僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第八十五話「死者が帰ってきた世界で」

一 死亡確認済み

午前六時四十二分。

 

雄英高校の関係者用端末に、緊急連絡が入った。

 

相澤消太は、画面に表示された文面を一読し、無言で立ち上がった。

 

隣で朝食を取っていたプレゼント・マイクが、箸を止める。

 

「どうした、相澤?」

 

「例の死亡者照合の件だ」

 

「また誤登録か?」

 

「違うらしい」

 

相澤は端末をマイクに見せた。

 

そこには、簡潔な報告が記されていた。

保護対象者について、死亡確認済み人物との同一性が高いことを確認。

 

本人による氏名申告あり。

 

身体的特徴、過去の記録、個人情報との照合結果が一致。

 

現在、医療機関にて検査中。

 

対象者の希望により、関係者への情報公開は制限する。

 

マイクの表情が固まった。

 

「……名前は?」

 

相澤は答えた。

 

「香山睡だ」

 

一瞬、時間が止まったようだった。

 

「ミッドナイト……?」

 

「そうだ」

 

マイクは、端末を見つめたまま動かなかった。

 

「そんなことがあるのかよ」

 

「今は、あるかないかを議論している場合じゃない」

 

「分かってる。でもよ……」

 

マイクは椅子から立ち上がった。

 

「本人なんだな?」

 

「現時点では、本人だと判断できる情報が揃っている。ただし、正式な確認はこれからだ」

 

「会いに行こう」

 

「本人が希望していればな」

 

マイクは足を止めた。

 

相澤は、いつものように淡々と言った。

 

「戻ってきたからといって、俺たちが会う権利を得たわけじゃない」

 

「……ああ」

 

「香山がどうしたいのかを確認する。それが先だ」

 

マイクは深く息を吐いた。

 

「分かったよ」

 

二人は、すぐに病院へ向かった。

 

だが、その時点ではまだ知らなかった。

 

同じような報告が、別々の地域から届き始めていたことを。

 

死亡記録と一致する人間。

 

数年前に亡くなった人間。

 

数十年前に亡くなった人間。

 

中には、死亡した場所も、死亡した日時も、身元を確認した記録も明確に残っている者がいた。

 

にもかかわらず、その人間が生きている姿で発見されている。

 

それは誤登録だけでは説明できなかった。

 

二 帰ってきた教師

病院の特別診察室。

 

そこには、香山睡――ミッドナイトがいた。

 

彼女はベッドに腰掛け、窓の外を見ていた。

 

身体に大きな異常は見つかっていない。

 

意識も明瞭。

 

会話も成立している。

 

個性についても、現在のところ以前と大きな違いは確認されていなかった。

 

ただし、彼女自身が、自分の置かれた状況を理解できているわけではなかった。

 

「……本当に、ずいぶん時間が経っているのね」

 

医師が答える。

 

「はい。記録上、あなたが亡くなられたとされる時点から、かなりの時間が経過しています」

 

「その間、私はどこに?」

 

「現段階では、分かりません」

 

「眠っていたのかしら」

 

「それも確認できていません」

 

睡は自分の手を見た。

 

覚えている。

 

自分が誰であるか。

 

自分が何をしていたのか。

 

雄英高校で教師をしていたこと。

 

生徒たちのこと。

 

ヒーローとして現場へ出ていたこと。

 

そして、最後に自分が何をしていたのかも。

 

だが、その後がない。

 

記憶は、そこで途切れている。

 

「私は、死んだの?」

 

医師は言葉を選んだ。

 

「公的な記録では、死亡が確認されています」

 

「そう……」

 

睡は目を閉じた。

 

自分が死んだとされた。

 

その事実を、簡単に理解することはできなかった。

 

「では、今の私は何なのかしら」

 

医師はすぐには答えなかった。

 

「それを確かめるために、現在は検査を続けています。ただ、あなたを何かの実験対象として扱うつもりはありません。検査についても、説明を受けて、同意できる範囲で進めます」

 

「そうしてちょうだい」

 

睡は頷いた。

 

「私自身の身体ですものね」

 

「はい」

 

「それと、会いたい人がいるわ」

 

「どなたでしょうか」

 

「相澤君と、山田君」

 

医師は端末に希望を記録した。

 

「ほかには?」

 

睡は少し考えた。

 

「生徒たちにも会いたいわ。でも、いきなり大勢で押しかけられるのは困るでしょう?」

 

「学校側には、本人の希望を確認してから連絡します」

 

「ありがとう」

 

睡は窓の外へ目を向けた。

 

「……みんな、どんな顔をしているのかしらね」

 

彼女自身にも、まだ分からないことが多すぎた。

 

なぜ戻ってきたのか。

 

どうやって戻ってきたのか。

 

他にも戻ってきた人がいるのか。

 

自分は今後、教師に戻れるのか。

 

ヒーローとして活動できるのか。

 

そもそも、そんな未来を望んでいるのか。

 

すぐに決められることではない。

 

それでも、一つだけ確かなことがあった。

 

彼女は、自分の意思で考えることができる。

 

誰かが勝手に、自分の未来を決める必要はない。

 

三 会いたかった人と、会いたくなかった人

相澤とマイクが病室に入ったのは、その日の午後だった。

 

扉が開く。

 

睡は二人を見た。

 

「……久しぶりね」

 

マイクが息を呑んだ。

 

「香山……」

 

「何よ。そんな顔をして」

 

「いや……」

 

マイクは言葉を探した。

 

いつものように冗談を言おうとした。

 

声を張り上げて、明るく笑わせようとした。

 

だが、できなかった。

 

その代わり、彼は一歩近づいた。

 

「本当に、お前なのか」

 

睡は少しだけ笑った。

 

「少なくとも、私は香山睡のつもりよ」

 

「……そっか」

 

マイクの声が震えた。

 

「そっかよ」

 

相澤は、ベッドの横で立ち止まった。

 

「身体の調子は」

 

「今のところ問題ないそうよ」

 

「記憶は?」

 

「自分のことは覚えている。ただ、最後に何が起きたのか、その後は分からないわ」

 

「そうか」

 

短い会話だった。

 

だが、相澤はそれ以上、問い詰めなかった。

 

睡は二人の顔を見比べる。

 

「あなたたち、ずいぶん老けたわね」

 

「時間が経ったからな」

 

相澤が答える。

 

「それはそうだけど。山田君、髪型は相変わらずね」

 

「お前が戻ってきたら、まずそこを言うのかよ!」

 

マイクの声が少し大きくなる。

 

睡は笑った。

 

その笑顔を見て、マイクは再び目を伏せる。

 

彼らは彼女を失ったと思っていた。

 

葬儀も行った。

 

生徒たちと共に、彼女の残したものを整理した。

 

彼女がもう戻らないという前提で、日々を続けてきた。

 

それが、今日、覆された。

 

嬉しくないわけがない。

 

だが、喜んでいいのかさえ分からなかった。

 

「ねえ、相澤君」

 

「何だ」

 

「生徒たちは?」

 

「それぞれ進んでいる」

 

「そう」

 

「お前が教えたことも、残っている」

 

「そう……」

 

睡は、少しだけ寂しそうに笑った。

 

「それなら、よかった」

 

相澤は、彼女を見た。

 

「会いたいか」

 

「ええ。でも、今日はあなたたちだけでいいわ」

 

「分かった」

 

「生徒たちには、私が落ち着いてから連絡すると伝えて」

 

「そうする」

 

睡は、二人を見つめた。

 

「あなたたちも、無理をしないでね」

 

「それはお互い様だ」

 

相澤は、いつもの調子で答えた。

 

マイクは、ベッドの近くに椅子を置いた。

 

「なあ、香山」

 

「何?」

 

「帰ってきてくれて……よかった」

 

睡は少し黙った。

 

そして、慎重に言葉を選んだ。

 

「私も、そう思いたい」

 

「……ああ」

 

「でも、まだ全部が分からないわ。自分がなぜここにいるのかも、これから何をすればいいのかも」

 

「そうだな」

 

「だから、少し時間をちょうだい」

 

マイクは頷いた。

 

「もちろんだ」

 

相澤も答える。

 

「急がなくていい」

 

それは、彼らが彼女に与えられる数少ないものだった。

 

帰還を喜ぶこと。

 

会いたいと願うこと。

 

それでも、彼女の意思を優先すること。

 

その三つは、矛盾しない。

 

彼女が帰ってきたからといって、彼女の人生を以前の形に戻す義務があるわけではなかった。

 

四 公安に届いた男

同じ頃。

 

警察の管理下にある医療施設では、別の男が目を覚ましていた。

 

「……ここ、どこだ?」

 

男は周囲を見回す。

 

見覚えのない部屋。

 

見覚えのない設備。

 

知らない人間。

 

「おいおいおい。ちょっと待てよ。俺はどうなってんだ? 誰か説明してくれよ!」

 

医師が近づく。

 

「落ち着いてください。あなたの名前を確認させてください」

 

「名前?」

 

男は自分の顔に触れた。

 

「俺は……」

 

その表情が変わる。

 

「俺は、ジン・ブバイガワラだ」

 

彼は、トゥワイスだった。

 

「そうだよな? 俺は俺だよな? 違うって言うなよ。俺は俺だ。俺は……」

 

医師は、ゆっくりと頷いた。

 

「現在、記録を照合しています」

 

「何の記録だよ?」

 

「あなたは、死亡が確認されていた人物と一致しています」

 

その言葉を聞いた瞬間、トゥワイスの動きが止まった。

 

「……死亡?」

 

「はい」

 

「誰が?」

 

医師は言葉を選んだ。

 

「あなたです」

 

トゥワイスは笑った。

 

「ははっ! 何だよそれ! 俺が死んだ? 俺が? いやいや、そんなわけねえだろ! 俺はここにいるじゃねえか!」

 

笑い声が少しずつ小さくなっていく。

 

「……なあ」

 

「はい」

 

「俺、どれくらい寝てたんだ?」

 

医師は答えた。

 

その数字を聞いたトゥワイスは、しばらく黙っていた。

 

「……みんなは?」

 

「誰のことですか?」

 

「仲間だよ」

 

トゥワイスは周囲を見渡した。

 

「トガちゃんは? スピナーは? 死柄木は? みんな、どうなった?」

 

医師は、現状を説明することはできなかった。

 

「詳しい事情を説明できる担当者を呼びます」

 

「待てよ!」

 

トゥワイスは声を上げた。

 

「俺は、何も知らないんだぞ! 俺がいない間に、何があったんだよ!」

 

その声を聞きながら、医師は一歩も近づかなかった。

 

「あなたが知りたいことについて、確認できる情報を整理します。ですが、今すぐすべてを説明できるわけではありません」

 

「……そっか」

 

トゥワイスはベッドの端に座り込んだ。

 

「俺、また置いていかれたのか?」

 

誰も答えなかった。

 

五 羽を持つ男

ホークスが、トゥワイスの帰還を知らされたのは、それから一時間後だった。

 

彼は資料の提出を終えたばかりだった。

 

端末に表示された名前を見て、指が止まる。

対象者:ジン・ブバイガワラ

 

照合結果:死亡記録との一致率が極めて高い

 

本人確認:継続中

 

面会について:本人の意思確認待ち

 

ホークスは、長い時間その画面を見つめていた。

 

「……冗談でしょ」

 

誰に言うでもなく呟いた。

 

彼は、トゥワイスと過ごした時間を思い出していた。

 

任務として近づいた。

 

彼の信頼を得た。

 

仲間の話を聞いた。

 

笑い合ったこともあった。

 

その後、彼を止めた。

 

結果として、トゥワイスは帰らぬ人になった。

 

彼の死を忘れたことはない。

 

忘れようとしたこともない。

 

それが今、生きた人間として戻ってきたという。

 

ホークスは端末を閉じた。

 

「会うべきですか?」

 

隣にいた担当者が尋ねる。

 

ホークスは首を横に振った。

 

「俺が会いたいかどうかじゃないですよ」

 

「では、どうしますか」

 

「本人が会いたいと言ったら会います」

 

「それだけですか」

 

「それだけです」

 

ホークスは、窓の外を見た。

 

「俺は、あの人に会いたい。でも、俺が会いたいからといって、あの人に会う義務が生まれるわけじゃない」

 

「もし、会いたくないと言われたら?」

 

「受け入れます」

 

「それでも、あなたは説明責任を果たす必要があります」

 

「分かっています」

 

ホークスは、静かに答えた。

 

「何をしたのか。なぜそうしたのか。どんな指示を受けていたのか。聞かれたら答えます。聞かれなくても、調査には協力します」

 

彼は羽を一枚、机に置いた。

 

「でも、俺が説明したいことを、あの人が聞く義務はない」

 

その後、施設から連絡が来た。

 

トゥワイスは、関係者の名前を確認していた。

 

トガヒミコ。

 

スピナー。

 

死柄木弔。

 

ホークス。

 

その中で、ホークスについてだけ、返答がなかった。

 

面会希望の欄は空白だった。

 

ホークスは、その空白を見つめた。

 

「……そうですよね」

 

それは、拒絶なのかもしれない。

 

まだ決められないという意味なのかもしれない。

 

あるいは、単に今は何も答えたくないだけなのかもしれない。

 

彼は、その理由を勝手に決めないことにした。

 

六 帰らなかった女

さらに別の場所。

 

警察の臨時保護施設に、一人の女性が保護されていた。

 

彼女は自分の名前を告げた。

 

引木マグネ。

 

かつて敵連合に所属していた女性。

 

治崎廻によって命を奪われた人物。

 

彼女の帰還が確認されたとき、警察の担当者は慎重に対応した。

 

彼女は目覚めた直後から、状況を理解しようとしていた。

 

「……私、死んだんだよね?」

 

担当者は答えに窮した。

 

「記録上は、そうなっています」

 

「そう」

 

マグネは自分の手を見た。

 

「じゃあ、なんで生きてるんだろうね」

 

「現時点では分かりません」

 

「そっか」

 

彼女は、部屋の隅に置かれた水を飲んだ。

 

「スピナーは?」

 

「現在、身柄を管理されています」

 

「トガは?」

 

「同じく、保護下にあります」

 

「死柄木は?」

 

「医療管理下にあります」

 

マグネは、少しだけ目を伏せた。

 

「そうかい」

 

担当者が資料を確認する。

 

「あなたが今後どうしたいか、希望を聞かせていただけますか」

 

「まず、ここから出たい」

 

「安全確認が必要です」

 

「分かってるよ。勝手に出ていくつもりはないさ」

 

「ほかには?」

 

マグネは、少し黙った。

 

「治崎には会いたくない」

 

担当者は頷いた。

 

「分かりました。本人の希望を確認せずに面会を設定することはありません」

 

「それと、私が戻ってきたからって、あいつに何か都合のいい話をするのはやめておくれ」

 

「都合のいい話?」

 

「私が生き返ったから、あいつの罪が軽くなるとか。そういうことさ」

 

担当者は、はっきりと答えた。

 

「あなたの帰還によって、治崎氏の過去の行為がなかったことになるわけではありません」

 

「そうだね」

 

マグネは、静かに笑った。

 

「私が戻ってきたのは、あいつを許すためじゃない」

 

彼女は、窓の外を見た。

 

「私は私の人生をどうするか考えたい。それだけだよ」

 

担当者は、その言葉を記録した。

 

マグネは、帰ってきた。

 

しかし、以前の人生に戻るつもりはなかった。

 

死んだはずの時間を、誰かの都合で埋め合わせる気もない。

 

彼女は、自分が望む未来を考えようとしていた。

 

その未来に治崎が含まれていないことも、彼女が決めたことだった。

 

七 帰還者の一覧

午前十一時。

 

雄英高校では、緊急対策会議が開かれていた。

 

出席者は、根津、相澤、警察関係者、医療関係者、復興支援担当者、そして今回の事例に直接関係する一部のヒーローたち。

 

会議資料には、確認された事例がまとめられていた。

 

「現時点で、死亡確認済みの人物と一致する人物が複数確認されています」

 

担当者が説明する。

 

「香山睡氏、ジン・ブバイガワラ氏、引木マグネ氏。これら三名については、本人による氏名申告と、過去の記録との照合が進んでいます」

 

「ほかにもいるのか?」

 

相澤が尋ねた。

 

「現在、追加の照合を進めています」

 

「確認できていない名前は?」

 

「公表できる段階ではありません」

 

根津が資料を手に取った。

 

「確認された方々は、全員同じ場所で発見されたわけではないのですね」

 

「はい。発見された場所にも、共通点は見つかっていません」

 

「発見時の状況は?」

 

「いずれも、既存の施設内や道路周辺など、特別な設備がない場所です。目撃者の証言も一致していません」

 

「身体の状態は?」

 

医療担当者が答える。

 

「現時点では、生命活動に異常は見られません。外見上の年齢についても、それぞれ死亡が確認された当時の記録と大きな矛盾はありません」

 

「それはつまり、死亡した時点の姿で戻ってきたということか?」

 

「そう断定するには、まだ情報が不足しています。身体の変化や個性の反応についても、今後の検査が必要です」

 

根津は頷いた。

 

「本人の記憶は?」

 

「それぞれ違いがあります。自分が誰であるかは理解している方が多いようですが、死亡したとされる瞬間から現在までの記憶には、空白があるようです」

 

「共通する現象だと判断できますか?」

 

「まだできません」

 

根津は、資料を置いた。

 

「では、今の段階で共通しているのは、死亡が確認された人物と同じ名前を名乗り、過去の記録と整合する特徴を持った人々が、再び現れているということですね」

 

「はい」

 

「彼らを何と呼ぶかも、まだ慎重に扱う必要がありますね」

 

会議室が静かになる。

 

一人の担当者が言った。

 

「一般向けには、暫定的に『帰還者』と呼ぶ案が出ています」

 

「帰還者……」

 

相澤が呟く。

 

「便利な言葉だな」

 

「問題がありますか?」

 

「帰ってきた、という言葉には、元の場所に戻ったという意味が含まれる」

 

相澤は資料を見た。

 

「本人たちが、元の場所に戻りたいと思っているとは限らない」

 

根津が頷いた。

 

「確かに」

 

別の担当者が提案した。

 

「では、死亡記録再照合対象者という名称はどうでしょう」

 

「事務上の名称なら問題ないでしょう。しかし、本人たちを指す言葉としては、あまりに冷たいですね」

 

根津は、会議室を見渡した。

 

「暫定的な呼称は必要です。ただし、本人が望まない呼び方を強制しないこと。本人の氏名を優先すること。これを原則にしましょう」

 

「分かりました」

 

「そして、もう一つ重要なことがあります」

 

根津の声が少し低くなる。

 

「彼らは、現時点では調査対象である以前に、一人の人間です」

 

医療担当者が頷く。

 

「検査には本人の同意が必要です。記憶の調査や個性の使用についても同様です」

 

「過去に犯罪歴がある者についてはどうする?」

 

警察関係者が尋ねた。

 

根津は答えた。

 

「過去の行為に対する責任は、個別に確認する必要があります。ただし、死亡していたという記録だけを理由に、現在の本人の権利を無視してよいわけではありません」

 

「つまり、犯罪者として帰還した者も、無条件で釈放するわけではない」

 

「もちろんです。被害者への責任を軽視してはなりません。同時に、過去の罪だけで、現在の本人の意思まで奪ってよいわけでもありません」

 

会議の内容は、少しずつ整理されていった。

 

帰還者の保護。

 

本人確認。

 

医療的な検査。

 

戸籍や死亡記録の扱い。

 

家族との面会。

 

被害者との関係。

 

犯罪歴の再確認。

 

社会復帰支援。

 

どれも、一つの答えを出せば終わる問題ではなかった。

 

しかも、これは三人だけの問題で終わるとは限らない。

 

その可能性を、会議室にいる全員が感じていた。

 

八 残された人々

夕方。

 

病院の廊下に、何人もの人影があった。

 

ミッドナイトの帰還について、連絡を受けた生徒たちだった。

 

耳郎響香。

 

八百万百。

 

芦戸三奈。

 

切島鋭児郎。

 

上鳴電気。

 

そして、他のA組とB組の生徒たち。

 

彼らは会いたいと思っていた。

 

本当に戻ってきたのなら、顔を見たい。

 

声を聞きたい。

 

もう一度、先生と呼びたい。

 

しかし、相澤は最初に告げた。

 

「今すぐ全員で会いに行くことはできない」

 

「どうしてですか?」

 

八百万が尋ねる。

 

「本人が希望していない」

 

「……そうですか」

 

「会いたいと言っていた。ただし、今日は俺と山田だけだ」

 

耳郎は、視線を落とした。

 

「先生、私たちのこと覚えてますか?」

 

「覚えているらしい」

 

「そうですか」

 

芦戸は、両手を握り締めた。

 

「よかった……」

 

その言葉のあと、彼女はすぐに口を閉じた。

 

「でも、先生が戻ってきたからって、すぐに前と同じにはならないよね」

 

相澤は答えた。

 

「そうだ」

 

「それでも会いたいです」

 

切島が言った。

 

「俺たちだって、会いたい」

 

「それは否定しない」

 

相澤は続けた。

 

「ただし、会いたいという気持ちと、会う権利があるという話は別だ」

 

上鳴が小さく頷いた。

 

「……分かってます」

 

「香山は、何も説明できない状態だ。自分の身に何が起きたのかも分かっていない。俺たちが知りたいことを、全部話せるわけでもない」

 

「先生に会えたことを、喜んでいるかもしれません」

 

八百万が言った。

 

「そうかもしれない」

 

「でも、私たちに会いたいと思うかどうかは、先生が決めることですね」

 

「そうだ」

 

耳郎は、病室の方を見た。

 

「じゃあ、先生が会いたいって言ってくれたら、そのときはちゃんと会いたいです」

 

「それでいい」

 

そこへ、ミリオが近づいてきた。

 

彼もまた、別の報告を受けていた。

 

「皆、ここにいたのか」

 

「ミリオ先輩」

 

「大丈夫?」

 

「はい」

 

ミリオは病室の方を見た。

 

「聞いたよ。香山先生が戻ってきたんだってね」

 

「はい」

 

「それは……驚いたね」

 

ミリオは一度言葉を止めた。

 

「でも、戻ってきた人がみんな、以前と同じように生きたいとは限らないよね」

 

切島が頷く。

 

「そうっすね」

 

「戻ってきたことを喜ぶ人もいる。混乱する人もいる。会いたくない人もいるかもしれない」

 

ミリオは、落ち着いた声で言った。

 

「だから、まず本人の話を聞こう」

 

その言葉に、誰も反対しなかった。

 

彼らは、誰かの帰還を自分たちの願いだけで意味づけないことを選んでいた。

 

九 もう一人、帰ってくるかもしれない男

その夜。

 

通形ミリオは、医療施設からの連絡を受けた。

 

「……サー?」

 

電話の向こうから、担当者の声が聞こえる。

 

「まだ確定ではありません」

 

「はい」

 

「死亡記録との一致が確認された人物が、もう一名います」

 

ミリオは、その名前を尋ねた。

 

担当者が答える。

 

「サー・ナイトアイです」

 

ミリオの表情から、笑顔が消えた。

 

「……ナイトアイが?」

 

「はい。ただし、本人確認は継続中です。現在は医療機関で保護されています」

 

ミリオは、目を閉じた。

 

師匠。

 

自分を育ててくれた人。

 

未来を見通す個性を持ち、数々の出来事を予見してきた人。

 

その人が、もう一度生きているかもしれない。

 

「会えますか?」

 

担当者は答えた。

 

「本人の意思を確認した上で、調整します」

 

「分かりました」

 

「面会を希望されますか?」

 

ミリオはすぐには答えられなかった。

 

会いたい。

 

当然だ。

 

ずっと会いたかった。

 

だが、もし本当に本人なら。

 

死んだと思っていた時間を、彼はどのように受け止めるのだろう。

 

自分を見て、何を思うのだろう。

 

以前と同じように、師弟として接してくれるのだろうか。

 

それとも、別の距離を求めるのだろうか。

 

「……希望します」

 

ミリオは答えた。

 

「ただし、本人が望まないなら、無理には会いません」

 

「承知しました」

 

通話が切れた。

 

ミリオは、病院の廊下で立ち止まった。

 

エリがこちらを見ている。

 

「ミリオさん?」

 

「ああ、エリちゃん」

 

「何かあったんですか?」

 

ミリオは、彼女の前にしゃがんだ。

 

「僕の大切な人が、帰ってきたかもしれないんだ」

 

「大切な人?」

 

「うん。昔、僕にいろいろなことを教えてくれた人だよ」

 

「会いたいですか?」

 

ミリオは頷いた。

 

「会いたい」

 

「じゃあ、会えるといいですね」

 

「ありがとう」

 

エリは、少し考えてから言った。

 

「でも、帰ってきた人も、きっとびっくりしていますよね」

 

「そうだね」

 

「ミリオさんが会いたくても、その人がまだ会いたくないなら、待ってあげるんですか?」

 

「うん。待つというより、本人が決めるのを尊重したいんだ」

 

「……そうなんですね」

 

エリは、ゆっくり頷いた。

 

「私も、自分で決められるようになりたいです」

 

ミリオは微笑んだ。

 

「もう、その一歩を踏み出しているよ」

 

エリは、自分の手を見た。

 

帰ってきた人にも、残された人にも、意思がある。

 

その意思を大切にすることは、簡単ではない。

 

それでも、必要なことだった。

 

十 もう一度会いたいという願い

麗日お茶子は、帰還者の情報を聞いたあと、トガヒミコのいる施設へ連絡を入れた。

 

トガもまた、帰還者の情報を聞いていた。

 

彼女は、電話越しにしばらく黙っていた。

 

「……トゥワイスくんが?」

 

「うん。まだ詳しいことは分からないけど」

 

「本当に?」

 

「確認が進んでいるって」

 

トガは、しばらく返事をしなかった。

 

やがて、小さく息を吸った。

 

「会いたい」

 

その声は、かつてのように弾んでいなかった。

 

ただ、素直な願いだった。

 

「でも、会えるかは分からないよ」

 

お茶子が言う。

 

「分かってる」

 

「トゥワイスさん自身が、どうしたいか決めることだから」

 

「うん」

 

トガは、少しだけ笑った。

 

「私、会いたいって思ってもいいんだよね?」

 

「もちろん」

 

「でも、会いたいって言うだけで、会えるわけじゃないんだよね」

 

「うん」

 

「……そっか」

 

トガは手元の記録帳を見た。

 

自分がしてきたこと。

 

傷つけた人。

 

奪ったもの。

 

それらを消すことはできない。

 

トゥワイスが戻ってきたからといって、トガ自身の罪が消えるわけでもない。

 

それでも、彼が戻ってきたことを嬉しいと思う気持ちは、否定しなければならないものではなかった。

 

「お茶子ちゃん」

 

「何?」

 

「私、会えることになったら、最初に何て言えばいいのかな」

 

「それは、トガちゃんが考えればいいと思う」

 

「お茶子ちゃんが決めないの?」

 

「決められないよ」

 

お茶子は答えた。

 

「トガちゃんが何を言いたいかは、トガちゃんが考えることだもん」

 

「そっか」

 

「それに、トゥワイスさんが何を言うかも、トゥワイスさん自身が決めることだから」

 

トガは、少しだけ長く沈黙した。

 

「……うん」

 

電話が切れたあと、お茶子は窓の外を見た。

 

また会えるかもしれない。

 

けれど、その再会がどんなものになるかは分からない。

 

生きている人間同士ですら、同じ場所に立てるとは限らない。

 

まして、死んだと思っていた人が戻ってきたのなら。

 

失われた時間は、簡単には埋まらない。

 

それでも、会いたいと願うことはできる。

 

その願いを相手に押しつけないことも、できる。

 

お茶子は、そう考えていた。

 

十一 帰ってきた人に、帰る場所はあるのか

数日後。

 

帰還者についての情報は、少しずつ社会に広がり始めていた。

 

最初は、限られた関係者だけが知っていた。

 

だが、目撃情報や医療施設への問い合わせが増え、やがて報道機関も異変を察知した。

 

街頭の大型モニターには、次のような速報が流れた。

死亡確認済み人物と一致する人々を複数保護

 

警察・医療機関が調査を開始

 

原因は不明。政府は情報の確認を急ぐ

 

報道は過熱した。

 

「死者の復活なのか」

 

「過去に死亡したヒーローが戻る可能性はあるのか」

 

「犯罪者も帰ってくるのか」

 

「亡くなった家族と再会できるのか」

 

「これは奇跡なのか、それとも新たな危険なのか」

 

しかし、報道を見た人々の反応は一様ではなかった。

 

ある人は、希望を口にした。

 

「亡くなった母が帰ってくるかもしれない」

 

ある人は、怒りを口にした。

 

「なぜ今さら、そんなことが起きるんだ」

 

ある人は、恐怖を感じていた。

 

「亡くなった人が戻ってくるなら、何が起きてもおかしくないじゃないか」

 

ある人は、何も言わなかった。

 

亡くした人の名前を思い出したくない日もある。

 

ようやく前を向いたのに、もう一度過去と向き合うことになるのかもしれない。

 

そんな不安を抱く者もいた。

 

そして、帰還者に関する情報を見て、最も強く反応した人々の中には、死亡したとされた人物の遺族もいた。

 

「本当に戻るのか」

 

「どうして、今になって」

 

「もし戻ってきたら、私は何をすればいい」

 

その問いに、誰も答えられなかった。

 

帰ってきてほしいと願っていた人もいる。

 

もう会えないと受け入れ、別の人生を歩き始めた人もいる。

 

故人を思い出すことが苦しくて、名前を口にしなくなった人もいる。

 

そして、戻ってきたとしても、もう会いたくないと感じる人がいるかもしれない。

 

それは冷たいことではない。

 

残された者にも、人生がある。

 

死者の帰還によって、その人生を勝手に巻き戻してはならない。

 

同時に、帰ってきた者にも、自分の人生を選ぶ権利がある。

 

彼らは、誰かの喪失を埋め合わせるための存在ではない。

 

誰かの願いを叶えるためだけに戻ってきたわけでもない。

 

その事実を、社会は理解しなければならなかった。

 

十二 死亡記録の向こう側

雄英高校の校長室。

 

根津は、複数の資料を並べていた。

 

一つは、死亡記録と本人照合の結果。

 

もう一つは、過去の復興記録。

 

さらに、今回の事例とは直接関係があるか分からない古い資料もあった。

 

「校長」

 

相澤が声をかける。

 

「何か分かったんですか」

 

「いえ。まだ何も」

 

根津は、資料の一枚を指した。

 

「ただ、気になることがあります」

 

「何ですか」

 

「今回確認された人々の情報が、死亡記録だけでなく、過去の複数の記録にも同時に現れているのです」

 

「同じ人物が、別々の記録に?」

 

「ええ。しかも、記録された時期や場所が異なるにもかかわらず、今回の帰還者に関係する情報が、不自然な形で一致しています」

 

相澤は眉を寄せた。

 

「記録の改ざんか?」

 

「その可能性もあります。データの重複、システム障害、過去の入力ミス。いくつかの可能性を検証しています」

 

「それなら、現物の記録を調べればいい」

 

「もちろんです。しかし、紙の資料にも同じような記載が見つかっています」

 

根津は、古い資料を開いた。

 

その紙には、今の制度では使われていない言葉が書かれていた。

 

一部は文字が薄れ、読めない。

 

一部は、記録した人物の名前すら分からない。

 

だが、その中に、奇妙な表現があった。

死者の記録と、生者の記憶が一致しない場合。

 

その者を、何と呼ぶべきか。

 

相澤は眉を寄せた。

 

「何だ、これは」

 

「古い研究資料の一部です。いつ、誰が書いたのかはまだ分かりません」

 

「今回の件と関係があるのか」

 

「分かりません」

 

根津は、次のページをめくった。

 

そこには、さらに短い記述があった。

名前は、存在を識別するためにある。

 

しかし、識別したつもりになることで、存在そのものを見失うこともある。

 

「……妙な文章ですね」

 

相澤が言う。

 

「ええ」

 

根津は資料を閉じた。

 

「今は、これ以上のことは分かりません。今回の帰還現象と関係があると決めつけることはできない」

 

「なら、今は保留だ」

 

「その通りです」

 

相澤は立ち上がった。

 

「俺たちがやるべきことは、目の前の人間を守ることだ。分からないものに名前をつけて安心するのは後でいい」

 

「相澤先生らしいですね」

 

「褒めてるのか?」

 

「もちろん」

 

相澤は資料をもう一度見た。

 

死者が帰ってきた。

 

それが、何を意味するのかは分からない。

 

だが、少なくとも、帰ってきた人々が現実に存在している。

 

彼らを守ること。

 

彼らの意思を確認すること。

 

残された人々の生活を尊重すること。

 

今できることを、一つずつ進めなければならない。

 

十三 死者と生者の境界

夜。

 

病院の窓から、ミッドナイトは街の明かりを見つめていた。

 

以前と変わらない景色ではない。

 

復興が進んだ場所もある。

 

まだ元に戻らない場所もある。

 

新しい建物が建ち、古い建物が取り壊されている。

 

彼女が知っていた街は、確かにここにある。

 

だが、自分がいなかった時間の分だけ、変わっている。

 

「……私がいない間に、ずいぶん進んだのね」

 

ドアがノックされた。

 

「入ってもいいか」

 

相澤の声だった。

 

「どうぞ」

 

相澤が入ってくる。

 

「眠れないのか」

 

「少し考え事をしていたの」

 

「そうか」

 

相澤は椅子に座った。

 

睡は、しばらく黙っていた。

 

「相澤君」

 

「何だ」

 

「私は、死んだのよね」

 

「ああ」

 

「あなたたちは、私が死んだと思っていた」

 

「そうだ」

 

「葬儀もしたの?」

 

「ああ」

 

睡は目を伏せた。

 

「そう……」

 

相澤は何も言わなかった。

 

しばらくして、睡が口を開いた。

 

「私が戻ってきたことで、あなたたちが感じていることは、きっと複雑でしょうね」

 

「そうだな」

 

「嬉しい?」

 

「嬉しい」

 

相澤は迷わず答えた。

 

「ただし、それだけじゃない」

 

「そうね」

 

「お前が戻ってきた理由も、これからどうなるかも分からない」

 

「ええ」

 

「それでも、戻ってきたこと自体は嬉しい」

 

睡は、少しだけ笑った。

 

「ありがとう」

 

それから、窓の外へ目を向ける。

 

「ねえ、相澤君。死者が戻ってくるということは、残された人にとっては希望なのかしら」

 

「人による」

 

「そうね」

 

「戻ってきてほしい人もいる。戻ってきてほしくない人もいる。もう会えないと受け入れて生活してきた人もいる」

 

「戻ってきた人の気持ちは?」

 

「それも本人にしか分からない」

 

睡は小さく頷いた。

 

「私は、まだ何も決められないわ」

 

「決めなくていい」

 

「教師に戻るかどうかも?」

 

「お前が決めることだ」

 

「ヒーローとして活動するかも?」

 

「同じだ」

 

「生徒たちに会うかどうかも?」

 

「本人が望むなら会えばいい。会いたくない日があるなら断ればいい」

 

睡は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「そうね」

 

「お前は、帰ってきたからといって、何かを証明する必要はない」

 

相澤は、はっきりと言った。

 

「お前がどう生きるかは、お前が決めろ」

 

睡は、彼を見た。

 

「あなたも、少し変わったわね」

 

「そうか」

 

「ええ」

 

「時間が経ったからな」

 

「そうね」

 

睡は、目を閉じた。

 

自分が何者なのか。

 

なぜ戻ってきたのか。

 

それを理解するのは、まだ先になるだろう。

 

だが、彼女は今、ここにいる。

 

そして、これからの自分を選ぶことができる。

 

彼女は、もう一度窓の外を見た。

 

「明日は、少し外を歩いてみたいわ」

 

「医師と相談しておけ」

 

「分かっているわ」

 

「無理はするな」

 

「あなたもね」

 

相澤は立ち上がった。

 

「また来る」

 

「ええ」

 

扉が閉まる。

 

睡は一人になった。

 

それでも、今は一人でいることが苦しくはなかった。

 

自分の明日を、自分で決める。

 

それだけは、以前と変わらなかった。

 

十四 帰ってきた者たちの意志

翌日。

 

帰還者の保護施設では、三人の人物がそれぞれ別の場所で過ごしていた。

 

ミッドナイトは、医師と相談しながら今後の生活を考えていた。

 

トゥワイスは、自分がいなくなってから何が起きたのか、断片的な情報を集めていた。

 

マグネは、自分の希望を整理するために、担当者と話をしていた。

 

三人の状況は同じではない。

 

記憶も違う。

 

戻ってきたことへの反応も違う。

 

望むことも違う。

 

ミッドナイトは、学校と生徒たちについて知りたいと思っていた。

 

トゥワイスは、仲間たちの現状を知りたがっていた。

 

マグネは、まず自分の生活を取り戻したいと考えていた。

 

誰かは、会いたい人がいる。

 

誰かは、会いたくない人がいる。

 

誰かは、何も決められない。

 

そのすべてが、本人の意思だった。

 

担当者は、それぞれの希望を記録した。

 

だが、記録を作るたびに、一つの問題が浮かび上がっていた。

 

彼らは、法的には死亡している。

 

しかし、今ここに存在している。

 

死亡した人間の記録をどう扱うのか。

 

生きている人間として、どのような権利を持つのか。

 

過去の犯罪や契約はどうなるのか。

 

家族関係はどう扱われるのか。

 

それらを一つずつ確認しなければならない。

 

そして、帰還者の数が増えれば、同じ問題がさらに広がっていく。

 

彼らが戻ってきたことを奇跡として祝うだけでは済まない。

 

彼らが生きている以上、生活を支える必要がある。

 

過去の責任があるなら、それも整理しなければならない。

 

本人が望まない人間関係を、再び押しつけてはならない。

 

生者が抱えてきた悲しみも、尊重しなければならない。

 

帰還者と残された者。

 

二つの立場を、どちらか一方だけの都合で扱うことはできない。

 

それは、簡単な問題ではなかった。

 

十五 死者の名前が増えていく

その日の深夜。

 

警察の記録管理室では、職員が追加された照合データを確認していた。

 

最初に見つかったのは、ミッドナイト。

 

次に、トゥワイス。

 

そして、マグネ。

 

その後、ナイトアイと思われる人物。

 

さらに数名の名前が、照合対象として追加されていた。

 

「……また増えたのか」

 

職員が呟く。

 

同僚が画面を確認した。

 

「今度は誰だ?」

 

「死亡記録との照合対象が追加された。まだ本人は確認できていない」

 

「どこで?」

 

「別の地域だ」

 

「同時に何か所も?」

 

「そうらしい」

 

同僚は、画面を見つめた。

 

そこには、死亡した人物の名前が並んでいる。

 

ヒーロー。

 

一般市民。

 

犯罪者。

 

研究者。

 

名前も年齢も、死亡した時期も違う。

 

共通しているのは、記録上はすでに亡くなっているということだけだった。

 

「これ、全部本物なのか?」

 

「まだ分からない」

 

職員は画面を操作した。

 

「本人確認が済んだものと、未確認のものを分ける」

 

「そうしてくれ」

 

そのとき、端末に新しいデータが届いた。

 

職員は、画面を見つめる。

 

「……何だ、これは」

 

「どうした?」

 

「新しい照合記録だ」

 

「名前は?」

 

職員は首を傾げた。

 

「名前がない」

 

「は?」

 

「対象者の名前が空欄になっている」

 

「入力ミスだろう」

 

「いや、違う」

 

画面には、確かに一つの記録が存在していた。

 

だが、氏名の欄が空白になっている。

 

それにもかかわらず、照合対象として登録されていた。

 

「誰が登録した?」

 

職員が履歴を確認する。

 

入力者の欄も、空白だった。

 

登録日時だけは記録されている。

 

しかし、その時刻に誰が操作したのか、どの端末から送信されたのかが分からない。

 

「システム障害か?」

 

「分からない。別の端末からも確認してみる」

 

二人は記録を保存し、管理責任者へ報告した。

 

その直後。

 

画面に、もう一行の記録が現れた。

照合対象:未定義

 

分類:未確認

 

氏名:

 

記録状態:存在

 

職員は、画面を見つめたまま動かなかった。

 

「……名前がないのに、存在している?」

 

誰も答えなかった。

 

画面の端には、古い記録を参照したことを示す表示があった。

 

だが、参照元は特定できない。

 

古いファイルなのか。

 

誰かが意図的に登録したのか。

 

それとも、照合システムが何らかの異常を起こしているのか。

 

何も分からない。

 

ただ、一つだけ確かなことがあった。

 

死者の名前が、増え続けている。

 

そして、その記録の中には、まだ誰も知らない名前があった。

 

あるいは、名前そのものが存在しないのかもしれなかった。

 

十六 まだ、奇跡とは呼ばない

翌朝。

 

緑谷出久は、ニュースを見ていた。

 

帰還者に関する報道は、すでに大きく取り上げられている。

 

しかし、政府も警察も、原因を説明できていない。

 

一部の報道では「死者の復活」と表現されていた。

 

別の番組では「未知の個性による現象」だと推測している。

 

インターネット上では、過去の死亡記録を掘り返す人々が現れ、帰還するかもしれない人物の名前を挙げ始めていた。

 

「これ、どう思う?」

 

出久は隣にいた爆豪に尋ねた。

 

爆豪は画面を見た。

 

「知らねえよ」

 

「でも、死んだ人たちが本当に戻ってきてるなら……」

 

「だから何だ」

 

「え?」

 

「死んだ奴が戻ってきた。それが事実なら、事実として調べる。それだけだろ」

 

爆豪は腕を組んだ。

 

「奇跡だの、呪いだの、勝手に決めつけて騒いでんじゃねえ」

 

「うん」

 

「原因が分かるまでは、何も断定できねえ。戻ってきた奴らを見世物にするな」

 

出久は頷いた。

 

「そうだね」

 

「それと、戻ってきた奴らにも事情がある。会いたい奴がいるからって、勝手に面会を押しつけるな」

 

「分かってる」

 

「本当に分かってんのか?」

 

「分かってるよ!」

 

爆豪は舌打ちした。

 

「ならいい」

 

出久はニュースの続きを見た。

 

そこには、帰還者の家族とされる人々の映像が映っていた。

 

涙を流す人。

 

驚いている人。

 

怒っている人。

 

顔を伏せる人。

 

画面の中では、誰もが違う反応を示していた。

 

出久は思った。

 

帰還者が戻ってきたことで、希望を取り戻す人もいるだろう。

 

しかし、それによって苦しむ人もいるかもしれない。

 

失われた時間を取り戻したいと願う人もいるだろう。

 

だが、戻ってきた人がそれを望んでいるとは限らない。

 

「緑谷」

 

爆豪が言った。

 

「お前、何を考えてる」

 

「戻ってきた人たちに、何があったのか知りたい」

 

「それは当然だ」

 

「でも、知りたいからって、無理に聞くのは違うと思う」

 

爆豪は、出久の方を見た。

 

「だったら、聞ける状態になるまで待て」

 

「うん」

 

「ただし、目の前で誰かが危険にさらされてるなら別だ。待ってるだけでいいわけじゃねえ」

 

「そうだね」

 

爆豪は窓の外を見た。

 

「面倒なことになったな」

 

出久は苦笑した。

 

「うん。すごく」

 

しかし、彼らはもう知っていた。

 

分からないことを、無理に分かったことにしてはいけない。

 

目の前の人間を、勝手に分類してはいけない。

 

その人が何者なのかを決めつける前に、本人の言葉を聞かなければならない。

 

死者が帰ってきた世界で必要なのは、奇跡を祝うことだけではない。

 

生きている者と、戻ってきた者。

 

その両方の意思を尊重し、これからの関係を一から考えることだった。

 

そして、その問題の奥には、まだ誰も知らない何かがある。

 

死者が帰ってきた理由。

 

記録に残された名前。

 

記録から失われた名前。

 

名前を持たない存在。

 

すべてが、一本の線でつながっているのかもしれない。

 

だが、今はまだ分からない。

 

分からないものに、安易な名前を与えることはできない。

 

それが、この世界に生きる者たちが新しく直面した問題だった。

 

死者は帰ってきた。

 

しかし、世界は元に戻っていない。

 

そして、これから起きることは、単なる奇跡でも、単なる異常現象でも終わらないのかもしれなかった

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