勇者連隊戦記   作:バグスター

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帝国歴231年11月


第3節 狙撃と拘束

谷間には、午後の弱い日差しが差し込んでいた。

 

十一月の山林は、すでに冬の気配を帯びている。

 

尾根に立つ針葉樹は濃い緑を残していたが、その間に混じる広葉樹の大半は葉を落としていた。斜面には枯れ草が倒れ込み、露出した岩の表面には薄い苔が張りついている。

 

風が吹くたびに乾いた枝が揺れ、残っていた葉が一枚、また一枚と地面へ舞い落ちた。

 

谷底には細い沢が流れていた。

 

その水面が、ときおり木々の間から差し込む光を反射している。

 

高橋は尾根の岩陰に伏せたまま、双眼鏡を覗いていた。

 

およそ七百メートル先。

 

沢の近くに横たわる大きな倒木の周囲に、四人の兵士がいる。

 

男二人、女二人。

 

先ほど発見したときと、位置はほとんど変わっていなかった。

 

男の一人は毛布の上に寝転がり、もう一人も背嚢にもたれて休んでいる。

 

女二人は倒木の近くに座っていた。

 

四人とも鉄帽をかぶっていない。

 

武装している可能性があるとの情報だったが、この距離では小銃を持っているかどうか、はっきりとは確認できなかった。

 

高橋は双眼鏡をゆっくり動かした。

 

倒木の周囲には背嚢が置かれている。

 

毛布も広げられていた。

 

時折、女の一人が身じろぎする程度で、四人ともすっかりくつろいでいるようだった。

 

周囲を警戒する様子はない。

 

見張りを立てることもなく、四人が一か所に集まっている。

 

「……ずいぶんのんびりしているわね」

 

エレナが小声で言った。

 

隣に伏せていたアルノーが頷いた。

 

「ああ。追われているとは思っていないようだな」

 

「武器は見える?」

 

「男の一人が、木のそばに小銃を置いているように見える」

 

アルノーは双眼鏡を少し動かした。

 

「もう一人の近くにも長いものがある。おそらく小銃だろう」

 

「女二人は?」

 

「今のところ、持っていないな」

 

エレナはしばらく谷底を観察した。

 

四人の服装は帝国軍のものだった。

 

人数も、男女の内訳も一致している。

 

さらに、途中で発見した足跡はこの谷へ続いていた。

 

偶然、別の四人組の兵士が同じ場所にいるとは考えにくかった。

 

「……逃亡兵と見てよさそうね」

 

エレナが言った。

 

「だろうな」

 

アルノーは頷いた。

 

「それで、どうする?」

 

エレナは谷の地形を確認した。

 

現在地から谷底へ向かう斜面には、木々が密集している。

 

途中には大きな岩がいくつもあり、身を隠しながら移動することは十分可能だった。

 

ただし、沢の近くは比較的開けている。

 

相手に気づかれずに四人のところまで近づくには、最後の数十メートルが問題になりそうだった。

 

「もう少し近づきましょう」

 

エレナが答えた。

 

「どの辺りまで?」

 

「向こうの岩場。あそこなら四百メートルくらいまで近づけるはずよ」

 

アルノーは双眼鏡を下ろした。

 

「了解」

 

「ただし、相手に気づかれないこと。まだ発砲しないわ」

 

エレナは高橋を振り返った。

 

「高橋」

 

「はい」

 

「これから射撃位置を移動するわ。小銃を準備して」

 

「了解しました」

 

高橋は双眼鏡をしまい、傍らに置いていたG11を手に取った。

 

篠沢から譲り受けた小銃だった。

 

銃の上には、同じく篠沢から受け取ったスコープが取り付けられている。

 

高橋は負い革を直し、銃身が岩にぶつからないよう注意しながら身を起こした。

 

その手つきには、もう訓練を始めた頃のぎこちなさはなかった。

 

しかし、胸の奥には落ち着かないものがあった。

 

相手は逃亡兵だ。

 

しかも、武装している可能性が高い。

 

ヴァルター少佐からは、遭遇した場合の射殺許可が出ている。

 

高橋はそのことを思い出し、小銃を握る手に少し力を込めた。

 

「大丈夫?」

 

エレナが尋ねた。

 

「……はい」

 

「まだ撃つとは決まっていないわ。まずは相手の様子を確認しましょう」

 

「わかりました」

 

エレナは小さく頷いた。

 

「じゃあ、行くわよ」

 

四人は尾根から少し引き返し、木々の間を通って斜面を下り始めた。

 

先頭はアルノーだった。

 

高橋はエレナの後ろを歩き、最後尾にはミレーナが続いている。

 

無線機とバッテリーは、相変わらず大きな荷物だった。

 

真空管式の無線機は本体だけでも重く、電源用のバッテリーもかなりの重量がある。

 

狭い岩場を通るときには、身体を横にして慎重に進まなければならなかった。

 

足元には枯れ葉が厚く積もっていた。

 

その下には湿った土や木の根が隠れている。

 

踏む場所を間違えると、枯れ枝が乾いた音を立てた。

 

アルノーは時折立ち止まり、後ろの三人に進路を示した。

 

四人の間隔は、先ほどまでの移動よりも少し広くなっていた。

 

高橋はなるべく足音を立てないよう注意して歩いた。

 

前を進むエレナは、木の根や岩の位置を確かめながら、ほとんど物音を立てずに移動している。

 

高橋も同じ場所へ足を置こうとするが、なかなかうまくいかなかった。

 

一度、軍靴の下で小枝が折れた。

 

乾いた音が、静かな林の中に響く。

 

高橋は思わず足を止めた。

 

エレナが振り返った。

 

しかし、何も言わなかった。

 

軽く手を下げる仕草をすると、再び前を向いた。

 

高橋は息を整え、慎重に歩き始めた。

 

斜面を下るにつれ、沢の水音が少しずつ大きくなっていった。

 

木々の隙間から、谷底の様子が時折見える。

 

四人の逃亡兵は、まだ同じ場所にいるようだった。

 

途中、大きな岩が重なった場所に出た。

 

アルノーが立ち止まり、その陰から谷底を観察した。

 

しばらくして、エレナに合図する。

 

「ここでいいだろう」

 

エレナが近づいた。

 

岩場の前方は緩やかな斜面になっており、低い灌木と枯れ草が広がっている。

 

さらにその先には、谷底の倒木が見えた。

 

「距離は?」

 

「およそ四百メートル」

 

エレナは双眼鏡を構えた。

 

四人の姿が、先ほどよりもはっきり見える。

 

男二人は休んだままだった。

 

女二人も倒木の近くにいる。

 

「いい場所ね」

 

エレナは頷いた。

 

「ここを射撃位置にしましょう」

 

四人は岩の裏側へ身を隠した。

 

ミレーナが無線機を慎重に下ろし、アルノーもバッテリーを地面へ置いた。

 

エレナは周囲を見回した。

 

「無線機はここに置いていくわ。あとで連絡するから、すぐ使えるようにしておきましょう」

 

ミレーナが頷いた。

 

「了解」

 

機器を岩陰に寄せ、枝や枯れ草で見えにくくした。

 

その間、高橋は岩の前方に伏せ、小銃のスコープを覗いていた。

 

距離が縮まったことで、四人の姿は先ほどよりも大きく見えた。

 

高橋は焦点を調整した。

 

倒木。

 

背嚢。

 

毛布。

 

その周囲にいる四人の兵士。

 

毛布の上で寝転がっていた男が、顔を上げた。

 

高橋はその顔をスコープの中心に捉えた。

 

そして、動きを止めた。

 

「……え?」

 

思わず声が漏れた。

 

見覚えのある顔だった。

 

高橋はもう一度、慎重に焦点を合わせた。

 

間違いない。

 

「……佐々木?」

 

毛布の上に寝転がっているのは、佐々木健だった。

 

高橋はスコープを少し動かした。

 

その隣にいる男にも見覚えがあった。

 

中村拓也。

 

さらに倒木の近くにいる女二人。

 

加藤真由と吉田麻衣。

 

四人とも、同じ学校にいた同級生だった。

 

高橋はスコープから目を離した。

 

「……エレナ」

 

「どうしたの?」

 

エレナが隣に伏せた。

 

高橋は少し言葉に詰まった。

 

「……知っている人たちです」

 

「知っている?」

 

「はい。あの四人、日本人です」

 

エレナの目がわずかに細くなった。

 

「日本人?」

 

「はい。僕と一緒に召喚された……同級生です」

 

エレナは双眼鏡を覗き直した。

 

遠くの四人は、相変わらず何も知らずに休んでいる。

 

「そう……」

 

エレナは短く答えた。

 

そして高橋を見た。

 

「間違いない?」

 

「はい」

 

高橋は頷いた。

 

「男二人が佐々木健と中村拓也。女の人が加藤真由と吉田麻衣です」

 

エレナはもう一度四人を観察した。

 

「同じ学校の子たちなのね」

 

「はい……」

 

高橋は再びスコープを覗いた。

 

間違いなく見知った顔だった。

 

それも、つい最近まで同じ場所で訓練を受けていた人間たちだ。

 

高橋は、佐々木のことを思い出した。

 

召喚された当初から、佐々木は周囲に威圧的な態度を取ることが多かった。

 

自分も何度か絡まれたことがある。

 

中村や加藤も、いつも佐々木と一緒にいた。

 

吉田はほかの三人に比べればおとなしい印象だったが、やはり同じグループにいた。

 

その四人が、今は逃亡兵として自分の照準の中にいる。

 

高橋には、何とも奇妙な感覚だった。

 

「高橋」

 

エレナが静かに声をかけた。

 

「はい」

 

「彼らが同級生だからといって、私たちの任務は変わらないわ」

 

「……はい」

 

「でも、できるなら殺さずに捕まえたいわね」

 

高橋はエレナを見た。

 

彼女は落ち着いた表情のまま続けた。

 

「まずは配置を決めましょう」

 

エレナは地図を取り出し、岩の陰に広げた。

 

アルノーとミレーナが、その両側にしゃがみ込む。

 

「相手は四人。男二人が武装している可能性が高いわ。女二人は今のところ武器が見えない」

 

アルノーが頷いた。

 

「男たちの小銃は、倒木の近くに置いてあるな」

 

「ええ。だから、相手が武器を取る前に取り押さえたいの」

 

エレナは谷の地形を指さした。

 

「アルノーとミレーナは、こちらの斜面を下りて、沢の上流側から近づいてちょうだい。倒木の裏へ回れるはずよ」

 

アルノーは地図を覗き込んだ。

 

「ああ。岩もあるし、ある程度までは隠れながら進める」

 

「二人が近づく間、高橋と私はここから監視するわ」

 

エレナは高橋を見た。

 

「高橋には狙撃をお願いする」

 

「……はい」

 

高橋は小さく頷いた。

 

エレナはその表情を確かめるように見つめた。

 

「高橋。相手はあなたの同胞なのよね」

 

「はい」

 

「殺したくないでしょう?」

 

「……はい」

 

高橋は今度ははっきりと答えた。

 

「同じ日本人ですし……知っている人たちですから」

 

「そうでしょうね」

 

エレナは静かに頷いた。

 

「できれば武器を使わせずに拘束したいわ。ただ、男二人が銃を取って抵抗するなら、動きを止める必要がある」

 

高橋は頷いた。

 

「はい」

 

「その場合は脚を狙って。ただし、脚に当たっても命に関わることはあるわ。だから、撃たずに済むならそれが一番いい」

 

「わかりました」

 

「射撃の判断は私がする。高橋は私の指示に従って」

 

「了解しました」

 

エレナは頷いた。

 

「よし」

 

アルノーが小さく息を吐いた。

 

「それじゃ、俺たちは行くか」

 

ミレーナも頷いた。

 

「了解」

 

二人は装備を確認した。

 

無線機とバッテリーは岩陰に残し、必要な武器と装備だけを携行する。

 

アルノーは周囲を見回し、進む方向を確認した。

 

「準備できた」

 

エレナが頷いた。

 

「無理に近づきすぎないで。相手が動き始めたら、私たちが先に対処するわ」

 

「わかった」

 

「こちらの発砲を合図に接近して。武器を確保することを優先してちょうだい」

 

「了解」

 

アルノーはミレーナに目配せした。

 

二人は身を低くして岩陰を離れ、木々の間へ消えていった。

 

エレナはその姿をしばらく見送った。

 

そして高橋の隣に伏せた。

 

「じゃあ、私たちも準備しましょう」

 

高橋は岩の上に身体を預け、G11を構えた。

 

前方には低い灌木が生えている。

 

その枝の隙間から、谷底を見渡すことができた。

 

高橋は銃の下に置いた布を整え、身体を安定させた。

 

スコープの保護蓋を開く。

 

視界の中央に、遠くの倒木が浮かび上がった。

 

距離はおよそ四百メートル。

 

射撃訓練では、何度も撃ってきた距離だった。

 

篠沢から譲り受けたG11は、すでに手に馴染んでいる。

 

スコープの調整も済んでいた。

 

エレナとの射撃訓練では、これよりはるかに遠い距離の標的にも命中させている。

 

四百メートルなら、十分に狙える。

 

技術的には、そうだった。

 

しかし、今、照準の先にいるのは人間だった。

 

それも、顔も名前も知っている同級生たちである。

 

高橋はスコープを覗いた。

 

佐々木が毛布の上に寝転がっている。

 

中村は背嚢にもたれたまま、目を閉じていた。

 

加藤と吉田は倒木の近くに座っている。

 

誰もこちらには気づいていない。

 

高橋は視線を少し動かした。

 

倒木の脇に、二丁のG11が置かれている。

 

一丁は佐々木の背嚢の近く。

 

もう一丁は、中村が休んでいる場所から少し離れたところだった。

 

男二人は、すぐに銃を手に取れる位置にいた。

 

「高橋」

 

隣からエレナの声がした。

 

「はい」

 

「力が入っているわよ」

 

高橋は自分の肩に力が入っていることに気づいた。

 

「……すみません」

 

「謝らなくていいわ。ゆっくり息をして」

 

エレナは双眼鏡を構えたまま言った。

 

「いつもの射撃訓練と同じ。私が観測するから、高橋は狙うことに集中して」

 

「はい」

 

高橋は小さく息を吐いた。

 

銃床を肩に当て直し、頬の位置を調整する。

 

スコープの中で、佐々木の姿が再び見えた。

 

エレナは双眼鏡を動かしながら、谷の周囲を観察していた。

 

風はそれほど強くなかった。

 

谷底の枯れ草が、ときおり一方向へ揺れている。

 

こちらの岩場では、風が木々に遮られていた。

 

しかし、谷の中央には弱い横風が流れているようだった。

 

「風は右から弱く。大きな補正はいらないわ」

 

エレナが小声で言った。

 

「了解」

 

「射撃位置はいい?」

 

「はい」

 

「標的は武装している男二人。女二人は撃たない」

 

「了解しました」

 

高橋は頷いた。

 

エレナは再び双眼鏡を構えた。

 

アルノーとミレーナの姿は、すでに木々の中へ消えていた。

 

時間がゆっくりと過ぎていった。

 

谷間には、相変わらず沢の水音が響いている。

 

風が吹くと、頭上の枝から枯れ葉が落ちた。

 

一枚の葉が高橋のすぐ近くに舞い降り、岩の上を滑るように転がっていく。

 

高橋は動かなかった。

 

スコープの中では、佐々木たちが休憩を続けている。

 

加藤が何かを話しているようだった。

 

吉田も笑っている。

 

何を話しているのかはわからない。

 

この距離では、人の声などまったく聞こえなかった。

 

エレナが小さく呟いた。

 

「……やっぱり武装しているわね」

 

「はい」

 

「高橋、銃の位置は確認できた?」

 

「はい。二丁あります」

 

「そう。覚えておいて」

 

高橋は頷いた。

 

そのとき、エレナが双眼鏡をわずかに動かした。

 

「……アルノーたちが見えたわ」

 

高橋はスコープを動かそうとした。

 

「高橋はそのまま」

 

エレナがすぐに言った。

 

「標的から目を離さないで。二人の位置は私が確認するから」

 

「了解」

 

高橋は照準を戻した。

 

エレナは双眼鏡で斜面の下を観察した。

 

大きな岩の陰を、アルノーがゆっくり移動している。

 

その少し後ろにはミレーナがいた。

 

二人とも、音を立てないよう慎重に足を運んでいた。

 

枯れ草の間を通り、低い灌木の陰へ身を隠す。

 

しばらくすると、二人の姿は再び見えなくなった。

 

エレナは少し待った。

 

谷底の四人に、変化はない。

 

佐々木はまだ寝転がっている。

 

中村も動かない。

 

加藤と吉田は、足を伸ばして休んでいた。

 

「……もう少しね」

 

エレナが呟いた。

 

高橋は返事をせず、照準を保ち続けた。

 

やがて、斜面の下でわずかに灌木が揺れた。

 

エレナはその位置を確認した。

 

アルノーとミレーナが、倒木からそれほど離れていない岩陰まで近づいていた。

 

そこから先は、身を隠せる場所が少ない。

 

無理に接近すれば、四人に気づかれる可能性が高かった。

 

二人は岩陰に身を潜め、様子を窺っている。

 

「……配置についたわ」

 

エレナが言った。

 

「了解」

 

「ここからは待つだけよ。相手が動いたら、私が指示する」

 

谷底では、毛布の上に寝転がっていた男が身体を起こしていた。

 

大きく背伸びをしてから、ゆっくりと立ち上がる。

 

高橋はスコープの中で、その動きを追った。

 

佐々木だった。

 

佐々木は腰に手を当て、身体を左右に曲げている。

 

長時間歩いたせいか、足の具合を確かめているようだった。

 

中村も目を開けた。

 

背嚢にもたれていた身体を起こし、佐々木の方を見る。

 

二人は何か話していた。

 

佐々木が笑っている。

 

中村も笑った。

 

高橋には、その会話は聞こえなかった。

 

「……動き始めたわね」

 

エレナが言った。

 

「はい」

 

「準備して」

 

高橋は小銃を構え直した。

 

エレナは双眼鏡で四人の動きを確認していた。

 

毛布から立ち上がった男が、小銃の置かれた方へ身体を向けた。

 

その少し後ろで、もう一人の男も立ち上がろうとしている。

 

エレナの声が低くなった。

 

「高橋、毛布から立ち上がった男を狙って」

 

「はい」

 

「右の太腿。ほかの人に当たらないように」

 

「了解」

 

高橋は照準を下げた。

 

佐々木の右脚。

 

太腿の位置へ十字線を合わせる。

 

標的は動いていた。

 

高橋は呼吸を止めかけ、いったんやめた。

 

胸の奥で心臓が強く打っている。

 

スコープの中では、佐々木が何も知らずに立っていた。

 

そのすぐ近くには、G11が置かれている。

 

佐々木は小銃の方へ歩き始めた。

 

エレナが静かに言った。

 

「……武器を取ろうとしているわ」

 

高橋は再び呼吸を整えた。

 

「落ち着いて」

 

エレナの声がした。

 

「はい」

 

「まだよ……」

 

佐々木が立ち止まった。

 

身体を横へ向け、小銃の方へ手を伸ばそうとする。

 

「……撃て」

 

高橋は引き金を引いた。

 

乾いた銃声が山間に響いた。

 

G11の銃口から火が走り、肩に反動が伝わる。

 

高橋は撃った瞬間、スコープの中で佐々木の身体が崩れるのを見た。

 

佐々木は右脚を押さえるようにして倒れた。

 

そのまま地面を転がり、何かを叫んでいる。

 

高橋には声は聞こえなかった。

 

「命中。次、背嚢の横にいた男」

 

エレナが短く言った。

 

高橋はボルトを操作した。

 

空薬莢が排出され、次弾が薬室へ送られる。

 

スコープを覗き直す。

 

中村が立ち上がっていた。

 

突然倒れた佐々木を見て、何が起きたのかわからない様子だった。

 

しかし、次の瞬間には周囲を見回し、自分の小銃へ手を伸ばそうとしていた。

 

「もう一人の男。左の太腿」

 

エレナが指示した。

 

高橋は照準を移した。

 

中村が身体を屈めた。

 

小銃を取ろうとしている。

 

「撃て!」

 

二発目の銃声が、谷に響いた。

 

中村の左脚が崩れた。

 

彼は小銃へ手を伸ばした姿勢のまま倒れ、地面に横たわった。

 

高橋はすぐにボルトを操作した。

 

三発目を装填する。

 

そして、再びスコープを覗いた。

 

佐々木と中村が倒れている。

 

女二人は、何が起きたのかわからず、その場にしゃがみ込んでいた。

 

エレナは双眼鏡を覗き続けた。

 

「二人とも倒れたわ」

 

高橋は返事をしなかった。

 

スコープの中では、佐々木が脚を押さえながら身をよじっていた。

 

中村も地面に倒れ、何かを叫んでいる。

 

その姿を見て、高橋の胸が強く締めつけられた。

 

撃った。

 

自分が撃ったのだ。

 

二発。

 

その二発が、確かに人間の身体に命中した。

 

「高橋、まだ警戒を解かないで」

 

エレナの声がした。

 

「……はい」

 

「アルノーたちが接近する。武器を取ろうとする者がいないか見ていて」

 

「了解……」

 

高橋は照準を少し動かした。

 

倒木の脇に置かれた二丁のG11。

 

どちらにも、まだ誰も手を伸ばしていなかった。

 

最初の銃声が聞こえた瞬間、アルノーとミレーナは岩陰から飛び出していた。

 

二人は低い姿勢で谷底へ走った。

 

枯れ草を踏み倒し、倒木へ向かって近づく。

 

その途中で二発目の銃声が響いた。

 

倒木の近くでは、男二人が倒れていた。

 

女二人はしゃがみ込んでいる。

 

アルノーは銃を構え、大きな声で叫んだ。

 

「動くな!」

 

帝国共通語だった。

 

しかし、四人からはすぐに反応がなかった。

 

佐々木は右脚を押さえて叫んでいた。

 

「痛え! 痛えよ! 何だよ、これ!」

 

中村も地面に横たわり、悲鳴を上げていた。

 

「撃たれた! 俺、撃たれた!」

 

加藤は二人を見て、完全に取り乱していた。

 

「ちょっと! 何なのよ! 誰が撃ったの!」

 

吉田は震えながら、その場にしゃがみ込んでいる。

 

「嫌! 何これ! 何なの!」

 

アルノーには、四人が何を言っているのかわからなかった。

 

聞き慣れない言葉だった。

 

ただ、二人が負傷し、女二人が怯えていることだけはわかった。

 

「武器から離れろ!」

 

アルノーはもう一度叫んだ。

 

その声に、加藤が顔を上げた。

 

目の前には、銃を構えた背の高い兵士が立っている。

 

その後ろから、もう一人の兵士が近づいてきた。

 

ミレーナだった。

 

「手を上げて!」

 

ミレーナも帝国共通語で命じた。

 

加藤は一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 

しかし、銃を向けられていることは理解できた。

 

目の前の女兵士が片手を上げる仕草をした。

 

加藤は慌てて両手を上げた。

 

「わ、わかった! 撃たないで!」

 

吉田もそれを見て、両手を上げた。

 

「撃たないでください!」

 

ミレーナは二人の様子を確認しながら近づいた。

 

「そのまま。動かないで」

 

アルノーは二丁のG11へ向かった。

 

まず佐々木の近くに置かれていた一丁を取り上げる。

 

続いて中村の小銃も確保した。

 

二丁とも手の届かない場所へ移し、状態を確認する。

 

「小銃二丁、確保した」

 

ミレーナが頷いた。

 

「女二人は武器を持っていないみたい」

 

「了解」

 

アルノーは佐々木へ近づいた。

 

佐々木は脚を押さえながら、顔を歪めている。

 

軍服の太腿の部分には血が滲み、地面にも赤い染みが広がり始めていた。

 

「触るな! 痛えんだよ!」

 

佐々木が怒鳴った。

 

アルノーは何を言われているのかわからなかった。

 

「暴れるな。手当てをする」

 

帝国共通語で答えた。

 

佐々木はなおも叫び続けた。

 

「何だよ、おまえら! 何で撃ったんだよ!」

 

アルノーは表情を変えなかった。

 

負傷した脚を不用意に動かさないようにしながら、出血の状態を確認した。

 

ミレーナは加藤と吉田を一か所に集め、武器を持っていないことを確かめていた。

 

二人は震えていた。

 

加藤は泣きそうな声で叫んだ。

 

「ねえ! 何なのよ! 説明してよ!」

 

吉田も涙を流していた。

 

「帰りたい……もう嫌……」

 

ミレーナは困ったように二人を見た。

 

「何を言っているのかわからないけど……とにかく、動かないで」

 

しかし、二人にはほとんど通じていなかった。

 

ミレーナは銃を下ろさず、その場で二人を監視した。

 

高橋は岩陰から、その様子を見ていた。

 

スコープの中では、アルノーが二丁の小銃を取り上げていた。

 

ミレーナも加藤と吉田を押さえている。

 

男二人は倒れたままだった。

 

「……武器は確保できたわね」

 

エレナが双眼鏡を下ろした。

 

「高橋、もう発砲しなくていいわ」

 

「……はい」

 

高橋は小さく答えた。

 

しかし、しばらくそのまま動かなかった。

 

エレナが顔を覗き込んだ。

 

「高橋?」

 

「……はい」

 

「大丈夫?」

 

高橋はゆっくりと顔を上げた。

 

「……はい」

 

エレナはしばらく彼を見つめていた。

 

そして、静かに言った。

 

「二人とも生きているわ。急いで手当てをしましょう」

 

高橋は頷いた。

 

「わかりました」

 

エレナは立ち上がり、周囲を確認した。

 

「無線機はここに置いていくわ。あとでミレーナに連絡してもらいましょう」

 

高橋も小銃を肩に掛けた。

 

二人は岩陰を離れ、谷底へ向かった。

 

斜面を下りる間、高橋はほとんど喋らなかった。

 

足元には落ち葉が厚く積もっている。

 

木々の根元には湿った土が広がり、岩の表面には苔が張りついていた。

 

先ほどまで慎重に足音を消して歩いていた場所だった。

 

しかし、今はもう隠れる必要はなかった。

 

沢の音が近づいてくる。

 

そして、それに混じって人の叫び声が聞こえ始めた。

 

高橋は足を止めそうになった。

 

聞き覚えのある声だった。

 

佐々木の声。

 

中村の声。

 

ついさっきまで、スコープの向こうにいた人間たちの声だった。

 

エレナは振り返った。

 

「高橋、行くわよ」

 

「……はい」

 

高橋は足を進めた。

 

谷底に着くと、佐々木はまだ大声で叫んでいた。

 

「痛え! 何とかしろよ!」

 

アルノーが止血のために包帯を取り出している。

 

エレナはすぐに近づいた。

 

「状態は?」

 

「二人とも太腿を撃たれている。出血しているが、意識はある」

 

「わかった。急いで手当てしましょう」

 

エレナは佐々木のそばに膝をついた。

 

傷の状態を確認し、応急処置を始めた。

 

アルノーも中村のそばへ移動する。

 

高橋は少し離れたところで周囲を警戒していた。

 

そのときだった。

 

「……あれ?」

 

加藤が高橋に気づいた。

 

そして、大きく目を見開いた。

 

「……高橋?」

 

高橋は振り返った。

 

「高橋じゃん!」

 

加藤が突然大声を上げた。

 

「何であんたがここにいるのよ!」

 

吉田も顔を上げた。

 

「えっ……高橋君?」

 

高橋は何も答えなかった。

 

「高橋君! 助けて!」

 

吉田が叫んだ。

 

その声を聞き、佐々木も顔を向けた。

 

痛みに歪んだ顔が、高橋を捉えた。

 

「……高橋?」

 

一瞬、佐々木は何が起きているのかわからない様子だった。

 

しかし、高橋の肩に掛けられたG11を見た途端、その表情が変わった。

 

銃の上にはスコープが取り付けられている。

 

「……おい」

 

佐々木の声が低くなった。

 

「まさか……」

 

高橋は答えなかった。

 

「おまえが撃ったのか?」

 

佐々木の声が急に大きくなった。

 

「おい! 高橋! おまえが撃ったのかよ!」

 

中村も顔を向けた。

 

「高橋……?」

 

そして、負傷した脚を押さえながら叫び始めた。

 

「おまえ、何やってんだよ! 何で俺を撃つんだよ!」

 

「ふざけんなよ! 同級生だろ!」

 

佐々木も怒鳴った。

 

「何で俺らを撃ったんだよ! 答えろよ!」

 

加藤も叫び続けた。

 

「ちょっと高橋! 何なのよ! 何でこんなことするの!」

 

吉田は泣きながら助けを求めていた。

 

「高橋君! お願い! 何とかしてよ!」

 

四人が一斉に日本語で叫び始めた。

 

静かだった谷間に、怒鳴り声と悲鳴が響き渡った。

 

アルノーとミレーナは顔を見合わせた。

 

何を言っているのか、まったくわからない。

 

しかし、四人が高橋へ向かって叫んでいることはわかった。

 

エレナは顔を上げた。

 

「高橋、何を言っているの?」

 

「……僕が撃ったのかって……」

 

高橋は少し言葉に詰まった。

 

「それと、助けてほしいって言っています」

 

エレナは短く頷いた。

 

そして、アルノーとミレーナに指示した。

 

「二人とも、四人に猿轡をして。これでは手当てもできないわ」

 

「了解」

 

アルノーは佐々木の身体を押さえ、ミレーナも女二人の方へ向かった。

 

「おい! 何すんだよ!」

 

佐々木が叫んだ。

 

「離せよ! 高橋! おい!」

 

アルノーは何も答えず、猿轡を用意した。

 

佐々木は抵抗したが、負傷した脚を動かすことができず、すぐに押さえ込まれた。

 

中村も同じだった。

 

加藤は猿轡を見て、さらに大声を上げた。

 

「ちょっと! 何すんのよ! やめてよ!」

 

吉田も泣きながら首を振った。

 

しかし、二人とも武器を持っていない。

 

ミレーナに制止され、やがて手を拘束された。

 

四人に猿轡が施されると、それまで響いていた怒鳴り声はようやく収まった。

 

エレナは負傷した二人の呼吸を確認し、処置の妨げにならないよう姿勢を整えた。

 

「よし。これで手当てを続けられるわね」

 

アルノーが小さく息を吐いた。

 

「まったく、騒がしい連中だな」

 

ミレーナも困ったように笑った。

 

「日本人って、みんなあんなに大きな声を出すの?」

 

高橋は少し困った顔をした。

 

「……いえ、そんなことはないと思いますけど」

 

エレナが小さく笑った。

 

「まあ、驚いたのはわかるけどね」

 

そして、再び傷の処置へ戻った。

 

応急処置が進むにつれ、男二人の出血はひとまず抑えられた。

 

エレナは包帯の状態を確認し、負傷した脚を動かさないように固定した。

 

二人とも意識はある。

 

しかし、自力で歩ける状態ではなかった。

 

佐々木は何度も身体を起こそうとし、そのたびに痛みで顔を歪めていた。

 

中村は青ざめた顔で地面に横たわっている。

 

「このまま歩かせるのは無理ね」

 

エレナが言った。

 

アルノーも頷いた。

 

「ああ。担架が必要だ」

 

「それに、早く衛生兵に診せないと」

 

エレナはミレーナを振り返った。

 

「ヴァルターに連絡して。逃亡兵四人を確保、男二人が負傷していることを伝えてちょうだい。軍警による引き取りと、負傷者の搬送をお願いして」

 

「了解」

 

ミレーナは頷いた。

 

そして、先ほど無線機を置いてきた岩場へ向かった。

 

残された三人は、逃亡兵たちの監視と応急処置を続けた。

 

高橋は少し離れた倒木の陰に腰を下ろした。

 

小銃を膝に置き、谷の斜面へ目を向ける。

 

四人とも拘束されている。

 

武器も取り上げられている。

 

もう撃つ必要はなかった。

 

しかし、高橋の頭の中には、先ほどの二発の銃声が残っていた。

 

引き金を引いた瞬間の感触。

 

肩に伝わった反動。

 

そして、スコープの中で崩れ落ちた佐々木と中村の姿。

 

高橋は自分の手を見た。

 

特に震えているわけではなかった。

 

だが、落ち着いた気持ちにもなれなかった。

 

射撃場なら、良い結果だっただろう。

 

二発撃って、二発とも命中した。

 

しかし、今日は違った。

 

撃った相手は人間だった。

 

それも、顔も名前も知っている同級生たちである。

 

高橋は小さく息を吐いた。

 

「高橋」

 

エレナが近づいてきた。

 

「……はい」

 

「具合はどう?」

 

「大丈夫です」

 

エレナはその顔を見た。

 

「無理しなくていいわよ」

 

高橋は少し困ったように笑った。

 

「……そう言われても」

 

エレナもわずかに微笑んだ。

 

「そうね」

 

そして、倒木の近くにいる四人へ目を向けた。

 

「でも、あなたの射撃のおかげで、四人とも生きたまま捕まえられたわ」

 

高橋は何も答えなかった。

 

エレナは続けた。

 

「もちろん、二人に怪我をさせたことは事実よ。でも、銃を持った相手を拘束するのは危険なの。アルノーやミレーナが撃たれる可能性もあった」

 

「……はい」

 

「今日のことを無理に忘れなくてもいいわ。ただ、今は任務を終わらせましょう」

 

高橋は頷いた。

 

「了解しました」

 

エレナは軽く彼の肩を叩いた。

 

「よし」

 

谷間では、相変わらず沢の水が流れていた。

 

木々の間を冷たい風が吹き抜け、枯れ草が揺れている。

 

高橋はもう一度、拘束された四人へ目を向けた。

 

佐々木もこちらを見ていた。

 

猿轡をされているため、何を言おうとしているのかはわからない。

 

しかし、その目には明らかな怒りが浮かんでいた。

 

高橋は視線をそらした。

 

ミレーナが戻ってきたのは、それからしばらくしてのことだった。

 

岩場から斜面を下り、倒木の近くへやってくる。

 

「エレナ!」

 

エレナが振り返った。

 

「連絡できた?」

 

「ええ。ヴァルターに報告したわ」

 

ミレーナは少し息を整えてから続けた。

 

「逃亡兵四人を確保。男二人が太腿を負傷。応急処置は実施済み。搬送と引き渡しの応援が必要だと伝えた」

 

「それで?」

 

「軍警の分遣隊をこちらへ向かわせるそうよ。担架も用意させるって」

 

「わかった」

 

エレナは頷いた。

 

「それまでは、ここで待機ね」

 

アルノーも頷いた。

 

「了解」

 

ミレーナは倒木の近くへ戻り、加藤と吉田の監視を引き継いだ。

 

高橋は再び周囲へ目を向けた。

 

谷底には、夕方が近づくにつれて少しずつ影が伸び始めていた。

 

山の稜線に太陽が近づき、斜面の上から順に日が当たらなくなっていく。

 

沢の水面も、先ほどより暗く見えた。

 

十一月の山では、日が傾くと急激に気温が下がる。

 

エレナは負傷者の身体が冷えないよう、毛布を掛け直した。

 

佐々木はその様子を見ていた。

 

何か言いたそうに顔を動かしたが、言葉にはならなかった。

 

エレナは特に気にした様子もなく、包帯の状態を確認した。

 

四人の逃亡兵は、誰も抵抗することができなくなっていた。

 

つい数時間前まで、もうすぐベルノの街へ着くと笑い合っていた者たちだった。

 

しかし、その街は今も山の向こうにある。

 

四人がそこへ自由に歩いていくことは、もうできなかった。

 

軍警が到着したのは、それからしばらくしてのことだった。

 

最初に聞こえてきたのは、斜面の上から響く複数の足音だった。

 

乾いた落ち葉を踏む音。

 

装備の金具が触れ合う音。

 

そして、短い号令。

 

アルノーが顔を上げた。

 

「来たようだな」

 

エレナも頷いた。

 

「ええ」

 

やがて、木々の間から軍警の兵士たちが姿を現した。

 

先頭には軍警の下士官が立ち、その後ろを数人の兵士が続いている。

 

二組の兵士が、それぞれ折り畳み式の担架を携行していた。

 

さらに後方には、救急用の装備を持った衛生兵もいた。

 

エレナは立ち上がり、彼らを迎えた。

 

「エレナ班です。逃亡兵四名を確保しています」

 

軍警の下士官が頷いた。

 

「報告は受けている。負傷者は?」

 

「男二名。いずれも太腿に銃創があります。応急処置は済ませていますが、自力歩行は難しい状態です」

 

「了解した」

 

下士官は周囲を見回した。

 

倒木の近くには、拘束された四人の逃亡兵がいた。

 

その脇には、回収された二丁のG11が置かれている。

 

軍警の下士官はそれを確認し、部下へ指示を出した。

 

「衛生兵、負傷者を確認しろ。搬送準備!」

 

兵士たちが動き始めた。

 

衛生兵はまず佐々木のそばに膝をつき、負傷した脚の状態を確認した。

 

続いて中村も診察する。

 

二人とも意識はあった。

 

しかし、顔色は悪く、痛みで身体を動かすことができなかった。

 

衛生兵は包帯の状態を確かめ、搬送中に傷が悪化しないよう処置を加えた。

 

その間、軍警の兵士たちは加藤と吉田を立たせ、手の拘束を確認していた。

 

二人とも抵抗しなかった。

 

先ほどまでの楽天的な表情は、完全に消えていた。

 

軍警の下士官がエレナへ向き直った。

 

「これで四名全員だな?」

 

「ええ。男二名、女二名。所持していた小銃は二丁です」

 

「了解した。あとは軍警が引き受ける」

 

「お願いします」

 

「負傷者は先に衛生隊へ搬送する。その後、四名とも軍警の管理下に置く」

 

エレナは頷いた。

 

下士官は短く敬礼すると、再び部下たちへ指示を出した。

 

やがて、佐々木と中村が担架へ移された。

 

軍警の兵士たちは慎重に担架を持ち上げた。

 

揺れた拍子に二人は顔を歪めたが、衛生兵がすぐに状態を確認した。

 

加藤と吉田は、護送する軍警兵士たちに囲まれて歩き始めた。

 

四人は、来た道とは別の方向へ連れていかれた。

 

高橋は少し離れたところから、その様子を見ていた。

 

佐々木が担架の上から、何度かこちらへ顔を向けていた。

 

その目が高橋を捉えた。

 

何かを言いたそうだった。

 

しかし、言葉は聞こえなかった。

 

高橋も何も言わなかった。

 

やがて、担架を運ぶ兵士たちは木々の間へ消えていった。

 

続いて、加藤と吉田の姿も見えなくなった。

 

最後に、護送兵たちの背中が斜面の向こうへ消えた。

 

足音が遠ざかっていく。

 

残ったのは、踏み荒らされた落ち葉と、倒木の近くに広がる毛布だけだった。

 

谷間には再び静けさが戻ってきた。

 

沢の水音が、先ほどまでと変わらず聞こえている。

 

風が吹くと、木々の枝が揺れた。

 

薄い雲が太陽を隠し、斜面には灰色の影が広がっていった。

 

アルノーは周囲を見回した。

 

「終わったな」

 

ミレーナも頷いた。

 

「ええ。四人とも引き渡したし」

 

エレナは地図を取り出した。

 

「そうね」

 

そして、周囲の地形を確認した。

 

「それじゃ、訓練に戻りましょう」

 

アルノーが少し驚いたように顔を上げた。

 

「このまま続けるのか?」

 

「もちろん。まだ訓練期間中でしょう?」

 

エレナは当然のように答えた。

 

「逃亡兵の追跡は終わったけど、私たちの山岳潜伏訓練は終わっていないわ」

 

アルノーは小さく笑った。

 

「まあ、そうだな」

 

ミレーナも頷いた。

 

「じゃあ、無線機を取りに戻らないとね」

 

「ええ。それから今夜の潜伏場所を探しましょう」

 

エレナは地図の一角を指さした。

 

「この先の尾根を越えたところに、少し開けた場所があるはずよ。まずはそこへ向かいましょう」

 

アルノーは地図を覗き込んだ。

 

「ああ、あそこか」

 

「そう。日が暮れる前に移動したいわね」

 

「了解」

 

エレナは高橋を振り返った。

 

「高橋」

 

「はい」

 

「まだ歩ける?」

 

高橋は少し間を置いてから頷いた。

 

「……はい。大丈夫です」

 

エレナは微笑んだ。

 

「そう。じゃあ、行きましょう」

 

アルノーが先頭に立った。

 

ミレーナも装備を整え、後に続く。

 

高橋は最後に一度だけ、倒木の方を振り返った。

 

つい先ほどまで、佐々木たち四人がそこにいた。

 

硬いパンを食べ、笑い合い、毛布を広げて休んでいた。

 

その場所には、もう誰もいなかった。

 

高橋は視線を落とした。

 

肩に掛けたG11が、いつもより重く感じられた。

 

「高橋、行くわよ」

 

前方からエレナの声がした。

 

「はい」

 

高橋は顔を上げ、三人の後を追った。

 

落ち葉に覆われた斜面を、四人はゆっくりと登っていく。

 

途中、先ほど無線機を置いた岩場で装備を回収し、再び尾根へ向かった。

 

日が傾き始めていた。

 

木々の間から差し込む光は赤みを帯び、斜面には長い影が伸びている。

 

高橋は足元の落ち葉を踏みしめながら歩いた。

 

今夜も、山の中で過ごすことになる。

 

明日もまた、訓練が続く。

 

いつもと同じ山岳潜伏訓練だった。

 

ただ、高橋にとって、今日という日が訓練の一日として終わることはなかった。

 

初めて人間を撃った。

 

それも、同じ学校にいた同級生を。

 

高橋は前を歩くエレナの背中を見つめた。

 

エレナは時折振り返り、全員がついてきていることを確認しながら歩いている。

 

その様子は、いつもと変わらなかった。

 

アルノーもミレーナも、すでに次の潜伏場所の話をしていた。

 

高橋は小さく息を吐いた。

 

そして、再び足を進めた。

 

背後の谷間では、何事もなかったかのように沢の水が流れ続けていた。

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