僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第七十四話「ヒーロー制度の外側にいた人々」

一 会議室の席順

仮設復興支援センター。

 

かつて地域の公共施設として使われていた建物は、現在、被災者への生活支援や物資の配給、行方不明者の情報照合などに利用されている。

 

その一角に、大きな会議室が設けられていた。

 

壁際には、記録用の端末と資料棚。

 

正面には、長机が三列。

 

その前に、プロヒーローや関係機関の担当者が座るための席が並べられている。

 

そして、部屋の後方には、一般参加者のための椅子が並んでいた。

 

「……」

 

会場に入った緑谷出久は、その席順を見て足を止めた。

 

「どうした、緑谷」

 

隣を歩いていた飯田天哉が尋ねた。

 

「いや……ちょっと」

 

出久は視線を正面に向けた。

 

前方に、ヒーローたち。

 

後方に、住民たち。

 

それは、特別珍しい配置ではない。

 

これまでの会議や説明会でも、よく使われてきた形式だ。

 

けれど、今回の話し合いの目的は何だっただろう。

 

ヒーロー制度の外側にいた人々の声を聞くこと。

 

彼らが何を必要としているのかを知り、復興の仕組みに反映すること。

 

そのために集まったはずなのに。

 

「……これじゃ、いつもと同じだ」

 

出久が小さく呟いた。

 

「何がだ?」

 

「僕たちが前に座って、話を聞きに来た人たちが後ろに座る。僕たちが質問して、僕たちが記録して、僕たちがまとめる」

 

「それが会議の進行上、必要な場合もあるだろう」

 

「うん。でも、今回は違うんじゃないかな」

 

飯田は会議室を見回した。

 

「確かに……」

 

そのとき、背後から声がかかった。

 

「そこに気づいたなら、まだ始める前でよかったな」

 

相澤消太だった。

 

腕には資料の束を抱えている。

 

「相澤先生」

 

「席を変えれば全部解決するわけじゃない。だが、そもそも何を話し合うかを誰が決めているのか、考えるきっかけにはなる」

 

「先生も、あの配置は問題だと思いますか?」

 

「問題かどうかは、参加する人間に聞かなきゃ分からない」

 

相澤は淡々と答えた。

 

「俺たちが勝手に正解を決めるな。今日の会議は、それを忘れたら最初から失敗だ」

 

「そうですね」

 

出久はもう一度、前方の席を見た。

 

そこには、根津校長とプレゼント・マイク、数名のプロヒーローやサイドキックが集まり始めていた。

 

ロックロック、マニュアル、バブルガール、センチピーダー。

 

彼らは戦後の救助活動や生活支援にも関わり続けている。

 

「それにしても、今日はずいぶんと真面目な顔が多いねえ」

 

プレゼント・マイクが、出久たちに気づいて手を振った。

 

「いや、いつも真面目だぞ」

 

相澤が返す。

 

「その返し、今日くらいもう少し盛り上げてくれてもいいんじゃないか?」

 

「会議を盛り上げる必要はない」

 

「うわ、手厳しい!」

 

軽口を交わしているが、プレゼント・マイクの表情にも、普段の明るさだけではない緊張があった。

 

彼も分かっているのだ。

 

今日の会議は、ヒーローたちが自分たちの活動を説明する場ではない。

 

ヒーロー制度からこぼれ落ちた人々が、何を見てきたのかを聞く場なのだ。

 

「緑谷くん」

 

根津が声をかけた。

 

「少し、こちらへ来てくれるかな」

 

「はい」

 

出久が近づくと、根津は資料の一枚を見せた。

 

そこには、今日の会議の進行表が記されていた。

 

第一部、被災地域の現状説明。

 

第二部、支援活動に関する意見聴取。

 

第三部、今後の生活再建に向けた課題の整理。

 

「どう思う?」

 

「……よく整理されていると思います」

 

「本当に?」

 

根津の問いかけに、出久は答えを詰まらせた。

 

「これは、私たちが作った進行表だ。つまり、私たちが話し合う内容を決めている」

 

「はい」

 

「参加者が何を話したいのかを、まだ聞いていないのにね」

 

根津は穏やかに笑った。

 

「私たちは今日、彼らの声を聞くつもりでいた。けれど、声を聞くための方法さえ、こちら側で決めてしまっていた」

 

「それじゃあ……」

 

「会議の形式を変える必要があるかもしれない。だが、それを決めるのも、私たちだけではいけない」

 

根津は資料を閉じた。

 

「まず、参加者に聞こう」

 

出久は頷いた。

 

その言葉を、今度こそ忘れないように。

 

二 「その他」に入れられた人たち

会議が始まる時刻になった。

 

会場には、地域住民、避難所の運営に関わった人々、介護施設や福祉施設の関係者、商店主、支援団体の職員など、さまざまな立場の人々が集まっていた。

 

その中には、戦闘によって家族を失った人もいる。

 

家を失った人もいる。

 

仕事を失った人もいる。

 

そして、被害そのものは受けたのに、行政や支援制度の分類では、直接の被災者として扱われなかった人もいた。

 

根津が前に立った。

 

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。今日の目的は、戦後の生活再建にあたり、これまで十分に支援が届いていなかった方々の意見を伺うことです」

 

参加者の視線が集まる。

 

「ヒーロー側の支援だけでは、すべての問題を解決できません。行政や地域の方々、現場で支援を続けてきた方々と協力しながら、必要な仕組みを考えていきたいと思っています」

 

根津は一度、参加者を見渡した。

 

「そのために、まず皆さんからお話を伺いたいと思います」

 

会場は静かだった。

 

やがて、前列に座っていた女性が手を挙げた。

 

四十代後半ほどだろうか。

 

疲れの残る顔をしていたが、その眼差しははっきりしていた。

 

「質問してもいいですか」

 

「もちろんです」

 

「ここにいる人たちは、何を話せばいいんでしょうか」

 

「どのようなことでも構いません。生活の中で困っていること、支援に対する要望、制度の改善点など――」

 

「それは、そちらが聞きたいことですよね」

 

根津は黙った。

 

女性は続けた。

 

「私たちが話したいことを聞くと言いました。でも、資料には最初から項目が並んでいる。被災状況、支援状況、改善要望。私たちは、その枠の中に答えを入れればいいんですか?」

 

「……」

 

「それから、ここに来た人のための受付用紙に、被災者、関係者、その他って書いてありました」

 

彼女は手元の紙を持ち上げた。

 

「私はどれに当てはまるんでしょうね」

 

会場に緊張が走った。

 

「私の家は、直接壊れてはいません。家族も全員無事です。でも、あの戦いの後、避難所で食事の配給を手伝いました。何日も、仕事を休んで。自分の店も営業できなくなって、今も収入は戻っていません」

 

彼女は紙を机に置いた。

 

「でも、私は被災者じゃないと言われました。家が残っているから。家族が無事だから。自分で手伝いに行ったんだから、自己責任だと」

 

「そんなことが……」

 

出久が思わず声を漏らした。

 

女性は出久を見た。

 

「あなたは、私が何に困っているか分かりますか?」

 

「いえ……」

 

「分からないでしょうね。私も、あなたに説明しなければいけないと思っています。でも、どうして私が困っていることを証明しないといけないんでしょう」

 

出久は言葉を失った。

 

「名前は、西尾といいます。避難所で食事を作っていました。私はヒーローじゃないし、支援員でもありません。ただ、近所の人が困っていたから手伝っただけです」

 

西尾は少しだけ息を整えた。

 

「でも、手伝った人間は、何も失わなかったことになるんですか?」

 

その問いに、すぐ答えられる者はいなかった。

 

「私たちは、支援する側とされる側に分けられることがあります。でも、実際の生活はそんなに単純じゃない。助けてもらうこともあれば、誰かを助けることもある。両方を同時にやっている人だっているんです」

 

「……その通りだと思います」

 

出久は、ようやく言葉を返した。

 

「でも、そう思うだけじゃ、何も変わらないですよね」

 

西尾の返答は厳しかった。

 

「はい」

 

出久は頷いた。

 

「その通りです」

 

そこで、別の参加者が手を挙げた。

 

「俺も話していいですか」

 

立ち上がったのは、五十代ほどの男性だった。

 

身体の一部に異形の特徴がある。

 

彼は周囲を気にするように一度視線を動かし、それから口を開いた。

 

「俺は、戦いの後に避難所を転々としました。家の近くは危険だったし、元々あった避難施設も使えなくなった」

 

男性は、机の上に置いた資料を指で叩いた。

 

「避難場所の案内は、最初のうちは普通に届いていた。でも、途中から情報が届かない地域が出た。そこに住んでいる人間が、どこへ行けばいいのか分からなくなった」

 

「情報の更新が遅れた地域ですね」

 

マニュアルが確認した。

 

「そうだ。だが、それだけじゃない」

 

男性は、少し苦い表情を浮かべた。

 

「避難所の受付で、俺を見て警戒する人間がいた。俺の身体を見て、何か問題を起こすんじゃないかって。もちろん、全員がそうだったわけじゃない。助けてくれた人もいる」

 

「……」

 

「だけど、ああいうときに、誰かが一度疑い始めると、説明する時間すらもらえないことがあるんだ」

 

彼は自分の手を見た。

 

「俺たちは、敵と見分けがつかないと思われているのかもしれない。昔からそういうことはあった。今回の戦いの後も、結局、同じだった」

 

会場の一角にいた障子目蔵が、静かに顔を上げた。

 

けれど、彼は発言しなかった。

 

自分にも似た経験がある。

 

だからといって、自分がこの男性の経験をすべて理解できるわけではない。

 

そう考えているようだった。

 

男性は言葉を続けた。

 

「俺が欲しいのは、特別扱いじゃない。避難する場所が分かること。家族と連絡が取れること。安心して物資を受け取れること。それだけだ」

 

彼は出久たちを見た。

 

「ヒーローが助けに来てくれたことは知っている。感謝している人間だっている。でも、それで全部が解決したことにはならない」

 

「はい」

 

「それに、これからの仕組みを作るとき、また俺たちを忘れないでくれ」

 

男性は席に座った。

 

別の女性が続けて手を挙げた。

 

「私は、介護施設で働いています」

 

彼女は手元の資料を開いた。

 

「施設の入居者を避難させるとき、移動手段が足りなかった。普段から介助が必要な人を、一般の避難所へ連れて行くのは簡単ではありません。薬も、食事も、生活環境も、それぞれ違います」

 

「福祉施設や介護施設の避難計画ですね」

 

飯田が確認した。

 

「そうです。でも、私たちの施設は、行政が把握している避難対象の一覧に入っていませんでした。後から分かったことですが、登録情報が古いままだったんです」

 

「それは……」

 

「施設にいた方々は、ちゃんとそこに暮らしていたんですよ。書類に載っていなかったからといって、存在していなかったわけじゃない」

 

彼女は、ゆっくりと視線を巡らせた。

 

「ヒーローの皆さんが救助活動をしていたのは分かっています。実際に、助けてもらった人もいる。でも、救助の対象にする人を決める仕組みが間違っていたら、どれだけヒーローが頑張っても、取り残される人が出るんです」

 

それは、ヒーローたちの能力だけでは解決できない問題だった。

 

現場で誰かを救うこと。

 

救助を必要とする人が、きちんと救助の網にかかる仕組みを作ること。

 

その二つは、同じではない。

 

出久は、手元のノートを見つめた。

 

そこには、会議の前に自分で書いた言葉がある。

 

『困っている人の声を聞く』

 

その文字が、急に頼りなく思えた。

 

聞くという行為は、相手が話してくれることを待つだけではない。

 

何を話してもらうかを決める側の責任もある。

 

三 「代表者」を決めるのは誰か

休憩時間。

 

会議室の外では、参加者たちがそれぞれ小さな輪を作って話し合っていた。

 

プロヒーローたちは、安易に近づかず、少し離れた場所から様子を見ている。

 

「いやあ、最初からなかなか厳しい意見が出たね」

 

プレゼント・マイクが言った。

 

「当然だろう」

 

相澤が返す。

 

「こういう会議は、開催したこと自体が成果になりやすい。話を聞いた、意見を集めた、報告書を作った。それで終わってしまったら、参加した人間の時間を奪っただけだ」

 

「先生、厳しいですね」

 

「厳しくなければ意味がない」

 

相澤は、会議室の方を見た。

 

「俺たちは、助ける側だと思っている。だから、何をすれば助けになるかを自分たちで考える。そこまではいい」

 

「でも?」

 

出久が尋ねた。

 

「その考えが、相手の必要としていることと一致しているとは限らない」

 

「……はい」

 

「それに、意見を聞くことと、意見を反映することは別だ」

 

プレゼント・マイクが腕を組んだ。

 

「聞いておきながら、結局は上の人間が判断するだけだったら、そりゃあ不満も残るよな」

 

「その判断を誰がするのか、という話でもありますね」

 

飯田が言った。

 

「そうだ。責任を持つ者が決定する必要はある。だが、決定権を持つ者だけが、現場を理解しているわけではない」

 

そのとき、物間寧人が会話に入ってきた。

 

「つまり、今回も我々が主役ではないということですね」

 

「お前は、普段から主役になろうとしすぎだ」

 

拳藤一佳が物間の頭を軽く叩いた。

 

「何をするんだい、拳藤くん!」

 

「今はそういう話をする場じゃない」

 

物間は不満げに口を尖らせた。

 

「しかし、我々の役割が明確でないのも事実です。誰が記録を取り、誰が資料を整理し、誰が次の会議へ意見を持ち越すのか」

 

「それを、参加者の人たちと決める必要があるんじゃないかな」

 

八百万百が答えた。

 

「私たちが勝手に役割を振り分けるのではなく、何を望んでいるのかを確認してから」

 

「そうですね。必要なら、私たちは後方支援に徹すればいい」

 

拳藤が頷いた。

 

「話し合いの場を整えることも支援だし、何もしないことが必要な場合もある」

 

「何もしないことが?」

 

鉄哲徹鐵が首を傾げた。

 

「たとえば、相手が話をしたくないときに、無理に話を引き出さないこと。そういうこと」

 

「なるほどな……」

 

「それから、記録の扱いも重要ですわ。個人の情報や、本人が公開を望まない経験まで、報告書に載せるわけにはいきません」

 

八百万がそう言うと、耳郎響香も頷いた。

 

「録音するなら、同意を取る必要があるね。話したことが、どこでどう使われるのか分からないと、安心して話せない」

 

「じゃあ、録音機材は一度止めておくよ」

 

耳郎は会場の機材を確認しに向かった。

 

その様子を見ていた障子が、出久に話しかけた。

 

「緑谷」

 

「障子くん」

 

「さっきの男性の話だが……俺が代わりに話せることではない」

 

「うん」

 

「俺も、異形の特徴を理由に警戒された経験はある。だが、同じ経験があるからといって、あの人の困難まで分かったつもりになってはいけない」

 

「そうだね」

 

「俺ができるのは、必要なときに、自分の経験を話すことだ。彼の経験を俺の言葉で置き換えることではない」

 

出久は、その言葉を心に刻んだ。

 

「ありがとう、障子くん」

 

「礼を言われることではない。俺自身が、そうならないようにしたいだけだ」

 

そのとき、根津が会議室から出てきた。

 

「みんな、少しいいかな」

 

一同が振り返る。

 

「今日の会議について、参加者の方々から提案があった」

 

根津は一枚の紙を見せた。

 

「会議の進行を、こちら側で決めるのではなく、参加者自身が決めたいそうだ」

 

「具体的には?」

 

相澤が尋ねた。

 

「まず、今日何を話すのかを参加者同士で整理する。次に、誰が記録を取るのか、どの情報を公開するのか、どの課題を優先するのかを話し合う」

 

「いいんじゃないか」

 

相澤は即答した。

 

「ただし、私たちは決定を実行するための権限をすべて持っているわけではない。そこは曖昧にしない」

 

「もちろんだ」

 

根津は頷く。

 

「私たちが約束できることと、約束できないことを分ける。それでも、意見を受け取った以上、どこへ伝え、どこまで進んだのかを報告する責任はある」

 

「それなら、俺たちも動けますね」

 

出久が言った。

 

「そうだね。では、会議室の配置を変えよう」

 

根津は微笑んだ。

 

「ただし、誰がどこへ座るかも、参加者の方々に確認してからだよ」

 

四 前に立つのをやめる

会議室の机が動かされた。

 

正面に並んでいた長机は、壁際へ移される。

 

椅子は円形に並べられた。

 

プロヒーローも、教員も、生徒も、参加者も、同じ輪の中に座ることになる。

 

ただし、円形にしたからといって、全員の立場が等しくなるわけではない。

 

そこには、権限や責任の違いがある。

 

それを曖昧にしないことも必要だった。

 

「机の配置はこれでいいですか?」

 

八百万が尋ねた。

 

「その通路は、もう少し広くしてほしい」

 

会議に参加していた男性が答えた。

 

「分かりました。こちらの椅子も動かします」

 

「いや、そこまで大きく動かさなくていい。通り抜けられれば十分だ」

 

「承知しました」

 

八百万は相手の希望を確認しながら、必要な場所だけ調整した。

 

麗日は、椅子の脚が引っかからないよう周囲を確認していた。

 

「必要なら私が浮かせられるけど、動かしても大丈夫?」

 

「それなら、こっちの机だけお願いできるかしら」

 

「分かった!」

 

麗日は机を無重力化し、数人の手を借りながら移動させた。

 

飯田は通路の確保と安全確認を担当している。

 

「皆さん、移動の際には足元に十分注意してください! 荷物が通路にはみ出さないよう、こちらで整理します!」

 

「飯田くん、声が大きい」

 

耳郎が指摘した。

 

「す、すまない!」

 

「でも、聞こえない人がいると困るから、必要な案内は続けて」

 

「分かった!」

 

物間は記録用の資料を分類していた。

 

「意見の記録を、個人名で残すものと、匿名で共有するものに分けます。どちらにするかは、発言者本人に確認します」

 

「その分類も、こちらで決めないでください」

 

先ほどの介護施設職員が言った。

 

「何を記録として残すかも、本人に確認してほしいんです」

 

「……なるほど。分かりました」

 

物間はすぐに資料を置いた。

 

「先走りましたね。訂正します」

 

いつもなら、何か一言余計なことを付け足しそうな彼が、今回はそれ以上の冗談を言わなかった。

 

鉄哲は重い机を運び、骨抜柔造は机の脚が引っかからないよう床面を確認する。

 

塩崎茨は、通路に置かれていた荷物を整理し、小森希乃子は空気の流れを確認して、換気が十分に行われているかを確かめていた。

 

「この部屋、少し空気がこもっているね」

 

「窓を開けられるか確認します」

 

小森の言葉を受け、拳藤が窓の状態を確かめた。

 

その間、プロヒーローたちも動いていた。

 

ロックロックは、移動させた机が不安定になっていないかを確認する。

 

「ここは固定できる。だが、固定したからといって、誰かが通りにくくなるなら意味がない。動線を確認してからだ」

 

マニュアルは水の補給場所を整えた。

 

「水が必要な人は、遠慮なく言ってください。飲料水と、手洗い用の水は分けてあります」

 

バブルガールは、個人情報を記録する資料の取り扱いについて確認していた。

 

「会議の外に持ち出す資料と、ここでしか確認できない資料を分けましょう。本人の許可がない情報は、共有しません」

 

センチピーダーは、別の施設から必要な物資を運んできた。

 

「避難所の備品も、ここで使えるようにしておきます。必要なものがあれば、確認してから追加しましょう」

 

それぞれが、自分にできることをしている。

 

しかし、誰も、参加者の代わりに会議の内容を決めようとはしなかった。

 

やがて、会議室の準備が整った。

 

「では、改めて始めましょう」

 

根津が言った。

 

「本日は、最初に私たちが用意した議題をいったん取り下げます。皆さんの中から、今日話し合いたいことを提案していただけますか」

 

西尾が手を挙げた。

 

「私は、支援の対象になる人の決め方について話したいです」

 

「分かりました」

 

「それから、支援する人の生活についても」

 

根津は記録係に目を向けた。

 

「どちらも、議題に加えましょう」

 

別の男性が手を挙げた。

 

「避難所の情報を、どこから確認できるのか。連絡手段が途切れたときに、どうするのか」

 

「それも必要ですね」

 

介護施設職員も手を挙げた。

 

「福祉施設や介護施設など、一般の避難所とは違う支援が必要な場所の情報共有について」

 

「はい」

 

一つずつ、議題が積み上がっていく。

 

そして、最後に一人の女性が口を開いた。

 

「私は、今後の会議に誰が参加するのかを決めたいです」

 

「参加者の範囲を?」

 

根津が尋ねる。

 

「そうです。今回、こうして集まれたのは良いことだと思います。でも、今日ここにいる人間が、すべての人の代表だとは思わないでください」

 

その言葉に、会場が静かになった。

 

「仕事の都合で来られない人もいる。人前で話したくない人もいる。ヒーローがいる場所には来たくない人もいる。そもそも、こういう会議があることを知らない人だっている」

 

女性は続けた。

 

「今日ここで話したことを、地域全体の意見として扱わないでほしいんです」

 

「……そうですね」

 

根津は頷いた。

 

「今日の参加者の意見は、今日の参加者の意見です。それ以上のものとして扱うべきではありません」

 

「だったら、次の会議に誰を呼ぶかも、私たちと一緒に決めてください」

 

「分かりました」

 

根津は、資料にその言葉を書き加えた。

 

「次回の参加者については、今回の参加者の皆さんと相談して決めます。参加を望まない方に、無理に話をしていただくこともしません」

 

その言葉に、女性は小さく頷いた。

 

会議は、ようやく本当の意味で始まった。

 

五 助けられなかった人の話

話し合いが進むにつれて、いくつもの問題が浮かび上がってきた。

 

物資の配給が届かなかった地域。

 

支援情報の更新が遅れた地区。

 

避難所へ移動できなかった人々。

 

家族の安否確認ができず、支援を受けるための手続きにも時間がかかった人々。

 

そして、被災後の生活を支えてきた人々自身が、生活の再建に苦しんでいるという問題。

 

「一つ、聞いてもいいですか」

 

出久が手を挙げた。

 

参加者たちが彼を見る。

 

「支援を受けられなかった人を把握するために、どのような方法が必要だと思いますか?」

 

すると、西尾が答えた。

 

「まず、支援を受けられなかった人が、自分から困っていると伝えられる場所が必要です」

 

「相談窓口ですね」

 

「それだけではありません」

 

西尾は首を横に振った。

 

「相談窓口を作っても、そこへ行けない人がいます。情報を知らない人もいる。自分が支援の対象だと思っていない人もいる。誰かに相談すること自体が難しい人もいます」

 

「確かに……」

 

「だから、こちらから確認する方法も必要です。ただし、勝手に家に来て、困っていることを聞き出すようなことはしないでほしい」

 

西尾ははっきりと言った。

 

「訪問されることを負担に感じる人もいます。近所の人に知られたくないことだってある」

 

「つまり、相談できる場所を複数用意して、訪問による確認は本人の希望を確かめてから、ということですね」

 

出久が確認した。

 

「そうです」

 

「ありがとうございます」

 

「それから、支援を受けるために、何度も同じことを説明させるのをやめてほしい」

 

その言葉に、出久の手が止まった。

 

「一度説明したことを、別の窓口へ行くたびに最初から話さなきゃいけない。何を失ったか、どこで困ったか、誰が怪我をしたか。何度も何度も説明するのは、想像以上に疲れます」

 

女性は、目を伏せた。

 

「話したくないことまで、思い出さなければならない。必要な支援を受けるために、何度も自分のつらかった経験を証明しなければならないんです」

 

「それは……」

 

出久は、言葉を探した。

 

「支援の情報を共有するときも、本人が許可した範囲で、説明の負担を減らせる方法を考えます」

 

「それなら助かります」

 

「ただ、何を共有するかは、本人が決められるようにしたいです。勝手に情報をまとめて、違う窓口へ渡すようなことはしない」

 

「そこは大切ですね」

 

根津が補足した。

 

「支援を円滑にするために情報を集めることと、個人の情報を自由に使うことは別です。共有の範囲と目的を明確にしなければなりません」

 

マニュアルが頷いた。

 

「現場でも同じです。救助のために情報が必要な場面はありますが、それを無制限に使っていいわけではありません」

 

「それと、支援者の側にも問題があります」

 

西尾は続けた。

 

「避難所で働いていた人たちの中には、まだ休めていない人がいます。食事を作る人、物資を運ぶ人、子どもの面倒を見る人。皆、自分の生活を後回しにしてきた」

 

「支援者の休息や生活再建も、議題に加える必要がありますね」

 

飯田が言った。

 

「そうです。誰かを助けるために働いた人が、最後には自分の生活を失ってしまう。そんな仕組みでは、次に同じことが起きたとき、支え続けることができません」

 

ロックロックが口を開いた。

 

「俺たちヒーローも、救助活動に参加した人間の疲労を軽く見ていたところがある。現場で動ける奴がいると、ついその人間に仕事を頼み続けてしまう」

 

「ヒーローも、支援する人間も、限界があるということですね」

 

出久が言った。

 

「限界があるというより、限界が来る前に支えなきゃいけないんだ」

 

ロックロックは腕を組んだ。

 

「倒れてから支援対象にするんじゃ遅い」

 

その言葉に、西尾は静かに頷いた。

 

次に発言したのは、先ほどの男性だった。

 

「それと、避難所の案内だ」

 

「はい」

 

「情報を出す場所を一つに絞らないでほしい。ネットを使えない人間もいる。端末を持っていない人間もいる。文字だけでは分からない人間もいる。放送だけでは聞こえない場所にいる人間もいる」

 

「掲示、音声、個別の連絡、地域の巡回など、複数の方法が必要ですね」

 

耳郎が言った。

 

「そうだ。しかも、情報の内容を統一してほしい」

 

男性は、資料を指差した。

 

「ある場所では避難できると言われて、別の場所では受け入れが止まっていると言われる。そういうことがあると、どこを信じればいいのか分からなくなる」

 

「情報を更新した時刻と、発信元を明確にする必要がありますわ」

 

八百万が提案した。

 

「古い情報が残っている場合は、それが古いと分かるようにする。更新されていない情報を、最新の案内と誤解されないようにするべきです」

 

「それに、情報が届かなかった場所を確認することも必要だ」

 

飯田が続ける。

 

「発信した回数だけを成果とするのではなく、実際に情報が届いたかを調べなければなりません」

 

「そういうことだ」

 

男性は頷いた。

 

「俺たちが欲しいのは、ヒーローが何回現場に来たかという記録じゃない。必要な人間に必要な情報が届いたかどうかだ」

 

出久は、ノートに書き込んでいた手を止めた。

 

これまでの自分は、目の前の人を救うことを考えていた。

 

助けを求める声を聞くこと。

 

危険にさらされた人のところへ駆けつけること。

 

それは間違いではない。

 

けれど、助けを求める声を出せない人がいる。

 

声を出しても届かない場所にいる人がいる。

 

声が届いても、助けを受け取るための条件を満たせない人がいる。

 

ヒーローがその場へ駆けつけるだけでは、救えない人たちがいる。

 

「緑谷くん」

 

根津が呼んだ。

 

「はい」

 

「今、何を考えているのかな?」

 

出久は少し考えた。

 

「僕は、ずっと助けを求める人のところへ行こうと思っていました。でも、それだけじゃ駄目なんだと思います」

 

「どうして?」

 

「助けを求めることができない人や、助けを求めても制度に届かない人がいるからです。僕たちは、声が聞こえたときだけ動けばいいわけじゃない」

 

出久は参加者たちを見た。

 

「でも、だからといって、僕たちが勝手に困っている人を決めて、支援を押しつけてもいけない」

 

西尾が、出久を見つめていた。

 

「……それは、分かっているんですか?」

 

「はい」

 

出久は答えた。

 

「まだ、どうすればいいのか全部分かっているわけじゃありません。でも、分からないからこそ、聞き続けなければいけないと思います」

 

「それなら、聞いたことを忘れないでください」

 

「はい」

 

「今日ここで聞いたことを、きれいな報告書にまとめて終わりにしないでください」

 

「終わりにしません」

 

「そういう約束は、簡単にしない方がいいですよ」

 

西尾は厳しい表情のまま言った。

 

「あなたたちがどこまでできるかは、これから見ます」

 

出久は、深く頭を下げた。

 

「はい。見ていてください」

 

六 ヒーローではない人たちの仕事

会議の後半。

 

参加者たちから、具体的な提案が出始めた。

 

一つは、地域ごとに生活再建の相談窓口を設けること。

 

もう一つは、相談内容を一つの部署だけで抱え込まず、本人の同意を得た上で、必要な支援へつなぐ仕組みを作ること。

 

そして、何より重要なのは、支援が必要な人を、被害の大きさだけで分類しないことだった。

 

「家が全壊した人と、半壊した人では支援内容が違う。それは分かります」

 

介護施設職員が言った。

 

「でも、家が残っているから困っていないとは限らない。家族を介護している人、仕事を失った人、避難所で支援に従事していた人、生活を支える設備が壊れた人。困っている内容は一人ずつ違います」

 

「その通りです」

 

根津が答えた。

 

「支援の区分を作ること自体は必要でも、それだけで個人の状況を判断しない仕組みが必要です」

 

「それを、誰が判断するんですか?」

 

女性が尋ねた。

 

根津はすぐには答えなかった。

 

「現在の制度では、行政や支援機関が判断する部分が大きいでしょう。しかし、実際に生活している人の意見を反映する仕組みが不足していたのなら、それを改める必要があります」

 

「ヒーロー側からも提案できるんですか?」

 

「できます。ただし、私たちは行政の決定権を持っていません。できることと、できないことを混同してはいけない」

 

「つまり、今日ここで決めても、すぐに制度が変わるわけではない?」

 

「その通りです」

 

根津は、正直に答えた。

 

「今日の話し合いだけで、すべての問題を解決することはできません。皆さんの要望を受け取ったからといって、私たちがすべてを実現できると約束することもできない」

 

会場に、少し不満そうな空気が生まれた。

 

それでも根津は続けた。

 

「だからこそ、何が決まり、何が決まっていないのかを明確にします。誰が担当しているのか。どこへ話を持っていったのか。回答があったのか。なかったのか。それを皆さんが確認できるようにします」

 

「回答がなかった場合は?」

 

西尾が尋ねた。

 

「回答がなかったと記録します」

 

「それだけですか?」

 

「それだけで終わらせないよう、再度の要請や、別の手段を検討します。ただし、必ず希望通りになると約束することはできません」

 

「分かりました」

 

西尾は少し考えた。

 

「それなら、こちらにも確認する権利をください」

 

「もちろんです」

 

「資料を受け取るだけでなく、進捗を確認できること。議題を追加できること。誰が代表として参加するかを、自分たちで選べること」

 

根津は頷いた。

 

「その条件を、今後の会議の運営に反映させます」

 

そこで、相澤が口を開いた。

 

「一つ、こちらからも確認したい」

 

参加者たちが相澤を見る。

 

「今回、俺たちヒーローが支援活動に関わることについて、どう思っているかだ」

 

「ヒーローが来てくれるのは助かります」

 

男性が答えた。

 

「でも、ヒーローだけで決めるなら困ります」

 

「そうだな」

 

相澤は頷いた。

 

「俺たちには、戦闘や救助、危険区域の確認といった技能がある。だが、地域の生活については、長くそこで暮らしている人間の方が詳しい」

 

「それは、そうですね」

 

「だから、俺たちは支援の要請を受けて動く。だが、支援の内容を決めるときには、現場の人間の意見を確認する」

 

「それでも、ヒーローには断れない部分もあるでしょう?」

 

別の参加者が言った。

 

「危険があれば、こちらの意思に関係なく動くこともある」

 

「その通りです」

 

相澤は否定しなかった。

 

「緊急事態で、命に関わると判断した場合には、安全を優先することがある。ただ、それを理由に、平時の生活までこちらが決めていいわけではない」

 

「そこを分けて考える必要があるんですね」

 

「そうだ」

 

相澤は視線を落とした。

 

「俺たちが救助する側だからといって、救助された人間の人生まで引き受けたつもりになってはいけない」

 

プレゼント・マイクも口を開いた。

 

「それに、ヒーローが来たからって、全員が安心するわけじゃない。ヒーローの姿を見るのがつらい人もいる。以前の事件を思い出す人もいるだろうし、個人的な事情で距離を置きたい人もいる」

 

彼はいつもの大きな声を少し抑えた。

 

「だから、俺たちが来ること自体が負担になるなら、別の方法を考えるべきだ」

 

「ヒーローが来ない方がいい場所もあるということですか?」

 

麗日が尋ねた。

 

「そういうことだ」

 

プレゼント・マイクは頷いた。

 

「ヒーローが必要とされる場所もある。ヒーローがいない方が話しやすい場所もある。どちらも認めなきゃいけない」

 

その言葉は、出久の胸に残った。

 

ヒーローになれば、誰かに必要とされる。

 

そう考えていた時期がある。

 

けれど、誰かに必要とされることと、誰かに必要とされない時間を受け入れることは、別の難しさを持っていた。

 

七 同じ輪の中にいても

会議が終わりに近づいた頃。

 

出久は、先ほどの男性と西尾、介護施設職員が話しているところへ近づいた。

 

「少し、お話ししてもいいですか?」

 

「どうぞ」

 

「今日の話し合いで出た意見について、確認させてください」

 

出久は、ノートを開いた。

 

「まず、支援の対象になるかどうかを、家屋の損壊や家族の被害だけで判断しないこと。支援する側の生活も支援の対象として考えること。避難情報は複数の手段で届けて、更新時刻と発信元を分かるようにすること。それから――」

 

「待ってください」

 

西尾が遮った。

 

「それは、あなたがまとめた言葉ですよね」

 

「はい」

 

「間違ってはいないと思います。でも、私たちが話したことを、あなたがまとめて、あなたの言葉で完成させる必要はありません」

 

「……すみません」

 

出久はノートを閉じた。

 

「そうですよね」

 

「私たちの言葉が分かりにくかったとしても、勝手に意味を整えないでください。必要なら、こちらで文章にします」

 

「分かりました」

 

「それに、今日の会議で全員が同じ意見になったわけでもありません」

 

男性が続けた。

 

「俺は地域の巡回が必要だと思っているが、誰かに家まで来られるのが嫌な人間もいる。情報の共有を増やしたい人間もいれば、自分の情報を他人に知られたくない人間もいる」

 

「両方の意見を残す必要がありますね」

 

「そうだ。多数決で消してしまう問題じゃない」

 

出久は、深く頷いた。

 

「ありがとうございます。僕たちが勝手に、みんなの意見として一つにまとめないようにします」

 

「それなら、次の会議で確認させてください」

 

「はい」

 

「あなたたちが何をしたのか。何ができなかったのか。そこも含めて」

 

「分かりました」

 

出久が答えると、男性は少しだけ表情を和らげた。

 

「緑谷くんだったか」

 

「はい」

 

「あなたが戦っていたことは知っている。あの戦いで、君たちが何をしたのかも聞いている」

 

出久は何も言わずに聞いていた。

 

「だから、君を責めたいわけじゃない」

 

男性は、ゆっくり言葉を選んだ。

 

「でも、戦いに勝ったことと、その後の生活を立て直せることは別だ」

 

「はい」

 

「そのことを、忘れないでほしい」

 

「忘れません」

 

「それも、今ここで約束するだけでは意味がない」

 

「……そうですね」

 

出久は、もう一度頷いた。

 

「だから、行動で示します」

 

そのとき、背後から声が聞こえた。

 

「だったら、行動を決めるのはこっちだ」

 

振り向くと、爆豪勝己が立っていた。

 

「爆豪くん」

 

「勝手に自分の仕事にするなよ、出久」

 

「でも、僕たちが責任を持って動かないと」

 

「動くのはいい。だが、お前が全部背負う必要はねえ」

 

爆豪は、参加者たちを見た。

 

「こいつらの話を聞いて、何でも俺たちがやります、なんて言い出したら、それこそ同じことの繰り返しだ」

 

西尾が爆豪を見る。

 

「あなたは、そう思うんですか?」

 

「そうだ」

 

爆豪は即答した。

 

「俺たちが決めて、俺たちが動いて、俺たちが成果を出したと満足して終わる。それじゃあ、何も変わらねえ」

 

「……」

 

「必要なときに呼べ。俺たちは動く。だが、必要なことを決めるのは、ここにいる人間たちだ」

 

爆豪は出久に視線を戻した。

 

「聞いてんのか、デク」

 

「聞いてるよ」

 

「なら、余計なことを言う前に、今決まったことを確認しろ」

 

出久は少しだけ苦笑した。

 

「うん」

 

西尾は、そんな二人を見ていた。

 

「あなたたちも、変わろうとしているんですね」

 

「変わらなきゃいけないんだろ」

 

爆豪はぶっきらぼうに答えた。

 

「ただし、変わったかどうかは、俺たちが決めることじゃねえ」

 

その言葉に、出久は静かに頷いた。

 

八 誰のための復興なのか

夕方。

 

会議室には、参加者と運営側が残っていた。

 

今日の話し合いで出た意見は、結論として一つにまとめられてはいなかった。

 

それぞれの意見が、別々の項目として記録されている。

 

優先順位について意見が一致したものもあれば、引き続き話し合う必要があるものもある。

 

参加者たちは、それを一つずつ確認していた。

 

根津が、最終確認のために立ち上がった。

 

「今日の会議で、直ちに実施すること、関係機関へ要請すること、今後も検討を続けることを分けて整理しました」

 

彼は、資料を読み上げた。

 

「第一に、相談窓口を設ける際には、家屋の損壊や被害の区分だけでなく、具体的な生活上の困難を相談できる仕組みを検討すること」

 

西尾が頷く。

 

「第二に、支援者自身の生活再建や休息についても、支援の課題として記録すること」

 

「お願いします」

 

「第三に、避難情報や支援情報を複数の手段で発信し、更新時刻と発信元を明確にすること」

 

男性が資料を確認した。

 

「第四に、介護施設や福祉施設など、個別の支援が必要な場所の情報を確認し、避難計画や連絡体制の見直しを要請すること」

 

介護施設職員は、静かに頷いた。

 

「第五に、今後の会議の議題や参加者について、今回の参加者の皆さんと相談して決めること」

 

根津は一度、資料から目を離した。

 

「そして、今日の意見について、今後どこまで進んだかを定期的に報告します。対応できなかったものについても、理由を明確にして記録します」

 

「それは、いつですか?」

 

西尾が尋ねた。

 

「次回の会議までに、関係先へ提出した要望と、その回答状況を整理します」

 

「次回まで、というのは具体的に?」

 

根津は一瞬考えてから答えた。

 

「二週間後を目途に、進捗報告の場を設けます。ただし、関係機関からの回答が間に合わなければ、その時点で未回答であることを明記します」

 

「分かりました」

 

西尾は頷いた。

 

「では、その報告の内容は、私たちにも確認させてください」

 

「もちろんです」

 

「それから、次の会議で話すことは、今回の参加者だけで決めないようにしたい」

 

「その点も、皆さんと相談して決めましょう」

 

根津は約束した。

 

一人の男性が手を挙げた。

 

「今日の話し合いは、これで終わりですか?」

 

「本日の議題は、ここまでとなります」

 

「でも、まだ話していない人がいる」

 

男性は、会議室の入口に目を向けた。

 

そこには、会議の途中から入ってきたものの、ほとんど発言していない人々がいた。

 

「今日は、ここまでで大丈夫です」

 

西尾が答えた。

 

「全員が今日、話す必要はないと思います。話したいときに話せるようにしておくことも大切です」

 

「そうですね」

 

根津は頷いた。

 

「では、今日の会議は、ここで終了とします。参加してくださった皆さん、ありがとうございました」

 

会議室に拍手は起こらなかった。

 

それは、失敗だったからではない。

 

拍手をするほどの成果が、まだ何も生まれていないからだった。

 

今日、いくつかの問題が見つかった。

 

いくつかの提案が出た。

 

次に何をすべきかも、少しだけ明確になった。

 

だが、何も解決してはいない。

 

それでも、会議に参加した人々は、資料を持ち帰り、次の話し合いに向けて準備を始めていた。

 

九 ヒーローの外側にある日常

会議が終わった後。

 

出久は、会場の片付けを手伝っていた。

 

参加者が使った資料をまとめ、不要になった机を元の位置へ戻す。

 

そのとき、西尾が近くを通りかかった。

 

「緑谷くん」

 

「西尾さん」

 

「今日は、ありがとう」

 

「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」

 

「でも、まだ何も変わっていませんからね」

 

「はい」

 

「次の会議までに、どこまで進んだのか見せてもらいます」

 

「分かりました」

 

「それと、あなたたちヒーローがいない場所にも、困っている人がいることを忘れないでください」

 

西尾は、建物の外を見た。

 

そこには、物資を運ぶ人々がいる。

 

仮設住宅へ向かう人々がいる。

 

修理を終えていない道路の脇で、周囲を片付けている人々がいる。

 

「ヒーローが来る前から、そこに人は暮らしていたんです」

 

「……はい」

 

「ヒーローがいなくなった後も、暮らしていくんです」

 

出久は、彼女の言葉を聞いていた。

 

「だから、ヒーローが来たときだけが、私たちの生活じゃないんですよ」

 

西尾は一礼して、会場を後にした。

 

出久は、その背中を見送った。

 

「緑谷くん」

 

声をかけてきたのは、飯田だった。

 

「そろそろ撤収作業を終える時間だ。こちらの荷物を運ぶのを手伝ってくれ」

 

「分かった」

 

出久は、近くに置かれた箱を持ち上げた。

 

その箱には、今日の会議で使った資料が入っている。

 

そこに書かれた言葉は、まだ要望に過ぎない。

 

実現した制度でも、解決した問題でもない。

 

けれど、なかったことにしてはいけない言葉だった。

 

「緑谷」

 

相澤が呼んだ。

 

「はい」

 

「今日は、どうだった」

 

「難しかったです」

 

「そうだろうな」

 

「僕たちが思っていた以上に、見えていなかったことが多かったです」

 

「それを忘れるな」

 

相澤は、会議室の片付けを見ながら言った。

 

「現場で救助する人間は、目の前の危険を見て動く。だが、その前後に何があったのか、救助された後に何が必要なのかまでは、分からないことも多い」

 

「はい」

 

「だから、分からないことを分かったふりをするな。必要なら聞け。聞いたら、記録しろ。記録したら、放置するな」

 

「……はい」

 

「それから、自分一人で全部を背負おうとするな」

 

出久は、小さく笑った。

 

「爆豪くんにも言われました」

 

「なら、少しは学習したか」

 

「努力します」

 

「努力じゃなく、実行しろ」

 

「はい!」

 

その様子を見て、プレゼント・マイクが近づいてきた。

 

「いやあ、今日は俺も考えさせられたよ」

 

「プレゼント・マイク先生もですか?」

 

「当然だろう。ヒーローとして、目の前の人を救うことをずっと考えてきた。でも、ヒーローの仕事が終わった後に、誰がその人の生活を支えるのか。そこまで考えなきゃいけないんだよな」

 

「そうですね」

 

「それに、俺たちが何かを言うことで、相手が話しにくくなることもある」

 

プレゼント・マイクは、会議室の外を見た。

 

「俺の声は、普段からでかいからな」

 

「それは否定しません」

 

相澤が即座に言った。

 

「おい!」

 

「必要なら、声を小さくすることも覚えろ」

 

「分かってるって!」

 

相澤とプレゼント・マイクのやり取りに、出久は少しだけ笑った。

 

だが、すぐに表情を戻した。

 

「先生」

 

「何だ」

 

「今日の話し合いを聞いて、僕は思いました。助けることって、ただ手を伸ばすだけじゃないんですね」

 

相澤は答えなかった。

 

出久は続けた。

 

「手を伸ばしても、相手がその手を取れるとは限らない。手を伸ばすこと自体が、相手の負担になることもある。だから、どうしてほしいのかを確かめないといけない」

 

「そうだな」

 

「でも、助けを求められない人を、放っておいていいわけでもない」

 

「その通りだ」

 

「どうすればいいのか、簡単には分からないです」

 

「簡単に分かったら、誰も苦労しない」

 

相澤は、出久の肩を軽く叩いた。

 

「分からないことを理由に、何もしないのも駄目だ。だが、分からないことを隠して、分かったふりをするのも駄目だ」

 

出久は、その言葉を受け止めた。

 

「はい」

 

そのとき、根津が近づいてきた。

 

「皆、少し集まってくれるかな」

 

出久たちは根津の前に集まった。

 

「今日の話し合いで、ひとつ確認しておきたいことがある」

 

根津は手元の資料を閉じた。

 

「私たちは、これまでヒーロー制度の外側にいた人々の声を聞こうとしてきた。しかし、今日、ここに来られなかった人々もいる。話したくても話せなかった人々もいる。私たちが聞いた声だけで、すべてを理解したと思ってはいけない」

 

「はい」

 

出久が答えた。

 

「それから、今日のような会議を開くことそのものが、目的になってはいけない。会議を開いた数を成果にするのではなく、そこで出た意見が、実際の生活にどのような変化をもたらしたのかを確認する必要がある」

 

「その通りですね」

 

飯田が頷いた。

 

「次回の報告までに、各担当の進捗を確認します。私たちが直接対応できること、関係機関へ要請すること、時間がかかることを区別して整理しましょう」

 

「僕たちも、できることを続けます」

 

出久が言った。

 

根津は、優しく微笑んだ。

 

「そうだね。ただし、忘れてはいけないことがある」

 

「何でしょうか?」

 

「私たちは、今日、彼らの代わりに話したのではない。彼らが自分たちで話せる場を作ろうとしただけだ」

 

「……はい」

 

「次も、その次も、主役を取り違えないようにしよう」

 

出久は、もう一度会議室を見渡した。

 

ここには、ヒーローになった人間がいる。

 

ヒーローを支える人間がいる。

 

ヒーローの活動によって救われた人間もいる。

 

そして、ヒーローの活動があっても、十分に救われたとは思えない人間がいる。

 

ヒーロー制度の中にいる人間だけが、社会を作っているわけではない。

 

ヒーロー制度の外側にいる人々も、ずっとそこで暮らしてきた。

 

これからも、暮らしていく。

 

その人々の声を、ヒーローたちが勝手に代弁してはいけない。

 

彼らが自分の言葉を持ち続けられるように、支えること。

 

そして、話し合いの結果を、現実の行動につなげること。

 

それが、今の自分たちにできることだった。

 

十 次に照らし出されるもの

帰路につく直前。

 

出久は、仮設復興支援センターの入口で足を止めた。

 

夕暮れの街では、まだ復旧作業が続いていた。

 

壊れた道路を修復する作業員。

 

配給所へ物資を運ぶ職員。

 

仮設住宅の周囲を清掃する住民。

 

避難所から戻ってきた人々。

 

その一人ひとりが、戦いの後の世界を作り直そうとしている。

 

ヒーローが戦っていた時間にも、彼らは暮らしていた。

 

ヒーローが勝利を収めた後にも、彼らは暮らしている。

 

「緑谷くん」

 

根津が隣に立った。

 

「今日の会議は、まだ始まりに過ぎない」

 

「はい」

 

「これから、さらに難しい問題が出てくるだろう」

 

「分かっています」

 

「いや、まだ分かっていないかもしれないね」

 

根津は穏やかに言った。

 

「今日の話し合いでは、社会の仕組みについて多くの意見が出た。だが、その仕組みを作ってきたのは、社会だけではない。私たちヒーローも、そこにいた」

 

出久は、黙って聞いていた。

 

「ヒーローたちの個人的な選択。救えなかった人々。見過ごしてしまった問題。あるいは、自分の正義を信じて誰かを傷つけてしまったこと」

 

根津は遠くを見た。

 

「それらを、社会の問題という言葉の中に隠してはいけない」

 

「……はい」

 

「今後、向き合うべき問題は、まだ残っている」

 

出久は、その言葉の意味を考えた。

 

轟家の問題。

 

ホークスが背負ってきたもの。

 

トガヒミコと麗日お茶子の間に残されたもの。

 

治崎廻が犯した罪と、彼がこれから引き受けるべき責任。

 

相澤とプレゼント・マイク、そして白雲朧の問題。

 

そして、自分たち自身のこと。

 

それぞれが異なる問題であり、簡単に一つの答えへまとめられるものではない。

 

「一度話し合えば解決する、というものではありませんね」

 

出久が言った。

 

「そうだね」

 

「それでも、向き合わなければいけない」

 

「そうだ」

 

根津は頷いた。

 

「だからこそ、次の話し合いでは、今日とは違う難しさがあるだろう」

 

出久は、拳を握った。

 

戦いは終わった。

 

けれど、戦いの中で生まれた傷も、戦いの前から存在していた問題も、まだ残っている。

 

誰かを助けたという事実だけでは、責任は消えない。

 

誰かを救えなかったという事実も、簡単には消えない。

 

そして、誰かの過去を理解したからといって、その人の選択がなかったことになるわけでもない。

 

「次に進みましょう」

 

出久は言った。

 

「今度は、僕たち自身の問題から目をそらさずに」

 

根津は、静かに頷いた。

 

「そうしよう」

 

夕暮れの街に、夜の明かりが灯り始めた。

 

復興は、まだ続く。

 

そして、ヒーローたちが向き合うべき責任も、まだ終わってはいなかった。

 

第七十四話・了

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