一、戦いのない戦場
朝。
仮設救護所には、消毒液の匂いと人々の話し声が混じっていた。
負傷者の手当てが続き、医療スタッフが慌ただしく行き交う。
屋外には、救援物資を運ぶ車両が並んでいた。
その一角で、緑谷出久は段ボール箱を持ち上げていた。
「こちらに水と保存食を置きます!」
「ありがとう。そっちは医療用品だから、別の場所に運んで!」
「分かりました!」
出久は箱を運ぶ。
その横を、爆豪勝己が大きな荷物を抱えて通り過ぎた。
「おい、デク。そっちは終わったのか」
「うん。次は避難区域の確認に行こうと思ってる」
「その前に医療班へ行け」
「でも、まだ荷物が――」
「身体の状態を確認してからにしろ。前の戦闘でどれだけ無茶したと思ってんだ」
「大丈夫だよ」
「その言葉はもう聞き飽きた」
爆豪は荷物を置くと、出久の額を指で軽く押した。
「一人で全部やろうとすんな」
出久は苦笑した。
「分かってるよ」
「本当に分かってんだろうな」
「……努力する」
「そこは即答しろ!」
少し離れた場所で、飯田天哉が二人に気づいた。
「緑谷君! 爆豪君! こちらの搬入作業が完了しました!」
「飯田君!」
「次は避難者の名簿と救援物資の照合を行います。必要な人員を確認しているところです!」
「分かった。僕も手伝うよ」
「その前に医療班だ!」
爆豪が怒鳴った。
「ええ! 緑谷君、君は先に診察を受けてくれ!」
「飯田君まで……」
出久は困ったように笑った。
爆豪は鼻を鳴らし、次の荷物を運び始める。
そこには、戦場で死柄木と向き合っていた時とは違う光景があった。
爆発も、黒鞭も、破壊もない。
だが、戦いが終わった後の仕事は続いている。
その時だった。
「緊急連絡!」
救護所の通信機が鳴った。
「南東地区の臨時避難施設で、余震による構造物の崩落が発生! 内部に取り残された人がいます!」
出久と爆豪が同時に顔を上げた。
「行くぞ!」
爆豪が立ち上がる。
「うん!」
二人は救助用の装備を確認し、現場へ走り出した。
戦いは終わった。
だが、目の前に救助を必要とする人がいるなら、ヒーローの仕事は終わらない。
二、第二次崩落
現場は、かつて商業施設として使われていた建物だった。
戦闘時の被害によって一部が損傷し、現在は避難所と物資の集積場所として利用されている。
そこへ余震が発生した。
建物の一角が崩れ、出入口が瓦礫で塞がれている。
「こちらが崩落地点です!」
現場のサイドキックが説明する。
「内部に避難者が三名。救援物資の搬入を担当していたスタッフも二名、所在が確認できていません!」
「五名か……」
出久は建物を見上げた。
傾いた外壁。
亀裂の入った床。
崩れた天井。
そのすべてが、二次崩落の危険を抱えている。
「内部の状況は?」
「詳細は分かっていません。通信も途切れています」
爆豪が周囲を見回す。
「正面から吹き飛ばすわけにはいかねぇな」
「うん。建物全体が不安定だから、衝撃を与えすぎると危険だ」
「分かってる」
爆豪は掌を見つめた。
「使う場所を選ぶ」
「僕も黒鞭で内部を確認する」
その時、後方から声が聞こえた。
「お前たちだけで突入するな!」
相澤消太だった。
包帯の残る身体で、救助現場の状況を確認している。
隣にはプレゼント・マイクがいた。
「おーい! 全員、こっちに注目! 避難経路は西側に一本だけ確保されてる! 無理に別の出入口を作るなよ!」
「相澤先生!」
出久が駆け寄る。
「状況は把握しているか」
「はい。五名が内部に取り残されているようです」
「分かった。突入は救助経路を確保してからだ。今は個性を使える者を配置する」
相澤は周囲を見回した。
そこには、雄英高校の生徒たちがいた。
A組。
そしてB組。
彼らは、それぞれ救助活動に参加していた。
「緑谷、爆豪。お前たちは内部の状況確認と、救助対象の確保を担当しろ」
「はい!」
「俺もいるんだろ?」
爆豪が言う。
「勝手に先行するな」
「分かってる」
「分かっていない奴ほど、そう言う」
相澤は溜息をついた。
「八百万、物資の確認は?」
「完了しています。簡易支柱、補助材、担架、救助用器具を用意しました」
八百万百が答える。
「轟、氷で崩落箇所を固定できるか?」
「範囲を見てからだ。無理に凍らせると、別の場所に負荷がかかる」
「そうだ。必要な部分だけ補強しろ」
「了解」
「飯田、避難者の誘導。麗日、瓦礫の移動。切島、危険区域の補助。耳郎は内部の音を確認しろ」
「了解!」
A組の生徒たちが動き出す。
相澤はB組にも目を向けた。
「拳藤、周囲の安全確保を頼む」
「はい!」
「鉄哲は崩落区域の外側で待機。必要なら補強に入れ」
「任せてください!」
「骨抜、地面の状態を確認しろ。柔化を使う場合は範囲を限定すること」
「分かりました」
「塩崎、蔦で固定できるものを調べろ」
「承知しました」
「物間、個性のコピーは救助に必要なものを優先しろ。無理に前へ出るな」
「分かっていますよ、先生」
物間寧人は腕を組んだ。
「この状況で自分の見せ場を優先するほど、僕は愚かではありません」
「その言葉を忘れるな」
相澤は短く言った。
「全員、救助を最優先にする。見栄を張るな。無理をするな。助けられる人数を競うな」
出久は、その言葉を聞きながら拳を握った。
戦場とは違う。
ここでは、倒す相手はいない。
だが、時間との戦いがある。
三、個性総動員
「内部の音を確認します!」
耳郎響香が、イヤホンジャックを床へ差し込んだ。
建物の奥へ音を伝え、振動を聞き取る。
「……待って」
彼女は眉を寄せた。
「奥から返事がある。二人は東側。残りは、その少し手前」
「位置は分かるか?」
相澤が問う。
「正確にはまだ。でも、天井の一部が邪魔しているみたい」
「分かった。八百万、支柱を用意」
「はい!」
八百万は創造で補助用の器具を作り出す。
「こちらに用意しました。必要に応じて使ってください」
「轟!」
「了解」
轟焦凍が片手を地面へ向ける。
氷が広がり、傾きかけた壁の下部を支える。
ただし、全面を凍らせるのではない。
相澤の指示を受け、力のかかる部分を見極めながら、必要な箇所だけを固定する。
「この状態なら、しばらく持つ」
「よし。次だ!」
麗日お茶子が瓦礫へ触れた。
「ゼログラビティ!」
大きなコンクリート片の重力が消える。
「浮いた!」
「私が押します!」
拳藤一佳が巨大化した両手で瓦礫を支えた。
「骨抜!」
「任せて!」
骨抜柔造が地面へ触れる。
崩れた床の一部が柔らかく変化し、瓦礫が沈み込む。
「今のうちに通路を広げる!」
上鳴電気が周囲の設備を確認する。
「電気系統は切れてる。だけど、まだ通電してる部分があるかもしれない!」
「確認が済むまで触らないでください!」
八百万が注意する。
「分かってるって!」
峰田実が、壁の向こう側へポップオフを放つ。
粘着性のある球が瓦礫に付着した。
「これで細かい破片が落ちるのを防げるぞ!」
「いいぞ、峰田!」
切島鋭児郎が身体を硬化させ、瓦礫の下へ入る。
「俺が支える! 早く通せ!」
「無理をするな!」
相澤が声を上げる。
「分かってる!」
一方、B組では塩崎茨の蔦が、崩れかけた壁へ絡みついていた。
「蔦よ、崩れゆくものを支えなさい!」
複数の蔦が柱と梁をつなぐ。
鉄哲徹鐵は硬化した身体で、落下する破片を受け止める位置に立っていた。
「こっちは任せてください!」
小森希乃子は、通路の壁にキノコを生やしていく。
「これで、どこまで空気が通ってるか分かると思う!」
「いい判断ですわね!」
八百万が頷く。
物間は、相澤の個性をコピーしていた。
「少しだけですが、僕も参加しますよ!」
視線の先にいるのは、倒れかけた設備の影に隠れている危険な作動機械だった。
戦闘用の敵ではない。
被災した施設に残された設備が、損傷した状態で動いている。
「物間!」
相澤が注意する。
「分かっています! 必要な範囲だけ止めます!」
物間は個性を発動する。
機械の動きが止まった。
その隙に、拳藤が巨大化した手で設備を安全な位置へ押し戻す。
「今よ!」
「よし!」
救助経路が開いた。
「緑谷!」
相澤が声を上げる。
「突入しろ!」
「はい!」
出久は黒鞭を伸ばした。
瓦礫の隙間を通し、奥の位置を探る。
その先に、人の気配がある。
「見つけた!」
四、瓦礫の向こう側
「聞こえますか!」
出久は黒鞭を伸ばしたまま呼びかけた。
「ヒーローです! 今、救助に向かっています!」
「こちらにいます……!」
弱い返事が聞こえた。
「怪我はありますか!」
「足が……動かせません」
出久は、すぐに内部の状況を確認した。
一人の避難者が、崩れた設備の下にいた。
その周囲には、複数の瓦礫が重なっている。
無理に引っ張れば、さらに崩れる可能性がある。
「勝っちゃん!」
「分かってる!」
爆豪は、出久の背後へ回り込んだ。
「俺が上を確認する」
爆発を小さく使い、浮遊しながら天井の状態を調べる。
「天井はまだ持つ。だが、左側の梁が危ねぇ!」
「轟!」
「分かってる」
轟の氷が、梁の下へ伸びる。
「これで少しは持つ」
「切島!」
「任せろ!」
切島が硬化した身体で、瓦礫の一部を支える。
「麗日、下の瓦礫を!」
「うん!」
麗日が手を触れ、重力を消す。
その瞬間、骨抜が地面を柔らかくする。
「ゆっくり沈める!」
瓦礫の重みが、少しずつ逃げていく。
「今だ!」
出久は黒鞭を伸ばした。
負傷者の身体を支える。
「つかまってください!」
「はい……!」
その身体を慎重に引き出していく。
しかし、出入口の近くで大きな梁が揺れた。
「危ない!」
耳郎が叫ぶ。
「上の振動が変わった!」
「全員、退避!」
相澤が声を上げる。
出久は負傷者を抱えたまま、黒鞭で身体を引き上げた。
その直後、梁が崩れた。
「緑谷!」
爆豪が爆発を放つ。
梁の落下方向を逸らす。
轟の氷が、崩れた部分を一時的に支える。
塩崎の蔦が、残った構造物をつなぐ。
鉄哲が身体を硬化させ、さらに崩れる瓦礫を受け止めた。
「まだ持つ!」
「急いでください!」
飯田が救助経路を確保する。
「こちらへ! 搬送します!」
出久は負傷者を救助班へ引き渡した。
「ありがとうございます……!」
その人は、何度も頭を下げた。
「礼はいいです。まずは治療を受けてください」
出久は答える。
その時、建物の奥から別の声が聞こえた。
「まだいます!」
耳郎が言う。
「あと二人!」
出久は振り返った。
まだ終わっていない。
「行こう!」
爆豪が頷く。
二人は再び瓦礫の向こうへ進んでいった。
五、英雄への質問
救助活動が一段落した頃。
仮設施設の一角で、出久は避難者の男性に呼び止められた。
「緑谷君」
「はい」
男性は、左腕を包帯で巻いていた。
戦闘の影響で負傷したらしい。
「君たちが死柄木を止めたんだね」
「はい。多くの人たちと一緒に」
「そうか」
男性は少しだけ頷いた。
「ありがとう」
出久は頭を下げた。
「いえ……」
「でも、聞きたいことがある」
男性の表情が変わった。
「私の家は壊れた。仕事場もなくなった。家族は全員助かったけれど、これからどうすればいいのか分からない」
出久は黙って聞いていた。
「君たちは勝った。たくさんの命を救った。それは本当だと思う」
男性は続ける。
「でも、私たちの生活は戻らない」
「……はい」
「ヒーローは、これから何をしてくれるんだ?」
出久は、すぐには答えられなかった。
「復旧を進めます。被災者の支援も必要です。僕たちも協力します」
「それは誰が決めるんだ?」
「……」
「誰が費用を出して、誰が家を失った人に住む場所を用意するんだ? 仕事を失った人にはどうする? 治療を受ける人には?」
男性は、出久を見た。
「君たちが頑張ると言ってくれることは嬉しい。だが、頑張りますという言葉だけでは生活できないんだ」
出久は拳を握った。
「その通りです」
「君は、私に何を約束できる?」
「今の僕には、すべてを約束することはできません」
出久は正直に答えた。
「でも、あなたの話を聞いたことを、なかったことにはしません。必要な支援が何か、どこに伝えるべきか、確認します」
男性は、少しだけ視線を落とした。
「君が悪いと言っているわけじゃない」
「はい」
「でも、ヒーローが勝ったという話だけで、この被害を終わらせてほしくない」
「……はい」
「私たちは、まだ終わっていないんだ」
出久は深く頭を下げた。
「分かりました」
その言葉は、安易な謝罪ではなかった。
彼は、男性の生活を元に戻すことはできない。
しかし、聞いた話から目を逸らすこともできない。
それが、今の出久にできることだった。
六、英雄の勝利を誰が払う
その日の午後。
雄英高校の臨時会議室には、プロヒーロー、教師陣、A組とB組の代表者たちが集まっていた。
大きなモニターには、戦後の被害状況が表示されている。
建物の損壊。
負傷者。
避難者。
行方不明者。
生活基盤を失った人々。
そして、復旧に必要な支援の見込み。
根津校長は、机の上の資料を静かに見つめていた。
「まず、確認しておきましょう」
その声は穏やかだった。
「今回の決戦において、ヒーローたちは多くの命を救いました。現場での迅速な救助活動も、被害の拡大を防ぐうえで大きな成果を上げています」
出久は黙って聞いていた。
「しかし、それと同時に、戦後の被害は非常に大きい。建物の損壊だけでなく、仕事や住居を失った方々、負傷によって日常生活が変わってしまった方々、家族を失った方々がいます」
根津は、モニターを切り替えた。
そこには、避難者から寄せられた質問が並んでいた。
『誰が生活を保障してくれるのか』
『家族を失ったことに対して、誰が説明するのか』
『戦闘が始まる前に、もっと早く避難できなかったのか』
『ヒーローは、被害を防ぐために何をしていたのか』
『勝利したことを理由に、被害を受けた側が我慢しなければならないのか』
会議室が静まり返る。
「これらの質問に、称賛だけで答えることはできません」
根津は続けた。
「私たちが救った命は、確かにあります。しかし、救えなかった命や、失われた生活もあります。両方を見なければなりません」
プレゼント・マイクが腕を組んだ。
「つまり、英雄の勝利を宣伝して終わり、ってわけにはいかねぇんだな」
「そうです」
根津は頷いた。
「勝利を報告することと、被害を受けた方々への説明責任を果たすことは別です」
相澤が口を開いた。
「現場にいたヒーローが、すべての被害を防げるわけじゃない。それは事実だ」
彼は出久たちを見た。
「だが、できなかったことを理由に、何も説明しなくていいわけでもない」
「先生……」
「現場で何を判断し、何ができず、なぜそうなったのか。記録を残す必要がある」
根津は資料を閉じた。
「そこで、これからの検証を三つに分けます」
モニターに三つの項目が表示された。
一つ目。
死柄木弔と敵連合による犯罪行為と、その被害。
二つ目。
ヒーロー側の判断、対応の遅れ、過去の見落とし。
三つ目。
社会制度そのものが抱えていた問題と、行政や関係機関の責任。
「これらは、互いに関係しています。しかし、同じ責任として扱ってはいけません」
根津の言葉に、相澤が頷く。
「死柄木が犯罪を犯したことと、社会が彼を取り巻く問題に適切に対応できなかったことは、別々に検証する必要がある」
「どちらか一方を理由に、もう一方を消してはならない、ということですね」
八百万が確認する。
「その通りです」
根津は答えた。
「社会的な背景を調べることは重要です。なぜ人が犯罪に至ったのか、どこで支援が届かなかったのか。そこを理解しなければ、同じ問題を繰り返す可能性があります」
相澤が続けた。
「だが、背景があるから罪が軽くなるわけじゃない。被害者に、加害者の事情を理解して許せと言うのも違う」
出久は、ゆっくりと頷いた。
理解することと、免罪することは違う。
これまで死柄木と向き合う中で考えてきたことが、今度は社会全体の問題として突きつけられていた。
七、教師たちの過去
「もう一つ、話しておく必要がある」
相澤が口を開いた。
「ヒーロー側の過去の判断についてだ」
会議室に緊張が走る。
「今回の決戦だけを検証すればいいわけじゃない。もっと前から、問題は存在していた」
相澤は、資料に目を落とした。
「危険な兆候を見逃したこと。支援を必要としている人間に気づけなかったこと。問題を個人の責任として扱い、制度の側を変えようとしなかったこと」
彼は言葉を切る。
「教師として、ヒーローとして、俺たちが何を見落としていたのかも調べなければならない」
プレゼント・マイクが、普段より低い声で続ける。
「俺たちは、目の前の事件に対応することを優先してきた。もちろん、それは必要な仕事だった」
彼は拳を握った。
「でも、事件が起きる前に何があったのか。誰が助けを求めていたのか。そこまで見ていたかと言われたら、胸を張って答えられない」
「マイク……」
「俺たちが全部悪かったと言うつもりもねぇ。現場には限界があった。制度にも制約があった」
プレゼント・マイクは、出久たちを見た。
「だが、限界があったから仕方ない、で終わらせるつもりもない」
根津が頷く。
「ヒーロー社会は、これまで多くの成功を積み重ねてきました。しかし、その成功が、見落とされた問題を覆い隠していた可能性もあります」
「……」
「私たちは、過去の判断を検証しなければなりません。それは誰か一人を悪者にするためではありません。同じ失敗を繰り返さないためです」
出久は、資料の中にある一枚の写真を見た。
崩れた住宅街。
そこには、かつて誰かの生活があった。
今は、瓦礫しか残っていない。
「校長先生」
出久が口を開いた。
「被害を受けた人たちには、どう説明するんですか」
根津は、出久の質問を受け止めた。
「説明会を開きます。被害者やご家族が参加するかどうかは、本人たちの意思に任せます。参加を強制することはありません」
「そこで、ヒーロー側の責任も話すんですか」
「もちろんです」
「でも、責任を認めるだけでは足りないですよね」
出久は続けた。
「生活する場所が必要な人もいます。治療が必要な人もいます。仕事を失った人もいます。家族を探している人もいます」
根津は静かに頷いた。
「その通りです。説明と支援は、必ず一緒に進めなければなりません」
八、A組とB組の答え
「俺たちにも、できることがあるはずです」
飯田が立ち上がった。
「救助活動への参加だけでなく、避難者の方々の生活支援、物資の管理、必要な情報の整理など、学生として協力できることがあります!」
「うん!」
麗日も頷く。
「今、避難している人たちの中には、明日の生活がどうなるか分からない人もいる。私たちにできることがあるなら、手伝いたい!」
「ただし、学生を無理に現場へ出すことはできません」
相澤が釘を刺す。
「救助活動は専門家の指示のもとで行う。勝手な判断は禁止だ」
「分かっています!」
飯田が答えた。
「私たちは訓練を受けていますが、すべての状況に対応できるわけではありません」
八百万も続けた。
「救援物資の配分や、必要な支援の記録であれば、私たちにも協力できると思います」
「それに、避難所の人たちが何を必要としているか、実際に話を聞くことも大切だと思う」
耳郎が言った。
「ただ物を配って終わりじゃなくて、何が足りないのかを確認しないと」
「その通りだ」
根津は頷いた。
「支援する側の都合で、必要なものを決めてはいけません。必要なものは、実際に困っている人たちに聞くべきです」
B組の拳藤一佳が手を挙げた。
「私たちも、A組と一緒に避難所の運営を手伝います」
「そうだな」
鉄哲が腕を組む。
「俺たちの個性だって、救助以外に使い道がある。施設の補強や運搬、作業の補助もできる!」
「ただし、力任せに動かすのは駄目ですよ」
八百万が注意する。
「分かってるって!」
「あなたは、分かっていても勢いで行動することがありますわ」
「何だと!」
「二人とも、今は喧嘩をする場面ではない」
飯田が間に入った。
物間が小さく笑う。
「まったく、A組は相変わらずですね」
「物間、あなたも手伝うのよ」
拳藤が言った。
「もちろんです。僕の個性は、必要な場面で役立つはずですから」
「自分の個性を使うことばかり考えないでね」
「……分かっていますよ」
会議室に小さな笑いが起きた。
だが、誰も浮かれてはいない。
これからの支援は、簡単なものではない。
被害者の中には、ヒーローに不信感を抱いている人もいるだろう。
支援を受けること自体をためらう人もいる。
そして、学生たちがどれだけ努力しても、失われたものを元に戻すことはできない。
だからこそ、何ができるのかを考え続けなければならなかった。
九、出久が聞かなければならないこと
会議の後。
出久は、仮設施設の外にあるベンチに座っていた。
手には、救助活動で記録したメモがある。
被災した人たちの名前。
必要な支援。
まだ連絡の取れない家族。
負傷によって生活が変わった人。
どれも、簡単には解決できない問題だった。
「緑谷」
相澤が近づいてきた。
「先生」
「何を考えている」
「僕は、死柄木を止めることばかり考えていました」
「そうだな」
「でも、止めた後のことを、ちゃんと考えていたのか分からなくなりました」
相澤は隣に立つ。
「考えていなかったわけじゃないだろう」
「はい。でも、具体的に何をするのかまでは、考えきれていなかったと思います」
「それは、お前だけの問題じゃない」
相澤は言った。
「ヒーロー社会全体が、戦闘の勝利を重視しすぎていた部分がある」
出久は顔を上げた。
「勝つことが重要じゃない、というわけではないんですよね」
「当然だ。敵を止めなければ、被害は続く」
相澤は遠くを見る。
「だが、敵を止めた後に何をするかも、同じくらい重要だ」
「……」
「被害者の声を聞くこと。支援を提供すること。加害者の背景を調べること。制度の問題を検証すること。どれか一つだけで済む話じゃない」
出久は、メモを見つめた。
「僕は、死柄木を理解しようとしていました」
「知っている」
「でも、そのことが、死柄木に傷つけられた人たちのことを軽く扱う理由になってはいけない」
相澤は頷いた。
「その通りだ」
出久は拳を握った。
「僕は、死柄木の過去を知りたいと思いました。どうしてああなったのか、何が足りなかったのか、何が彼を追い詰めたのか」
「それは必要なことだ」
「でも、知ったからといって、彼のしたことがなくなるわけじゃない」
「当然だ」
「被害を受けた人たちに、死柄木を理解してほしいと頼むことも違うと思います」
相澤は出久を見た。
「理解するかどうかは、本人が決めることだ。許すかどうかも同じだ」
出久は頷いた。
「僕たちは、被害者に許しを要求してはいけない」
「そうだ」
相澤は短く答えた。
「それだけは忘れるな」
十、称賛を受け取れない人
夕方。
仮設施設の広場には、復旧支援の説明を聞くために集まった人々がいた。
そこへ、救援物資を運び終えた出久たちが戻ってくる。
一部の人々は、出久に気づいて声をかけた。
「緑谷君!」
「ありがとう!」
「あなたたちのおかげで助かった!」
出久は頭を下げた。
「ありがとうございます。でも、僕だけじゃありません。みんなで救助活動をしています」
しかし、その輪に入らない人もいた。
広場の隅で、一人の女性が出久を見ていた。
彼女の家族は、決戦の被害で大きな損害を受けていた。
出久は、女性の視線に気づいて近づいた。
「何か、必要なものはありますか」
女性は、すぐには答えなかった。
「あなたが緑谷君?」
「はい」
「死柄木を止めた人?」
「仲間たちと一緒にです」
「そう」
女性は、少しだけ顔を伏せた。
「私の弟は、まだ病院にいる」
出久は黙って聞く。
「建物が崩れた時、逃げ遅れた人を助けようとして、怪我をした」
「……」
「今も、以前と同じように働けるか分からない」
女性の声は震えていた。
「あなたたちが勝ってくれたことは、分かってる。たくさんの人が助かったことも分かってる」
「はい」
「でも、私は、あなたたちの勝利を喜べない」
出久は、少しだけ目を伏せた。
「そうですよね」
「あなたたちを責めたいわけじゃない」
女性は続けた。
「でも、私の弟にとっては、戦いが終わったことだけでは何も解決していない」
「……はい」
「ヒーローが頑張ったから、ありがとうと言わなければならない。そんなふうに言われると、苦しいの」
出久は、女性の言葉を遮らなかった。
「あなたに感謝しろと言うつもりはありません」
女性は彼を見た。
「そう?」
「はい。僕たちが戦ったことと、あなたが苦しんでいることは、どちらも事実です。あなたに勝利を喜んでもらわなければならない理由はありません」
女性は、少しだけ目を見開いた。
「弟さんのことは、医療班と支援窓口に確認します。必要な手続きや、今後の生活についても、できるだけ情報を集めます」
「それは、あなたが決められることなの?」
「僕だけでは決められません」
出久は正直に答えた。
「だから、関係する人たちに伝えます。僕たちが勝ったことだけを報告して終わりにはしません」
女性は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく頷く。
「話を聞いてくれてありがとう」
「こちらこそ、話してくださってありがとうございます」
女性は、その場を離れた。
出久は、彼女の背中を見送った。
その時、隣に爆豪が立った。
「聞いてたぞ」
「うん」
「何もできなかったと思ってんのか」
「少しだけ」
爆豪は鼻を鳴らす。
「今の段階で何でも解決できるわけねぇだろ」
「分かってる」
「だったら、話を聞いたことを無駄にすんな」
出久は頷いた。
「うん」
「次に何をするか考えろ。それだけだ」
十一、根津校長の提案
夜。
雄英高校では、根津校長を中心とした会議が続いていた。
「今回の被害について、三つの検証を並行して進めます」
根津は資料を示した。
「第一に、死柄木弔および敵連合の行為による被害と、その責任。第二に、ヒーロー側の判断や対応の検証。第三に、社会制度が抱えていた問題の調査です」
「それぞれを別々に扱うんですか」
八百万が質問する。
「別々に検証しながら、関係する部分は共有します」
根津は答えた。
「たとえば、ある人物が犯罪に至った背景を調べることは、再発防止に役立ちます。しかし、その背景を理由に被害者への補償や説明を後回しにしてはなりません」
相澤が続ける。
「加害者の事情を理解することと、被害者の苦しみを軽く扱うことは、まったく別だ」
「その通りです」
根津は頷いた。
「また、ヒーロー側の過去の判断についても、現場の個人に責任を押しつけて終わらせてはいけません。組織の指揮系統、情報共有、救助体制、危険の予測、そして支援制度。何が機能し、何が機能しなかったのかを検証する必要があります」
プレゼント・マイクが手を挙げた。
「つまり、ヒーローの活動記録も全部調べるってことか」
「はい。記録を保存し、関係者から聞き取りを行います。都合の悪い情報を隠すことがないよう、検証の透明性を確保しなければなりません」
ロックロックが腕を組む。
「現場の判断を後から批判するのは簡単だ。あの時点で分かっていた情報と、実際に起きたことを分けて検証するべきだな」
「その通りです」
根津は答えた。
「だからこそ、現場のヒーローからも、被害を受けた人々からも話を聞きます」
「それで、支援はどうするんですか」
マニュアルが尋ねた。
「検証が終わるまで待つわけにはいきません」
「もちろんです」
根津は別の資料を表示した。
「緊急の生活支援、医療費に関する相談、住居の確保、仕事を失った方々への支援、家族の安否確認。それぞれを担当する窓口を設け、情報を一元化する方向で調整します」
「被害者の方々が、何度も同じ説明をしなくて済むようにする必要がありますね」
八百万が言った。
「そうです。被害者に、何度も苦しい記憶を話させることがないよう、記録や情報の共有方法を整えるべきです」
相澤は資料を見つめた。
「支援を受ける側が、ヒーローに感謝する必要もない」
「はい」
根津は、はっきりと答えた。
「支援は、感謝への対価ではありません。被害を受けた方々が受け取るべきものとして、必要な形を整える必要があります」
出久は、その言葉を聞いていた。
支援を受けたからといって、被害者がヒーローを許す必要はない。
ヒーローを称賛する必要もない。
それを忘れてはいけない。
十二、ヒーローではない自分たち
会議が終わった後。
A組とB組の生徒たちは、翌日の活動予定を確認していた。
「明日は避難所の物資管理と、必要な支援の聞き取りですね」
飯田が資料を整理する。
「はい。ただし、聞き取りをする際には、相手の意思を確認することが重要です」
八百万が答えた。
「話したくない方に、無理に聞いてはいけませんわ」
「そうだな」
轟が頷く。
「何を必要としているかは、こっちが決めることじゃない」
麗日が言った。
「まず聞くことだよね」
拳藤も同意する。
「それから、できることを探す。支援する側の都合で決めない」
「俺たちにできることは、何でもやる!」
鉄哲が拳を握る。
「ただし、無理はするなよ」
切島が笑う。
「それはお前にも言えることだぞ」
「分かってるって!」
物間は、少し離れた場所で資料を見ていた。
「僕たちがこれだけ動いたところで、社会全体の問題が簡単に解決するとは思えませんけどね」
拳藤が彼を見る。
「だからって、何もしないわけにはいかないでしょ」
「……まあ、そうですね」
物間は視線を落とした。
「僕たちは、まだ学生です。できることにも限界があります」
「そうだね」
出久が答えた。
「だから、できることをする。できないことは、できる人に伝える」
「それだけでいいのかい?」
「それだけじゃない。でも、最初に必要なことだと思う」
出久は、避難所で聞いた言葉を思い出した。
『英雄の勝利を、誰が払うんですか』
その質問に、今の自分は答えられない。
だが、答えを探すことはできる。
「僕たちは、ヒーローになるために訓練してきた」
出久は続けた。
「でも、ヒーローの仕事は戦って勝つことだけじゃない。助けた人たちが、その後どう生きていくのかも考えなきゃいけないんだと思う」
相澤が、少し離れたところから聞いていた。
「その通りだ」
生徒たちは振り返る。
「ただし、背負いすぎるな。お前たちは学生だ。社会全体の責任を一人で引き受ける必要はない」
出久は、少しだけ笑った。
「はい」
相澤は続ける。
「だが、見てしまったものから目を逸らすな。それで十分だ」
十三、称賛の裏側
翌日。
仮設施設の掲示板には、ヒーローたちへの感謝の言葉が貼られていた。
「助けてくれてありがとう」
「救助活動を続けてくれて感謝しています」
「あなたたちのおかげで家族と再会できました」
その言葉を、出久は一つずつ読んでいた。
しかし、その隣には別の声もあった。
「家族は戻らない」
「住む場所を失った」
「仕事を失った」
「どうして、もっと早く助けられなかったのか」
「説明を聞きたい」
「復旧はいつになるのか」
それらの言葉は、感謝と同じくらい重要だった。
出久は、その両方を見つめていた。
「緑谷君」
声をかけたのはプレゼント・マイクだった。
「どうした?」
「この掲示板、全部読んでいたのか」
「はい」
「感謝の言葉もある。厳しい言葉もあるな」
「はい」
プレゼント・マイクは、しばらく掲示板を見ていた。
「俺たちは、称賛されることに慣れすぎていたのかもしれねぇな」
「先生も、そう思いますか」
「少なくとも、称賛されることと、責任を果たすことを同じにしちゃいけねぇ」
プレゼント・マイクは、壁に貼られた紙を指した。
「感謝してくれる人がいる。それはありがたいことだ。だが、怒っている人がいるからといって、その人を間違っていると決めつけることもできない」
「……」
「俺たちが助けた人の中には、俺たちを許せない人だっているかもしれない。それでも、その人たちの生活を支えることはできる」
出久は頷いた。
「感謝されるためじゃなくて」
「そうだ」
プレゼント・マイクは笑った。
「必要だからやる。それだけだ」
その時、遠くから声がした。
「プレゼント・マイク先生!」
避難者の一人が、支援窓口の場所を尋ねていた。
プレゼント・マイクは手を上げる。
「こっちだ! 案内するぜ!」
彼はその人のもとへ向かった。
出久は、掲示板へもう一度目を向けた。
感謝も、怒りも、悲しみも、すべてが残っている。
そのどれかを選び、他を消すことはできない。
十四、後始末の始まり
夕方。
根津校長は、仮設施設の一角で説明会を開いていた。
出席者は、被害を受けた人々、行政関係者、医療関係者、ヒーロー側の代表者たち。
出久たちも、後方で話を聞いていた。
根津は、最初に頭を下げた。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
会場は静かだった。
「このたびの決戦によって、多くの方々が被害を受けました。ヒーロー側は多くの命を救いましたが、それによって失われたものが戻るわけではありません」
根津は続ける。
「私たちは、被害を受けた方々に対して、何が起きたのかを説明し、必要な支援を提供する責任があります」
一人の男性が手を挙げた。
「それは、誰が責任を取るんですか」
根津は答える。
「犯罪行為については、加害者の責任を明確にします。ヒーロー側の対応については、当時の記録と判断を検証します。社会制度の問題については、行政や関係機関とともに、どこに問題があったのかを調べます」
「つまり、責任を分けるということですか」
「はい。ただし、責任を分けることは、責任を薄めることではありません」
会場が静かになる。
「死柄木弔や敵連合の行為によって生じた被害は、彼らの犯罪行為として扱われます。それと同時に、ヒーロー側や社会制度の側に問題があったのであれば、それも別に検証しなければなりません」
別の女性が尋ねた。
「敵連合の人たちにも、事情があったんでしょう?」
根津は少しだけ間を置いた。
「それぞれの生い立ちや社会的背景は、犯罪に至った理由を理解するうえで必要です。支援が届かなかったのか、周囲が何を見落としたのか、制度にどのような問題があったのか。それを調べなければ、同じ問題を繰り返す可能性があります」
「では、事情があれば許されるんですか」
会場の別の場所から声が上がった。
根津は、はっきりと答えた。
「いいえ。背景を理解することは、犯罪行為を正当化することではありません」
相澤が続ける。
「誰かが苦しんでいたことは、被害者の苦しみを軽くする理由にはならない。加害者の背景を知ることと、被害者を支えることは、両方必要だ」
女性は、ゆっくりと頷いた。
「そうですか」
その言葉には、まだ納得しきれない響きがあった。
根津は、それを無理に変えようとはしなかった。
「本日の説明ですべてが解決するとは思っていません。今後も、皆様の意見を聞く機会を設けます。支援についても、必要なものを確認しながら進めます」
「説明会に出られない人は?」
「個別の相談窓口を設けます。話をしたくない方に無理に参加を求めることはありません」
「支援を受けたら、ヒーローに感謝しなければならないんですか」
「いいえ」
根津は答えた。
「支援は、感謝を求めるためのものではありません」
会場の空気が、少しだけ変わった。
「被害を受けた方々が、ヒーローを許す必要はありません。私たちは、そのことを忘れずに支援を進めます」
出久は、その言葉を聞きながら、目を閉じた。
自分たちは勝った。
しかし、勝ったことで、すべての問いに答えられるようになったわけではない。
むしろ、ここから答えなければならない問いが増えていく。
十五、勝利の代価
説明会が終わった。
人々は、それぞれの表情で会場を後にしていく。
納得した人もいる。
まだ怒りを抱えている人もいる。
質問を残したまま帰る人もいる。
そのすべてが、今の現実だった。
出久は会場の外に立っていた。
爆豪が近づいてくる。
「終わったか」
「うん」
「どうだった」
「難しいね」
「当たり前だ」
爆豪は、会場の方を見た。
「簡単に答えが出るなら、とっくに解決してる」
「そうだね」
出久は掲示板を見た。
そこには、感謝の言葉と、怒りの言葉が並んでいる。
「僕たちが勝ったことで、助かった人はいる」
「そうだ」
「でも、助けられなかった人もいる」
「そうだ」
「それに、僕たちが勝ったからといって、何もかも正しかったことにはならない」
爆豪は腕を組んだ。
「何度も言わせんな」
「ごめん」
「謝るな」
出久は、小さく笑った。
その時、相澤が二人に近づいてきた。
「明日から、救助活動の記録を整理する。お前たちが参加した現場についても、聞き取りを行う」
「はい」
「ヒーロー側の判断も検証する。現場の状況、使った個性、救助の優先順位、避難の判断。記録に残す」
爆豪が尋ねる。
「俺たちの判断もか」
「当然だ。現場にいた以上、対象外にはならない」
「分かった」
出久は頷いた。
「僕も協力します」
相澤は二人を見た。
「それから、被害者の聞き取りには無理に参加するな。お前たちは当事者でもある。必要な場合は別の担当者が行う」
「はい」
「話を聞くことは大切だが、相手にとって何が必要かを考えろ。お前たちが話したいことを押しつけるな」
出久は、その言葉を胸に刻んだ。
「分かりました」
相澤は少しだけ表情を緩めた。
「よし。今日は休め」
十六、まだ答えのない問い
夜。
出久は、雄英高校の窓から外を見ていた。
遠くに、復旧作業の照明が見える。
街の一部は、まだ暗いままだ。
爆豪は先に帰った。
相澤も教師たちとの会議へ戻っている。
根津校長は、行政や関係機関との調整を続けている。
生徒たちは、明日の支援活動に向けて準備を進めていた。
出久の手には、一冊のノートがある。
そこには、戦闘の記録とは別のことが書かれていた。
助けられた人。
まだ助けを必要としている人。
支援が必要な内容。
説明を求めていること。
そして、自分たちがこれから考えなければならないこと。
出久は、最後のページに一行を書いた。
「勝利の後に、誰の声を聞くのか」
その時、背後から声がした。
「緑谷君」
振り向くと、根津校長が立っていた。
「校長先生」
「まだ起きていたのかい」
「はい。少し考え事をしていました」
根津は隣に立つ。
「何を考えていたのかな」
「僕たちは、死柄木を止めました。でも、それで被害を受けた人たちの人生が元に戻るわけじゃありません」
「そうだね」
「それなら、僕たちはこれから何をするべきなんでしょうか」
根津は、すぐには答えなかった。
「一つずつ、考えていく必要があるね」
「一つずつ……」
「すべての問題を一度に解決することはできない。だが、問題を分けて、責任の所在を確認して、必要な支援を用意することはできる」
「僕たちだけで?」
「いいや」
根津は微笑んだ。
「ヒーローだけではできない。行政、医療関係者、地域の人々、支援団体、そして被害を受けた方々自身。多くの人が関わる必要がある」
「被害を受けた人たち自身も?」
「もちろんだ。支援を受ける人々を、ただ守られるだけの存在として扱ってはいけない。彼らにも、自分の生活をどう取り戻すかを決める権利がある」
出久は頷いた。
「……僕は、誰かを助けることばかり考えていたのかもしれません」
「それは悪いことではないよ」
根津は答えた。
「ただ、助けるという言葉には、相手の意思を聞くことも含まれている。何を必要としているのか、何を望んでいるのか。そこを聞かずに支援を決めれば、また別の問題を生む」
出久は窓の外を見る。
「僕は、もっと話を聞きたいです」
「そうか」
「でも、聞くだけで終わらせたくありません」
根津は頷いた。
「ならば、そのための仕組みを一緒に考えよう」
出久はノートを閉じた。
その表情には、決戦の時とは違う決意があった。
戦場では、目の前の敵を止めることが必要だった。
しかし、戦後には、敵を止めるだけでは解決しない問題がいくつも残る。
それらに向き合うには、戦闘の強さとは別の力が必要になる。
説明する力。
聞く力。
間違いを認める力。
支援を続ける力。
そして、誰かに許されなくても、責任を果たし続ける力。
「校長先生」
「何かな」
「僕は、ヒーローの勝利を、勝った人たちだけのものにしたくありません」
根津は静かに頷いた。
「それは、大切な考えだね」
出久は、もう一度外を見る。
復旧作業の明かりが、少しずつ増えていた。
それでも、暗い場所はまだ多い。
彼らが救えなかったもの。
まだ見つかっていないもの。
これから支えていかなければならないもの。
どれも、勝利の言葉だけでは埋められない。
出久は、ノートを胸に抱えた。
戦いは終わった。
しかし、責任は終わっていない。
そして、ヒーロー社会が本当に変わるのかどうかは、これからの行動にかかっていた。
英雄の勝利を、誰が払う。
その問いに、まだ答えは出ていない。