IS〈インフィニット・ストラトス〉蒼穹の亡霊 作:右左右左右
第1話「存在しない機体」
最初に異変を察知したのは、山の斜面に潜んでいた一人の観測員だった。
『……こちら第三観測班。対象車列を確認』
無線機から、雨音に混じって低い声が響いた。
『装甲車両六、輸送車両四。合計十台。事前情報と一致しています』
「了解。引き続き監視しろ。接触は許可しない」
『了解』
通信が切れる。
マーカス・ベルナー少佐は、目の前のモニターへ視線を戻した。
午前二時十七分。
国境から約四十キロメートル離れた山岳地帯。
雨は三時間以上降り続いていた。
ぬかるんだ山道を進む十台の車両には、所属を示す標識が一切ない。
ナンバープレートも取り外され、車体には識別番号すら確認できなかった。
通常の軍事輸送であれば、まず考えられない光景だった。
「……ずいぶんと徹底しているな」
ベルナーは小さく呟いた。
隣に座る若い通信士が顔を上げる。
「少佐、やはり軍の輸送部隊ではないのでしょうか」
「少なくとも、正規の輸送記録には存在しない」
「では、民間の武装組織ですか?」
「それなら、あれほどの装備をどこから調達したのか説明が必要になる」
ベルナーは画面の一部を拡大した。
先頭を走る装甲車。
車体上部には、折り畳まれた対空兵装らしき構造物がある。
後続車両も同様だった。
単なる密輸業者にしては、あまりにも重武装だ。
「……何を運んでいる」
ベルナーの問いに答える者はいなかった。
今回の任務は、この車列の監視と情報収集だった。
数日前、情報機関が不審な特殊資材の移動を察知した。
輸送元は不明。
目的地も不明。
積荷の詳細に至っては、断片的な情報すらほとんど得られていない。
唯一、報告書に記載されていたのが、一つの単語だった。
IS。
インフィニット・ストラトス。
約十年前、白騎士事件によって世界の軍事常識を覆した、人型の特殊装備。
本来は宇宙空間での活動を目的として開発されたものだが、その圧倒的な性能は従来の兵器体系を一変させた。
現在、ISの軍事利用はアラスカ条約によって禁止されている。
公に知られているISコアの数は、四百六十七個。
各国は割り当てられた限られたコアを用いて研究開発を続けているが、その運用には厳しい制約が存在する。
そのISに関連する何かが、正規の記録に残らない形で輸送されているかもしれない。
それが、今回の監視任務の発端だった。
「少佐」
「何だ」
「もし、本当にISが関係していた場合は……」
通信士の言葉が途中で止まる。
ベルナーは続きを促さなかった。
何を言いたいのかは分かっていたからだ。
「我々は監視を続ける。それだけだ」
「しかし――」
「通常兵器でISと交戦するつもりか?」
青年が口を閉じる。
「戦う必要のない相手とは戦わん。任務を履き違えるな」
「……了解しました」
ベルナーは再びモニターへ視線を戻した。
暗視映像の中で、十台の車両がゆっくりと山道を進んでいる。
そのときだった。
『こちら第三観測班』
無線機が再び音を発した。
「どうした」
『上空に不審な反応を確認しました』
「航空機か?」
『……いえ。判断できません』
ベルナーは眉をひそめた。
「詳しく報告しろ」
『雲の切れ間に、何か……光が見えます』
「光?」
『青い光が二つ。距離は――』
言葉が途切れた。
『……何だ、あれは』
「第三観測班、報告しろ」
『人型です』
ベルナーの手が止まった。
『上空に、人の形をした何かが浮いています』
指揮車両の中が静まり返る。
「……ISか?」
『分かりません。ただ、あの形状は――』
次の瞬間。
無線機から激しい雑音が響いた。
『――っ、通信に障害!』
ほぼ同時に、遠くの山肌が青白く光った。
一瞬遅れて、腹の底に響くような轟音が届く。
「何だ!?」
「少佐! 車列の先頭付近で土砂崩れが発生!」
「自然崩落か?」
「いえ、発光の直後です! 人工的に崩された可能性があります!」
ベルナーは画面へ身を乗り出した。
道路を塞ぐ大量の土砂。
停止する先頭車両。
その後ろで次々と急停止する輸送車列。
そして。
暗い雨雲の下。
一つの影が、ゆっくりと降下してきた。
人の形をしていた。
しかし、人間ではない。
全身を覆う深い灰色の装甲。
左右非対称の推進機構。
そして、頭部に灯る二つの青い光。
ベルナーは息を呑んだ。
「……本当に、ISなのか」
灰色の機体は、停止した車列の上空で静止した。
まるで眼下の車両を一台ずつ数えているかのように。
その姿を捉えた観測装置が、自動的に記録を開始する。
所属不明。
型式不明。
操縦者不明。
映像に映る機体は、ベルナーがこれまで資料で見たどのISとも一致しなかった。
そして、この時点では誰も知らなかった。
その機体が、今夜この場所で何をしようとしているのか。
誰の命令で動いているのか。
そもそも、どこの国のISなのかさえ。
◇
《目標車列、停止を確認》
無機質な合成音声が響く。
《装甲車両六。輸送車両四。車両数、事前情報と一致》
「……予定どおりだ」
灰色のISの操縦者は、眼下の車列を見下ろした。
視界には、周囲の地形と車両配置が表示されている。
十台の車両。
そのうち、積荷を搭載しているのは四台。
そして、その中のどこかに、破壊しなければならないものがある。
《第一段階、完了》
「第二段階へ移る」
《了解。目標物資の特定を開始します》
機体がゆっくりと高度を下げる。
だが、操縦者には分かっていた。
今回の任務は、ここからが本番だということを。
四台の輸送車両。
外見はほぼ同じ。
積荷の識別情報も存在しない。
加えて、事前に得られた資料には、無視できない一文があった。
――輸送対象に、人員が含まれる可能性あり。
その情報が正しいかどうかは分からない。
しかし、確認できないからといって、すべてを破壊するわけにはいかなかった。
「……面倒なことをしてくれる」
操縦者は小さく呟いた。
《第一輸送車、外部走査を開始》
視界に解析結果が表示される。
《複数の遮蔽区画を確認》
「内部は?」
《詳細識別不能》
「……やっぱりか」
装甲越しに中身を確かめることは難しい。
少なくとも、現在の距離からでは不可能だった。
ならば、近づくしかない。
そう判断した直後。
《警告。対空兵装の展開を確認》
灰色のISの視界に、赤い照準警告が浮かんだ。
眼下の装甲車両。
その上部で、折り畳まれていた発射筒が持ち上がっていく。
「……先にそっちか」
灰色のISが右腕を持ち上げる。
細長い砲身が、装甲車両へ向けられた。
照準。
発射。
青白い光が、雨の夜空を貫いた。
対空兵装の駆動基部が砕け散る。
さらに二発。
三発。
他の車両に装備された兵装も、次々と無力化されていった。
操縦席は狙わない。
燃料タンクも撃たない。
必要なのは、こちらへの攻撃能力を奪うことだけだった。
《護衛車両の対空能力、大幅に低下》
「……続けるぞ」
灰色のISは第一輸送車へと向き直った。
右腕の射撃兵装を収納する。
左腕の装甲が展開し、内部から細長い刃が姿を現した。
輸送車両の封印を破り、中身を確認する。
それが、次に行うべきことだった。
しかし。
《警告》
操縦者の視界に、新たな表示が現れた。
《高エネルギー反応を検知》
方位二七〇。
距離、一二〇〇メートル。
操縦者は西へ視線を向けた。
雨雲の向こう。
そこに、一機のISが浮遊していた。
白い装甲。
赤く彩られた胸部と肩部。
左右対称に展開された大型推進翼。
そして、右腕に構えられた長砲身。
《機体外観の照合を開始》
《該当する機体データなし》
「……もう来たのか」
操縦者は、眼下の輸送車両を一瞥した。
まだ、何も確認できていない。
四台のうち、どれが標的なのか。
何が積まれているのか。
その答えを得る前に、迎撃機が現れてしまった。
「……読みが甘かったな」
灰色のISは左腕の刃を戻した。
ここで輸送車両の調査を続ければ、背後から攻撃を受ける。
敵機を無視することはできなかった。
◇
白と赤のISの操縦席。
女性操縦者は、眼下の光景に小さく舌打ちした。
「……遅かったか」
崩落した道路。
停止した輸送車列。
武装を破壊された護衛車両。
そして、その上空に浮かぶ灰色のIS。
車列が攻撃を受けたことは明白だった。
《未確認ISを捕捉》
《機体外観の照合を開始》
《該当する機体データなし》
「……構わない」
操縦者は右腕の長砲身を灰色のISへ向けた。
相手の所属など、今は問題ではなかった。
既に護衛対象は攻撃されている。
必要なのは、脅威を取り除くこと。
それだけだ。
《射撃管制、起動》
照準表示が灰色の機体を捉える。
彼女は引き金を引いた。
警告も、降伏勧告もなかった。
◇
《警告。高エネルギー反応》
《敵機、射撃動作》
「……っ!」
灰色のISが急加速する。
直前まで機体の存在していた空間を、青白い光が通過した。
直後、背後の岩肌が爆ぜる。
砕けた岩石が雨とともに飛散し、轟音が山間に響き渡った。
《敵機、追尾を継続》
「……問答無用か」
操縦者は高度を下げた。
白と赤のISが次弾を放つ。
灰色の機体は岩壁を利用して射線を遮り、斜面に沿って移動する。
しかし、敵機も即座に位置を変えた。
単純な追跡ではない。
灰色のISが次に向かう位置を予測し、先回りするように砲口を向けてくる。
砲撃が岩壁を削った。
「……射撃管制が優秀だな」
偶然ではない。
敵は灰色のISの加速方向と地形を利用し、回避可能な空間を狭めようとしていた。
長砲身による高出力射撃。
それを支える安定した姿勢制御。
さらに、左右対称の大型推進翼によって、射撃後の機動も速い。
中距離で撃ち合えば、不利になる可能性が高かった。
《敵機、再照準》
赤い警告表示が浮かぶ。
「……なら」
灰色のISが姿勢を変える。
「懐に入る」
推進器の出力が一気に上昇した。
《警告。神経接続負荷が上昇》
「分かってる」
次の瞬間。
灰色の機体が、爆発的に加速した。
◇
「……速い!」
女性操縦者が息を呑む。
照準の中央に捉えていた灰色のISが、一瞬で移動した。
高速機動そのものは珍しくない。
ISであれば、通常の航空機では不可能な加速も実現できる。
だが、目の前の機体は明らかに違った。
加速の鋭さ。
進路変更の速さ。
そして、機体の姿勢が乱れない。
《目標、急接近》
女性は機体を後退させた。
同時に砲身を振り向ける。
しかし、灰色のISは既に射線から外れていた。
《警告。右側面》
衝撃。
右側の大型推進翼に青白い閃光が走った。
シールドエネルギーが減少する。
機体が大きく傾いた。
「くっ……!」
女性は即座に残る推進器で姿勢を立て直す。
右側の推進翼に損傷。
出力が不安定になっている。
だが、飛行不能というほどではない。
彼女は機体を旋回させた。
敵機の位置を捕捉する。
砲身を向ける。
その動作は、訓練された操縦者のものだった。
しかし、相手も止まってはいなかった。
《警告。敵機、左後方》
「……っ!」
振り返る。
灰色のISが、すぐそこにいた。
左腕から展開された刃が、雨を切り裂く。
女性は咄嗟に砲身を引こうとした。
だが、間に合わなかった。
金属音。
右腕を伝わる衝撃。
《主兵装、接続異常》
長砲身の射撃兵装が、途中から切断されていた。
女性は即座に距離を取った。
切断された砲身が、雨の中へ落下していく。
「……冗談じゃないわね」
短く吐き捨てる。
右側推進翼は損傷。
主兵装は使用不能。
シールドエネルギーも減少している。
対して、灰色のISには目立った損傷が確認できない。
機体の能力差か。
それとも、操縦者の技量差か。
現時点では判断できなかった。
ただ、一つだけ確かなことがある。
あの機体を、これ以上輸送車列へ近づけてはならない。
女性は残存兵装の状態を確認した。
主砲を失っても、戦闘能力が完全になくなったわけではない。
だが、ここで追撃を受ければ、さらに不利になる。
視界の先。
灰色のISは、わずかに距離を取って停止していた。
追撃してこない。
それが、かえって不気味だった。
女性は機体を構え直す。
まだ、戦闘は終わっていない。
◇
《敵機、主兵装を喪失》
《右側推進器の出力低下を確認》
灰色のISの操縦者は、白と赤の機体を見据えていた。
予定していた攻撃は成功した。
主砲を封じ、推進翼にも損傷を与えた。
少なくとも、相手は先ほどまでのような高機動射撃を続けられないだろう。
だが。
《警告。神経接続負荷が規定値を超過》
視界の端に赤い表示が広がる。
右腕の感覚が薄れていく。
指先に、細かな震えが生じていた。
「……まずいな」
《高出力機動の継続は推奨されません》
操縦者は眼下の輸送車列へ視線を向けた。
積荷は未確認。
目標物資も未破壊。
任務は、まだ終わっていない。
白と赤のISは主兵装を失った。
今なら、無理に突破することもできるかもしれない。
しかし、その先には四台の輸送車両がある。
それぞれの封印を破り、中身を確認するには時間が必要だ。
そして、目の前の敵はまだ飛べる。
この場を離れずに防衛を続けるつもりなら、再び交戦することになる。
さらに、敵に別の増援が存在しない保証もない。
《警告。右上肢への負荷が増大》
鋭い痛みが走った。
操縦者は奥歯を噛み締める。
「……ここまでか」
それは、敵機に対する言葉ではなかった。
自分自身への、苦い判断だった。
灰色のISが推進器の向きを変える。
次の瞬間。
機体は急上昇し、厚い雨雲の中へと姿を消した。
◇
女性操縦者は、灰色のISが雲の向こうへ消えていくのを見つめていた。
《目標、探知範囲外へ離脱》
追撃することは不可能ではない。
だが、損傷した機体で追いかければ、輸送車列の護衛が手薄になる。
加えて、敵の正確な位置も分からない。
無理な追跡は、返り討ちに遭う危険があった。
「……逃がしたか」
女性は短く呟いた。
悔しさはある。
だが、今は感情を優先する場面ではなかった。
輸送車列は、依然として停止している。
そして、敵が再び現れないとも限らない。
彼女は機体を反転させ、眼下の車列へと降下した。
任務は、まだ続いている。
◇
灰色のISは雨雲の中を飛行していた。
機体の外側を激しい雨が叩く。
《警告。神経接続負荷、許容域を超過》
視界に赤い表示が浮かび上がる。
《右上肢への負荷が増大》
指先が、小さく震えた。
頭の奥を、焼けた針で刺されるような痛みが走る。
《これ以上の高出力機動は危険です》
「……分かってる」
《直ちに出力を制限してください》
操縦者は奥歯を噛み締めた。
白と赤のISに損傷を与えることはできた。
しかし、想定以上の負荷が身体に残っていた。
そして、何より。
目標物資を破壊できなかった。
四台の輸送車両。
そのどれかに積まれているはずのもの。
結局、確認することすらできなかった。
仮に、あのまま交戦を続けて敵機を完全に無力化できたとしても、その時点で身体が動かなくなっていれば意味がない。
ましてや敵に増援が存在する可能性も否定できなかった。
これ以上の継続は、作戦を成功させる見込みより、機体を失う危険の方が大きい。
そう判断した。
だが、合理的な判断が、納得できる結果をもたらすとは限らない。
「……失敗か」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
護衛車両を無力化した。
迎撃に現れたISにも優位に立った。
それでも、肝心の積荷には手を出せなかった。
道路は、いずれ復旧する。
損傷した兵装も交換できる。
そして、あの実験装置が目的地に到達すれば、取り返しのつかない事態が起こるかもしれない。
「……くそっ」
震える右手を握り締める。
鈍い痛みが走った。
《右上肢への負荷を検知》
「……分かってる」
今度は、それ以上何も言わなかった。
◇
午前三時四十一分。
臨時指揮所では、ベルナー少佐が上官への報告を続けていた。
大型モニターには、観測装置が捉えた正体不明機の映像が表示されている。
『つまり、正体不明のISが車列を停止させ、迎撃に現れた別のISを無力化した、と?』
「はい」
『操縦者は?』
「不明です」
『所属国家は?』
「不明です」
『機体の型式は?』
「照合できていません」
『コアについては?』
「機体を確保できていないため、識別情報は確認できていません」
長い沈黙が流れた。
『……少佐』
「はい」
『君は、我々をからかっているのか?』
「いいえ、閣下」
ベルナーは目の前の映像を見つめた。
雨。
暗雲。
青白い閃光。
そして、その中心に浮かぶ灰色の人影。
「こちらも信じられません。しかし、映像記録は存在します」
『その記録を直ちに送れ』
「既に暗号化して送信しています」
『分かった。以後、この件について独自の調査は行うな』
「……了解しました」
『記録の複製は禁止。関係者全員に守秘命令を発令する』
「閣下。一つだけ確認してもよろしいでしょうか」
『何だ』
「今回の件を、条約違反の疑いとして国際IS委員会へ報告する予定は?」
通信の向こうで、しばし沈黙が続いた。
『……少佐』
「はい」
『君は何も見なかった』
それだけだった。
直後、通信が切断された。
ベルナーはしばらく暗転した画面を見つめていた。
「……なるほどな」
報告されない事件。
存在しない機体。
誰も知らない戦闘。
この事件には、自分たちが踏み込むことを許されない事情が存在する。
国際IS委員会が監視する、限られた数のIS。
その管理体制の外側で行動するかのような正体不明機。
だが、コアの登録状況について判断する材料はなかった。
既存のコアを搭載した改造機という可能性もある。
何より、灰色のISを迎撃した白と赤のISも、所属を明らかにしていなかった。
所属を示す標識のない、二機のIS。
灰色の機体は、車列を襲撃した後、雨雲の向こうへ消えた。
白と赤の機体は、損傷しながらも車列の上空に留まっている。
どちらも、その正体を明らかにする情報は得られていなかった。
「……いったい、何を運んでいたんだ」
車列の積荷。
迎撃機の所属。
そして、灰色のISの目的。
分からないことばかりだった。
その傍らで、若い通信士が恐る恐る口を開いた。
「少佐」
「何だ」
「あの灰色の機体……本当にISなんでしょうか」
「少なくとも、通常の航空機ではない」
「でも、あんな動き……」
青年は言葉を探した。
「まるで、こちらの考えていることが全部分かっているみたいでした」
ベルナーは答えなかった。
もう一度、映像を再生する。
雨の向こうで、灰色の機体がわずかに振り返る。
その青い光が、画面越しに自分を見つめているような錯覚を覚えた。
「……亡霊だな」
「え?」
「いや、何でもない」
少佐は映像を停止した。
そして、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「……蒼穹の亡霊、か」
その呼び名は後に、機密報告書の片隅へ記されることになる。
所属不明。
製造国不明。
操縦者不明。
コア識別情報、未確認。
仮称――
『蒼穹の亡霊』。
◇
薄暗い部屋の中で、一人の人物が椅子に腰掛けていた。
床には、脱ぎ捨てられた黒い上着。
机の上には医療用品が並んでいる。
震える右手。
指先から肘にかけて、感覚が鈍くなっていた。
それでも、本人は慣れた様子で手当てを続けていた。
《神経負荷の残留を確認》
机の上に置かれた小型端末から、合成音声が流れる。
《今回の高出力機動により、規定値を超える負荷が発生しました》
「……分かってる」
《同様の運用を継続した場合、不可逆的な神経障害が発生する可能性があります》
「それも分かってる」
《今回の任務結果を記録します》
人物は答えなかった。
《目標物資の所在確認、未達成》
《目標物資の破壊、未達成》
《任務結果――失敗》
無機質な音声が、部屋の静寂に響いた。
「……ああ」
人物は震える右手を見つめた。
「分かってるさ」
あの場で四台の輸送車両をまとめて破壊していれば、標的を消せた可能性はある。
しかし、その中に人間がいたとしたら。
自分の目的を達成するために、何も知らない人間まで犠牲にしていたとしたら。
それだけは、選べなかった。
そして、慎重に行動した結果、任務に失敗した。
その事実を、誰のせいにもするつもりはなかった。
人物は包帯を巻き終えると、机の片隅へ視線を向けた。
そこには、一枚の写真が伏せて置かれていた。
手を伸ばす。
しかし、触れる直前で指が止まった。
「……もう少しだ」
誰に向けた言葉なのか。
何を終わらせようとしているのか。
答える者はいなかった。
そのとき。
小型端末が短い電子音を発した。
《暗号化通信を受信》
差出人は表示されない。
件名もない。
本文は、わずか一行。
――次の行き先が決まった。日本だ。
人物は、しばらく画面を見つめていた。
「……日本、か」
そこには、かつて一度だけ訪れたことのある場所があった。
そして、二度と会うことはないと思っていた人物も。
《指示に従いますか》
端末が問いかける。
人物はすぐには答えなかった。
やがて、静かに目を閉じる。
「……ああ」
短い返答。
「行こう」
世界はまだ知らない。
その存在が、やがて一人の少年と出会うことを。
世界で唯一、男性でISを動かすことができるとされる少年。
織斑一夏。
そして、その少年が入学するIS学園。
そこに一人の亡霊が足を踏み入れたとき、止まっていた歯車が再び動き始める。
これは、空に居場所を失った一人の亡霊が、自らの未来を選び取る物語。
その始まりは、誰にも知られることのない、雨の夜の出来事だった。