僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第七十九話「あなたを好きだったことは、消えない」

一 返事に書かれていたこと

雄英高校の寮。

 

麗日お茶子は、自室の机に座り、一通の手紙を何度も読み返していた。

 

差出人は、トガヒミコ。

 

面会の申し込みを受ける前に、トガ自身が返事を書いたのだという。

 

封筒には、必要な確認を経て届けられたことを示す記録が添えられている。

 

お茶子は、もう一度、便箋を開いた。

 

『お茶子ちゃんへ。

 

お手紙をありがとう。

 

読んで、すぐに返事を書こうと思ったけど、何を書けばいいのか分からなくなりました。

 

わたしは、ずっと好きな人のようになりたいと思っていました。

 

その人の姿になりたい。

その人と同じものを感じたい。

その人のそばにいたい。

 

でも、わたしは相手が何を望んでいるのかを、ちゃんと考えていなかったんだと思います。

 

わたしの好きという気持ちは、相手の気持ちよりも、自分がどうしたいかを優先していました。

 

それで、たくさんの人を傷つけました。

 

あなたにも、怖い思いをさせました。

 

わたしは、自分が好きだったから仕方なかった、とは言いたくありません。

 

好きだったことと、やってはいけなかったことは別だからです。

 

あなたに会いたいです。

 

でも、会ってもらえるとは思っていません。

 

許してもらいたいとも、まだ言えません。

 

わたしがこれからどうするのか、自分で考えなければいけないと思っています。

 

もし会ってくれるなら、あなたの話を聞きたいです。

 

わたしのことを、どう思っていたのか。

 

どうして、最後までわたしを見てくれたのか。

 

答えたくないことには、答えなくて大丈夫です。

 

わたしも、ちゃんと自分の言葉で話せるようになりたいです。

 

トガヒミコ』

 

お茶子は、便箋をそっと机に置いた。

 

「……そっか」

 

手紙を読んだからといって、胸の中のもやもやが消えたわけではない。

 

むしろ、会いたいという言葉を目にして、考えることが増えていた。

 

トガは、何を話すつもりなのだろう。

 

自分は、何を話したいのだろう。

 

会ったら、また彼女の感情に引き込まれてしまうのか。

 

それとも、今度こそ自分の言葉を伝えられるのか。

 

「お茶子ちゃん」

 

扉の外から声がした。

 

「梅雨ちゃん?」

 

「入ってもいいかしら」

 

「うん」

 

蛙吹梅雨が部屋に入ってきた。

 

机の上の手紙を見て、静かに尋ねる。

 

「返事が来たのね」

 

「うん」

 

「会うことにした?」

 

お茶子は、少し迷ってから頷いた。

 

「会おうと思う」

 

「そう」

 

梅雨は隣に座った。

 

「怖くない?」

 

「怖いよ」

 

お茶子は正直に答えた。

 

「会ったら、何か変わるんかなって思う。でも、変わらへんかもしれへん」

 

「そうね」

 

「また傷つくかもしれない。トガちゃんを傷つける言葉を言ってしまうかもしれない。私が何を言っても、伝わらないかもしれない」

 

「それでも会いたいの?」

 

「うん」

 

お茶子は、手紙を見つめた。

 

「私は、トガちゃんのことを知りたかった。どうしてああいうことをしたのか、何を考えていたのか、どんなふうに生きてきたのか」

 

「うん」

 

「でも、知りたいと思ったことを、間違いだったとは思いたくないんよ」

 

「間違いじゃないわ」

 

梅雨は答えた。

 

「お茶子ちゃんが誰かを理解したいと思ったことは、その人がしたことを許す義務にはならないもの」

 

「うん」

 

「それに、トガちゃんがしたことを止めようとしたことも、間違いじゃない」

 

お茶子は、ゆっくり頷いた。

 

「そうやね」

 

梅雨は、少しだけ微笑んだ。

 

「会う前に、話したくないことや、途中で帰りたくなったときのことも決めておきましょう。お茶子ちゃんが全部を引き受ける必要はないわ」

 

「ありがとう、梅雨ちゃん」

 

「私は付き添うこともできるけれど、二人だけで話したいなら、外で待っているわ」

 

「うん。最初は、二人で話してみたい」

 

「分かった」

 

お茶子は立ち上がった。

 

机の上に置いた便箋を、封筒へ戻す。

 

それから、面会の申請書を手に取った。

 

会うことを決める。

 

それは、許すと決めることではない。

 

ただ、自分の気持ちを自分の言葉で伝えるための選択だった。

 

二 会いたいという気持ち

監督下の医療施設。

 

トガヒミコは、面会の予定を知らされてから、落ち着かない様子だった。

 

部屋の中を歩き回ることはない。

 

ただ、机の上に置いた便箋を何度も確認していた。

 

「面会の希望が通りました」

 

担当者が言った。

 

「……本当に?」

 

「はい。麗日さん本人が希望されています。ただし、面会時間や安全管理については、事前に決めた条件に従っていただきます」

 

「分かりました」

 

「相手の意思を確認せずに接触することはできません。面会中に不安を感じた場合は、どちらからでも中断できます」

 

「はい」

 

トガは、手紙を畳んだ。

 

「お茶子ちゃんに、何を話そう」

 

「それは、ご自身で考えてください」

 

「うん」

 

トガは、少しだけ笑った。

 

「そうだよね。自分のことなんだから」

 

担当者は記録を確認していた。

 

「面会を許可されたからといって、今後も継続するとは限りません」

 

「分かってる」

 

「麗日さんが次の面会を望まない場合もあります」

 

「うん」

 

「その場合は、その意思を尊重してください」

 

トガは頷いた。

 

「わたし、お茶子ちゃんに会いたいって思ってる。でも、会ってほしいってお願いするのと、会うことを決めるのは別だよね」

 

「そうです」

 

「お茶子ちゃんが決めることだもんね」

 

トガは自分の手を見つめた。

 

かつての自分なら、相手がどう思っているかより、自分がどうしたいかを優先していたかもしれない。

 

好きだから。

 

そばにいたいから。

 

その人になりたいから。

 

そう思えば、相手の意思を越えても許されるような気がしていた。

 

でも、それは違う。

 

好きだという気持ちがあっても、相手の人生を自分の望む形に変えていいわけではない。

 

「……今度は、ちゃんと聞きたい」

 

トガは呟いた。

 

「お茶子ちゃんが、何を考えていたのか」

 

彼女が何を答えるかは分からない。

 

自分を嫌いだと言うかもしれない。

 

もう会いたくないと言うかもしれない。

 

それでも、今度は、その言葉を受け止めなければならない。

 

トガは、手紙を封筒へ戻した。

 

自分が伝えたいことは、まだすべて言葉になっていない。

 

それでも、面会の時間は近づいていた。

 

三 向かい合う二人

面会室。

 

机を挟んで、二人の椅子が置かれている。

 

余計なものはない。

 

扉の外には担当者が待機している。

 

面会を録音するかどうかは、二人の意思を確認した上で決められていた。

 

今回は、会話そのものの記録は残さない。

 

安全管理上の事実と、面会の開始・終了時間だけを記録することになっている。

 

「こちらへどうぞ」

 

担当者に案内され、お茶子が部屋へ入った。

 

トガは、先に座っていた。

 

「……お茶子ちゃん」

 

「久しぶり、トガちゃん」

 

お茶子は向かいの席に座る。

 

トガは、すぐに何かを言おうとしたが、言葉が出てこなかった。

 

お茶子も同じだった。

 

かつては、向き合えば次々と言葉が出てきた。

 

互いの気持ちをぶつけて、相手の心に踏み込もうとしていた。

 

けれど、今は違う。

 

言葉を急がず、相手の反応を確かめる必要があった。

 

「手紙、ありがとう」

 

お茶子が先に口を開いた。

 

「読んでくれたんだね」

 

「うん。何回も読んだよ」

 

「そっか」

 

トガは、膝の上に両手を置いた。

 

「わたし、何を書けばいいのか分からなかった」

 

「うん」

 

「お茶子ちゃんに会いたいって、ずっと思ってた。でも、会いたいって言うだけじゃ駄目だと思った」

 

「どうして?」

 

「わたしが会いたいからって、お茶子ちゃんが会いたいとは限らないから」

 

お茶子は、静かに頷いた。

 

「そうだね」

 

「だから、会ってくれてうれしい。でも、会ってくれたからって、許してくれたとは思わない」

 

「うん」

 

トガは少しだけ息を吐いた。

 

「お茶子ちゃん。わたしに聞きたいことはある?」

 

「あるよ」

 

「何でも聞いて」

 

「何でも、とは言わない方がいいよ」

 

お茶子は、少しだけ笑った。

 

「答えたくないこともあるだろうし、今は答えられないこともあると思う」

 

「……そうだね」

 

「だから、無理に全部話さなくてもいい」

 

トガは、頷いた。

 

「じゃあ、わたしから聞いてもいい?」

 

「うん」

 

「お茶子ちゃんは、わたしのことが嫌い?」

 

その問いに、お茶子は目を伏せた。

 

すぐに答えられなかった。

 

嫌いだったのか。

 

好きだったのか。

 

どちらか一つに決めようとすると、どちらにも当てはまらない気持ちが残る。

 

「私は……」

 

お茶子は、少しずつ言葉を選んだ。

 

「トガちゃんがしたことは、許せないと思ってる」

 

トガは黙って聞いていた。

 

「傷つけられた人がいる。大切なものを奪われた人がいる。私だって、あなたの行動を止めなければならないと思っていた」

 

「うん」

 

「でも、トガちゃんがどうしてそうなったのか、知りたいと思った」

 

「……うん」

 

「あなたのことを、もっと知りたかった」

 

お茶子は顔を上げた。

 

「私は、あなたのことを好きだったんだと思う」

 

トガの目が揺れた。

 

「……好き?」

 

「うん」

 

お茶子は続けた。

 

「あなたが話してくれたこと。誰かを好きだと思ったときの気持ち。自分らしく生きたいと思っていたこと。そういう部分に、心を動かされた」

 

「お茶子ちゃん……」

 

「あなたのことを理解したいと思った。あなたの中にある気持ちを、最初から間違いだと決めつけたくなかった」

 

お茶子は、少しだけ笑った。

 

「だから、好きだったことは消えないよ」

 

トガは、何かを言いかけた。

 

しかし、お茶子は続けた。

 

「でも、それは、あなたのしたことを許すという意味じゃない」

 

トガは言葉を止めた。

 

「あなたが他の人を傷つけたことも、相手の気持ちを無視したことも、なかったことにはできない」

 

「……うん」

 

「私は、あなたの気持ちを知りたかった。でも、あなたを止めなければならなかった」

 

お茶子は、トガの目を見た。

 

「その両方が本当なんよ」

 

四 好きだから、何をしてもいいわけじゃない

トガは、ゆっくりと視線を落とした。

 

「わたしは、好きな人のことを、好きなようにしたかった」

 

「うん」

 

「その人になりたかった。近くにいたかった。自分と同じように好きになってほしかった」

 

トガは、自分の指を見つめた。

 

「でも、それは相手の気持ちを考えることとは違った」

 

「そうだね」

 

「わたしは、好きだから仕方ないと思ってた。自分の気持ちが本物なら、相手も分かってくれると思ってた」

 

「……」

 

「でも、相手には相手の人生があった。わたしの気持ちを受け入れない自由もあった」

 

トガの声は静かだった。

 

「わたしは、それをちゃんと考えていなかった」

 

お茶子は、何も言わずに聞いていた。

 

「お茶子ちゃんのことも、そうだった」

 

トガは顔を上げた。

 

「わたしは、お茶子ちゃんのことを知りたかった。お茶子ちゃんの気持ちを聞きたかった。でも、その前に、自分の気持ちをぶつけていた」

 

「うん」

 

「お茶子ちゃんが困っているのに、わたしは自分のことばかり考えていた」

 

「それは、そうだったね」

 

お茶子は否定しなかった。

 

「でも、私はあなたの話を聞きたかった。どうしてそんなふうにしか生きられなかったのか、知りたいと思っていた」

 

「それが、うれしかった」

 

トガは言った。

 

「お茶子ちゃんが、わたしのことを見てくれたから」

 

「でも、私が見ていたのは、あなたの一部分だったと思う」

 

「どういうこと?」

 

「私は、あなたの気持ちを理解したいと思っていた。でも、あなたがしてきたことの全部を知っていたわけじゃない。あなたに傷つけられた人たちのことも、全部分かっていたわけじゃない」

 

お茶子は、手を膝の上で握った。

 

「私は、あなたの苦しさに目を向けていた。でも、それだけじゃ足りなかった」

 

トガは首を横に振りかけた。

 

「お茶子ちゃんのせいじゃ――」

 

「ううん。私が悪かったと言いたいんじゃないよ」

 

お茶子は、落ち着いて続けた。

 

「私があなたの気持ちを知ろうとしたことは、間違いじゃない。だけど、あなたの気持ちを理解することと、あなたがしたことをどう扱うかは、別々に考えなきゃいけないんだと思う」

 

「……うん」

 

「私は、あなたが苦しんでいたことを知りたかった。だけど、あなたが苦しかったからって、傷つけられた人たちが我慢しなきゃいけないわけじゃない」

 

「分かってる」

 

「好きだったから、見過ごすこともできなかった」

 

お茶子は、少しだけ声を強めた。

 

「あなたが誰かを傷つけるのを止めたかった。あなた自身が、これ以上戻れないところまで行ってしまうのも嫌だった」

 

トガは、目を伏せた。

 

「わたしは、止めてほしかったのかな」

 

「それは、私には分からない」

 

お茶子は正直に答えた。

 

「あなたが本当に何を望んでいたのかは、あなた自身が考えなきゃいけない」

 

「そうだね」

 

「私があなたを止めようとしたことを、あなたがどう受け止めるかも、あなたが決めることだよ」

 

トガは、少しだけ笑った。

 

「お茶子ちゃんは、前よりずっと難しいことを言うようになったね」

 

「私だって、ずっと考えてきたんよ」

 

「うん」

 

「簡単な答えを出したくなかったから」

 

その言葉に、トガは静かに頷いた。

 

五 傷つけられた人たちのこと

「お茶子ちゃん」

 

トガが尋ねた。

 

「わたしが傷つけた人たちのこと、知ってる?」

 

「全部は知らない」

 

「そうだよね」

 

「事件の記録や、被害を受けた人たちの話は、少しずつ確認されている。でも、私が全部を知っているわけじゃないし、あなたが知っていることを私が代わりに説明することもできない」

 

「わたしも、ちゃんと聞かなきゃいけないんだよね」

 

「うん。でも、被害を受けた人に直接会って話を聞けばいい、ということでもないと思う」

 

トガは顔を上げた。

 

「どうして?」

 

「相手が会いたくないかもしれないから」

 

お茶子は答えた。

 

「あなたが謝りたいと思っていても、相手には謝罪を聞く義務がない。あなたの事情を聞く義務もない」

 

「……そうだね」

 

「だから、まずは調査に協力すること。自分がしたことを正確に話すこと。必要な支援や補償に関わる手続きに協力すること。そういうところから始めるんだと思う」

 

「謝ることよりも?」

 

「謝罪が必要な場面もあると思う。でも、謝ることだけで終わらせないでほしい」

 

トガは、しばらく考えた。

 

「わたしは、謝ったら許してもらえると思っていたのかな」

 

「分からない。でも、謝ったことで、相手が自分の気持ちを変えてくれると期待してしまうことはあると思う」

 

「お茶子ちゃんも?」

 

「私も、そういうところがあったかもしれない」

 

お茶子は少し苦笑した。

 

「誰かに謝ったら、相手が許してくれる。誰かを理解したら、相手もこちらを理解してくれる。そうなったらいいなって思うことはあるよ」

 

「うん」

 

「でも、そうなるかどうかは相手が決めることなんよ」

 

トガは、机の上に手を置いた。

 

「わたしが今できることは?」

 

「まず、担当者と一緒に、これまでの行動を確認すること。自分が覚えていることを隠さずに話すこと。必要な治療や支援を受けながら、自分がこれからどう生きるのか考えること」

 

「それで、足りるかな」

 

「すぐに足りるとは思わない」

 

お茶子は答えた。

 

「でも、何もしないより、ずっと大事なことだと思う」

 

トガは目を閉じた。

 

「わたし、今まで、自分がどうしたいかばかり考えていた」

 

「うん」

 

「でも、これからは、自分がしたことで誰が何を失ったのかも、ちゃんと考えなきゃいけない」

 

「そうだね」

 

「それを考えても、わたしが苦しかったことは消えない」

 

「消えないよ」

 

お茶子は頷いた。

 

「あなたが苦しかったことも、誰かを傷つけたことも、どちらも事実だから」

 

トガは、お茶子を見つめた。

 

「二つとも、持っていていいの?」

 

「持っていなきゃいけないんだと思う」

 

お茶子は答えた。

 

「どっちかを捨てたら、きっとまた何かを見なくなる」

 

六 お茶子の中に残っていたもの

面会の時間が、残り少なくなっていた。

 

トガは、手元の便箋を見た。

 

「お茶子ちゃん」

 

「うん」

 

「わたしは、あなたに好きって言った」

 

「うん」

 

「あなたが好きだった。あなたみたいになりたかった。あなたと一緒にいたかった」

 

「うん」

 

「今も、その気持ちが全部なくなったわけじゃない」

 

お茶子は、静かに聞いた。

 

「でも、今はそれを理由に何かを求めちゃいけないって分かる」

 

「そうだね」

 

「だから、好きだったことを覚えていてもいい?」

 

「もちろん」

 

お茶子は、少しだけ笑った。

 

「私も、あなたを好きだったことを覚えているよ」

 

トガの表情が揺れる。

 

「本当に?」

 

「うん。でも、好きだったからって、何でも許せるわけじゃない。もう一度仲良くできるかどうかも、今すぐには分からない」

 

「……うん」

 

「私は、あなたと話したいと思った。でも、あなたがしたことを止めなきゃいけなかった。あなたの気持ちを理解したいと思った。でも、傷つけられた人たちのことも守りたいと思った」

 

お茶子は、まっすぐトガを見た。

 

「その全部が、私の気持ちなんよ」

 

「矛盾してるみたい」

 

「そうかもしれないね」

 

「でも、どれも嘘じゃないんだ」

 

「うん。どれも嘘じゃない」

 

トガは、目を伏せた。

 

しばらくして、ぽつりと言った。

 

「わたし、ずっと好きって言葉を、自分の欲しいものを手に入れるために使っていたのかもしれない」

 

「……」

 

「好きだから、そばにいたい。好きだから、同じになりたい。好きだから、わたしの望む形でいてほしい」

 

トガは、少しずつ言葉を選んだ。

 

「でも、本当に相手のことを好きなら、相手がどうしたいのかも考えなきゃいけなかった」

 

「そうだね」

 

「お茶子ちゃんが、わたしと会いたくないと思う日が来ても、わたしはそれを受け止めなきゃいけない」

 

「うん」

 

「また会いたいと思ってくれるなら、うれしい。でも、それを約束してほしいとは言わない」

 

お茶子は目を伏せ、やがて答えた。

 

「私も、また会いたいと思っているよ」

 

トガは顔を上げた。

 

「でも、毎回会えるとは約束できない。私にも生活があるし、やらなきゃいけないことがある」

 

「分かってる」

 

「あなたの担当者になるつもりもないし、あなたの責任を代わりに引き受けるつもりもない」

 

「うん」

 

「それでも、あなたが自分のことを考えていくなら、その話を聞く機会はあってもいいと思う」

 

トガは、静かに頷いた。

 

「ありがとう」

 

「お礼を言われるようなことじゃないよ」

 

「でも、うれしい」

 

トガは、笑った。

 

その笑顔には、かつてのように相手の反応を急かすようなところはなかった。

 

それは、相手が自分の望んだ答えを返さなくても、その意思を受け止めようとする小さな変化だった。

 

七 好きだったことを、否定しない

面会を終えたお茶子は、建物の外に出た。

 

そこには、梅雨が待っていた。

 

「お茶子ちゃん」

 

「梅雨ちゃん」

 

「どうだった?」

 

お茶子は、少しだけ息を吐いた。

 

「話せたよ」

 

「そう」

 

「全部分かったわけじゃないし、何も解決したわけじゃない」

 

「うん」

 

「でも、言いたいことは言えたと思う」

 

梅雨は、お茶子の表情を見た。

 

「少し、楽になった?」

 

「どうかな」

 

お茶子は空を見上げた。

 

「楽になったというより、やっと自分の気持ちを認められた感じがする」

 

「自分の気持ち?」

 

「私、トガちゃんを好きだったことを、ずっとどう扱えばいいのか分からなかった」

 

「うん」

 

「彼女のことを好きだったって認めたら、彼女のしたことまで許すことになるんじゃないかと思っていた。でも、違った」

 

お茶子は、手を胸元に置いた。

 

「好きだったことは、消さなくていい。理解したかったことも、消さなくていい。でも、止めなければならなかったことも、忘れなくていい」

 

「そうね」

 

「全部、私の気持ちなんだと思う」

 

梅雨は頷いた。

 

「お茶子ちゃんが自分で見つけた答えね」

 

「うん」

 

お茶子は少しだけ笑った。

 

「私、トガちゃんに会う前は、何か一つの答えを見つけなきゃいけないと思ってた。好きだったのか、嫌いだったのか。許すのか、許さないのか。仲良くするのか、離れるのか」

 

「でも、今は?」

 

「今は、そんなふうに全部を一つにしなくてもいいと思ってる」

 

お茶子は、歩き始めた。

 

「好きだった。でも、許したわけじゃない。理解したかった。でも、彼女のしたことは止めなきゃいけなかった。もう一度会いたい。でも、いつでも会えるわけじゃない」

 

「それでいいと思うわ」

 

梅雨が隣に並んだ。

 

「お茶子ちゃんは、お茶子ちゃんの生活を続けていいのよ」

 

「うん」

 

二人は、駅へ向かって歩いた。

 

途中、お茶子は立ち止まった。

 

「梅雨ちゃん」

 

「何?」

 

「私、これからもヒーローを続けたい」

 

「うん」

 

「誰かを助けたいと思う気持ちは、変わってない。でも、助けたいと思った相手が、必ず私の手を取ってくれるわけじゃない」

 

「そうね」

 

「それでも、声を聞こうとすることはやめたくない」

 

「お茶子ちゃんらしいわ」

 

「ただし、今度は自分のことも大事にする」

 

梅雨は、少しだけ笑った。

 

「それが大事ね」

 

お茶子は頷いた。

 

八 トガが選ぶ言葉

同じ頃。

 

トガは、面会室を出た後、担当者から今後の予定について説明を受けていた。

 

「面会について、次回以降も希望しますか?」

 

「はい」

 

「麗日さんの意思も、改めて確認する必要があります。あなたの希望だけで継続が決まるわけではありません」

 

「分かっています」

 

「事件に関する調査は引き続き行います。あなた自身の証言も必要になります」

 

「はい」

 

「治療と支援についても、引き続き相談していきます。今後の生活については、法的な制約も踏まえて検討することになります」

 

「分かりました」

 

トガは、少し考えてから尋ねた。

 

「わたしが、これから普通に暮らしたいと思うことは、許されるんでしょうか」

 

担当者は、すぐに答えなかった。

 

「普通に暮らしたいと思うこと自体を、否定する必要はありません」

 

「でも、わたしがしたことがある」

 

「そうです」

 

「それでも、これからのことを考えていい?」

 

「考えることはできます。ただし、過去の行為に対する責任は別にあります」

 

トガは、静かに頷いた。

 

「……そうだよね」

 

「あなたが自分の未来を考えることと、被害を受けた方々が必要な支援を受けることは、両立しなければなりません」

 

「うん」

 

「あなたの希望だけを優先することも、あなたに未来を考えることを禁じることも、適切ではありません」

 

トガは机の上に手を置いた。

 

「わたし、今まで、好きな人と一緒にいられれば、それが幸せだと思っていた」

 

「今は違いますか?」

 

「まだ分からない。でも、好きな人が自分と同じ気持ちじゃなくても、その人の人生はその人のものなんだって、考えるようになった」

 

「それは、大切な変化ですね」

 

「でも、変わったって言うだけじゃ駄目だよね」

 

「そうですね。これからの行動を見ていく必要があります」

 

「分かりました」

 

トガは、小さく息を吐いた。

 

「わたし、次にお茶子ちゃんに会うときまでに、自分がしたことをもう少し整理しておきたい」

 

「どのように?」

 

「何をしたのか。誰を傷つけたのか。自分が何を考えていたのか。それと、これから何をするのか」

 

「それは、調査の担当者とも相談しましょう」

 

「うん」

 

トガは窓の外を見た。

 

「わたし、好きって言葉を、もう誰かを自分のものにするためには使いたくない」

 

担当者は、静かに聞いていた。

 

「好きな人が、自分の望むところにいなくても、その人が自分の人生を生きていることを認めたい」

 

トガは少しだけ笑った。

 

「まだ、うまくできないかもしれないけど」

 

「最初から完璧にできる必要はありません。できなかったときに、どうするかも考えていきましょう」

 

「うん」

 

トガは、手紙の続きを書くための便箋を求めた。

 

今度は、お茶子へ返事を書くためではない。

 

自分のための記録だった。

 

そこには、これまでの行動と、これからの課題を書くつもりだった。

 

好きだったことを、罪の言い訳にしない。

 

罪を犯したことを、自分の人生のすべてにもしない。

 

その両方を忘れずに進むために。

 

九 あなたを好きだったことは、消えない

数日後。

 

お茶子は、雄英の訓練場で仲間たちと訓練をしていた。

 

訓練が終わり、汗を拭きながら水を飲む。

 

飯田が、資料を持って近づいてきた。

 

「麗日くん。先日の面会について、無理はしていないか?」

 

「ありがとう、飯田くん。大丈夫だよ」

 

「何か問題があれば、すぐに相談してくれ」

 

「うん」

 

少し離れた場所から、出久も声をかけた。

 

「お茶子ちゃん」

 

「出久くん」

 

「トガさんと会ったんだよね」

 

「うん」

 

「どうだった?」

 

お茶子は、少しだけ考えた。

 

「全部が解決したわけじゃない。でも、会ってよかったと思ってる」

 

「そうなんだ」

 

「私、自分の気持ちを一つの答えにまとめようとしてたんだと思う」

 

出久は、黙って聞いていた。

 

「トガちゃんを好きだったこと。彼女のことを理解したかったこと。それでも止めなければならなかったこと。その全部が本当だったんだって、ようやく認められた気がする」

 

「そっか」

 

「出久くんは、死柄木くんのことをどう考えてる?」

 

出久は、少し視線を落とした。

 

「まだ考えてるよ」

 

「うん」

 

「救いたいと思ったことも、間違いだったとは思っていない。でも、彼がしたことで傷ついた人たちに、僕の気持ちを受け入れてもらう必要はないと思っている」

 

「そうだね」

 

「僕の気持ちと、被害を受けた人たちの気持ちは、それぞれ別に存在しているんだと思う」

 

お茶子は頷いた。

 

「私も、そう思う」

 

出久は少しだけ笑った。

 

「お茶子ちゃんらしい答えだね」

 

「そうかな?」

 

「うん。ちゃんと自分の気持ちを考えた答えだと思う」

 

お茶子は、水筒の蓋を閉めた。

 

「私、もう一度会うかもしれない」

 

「トガさんと?」

 

「うん。次に会うかどうかは、またそのときに決める。今は、会いたいと思ってる」

 

「分かった」

 

「でも、トガちゃんのためだけに会うわけじゃないよ」

 

「うん」

 

「私自身が、話したいと思っているから会う。私の生活を全部後回しにしてまで、彼女のことを考えるわけじゃない」

 

「それでいいと思う」

 

出久は頷いた。

 

そのとき、梅雨が二人のところへやってきた。

 

「お茶子ちゃん、次の訓練が始まるわ」

 

「分かった!」

 

お茶子は立ち上がった。

 

そして、訓練場の中央へ歩いていく。

 

彼女の気持ちは、完全に整理されたわけではない。

 

トガを好きだったこと。

 

彼女の行動を止めたかったこと。

 

傷つけられた人たちを守りたいこと。

 

トガ自身が、これからどう生きるのか見届けたいと思うこと。

 

それらは、どれか一つが消えれば解決する問題ではなかった。

 

好きだったことは、消えない。

 

しかし、その気持ちを理由に、誰かの傷を見ないふりをする必要もない。

 

そして、誰かを止めたことを理由に、その人間のすべてを否定する必要もない。

 

お茶子は、もう一度、前を向いた。

 

十 それぞれの未来

その夜。

 

お茶子は、トガから届いた手紙をもう一度取り出した。

 

封筒の中には、最初に届いた返事が入っている。

 

彼女は、その便箋を机の引き出しにしまった。

 

捨てるつもりはない。

 

けれど、毎日読み返す必要もない。

 

大切なものとして残しながら、自分の日常を続けていけばいい。

 

机の上には、次の授業で使う資料がある。

 

救助訓練の記録。

 

支援計画の見直し。

 

避難時における個別の意思確認。

 

そして、ヒーロー制度改革の初期提案についての補足資料。

 

お茶子は、それらを整理した。

 

彼女は、トガのことだけを考えて生きているわけではない。

 

ヒーローとして学ぶこともある。

 

仲間との時間もある。

 

家族との生活もある。

 

自分自身の将来もある。

 

それらを大切にすることは、トガを見捨てることではない。

 

トガにも、自分の人生を考える必要がある。

 

二人が同じ未来を歩む必要はない。

 

同じ答えを出す必要もない。

 

ただ、互いの存在をなかったことにしなくていい。

 

お茶子は、便箋をしまった引き出しに手を置いた。

 

「あなたを好きだったことは、消えない」

 

小さく呟く。

 

「でも、あなたのしたことも消えない」

 

それから、机に向き直った。

 

その言葉は、トガへの決別ではなかった。

 

許しでもなかった。

 

自分の感情を、自分の責任で受け止めるための言葉だった。

 

一方、監督下の施設では、トガが自分の記録を書き続けていた。

 

何をしたのか。

 

何を考えていたのか。

 

誰を傷つけたのか。

 

これから何をしなければならないのか。

 

書き進めるたび、分からないことが増えていく。

 

それでも、彼女はペンを置かなかった。

 

自分が好きだった人の人生を、自分の望みで決めてはいけない。

 

自分が苦しかったことを、誰かを傷つけた理由にしてはいけない。

 

自分の未来を考えることを、過去の罪から逃げるために使ってはいけない。

 

トガは、最後に一文を書き加えた。

 

『わたしは、わたしのしたことから逃げないで、わたしのこれからを考える。』

 

書き終えた彼女は、便箋を閉じた。

 

二人は、別々の場所で、それぞれの未来を考えている。

 

その未来が、再び交わるかどうかは分からない。

 

けれど、過去に交わした言葉も、互いに感じた気持ちも、誰かに都合よく消される必要はなかった。

 

好きだったこと。

 

理解したかったこと。

 

止めなければならなかったこと。

 

そのすべてが、同時に存在してもいい。

 

そして、それぞれの責任を引き受けながら、それぞれの人生を生きていくこともできる。

 

第七十九話・了

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