僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第七十話「怒りの向こう側」

一、歓声のない勝利

戦場には、静けさが戻り始めていた。

 

つい先ほどまで続いていた爆発音も、地面を揺らす轟音もない。

 

残っているのは、崩れた建物から立ち上る粉塵と、救助を呼ぶ声、通信機から聞こえるヒーローたちの報告だった。

 

「こちら東側! 負傷者を確認! 意識はあります!」

 

「西側の避難区域、収容人数の確認をお願いします!」

 

「医療班へ連絡! こちらにも負傷者がいます!」

 

「了解!」

 

ロックロックは崩れた道路の上を走っていた。

 

彼の個性「施錠」は、触れたものをその場に固定する。

 

倒れかけた柱を固定し、救助隊が通る時間を稼ぐ。崩れた壁の一部を固定し、避難路を塞がないようにする。

 

だが、今の彼に必要なのは、一つでも多くのものを固定することではなかった。

 

どこを固定し、どこを諦め、どこから人を救い出すか。

 

その判断が、一人の命を左右する。

 

「センチピーダー! 北側の建物に人が残っていないか確認してくれ!」

 

「了解しました!」

 

センチピーダーが長い身体を伸ばし、瓦礫の隙間へ入っていく。

 

「こちら、内部に反応があります! 少なくとも二名!」

 

「急いでくれ!」

 

「無理に動かすと二次崩落の危険があります! 支柱を固定してください!」

 

「分かった!」

 

ロックロックが走る。

 

その背後で、マニュアルが水流を操作していた。

 

「水流を変更します! 粉塵を押し戻すので、救助班は視界が開けるまで待ってください!」

 

水が瓦礫の間を通り抜ける。

 

積もっていた粉塵が流され、崩れた建物の内部が少しずつ見えるようになっていく。

 

「今です!」

 

センチピーダーが身体を伸ばす。

 

「こちらへ! ゆっくりで構いません!」

 

その上空では、バブルガールが泡を広げていた。

 

落下する破片を包み込み、救助隊の頭上へ届かないようにする。

 

泡は、瓦礫の崩落をすべて止めることはできない。

 

それでも、救助に必要な数秒を生み出すことはできる。

 

「負傷者を確認しました!」

 

「こちらへ!」

 

「慎重に運んで!」

 

最後の一人がセンチピーダーの身体に支えられて外へ出た。

 

ロックロックは、固定していた壁の状態を確認する。

 

「よし、ここは解除する!」

 

施錠を解除する。

 

壁の一部が、轟音を立てて崩れ落ちた。

 

間一髪だった。

 

「助かったな……」

 

ロックロックは息を吐く。

 

彼の耳には、次々と新しい報告が届いていた。

 

しかし、そのどれもが「勝利」を伝えるものではない。

 

負傷者の数。

 

行方不明者の確認。

 

建物の損壊状況。

 

避難者の受け入れ先。

 

そして、まだ救助を待っている人たちの声。

 

「……勝った後の方が、忙しいじゃねぇか」

 

ロックロックは呟いた。

 

その視線の先に、緑谷出久がいた。

 

出久もまた、救助活動に参加していた。

 

その隣には爆豪勝己。

 

二人とも、まだ戦闘による疲労が残っている。

 

それでも、立ち止まってはいなかった。

 

歓声はない。

 

勝利を祝う声もない。

 

ただ、目の前の人を助けるための声だけが、戦場に響いていた。

 

二、最後の崩落

「デク!」

 

爆豪の声が響いた。

 

出久は振り返る。

 

その瞬間、危険察知が反応した。

 

「上!」

 

出久が叫ぶ。

 

頭上の建物から、大きな梁が落下してくる。

 

その下には、救助班がいた。

 

「全員、離れて!」

 

出久は黒鞭を放った。

 

「黒鞭!」

 

複数の黒鞭が梁へ絡みつく。

 

一本目を建物の支柱へ。

 

二本目を道路の固定部分へ。

 

三本目を出久自身の身体へ巻きつける。

 

重量がかかる。

 

出久の身体が引き下げられた。

 

「ぐっ……!」

 

「デク!」

 

爆豪が飛び出した。

 

両掌から爆発。

 

梁の落下方向を、わずかに横へ逸らす。

 

「そのまま支えろ!」

 

「分かってる!」

 

出久は浮遊を発動し、身体を持ち上げた。

 

黒鞭を一本ずつ引き直す。

 

爆豪は梁の側面へ爆発を小さく連続して放ち、落下の勢いを弱める。

 

「まだ落ちるぞ!」

 

「分かってる!」

 

そこへロックロックが駆けつけた。

 

「固定する!」

 

彼は梁の接続部分へ手を触れる。

 

「施錠!」

 

梁が固定された。

 

完全に止まったわけではない。

 

それでも、落下を防ぐだけの時間はできた。

 

「センチピーダー!」

 

「了解!」

 

センチピーダーが救助班のもとへ身体を伸ばす。

 

「こちらへ! 早く!」

 

「避難します!」

 

全員が梁の下から離れた。

 

「もう大丈夫です!」

 

センチピーダーの声を聞き、出久は黒鞭を解除する。

 

梁はロックロックが固定した状態で止まっていた。

 

「……危なかった」

 

爆豪が息を吐く。

 

「まだ終わってねぇな」

 

「うん」

 

出久は周囲を確認する。

 

死柄木の破壊は止まった。

 

しかし、その破壊によって脆くなった建物が、まだいくつも残っている。

 

戦闘が終わったからといって、崩落の危険がなくなるわけではない。

 

「マニュアルさん!」

 

「何でしょう!」

 

「この建物の周囲に水を回して、粉塵を抑えられますか!」

 

「可能です! ただし、内部の状態を確認してからになります!」

 

「分かりました!」

 

出久は黒鞭を伸ばし、建物の内部を確認するための足場を作った。

 

爆豪は壁面へ爆発を小さく放ち、残っていた破片を落とす。

 

「壊しすぎるなよ!」

 

「分かってる!」

 

「お前の爆発は信用ならねぇ!」

 

「うるせぇ!」

 

二人は言い合いながら、作業を続けた。

 

その時、少し離れた場所から声が聞こえた。

 

「待ってください!」

 

避難していた女性が、救助班へ訴えていた。

 

「まだ中にいるんです! あの建物に、家族が!」

 

「落ち着いてください。確認しています!」

 

「でも、まだ返事がないんです!」

 

その声に出久は振り向いた。

 

彼女の身体は震えていた。

 

その手には、避難の途中で持ち出したらしい小さな鞄が握られていた。

 

「すみません!」

 

出久は駆け寄った。

 

「僕たちが確認します」

 

女性は出久を見た。

 

「ヒーロー……」

 

その言葉には、期待と不安が同時に含まれていた。

 

「お願いします。どうか……」

 

出久は、すぐには「大丈夫です」と言えなかった。

 

必ず助けられると約束することはできない。

 

だからこそ、確かなことだけを伝えた。

 

「必ず確認します。見つかったら、すぐにお伝えします」

 

女性は小さく頷いた。

 

出久は振り返り、爆豪へ目を向けた。

 

爆豪は、すでに動いていた。

 

「行くぞ」

 

「うん!」

 

二人は、再び崩れた建物へ向かった。

 

三、戦う場所から救う場所へ

建物の内部は、ひどい状態だった。

 

柱が折れ、天井が傾き、通路の一部が塞がれている。

 

出久は浮遊を使い、梁の隙間を通り抜けた。

 

「こちら緑谷! 内部に入った!」

 

『ロックロックだ! 無理に進むな! 固定できる部分を探している!』

 

「了解しました!」

 

爆豪は出久の後方にいた。

 

「俺は上から見る」

 

爆発で身体を浮かせ、天井の隙間から内部を確認する。

 

「右側の壁が崩れかけている! そっちは通るな!」

 

「分かった!」

 

出久は黒鞭を伸ばした。

 

瓦礫の隙間へ通し、奥にいる人の位置を探る。

 

「……反応がある!」

 

その時、内部から小さな声が聞こえた。

 

「誰か……いるんですか」

 

「ヒーローです! 声は聞こえていますか!」

 

「はい……!」

 

出久は、すぐに黒鞭を伸ばした。

 

しかし、その先には倒れた家具と崩れた壁があった。

 

人が一人通れるほどの隙間しかない。

 

「勝っちゃん!」

 

「分かってる!」

 

爆豪は壁へ掌を向けた。

 

大きな爆発ではなく、小さな爆発を何度かに分けて放つ。

 

壁の外側に残っていた破片を落とし、通路を広げていく。

 

「これ以上やると、上が落ちる!」

 

爆豪が言った。

 

「なら、僕が支える!」

 

出久は黒鞭を伸ばし、天井の梁へ絡めた。

 

さらに浮遊を使い、自分の身体を上へ持ち上げる。

 

「今なら通れる!」

 

爆豪が身体を低くする。

 

「おい! 聞こえるか!」

 

「はい!」

 

「こっちへ来い! ゆっくりでいい!」

 

中にいた人が、少しずつ動く。

 

瓦礫が小さく揺れる。

 

出久の黒鞭が軋む。

 

「早く!」

 

「急がせるな!」

 

爆豪が怒鳴った。

 

「焦らせて動かしたら、また崩れる!」

 

出久は息を整えた。

 

「……ごめん」

 

「謝るな。支えろ!」

 

出久は黒鞭を引き直した。

 

その間に、内部の人が隙間を通ってくる。

 

爆豪が手を伸ばした。

 

「つかめ!」

 

その人の腕を取る。

 

出久は浮遊で身体を支え、最後の瓦礫を黒鞭で引き上げた。

 

「よし!」

 

二人は、その人を外へ運び出した。

 

待っていた女性が、駆け寄ってくる。

 

「お父さん!」

 

「大丈夫か……?」

 

「よかった……!」

 

二人は互いを確かめるように抱き合った。

 

出久は、その姿を見て小さく息を吐いた。

 

爆豪も、視線を逸らす。

 

「……次だ」

 

「うん」

 

「まだ助けを待ってる奴がいる」

 

出久は頷いた。

 

死柄木との戦いは終わった。

 

しかし、彼らの戦いはまだ続いていた。

 

四、スピナーの決断

「スピナー!」

 

ロックロックの声が響いた。

 

スピナーは、崩れた壁の前に立っていた。

 

その巨大な身体に、複数の腕が備わっている。

 

彼はその腕を使って、瓦礫を支えていた。

 

「そこを離れろ! まだ崩れるぞ!」

 

「分かってる!」

 

「分かっているなら、勝手に動くな!」

 

「俺が支えなきゃ、ここが潰れる!」

 

ロックロックは、周囲を確認した。

 

確かに、スピナーの身体が支えている部分は、避難経路の一部になっている。

 

彼が離れれば、通路が塞がれる可能性がある。

 

「マニュアル! 水流を調整してくれ!」

 

「了解!」

 

水が瓦礫の隙間を流れる。

 

「センチピーダー! こっちへ!」

 

「はい!」

 

センチピーダーが長い身体を伸ばし、通路の奥へ入っていく。

 

「取り残された人はいませんか!」

 

「こちらに一人います!」

 

「分かりました! 少し待ってください!」

 

バブルガールが泡を広げ、頭上の破片を包み込む。

 

ロックロックが、スピナーの支えている瓦礫へ手を触れた。

 

「施錠!」

 

固定。

 

「これで少しは持つ!」

 

「なら、俺が離れる!」

 

スピナーは腕を動かし、別の瓦礫を押し上げた。

 

その下から、負傷した人が運び出される。

 

「助かりました!」

 

その人は、スピナーの姿を見て固まった。

 

彼の異形の身体。

 

かつて死柄木の仲間として戦った男。

 

助けられた人は、彼を知っていたのかもしれない。

 

「……あなたは」

 

スピナーは、その視線を受け止めた。

 

「俺は、敵だった」

 

その人は黙っていた。

 

「今、俺がしたことを理由に、過去が消えるとは思っていない」

 

スピナーは続けた。

 

「俺が助けたからといって、許してほしいとも言わない」

 

その人は、まだ警戒していた。

 

当然だった。

 

スピナーは、かつて多くの人々を傷つける側にいた。

 

今の行動だけで、すべてを帳消しにできるわけではない。

 

「……それでも、助けてくれたことには礼を言います」

 

その人は、小さく頭を下げた。

 

スピナーは目を伏せた。

 

「そうか」

 

ロックロックは、その様子を見ていた。

 

「お前はどうする」

 

「何がだ」

 

「これからだ。死柄木がいなくなった後、お前はどうする」

 

スピナーはすぐに答えられなかった。

 

彼は、死柄木の仲間だった。

 

彼の言葉を広めた。

 

彼の怒りに自分の怒りを重ねた。

 

その過去は消えない。

 

「まだ分からない」

 

スピナーは正直に答えた。

 

「だが、誰かの怒りを代わりに背負って生きるつもりはない」

 

「……そうか」

 

「俺は、俺のしたことを引き受ける。これから何をするかも、自分で決める」

 

ロックロックは、少しだけ頷いた。

 

「なら、まずはここを片づけるぞ」

 

「命令か?」

 

「違う。俺の判断だ」

 

スピナーは、小さく笑った。

 

「そうかよ」

 

彼は、再び腕を動かした。

 

五、死柄木のいる場所

死柄木弔は、拘束された状態で医療班の管理下に置かれていた。

 

その周囲には複数のヒーローが立っている。

 

彼が再び動けば、すぐに対応できるよう警戒は解かれていない。

 

出久は、救助活動の報告を終えた後、死柄木のいる場所へ向かった。

 

爆豪も同行している。

 

「死柄木」

 

出久が呼びかける。

 

死柄木は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「何だ」

 

「周囲の被害状況を確認している」

 

「そうか」

 

「まだ救助が必要な人がいる」

 

「俺には関係ない」

 

爆豪が眉を寄せる。

 

「てめぇが壊した場所だぞ」

 

「だから何だ」

 

「何だと?」

 

「俺が壊した。俺が選んだ。今さら、そこに何を足せと言う」

 

出久は、死柄木の目を見た。

 

「君が壊したことは変わらない」

 

「分かっている」

 

「助けられなかった人もいるかもしれない」

 

「……」

 

「君の行為で家族を失った人もいる。帰る場所を失った人もいる」

 

死柄木は視線を逸らした。

 

「それがどうした」

 

「それを、僕たちはなかったことにしない」

 

「勝利を誇るためか」

 

「違う」

 

出久は首を横に振る。

 

「君がしたことを、君が引き受けるためだ」

 

死柄木は笑った。

 

「俺に何をしろと言う」

 

「今、僕が君に命令するつもりはない」

 

「ならば帰れ」

 

出久は、すぐには動かなかった。

 

「君は、さっき最後に自分で手を止めた」

 

死柄木の指がわずかに動く。

 

「……それが何だ」

 

「誰かに決められたんじゃない。君が自分で決めた」

 

「俺は、破壊を続けられなくなっただけだ」

 

「それでも、君が手を止めたことは事実だ」

 

死柄木は、出久を見た。

 

「お前は、それを希望と呼ぶのか」

 

「呼ばない」

 

出久は答えた。

 

「それだけで君が変わったとは思わない。君がしたことを許す理由にもならない」

 

「ならば、何の意味がある」

 

「君が、自分の選択をしたということだよ」

 

死柄木は黙った。

 

爆豪が腕を組む。

 

「お前は、自分で決めたと言ったんだろ」

 

「そうだ」

 

「なら、その結果から逃げるな」

 

「逃げるつもりはない」

 

「だったら、その先も引き受けろ」

 

死柄木は爆豪を見た。

 

「お前たちは、勝者として俺を裁くつもりか」

 

爆豪は即座に首を横に振る。

 

「俺たちが勝ったからって、全部正しくなるわけじゃねぇ」

 

出久も頷いた。

 

「僕たちだって、間違える。見落とすこともある」

 

「……」

 

「だから、これからも考える。君を止めた後に、何をしなければならないのか」

 

死柄木は、二人を見つめていた。

 

「勝利の後まで、面倒なことをするんだな」

 

「当たり前だろ」

 

爆豪が言った。

 

「勝っただけで全部終わるなら、ヒーローなんざ必要ねぇ」

 

死柄木は答えなかった。

 

六、戻らないもの

保護区域。

 

救助された人々が、少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。

 

だが、すべての人が安心できたわけではない。

 

医療班の前では、治療を受ける人々が順番を待っている。

 

その中には、家族を失った人もいた。

 

まだ所在が確認できない人を探す者もいた。

 

そして、自宅が崩壊したことを知らされ、言葉を失っている人もいた。

 

「……家が」

 

一人の男性が、崩れた街を見つめていた。

 

「もう、戻れないんですね」

 

隣にいたヒーローは、すぐに答えられなかった。

 

「復旧の計画は、これから進められます」

 

「いつですか」

 

「それは……」

 

「いつ、戻れるんですか」

 

男性の声が震える。

 

「家だけじゃない。仕事も、暮らしも、近所にいた人たちも。全部、ここにあったんです」

 

ヒーローは、頭を下げた。

 

「申し訳ありません」

 

「謝ってほしいわけじゃないんです」

 

男性は、顔を上げた。

 

「どうすればいいのかを教えてほしいんです」

 

その言葉に、周囲の人々も顔を向ける。

 

「家族はどこにいるんですか」

 

「治療費はどうなるんですか」

 

「明日から、どこで暮らせばいいんですか」

 

「私たちは、これからどうすればいいんですか」

 

その声は、誰かを責めるためだけのものではなかった。

 

生きていくために必要な質問だった。

 

そして、それに答える仕組みは、まだ整っていなかった。

 

出久は、その光景を見ていた。

 

自分たちは死柄木を止めた。

 

それは確かに、多くの命を救った。

 

だが、救えなかったものもある。

 

壊れた街。

 

失われた家族。

 

戻らない日常。

 

そして、戦場に立てず、誰かを助けることもできず、ただ避難するしかなかった人々の無力感。

 

「……勝ったんだよね」

 

出久が呟く。

 

爆豪は、その言葉を聞いていた。

 

「そうだ」

 

「でも、みんなが笑っているわけじゃない」

 

「当然だろ」

 

「僕たちが勝っても、失われたものは戻らない」

 

「そうだ」

 

爆豪は視線を逸らさなかった。

 

「だから、これからやることがある」

 

出久は頷いた。

 

「うん」

 

七、英雄を待つ人々

「緑谷さん!」

 

声をかけられた。

 

振り向くと、避難区域にいた少年が立っていた。

 

彼は片手に、小さな玩具を握っている。

 

「あなたが、あの人を止めたんですか」

 

「……うん。仲間と一緒にね」

 

「すごい」

 

少年は言った。

 

「僕、テレビでヒーローを見ていました。だから、みんなが助けてくれると思っていました」

 

出久は、少しだけ目を細めた。

 

「そう思ってくれていたんだね」

 

「でも、家が壊れました」

 

少年は玩具を握りしめる。

 

「お父さんの仕事もなくなりました。お母さんは、まだ帰ってきていません」

 

出久は言葉を失った。

 

「ヒーローは、勝ったんですよね」

 

「……うん」

 

「だったら、どうして僕たちはまだ困っているんですか」

 

その問いは、出久にとって簡単なものではなかった。

 

「戦いに勝つことと、みんなの生活を元に戻すことは違うからだよ」

 

「じゃあ、どうするんですか」

 

出久は少年の目を見た。

 

「これから、みんなで考える。君のお母さんを探すことも、君の家族がこれからどう暮らすのかも、僕たちにできることを探す」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

出久は頷いた。

 

ただし、必ずすべてが元に戻ると約束することはできなかった。

 

それでも、目を逸らさないことはできる。

 

少年は少しだけ頷いた。

 

「待っています」

 

その言葉を残し、少年は医療班のところへ戻っていった。

 

出久は、その背中を見つめていた。

 

爆豪が横に立つ。

 

「答えられなかったな」

 

「うん」

 

「だが、嘘はつかなかった」

 

「……そうだね」

 

爆豪は拳を握る。

 

「ヒーローが勝ったからって、助かった奴らが全員幸せになるわけじゃねぇ」

 

「うん」

 

「それでも、俺たちが何もしなけりゃ、もっとひどくなる」

 

出久は頷いた。

 

「だから、これからも動く」

 

爆豪は、短く答えた。

 

「そういうことだ」

 

八、死柄木の向こう側にいる人々

死柄木は、遠くから保護区域の様子を見ていた。

 

彼の周囲には、拘束と監視を担当するヒーローたちがいる。

 

スピナーも、少し離れた位置にいた。

 

「見ているのか」

 

スピナーが尋ねる。

 

「何をだ」

 

「避難した人たちを」

 

「見ていない」

 

「そうか」

 

スピナーは、その場に立ったまま言った。

 

「俺は、あんたが何に怒っていたのか、少しは分かるつもりでいた」

 

死柄木は答えない。

 

「でも、今は違うことも考えている」

 

スピナーは保護区域の方を見た。

 

「ここにいる人たちにも、それぞれの人生がある。あんたが壊したものだけじゃなくて、俺たちが見ていなかったものもある」

 

「……」

 

「俺は、あんたの怒りを覚えている。だが、それだけじゃ足りないんだと思う」

 

死柄木が視線を向ける。

 

「何が足りない」

 

「怒りの先に、何を残すのかだ」

 

スピナーは答えた。

 

「壊すことだけを残しても、その後に生きていく人たちはどうすればいい」

 

「俺の知ったことじゃない」

 

「そうかもしれない」

 

スピナーは頷いた。

 

「でも、俺は考える」

 

死柄木は笑った。

 

「お前はヒーローになるつもりか」

 

「そんな簡単な話じゃねぇ」

 

スピナーは即答した。

 

「俺がやってきたことは消えない。俺の罪も、あんたと一緒に戦った過去も消えない」

 

「ならば、何をする」

 

「自分で決める」

 

スピナーは、もう一度その言葉を口にした。

 

「俺が何を信じて、何をするのか。誰かに決めてもらわない」

 

死柄木は、それ以上何も言わなかった。

 

スピナーも、これ以上説明しようとはしなかった。

 

二人の間にあるものは、まだ消えていない。

 

それでも、同じ結末を選ぶ必要はなかった。

 

九、戦いが終わった後の戦い

「緑谷、爆豪!」

 

ロックロックが近づいてきた。

 

「お前たちも、一度休め」

 

「まだ救助が残っています」

 

出久が答える。

 

「分かっている。だが、負傷したまま動き回っても二次被害が出る」

 

「……」

 

「お前たちが助けた人間を、今度はお前たちの無理で危険にさらすな」

 

爆豪が鼻を鳴らす。

 

「正論ばっか言いやがって」

 

「正論を聞けるうちに聞いておけ」

 

ロックロックは、二人の状態を確認した。

 

「医療班で診てもらえ。こちらは俺たちが引き継ぐ」

 

「分かりました」

 

出久は頷いた。

 

その時、マニュアルが近づいてきた。

 

「緑谷さん、爆豪さん。避難区域の水の確保が終わりました。飲料用の水は別途確認が必要ですが、洗浄と消火用の水は確保できています」

 

「ありがとうございます」

 

バブルガールも報告する。

 

「泡を使った簡易的な保護区域は作れました。ただ、長時間の維持は難しいです」

 

センチピーダーが続く。

 

「負傷者の移送はひとまず完了です。ですが、今後の捜索が必要になる可能性があります」

 

ロックロックは、全員を見回した。

 

「よし。これからは、救助と復旧を分けて考える。捜索を続ける者、避難区域を維持する者、建物の安全を確認する者。それぞれ役割を決めるぞ」

 

「了解!」

 

「ヒーローたちの負傷状況も確認しろ!」

 

「分かりました!」

 

出久は、その光景を見ていた。

 

戦いの中心にいた時とは違う。

 

だが、ここにも確かな戦いがある。

 

一つの個性が、すべてを解決することはない。

 

一人のヒーローが、すべてを背負うこともできない。

 

それでも、役割を分け、力を合わせれば、少しずつ前へ進むことはできる。

 

「勝っちゃん」

 

「あ?」

 

「僕たちも、何かできることを考えよう」

 

「考えるだけじゃなく、やるぞ」

 

「うん」

 

爆豪は歩き始めた。

 

出久も続く。

 

十、怒りの向こう側

夕暮れが、崩れた街を照らしていた。

 

戦場だった場所には、救助用の照明が並び始めている。

 

ヒーローたちは、まだ動いていた。

 

負傷者の搬送。

 

行方不明者の捜索。

 

避難区域の整理。

 

壊れた道路の確認。

 

どれも、簡単には終わらない仕事だった。

 

出久は、保護区域の端に立っていた。

 

遠くに、死柄木がいる。

 

拘束され、監視されている。

 

少し離れたところに、スピナーもいた。

 

爆豪が隣に立つ。

 

「何を考えている」

 

「怒りの向こう側って、何があるんだろうと思って」

 

「急に難しいことを言い出したな」

 

「ごめん」

 

「謝るな」

 

爆豪は崩れた街を見た。

 

「怒りが消えるわけじゃねぇ」

 

「うん」

 

「死柄木がしたことも消えねぇ」

 

「うん」

 

「スピナーがやってきたことも、なくならねぇ」

 

「そうだね」

 

爆豪は拳を握る。

 

「それでも、ここから先をどうするかは、まだ決まってねぇ」

 

出久は頷いた。

 

「僕たちが決めていくんだね」

 

「俺たちだけじゃねぇ」

 

爆豪は保護区域の人々を見た。

 

「ここにいる奴らも、これから生きていく奴らも、自分で決める」

 

出久は、その言葉を聞いていた。

 

怒りの向こう側には、簡単な答えはなかった。

 

許しがあるわけでもない。

 

忘却があるわけでもない。

 

死柄木が止まったからといって、すべてが元に戻るわけでもない。

 

ただ、これから生きていく人たちがいる。

 

失ったものを抱えながら、明日を迎えなければならない人たちがいる。

 

その人たちに対して、ヒーローたちは何を説明し、何を提供できるのか。

 

出久は考え始めていた。

 

その時、スピナーが近づいてきた。

 

「緑谷」

 

「スピナー……」

 

「俺は、これからどうなるか分からない」

 

「……うん」

 

「自分がやったことを、なかったことにするつもりはない」

 

スピナーは死柄木の方を見た。

 

「俺は、あいつを信じていた。あいつに居場所をもらったと思っていた。だから、あいつの怒りを広めた」

 

「うん」

 

「でも、あいつと同じ結末を選ぶつもりはない」

 

スピナーは出久を見た。

 

「俺は、俺の人生を選ぶ」

 

出久は頷いた。

 

「それが、スピナーの答えなんだね」

 

「ああ」

 

「……僕も、自分の選択を続ける」

 

「そうか」

 

スピナーは、少しだけ笑った。

 

「なら、お互い自分で考えるしかないな」

 

爆豪が割り込む。

 

「話は終わりか」

 

「何だよ」

 

「こっちはまだやることがある」

 

「お前は相変わらずだな」

 

「あぁ?」

 

出久は、二人のやり取りを見ていた。

 

同じ場所に立っているわけではない。

 

同じ答えを持っているわけでもない。

 

それでも、それぞれの人生は続いていく。

 

そして、出久たちはその人生を、誰かの代わりに決めることはできない。

 

十一、憤怒編後編・終幕

夜が訪れた。

 

戦場だった街には、仮設の照明が灯されている。

 

救助活動は続いている。

 

医療班は負傷者の治療を進め、避難区域では家族の安否確認が行われていた。

 

死柄木は、厳重な監視下に置かれている。

 

スピナーもまた、今後の扱いについて判断を受けることになるだろう。

 

彼らがこれからどうなるのかは、まだ決まっていない。

 

出久は、保護区域の隅で、救助された人々を見ていた。

 

泣いている人。

 

誰かを探している人。

 

何も言わずに座っている人。

 

救助されたことに感謝している人。

 

それでも、怒りを抱えている人。

 

そのどれもが、戦いの結果だった。

 

「緑谷」

 

ロックロックが声をかける。

 

「どうした」

 

「これからのことを考えているのか」

 

「はい」

 

「だったら、一つ覚えておけ」

 

ロックロックは、崩れた街を見た。

 

「俺たちは、勝った」

 

「……」

 

「だが、勝ったことを理由に、被害を受けた人間の声を聞かなくなったら、それは間違いだ」

 

出久は頷いた。

 

「はい」

 

「ヒーローが称賛されることはあるだろう。だが、称賛だけで家は戻らない。家族も戻らない。仕事も、暮らしも、元通りになるわけじゃない」

 

「分かっています」

 

「分かっているだけじゃ足りない」

 

ロックロックは言った。

 

「これから何をするかだ」

 

出久は、しばらく黙っていた。

 

やがて、ゆっくりと答えた。

 

「僕たちにできることを考えます」

 

「俺たちにも考えさせろ」

 

ロックロックは笑った。

 

「一人で背負うなよ」

 

出久は少しだけ笑った。

 

「はい」

 

その言葉を聞き、爆豪が横から口を挟む。

 

「ようやく覚えたか」

 

「勝っちゃん!」

 

「忘れんなよ」

 

「分かってる」

 

爆豪は前を向いた。

 

「俺たちは、これからも戦うことになる。戦いが終わった後もな」

 

出久は、その言葉を胸に刻んだ。

 

憤怒は終わっていない。

 

死柄木の怒りが消えたわけではない。

 

スピナーの過去も消えない。

 

そして、出久自身の迷いも、爆豪の怒りも、すべてが解決したわけではない。

 

それでも、彼らは次へ進む。

 

怒りの向こう側にあるものを見つけるために。

 

戦いの後に残された人々と向き合うために。

 

そして、ヒーローという言葉が何を意味するのか、改めて問い直すために。

 

出久は、最後にもう一度、崩れた街を見た。

 

「……まだ、終わっていない」

 

爆豪が答える。

 

「当たり前だ」

 

スピナーも、少し離れた場所から街を見ていた。

 

死柄木は、何も言わなかった。

 

四人の答えは、まだ違う。

 

それぞれの未来も、まだ定まっていない。

 

ただ、ひとつ確かなことがある。

 

戦いが終わったからといって、誰かの痛みが終わるわけではない。

 

そして、勝利した側が、その痛みを代わりに所有することもできない。

 

だからこそ、これから必要なのは、勝利を誇ることではなく、勝利の後に何をするかだった。

 

憤怒編・後編、最終決戦の終幕。




憤怒編終幕。次話後始末編
後始末編数話やってそのあと後日談編。これも数話やったら6章終幕。ついに最終章7章に入ります。死者蘇生事件、安寧システムの狙い裏側など私の宇宙論に触れます。出久たちの選択とか楽しみにしてください。6章は因縁メインでしたが7章はクライマックスに向けて怒涛の伏線回収クライマックスにふさわしいラスト予定しているので楽しみにしてください
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