IS〈インフィニット・ストラトス〉蒼穹の亡霊   作:右左右左右

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第7話 本人の意思

 東京湾の海上に、朝日が反射していた。

 

 IS学園の対外窓口では、始業間もない時間から一件の照会について協議が行われていた。

 

「……男性のIS操縦者、ですか」

 

 報告書を受け取った女性職員が、確認するように呟いた。

 

 向かいに座る対外窓口の担当者は頷いた。

 

「正確には、操縦経験があると申告している男性です。能力を裏付ける記録は、まだ提出されていません」

 

「織斑一夏とは別人なのね」

 

「本人確認書類上は、そうなっています」

 

 上席の女性職員は報告書の次の頁を開いた。

 

 候補者の氏名と学歴。

 

 提出された本人確認資料。

 

 連絡を行ってきた代理人に関する情報。

 

 形式上は、一人の少年の編入を相談する書類だった。しかし、ISの操縦経験があるという申告によって、通常の編入案件では済まなくなっている。

 

「仮に事実なら、保護についての協議が必要になるわね」

 

「はい。一夏君の前例もあります」

 

 担当者は答えた。

 

「ただし、先に確かめなければならないことがあります。男性であることと、ISを起動できること。それから、申告されている操縦経験が本人のものかどうかです」

 

「使用した機体については?」

 

「形式も管理者も不明です。代理人には照会していますが、回答はありません」

 

 上席の女性職員は眉をひそめた。

 

 ISは、誰もが自由に入手できる機械ではない。

 

 コアの数は限られ、各国の管理する機体にも、それぞれの来歴がある。操縦者の保護と、機体そのものの取扱いは、同じ手続きで決められることではなかった。

 

「本人との面談を進めましょう。代理人の説明だけで判断するのは危険よ」

 

「既に確認を求めています」

 

「それと、男性操縦者であることが確認された場合、保護措置が必要になる可能性は、本人にも説明しておいて」

 

「承知しました」

 

 担当者は資料を閉じた。

 

 学園に入るかどうかを、単純な進路希望だけで決められるとは限らない。

 

 その一方で、何の説明もないまま少年を受け入れ、その後の扱いまで外部の組織に委ねるわけにもいかなかった。

 

 まずは、直接話を聞く。

 

 その方針だけは、二人の間で一致していた。

 

     ◇

 

 少年が学園からの通知を受け取ったのは、朝食を終えた直後だった。

 

 机に置いた携帯端末が振動する。

 

 ――候補者本人との事前面談を希望します。

 

 ――初回面談は遠隔通信で実施します。

 

 ――本人確認および申告内容の説明をお願いします。

 

 少年は椅子に座り直した。

 

「……やっと話が進んだか」

 

《面談の候補時刻が三件提示されています》

 

「見せてくれ」

 

 画面に時刻が並んだ。

 

 最も早いものでも、翌日の午後だった。

 

 少年はその一つを選択し、返信欄を開いた。

 

 だが、送信する前に別の通信が入った。

 

 見慣れた認証符号。

 

 日本へ来る前から使用している、あの回線だった。

 

「……今度は何だ」

 

 通話を接続する。

 

『学園からの通知は確認したな』

 

「ああ。明日、面談できるらしい」

 

『その前に、申告内容を確認しておく必要がある』

 

「昨日も言ってたな」

 

『提出書類と説明が食い違えば、余計な疑念を招く』

 

 少年は画面を見つめた。

 

「……それで?」

 

『面談で尋ねられる内容について、こちらから資料を送る』

 

 数秒後、端末に新しいファイルが届いた。

 

 開くと、これまでの経歴に関する記述が並んでいた。

 

 学歴。

 

 居住歴。

 

 過去に受けた訓練。

 

 ISの操縦経験。

 

 ただし、最後の項目には具体的な機体名が記されていなかった。

 

「……ずいぶん都合よく省いてあるな」

 

『開示する必要のない情報は伏せている』

 

「向こうは、操縦した証拠を出せって言ってるんだぞ?」

 

『必要な検証方法については調整する』

 

「方法が決まってないのに、操縦経験だけ申告したのか」

 

『先に事前照会を行う必要があった』

 

「……そうかい」

 

 少年は資料の続きを読んだ。

 

 書かれていることのすべてが嘘というわけではない。

 

 しかし、重要な時期が抜けていた。

 

 何をしていたのか。

 

 どこにいたのか。

 

 誰と行動していたのか。

 

 それらを省けば、当然、実際とは違う人物像になる。

 

「これを、そのまま話せって?」

 

『不用意な情報開示は避けろ』

 

「それは分かる。でも、質問されたことに答えないなら、審査が止まるだけだろ」

 

『回答できない内容は、回答を保留すればいい』

 

「保留する理由も説明しなきゃならないんじゃないか?」

 

 返事はなかった。

 

 少年はファイルを閉じた。

 

「……なあ。俺を学園に入れたいんだよな?」

 

『そうだ』

 

「だったら、ちゃんと話を通してくれ。俺の名前と経歴を使う以上、何を書いて出したのかくらい、俺にも全部見せてほしい」

 

『お前の安全を考えている』

 

「なら、なおさらだ」

 

 少年は言葉を続けた。

 

「公的に能力を確認されたら、保護される可能性が高いんだろ。その先で困るのは俺だ。誰かが書いた説明に、ずっと合わせて生きるわけにはいかない」

 

 通信の向こうが静かになった。

 

 しばらくして、男の声が返ってくる。

 

『……開示可能な記録については、再確認する』

 

「頼むよ」

 

『ただし、機体の詳細はまだ話すな』

 

「理由は?」

 

『来歴を説明できる状況ではない』

 

 少年は右手へ目を落とした。

 

 包帯の下には、まだわずかな痺れが残っている。

 

「……俺のISなんだけどな」

 

『だからこそ、慎重に扱う必要がある』

 

「分かってるよ。勝手に持ち込むつもりもない」

 

 少年は少し間を置いた。

 

「でも、向こうが何を確認したいのかは、ちゃんと聞く。そのうえで、答えられることは俺が答える」

 

『……了解した』

 

 通話が切れた。

 

 少年はしばらく端末を見つめていた。

 

 学園に入ることを拒否できるかどうか。

 

 その問題は、まだ先にある。

 

 まず、自分がISを操縦できるという事実を、どのように証明するのか。

 

 そこで何を話すのか。

 

 少なくとも、それくらいは自分で把握しておきたかった。

 

     ◇

 

 同じ日の午後。

 

 IS学園の対外窓口には、少年から面談時刻を選択した返信が届いていた。

 

 担当の女性職員は認証情報を確認し、予定表へ登録する。

 

 続いて、面談で扱う質問項目を整理した。

 

 本人確認。

 

 現在の学籍。

 

 ISを操縦した時期と場所。

 

 使用した機体についての申告。

 

 操縦能力を証明する資料の有無。

 

 どれも、避けて通れない項目だ。

 

 そのとき、上席の女性職員から内線が入った。

 

『面談の日程は決まった?』

 

「はい。明日の午後を予定しています」

 

『候補者本人と直接つながる回線なのかしら』

 

「指定された端末を使用します。ただし、本人であることは面談時に確認します」

 

『分かったわ。代理人が同席を求めてきても、本人の回答と混同しないようにしてちょうだい』

 

「承知しています」

 

『それから、本人へ説明する内容を一つ追加してほしいの』

 

「何でしょうか」

 

『男性IS操縦者であると確認された場合、保護の必要性を含めた協議が始まる可能性があることよ』

 

 担当者は頷いた。

 

「既に準備しています」

 

『本人が入学を希望しなかった場合も、保護の必要性とは分けて考えることになるわ』

 

「はい」

 

 通信が切れる。

 

 担当者は質問項目の最後に、説明事項を付け加えた。

 

 ――操縦能力確認後の取扱いについて。

 

 ――保護措置と教育機会の検討について。

 

 ――使用機体の管理に関する確認について。

 

 その三つは、似ているようで別の問題だった。

 

 少年の身柄をどう守るか。

 

 学園で教育を受けることになるのか。

 

 使用したISを、誰の管理下に置くのか。

 

 一つが決まれば、残りも自動的に決まるわけではない。

 

 担当者は画面を閉じた。

 

 明日の面談で、すべてが明らかになるとは思っていない。

 

 それでも、少なくとも今よりは前へ進めるはずだった。

 

     ◇

 

 夕暮れの住宅街に、学校帰りの生徒たちの声が響いていた。

 

 少年は窓際に立ち、その姿を眺めていた。

 

 制服を着た男女が、何かを話しながら並んで歩いている。

 

 自転車を押す者。

 

 寄り道の相談をする者。

 

 どこにでもある日常の光景だった。

 

《明日の面談予定を確認しますか?》

 

「もう見た」

 

《通信環境の事前確認を推奨します》

 

「それはやっておこうか」

 

 少年は机へ戻り、端末の設定画面を開いた。

 

 映像。

 

 音声。

 

 認証方法。

 

 必要な項目を一つずつ確認する。

 

 途中で、右腕に鈍い痛みが走った。

 

「……っ」

 

《右上肢への負荷を検知しました》

 

「大丈夫だ」

 

《連続した操作を避けてください》

 

「分かってる」

 

 少年は左手に端末を持ち替えた。

 

 学園側が操縦能力の確認を求めていることは分かる。

 

 ただ、今の身体で高出力機動を行うつもりはなかった。

 

 まして、見知らぬ相手の前で、何の安全確認もなくISを展開するわけにはいかない。

 

「……実機を見せろって言われたら、どうするかな」

 

《現在の身体状態では、高負荷を伴う操縦は推奨されません》

 

「だよな」

 

《操縦能力の確認方法については、学園側との協議が必要です》

 

「分かってる。そこは明日聞く」

 

 少年は端末を机に戻した。

 

 そのとき、引き出しが少し開いていることに気づいた。

 

 中には、一枚の写真がある。

 

 日本へ戻る際、鞄の奥にしまって持ってきたものだ。

 

 少年は引き出しを閉じようとして、手を止めた。

 

 しばらく迷った後、写真を取り出す。

 

 裏返すと、そこには見覚えのある風景が写っていた。

 

 昔の、自分にとって当たり前だった場所。

 

 今では、ずいぶん遠くなってしまった場所。

 

 少年は写真を眺めた。

 

 学校へ通う。

 

 誰かと同じ教室で過ごす。

 

 授業が終われば、家へ帰る。

 

 そんなことを、以前は特別だと思ったこともなかった。

 

「……今さら、か」

 

 呟いて、写真を机へ伏せる。

 

 明日の面談で何を聞かれるかは分からない。

 

 聞かれたくないこともあるだろう。

 

 それでも、何も知らない相手が、提出された書類だけで自分を判断するのは避けたかった。

 

 少なくとも、話せることは自分で話そう。

 

 少年はそう考えた。

 

     ◇

 

 夜。

 

 東京湾に浮かぶIS学園では、翌日の面談に向けた最終確認が行われていた。

 

 担当の女性職員は、通信回線の接続試験を終え、面談資料を整理していた。

 

 候補者の氏名は、既に提出されている。

 

 写真付きの本人確認資料もある。

 

 しかし、その名前と、ISを操縦したという申告を結びつける客観的な記録は、まだない。

 

 織斑一夏の存在が知られている今、男性がISを動かせる可能性を、頭から否定することはできない。

 

 だが、申告だけで事実と認めることもできなかった。

 

「……明日、ですね」

 

 担当者は資料を閉じた。

 

 面談の目的は、少年を問い詰めることではない。

 

 まず本人の話を聞く。

 

 申告された事実を整理する。

 

 必要な検証方法を検討する。

 

 そして、もし男性操縦者であることが確認されたなら、その先の保護について協議を始める。

 

 それが、今できる最も確実な進め方だった。

 

     ◇

 

 同じ夜、少年の端末に新しい連絡が届いた。

 

 ――面談前の申告内容確認について。

 

 ――追加資料を送付する。

 

 差出人は、いつもの認証符号だった。

 

 少年は添付されたファイルを開く。

 

 そこには、以前より詳しい経歴が記載されていた。

 

 だが、すべてが明らかになったわけではない。

 

 特定の期間は依然として空欄で、ISに関する記述も最小限にとどめられていた。

 

 少年は画面を下へ送った。

 

 最後の頁には、面談時の注意事項が並んでいる。

 

 ――未承認の情報は開示しないこと。

 

 ――機体の名称および来歴については回答を保留すること。

 

 少年はその一文を見つめた。

 

「……名前まで?」

 

《機体情報の開示に制限が設定されています》

 

「見れば分かる」

 

 端末を閉じかけ、少年はもう一度文章を確認した。

 

 機体の名前。

 

 開発された場所。

 

 これまでの運用記録。

 

 それらを明かせば、簡単には収まらない騒ぎになるかもしれない。

 

 だから、何でも話せばいいとは思わない。

 

 だが、学園側が確認を求めているのは、単なる好奇心からではない。

 

 ISを動かせるという申告。

 

 その裏付けがなければ、話は進まない。

 

 少年は返信欄を開いた。

 

 しばらく考えてから、短い文章を入力する。

 

 ――資料は確認した。

 

 ――開示できない情報があることは理解している。

 

 ――ただし、学園側から必要な説明を求められた場合、回答を保留する理由についても確認したい。

 

 送信。

 

 返答はなかった。

 

 少年は端末を伏せた。

 

 明日、自分の名前を名乗ることになる。

 

 それだけで何かが変わるとは思わない。

 

 だが、これまで画面の向こうにいた人間と、初めて顔を合わせて話すことになる。

 

 学園へ入ることになるのか。

 

 保護されるのか。

 

 自分のISをどう扱われるのか。

 

 まだ決まっていないことばかりだった。

 

 少年は窓の外へ目を向けた。

 

 街の灯りが、遠くまで続いている。

 

 この国へ戻ってから、何度も見た夜景だった。

 

 その向こうには、東京湾がある。

 

 さらにその先には、IS学園の人工島がある。

 

 少年は静かに息を吐いた。

 

「……明日は、少し面倒そうだな」

 

《面談開始時刻の前に通知します》

 

「頼む」

 

《了解しました》

 

 合成音声が途切れた。

 

 部屋には、再び静けさが戻る。

 

 少年は伏せていた写真を引き出しへ戻し、明日のために端末を充電器へ接続した。

 

 まだ何も決まっていない。

 

 けれど、自分に関することを、自分の口で説明する。

 

 そのための準備だけは、終えておきたかった。

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