IS〈インフィニット・ストラトス〉蒼穹の亡霊   作:右左右左右

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第26話 別紙の所在

 午前七時五十八分。

 

 寮の自室で鞄を閉じた雨宮朔は、机の端に置いた携帯端末へ目を向けた。

 

 画面には、昨日の診察結果が表示されている。

 

 右上肢の感覚障害。

 

 運動機能に大きな異常なし。

 

 IS操縦の制限は継続。

 

 簡潔な文章だった。

 

「……異常なし、か」

 

 朔はその一文を見つめた。

 

 昨日、医師から説明を受けたときには、特に気にならなかった言葉。

 

 だが、過去の試験記録について調べ始めてから、その意味を考えることが増えた。

 

 運動機能に異常がない。

 

 それは、腕に問題がないということではない。

 

 実際、今も指先には痺れが残っている。

 

 同じように、過去の報告書に記された「異常なし」も、何についての判断だったのかを確かめる必要がある。

 

《本日の体調記録を確認しますか?》

 

「……いや。昨日と変わらない」

 

《了解しました》

 

 端末の画面が消える。

 

 朔は右手を開き、指先を軽く動かした。

 

 感覚は鈍い。

 

 しかし、痛みはなかった。

 

 少なくとも、今日も学校へ行くことに問題はない。

 

「……行くか」

 

 鞄を持ち、部屋を出る。

 

 廊下の向こうから、聞き慣れた声がした。

 

「おーい、朔!」

 

 織斑一夏だった。

 

「おはよう」

 

「おう、おはよう!」

 

 一夏は朔の顔を見ると、少し安心したように笑った。

 

「昨日の検査、悪くなってなかったんだろ?」

 

「ああ。まだ治ってはいないけど」

 

「そっか。よかったな」

 

 朔は小さく頷いた。

 

「……ありがとう」

 

「何だよ、改まって」

 

「別に。普通にお礼を言っただけ」

 

 一夏は首を傾げた。

 

 それから、いつものように笑った。

 

「じゃあ、行こうぜ。今日は遅れたくないからな」

 

「昨日、何かあったのか?」

 

「……千冬姉に、次に遅れたら覚悟しろって」

 

「なるほど」

 

 朔は笑った。

 

「それは急いだ方がいいな」

 

「だろ!?」

 

 二人は並んで歩き始めた。

 

 六月の朝。

 

 海から吹く風には、わずかに湿気が混じっている。

 

 いつもの通学路。

 

 いつもの会話。

 

 そんな時間を過ごしながら、朔は今日も教室へ向かった。

 

     ◇

 

 午前十時三十五分。

 

 一年一組では、数人ずつに分かれた課題演習が行われていた。

 

 内容は、ISの試験運用計画の作成。

 

 指定された条件をもとに、試験項目と確認方法を整理するというものだった。

 

 朔の班には、一夏とシャルロット、そして箒がいる。

 

「……これで全部か?」

 

 一夏が資料を見ながら尋ねた。

 

 シャルロットは首を横に振った。

 

「まだだよ。一夏。試験が終わったあとの確認が抜けてる」

 

「終わったあと?」

 

「うん。機体の状態を確認したり、操縦者に問題がないか調べたりするところ」

 

「ああ、そっか」

 

 一夏は慌てて書き加えた。

 

 その様子を見ていた箒がため息をつく。

 

「まったく。試験さえ終わればいいというものではないだろう」

 

「分かってるって」

 

「なら、最初から書け!」

 

「……はい」

 

 朔は二人のやり取りを眺めながら、資料へ視線を落とした。

 

 試験開始。

 

 基本動作確認。

 

 推進器の作動確認。

 

 姿勢制御。

 

 安全確認。

 

 そして、終了判定。

 

 見慣れた項目が並んでいる。

 

「……朔?」

 

 シャルロットが声をかけた。

 

「何か気になるところがある?」

 

「いや」

 

 朔は少し考えた。

 

「終了判定って、機体と操縦者を別々に確認した方がいいんじゃないかな」

 

 シャルロットは資料を見直した。

 

「……確かに」

 

「機体の動作試験が終わっても、操縦者の安全確認が終わってない場合もあるだろ」

 

「そうだね」

 

 シャルロットは頷いた。

 

「それなら、最後のところを二つに分けようか」

 

 朔は書類に項目を追加した。

 

 ――機体試験終了。

 

 ――操縦者安全確認終了。

 

 一夏が覗き込む。

 

「……なるほど。こっちの方が分かりやすいな」

 

「ああ」

 

「じゃあ、確認する担当者も別々にした方がいいのか?」

 

 朔は少し驚いた。

 

「……それもそうだな」

 

 シャルロットが頷いた。

 

「技術担当者と医療担当者じゃ、確認する内容も違うからね」

 

 箒も資料へ目を向ける。

 

「それに、異常が見つかったときに、誰が中断を判断するのかも決めておくべきだ」

 

「そうだな」

 

 朔は頷いた。

 

 四人で相談しながら、少しずつ計画を修正していく。

 

 やがて、机の上には一枚の完成した資料が置かれた。

 

「……できた!」

 

 一夏が嬉しそうに声を上げる。

 

 箒は腕を組んだ。

 

「まだ提出前の確認がある」

 

「ええっ!?」

 

「誤字や記入漏れがないか見直せと言っているんだ!」

 

 シャルロットが笑った。

 

「まあまあ。僕も手伝うよ」

 

 朔も資料を手に取る。

 

「俺も確認する」

 

「……助かる」

 

 一夏は肩を落とした。

 

 朔は思わず笑った。

 

 今日の課題は、あくまで授業の一部だ。

 

 だが、複数人で一つの計画を考え、互いの見落としを指摘し合う。

 

 それは、以前の自分にはあまり経験のなかったことだった。

 

 誰かの命令に従うのではない。

 

 同じ立場で意見を出し合う。

 

 そんな時間も、悪くないと思った。

 

     ◇

 

 午前十一時五十二分。

 

 IS学園の管理棟。

 

 轡木十蔵は、三枝真帆から届いた追加資料を確認していた。

 

 前日に連絡があった、過去の試験に関する承認経路の資料だった。

 

「……これは?」

 

 十蔵が尋ねる。

 

 向かいに座る女性職員が答えた。

 

「試験記録の引き継ぎに使用されていた管理票の写しです」

 

 画面には、古い書式の文書が表示されていた。

 

 試験番号。

 

 記録作成日。

 

 担当区分。

 

 そして、資料の保管先を示す欄。

 

「三枝さんによると、当時の試験記録は一か所で管理されていたわけではないそうです」

 

「……なるほど」

 

 十蔵は資料を読み進めた。

 

 機体動作記録。

 

 推進器制御記録。

 

 外部観測記録。

 

 それぞれに保管区分が設けられている。

 

 そして、最後に別の項目があった。

 

 ――操縦者状態確認資料。

 

 十蔵の指が止まった。

 

「……これが、例の別紙か?」

 

「可能性があります」

 

 職員は頷いた。

 

「昨日の報告書に記されていた管理番号と、形式が一致しています」

 

「番号そのものは?」

 

「一部が共通しています。ただし、こちらも写しですので、完全な照合はまだできていません」

 

 十蔵は頷いた。

 

「……保管先は?」

 

 職員は画面の下部を指さした。

 

 そこには、短い記述があった。

 

 ――医療管理区分へ移管。

 

「……医療管理区分?」

 

「はい。三枝さんが言うには、操縦者の身体に関する記録は、一般の機体試験記録とは別に管理されていたそうです」

 

 十蔵は資料へ目を落とした。

 

 これまで、学園側は機体試験の記録を中心に調べていた。

 

 だが、操縦者の状態を示す資料が別の場所に保管されていたのなら、見つからなかったことにも説明がつく。

 

「移管先は特定できるか?」

 

「当時の管理部門を示す略号が残っています。現在、施設の記録を引き継いだ組織を確認中です」

 

「分かった」

 

 十蔵は資料を閉じかけた。

 

 だが、もう一つ気になる点があった。

 

「……この欄は?」

 

 移管記録の横。

 

 小さな文字で、別の項目が記されている。

 

 ――操縦者接続状態。

 

 女性職員が頷いた。

 

「こちらも、別紙の管理対象に含まれていた可能性があります」

 

 十蔵は黙った。

 

 操縦者の状態確認。

 

 そして、ISとの接続状態。

 

 別々の情報でありながら、一つの管理区分で扱われていたらしい。

 

「……なるほどな」

 

 十蔵は小さく呟いた。

 

 以前、指示者から届いた言葉。

 

 ――あのとき止められたのは、機体だけではない。

 

 その意味を、まだ断定することはできない。

 

 だが、少なくとも。

 

 機体の試験終了と、操縦者の状態確認は、別々に扱われていた可能性が高まった。

 

「移管先の確認を優先しろ」

 

 十蔵が言った。

 

「記録が残っているなら、正式な手続きを踏んで確認する」

 

「承知しました」

 

「それと、雨宮君本人の同意が必要になる場合は、こちらから説明する」

 

「はい」

 

 職員が退出する。

 

 十蔵は椅子の背にもたれた。

 

 消えたと思われていた資料。

 

 その所在が、ようやく見えてきた。

 

     ◇

 

 昼休み。

 

 食堂では、一夏が朝の課題について愚痴をこぼしていた。

 

「……まさか、あんなに見直しすることになるとは思わなかった」

 

「当然だろう」

 

 箒が答える。

 

「提出する前に確認するのは当たり前のことだ」

 

「分かってるけどさ」

 

「なら、文句を言うな」

 

 朔は二人のやり取りを聞きながら、昼食に手をつけた。

 

 その隣では、シャルロットが笑っている。

 

「でも、最後はちゃんとできてたよね」

 

「ああ。そうだな」

 

 朔も頷いた。

 

「一夏が最後に気づいたところもあったし」

 

「そうそう!」

 

 一夏の表情が明るくなる。

 

「ほら、俺だってちゃんと役に立ってただろ!」

 

 箒は少しだけ顔を逸らした。

 

「……最初からあの調子でやればいいんだ」

 

「何だよ、それ」

 

 シャルロットが笑った。

 

 そのとき、セシリアが口を開く。

 

「ところで朔さん」

 

「ん?」

 

「午後は何かご予定がありますの?」

 

「今のところはないけど」

 

「それなら、少しご相談したいことがありますの」

 

「相談?」

 

「ええ。来週の戦術演習についてですわ」

 

 朔は顔を上げた。

 

「俺に?」

 

「もちろんです」

 

 セシリアは微笑んだ。

 

「以前、わたくしの射撃による進路制限について、的確なご意見をいただきましたでしょう?」

 

「ああ」

 

「その件で、もう少しお話を伺いたくて」

 

 朔は少し考えた。

 

「……俺でよければ」

 

「ありがとうございます!」

 

 セシリアの表情が明るくなる。

 

 だが、その横で一夏が口を挟んだ。

 

「セシリア。朔はまだ実技に参加できないんだから、あまり無理させるなよ」

 

「分かっておりますわ!」

 

 セシリアは頬を膨らませた。

 

「もちろん、戦術についての相談だけです」

 

「ならいいけど」

 

「まったく。一夏さんは、わたくしを何だと思っていらっしゃるんですの?」

 

 シャルロットが笑いを堪え、箒は呆れたようにため息をついた。

 

 朔も小さく笑った。

 

 機体を動かせなくても、自分にできることはある。

 

 そのことを、少しずつ実感し始めていた。

 

     ◇

 

 午後三時四十六分。

 

 IS学園の医療室。

 

 朔は診察用の椅子に座っていた。

 

 今日は通常の診察ではない。

 

 過去の医療記録を確認するために、担当医から説明を受けることになっていた。

 

「雨宮君。今日は、以前の試験に関する資料の扱いについて説明します」

 

「はい」

 

 担当医は端末を操作した。

 

 画面に、確認申請の案が表示される。

 

「学園側で、当時の操縦者状態確認記録が別の管理部門へ移されていた可能性が分かったそうです」

 

「……見つかったんですか?」

 

「まだ、資料そのものが見つかったわけではありません」

 

 担当医は首を振った。

 

「ただ、保管先を確認するための手掛かりが出てきたようです」

 

 朔は頷いた。

 

「……なるほど」

 

「そこで、もし記録が残っていた場合に備えて、本人確認と情報提供の手続きを進めたいと考えています」

 

「……俺の同意が必要なんですね」

 

「はい」

 

 担当医は頷いた。

 

「過去の医療情報ですから、本人に関する記録であっても、取り扱いには注意が必要です」

 

 画面には、確認対象となる情報が整理されていた。

 

 過去の試験に関する医療記録。

 

 右上肢の状態確認。

 

 操縦者の安全確認に関する所見。

 

 そして、必要に応じた接続状態の記録。

 

「ただし、機体の詳しい技術情報まで、すべて提供してもらう必要はありません」

 

 担当医は説明した。

 

「まずは、あなたの身体について何が確認されていたのかを調べたいんです」

 

 朔は画面を見つめた。

 

「……それなら、お願いします」

 

「確認したいことがあります」

 

「はい」

 

「過去の記録に、あなたが知らなかった情報が含まれている可能性があります。それでも、確認を希望しますか?」

 

 朔は少し黙った。

 

 知らなかった情報。

 

 それが何なのかは分からない。

 

 過去の試験で何か問題が起きていたのかもしれない。

 

 あるいは、何も特別なことはなかったのかもしれない。

 

 だが、いずれにしても。

 

 自分の身体についての記録だ。

 

「……はい」

 

 朔は頷いた。

 

「確認したいです」

 

 担当医は静かに頷いた。

 

「分かりました」

 

 画面に、確認申請の内容が表示される。

 

 朔は一つずつ目を通した。

 

 提供先。

 

 利用目的。

 

 情報の取り扱い範囲。

 

 それから、第三者への提供についての制限。

 

 以前、日本へ戻る際に署名した書類。

 

 その画像が、知らないうちに別の委任状へ使われていたことを思い出す。

 

 だからこそ、今回は内容をよく確認したかった。

 

「……この部分なんですけど」

 

 朔が画面を指さした。

 

「はい」

 

「学園の技術担当者にも、全部見せることになるんですか?」

 

 担当医は首を振った。

 

「医療記録そのものは、まず医療部門で確認します。機体の安全管理に必要な部分があれば、あなたと相談したうえで共有することになります」

 

「……分かりました」

 

 朔は頷いた。

 

 そして、同意する範囲を確認した。

 

 過去の医療記録。

 

 操縦者の状態確認。

 

 必要な範囲の接続状態の情報。

 

 それらを、現在の診察と安全確認のために使用すること。

 

 朔は端末に署名した。

 

「……お願いします」

 

 担当医は受領を確認し、穏やかに頷いた。

 

「こちらこそ。記録が見つかれば、内容を確認して説明します」

 

 朔は小さく息を吐いた。

 

 自分の名前で、書類に同意する。

 

 それだけのことだった。

 

 だが、以前とは違っていた。

 

 何のための手続きなのか。

 

 誰が情報を扱うのか。

 

 それを理解したうえで、自分で決めた。

 

     ◇

 

 午後四時二十八分。

 

 管理棟へ戻った朔は、十蔵と千冬に医療室での説明を報告していた。

 

「……そうか。手続きを進めてくれたんだね」

 

 十蔵が穏やかに言った。

 

「はい」

 

「ありがとう」

 

 朔は首を振った。

 

「俺のことなので」

 

 千冬が頷いた。

 

「それでいい」

 

 朔は顔を上げた。

 

「はい?」

 

「自分に関係する情報だ。何を確認するのか、理解しておくことは大切だ」

 

 朔は少しだけ笑った。

 

「……そうですね」

 

 十蔵は机の上に資料を置いた。

 

「それと、こちらからも報告がある」

 

「何か分かったんですか?」

 

「ああ。過去の試験記録について、保管先の手掛かりが見つかった」

 

 朔は身を乗り出した。

 

「……別紙ですか?」

 

「その可能性が高い」

 

 十蔵は説明した。

 

 以前の試験記録は、すべて同じ場所に保管されていたわけではない。

 

 機体の動作記録。

 

 外部観測記録。

 

 そして、操縦者の状態を確認するための資料。

 

 それぞれが、別の管理区分で扱われていたらしい。

 

「だから、機体の試験記録を調べるだけでは、操縦者の状態確認に関する資料が見つからなかったのかもしれない」

 

「……なるほど」

 

 朔は頷いた。

 

「じゃあ、消されたわけじゃない可能性もあるんですね」

 

「そうだね」

 

 十蔵は頷いた。

 

「ただし、実際に保存されているかどうかは、まだ確認が必要だよ」

 

「分かりました」

 

 千冬が口を開いた。

 

「雨宮。もう一つ覚えておけ」

 

「はい」

 

「仮に過去の記録が見つかっても、それだけですべてが分かるとは限らん」

 

「……はい」

 

「記録に誤りがあることも、解釈が違っていることもある。必要なら、当時の担当者へ確認することになる」

 

 朔は頷いた。

 

「分かっています」

 

 十蔵は資料を閉じた。

 

「今日はここまでにしよう。進展があれば、また知らせるよ」

 

「ありがとうございます」

 

 朔は立ち上がった。

 

 扉へ向かいかけて、足を止める。

 

「……轡木さん」

 

「何だい?」

 

「もし、昔の記録が見つかったら」

 

 少しだけ間を置く。

 

「……ちゃんと、全部確認したいです」

 

 十蔵は静かに朔を見た。

 

「……ああ」

 

 短く頷く。

 

「君が知るべきことは、きちんと説明するよ」

 

 朔は小さく頭を下げ、会議室を出た。

 

     ◇

 

 午後五時三十二分。

 

 朔は寮へ戻る途中、一夏と顔を合わせた。

 

「お、朔!」

 

「一夏」

 

「今帰りか?」

 

「ああ」

 

「また管理棟だったのか?」

 

「今日は医療室にも行ってた」

 

「そっか」

 

 一夏は頷いた。

 

「何か進展あった?」

 

「……少しだけ」

 

 朔は答えた。

 

「昔の記録が、見つかるかもしれない」

 

「おお、それはよかったじゃん!」

 

 一夏は嬉しそうに笑った。

 

 朔は少し驚いた。

 

「……まだ、見つかったわけじゃないぞ」

 

「でも、前より進んだんだろ?」

 

「……まあ、そうだけど」

 

「なら、よかったじゃん」

 

 朔は小さく笑った。

 

「……そうだな」

 

 一夏は肩をすくめた。

 

「難しいことはよく分からないけどさ」

 

「うん」

 

「自分のことなら、知っておきたいよな」

 

 朔は横を向いた。

 

 一夏は前を見たまま続ける。

 

「俺も、何でISを動かせるのか、いまだに分からないし」

 

「……そうだったな」

 

「いつか分かるのかな」

 

「さあな」

 

 朔は少し考えた。

 

「でも、調べないと分からないこともあるだろ」

 

「……だよな」

 

 一夏は笑った。

 

 それから、ふと思い出したように口を開いた。

 

「そういえば、今日の課題、先生から返ってきたぞ」

 

「……もう?」

 

「ああ。シャルが確認してくれたところ、ちゃんと合ってたみたいだ」

 

「よかったな」

 

「おう!」

 

 一夏は嬉しそうに頷いた。

 

「俺も、少しは成長してるだろ?」

 

「……そうだな」

 

「何だよ、その間!」

 

 朔は笑った。

 

 一夏もつられて笑う。

 

 夕方の学園。

 

 校舎から寮へ向かう生徒たち。

 

 遠くのアリーナへ戻っていくIS。

 

 いつもどおりの景色だった。

 

 その中で、朔は少しだけ考えていた。

 

 過去の試験。

 

 異常なしと記された報告書。

 

 そして、行方の分からなかった別紙。

 

 答えは、まだ見つかっていない。

 

 だが、今度は自分の意思で、その記録を確認しようとしている。

 

 それだけでも、以前とは違っていた。

 

     ◇

 

 午後七時十五分。

 

 IS学園の管理棟。

 

 十蔵は、記録管理部門から届いた新しい報告を確認していた。

 

「……見つかったのか?」

 

 向かいに座る女性職員が頷いた。

 

「はい。三枝さんから提供された管理票と、当時の施設に関する引き継ぎ記録を照合したところ、該当する管理番号が確認できました」

 

 十蔵は資料へ目を落とした。

 

 ――操縦者状態確認資料。

 

 ――医療管理区分。

 

 ――移管済。

 

「……つまり、別紙は実際に存在していたということか」

 

「少なくとも、正式な引き継ぎ対象として登録されていました」

 

 職員は頷いた。

 

「ただし、記録そのものが今も保存されているかどうかは、まだ確認中です」

 

「そうか」

 

 十蔵は資料を読み進めた。

 

 そこには、もう一つの情報があった。

 

 記録の移管時に作成された一覧。

 

 その中に、当時の試験番号と対応する項目が残されている。

 

「……これは?」

 

 十蔵が尋ねる。

 

「記録の分類を示すものです」

 

 職員は画面を拡大した。

 

 そこには、二つの異なる区分が並んでいた。

 

 ――機体動作試験 総合判定。

 

 ――操縦者状態確認 別紙管理。

 

 十蔵は黙った。

 

 以前の最終報告書には、異常なしと記されていた。

 

 だが、その報告書は機体動作試験の評価表として整理されている。

 

 そして、操縦者の状態確認は別紙に分けられていた。

 

「……なるほど」

 

 十蔵は静かに呟いた。

 

 異常なし。

 

 その言葉は、機体動作試験の総合判定を指していた可能性がある。

 

 少なくとも、それだけで操縦者の安全確認まで完了していたとは言えない。

 

「では、こちらは?」

 

 十蔵は別の項目を指さした。

 

 ――操縦者接続状態 確認継続。

 

 女性職員が頷いた。

 

「この記載については、まだ詳細が分かっていません。ただ、試験の終了時点で接続状態の確認が続けられていた可能性を示しています」

 

 十蔵は資料を見つめた。

 

 機体の動作試験は終了した。

 

 その報告書には、異常なしと記されていた。

 

 だが、操縦者の状態確認は別の記録で扱われていた。

 

 そして、その記録は医療管理区分へ移されている。

 

「……ようやく、話がつながってきたな」

 

 十蔵は小さく呟いた。

 

 もちろん、まだ確定したわけではない。

 

 実際の別紙を確認しなければ、最終的にどのような判断が下されたのかは分からない。

 

 だが、これまでの疑問の一つには、説明がつく可能性が出てきた。

 

 なぜ、三枝が再確認要と記録したのに、最終報告では異常なしとされていたのか。

 

 そもそも、その二つは同じ対象についての判断ではなかったのかもしれない。

 

 十蔵は資料を閉じた。

 

「……移管先への正式な照会を進めろ」

 

「承知しました」

 

「本人の同意も得られている。医療部門と連携して、必要な範囲の記録を確認する」

 

「はい」

 

 職員が退出する。

 

 十蔵は椅子の背にもたれた。

 

 消された二十四秒。

 

 試験中断の警告。

 

 外部接続の再確立。

 

 そして、操縦者状態確認の別紙。

 

 それぞれの記録は、まだ一つにつながっていない。

 

 だが、ようやく手掛かりが増え始めている。

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 日本国内の、とある部屋。

 

 三枝真帆は、IS学園から届いた連絡を読んでいた。

 

 ――提供いただいた管理票について、該当する移管記録が確認されました。

 

 ――今後は、医療管理区分の記録を正式に照会します。

 

 三枝は静かに息を吐いた。

 

「……よかった」

 

 それは、心からの言葉だった。

 

 あの日。

 

 試験が中断されたあと。

 

 観測室では、操縦者の状態確認が続けられていた。

 

 右上肢の測定値。

 

 外部計測の継続。

 

 そして、安全確認が完了していないことを示す記録。

 

 それらをまとめた資料は、確かに存在していた。

 

 だが、三枝自身はその最終判断に関わっていない。

 

 だからこそ、長い間、疑問が残っていた。

 

 自分が確認した結果は、どこへ行ったのか。

 

 誰が、最終的に問題なしと判断したのか。

 

 そして、あの少年には何が伝えられたのか。

 

「……まだ、終わっていない」

 

 三枝は小さく呟いた。

 

 かつて観測室で口にした言葉。

 

 あの日は、操縦者の安全確認についてのものだった。

 

 だが、今は違う意味を持っている。

 

 記録を確かめること。

 

 当時の判断を知ること。

 

 そして、本人へ説明すること。

 

 そのすべてが、まだ終わっていない。

 

 三枝は机の上にある古い資料を一枚取り上げた。

 

 そこには、当時の試験終了承認に関する記録が残されていた。

 

 承認経路。

 

 担当区分。

 

 そして、管理部門を示す略号。

 

 その横に、小さな手書きの文字があった。

 

 ――操縦者確認、別送。

 

 三枝は、その文字を見つめた。

 

 あのとき、別に送られた資料。

 

 その中に、何が記されていたのか。

 

 自分も、まだ知らない。

 

 だが、ようやく調べる道が見つかった。

 

「……今度こそ」

 

 小さく呟く。

 

 そして、資料を丁寧に封筒へ戻した。

 

     ◇

 

 午後九時二十三分。

 

 朔は寮の自室で、今日の課題を整理していた。

 

 机の上には、朝の授業で作成した試験運用計画が置かれている。

 

 機体試験終了。

 

 操縦者安全確認終了。

 

 二つに分けた項目。

 

 朔は、その文字をしばらく見つめた。

 

「……同じじゃないんだよな」

 

《何についてでしょうか?》

 

「機体の試験が終わることと、操縦者が大丈夫だって確認されること」

 

《異なる確認項目です》

 

「……そうだな」

 

 朔は小さく頷いた。

 

 以前の自分は、あまり意識していなかった。

 

 試験が終わった。

 

 そう言われれば、全部終わったのだと思っていた。

 

 機体も。

 

 操縦者も。

 

 そのほかの確認も。

 

 すべてが終わったのだと。

 

 だが、実際には違うのかもしれない。

 

 そのとき、端末が短く振動した。

 

 学園の管理部門からだった。

 

 ――雨宮君。

 

 ――過去の試験記録について、追加の保管情報が確認されました。

 

 ――操縦者状態確認の別紙は、当時の医療管理区分へ移管されていた記録があります。

 

 ――現在、保存状況と閲覧方法を確認しています。

 

 朔は文章を読み終えた。

 

「……あったんだ」

 

《記録の移管履歴が確認されたようです》

 

「……うん」

 

 朔は小さく息を吐いた。

 

 まだ、別紙そのものが見つかったわけではない。

 

 それでも。

 

 消されたと思っていた記録が、どこかに残っているかもしれない。

 

 少なくとも、そこへつながる手掛かりができた。

 

「……見つかるといいな」

 

《該当資料の確認は、現在進行中です》

 

「ああ」

 

 朔は頷いた。

 

 右手を開く。

 

 指先の痺れは、今日も残っている。

 

 だが、何もできないわけではない。

 

 学校へ通う。

 

 授業を受ける。

 

 友人と話す。

 

 そして、自分の過去について調べる。

 

 その一つ一つを、自分で選ぶことができる。

 

 朔は端末を閉じた。

 

 机の上の教科書を、鞄へしまう。

 

 明日も授業がある。

 

 一夏たちと会う。

 

 そして、また新しい一日が始まる。

 

 そのことが、今は少しだけ楽しみだった。

 

     ◇

 

 夜。

 

 学園の管理棟では、十蔵が最後の資料を確認していた。

 

 新たに見つかった移管記録。

 

 その末尾に、もう一つの項目があった。

 

 ――操縦者状態確認資料。

 

 ――保存区分変更。

 

 そして、備考欄。

 

 ――試験終了時点、確認継続。

 

 十蔵はその一文を見つめた。

 

 機体の試験は終了した。

 

 だが、操縦者の状態確認は、まだ続いていた。

 

 少なくとも、移管記録にはそう記されている。

 

「……なるほどな」

 

 十蔵は小さく呟いた。

 

 過去の試験。

 

 異常なしとされた報告書。

 

 そして、確認が続いていた操縦者。

 

 これまで一つの出来事だと思っていたものが、少しずつ別々の記録として見え始めている。

 

 問題は、その先だった。

 

 操縦者の確認は、いつ終わったのか。

 

 誰が、終了を判断したのか。

 

 そして、何を確認した結果だったのか。

 

 それらは、まだ分からない。

 

 十蔵は資料を閉じた。

 

「……次は、その答えだな」

 

 窓の外には、夜のIS学園が広がっている。

 

 寮の明かり。

 

 静かな校舎。

 

 遠くの海。

 

 そのどこかで、雨宮朔は明日の準備をしているのだろう。

 

 少年が自分の過去を知ろうとする以上。

 

 学園には、その意思を尊重しながら、事実を確かめる責任がある。

 

 十蔵は端末の電源を落とした。

 

 灰色のISが受けた試験。

 

 その全容は、まだ明らかになっていない。

 

 だが。

 

 行方の分からなかった別紙は、確かに保管記録の中に存在していた。

 

 そして、その先に。

 

 あの日、雨宮朔に何が起きたのかを知るための、次の手掛かりが残されているかもしれなかった。

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