ひび割れた境界線
爆音が響いた。
地面が跳ね上がり、砕けたアスファルトが雨のように降り注ぐ。
その中心を、緑谷出久が駆け抜けていた。
「っ!」
危険察知。
身体をひねる。
直後、死柄木弔の腕が頭上を通過した。
腕の先端が地面に触れる。
出久は、着地と同時に黒鞭を放った。
「黒鞭!」
複数の黒い帯が死柄木の腕へ絡みつく。
しかし、死柄木は止まらない。
膨張した腕の筋肉が黒鞭を押し広げる。
出久は力任せに引き留めようとはしなかった。
代わりに、黒鞭を周囲の建造物へ伸ばす。
複数の支点を作り、死柄木の進路をわずかに逸らす。
「そこだ!」
爆発。
出久の横を、爆豪勝己が突き抜けた。
両手から放たれた爆発が、死柄木の側面を直撃する。
死柄木の身体が傾いた。
「まだだ!」
爆豪はそこで止まらない。
爆発を連続させ、空中で軌道を変える。
右から左へ。
下から上へ。
相手に防御の方向を選ばせるように、攻撃の角度を変えていく。
「鬱陶しい!」
死柄木が腕を振るう。
爆豪は急上昇した。
その下を、出久が通過する。
「デトロイト・スマッシュ!」
拳が死柄木の胴体へ叩き込まれた。
衝撃が広がる。
死柄木の足が地面から離れる。
だが、出久の拳を受け止めた腕が、すぐさま反撃に転じた。
「捕まえた」
死柄木の手が出久の腕をつかむ。
危険察知が強く警告する。
出久は即座に浮遊を発動。
身体を引き上げ、黒鞭を地面へ伸ばす。
そのまま死柄木の手から抜けようとした。
しかし、死柄木は腕を引いた。
出久の身体が引き戻される。
「デク!」
爆豪が降下する。
「離せ!」
掌から爆発。
死柄木の腕が弾かれ、出久はその隙に脱出した。
「ありがとう、勝っちゃん!」
「礼を言う暇があったら次を見ろ!」
「うん!」
二人は左右に分かれる。
死柄木が正面を向いた瞬間、爆豪が正面から爆発を叩き込む。
出久は側面へ回り込み、黒鞭で脚を拘束した。
片方の攻撃を防げば、もう片方が来る。
片方を追えば、もう片方に隙を突かれる。
二人の連携は、以前よりも無駄がなくなっていた。
だが。
「だから、何だ」
死柄木の身体が膨張する。
腕が地面へ向けて振り下ろされた。
出久と爆豪が同時に飛び退く。
直後。
地面が崩壊した。
黒鞭が切れる。
道路が割れ、建物の外壁が崩れ落ちる。
「全員、退避!」
ロックロックの声が飛んだ。
「マニュアル!」
「分かっている!」
マニュアルの水流が、崩れた道路の隙間を走る。
水は崩壊そのものを止められない。
しかし、粉塵を押し流し、避難経路の視界を確保することはできる。
「バブルガール、上!」
「はい!」
大量の泡が空中へ広がる。
落下する細かな瓦礫を包み込み、飛散する破片の勢いを弱めていく。
「センチピーダー、避難班を頼む!」
「了解しました!」
センチピーダーが長い身体を伸ばし、崩れた建物の隙間へ潜り込んだ。
「こちらに負傷者がいます! 意識あり!」
「こちらへ運んでください!」
「了解です!」
戦場の中心では三人が戦っている。
その周囲では、別の戦いが続いていた。
ひとつの勝敗だけでは、救えないものがある。
だからこそ、プロヒーローたちは自分たちの戦いを続けていた。
その様子を、スピナーが見ていた。
「……ヒーロー、か」
彼は巨大な身体を揺らす。
身体に備わった幾つもの腕が、それぞれ異なる方向へ動く。
拘束はまだ残っている。
しかし、全身を完全に封じられているわけではない。
「スピナー! 動くな!」
ロックロックが警戒する。
「俺に指図するな!」
スピナーが腕を振るった。
刃がロックロックへ迫る。
ロックロックは身をかわす。
その背後にあった瓦礫へ手を触れた。
「施錠!」
瓦礫が固定される。
スピナーの腕がそれにぶつかり、軌道が逸れた。
「マニュアル!」
「分かっている!」
水流がスピナーの足元を横切る。
動きを止めるほどではない。
だが、体勢を崩すには十分だった。
そこへセンチピーダーの身体が伸びる。
スピナーの腕の一部を絡め取り、動きを制限した。
「捕まえました!」
「離せ!」
スピナーが身体をひねる。
センチピーダーの身体が引っ張られた。
「くっ!」
バブルガールが泡を放つ。
スピナーの視界を覆い、周囲の破片を包み込む。
「これ以上、自由にはさせません!」
「自由だと?」
スピナーが笑った。
「お前らに、俺の何が分かる!」
腕が動く。
拘束が軋む。
「俺が何を信じて、誰と一緒にいたのか、お前らに分かるわけがない!」
「分からないから、何をしてもいいのか!」
ロックロックが叫ぶ。
「そうは言ってねぇ!」
スピナーは腕を振り抜く。
センチピーダーの拘束が一部外れた。
彼の視線が、戦場の中心へ向く。
死柄木がいる。
出久がいる。
爆豪がいる。
「俺は、あいつの仲間だ!」
スピナーが叫んだ。
「それは、今も変わらねぇ!」
英雄という名前
「お前たちは、自分が正しいと信じている」
死柄木が出久へ言った。
腕が動く。
出久は黒鞭を使い、正面からの攻撃を避けた。
「そうだね」
「お前たちが人を救うことは、正しいとされる」
「……」
「俺たちが人を壊すことは、悪とされる」
死柄木の身体が前へ出る。
「その境界線を決めたのは誰だ?」
出久は即座に答えなかった。
死柄木の言葉は、ただの挑発ではない。
彼は、英雄社会の仕組みそのものへ問いを投げかけている。
誰が英雄と呼ばれ、誰が敵と呼ばれるのか。
誰が救う価値のある人間とされ、誰が見捨てられるのか。
その境界線は、本当に誰にとっても正しいものだったのか。
「英雄と敵を分ける名前だけで、人間のすべてが決まるわけじゃない」
出久は答えた。
「それは、そうだろう」
「英雄と呼ばれた人が間違えることもある。誰かを傷つけることもある」
「ならば、英雄とは何だ」
「それだけで決まるものじゃない」
出久は足を踏み込んだ。
「僕は、英雄という名前を持っているから正しいとは思わない」
死柄木が腕を振るう。
出久は浮遊で攻撃を避ける。
空中から黒鞭を伸ばす。
「それでも、誰かを助けようとする行動には意味があると思う!」
黒鞭が死柄木の腕へ絡みつく。
死柄木は引きちぎろうとする。
そこへ爆豪が飛び込んだ。
「話が長ぇ!」
爆発。
死柄木の身体が揺れる。
爆豪は着地しながら出久へ視線を向けた。
「名前なんざどうでもいい!」
「勝っちゃん!」
「英雄だろうが、敵だろうが、やったことの責任は自分で取れ! それだけだ!」
爆豪は死柄木を見据える。
「てめぇが何を名乗ろうと勝手だ。だが、誰かを傷つけたことまで、その名前で誤魔化せると思うな!」
「お前は、何も分かっていない」
死柄木が低く言った。
「俺たちが何を背負わされたのか」
「知るかよ」
爆豪は即答した。
「俺に全部分かるわけねぇだろ」
「……」
「だが、分からねぇからって、何も言わずに壊されるわけにもいかねぇ」
爆豪は掌を構える。
「俺は俺のやることを決める。てめぇも自分で決めたんだろ?」
「そうだ」
「だったら、その結果から逃げるな」
爆豪の掌が光る。
「俺たちは止める。てめぇは壊す。どっちが勝つかは、ここで決める」
出久は隣に並んだ。
「勝っちゃんの言う通りだ」
「お前まで真似すんな」
「真似じゃないよ」
「うるせぇ!」
死柄木は二人を見た。
「お前たちは、結局、自分たちの側に立つ人間を救いたいだけだ」
「違う!」
出久は即座に言った。
「僕たちが守ろうとしているのは、僕たちの味方だけじゃない!」
「ならば、俺も救うのか?」
出久は一瞬だけ沈黙した。
その問いに、簡単な答えを返すことはできない。
「君の未来を、僕が決めることはできない」
「逃げるのか」
「逃げていない」
出久は死柄木を見た。
「僕は君を救いたいと思うかもしれない。でも、それを君に押しつけることはできない」
「ならば、何をする」
「君を止める」
「それが答えか」
「今の僕の答えだ」
死柄木は笑った。
「やはり、お前も英雄だな」
出久は、その言葉を否定しなかった。
英雄であるかどうかは、死柄木に認めてもらうことではない。
だが、英雄という名前を理由に、何をしても許されるわけでもない。
そのことを、出久自身が忘れてはいけなかった。
破壊者の仲間
「ロックロック!」
センチピーダーの声が響く。
「スピナーが!」
「分かってる!」
スピナーが巨体を揺らしていた。
幾つもの腕が動き、拘束を外そうとしている。
ロックロックは周囲の瓦礫を固定し、動きを制限する。
だが、固定された瓦礫を支点にして、スピナーが別の腕を動かしてくる。
「こいつ、力任せに突破する気か!」
「違う!」
スピナーは声を上げた。
「俺は、あいつのところへ行く!」
「だから行かせるわけにはいかない!」
「俺は仲間だ!」
「その仲間が何をしようとしているのか分かっているのか!」
ロックロックの言葉に、スピナーの動きが一瞬止まった。
「……分かってる」
「ならば、どうして行く!」
「分かってるからだ!」
スピナーの腕が、拘束を押し広げる。
「俺はあいつの隣にいた! あいつが何を考えていたか、全部分かるなんて言わねぇ! だが、あいつが何も持っていなかった頃のことも知ってる!」
スピナーは、かつての記憶を思い出していた。
誰にも相手にされなかった自分。
どこへ行っても、外見だけで判断された自分。
そんな自分を、死柄木は笑わなかった。
何者でもない自分を、仲間として受け入れた。
その時、スピナーは初めて、自分がここにいてもいいのだと思った。
「俺があいつを信じたことは、間違いじゃなかった!」
「なら、今の行動も正しいというのか!」
ロックロックが問い返す。
「……違う」
スピナーは答えた。
「全部が正しいわけじゃねぇ」
その返答に、ロックロックの動きがわずかに止まった。
「俺が信じたことまで、間違いだったことにしたくないんだ」
「……」
「だが、信じていたからって、あいつのやること全部に賛成する必要はない」
スピナーは拳を握る。
「俺があいつの仲間でいたいと思ったことは、俺自身の本当の気持ちだ。だから、それを今さら否定したくない」
「だったら、何をする」
「自分で決める」
スピナーは、戦場の中心へ目を向けた。
「俺はあいつを見捨てない。だが、あいつの代わりに何もかも決めるつもりもない」
「……お前がそう言うなら、俺たちもお前の行動を見て判断する」
ロックロックは手を構えた。
「ただし、暴れさせる気はない」
「好きにしろ!」
スピナーの腕が動く。
今度はロックロックへ向かってこない。
その腕は、崩れかけた建物の梁をつかんだ。
遠くで、避難班の声がする。
「まだ人が残っています!」
「分かってる!」
スピナーは梁を押し上げた。
「さっさと通れ!」
「スピナー!」
センチピーダーが避難民を運び出す。
バブルガールが泡で落下物を包み込む。
マニュアルが水流で粉塵を押し戻した。
ロックロックは固定できる部分を見極め、支柱と瓦礫を固定する。
「今だ! 全員、通過しろ!」
避難が完了する。
スピナーは梁から手を離した。
崩れた建物が、轟音とともに地面へ落ちた。
彼は膝をつく。
「……はぁ……」
ロックロックが近づいた。
「今の行動で、お前の罪が消えるわけじゃない」
「分かってる」
「俺たちが信用したわけでもない」
「分かってる」
「それでも、今の行動を見なかったことにはしない」
スピナーは顔を上げた。
「……ああ」
それだけでよかった。
彼は許されたかったわけではない。
自分の選択を、誰かに正しいと認めてもらいたかったわけでもない。
ただ、自分で選んだ行動を、自分のものとして引き受けたかった。
壊す者、守る者
戦場の中心で、死柄木の攻撃が激しさを増していた。
「もういい」
死柄木が呟く。
「お前たちは、俺の言葉を聞こうとする。理解しようとする。だが、結局、俺を止める」
「そうだ!」
出久は答えた。
「君の言葉を聞くことと、君の破壊を止めることは両立する!」
「それを偽善と言う」
「そう思うなら、そう思っていていい!」
出久は踏み込んだ。
死柄木の腕が迫る。
危険察知に従い、出久は身体をひねる。
攻撃を避けながら、黒鞭を足元へ伸ばす。
そこから身体を引き上げ、空中へ。
「勝っちゃん!」
「分かってる!」
爆豪が死柄木の正面へ出た。
「こっちだ!」
爆発。
死柄木が腕を上げる。
その腕へ、出久の黒鞭が絡みつく。
「今!」
爆豪は爆発の方向を変えた。
相手を吹き飛ばすためではない。
死柄木の腕を押し上げ、その動きを制限するためだ。
出久が空中から降下する。
拳を構える。
「スマッシュ!」
衝撃が死柄木の身体を揺らした。
だが、死柄木は踏みとどまった。
そのまま地面へ手を伸ばす。
「またか!」
出久は即座に黒鞭を伸ばした。
死柄木の手首へ絡める。
同時に爆豪が爆発で身体を押し込む。
だが、地面への接触を完全には止められなかった。
崩壊が広がる。
「避難区域へ向かっている!」
マニュアルが叫ぶ。
「水流を展開する!」
水が道路を走る。
粉塵と瓦礫の動きを逸らし、避難民が通る道を確保する。
ロックロックは、崩れかけた構造物を次々に固定する。
「こっちの支柱は止めた! だが長くは持たない!」
「センチピーダー、避難民を移送!」
「了解!」
「バブルガール、落下物を頼む!」
「任せてください!」
彼らの働きによって、崩壊が避難民を直撃することは避けられた。
しかし、まだ危険は残っている。
「くそっ!」
爆豪が死柄木へ突っ込む。
死柄木はその腕を受け止めた。
二人の力がぶつかる。
「爆豪!」
出久が呼ぶ。
「分かってる!」
爆豪は掌の爆発を抑え込んだ。
ただ大きく爆発させれば、自分も吹き飛ぶ。
それだけではない。
死柄木の身体を押し返す方向を間違えれば、周囲の建物へ被害が広がる。
爆豪は、爆発の方向を細かく制御した。
片手から小さく爆発を発生させる。
身体をひねる。
もう片方の手で大きな爆発を起こし、死柄木の腕を押し返した。
その一瞬、出久が死柄木の背後へ回り込む。
黒鞭が伸びる。
「捕まえた!」
死柄木の両腕が拘束される。
爆豪が前方へ回り込んだ。
「終わりだと思うなよ!」
爆発。
死柄木の身体が揺れる。
だが、彼は笑っていた。
「まだ、終わらない」
身体を大きくひねる。
黒鞭が軋む。
出久が引き止める。
「ぐっ……!」
爆豪が追撃する。
しかし、死柄木の腕が爆豪を狙った。
危険察知が出久に警告する。
「勝っちゃん!」
出久は黒鞭を解除し、爆豪の身体へ伸ばした。
一気に引き寄せる。
死柄木の腕が空を切る。
爆豪は出久の横へ着地した。
「余計なことすんな!」
「今のは必要だった!」
「分かってる!」
二人は短く言い合い、再び構えた。
その様子を死柄木は見ていた。
「お前たちは、互いに助け合うのか」
「そうだよ」
出久は答える。
「それがどうした」
「お前は、誰かに救われることを認めた」
「うん」
「それで、お前は英雄なのか」
出久は少しだけ考えた。
「英雄だから助けてもらえるんじゃない」
「……」
「助けてもらうことと、英雄であることは関係ないと思う」
爆豪が舌打ちする。
「また面倒なことを言いやがる」
「ごめん」
「謝るな!」
爆豪は死柄木へ向き直る。
「こいつはまだ未熟だ。余計なものを背負い込む癖もある」
「勝っちゃん?」
「だが、だからって俺がこいつの代わりに全部決めるつもりはねぇ」
爆豪は拳を握った。
「こいつが何をするかは、こいつが決める。俺が何をするかは、俺が決める」
その言葉には、かつて出久に対して抱えていた感情とは違うものがあった。
勝ちたいという思いは消えていない。
競い合う気持ちも残っている。
だが、それだけではない。
相手の意志を奪わず、同時に自分の意志を放棄しない。
それが、爆豪の選んだ立ち位置だった。
「だから、てめぇの選択も俺が止める」
死柄木は二人を見ていた。
「……気に入らない」
再び、地面が震える。
「その関係も、理想も、すべて壊してやる」
スピナーの答え
「死柄木!」
スピナーの声が戦場へ響いた。
死柄木が振り返る。
「何だ」
「俺はここにいる!」
スピナーは、ロックロックたちの監視下にあった。
動きを完全に封じられてはいない。
だが、自由に動ける状態でもない。
それでも、彼は立ち上がっていた。
「俺は、お前を信じていた!」
「知っている」
「お前が俺を仲間として受け入れたことも、俺に居場所をくれたことも、忘れない!」
「ならば、なぜそこで立ち止まる」
死柄木の声に、苛立ちが混じる。
「俺のところへ来い。俺たちは同じ場所にいたはずだ」
「そうだ!」
スピナーは叫んだ。
「俺たちは同じ場所にいた!」
その言葉に、スピナーは迷わなかった。
「俺は、お前の仲間でいたいと思った! お前を信じた! それは俺が選んだことだ!」
「ならば、最後までそうしろ」
「俺は今でも、お前のことを仲間だと思っている!」
死柄木の顔に、わずかな変化があった。
「だったら――」
「だが!」
スピナーの声が重なった。
「俺が信じたお前と、今のお前がすることを、全部同じにするわけにはいかない!」
死柄木が黙る。
「俺は、お前を信じていた自分を否定しない。あの時の俺には、あれが必要だった。お前が俺を見てくれたことは、俺にとって本当だった!」
スピナーは拳を握り締めた。
「だから、あの時の自分を間違いだったとは言わない!」
その腕が震えている。
怒りではない。
恐怖だけでもない。
自分の過去を、自分の手で抱えようとする者の震えだった。
「でも、これから何を信じるかは、俺が決める!」
死柄木はスピナーを見つめた。
「お前は、俺を裏切るのか」
「そう言いたいなら、好きに言え!」
「俺を捨てるのか」
「捨てるつもりはない!」
スピナーは即答した。
「俺は、あんたを見捨てたくない!」
「ならば、なぜ戦う」
「お前の破壊に、俺の意思まで預けないためだ!」
その言葉が、戦場に響いた。
出久はスピナーを見ていた。
爆豪も、視線だけを向けている。
彼はヒーローになったわけではない。
罪を償い終えたわけでもない。
死柄木への思いを捨てたわけでもない。
ただ、誰かの意志の中に隠れていた自分の選択を、ようやく自分のものとして引き受け始めていた。
「……好きにしろ」
死柄木は視線を戻す。
「俺は、お前の選択を必要としていない」
「分かってる」
スピナーは答えた。
「俺がそうしたいから、そうするんだ」
境界線の向こう側
死柄木が、両腕を広げた。
空気が変わる。
周囲の瓦礫が揺れ、地面の亀裂が広がる。
「全員、構えろ!」
ロックロックが叫んだ。
「また大規模な攻撃が来る!」
マニュアルが水を展開する。
バブルガールが泡を広げる。
センチピーダーは避難班を引き連れ、戦闘区域から距離を取った。
ロックロックは固定できる構造物を探す。
「緑谷! 爆豪! ここから先はこっちで支える!」
「はい!」
出久が答える。
「ただし、こちらの安全が確保できる範囲で戦え! お前たちが勝つことだけが目的じゃない!」
「分かっています!」
爆豪が笑う。
「余計な心配だ!」
「心配くらいさせろ!」
ロックロックが怒鳴った。
死柄木が腕を振り下ろす。
崩壊が広がった。
出久は浮遊で上昇する。
黒鞭を伸ばし、崩れ始めた瓦礫を避ける。
爆豪は爆発を連続させ、地面から離れる。
だが、二人の下にはまだ避難班が残っていた。
「出久!」
危険察知。
出久は振り向く。
大きな瓦礫が、避難路の上へ落ちようとしていた。
「黒鞭!」
出久の黒鞭が伸びる。
瓦礫へ絡みつき、軌道を変える。
しかし、重量が大きい。
出久の身体が引き下げられる。
「ぐっ!」
「デク!」
爆豪が飛び込む。
爆発を瓦礫の側面へ叩き込み、落下する勢いを横へ逸らす。
「ロックロック!」
「施錠!」
ロックロックが地面へ落ちた瓦礫の一部を固定する。
瓦礫が避難路の脇で止まった。
「今だ! 通れ!」
センチピーダーが避難民を運び出す。
バブルガールの泡が破片を包み込む。
マニュアルが水流で視界を確保する。
出久は息を吐いた。
「ありがとうございます!」
「礼は後だ!」
ロックロックが叫ぶ。
「まだ終わっていない!」
「はい!」
出久は死柄木へ向き直った。
一連の攻防の間にも、死柄木は動いていた。
彼は二人の注意が逸れた隙に距離を詰めている。
「遅い」
死柄木の腕が迫る。
出久は黒鞭で身体を引き上げる。
爆豪は爆発で軌道を変え、死柄木の背後へ回り込んだ。
「こっちだ!」
爆発。
死柄木が振り向く。
そこへ出久が降下する。
「スマッシュ!」
死柄木の腕へ拳が叩き込まれた。
腕が大きく弾かれる。
爆豪がその隙へ連続爆発を放つ。
二人の攻撃が交差する。
死柄木の身体が後退した。
その足元で、瓦礫が崩れる。
出久は追撃しようとした。
しかし、危険察知が別の方向を示す。
「っ!」
出久は視線を横へ向けた。
死柄木の攻撃が、崩れた建物の残骸を巻き込んでいた。
その残骸が、スピナーのいる方向へ飛んでいく。
「スピナー!」
出久が叫ぶ。
スピナーは振り返った。
避けるには距離が足りない。
ロックロックが駆ける。
だが、間に合わない。
その瞬間、スピナーは複数の腕を広げた。
「ぐっ……!」
巨大な瓦礫を受け止める。
衝撃で身体が沈む。
足元の地面が割れた。
それでも、スピナーは瓦礫を支えた。
「おい!」
ロックロックが叫ぶ。
「離せ! こっちで固定する!」
「分かってる!」
ロックロックが瓦礫へ触れる。
「施錠!」
瓦礫が固定された。
スピナーは腕を離し、膝をつく。
死柄木は、その光景を見ていた。
「……なぜだ」
その声は、先ほどまでとは違っていた。
「なぜ、お前はそこまでする」
スピナーは顔を上げる。
「俺が決めたからだ」
「その人間たちは、お前の敵だ」
「知ってる」
「お前を拘束している」
「知ってる」
「お前を信用していない」
「それも知ってる!」
スピナーは息を整えながら言った。
「それでも、俺が今ここで何をするかは、俺が決める!」
死柄木は黙った。
出久も爆豪も、スピナーを見ていた。
その行動は、過去の罪を消さない。
彼が敵であるという事実を変えるわけでもない。
しかし、今この瞬間に彼が選んだ行動まで、誰かが勝手に別の意味へ変えることはできない。
「……面倒なことになったな」
爆豪が呟く。
「うん」
出久は答えた。
「でも、見なかったことにはできない」
「分かってるよ」
爆豪は死柄木へ視線を戻す。
「だから、今はこいつを止める」
決められない結末
戦いの音が、一瞬だけ遠のいた。
出久は呼吸を整える。
爆豪は掌に残る汗を振り払う。
死柄木は、二人の前に立っていた。
その背後には、崩れた建物と広がる亀裂。
さらに後方には、避難を終えようとしている人々と、彼らを守るヒーローたちがいた。
スピナーはロックロックたちのそばにいる。
誰も、同じ場所には立っていない。
それでも、全員がこの戦場にいる。
「死柄木」
出久が呼びかけた。
「何だ」
「君は、僕たちが英雄で、自分が破壊者だと言われることに納得していないんだと思う」
「それが何だ」
「その境界線が正しかったとは思わない」
出久は目を逸らさなかった。
「英雄と呼ばれているから正しいわけじゃない。敵と呼ばれているから、その人間のすべてが間違っているわけでもない」
「ならば、俺を肯定するのか」
「しない」
出久ははっきり答えた。
「君がしたことを、正しいとは言わない」
死柄木の指が動く。
「お前は、結局――」
「でも、君を敵という言葉だけで片づけることもしない」
出久の言葉が続く。
「君は人間だ。君には過去があって、君自身の考えがある。君が何を選んだのかも、これからどうするつもりなのかも、僕は聞こうと思う」
「聞いてどうする」
「聞いたうえで、止める」
「何も変わらないな」
「変わらないかもしれない」
出久は答えた。
「でも、聞かなかったことにはしたくない」
死柄木は、出久を見ていた。
彼の表情から、何を考えているのかは読み取れない。
ただ、以前よりも言葉が届いていることだけは分かった。
「俺は、破壊を選んだ」
死柄木が言う。
「それは変わらない」
「分かってる」
「ならば、英雄を名乗るお前が、俺を止める理由も変わらないはずだ」
「うん」
「なぜ、そんなに迷う」
出久は拳を握った。
「迷っているからじゃない」
「……」
「君の結末を、僕が勝手に決めてはいけないと思っているからだ」
死柄木の目が細くなる。
「俺の結末?」
「君を救うことが僕の勝利だとか、君が考えを改めることが正しい結末だとか、そんなふうに決めるつもりはない」
「ならば、お前は俺をどうする」
「君がこれから何を選ぶのかは、君が決めることだ」
「俺は世界を壊す」
「それでも、僕は止める」
出久は一歩踏み出した。
「君が自分の結末を選ぶことと、僕が君の行動を止めようとすることは、両立する」
死柄木は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく笑う。
「お前は、本当に面倒な人間だな」
「よく言われるよ」
「褒めていない」
「分かってる」
爆豪が間に入った。
「おい、デク」
「何?」
「話はそこまでだ」
爆豪は死柄木へ向き直る。
「こいつの言葉を聞くかどうかは、てめぇの勝手だ。だが、俺たちがここで戦うことは変わらねぇ」
「……」
「俺も、お前に何かを受け入れさせるつもりはねぇ」
爆豪の掌が光る。
「だが、俺たちの前に立つなら、叩き潰す。それだけだ」
出久は隣に立つ。
「勝っちゃん」
「何だ」
「ありがとう」
「だから礼を言うな!」
爆豪が怒鳴る。
「戦いは終わってねぇだろうが!」
「うん!」
二人が再び構えた。
死柄木もまた、腕を広げる。
「ならば、続けよう」
その瞬間。
地面が爆ぜた。
出久が前へ出る。
爆豪が右へ回る。
黒鞭が伸びる。
爆発が走る。
死柄木の腕が二人を迎え撃つ。
三人の戦いは、再び激しさを増した。
憤怒の行方
数分後。
戦闘区域には、まだ粉塵が漂っていた。
出久は地面へ片膝をついている。
呼吸が荒い。
拳には力が残っているが、身体の疲労は明らかだった。
爆豪も、少し離れた場所で片腕を下げていた。
「……くそ」
爆豪が呟く。
「まだ動ける?」
出久が問う。
「当たり前だ」
「よかった」
「お前に心配されるほど落ちぶれてねぇよ」
死柄木は、二人から距離を取って立っていた。
身体には攻撃の痕跡が残っている。
だが、まだ倒れていない。
彼は周囲を見た。
ロックロック。
マニュアル。
バブルガール。
センチピーダー。
そして、スピナー。
ヒーローたちは避難を続けている。
スピナーは、ロックロックの監視のもとで立っていた。
死柄木が問いかける。
「まだそこにいるのか」
「ああ」
「お前は、本当に変わったな」
「変わったのかもしれない」
スピナーは答えた。
「だが、昔のお前を信じていた俺まで、否定するつもりはない」
「……」
「俺が信じたことは、俺のものだ」
スピナーは拳を握った。
「これから何を信じるのかも、俺が決める」
死柄木は答えなかった。
ただ、彼の目はスピナーを捉えていた。
やがて、視線が出久へ移る。
「緑谷」
「何?」
「お前は、俺の結末を決めないと言った」
「うん」
「それでも、俺を止める」
「そうだ」
「ならば、俺もお前たちの未来を壊す」
「……」
「誰もが自分の選択を持つと言うのなら、俺も俺の選択を続ける」
出久は拳を握り直した。
「君の選択を、僕が別のものに変えることはできない」
「ならば、どうする」
「僕の選択を続ける」
出久は答えた。
「君を止める」
その言葉に、死柄木は小さく笑った。
「ならば、次はもっと強く来い」
「そうするよ」
「お前もだ、爆豪」
「言われなくてもな」
爆豪が掌を開く。
「次は逃がさねぇ」
死柄木は背を向けなかった。
逃げるつもりもない。
戦いを終わらせるつもりもない。
ただ、次の衝突へ向けて、身体を構え直した。
出久も爆豪も、同じように構える。
その時、ロックロックの通信が入った。
『緑谷、爆豪! 周辺の避難はほぼ完了した! だが、まだ危険区域が残っている!』
「了解しました!」
『こちらの支援は続ける! だが、無茶はするな!』
「分かっています!」
爆豪が通信へ怒鳴る。
「こっちはこっちでやる! そっちも勝手に倒れるな!」
『誰に言ってる!』
短い応酬。
その声を聞いた出久は、少しだけ表情を緩めた。
自分は一人ではない。
誰かにすべてを任せるわけでもない。
誰かの意志を奪うわけでもない。
一人で背負うことと、自分の責任を放棄することは違う。
そして、誰かに助けられることと、自分の意志を失うことも違う。
その答えは、まだ完全には形になっていない。
だが、出久はようやく、自分の立っている場所を理解し始めていた。
「勝っちゃん」
「あ?」
「僕たちが死柄木を止める理由は、もうはっきりしていると思う」
「今さらかよ」
「うん。でも、もう一つある」
「何だ」
「僕たちが誰かを救おうとする時、その人の未来まで勝手に決めてはいけない」
「……」
「それは死柄木に対してだけじゃない。誰に対してもだ」
爆豪は少しだけ目を細めた。
「当たり前だろ」
「そうだね」
「ただし、何もしない理由にはすんなよ」
「分かってる」
「だったら行くぞ」
爆豪が走り出す。
出久も続いた。
死柄木が二人を迎え撃つ。
戦いは続く。
英雄と破壊者。
その境界線は、肩書きだけでは引けない。
誰かが正しい名前を与えたからといって、その人物のすべてが正しくなるわけではない。
誰かが悪い名前を与えたからといって、その人物の過去や苦しみまで消えるわけでもない。
だからこそ、行動の責任から逃げてはいけない。
救う側も、救われる側も。
守る側も、壊す側も。
自分が選んだものを、自分のものとして引き受けなければならない。
スピナーは死柄木を信じた過去を捨てなかった。
出久は死柄木を救うという結末を押しつけなかった。
爆豪は誰かに従うのではなく、自分の意志で戦い続けた。
それぞれの答えは、まだ完全な形にはなっていない。
憤怒は消えていない。
破壊も止まっていない。
しかし、彼らはもう、怒りを他人に預けるだけではいられなかった。
戦場の向こうで、再び爆発が起きる。
出久の黒鞭が伸びる。
死柄木の腕が振り抜かれる。
爆豪がその間へ飛び込む。
そして、ヒーローたちは彼らを支えるために動き続けた。
憤怒編の対話は、ひとつの区切りへ近づいていた。
だが、終わりではない。
次に問われるのは、誰かの結末を誰が決めるのかということ。
そして、その答えを持たないまま、彼らは最終決戦へ向かう。