僕のヒーローアカデミア 原罪   作:神代シン

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第二話「燃える街に、もう一人の英雄」

 

 午前二時十八分。

 

 病室の時計が動いた瞬間、緑谷出久は、自分が誰かを殺したという記憶を取り戻した。

 

 それは、血に濡れた手の記憶ではなかった。

 

 首を絞めた感触でも、刃物を突き立てた感触でもない。

 

 もっと嫌な記憶だった。

 

 誰かに手を伸ばしていた。

 

 目の前で、小さな子どもが泣いていた。

 

 そして自分は、その子どもを見つめながら、確かにこう言ったのだ。

 

 ――君が生まれなければ、みんなが助かるんだ。

 

 次の瞬間、世界が白く染まった。

 

 子どもの泣き声が消えた。

 

 それから先の記憶がない。

 

「……っ!」

 

 出久は、息を呑んで飛び起きた。

 

 身体が震えていた。

 

 呼吸が乱れている。

 

 手のひらが冷たい。

 

 それなのに、胸の奥だけが焼けるように熱かった。

 

「出久くん!」

 

 麗日お茶子が駆け寄る。

 

 彼女は泣いていた。

 

 先ほどから、ずっと泣いている。

 

 十三年ぶりに再会した恋人が、自分の知らない十三年間を生きていた。そして、自分との間に生まれたはずの子どもが、目の前にいる。

 

 なのに、その子どもを殺したのは、現在の緑谷出久だと記録されている。

 

 何もかもが、おかしかった。

 

 おかしいのに。

 

 おかしいという理由だけでは、目の前の子どもの存在を否定できない。

 

「……お茶子ちゃん」

 

「うん……!」

 

「この子を、見ていてくれる?」

 

 お茶子は、腕の中の子どもを抱き締めた。

 

 その子は、出久と同じ顔をしていた。

 

 五歳ほどの男の子。

 

 緑色の瞳。

 

 少し癖のある髪。

 

 そして、出久が幼い頃に見せていたものと、まったく同じ笑い方。

 

「……うん」

 

 お茶子は答えた。

 

「もちろんだよ」

 

 出久は、ベッドから降りた。

 

 足が震えた。

 

 けれど、歩けないほどではない。

 

 窓の外では、世界が黒く染まっていた。

 

 高層ビルも、道路も、街灯も。

 

 すべてが闇の向こうへ沈みかけている。

 

 そして、窓ガラスには、まだあの文字が残っていた。

 

 ――この子を殺したのは、現在の緑谷出久である。

 

 出久は、その文字を見つめた。

 

「……誰が、こんな記録を残したんだ」

 

 返事はなかった。

 

 代わりに、病室のスピーカーから、ノイズが流れた。

 

 ザーッ。

 

 ザーッ。

 

 ザーッ。

 

 それから、聞き覚えのある声が響いた。

 

『――臨時ニュースをお伝えします』

 

 女性アナウンサーの声だった。

 

『東京都内の複数の地域で、原因不明の大規模火災が発生しています。現場では、炎が燃え広がっているにもかかわらず、建物の一部が焼失する前の状態に戻る現象が確認されており――』

 

 映像が切り替わった。

 

 炎に包まれた街。

 

 逃げ惑う人々。

 

 空中で停止したままの消防車。

 

 そして。

 

 燃えている建物の屋上に、一人の少年が立っていた。

 

 緑色の髪。

 

 見慣れた輪郭。

 

 出久と、同じ顔。

 

 少年はカメラに向かって笑っていた。

 

『現場には、緑谷出久氏と酷似した人物が確認されており、警察では――』

 

 映像が乱れた。

 

 ノイズの向こうから、少年の声が聞こえた。

 

『違うよ』

 

 アナウンサーの声が止まる。

 

 映像の少年が、カメラを見つめた。

 

『僕が、本物だ』

 

 出久は、息を止めた。

 

 少年は笑った。

 

『そっちにいる緑谷出久は、偽物だよ』

 

 映像が、真っ黒になった。

 

 そして。

 

『――早く、僕を殺しに来てね』

 

 放送が切れた。

 

 病室に沈黙が落ちる。

 

 出久は、ゆっくりと拳を握った。

 

「……なるほど」

 

 声が、自分でも驚くほど冷たかった。

 

「僕を呼んでいるんだね」

 

     *

 

 同じ時刻。

 

 東京湾岸、第七物流区画。

 

 燃えていたのは、建物だけではなかった。

 

 道路も、車も、積み上げられたコンテナも。

 

 そして、人々の記憶も。

 

「なんだよ、これ……!」

 

 現場に駆けつけた警察官が叫んだ。

 

 目の前で、一人の男性が炎に包まれている。

 

 しかし、男性は燃えていなかった。

 

 服も、髪も、皮膚も。

 

 何一つ損傷していない。

 

 それなのに、男性は泣き叫んでいた。

 

「熱い! 熱い! 助けてくれ!」

 

 警察官が駆け寄ろうとした瞬間、男性の身体が消えた。

 

「――っ!?」

 

 次の瞬間。

 

 十メートル離れた場所に、同じ男性が現れた。

 

 服装も、顔も、声も同じ。

 

 ただし、こちらの男性は、燃えていなかった。

 

「……あれ?」

 

 男性は、自分の手を見つめた。

 

「俺、何してたんだ?」

 

 警察官は、動けなかった。

 

 その背後で、炎が逆流した。

 

 焼け落ちたはずの建物が、元の姿へ戻っていく。

 

 砕けた窓ガラスが空中を舞い、窓枠へと戻る。

 

 崩れた壁が立ち上がる。

 

 焼失した看板が、何事もなかったように元の位置へ戻る。

 

 そして、その建物の中から。

 

 人間が、現れた。

 

 一人。

 

 二人。

 

 三人。

 

 十人。

 

 百人。

 

 彼らは全員、同じ顔をしていた。

 

 警察官が、震える声で呟く。

 

「……緑谷、出久?」

 

 その瞬間、全員が一斉に顔を上げた。

 

 百人の緑谷出久が、同じ声で答えた。

 

「はい」

 

 そして。

 

「僕たちは、英雄です」

 

 炎が、青く染まった。

 

     *

 

 東京の地下深く。

 

 地上の火災とは無関係に見える、巨大な施設があった。

 

 そこは、かつて存在した研究所の跡地だった。

 

 表向きには閉鎖されている。

 

 公的な記録にも残っていない。

 

 しかし、その地下には、いまも稼働を続ける設備が存在していた。

 

 壁一面に並ぶモニター。

 

 幾重にも重ねられた監視映像。

 

 そして、中央に設置された巨大な円形装置。

 

 その前に、一人の男が立っていた。

 

 男は、モニターに映る百人の緑谷出久を見つめていた。

 

「……始まったか」

 

 男の背後から、別の声がした。

 

「ええ。予定よりも早いですね」

 

 白い衣服を纏った人物だった。

 

 顔は仮面で覆われている。

 

 仮面には、目も口もなかった。

 

「十三年分の燃料が、ようやく燃え始めた」

 

 男は、画面から目を離さなかった。

 

「燃料、か」

 

「不適切な表現でしたか?」

 

「いや」

 

 男は笑った。

 

「むしろ、正確すぎて嫌になる」

 

 画面の中では、百人の緑谷出久が、燃える街を歩いていた。

 

 彼らは人々を救っていた。

 

 倒壊した建物から人を運び出し、炎に包まれた車両から子どもを助け、負傷者の応急処置を行っている。

 

 誰もが、完璧な英雄だった。

 

 誰もが、理想的な緑谷出久だった。

 

 ただ一つだけ。

 

 彼らは、全員が同じことを言っていた。

 

『本物の緑谷出久を、連れてきてください』

 

 男は、口元を歪めた。

 

「……偽物の英雄か」

 

「いいえ」

 

 仮面の人物は答えた。

 

「彼らは、偽物ではありません」

 

「ほう?」

 

「彼らは、それぞれの世界において、確かに緑谷出久だった存在です」

 

 男は、ゆっくりと振り返った。

 

「つまり?」

 

「世界が一つずつ消えるたびに、英雄も一人ずつ失われた。その英雄たちを、我々が回収したのです」

 

「回収した英雄たちを、一つの世界へ集めた」

 

「その通りです」

 

 仮面の人物は、モニターに視線を向けた。

 

「彼らには、救いたかった人間がいる。守りたかった家族がいる。叶えたかった未来がある」

 

「そして、果たせなかった約束がある」

 

「ええ」

 

 仮面の人物は頷いた。

 

「だからこそ、彼らは燃え続ける」

 

 男は、しばらく黙っていた。

 

 やがて、低い声で尋ねた。

 

「……八欲デスは、何を考えている?」

 

 その名前が出た瞬間、施設の照明が一度だけ明滅した。

 

 仮面の人物は、答えなかった。

 

「八つの欲望を一つずつ解放し、世界を再構築する。そういう計画だったはずだ」

 

「はい」

 

「ならば、なぜ最初に緑谷出久なんだ?」

 

 男は、画面の中の少年を指差した。

 

「英雄を増やしてどうする。英雄が増えれば、世界を壊すのが難しくなる」

 

「……逆です」

 

 仮面の人物が言った。

 

「英雄が増えれば、英雄を殺す理由も増える」

 

 男の笑みが消えた。

 

「なるほど」

 

 彼は、再び画面を見た。

 

「そういうことか」

 

 そのとき。

 

 施設の奥から、笑い声が響いた。

 

「アハハハハハッ!」

 

 甲高い声だった。

 

 少女の声。

 

 無邪気で、楽しそうで、それでいて、どこか壊れている。

 

「ねえねえ! もう始まっちゃったの!?」

 

 壁の上から、逆さまに顔を覗かせた少女がいた。

 

 金色の瞳。

 

 乱れた髪。

 

 口元には、血のように赤い笑み。

 

 渡我被身子。

 

 彼女は、楽しそうに手を叩いた。

 

「すごーい! 出久くんがいっぱい!」

 

 その隣から、別の男が顔を出した。

 

「いやいやいや! 待て待て待て! 出久がいっぱいって何だよ!? いや、いいことなのか!? いや、絶対よくないだろ!」

 

 トゥワイスだった。

 

 彼は自分の頭を抱え、壁に寄りかかった。

 

「……いや、でもよ」

 

 声が少しだけ低くなる。

 

「本物が一人しかいないなら、残りは偽物なんだろ?」

 

 彼はモニターを見た。

 

「……じゃあ、あいつらは何なんだ?」

 

 誰も答えなかった。

 

 トガは、笑顔のまま画面を見つめていた。

 

「ねえ」

 

 彼女は言った。

 

「私、あの子たちの血が欲しいな」

 

「おいおいおい! やめろって! そんなにいっぱいいたら、誰の血を取ればいいか分からなくなるだろ!」

 

「全部!」

 

「全部!?」

 

 トゥワイスは叫んだ。

 

「いや、それは最高だ! いや、最低だろ!」

 

 トガは、楽しそうに笑った。

 

「だって、みんな出久くんなんでしょ?」

 

 その言葉に、トゥワイスは黙った。

 

「みんな、同じ顔をしてる」

 

 トガは、自分の頬に指を当てた。

 

「同じ声で、同じように笑ってる」

 

 そして、画面の中の一人を指差した。

 

「でも、あの子は違う」

 

 その少年は、燃える街の中央で、泣いている女の子を抱き締めていた。

 

 少女を救い出したあと、彼は何度も謝っていた。

 

 自分が遅れたことを。

 

 自分が助けられなかった人がいることを。

 

 そして、少女を一人にしてしまったことを。

 

 トガの笑顔が、少しだけ変わった。

 

「……あの子」

 

 彼女は、小さく呟いた。

 

「本当に、出久くんみたい」

 

 トゥワイスは、彼女を見た。

 

「……トガちゃん?」

 

「ねえ、ジン」

 

「何だ?」

 

「私たち、あの子を助けられるかな?」

 

 トゥワイスは、答えなかった。

 

 代わりに、画面を見つめた。

 

 そして、静かに言った。

 

「……助けるって、何からだ?」

 

 トガは、笑わなかった。

 

     *

 

 施設の中央。

 

 円形装置の前に、八つの椅子が並んでいた。

 

 そのうち、七つには人影があった。

 

 残る一つは、空席だった。

 

 それぞれの椅子の前には、異なる紋章が浮かんでいる。

 

 嫉妬。

 

 強欲。

 

 傲慢。

 

 色欲。

 

 虚飾。

 

 暴食。

 

 怠惰。

 

 そして、最後の椅子には、何も記されていなかった。

 

 その空席を見つめながら、男が言った。

 

「八欲デスは、全員揃っているのか?」

 

「いいえ」

 

 仮面の人物が答えた。

 

「八番目は、まだ目覚めていません」

 

「……そうか」

 

 男は、少しだけ考えた。

 

「なら、七人で始めるしかないな」

 

「すでに始まっています」

 

 仮面の人物は、モニターを指差した。

 

「八欲のうち、虚飾が活動を開始しました」

 

 トガが、顔を上げた。

 

「……私?」

 

「あなたと、トゥワイス」

 

 仮面の人物は言った。

 

「二人で一つの欲望を担う。それが、今回の計画です」

 

 トゥワイスは、露骨に嫌そうな顔をした。

 

「待て待て待て! 俺とトガちゃんで一つ!? いや、光栄だ! いや、絶対に嫌だ!」

 

 トガは、彼の腕に抱きついた。

 

「よろしくね、ジン!」

 

「よろしく! いや、よろしくしたくない!」

 

 仮面の人物は、二人を見つめた。

 

「あなたたちの役割は、ただ一つ」

 

 モニターの映像が切り替わる。

 

 そこには、出久と同じ顔をした人々が映っていた。

 

「本物と偽物の境界を、壊すことです」

 

 トガは、笑った。

 

「……いいね」

 

 彼女の瞳が、赤く輝いた。

 

「それ、すっごく楽しそう」

 

 トゥワイスは、顔を覆った。

 

「終わった……俺たち、絶対に終わった……!」

 

 しかし、その声には、いつもの冗談めいた調子がなかった。

 

 彼は知っていた。

 

 人間の姿を真似ること。

 

 誰かの顔を借りること。

 

 自分自身が、何人にも増えてしまうこと。

 

 そして、どれが本物なのか分からなくなること。

 

 それが、どれほど恐ろしいことなのかを。

 

 彼は、モニターの中の少年を見た。

 

「……緑谷出久」

 

 呟いた。

 

「お前、何をしたんだ?」

 

 答えはなかった。

 

 ただ、画面の中の少年が、こちらを見た。

 

 まるで。

 

 こちら側にいる全員の存在を、最初から知っていたかのように。

 

     *

 

 午前二時三十分。

 

 雄英高校、地下医療区画。

 

 出久は、病院を出る準備をしていた。

 

「……出久くん、本当に行くの?」

 

 お茶子が、不安そうに尋ねた。

 

「うん」

 

「でも、身体が……」

 

「大丈夫」

 

 出久は、笑った。

 

 それは、彼女が知っている笑顔だった。

 

 けれど、お茶子は、その笑顔に違和感を覚えた。

 

 十三年前。

 

 出久がいなくなる直前にも、彼は同じように笑っていた。

 

 何かを隠しているとき。

 

 誰かを救うために、自分を犠牲にしようとしているとき。

 

 そして、自分だけが苦しめばいいと思っているとき。

 

「……出久くん」

 

 お茶子は、彼の手を握った。

 

「一人で行かないで」

 

 出久は、彼女を見た。

 

「……うん」

 

「本当に?」

 

「本当だよ」

 

 彼は、頷いた。

 

「僕は、もう一人で全部を背負わない」

 

 お茶子は、彼の顔を見つめた。

 

 それから、ゆっくりと頷いた。

 

「……分かった」

 

 彼女は、子どもを抱き締めた。

 

「この子は、私が守る」

 

 出久は、目を伏せた。

 

「……ありがとう」

 

「でも」

 

 お茶子は、顔を上げた。

 

「絶対に帰ってきてね」

 

 出久は、笑った。

 

「うん」

 

 その約束が、どれほど重いものなのか。

 

 彼は、まだ知らなかった。

 

     *

 

 東京湾岸、第七物流区画。

 

 出久が到着したとき、街は燃えていた。

 

 いや。

 

 正確には、燃えているように見えた。

 

 炎は建物を焼いている。

 

 けれど、建物は崩れない。

 

 人々は逃げ惑っている。

 

 けれど、誰一人として死んでいない。

 

 消防車は現場に到着している。

 

 けれど、消防士たちは同じ場所を何度も走り続けている。

 

 時間が、繰り返されていた。

 

 出久は、ゆっくりと歩き出した。

 

「……これは」

 

 街の中央に、百人の少年が立っていた。

 

 全員が、出久と同じ顔をしていた。

 

 そのうちの一人が、出久を見つけた。

 

「あ」

 

 少年は、笑った。

 

「来たね」

 

 次々と、他の少年たちが振り返る。

 

 百人。

 

 二百人。

 

 数えきれないほどの緑谷出久たちが、出久を見つめていた。

 

「……君たちは」

 

 出久は、声を絞り出した。

 

「何者なんだ?」

 

 一人の少年が、前へ出た。

 

 その顔は、出久と同じだった。

 

 しかし、その目には、出久が持っていないものがあった。

 

 深い憎しみ。

 

 長い孤独。

 

 そして、何度も世界を失った人間だけが持つ、疲れ果てた絶望。

 

「僕たちは、君だよ」

 

 少年は言った。

 

「君が、捨てたもの」

 

 出久は、息を止めた。

 

「……捨てた?」

 

「そう」

 

 少年は、笑った。

 

「君は、誰かを救うたびに、何かを捨ててきた」

 

 彼は、手を広げた。

 

「記憶」

 

「……」

 

「名前」

 

「……」

 

「約束」

 

「……」

 

「そして、命」

 

 少年は、出久を見つめた。

 

「僕たちは、その全部だよ」

 

 出久は、拳を握り締めた。

 

「……違う」

 

「違わない」

 

「僕は、誰も捨てていない!」

 

 少年は、少しだけ首を傾げた。

 

「じゃあ、どうして僕は、ここにいるの?」

 

 出久は、答えられなかった。

 

「どうして僕たちは、ここにいるの?」

 

 少年たちが、一斉に声を上げた。

 

「どうして、僕たちは死んだの?」

 

「どうして、僕たちは生まれなかったの?」

 

「どうして、僕たちは忘れられたの?」

 

「どうして、君だけが生きているの?」

 

 声が重なった。

 

 街が震えた。

 

 炎が、さらに大きくなった。

 

 出久は、耳を塞ぎたくなった。

 

 けれど、塞がなかった。

 

 彼らの声を聞かなければならない。

 

 彼らが何を訴えているのか、知らなければならない。

 

「……僕は」

 

 出久は、一歩前へ出た。

 

「君たちを、助けたい」

 

 その瞬間。

 

 百人の少年が、笑った。

 

 嘲笑だった。

 

 悲鳴だった。

 

 泣き声だった。

 

 そして、怒りだった。

 

「助ける?」

 

 最初の少年が言った。

 

「君が?」

 

 彼は、出久に近づいた。

 

「君は、僕たちを殺したんだよ」

 

 出久の胸が、痛んだ。

 

「……それでも」

 

 彼は、声を絞り出した。

 

「それでも、僕は君たちを救いたい」

 

 少年は、出久の目の前で立ち止まった。

 

 そして、静かに尋ねた。

 

「……じゃあ、選んでよ」

 

「……何を?」

 

「僕たちの中から、一人だけ」

 

 少年は、周囲を見渡した。

 

「一人だけ、本物にして」

 

 出久は、息を止めた。

 

「……何?」

 

「一人だけ、本物にしてよ」

 

 少年は、笑った。

 

「そうすれば、残りは消えてもいいんでしょ?」

 

 出久は、首を横に振った。

 

「違う!」

 

「じゃあ、全員を本物にしてよ」

 

 少年は、さらに笑った。

 

「できるの?」

 

 出久は、答えられなかった。

 

「できないよね」

 

 少年は、囁いた。

 

「だって、世界は一人しか認めないんだから」

 

 その瞬間。

 

 街の上空に、巨大な映像が浮かび上がった。

 

 そこには、一人の男が映っていた。

 

 顔は仮面で覆われている。

 

 声は加工されていた。

 

 しかし、その言葉は、街中に響き渡った。

 

『緑谷出久』

 

 男が言った。

 

『君に、選択の機会を与えよう』

 

 出久は、空を見上げた。

 

『この街にいる緑谷出久たちの中から、一人を選べ』

 

 炎が、止まった。

 

『選ばれた一人は、君と共に生きる』

 

 街の人々が、顔を上げた。

 

『選ばれなかった者たちは、消滅する』

 

 出久は、拳を握り締めた。

 

『選択を拒否した場合――』

 

 映像の男は、少しだけ笑った。

 

『この街にいる、すべての人間が死ぬ』

 

 静寂。

 

 誰も動かなかった。

 

 出久は、空を見つめた。

 

「……お前」

 

 声が震えた。

 

「何者なんだ」

 

 男は、答えなかった。

 

 代わりに、映像が切り替わった。

 

 そこには、一人の少女が映っていた。

 

 血に濡れた刃物を持った、金色の瞳の少女。

 

 渡我被身子。

 

 彼女は、笑っていた。

 

『ねえ、出久くん』

 

 彼女は、楽しそうに言った。

 

『私、あなたの顔が好きなの』

 

 映像が切り替わる。

 

 今度は、トゥワイスだった。

 

『おいおいおい! なんだよこれ! 俺たち、完全に悪役じゃねえか! いや、実際そうなんだけどよ!』

 

 彼は、頭を抱えた。

 

『でもな、緑谷出久!』

 

 トゥワイスは、カメラを見つめた。

 

『俺たちも、誰かに選ばれたかったんだよ』

 

 その言葉に、出久は息を止めた。

 

『本物か偽物かなんて、どうでもいい』

 

 トゥワイスは、笑った。

 

『ただ、誰かに「お前はここにいていい」って言ってほしかったんだ』

 

 映像が、途切れた。

 

 そして、最後に。

 

 トガの声が聞こえた。

 

『だから、出久くん』

 

 彼女は、囁いた。

 

『あなたが、私たちを選んでよ』

 

 映像が消えた。

 

 街に、沈黙が落ちた。

 

 出久は、ゆっくりと目を閉じた。

 

 八欲デス。

 

 虚飾。

 

 トガとトゥワイス。

 

 彼らは、ただ出久を殺そうとしているわけではない。

 

 出久に、選ばせようとしている。

 

 本物と偽物。

 

 生きる者と、消える者。

 

 救う者と、見捨てる者。

 

 その境界を、出久自身の手で決めさせようとしている。

 

 そして。

 

 彼らは、出久が選べないことを知っている。

 

 誰かを見捨てることができない。

 

 誰かを切り捨てることができない。

 

 だからこそ、出久は英雄だった。

 

 そして、だからこそ。

 

 彼らは、出久を利用しようとしている。

 

「……そうか」

 

 出久は、目を開いた。

 

「お前たちは、僕に選ばせたいんだね」

 

 彼は、周囲の少年たちを見た。

 

 同じ顔。

 

 同じ声。

 

 同じ名前。

 

 けれど、違う人生を生きた者たち。

 

 出久は、一歩前へ出た。

 

「……だったら」

 

 彼は、拳を握り締めた。

 

「僕は、選ばない」

 

 街が震えた。

 

 炎が、再び燃え上がった。

 

 少年たちの顔から、笑みが消えた。

 

「……何?」

 

 出久は、言った。

 

「僕は、誰か一人を選んで、残りを消すなんてことはしない」

 

 彼は、空を見上げた。

 

「そんな選択を、誰にも押しつけさせない」

 

 その瞬間。

 

 街の中央にいた少年が、泣き始めた。

 

「……どうして?」

 

 彼は、顔を覆った。

 

「どうして、君は……」

 

 声が震えた。

 

「どうして、僕たちと同じことを言うんだよ……!」

 

 出久は、動けなかった。

 

 少年は、顔を上げた。

 

 その瞳には、涙が溢れていた。

 

「……君も、僕たちと同じなんだね」

 

 彼は、笑った。

 

「君も、誰かを救うために、世界を壊すんだ」

 

 その瞬間。

 

 街の炎が、すべて黒く染まった。

 

 空が割れた。

 

 地面が崩れた。

 

 そして、出久の目の前に、一人の少年が現れた。

 

 御影出久。

 

 兄だった。

 

 彼は、出久を見つめていた。

 

 そして、静かに言った。

 

「……出久」

 

 出久は、息を止めた。

 

「兄さん……!」

 

 兄は、悲しそうに笑った。

 

「君は、まだ分かっていないんだね」

 

「……何を?」

 

 兄は、ゆっくりと首を横に振った。

 

「この街にいる人たちは、みんな偽物なんかじゃない」

 

 出久は、周囲を見渡した。

 

「……え?」

 

 兄は、言った。

 

「この街にいる人たちは、みんな……」

 

 その瞬間。

 

 兄の身体が、黒い炎に包まれた。

 

「……僕が、殺した人たちなんだ」

 

 出久は、叫んだ。

 

「兄さん!!」

 

 手を伸ばす。

 

 しかし、届かなかった。

 

 兄は、炎の向こうで、笑っていた。

 

「だから、出久」

 

 その声が、最後に響いた。

 

「今度は、僕を救わないで」

 

 世界が、燃えた。

 

 ――第三章・第二話、終。

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