IS〈インフィニット・ストラトス〉蒼穹の亡霊   作:右左右左右

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第19話 委ねないもの

 午前八時十一分。

 

「……土曜日まで授業があるのか」

 

 雨宮朔は、食堂の席で時間割を見つめていた。

 

 今日は午前中に補講が予定されている。

 

 編入してから初めて迎える週末だったが、休みになるのは午後かららしい。

 

「毎週じゃないぞ」

 

 向かいに座った織斑一夏が答える。

 

「今週は演習の振り返りがあるんだってさ」

 

「そうなのか」

 

「まあ、午前中だけだし。終わったら暇になるだろ?」

 

「今のところは」

 

 一夏はパンを口に運び、何か思いついたように顔を上げた。

 

「じゃあさ、午後から学園の中を案内しようか?」

 

「もう結構歩いたと思うけど」

 

「まだ行ってないところもあるだろ。図書室とか、購買とか」

 

「……それなら助かる」

 

「よし、決まりな」

 

 一夏は嬉しそうに笑った。

 

 朔も小さく頷き、朝食に手をつける。

 

 学園へ来てから、こうした約束が増えた。

 

 授業が終わったら何をするか。

 

 夕食はどこで食べるか。

 

 明日は何時に起きるか。

 

 以前なら、その日の予定さえ急に変更されることがあった。

 

 だが、今は違う。

 

 少なくとも、この食堂では、今日の午後に何をするかを普通に話していられる。

 

「そういえば、腕はどうなんだ?」

 

 一夏が尋ねた。

 

「昨日と変わらない。少しずつ良くなってるよ」

 

「そっか。早く治るといいな」

 

「ああ」

 

 朔は右手を軽く握った。

 

 まだ指先には痺れが残っている。

 

 それでも、以前ほど気になることは少なくなっていた。

 

 完治したわけではない。

 

 学園からも、実機の使用制限は解除されていない。

 

 今は、その指示に従うつもりだった。

 

「……ところで一夏」

 

「ん?」

 

「お前、休みの日も訓練してるのか?」

 

「することもあるけど……何で?」

 

「いや、午後も誰かに呼び出されるんじゃないかと思って」

 

 一夏の手が止まった。

 

「……ありそうだな」

 

「だろ?」

 

「やめろよ。せっかく休みなんだから」

 

 その言い方がおかしくて、朔は笑った。

 

     ◇

 

 午前九時二分。

 

 IS学園の管理棟では、前日のうちに受け取った記録の確認が進められていた。

 

 轡木十蔵は、技術担当者からの説明を聞いている。

 

 机上の端末には、朔が保存していた過去の試験記録が表示されていた。

 

「管理番号が飛んでいるのは、ここか」

 

「はい」

 

 女性技術者が画面を拡大した。

 

「記録の並びに欠落があります。ただし、番号が連続していないことだけで、削除されたと判断することはできません」

 

「途中の記録が別の場所へ保存された可能性もあるわけだな」

 

「そのとおりです」

 

 隣に座る男性技術者が、もう一つの項目を示した。

 

「こちらの『外部接続、再確立』についても調べました」

 

「何か分かったか?」

 

「保存されている識別情報から判断すると、一般の通信回線ではなく、試験用の外部計測系との接続を示している可能性があります」

 

 十蔵が顔を上げた。

 

「つまり、機体がどこかへ通信を送ったという記録ではないのか」

 

「少なくとも、それを示す証拠ではありません。試験施設側の計測装置との接続が回復したことを記録したものかもしれません」

 

 女性技術者が頷く。

 

「ただし、接続先の詳しい情報は残っていません。元の計測装置の仕様が分からなければ、これ以上の判断は難しいですね」

 

 十蔵は静かに考えた。

 

 欠落した管理番号。

 

 再確立された外部接続。

 

 そして、映像に表示されていた試験中断の警告。

 

 いずれも、何らかの異常が起きた可能性を示している。

 

 だが、どれか一つだけで原因を説明できるわけではなかった。

 

「……逆に言えば、当時の外部計測記録が残っていれば、確認できることが増える」

 

「はい。機体側の保存データとは別に、施設側で計測していた情報があれば、照合できる可能性があります」

 

「分かった」

 

 十蔵は資料を閉じた。

 

「調べる対象は絞れたな。問題は、その試験施設を誰が管理していたかだ」

 

「雨宮君からは、まだ施設名を確認できていません」

 

「本人が知っているとも限らん」

 

 十蔵は落ち着いた声で答えた。

 

「まずは記録の形式から調べよう。機体を再び動かす必要はない」

 

「承知しました」

 

 技術者たちが資料をまとめる。

 

 十蔵は窓の外へ目を向けた。

 

 男子生徒がもう一人増えた。

 

 それだけでも、学園にとっては大きな変化だった。

 

 だが、今調べているのは、その少年がISを動かせる理由だけではない。

 

 過去に何が起きたのか。

 

 誰がその記録を持っていたのか。

 

 そして、なぜ本人の手元には残っていないのか。

 

 答えを得るには、まだ時間が必要だった。

 

     ◇

 

 午前十一時三十八分。

 

 一年一組の補講が終わった。

 

「よし。今日はここまでだ」

 

 千冬の言葉に、生徒たちが一斉に息をつく。

 

「休みだからといって、課題を忘れるなよ」

 

「はーい……」

 

 教室から、少し力の抜けた返事が上がった。

 

 千冬は眉をひそめる。

 

「返事に気合いが足りん」

 

「はいっ!」

 

 今度は揃った声が響いた。

 

 朔は思わず笑いそうになった。

 

 その隣では、一夏が机に突っ伏している。

 

「……終わった」

 

「そんなに疲れたのか?」

 

「午前中ずっと千冬姉の授業だぞ……」

 

「聞こえているぞ、織斑」

 

「は、はい!」

 

 一夏が慌てて背筋を伸ばす。

 

 朔はとうとう笑ってしまった。

 

 千冬の視線が、今度はこちらへ向く。

 

「雨宮。何か面白いことでもあったか?」

 

「……いえ」

 

「ならば、課題は忘れずに提出しろ」

 

「はい」

 

 千冬が教室を出ていく。

 

 一夏は大きく息を吐いた。

 

「……危なかった」

 

「お前、毎回あんな感じなのか?」

 

「好きでやってるわけじゃないって」

 

 そこへシャルロットが近づいてきた。

 

「朔、さっきの課題なんだけど」

 

「何?」

 

「ここの計算、もう終わった?」

 

「ああ。終わったよ」

 

「ちょっと見せてもらってもいい?」

 

「いいけど、合ってるかは分からないぞ」

 

 二人は机の上に教材を広げた。

 

 シャルロットが問題を指さす。

 

「ここ、僕と考え方が違うんだ」

 

「……ああ、俺はこっちの条件を先に使ったから」

 

「なるほど。じゃあ、結果は同じになるのかな」

 

 朔は筆記用具を手に取り、途中の計算を書き加えた。

 

 シャルロットはそれを見て頷いた。

 

「うん。分かった。ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

「それにしても、朔って意外と勉強できるよね」

 

「意外って……」

 

「だって、授業についていくのが大変かもって言ってたから」

 

「ああ。分からないことも多いよ」

 

 朔は教材を閉じた。

 

「ただ、知らないことと、考えられないことは別だから」

 

 シャルロットは少し目を丸くした。

 

 それから、柔らかく笑った。

 

「……そうだね」

 

 一夏が横から口を挟む。

 

「なあ、朔。その考え方、今度俺にも教えてくれないか?」

 

「何を?」

 

「勉強」

 

「……シャルに教えてもらった方がいいと思う」

 

「お前までそんなこと言うのかよ!」

 

 朔とシャルロットは顔を見合わせ、笑った。

 

     ◇

 

 午後零時四十六分。

 

 IS学園の対外窓口に、一件の来訪申請が届いた。

 

 申請者は、民間の技術管理業務に携わる人物。

 

 用件は、雨宮朔が所持するISの管理について。

 

 担当の女性職員は、添付された書類を確認した。

 

 そこには、雨宮朔の名前が記されていた。

 

 そして、もう一つ。

 

 本人の署名があるように見える書類が添付されている。

 

 ――機体管理に関する委任。

 

 ――対象機の点検および一時保管について、代理人による手続きを認める。

 

 女性職員は眉をひそめた。

 

 雨宮朔の機体については、本人と学園側で管理方法を協議している最中だった。

 

 外部の人物へ引き渡すという話は、聞いていない。

 

「……確認が必要ね」

 

 職員は内線を取った。

 

     ◇

 

 午後一時十分。

 

 朔は食堂で昼食を終えたところだった。

 

 一夏と午後の予定を相談していると、端末が短く振動した。

 

 IS学園の管理部門からだった。

 

 ――雨宮君。確認したい事項があります。

 

 ――差し支えなければ、管理棟までお越しください。

 

 朔は画面を見つめた。

 

「……また呼び出しか」

 

 一夏が顔を向ける。

 

「何かあったのか?」

 

「分からない。管理棟に来てほしいって」

 

「そっか」

 

 朔は端末をしまった。

 

「悪い。午後の案内、少し遅れるかもしれない」

 

「いいって。終わったら連絡くれよ」

 

「ああ」

 

 一夏は笑って手を振った。

 

 朔も軽く手を上げ、食堂を出た。

 

     ◇

 

 午後一時二十八分。

 

 管理棟の小会議室には、十蔵と女性職員が待っていた。

 

「やあ、雨宮君。休みの日に呼び出してすまないね」

 

「いえ。何かあったんですか?」

 

「ちょっと確認してほしい書類があるんだ」

 

 十蔵は資料を差し出した。

 

 朔は椅子に座り、書類へ目を落とした。

 

 最初に見えたのは、自分の名前だった。

 

 雨宮朔。

 

 そして、機体管理に関する委任状。

 

「……何ですか、これ」

 

 朔の声が低くなった。

 

「今日、学園へ提出されたものだよ」

 

「誰から?」

 

「君の機体を管理する権限があると主張している人物からだ。ただし、身元や権限の確認はまだ済んでいない」

 

 朔は書類を読み進めた。

 

 そこには、対象となるISの点検と一時保管を、代理人へ任せると記されている。

 

 そして、一番下。

 

 本人署名欄。

 

 雨宮朔。

 

 見覚えのある文字だった。

 

「……これ」

 

 朔は言葉を止めた。

 

 十蔵が尋ねる。

 

「君が署名したものかい?」

 

「……違います」

 

 即答だった。

 

 朔はもう一度、書類を見た。

 

「少なくとも、この書類には書いていません」

 

「署名そのものには見覚えがあるのかな?」

 

「あります」

 

 朔は頷いた。

 

「日本に戻るとき、移動に必要な書類へ何度か署名しました。そのときのものに似ています」

 

 十蔵の表情が変わった。

 

「その書類は、誰が用意した?」

 

「……いつもの指示者です」

 

 女性職員が静かに記録を取る。

 

「雨宮君。確認するけれど、この人物へ機体の点検や保管を任せると同意したことはあるかい?」

 

「ありません」

 

 朔ははっきり答えた。

 

「機体の扱いについて、俺の知らないところで決めることはありました。でも、学園に入ったあとで誰かに引き渡すなんて、聞いていません」

 

 十蔵は頷いた。

 

「分かった」

 

 朔は顔を上げた。

 

「……これ、どうなるんですか?」

 

「本人が同意していないと確認できた以上、この書類を根拠に機体を引き渡すことはないよ」

 

「……そうですか」

 

「それと、署名が本物かどうかは、別に確認する必要がある。画像が似ているからといって、君がこの内容に同意したことにはならないからね」

 

 朔は再び書類へ目を落とした。

 

 自分の名前。

 

 自分のものに見える署名。

 

 そして、自分が知らない約束。

 

 気分のいいものではなかった。

 

「……俺の名前、勝手に使われてるんですね」

 

「その可能性がある」

 

 十蔵の声が少し低くなった。

 

「だが、今は断定しない。どういう経緯で作られた書類なのかを調べる」

 

 女性職員が口を開いた。

 

「轡木さん。来訪申請の件ですが」

 

「ああ」

 

「申請者は、機体の引き取りについて学園側の回答を求めています」

 

 十蔵は職員へ向き直った。

 

「回答は明確だ。本人が同意していない以上、引き渡しには応じない」

 

「承知しました」

 

「それから、来訪者については正式な身元確認が必要だ。学園の管理区域へ通す必要はない」

 

「はい」

 

 職員が退出する。

 

 朔はその背中を見送ってから、十蔵へ向き直った。

 

「……すみません」

 

「何がだい?」

 

「俺のことで、面倒ばかり増やして」

 

 十蔵は少し驚いた顔をした。

 

 それから、小さく笑った。

 

「雨宮君。それは謝ることじゃないよ」

 

「……」

 

「君が自分の機体を誰に預けるのか。その判断を、勝手に他人へ任せなくていいんだ」

 

 朔は黙って聞いていた。

 

「もちろん、機体の出所については調べなくてはならない。管理上の問題もある。でも、それと、誰かが君の名前を使って勝手に手続きを進めていいかどうかは、別の話だ」

 

「……はい」

 

「それにね」

 

 十蔵は穏やかに続けた。

 

「困ったことがあったら相談してほしいと、前に言っただろう?」

 

 朔は少しだけ目を瞬いた。

 

「……言ってましたね」

 

「だから、こういうときは遠慮しなくていいんだよ」

 

 朔は視線を落とした。

 

 しばらくして、小さく頷いた。

 

「……ありがとうございます」

 

     ◇

 

 午後二時十五分。

 

 管理棟の別室。

 

 十蔵は、対外窓口の担当者から追加の報告を受けていた。

 

「来訪者は、機体の引き渡しが認められないと伝えたあと、学園への立ち入りを求めずに帰りました」

 

「氏名と所属は確認できたか?」

 

「本人から申告はありました。ただし、提示された所属先との照合はまだ終わっていません」

 

「提出書類の原本は?」

 

「電子データのみです。原本の提出も求めています」

 

「分かった」

 

 十蔵は資料を確認した。

 

 申請書。

 

 委任状。

 

 機体の一時保管を求める理由。

 

 どれも形式は整っている。

 

 だが、肝心の本人が同意していない。

 

「関連する書類と通信記録はすべて保全しろ。現時点では、機体の移動を伴う申請は受け付けない」

 

「承知しました」

 

「それから、保守委託会社を名乗っているなら、申請者が本当に所属しているか確認する必要がある。先方が示した番号ではなく、別途確認した正式な連絡先を使え」

 

「はい」

 

「今後、同じ人物から問い合わせがあっても、雨宮君の機体の所在や管理方法については回答するな」

 

 担当者は頷いた。

 

 十蔵は最後に、もう一度委任状へ目を通した。

 

 署名。

 

 日付。

 

 代理人の権限。

 

 そして、一時保管の理由。

 

 そこには、見過ごせない記述があった。

 

 ――過去の試験において確認された推進制御系の異常について、再点検を実施するため。

 

 十蔵の指が止まった。

 

「……推進制御系の異常?」

 

 職員が顔を上げる。

 

「何か問題が?」

 

「この記述の根拠は、提出されているか?」

 

「いいえ。具体的な検査記録は添付されていません」

 

「そうか」

 

 十蔵は書類を閉じなかった。

 

 朔が以前提出した静止画。

 

 右側の推進器付近に表示された警告。

 

 試験中断の文字。

 

 そして、今回の委任状。

 

 両者が同じ試験を指しているとは限らない。

 

 だが、機体の過去に何らかの異常があったと知っている人物が、書類を作成した可能性はある。

 

「……この一文についても、照会が必要だな」

 

 十蔵は静かに言った。

 

「記述の根拠となる記録があるのなら、提出を求めろ。ただし、先方へこちらの調査内容を知らせる必要はない」

 

「承知しました」

 

 職員が退出すると、十蔵は椅子の背にもたれた。

 

 実機検証のデータを、早い段階で知っていた代理人。

 

 過去の試験記録について、説明を避ける人物。

 

 そして今度は、機体の引き取りを求める書類。

 

 すべて同じ人物が関わっているとは限らない。

 

 だが、少なくとも、雨宮朔の機体を自分たちの管理下へ置こうとする動きがある。

 

「……少年本人の同意もなく、か」

 

 十蔵の声に、先ほどまでの温かさはなかった。

 

     ◇

 

 午後三時過ぎ。

 

 朔が管理棟を出ると、一夏が近くのベンチに座っていた。

 

「……一夏?」

 

「お、終わったか」

 

「待ってたのか?」

 

「ああ。午後から案内するって約束しただろ」

 

 朔は少しだけ目を丸くした。

 

「……もう結構時間たってるぞ」

 

「まあな。でも、別に急ぐ用事もないし」

 

 一夏は立ち上がった。

 

「大丈夫だったか?」

 

 朔は少し考えた。

 

「……面倒なことはあった」

 

「そっか」

 

「でも、ひとまず大丈夫だと思う」

 

「ならよかった」

 

 一夏は、それ以上は聞かなかった。

 

 朔はその態度に、少しだけ救われた気がした。

 

「……何があったか、気にならないのか?」

 

「そりゃ気になるけどさ」

 

 一夏は肩をすくめた。

 

「話したくなったら話せばいいだろ?」

 

 朔は黙った。

 

 一夏は続けた。

 

「俺だって、何でもすぐに人に話せるわけじゃないしな」

 

「……そうか」

 

「それより、購買行くか? 結構いろいろ売ってるんだぞ」

 

 朔は小さく笑った。

 

「ああ。案内してくれ」

 

「おう!」

 

 二人は並んで歩き始めた。

 

 午後の学園。

 

 訓練へ向かう生徒たち。

 

 ベンチに座って話している女子生徒。

 

 遠くのアリーナから聞こえるISの駆動音。

 

 どれも、いつもどおりの景色だった。

 

 その中で、朔は少し考えていた。

 

 誰かに何かを任せること。

 

 誰かを信用すること。

 

 それは、同じではないのかもしれない。

 

 信頼しているからといって、何もかも任せていいわけではない。

 

 逆に、すべてを知らない相手だからといって、何一つ頼れないわけでもない。

 

 今まで、自分はその区別がうまくできていなかったのかもしれなかった。

 

「朔?」

 

「……ん?」

 

「どうした? ぼーっとして」

 

「いや」

 

 朔は前を向いた。

 

「ちょっと考え事」

 

「またかよ」

 

 一夏は笑った。

 

「せっかく休みなんだし、少しくらい気楽にしろって」

 

「……そうだな」

 

 朔も笑った。

 

     ◇

 

 夕方。

 

 寮へ戻った朔は、携帯端末を机に置いた。

 

《本日の学園管理部門との面談記録を整理しますか?》

 

「頼む」

 

《了解しました》

 

 画面に、確認できた事項が表示される。

 

 機体の一時保管を求める書類が提出されたこと。

 

 自分の署名に似たものが使われていたこと。

 

 本人として、その委任には同意していないこと。

 

 そして、学園側が引き渡しを認めなかったこと。

 

 朔は画面を見つめた。

 

「……あの書類、本当に誰が作ったんだろうな」

 

《現時点では特定できていません》

 

「まあ、そうだよな」

 

 少し考えてから、朔は端末を操作した。

 

 以前、日本へ戻る際に使用した書類。

 

 その一部は、まだ保存されている。

 

 当時の署名欄を開く。

 

 自分の名前。

 

 少し右へ流れた最後の一画。

 

 見覚えのある筆跡だった。

 

「……これか」

 

 今日見た委任状の署名を思い出す。

 

 よく似ていた。

 

 ただ、手元にあるのは元の書類だけだ。

 

 今日提出された委任状の原本を見たわけではない。

 

 同じ画像が使われたのかどうかまでは、まだ分からない。

 

《署名画像の照合を希望しますか?》

 

「学園に確認してからにする」

 

《了解しました》

 

 朔は画面を閉じた。

 

 あの男は、自分の名前を使ってさまざまな手続きを進めてきた。

 

 日本へ戻るための書類。

 

 滞在先の手配。

 

 学園への最初の連絡。

 

 それらがすべて悪意によるものだったとは思っていない。

 

 実際、それがなければ日本へ戻ることも難しかった。

 

 だが、だからといって。

 

 これからも、すべてを任せ続けなければならない理由にはならない。

 

「……俺の名前なんだから」

 

 朔は小さく呟いた。

 

 右手を握る。

 

 指先には、まだ痺れが残っている。

 

 機体を自由に動かせる状態ではない。

 

 過去の試験で何が起きたのかも、分かっていない。

 

 それでも、一つだけ決められることがある。

 

 自分の機体を、誰に預けるのか。

 

 自分のことを、誰に任せるのか。

 

 少なくとも、知らないうちに決められるつもりはなかった。

 

     ◇

 

 同じ夜。

 

 IS学園の管理棟。

 

 十蔵は、午後に提出された委任状の写しを見直していた。

 

 書類の形式は整っている。

 

 署名もある。

 

 だが、本人は同意を否定している。

 

 それだけでも、手続きを止める理由としては十分だった。

 

 しかし、十蔵が気にしていたのは別の箇所だった。

 

 ――過去の試験において確認された推進制御系の異常。

 

 もし、この記述に根拠があるのなら。

 

 雨宮朔が知らされていない機体の履歴を、誰かが把握していることになる。

 

 十蔵は端末を操作し、技術担当者へ新しい照会を送った。

 

 過去の試験記録のうち、推進制御系に関する情報の確認。

 

 委任状に記された異常の内容と、既存の静止画との照合。

 

 ただし、どちらも事実だと決めつけずに調べること。

 

 送信。

 

 十蔵は椅子の背にもたれた。

 

「……雨宮朔」

 

 名前を口にする。

 

 少年は、何もかも話しているわけではない。

 

 だが、今のところ、隠していることと知らないことを区別しようとしている。

 

 それは、大切なことだった。

 

 十蔵は窓の外へ目を向けた。

 

 夜の校舎。

 

 寮の明かり。

 

 遠くの海。

 

 その静かな景色の向こうで、誰かが灰色のISを取り戻そうとしている。

 

 少なくとも、今回の書類はそういう目的で提出されたものだった。

 

 だが、機体の管理権限を主張する者が、必ずしも正当な権利者とは限らない。

 

「……まずは、誰のための手続きなのかを確かめんとな」

 

 十蔵は静かに呟いた。

 

 机の上の資料を閉じる。

 

 少年を守ること。

 

 機体の出所を調べること。

 

 その二つを混同してはならない。

 

 雨宮朔がIS学園の生徒である以上。

 

 学園の中で、本人の意思を無視した引き渡しを認めるつもりはなかった。

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