IS〈インフィニット・ストラトス〉蒼穹の亡霊 作:右左右左右
午前八時十二分。
IS学園の対外窓口に、一件の暗号化された資料が届いた。
差出人は、昨日まで編入に関する照会を続けていた代理人だった。
件名には、簡潔な文章が記されている。
――男性IS操縦者の能力確認に関する追加資料。
「……届いたのね」
担当の女性職員は、添付ファイルの情報を確認した。
映像記録が一件。
機体の稼働記録と思われるデータが一件。
そして、両者の内容を説明する書類。
資料には閲覧条件が付けられていたが、学園側の検証を妨げるような一方的な制限は受け入れられない。担当者は記録の保存と解析に必要な条件を確認し、問題のある部分について送付元へ照会した。
ほどなく、必要な範囲で検証用の複製を作成できるとの回答が届いた。
担当者は上席の女性職員に連絡した。
「例の候補者について、追加資料が届きました」
『内容は確認した?』
「まだです。先にファイルの安全確認を行っています」
『終わったら一緒に確認しましょう。元のデータも消さずに残しておいて』
「承知しました」
通信を切り、担当者は資料に付された識別情報を開いた。
候補者氏名。
雨宮 朔。
読み仮名は、あまみや・さく。
提出済みの本人確認書類と一致している。
性別は男性。
年齢は、学園への編入対象となり得る範囲。
そして、その下には昨日まで見られなかった項目が追加されていた。
――操縦者識別情報。
女性は目を細めた。
名前が書いてあるだけでは証明にならない。
問題は、この識別情報が何と結びついているかだった。
◇
同じ頃。
朔は滞在先の部屋で、遅めの朝食を取っていた。
机の端には、昨夜学園から届いた面談記録が表示されている。
昨日の遠隔面談では、本人確認とISに関する知識の確認が行われた。
ただし、操縦能力そのものは未確認。
右腕の負傷についても、診察を受けるよう求められていた。
「……で、今度は何を提出したんだ?」
《代理人から学園側への送信履歴は確認できません》
「だろうな」
朔は箸を置いた。
昨日の面談後、例の男から資料提出の話は聞かされていた。
だが、何を渡すのかについては説明がない。
自分の操縦記録であれば、機体の情報が含まれている可能性がある。
特に、直近の戦闘記録をそのまま提出されるのは困る。
あれには、学園に知らせるべきではない情報が多すぎた。
《右上肢の状態を確認しますか?》
「……その前に一つ聞きたい」
《はい》
「俺の操縦記録を、外に出せる形で持ってる連中って、どのくらいいる?」
《確認できる情報では、特定できません》
「そうだよな」
自分の機体の記録を、いつ誰が複製したのか。
それを把握しているつもりでも、実際には限界がある。
過去の整備や調整で、外部の設備を使用したこともあった。
そのすべてを自分一人で管理していたわけではない。
朔は携帯端末を手に取った。
例の認証符号へ、短い文章を送る。
――学園へ送った資料を確認したい。
数分後、返信が届いた。
――提出資料は、過去の訓練記録を編集したものだ。
――現在の任務に関する情報は含まれていない。
朔は画面を見つめた。
「……編集した、ね」
その言葉が気になった。
何を残し、何を削ったのか。
説明はなかった。
◇
IS学園の事務棟。
安全確認を終えた資料が、専用端末に表示されていた。
担当職員と上席の女性は、並んで映像を確認している。
画面には、屋内の試験施設らしき場所が映っていた。
周囲を囲む壁面。
床面の誘導灯。
そして、中央に立つ一機のIS。
ただし、機体の細部は判別できない。
外装や識別標識が分かる部分には処理が施されていた。
「……かなり隠しているわね」
上席の女性が呟く。
「はい。施設名も記録されていません」
映像の中で、機体が動いた。
地上からわずかに浮き上がり、ゆっくりと前進する。
続いて、方向転換。
短距離の移動。
停止。
派手な機動ではない。
むしろ、基本操作を確認しているような動きだった。
しかし、担当者は映像に添付された数値を見て、眉をひそめた。
「……操縦入力の記録が付いています」
「見せて」
画面が切り替わる。
機体の動きと、入力信号の時刻が並んで表示された。
操縦者の生体情報と思われる項目もある。
ただし、記録を収集した装置の詳細は示されていない。
「この情報が本物なら、機体の動作と操縦者の入力が対応しています」
「そうね。でも、それだけでは足りないわ」
上席の女性は映像を停止させた。
「誰が操縦していたのか、まだ分からない」
担当者も頷いた。
映像には、操縦者の顔が映っていなかった。
装着時の記録もない。
単に機体が動いている映像を見せられても、その中に雨宮朔がいたことにはならない。
「識別情報は添付されています」
「その識別情報と雨宮君本人を、どうやって結びつけたのか確認しましょう」
「はい」
担当者は説明書の該当箇所を開いた。
そこには、操縦者の認証についての記述があった。
だが、内容は十分とは言えない。
認証方式の一部が伏せられており、照合に使用した元データも提出されていなかった。
上席の女性は静かに息を吐いた。
「知識があることは昨日確認した。今回の資料で、実機を動かした人物が存在することも、ある程度は裏付けられたわ」
「ですが、それが雨宮君だという証明はできません」
「ええ」
女性は画面を閉じなかった。
「もう一つ、確認したいことがあるの」
「何でしょうか」
「この映像、最後まで再生してくれる?」
担当者は再生を再開した。
機体は指定された位置へ戻り、着地する。
そこで映像が終わった。
上席の女性は首を傾げた。
「……途中で切られているように見えるわね」
担当者は記録の終端情報を確認した。
映像自体は正常に再生できている。
ただし、元の記録がどこからどこまで存在したのかは分からない。
「提出用に抜き出された映像のようです」
「そうでしょうね」
女性は腕を組んだ。
「見せてもらった部分だけでは、判断できないわ」
◇
午前十一時過ぎ。
朔の端末に、学園からの追加通知が届いた。
――提出された操縦記録について、確認事項があります。
――候補者本人による資料内容の確認を希望します。
朔は文章を読み返した。
「……俺にも来たか」
《本人確認に関する追加照会です》
「見れば分かる」
通知には、提出された映像から切り出した静止画が添えられていた。
屋内の試験施設。
床面の誘導灯。
中央に立つIS。
外装部分は隠されている。
朔は一瞬、動きを止めた。
その場所には見覚えがあった。
ただし、学園側に知られて困るような戦闘の場面ではない。
以前、機体の調整を行った施設だった。
「……ずいぶん古いのを持ってきたな」
《画像の出所を確認しますか?》
「いや、分かる」
朔は机に肘をついた。
映像に映っているのは、基本動作の確認だ。
今の自分なら、もっと短時間で終わらせられる。
ただ、当時は機体側の調整が済んでおらず、動作を一つずつ確かめる必要があった。
問題は、そこではない。
あの記録を、今も誰かが保管していたことだ。
朔は学園からの照会に返信した。
――映像に示された試験には参加しています。
――ただし、提出された映像が元の記録と一致しているかについては、私自身も確認できていません。
少し考えてから、もう一文を加える。
――この資料のみで私の操縦能力を証明できるとは考えていません。
送信。
返信はすぐには来なかった。
朔は端末を伏せた。
「……余計なことまで調べられそうだな」
《学園側には、提出記録の真正性を確認する必要があります》
「分かってるよ」
彼らがしていることは、間違っていない。
むしろ、自分の申告を簡単に信用する方が問題だろう。
そう思う一方で、朔には別の疑問が残っていた。
誰が、あの映像を選んだのか。
そして、なぜあの部分だけを切り出したのか。
◇
午後。
IS学園の対外窓口では、候補者本人からの返信が確認されていた。
「雨宮君から回答がありました」
担当職員が報告すると、上席の女性が顔を上げた。
「何て?」
「映像の試験に参加したことは認めています。ただ、提出された映像が元の記録と一致しているかは、本人も確認できていないそうです」
「……そう」
上席の女性は少し考えた。
「少なくとも、自分の知らない資料を無条件に信用しているわけではないのね」
「はい。それと、映像だけで能力を証明できるとは考えていないそうです」
「その点は私たちと同じね」
担当者は記録を更新した。
操縦経験を示す資料が届いた。
本人は、その試験に参加したと認めた。
しかし、実際に操縦していた人物が本人かどうかについて、独立した確認はまだできていない。
現段階で結論を出せないことに変わりはなかった。
「今後は、本人の健康状態を確認したうえで実機検証を検討することになります」
「ええ。ただし、使用する機体の問題が残っているわ」
上席の女性は、画面の中のISを指した。
「これが誰の機体なのか。どのコアが使われているのか。最低限、それを確認しなければ学園の訓練区域に持ち込ませることはできない」
「学園側の機体を用意する方法もありますが……」
「それも簡単ではないわね」
ISのコアは、無制限に用意できるものではない。
学園に機体が存在するからといって、正体の分からない外部の候補者へ、直ちに貸し出せるわけではなかった。
上席の女性は記録を保存した。
「まずは健康状態の確認を進めましょう。それから、安全に能力を確かめる方法を考える」
「承知しました」
担当者は新しい通知を作成した。
――提出資料を確認しました。
――現時点で、操縦能力の認定には至っていません。
――次段階として、本人の健康状態および実機検証方法について協議します。
送信。
画面の上では、少しずつ手続きが進んでいる。
しかし、その進行速度は、提出してきた代理人の期待とは違うのかもしれなかった。
◇
夕方。
朔は滞在先の部屋で、右腕の包帯を巻き直していた。
以前ほど強い痛みはない。
だが、指先にはまだわずかな違和感が残る。
《回復傾向を確認しています》
「そうか」
《高負荷を伴う操縦は、引き続き推奨されません》
「分かってる」
朔は包帯の端を留め、シャツの袖を下ろした。
学園が求めているのは、実機を動かせるという証明だ。
そのためには、いずれ自分自身がISを起動する必要があるかもしれない。
だが、負傷した状態で機体を動かせば、別の問題を起こす可能性がある。
朔は机の端末を開いた。
学園からは、次の段階に進むための相談が届いていた。
健康状態の確認。
検証場所。
使用する機体。
必要な安全管理。
どれも、すぐに答えられるものではない。
そこへ、例の認証符号から通信が入った。
朔は接続した。
『資料は確認されたようだな』
「ああ」
『学園の反応は?』
「映像だけじゃ証明にならないってさ」
『……そうか』
「当然だろ。俺が乗ってるところは映ってないんだから」
『本人の申告と一致すれば、一定の根拠にはなる』
「それだけじゃ足りないって言われてる」
朔は端末の画面を見つめた。
「それより、聞きたいことがある」
『何だ』
「あの映像、誰が選んだ?」
沈黙。
「昔の調整記録だろ。どうしてあそこだけ切り出した?」
『機体の詳細を伏せるためだ』
「なら、元の記録は残ってるんだな」
『残っている』
「……誰が管理してる?」
返答はなかった。
朔は静かに息を吐いた。
「俺が知らないところで、俺の操縦記録が使われてる。それくらいは説明してくれよ」
『必要な記録は、適切に保管されている』
「誰にとって適切なんだ?」
男は答えなかった。
朔はそれ以上、追及しなかった。
今の相手から、明確な答えが返ってくるとは思えない。
『学園側が実機検証を求めてきた場合は、こちらへ知らせろ』
「もう求められてるよ。方法を決める前に、健康状態を確認するってさ」
『負傷について話したのか』
「ああ」
『……詳しくは?』
「右腕を怪我してることだけだ」
『分かった。余計な説明は避けろ』
「そのつもりだよ」
朔は少し間を置いた。
「ただし、診察は受ける。そこは止めるなよ」
『……承知した』
通信が切れた。
朔は端末を机へ置いた。
怪我をした理由。
機体を使っていた場所。
これまでの任務。
話せないことは、いくらでもある。
だが、身体の状態まで隠して無理に操縦するつもりはなかった。
◇
夜。
IS学園の対外窓口には、翌日以降の確認手続きに関する報告書が提出されていた。
担当の女性職員は、候補者情報を更新していた。
氏名。
雨宮朔。
性別。
男性。
申告内容。
ISの操縦経験あり。
確認状況。
未認定。
そして、新しく追加された項目。
――実機検証に向けた準備を要する。
担当者は記録を見直した。
初めて書類を受け取ったとき、目に留まったのは性別欄だった。
男性。
その二文字が、あまりにも特殊だった。
しかし、昨日の面談と今日の記録確認を経て、彼女の印象は少し変わっていた。
雨宮朔。
まだ顔を合わせたことのない、一人の少年。
提出書類の内容をそのまま信じず、自分の知らない記録については確認できないと答える。
それが慎重さなのか、別の事情によるものなのかは分からない。
ただ、書類の向こうにいる相手が、少しだけ具体的な人物として見えてきた。
担当者は最後の確認欄を開いた。
――候補者本人への連絡は、学園側の管理する経路で継続する。
――代理人から提出される情報については、引き続き独立した確認を要する。
保存。
女性は椅子の背にもたれた。
窓の外では、海上モノレールが明かりを灯して走っていた。
あの少年が本当にISを動かせるなら、いずれ学園へ来ることになるかもしれない。
そのときは、提出された書類ではなく、彼自身の姿を見ることになる。
◇
朔の端末が、短く振動した。
時刻は午後九時を過ぎている。
学園からの通知ではない。
例の認証符号でもなかった。
差出人の情報が表示されない、短い文章。
――提出された記録を、信用するな。
朔は目を細めた。
続けて、二通目が届く。
――あの試験には、続きがある。
画面の下には、添付ファイルが一件。
拡張子は、映像記録を示すものだった。
朔はすぐには開かなかった。
《送信元を確認できません》
「……だろうな」
《ファイルの安全性も未確認です。開封を推奨しません》
「分かってる」
少年は端末を机に置いた。
あの試験。
記録の続き。
何を意味しているのか、心当たりがないわけではない。
だが、その内容を誰かが知っているということの方が問題だった。
朔は画面に表示された文章を見つめた。
自分が知らないところで、過去の記録が動いている。
そして、それを見ている誰かがいる。
しばらくして、朔は端末の通信を切り離した。
ファイルは開かない。
まずは送信元を調べる。
それができなければ、内容に触れるべきではない。
窓の外では、夜の街が静かに広がっていた。
IS学園への編入について、少しずつ手続きが進んでいる。
けれど、その裏側では別の何かが動き始めていた。
雨宮朔。
その名前が学園の記録に正式に記された日。
彼の過去を知る何者かもまた、動き始めていた。