IS〈インフィニット・ストラトス〉蒼穹の亡霊 作:右左右左右
午後一時四十分。
IS学園の事務棟、その一室で、二人の女性が端末を前にしていた。
「本人確認用の回線は?」
「接続試験は完了しています。相手側の認証情報にも、現時点で異常はありません」
対外窓口の担当職員が答えると、隣に座る上席の女性が頷いた。
机の上には、数枚の書類が置かれている。
候補者の身元に関する資料。
編入に関する事前照会。
そして、ISの操縦経験があるという申告書。
書類だけを見れば、奇妙な点はいくらでもあった。
経歴の一部が不明。
訓練を受けた施設も不明。
使用した機体についても、具体的な情報がほとんど記載されていない。
にもかかわらず、申告者は男性だった。
「……本当に二人目だと思う?」
上席の女性が尋ねた。
「分かりません」
担当者は率直に答えた。
「ただ、通常のいたずらにしては手続きが整いすぎています。提出された本人確認資料についても、明白な偽造の痕跡は見つかっていません」
「だからといって、操縦経験まで信用するわけにはいかないわね」
「はい」
上席の女性は、窓の向こうへ目を向けた。
IS学園は、世界でも特殊な場所だった。
かつて女性にしか扱えないとされてきたIS。
その常識を覆した織斑一夏の存在は、学園にとっても前例のない出来事だった。
それなのに、もう一人。
男性の操縦者が現れるかもしれない。
そんな話が持ち込まれたのだ。
「面談で確認するのは、まず事実関係よ」
「承知しています」
「本人の話と、提出された書類が一致するか。それから、実際にISを動かせるという申告に根拠があるか」
上席の女性は書類を閉じた。
「機体の管理問題まで、今日決める必要はないわ」
「はい」
「それと、本人が未成年であることも忘れないで。誰が彼の進路について責任を負う立場なのか、代理人の説明だけで済ませないように」
担当者は頷いた。
画面に表示された面談開始時刻まで、あと十分。
彼女は最後にもう一度、通信設定を確認した。
◇
同じ頃。
少年は滞在先の部屋で、携帯端末を机に立てかけていた。
窓のカーテンは閉めてある。
背後に余計なものが映り込まないように、机の周囲も片づけた。
《通信状態は良好です》
「了解」
《外部からの通信要求を一件検知しています》
少年は画面を見た。
差出人は、例の認証符号だった。
短い文章が表示される。
――面談中は、指定された申告内容に従え。
少年は眉をひそめた。
「……最後までそれか」
返信はしなかった。
前日に送られてきた経歴資料には、既に目を通している。
大部分は事実だった。
だが、説明のつかない空白もあった。
何より、機体についての情報がほとんどない。
それで学園側が納得するとは思えなかった。
《面談開始まで三分です》
「分かった」
少年は右腕を軽く動かした。
指先の痺れは、昨日より薄くなっている。
ただし、完全に回復したわけではない。
長時間の負荷には、まだ不安が残る。
「……面倒なことになりそうだな」
《具体的な問題を予測しますか?》
「いや、いい」
少年は小さく息を吐いた。
「考えすぎても仕方ないだろ」
画面に、学園からの接続要求が表示された。
少年は通話を許可した。
◇
『こんにちは。IS学園の対外窓口を担当しております』
画面に映ったのは、落ち着いた雰囲気の女性だった。
その隣には、もう一人の女性が座っている。
どちらも学園の職員らしい。
「こんにちは」
『本日は面談に応じていただき、ありがとうございます。最初に、本人確認をさせてください』
「はい」
女性は、提出済みの書類をもとに、氏名や生年月日などの確認を始めた。
少年は求められた内容を答え、指定された手順に従って認証を済ませた。
画面の向こうで、担当者が記録を照合する。
『……確認できました。ありがとうございます』
少年は頷いた。
『本日は、編入についての事前相談と、申告されているIS操縦経験についてお話を伺います。ただし、この面談だけで入学が決まるわけではありません』
「分かっています」
『それから、あなたが実際にISを操縦できると確認された場合、通常の編入とは異なる対応が必要になる可能性があります』
「保護の話ですか?」
担当者は少し目を見開いた。
『ご存じなのですね』
「織斑一夏のことは聞いています」
『そうですか』
隣に座っていた上席の女性が、ここで初めて口を開いた。
『あなたの申告が事実なら、同じように保護や教育に関する措置が検討されることになるでしょう。ただし、具体的な扱いは確認結果を踏まえて判断します』
「……分かりました」
『では、いくつか質問させてください』
担当者が資料を開いた。
『あなたは、これまでにISを操縦した経験があると申告されていますね』
「あります」
『訓練用のシミュレーターではなく、実機を操縦したということでしょうか』
「はい」
『搭乗した機体の形式を教えていただけますか』
少年は少しだけ黙った。
やはり、最初に聞かれるのはそこだった。
「……それについては、すぐには答えられません」
『理由を伺っても?』
「機体の情報に、公開できない部分があるからです」
担当者は表情を変えなかった。
『承知しました。ただ、操縦経験を確認するには、使用した機体についても一定の情報が必要になります』
「分かっています」
『その機体は、どこかの国が管理しているものでしょうか』
「……それも、今は回答を控えさせてください」
『そうですか』
女性は何かを記録した。
少年は画面の向こうを見つめた。
予想していたこととはいえ、こうして質問されると、答えられないことの多さを実感する。
そのとき、上席の女性が口を開いた。
『少し確認させてちょうだい』
「はい」
『あなた自身は、その機体を操縦する権限があると考えているのね?』
「あります」
少年は即答した。
『その権限を証明する書類は?』
「……今ここにはありません」
『それでは、学園として機体の持ち込みや使用を認めることはできないわ』
「それは理解しています」
上席の女性は頷いた。
『なら、話を分けましょう。あなたがISを動かせるかどうかと、その機体を学園で使用できるかどうかは、別の問題です』
「……はい」
『今日は、まず前者を確認したいの』
少年は少しだけ肩の力を抜いた。
こちらが何かを隠していると分かった時点で、面談を打ち切られる可能性も考えていた。
だが、相手はそうしなかった。
必要な情報を、一つずつ確かめようとしている。
それだけのことが、今の少年には少し意外だった。
◇
『これまで、ISの訓練をどの程度受けていますか?』
担当者からの質問が続いた。
「操縦の基礎訓練は受けています。機体の整備や調整にも、ある程度は関わっていました」
『訓練期間は?』
少年は答えた。
ただし、具体的な施設名については回答を保留した。
『では、実機を操縦した際の最高高度や、使用した装備については?』
「……どの程度まで必要ですか?」
『操縦経験の有無を判断するための質問です。詳細な数値や装備名については、後から確認することもできます』
少年は考えた。
答えられる範囲で、操縦時の手順や注意点を説明する。
機体の展開前に何を確認するか。
装備を扱う際、どのような点に気をつけるか。
長時間の稼働で問題になる負荷について。
機密に関わる内容は避けたが、実際に経験していなければ答えにくい質問にも、少年は詰まることなく返答した。
やがて、担当者が口を開いた。
『……ありがとうございます』
少年は画面を見た。
『少なくとも、ISの運用について一定の知識をお持ちであることは分かりました』
「そうですか」
『ただし、知識があることと、実際にISを操縦できることは別です』
「分かっています」
『そのため、能力を確認する方法についてご相談したいと思います』
少年は頷いた。
ようやく本題に入った。
『学園側が指定する条件のもとで、実際にISを起動していただく方法を検討しています』
「……実機で?」
『はい。ただし、まだ実施が決まったわけではありません』
「俺のISを使うんですか?」
『それについても、確認が必要です』
担当者は一度、隣の上席者へ目を向けた。
上席の女性が説明を引き継ぐ。
『あなたが使用している機体を持ち込む場合、事前に管理上の確認が必要になるわ。一方で、別の機体を使用する場合も、適性や安全面の問題がある』
「……なるほど」
『そこで、まずは身体の状態を確認したいの。実機の起動を伴う検証に支障はないかしら』
少年は反射的に右手へ視線を落とした。
しまった、と思った。
ほんの一瞬だったが、画面の向こうの二人は、その動きに気づいたようだった。
『……どこか負傷しているの?』
上席の女性が尋ねる。
「右腕を少し」
『いつ負傷したの?』
「数日前です」
『医師の診察は受けた?』
「……必要な処置は受けています」
女性はすぐに頷かなかった。
『それは、診察を受けたという意味かしら』
少年は答えに詰まった。
包帯はある。
処置もしている。
だが、今のところ、学園側へ提出できる正式な診断記録はない。
「……診断書はありません」
『分かったわ。では、能力検証の前に健康状態を確認する必要があるわね』
「それだと、時間がかかりますよね」
『かかるでしょう。でも、無理をしてまで急ぐ理由はないわ』
少年は思わず顔を上げた。
相手は当然のことを言っている。
それなのに、少し拍子抜けした。
『あなたがISを動かせるなら、なおさら身体の状態は重要よ。検証のために負傷を悪化させるわけにはいかないでしょう』
「……そうですね」
少年は静かに答えた。
◇
面談が始まってから、既に四十分近くが経過していた。
学園側は、少年の操縦能力をまだ確認できていない。
しかし、申告を単なるいたずらとして退けるだけの理由も見つかっていなかった。
担当職員は、最後の質問項目を開いた。
『少し、進路についてのお話をさせてください』
「はい」
『あなた自身は、IS学園についてどのように考えていますか?』
少年は返答に迷った。
この質問は、予想していなかった。
「……どう、というと?」
『学園で学ぶことについてです。実際に通うことになれば、授業や訓練だけでなく、寮での共同生活もあります』
「資料は読みました」
『それを踏まえて、どう感じましたか?』
少年はしばらく考えた。
答えを用意してきたわけではない。
誰かに書かれた資料にも、そんな質問への模範解答はなかった。
「……正直、まだ想像がつきません」
『そうですか』
「今まで、ああいう生活とは縁がなかったので」
担当者は静かに頷いた。
「それに、俺が入学したいと思ったからって、そう簡単に決められることでもないでしょう」
『そのとおりです』
上席の女性が答えた。
『あなたの申告が事実なら、本人の希望とは別に、保護の必要性が検討されることになるわ』
「……はい」
『ただ、だからといって、あなたが何を考えているか聞かなくていいわけではないでしょう』
少年は画面を見つめた。
『学園へ来ることになれば、そこで生活するのはあなた自身なのだから』
「……そうですね」
短く答える。
それ以上、うまい言葉は出てこなかった。
担当者は少し間を置いてから、話題を戻した。
『では、現時点で確認できた内容を整理します』
画面に、簡単な一覧が表示された。
本人確認。
提出書類との照合。
ISに関する知識の確認。
実機操縦能力の検証は未実施。
健康状態の確認も必要。
少年は一覧を眺めた。
『この面談で、あなたが男性であり、ISについて一定の知識を持っていることは確認できました』
「はい」
『しかし、実際にISを起動できることは、まだ証明されていません』
「分かっています」
『今後は、機体の管理に関する問題とは切り分けながら、能力検証の方法を検討します。健康状態についても確認させてください』
担当者が一度言葉を切った。
『それでよろしいでしょうか』
「……お願いします」
少年は頷いた。
これで、最初の面談が終わろうとしていた。
◇
通信が切れた後も、IS学園の二人は席を立たなかった。
担当者は記録を保存し、上席の女性へ顔を向けた。
「……どう思われますか?」
「何について?」
「候補者の申告です」
上席の女性は、少し考えてから答えた。
「ISに詳しいのは確かね。基礎知識だけなら、資料を読んで覚えることもできるでしょうけれど……」
「はい」
「操縦経験について話しているときの受け答えは、比較的自然だったわ」
女性は画面に残る面談記録を見た。
「ただし、それだけでは証明にならない」
「そうですね」
「それより、右腕のことが気になるわ」
担当者も頷いた。
「負傷の理由は聞けませんでした」
「何かを隠しているのは確かでしょうね」
上席の女性はそう言ってから、付け加えた。
「でも、隠しているからといって、操縦経験がないことにはならないわ」
机の上には、未完成の報告書がある。
そこへ記録すべき内容は、決まっていた。
――候補者本人との遠隔面談を実施。
――提出された身元情報との照合を完了。
――ISの運用に関する一定の知識を確認。
――操縦能力は未確認。
――右上肢の負傷が疑われるため、実機検証前の健康確認を要する。
担当者は記録を入力した。
「操縦能力の検証は、どこで行いましょうか」
「まだ決められないわね。本人が使っているという機体を、そのまま持ち込ませるわけにはいかない」
「学園側の機体を使用する場合も、調整が必要です」
「ええ。それに、機体を用意するだけで済む話でもないでしょう」
女性は報告書を保存した。
学園の設備を利用するなら、訓練区域の確保が必要になる。
立ち会う教員。
安全管理。
候補者の健康状態。
それらを確認したうえで、どのように検証するか決めなければならない。
「急ぐ必要はあるわ。でも、順番を間違えてはいけない」
担当者は頷いた。
書類の上では、まだ一人の男子生徒の候補者にすぎない。
しかし、実機を起動できることが確認された瞬間、その扱いは大きく変わるだろう。
◇
少年の端末に、面談終了の通知が表示された。
《通信が終了しました》
「……終わったか」
《面談時間、四十三分十二秒》
「長かったな」
《事前に予定されていた時間の範囲内です》
「そういう意味じゃない」
少年は椅子の背にもたれた。
思っていたより疲れていた。
戦闘とは違う。
何かを判断するために、相手の質問を聞き、自分の言葉を選ぶ。
それだけのことなのに、妙に神経を使った。
机の端末が振動する。
また、あの認証符号だった。
――面談結果を報告せよ。
少年は画面を見つめた。
「……早いな」
《返信を作成しますか?》
「いや、自分で書く」
少年は左手で入力を始めた。
――本人確認は終了。
――ISの運用について質問を受けた。
――機体名と来歴は回答を保留。
――能力検証の前に健康状態の確認が必要とされた。
送信。
しばらくして、返信が届いた。
――機体の情報が開示されなかったことを確認。
――今後の検証については、こちらでも調整する。
少年は眉をひそめた。
「……また勝手に進める気か」
返事を打とうとして、手を止める。
今言っても、同じ答えが返ってくるだけだろう。
それより、気になることがあった。
少年は学園から届いた面談記録を開いた。
画面には、今日確認された項目が並んでいる。
操縦能力、未確認。
その文字を見つめた。
自分がISを動かせることは、自分自身が一番よく知っている。
それでも、他人に証明するとなると話は別だった。
しかも、機体を見せれば済むというわけでもない。
どこで、どうやって、何を確認するのか。
そこまで考える必要がある。
「……面倒だな」
《検証方法について、複数の選択肢を整理できます》
「今はいい」
少年は端末を閉じた。
窓の外では、夕方の街がゆっくりと色を変えていた。
昨日と同じ景色だ。
だが、自分を取り巻く状況は、少しずつ変わっている。
もう一人の男性操縦者。
もしその事実が公になれば、自分はどうなるのだろう。
学園に入るのか。
保護されるのか。
それとも、もっと別の場所へ連れていかれるのか。
少年は右手を開いた。
わずかな痺れが残っている。
それが消えるまで、まだ時間が必要だった。
ふと、面談で言われた言葉を思い出す。
――検証のために負傷を悪化させるわけにはいかないでしょう。
当たり前の話だ。
だが、あの女性は、自分がISを動かせるかどうかより先に、負傷を気にしていた。
「……変わった人たちだな」
《何についての評価ですか?》
「……いや、何でもない」
少年は少しだけ笑った。
◇
その日の夕方。
IS学園の対外窓口に、一件の追加照会が届いた。
差出人は、少年の事前照会を行った代理人だった。
内容は、今後の能力検証に関するもの。
――候補者のIS操縦経験を確認するため、当方で準備可能な記録の提出を検討する。
――機体に関する詳細情報については、引き続き非公開を希望する。
担当の女性職員は、文章を読み終えた。
「……記録、ですか」
今まで提出されなかった情報が、ここへ来て出てくるらしい。
もちろん、それが何の記録なのかは分からない。
操縦者の姿が映った映像なのか。
機体の稼働履歴なのか。
それとも、第三者の証言なのか。
いずれにせよ、内容と出所を確認しなければ、証拠として扱うことはできなかった。
女性は上席者へ連絡を入れた。
「候補者の代理人から、能力確認に使用する記録を提出したいとの照会がありました」
『内容は?』
「まだ示されていません。機体情報は引き続き非公開を希望しているようです」
『……そう』
上席の女性は少し考えた。
『まず、何を提出するつもりなのか確認して。記録の出所と、候補者本人のものだと確認できる根拠も必要よ』
「承知しました」
『それと、今回の資料が届いたとしても、直ちに操縦能力を確認できたことにはしないでね』
「はい」
通信が切れた。
担当者は返信を作成する。
――提出予定資料の種類と出所を明示してください。
――資料が候補者本人の操縦経験を示すものであることを確認できる情報が必要です。
――提出資料の確認結果に応じ、追加の検証方法を検討します。
送信。
女性は端末の画面を見つめた。
本人の説明。
代理人の申告。
そして、これから提出されるかもしれない記録。
それぞれが、同じ事実を示しているとは限らない。
だからこそ、一つずつ確かめる必要があった。
窓の向こうでは、海上モノレールが人工島へ向かっていた。
まだ、その車内に少年の姿はない。
けれど、学園側は既に、彼を迎え入れる可能性を考え始めていた。
もっとも、そのためには、まず証明しなければならない。
この世界に、もう一人。
ISを操縦できる男性が存在するということを。