IS〈インフィニット・ストラトス〉蒼穹の亡霊   作:右左右左右

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第16話 平穏の境界

 午前七時五十二分。

 

 雨宮朔が寮の部屋を出ると、廊下の向こうから織斑一夏が歩いてきた。

 

「おはよう、朔」

 

「おはよう」

 

「昨日はちゃんと眠れたか?」

 

「ああ。思ったよりぐっすり」

 

「そりゃよかった。初日って、結構疲れるだろ?」

 

「……まあな」

 

 一夏は笑いながら隣に並んだ。

 

 白を基調とした学園の制服。

 

 二人とも同じものを着ている。

 

 昨日まで見慣れなかった服装も、並んで歩くと少しは自然に感じられた。

 

「そういえば、今日は実技があるんだっけ」

 

 朔が尋ねる。

 

「ああ。午前中はアリーナで訓練だな」

 

「俺は見学だけど」

 

「腕、まだ治ってないんだろ? 仕方ないって」

 

「分かってる」

 

 朔は右手を軽く動かした。

 

 指先の痺れは残っている。

 

 日常生活で困るほどではないが、機体を展開したときに症状が強くなったことも事実だった。

 

 医師からも、強い負荷を避けるよう言われている。

 

 無理をする理由はない。

 

「……見学って、何をすればいいんだ?」

 

「先生が課題を出すこともあるけど、基本はみんなの動きを見てればいいんじゃないか?」

 

「なるほど」

 

「まあ、退屈はしないと思うぞ」

 

 一夏は苦笑した。

 

「うちのクラス、訓練になると特に騒がしいからな」

 

「昨日見た限り、普段から十分騒がしかったけど」

 

「……否定できない」

 

 二人は顔を見合わせ、小さく笑った。

 

     ◇

 

 午前九時十五分。

 

 IS学園の第三アリーナには、訓練の準備を進める生徒たちの姿があった。

 

 見学する生徒は観覧席へ。

 

 実機を使用する生徒は、指定された準備区画へ向かう。

 

 朔も山田真耶の案内で、観覧席の一角へ移動した。

 

「雨宮君、今日はここで見学してくださいね」

 

「はい」

 

「腕の具合が悪くなったら、すぐに教えてください」

 

「分かりました」

 

 真耶は安心したように微笑んだ。

 

「それじゃあ、私は下へ行きますね」

 

 彼女が階段を下りていく。

 

 朔は空いている席に腰を下ろした。

 

 アリーナは広い。

 

 天井まで十分な高度があり、周囲には防護設備と観測機器が並んでいる。

 

 訓練区域と観覧席は明確に区切られていた。

 

 朔はその配置を一通り確認した。

 

 出入口。

 

 非常用の通路。

 

 観測設備の位置。

 

 そして、訓練空域の境界。

 

 ここへ来てまで、そんなものを気にする必要はないはずだった。

 

 それでも、最初に目が向いてしまう。

 

「……広いな」

 

《一般的な訓練施設と比較しても、大規模な設備です》

 

 端末から小さな音声が返る。

 

「まあ、ISを飛ばすんだから当然か」

 

 朔は画面を閉じた。

 

 ほどなくして、アリーナ中央に千冬が姿を現した。

 

「これから実機訓練を始める」

 

 拡声された声が、観覧席まで届く。

 

「本日の課題は、二対二での防衛線突破だ。単純に相手のシールドエネルギーを削るだけではなく、指定された目標への到達と、その阻止を評価する」

 

 モニターに訓練区域が表示された。

 

 中央に置かれた仮想目標。

 

 それを守る防衛側。

 

 そして、一定時間内に目標へ接近する突破側。

 

「訓練区域の外側には出るな。観覧席や退避通路へ攻撃を向けることも禁止だ。安全上の指示が出た場合は、直ちに演習を中断すること」

 

 千冬は生徒たちを見渡した。

 

「最初の組は、織斑とデュノアが突破側。オルコットとボーデヴィッヒが防衛側だ」

 

「はい!」

 

 一夏の声が響く。

 

 その横で、シャルロットも頷いた。

 

「了解です」

 

 セシリアは優雅に微笑んだ。

 

「一夏さんが相手でも、手加減はいたしませんわよ」

 

「分かってるって」

 

 ラウラは短く答えた。

 

「突破できると思うなよ、嫁」

 

「だから、その呼び方は……」

 

「織斑。無駄口を叩く余裕があるなら準備しろ」

 

「は、はい!」

 

 観覧席から笑いが漏れた。

 

 朔も小さく口元を緩めた。

 

 少なくとも、訓練が始まる前の空気は和やかだった。

 

     ◇

 

 四機のISが、訓練空域へ展開した。

 

 白式。

 

 ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ。

 

 ブルー・ティアーズ。

 

 シュヴァルツェア・レーゲン。

 

 それぞれ異なる特徴を持つ機体が、地面から離れた位置で静止する。

 

 白を基調とした近接戦闘向けの装備。

 

 多数の武装を扱える換装能力。

 

 遠距離射撃と独立兵装による攻撃。

 

 そして、重武装と特殊な機構を備えたドイツ製の機体。

 

 朔は、四機を順番に見た。

 

 機体の構造は違う。

 

 装甲の付き方も、推進器の配置も異なっている。

 

 だが、どれもISとしての基本的な構成を持っている。

 

 人間の身体を中心に、装甲や兵装、推進機構を展開しているのだ。

 

 自分の灰色の機体とも共通する部分は多かった。

 

「……なるほど」

 

 朔は小さく呟いた。

 

 開始の合図が鳴る。

 

 最初に動いたのはセシリアだった。

 

 ブルー・ティアーズが距離を取り、射撃位置を確保する。

 

 一夏はそれを見て、すぐに進路を変えた。

 

 正面から近づけば、遠距離攻撃を受け続けることになる。

 

 だが、回り込もうとした先にはラウラがいた。

 

「……うまいな」

 

 朔は思わず口にした。

 

 防衛側の二機は、互いの位置を利用して突破経路を限定している。

 

 一夏がどちらか一方を避けても、もう一方が対応できる配置だった。

 

 単純な攻撃力だけではない。

 

 位置取りそのものが、防衛の手段になっている。

 

 そのとき、シャルロットの機体が動いた。

 

 手にした射撃武装を収納。

 

 ほとんど間を置かず、別の武装を呼び出す。

 

 武器を持ち替えたシャルロットは、動きを止めることなく進路を変更した。

 

「……速い」

 

 朔の目が細くなる。

 

 高速切替。

 

 ラピッド・スイッチ。

 

 昨日の授業で説明された技術だった。

 

 しかし、実際に見ると印象が違う。

 

 武装が現れるまでの時間が短いだけではない。

 

 呼び出した瞬間には、既に次の行動へ移っている。

 

 切り替えのために生まれる隙が、ほとんどない。

 

 シャルロットが防衛側の注意を引きつける。

 

 その間に、一夏が別の角度から目標へ接近した。

 

 ラウラが追う。

 

 セシリアの射撃が進路を制限する。

 

 一夏はわずかに高度を変え、その射線を外れた。

 

 そして――。

 

『突破側、目標区域へ到達』

 

 判定音が響いた。

 

「そこまで!」

 

 千冬の声で、四機の動きが止まる。

 

 勝敗は突破側の成功。

 

 ただし、全員が無傷というわけではなく、シールドエネルギーにはそれぞれ消費が生じていた。

 

 もっとも、訓練で想定される範囲内だ。

 

 操縦者に怪我はない。

 

 四機はゆっくりと高度を下げた。

 

 観覧席から拍手が起きる。

 

 朔も、静かに手を叩いた。

 

     ◇

 

「雨宮」

 

 不意に名前を呼ばれた。

 

 朔が顔を上げると、千冬がこちらを見ていた。

 

「はい」

 

「今の訓練をどう見た?」

 

 周囲の生徒たちも、朔へ視線を向ける。

 

 転入したばかりの男子生徒。

 

 しかも、既に実戦経験があるらしい人物だ。

 

 どんな感想を口にするのか、気になるのだろう。

 

 朔は少し考えた。

 

「……防衛側の位置取りがよかったと思います」

 

「理由は?」

 

「二機が互いの進路を補っていました。片方を避けても、もう片方の対応範囲に入るので」

 

 千冬は頷いた。

 

「ほかには?」

 

「突破側は、シャルの武装切替で相手の注意を引きつけて、その間に一夏が進路を作っていました」

 

「そうだな」

 

 朔は画面に表示された訓練区域を見た。

 

 仮想目標。

 

 防衛線。

 

 訓練用に区切られた空域。

 

 どれも、明確に決められている。

 

「……ただ」

 

 思わず、言葉が続いた。

 

「何だ?」

 

「実際に人や車両を守る状況だったら、もう少し違う動きになると思います」

 

 観覧席が静かになった。

 

 千冬の眼差しが鋭くなる。

 

「説明してみろ」

 

 朔は画面を指さした。

 

「この訓練では目標が動きません。でも、護衛対象が移動している場合は、その退路も確保する必要があります」

 

「続けろ」

 

「敵を止めることに集中しすぎると、味方の進路まで塞ぐことがあるので。目標の位置だけじゃなく、次にどこへ移動するのかも考える必要があると思います」

 

 朔はそこで言葉を止めた。

 

 訓練の課題から外れた話だったかもしれない。

 

 しかし、千冬は叱らなかった。

 

「……着眼点は悪くない」

 

 短く答える。

 

「ただし、今回の目的は指定区域の突破と防衛だ。護衛対象の移動までは含んでいない。状況が違えば、求められる判断も変わる」

 

「はい」

 

「それを理解しているならいい」

 

 千冬は生徒たちへ向き直った。

 

「今の話も覚えておけ。作戦の目的を見失うな。相手を撃破することと、与えられた任務を達成することは同じではない」

 

 朔は席へ座った。

 

 隣にいた生徒が、小さく声をかけてくる。

 

「……雨宮君、そういう訓練も受けてたの?」

 

「少しだけ」

 

 朔は曖昧に答えた。

 

 嘘ではない。

 

 ただ、それ以上話すつもりはなかった。

 

 視線を訓練区域へ戻す。

 

 そこでは、一夏たちが千冬から講評を受けていた。

 

 誰も負傷していない。

 

 次の訓練について相談し、笑い合っている。

 

 それは、ごく普通の光景だった。

 

 だからこそ、朔には少し眩しく見えた。

 

     ◇

 

 昼休み。

 

「朔!」

 

 食堂へ向かおうとしたところで、一夏が追いついてきた。

 

「今日の訓練、どうだった?」

 

「面白かったよ」

 

「本当か?」

 

「ああ。特にシャルの武装切替」

 

 隣を歩いていたシャルロットが顔を上げる。

 

「僕の?」

 

「昨日、授業で聞いたばかりだったから。実際に見ると、思っていたよりずっと速いな」

 

「ありがとう」

 

 シャルロットは嬉しそうに笑った。

 

「でも、速く切り替えるだけじゃ駄目なんだよ。何を使うか決めるのが遅れたら、意味がないからね」

 

「……だろうな」

 

「朔は、武装の切り替えって得意?」

 

 朔は少し考えた。

 

「得意かどうかは分からない。でも、必要なら使う」

 

「ラピッド・スイッチも?」

 

「いや。あれほど速くはできないと思う」

 

「そうなんだ」

 

 シャルロットは意外そうな顔をした。

 

「かなり操縦経験があるって聞いてたから」

 

「経験があるからって、何でもできるわけじゃないよ」

 

 朔は肩をすくめた。

 

「俺は、武装を変える前に位置を変えることの方が多かったから」

 

「なるほどね」

 

 シャルロットは納得したように頷いた。

 

「それなら、使い方の考え方が違うのかも」

 

「たぶんな」

 

 一夏が二人の顔を見比べる。

 

「……何か、すごく真面目な話してるな」

 

「一夏も昨日の授業、受けてたでしょ?」

 

「受けてたけどさ」

 

 シャルロットが笑う。

 

「じゃあ、今度一夏にもラピッド・スイッチの練習をしてもらおうかな」

 

「えっ、俺も?」

 

「もちろん」

 

「いや、白式ってそんなに武装の種類ないだろ!?」

 

「だから、まずは基本からだよ」

 

「……何か嫌な予感がする」

 

 朔は二人のやり取りを見て笑った。

 

 昨日よりも、少しだけ自然に。

 

     ◇

 

 午後三時二十分。

 

 授業を終えた朔は、学園の管理棟へ向かっていた。

 

 ISの運用制限と機体の管理について、追加の説明があるという。

 

 案内されたのは、小さな会議室だった。

 

 扉を開けると、轡木十蔵が待っていた。

 

「やあ、雨宮君。授業は終わったかい?」

 

「はい」

 

「そうか。座っておくれ」

 

「失礼します」

 

 朔が席に着くと、十蔵は資料を差し出した。

 

「今日は機体のことを少し相談したくてね」

 

「……俺のISですか」

 

「ああ」

 

 資料には、先日の実機検証で取得された情報が整理されていた。

 

 待機状態での反応。

 

 機体展開時の計測結果。

 

 操縦者との接続。

 

 そして、現在も確認できていないコアの識別情報。

 

「技術担当者から、改めて調査の提案が来ているんだ」

 

「機体を調べるってことですか?」

 

「そうだね。ただし、勝手に分解したり、展開させたりするつもりはないよ」

 

 十蔵は穏やかに答えた。

 

「まず、待機状態のまま確認できる範囲を整理したい。君の同意が必要になる部分については、先に説明する」

 

「……分かりました」

 

「今すぐ結論を出さなくても構わないよ」

 

 朔は資料へ目を落とした。

 

 現状では、機体を自由に使うことはできない。

 

 それは理解している。

 

 だが、機体の詳しい情報を外部へ渡すことには、別の問題があった。

 

 匿名の指示者。

 

 あの男が、何度も情報の開示を禁じている。

 

 理由は説明されていない。

 

 だからといって、学園側に何も話さずに済ませることも難しい。

 

「……一つ、聞いてもいいですか」

 

「何だい?」

 

「俺の機体について、学園側はどこまで調べるつもりなんですか?」

 

 十蔵は少し考えた。

 

「まずは安全性だね。起動時に君の身体へどんな負荷がかかるのか。それから、機体を学園内で管理するうえで問題がないか」

 

「コアの出所は?」

 

「それも調査する必要がある。ただし、君が知らないことまで答えろとは言わないよ」

 

 朔は頷いた。

 

「……それなら、協力できる範囲は協力します」

 

「ありがとう」

 

 十蔵は資料を閉じかけた。

 

 そのとき、朔が口を開いた。

 

「……轡木さん」

 

「うん?」

 

「もう一つ、相談があります」

 

 十蔵は手を止めた。

 

「聞こうか」

 

 朔は数秒迷った。

 

 今まで、指示者との連絡について学園側へ詳しく話したことはない。

 

 そもそも、自分の周囲に誰が関わっているのかさえ、十分に説明できていない。

 

 だが、今は状況が違う。

 

 自分が正式に学園へ編入した以上、学園の管理下で起きたことについては、確認しておきたかった。

 

「先日の実機検証なんですけど」

 

「ああ」

 

「検証が終わった日の夜、俺の代理人から連絡が来たんです」

 

「……ほう」

 

「『検証結果を確認した』って」

 

 十蔵の表情が変わった。

 

 ほんのわずかだった。

 

 だが、先ほどまでの柔らかな雰囲気とは違っていた。

 

「その連絡は、何時頃に?」

 

 声が低くなる。

 

 朔は端末を取り出し、記録を確認した。

 

「この時刻です」

 

 画面を十蔵へ向ける。

 

 そこには、受信日時と短い文章が残っていた。

 

 ――検証結果を確認した。

 

 十蔵は内容を読み、しばらく黙っていた。

 

「雨宮君。この記録を保存しておいてくれるか」

 

「はい」

 

「できれば、学園側でも受信日時と内容を確認しておきたい。君が構わないなら、写しを預かりたいのだが」

 

「……それなら大丈夫です」

 

 朔は必要な部分だけを選び、記録を提出した。

 

 十蔵は受領を確認する。

 

「ありがとう」

 

 それから、静かに続けた。

 

「一つ確認しておく。君の代理人には、こちらから実機検証の結果を正式に知らせたという記録はない」

 

「……そうなんですか?」

 

「ああ。少なくとも、私が把握している連絡の範囲ではな」

 

 朔は眉をひそめた。

 

「じゃあ、どうして知ってたんですか?」

 

「まだ分からん」

 

 十蔵は即答した。

 

「本人から聞いたのかもしれんし、別の関係者から伝わった可能性もある。外部施設を利用した以上、確認すべき相手は学園の職員だけではない」

 

「……なるほど」

 

「ただ、調べる必要はあるな」

 

 十蔵は手元の端末を操作した。

 

「検証記録を閲覧できた者と、外部施設での情報の扱いを確認する。君も、代理人から同じような連絡が来たら、消さずに残しておいてくれ」

 

「分かりました」

 

「一人で相手を問い詰める必要はない。まずは、こちらで事実を確認しよう」

 

 朔は少しだけ視線を落とした。

 

 あの男に問いただしたことは、何度もある。

 

 だが、まともな答えが返ってきたことは少ない。

 

「……ありがとうございます」

 

 十蔵は表情を和らげた。

 

「君が知らせてくれて助かったよ」

 

 朔は小さく頷いた。

 

 誰かに相談する。

 

 それだけのことだった。

 

 しかし、自分の知らないところで動いている人間について、初めて別の立場から調べてもらえることになった。

 

     ◇

 

 夕方。

 

 朔が管理棟を出ると、外では一夏が待っていた。

 

「お、終わったか」

 

「……一夏?」

 

「寮に戻ろうと思ったら、お前がこっちに来たって聞いてさ」

 

「待ってたのか?」

 

「まあな。途中まで一緒に帰ろうぜ」

 

 朔は少しだけ目を丸くした。

 

「……暇なのか?」

 

「ひどいな! 普通に心配しただけだって」

 

「冗談だよ」

 

 一夏は笑った。

 

 二人は並んで歩き始めた。

 

 夕方の学園。

 

 校舎から寮へ向かう生徒たち。

 

 訓練を終えた機体が、遠くのアリーナへ戻っていく。

 

 何も変わらない景色だった。

 

「そういえば、朔」

 

「何?」

 

「今日の訓練のあと、千冬姉がちょっと機嫌よさそうだったぞ」

 

「……そうなのか?」

 

「ああ。何か、お前の答えがよかったらしい」

 

「別に、普通のことを言っただけだけど」

 

「それが難しいんだって」

 

 一夏は肩をすくめた。

 

「俺なんて、しょっちゅう怒られてるからな」

 

「……想像はできる」

 

「お前、最近遠慮なくなってきたな」

 

「そうか?」

 

「そうだよ!」

 

 二人は笑った。

 

 しばらく歩いてから、一夏が口を開いた。

 

「なあ、朔」

 

「ん?」

 

「お前、前はどんなところにいたんだ?」

 

 朔の足が、わずかに遅くなった。

 

 一夏は慌てて続けた。

 

「あ、話したくないなら別にいいぞ。気になっただけだから」

 

「……そうだな」

 

 朔は少し考えた。

 

「日本とは、だいぶ違うところかな」

 

「海外?」

 

「ああ」

 

「どんな感じだった?」

 

 朔は遠くの空を見た。

 

 乾いた風。

 

 崩れた建物。

 

 路肩に放置された車両。

 

 検問所の脇で、行き先を待っていた人々。

 

 そして、夜になっても途切れなかった遠い銃声。

 

「……道が、よく変わるところだった」

 

「道?」

 

「昨日まで通れた場所が、今日には通れなくなるんだ」

 

 一夏は不思議そうな顔をした。

 

「工事とか?」

 

「……まあ、そんな感じ」

 

 朔は小さく笑った。

 

 全部を話すには、まだ早い。

 

 だが、何も話せないわけではない。

 

「それで、遠回りばっかりしてた」

 

「そりゃ大変だな」

 

「ああ」

 

 一夏は、それ以上尋ねなかった。

 

「じゃあ、ここでは迷わないようにしないとな」

 

「……え?」

 

「学園、結構広いだろ? 道案内なら任せとけって」

 

 朔は一夏の顔を見た。

 

 その言葉に、深い意味はないのだろう。

 

 ただ、困っている同級生がいたから、そう言っただけ。

 

 それが分かるからこそ、返事に少し困った。

 

「……頼りにしてるよ」

 

「おう!」

 

 一夏は笑った。

 

 朔も、つられて笑った。

 

     ◇

 

 同じ日の夜。

 

 IS学園の管理棟では、十蔵が追加の報告を受けていた。

 

 昼間、朔から預かった通信記録。

 

 それを受け、実機検証に使用した外部施設の記録について、保全と確認を依頼していた。

 

「閲覧履歴について、確認できた範囲を報告します」

 

 女性職員が資料を差し出す。

 

 十蔵は受け取った。

 

「検証結果の正式な報告書が作成される前に、施設内の端末から計測記録へアクセスした履歴があります」

 

「誰の端末だ?」

 

「施設の保守業務に使用されるものです。ただし、当時の使用者はまだ特定できていません」

 

 十蔵は資料へ目を落とした。

 

 記録された時刻。

 

 アクセス先。

 

 端末の管理区分。

 

 少なくとも、その端末が計測記録へ接続した形跡は残っている。

 

 しかし、記録を誰が閲覧したのか。

 

 どの情報が外部へ渡ったのか。

 

 そこまでは、まだ分からない。

 

「施設側の説明は?」

 

「通常の保守作業だった可能性があるとのことです。現在、作業記録との照合を依頼しています」

 

「分かった」

 

 十蔵は資料を閉じた。

 

「施設側には、関連する記録を消去しないよう改めて伝えろ。学園側の共有履歴も照合する」

 

「承知しました」

 

「それと、この件はまだ情報漏えいと断定するな。記録があることと、不正があったことは別だ」

 

「はい」

 

 職員が退出すると、十蔵は椅子の背にもたれた。

 

 雨宮朔。

 

 二人目の男性IS操縦者。

 

 その事実だけでも、各国が強い関心を持つだろう。

 

 だが、問題はそれだけではない。

 

 本人の経歴は不明な部分が多い。

 

 所持するISの来歴も分からない。

 

 そして、代理人を名乗る人物は、学園側の検証結果を早い段階で把握していた。

 

「……偶然では済まんかもしれんな」

 

 十蔵は静かに呟いた。

 

 ただし、疑うだけでは意味がない。

 

 必要なのは、確かな事実だ。

 

 机の上には、もう一枚の資料が置かれていた。

 

 灰色のIS。

 

 左右非対称の推進器。

 

 識別情報を取得できなかったコア。

 

 十蔵は、その写真を見つめた。

 

「さて……君は何を抱えて、この学園へ来たんだろうね」

 

 今度の声は、少しだけ柔らかかった。

 

     ◇

 

 寮の自室。

 

 朔は机に向かい、明日の教材を確認していた。

 

 右腕の痺れは、今日も大きく変わっていない。

 

 授業と見学だけなら、身体への負担は少ない。

 

 ただ、訓練を見ていると、どうしても機体を動かしたくなる。

 

 自分が使ってきた灰色のIS。

 

 装甲の感触。

 

 推進器が作動する瞬間の反応。

 

 武装を呼び出す際の、短い意識の切り替え。

 

 そうしたものが、身体に染みついていた。

 

《明日の予定を確認しますか?》

 

「頼む」

 

 端末に時間割が表示される。

 

 普通の授業。

 

 放課後の補習案内。

 

 そして、右腕の経過観察。

 

「……本当に学生になったんだな」

 

《現在の所属は、IS学園一年一組です》

 

「分かってる」

 

 朔は笑った。

 

 窓の外からは、遠くの寮で誰かが笑う声が聞こえる。

 

 夕食の話だろうか。

 

 明日の授業の話だろうか。

 

 少なくとも、銃声ではない。

 

 朔は一度、目を閉じた。

 

 あの場所でも、同じくらいの年齢の子供たちがいた。

 

 学校へ行けなくなった者。

 

 家を失った者。

 

 いつ終わるか分からない戦闘の中で、明日の予定を立てられなかった者。

 

 自分は、そこから離れてきた。

 

 そして今、こうして時間割を眺めている。

 

「……変な感じだな」

 

《何がでしょうか?》

 

「明日の予定が、ちゃんと決まってること」

 

 短い沈黙。

 

《予定の変更は、現時点で確認されていません》

 

「……そういう意味じゃないんだけど」

 

 朔は苦笑した。

 

 机の上の端末を閉じる。

 

 今日、十蔵に相談したこと。

 

 代理人が検証結果を知っていた理由。

 

 その答えが出るまでには、まだ時間がかかるだろう。

 

 だが、今回は違った。

 

 何も分からないまま、一人で考え続ける必要はない。

 

 それだけでも、少し気が楽だった。

 

 朔は照明を落とした。

 

 IS学園に来て、二日目。

 

 まだ、すべてに慣れたわけではない。

 

 秘密も、疑問も、解決していない。

 

 それでも。

 

 明日も教室へ行く。

 

 一夏たちと顔を合わせる。

 

 授業を受け、昼食を食べ、また寮へ戻る。

 

 そんな一日を、もう一度過ごしてみたいと思った。

 

 雨宮朔は、静かに目を閉じた。

 

 平穏というものが、どんな形をしているのか。

 

 まだ、はっきりとは分からない。

 

 だが、少なくとも今は。

 

 その輪郭に、少しだけ触れられた気がしていた。

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