第1節 それぞれの配属先
十一月に入り、ベルノの朝晩はすっかり冷え込むようになっていた。
兵舎の窓から見える練兵場では、早朝の冷たい空気の中を新兵たちが駆け足で通り過ぎていく。夏の間は汗を流しながら走っていた道も、今では吐く息が白く見えるほどだった。周囲の木々は葉を落とし始め、練兵場の向こうに広がる丘陵も、秋の終わりを感じさせる色に変わっている。
七月に召喚されてから、すでに三か月以上が過ぎていた。
最初の一か月は帝国共通語と基礎体力訓練。その後、八月から現地新兵たちと合流し、射撃、塹壕構築、行軍、戦闘訓練と、毎日のように身体を動かしてきた。
当初は数キロ走るだけで息を切らしていた者も、今では装備を背負って走れるようになっている。射撃訓練では銃の反動に驚いていた者たちも、銃の分解整備を一通りこなせるようになり、教官の号令にも自然と身体が動くようになっていた。
もっとも、それで一人前の兵士になったわけではない。
訓練期間が終われば、今度はそれぞれの部隊で本格的な訓練が始まる。そして翌日、いよいよ正式な配属先が発表されることになっていた。
その日の夕方、訓練を終えた新兵たちは、いつものように兵舎のシャワー室に集まっていた。
広い洗い場には温かな湯気が立ち込め、壁際に並んだシャワーから絶え間なく湯が流れている。訓練を終えた新兵たちは思い思いの場所で身体を洗い、今日の訓練がどうだったとか、明日の配属先がどこになるだろうといった話をしていた。
男女共用のシャワー室にも、皆すっかり慣れていた。最初の頃は入口で立ち止まっていた日本人たちも、今では現地新兵たちと変わらず、普通に会話を交わしている。
「高橋君、明日だね」
隣でシャワーを浴びていた水野香織が声をかけてきた。眼鏡を外しているため、いつもより少し印象が違って見える。
「そうですね。先生はどこになると思います?」
「うーん、どうだろう。射撃はそんなに得意じゃないし、砲兵かなあ」
「数学の先生ですからね」
「数学ができるからって砲兵になれるわけじゃないと思うけど。でも、計算する仕事なら少しは役に立てるかもしれないわね」
水野は笑いながら髪を洗い流した。
七月に召喚された当初の水野は、体力訓練についていくだけでも苦労していた。走ればすぐに息が上がり、長距離行軍の翌日には筋肉痛で階段を下りるのも大変そうだった。それが今では、ほかの新兵たちに遅れることなく走り切れるようになっている。
「でもね、高橋君。私、ずいぶん変わったと思わない?」
「そうですね。先生、最近は普通についてきますからね」
「でしょう! 最初は本当に大変だったんだから。それに、身体も結構変わったのよ」
水野は嬉しそうに自分のお腹に手を当てた。
「ほら、見て。ここ」
「え?」
「お腹周り。ずいぶん締まったと思わない?」
水野は高橋の方へ向き直り、腹部を軽く叩いてから、身体を少しひねって脇腹のあたりを示した。大きな胸が高橋の視界に入る。
「日本にいた頃は、運動なんてほとんどしてなかったからね。最初は腹筋も全然できなかったでしょう? それが今では普通にできるようになったのよ。足もずいぶん引き締まったし」
「そ、そうですね」
「体重はそんなに変わってないんだけど、筋肉がついたのかな。どう思う?」
水野はすっかり訓練の成果を披露することに夢中になっていた。
高橋は返事に困った。教師だった水野が、自分の身体の変化をこんなに嬉しそうに話していること自体は微笑ましい。しかし、本人が考えているほど、こちらは気軽に眺められるわけではなかった。おもわず股間が反応してしまった。
「先生、その……」
「なあに?」
「もう少し離れてもらってもいいですか?」
水野はきょとんとした顔で高橋を見たが、ようやく事情を察したらしい。
「あっ、ごめんなさい。私ったら、すっかり忘れてた」
水野は慌てて少し後ろへ下がった。
「高橋君にしてみれば、いきなり見せられても困るわよね。先生、ちょっと無神経だったかな」
「いえ、別に嫌だとか、そういうことじゃないんですけど」
「そう? でも、本当に身体が変わったのが嬉しくて。日本にいた頃は、こんなに運動したことなかったから」
そのやり取りをすぐ隣で見ていた伊藤千尋が、高橋を心配したように。
「高橋君、ちゃんと折り合いつけてる?」
「え、いや、だから……」
「もう三か月以上も一緒に生活してるんだよ。女子だって男子のことさっしてるんだから」
伊藤はごく当たり前のことを言うような口調だった。
高橋は返す言葉がなくなった。
伊藤はそれを見て少し得意そうに笑い、再び髪を洗い始めた。以前なら、こんな状況になっただけでも顔を赤くして、男子に注意していたかもしれない。
日本にいた頃の伊藤千尋は、真面目で規則を守る、いわゆる委員長タイプの女子だった。それが今では、男女共用の生活にもすっかり馴染み、こうして高橋をからかうくらいの余裕がある。
(委員長も変わったなあ……)
高橋はしみじみと思った。
もっとも、本人は自分が変わったなどとは考えていないのだろう。三か月以上も生活を共にしているのだから、今さらいちいち驚いていても仕方がないというだけのことなのかもしれない。
「でも、高橋君」
水野が少し笑いながら口を開いた。
「伊藤さんの言うことも一理あるわね。こちらの生活にも慣れないと」
水野はそう言って、少し照れたように笑った。
「まあ、私も先生だった頃の癖が抜けないところはあるけどね」
「水野先生、もう先生じゃないんですから」
伊藤が口を挟んだ。
「そうなのよねえ。頭ではわかってるんだけど」
水野は苦笑した。
「それより高橋君、明日、別々の部隊になっちゃうかもしれないね」
話題が変わると、水野の表情が少し寂しそうになった。
「そうですね」
「なんだか寂しいな。みんなでずっと訓練してきたから」
高橋も頷いた。
七月から始まった共同生活。最初は戸惑うことばかりだったが、今では水野や伊藤たちと同じ場所で食事をし、訓練を受けることが当たり前になっている。
その生活も、明日で終わる。
「でも、同じ連隊なんですよね?」
「そう聞いてるけど。配属先が違ったら、なかなか会えなくなるかもしれないわね」
「まあ、休みの日には会えるんじゃないですか」
「そうね。それに、同じ連隊なら食堂なんかでも顔を合わせるでしょうし」
水野は頷いた。
「高橋君も、怪我だけはしないでね」
「先生もですよ」
「私は大丈夫。もう走るのも得意になったから」
水野は得意そうに笑った。
そんな水野を見ながら、高橋は、七月に息を切らして走っていた頃の姿を思い出していた。
本当に、みんな変わったものだ。
夕食の時間。
高橋は川崎晴斗、井上翔太、山田直樹と同じテーブルについていた。
食堂には訓練を終えた新兵たちが次々と集まり、長いテーブルはほとんど埋まっていた。厨房からは煮込み料理の匂いが漂い、食器の触れ合う音や椅子を引く音、あちこちで交わされる話し声が広い室内に響いている。
七月に召喚されて以来、四人はほとんど一緒に行動していた。兵舎でも近い寝台を使い、食事も自然と同じテーブルにつくようになっている。
「明日かあ。なんか、学校のクラス替えみたいだよな」
山田がパンをちぎりながら呟いた。
「クラス替えっていうより、就職先の発表だろ。軍隊なんだから、配属先によってやることが全然違うぞ。歩兵と砲兵じゃ訓練も違うしな」
井上はそう言いながら、スープにパンを浸した。
「井上、おまえはどこがいいんだ?」
川崎が尋ねると、井上は少し考えてから答えた。
「俺は歩兵かな。実際の部隊がどういう編成で動くのか興味あるし」
「おまえ、本当に軍隊好きだな」
「好きっていうか、せっかく本物の軍隊にいるんだから、いろいろ知りたいだろ」
「俺はできれば楽なところがいいなあ」
山田がそう言うと、井上は即座に首を振った。
「そんな部隊ないだろ」
「わかってるよ。希望ぐらい言わせろよ」
四人は笑った。
食事が進むうちに、話題は翌日の配属先から兵舎での生活へと移っていった。山田は同じ班の現地新兵が寝言を言う話を持ち出し、井上は軍隊の寝台が狭いことに文句を言っている。
高橋はそんな話を聞きながら、先ほどのシャワー室での出来事を思い返していた。
水野先生も伊藤も、すっかりこちらの生活に慣れてしまっている。自分だって以前ほど戸惑うことはなくなったが、どうしても気になることはあった。
高橋は少し迷った末、隣に座る川崎に顔を寄せた。
「なあ、川崎。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「いや、ちょっと……真面目な話なんだけどさ」
高橋の妙に真剣な顔を見て、川崎は食べかけのパンを皿に置いた。
「なんだよ。明日の配属のことか?」
「いや、そうじゃなくて……」
高橋は声を落とし、周囲を見回した。隣のテーブルには女子新兵たちも座っており、楽しそうに話している。高橋は、そちらまで声が届かないことを確かめてから、さらに川崎へ顔を近づけた。
「おまえさ、こういう生活で、その……溜まったりしないのか?」
「は?」
川崎は何の話かわからないという顔をしたが、すぐに高橋の言いたいことを察したらしい。
「おまえ、そういうのずっと我慢してたのかよ?」
「声が大きいって!」
高橋が慌てて止めると、川崎は思わず笑いそうになり、口元を押さえた。
「悪い悪い。でも、おまえ、そんなことで悩んでたのか?」
「そんなことって……おまえ、気にならないのか?」
「そりゃ、気になることはあるだろ。でも、みんな適当に折り合いつけてるぞ」
川崎は呆れたように笑いながら、少し声を落とした。
「兵舎じゃ一人になれないからな。トイレの個室とかでみんな抜いてるぞ おかずには困らんだろう」
「そうなのか?」
「おまえ、今まで気づかなかったのか? 妙にトイレが長いやつとかいるだろ」
高橋は思わず考え込んだ。
確かに、消灯前になるとトイレへ行く者は少なくない。長い時間戻ってこない者もいたが、今まで特に気にしたことはなかった。
「でも、女子もいるだろ。気まずくないのか?」
高橋が尋ねると、川崎は肩をすくめた。
「そりゃ、女子だって気づいてるだろうさ。でも、わざわざ何も言わないでくれてるんだよ。こっちだって女子のことをいちいち詮索しないだろ?」
「まあ、そうだけど」
「お互い様ってことだよ。こんな生活なんだから、ある程度は知らないふりしてやらないとやっていけないだろ」
川崎はそう言うと、再びパンを手に取った。
「それに、おまえ、真面目すぎるんだよ。軍隊の規則は守らなきゃならないけど、何でもかんでも我慢すりゃいいってもんじゃないぞ」
「そういうもんなのか……」
「そういうもんだって。おまえ、ほんと変なところで真面目だよな」
川崎は笑った。
高橋は少し恥ずかしくなり、残っていたスープに手を伸ばした。
考えてみれば、川崎の言うことももっともだった。
三か月以上も男女が同じ兵舎で生活しているのだから、互いに気を遣わなければならないことはいくらでもある。それを誰かがいちいち口に出していたら、共同生活など成り立たない。千尋の言った意味がようやく理解できた。
自分だけが必要以上に考え込んでいたのかもしれなかった。
「なあ、おまえら、何をこそこそ話してるんだ?」
向かいに座っていた山田が、二人の様子に気づいて声をかけてきた。
「いや、別に」
高橋が慌てて答えると、川崎は何でもない顔でパンをかじった。
「高橋の人生相談だよ」
「なんだよ、それ。俺にも聞かせろよ」
「おまえに相談したら、余計ややこしくなるだろ」
川崎がそう返すと、井上まで笑い出した。
「確かに山田に相談しても、まともな答えは返ってこなさそうだな」
「おい! なんでだよ!」
山田が抗議すると、四人のテーブルに笑い声が広がった。
高橋もつられて笑った。
日本では、それほど親しかったわけではない四人だった。それが、こちらに召喚されてからは毎日のように顔を合わせ、食事をし、訓練を受け、何でもない冗談を言い合うようになっている。
明日には、この四人も別々の部隊へ配属されるかもしれない。
「それよりさ」
川崎が話題を変えた。
「俺たち、同じ中隊になれるかな」
「どうだろうな」
高橋は答えた。
「できれば一緒がいいよな。せっかくここまで一緒だったんだから」
川崎の言葉に、井上も山田も頷いた。
高橋も同じ気持ちだった。
食堂のあちこちでは、明日の配属について同じような会話が交わされている。佐々木健を中心とした佐々木グループも、少し離れたテーブルで騒がしく話していた。加藤真由と吉田麻衣が何かを言い合い、それに佐々木が文句をつけている。中村拓也はそんな三人を眺めながら笑っていた。
岡田修平は現地新兵たちと談笑しており、その隣ではサクとリュージュも楽しそうに話していた。
七月から続いてきた、見慣れた食堂の光景だった。
明日からは、これまでとは違う生活になる。
高橋はそう考えながら、残っていた食事を口に運んだ。
翌朝。
朝食を済ませた新兵たちは、兵舎前の掲示板に集まっていた。
十一月のベルノは朝の冷え込みが一段と厳しくなり、兵舎の屋根には薄く霜が降りていた。練兵場を吹き抜ける風は冷たく、制服の襟元から入り込む空気に思わず首をすくめる者もいる。夏の間は青々としていた兵舎周辺の木々もすっかり色を変え、風が吹くたびに枯れ葉が石畳の上を転がっていた。
掲示板の前には、すでに大勢の新兵が集まっていた。日本人だけでなく、現地新兵たちも配属先を確かめようと押し寄せており、あちこちから帝国共通語と日本語が入り混じった声が聞こえてくる。
掲示板には、各人の正式な配属先が帝国共通語で記されていた。
「うわ、結構細かく書いてあるな」
川崎が人垣の向こうにある掲示板を覗き込みながら言った。
「読めるか?」
「まあ、なんとか。でも、名前が多すぎるな」
三か月以上の語学訓練を受けてきたとはいえ、長い文章を読むのはまだ難しい。しかし、部隊名や階級など、軍隊で使う言葉には随分慣れていた。特に数字や部隊名については、訓練中に何度も使っているため、ほとんどの者が理解できるようになっている。
高橋たちも人垣の隙間から掲示板に近づき、それぞれ自分の名前を探し始めた。
「俺、あった!」
井上が突然声を上げた。
「第1歩兵中隊だ!」
「お、俺もだ」
川崎が井上の指さした場所から少し下に、自分の名前を見つけた。二人は顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。
「よかったな、井上。おまえと一緒か」
「そうだな。第1中隊なら石井軍曹のいる第3中隊とは別だけど、歩兵の訓練についてはいろいろ聞けそうだ」
「おまえは本当にそういうことばっかりだな」
川崎が呆れたように笑ったところで、井上は今度は高橋の方を向いた。
「高橋、おまえは?」
「ちょっと待ってくれ。まだ見つからない」
高橋は掲示板に並ぶ名前を上から順番に追っていた。部隊ごとに分けて記載されているため、自分がどこに配属されるのかわからない以上、端から探すしかなかった。
周囲でも次々に歓声や落胆の声が上がっていた。同じ部隊になった者同士で肩を叩き合う者もいれば、友人と別々になったことを知って残念そうにしている者もいる。
その中で、ひときわ大きな声が聞こえてきた。
「やった! 麻衣、一緒だよ!」
加藤真由が掲示板を指さし、隣にいた吉田麻衣の腕をつかんだ。
「本当? どこ?」
「ほら、ここ! 第4歩兵中隊!」
吉田は加藤の指先を追い、自分の名前と、そのすぐ近くに書かれた加藤の名前を見つけると、ぱっと表情を明るくした。
「本当だ! よかったあ!」
二人は思わず手を取り合って喜んだ。
七月の召喚からずっと行動を共にしてきた二人にとって、別々の部隊になることはかなり気がかりだったらしい。少なくとも配属先が決まるまでは、できれば一緒がいいと何度も話していた。
「これで、また一緒にいられるね」
「うん。知らない人ばっかりのところに一人で行くの、嫌だったんだよね」
嬉しそうに話す二人の後ろでは、佐々木健が自分の名前を探していた。
「おい、おまえら。騒いでないで俺の名前も探せよ」
「自分で探しなさいよ」
加藤が振り向きもせずに答えた。
「なんだよ、おまえらだけ喜びやがって」
「だって、同じ中隊なんだもん。ねえ、麻衣」
「うん!」
吉田も笑顔で頷いた。
佐々木は面白くなさそうに舌打ちしたが、二人はそんなことを気にする様子もなかった。
そこへ中村拓也が、少し離れた場所から戻ってきた。
「健、おまえ第2中隊だぞ」
「あ? 第2?」
「俺は第1だ。おまえとは別だな」
「なんだよ。結局みんなバラバラじゃねえか」
佐々木が顔をしかめると、中村は肩をすくめた。
「まあ、同じ連隊なんだから別にいいだろ」
「よくねえよ。面倒くせえな」
そう言いながら、佐々木は掲示板に書かれた自分の名前を確かめた。確かに第2歩兵中隊となっている。その少し下には岡田修平の名前もあった。
「ちっ、岡田と一緒かよ」
佐々木が小さく呟いた。
そんな佐々木の不機嫌さとは対照的に、加藤と吉田はまだ第4中隊への配属を喜んでいた。二人にとっては、佐々木グループが別々になることよりも、互いに離れずに済んだことの方が重要らしい。
「おい、真由。おまえら、少しは俺たちのことも気にしろよ」
「大丈夫だって。健も拓也も同じ連隊なんだから」
「そうそう。休みの日に会えばいいじゃない」
吉田までそう言うものだから、佐々木はそれ以上何も言えなくなってしまった。
少し離れた場所でその様子を見ていた山田が、井上の肩をつついた。
「なあ、あいつら、すげえ喜んでるな」
「そりゃ、仲のいい友達と一緒なら嬉しいだろ」
「俺はまだ見つけてないんだけどな……」
山田は再び掲示板に目を向けた。
その頃、水野香織も自分の名前を見つけていた。
「私、砲兵中隊だって!」
少し驚いたような声に、隣にいた伊藤千尋が振り向いた。
「やっぱり先生、砲兵ですね」
「そうね。数学が役に立つのかな」
「先生なら大丈夫ですよ」
「ありがとう、伊藤さん。伊藤さんは?」
「私は第3歩兵中隊です」
伊藤はそう答えながら、自分の名前を指さした。表情には少し緊張が見られたものの、どこか覚悟を決めたような落ち着きも感じられた。
「そう。頑張ってね」
「はい! 水野先生も頑張ってください」
水野は頷き、もう一度自分の配属先を見上げた。
砲兵中隊。
今まで訓練で見てきた大砲を思い浮かべる。射撃訓練で耳を塞ぎたくなるほどの大きな音を立てていた、あの大砲を今度は自分が扱うことになるのだろうか。
数学なら教えられる。
だが、砲兵として何ができるのかは、まだ想像もつかなかった。
一方、少し離れたところでは岡田修平がリュージュと話していた。
小柄な金髪のエルフの少女は、掲示板に書かれた二人の名前を指さしている。
「岡田、同じ」
「お、本当だ。第2歩兵中隊か」
「うん」
リュージュは嬉しそうに頷いた。
岡田も笑顔を見せたが、そのすぐ近くに佐々木の名前があることに気づくと、少し複雑そうな顔をした。
「佐々木も一緒か……」
「佐々木?」
リュージュが首を傾げる。
「いや、なんでもない」
岡田は苦笑した。
第2歩兵中隊には、岡田修平、佐々木健、リュージュ。
第1歩兵中隊には川崎晴斗、井上翔太、中村拓也。第3歩兵中隊にはサクと伊藤千尋。第4歩兵中隊には加藤真由、吉田麻衣、山田直樹。そして水野香織は砲兵中隊だった。
「山田、おまえ第4か」
井上が声をかけた。
ようやく自分の名前を見つけた山田は、掲示板を見上げたまま溜息をついた。
「そうみたい。あーあ、別々かよ」
「同じ連隊なんだから、また会えるだろ」
「まあ、そうなんだけどさ」
山田は残念そうに頭をかいた。川崎と井上が同じ第1中隊になったことが、余計に羨ましいらしかった。
その頃、高橋はようやく自分の名前を見つけていた。
しかし、名前の横に書かれている部隊名には見覚えがなかった。
「……浸透偵察小隊?」
高橋は少し顔を近づけ、もう一度文字を確かめた。
間違いない。
今までの訓練では、歩兵中隊や砲兵中隊については何度も説明を受けていた。しかし、浸透偵察小隊という部隊については、一度も聞いた覚えがなかった。
「おい、高橋。あったか?」
川崎が後ろから覗き込んだ。
「ああ、あったんだけど……」
「どこだ?」
「浸透偵察小隊って書いてある」
「なんだ、それ?」
川崎も首を傾げた。
井上が近づいてきた。
「浸透偵察小隊?」
「知ってるのか?」
「いや、名前からすれば偵察部隊だろうけど……普通の歩兵中隊とは違うみたいだな」
井上は興味深そうに掲示板を見つめた。軍隊についての知識には自信があるつもりだったが、この帝国軍の部隊編成については、まだ知らないことが多い。
「何するところなんだろうな」
高橋が呟いた。
そのとき、背後から聞き慣れた声がした。
「高橋。配属先は確認したか?」
振り返ると、石井軍曹が立っていた。
いつものように背筋を伸ばし、片手には書類を持っている。新兵たちの配属状況を確認して回っていたらしく、掲示板の周囲に集まる者たちに時折声をかけていた。
「はい。でも、浸透偵察小隊って……」
「ああ。おまえはそこだ」
「どういう部隊なんですか?」
石井は掲示板に目を向け、少し考えるような表情を見せた。
「そうだな。俺も詳しいことは知らんのだが、浸透偵察小隊は連隊本部直属の部隊だ。普通の歩兵中隊とは少し違う」
「連隊本部直属?」
「そうだ。俺が新兵だった頃に設立された部隊でな。敵の陣地やその後方に入り込んで、偵察や情報収集を行うらしい」
「らしい、ですか?」
「ああ。あそこはエルフだけで編成された部隊なんだ。今まで日本人が配属されたこともないし、俺たちとの交流もほとんどない」
石井は腕を組み、少し困ったように眉を寄せた。
ベルノ連隊にはエルフの兵士も多く所属している。だが、普通の歩兵中隊では人間とエルフが同じ部隊で任務についており、浸透偵察小隊のようにエルフだけで編成された部隊は珍しかった。
「だから、実際に何をやっているのかは俺にもよくわからん。訓練で一緒になることもないしな」
「そうなんですか」
「高梨伍長にも聞いてみたが、あいつも詳しくは知らんそうだ」
そこまで言って、石井は何かを思い出したように続けた。
「ただ、小隊長については少し聞いたことがある」
「どんな人なんですか?」
「背が高くて、身体中傷だらけの男だそうだ。確か少佐だったかな」
「少佐ですか?」
高橋が驚いたように聞き返した。
これまでの訓練で、歩兵小隊を指揮する士官の階級については教わっていた。普通、小隊長はそこまで階級が高いものではないはずだった。
「そうだ。小隊長にしては随分階級が高いだろう」
井上が興味深そうに身を乗り出した。
「石井軍曹、その人、そんなに偉いんですか?」
「偉いも何も、連隊本部では相当な権限を持っているらしい。実質的には連隊長の副官みたいな立場だという話だ」
石井は少し肩をすくめた。
「もっとも、俺も直接話したことはない。あの部隊は普段から独立して行動していることが多いからな」
「そんなところに俺が行くんですか?」
高橋は思わず聞き返した。
「ああ。おまえがだ」
石井は当然だという顔をした。
「高橋。おまえ、射撃訓練で随分いい成績を出していただろう」
「はい」
「特に遠距離射撃だ。あれだけ目がよくて、射撃の適性がある兵士はそう多くない」
「でも、偵察なんてやったことないですよ」
「当たり前だ。だからこれから教わるんだろうが」
石井は笑った。
「どの部隊に配属されても、これからが本当の訓練だ。今までやってきたのは、あくまで基礎だからな」
井上が興味深そうに口を挟んだ。
「石井軍曹、その小隊って、狙撃とかもやるんですか?」
「おそらくな。偵察部隊なら、そういう任務もあるだろう」
「やっぱり!」
井上は目を輝かせた。
「すげえな、高橋。特殊部隊みたいじゃないか」
「いや、俺は別に……」
「まあ、特殊部隊という言い方が正しいかは知らんがな」
石井は井上の興奮を軽く受け流した。
「ただし、楽な部隊ではないと思うぞ。偵察は目立たず行動することが基本だ。体力も必要だし、判断力も必要になる。まして、あそこはエルフばかりの部隊だ。日本人のおまえがどう扱われるのか、正直なところ俺にもわからん」
「はい……」
高橋は少し不安になった。
配属先については、歩兵中隊か、せいぜい砲兵中隊だろうと思っていた。ところが、聞いたこともない部隊に配属され、しかも今まで日本人が一人も所属していないという。
言葉は一通り覚えたつもりだったが、エルフばかりの部隊でうまくやっていけるのだろうか。
そんな高橋の表情を見て、石井は少し笑った。
「まあ、心配しても始まらん。わからないことは向こうの先輩兵士に聞け。おまえは真面目だから、うまくやれるだろう」
石井は高橋の肩を軽く叩いた。
「それから、おまえたちもだ」
川崎と井上にも目を向ける。
「配属されたからといって、もう一人前になったと思うなよ。各中隊では、これまでより専門的な訓練が待っている」
「はい!」
「よし。午前中の最後に訓練部隊の解隊式がある。遅れるなよ」
石井はそう言って立ち去った。
高橋はもう一度掲示板を見た。
自分の名前の横に書かれた、浸透偵察小隊という文字。
昨日まで、そんな部隊の存在さえ知らなかった。しかも、今まで日本人が誰も配属されたことのない、エルフだけの部隊だという。
一体どんな人たちがいるのだろう。
「高橋、なんかすごいところに行くみたいだな」
川崎が言った。
「そうなのかな」
「少なくとも、普通の歩兵じゃないんだろ?」
「そうみたいだけど」
「まあ、頑張れよ」
川崎は高橋の肩を叩いた。
「おまえもな」
高橋は答えた。
掲示板の周囲では、まだ配属先についての話が続いていた。新しい仲間を見つけて喜ぶ者もいれば、親しい友人と別れることを残念がる者もいる。
その頃、佐々木健も掲示板の前に戻ってきていた。
加藤真由と吉田麻衣は、同じ第4歩兵中隊への配属が決まってすっかり上機嫌になっている。佐々木自身は第2歩兵中隊、中村拓也は第1歩兵中隊だった。仲間が別々になるのは気に入らなかったが、軍隊なのだから好き勝手に配属先を選べるわけではないことくらいは理解している。
佐々木は他の日本人たちの配属先を何となく眺めていたが、少し離れたところに高橋の名前があることに気がついた。
「……なんだ、これ」
佐々木は掲示板に顔を近づけた。
三か月の語学訓練で、簡単な帝国共通語なら読めるようにはなっていた。しかし、長い単語や普段使わない軍事用語になると、まださっぱりわからない。
歩兵中隊や砲兵中隊くらいならわかる。
だが、高橋の名前が書かれた場所だけは、どうにも意味がつかめなかった。
「おい、拓也。これ、なんて書いてあるんだ?」
佐々木は中村を呼び寄せた。
「どれ?」
「高橋のところだよ。こいつ、何中隊なんだ?」
中村も掲示板を覗き込んだ。
「……知らねえ。歩兵じゃないのか?」
「だから、何て書いてあるんだよ」
「俺だって全部読めるわけじゃねえよ」
中村は少し面倒くさそうに答えた。
佐々木は舌打ちすると、周囲を見回した。ちょうど少し離れたところで、川崎や井上と話している高橋の姿が目に入った。
「おい、高橋!」
突然名前を呼ばれ、高橋は振り向いた。
佐々木が中村を連れてこちらへ歩いてくる。表情を見る限り、あまり機嫌はよくなさそうだった。
「なんだよ、佐々木」
「おまえ、どこに配属されたんだ?」
「え? 浸透偵察小隊だけど」
「なんだ、それ?」
「俺もよくわからないんだよ。石井軍曹に少し聞いたけど」
佐々木は眉をひそめた。
「おまえ、歩兵じゃねえのか?」
「そうみたいだな」
「なんでお前だけ別なんだ?」
佐々木は納得できないという顔で高橋を見た。
「俺たちはみんな歩兵中隊なのに、おまえだけなんで違うところに行くんだよ」
「そんなこと俺に聞かれても……」
高橋は困ったように答えた。
「配属先を決めたのは軍の方だろ。俺だって今朝初めて知ったんだから」
「じゃあ、どんな部隊なんだよ」
「連隊本部直属の偵察部隊らしい。エルフだけで編成されてるんだって」
「エルフ?」
佐々木は意外そうな顔をした。
「なんでおまえがエルフの部隊に入るんだ?」
「だから、俺にもわからないんだって」
高橋が少し困りながら答えると、隣で聞いていた井上が口を挟んだ。
「高橋は射撃の成績がよかったからじゃないか? 石井軍曹もそう言ってたし」
「射撃?」
佐々木は高橋を見た。
確かに、高橋が射撃訓練でいい成績を出していたことは知っている。特に遠距離射撃では、教官たちが感心するほどの腕前だった。
しかし、だからといって一人だけ特別な部隊に配属されるというのは、どうにも気に入らなかった。
「ふうん。射撃が上手けりゃ特別扱いかよ」
佐々木が面白くなさそうに呟いた。
「別に特別扱いじゃないだろ」
川崎が口を挟んだ。
「石井軍曹だって、相当大変な部隊みたいだって言ってたぞ」
「おまえには聞いてねえよ」
佐々木は川崎を一瞥したが、それ以上言い返すことはなかった。
少し離れたところから、加藤の声が飛んできた。
「健! いつまでそんなところにいるの?」
振り返ると、加藤と吉田が兵舎へ戻ろうとしていた。
「もういいじゃん。高橋がどこ行こうが関係ないでしょう?」
「うるせえな。今行くよ」
佐々木は面倒くさそうに答えた。
そして、もう一度高橋に目を向けた。
「まあ、せいぜい頑張れよ」
「おまえもな」
高橋が答えると、佐々木は鼻を鳴らして歩き出した。中村もその後についていく。
二人が離れたところで、山田が小さく笑った。
「なんだよ、あいつ。高橋がどこ行くか、そんなに気になるのかよ」
「まあ、みんな歩兵中隊なのに、高橋だけ違うからな」
井上はそう答えながら、再び掲示板を見上げた。
「それにしても、浸透偵察小隊か。俺もちょっと気になるな」
「おまえは軍隊のことなら何でも気になるんだろ」
川崎が笑った。
「そりゃそうだけどさ」
三人が笑い合う中、高橋はもう一度自分の名前を見た。
佐々木に聞かれたことは、実のところ高橋自身も気になっていた。
どうして、自分だけなのだろう。
射撃の成績がよかったからだと言われても、それだけで納得できるものではなかった。自分より体力のある者も、帝国共通語が上手な者もいる。それなのに、今まで日本人が一人も配属されたことのない部隊に、自分だけが行くことになった。
高橋は小さく息を吐いた。
もっとも、今さら考えたところで配属先が変わるわけではない。
午後になれば、その部隊へ行くことになるのだ。
午前中の最後。
新兵たちは、これまで訓練で使ってきた練兵場に整列していた。
朝の冷え込みは幾分和らいでいたが、空には薄い雲が広がり、時折吹く風が整列した新兵たちの制服を揺らしていた。練兵場の端には、訓練で使っていた木製の障害物や土嚢が積まれ、その向こうには射撃場へと続く道が見えている。
七月に召喚された第20期の日本人たちにとって、この場所は数えきれないほどの思い出がある場所だった。
初めて整列を教わった場所。
何度も駆け足をさせられた場所。
教官に叱られ、仲間と励まし合いながら訓練を続けてきた場所。
それも、今日で最後になる。
新兵たちは中隊ごとではなく、これまでの訓練部隊の隊列で整列していた。七月に召喚された二百名の日本人のうち、訓練を続けてきた者たちも、八月に合流した現地新兵たちも、今日は同じ隊列に並んでいる。
整列した新兵たちの前には、これまで訓練を担当してきた教官たちが立っていた。
その中には、高梨梓伍長の姿もあった。
いつも訓練の際には新兵たちに大きな声で指示を出していた高梨も、今日は落ち着いた表情で隊列を見渡している。
新兵たちも、いつもとは少し違う雰囲気を感じ取っていた。
「気をつけ!」
号令が響いた。
それまでわずかに聞こえていた衣擦れや足音が止まり、新兵たちは一斉に姿勢を正した。
やがて、連隊長のオリヴィエ・フォン・ベルノ大佐が姿を現した。
八月、ベルノ伯爵に就任した際、全将兵の前で挨拶を行った女性だった。背はそれほど高くなく、柔らかな印象を与える容貌をしているが、軍服を着て将兵の前に立つ姿には、自然と人を従わせる威厳があった。
オリヴィエは壇上に立つと、整列した新兵たちをゆっくりと見渡した。
「皆さん。今日をもって、皆さんの基礎訓練は終了します」
静まり返った練兵場に、よく通る声が響いた。
「七月に召喚された第20期の皆さん。そして八月から合流した現地新兵の皆さん。ここまでの訓練、本当にお疲れさまでした」
オリヴィエは一人ひとりの顔を確かめるように、ゆっくりと視線を動かした。
「皆さんは、ここに来たとき、まだ兵士ではありませんでした。言葉も十分に通じず、軍隊の生活にも慣れていなかったでしょう」
高橋は、七月のことを思い出していた。
突然、見知らぬ世界に連れてこられたこと。帝国という国の存在を知ったこと。日本では当たり前だった生活が一変し、言葉もわからず、ただ戸惑うばかりだった最初の日々。
あれから、まだ三か月しか経っていない。
しかし、ずいぶん昔のことのようにも感じられた。
「ですが、今日の皆さんは違います。皆さんは帝国軍の一員として、必要な基礎を身につけました。これからは、それぞれの部隊で任務に就くための訓練を受けることになります」
オリヴィエはそこで一度言葉を切った。
壇上から見える新兵たちは、誰もが真剣な表情をしていた。まだ幼さの残る顔も少なくない。日本から召喚された者も、帝国内で育った者も、これから同じ軍人として任務につくことになる。
「ただし、忘れないでください。皆さんは、まだ戦場を知りません」
その言葉に、新兵たちの表情が引き締まった。
「戦場では、訓練で学んだことが皆さん自身の命を守ります。そして、隣にいる仲間の命も守ることになります。命令を守りなさい。学ぶことを怠らず、仲間を大切にしてください。そして、わからないことがあれば、必ず上官や先輩兵士に尋ねなさい」
オリヴィエは、最後に少し表情を和らげた。
「皆さんが一人前の兵士となり、無事に任務を果たしてくれることを願っています。皆さんの今後の活躍を期待しています」
号令がかかり、新兵たちは一斉に敬礼した。
オリヴィエが答礼すると、整列していた教官たちも姿勢を正した。連隊長が退場するまで、練兵場には誰一人として動く者はいなかった。
その後、訓練部隊の責任者から解隊が宣言された。
「本日をもって、本訓練部隊を解隊する!」
短い宣言だった。
しかし、その言葉によって、七月から続いていた新兵たちの共同生活が一区切りを迎えたことを、誰もが実感した。
教官たちが整列し、高梨伍長が一歩前に出た。
「皆さん、長い間お疲れさまでした」
いつもの訓練中とは違う、穏やかな口調だった。
「最初はどうなることかと思った人もいましたが、全員、本当によく頑張ったと思います」
あちこちから小さな笑い声が漏れた。
高橋も、初めての行軍訓練でへとへとになり、教官から何度も遅れるなと叱られたことを思い出した。川崎や井上、山田たちと一緒に走ったことも、今となっては懐かしく感じられる。
高梨は新兵たちの顔を見渡しながら続けた。
「でも、ここからが本番です。各部隊には、皆さんより長く軍務に就いている先輩たちがいます。わからないことは遠慮なく聞いてください」
そこで高梨は少し間を置いた。
「それから、これまで一緒に訓練してきた仲間たちのことも忘れないでください。配属先は違っても、同じベルノ連隊の仲間です」
高橋は、隣に並ぶ川崎をちらりと見た。
向こうもこちらを見ていた。
二人とも、何かを言うわけではなかった。ただ、目が合うと小さく頷き合った。
「最後に、午後からは各自、指定された配属先へ移動してください。必要な手続きや装備の受領については、各部隊の担当者の指示に従うこと」
高梨は一同を見渡した。
「皆さんの健闘を祈ります」
そして、最後の号令がかかった。
「敬礼!」
新兵たちは教官たちに向かって敬礼した。
三か月以上続いた訓練部隊での生活が、こうして終わった。
解隊式が終わると、それまで静まり返っていた練兵場に、再び新兵たちの話し声が広がった。
整列していた隊列はすぐに崩れ、教官たちに挨拶へ向かう者、同じ部隊に配属された仲間と集まる者、別々の部隊になる友人と名残惜しそうに話す者で、練兵場はしばらく賑やかな雰囲気に包まれた。
訓練中は厳しい表情を見せていた教官たちも、今日は新兵の肩を叩いたり、笑顔で言葉を交わしたりしている。
高橋は少し離れたところで、佐々木たちが話しているのを見かけた。
「じゃあ、あたしたち第4中隊に行くから」
加藤が佐々木に声をかけていた。
「わかってるよ。何回言うんだよ」
「だって、健が何も言わないから」
「なんで俺が何か言わなきゃいけねえんだ」
佐々木が面倒くさそうに答えると、吉田が笑った。
「じゃあ、また食堂でね」
「おう」
中村も二人に軽く手を振った。
加藤と吉田は顔を見合わせ、楽しそうに話しながら歩き出した。二人は新しい配属先でも同じ部隊で生活できることが、よほど嬉しいらしい。
佐々木はその後ろ姿を見送ると、隣に立つ中村に向き直った。
「おまえも第1か」
「ああ。そっちは第2だろ」
「そうだよ。まったく、面倒くせえな」
「まあ、同じ連隊なんだし、また会えるだろ」
中村が笑うと、佐々木も不満そうな顔のまま歩き出した。
高橋はそんな様子を眺めながら、自分たちも同じように別々の部隊へ向かうのだと思った。
「高橋君」
振り向くと、水野が近づいてきた。
式典が終わって少し気が抜けたのか、水野の表情はいつもより穏やかだった。後ろには伊藤千尋もおり、こちらに向かって軽く手を振っている。
「浸透偵察小隊なんだって?」
「はい」
「なんだか難しそうな部隊ね」
「俺もよくわからないんですよ」
「そうなの?」
「石井軍曹に少し教えてもらいましたけど、エルフだけの部隊らしくて、日本人は今まで誰も入ってないそうです」
「えっ、そうなの?」
水野は驚いたように目を丸くした。
「じゃあ、高橋君が初めての日本人ってこと?」
「そうみたいです」
「それは大変そうね。でも、高橋君なら大丈夫だと思うわ」
「そうですかね」
「うん。だって、真面目だし、射撃も上手でしょう。きっとちゃんと教えてもらえるわよ」
水野はそう言って微笑んだ。
伊藤も隣で頷いていた。
「高橋君、射撃の成績すごかったもんね。私なんか全然当たらなかったのに」
「いや、俺もほかの訓練はそんなに得意じゃなかったし」
「またまた。そういうところ、相変わらずだよね」
伊藤は少し呆れたように笑った。
三か月前なら、こうして気軽に冗談を交わすこともなかっただろう。高橋は、昨日のシャワー室でのやり取りを思い出しながら、伊藤も本当にこの生活に馴染んだのだと感じた。
「私も砲兵中隊で頑張るね」
水野が改めて言った。
「はい。先生も頑張ってください」
「ありがとう。高橋君も無理しないでね。困ったことがあったら、ちゃんと誰かに相談するのよ」
「はい」
水野は少し名残惜しそうに高橋を見たが、やがて笑顔で手を振った。
「じゃあ、またね」
「はい。また」
水野と伊藤は、ほかの新兵たちが集まっている方へ歩いていった。
高橋は、その後ろ姿を少しの間見送っていた。
日本では教師と生徒だった。こちらに来てからは同じ訓練を受け、同じ食事を食べ、同じ兵舎で生活してきた。
それが今日で終わる。
なんだか不思議な気分だった。
「さて、俺たちも行くか」
後ろから川崎の声がした。
振り返ると、井上と山田も一緒だった。三人ともすでに荷物の整理について話していたらしく、午後からの移動時間を確認している。
「そうだな」
井上が頷く。
山田は少し残念そうだった。
「なんか、ほんとにバラバラになっちゃうんだな」
「同じ連隊だろ。また会えるって」
川崎が笑った。
「そうだよな」
山田も頷いた。
四人はしばらく、何となくその場に立っていた。
夏の暑い日も、雨の中の行軍も、射撃訓練も、いつも一緒だった。軍隊について妙に詳しい井上と、何かにつけて冗談を言う山田。その二人の間で、いつも気さくに話しかけてくれる川崎。
日本にいた頃は、それぞれ違う友人たちと過ごしていたはずだった。
それが、こちらの世界に召喚されてからは、自然と四人で行動するようになっていた。
「じゃあ、またな」
川崎が高橋の肩を軽く叩いた。
「おう」
「高橋、変なところで死ぬなよ」
山田が冗談めかして言うと、高橋は顔をしかめた。
「縁起でもないこと言うなよ」
「はは、冗談だって」
井上も笑った。
「でも、浸透偵察小隊のこと、今度会ったら教えてくれよ。俺、ちょっと興味あるんだ」
「わかったよ。俺もまだ何も知らないけどな」
「じゃあ、またな」
四人は笑いながら、それぞれの兵舎へ向かって歩き出した。
高橋は途中で一度立ち止まり、練兵場を振り返った。
訓練を終えた新兵たちは、少しずつその場を離れ始めていた。教官たちは使用した設備の片づけを始め、練兵場の端では、すでに次の訓練に備えて資材を運ぶ兵士たちの姿も見える。
三か月以上、毎日のように走り回っていた場所だった。
それも今日で最後になる。
高橋は小さく息を吐くと、兵舎へ向かって再び歩き始めた。
午後からは、浸透偵察小隊への配属となる。
石井軍曹が新兵だった頃に設立されたという、エルフだけの部隊。今まで日本人が配属されたことはなく、他の部隊との交流もほとんどないらしい。
そして、背が高く、身体中に傷のある少佐が小隊長を務めているという。
一体、どんな人物なのだろう。
どんな訓練をするのだろう。
考えてみても、答えは出なかった。
ただ、これまでの生活が終わり、新しい生活が始まることだけは確かだった。
高橋亘一の兵士としての日々は、ここから本格的に始まろうとしていた。