勇者連隊戦記   作:バグスター

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帝国歴231年7月


第2節 夏休み前の最後の一日

翌朝も、東京は蒸し暑かった。

 

 校門をくぐる頃には、高橋の額にうっすらと汗が滲んでいた。古い校舎の外壁は朝日を受けて白く照り返している。黒ずんだコンクリートの補修跡、くすんだ窓枠、厚い塗装の手すり。いつもと変わらない学校の風景だった。

 

 ただし、この日の校内は朝から妙に落ち着かなかった。

 

「なあ、聞いたか?」

 

 教室へ入るなり川崎が声を潜めた。

 

「何?」

 

「生徒会長が事故で死んだって」

 

「……え?」

 

 高橋は鞄を下ろす手を止めた。

 

「篠沢先輩?」

 

「そう。昨日の夕方、交通事故に遭ったらしい」

 

「嘘だろ」

 

「俺もまだ噂で聞いただけだけどさ。朝からみんなその話してる」

 

 高橋は昨日のことを思い出した。廊下ですれ違った篠沢遊馬。三年生の生徒会長で、学校行事のたびに壇上に立つ人だった。明るく落ち着いた話し方が印象に残っている。

 

「昨日、普通に学校にいたよな」

 

「いたよ。だからびっくりしてるんだろ」

 

 近くでは岡田修平が、サッカー部の仲間と深刻な顔で話していた。井上と山田も普段より静かだった。

 

 始業前、水野香織が教室に入ってきた。いつもの丸眼鏡をかけていたが、表情が硬かった。

 

「皆さん、おはようございます。今日は予定どおり全校集会を行います。詳しいお話は、集会で校長先生からあります」

 

 その言葉で、噂が単なる噂ではないことを誰もが悟った。

 

 やがて移動の指示が出た。生徒たちは廊下に並び、体育館へ向かった。

 

 古い体育館には夏の熱気がこもっていた。天井の換気扇が低い音を立て、窓の外では蝉が鳴いている。学年ごとに整列した生徒たちは、いつもより口数が少なかった。

 

 壇上に校長が立つ。

 

「皆さんに、悲しいお知らせがあります」

 

 体育館が静かになった。

 

「三年生の生徒会長、篠沢遊馬君が、昨日夕方、交通事故で亡くなりました」

 

 誰かが小さく息を呑んだ。

 

 高橋の隣で川崎が俯いた。周囲からも驚きと戸惑いの声が漏れたが、すぐに静まった。

 

 校長は篠沢が学校のために尽くしてきたことを話し、全員で黙祷を捧げるよう告げた。

 

 高橋は目を閉じた。

 

 昨日まで元気だった人が、今日はもういない。

 

 そんなことが本当に起こるのだと思った。

 

 黙祷が終わり、校長が再び話し始めた。

 

 その途中だった。

 

 周囲の音が、ふいに遠くなった。

 

 蝉の声。換気扇の唸り。校長の声。隣に立つ生徒の衣擦れ。

 

 すべてが、耳の奥へ吸い込まれていくようだった。

 

「……え?」

 

 高橋は顔を上げた。

 

 足元が揺れたような気がした。

 

 次の瞬間、視界が白くなった。

 

 何かが身体を通り抜けるような、不思議な感覚があった。

 

 そして――。

 

 冷たいものが、頭に落ちてきた。

 

「……雨?」

 

 高橋は目を開いた。

 

 体育館の天井がなかった。

 

 代わりに見えたのは、低く垂れ込めた灰色の雲だった。そこから大粒の雨が落ちている。

 

 足元には、濡れた石が広がっていた。

 

 体育館ほどの広さがある、平らな一枚岩。周囲には石段と砂利道があり、さらに外側には見慣れない建物が並んでいる。

 

 高橋は茫然と立ち尽くした。

 

「何だ、ここ……」

 

 悲鳴が上がった。

 

「きゃああっ!」

 

「ちょっと、服が!」

 

「何これ!?」

 

 高橋は自分の身体を見下ろした。

 

 制服がない。

 

 シャツもズボンも、下着さえも消えていた。靴も靴下もない。鞄も財布も携帯電話もない。

 

 周囲の生徒たちも同じだった。

 

 突然現れた冷たい雨の中で、全員が何も身につけず、慌てて身体を隠している。

 

「うわっ、何で裸なんだよ!」

 

 川崎が叫んだ。

 

「知らねえよ!」

 

 井上も慌ててしゃがみ込んだ。

 

 山田は空を見上げ、何かを言いかけたが、女子生徒の悲鳴にかき消された。

 

 水野香織も生徒たちの間にいた。着ていた服だけでなく、丸眼鏡も消えていた。目を細めて周囲を見回したが、離れた生徒の表情がよく見えない。

 

「みんな落ち着いて! 怪我してる人いない!?」

 

 水野は必死に呼びかけた。

 

「先生、どうなってるんですか!」

 

「わからないけど、まず怪我してる人を確認して!」

 

 伊藤千尋が女子生徒たちに声をかけ、できるだけ互いを隠すように集まらせていた。佐々木健と中村拓也は腹立たしそうに怒鳴り、加藤真由は吉田麻衣の手を引いていた。

 

 高橋は周囲を見回した。

 

 見覚えのある一年生たち。担任や教師の姿はほとんど見えず、水野だけが生徒たちの間を動き回っている。

 

 すぐには人数など数えられなかったが、ここに現れたのは、高校生と教師を合わせて二百人ほどだった。後に第20期召喚者として登録される人数も、合計二百名だった。

 

 石の広場の外側には、軍服姿の男たちがいた。

 

 雨具を着込み、肩には長い銃を下げている。岩盤の周囲を一定の間隔で取り囲み、何かを叫んでいた。

 

 高橋には一言も理解できなかった。

 

 英語でも中国語でも、聞いたことのある外国語でもない。

 

 兵士の一人が手を上げ、こちらへ近づこうとした生徒を制止した。銃口は向けられていないが、通してはもらえそうになかった。

 

「……軍隊?」

 

 井上が呟いた。

 

「何で軍隊がいるんだよ」

 

 川崎の声が震えた。

 

 雨が肩を打ち、石が足の裏から体温を奪っていく。誰かが泣き、誰かが怒鳴り、誰かが名前を呼び続けていた。

 

 高橋はもう一度空を見上げた。

 

 東京の蒸し暑い夏空は、どこにもなかった。

 

 見知らぬ土地の冷たい雨が、いつまでも降り続いていた。

 

 

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