IS〈インフィニット・ストラトス〉蒼穹の亡霊   作:右左右左右

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第24話 中断された試験

# 第24話 中断された試験

 

 午前八時十二分。

 

「……朔、聞いてるか?」

 

「え?」

 

 雨宮朔が顔を上げると、隣を歩いていた織斑一夏が呆れたように笑っていた。

 

「だから、今日の午後は実技があるんだって」

 

「ああ。そうだったな」

 

「お前、また見学だろ?」

 

「まだ許可が下りてないからな」

 

「そっか。早く治るといいな」

 

 朔は右手を軽く開いた。

 

 指先には、今もわずかな痺れが残っている。

 

 それでも、以前ほど気になることは少なくなっていた。

 

「……ありがとう」

 

「ん?」

 

「いや、何でもない」

 

 一夏は不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。

 

 二人が教室へ入ると、既に篠ノ之箒とシャルロット・デュノアが話をしていた。

 

「あ、おはよう。一夏、朔」

 

 シャルロットが手を振る。

 

「おはよう」

 

「おう、おはよう」

 

 朔は自分の席へ向かった。

 

 鞄を置き、教科書を取り出す。

 

 そのとき、携帯端末が短く振動した。

 

 画面には、学園管理部門からの連絡が表示されていた。

 

 ――昨日お知らせした情報提供の件について、放課後に確認の時間を設けます。

 

 ――午後四時、管理棟の指定会議室へお越しください。

 

 朔は文章を読み終えると、端末をしまった。

 

「……朔?」

 

 シャルロットが声をかける。

 

「どうかした?」

 

「いや。放課後に、ちょっと用事ができた」

 

「そっか。じゃあ、今日の訓練も途中までかな?」

 

「たぶん。でも、見られるところまでは見たい」

 

「うん。無理しないでね」

 

 シャルロットは微笑んだ。

 

 朔も小さく頷く。

 

 昨日、学園へ届いたという情報提供。

 

 過去の試験について知っている人物。

 

 その正体が分かるかもしれない。

 

 そう考えると、どうしても意識がそちらへ向いてしまう。

 

 だが、今は授業前だ。

 

 朔は机の上に教科書を開いた。

 

     ◇

 

 午前十時四十六分。

 

 IS学園の管理棟では、轡木十蔵が情報提供者についての報告を受けていた。

 

「……三枝真帆、か」

 

 机の上に置かれた資料へ目を通す。

 

 申告された氏名は、三枝真帆。

 

 以前、研究設備の観測業務を請け負う会社に勤務していたという。

 

 提出された資料には、古い社員証の写しと、当時の業務記録が含まれていた。

 

「身元の確認はどこまで進んだ?」

 

 十蔵が尋ねる。

 

 向かいに座る女性職員が答えた。

 

「本人確認書類と申告内容の照合は済んでいます。また、当時の勤務先についても、保存されていた人事記録から在籍が確認できました」

 

「試験への参加は?」

 

「本人が提出した勤務記録では、観測補助として従事していたことになっています。ただし、対象の試験が雨宮君のものだったかどうかまでは、独立した確認が取れていません」

 

「そうか」

 

 十蔵は頷いた。

 

 少なくとも、まったくの架空の人物という可能性は低くなった。

 

 しかし、正しい身分を持つ人間が、正しい情報を話しているとは限らない。

 

「提出された画像については?」

 

「以前確認した記録形式と共通点があります。ただし、原本の確認はまだできていません」

 

「本人は原本を持っているのか?」

 

「古い紙の資料が一部残っているそうです。正式な確認方法については、こちらから提案しています」

 

 十蔵は資料を閉じた。

 

「分かった。今日の面談は予定どおり行う。ただし、こちらの調査内容を先に伝えすぎるな」

 

「承知しました」

 

「それから、雨宮君に話を聞かせるかどうかは、本人の意思も確認する」

 

 職員は頷いた。

 

 十蔵は椅子の背にもたれた。

 

 過去の試験を知る人物が、初めて自分から接触してきた。

 

 それは大きな進展だった。

 

 だが同時に、慎重に扱わなければならない相手でもある。

 

 雨宮朔の周囲には、既に正体の分からない人物が複数関わっている。

 

 これ以上、本人を不用意に危険へ近づけるつもりはなかった。

 

     ◇

 

 午後二時二十八分。

 

 第三アリーナでは、一年一組の実技訓練が行われていた。

 

 朔は観覧席に座り、訓練区域を見つめている。

 

 今日の課題は、複数方向からの攻撃に対する防御と回避。

 

 一夏の白式が、訓練用の標的へ向かって飛行していた。

 

 正面に射撃目標。

 

 右側から、別の標的が接近する。

 

 一夏は高度を変え、射線を外した。

 

 その直後、背後に新しい標的が現れる。

 

『うわっ!?』

 

 通信越しに一夏の声が響いた。

 

 白式が慌てて方向を変える。

 

 しかし、回避が遅れた。

 

 訓練用の射撃がシールドに命中し、エネルギーが減少する。

 

「織斑!」

 

 千冬の声が響いた。

 

「一つの目標に集中しすぎだ! 周囲を見ろ!」

 

『はいっ!』

 

 朔は小さく息を吐いた。

 

「……やっぱり、後ろを取られると厳しいな」

 

 隣にいた箒が頷く。

 

「一夏は目の前の敵に集中しすぎるところがある」

 

「でも、反応自体は速いと思う」

 

「……そうだな」

 

 箒は訓練区域へ視線を戻した。

 

「だからこそ、惜しいんだ」

 

 朔はその言葉に頷いた。

 

 一夏の操縦は、決して完成されたものではない。

 

 だが、機体の動きには迷いのない瞬間がある。

 

 危険に反応する速さ。

 

 思い切りの良さ。

 

 そして、何より前へ出ようとする意志。

 

 それは、一つの強みだろう。

 

 ただし、その強みが弱点になることもある。

 

「……直せれば、もっと強くなるだろうな」

 

 朔が呟く。

 

 箒は少し驚いた顔をした。

 

「お前もそう思うか?」

 

「ああ」

 

「……そうか」

 

 箒は小さく笑った。

 

 そのとき、訓練区域で一夏が再び標的を突破した。

 

『よしっ!』

 

 喜ぶ声が響く。

 

 だが、その直後。

 

「織斑! まだ訓練は終わっていないぞ!」

 

『えっ!?』

 

 新しい標的が出現した。

 

 一夏が慌てて機体を動かす。

 

 観覧席から笑い声が漏れた。

 

 朔も思わず笑ってしまった。

 

 その一瞬だけは、放課後の面談のことを忘れていた。

 

     ◇

 

 午後三時五十六分。

 

 管理棟の小会議室。

 

 朔が扉を開けると、十蔵と千冬が待っていた。

 

「こんにちは、雨宮君」

 

「こんにちは」

 

「授業は終わったかい?」

 

「はい」

 

「そうか。座っておくれ」

 

 朔は椅子へ腰を下ろした。

 

 机の上には、通信端末と資料が用意されている。

 

「……情報提供の件ですよね」

 

「ああ」

 

 十蔵は頷いた。

 

「相手の身元について、いくつか確認が取れた。今日は本人から話を聞く予定なんだ」

 

「直接ですか?」

 

「映像を使った通信だよ。相手は学園の外にいる」

 

 朔は少し考えた。

 

「……俺も話を聞いていいんですか?」

 

「君に関係する情報だからね。ただし、無理に参加しなくても構わない」

 

 十蔵は穏やかに続けた。

 

「相手が何を話すか、まだ分からない。今は私たちだけで確認して、あとから結果を伝える方法もあるよ」

 

 朔はしばらく黙った。

 

 過去の試験。

 

 自分の知らない記録。

 

 そして、ようやく現れた情報提供者。

 

 何を聞かされるのか分からない。

 

 だが、それでも。

 

「……聞きたいです」

 

 朔は顔を上げた。

 

「自分のことなので」

 

 十蔵は頷いた。

 

「分かった」

 

 千冬が口を開く。

 

「雨宮。途中で話をやめたくなったら、遠慮せず言え」

 

「はい」

 

「相手の話を、すべて事実だと思う必要もない。まずは証言として聞け」

 

「分かっています」

 

 千冬は頷いた。

 

 十蔵が通信端末を操作する。

 

 接続開始を示す表示が点灯した。

 

 数秒後。

 

 画面に、一人の女性が映し出された。

 

     ◇

 

『……聞こえていますか?』

 

 落ち着いた女性の声だった。

 

 三十代半ばほどに見える。

 

 肩まで伸びた黒髪。

 

 目元には、疲労の色があった。

 

 十蔵が答える。

 

「はい。こちらはIS学園です。私は轡木十蔵。隣にいるのが織斑千冬先生です」

 

『……三枝真帆です』

 

 女性は小さく頭を下げた。

 

『本日は、お時間をいただきありがとうございます』

 

「こちらこそ。最初に確認させてください。あなたは、過去の試験施設で観測補助を担当していたと申告されていますね」

 

『はい』

 

「どのような業務でしたか?」

 

『主に、外部観測装置の記録確認と、試験終了後のデータ整理です。操縦者の状態監視にも、補助として関わっていました』

 

 十蔵は頷いた。

 

「今回、なぜ学園へ連絡を?」

 

 三枝は少しだけ視線を落とした。

 

『……二人目の男性操縦者が入学したという話を聞いたからです』

 

「それだけですか?」

 

『機体の特徴についても、噂を耳にしました』

 

 画面の向こうで、三枝は言葉を探すように間を置いた。

 

『灰色の装甲で、左右の推進器の構成が違う機体だと』

 

 朔の指が、わずかに動いた。

 

 十蔵は落ち着いた声で尋ねる。

 

「その情報は、どこで知りましたか?」

 

『以前、一緒に仕事をしていた人からです。ただ、その人自身がどこで聞いたのかまでは分かりません』

 

「そうですか」

 

『……だから、最初は別の機体かもしれないと思いました』

 

 三枝は続けた。

 

『でも、男性操縦者だと聞いて……どうしても確認したくなったんです』

 

 十蔵は朔へ視線を向けた。

 

「雨宮君。こちらが、今回の情報提供者だよ」

 

 朔は画面へ向き直った。

 

「……雨宮朔です」

 

 三枝の表情が変わった。

 

 ほんの一瞬。

 

 だが、明らかに驚いていた。

 

『……雨宮、朔君』

 

「はい」

 

 三枝は口元に手を当てた。

 

 数秒の沈黙。

 

『……大きくなりましたね』

 

 朔は目を瞬いた。

 

「……え?」

 

『ごめんなさい。突然、こんなことを言って』

 

 三枝は小さく頭を下げた。

 

『私が最後にあなたを見たのは、何年も前なので』

 

 朔は画面を見つめた。

 

 顔に、はっきりとした見覚えはない。

 

 だが、声にはどこか引っかかるものがあった。

 

「……俺に会ったことがあるんですか?」

 

『はい』

 

 三枝は静かに答えた。

 

『ただし、きちんと話をしたことはありません。私は観測室にいましたから』

 

 朔の背筋が伸びた。

 

 観測室。

 

 あの白い廊下の奥にあった部屋。

 

 閉じかけた扉。

 

 そして、聞こえた声。

 

「……観測室に?」

 

『ええ』

 

 朔は少し迷った。

 

 それから、尋ねた。

 

「……一つ、聞いてもいいですか」

 

『もちろんです』

 

「試験が終わったあと、観測室で何か問題が起きませんでしたか?」

 

 三枝は答えなかった。

 

 しばらくして、静かに口を開いた。

 

『……何か、覚えているんですか?』

 

「……少しだけ」

 

 朔は頷いた。

 

「通路を歩いていたとき、部屋の中から声が聞こえた気がするんです」

 

『声……』

 

「『まだ、終わっていません』って」

 

 三枝の表情が固まった。

 

 千冬が静かに口を開く。

 

「三枝さん。その言葉に心当たりはありますか?」

 

 三枝は数秒、画面の外へ視線を向けた。

 

 そして。

 

『……あります』

 

 朔は息を止めた。

 

『その言葉を言ったのは、私だと思います』

 

     ◇

 

 会議室が静まり返った。

 

「……あなたが?」

 

 朔が尋ねる。

 

『はい』

 

 三枝は頷いた。

 

『あの日、試験が中断されたあと、観測を続ける必要があると伝えました』

 

 十蔵が身を乗り出した。

 

「理由を聞かせてください」

 

『機体の試験が終了しても、操縦者の安全確認が終わっていなかったからです』

 

 朔は画面を見つめた。

 

『あの施設では、機体の動作を記録する設備と、操縦者の状態を監視する設備が分かれていました』

 

「それは、こちらでも可能性として把握しています」

 

 十蔵が答える。

 

「試験中断後も、観測系統が動いていたということですか?」

 

『はい』

 

 三枝は少しだけ表情を引き締めた。

 

『機体側の試験が中断されても、操縦者の状態監視は続けていました。安全確認が終わるまでは、そこで計測を止めるべきではありませんから』

 

 千冬が尋ねる。

 

「では、あのとき何らかの異常があったのですか?」

 

『……ありました』

 

 朔の右手が、膝の上で止まった。

 

 三枝は続ける。

 

『ただし、私は医師ではありません。原因を診断できる立場でもありませんでした』

 

「それで構いません。あなたが実際に確認した内容を教えてください」

 

 千冬は落ち着いていた。

 

 三枝は頷いた。

 

『試験中断の直前から、操縦者の状態を監視する装置で、通常とは異なる反応が出ていました』

 

「どのような反応ですか?」

 

『特に、右上肢に関する測定値です』

 

 朔は思わず、自分の右腕を見た。

 

 包帯の下。

 

 指先に残る痺れ。

 

 そして、先日の戦闘で生じた痛み。

 

『右腕の筋活動を測る項目に、通常の試験終了時とは異なる変化が残っていました』

 

 三枝は慎重に言葉を選んだ。

 

『測定機器の誤差だった可能性もあります。装置の状態まで私が確認したわけではありませんから』

 

 十蔵が頷く。

 

「それでも、安全確認が必要だと判断した」

 

『はい』

 

 三枝は少しだけ目を伏せた。

 

『試験が中断された以上、操縦者の状態を確認しなければなりません。あのとき、私はそれを伝えました』

 

「……まだ、終わっていません」

 

 朔が小さく呟いた。

 

 三枝は顔を上げた。

 

『……そうです』

 

 その声を聞いた瞬間。

 

 朔の頭に、白い廊下の光景が浮かんだ。

 

 開きかけた扉。

 

 室内に並ぶ画面。

 

 その前に座る人影。

 

 確かに、似た声だった。

 

 だが、完全に思い出せたわけではない。

 

 自分が昨日まで覚えていたものと、今聞いた説明が混ざっている可能性もある。

 

「……そういう意味だったんですか」

 

 朔は呟いた。

 

 三枝は頷いた。

 

『少なくとも、私がその言葉を口にした理由はそうです』

 

     ◇

 

「三枝さん」

 

 十蔵が声をかけた。

 

「そのときの記録は残っていますか?」

 

『……一部だけですが』

 

 三枝は机の上から、古い紙を取り上げた。

 

『私が当時の作業内容を確認するために残していた控えです。正式な医療記録ではありません』

 

 画面に、紙の一部が映し出される。

 

 そこには、時刻と簡単な作業内容が書かれていた。

 

 ――機体動作試験 中断。

 

 ――観測系統 継続。

 

 ――操縦者状態 再確認要。

 

 朔は、その最後の行を見つめた。

 

「……再確認要?」

 

『はい』

 

 三枝は頷いた。

 

『あの時点では、安全確認が完了したとは扱えない状態でした』

 

 千冬が尋ねる。

 

「その後、操縦者の状態はどうなりましたか?」

 

『私は観測業務の担当でしたから、診察の詳細は知りません。ただ、しばらくしてから、試験終了後の移動が許可されたことは覚えています』

 

 朔は顔を上げた。

 

「……俺、誰かに案内されて、別の部屋へ行った記憶があります」

 

『そうだったと思います』

 

「そのあと、試験は予定どおり終わったって説明されたんです」

 

 三枝は黙った。

 

 少しして、静かに答える。

 

『……その説明をしたのが誰なのか、私は知りません』

 

「そうですか」

 

『でも、少なくとも観測室では、途中で確認が必要な状態になったと認識していました』

 

 朔は右手を見た。

 

「……それって、俺の今の腕にも関係してるんですか?」

 

 三枝の表情が曇った。

 

『……分かりません』

 

 その答えは、はっきりしていた。

 

『あの日の測定値と、今の症状を直接結びつけることはできません。時間も経っていますし、その間に何があったのか、私は知らないんです』

 

 朔は静かに頷いた。

 

「……そうですよね」

 

 千冬が口を開く。

 

「雨宮。今の話だけで、過去の試験が負傷の原因だったと決めつけるな」

 

「はい」

 

「ただし、当時の記録が医師の判断に役立つ可能性はある」

 

「……分かりました」

 

 朔は顔を上げた。

 

 三枝がこちらを見ている。

 

 その表情には、どこか申し訳なさそうなものがあった。

 

「……三枝さん」

 

『はい』

 

「一つ、聞いてもいいですか」

 

『何でしょう』

 

「どうして、今になって連絡してくれたんですか?」

 

 三枝は、すぐには答えなかった。

 

 その沈黙が、少し長く感じられた。

 

『……ずっと、気になっていたからです』

 

「俺のことが?」

 

『ええ』

 

 三枝は頷いた。

 

『試験のあと、あなたがどうなったのか、私には分かりませんでした』

 

 朔は黙って聞いていた。

 

『当時の私は、担当した記録をまとめることしかできませんでした。試験の詳しい結果にも、その後の判断にも関われなかった』

 

「……そうだったんですか」

 

『はい』

 

 三枝は手元の紙へ視線を落とした。

 

『でも、あの日の観測で気になる数値が出ていたことは、覚えていました』

 

 少し間を置く。

 

『だから、二人目の男性操縦者の話を聞いたとき……もし、あの子だったらと思って』

 

 朔は返事をしなかった。

 

 三枝は小さく頭を下げた。

 

『……もっと早く確認すべきだったのかもしれません』

 

「……いえ」

 

 朔は首を振った。

 

「俺も、今までちゃんと調べようとしてなかったので」

 

『……雨宮君』

 

「でも、連絡してくれてありがとうございます」

 

 三枝は顔を上げた。

 

 その目元が、少しだけ緩んだ。

 

『……こちらこそ、話を聞いてくれてありがとう』

 

     ◇

 

 面談の終了が近づいた頃。

 

 十蔵が、最後の確認を行った。

 

「三枝さん。先ほどの記録について、正式な照合をお願いできますか?」

 

『はい。可能な範囲で協力します』

 

「ありがとうございます。ただし、今回の資料に操縦者の医療情報が含まれている場合は、本人の同意を得た範囲で扱うことにします」

 

『分かりました』

 

 十蔵は朔へ向き直った。

 

「雨宮君。どうしたい?」

 

 朔は少し考えた。

 

 昔の試験。

 

 右腕に関する測定値。

 

 そして、自分が知らなかった安全確認。

 

 もし、それらが今の身体に関係しているのなら。

 

 調べておきたい。

 

「……確認してほしいです」

 

 朔は答えた。

 

「ただ、記録は必要な部分だけでお願いします」

 

 十蔵は頷いた。

 

「もちろんだよ」

 

 千冬も口を開く。

 

「身体の状態に関わる情報は、まず担当医に確認させる。技術担当者だけで判断することはしない」

 

「はい」

 

 朔は頷いた。

 

 三枝は、画面の向こうで静かにそのやり取りを見ていた。

 

 そして、何かを思い出したように口を開いた。

 

『……あの、もう一つだけ』

 

 十蔵が顔を上げる。

 

「何でしょう?」

 

『当時の記録について、まだお伝えしていないことがあります』

 

 会議室が静かになった。

 

『私が保管していた控えには、続きがあるんです』

 

「……続き?」

 

 千冬が尋ねる。

 

 三枝は頷いた。

 

『試験中断のあと、安全確認の結果を記入するための欄がありました』

 

 朔は画面を見つめる。

 

『その欄には、当初、再確認が必要だと記されていました』

 

 十蔵が静かに尋ねた。

 

「当初、ということは?」

 

 三枝は手元の紙を裏返した。

 

『その後、私たちが提出することになった報告書では、別の記載に変わっていたんです』

 

「……何と?」

 

 数秒の沈黙。

 

 三枝は答えた。

 

『異常なし、と』

 

 朔の表情が変わった。

 

「……え?」

 

『私が確認した観測結果と、最終的に提出された報告書の記載が違っていました』

 

 十蔵の眼差しが鋭くなる。

 

「その報告書を作成したのは、誰ですか?」

 

『……分かりません。私が受け取った時点で、既に記載が変わっていました』

 

「変更の理由について、説明は?」

 

『ありませんでした』

 

 千冬が腕を組んだ。

 

「それで、あなたはどうしたのですか?」

 

 三枝は少しだけ視線を落とした。

 

『確認を求めました。でも、最終判断は医療担当者が行ったものだと説明されました』

 

「その医療担当者の氏名は?」

 

『……記録を確認しなければ、正確には答えられません』

 

 十蔵は頷いた。

 

「分かりました。では、そこも含めて照合させてください」

 

『はい』

 

 朔は画面を見つめたまま、動かなかった。

 

 再確認が必要だったはずの状態。

 

 それが、いつの間にか異常なしになっていた。

 

 もし三枝の証言が正しいのなら、当時の報告には説明されていない変更がある。

 

 ただし、それが不正だったのか。

 

 医療担当者が追加確認を行った結果なのか。

 

 その点は、まだ分からない。

 

「……三枝さん」

 

 朔が口を開いた。

 

『はい』

 

「その報告書、俺も確認できますか?」

 

 三枝は少し驚いた顔をした。

 

『……可能な範囲で、確認できるようにしたいと思います』

 

 朔は頷いた。

 

「お願いします」

 

 通信が終了した。

 

     ◇

 

 午後五時三十八分。

 

 小会議室には、朔と千冬、十蔵の三人が残っていた。

 

 しばらく、誰も口を開かなかった。

 

 やがて十蔵が資料を閉じる。

 

「……重要な話だったね」

 

「はい」

 

 朔は答えた。

 

 千冬が口を開く。

 

「雨宮。今の証言について、どう思う?」

 

 朔は少し考えた。

 

「……正直、驚きました」

 

「そうだろうな」

 

「でも、まだ何が正しいのか分からないです」

 

 千冬は頷いた。

 

「それでいい」

 

 朔は顔を上げた。

 

「三枝さんが嘘をついてるとは思いたくないです。でも、昔のことですし……」

 

「ああ。証言と記録は照合する必要がある」

 

 十蔵が答えた。

 

「ただし、今日は一つ前進した」

 

「……何がですか?」

 

「調べるべきものが、より具体的になったことだよ」

 

 十蔵は資料を指さした。

 

「これまでは、機体の試験記録しか手掛かりがなかった。だが、今は違う」

 

 朔は頷いた。

 

「……操縦者の状態監視記録」

 

「そう。それと、最終的に提出された報告書だ」

 

 千冬が続ける。

 

「両方を確認する必要がある。もし記載が違っていたなら、その理由を調べる」

 

「はい」

 

「ただし、そのためにお前を再び機体へ乗せる必要はない。今は過去の資料を調べるだけだ」

 

 朔は少しだけ笑った。

 

「……分かっています」

 

 十蔵も穏やかに頷いた。

 

「今日はもう寮へ戻って休むといい。十分に話を聞いたからね」

 

「はい」

 

 朔は立ち上がった。

 

 扉へ向かいかけて、足を止める。

 

「……轡木さん」

 

「何だい?」

 

「一つ、お願いがあります」

 

「うん?」

 

 朔は振り返った。

 

「昔の試験について、何か分かっても……俺に隠さないでください」

 

 十蔵は静かに朔を見た。

 

 その表情から、穏やかな笑みが消える。

 

「……確認できたことは、君に伝える」

 

 今度の声は、いつもより少し低かった。

 

「ただし、君の安全や第三者の情報に関わる場合は、伝え方を相談することもある。それでも、理由を説明せずに黙らせるつもりはない」

 

 朔は、しばらくその言葉を聞いていた。

 

 そして、小さく頷いた。

 

「……ありがとうございます」

 

     ◇

 

 午後六時二十分。

 

 寮へ向かう途中、朔は一夏と顔を合わせた。

 

「お、朔!」

 

「一夏」

 

「今帰りか?」

 

「ああ」

 

「そっか。今日はずいぶん長かったな」

 

 朔は少しだけ苦笑した。

 

「……いろいろあって」

 

 一夏は頷いた。

 

「それで、どうだった?」

 

「……少し、分かったことがある」

 

「おお。それはよかったじゃん」

 

 朔は、一夏の顔を見た。

 

 いつもどおりの表情。

 

 いつもどおりの声。

 

 難しい事情など、何も知らない。

 

 それでも、こうして声をかけてくれる。

 

「……なあ、一夏」

 

「ん?」

 

「昔のことって、全部知っておいた方がいいと思うか?」

 

 一夏は少し考えた。

 

「……難しいな」

 

「そうか?」

 

「ああ。知らなくてもいいことって、あるかもしれないし」

 

 朔は頷いた。

 

「……そうだな」

 

「でも、自分に関係することなら、知りたいって思うのは普通じゃないか?」

 

 朔は顔を上げた。

 

 一夏は続けた。

 

「俺だって、自分が何でISを動かせるのか、分かるなら知りたいしさ」

 

「……なるほど」

 

「ただ、全部分かったからって、すぐに何か変わるわけでもないだろ?」

 

 朔は少し笑った。

 

「……そうかもな」

 

「だから、分かったことから考えればいいんじゃないか?」

 

 一夏は肩をすくめた。

 

「俺だったら、そうすると思う」

 

 朔はしばらく黙っていた。

 

 それから、笑った。

 

「……ありがとう」

 

「え?」

 

「参考になった」

 

「……お、おう」

 

 一夏は少し照れくさそうに頭をかいた。

 

「何だよ、急に」

 

「別に」

 

 朔は笑いながら歩き始めた。

 

 一夏もその隣へ並ぶ。

 

 夕方の学園。

 

 遠くのアリーナでは、まだ訓練が続いている。

 

 空を飛ぶIS。

 

 笑いながら歩く生徒たち。

 

 いつもどおりの光景だった。

 

 ただ、朔の中では。

 

 今日、確かに何かが変わっていた。

 

     ◇

 

 午後八時四十一分。

 

 日本国内の、とある部屋。

 

 三枝真帆は、机の上に広げた古い資料を見つめていた。

 

 今日、IS学園へ説明した内容。

 

 機体の試験中断。

 

 観測の継続。

 

 そして、操縦者の状態を再確認する必要があったこと。

 

 それらは、当時の自分が実際に扱った記録に基づく話だった。

 

 ただし、まだすべてを伝えられたわけではない。

 

 三枝は、古い記録の束から一枚の紙を取り出した。

 

 そこには、手書きの作業確認欄が残っていた。

 

 ――操縦者状態 再確認要。

 

 その横に、別の文字が書かれている。

 

 ――最終報告への反映 保留。

 

 三枝は、その文字を見つめた。

 

 あの日。

 

 試験が中断されたあとも、操縦者の監視は続いていた。

 

 そして、確認が必要な状態だった。

 

 だが、後日提出された報告書では、その内容が変わっていた。

 

 異常なし。

 

 その判断が正しかったのかどうか。

 

 三枝には、今も分からない。

 

 ただ、理由を尋ねても、明確な説明が得られなかったことだけは覚えている。

 

「……今度こそ」

 

 小さく呟いた。

 

 机の上には、もう一枚の記録が置かれている。

 

 試験当日の作業担当者一覧。

 

 その中の一つに、印が付けられていた。

 

 医療担当者。

 

 三枝は、その名前を指でなぞった。

 

「……あなたなら、説明できるはずですよね」

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 

 そして、資料を一枚ずつ整理し始めた。

 

 雨宮朔。

 

 あのとき、まだ幼かった少年。

 

 灰色のISを操り、試験を受けていた存在。

 

 その少年が今、自分の過去を知ろうとしている。

 

 ならば、少なくとも。

 

 当時の記録に何が残されていたのかは、伝えなければならない。

 

     ◇

 

 午後九時十六分。

 

 朔は寮の自室で、端末を見つめていた。

 

 今日の面談について、学園側から簡単な確認事項が届いている。

 

 情報提供者の証言。

 

 試験中断後の観測継続。

 

 右腕に関する測定値。

 

 そして、最終報告書との食い違い。

 

 朔は一つずつ読み返した。

 

「……異常なし、か」

 

《現時点では、当時の最終報告書の真正性と判断根拠は確認されていません》

 

「分かってる」

 

 朔は右手を開いた。

 

 指先には、今も痺れが残っている。

 

 その症状が、昔の試験と関係しているのかどうか。

 

 まだ分からない。

 

 だが、少なくとも。

 

 あのとき、何の問題もなかったと簡単に決めつけることはできなくなった。

 

「……なあ」

 

《はい》

 

「昔の試験で、何かあったとしてさ」

 

《はい》

 

「それが今になって分かっても、どうにもならないことってあるよな」

 

《内容によります。過去の出来事そのものを変更することはできません》

 

「……そうだな」

 

《ただし、現在の状態を判断するための情報になる可能性はあります》

 

 朔は少しだけ笑った。

 

「……それは、確かに」

 

 机の上には、明日の授業で使う教科書が置かれている。

 

 今日も、一日が終わろうとしていた。

 

 学校へ行き、授業を受け、友人と話す。

 

 その合間に、自分の過去を調べる。

 

 以前なら考えられなかった生活だった。

 

 朔は端末を閉じた。

 

 過去の試験で何が起きたのか。

 

 誰が、何を判断したのか。

 

 そして、なぜ報告書の内容が変わったのか。

 

 答えは、まだ出ていない。

 

 だが、今は確かな手掛かりがある。

 

 観測室にいた人物。

 

 当時の記録。

 

 そして、その記録を知っている人間。

 

 朔は静かに目を閉じた。

 

 灰色のISが試験を受けた、あの日。

 

 機体の試験は中断された。

 

 だが、操縦者の確認は続いていた。

 

 そのことを、朔は今日、初めて知った。

 

 そして。

 

 あの試験を本当に終わらせたのが誰だったのか。

 

 その答えは、まだ記録の向こう側に残されていた。

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