IS〈インフィニット・ストラトス〉蒼穹の亡霊 作:右左右左右
午前八時十四分。
「朔、急ぐぞ!」
「……まだ時間あるだろ」
「あるけど、途中で捕まると長いんだよ」
織斑一夏はそう言って、廊下の先を指さした。
雨宮朔が視線を向けると、数人の女子生徒がこちらに気づいたところだった。
「あっ、織斑君!」
「雨宮君もいる!」
「ねえ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど!」
一夏は苦笑した。
「ほらな」
「……なるほど」
朔は納得した。
編入して三日目。
学園の構造には少しずつ慣れてきたが、周囲から向けられる視線には、まだ慣れそうになかった。
男性が二人。
しかも、どちらもISを操縦できる。
その事実が、この学園でどれほど珍しいものなのかは理解している。
だが、理解していることと、平然としていられることは別だった。
「悪い! もうすぐ授業だから!」
一夏が手を振る。
朔も軽く頭を下げ、彼の後に続いた。
「……毎朝あんな感じなのか?」
「まあな。最近は落ち着いてたんだけど、朔が来てからまた増えた」
「俺のせいか」
「そういうわけじゃないって」
一夏は笑った。
「そのうち慣れるさ」
「……本当に?」
「たぶん」
「自信ないんだな」
「ない!」
あまりにもあっさり認めるものだから、朔も笑ってしまった。
廊下の窓から、六月の朝日が差し込んでいる。
どこかで生徒たちが笑っていた。
その声を聞きながら歩く時間にも、少しずつ馴染み始めていた。
◇
一年一組。
「全員、席に着け」
織斑千冬の声が響く。
教室にいた生徒たちは、慌てて姿勢を正した。
「今日は戦術判断の演習を行う。実機は使用しない」
千冬が教卓の端末を操作すると、前方の大型画面に地形図が表示された。
山岳地帯。
細い道路。
いくつかの分岐路。
そして、道路の途中に配置された輸送車両の記号。
朔は、思わず画面を見つめた。
昨日までとは違う種類の授業だった。
「想定は護衛任務だ」
千冬が説明を始める。
「輸送車両四両を指定地点まで移動させる。護衛側はIS二機。敵側の機数は不明とする」
生徒たちの間から、小さなどよめきが起こった。
千冬は構わず続けた。
「現実のIS運用を想定した戦術研究だが、アラスカ条約による軍事利用の制限があることは忘れるな。これはあくまで判断能力を養うための演習だ」
地形図に、複数の進路が表示される。
「さて、護衛側が最も警戒すべき地点はどこだ?」
千冬の問いに、セシリアが手を挙げた。
「この狭隘部ですわ。左右を高地に挟まれておりますので、攻撃を受けた場合に車両の回避行動が制限されます」
「そうだな。ほかには?」
今度はラウラが答えた。
「こちらの分岐路だ。輸送経路を予測されている場合、先回りされる可能性がある」
「よし」
千冬は二人の意見を地形図に反映した。
朔は黙って画面を見ていた。
山岳地帯。
国境付近の道路。
輸送車両。
どこかで見たような配置だった。
もっとも、珍しい想定ではない。
現実の地形を利用した護衛演習なら、似た条件になることもある。
「織斑」
「はい!」
「護衛対象が狭隘部で停止した場合、どうする?」
一夏は少し考えた。
「えっと……まず周囲を警戒して、敵がいるなら護衛のISで迎撃します」
「敵が複数方向にいたら?」
「……車両を守れる位置に移動します」
「その間に車両が動けなくなったらどうする?」
「それは……」
一夏が言葉に詰まる。
千冬はため息をついた。
「先に状況を確認しろ。停止の原因も分からないまま、迎撃だけを考えるな」
「はい……」
教室から小さな笑い声が漏れた。
千冬は次の生徒へ視線を向けた。
「雨宮」
「はい」
「お前ならどうする?」
朔は画面を見た。
道路の幅。
輸送車両の位置。
高地の陰。
そして、細く伸びる分岐路。
「……まず、停止した理由を確認します」
「続けろ」
「故障なのか、障害物なのか、攻撃を受けたのか。それによって対応が変わるので」
「そうだな」
「それから、後続車両まで同じ場所へ入れないようにします。狭い場所に全車両が集まると、動けなくなるので」
千冬は頷いた。
「護衛機は?」
「一機は車両の近くに残して、もう一機で周囲を確認します。ただ、敵の位置が分からないなら、深追いはしません」
「理由は?」
「……護衛対象を置いていくことになるからです」
朔は答えた。
短い沈黙。
千冬が地形図を切り替える。
「では、輸送車両の一両に一般人が乗っていた場合は?」
朔の視線が止まった。
ほんの一瞬だった。
だが、隣にいた一夏は気づいた。
「……雨宮?」
千冬の声がする。
朔は顔を上げた。
「失礼しました」
「答えられるか?」
「……はい」
朔は画面を見直した。
「その場合は、車両ごとに優先順位を変える必要があります」
「ほう」
「積み荷を守るために、乗っている人間を危険にさらすわけにはいきません。退避できるなら、そちらを優先します」
千冬は朔を見つめた。
「任務の目的より、人命を優先するということか」
「……状況によります」
朔は少しだけ間を置いた。
「でも、誰が乗っているのか知らないまま、積み荷として扱うのは危険だと思います」
教室が静かになった。
千冬は、しばらく朔の顔を見ていた。
「……分かった。座れ」
「はい」
朔は椅子に腰を下ろした。
地形図の中では、輸送車両が指定地点へ向かって進み始めている。
あくまで演習だ。
画面上の車両が破壊されても、誰かが命を落とすわけではない。
だが、朔の頭には別の景色が浮かんでいた。
国境近くの山道。
停止した輸送車両。
そして、何が積まれているのか分からない荷台。
あの日、自分が最後まで攻撃を続けなかった理由。
それを、朔はまだ誰にも話していなかった。
◇
昼休み。
「なあ、朔」
食堂へ向かう途中、一夏が声をかけてきた。
「ん?」
「さっきの授業なんだけどさ」
「……ああ」
「何か、すごく真剣だったよな」
朔は一夏の顔を見た。
「そう見えた?」
「うん。特に、一般人が乗ってるって話になったとき」
「……そうか」
一夏は少し考えてから言った。
「俺、最初は敵を倒すことばっかり考えてたんだよな」
「……うん」
「でも、姉貴に言われて気づいた。護衛なら、守ることが先なんだって」
朔は小さく頷いた。
「そうだな」
「朔は、最初から分かってたみたいだけど」
「……最初からじゃないよ」
一夏が顔を向けた。
朔は窓の外を見る。
「間違えたこともある」
「……そっか」
それ以上、一夏は尋ねなかった。
少しの間、二人は黙って歩いた。
やがて、一夏が口を開く。
「じゃあ、今日の授業で俺たち二人とも一つ賢くなったってことだな」
「……何だ、それ」
「いや、そういうことだろ?」
朔は思わず笑った。
「お前って、結構前向きだよな」
「そうか?」
「ああ」
「まあ、難しく考えても仕方ないことってあるしな」
朔は横を歩く少年を見た。
織斑一夏。
自分と同じように、男でありながらISを操縦できる存在。
だが、同じなのはそれだけなのかもしれない。
それでも、この少年と話していると、不思議と気持ちが軽くなった。
◇
午後一時五十五分。
IS学園の管理棟では、轡木十蔵が一件の報告を受けていた。
机の上には、数枚の資料が置かれている。
雨宮朔の実機検証に使用した外部施設。
そこで確認された、不審なアクセス履歴に関する追加調査の結果だった。
「保守用端末の使用者は分かったか?」
十蔵が尋ねる。
向かいに座る女性職員が首を横に振った。
「まだ特定できていません。ただ、通常の保守作業では説明できない点が見つかりました」
「何だ?」
「問題の時刻には、設備点検の予定がありませんでした。それに、アクセスされたのは施設の稼働記録ではなく、雨宮君の検証データです」
十蔵の目が細くなった。
「具体的には?」
「機体の起動記録と、操縦者との接続確認に関する情報です」
職員は資料を一枚めくった。
「ただし、記録が閲覧されたことと、外部に送信されたことは別です。今の段階で、情報が流出したとは断定できません」
「分かっている」
十蔵は落ち着いた声で答えた。
「ほかに分かったことは?」
「閲覧に使用された認証情報は、外部の保守会社へ一時的に発行されたものです。誰が実際に使用したかは、施設側でも確認できていません」
「正規の権限を持つ者が使った可能性もあるわけだな」
「はい。ただ、検証データへのアクセスが必要な作業だったかどうか、確認できていないそうです」
十蔵は資料を机へ置いた。
「では、そこを調べる。誰が端末を使ったかだけでなく、何を開いたのかも確認しろ」
「承知しました」
「施設側には、当日の入退館記録と作業記録の保全を依頼してくれ。学園側の閲覧履歴も引き続き調べる」
「はい」
「それから、今後の検証記録については、外部施設の保守用認証情報から参照できないよう運用を見直す」
職員は頷いた。
「すぐに担当部署へ伝えます」
十蔵は資料を閉じた。
実機検証の結果を、匿名の代理人が早い段階で知っていた。
その事実は変わらない。
だが、今回のアクセスが情報を伝えた経路なのかどうかは、まだ分からなかった。
だからこそ、今は推測で動くべきではない。
「……もう一つ」
十蔵が言った。
「雨宮君には、調査が進んでいることを伝えておこう」
「結果が出る前に、ですか?」
「ああ。本人から相談を受けた件だ。何も知らせずに進める理由はない」
職員は静かに頷いた。
◇
放課後。
朔は寮へ戻る途中、学園内の医療室へ立ち寄っていた。
右腕の経過観察だ。
担当者の確認を受け、指先の感覚や腕の動きを一通り調べる。
「前回と比べて、どうですか?」
「痺れは少し軽くなっています」
「痛みは?」
「ありません」
「それなら、引き続き無理をしないようにしてください。機体の操縦については、まだ控えてくださいね」
「分かりました」
朔は頷いた。
症状が少しずつ落ち着いている。
それは確かなことだった。
ただし、以前のように操縦できるかどうかは、別の話だ。
医療室を出たところで、端末に通知が届いた。
差出人は、IS学園の管理部門。
――先日ご相談いただいた件について、調査を進めています。
――現時点では、検証データへの不審なアクセス履歴が確認されています。
――外部への情報送信の有無や、アクセスした人物については調査中です。
朔は文章を読み終えた。
「……やっぱり、誰かが見てたのか」
《検証データへのアクセスが確認されたようです。ただし、指示者との関連は不明です》
「分かってる」
朔は端末を閉じかけた。
そのとき、別の画面が目に入った。
以前、隔離した状態で確認した試験記録。
灰色のISが映っていた静止画だ。
左右非対称の推進器。
青白い光を放つセンサー。
そして、赤く表示された警告。
――試験中断。
朔は立ち止まった。
今まで、この記録は指示者の問題だと思っていた。
誰が渡したのか。
なぜ、今になって送られてきたのか。
何を隠しているのか。
そればかり考えていた。
だが、一つだけ確かなことがある。
この映像に映っているのは、自分の機体だった。
それなら、今の自分にも関係がある。
「……少し、話してみるか」
《誰にですか?》
「千冬先生に」
朔は端末を操作した。
◇
午後四時二十分。
小会議室に入ると、千冬が既に待っていた。
「雨宮。座れ」
「はい」
朔は椅子へ腰を下ろした。
「相談があるそうだな」
「……はい」
「機体のことか?」
「それもあります」
朔は端末を取り出した。
ただし、映像ファイルそのものは開かない。
以前、補助AIが外部との接続を切った環境で確認したものだ。
出所の分からないデータを、学園の端末へ不用意に取り込むつもりはなかった。
「前に、俺の操縦記録らしい映像が提出されたことがありましたよね」
「ああ。確認している」
「そのあと、別の記録が俺のところへ届いたんです」
千冬の表情が変わった。
「別の記録?」
「はい。送信元は分かりません。内容も、全部信用できるかどうかは分かりません」
「見せられるか?」
「動画そのものは、まだ安全確認ができていません。でも、そこから取り出した静止画ならあります」
朔は画面を表示した。
灰色のIS。
試験施設らしい室内。
機体の右側に表示された警告。
そして、試験中断の文字。
千冬は画面をじっと見つめた。
「……これは、お前の機体か」
「外見はそうです」
「操縦していたのも、お前か?」
朔は少し考えた。
「その試験に参加した覚えはあります。でも、こんな警告が出た記憶はありません」
「何も?」
「……普通に調整を受けた記憶はあります。ただ、緊急停止するようなことがあったなら、覚えているはずだと思うんです」
千冬は黙って聞いていた。
「それに、俺が持っている記録には、この場面がありません」
「つまり、映像が改変されている可能性と、手元の記録が欠けている可能性の両方があるわけだな」
「はい」
朔は頷いた。
「どっちが正しいのか、分からなくて」
千冬は腕を組んだ。
「……それで、私に何を頼みたい?」
朔は画面を見つめた。
「この警告が何を意味していたのか、調べてほしいんです」
「機体の異常か」
「それもあります」
少し間を置く。
「もし昔の試験で何か起きていたなら、今の右腕の症状にも関係があるかもしれません」
千冬は朔の顔を見た。
「その可能性を考えていたのか」
「……はい」
「もっと早く相談しようとは思わなかったのか?」
朔は視線を落とした。
「……この記録自体、信用できるか分からなかったので」
「なるほど」
千冬はそれ以上責めなかった。
「雨宮。まず、この画像の真偽は確認する必要がある。警告の表示だけで、機体に異常があったと断定することはできん」
「はい」
「まして、お前の右腕との関係はまだ不明だ。調べるなら、順序を間違えるな」
「……分かりました」
千冬は端末を手に取った。
「轡木さんに連絡する。機体を扱う技術者にも確認してもらおう」
朔は顔を上げた。
「いいんですか?」
「当然だ」
千冬は短く答えた。
「お前は今、この学園の生徒だ。身体に関わる問題を相談された以上、放置する理由はない」
朔は、しばらく言葉を返せなかった。
学園の生徒。
その言葉が、思ったよりも強く胸に残った。
「……ありがとうございます」
千冬は立ち上がった。
「礼はまだ早い。結果が出てからにしろ」
「はい」
「それと、確認が済むまでは機体を展開するな。分かっているな?」
「はい」
「よし」
千冬は扉へ向かった。
その背中を見ながら、朔は小さく息を吐いた。
自分から誰かに助けを求めた。
それが少しだけ、奇妙な感覚だった。
◇
午後五時三十五分。
管理棟の会議室には、十蔵と千冬、そして学園から協力を求められた技術担当者が集まっていた。
机上の画面には、朔が提出した静止画が表示されている。
男性技術者が拡大率を変更した。
「機体の外観は、先日の検証で確認された灰色ISと一致する部分が多いですね」
「確実に同一機か?」
十蔵が尋ねる。
「外観だけでの断定はできません。ただ、背部推進器の配置はかなり特徴的です」
隣の女性技術者が画面を指さした。
「問題は、この警告表示です」
赤い枠。
右側の推進器付近に表示された状態情報。
そして、試験中断の文字。
「機体の姿勢制御に関係する表示のように見えます。ただし、元のシステム仕様が分からない以上、具体的にどんな異常を示しているのかは判断できません」
千冬が口を開いた。
「操縦者の身体に影響する可能性は?」
「可能性だけならあります。しかし、この画像から原因を特定することはできません」
「そうか」
十蔵は資料を見た。
「映像の出所も不明だ。真正な試験記録だと決めつけるべきではないな」
「はい」
女性技術者は頷いた。
「それと、気になることが一つあります」
「何だ?」
「こちらをご覧ください」
技術者は静止画の端を拡大した。
そこには、小さく時刻情報が表示されている。
画質の問題で、すべての文字が鮮明なわけではなかった。
しかし、映像の時間位置を示す数字は読み取れた。
「提出済みの基本操縦記録と、今回の画像を照合しました」
別の画面が開く。
学園が以前受け取った、編集済みの試験映像。
その終盤に表示された時刻。
そして、新たに提出された画像の時刻。
二つの数字が、並べて表示された。
「……二十四秒?」
千冬が呟いた。
「はい」
技術者は頷いた。
「以前の映像は、この場面より二十四秒前の時点で終わっています」
十蔵が顔を上げた。
「つまり、今回の画像は、以前提出された映像の続きに当たる可能性があるということか」
「そう考えられます。ただし、時刻表示が正しく、同じ試験の記録であることが前提です」
「……なるほど」
十蔵は腕を組んだ。
以前提出された映像。
その後に存在するかもしれない、二十四秒。
そして、試験中断の警告。
「雨宮君は、この部分について記憶がないと言っていたな」
千冬は頷いた。
「ああ。試験に参加した覚えはあるが、緊急停止があったという認識はないそうだ」
「本人の記憶と、映像の内容が食い違っているわけか」
「そうなる」
十蔵は静かに考えた。
誰かが意図的に映像を切り取ったのか。
単に必要な部分だけを提出したのか。
あるいは、新しい画像そのものが偽物なのか。
現時点では、どれも否定できない。
「まずは元の記録を探す必要があるな」
十蔵が言った。
「映像の真偽を確かめる。そのうえで、右腕の症状との関係を調べる」
「技術面はこちらで整理します」
女性技術者が答えた。
「ただし、機体側の詳しい検査については、本人の同意と安全確認が必要です」
「無理に展開させるつもりはない」
十蔵は明確に答えた。
「今は回復が先だ。調査のために負傷を悪化させては意味がない」
千冬も頷いた。
「雨宮には、当面実技をさせない」
「それでいい」
十蔵は画面を見つめた。
灰色のIS。
過去の試験。
途切れた記録。
そして、二十四秒という時間。
「……一つずつ確かめよう」
その声には、迷いがなかった。
◇
夜。
朔は寮の自室で、千冬から届いた連絡を読んでいた。
――提出された静止画について、学園側で初期確認を行った。
――以前提出された映像とは、時間的に連続する可能性がある。
――詳細は調査中。
朔は画面を見つめた。
「……続き、か」
《以前受信した匿名の通知と一致する可能性があります》
「……ああ」
あのとき届いた文章を思い出す。
――提出された記録を、信用するな。
――あの試験には、続きがある。
最初は、ただの脅しだと思った。
誰かが過去のことを利用して、自分を動かそうとしているのだと。
今でも、その可能性はある。
だが、学園側が映像を確認したことで、少なくとも考えるべきことが増えた。
朔は右手を開いた。
指先の痺れは残っている。
あの日の試験と、今の症状。
直接つながっている証拠はない。
それでも、もし何かを隠されていたのなら。
今度こそ、自分で確かめたい。
《指示者へ確認しますか?》
AIが尋ねた。
朔は少し考えた。
「……いや」
《理由を教えてください》
「聞いたところで、また『今は話せない』だろ」
《その可能性があります》
「だったら、今は学園の調査を待つ」
端末を閉じる。
以前の自分なら、何も知らされないまま指示を待っていたかもしれない。
だが、今は違う。
自分の疑問を、別の誰かに伝えることができる。
そして、調べてくれる人間がいる。
それだけでも、状況は少し変わった。
窓の外から、女子生徒たちの笑い声が聞こえた。
寮の廊下では、誰かが明日の授業について話している。
朔は椅子から立ち上がり、机の上の教材を鞄へしまった。
明日も授業がある。
それは、今日の調査とは別に、変わらない予定だった。
「……二十四秒、か」
小さく呟く。
たった二十四秒。
だが、その短い時間に何が起きたのか。
まだ、誰も答えを持っていない。
◇
同じ夜。
学園の管理棟では、十蔵が新しい報告を受けていた。
外部施設の不審なアクセス履歴について、追加の情報が見つかったという。
「閲覧されたデータの範囲が、少し分かりました」
女性職員が資料を差し出した。
十蔵は受け取った。
「どの部分だ?」
「機体の起動結果だけではありません。操縦者との接続確認に関する記録も参照されていました」
「……そうか」
十蔵は表情を変えなかった。
「個人情報の扱いに関わるな」
「はい。記録の詳細がどこまで閲覧されたかは、まだ調査中です」
十蔵は資料を閉じた。
機体の性能を調べたい者。
コアの出所を知りたい者。
そして、男性操縦者そのものに関心を持つ者。
その三者は、必ずしも同じ目的で動くとは限らない。
だが、今回の閲覧対象が操縦者に関する情報にも及んでいたことは、軽視できなかった。
「雨宮君の情報を扱う範囲を、改めて見直す」
十蔵が言った。
「閲覧権限を持つ者を確認し、必要のないアクセスは止めろ。施設側にも、関連記録の保全と調査を続けるよう伝えてくれ」
「承知しました」
「それから、学園内の関係者には、雨宮朔の情報を私的に持ち出さないよう徹底させる」
「はい」
職員が退出すると、十蔵は椅子に腰を下ろした。
机の上には、二種類の資料が並んでいる。
一つは、実機検証の不審なアクセス履歴。
もう一つは、過去の試験記録から取り出された静止画。
両者が同じ人物や組織に関係している証拠は、まだない。
だが、どちらも雨宮朔という少年を中心に動いている。
「……何を知りたいのか。それとも、何を隠したいのか」
十蔵は小さく呟いた。
窓の外には、夜の学園が広がっていた。
そのどこかで、雨宮朔は明日の授業の準備をしているのだろう。
今は、それでいい。
少年には、学校へ通う時間が必要だ。
その時間を守ることも、この学園を運営する者の仕事だった。
十蔵は資料を一つにまとめ、保管用の端末を閉じた。
調べるべきことは、まだ多い。
だが、少なくとも。
あの二十四秒について、調査する理由はできた。
そして、その調査はもう始まっていた。