IS〈インフィニット・ストラトス〉蒼穹の亡霊   作:右左右左右

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第15話 2人目の男子生徒

 午前七時四十三分。

 

 雨宮朔は、鏡の前で制服の襟を整えていた。

 

 白を基調とした生地に、黒と赤の装飾が入ったIS学園の制服。

 

 昨日、寮へ案内された際に渡されたものだ。

 

 採寸は事前に済まされていたらしく、サイズに問題はない。

 

 ただ、着慣れていないせいか、どうにも落ち着かなかった。

 

「……こんな感じでいいのか?」

 

《制服の着用状態に、目立った問題は確認できません》

 

「ならいいけど」

 

 朔は鏡から目を離した。

 

 右腕の包帯は、まだ外せない。

 

 袖の下に隠れている部分もあるが、手首から先には白い包帯が見えている。

 

 昨日から、痺れに大きな変化はなかった。

 

《本日の予定を確認しますか?》

 

「頼む」

 

《午前八時三十分より、一年一組のホームルーム。以降は通常授業に参加します。ただし、実技については見学となっています》

 

「……いきなり普通の授業か」

 

《学園側から、授業内容について特別な変更の通知はありません》

 

「まあ、学校だしな」

 

 鞄を手に取る。

 

 中身は、昨日渡された教材と筆記用具。

 

 それだけだった。

 

 機体の整備道具も、予備の装備も必要ない。

 

 今日一日、自分がするべきことは授業を受けること。

 

 その事実が、朔には少し不思議だった。

 

     ◇

 

 寮を出たところで、声をかけられた。

 

「おーい、雨宮!」

 

 振り向くと、織斑一夏が手を振っていた。

 

 昨日、学園の校舎前で顔を合わせた少年だ。

 

「おはよう」

 

「ああ。おはよう」

 

 一夏は朔の制服を見て、笑った。

 

「お、似合ってるじゃん」

 

「……そうか?」

 

「うん。やっぱり男がもう一人いると、ちょっと変な感じだな」

 

「俺も同じこと思ってた」

 

「だよな」

 

 二人は並んで歩き始めた。

 

 学園へ向かう通路には、既に多くの生徒がいる。

 

 白い制服を着た女子生徒たち。

 

 その中に混じって歩く、二人の男子生徒。

 

 目立たないはずがなかった。

 

「……ねえ、あれ」

 

「織斑君と一緒にいる子?」

 

「昨日見かけた男の子じゃない?」

 

 声を潜めているつもりなのだろう。

 

 だが、近くを通れば聞こえてくる。

 

 朔は前を向いたまま歩き続けた。

 

 一夏が横目で見てくる。

 

「気になるか?」

 

「……まあ、少し」

 

「そのうち慣れるって」

 

「経験者の言葉は重いな」

 

「いや、実際大変なんだけどさ」

 

 一夏は苦笑した。

 

「最初なんて、教室に入っただけで大騒ぎだったからな」

 

「……想像できる」

 

「だろ?」

 

 一夏は軽く笑った。

 

 その自然な態度に、朔は少しだけ肩の力を抜いた。

 

「そういえば、腕はどうだ?」

 

「昨日と変わらない。まだ少し痺れるけど」

 

「そっか。無理すんなよ」

 

「ああ」

 

 一夏は頷き、校舎を指さした。

 

「一年一組はこっち。最初は迷うと思うから、しばらく案内するよ」

 

「助かる」

 

「任せとけ」

 

 朔は、その言葉に小さく笑った。

 

 誰かに学校の道案内をしてもらう。

 

 そんな当たり前のことが、妙に久しぶりだった。

 

     ◇

 

 午前八時二十七分。

 

 一年一組の教室は、いつもより落ち着かない空気に包まれていた。

 

「ねえ、聞いた?」

 

「何を?」

 

「新しい転入生が来るって」

 

「それなら知ってるけど……」

 

「男の子らしいよ」

 

「えっ!?」

 

 教室のあちこちで、似たような会話が交わされている。

 

 まだ正式な説明は行われていない。

 

 しかし、昨日から学園内で男子生徒らしい人物が目撃されていた。

 

 噂が広がるのは時間の問題だった。

 

「……一夏」

 

 篠ノ之箒が、隣にいる少年を見た。

 

「お前、何か知っているのか?」

 

「え?」

 

「昨日、見知らぬ男子生徒と一緒にいたという話を聞いた」

 

「ああ、雨宮のことか」

 

 箒の眉が動いた。

 

「……知り合いなのか?」

 

「昨日初めて会ったんだよ。今日から同じクラスになるらしい」

 

「それなら、なぜ私に話さなかった!」

 

「いや、正式に発表するまでは黙っててくれって言われてたからさ」

 

「……そういうことか」

 

 箒は腕を組んだ。

 

 納得したような、していないような顔だった。

 

 その隣では、セシリア・オルコットが興味深そうに話を聞いている。

 

「それにしても、男子生徒がもう一人とは驚きですわね」

 

「そうだな」

 

「一夏さんと同じように、ISを動かせる方なのでしょうか?」

 

「そこは先生から説明があると思う」

 

 一夏は曖昧に答えた。

 

 そこへ、シャルロット・デュノアが話に加わる。

 

「でも、一夏以外にも男の子がいるって、ちょっと不思議だね」

 

「シャルも最初は男子として編入してきたじゃないか」

 

「それはそうだけど」

 

 シャルロットは苦笑した。

 

「今度は本当に男の子なんでしょ?」

 

「……まあな」

 

 窓際に座っていたラウラ・ボーデヴィッヒは、会話には加わらず、教室の入口へ目を向けていた。

 

 転入生。

 

 男性。

 

 IS学園。

 

 その三つが揃って、何の事情もないとは考えにくい。

 

「……興味深いな」

 

 ラウラは小さく呟いた。

 

 そのとき、始業を告げるチャイムが鳴った。

 

     ◇

 

 教室の扉が開く。

 

 織斑千冬が入ってきた。

 

 その後ろには、副担任の山田真耶。

 

 そして、見慣れない制服姿の少年が一人。

 

 教室が静まり返った。

 

「全員、席に着け」

 

 千冬の声が響く。

 

 生徒たちは慌てて姿勢を正した。

 

「既に噂になっているようだが、今日から一組に新しい生徒が加わる」

 

 千冬は隣へ視線を向けた。

 

「雨宮。前へ」

 

「はい」

 

 朔は教壇の横に立った。

 

 教室中の視線が集まっている。

 

 その数の多さに、思わず苦笑しそうになった。

 

 戦場で敵の照準に捉えられるのとは違う。

 

 だが、居心地の悪さという点では、どこか似ていた。

 

 千冬が言った。

 

「自己紹介をしろ」

 

 朔は一度、教室を見渡した。

 

「雨宮朔です」

 

 短く名乗る。

 

「事情があって、今日からこちらでお世話になることになりました。しばらくは授業についていくのが大変かもしれませんが、よろしくお願いします」

 

 軽く頭を下げた。

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

「……本当に男の子?」

 

「織斑君以外にもいたんだ……」

 

「結構かっこよくない?」

 

 教室が一気に騒がしくなった。

 

「静かにしろ!」

 

 千冬の一喝で、再び静寂が戻る。

 

「質問はあるだろうが、その前に説明しておく」

 

 千冬は教室を見渡した。

 

「雨宮は、学園側の検証によってISの起動能力が確認されている」

 

 今度こそ、教室に大きなどよめきが起きた。

 

「ええっ!?」

 

「じゃあ、織斑君と同じ!?」

 

「二人目の男性操縦者ってこと!?」

 

 千冬は表情を変えない。

 

「そういうことだ。ただし、現在は身体の負傷により、実技訓練への参加を制限している」

 

 朔は右腕へ視線を落とした。

 

 包帯を巻いている理由まで、説明されるわけではない。

 

「機体や経歴について、現時点で開示できない情報もある。本人を質問攻めにするな。無断撮影や外部への情報発信も禁止する」

 

 生徒たちは顔を見合わせた。

 

 異例の転入生。

 

 それも、世界で二人目の男性IS操縦者。

 

 気にならないはずがない。

 

 しかし、千冬の前で騒ぎ続ける勇気のある者は少なかった。

 

「雨宮。席は織斑の近くだ。山田先生、案内を」

 

「は、はいっ!」

 

 真耶が少し慌てながら前へ出た。

 

「雨宮君、こちらです。教科書のことで分からないことがあったら、いつでも聞いてくださいね」

 

「ありがとうございます」

 

 朔は案内された席へ向かった。

 

 途中、女子生徒たちの視線が追いかけてくる。

 

 その中に、一夏の姿があった。

 

 一夏は軽く手を上げた。

 

 朔も小さく頷いた。

 

 着席すると、千冬が教卓を叩いた。

 

「では、授業を始める。転入生が来たからといって、授業の内容は変わらんぞ」

 

 教室から、控えめな笑いが漏れた。

 

     ◇

 

 一時間目が終わると同時に、朔の周囲へ女子生徒たちが集まった。

 

「雨宮君って、どこから来たの?」

 

「前はどこの学校だったの?」

 

「ISを動かせるって本当?」

 

「専用機は持ってる?」

 

 質問が重なる。

 

 朔は少し困った顔になった。

 

「……一度に聞かれても、答えられないんだけど」

 

「あ、ごめん!」

 

「でも、気になるじゃん!」

 

 一夏が隣から笑った。

 

「ほらな。言っただろ?」

 

「……想像以上だった」

 

「俺も最初はこんな感じだったよ」

 

 女子生徒の一人が一夏を見た。

 

「織斑君、雨宮君とはもう仲良しなの?」

 

「昨日会ったばっかりだけどな」

 

「じゃあ、私たちにも紹介してよ!」

 

「いや、今紹介してるだろ?」

 

「そうじゃなくて!」

 

 一夏は首を傾げた。

 

 朔は、そのやり取りを見て小さく笑った。

 

 そこへ、箒が歩いてきた。

 

「お前たち、少しは落ち着け。雨宮が困っているだろう」

 

「あ、篠ノ之さん」

 

「……別に邪魔するつもりじゃないけど」

 

 女子生徒たちは、少しずつ散っていった。

 

 箒は朔へ向き直った。

 

「篠ノ之箒だ。よろしく頼む」

 

「雨宮朔です。よろしく」

 

「一夏とは、もう話したのか?」

 

「ああ。昨日、少し」

 

「そうか」

 

 箒は一夏をちらりと見た。

 

「一夏は、考えなしに人の世話を焼くところがある。困ったことがあれば、私にも言え」

 

「おい、箒。それどういう意味だよ」

 

「言葉どおりだ」

 

 朔は二人を見比べた。

 

 会話の調子からして、昔からの知り合いなのだろう。

 

「……仲がいいんだな」

 

「なっ!?」

 

 箒の顔がわずかに赤くなった。

 

「そ、そういう話ではない!」

 

「え?」

 

 一夏は意味が分からないという顔をした。

 

 朔はそれ以上追及せず、机の上の教材へ視線を戻した。

 

     ◇

 

 二時間目。

 

 千冬は、ISの武装運用に関する資料を表示していた。

 

「拡張領域、いわゆるバススロットについては既に学んでいるな」

 

 教室の前方に、ISの装備構成図が映し出される。

 

「武装を収納し、必要な場面で呼び出すことができる。ただし、拡張領域には容量の制限がある。何でも無制限に持ち歩けるわけではない」

 

 朔は画面を見つめていた。

 

 実際に何度も使ってきた機能だ。

 

 しかし、こうして授業として聞くのは初めてだった。

 

「武装を呼び出せることと、戦闘中に素早く切り替えられることは別だ」

 

 千冬は画面を切り替えた。

 

「高速切替、ラピッド・スイッチ。単に武装を展開するだけではない。状況に合わせて、最小限の隙で装備を切り替える技術だ」

 

 シャルロットが顔を上げた。

 

 千冬の視線が、その方向へ向く。

 

「デュノア。この技術を使ううえで、重要なのは何だ?」

 

「切り替えの速さだけでなく、次に必要な武装を正確に選ぶことです」

 

「そうだ」

 

 千冬は頷いた。

 

「速く切り替えても、状況に合っていなければ意味がない」

 

 朔は静かに聞いていた。

 

 頭の中には、過去の戦闘が浮かんでいた。

 

 射撃武装を使い続けられなくなった瞬間。

 

 相手との距離。

 

 遮蔽物。

 

 退路。

 

 何を呼び出すか。

 

 その判断が遅れれば、次の行動を選ぶ余裕すら失う。

 

「雨宮」

 

 突然、名前を呼ばれた。

 

「はい」

 

「お前にも操縦経験があるそうだな。では、武装切替を行う際に注意すべきことを一つ挙げてみろ」

 

 朔は少し考えた。

 

「……切り替えた後に、何ができるかだと思います」

 

「続けろ」

 

「武装を変えても、状況が変わらなければ意味がありません。切り替える時間を作れるか、そのあとにどう動くかまで考える必要があると思います」

 

 教室が静かになった。

 

 千冬は朔を見た。

 

「……経験に基づいた答えか?」

 

「はい」

 

 それ以上の説明はしなかった。

 

 千冬も追及しなかった。

 

「よし。座れ」

 

 朔は腰を下ろした。

 

 隣から、一夏が小さく声をかけてくる。

 

「……すげえな」

 

「何が?」

 

「俺だったら、そんなすぐに答えられないぞ」

 

「……慣れてるだけだよ」

 

 朔は短く答えた。

 

 褒められるようなことではない。

 

 あの状況で判断できなければ、困るのは自分だけではなかったのだから。

 

     ◇

 

 昼休み。

 

「雨宮、飯どうする?」

 

 一夏が声をかけた。

 

「食堂に行こうと思ってるけど」

 

「じゃあ、一緒に行こうぜ」

 

「いいのか?」

 

「もちろん」

 

 朔が立ち上がると、セシリアが近づいてきた。

 

「一夏さん、わたくしたちもご一緒してよろしいですわよね?」

 

「別にいいけど」

 

「では、参りましょう」

 

 そこへシャルロットも加わる。

 

「朔も、もう少しみんなと話したいだろうしね」

 

「……そうだな」

 

 朔は頷いた。

 

 名前で呼ばれたことに、少しだけ驚いた。

 

 だが、悪い気はしなかった。

 

「そういえば、雨宮君」

 

 シャルロットが微笑んだ。

 

「朔って呼んでもいい?」

 

「ああ。構わないよ」

 

「じゃあ、僕のこともシャルって呼んでね」

 

「分かった。シャル」

 

 そのやり取りを見て、セシリアが口を開く。

 

「では、わたくしも朔さんとお呼びしてよろしいかしら?」

 

「……好きに呼んでくれていいよ」

 

「ふふ。ありがとうございます」

 

 箒は何か言いたそうにしていたが、結局口を挟まなかった。

 

 ラウラは一歩離れたところから朔を見ている。

 

 その視線に気づき、朔が顔を向けた。

 

「……何か?」

 

「お前、本当に実戦経験があるのか?」

 

 唐突な質問だった。

 

 一夏が慌てる。

 

「ラウラ!」

 

「気になっただけだ」

 

 ラウラは表情を変えなかった。

 

 朔は数秒考えた。

 

「……少なくとも、訓練だけじゃない」

 

「そうか」

 

 ラウラの目が細くなる。

 

「ならば、後で一度、腕を見てみたいものだな」

 

「今は無理だけど」

 

「分かっている。負傷者に無理をさせるつもりはない」

 

 ラウラはそれだけ言い、歩き出した。

 

 一夏が苦笑する。

 

「悪いな。ラウラ、ああいう奴なんだ」

 

「別に気にしてない」

 

 朔は答えた。

 

 むしろ、ラウラの反応は分かりやすかった。

 

 実際に戦う人間なら、相手の技量が気になることもある。

 

 少なくとも、興味の向け方に嘘がない。

 

     ◇

 

 食堂は、既に多くの生徒で賑わっていた。

 

 朔は周囲を見渡し、少しだけ目を丸くした。

 

「……広いな」

 

「全校生徒が使うからな」

 

 一夏が答える。

 

「料理も結構うまいぞ」

 

「それは楽しみだ」

 

 各自が食事を受け取り、空いている席へ向かう。

 

 朔が席に着こうとしたとき、背後から声がした。

 

「一夏!」

 

 振り向くと、髪を左右にまとめた少女が近づいてきた。

 

「鈴?」

 

 一夏が名前を呼ぶ。

 

 少女は一夏の隣にいる朔を見て、足を止めた。

 

「……あんたが噂の転入生?」

 

「え?」

 

「男の子がもう一人来たって聞いたんだけど」

 

「……俺のことかな」

 

 少女は朔をじっと見た。

 

「ふうん」

 

 一夏が慌てて口を開く。

 

「鈴、紹介するよ。こいつが雨宮朔。雨宮、こっちは鳳鈴音。二組の代表候補生だ」

 

「雨宮朔です。よろしく」

 

「鳳鈴音よ。鈴でいいわ」

 

 鈴はそう名乗ると、一夏へ向き直った。

 

「それで? どうして教えてくれなかったの?」

 

「いや、昨日までは内緒にしろって言われててさ」

 

「ふうん……」

 

 鈴は一夏を睨んだ。

 

「まあ、今回は仕方ないけど」

 

「今回は?」

 

「何でもない!」

 

 朔は黙って食事に手をつけた。

 

 どうやら、一夏の周囲には個性的な人物が多いらしい。

 

 それだけは、初日で十分に理解できた。

 

     ◇

 

 午後の授業が終わる頃には、朔は少し疲れていた。

 

 授業内容そのものは、難しすぎるというほどではない。

 

 むしろ、知っていることも多かった。

 

 ただ、長時間机に向かい、周囲の生徒たちと一緒に授業を受けるという環境に、まだ慣れていなかった。

 

 千冬が教卓から告げる。

 

「雨宮。実技については、当面見学だ。勝手に機体を展開するなよ」

 

「はい」

 

「右腕の状態に変化があれば、すぐに報告しろ」

 

「分かりました」

 

「よし。今日はここまでだ」

 

 終業の挨拶が終わる。

 

 教室の空気が緩んだ。

 

 一夏が朔の席へ近づいてきた。

 

「どうだった? 初日」

 

「……思ったより疲れた」

 

「だろうな」

 

 一夏は笑った。

 

「でも、みんな悪い奴じゃないだろ?」

 

「ああ。それは分かった」

 

 朔は素直に答えた。

 

 興味本位の質問は多かった。

 

 だが、それ以上のものはない。

 

 敵意を隠して近づいてくる人間も、こちらを試すように武器を向けてくる人間もいない。

 

 少なくとも、今日の教室では。

 

「……一夏」

 

「ん?」

 

「一つ聞いていいか?」

 

「何だ?」

 

「お前、最初からあんな感じだったのか?」

 

「あんな感じって?」

 

「……誰にでも普通に話しかけるところ」

 

 一夏は少し考えた。

 

「別に、意識したことないな」

 

「そうか」

 

「何で?」

 

「いや……」

 

 朔は言葉を探した。

 

 自分のことをほとんど知らない相手に、当たり前のように声をかける。

 

 昨日初めて会ったばかりなのに、今日も一緒に登校し、昼食に誘う。

 

 その行動に、何か裏があるようには見えなかった。

 

「……変わってるなと思って」

 

「えっ、俺が?」

 

「うん」

 

「ひどくないか?」

 

 一夏が困ったように笑う。

 

 朔も、つられて笑った。

 

 ほんの短い時間だった。

 

 だが、誰かとこんなふうに笑ったのは、久しぶりのことだった。

 

     ◇

 

 帰り道。

 

 一夏と別れた朔は、寮へ向かう通路を歩いていた。

 

 夕方の校舎。

 

 遠くから聞こえる生徒たちの声。

 

 訓練施設の方では、まだISの稼働音が響いている。

 

 朔は足を止めた。

 

 空を見上げる。

 

 そこには、訓練を行っている数機のISが見えた。

 

 色とりどりの装甲。

 

 背部に展開された推進装置。

 

 武装を呼び出し、互いの位置を確かめながら飛行する機体。

 

 どの操縦者も、訓練に集中している。

 

 朔はその光景をしばらく眺めていた。

 

《実技訓練への参加を希望しますか?》

 

「……まだ無理だろ」

 

《医師の指示では、強い負荷を伴う操作を控える必要があります》

 

「分かってるよ」

 

 右手を軽く握る。

 

 指先の痺れは、まだ消えていない。

 

 今は無理をする必要がない。

 

 そう頭では分かっていた。

 

 それでも、空を飛ぶISを見ていると、身体がわずかに反応する。

 

 相手の位置。

 

 推進器の向き。

 

 武装の射程。

 

 どこへ動くのか。

 

 次に何をするのか。

 

 自然と考えてしまう。

 

「……癖って、抜けないもんだな」

 

《どの習慣を指していますか?》

 

「いろいろだよ」

 

 朔は歩き出した。

 

 そのとき、遠くで訓練終了を知らせる音が鳴った。

 

 空を飛んでいた機体が、次々と高度を下げていく。

 

 その光景を見て、朔はふと思った。

 

 ここでは、戦闘が終われば日常に戻れる。

 

 教室へ戻り、友人と話し、食事をして、明日の授業を気にする。

 

 紛争地帯では、そうはいかなかった。

 

 銃声が止んだからといって、安全になるわけではない。

 

 昨日まで使えた道路が、今日も通れるとは限らない。

 

 誰かの帰りを待っている人間が、必ずその人に会えるとも限らなかった。

 

 朔は、もう一度だけ空を見上げた。

 

 訓練機の姿は、既に見えなくなっている。

 

「……平和だな」

 

 小さな呟きだった。

 

     ◇

 

 その日の夕方。

 

 IS学園の職員室で、千冬は新しい報告書を確認していた。

 

 雨宮朔。

 

 編入初日の授業参加状況。

 

 出席に問題なし。

 

 授業への理解度、良好。

 

 生徒間の大きな問題、なし。

 

「……ひとまず、問題はなさそうですね」

 

 隣から、真耶が声をかけた。

 

「ええ。私も少し心配していたんですけど、みんなとも話せていたみたいですし」

 

「そうか」

 

 千冬は書類を閉じた。

 

「ただ、油断はできん」

 

「……機体のことですか?」

 

「それもある」

 

 千冬は窓の外へ目を向けた。

 

「雨宮は、実際の戦闘を知っている」

 

「……はい」

 

「今日の授業でも、それが分かる答え方をしていた」

 

 真耶は少し考えた。

 

「確かに、経験があるような話し方でしたね」

 

「知識だけなら、訓練を受ければ身につく。だが、判断の順序には経験が出る」

 

 千冬は静かに続けた。

 

「あの年齢で、何を経験してきたのか」

 

 そこまで言って、口を閉じた。

 

 まだ、確かなことは分からない。

 

 提出された経歴には空白が多い。

 

 機体の出所も不明。

 

 過去の試験記録についても、説明が必要な点が残されている。

 

「……しばらくは様子を見る」

 

「分かりました」

 

「授業には普通に参加させろ。ただし、実技の制限は厳守だ」

 

「はい」

 

 千冬は次の書類を開いた。

 

 学園に男子生徒がもう一人増えた。

 

 それだけなら、まだよかったのかもしれない。

 

 だが、あの少年は普通の転入生ではない。

 

 そのことを、千冬は忘れていなかった。

 

     ◇

 

 夜。

 

 朔は寮の自室で、机に向かっていた。

 

 今日の授業で配られた教材。

 

 明日の時間割。

 

 提出する必要のある書類。

 

 それらを一つずつ確認していく。

 

《本日の学園生活について、記録を整理しますか?》

 

「……そんなものまで記録するのか?」

 

《必要であれば》

 

「別に、そこまでしなくていいよ」

 

《了解しました》

 

 朔は椅子の背にもたれた。

 

 今日一日。

 

 何か特別なことが起きたわけではない。

 

 教室で自己紹介をした。

 

 授業を受けた。

 

 昼食を食べた。

 

 同級生と話した。

 

 それだけだった。

 

 だが、朔には、その一つ一つが妙に新鮮だった。

 

「……学校って、こんな感じだったな」

 

《以前の学校生活について、参照可能な記録があります》

 

「今はいい」

 

《了解しました》

 

 朔は窓の外を見た。

 

 校舎の明かりが、遠くに見える。

 

 昼間はあれほど騒がしかった学園も、夜になれば静かだった。

 

 明日も、同じような一日が続くのだろうか。

 

 そんなことを考えた。

 

 そのとき、端末に新しい通知が届いた。

 

 IS学園の管理部門からだった。

 

 ――雨宮朔君。

 

 ――編入初日の生活状況について、確認しました。

 

 ――右腕の経過観察については、引き続き担当医の指示に従ってください。

 

 ――ISの使用制限は、現在の状態を維持します。

 

 朔は文章を読み終えた。

 

「……分かってるって」

 

《返信は必要ありません》

 

「なら、いいや」

 

 端末を机へ置く。

 

 そして、ふと思い出した。

 

 今日、一夏が言っていたこと。

 

 ――みんな悪い奴じゃないだろ?

 

 朔は少しだけ笑った。

 

「……そうだな」

 

 誰に聞かせるでもなく答える。

 

 まだ、すべてを信用しているわけではない。

 

 この学園にも、知らないことは多い。

 

 自分の過去が、ここでの生活にどんな影響を与えるのかも分からない。

 

 それでも。

 

 少なくとも、今日一日は悪くなかった。

 

 雨宮朔は照明を落とした。

 

 紛争地帯での任務でも、秘密施設での試験でもない。

 

 IS学園の一年一組。

 

 そこに、彼の席が一つ用意されている。

 

 その事実が、今は少しだけ嬉しかった。

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