谷間には、午後の弱い日差しが差し込んでいた。
十一月の山林は、すでに冬の気配を帯びている。
尾根に立つ針葉樹は濃い緑を残していたが、その間に混じる広葉樹の大半は葉を落としていた。斜面には枯れ草が倒れ込み、露出した岩の表面には薄い苔が張りついている。
風が吹くたびに乾いた枝が揺れ、残っていた葉が一枚、また一枚と地面へ舞い落ちた。
谷底には細い沢が流れていた。
その水面が、ときおり木々の間から差し込む光を反射している。
高橋は尾根の岩陰に伏せたまま、双眼鏡を覗いていた。
およそ七百メートル先。
沢の近くに横たわる大きな倒木の周囲に、四人の兵士がいる。
男二人、女二人。
先ほど発見したときと、位置はほとんど変わっていなかった。
男の一人は毛布の上に寝転がり、もう一人も背嚢にもたれて休んでいる。
女二人は倒木の近くに座っていた。
四人とも鉄帽をかぶっていない。
武装している可能性があるとの情報だったが、この距離では小銃を持っているかどうか、はっきりとは確認できなかった。
高橋は双眼鏡をゆっくり動かした。
倒木の周囲には背嚢が置かれている。
毛布も広げられていた。
時折、女の一人が身じろぎする程度で、四人ともすっかりくつろいでいるようだった。
周囲を警戒する様子はない。
見張りを立てることもなく、四人が一か所に集まっている。
「……ずいぶんのんびりしているわね」
エレナが小声で言った。
隣に伏せていたアルノーが頷いた。
「ああ。追われているとは思っていないようだな」
「武器は見える?」
「男の一人が、木のそばに小銃を置いているように見える」
アルノーは双眼鏡を少し動かした。
「もう一人の近くにも長いものがある。おそらく小銃だろう」
「女二人は?」
「今のところ、持っていないな」
エレナはしばらく谷底を観察した。
四人の服装は帝国軍のものだった。
人数も、男女の内訳も一致している。
さらに、途中で発見した足跡はこの谷へ続いていた。
偶然、別の四人組の兵士が同じ場所にいるとは考えにくかった。
「……逃亡兵と見てよさそうね」
エレナが言った。
「だろうな」
アルノーは頷いた。
「それで、どうする?」
エレナは谷の地形を確認した。
現在地から谷底へ向かう斜面には、木々が密集している。
途中には大きな岩がいくつもあり、身を隠しながら移動することは十分可能だった。
ただし、沢の近くは比較的開けている。
相手に気づかれずに四人のところまで近づくには、最後の数十メートルが問題になりそうだった。
「もう少し近づきましょう」
エレナが答えた。
「どの辺りまで?」
「向こうの岩場。あそこなら四百メートルくらいまで近づけるはずよ」
アルノーは双眼鏡を下ろした。
「了解」
「ただし、相手に気づかれないこと。まだ発砲しないわ」
エレナは高橋を振り返った。
「高橋」
「はい」
「これから射撃位置を移動するわ。小銃を準備して」
「了解しました」
高橋は双眼鏡をしまい、傍らに置いていたG11を手に取った。
篠沢から譲り受けた小銃だった。
銃の上には、同じく篠沢から受け取ったスコープが取り付けられている。
高橋は負い革を直し、銃身が岩にぶつからないよう注意しながら身を起こした。
その手つきには、もう訓練を始めた頃のぎこちなさはなかった。
しかし、胸の奥には落ち着かないものがあった。
相手は逃亡兵だ。
しかも、武装している可能性が高い。
ヴァルター少佐からは、遭遇した場合の射殺許可が出ている。
高橋はそのことを思い出し、小銃を握る手に少し力を込めた。
「大丈夫?」
エレナが尋ねた。
「……はい」
「まだ撃つとは決まっていないわ。まずは相手の様子を確認しましょう」
「わかりました」
エレナは小さく頷いた。
「じゃあ、行くわよ」
四人は尾根から少し引き返し、木々の間を通って斜面を下り始めた。
先頭はアルノーだった。
高橋はエレナの後ろを歩き、最後尾にはミレーナが続いている。
無線機とバッテリーは、相変わらず大きな荷物だった。
真空管式の無線機は本体だけでも重く、電源用のバッテリーもかなりの重量がある。
狭い岩場を通るときには、身体を横にして慎重に進まなければならなかった。
足元には枯れ葉が厚く積もっていた。
その下には湿った土や木の根が隠れている。
踏む場所を間違えると、枯れ枝が乾いた音を立てた。
アルノーは時折立ち止まり、後ろの三人に進路を示した。
四人の間隔は、先ほどまでの移動よりも少し広くなっていた。
高橋はなるべく足音を立てないよう注意して歩いた。
前を進むエレナは、木の根や岩の位置を確かめながら、ほとんど物音を立てずに移動している。
高橋も同じ場所へ足を置こうとするが、なかなかうまくいかなかった。
一度、軍靴の下で小枝が折れた。
乾いた音が、静かな林の中に響く。
高橋は思わず足を止めた。
エレナが振り返った。
しかし、何も言わなかった。
軽く手を下げる仕草をすると、再び前を向いた。
高橋は息を整え、慎重に歩き始めた。
斜面を下るにつれ、沢の水音が少しずつ大きくなっていった。
木々の隙間から、谷底の様子が時折見える。
四人の逃亡兵は、まだ同じ場所にいるようだった。
途中、大きな岩が重なった場所に出た。
アルノーが立ち止まり、その陰から谷底を観察した。
しばらくして、エレナに合図する。
「ここでいいだろう」
エレナが近づいた。
岩場の前方は緩やかな斜面になっており、低い灌木と枯れ草が広がっている。
さらにその先には、谷底の倒木が見えた。
「距離は?」
「およそ四百メートル」
エレナは双眼鏡を構えた。
四人の姿が、先ほどよりもはっきり見える。
男二人は休んだままだった。
女二人も倒木の近くにいる。
「いい場所ね」
エレナは頷いた。
「ここを射撃位置にしましょう」
四人は岩の裏側へ身を隠した。
ミレーナが無線機を慎重に下ろし、アルノーもバッテリーを地面へ置いた。
エレナは周囲を見回した。
「無線機はここに置いていくわ。あとで連絡するから、すぐ使えるようにしておきましょう」
ミレーナが頷いた。
「了解」
機器を岩陰に寄せ、枝や枯れ草で見えにくくした。
その間、高橋は岩の前方に伏せ、小銃のスコープを覗いていた。
距離が縮まったことで、四人の姿は先ほどよりも大きく見えた。
高橋は焦点を調整した。
倒木。
背嚢。
毛布。
その周囲にいる四人の兵士。
毛布の上で寝転がっていた男が、顔を上げた。
高橋はその顔をスコープの中心に捉えた。
そして、動きを止めた。
「……え?」
思わず声が漏れた。
見覚えのある顔だった。
高橋はもう一度、慎重に焦点を合わせた。
間違いない。
「……佐々木?」
毛布の上に寝転がっているのは、佐々木健だった。
高橋はスコープを少し動かした。
その隣にいる男にも見覚えがあった。
中村拓也。
さらに倒木の近くにいる女二人。
加藤真由と吉田麻衣。
四人とも、同じ学校にいた同級生だった。
高橋はスコープから目を離した。
「……エレナ」
「どうしたの?」
エレナが隣に伏せた。
高橋は少し言葉に詰まった。
「……知っている人たちです」
「知っている?」
「はい。あの四人、日本人です」
エレナの目がわずかに細くなった。
「日本人?」
「はい。僕と一緒に召喚された……同級生です」
エレナは双眼鏡を覗き直した。
遠くの四人は、相変わらず何も知らずに休んでいる。
「そう……」
エレナは短く答えた。
そして高橋を見た。
「間違いない?」
「はい」
高橋は頷いた。
「男二人が佐々木健と中村拓也。女の人が加藤真由と吉田麻衣です」
エレナはもう一度四人を観察した。
「同じ学校の子たちなのね」
「はい……」
高橋は再びスコープを覗いた。
間違いなく見知った顔だった。
それも、つい最近まで同じ場所で訓練を受けていた人間たちだ。
高橋は、佐々木のことを思い出した。
召喚された当初から、佐々木は周囲に威圧的な態度を取ることが多かった。
自分も何度か絡まれたことがある。
中村や加藤も、いつも佐々木と一緒にいた。
吉田はほかの三人に比べればおとなしい印象だったが、やはり同じグループにいた。
その四人が、今は逃亡兵として自分の照準の中にいる。
高橋には、何とも奇妙な感覚だった。
「高橋」
エレナが静かに声をかけた。
「はい」
「彼らが同級生だからといって、私たちの任務は変わらないわ」
「……はい」
「でも、できるなら殺さずに捕まえたいわね」
高橋はエレナを見た。
彼女は落ち着いた表情のまま続けた。
「まずは配置を決めましょう」
エレナは地図を取り出し、岩の陰に広げた。
アルノーとミレーナが、その両側にしゃがみ込む。
「相手は四人。男二人が武装している可能性が高いわ。女二人は今のところ武器が見えない」
アルノーが頷いた。
「男たちの小銃は、倒木の近くに置いてあるな」
「ええ。だから、相手が武器を取る前に取り押さえたいの」
エレナは谷の地形を指さした。
「アルノーとミレーナは、こちらの斜面を下りて、沢の上流側から近づいてちょうだい。倒木の裏へ回れるはずよ」
アルノーは地図を覗き込んだ。
「ああ。岩もあるし、ある程度までは隠れながら進める」
「二人が近づく間、高橋と私はここから監視するわ」
エレナは高橋を見た。
「高橋には狙撃をお願いする」
「……はい」
高橋は小さく頷いた。
エレナはその表情を確かめるように見つめた。
「高橋。相手はあなたの同胞なのよね」
「はい」
「殺したくないでしょう?」
「……はい」
高橋は今度ははっきりと答えた。
「同じ日本人ですし……知っている人たちですから」
「そうでしょうね」
エレナは静かに頷いた。
「できれば武器を使わせずに拘束したいわ。ただ、男二人が銃を取って抵抗するなら、動きを止める必要がある」
高橋は頷いた。
「はい」
「その場合は脚を狙って。ただし、脚に当たっても命に関わることはあるわ。だから、撃たずに済むならそれが一番いい」
「わかりました」
「射撃の判断は私がする。高橋は私の指示に従って」
「了解しました」
エレナは頷いた。
「よし」
アルノーが小さく息を吐いた。
「それじゃ、俺たちは行くか」
ミレーナも頷いた。
「了解」
二人は装備を確認した。
無線機とバッテリーは岩陰に残し、必要な武器と装備だけを携行する。
アルノーは周囲を見回し、進む方向を確認した。
「準備できた」
エレナが頷いた。
「無理に近づきすぎないで。相手が動き始めたら、私たちが先に対処するわ」
「わかった」
「こちらの発砲を合図に接近して。武器を確保することを優先してちょうだい」
「了解」
アルノーはミレーナに目配せした。
二人は身を低くして岩陰を離れ、木々の間へ消えていった。
エレナはその姿をしばらく見送った。
そして高橋の隣に伏せた。
「じゃあ、私たちも準備しましょう」
高橋は岩の上に身体を預け、G11を構えた。
前方には低い灌木が生えている。
その枝の隙間から、谷底を見渡すことができた。
高橋は銃の下に置いた布を整え、身体を安定させた。
スコープの保護蓋を開く。
視界の中央に、遠くの倒木が浮かび上がった。
距離はおよそ四百メートル。
射撃訓練では、何度も撃ってきた距離だった。
篠沢から譲り受けたG11は、すでに手に馴染んでいる。
スコープの調整も済んでいた。
エレナとの射撃訓練では、これよりはるかに遠い距離の標的にも命中させている。
四百メートルなら、十分に狙える。
技術的には、そうだった。
しかし、今、照準の先にいるのは人間だった。
それも、顔も名前も知っている同級生たちである。
高橋はスコープを覗いた。
佐々木が毛布の上に寝転がっている。
中村は背嚢にもたれたまま、目を閉じていた。
加藤と吉田は倒木の近くに座っている。
誰もこちらには気づいていない。
高橋は視線を少し動かした。
倒木の脇に、二丁のG11が置かれている。
一丁は佐々木の背嚢の近く。
もう一丁は、中村が休んでいる場所から少し離れたところだった。
男二人は、すぐに銃を手に取れる位置にいた。
「高橋」
隣からエレナの声がした。
「はい」
「力が入っているわよ」
高橋は自分の肩に力が入っていることに気づいた。
「……すみません」
「謝らなくていいわ。ゆっくり息をして」
エレナは双眼鏡を構えたまま言った。
「いつもの射撃訓練と同じ。私が観測するから、高橋は狙うことに集中して」
「はい」
高橋は小さく息を吐いた。
銃床を肩に当て直し、頬の位置を調整する。
スコープの中で、佐々木の姿が再び見えた。
エレナは双眼鏡を動かしながら、谷の周囲を観察していた。
風はそれほど強くなかった。
谷底の枯れ草が、ときおり一方向へ揺れている。
こちらの岩場では、風が木々に遮られていた。
しかし、谷の中央には弱い横風が流れているようだった。
「風は右から弱く。大きな補正はいらないわ」
エレナが小声で言った。
「了解」
「射撃位置はいい?」
「はい」
「標的は武装している男二人。女二人は撃たない」
「了解しました」
高橋は頷いた。
エレナは再び双眼鏡を構えた。
アルノーとミレーナの姿は、すでに木々の中へ消えていた。
時間がゆっくりと過ぎていった。
谷間には、相変わらず沢の水音が響いている。
風が吹くと、頭上の枝から枯れ葉が落ちた。
一枚の葉が高橋のすぐ近くに舞い降り、岩の上を滑るように転がっていく。
高橋は動かなかった。
スコープの中では、佐々木たちが休憩を続けている。
加藤が何かを話しているようだった。
吉田も笑っている。
何を話しているのかはわからない。
この距離では、人の声などまったく聞こえなかった。
エレナが小さく呟いた。
「……やっぱり武装しているわね」
「はい」
「高橋、銃の位置は確認できた?」
「はい。二丁あります」
「そう。覚えておいて」
高橋は頷いた。
そのとき、エレナが双眼鏡をわずかに動かした。
「……アルノーたちが見えたわ」
高橋はスコープを動かそうとした。
「高橋はそのまま」
エレナがすぐに言った。
「標的から目を離さないで。二人の位置は私が確認するから」
「了解」
高橋は照準を戻した。
エレナは双眼鏡で斜面の下を観察した。
大きな岩の陰を、アルノーがゆっくり移動している。
その少し後ろにはミレーナがいた。
二人とも、音を立てないよう慎重に足を運んでいた。
枯れ草の間を通り、低い灌木の陰へ身を隠す。
しばらくすると、二人の姿は再び見えなくなった。
エレナは少し待った。
谷底の四人に、変化はない。
佐々木はまだ寝転がっている。
中村も動かない。
加藤と吉田は、足を伸ばして休んでいた。
「……もう少しね」
エレナが呟いた。
高橋は返事をせず、照準を保ち続けた。
やがて、斜面の下でわずかに灌木が揺れた。
エレナはその位置を確認した。
アルノーとミレーナが、倒木からそれほど離れていない岩陰まで近づいていた。
そこから先は、身を隠せる場所が少ない。
無理に接近すれば、四人に気づかれる可能性が高かった。
二人は岩陰に身を潜め、様子を窺っている。
「……配置についたわ」
エレナが言った。
「了解」
「ここからは待つだけよ。相手が動いたら、私が指示する」
谷底では、毛布の上に寝転がっていた男が身体を起こしていた。
大きく背伸びをしてから、ゆっくりと立ち上がる。
高橋はスコープの中で、その動きを追った。
佐々木だった。
佐々木は腰に手を当て、身体を左右に曲げている。
長時間歩いたせいか、足の具合を確かめているようだった。
中村も目を開けた。
背嚢にもたれていた身体を起こし、佐々木の方を見る。
二人は何か話していた。
佐々木が笑っている。
中村も笑った。
高橋には、その会話は聞こえなかった。
「……動き始めたわね」
エレナが言った。
「はい」
「準備して」
高橋は小銃を構え直した。
エレナは双眼鏡で四人の動きを確認していた。
毛布から立ち上がった男が、小銃の置かれた方へ身体を向けた。
その少し後ろで、もう一人の男も立ち上がろうとしている。
エレナの声が低くなった。
「高橋、毛布から立ち上がった男を狙って」
「はい」
「右の太腿。ほかの人に当たらないように」
「了解」
高橋は照準を下げた。
佐々木の右脚。
太腿の位置へ十字線を合わせる。
標的は動いていた。
高橋は呼吸を止めかけ、いったんやめた。
胸の奥で心臓が強く打っている。
スコープの中では、佐々木が何も知らずに立っていた。
そのすぐ近くには、G11が置かれている。
佐々木は小銃の方へ歩き始めた。
エレナが静かに言った。
「……武器を取ろうとしているわ」
高橋は再び呼吸を整えた。
「落ち着いて」
エレナの声がした。
「はい」
「まだよ……」
佐々木が立ち止まった。
身体を横へ向け、小銃の方へ手を伸ばそうとする。
「……撃て」
高橋は引き金を引いた。
乾いた銃声が山間に響いた。
G11の銃口から火が走り、肩に反動が伝わる。
高橋は撃った瞬間、スコープの中で佐々木の身体が崩れるのを見た。
佐々木は右脚を押さえるようにして倒れた。
そのまま地面を転がり、何かを叫んでいる。
高橋には声は聞こえなかった。
「命中。次、背嚢の横にいた男」
エレナが短く言った。
高橋はボルトを操作した。
空薬莢が排出され、次弾が薬室へ送られる。
スコープを覗き直す。
中村が立ち上がっていた。
突然倒れた佐々木を見て、何が起きたのかわからない様子だった。
しかし、次の瞬間には周囲を見回し、自分の小銃へ手を伸ばそうとしていた。
「もう一人の男。左の太腿」
エレナが指示した。
高橋は照準を移した。
中村が身体を屈めた。
小銃を取ろうとしている。
「撃て!」
二発目の銃声が、谷に響いた。
中村の左脚が崩れた。
彼は小銃へ手を伸ばした姿勢のまま倒れ、地面に横たわった。
高橋はすぐにボルトを操作した。
三発目を装填する。
そして、再びスコープを覗いた。
佐々木と中村が倒れている。
女二人は、何が起きたのかわからず、その場にしゃがみ込んでいた。
エレナは双眼鏡を覗き続けた。
「二人とも倒れたわ」
高橋は返事をしなかった。
スコープの中では、佐々木が脚を押さえながら身をよじっていた。
中村も地面に倒れ、何かを叫んでいる。
その姿を見て、高橋の胸が強く締めつけられた。
撃った。
自分が撃ったのだ。
二発。
その二発が、確かに人間の身体に命中した。
「高橋、まだ警戒を解かないで」
エレナの声がした。
「……はい」
「アルノーたちが接近する。武器を取ろうとする者がいないか見ていて」
「了解……」
高橋は照準を少し動かした。
倒木の脇に置かれた二丁のG11。
どちらにも、まだ誰も手を伸ばしていなかった。
最初の銃声が聞こえた瞬間、アルノーとミレーナは岩陰から飛び出していた。
二人は低い姿勢で谷底へ走った。
枯れ草を踏み倒し、倒木へ向かって近づく。
その途中で二発目の銃声が響いた。
倒木の近くでは、男二人が倒れていた。
女二人はしゃがみ込んでいる。
アルノーは銃を構え、大きな声で叫んだ。
「動くな!」
帝国共通語だった。
しかし、四人からはすぐに反応がなかった。
佐々木は右脚を押さえて叫んでいた。
「痛え! 痛えよ! 何だよ、これ!」
中村も地面に横たわり、悲鳴を上げていた。
「撃たれた! 俺、撃たれた!」
加藤は二人を見て、完全に取り乱していた。
「ちょっと! 何なのよ! 誰が撃ったの!」
吉田は震えながら、その場にしゃがみ込んでいる。
「嫌! 何これ! 何なの!」
アルノーには、四人が何を言っているのかわからなかった。
聞き慣れない言葉だった。
ただ、二人が負傷し、女二人が怯えていることだけはわかった。
「武器から離れろ!」
アルノーはもう一度叫んだ。
その声に、加藤が顔を上げた。
目の前には、銃を構えた背の高い兵士が立っている。
その後ろから、もう一人の兵士が近づいてきた。
ミレーナだった。
「手を上げて!」
ミレーナも帝国共通語で命じた。
加藤は一瞬、何を言われているのかわからなかった。
しかし、銃を向けられていることは理解できた。
目の前の女兵士が片手を上げる仕草をした。
加藤は慌てて両手を上げた。
「わ、わかった! 撃たないで!」
吉田もそれを見て、両手を上げた。
「撃たないでください!」
ミレーナは二人の様子を確認しながら近づいた。
「そのまま。動かないで」
アルノーは二丁のG11へ向かった。
まず佐々木の近くに置かれていた一丁を取り上げる。
続いて中村の小銃も確保した。
二丁とも手の届かない場所へ移し、状態を確認する。
「小銃二丁、確保した」
ミレーナが頷いた。
「女二人は武器を持っていないみたい」
「了解」
アルノーは佐々木へ近づいた。
佐々木は脚を押さえながら、顔を歪めている。
軍服の太腿の部分には血が滲み、地面にも赤い染みが広がり始めていた。
「触るな! 痛えんだよ!」
佐々木が怒鳴った。
アルノーは何を言われているのかわからなかった。
「暴れるな。手当てをする」
帝国共通語で答えた。
佐々木はなおも叫び続けた。
「何だよ、おまえら! 何で撃ったんだよ!」
アルノーは表情を変えなかった。
負傷した脚を不用意に動かさないようにしながら、出血の状態を確認した。
ミレーナは加藤と吉田を一か所に集め、武器を持っていないことを確かめていた。
二人は震えていた。
加藤は泣きそうな声で叫んだ。
「ねえ! 何なのよ! 説明してよ!」
吉田も涙を流していた。
「帰りたい……もう嫌……」
ミレーナは困ったように二人を見た。
「何を言っているのかわからないけど……とにかく、動かないで」
しかし、二人にはほとんど通じていなかった。
ミレーナは銃を下ろさず、その場で二人を監視した。
高橋は岩陰から、その様子を見ていた。
スコープの中では、アルノーが二丁の小銃を取り上げていた。
ミレーナも加藤と吉田を押さえている。
男二人は倒れたままだった。
「……武器は確保できたわね」
エレナが双眼鏡を下ろした。
「高橋、もう発砲しなくていいわ」
「……はい」
高橋は小さく答えた。
しかし、しばらくそのまま動かなかった。
エレナが顔を覗き込んだ。
「高橋?」
「……はい」
「大丈夫?」
高橋はゆっくりと顔を上げた。
「……はい」
エレナはしばらく彼を見つめていた。
そして、静かに言った。
「二人とも生きているわ。急いで手当てをしましょう」
高橋は頷いた。
「わかりました」
エレナは立ち上がり、周囲を確認した。
「無線機はここに置いていくわ。あとでミレーナに連絡してもらいましょう」
高橋も小銃を肩に掛けた。
二人は岩陰を離れ、谷底へ向かった。
斜面を下りる間、高橋はほとんど喋らなかった。
足元には落ち葉が厚く積もっている。
木々の根元には湿った土が広がり、岩の表面には苔が張りついていた。
先ほどまで慎重に足音を消して歩いていた場所だった。
しかし、今はもう隠れる必要はなかった。
沢の音が近づいてくる。
そして、それに混じって人の叫び声が聞こえ始めた。
高橋は足を止めそうになった。
聞き覚えのある声だった。
佐々木の声。
中村の声。
ついさっきまで、スコープの向こうにいた人間たちの声だった。
エレナは振り返った。
「高橋、行くわよ」
「……はい」
高橋は足を進めた。
谷底に着くと、佐々木はまだ大声で叫んでいた。
「痛え! 何とかしろよ!」
アルノーが止血のために包帯を取り出している。
エレナはすぐに近づいた。
「状態は?」
「二人とも太腿を撃たれている。出血しているが、意識はある」
「わかった。急いで手当てしましょう」
エレナは佐々木のそばに膝をついた。
傷の状態を確認し、応急処置を始めた。
アルノーも中村のそばへ移動する。
高橋は少し離れたところで周囲を警戒していた。
そのときだった。
「……あれ?」
加藤が高橋に気づいた。
そして、大きく目を見開いた。
「……高橋?」
高橋は振り返った。
「高橋じゃん!」
加藤が突然大声を上げた。
「何であんたがここにいるのよ!」
吉田も顔を上げた。
「えっ……高橋君?」
高橋は何も答えなかった。
「高橋君! 助けて!」
吉田が叫んだ。
その声を聞き、佐々木も顔を向けた。
痛みに歪んだ顔が、高橋を捉えた。
「……高橋?」
一瞬、佐々木は何が起きているのかわからない様子だった。
しかし、高橋の肩に掛けられたG11を見た途端、その表情が変わった。
銃の上にはスコープが取り付けられている。
「……おい」
佐々木の声が低くなった。
「まさか……」
高橋は答えなかった。
「おまえが撃ったのか?」
佐々木の声が急に大きくなった。
「おい! 高橋! おまえが撃ったのかよ!」
中村も顔を向けた。
「高橋……?」
そして、負傷した脚を押さえながら叫び始めた。
「おまえ、何やってんだよ! 何で俺を撃つんだよ!」
「ふざけんなよ! 同級生だろ!」
佐々木も怒鳴った。
「何で俺らを撃ったんだよ! 答えろよ!」
加藤も叫び続けた。
「ちょっと高橋! 何なのよ! 何でこんなことするの!」
吉田は泣きながら助けを求めていた。
「高橋君! お願い! 何とかしてよ!」
四人が一斉に日本語で叫び始めた。
静かだった谷間に、怒鳴り声と悲鳴が響き渡った。
アルノーとミレーナは顔を見合わせた。
何を言っているのか、まったくわからない。
しかし、四人が高橋へ向かって叫んでいることはわかった。
エレナは顔を上げた。
「高橋、何を言っているの?」
「……僕が撃ったのかって……」
高橋は少し言葉に詰まった。
「それと、助けてほしいって言っています」
エレナは短く頷いた。
そして、アルノーとミレーナに指示した。
「二人とも、四人に猿轡をして。これでは手当てもできないわ」
「了解」
アルノーは佐々木の身体を押さえ、ミレーナも女二人の方へ向かった。
「おい! 何すんだよ!」
佐々木が叫んだ。
「離せよ! 高橋! おい!」
アルノーは何も答えず、猿轡を用意した。
佐々木は抵抗したが、負傷した脚を動かすことができず、すぐに押さえ込まれた。
中村も同じだった。
加藤は猿轡を見て、さらに大声を上げた。
「ちょっと! 何すんのよ! やめてよ!」
吉田も泣きながら首を振った。
しかし、二人とも武器を持っていない。
ミレーナに制止され、やがて手を拘束された。
四人に猿轡が施されると、それまで響いていた怒鳴り声はようやく収まった。
エレナは負傷した二人の呼吸を確認し、処置の妨げにならないよう姿勢を整えた。
「よし。これで手当てを続けられるわね」
アルノーが小さく息を吐いた。
「まったく、騒がしい連中だな」
ミレーナも困ったように笑った。
「日本人って、みんなあんなに大きな声を出すの?」
高橋は少し困った顔をした。
「……いえ、そんなことはないと思いますけど」
エレナが小さく笑った。
「まあ、驚いたのはわかるけどね」
そして、再び傷の処置へ戻った。
応急処置が進むにつれ、男二人の出血はひとまず抑えられた。
エレナは包帯の状態を確認し、負傷した脚を動かさないように固定した。
二人とも意識はある。
しかし、自力で歩ける状態ではなかった。
佐々木は何度も身体を起こそうとし、そのたびに痛みで顔を歪めていた。
中村は青ざめた顔で地面に横たわっている。
「このまま歩かせるのは無理ね」
エレナが言った。
アルノーも頷いた。
「ああ。担架が必要だ」
「それに、早く衛生兵に診せないと」
エレナはミレーナを振り返った。
「ヴァルターに連絡して。逃亡兵四人を確保、男二人が負傷していることを伝えてちょうだい。軍警による引き取りと、負傷者の搬送をお願いして」
「了解」
ミレーナは頷いた。
そして、先ほど無線機を置いてきた岩場へ向かった。
残された三人は、逃亡兵たちの監視と応急処置を続けた。
高橋は少し離れた倒木の陰に腰を下ろした。
小銃を膝に置き、谷の斜面へ目を向ける。
四人とも拘束されている。
武器も取り上げられている。
もう撃つ必要はなかった。
しかし、高橋の頭の中には、先ほどの二発の銃声が残っていた。
引き金を引いた瞬間の感触。
肩に伝わった反動。
そして、スコープの中で崩れ落ちた佐々木と中村の姿。
高橋は自分の手を見た。
特に震えているわけではなかった。
だが、落ち着いた気持ちにもなれなかった。
射撃場なら、良い結果だっただろう。
二発撃って、二発とも命中した。
しかし、今日は違った。
撃った相手は人間だった。
それも、顔も名前も知っている同級生たちである。
高橋は小さく息を吐いた。
「高橋」
エレナが近づいてきた。
「……はい」
「具合はどう?」
「大丈夫です」
エレナはその顔を見た。
「無理しなくていいわよ」
高橋は少し困ったように笑った。
「……そう言われても」
エレナもわずかに微笑んだ。
「そうね」
そして、倒木の近くにいる四人へ目を向けた。
「でも、あなたの射撃のおかげで、四人とも生きたまま捕まえられたわ」
高橋は何も答えなかった。
エレナは続けた。
「もちろん、二人に怪我をさせたことは事実よ。でも、銃を持った相手を拘束するのは危険なの。アルノーやミレーナが撃たれる可能性もあった」
「……はい」
「今日のことを無理に忘れなくてもいいわ。ただ、今は任務を終わらせましょう」
高橋は頷いた。
「了解しました」
エレナは軽く彼の肩を叩いた。
「よし」
谷間では、相変わらず沢の水が流れていた。
木々の間を冷たい風が吹き抜け、枯れ草が揺れている。
高橋はもう一度、拘束された四人へ目を向けた。
佐々木もこちらを見ていた。
猿轡をされているため、何を言おうとしているのかはわからない。
しかし、その目には明らかな怒りが浮かんでいた。
高橋は視線をそらした。
ミレーナが戻ってきたのは、それからしばらくしてのことだった。
岩場から斜面を下り、倒木の近くへやってくる。
「エレナ!」
エレナが振り返った。
「連絡できた?」
「ええ。ヴァルターに報告したわ」
ミレーナは少し息を整えてから続けた。
「逃亡兵四人を確保。男二人が太腿を負傷。応急処置は実施済み。搬送と引き渡しの応援が必要だと伝えた」
「それで?」
「軍警の分遣隊をこちらへ向かわせるそうよ。担架も用意させるって」
「わかった」
エレナは頷いた。
「それまでは、ここで待機ね」
アルノーも頷いた。
「了解」
ミレーナは倒木の近くへ戻り、加藤と吉田の監視を引き継いだ。
高橋は再び周囲へ目を向けた。
谷底には、夕方が近づくにつれて少しずつ影が伸び始めていた。
山の稜線に太陽が近づき、斜面の上から順に日が当たらなくなっていく。
沢の水面も、先ほどより暗く見えた。
十一月の山では、日が傾くと急激に気温が下がる。
エレナは負傷者の身体が冷えないよう、毛布を掛け直した。
佐々木はその様子を見ていた。
何か言いたそうに顔を動かしたが、言葉にはならなかった。
エレナは特に気にした様子もなく、包帯の状態を確認した。
四人の逃亡兵は、誰も抵抗することができなくなっていた。
つい数時間前まで、もうすぐベルノの街へ着くと笑い合っていた者たちだった。
しかし、その街は今も山の向こうにある。
四人がそこへ自由に歩いていくことは、もうできなかった。
軍警が到着したのは、それからしばらくしてのことだった。
最初に聞こえてきたのは、斜面の上から響く複数の足音だった。
乾いた落ち葉を踏む音。
装備の金具が触れ合う音。
そして、短い号令。
アルノーが顔を上げた。
「来たようだな」
エレナも頷いた。
「ええ」
やがて、木々の間から軍警の兵士たちが姿を現した。
先頭には軍警の下士官が立ち、その後ろを数人の兵士が続いている。
二組の兵士が、それぞれ折り畳み式の担架を携行していた。
さらに後方には、救急用の装備を持った衛生兵もいた。
エレナは立ち上がり、彼らを迎えた。
「エレナ班です。逃亡兵四名を確保しています」
軍警の下士官が頷いた。
「報告は受けている。負傷者は?」
「男二名。いずれも太腿に銃創があります。応急処置は済ませていますが、自力歩行は難しい状態です」
「了解した」
下士官は周囲を見回した。
倒木の近くには、拘束された四人の逃亡兵がいた。
その脇には、回収された二丁のG11が置かれている。
軍警の下士官はそれを確認し、部下へ指示を出した。
「衛生兵、負傷者を確認しろ。搬送準備!」
兵士たちが動き始めた。
衛生兵はまず佐々木のそばに膝をつき、負傷した脚の状態を確認した。
続いて中村も診察する。
二人とも意識はあった。
しかし、顔色は悪く、痛みで身体を動かすことができなかった。
衛生兵は包帯の状態を確かめ、搬送中に傷が悪化しないよう処置を加えた。
その間、軍警の兵士たちは加藤と吉田を立たせ、手の拘束を確認していた。
二人とも抵抗しなかった。
先ほどまでの楽天的な表情は、完全に消えていた。
軍警の下士官がエレナへ向き直った。
「これで四名全員だな?」
「ええ。男二名、女二名。所持していた小銃は二丁です」
「了解した。あとは軍警が引き受ける」
「お願いします」
「負傷者は先に衛生隊へ搬送する。その後、四名とも軍警の管理下に置く」
エレナは頷いた。
下士官は短く敬礼すると、再び部下たちへ指示を出した。
やがて、佐々木と中村が担架へ移された。
軍警の兵士たちは慎重に担架を持ち上げた。
揺れた拍子に二人は顔を歪めたが、衛生兵がすぐに状態を確認した。
加藤と吉田は、護送する軍警兵士たちに囲まれて歩き始めた。
四人は、来た道とは別の方向へ連れていかれた。
高橋は少し離れたところから、その様子を見ていた。
佐々木が担架の上から、何度かこちらへ顔を向けていた。
その目が高橋を捉えた。
何かを言いたそうだった。
しかし、言葉は聞こえなかった。
高橋も何も言わなかった。
やがて、担架を運ぶ兵士たちは木々の間へ消えていった。
続いて、加藤と吉田の姿も見えなくなった。
最後に、護送兵たちの背中が斜面の向こうへ消えた。
足音が遠ざかっていく。
残ったのは、踏み荒らされた落ち葉と、倒木の近くに広がる毛布だけだった。
谷間には再び静けさが戻ってきた。
沢の水音が、先ほどまでと変わらず聞こえている。
風が吹くと、木々の枝が揺れた。
薄い雲が太陽を隠し、斜面には灰色の影が広がっていった。
アルノーは周囲を見回した。
「終わったな」
ミレーナも頷いた。
「ええ。四人とも引き渡したし」
エレナは地図を取り出した。
「そうね」
そして、周囲の地形を確認した。
「それじゃ、訓練に戻りましょう」
アルノーが少し驚いたように顔を上げた。
「このまま続けるのか?」
「もちろん。まだ訓練期間中でしょう?」
エレナは当然のように答えた。
「逃亡兵の追跡は終わったけど、私たちの山岳潜伏訓練は終わっていないわ」
アルノーは小さく笑った。
「まあ、そうだな」
ミレーナも頷いた。
「じゃあ、無線機を取りに戻らないとね」
「ええ。それから今夜の潜伏場所を探しましょう」
エレナは地図の一角を指さした。
「この先の尾根を越えたところに、少し開けた場所があるはずよ。まずはそこへ向かいましょう」
アルノーは地図を覗き込んだ。
「ああ、あそこか」
「そう。日が暮れる前に移動したいわね」
「了解」
エレナは高橋を振り返った。
「高橋」
「はい」
「まだ歩ける?」
高橋は少し間を置いてから頷いた。
「……はい。大丈夫です」
エレナは微笑んだ。
「そう。じゃあ、行きましょう」
アルノーが先頭に立った。
ミレーナも装備を整え、後に続く。
高橋は最後に一度だけ、倒木の方を振り返った。
つい先ほどまで、佐々木たち四人がそこにいた。
硬いパンを食べ、笑い合い、毛布を広げて休んでいた。
その場所には、もう誰もいなかった。
高橋は視線を落とした。
肩に掛けたG11が、いつもより重く感じられた。
「高橋、行くわよ」
前方からエレナの声がした。
「はい」
高橋は顔を上げ、三人の後を追った。
落ち葉に覆われた斜面を、四人はゆっくりと登っていく。
途中、先ほど無線機を置いた岩場で装備を回収し、再び尾根へ向かった。
日が傾き始めていた。
木々の間から差し込む光は赤みを帯び、斜面には長い影が伸びている。
高橋は足元の落ち葉を踏みしめながら歩いた。
今夜も、山の中で過ごすことになる。
明日もまた、訓練が続く。
いつもと同じ山岳潜伏訓練だった。
ただ、高橋にとって、今日という日が訓練の一日として終わることはなかった。
初めて人間を撃った。
それも、同じ学校にいた同級生を。
高橋は前を歩くエレナの背中を見つめた。
エレナは時折振り返り、全員がついてきていることを確認しながら歩いている。
その様子は、いつもと変わらなかった。
アルノーもミレーナも、すでに次の潜伏場所の話をしていた。
高橋は小さく息を吐いた。
そして、再び足を進めた。
背後の谷間では、何事もなかったかのように沢の水が流れ続けていた。