一 翼を休める場所
戦後の復興が進む街。
その一角に設けられた臨時のヒーロー活動検証室には、ホークスの過去の任務に関する資料が並べられていた。
公安委員会の指示による潜入任務。
敵連合との接触記録。
任務中に得た情報。
他のヒーローへの報告。
そして、トゥワイスとの最終的な交戦に関する記録。
資料は、すべてが公開されているわけではない。
関係者の安全や、今後の捜査に関わる情報もある。
しかし、だからといって、非公開という言葉を使って都合の悪い事実を隠していいわけではなかった。
「これが、提出できる記録のすべてです」
ホークスは、担当者の前に資料を置いた。
「個人的に保管していたメモもあります。公式記録と食い違うところがあれば、確認してください」
「記録の一部には、公安委員会の指示内容が含まれています」
「分かっています」
「公開の範囲については、別途確認が必要です」
「公開できない情報があること自体は理解しています。ただし、公開できない理由を明確にしてください」
ホークスは椅子に座り直した。
「安全上の理由なのか、個人情報なのか、それとも組織の運用に関する情報なのか。全部を一括りにしないでほしいんです」
担当者は資料を確認した。
「あなた自身の判断についても、調査対象になります」
「もちろん」
「公安委員会から命令を受けていたことは、行為の背景として考慮します。しかし、命令を受けていたからといって、あなた自身の判断がすべて免責されるわけではありません」
「分かっています」
「当時、あなたはトゥワイスをどの程度危険な人物だと認識していましたか?」
ホークスは、少しだけ視線を落とした。
「危険だと考えていました」
「どのような理由で?」
「彼の個性は、本人が認識している範囲や条件によっては、複数の人間を生み出すことができる。戦闘においても、救助活動においても、状況を大きく変える力です。敵連合が彼の能力を利用すれば、大きな被害が生じる可能性がありました」
「彼が実際に関わった事件については?」
「把握していました。彼の複製体が関与した被害も、敵連合の活動における役割も、知っていました」
「では、彼を危険な敵と認識していたことに、誤りはなかった?」
「危険な敵だったことは事実です」
ホークスは答えた。
「でも、それだけでは彼という人間を説明できません」
担当者は、次の質問をした。
「彼を仲間として信頼していましたか?」
ホークスは、すぐには答えなかった。
「任務を始めたとき、俺が彼らの仲間になろうとしたのは、情報を得るためでした」
「つまり、意図的に信頼を得た?」
「そうです」
「その後も?」
「任務上の立場は変わりませんでした」
担当者は記録を続ける。
「では、彼に対する親しみや友情も、すべて演技だったのですか?」
ホークスは、目を閉じた。
「それは……違います」
「違う?」
「最初は、任務でした。近づいた理由も、彼らの情報を得るためです。でも、一緒に過ごすうちに、彼のことを知りました」
ホークスは、窓の外を見た。
「彼がどれだけ仲間を大事にしていたか。自分が必要とされることを、どれほど喜んでいたか。失敗しても、誰かを笑わせようとしていたこと。自分自身の存在に、ずっと不安を抱えていたこと」
「あなたは、彼に好意を持っていた?」
「はい」
ホークスは答えた。
「人間として、好きでした」
その言葉は、任務記録には書き込めない種類のものだった。
けれど、彼がトゥワイスと過ごした時間の一部ではあった。
「ただし、それで俺の任務が正当化されるわけでも、彼の犯罪が許されるわけでもありません」
「分かりました」
担当者はペンを置いた。
「では、最後に確認します。あなたは、自分が行った行為について、どのように考えていますか?」
ホークスは、長い沈黙の後に答えた。
「俺は、彼を止める必要があると判断しました。そして、その判断の結果、彼は命を落とした」
「後悔していますか?」
「しています」
「それは、任務そのものについてですか。それとも、結果についてですか?」
ホークスは、机の上の資料を見た。
「両方です。少なくとも、彼の人間性を知っていた俺が、彼を一つの危険な能力としてだけ扱うことはできなかった」
彼は顔を上げた。
「俺がその場で何を選べたのか。別の方法があったのか。それを、今の俺が簡単に断言することはできません。でも、分からないからといって、判断を正しかったことにしてしまうつもりもありません」
「それでは、調査を続けます」
「お願いします」
ホークスは頭を下げた。
その翼は、もう過去を覆い隠すためには使わない。
二 トゥワイスという男
面談を終えたホークスは、資料室に残った。
机の上には、敵連合へ潜入していた頃の記録がある。
そこには、トゥワイスについての情報も記されていた。
個性――二倍。
自分や他人の複製体を作り出す能力。
その能力は、使い方次第で大きな戦力になる。
しかし、彼の人生は、能力の説明だけでは分からない。
ホークスは、一枚の写真を手に取った。
そこには、敵連合の一員として活動するトゥワイスが写っている。
彼はカメラに向かって、どこか落ち着かない笑顔を見せていた。
「……本当に、よく喋る人だったな」
ホークスは小さく呟いた。
初めてまともに話したときも、トゥワイスは自分のことをよく喋った。
自分が何を考えているのか。
何を心配しているのか。
仲間にどれだけ世話になっているのか。
そして、時には自分自身の言葉を否定するように、反対のことを口にする。
ひどく矛盾しているようでいて、その奥には、誰かとつながっていたいという切実さがあった。
彼は、仲間のために戦っていた。
自分が仲間にとって必要な人間であることを確かめようとしていた。
だからこそ、ホークスが近づいたときも、警戒だけではなく、親しみを示した。
「お前、いい奴だな!」
そんなふうに言われたこともあった。
その言葉を聞くたび、ホークスは少し困った。
任務のために近づいた相手から、信頼される。
その信頼を利用して情報を得る。
それが潜入任務だった。
彼は自分に言い聞かせていた。
これは必要なことだ。
敵連合を止めるためには、情報が必要だ。
彼らが大きな事件を起こす前に、できるだけ多くを知る必要がある。
その考えは、当時の状況を考えれば、理解できるものだった。
しかし、トゥワイスの信頼が本物であったことまで、任務という言葉で消すことはできない。
「……俺は、あんたを利用したんですよ」
ホークスは、写真に向かって言った。
「それは事実です」
返事はない。
当然だった。
そこにいるのは、写真の中のトゥワイスだけだ。
「でも、一緒に過ごした時間まで全部嘘だったとは言いたくない」
ホークスは写真を伏せた。
「あなたが仲間を大事にしていたことも、俺に親切にしてくれたことも、面白いことを言って周りを笑わせていたことも、覚えています」
それでも、彼は犯罪に関わっていた。
敵連合の目的に賛同し、仲間とともに行動し、社会を脅かす活動に加わっていた。
仲間を守りたいという気持ちが、他人の人生を傷つけていい理由にはならない。
ホークスは、そのことも忘れない。
「あなたのことを、人間として覚えていることと、あなたの行動を認めることは違う」
それは、誰かを裁くための言葉ではなかった。
自分の中で、二つの事実を同時に抱えるための言葉だった。
三 信頼を利用した男
「ホークスさん」
資料室の扉が開いた。
入ってきたのは、常闇踏陰だった。
「常闇くん」
「お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「大丈夫ですよ。どうしたんです?」
「先ほど、検証の面談があったと聞きました」
「ああ。過去の任務についてです」
「トゥワイスのことも?」
ホークスは、静かに頷いた。
「彼についても話しました」
常闇は、少しだけ目を伏せた。
「ホークスさんは、彼と親しかったのですか?」
「任務のために近づきました。けれど、実際に一緒に過ごした時間もあります」
「それは、信頼していたということですか?」
「少なくとも、彼は俺を信頼していたと思います」
「ホークスさんは?」
ホークスは、少し考えた。
「俺は、彼のことを完全には信頼していませんでした。立場が違ったからです。彼がどこまで本音を話しているのかも分からなかった」
「それでも、好意を持っていた」
「はい」
常闇は、資料の上にある写真を見た。
「それは、複雑ですね」
「そうですね」
「あなたのことを、今まで尊敬していました」
ホークスは彼を見た。
常闇は続けた。
「速く、強く、冷静で。どんな状況でも先を考え、人を守るために行動できる人だと」
「ありがとうございます」
「しかし、今はどう評価すればいいのか分かりません」
ホークスは、苦笑した。
「それでいいんですよ」
「いいのですか?」
「俺を尊敬し続けなきゃいけない理由はありません」
「ですが……」
「常闇くん」
ホークスは、ゆっくり言葉を選んだ。
「俺は、君に理想のヒーローとして見られたいと思っていました。君を助けたときも、少しはそういう気持ちがあったかもしれない」
「ホークスさん……」
「でも、俺の過去を知ったからといって、君が今までの俺を全部否定する必要もない。逆に、今まで尊敬していたからといって、今の俺の行動を正当化する必要もない」
常闇は、黙って聞いていた。
「人間は、良いことだけをするわけじゃない。悪いことをしたからといって、過去に誰かを助けた事実まで消えるわけでもない。どちらも確認して、判断してほしい」
「あなた自身は、どうしたいのですか?」
ホークスは窓の外を見た。
「俺は、自分がしてきたことを隠さずに説明したい。トゥワイスについても、危険な敵だったことだけでなく、一人の人間だったことを記録に残したい」
「それが、彼への償いになると?」
「いいえ」
ホークスは首を横に振った。
「彼はもういない。俺が何をしても、彼に直接何かを返すことはできない。記録を残したからって、彼の命が戻るわけでもありません」
「では、なぜ?」
「俺が、自分の都合で彼を一つの言葉に閉じ込めたくないからです」
ホークスは写真を手に取った。
「彼を敵だったとだけ記録すれば、俺の行動は簡単に正当化できるかもしれない。彼を友人だったとだけ記録すれば、今度は彼が関わった犯罪を見えなくしてしまう」
「……」
「だから、どちらも残す。彼がしたことも、彼がどんな人だったかも。俺がしたことも、俺がどんな立場だったかも」
常闇は、しばらく考えていた。
「それは、簡単なことではありませんね」
「ええ。俺もそう思います」
「しかし、あなたがそれを続けるなら、私はその行動を見続けたいと思います」
ホークスは少し驚いた。
「俺を信じるということですか?」
「まだ分かりません」
常闇は正直に答えた。
「今のあなたをどう評価するかは、これからの行動を見て考えます。ただ、過去から目を逸らさないことができるか。それは見届けたい」
ホークスは、静かに笑った。
「それが、一番ありがたいですね」
四 彼の死を、誰の正義で語るのか
数日後。
ホークスの行為に関する検証の一環として、関係者による聴取が行われた。
そこには、ホークスだけでなく、当時の活動に関係した複数の担当者が出席していた。
議題は、トゥワイスとの交戦に至った経緯。
潜入任務の目的。
公安委員会からの指示。
敵連合の動向。
現場で確認された危険性。
そして、ホークスがどのような判断を下したのか。
「確認します」
調査担当者が資料を読み上げた。
「あなたは、トゥワイスが敵連合の戦力として利用されることを防ぐ必要があると判断した」
「はい」
「その判断は、公安委員会からの指示によるものですか?」
「指示はありました。しかし、最終的に現場で行動したのは俺です」
「命令に従わなければ、任務を遂行できなかった?」
「命令に従わないという選択肢が、現実的だったかどうかは、当時の状況を確認する必要があります」
「つまり、拒否できなかったと?」
「そう断言するつもりはありません」
ホークスは答えた。
「俺は、現場で自分の判断を下しました。組織の指示だけで説明しようとは思っていません」
別の担当者が口を開いた。
「あなたは、トゥワイスが危険な個性を持ち、敵連合の戦力になっていると知っていた。彼が活動を続ければ、さらに多くの被害が発生する可能性があった」
「はい」
「では、あなたの判断は、被害を防ぐためのものだったのではありませんか?」
その問いに、ホークスはすぐには答えなかった。
「そう考えて行動しました」
「ならば、正当な判断だったと考えますか?」
「それは、俺が決めることではありません」
会議室に沈黙が落ちた。
「当時の状況を確認し、他にどのような選択肢があったのかを調べてください。俺が何を知っていたのか。どこまで時間があったのか。現場で何を優先していたのか」
ホークスは資料を指した。
「ただし、俺が彼に対して何をしたのかを、組織の目的だけで説明することはできません」
調査担当者が尋ねた。
「トゥワイスが仲間を守ろうとしていたことは、あなたも理解していた?」
「はい」
「それでも、彼を止めることを選んだ?」
「はい」
「彼が仲間を守りたいと思っていたことを、あなたはどう考えていますか?」
ホークスは、しばらく視線を落とした。
「彼にとって、仲間は自分の居場所だったんだと思います」
「居場所?」
「彼は、自分が誰かに必要とされることを大切にしていました。仲間のために動き、仲間の役に立つことで、自分がそこにいていいと思えたのかもしれません」
「それは、彼の行動を正当化しますか?」
「いいえ」
ホークスは、はっきり答えた。
「誰かを大切にする気持ちがあっても、他人を傷つけていい理由にはならない。彼が関わった事件で被害を受けた人たちの存在は消えません」
「では、彼の人間性を評価する必要はないのでは?」
その言葉に、ホークスの表情がわずかに変わった。
「必要があります」
「なぜですか?」
「彼を危険な敵としてだけ記録すれば、彼の行動を生み出した背景や、彼が何を求めていたのかが見えなくなるからです」
ホークスは続けた。
「彼の人間性を知ることは、彼の罪を軽くするためではありません。次に同じような人間が生まれないようにするためでもあります」
「しかし、彼の行為によって傷ついた人々が、その説明を望んでいるとは限りません」
「分かっています」
ホークスは頷いた。
「彼のことを理解してほしいと、被害を受けた人たちに求めるつもりはありません。理解するかどうかは、その人たちが決めることです」
「あなたは、彼を理解したい?」
「はい」
「自分の行為を悔いている?」
「はい」
「それは矛盾しませんか?」
ホークスは、静かに答えた。
「矛盾しません。彼が何を考えていたのかを理解しようとすることと、俺が何をしたのかを悔い改めることは、同時にできます」
彼は一度、息を吐いた。
「彼が危険な行動をしていたことも、俺が彼を止めようとしたことも、そして彼が人間として生きていたことも、全部事実です」
調査担当者は、記録を続けた。
「あなたは、彼に謝罪したいと思いますか?」
「謝罪したいです」
「しかし、本人は亡くなっている」
「分かっています」
「誰に向けて謝罪するのですか?」
ホークスは、少しだけ目を閉じた。
「彼の死によって傷ついた人たち。彼の行動によって被害を受けた人たち。そして、俺の任務や判断によって影響を受けた関係者です」
「彼の仲間たちにも?」
「相手が話を望むなら、説明する用意はあります。ただし、彼の仲間たちに俺の謝罪を受け取る義務はありません」
「分かりました」
その場で結論は出されなかった。
調査は続く。
それが、今のホークスに必要なことだった。
五 残された人々
聴取の後、ホークスは別の面談室へ移動した。
そこには、トゥワイスが関わった事件で被害を受けた人の一人が待っていた。
男性は、避難中に複製体による混乱に巻き込まれ、家族と離れ離れになった経験を持つ。
現在は生活を再建しつつあるが、当時の恐怖や不安は、完全になくなったわけではない。
面談は、男性本人から希望があって設けられたものだった。
「初めまして」
ホークスが頭を下げる。
男性は、彼をまっすぐ見た。
「あなたがホークスさんですか」
「はい」
「トゥワイスのことを調べていると聞きました」
「そうです」
「どうして今さら?」
ホークスは、少し考えた。
「今さらだからです」
男性は眉をひそめた。
「どういう意味ですか」
「戦いが終わって、彼のことを敵連合の一員として整理するだけでは、足りないと思ったからです。俺が何をしたのかも含めて、記録を見直す必要があります」
「あなたは、彼と親しかったそうですね」
「はい」
「それなら、彼がどんな人間だったかも知っていたんでしょう」
「知っていたつもりです」
男性は、少し声を強めた。
「私は、彼のことを知りません」
「はい」
「彼が仲間を大切にしていたとか、面白い人だったとか、そういう話を聞いても、私は彼に人生を壊されたことを忘れられません」
「そうだと思います」
「あなたは彼を理解したいと言う。でも、私たちは理解しなければいけないんですか?」
「いいえ」
ホークスは即答した。
「あなたに、彼を理解する義務はありません」
「なら、彼がどんな人間だったかを、どうして話すんですか」
「彼を理解することは、俺自身がするべきことだと思っているからです」
ホークスは、正面から男性を見た。
「あなたに理解してほしいわけではありません。彼を許してほしいわけでもない」
「では、私に何を求めているんですか?」
「何も求めていません」
男性の表情が険しくなる。
「何も?」
「はい。あなたに何かを話してもらうことも、俺の説明を受け入れてもらうことも、謝罪を受け取ってもらうことも求めていません」
ホークスは続けた。
「ただ、俺が何をしたのかを説明する機会が必要だと考えました。あなたが望むなら、俺の行動についても、分かっている範囲で説明します」
男性はしばらく黙っていた。
やがて、尋ねた。
「あなたは、彼を殺したことを後悔していますか?」
ホークスは、目を逸らさなかった。
「後悔しています」
「それでも、同じ状況なら同じことをする?」
その問いは、ホークスが自分の中で何度も考えてきたものだった。
「分かりません」
男性は、少し意外そうに彼を見た。
「分からない?」
「当時の状況を、今の自分が完全に再現できるわけではありません。何を見て、何を知っていて、どんな選択肢があったのか。改めて検証する必要があります」
「それでは、答えになっていない」
「そうですね」
ホークスは認めた。
「でも、分かったふりをして、あの判断は絶対に正しかったと言うことはできません。逆に、今の自分が過去の自分を簡単に断罪して、すべて間違いだったと言い切ることもできない」
「あなたは、自分を守っているんじゃないですか?」
「そう見えるかもしれません」
ホークスは頷いた。
「だからこそ、俺だけで結論を出さないようにしています。記録を提出し、第三者の調査を受ける。都合の悪い部分も隠さない」
男性は、窓の外を見た。
「私は、彼がどんな人間だったかを知る気はありません」
「分かりました」
「あなたの謝罪も、今は受け取りません」
「はい」
「それでも、私が失ったものについては、調べてほしい。彼の複製体が関わった事件で、何が起きていたのか。誰が責任を持って対応するのか。今後の支援はどうなるのか」
「分かりました」
ホークスは、手帳を開いた。
「具体的に確認して、必要な窓口につなぎます。ただし、俺がすべてを決定できるわけではありません。担当部署と連携し、進捗を確認します」
「それを報告してください」
「はい」
男性は立ち上がった。
「今日は、これで終わりにします」
「時間を取っていただき、ありがとうございました」
「礼を言われることではありません」
男性は部屋を出ていった。
ホークスは、しばらく椅子に座っていた。
謝罪は受け取られなかった。
理解も求められなかった。
だが、支援の継続と事実の確認が求められた。
それは、彼が果たさなければならない具体的な責任だった。
「……彼のことを語るなら、彼によって傷ついた人たちのことも語らなければならない」
ホークスは、手帳にその言葉を書き留めた。
六 翼の持ち主
その日の夕方。
ホークスは、仮設復興支援センターの屋上にいた。
風は穏やかだった。
遠くには、修復が進む街が見える。
彼は、自分の背中を意識した。
かつて、翼は自分にとって速さの象徴だった。
誰よりも早く現場に駆けつける。
誰よりも早く危険を察知する。
誰よりも早く、誰かを助ける。
そのための翼だった。
しかし、いつからか、それは自分の行動を正当化するためのものにもなっていたのかもしれない。
速く動くため。
命令を遂行するため。
組織が求める結果を出すため。
誰にも見えない場所で、何かを決めるため。
「ホークスさん」
振り返ると、常闇が立っていた。
「また君か」
「何度も申し訳ありません」
「構いませんよ。今日はどうしました?」
「先ほどの面談について、聞いてもいいですか」
ホークスは頷いた。
「被害を受けた方と話していました。俺の謝罪は受け取られませんでした」
「そうですか」
「でも、支援を続けることと、事実を確認することを求められました」
「それが、今できることなのでしょう」
「そうですね」
ホークスは手すりに手を置いた。
「俺は、トゥワイスのことを理解したいと思っています。彼のことを、ただの危険な敵だったとは思いたくない」
「はい」
「でも、彼を理解しようとすることが、彼のしたことを軽く見せるために使われてはいけない」
常闇は頷いた。
「彼の人間性を語ることと、被害を受けた人々の苦しみを語ること。その両方が必要なのですね」
「そうです」
ホークスは、遠くを見た。
「そして、俺自身の行為も」
常闇は少し黙っていた。
やがて、彼は尋ねた。
「ホークスさんは、これからどうするつもりですか?」
「まず、調査に協力し続けます。任務の記録を提出して、公安委員会の指示と自分の判断を分けて説明する。公開できる情報については、可能な範囲で説明する」
「それだけですか?」
「それだけではありません」
ホークスは続けた。
「今後のヒーロー教育にも関わりたいと思っています。潜入任務や情報収集を行うとき、対象をただの情報源として扱わないために、何を考えるべきなのか。組織の命令と個人の判断をどう分けるのか。現場で異議を申し立てられる仕組みも必要です」
「自身の経験を、次に活かすのですね」
「はい。ただし、俺の経験だけを正解にするつもりはありません。俺の判断が間違っていた可能性も含めて、教材にする必要があります」
常闇は、少しだけ表情を和らげた。
「あなたの翼は、もう過去を隠すためには使われないのですね」
ホークスは小さく笑った。
「そうでありたいですね」
「翼を持つ者が、空から見下ろすだけではなく、地上にいる者の声を聞く」
「いい言葉ですね」
「あなたが教えてくれたことでもあります」
ホークスは、少し驚いた顔をした。
「俺が?」
「以前、あなたは言いました。ヒーローは、目立つことだけが仕事ではないと」
常闇は続けた。
「見えないところで支えることも、誰かのために動くことも、ヒーローの仕事だと」
「そんなことも言いましたね」
「私は、その言葉を忘れていません」
ホークスは、少しだけ視線を落とした。
「ありがとう、常闇くん」
「ただし」
常闇は真剣な顔で続けた。
「今のあなたが、その言葉を実行できるかどうかは、これから見ていきます」
「ええ。そうしてください」
ホークスは笑った。
「俺が自分で自分を許したところで、何も変わりませんからね」
七 トゥワイスの記録
数日後。
ホークスは、公安委員会の記録を含めた調査資料をまとめるため、関係者と再び面談していた。
机の上には、トゥワイスに関する資料が並んでいる。
彼の生い立ち。
社会との接点。
犯罪に関わるまでの経緯。
敵連合での活動。
複製体による被害。
そして、ホークスとの接触と最終的な交戦。
「この記録について、一つ提案があります」
ホークスが言った。
「どの部分ですか?」
「人物評価です」
彼は資料の一文を指した。
『敵連合の戦闘員。複製能力による大規模な戦力増幅が可能。危険度が高く、排除対象となった』
「事実と異なる記載ですか?」
「いえ。事実として間違っているとは言いません。ただ、それだけでは不十分です」
「具体的には?」
「彼がどうして仲間を大切にしていたのか。どうして自分の居場所を失うことを恐れていたのか。どうして俺を信頼したのか。その背景も、分かる範囲で記録に残してほしい」
担当者は資料を確認した。
「個人的な印象が混じる可能性があります」
「それは分かっています。だから、俺の証言として扱ってください。確認できた事実と、俺の主観を分けて記録する」
「なるほど」
「俺は、彼がどんな人間だったかを全部知っているわけではありません。彼のすべてを説明できるわけでもない」
ホークスは続けた。
「それでも、彼を危険な敵という一つの言葉だけでまとめることはしたくありません」
「それを記録に残すことに、どのような意味があると考えますか?」
「彼の行動を正当化するためではありません」
ホークスは、資料の端に指を置いた。
「人間が敵になっていく過程を、敵という言葉だけで片付けないためです」
「……」
「彼が仲間を大切にしていたことは事実です。でも、その仲間を守りたいという思いが、彼の犯罪を正当化するわけではない」
ホークスは、ゆっくり話した。
「逆に、彼が犯罪に関わっていたからといって、誰かを大切にしていたことまで嘘になるわけじゃない」
担当者は、しばらく考えた。
「あなたは、彼のことを友人だと記録してほしいのですか?」
「俺がそう感じていたことは、証言として残してほしいです」
「彼も、あなたを友人だと思っていたと?」
「彼の気持ちを、俺が断言することはできません。ただ、少なくとも俺に信頼を示してくれていた。それは、俺が受け取った事実です」
「分かりました。主観と確認可能な記録を分けて整理します」
「お願いします」
そのとき、担当者がもう一つの資料を取り出した。
「あなた自身についても、今後の活動計画を提出していただきたい」
「活動計画ですか?」
「今回の検証で明らかになった課題を、今後どう改善するのか。再発防止や教育への協力なども含めて提出してほしい」
ホークスは、資料を受け取った。
「分かりました」
「ただし、計画を提出しただけで責任を果たしたことにはなりません」
「承知しています」
「進捗についても、定期的に確認します」
「お願いします」
ホークスは、資料に目を通した。
今後、自分が何を続けるのか。
誰に何を説明するのか。
どの記録を残すのか。
どのような教育に関わるのか。
具体的な行動を、自分の言葉で書き込まなければならない。
「……なかなか大変ですね」
ホークスが呟くと、担当者は答えた。
「大変だからこそ、記録が必要なのです」
「そうですね」
ホークスはペンを取った。
「俺が自分で終わったことにしないためにも」
八 許しを求めない
その夜。
ホークスは、自室の机に向かっていた。
机の上には、まだ提出していない個人的な記録がある。
彼は、トゥワイスと過ごした日々を思い返しながら、一つずつ言葉にしていた。
彼がどんな表情をしていたか。
どんな話をしていたか。
何を大切にしていたか。
そして、どんな行動を取っていたか。
記録には、彼を美化する言葉も、逆に悪人として単純化する言葉も使わない。
ホークスは、書き終えた文章を読み直した。
『私は、トゥワイスという人間と接触した。
任務上の目的は、敵連合の情報を収集することだった。
そのため、彼の信頼を得る行動を取った。
彼は私に親しみを示し、仲間として接してくれた。
私は、その信頼を利用した。
彼は犯罪に関与し、他者に被害を与えた。その事実を否定するつもりはない。
しかし、彼が仲間を大切にしていたことや、自分の居場所を必要としていたことも、私が実際に見た彼の一面である。
私は彼を危険な敵として認識し、止めるための判断をした。
その結果、彼は命を落とした。
当時の状況に照らして、他にどのような選択肢があったのかについて、今後も検証を受ける。
私は、自分の行為を正当化するために、彼の人間性を否定しない。
また、彼の人間性を語ることで、彼が与えた被害を曖昧にするつもりもない。
彼を理解しようとすることと、自分の行為を悔い改めることは、両立する。
私は、彼に直接謝罪することはできない。
彼の死を取り消すこともできない。
それでも、彼の行動によって傷ついた人々と、私の判断によって影響を受けた人々に対する責任から逃げない。
その人たちに、私の謝罪を受け取る義務はない。
私は、許しを要求しない。
今後の行動と記録によって、自分が何をしたのかを説明し続ける。』
書き終えたホークスは、ペンを置いた。
窓の外は暗い。
彼は、しばらくその文章を見つめていた。
「……これで終わりじゃない」
そう呟いた。
謝罪文を書いたからといって、何かが解決するわけではない。
トゥワイスが戻ってくるわけでもない。
彼によって傷ついた人々の生活が、すぐに元へ戻るわけでもない。
自分の判断が正しかったのかどうかも、まだ結論が出ていない。
それでも、記録を提出する。
調査に協力する。
被害を受けた人々への支援を続ける。
そして、自分の経験を、次の世代が同じ過ちを繰り返さないための教材にする。
それが、今の自分にできることだった。
ホークスは書類を封筒に入れた。
その上に、短く書き加えた。
『トゥワイスに関する個人証言。公開範囲については、関係者の安全と遺族・被害者の権利を考慮した上で判断を希望する』
彼は封筒を机の端に置いた。
翼は、罪を隠さない。
空を飛んで、過去から逃げるためのものでもない。
九 残された翼
翌朝。
ホークスは、検証室へ向かう途中で足を止めた。
そこにいたのは、出久だった。
「ホークスさん」
「緑谷くん。おはようございます」
「おはようございます。今日は調査ですか?」
「ええ。提出する記録が増えまして」
「トゥワイスさんのことですね」
ホークスは頷いた。
「そうです」
出久は、少し迷ってから尋ねた。
「ホークスさんは、今でも彼を友人だと思っていますか?」
ホークスは、すぐには答えなかった。
「友人と呼べるかどうかは、少し難しいですね」
「そうですか」
「俺は任務のために近づいた。最初から、彼にすべてを話していたわけじゃない。彼が俺を信頼してくれていたとしても、俺は同じ形で彼を信頼していたわけではありません」
「……」
「でも、彼と過ごした時間がすべて嘘だったとは思いません。俺は彼のことを好きでした。彼の仲間を大切にするところも、妙に正直なところも、見ていて面白かった」
ホークスは、少しだけ笑った。
「だからこそ、俺は彼を危険な敵としてだけ扱うことはできない」
「でも、彼がしたことは消えない」
「ええ」
「ホークスさんがしたことも」
「そうですね」
出久は、少し考えた。
「僕も、死柄木を救いたいと思ったことを、なかったことにはしたくありません。でも、僕の気持ちだけで、彼に傷つけられた人たちに何かを求めることはできない」
「ええ」
「それと同じように、ホークスさんがトゥワイスさんを大切に思っていたことも、否定する必要はないと思います」
ホークスは出久を見た。
「ありがとうございます」
「ただ、それをどう受け止めるかは、ほかの人たちが決めることなんですよね」
「そうです」
「だから、ホークスさんは説明し続ける」
「はい」
出久は頷いた。
「僕も、続けます」
二人の間に、少しだけ沈黙があった。
やがて、ホークスが言った。
「緑谷くん」
「はい」
「君は、これからもたくさんの人を救いたいと思うでしょう」
「はい」
「その気持ちは大切にしてください。ただし、救いたいという気持ちだけで、自分の判断が正しいと決めないでください」
「分かっています」
「助けた相手が、自分の助けを望んでいなかった場合もある。自分が正しいと思って進んだ先で、誰かを傷つけていることもある」
「はい」
「でも、それを恐れて、動かなくなってもいけない」
ホークスは、静かに笑った。
「難しいですよね」
「本当に」
「だから、一緒に考えていきましょう」
出久は頷いた。
「はい」
ホークスは検証室の扉を開けた。
「じゃあ、行ってきます」
「頑張ってください」
「頑張るというより、やるべきことをやってきます」
そう言って、彼は中へ入っていった。
出久は、その背中を見送った。
かつて空を自由に飛び、誰よりも早く現場へ向かったヒーロー。
その翼は、もう何も隠すためのものではない。
過去を振り返るために。
自分の判断を検証するために。
傷ついた人々の声を聞くために。
そして、これからのヒーローが同じ過ちを繰り返さないようにするために。
ホークスは、残された責任を引き受けていく。
十 空を飛ぶ理由
検証室では、ホークスの個人証言を受け取る準備が整っていた。
彼は資料を提出し、記録の説明を始めた。
一つずつ。
自分が知っていたこと。
知らなかったこと。
命令されたこと。
自分で判断したこと。
そして、トゥワイスについて、自分が実際に見たこと。
調査は続く。
公開できる情報と、公開できない情報を分ける作業も続く。
被害を受けた人々への支援についても、関係機関との連携が必要になる。
ホークスの行為について、最終的な判断が下されるまでには、まだ時間がかかるだろう。
しかし、彼はその結論を急がない。
自分に有利な結論を求めるのではなく、事実を明らかにすることを求める。
面談を終えたホークスは、廊下へ出た。
窓から、街の空が見える。
かつて彼は、誰よりも速く飛ぶことを自分の役目だと思っていた。
今は違う。
速さだけが、ヒーローの価値ではない。
誰よりも早く現場へ着くことだけが、誰かを救う方法ではない。
時には立ち止まる。
時には、自分の判断を誰かに確認してもらう。
時には、自分がしたことを認める。
そして、相手が許さないと言ったときには、その意思を受け止める。
それもまた、ヒーローが責任を果たすということなのだろう。
ホークスは、空を見上げた。
「……トゥワイス」
小さな声だった。
「俺は、あなたのことを忘れません」
彼は、目を閉じる。
「でも、あなたのために誰かへ許しを求めることもしません」
風が吹く。
「俺は俺のしたことを、これからも説明します」
そして、静かに歩き始めた。
翼は、罪を隠さない。
過去を覆い隠すためでも、誰かの声を遠ざけるためでもない。
その翼を持つ者が、これから何をするのか。
それが問われていた。
第七十八話・了