のすべてを説明できるわけではない。
スピナーは、自分の手を見つめた。
「……俺は、これまでずっと、世界が悪いと思っていた」
彼は、ぽつりと話し始めた。
「俺を見てくれない社会が悪い。見た目だけで決めつける奴らが悪い。誰も俺の気持ちを考えないことが悪い」
ロックロックは、黙って聞いていた。
「その怒りは、今でも消えていない」
スピナーは続ける。
「俺が受けてきた扱いが、正しかったとは思わない。俺の外見だけで、何も知らない奴らが俺を決めつけてきたことを、全部許せるわけでもない」
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「でも……だからといって、俺がやったことまで、全部正しくなるわけじゃないんだな」
ロックロックは、答えなかった。
ただ、彼の目を見ていた。
スピナーは、続けた。
「俺は、死柄木のために戦ってきた。あいつの怒りを信じた。あいつが世界を壊したいと言うなら、その手伝いをすることが、自分の役割だと思っていた」
彼は、拳を握りしめた。
「でも、俺が何をしたかは、俺自身の責任だ。弔が命じたからといって、俺の手が勝手に動いたわけじゃない」
その言葉を口にした瞬間、スピナーは、自分が何を認めようとしているのか理解した。
自分は、死柄木の側にいることを選んだ。
彼の怒りに共感し、彼の目的に加わり、彼のために戦った。
その一つひとつを、自分自身で選んだ。
だからこそ、その行為の責任も、自分が負う必要がある。
それは、死柄木を裏切ることではない。
自分が、何も考えずに流されていた人間だったと認めることでもない。
むしろ、そうではなかったと認めることだった。
自分は、自分の意志で動いていた。
ならば、自分の意志で、もう一度考え直すことだってできる。
「……俺は、まだ、弔のことを見捨てたくない」
スピナーは言った。
「今でも、あいつの隣にいたいと思っている」
彼は、目を閉じた。
「でも、それだけを理由に、何をしてもいいとは思わない」
ロックロックは、静かに頷いた。
「そうか」
スピナーは、顔を上げた。
「……俺が何をしたのか、ちゃんと向き合う」
その言葉は、降伏の宣言ではなかった。
死柄木を見捨てるという意味でもなかった。
それは、スピナー自身が初めて、自分の行為を自分のものとして受け止めようとした言葉だった。
ロックロックは、固定した瓦礫の一部を動かした。
拘束を完全に解いたわけではない。
しかし、スピナーが身動きを取れる範囲は、わずかに広がった。
「……何のつもりだ?」
スピナーが尋ねる。
「お前が自分の行動を考え直すと言ったからだ」
ロックロックは答えた。
「だからといって、自由に戦わせるわけにはいかない。まだ、お前が何をするかはわからないからな」
「……そうか」
「だが、話を聞くことくらいはできる」
ロックロックは、スピナーを見つめた。
「自分で考えろ。誰のために戦うのか。何を守りたいのか。そして、そのために自分が何をしてきたのか」
スピナーは、長い沈黙の後、頷いた。
「……ああ」
その答えは、まだ小さかった。
だが、嘘ではなかった。
九 スピナーは、誰のために戦った
戦場の中央では、出久と爆豪が、再び死柄木へ攻撃を仕掛けていた。
黒鞭が伸びる。
爆発が走る。
死柄木は、それらを振りほどきながら、前へ進もうとしている。
その姿を、スピナーは見つめていた。
彼は、まだ死柄木を見捨てるつもりはなかった。
彼が、自分にとって大切な存在であることは変わらない。
あの日、自分を拒絶しなかったこと。
自分の怒りを、最初から否定しなかったこと。
その記憶は、今もスピナーの中に残っている。
それは、嘘ではない。
しかし、その記憶が本物だからといって、今の死柄木がすることを、すべて正しいと認める必要はないのかもしれない。
スピナーは、ゆっくりと息を吐いた。
自分は、誰のために戦ってきたのか。
死柄木のため。
社会に見捨てられたと感じていた者たちのため。
そして、自分自身が、もう一度居場所を失わないため。
そのすべてが、混ざり合っていたのだろう。
自分は、死柄木の怒りを代弁する者になりたかった。
だが、いつしか、その怒りがどこへ向かうのかを、考えなくなっていた。
自分は、死柄木を守りたかった。
だが、いつしか、死柄木が何をするのかを問い直すことを、恐れるようになっていた。
自分は、仲間でいたかった。
だからこそ、仲間の考えに疑問を持つことを、裏切りだと感じていた。
スピナーは、目を閉じた。
その考え方が、間違っていたと、今すぐ断言することはできない。
だが、これからも同じ考え方だけで進み続けることは、できなくなっていた。
「……弔」
彼は、もう一度、死柄木の名を呼んだ。
今度の声は、先ほどとは違っていた。
助けを求める声でも、命令に応じる声でもない。
自分が、まだここにいることを伝える声だった。
死柄木は、戦いの合間に、こちらを見た。
スピナーは、目を逸らさなかった。
「俺は……お前のことを、見捨てたくない」
その言葉に、死柄木の表情が変わった。
「……だったら、来い!」
死柄木が叫んだ。
「俺の邪魔をする奴らを止めろ!」
スピナーは、拳を握りしめた。
その言葉は、以前なら、迷いなく自分を動かしただろう。
今も、その衝動はある。
死柄木のもとへ行きたい。
彼を助けたい。
彼が一人で戦う姿を見たくない。
だが、スピナーは、すぐには動かなかった。
彼は、自分自身へ問いかけていた。
自分は、誰のために戦うのか。
その問いへの答えは、まだ見つからない。
それでも、今までのように、答えを考えずに従うことはできなかった。
スピナーは、ゆっくりと息を吸った。
「……俺は、お前の仲間だ」
彼は、死柄木を見つめた。
「そのことは、今も変わらない」
死柄木の目が、細くなる。
スピナーは続けた。
「でも、俺は自分の頭で考える」
戦場に、沈黙が落ちた。
「俺が何をしたのか。誰を傷つけたのか。何を守ろうとしていたのか。これから何をするべきなのか」
スピナーは、刃を握り直した。
「それを、誰かに決めてもらうつもりはない」
死柄木は、彼を見つめていた。
やがて、冷たく言った。
「……好きにしろ」
スピナーは、顔を伏せた。
その言葉が、どれほど重いものなのか。
今の彼には、まだわからなかった。
死柄木が、自分を見限ったのか。
それとも、本当に、自分の選択へ任せたのか。
その答えを、今すぐ決めるつもりはなかった。
スピナーは、ゆっくりと顔を上げた。
戦場の中央では、出久と爆豪が、死柄木を止めようとしている。
その姿を見て、スピナーは思った。
彼らは、死柄木を救うかどうかについて、同じ考えを持っているわけではない。
それでも、互いに協力している。
彼らは、相手の考えを完全に理解できなくても、自分にできることを選んでいる。
ならば、自分も。
自分が死柄木の仲間であることを否定せず。
自分が選んできた行為からも、目を逸らさず。
もう一度、自分の足で立つために、考えなければならない。
スピナーは、刃を地面へ突き立てた。
「……俺は、俺の選択から逃げない」
その言葉を聞いて、ロックロックは何も言わなかった。
ただ、拘束を支える手に、少しだけ力を込め直した。
スピナーは、今はまだ戦線から解放されていない。
彼が今後、何を選ぶのかもわからない。
死柄木の側へ戻り、再び戦うのか。
自分の行為を止めるために、別の選択をするのか。
その答えは、まだ先にある。
しかし、少なくとも、彼は初めて、自分が何のために戦っているのかを、疑い始めた。
それは、死柄木を見捨てることではない。
自分がこれまで信じてきたものを、すべて否定することでもない。
ただ、自分の怒りを、誰かの言葉だけで決めないこと。
自分の信頼を、無条件の服従へ変えないこと。
自分の居場所を守るために、自分の判断を捨てないこと。
その選択を、始めようとしていた。
十 それでも戦場は続く
「――デク、右!」
爆豪の声が響いた。
出久は即座に身体をひねる。
死柄木の腕が、彼の背後を薙ぎ払った。
「っ……!」
出久は黒鞭を伸ばし、遠くの鉄骨へ絡ませた。
そのまま身体を引き、死柄木の攻撃をかわす。
爆豪が、上空から爆発を放った。
衝撃が、死柄木の肩へ入る。
しかし、死柄木は倒れなかった。
彼は、爆豪を見上げた。
「……まだやるのか」
爆豪は、両手を構えた。
「当たり前だ!」
「お前たちが俺を止めれば、すべてが解決すると思っているのか?」
「思ってねえよ!」
爆豪は、言い切った。
「だが、今ここで止めなきゃ、もっと悪くなる!」
死柄木は、出久へ視線を向けた。
「お前は、まだ答えを探しているのか?」
出久は、息を整えながら頷いた。
「……うん」
「見つかると思っているのか?」
「わからない」
出久は、まっすぐに答えた。
「でも、考え続ける」
死柄木は、顔を歪めた。
「……勝手にしろ」
彼の指先が、地面へ触れた。
崩壊が広がる。
出久は浮遊で上空へ逃れた。
爆豪が爆発を起こし、崩壊の進路から離れる。
二人は、再び死柄木へ向かった。
戦いは、終わっていない。
スピナーの問いも、終わっていない。
自分は、誰のために戦ったのか。
誰のために、これから戦うのか。
その答えは、死柄木の言葉だけでは決まらない。
出久の問いだけでも決まらない。
爆豪の答えだけでも決まらない。
スピナー自身が、考え、選び、行動しなければならない。
彼は、戦場の中央を見つめた。
死柄木は、まだ世界を壊そうとしている。
その怒りは、本物なのだろう。
彼が受けたものも、失ったものも、なかったことにはならない。
だが、その怒りによって誰かが傷つけられるなら、その行為には責任が伴う。
スピナーは、ようやく、その二つを同時に考え始めていた。
死柄木を大切に思うこと。
死柄木の行為を認めること。
その二つを、一つにまとめなくてもいいのかもしれない。
彼は、ゆっくりと拳を開いた。
そして、もう一度握った。
まだ、何も解決していない。
自分がこれから何をするのかも、決まっていない。
それでも、彼はその問いを持ち続ける。
怒りを忘れないためではなく。
怒りだけに、自分のすべてを決めさせないために。
スピナーは、誰のために戦ったのか。
その答えは、過去の中だけにあるのではない。
これから彼が何を選ぶのか。
誰の言葉を聞き、何を拒み、どんな責任を引き受けるのか。
その一つひとつの中に、答えは形作られていくのだろう。
戦場の中央で、出久と死柄木が再び衝突した。
爆豪の爆発が、その間を切り裂く。
ロックロックたちは、スピナーの拘束を維持しながら、救助活動を続けていた。
誰も、完全な答えを持っていない。
だからこそ、彼らはそれぞれの判断を続ける。
そしてスピナーは、初めて、自分が誰かの怒りを代弁するだけの存在ではないことを考え始めていた。
自分自身の怒り。
自分自身の願い。
自分自身の責任。
それらを、自分で引き受けるために。
憤怒編は、まだ終わらない。