IS〈インフィニット・ストラトス〉蒼穹の亡霊 作:右左右左右
第6話 もう1人の適合者
東京湾に浮かぶ人工島。
本土から延びる海上モノレールが、朝の光を受けて海面に影を落としていた。
その先にあるのは、IS学園。
アラスカ条約に基づいて設置され、各国から集められたIS操縦者と関連技術者を育成する教育機関だ。
堅牢な校舎群と訓練施設は、普通の高等学校というより軍事施設を思わせる。学生や教職員の出入りには管理手続きが必要で、学園の関係者に対する国家や組織の干渉も、国際的な規約によって原則として禁じられていた。
そんな学園の対外窓口に、一件の照会が届いた。
件名は、編入に関する事前相談。
女性職員は、通常の業務として書類を開いた。
候補者の年齢。
国籍。
学歴に関する情報。
必要な項目が揃っているかを確認していくうち、備考欄に記された一文で指が止まった。
――当該候補者は男性であり、ISの操縦経験を有する。
「……男性?」
女性は性別欄を確認した。
確かに、男性と記されている。
さらに、操縦経験についての申告もある。
だが、機体の形式や操縦した場所は空欄だった。客観的な記録も添付されていない。
織斑一夏。
男性でありながらISを起動できることが確認され、保護と教育のために学園へ入ることになった少年。
その前例を考えれば、目の前の申告は単なる編入相談では済まされない。
もし事実なら、もう一人の男性操縦者が存在することになる。
「……まずは、確認ですね」
女性は通常の編入処理を中断した。
送付元の認証情報を確認し、添付された本人確認書類と照合する。明白な不備は見つからないが、それだけで操縦能力まで証明されたわけではない。
女性は上席者へ連絡を入れた。
「男性のIS操縦経験を申告する候補者について、照会が届いています」
『……男性?』
「はい。織斑一夏とは別人です。ただし、操縦経験を裏付ける資料はまだありません」
『通常の編入審査は進めるな。まず申告内容の真偽を確かめる必要がある』
「承知しました」
『情報の共有範囲も限定してくれ。本当なら、扱いを誤るわけにはいかない』
通信が切れる。
女性は新しい管理記録を開き、申告内容の確認を求める返信を作成した。
――本人確認、およびIS操縦経験を裏付ける資料の提出を要請します。
――本件は通常の編入審査とは区別して取り扱います。
――事実関係が確認されるまでは、入学に関する判断を保留します。
送信を終えると、女性はもう一度、候補者の書類を見つめた。
名前は記載されている。
学歴もある。
しかし、それらが正しいとしても、最大の疑問は残ったままだ。
この少年は、本当にISを動かせるのだろうか。
◇
午前九時を少し過ぎた頃。
少年の携帯端末に、新しい連絡が届いた。
昨日と同じ認証符号。
差出人の名前は表示されない。
――通信を確保せよ。
少年は机の上に広げていた資料を閉じ、指定された回線を開いた。
『昨日送った資料は確認したな』
加工された男の声が聞こえる。
「IS学園のことか」
『そうだ』
「確認した。それで、何をさせたい?」
『お前を、あの学園へ入れる方向で調整している』
少年は返事をしなかった。
数秒後、ようやく口を開く。
「……学校?」
『IS学園だ』
「それは聞こえた。理由を聞いてる」
『お前の能力が公的に確認されれば、現在の立場を維持することは難しくなる』
「……なるほど」
少年は椅子の背にもたれた。
男性がISを操縦できる。
それがどれほど特殊なことなのか、知らないわけではない。
織斑一夏という少年の存在も、既に耳にしていた。
「一夏ってやつと同じ扱いになる、ってことか」
『可能性は高い』
「保護を名目に、学園へ入れられる?」
『少なくとも、自由に街で暮らしながらISを運用することは認められないだろう。各国の関心も集まる』
「……面倒な話だな」
『お前の場合は、それだけでは済まない』
少年は眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
『お前が使用しているISについても、説明が求められる』
「俺のISか」
『そうだ。あの機体を持ち込めば、管理権限や来歴を問われることになる』
「……そりゃそうだろうな」
少年は机に置いた右手へ視線を落とした。
包帯は昨夜、巻き直している。
指先の痺れは薄くなってきたものの、まだ完全には回復していない。
灰色のISが公の場に姿を見せれば、何が起きるか。
容易に想像できた。
既存の機体記録に一致しない外観。
説明の難しい運用経歴。
そして、その機体を操縦できる男性。
ただでさえ異例の存在が、さらに厄介な問題を抱えていることになる。
「機体のことは、学園にどこまで話した?」
『操縦経験があることだけだ』
「形式も?」
『まだ伏せている』
「じゃあ、向こうは何を判断すればいいんだ?」
『まず、お前が男性操縦者であることを確認する。その後の扱いは学園側と調整する』
少年は短く息を吐いた。
「……先に俺へ話を通すべきじゃないのか」
『事前照会の段階だ。入学はまだ決まっていない』
「俺に相談もなく進めたのは事実だろ」
通信の向こうが静かになった。
少年は続けた。
「それに、昨日までは日本の倉庫を調べろって言ってたじゃないか。急に学校へ入れって、話が飛びすぎだ」
『国内の監視任務については、当面ほかの人員が引き継ぐ』
「……そういうことまで決まってるのか」
『状況が変わった』
「何が?」
『今は説明できない』
「またそれか」
少年は窓の外へ視線を向けた。
通学途中の生徒たちが、歩道を並んで歩いている。
学校へ通う。
授業を受ける。
決まった時間に帰る。
そんな生活は、もう自分とは縁がないものだと思っていた。
「……一つ確認する」
『何だ』
「学園側が俺の能力を確かめたら、入学は決まりなのか?」
『最終的な措置は、学園側と関係機関の判断になる。ただし、一夏の前例がある以上、保護と教育のために入学を求められる可能性は高い』
「俺が嫌だと言っても?」
『本人の希望だけで結論が決まるとは考えにくい』
少年はしばらく黙っていた。
強制されること自体は、今さら珍しくもない。
しかし、学園に入れば、これまでの任務とは事情が違ってくる。
数日で終わる仕事ではない。
教員がいて、生徒がいて、生活の規則がある。
他人と顔を合わせ、同じ場所で過ごすことになる。
「……だったら、俺が今まで受けてきた命令はどうなる?」
『必要な連絡は続ける』
「学園の中でも?」
返答が遅れた。
『状況による』
「……学園の規約、理解してるんだろうな」
『当然だ』
「だったら、俺を送り込んで好き勝手に動かそうなんて考えるなよ」
『現時点で、学園内での作戦行動は予定していない』
「現時点では、か」
少年はそれ以上追及しなかった。
相手がはっきり答えるつもりのないことは分かった。
『今回の目的は、お前を保護可能な環境へ移すことだ』
「……誰から守るんだ?」
『答えられない』
「その答えばっかりだな」
『ただし、学園は我々の命令で動く組織ではない。入学の判断も、機体の管理も、こちらだけで決められることではない』
「……そこは分かってるんだな」
『必要な確認には協力してもらう』
「俺の意思は?」
『確認手続きへの協力は求める。ただし、その先の措置は、能力が確認された段階で判断される』
少年は画面を見つめた。
答えとして満足できるものではない。
それでも、少なくとも何が起きようとしているのかは理解できた。
「……分かった。まず、説明は聞く」
『それでいい』
「ただし、俺のISについて勝手に話を進めるな。何を明かすかは、俺にも説明してもらう」
『承知した』
通信が切れた。
机の上に、新しい資料が届いた。
IS学園。
男性操縦者に関する事前照会。
状態を示す欄には、はっきりと記されている。
――申告内容、未確認。
少年はその文字をしばらく見つめていた。
◇
同じ頃、東京湾の人工島では、対外窓口の女性職員が追加資料を確認していた。
送られてきた書類には、候補者の身元を示す情報が増えていた。
しかし、肝心のIS操縦経験については、状況が変わっていない。
機体形式、不明。
訓練記録、未提出。
操縦能力を裏付ける第三者の証言、なし。
女性は画面を閉じず、上席者から届いた指示を読み返した。
――男性操縦者である可能性を考慮し、確認手続きを優先すること。
――能力が確認された場合の保護措置について、関係部署との協議を準備すること。
――機体の管理に関する問題は、本人の保護とは別に審査すること。
女性は小さく息を吐いた。
「……やっぱり、そうなりますよね」
織斑一夏の場合、男性がISを起動できるという事実そのものが、世界中の関心を集める理由になった。
今回の申告が事実なら、同じような問題がもう一度起きる。
学園の通常の編入手続きだけで処理できる案件ではない。
ただし、今はまだ申告にすぎない。
事実確認を飛ばして保護措置を決めれば、それはそれで問題になる。
女性は確認事項を整理した。
まず、本人確認。
次に、申告された操縦能力の検証。
その結果に応じて、保護や入学に関する手続きを進める。
そして、候補者が使用したというISについては、別途、管理権限と来歴を確かめる。
女性は新しい報告書を作成した。
――現時点では、候補者のIS操縦能力は未確認。
――能力が確認された場合、通常の編入審査から特別な保護・受け入れ手続きへの移行を検討する。
――本人の身元および意思を確認する機会を設ける。
保存。
報告を上席者へ送ると、女性は椅子の背にもたれた。
窓の向こうでは、訓練施設の点検が進められている。
普段と変わらない学園の風景。
だが、目の前の申告が事実なら、その日常に新たな変化が訪れることになる。
「……もう一人、ですか」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
◇
午後になっても、少年は部屋から出なかった。
昨日の物流施設に関する追加調査は、今日は指示されていない。
代わりに、机の上には学園の資料が広げられていた。
教育課程。
訓練施設。
学生寮。
生活規則。
そして、機体の運用に関する注意事項。
「……相部屋か」
《原則として二名一室と記載されています》
「見れば分かる」
《現在の滞在環境とは、大きく異なります》
「だろうな」
少年は資料をめくった。
他人と同じ部屋で暮らす。
授業を受ける。
食堂で食事をする。
当番や行事にも参加するのだろう。
そうした生活を想像してみたが、どうにも実感が湧かなかった。
「……なあ」
《はい》
「俺が学校に通うところ、想像できるか?」
《判断に必要な情報が不足しています》
「そうだろうな」
少年は小さく笑った。
だが、すぐに表情を戻した。
学校という場所に、嫌な思い出ばかりがあるわけではない。
むしろ、思い出したくなることもある。
机の引き出しに目を向ける。
その中には、一枚の写真がある。
日本へ来てから何度も手に取ろうとして、結局そのままにしていたものだ。
少年は引き出しを開けかけた。
そのとき、携帯端末が振動した。
――IS学園側より追加確認の要求あり。
――候補者本人の意思確認、および操縦経験の検証が必要。
――確認方法については、別途協議する。
「……当然だな」
《操縦能力を証明する資料は、現在の提出書類に含まれていません》
「分かってる」
少年は右手を開いた。
指先に残る痺れは、まだ消えていない。
少なくとも、今すぐ機体を使って能力を証明するのは得策ではなかった。
それに、灰色のISをいきなり学園の前へ持ち出せば、話はさらに複雑になる。
「……証明するにも、方法を考えないとな」
《高出力機動を伴う操縦は、現時点では推奨されません》
「分かってるよ」
少年は端末を操作し、学園からの案内を読み返した。
本人の意思確認。
申告内容の説明。
操縦能力の検証。
いずれも避けて通れないことだ。
入学したいかどうか。
それだけを答えれば済む話ではなくなっていた。
少年は短い文章を入力した。
――本人確認への協力に同意。
――操縦能力の検証方法について、事前説明を希望します。
送信。
画面に受領通知が表示された。
少年は椅子にもたれた。
これから何が起きるのか、まだ分からない。
ただ一つだけ、はっきりしている。
自分がISを動かせる事実を証明すれば、これまでと同じ生活には戻れないかもしれない。
◇
地下施設では、大型保護容器の再移送が引き続き見合わされていた。
受領担当の男は、更新された作業計画を確認していた。
新たな移送先の通知はない。
管理条件についての回答も届いていなかった。
その代わり、施設内の警戒水準だけが引き上げられている。
通常の搬入口は閉鎖。
不要な人員の入室は禁止。
監視記録の閲覧権限も制限されていた。
「……運び出さない代わりに、閉じ込めるつもりか」
男は小さく呟いた。
作業卓の端末には、保護容器の供給状態が表示されている。
数値に異常はない。
しかし、正常という表示の意味は限定されていた。
外部から確認できる装置が、指定された範囲で動作している。
それだけだ。
内部の状況は、依然として分からない。
通信機が鳴った。
『受領担当、応答せよ』
「こちら受領担当」
『移送準備を当面停止する。容器を現在位置に固定し、現状を維持しろ』
「了解。理由を確認しても?」
『必要な時期が来れば伝える』
また同じ答えだった。
男は黙って通信を切った。
何を運んだのか。
なぜ襲われたのか。
どうして再移送を中止したのか。
自分に与えられるのは、いつも結果だけだ。
男は作業室へ視線を向けた。
厚い外殻に覆われた容器は、今も静かに置かれている。
中から音がするわけでもない。
何かが動く気配もない。
それでも、この箱のために人が動き、車両が動き、一機のISが損傷した。
そして、別のISは姿を消した。
男は監視画面を閉じた。
これ以上考えても、答えは出ない。
少なくとも、今の自分には。
◇
夕方。
少年の端末に、IS学園からの新しい連絡が届いた。
――本人確認および事前相談について、日程調整中。
――操縦能力の検証は、学園側が指定する安全管理条件のもとで実施する。
――承認なくISを展開し、または学園敷地内へ入ることを禁止する。
少年は文章を読み終えた。
当然の内容だった。
学園への出入りは海上モノレールに限られている。
許可もなく島へ向かい、勝手に機体を展開するわけにはいかない。
そもそも、自分の機体を見せれば、それだけで別の問題が生じる。
「……厳重だな」
《申告された操縦能力が未確認であることを考慮すると、妥当な対応と考えられます》
「分かってる」
少年は端末を机へ置いた。
まだ、学園に入ると決まったわけではない。
ただし、能力を証明できれば、その先では保護を名目とした入学措置が求められる可能性が高い。
そのことは、今日の説明で十分に理解した。
問題は、学校に行くかどうかだけではなかった。
そこで何を話すのか。
自分の過去を、どこまで明かすのか。
そして、俺のISをどう扱うのか。
少年は窓の外へ目を向けた。
夕暮れの街。
学生たちの帰宅する姿。
買い物帰りの人々。
昨日まで、自分とは無関係に思えていた光景だった。
もし本当に入学することになれば、ああした時間を過ごすのだろうか。
そんな考えが浮かぶ。
少年は少しだけ眉をひそめた。
今の自分には似合わない。
そう思った。
それでも、不思議と嫌な気分ではなかった。
机の上には、東京湾の地図が表示されたままだ。
海上を延びる一本の線。
その先にある人工島。
少年は画面を見つめた。
名前も、過去も、機体も。
いつまでも隠し通せるわけではない。
少なくとも、学園が自分を正式に受け入れることになれば、説明を避けられないことが増えるだろう。
少年は右手をゆっくりと握り込んだ。
指先には、まだ微かな痺れがある。
昨日までの生活を続けるのか。
それとも、別の場所で暮らすことになるのか。
その答えは、まだ出ていない。
だが、選択肢の一つだったはずの学園が、少しずつ避けられない場所へ変わろうとしていた。
少年は端末の画面を閉じた。
窓の向こうで、夕暮れの電車が走り去っていく。
その行き先は、東京湾の人工島ではなかった。
まだ、そこへ向かう許可はない。
それでも少年は、あの島のことを、しばらく考えていた。