一 明日を決める会議
雄英高校の講堂には、復興に関係する人々が集まっていた。
壇上には校長の根津。
その隣には、教師たちと現役のプロヒーロー。客席には生徒たち、復興支援に参加している市民、被害者支援団体の代表、そして今回の戦いで大きな役割を担った人々が座っている。
会議の議題は、今後の社会とヒーロー制度について。
ただし、今回の会議には、これまでとは異なる約束があった。
壇上の人間だけで結論を出さない。
出席者の意見を、都合のよい総意として扱わない。
参加したくない人間に、無理に意見を求めない。
そして、会議で決まったことが正しいかどうかを、会議そのものが定期的に検証する。
根津は、資料を机に置いた。
「今回の議題は、皆さんの未来を決めることではありません」
ざわめきが止まる。
「私たちが決めるのは、未来を選ぶ権利を誰か一人に独占させないための仕組みです」
根津は客席を見渡した。
「ヒーロー制度の改革は、ヒーローだけの問題ではありません。被害を受けた人々、救助を受けた人々、救助に携わった人々、そして制度の外側に置かれていた人々。それぞれが異なる経験を持っています」
「だからこそ、全員が同じ意見になることを目標にはしません」
その言葉に、客席の一部から小さな声が上がった。
「意見がまとまらなかったら、どうするんですか?」
質問したのは、被災した地域の住民だった。
根津は、すぐには答えなかった。
「まとまらないまま、記録することも必要でしょう」
「それで何かが変わるんですか?」
「変えなければならない制度があるのなら、意見が一致していなくても、問題を放置する理由にはなりません。もちろん、意見が一致していないことを理由に、反対する方々を無視してよいわけでもありません」
根津は淡々と続けた。
「決定の根拠、反対意見、実行する者の責任、実行後の検証。そのすべてを残します。誰かが『正義のためだ』と言っただけで、決定の過程が見えなくなることを防ぐために」
客席の前方で、飯田天哉が姿勢を正した。
「制度を作ること自体が、新たな権力になってしまう可能性もありますね」
「その通りです」
根津は頷いた。
「ですから、監視する組織もまた、監視されなければなりません。今回設置を検討している第三者審査機関についても、任命手続き、任期、記録公開、異議申し立ての方法を最初から定めます」
「では、その仕組みが間違っていた場合は?」
今度は八百万百が尋ねた。
根津は、微笑んだ。
「変更します」
「最初から、間違う可能性を認めるのですね」
「ええ。正しい仕組みを作ることよりも、間違いを認められる仕組みを作ることの方が、長期的には重要かもしれません」
その言葉を聞きながら、緑谷出久は手元の資料に目を落とした。
そこには、いくつもの項目が並んでいる。
救助活動の検証。
被害者への支援。
ヒーローの判断に対する異議申し立て。
公安組織の指揮系統。
未成年のヒーロー活動に関する制限。
救助に失敗した場合の説明責任。
そして、ヒーロー制度に属さない人々が意見を届けるための窓口。
どれも必要なものだ。
だが、資料の中に書かれているのは、あくまで制度の形だった。
制度ができたからといって、傷ついた人々の気持ちが整理されるわけではない。
誰かが許してくれるわけでもない。
それでも、何もしないよりは進まなければならない。
「緑谷君」
隣から声がした。
振り向くと、麗日がこちらを見ていた。
「難しい顔してるね」
「うん。こういう仕組みができても、すぐに全部が変わるわけじゃないと思って」
「そうだね」
麗日は資料を見た。
「でも、すぐに全部変わらないからって、何も始めない理由にはならないよ」
「うん」
「それに、未来って一つじゃないから」
麗日は、資料の端を指で押さえた。
「これから何をするか決めるのは、制度だけじゃない。私たち自身もだよ」
出久は頷いた。
そのとき、後ろの席から大きな声がした。
「おい、緑谷!」
爆豪勝己だった。
「会議中にぼけっとすんな。資料を読め」
「読んでるよ!」
「だったら、その間抜け面をやめろ!」
「顔は関係ないだろ!」
「関係あるか!」
二人のやり取りに、近くに座っていた切島鋭児郎が苦笑した。
「まあまあ。今はちゃんと会議に集中しようぜ」
「お前が言うな、切島」
爆豪の言葉に、切島は肩をすくめた。
しかし、出久は少しだけ笑った。
かつてなら、この場で誰かの意見を正解として受け取り、それを必死に実現しようとしたかもしれない。
だが、今は違う。
誰かの意見を聞き、自分の考えを持ち、必要ならば反対する。
その結果を、自分で引き受ける。
それもまた、受け継いだものを自分のものにするということなのだろう。
二 轟家、それぞれの距離
同じ日の午後。
轟家では、静かな時間が流れていた。
食卓には、母の冷が用意した食事が並んでいる。
冬美は皿を並べ、焦凍は湯呑みを置いた。
燈矢は、少し離れた場所に座っていた。
父の炎司は、まだ食卓についていない。
それは以前なら、家族の誰もが気にしていた光景だった。
しかし、今は誰も急かさなかった。
「燈矢」
冷が声をかける。
「今日は、体調はどう?」
「悪くない」
「痛みは?」
「昨日よりはましだ」
「そう」
冷は、それ以上は聞かなかった。
必要な確認はする。
だが、何でも聞き出そうとはしない。
それは冷自身が、少しずつ覚え始めた距離だった。
「母さん」
燈矢が口を開いた。
「俺、しばらくは治療を優先する」
「ええ」
「そのあと、何をするかはまだ決めてない」
「決めなくてもいいんじゃない?」
冬美が答えた。
燈矢は彼女を見る。
「決めなくていい?」
「うん。無理に目標を作らなくてもいいと思う。昔みたいに、何かを証明するために生きなくてもいいんじゃないかな」
「……お前にそんなこと言われるとはな」
「私だって、いろいろ考えるようになったんだから」
冬美は少し困ったように笑った。
焦凍は、燈矢の方を見ていた。
「兄さん」
「何だ」
「俺は、兄さんと話したい」
「……」
「でも、兄さんが話したくない日は無理に話さない。俺が話したいからって、兄さんに応じる義務があるわけじゃない」
燈矢は返事をしなかった。
焦凍は続ける。
「俺は、自分の人生を生きる。兄さんも兄さんの人生を生きてほしい」
「お前は、随分まともなことを言うようになったな」
「昔からまともだ」
「どこがだよ」
ほんの少しだけ、二人の間に以前のような会話が戻る。
だが、それは過去に戻ったという意味ではない。
過去の傷は残っている。
それでも、今この瞬間に交わした言葉は、過去の傷だけで決まるものではなかった。
そのとき、玄関の方から足音が聞こえた。
炎司が帰ってきたのだ。
彼は食卓の様子を見たあと、燈矢の前で足を止めた。
「燈矢」
「何だよ」
「今日、医師から話を聞いた。治療の計画についてだ。お前が希望するなら、別の専門家の意見も聞ける」
「勝手に決めてねえだろうな」
「決めていない」
炎司は、はっきり答えた。
「治療を受けるか、どの方法を選ぶか、誰に話をするか。お前自身の意思を確認する」
「それで?」
「必要な費用や支援については、私が責任を持つ」
「父親として?」
「ああ」
「ヒーローとしてじゃなくて?」
「父親としてだ」
燈矢は、炎司を見つめた。
かつて、その言葉をどれほど望んだだろう。
父に見てほしかった。
父に認めてほしかった。
自分がここにいることを、息子として受け止めてほしかった。
だが、それはもう過去の願いとして整理できるものではない。
叶わなかった時間は戻らない。
炎司が今になって父親として責任を果たそうとしたからといって、燈矢がすべてを受け入れる必要もない。
「……考えとく」
それだけ言って、燈矢は食事に手を伸ばした。
炎司は、頷いた。
「分かった」
それ以上、何も求めなかった。
その日の食卓に、家族全員が揃ったわけではない。
夏雄は、今も家族と距離を置いている。
彼が会わないと決めていることを、誰も変更しようとはしなかった。
冬美は、夏雄に連絡する頻度を減らした。
冷は、必要な連絡だけを送るようにした。
焦凍も、返事を催促しなかった。
それでも、夏雄が家族であるという事実は変わらない。
会わないことと、存在を否定することは違う。
轟家の人々は、ようやくそれぞれが別々の人生を歩くことを認め始めていた。
三 翼を休める場所
ヒーロー公安委員会の旧施設では、ホークスが資料を整理していた。
机の上には、公安委員会が保管していた過去の指令書、潜入任務の報告書、トゥワイスに関する調査資料が並んでいる。
彼の向かいには、監査担当者が座っていた。
「ここにある指令が、あなたに対して発行されたものですね」
「そうです」
「トゥワイスへの接触についても?」
「はい」
「当時、あなたは彼との関係をどのように考えていましたか」
ホークスは、ペンを置いた。
「最初は任務でした」
「その後は?」
「……一緒に過ごすうちに、普通に好きになりましたよ」
監査担当者は、表情を変えなかった。
「仲間としてですか」
「そうです。あの人は危険だった。実際に犯罪に関わっていたし、止めなきゃいけないこともした。でも、仲間を大切にしていた。誰かに必要とされたいと思っていた。自分のことを笑い飛ばして、周囲を笑わせていた」
ホークスは、少しだけ目を伏せた。
「それを知ったあとも、俺は任務を続けた」
「後悔していますか」
「単純に、後悔していると言えば楽なんでしょうけどね」
ホークスは苦笑した。
「任務を放棄していたら、別の被害が出ていたかもしれない。だからといって、あの人の信頼を利用したことまで正しかったとは思いません」
「あなた自身の判断と、組織の指示を分けて考える必要があります」
「分かってます」
「あなたが命令を受けたことは、あなたのすべての行動を正当化するものではありません」
「ええ」
ホークスは記録に視線を落とした。
「だから、両方調べてもらいたいんです。委員会が何を命じたのか。俺が何を考えて、何を選んだのか。どこまでが命令で、どこからが俺自身の判断だったのか」
「それが、あなたの望みですか」
「望みというより、必要なことです」
彼は羽を一枚、手に取った。
以前なら、羽ばたくことを考えていた。
速く飛ぶこと。
誰よりも先に現場へ着くこと。
誰よりも効率よく仕事を終わらせること。
それが、自分の価値だと思っていた。
今は違う。
羽ばたく前に、どこへ向かうのかを考える。
誰のために飛ぶのか。
飛ばない選択をすることもできるのか。
それを自分で決めなければならない。
「ホークスさん」
監査担当者が言った。
「証言が終わったあと、あなたはどうするつもりですか」
「まだ決めてません」
「ヒーロー活動を続けるのですか」
「続けたい気持ちはあります。ただ、前と同じやり方では続けられないでしょうね」
「それは、引退する可能性も含めてですか」
「もちろん」
ホークスは立ち上がった。
「空を飛ぶのが好きなんですよ。だから、もう少し考えたい」
彼の視線は窓の外へ向いていた。
翼は、罪を隠すためのものではない。
過去をなかったことにするためのものでもない。
それでも、羽ばたく先を選ぶことはできる。
ホークスは、まだ飛ぶかどうかを決めていなかった。
ただ、今度は自分の意思で決めるつもりだった。
四 好きだったことと、止めなければならなかったこと
病院の面会室で、麗日お茶子は一通の手紙を読んでいた。
トガヒミコから届いたものだった。
手紙には、短い文章が並んでいる。
自分が何をしたのか。
誰を傷つけたのか。
何を望んでいたのか。
そして、これから何をしなければならないと思っているのか。
そこには、会いたいという言葉もあった。
けれど、返事を強制する言葉はなかった。
お茶子は手紙を閉じた。
「お茶子ちゃん」
向かいに座っていた梅雨が声をかける。
「どうするの?」
「まだ分からない」
「そっか」
「会いたい気持ちはあるよ。でも、会えば全部が解決するわけじゃないし、会うことが正しいとも限らない」
「うん」
「私が会いたいと思っても、被害を受けた人たちにそれを押しつけることはできない。逆に、誰かがトガちゃんを許さないと思っていても、それを責めることもできない」
お茶子は、手紙に目を落とした。
「好きだったことは、消えないんだと思う」
それは、今でも変わらない。
ただし、それだけではない。
トガが誰かを傷つけたことも、誰かの人生を奪ったことも消えない。
彼女を止めなければならなかったという判断も、間違いではなかった。
「梅雨ちゃん」
「何?」
「私、ヒーローとして人を助けたい」
「うん」
「でも、誰か一人を救えたからって、他の人を置き去りにしていいわけじゃないよね」
梅雨は静かに頷いた。
「そうね」
「私、これから何をしたいのか、もっと考えたい。トガちゃんに会いたい気持ちも、ヒーローとして責任を果たしたい気持ちも、どっちかを消さなくていいと思うから」
「そうね。どちらも、お茶子ちゃんの気持ちだもの」
お茶子は、手紙を封筒に戻した。
返事はまだ書かない。
それも彼女の選択だった。
五 先生たちが選ぶ未来
雄英高校の職員室。
相澤消太は、机の上に置かれた書類を眺めていた。
生徒たちの進路希望。
復興支援への参加希望。
ヒーロー活動の継続に関する相談。
その中には、卒業後の進路をまだ決められない者の記録もあった。
「相澤」
プレゼント・マイクが、飲み物を持って近づいてきた。
「まだ仕事か?」
「お前もだろ」
「俺は教師だからな!」
「教師なら仕事をしなくていいわけじゃない」
「相変わらず容赦ねえな」
マイクは向かいの椅子に座った。
「朧から連絡は?」
「昨日、短いメッセージが来た」
「何て?」
「次の面会について。日程の候補を送ってきた」
「そうか」
マイクの表情が少し柔らかくなる。
「会えるんだな」
「会えるかどうかは、まだ分からない。本人がその日に来たいと思えば会う。そうでなければ延期だ」
「……そうだな」
マイクは、何かを言おうとして口を閉じた。
白雲朧に会いたい。
昔の友人として話したい。
三人で過ごした時間を、もう一度取り戻したい。
そんな願いは、今もある。
だが、それを朧に背負わせるわけにはいかなかった。
「俺たち、あいつに戻ってきてほしかったんだよな」
「そうだな」
「でも、戻ってきたあと、どうするかまで俺たちが決めるわけにはいかなかった」
相澤は、書類から目を離した。
「白雲がどう生きるかは、白雲が決める」
「黒霧としての時間も?」
「それも含めて、本人が考えることだ」
マイクは、長く息を吐いた。
「分かってるよ。分かってるけどさ」
「分かっていることと、簡単に受け入れられることは違う」
相澤は、少しだけ目を細めた。
「俺たちも、時間が必要だ」
「そうだな」
マイクは笑おうとした。
いつものように大きな声を出して、場を明るくすることもできた。
しかし、今は無理にそうしなかった。
失ったものを、無理に明るい言葉で包まなくてもいい。
それもまた、教師として学んだことだった。
「それより、クラスの方はどうだ?」
マイクが尋ねる。
「全員、進路希望を提出した」
「おお!」
「ただし、進路希望と実際に進む道が同じになるとは限らない。全員がヒーローを続ける必要もない」
「そりゃそうだ」
相澤は、書類を一枚持ち上げた。
「生徒たちに、社会の責任を背負わせすぎるわけにはいかない」
「ヒーローになったからって、何でもかんでも背負う必要はねえってことか」
「背負うべき責任はある。だが、背負わなくていい責任まで押しつけるのは違う」
「先生としては?」
「生徒が自分で選んだ道を歩けるようにする。それが俺の仕事だ」
マイクは頷いた。
「俺も、そうするよ」
二人は再び書類に向かった。
教師たちもまた、自分たちの未来を選んでいた。
六 ミッドナイトの教え子たち
雄英高校の訓練場では、A組とB組の生徒たちが合同訓練を行っていた。
指導に当たっているのは、相澤と複数のプロヒーロー。
今回の訓練は、戦闘ではない。
災害現場を想定した救助訓練。
倒壊した建物の中から要救助者を見つけ、周囲の安全を確認し、二次被害を防ぎながら救出する。
「右側の通路は使えない! 崩落の危険がある!」
飯田が声を上げる。
「了解! こっちの瓦礫を固定する!」
切島が硬化した腕で支える。
「八百万さん、支柱をお願い!」
「分かりましたわ!」
八百万は必要な資材を創造し、崩れかけた構造物を支える。
「耳郎さん、奥の音を確認できる?」
「任せて!」
耳郎の個性が、瓦礫の奥にある小さな音を拾う。
「人がいる。反応は二つ。片方は動けないみたい」
「こっちは任せて!」
麗日が手を伸ばす。
瓦礫の一部を浮かせ、救助経路を確保する。
「急に動かさないで! 内部の構造が不安定だから!」
「分かってる!」
そこへ、B組の拳藤一佳が加わった。
「物間、周囲の確認を!」
「分かっているとも! 僕に指示を出すとはいい度胸だね!」
「言い返してる暇があったら動け!」
「はいはい!」
物間は自分の個性を使うための準備を整え、訓練に参加する。
鉄哲徹鐵は、崩落しそうな部材の前に立った。
「ここは俺が支える!」
「無理するなよ!」
切島が声をかける。
「お前こそ!」
二人は互いに顔を見合わせ、笑った。
少し離れた場所では、骨抜柔造が地面を軟化させて瓦礫の位置を調整し、小森希乃子が胞子を使って障害物の隙間を確認していた。
塩崎茨は、蔦を伸ばして救助用の器具を運び、他の生徒たちの作業を補助している。
誰か一人の力だけでは成立しない救助。
それぞれの個性を生かし、足りない部分を補い合う。
その光景を見ながら、相澤は静かに頷いた。
「悪くない」
隣に立つマイクが笑う。
「もう少し褒めてやれよ」
「油断させる必要はない」
「先生らしいな」
そのとき、訓練場の端で、耳郎がふと視線を止めた。
そこには、ミッドナイトが使っていた訓練資料が置かれていた。
かつて彼女が指導していた生徒たちのための資料だった。
その中には、戦闘技術だけでなく、救助者の安全確認や、現場での判断、負傷した仲間を無理に動かさないことなどが書かれていた。
「……これ、ミッドナイト先生の資料だ」
耳郎が言った。
「そうだな」
相澤が答える。
「先生、こういうのも教えてくれてたんだよね」
「ミッドナイトは、戦い方だけを教えていたわけじゃない」
「知ってる」
耳郎は資料を見つめた。
「でも、こうして見ると、結構細かいところまで書いてあるんだなって」
「現場では、細かい判断が命を左右する」
相澤は淡々と言った。
「彼女はそれを理解していた」
その言葉を聞いて、八百万も資料に目を向けた。
「先生の教えを受け継ぐことは、大切だと思います」
「そうだな」
「けれど、私たちが先生と同じ人間になる必要はありませんわ」
耳郎は少しだけ笑った。
「そうだね。私たちには私たちのやり方がある」
「ミッドナイト先生なら、そう言うんじゃない?」
切島が言った。
「たぶんな」
相澤は頷いた。
彼女の死は、なかったことにならない。
彼女が残した教えを、都合のいい理想に変える必要もない。
ミッドナイトがどんな人物だったのか。
どんな仕事をしていたのか。
何を誤り、何を成し遂げたのか。
生徒たちは、それぞれの記憶を持っている。
その記憶を一つにまとめることはできない。
そして、彼女の死を理由に、生徒たちが同じ道を歩かなければならないわけでもない。
「先生」
耳郎が相澤を見た。
「私たち、ちゃんと進めてますか?」
「何をもって、ちゃんと進んでいると判断するんだ」
「え?」
「失敗しないことか? 誰かの期待に応えることか? それとも、昔の先生たちと同じようになることか?」
相澤は訓練場を見渡した。
「自分で考えろ。お前たちが自分で選んだ道なら、少なくとも他人の期待だけで決めた道にはならない」
耳郎は、その言葉を受け止めた。
「……はい」
その返事を聞き、相澤は視線を戻した。
ミッドナイトの教え子たちは、彼女の代わりになる必要はない。
彼女の存在を忘れず、それぞれのやり方で進めばいい。
それが、彼女の教えを受け取った者たちの選択だった。
七 未来を選ぶ子供
病院の中庭では、通形ミリオがエリの相手をしていた。
「よーし、エリちゃん! 今日は何をしたい?」
「えっと……」
エリは、少し考え込んだ。
「今日は、本を読んでみたいです」
「いいね!」
ミリオは大げさに頷く。
「じゃあ、本を持ってこよう!」
「でも、外で読んでもいいですか?」
「もちろん!」
ミリオは、彼女の歩く速度に合わせて移動した。
エリは、少しずつ外の景色を見ることに慣れてきていた。
以前よりも笑顔が増えた。
しかし、突然大きな音がすると驚くこともある。
知らない人に話しかけられると、返事に困ることもある。
気分が沈む日もある。
それをミリオは知っていた。
だから、無理に元気づけようとはしなかった。
ベンチに座ると、エリは本を開いた。
「ミリオさん」
「はい!」
「私、いつか自分で何かを決められるようになりたいです」
ミリオは、彼女の方を見た。
「今も決められているよ」
「でも、まだ分からないことが多いです」
「分からないことがあるのは普通だよ」
「本当に?」
「本当さ。僕だって、分からないことだらけだ」
エリは、不思議そうに彼を見た。
「ミリオさんも?」
「もちろん!」
ミリオは胸を張った。
「ヒーローだって、何でも知っているわけじゃない。何が正しいか、すぐに分かるわけでもない。だから考えるし、間違えたら直す」
「間違えてもいいんですか?」
「間違えないように努力することは大切だ。でも、間違えたからといって、もう何も決められないわけじゃない」
エリは、本のページをめくった。
「私の個性も、いつか使えるようになりますか?」
ミリオは少し考えた。
「使えるようになるかもしれないし、使わないと決めるかもしれない」
「使わなくてもいいんですか?」
「もちろん。エリちゃんの個性は、エリちゃんのものだからね」
「誰かを助けるために使わなきゃいけないんじゃないんですか?」
「そんなことはないよ」
ミリオは、少しだけ真剣な顔になった。
「誰かを助けたいと思うのは素敵なことだ。でも、エリちゃんが誰かを助けるためだけに生きなきゃいけないわけじゃない」
エリは、ゆっくりと頷いた。
「私は……」
言いかけて、口を閉じる。
まだ、言葉にできない気持ちがある。
ミリオは急かさなかった。
「ゆっくり考えよう」
「はい」
「本を読むのも、遊ぶのも、勉強するのも、休むのも、全部エリちゃんが決めていいんだ」
「休むのも?」
「休むのも!」
ミリオは大きく頷いた。
エリは、ほんの少し笑った。
そこへ、竜の姿から人間の姿に戻ったリューキュウが近づいてきた。
「二人とも、ここにいたのね」
「リューキュウさん!」
「エリちゃん、今日は調子が良さそうね」
「はい。ミリオさんと本を読んでいました」
「それはよかった」
リューキュウは、エリに視線を合わせて尋ねた。
「次の活動について、病院から相談があったの。参加するかどうかは、エリちゃん自身が決めていいそうよ」
「私が決めていいんですか?」
「ええ。見学だけでも、途中で帰ってもいい。参加しないという選択もあるわ」
「……考えてみます」
「それでいいわ」
リューキュウは微笑んだ。
彼女は多くの人を運び、救助してきた。
その経験から、誰かを助けることと、誰かの人生を決めることは違うと知っていた。
エリがこれから何をするのかは、エリが決めればいい。
ヒーローになる必要もない。
誰かの期待を満たす必要もない。
彼女には、彼女自身の時間がある。
八 ヒーローたちが支える現場
復興作業の現場では、複数のプロヒーローが活動していた。
「支柱を固定する! 周囲の人間は下がれ!」
ロックロックが瓦礫に触れる。
個性によって固定された資材は、作業員たちの安全を支えていた。
その隣では、バブルガールが泡を展開し、落下してきた小さな破片を包み込んでいる。
「こちらの通路は確保できました!」
「ありがとう。次は北側の確認を頼む」
ロックロックが指示を出す。
そこへ、節蹄のような身体を持つセンチピーダーが、崩れた建物の隙間を通ってきた。
「内部に取り残された人はいません。二次崩落の危険がある箇所を確認しました」
「報告書にまとめておいてくれ」
「了解しました」
少し離れた場所では、リューキュウが大きな瓦礫を運び出していた。
彼女の背中に乗せられた救助用の資材が、別の作業区域へと運ばれる。
その近くでは、波動ねじれが空中を移動しながら、倒壊した建物の上部を確認していた。
「この辺り、まだ人が通れる場所があるよ! でも、奥は危ないから、別の道を探した方がいいと思う!」
「分かったわ。無理に進まないで」
リューキュウが声を返す。
「はーい!」
ねじれは、明るい声で答えた。
だが、彼女も以前とは少し変わっていた。
自分の好奇心だけで現場に踏み込むことはしなくなった。
知らないことに興味を持つのは悪いことではない。
ただし、その興味によって誰かを危険にさらすことがあってはならない。
彼女は、そう考えるようになっていた。
そこへ、ファットガムが作業員たちへ声をかける。
「無理すんなよ! 現場は逃げへんからな!」
「ファットガムさん、そっちの資材はどうですか?」
「問題なし! こっちも運び終わったで!」
ファットガムは笑った。
彼の個性は衝撃を吸収し、蓄えた力を放出する。
だが、彼が現場で見せているのは、力を蓄えることだけではなかった。
必要な場所で、必要な分だけ使う。
人を守るために、力を使う。
それが大切なのだ。
少し離れた場所では、マニュアルが水を操り、粉塵を抑えていた。
「乾燥した瓦礫が多い。水を撒きすぎると地盤が緩む。量を調整してくれ」
「了解です!」
複数のヒーローが、同じ現場で異なる役割を果たしていた。
それぞれの能力も、考え方も違う。
それでも、同じ方向を向いて働くことはできる。
ただし、同じ方向を向くことと、全員が同じ考えになることは違う。
現場の方針に納得できない作業員がいれば、話を聞く。
危険だと判断すれば、作業を止める。
支援を受けたくない住民がいれば、無理に介入しない。
その代わり、必要な情報と選択肢は伝える。
それが、今の彼らが目指している救助の形だった。
九 ヒーローにならない未来もある
復興支援の休憩所。
雄英の生徒たちは、作業を終えたあと、飲み物を片手に休んでいた。
「いやー、今日も大変だったね!」
上鳴電気が椅子に座る。
「お前は途中で充電切れかけてただろ」
耳郎が呆れたように言った。
「仕方ないだろ! 個性使いすぎたんだよ!」
「自分の限界くらい把握しなさい」
八百万が注意する。
「はい……」
少し離れたところでは、青山優雅が鏡を見ながら髪を整えていた。
「ふふ……今日の僕も輝いているね」
「今それ必要か?」
峰田実が尋ねる。
「必要だよ。自分を保つためにね」
青山は、いつもの調子で答えた。
しかし、その表情には以前よりも落ち着きがあった。
彼もまた、自分がこれからどんなヒーローになるのかを考えている。
誰かの理想に合わせるのではなく、自分が選んだやり方で。
一方、蛙吹梅雨は、救助活動の記録を整理していた。
「今日の作業、見直しておいた方がいい部分があるわね」
「どこだ?」
飯田が尋ねる。
「最初の現場で、救助経路を確保する前に資材を運び出そうとしたでしょう? あれは危なかったと思う」
「確かに。先に内部の安全確認をすべきだった」
「次回は改善しましょう」
「そうだな」
二人は、記録に書き込んだ。
その様子を見ていた常闇踏陰は、静かに言った。
「過去の過ちを記録し、次の一歩へと繋げる。闇を抱えたまま進むことも、また道の一つだ」
「何かかっこいいこと言ってる!」
芦戸三奈が笑う。
「常闇くんらしいね!」
「……ふっ」
常闇は、少しだけ顔を背けた。
その近くでは、障子目蔵と口田甲司が、被災者のための物資整理を手伝っていた。
人前で話すことが得意ではない者もいる。
戦闘が得意ではない者もいる。
ヒーローという職業に向いているかどうか、自信がない者もいる。
それでも、誰もが何かを選ぶことはできる。
「俺、卒業したらどうしようかな」
上鳴が呟いた。
「ヒーローを続けるんだろ?」
切島が尋ねる。
「もちろんそのつもりだけどさ。今回みたいなことがあると、いろいろ考えるじゃん」
「そりゃ考えるだろ」
「俺、いつも明るくやってたいけど、明るくしてるだけじゃ足りないんだよな」
耳郎が、少しだけ笑った。
「分かってきたじゃん」
「何だよ、それ」
「別に」
上鳴は苦笑した。
切島は、腕を組んだ。
「俺はヒーローを続けたい。今回のことがあっても、それは変わらない」
「切島らしいな」
「でも、何でも一人で受け止められるようになるとは思ってない。誰かを守りたいからって、自分が壊れていいわけじゃないしな」
その言葉に、芦戸が頷いた。
「うん。私も、ヒーローとして頑張りたい。でも、自分が何を大切にしたいかは忘れたくない」
「僕も同じです」
口田が小さく手を挙げた。
「人前で話すことは苦手ですが、動物たちや人々を助ける仕事を続けたいと思っています」
障子も頷く。
「俺は、差別をなくすためにできることを続ける。だが、俺一人がすべてを解決できるわけではない。だから、協力する」
それぞれが違う言葉を口にする。
それぞれの理由。
それぞれの目標。
それぞれの不安。
誰も同じではない。
そして、その違いをなくす必要もない。
十 怒りを受け継がない者
夕暮れ。
スピナーは、監視付きの面会室で一人、記録用紙を見つめていた。
そこには、死柄木弔と敵連合についての出来事が並んでいた。
仲間と出会った日。
何を話したのか。
何を目指したのか。
そして、何をしたのか。
記録には、事実と証言が分けられていた。
スピナーは、ペンを握った。
「俺たちは、世界を変えたかった」
その言葉を書いて、止まる。
世界を変えたかった。
それは本当だ。
だが、そのために何をしたのか。
誰を傷つけたのか。
何を奪ったのか。
それもまた、本当だった。
「死柄木は……」
言葉が続かなかった。
彼にとって、死柄木はただの敵ではなかった。
救われなかった者。
社会から見捨てられた者。
そして、自分がついていくと決めた仲間だった。
その事実を、今になって否定することはできない。
だが、彼のすべてを肯定することもできない。
「俺は、お前の怒りを受け継がない」
スピナーは、誰もいない部屋に言った。
「お前が何を思っていたのか、全部分かったなんて言わない。お前のために世界を壊したいとも思わない」
彼は記録用紙を見た。
「でも、お前と一緒にいた時間まで、なかったことにはしない」
それは、死柄木に対する自分なりの答えだった。
彼の罪を否定しない。
彼の願いを美化しない。
そして、自分が彼に向けていた感情も、無理に消そうとしない。
そのすべてを抱えたまま、自分の行動について責任を取る。
「俺は俺の道を歩く」
スピナーは、ペンを置いた。
その道がどこへ続くのかは分からない。
自分がこれから何をできるのかも分からない。
それでも、死柄木の怒りを借りて、自分の未来を決めることはやめる。
その決意は、彼にとって小さくない一歩だった。
十一 爆豪勝己の選択
雄英高校の訓練場。
爆豪勝己は、一人で訓練をしていた。
爆発音が響く。
彼は動きを止め、呼吸を整える。
以前のように、ただ強くなるためだけに訓練しているわけではなかった。
もちろん、強くなりたいという気持ちは変わらない。
自分より強い相手がいるなら、追いつきたい。
自分の判断が遅れれば、次は改善する。
戦いの中でできなかったことがあるなら、できるようにする。
だが、今の爆豪は、自分が強くなる理由を以前とは違う形で考えるようになっていた。
「勝己」
母の光己が、訓練場の入口から声をかけた。
「まだやってたの?」
「見りゃ分かんだろ」
「食事の時間よ」
「あとで食う」
「駄目。先に食べなさい」
「うるせえ!」
光己はため息をついた。
「まったく、昔から変わらないわね」
「変わってるだろ」
爆豪はタオルを首にかける。
「少なくとも、前みたいに何でも一人でやろうとは思ってねえ」
光己は、少しだけ目を見開いた。
「そう」
「だから何だよ」
「別に。少し安心しただけ」
爆豪は視線を逸らした。
「……飯、何だ」
「カレーよ」
「なら食う」
「最初からそう言いなさい」
二人は歩き出した。
その途中、爆豪は足を止めた。
「母ちゃん」
「何?」
「俺は、これからもヒーローをやる」
「そう」
「でも、昔の俺がやったことまで消えるわけじゃねえ」
光己は、息子を見た。
爆豪は前を向いていた。
「人を見下してたことも、勝つことだけ考えてたことも、あいつに言ったこともなかったことにはならねえ」
「そうね」
「だから、これからどうするかは俺が決める。周りに許されたから変わるんじゃねえ」
「うん」
「俺が変わると決めたから変わるんだ」
光己は、少しだけ笑った。
「勝己らしいわね」
「当たり前だ」
爆豪は、歩き出した。
その先に緑谷がいる。
轟がいる。
切島がいる。
自分を知る人間たちがいる。
彼らにどう思われるかを、まったく気にしなくなったわけではない。
だが、それを理由に自分の行動を決めることもなくなっていた。
「緑谷」
「え? 爆豪君?」
訓練場から出てきた出久に、爆豪が声をかけた。
「明日の訓練、付き合え」
「いいけど、何をするの?」
「実戦形式だ」
「また?」
「文句あんのか!」
「ないけど!」
出久は少し笑った。
爆豪は眉を寄せる。
「何笑ってんだ」
「いや、こうして話せるようになったなって」
「余計なこと考えてんじゃねえ!」
「ごめん!」
爆豪は先へ歩いた。
過去を消すことはできない。
だが、過去を理由に未来まで他人に決めさせる必要もない。
彼は、彼自身のやり方で進むつもりだった。
十二 緑谷出久の明日
夜。
出久は、雄英高校の屋上に立っていた。
眼下には、復興の進む街が広がっている。
明かりの戻った建物。
まだ工事中の道路。
仮設住宅。
新しく設置された避難経路の案内板。
どこを見ても、復興は途中だった。
彼は、右手を開いた。
ワン・フォー・オールの力。
受け継いできた意志。
自分が使ってきた力。
そして、これから先へつなげるもの。
以前、彼は自分がすべてを救わなければならないと考えていた。
それが、ヒーローとしての責任だと思っていた。
けれど、そうではない。
誰かを助けることと、誰かの人生を代わりに生きることは違う。
自分が救いたいと思うことと、相手が救われたいと思うことも、必ずしも同じではない。
それでも、手を伸ばすことを諦める必要はない。
「緑谷君」
背後から声がした。
振り返ると、麗日が立っていた。
「麗日さん」
「ここにいたんだ」
「うん。少し考え事を」
「私も」
麗日は出久の隣に立った。
しばらく二人で街を眺める。
「緑谷君は、これからどうするの?」
「ヒーローを続けるつもりだよ」
出久は答えた。
「でも、前と同じではないと思う」
「うん」
「助けを求めている人を探すだけじゃなくて、助けを求められない人がどうすれば声を上げられるのかも考えたい。救助の仕組みや制度がどうなっているのかも、もっと勉強したい」
「それって、すごく大変そうだね」
「うん。正直、今は何から始めればいいのか分からない」
「じゃあ、一つずつ考えようよ」
「一つずつ?」
「うん。全部を一人でやろうとしない。誰かと相談して、違う意見も聞いて、必要なら間違いを直して」
麗日は微笑んだ。
「私たち、まだ学生だよ。これから学べることはいっぱいあるんだから」
出久は、夜空を見上げた。
「そうだね」
「それに、私たちだけで未来を決めるわけじゃない」
「うん」
「私たちに助けられた人たちも、自分でこれからを決める。私たちが決めてあげるんじゃないよ」
「分かってる」
出久は、静かに答えた。
「助けることは、誰かの人生を自分のものにすることじゃない」
「うん」
「その人が自分の未来を選べるように、できることをする」
麗日は、頷いた。
その言葉は、二人が辿り着いた答えだった。
もっとも、それがすべての人にとって正しいとは限らない。
いつか、誰かから違う意見を突きつけられるかもしれない。
そのときは、また考えればいい。
自分たちの選択を、問い直せばいい。
「緑谷君」
「何?」
「明日も頑張ろうね」
「うん。頑張ろう」
二人は、街の明かりを見つめた。
明日になれば、また新しい問題が見つかるだろう。
今日できなかったことも、今日見落としていたことも、たくさんあるはずだ。
それでも、明日は来る。
誰かが決めてくれる明日ではない。
自分たちが選ぶ明日だ。
十三 誰も決めない
数日後。
雄英高校では、復興支援活動の報告会が行われていた。
生徒たちは、活動を通じて気づいたことを発表していた。
成功したこと。
失敗したこと。
改善すべきこと。
そして、まだ分からないこと。
発表の内容は、それぞれ異なっていた。
誰かは、救助活動の技術を磨きたいと話した。
誰かは、被災者支援の制度について学びたいと話した。
誰かは、ヒーローではない道を考えていると話した。
誰かは、まだ何も決められないと話した。
会場の後方で、根津はその様子を見ていた。
隣には相澤が立っている。
「生徒たちの意見は、ばらばらですね」
根津が言った。
「当然だろ」
「同じ経験をしたからといって、同じ未来を選ぶ必要はありませんからね」
「そういうことだ」
根津は、少しだけ目を細めた。
「私は、以前よりも学校の役割を考えるようになりました」
「何だ」
「学校は、正しい未来を教える場所ではないのかもしれません」
「今さら気づいたのか」
「手厳しいですね」
「教師が生徒の人生を決めるな。それだけだ」
相澤は、会場の生徒たちを見た。
「選んだ結果、間違えることもある。後悔することもある。途中で道を変えることもある」
「ええ」
「それを許さない社会にするな」
根津は、頷いた。
「私たちが用意するべきなのは、選び直せる余地なのでしょう」
「そうだな」
会場の中央では、飯田が資料を持って立っていた。
「私たちは、これからもヒーローとして学び続けます。しかし、それは誰かの期待に応えるためだけではありません。私たち自身が、どのような社会を望むのかを考え続けるためです」
その言葉に、何人かが頷く。
拳藤が続ける。
「それぞれ違う考えがあっていいと思う。だから、意見が違う相手をすぐに敵だと決めつけない。でも、意見が違うことを理由に、誰かが受けた被害を見ないふりもしない」
八百万が立ち上がる。
「そのためには、記録と検証を続ける必要があります。私たちが行った活動が、本当に誰かの助けになったのか。支援を押しつけていなかったか。必要な人に届いていたのか。それを確かめなければなりません」
耳郎が続ける。
「それと、助けを求められない人がいることも忘れたくない。声を上げた人だけを見ていたら、また同じことになるから」
切島が拳を握った。
「俺は、困ってる人を守れるヒーローになりたい。でも、守るって言いながら相手のことを勝手に決めたくはない」
「僕も同じです」
口田が静かに言った。
「人も動物も、それぞれの意思があります。それを大切にしたいです」
会場の最後列では、爆豪が腕を組んでいた。
「おい」
突然、彼が口を開いた。
「いいことばっか並べてんじゃねえぞ」
視線が集まる。
「理想を言うのは簡単だ。できるかどうかは別だろ」
「爆豪君……」
出久が声をかける。
「何だよ」
「言いたいことは分かるよ」
「分かってるなら、最初から失敗する前提で考えろ。失敗しねえ仕組みなんかねえ。だったら、失敗した時に誰がどう責任取るのかまで決めとけ」
会場は静かになった。
根津が頷いた。
「重要な指摘です。制度を作るだけでは不十分ですからね」
「だったら、そこまでやれ」
爆豪は、それだけ言って腕を組み直した。
切島が小さく笑う。
「らしいな」
「聞こえてんぞ!」
「悪い悪い!」
会場に、少しだけ笑いが広がった。
それは、すべてが解決したから生まれた笑いではない。
誰もが苦しみを忘れたからでもない。
それでも、今ここにいる者たちは、同じ場所で言葉を交わしていた。
違う意見を持ちながら。
違う過去を抱えながら。
違う未来を選ぼうとしながら。
誰もが、自分の意思で立っていた。
十四 帰ってきた名前
報告会が終わったあと。
出久は、廊下に掲示された復興記録を眺めていた。
そこには、今回の戦いで亡くなった人々の名前も記されている。
ヒーロー。
警察官。
一般市民。
名前が確認できなかった人々。
そして、死亡が確認された者たち。
その一つ一つに、残された人々の記録が添えられていた。
誰と暮らしていたのか。
どんな仕事をしていたのか。
何を大切にしていたのか。
好きだったものは何か。
何を残していたのか。
生きていた証拠を、ただ数字として処理しないための記録だった。
「……すごい数だね」
背後から麗日が言った。
「うん」
「こうして名前を見ると、改めて思うね」
「何を?」
「戦争が終わっても、亡くなった人たちは帰ってこないんだって」
出久は、返事ができなかった。
それは当たり前のことだった。
当たり前だからこそ、口にするのが難しい。
二人は、しばらく掲示板を見ていた。
そのとき、通りかかった職員が二人に声をかけた。
「この記録のことで、少し確認したいことがある」
「何ですか?」
出久が振り向く。
職員は端末を見つめていた。
「先ほど、復興記録の照合システムに不自然なデータが見つかった。死亡確認済みの人物について、別の場所で本人の情報と一致する記録が登録されているらしい」
麗日の顔が曇った。
「死亡確認済み……?」
「誤登録か、情報の混同だと思う。まだ確認中だ」
職員はそう言った。
その言葉を聞いても、出久はすぐには反応できなかった。
死亡した人物の情報が、別の場所にある。
それだけなら、事務的な間違いかもしれない。
だが、彼の頭の中には、これまでの戦いの記憶が浮かんでいた。
死者の記録。
帰ってこなかった人々。
そして、戻ってきた仲間たち。
白雲朧。
本来なら失われていたはずの人の存在が、今ここにある。
死と生の境界を、簡単に言葉で説明できなくなっている。
「緑谷君?」
麗日が声をかけた。
「……うん」
出久は、もう一度掲示板を見た。
死亡確認済みの名前。
それは、誰かにとって大切な人の名前だ。
もし、その人が帰ってきたら。
残された人々はどうするのだろう。
帰ってきた本人は、何を望むのだろう。
その人は、以前と同じ人生を望むのだろうか。
それとも、違う道を選ぶのだろうか。
そして、戻ってきたことによって、誰かの悲しみが消えるとは限らない。
「確認してみよう」
出久は言った。
「でも、決めつけないで」
「うん」
麗日も頷いた。
「戻ってきた人がいたとしても、その人がどう生きるかは、その人が決めることだよね」
「そうだね」
その時、職員の端末が再び鳴った。
今度は、警備部門からの連絡だった。
「……え?」
職員の顔色が変わる。
「どうしました?」
出久が尋ねる。
職員は、端末の画面を見たまま、言葉を探していた。
「死亡確認済みの人物と一致する人物が、現在、保護されているらしい」
「本人の確認は?」
「まだだ。だが、顔写真と身体情報が一致している」
「いつの記録ですか?」
「先ほどだ」
麗日が息を呑む。
職員は、続けた。
「そして、その人物は……」
言葉が止まった。
出久は、職員の表情を見た。
何かを理解できないまま、理解しようとしている顔だった。
「誰なんですか?」
職員は、端末を二人に見せた。
そこに表示されていたのは、数年前に死亡が確認されていた人物の名前だった。
記録上、確かに死んだはずの人。
しかし、その人物は今、どこかで生きているという。
出久の胸に、嫌な予感が広がった。
それは、恐怖とは少し違う。
希望とも違う。
もっと複雑な感情だった。
死んだ人が帰ってくる。
それは、残された人にとって、どんな意味を持つのだろう。
帰ってきた人自身にとっては、どんな意味になるのだろう。
そして、もしそれが一人ではなかったら。
この世界は、何を受け入れなければならないのだろう。
掲示板には、亡くなった人々の名前が並んでいた。
その名前の一つが、静かに照合システムの画面で点滅していた。
十五 明日を選ぶ者たち
その夜。
それぞれの場所で、人々は自分の未来について考えていた。
轟燈矢は、治療の計画を見直していた。
炎司は、父親としての責任を続けるための準備をしていた。
冷は、明日も自分の時間を大切にするため、温かい飲み物を用意した。
冬美は、教師として生徒たちに何を伝えるべきかを考えていた。
焦凍は、これからのヒーロー活動について資料を読んでいた。
夏雄は、家族と会わないという自分の選択を変えず、自分の生活を続けていた。
ホークスは、提出する資料の最後の確認をしていた。
お茶子は、トガへの返事を書くかどうかをまだ決めていなかった。
相澤は、次の授業の準備をしていた。
マイクは、白雲朧との次の面会について、日程を確認していた。
A組とB組の生徒たちは、それぞれの将来について友人と話し合っていた。
ミリオは、エリが選んだ本を病院に届ける準備をしていた。
エリは、次の日に読む本を選んでいた。
センチピーダーは復興現場の報告書をまとめ、バブルガールは新しい救助用具の確認をしていた。
ロックロックは、現場での危険箇所について担当者と話し合っていた。
リューキュウは、次の救助計画を確認していた。
波動ねじれは、現場で見つけた疑問をノートに書き留めていた。
ファットガムは、天喰環と切島の訓練について考えていた。
スピナーは、自分の記録を書き続けていた。
爆豪は、翌日の訓練メニューを作っていた。
緑谷は、まだ知らないことを調べ始めていた。
誰もが、明日を選ぼうとしていた。
選んだ道が正しいとは限らない。
途中で間違うこともある。
後悔することもある。
誰かと意見がぶつかることもある。
それでも、誰かの代わりに人生を決めることはできない。
誰かの過去をなかったことにすることもできない。
誰かの罪を、誰かの悲しみを、誰かの願いを、勝手に整理することもできない。
だからこそ、本人が選ぶ。
本人が選べるように、周囲が支える。
その選択が誰かを傷つけるなら、必要な責任を引き受ける。
それが、彼らがたどり着いた一つの答えだった。
けれど。
その答えを、これから揺さぶる出来事が訪れようとしていた。
死んだはずの者が帰ってくる。
それは、単純な奇跡ではない。
残された人々が抱えてきた悲しみを、簡単に消し去るものでもない。
帰ってきた者たちにも、それぞれの意志がある。
生きている者たちにも、選ぶ権利がある。
そして、世界そのものが、その関係を問い直されることになる。
彼らはまだ知らない。
これから起こる異変が、単なる復興の障害ではないことを。
死者が戻ってきたとき、生者は何を選ぶのか。
戻ってきた死者は、何を望むのか。
その問いに、誰かが一つの正解を与えることはできない。
明日を決めるのは、本人たちだ。
たとえ、その明日が誰も予想していなかったものだったとしても。